【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ849【talk掲示板】アーカイブ最終更新 2023/09/11 13:201.鹿野園◆dqam8SqGUPdmTVQHq悟りをひらいた・霊的に生まれ変わったと思う人。悟りをひらきたい・霊的に生まれ変わりたいと思う人。悟りや霊性に対して懐疑・批判的な人。宗教・宗派を超えて皆さん大歓迎!!でも、否定されても発狂しないでね💕前スレ【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ848【talk掲示板】 https://talk.jp/boards/psy/16918853082023/08/22 14:43:051000すべて|最新の50件953.神も仏も名無しさんAu3yj目覚めておくれえ〜〜ほーかいくんお館様〜🎌🎌🎌2023/09/11 08:36:33954.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv>>912.>三禅天は色界ですよね↑三禅ではなく「三禅天」と書いてましたね。その通りです。三界体系である「三禅天」は色界です。三界体系と禅定体系の違いを元コは理解したようですね。2023/09/11 09:07:27955.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv理解出来た方は、↓こちらで間違いだらけの仏教の常識https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16更に続きを書いていきますので、興味があったらご覧ください。2023/09/11 09:09:49956.神も仏も名無しさんMbpZwおはようございます〜ほーかいくんお館様〜🎌🎌🎌🎌2023/09/11 09:18:12957.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv以下、池田論文より(三禅(禅定体系)は欲界(六欲天)という話)http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第40巻第2号/Vol.40 , No.2(1992)089池田 練太郎「色界第四禅について」.pdf先にみたように、第三禅までは、人間が普通の心身のままで、精神を集中して思惟行動を行っている状態であったのに対し、この第四禅及びそれ以上は呼吸が働かないとされることからみても、むしろ死に近い状態を呈していると見なしうる。-964-釈尊は幼少期に初禅の状態を体験したということが示されている6)。 このエピソードが事実であるなら、出家前の釈尊が初禅を体験したということからも、後世色界の四禅とされるに至った禅定の少なくとも最初の階梯の本質は、やほり精神を集中して思惟に没頭することに起因する一つの状態であった可能性が高いと推察されるのである。また、釈尊は出家後まもなくアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタを訪ね、それぞれの無所有処定と非想非非想処定を体験した後に捨て去ったと伝えられるが7)、このことはやはりこれらの禅定を退けた釈尊の立場を明確に示すものと見てよいであろう。さらに、釈尊は2カ月間、人を近づけずに一人で禅定を修したことが伝えられているが8)、そのときの禅定は、持息念(anapanasati)が中心であったとされている。 この他にも3カ月に亘る禅定が報告されているが9)、いずれもその間に比丘たちとの交渉があったとされていることからみて、滅尽定のような死に近い禅定を実践していたとは見なし難い。-963-6) Mahasaccaka-sutta, MN., I, pp. 246. cf.水 野弘元 「原始仏教 と目本 曹洞宗」(『道元禅 の思想的研究』1973年, 春秋社刊)pp. 53-58, 69-73. 以下, 註(7)(8)(9)に つい ても同様。7) Ariyapariyesana-sutta, MN., I, pp. 163-166.8)『 雑 阿含』巻29; 大正2, 207a.9) SN, V, p. 13; SN, V, pp 325-326; Vinaya, I, p. 169; Vinaya III, p. 230. etc,2023/09/11 09:26:03958.法介◆T3azX0Hk1U0DfCvパ ー リ経典 に説 かれ る 「九次 第定」の成 立 と構造 より(三禅(禅定体系)は欲界(六欲天)という話)https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/53/2/53_2_891/_pdf/-char/ja個々の禅定のほとんどは、仏教起源のものとは言えない。それは勿論、後から仏典に付加されたのではなく、仏教興起以前からインドで知られていた禅定を、仏教が取り入れたのである。このことは、インドの他宗教の典籍には説かれないが、他ならぬパーリ経典で、釈尊自身が語っている。釈尊自身、まだ在家の王子であった頃に色界初禅に入って楽しんでいたことが、中部36,85,100に 説かれている。色界第三禅の説明には必ず「聖者たちが『平安(upekhako)で、気づきを具えて幸福でいる』と語 る第三禅」と付記される。釈尊の同時代に実際に、色界第三禅に達してその内容を語ることがで きる仏教外の「聖者たち」がいたことが推測できる。その一例は、「絶対の楽」(ekanta-sukha,解脱)を主張するサクルダーイである。中部79で釈尊は彼に解脱に至る実践として色界四禅を順次 説いたが、第三禅を説いた時サクルダーイが、それは実践ではなく「絶対の楽」自体だと主張した。釈尊がそれを否定し第四禅を説こうとした時、サクルダーイの弟子たちはここで我々は師の教えと共に破滅した。我々はこれ[第三禅]より勝れた、より良いものを知らないのだ。(MNvol.Ⅱ,p.37)と大声で嘆いた。このことから、サクルダーイとその弟子たちは色界第三禅まで体得していて、そ れを最上と思い込んでいたことが分かる。2023/09/11 09:28:52959.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv釈尊が出家してすぐ、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという二師に順次に学 び、それぞれ無所有処と非想非非想処を体得したことが、中部26,36,85,100に、両禅定の学びの経 緯が全て同じ形式で説かれる。両師とも釈尊を「二人で一緒に、この弟子たちを導きましょう」と誘っているので、彼らはそれぞれ、自分の達した禅定を最上のものと考えていたことが窺える。し かし釈尊だけは以下のように見切って、両師の下を去っている。この教説は、厭離に導かない。離貧に、滅に、寂止に、勝智に、正覚に、涅槃に導かない。