【世界の傭兵事情🤔】ロシア軍のネパール人傭兵は最多1万5千人、傷心の帰国多く😭アーカイブ最終更新 2024/03/04 11:451.番組の途中ですが転載は禁止ですxBgBJロシア軍のネパール人傭兵は最多1万5千人、傷心の帰国多く2024.03.03 Sun posted at 16:05 JSTネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadkaネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadka(CNN) 3年目に突入したロシアによるウクライナ侵略などを背景に、ロシア政府の勧誘に応じ同国軍に加わったネパール人が最多で1万5000人に達していることが3日までにわかった。CNNの取材に応じた多数の関係筋が明らかにした。ロシア政府は昨年、金銭的な好条件などを材料に外国人戦闘員の募集に乗り出していた。月給は少なくとも2000米ドルとし、ロシアの旅券獲得は審査期間を短縮して迅速に実現させることも保証していた。この従軍契約は1年で、署名した外国人兵士は月給が振り込まれるロシアの銀行に口座を設ける。多くの兵士によると、前線で長く戦えば、それだけ多めとなるボーナスも得られる仕組みのはずだった。一部の兵士は、月給は最大で4000ドルに膨らむと期待したが、これら現金を引き出す方途を知らない者が多くいたという。ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん(37)は最近、ウクライナの前線で負傷した後、母国に戻った。外国人傭兵(ようへい)としてロシア軍に編入されたが、ウクライナへ行ったことを後悔していると打ち明けた。実戦の場へ赴くのはウクライナが初めてではなかった。ネパールでは武装闘争を唱えたネパール共産党毛沢東主義派の一員として1990年代半ばから10年間、政府軍との交戦に明け暮れていた。この後は民間軍事業者に雇われてアフガニスタンに行き、北大西洋条約機構(NATO)軍によるイスラム主義勢力「タリバン」などの掃討戦への支援に携わった。カドカさんは自らのこれまでの人生で全てのつらい場面は味わったとの思いを抱いていた。流血、死者の目撃や苦痛などだ。しかし、ネパールの毛派による武装闘争が終結した後の約17年後、母国で新たな仕事を見つけられる望みはなかった。ロシア軍の誘いに応じる決心をしたのはお金を稼ぐのが目的だったとの気持ちも吐露した。「遊び心でロシア軍に加わったわけではない。だが、今思えば、正しい決定ではなかった」と述懐。「あれだけ早く前線につぎ込まれるとは考えていなかった。前線があれほどおぞましい状況にあったことも」と振り返った。モスクワに到着したのは昨年9月。2週間のみの訓練を受けた後、ウクライナ東部ドネツク州バフムートの戦場へ送られた。ウクライナ軍とロシア軍が最も激しくしのぎをけずったとされる戦闘も自らの目に刻み込まれた。ロシアが支給してくれたのは銃と基本的な装備品のみだった。続きはこちらhttps://www.cnn.co.jp/world/35215990.html2024/03/04 11:37:224すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですxBgBJ何も終わっちゃいません、何も!俺にとってあの戦争は今でも続いてるあなたに無理やり連れていかれ勝つために必死で戦った、だが結局は勝てなかったそしてやっと帰国したら空港ではデモ隊が俺を待ち受け罵り声をあびせてきた赤ん坊殺しだ、大量殺人者だってねえあいつらにそういう資格があるのか?誰ひとり戦