せいぜい無所有処への往生に導くだけである。(MNvol.Ⅰ,p.165)その後、釈尊は六年続けた苦行を捨てて禅定の道に戻り色界初禅から第四禅を経て三明の宿明智、天眼智そして悟りそのものである漏尽智に順次に達して無師独悟しているので、「九次第定」の最 後の一つ、悟りの境地である想受滅だけは、釈尊が初めて達した、仏教オリジナルの「禅定」であ ると言える。以上のように色界禅定も無色界等至も、釈尊以前・以外にも様々な行者によって実践体得されてい たことが、他ならぬパーリ経典によって明らかになった。しかしながらそのような各禅定を、釈尊 が初めて達し得た想受滅を中心に「九次第定」として体系化したのは、パーリ経典の記述通り、釈 尊自身であったと考えるのが自然であろう。想受滅は釈尊以前に遡れず、一方、散文パーリ経典の 随所に説かれる「九次第定」はその内容、名前、順序の全てにおいて一致しているため、経典成立時には既に確定していたことが知られるからである。仏教以外の行者たちは自分の達した禅定が最上と思っており、想受滅を知らなかったのであるから、「九次第定」を確立していたとは考えられ ない。2023/09/11 09:29:06960.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv「空」は仏教ではじめて説かれた教えであり、その空(法空)を理解しなければ四禅天には入れません。仏教以前の禅定は第三禅まででありそれは第六意識の中の世界観です。(六欲天)2023/09/11 09:32:52961.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>954>954:法介◆T3azX0Hk1U:2023/09/11(月) 09:07:27.11 ID:0DfCv>>>912.>>>三禅天は色界ですよね>>↑三禅ではなく「三禅天」と書いてましたね。>>その通りです。三界体系である「三禅天」は色界です。>>三界体系と禅定体系の違いを元コは理解したようですね。三禅も三禅天も第三禅定も第三禅地も第三静慮処も訳者の役の違いで同じだろ?アホか😂2023/09/11 09:44:07962.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>957で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?>>958で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?>>959で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?2023/09/11 09:48:23963.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv仏教における仏の説法の理解は大きく四段階に分かれます。 声聞衆 (蔵教)の理解(舎利弗) 縁覚衆 (通教)の理解(龍樹) 菩薩衆 (別教)の理解(世親) 開三顕一(円教)の理解(智顗・日蓮)境涯によって得られる理解異なります。それが理解出来ずにいると鹿野園のように「俺が絶対正しい」「俺以外は全部間違い」といった考えに陥ります。2023/09/11 09:49:10964.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv>>963 これが天台が説いた「四種四諦」です。三時の四諦説法(三転法輪)でそれぞれの境涯でその理解が異なるといった内容です。智顗はこれ(三転法輪)に法華経の説時を加えて「四種四諦」としております。2023/09/11 09:53:45965.神も仏も名無しさんMk0XB854 法介◆T3azX0Hk1U 2023/09/11(月) 03:35:03.60 ID:0DfCv以 上 の よ うに 見 て くる と, 第 三 禅 の, 念 と正 知 が具 っ て い る段 階 が精 神 を集 中して 思惟 す る とい う点 か らす る と最 も適 して い る こ とが知 られ る。 なぜ な ら思 惟す る以上, 思 考 す る た め に用 い られ る言 語 ・概 念 に は念(sati)即 ち記 憶 と, 正 知(sampajanna)即 ち明 瞭 な 認 識 の 存 在 が不 可 欠 だ か らで あ る。 そ の意 味 か ら す ると・ 第 四禅 の段 階 に正 知 とい う知 的 要 素 が欠 落 す る こ とは, jhanaの 本 来 の 意 味が示 す働 き か らは後 退 した とい う感 を否 め な い。2023/09/11 09:58:19966.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv>>964そういった事が分かって『阿弥陀経』を読むとおもしろいところが読み取れてきます。「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。」中学校の古文の授業で習う『平家物語』の冒頭の有名な言葉です。釈迦在世当時を代表する寺院であるこの「祇園精舍」でお釈迦さまは『阿弥陀経』を説かれます。〝無問自説〟の経といわれる『阿弥陀経』ですが、お釈迦さまの大部分の説法は、誰かに尋ねられて教えを説かれるのですが、この『阿弥陀経』は誰も尋ねていないのに、いきなりお釈迦さまのほうから説き始められます。これを〝無問自説〟の経と言います。理由は、「お釈迦さまが説きたくて説きたくて仕方がなかった内容だから、嬉しくてたまらずに自分から語り出した」というのがこれまでの解釈です。「え! そんな理由なの?」って思いませんか。「究極の真理を説く仏教なのに、そんな浅はかな理由でいいんですか!」って突っ込みたくなりませんか?浄土宗の開祖である法然さんや、その弟子で浄土真宗の宗祖となった親鸞さんの経典解釈ってこの程度だったんです。法然さんは平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧で、比叡山で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じて〝南無阿弥陀仏〟と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという「専修念仏の教え」を説きます。2023/09/11 10:00:09967.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv天台教学を学んでおきながら、この程度の解釈しか出来なかったということは、天台僧侶の中でも殆ど落ちこぼれだったのではないでしょうか。同じ比叡山で天台教学を学ばれた日蓮聖人から法然さんの「専修念仏の教え」は徹底的に論破されます。で、「無問自説」の理由ですが、お釈迦さまが同行していた弟子の舎利弗に36回も呼びかけますが舎利弗は一回も返事を返しません。その理由を法然さんや親鸞さんは、次のように解釈します。「あまりにも驚くべきことであったために、あっけにとられて言葉を発することができなかったのです!」って、「まじですか!」って言い返したくなりませんか?そんな単純な理由な訳ないでしょう。そんなだから日蓮聖人からこっぴどくやり込められてしまうんです。舎利弗が一度も口を開かなかったのは、五蘊を空じていたからです。この説法はパーリ経典に説かれる「サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想」からなる釈迦時代以前からあった「九次第定」と呼ばれる禅定で禅天に入った舎利弗が天界(色界)で聞いた説法だから、舎利弗はしゃべれる訳がないんです。https://butudou.livedoor.blog/archives/17786229.html より2023/09/11 10:00:57968.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>963違います。経典にそんなのありません。2023/09/11 10:02:26969.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>964違います。経典にそんなのありません。2023/09/11 10:02:53970.神も仏も名無しさんMk0XB853 法介◆T3azX0Hk1U 2023/09/11(月) 03:33:58.73 ID:0DfCvこれ ら・一連 の禅 定 は, jhana(Skt., dhyana)と い う語 に よ っ て示 され るが, これは, 周 知 の ご と く, jhayati(dhyai-)と い う動 詞 か ら造 られ た語 で あ り, も とも と,「考 え る」 とい う意 味 合 い を持 った 語 で あ った。 そ の意 味 で, 「静 慮 」 とい う漢 訳は そ の本 来 の ニ ュ ア ンス を よ く伝 え て い るが, それ は, この 禅 定 の本 質 を も よ く表 して い る とい え る。 ま た, 尋 と伺 は, 原 始 仏 教 で は外 界 に対 して向 け られ る心の働 き を粗 い働 き と精 細 な働 き に分 け て捉 え た もの で あ り, これ の あ る無 しに よっ て心 の状 態 が 区別 され て い る こ とに な る。 した が って, 無 尋 ・無 伺 とな る第 二禅 の 状 態 は, 外 界 に よ って精 神 が散 乱 す る こ とな く, 意 識 を集 中 させ て 思 惟 してい る段 階 に該 当 す る こ と に な る。 後 に, 初 禅 と二 禅 の 間 に 「中間 静 慮 」(dhyanantara)の 段 階 が設 定 され, そ こ に 「無 尋 唯 伺(有 伺)」 が 当て は め られ た の は,そ うした精 神 的 な流 れ か ら見 た場 合, そ の事 情 を よ く示 して い る とい え よ う。2023/09/11 10:02:58971.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv(続き)『阿弥陀経』は1世紀ごろ北インドで成立したと推定されてますが、鳩摩羅什訳とサンスクリット原典、チベット語訳、玄奘訳の『称讃浄土仏摂受経』が現存します。経典の冒頭ではその場に居合わせている人物の名前がまず紹介され、お釈迦さまの十大弟子や教団の主要たるメンバー達、文殊菩薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、さまざまな神々も一緒であったと書かれております。その中に、帝釈天の名が記されていることから、ここは色界の六欲天の下位から二層目の忉利天(とうりてん)であることが推測されます。また、経典の中で上方、下方、西方、東方、北方、南方といったいわゆる十方に広がる各々の世界を住処とする諸々の仏が37仏紹介されてます。〝仏〟と言いましても実は数えきれない程居られる訳ですね。そして、ここで注目して頂きたいのは、「上下東西南北」といった世界の紹介です。世界の中心ってどこだと思いますか?〝私〟って答えたあなたは正解です。2023/09/11 10:03:40972.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv(続き)世界はあなたの五蘊によってあなたを中心として立ち上がります。嘘だと思うのでしたら、目を閉じてみて下さい。世界は一瞬で無くなりましたよね。「いや、見えなくても手で机やテーブルは確認出来ます!」というあなた。肌の感覚を無くしてみて下さい。と、言われましてもそんな事、簡単に出来る訳ありませんよね。しかしそれをやるのが五蘊皆空という禅定(色界禅定)なのです。この五蘊を空じることで欲界に住む人間が、色界という「仏の世界」である空観へと入って行きます。これを専門的仏教用語で〝従仮入空〟といいます。(仮に従いながら空へと入る)上座部では「無我ゆえに空」と解釈し、「無我=主体がない」と考えますが、主体がないのであれば、私を〝中心〟とした「上下東西南北」はあり得ません。無我とは、「主体がない」ではなく、「縁起ゆえに変わらずにあり続ける独立した本質はない」という意味です。諸仏が住むこれら天界の世界にあっては、私という自我意識(主体)は未だ備わっております。ということは、今お釈迦さまが舎利弗に説法している空間は、九次第定で言えばどの段階にあたるのか。こちらに現代語訳版がありますのでご覧ください。妙念寺さんのHPで紹介されている現代語訳『阿弥陀経』http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub29.htm経典の中で、「また舎利弗よ、極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至る。その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。」という言葉があります。これは「菩薩の十地」を言ったもので、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中の下位から数えて第41番目から第50番目の位までを指して言った言葉です。お釈迦さまが説法している空間は「六欲天の忉利天」ですが、阿弥陀佛が住む極楽世界は「菩薩の十地」にあたると舎利弗に説明なされております。ちなみに51位と52位までの全てを覚った境地が如来です。阿弥陀佛を如来と思い込んでいる人達が沢山おられますが、経典で説かれている阿弥陀は仏であって如来ではありません。極楽浄土と呼ばれる阿弥陀佛の世界は四禅天の第二天になります。九次第定で言えば苦が完全に滅して喜びと楽で満たされた状態に入った第二禅定の段階になるかと思います。しかし未だ実体思想から完全に抜けきらないでいた声聞の弟子達は、欲界の影響下にある六欲天に至ったというお話(析空観)が説かれているのが『阿弥陀経』です。2023/09/11 10:04:10973.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>965却下。三禅が欲界って書いてない。2023/09/11 10:05:03974.神も仏も名無しさんMk0XB856 法介◆T3azX0Hk1U 2023/09/11(月) 03:37:42.30 ID:0DfCvと考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。 この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。 こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。 この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。 この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら, 実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。 この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が, 知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。2023/09/11 10:06:19975.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>966却下。根拠無し。2023/09/11 10:07:56976.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>967却下。根拠無し。2023/09/11 10:08:32977.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>970却下。三禅が欲界って書いてない。2023/09/11 10:09:31978.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>971却下。仏教は無我説。2023/09/11 10:10:25979.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>972却下。無根拠。2023/09/11 10:11:34980.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHgd9b>>974却下。三禅が欲界って書いてない。2023/09/11 10:11:57981.法介◆T3azX0Hk1U0DfCv>>972「九次第定で言えば苦が完全に滅して喜びと楽で満たされた状態に入った第二禅定の段階になるかと思います。」←この部分は書きかえないといけませんね。これを書いた時と今とではわたしの概念も上書きされてます。2023/09/11 10:17:08982.神も仏も名無しさんMY68hいぇ〜〜い〜〜〜ほーかいくんお館様大進撃とまらない〜い👍👍👍👍👍👍👍👍👍2023/09/11 10:24:33983.神も仏も名無しさんMY68h🚩🚩🚩🚩🚩🚩🚩🚩🚩すすめ〜ほーかいくんお館様〜😄😄2023/09/11 10:28:50984.鹿野園◆dqam8SqGUPdmHQjyZ>>981却下。関係ない。2023/09/11 10:33:34985.神も仏も名無しさんDmCUAシカーチンを無視して進ぬ〜〜ほーかいくんお館様大旋風っ!!いぇ〜〜い〜〜〜👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍2023/09/11 11:00:37986.神も仏も名無しさんMk0XB856 法介◆T3azX0Hk1U 2023/09/11(月) 03:37:42.30 ID:0DfCvと考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。 この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。 こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。 この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら,実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が,知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。2023/09/11 11:16:17987.神も仏も名無しさんMk0XB856 法介◆T3azX0Hk1U 2023/09/11(月) 03:37:42.30 ID:0DfCvと考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。 この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。 こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。 この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら,実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が,知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。2023/09/11 11:17:07988.糖質ですが◆/dRpTBnZTC3yDURdZこれは商法の話であるが「父と彼氏の娘をめぐる争い」は、創造説の観点から「父の為替手形の振り出し」か彼氏の約束手形の引き受けの「どちらが面白いのか?」という争いがなされる。お父さんが初恋の人というコギャルもいれば、おじいさんが初恋の人という孫ギャルもいる。しかし、「セカンドラブ」として、彼氏を見つけ、彼氏の面白さに頼らなければならない。お母さんよりも面白い彼氏ならば「この世はせつない」のが女の子らしいが。https://youtu.be/GVViiWGD2_k?si=FSP77vMszp6LInVk裏書の連続で「面白さの規模」が分かるとされている。2023/09/11 11:34:21989.糖質ですが◆/dRpTBnZTC3yDURdZ手形法の創造説の観点からは「パパはダジャレがいつもの倍くらいになった」とされている。まあ、財団債権の方が強いのだろう。https://youtu.be/vtC-niF9eII?si=4LCS-2uA-G3c_mUM2023/09/11 11:42:23990.鹿野園◆dqam8SqGUPdmEgzY0しかしお釈迦様が色界の存在だとか、噴飯ものだよな😂有余涅槃で三界を脱してるのに、何処からそうした発想が出てくるのやら wwwもしかして煩悩は滅していながら色身があるからとか、そんな馬鹿な発想だったりして🤭つまり、有余涅槃って言葉も知らないんだろうな🤭2023/09/11 12:01:43991.鹿野園◆dqam8SqGUPdmEgzY0無関係の術語は支離滅裂に関連付ける癖に、肝心の関連する術語は繋がらないとか、根本的な所で致命的な勘違いをしてるな、タコ介🐙は。2023/09/11 12:05:17992.鹿野園◆dqam8SqGUPdmEgzY0あと、無関係の論文を、おそらくは読みもしないで、コピペ濫造して傍証してる様に見せ掛けても、知ってる人には即バレだから😟同じ様な手口はハゲがよく使ってだけどな😂通用しないんだわ😂2023/09/11 12:08:54993.鹿野園◆dqam8SqGUPdmEgzY0これには流石にブンブン糞銀蝿の統失知障JBLも引いてるみたいだしな。このままタコ介🐙押しをしていたら、永久追放確定だから慌てて引いてるんだろ😂😂😂ま、約束は守ってもらうから😟2023/09/11 12:12:20994.神も仏も名無しさんKYN62ほーかいくんお館様大旋風レス〜まだまだ期待してる〜〜シカーチンはスルーしてどんどん行こう〜〜😄😄😄😄😄😄😄2023/09/11 12:59:46995.神も仏も名無しさん4z4Qe池田 練太郎「色界第四禅について」http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%B8%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AC%AC40%E5%B7%BB%E7%AC%AC2%E5%8F%B7/Vol.40%20,%20No.2(1992)089%E6%B1%A0%E7%94%B0%20%E7%B7%B4%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%8C%E8%89%B2%E7%95%8C%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A6%85%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8D.pdf2023/09/11 13:12:04996.◆JBLfMwCXhYqec8pやっぱり、ほ~かいスレは宗教板のオアシスですな~😆2023/09/11 13:15:00997.◆JBLfMwCXhYqec8pシカは無視するに限るゴチャゴチャ言ってきても、軽~く無視で!😂2023/09/11 13:16:09998.鹿野園◆dqam8SqGUPdmVInzE何処にも第三禅が欲界定って書いてない😟却下👎2023/09/11 13:17:54999.鹿野園◆dqam8SqGUPdmVInzE>>997約束は守れよ😟類猿人 www2023/09/11 13:18:571000.◆JBLfMwCXhYqec8p10002023/09/11 13:20:271001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/09/11 13:20:271002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/09/11 13:20:27
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+720802.82024/11/22 08:12:57
悟りをひらきたい・霊的に生まれ変わりたいと思う人。
悟りや霊性に対して懐疑・批判的な人。
宗教・宗派を超えて皆さん大歓迎!!
でも、否定されても発狂しないでね💕
前スレ
【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ848【talk掲示板】
https://talk.jp/boards/psy/1691885308
ほーかいくんお館様〜
🎌🎌🎌
>三禅天は色界ですよね
↑三禅ではなく「三禅天」と書いてましたね。
その通りです。三界体系である「三禅天」は色界です。
三界体系と禅定体系の違いを元コは理解したようですね。
間違いだらけの仏教の常識
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16
更に続きを書いていきますので、興味があったらご覧ください。
ほーかいくんお館様〜🎌🎌🎌🎌
(三禅(禅定体系)は欲界(六欲天)という話)
http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第40巻第2号/Vol.40 , No.2(1992)089池田 練太郎「色界第四禅について」.pdf
先にみたように、第三禅までは、人間が普通の心身のままで、精神を集中して思惟行動を行っている状態であったのに対し、この第四禅及びそれ以上は呼吸が働かないとされることからみても、むしろ死に近い状態を呈していると見なしうる。-964-
釈尊は幼少期に初禅の状態を体験したということが示されている6)。 このエピソードが事実であるなら、出家前の釈尊が初禅を体験したということからも、後世色界の四禅とされるに至った禅定の少なくとも最初の階梯の本質は、やほり精神を集中して思惟に没頭することに起因する一つの状態であった可能性が高いと推察されるのである。
また、釈尊は出家後まもなくアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタを訪ね、それぞれの無所有処定と非想非非想処定を体験した後に捨て去ったと伝えられるが7)、このことはやはりこれらの禅定を退けた釈尊の立場を明確に示すものと見てよいであろう。さらに、釈尊は2カ月間、人を近づけずに一人で禅定を修したことが伝えられているが8)、そのときの禅定は、持息念(anapanasati)が中心であったとされている。 この他にも3カ月に亘る禅定が報告されているが9)、いずれもその間に比丘たちとの交渉があったとされていることからみて、滅尽定のような死に近い禅定を実践していたとは見なし難い。-963-
6) Mahasaccaka-sutta, MN., I, pp. 246. cf.水 野弘元 「原始仏教 と目本 曹洞宗」(『道
元禅 の思想的研究』1973年, 春秋社刊)pp. 53-58, 69-73. 以下, 註(7)(8)(9)に つい て
も同様。
7) Ariyapariyesana-sutta, MN., I, pp. 163-166.
8)『 雑 阿含』巻29; 大正2, 207a.
9) SN, V, p. 13; SN, V, pp 325-326; Vinaya, I, p. 169; Vinaya III, p. 230. etc,
(三禅(禅定体系)は欲界(六欲天)という話)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/53/2/53_2_891/_pdf/-char/ja
個々の禅定のほとんどは、仏教起源のものとは言えない。それは勿論、後から仏典に付加されたのではなく、仏教興起以前からインドで知られていた禅定を、仏教が取り入れたのである。このことは、インドの他宗教の典籍には説かれないが、他ならぬパーリ経典で、釈尊自身が語っている。
釈尊自身、まだ在家の王子であった頃に色界初禅に入って楽しんでいたことが、中部36,85,100に 説かれている。
色界第三禅の説明には必ず「聖者たちが『平安(upekhako)で、気づきを具えて幸福でいる』と語 る第三禅」と付記される。釈尊の同時代に実際に、色界第三禅に達してその内容を語ることがで きる仏教外の「聖者たち」がいたことが推測できる。その一例は、「絶対の楽」(ekanta-sukha,解脱)を主張するサクルダーイである。中部79で釈尊は彼に解脱に至る実践として色界四禅を順次 説いたが、第三禅を説いた時サクルダーイが、それは実践ではなく「絶対の楽」自体だと主張した。釈尊がそれを否定し第四禅を説こうとした時、サクルダーイの弟子たちは
ここで我々は師の教えと共に破滅した。我々はこれ[第三禅]より勝れた、より良いものを知らないのだ。(MNvol.Ⅱ,p.37)
と大声で嘆いた。このことから、サクルダーイとその弟子たちは色界第三禅まで体得していて、そ れを最上と思い込んでいたことが分かる。
この教説は、厭離に導かない。離貧に、滅に、寂止に、勝智に、正覚に、涅槃に導かない。せいぜい無所有処への往生に導くだけである。(MNvol.Ⅰ,p.165)
その後、釈尊は六年続けた苦行を捨てて禅定の道に戻り色界初禅から第四禅を経て三明の宿明智、天眼智そして悟りそのものである漏尽智に順次に達して無師独悟しているので、「九次第定」の最 後の一つ、悟りの境地である想受滅だけは、釈尊が初めて達した、仏教オリジナルの「禅定」であ ると言える。
以上のように色界禅定も無色界等至も、釈尊以前・以外にも様々な行者によって実践体得されてい たことが、他ならぬパーリ経典によって明らかになった。しかしながらそのような各禅定を、釈尊 が初めて達し得た想受滅を中心に「九次第定」として体系化したのは、パーリ経典の記述通り、釈 尊自身であったと考えるのが自然であろう。想受滅は釈尊以前に遡れず、一方、散文パーリ経典の 随所に説かれる「九次第定」はその内容、名前、順序の全てにおいて一致しているため、経典成立時には既に確定していたことが知られるからである。仏教以外の行者たちは自分の達した禅定が最上と思っており、想受滅を知らなかったのであるから、「九次第定」を確立していたとは考えられ ない。
>954:法介◆T3azX0Hk1U:2023/09/11(月) 09:07:27.11 ID:0DfCv
>>>912.
>
>>三禅天は色界ですよね
>
>↑三禅ではなく「三禅天」と書いてましたね。
>
>その通りです。三界体系である「三禅天」は色界です。
>
>三界体系と禅定体系の違いを元コは理解したようですね。
三禅も三禅天も第三禅定も第三禅地も第三静慮処も訳者の役の違いで同じだろ?
アホか😂
で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?
>>958
で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?
>>959
で、それの何処に三禅が欲界って書いてある?
声聞衆 (蔵教)の理解(舎利弗)
縁覚衆 (通教)の理解(龍樹)
菩薩衆 (別教)の理解(世親)
開三顕一(円教)の理解(智顗・日蓮)
境涯によって得られる理解異なります。それが理解出来ずにいると鹿野園のように「俺が絶対正しい」「俺以外は全部間違い」といった考えに陥ります。
以 上 の よ うに 見 て くる と, 第 三 禅 の, 念 と正 知 が具 っ て い る段 階 が精 神 を集 中して 思惟 す る とい う点 か らす る と最 も適 して い る こ とが知 られ る。 なぜ な ら思 惟す る以上, 思 考 す る た め に用 い られ る言 語 ・概 念 に は念(sati)即 ち記 憶 と, 正 知(sampajanna)即 ち明 瞭 な 認 識 の 存 在 が不 可 欠 だ か らで あ る。 そ の意 味 か ら す ると・ 第 四禅 の段 階 に正 知 とい う知 的 要 素 が欠 落 す る こ とは, jhanaの 本 来 の 意 味が示 す働 き か らは後 退 した とい う感 を否 め な い。
そういった事が分かって『阿弥陀経』を読むとおもしろいところが読み取れてきます。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
中学校の古文の授業で習う『平家物語』の冒頭の有名な言葉です。釈迦在世当時を代表する寺院であるこの「祇園精舍」でお釈迦さまは『阿弥陀経』を説かれます。
〝無問自説〟の経といわれる『阿弥陀経』ですが、お釈迦さまの大部分の説法は、誰かに尋ねられて教えを説かれるのですが、この『阿弥陀経』は誰も尋ねていないのに、いきなりお釈迦さまのほうから説き始められます。これを〝無問自説〟の経と言います。
理由は、「お釈迦さまが説きたくて説きたくて仕方がなかった内容だから、嬉しくてたまらずに自分から語り出した」というのがこれまでの解釈です。
「え! そんな理由なの?」
って思いませんか。
「究極の真理を説く仏教なのに、そんな浅はかな理由でいいんですか!」
って突っ込みたくなりませんか?
浄土宗の開祖である法然さんや、その弟子で浄土真宗の宗祖となった親鸞さんの経典解釈ってこの程度だったんです。法然さんは平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧で、比叡山で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じて〝南無阿弥陀仏〟と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという「専修念仏の教え」を説きます。
で、「無問自説」の理由ですが、お釈迦さまが同行していた弟子の舎利弗に36回も呼びかけますが舎利弗は一回も返事を返しません。その理由を法然さんや親鸞さんは、次のように解釈します。
「あまりにも驚くべきことであったために、あっけにとられて言葉を発することができなかったのです!」
って、
「まじですか!」
って言い返したくなりませんか?
そんな単純な理由な訳ないでしょう。そんなだから日蓮聖人からこっぴどくやり込められてしまうんです。舎利弗が一度も口を開かなかったのは、五蘊を空じていたからです。この説法はパーリ経典に説かれる「サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想」からなる釈迦時代以前からあった「九次第定」と呼ばれる禅定で禅天に入った舎利弗が天界(色界)で聞いた説法だから、舎利弗はしゃべれる訳がないんです。
https://butudou.livedoor.blog/archives/17786229.html より
違います。
経典にそんなのありません。
違います。
経典にそんなのありません。
これ ら・一連 の禅 定 は, jhana(Skt., dhyana)と い う語 に よ っ て示 され るが, これは, 周 知 の ご と く, jhayati(dhyai-)と い う動 詞 か ら造 られ た語 で あ り, も とも と,「考 え る」 とい う意 味 合 い を持 った 語 で あ った。
そ の意 味 で, 「静 慮 」 とい う漢 訳は そ の本 来 の ニ ュ ア ンス を よ く伝 え て い るが, それ は, この 禅 定 の本 質 を も よ く表 して い る とい え る。
ま た, 尋 と伺 は, 原 始 仏 教 で は外 界 に対 して向 け られ る心の働 き を粗 い働 き と精 細 な働 き に分 け て捉 え た もの で あ り, これ の あ る無 しに よっ て心 の状 態 が 区別 され て い る こ とに な る。
した が って, 無 尋 ・無 伺 とな る第 二禅 の 状 態 は, 外 界 に よ って精 神 が散 乱 す る こ とな く, 意 識 を集 中 させ て 思 惟 してい る段 階 に該 当 す る こ と に な る。
後 に, 初 禅 と二 禅 の 間 に 「中間 静 慮 」(dhyanantara)の 段 階 が設 定 され, そ こ に 「無 尋 唯 伺(有 伺)」 が 当て は め られ た の は,そ うした精 神 的 な流 れ か ら見 た場 合, そ の事 情 を よ く示 して い る とい え よ う。
『阿弥陀経』は1世紀ごろ北インドで成立したと推定されてますが、鳩摩羅什訳とサンスクリット原典、チベット語訳、玄奘訳の『称讃浄土仏摂受経』が現存します。
経典の冒頭ではその場に居合わせている人物の名前がまず紹介され、お釈迦さまの十大弟子や教団の主要たるメンバー達、文殊菩薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、さまざまな神々も一緒であったと書かれております。
その中に、帝釈天の名が記されていることから、ここは色界の六欲天の下位から二層目の忉利天(とうりてん)であることが推測されます。
また、経典の中で上方、下方、西方、東方、北方、南方といったいわゆる十方に広がる各々の世界を住処とする諸々の仏が37仏紹介されてます。〝仏〟と言いましても実は数えきれない程居られる訳ですね。そして、ここで注目して頂きたいのは、「上下東西南北」といった世界の紹介です。
世界の中心ってどこだと思いますか?
〝私〟って答えたあなたは正解です。
世界はあなたの五蘊によってあなたを中心として立ち上がります。嘘だと思うのでしたら、目を閉じてみて下さい。世界は一瞬で無くなりましたよね。
「いや、見えなくても手で机やテーブルは確認出来ます!」
というあなた。肌の感覚を無くしてみて下さい。
と、言われましてもそんな事、簡単に出来る訳ありませんよね。しかしそれをやるのが五蘊皆空という禅定(色界禅定)なのです。この五蘊を空じることで欲界に住む人間が、色界という「仏の世界」である空観へと入って行きます。これを専門的仏教用語で〝従仮入空〟といいます。(仮に従いながら空へと入る)
上座部では「無我ゆえに空」と解釈し、「無我=主体がない」と考えますが、主体がないのであれば、私を〝中心〟とした「上下東西南北」はあり得ません。
無我とは、「主体がない」ではなく、「縁起ゆえに変わらずにあり続ける独立した本質はない」という意味です。諸仏が住むこれら天界の世界にあっては、私という自我意識(主体)は未だ備わっております。ということは、今お釈迦さまが舎利弗に説法している空間は、九次第定で言えばどの段階にあたるのか。こちらに現代語訳版がありますのでご覧ください。
妙念寺さんのHPで紹介されている現代語訳『阿弥陀経』
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub29.htm
経典の中で、
「また舎利弗よ、極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至る。その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。」
という言葉があります。これは「菩薩の十地」を言ったもので、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中の下位から数えて第41番目から第50番目の位までを指して言った言葉です。
お釈迦さまが説法している空間は「六欲天の忉利天」ですが、阿弥陀佛が住む極楽世界は「菩薩の十地」にあたると舎利弗に説明なされております。
ちなみに51位と52位までの全てを覚った境地が如来です。阿弥陀佛を如来と思い込んでいる人達が沢山おられますが、経典で説かれている阿弥陀は仏であって如来ではありません。極楽浄土と呼ばれる阿弥陀佛の世界は四禅天の第二天になります。九次第定で言えば苦が完全に滅して喜びと楽で満たされた状態に入った第二禅定の段階になるかと思います。しかし未だ実体思想から完全に抜けきらないでいた声聞の弟子達は、欲界の影響下にある六欲天に至ったというお話(析空観)が説かれているのが『阿弥陀経』です。
却下。
三禅が欲界って書いてない。
と考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。
この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。
以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。
こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。
この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。
この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。
この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら,
実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。
この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が,
知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。
却下。
根拠無し。
却下。
根拠無し。
却下。
三禅が欲界って書いてない。
却下。
仏教は無我説。
却下。
無根拠。
却下。
三禅が欲界って書いてない。
「九次第定で言えば苦が完全に滅して喜びと楽で満たされた状態に入った第二禅定の段階になるかと思います。」←この部分は書きかえないといけませんね。これを書いた時と今とではわたしの概念も上書きされてます。
ほーかいくんお館様
大進撃
とまらない〜い
👍👍👍👍👍👍👍👍👍
すすめ〜
ほーかいくんお館様〜
😄😄
却下。
関係ない。
進ぬ〜〜
ほーかいくんお館様大旋風っ!!
いぇ〜〜い〜〜〜
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
と考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。
この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。
以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。
こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。
この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。
この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。
この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら,
実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。
この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が,
知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。
と考 え て想 を滅 す る(saiia nirujjhanti), と述 べ て い る点 で あ る。 要 す る に, 知 的行 為 と肉体 的 行 為 の両 方 を完 全 に放 棄 しよ う とす る ので あ る。
この 主 張 は8種 に纒 め られ た禅 定 の, 最 終 的 な 目標 を語 って い る と見 な す こ とが で き よ う。
以 上, 八 等 至 につ い て概 観 した が, この うち前 半 の4種 と後 半 の4種 は, 元 来jhanaとsamapattiと い う語 が示 す よ うに, 全 く別 個 の性 格 を有 す る禅 定 で あ った とみ る こ とが で き る。
こ の両 者 につ い て は, 双 方 とも仏 教 成 立 以 前 か ら あっ た禅 定 が, 仏 教 の 中 に取 り込 ま れ て ア レ ンジ され た こ とがす で に指 摘 され て い る4)。
この2つ の禅 定 の グ ル ー・プ を合 わせ た八 等 至 の上 に滅 尽 定(nirodha-samapatti)を加 え る と, い わ ゆ る九 次 第 定 とな り, 原 始 仏 教 に お け る禅 定 も段 階 的 な もの と して は, これ が最 高 の もの とさ れ る。
この滅 尽 定, 即 ち, 想 受 滅 等 至(sanna-vedayita-nirodha-samapatti)は, 原 始 仏 教 の発 達 した 段 階 で 成 立 した もの で あ る。
この定 は, 一 切 の心 身 の働 きが な くな り, 寿 命(ayu)と 体 温(usma)だ けが 残 る という もの で あ るか ら,
実 質 的 な死 の状 態 に酷 似 した 禅 定 と い え る。
この こ とか らも, 本 来 は性 質 の異 なった 禅 定 が,
知 的 ・肉体 的 活 動 の停 止 とい う方 向 で 一 つ に纒 め られ て い っ た とい うこ とが推 察 で き る で あ ろ う。
「父の為替手形の振り出し」か彼氏の約束手形の引き受けの「どちらが面白いのか?」という争いがなされる。
お父さんが初恋の人というコギャルもいれば、おじいさんが初恋の人という孫ギャルもいる。
しかし、「セカンドラブ」として、彼氏を見つけ、彼氏の面白さに頼らなければならない。
お母さんよりも面白い彼氏ならば「この世はせつない」のが女の子らしいが。
https://youtu.be/GVViiWGD2_k?si=FSP77vMszp6LInVk
裏書の連続で「面白さの規模」が分かるとされている。
まあ、財団債権の方が強いのだろう。
https://youtu.be/vtC-niF9eII?si=4LCS-2uA-G3c_mUM
有余涅槃で三界を脱してるのに、何処からそうした発想が出てくるのやら www
もしかして煩悩は滅していながら色身があるからとか、そんな馬鹿な発想だったりして🤭
つまり、有余涅槃って言葉も知らないんだろうな🤭
同じ様な手口はハゲがよく使ってだけどな😂
通用しないんだわ😂
このままタコ介🐙押しをしていたら、永久追放確定だから慌てて引いてるんだろ😂😂😂
ま、約束は守ってもらうから😟
まだまだ期待してる〜〜
シカーチンはスルーして
どんどん行こう〜〜
😄😄😄😄😄😄😄
池田 練太郎「色界第四禅について」
http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%B8%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AC%AC40%E5%B7%BB%E7%AC%AC2%E5%8F%B7/Vol.40%20,%20No.2(1992)089%E6%B1%A0%E7%94%B0%20%E7%B7%B4%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%8C%E8%89%B2%E7%95%8C%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A6%85%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8D.pdf
ゴチャゴチャ言ってきても、軽~く無視で!😂
却下👎
約束は守れよ😟
類猿人 www
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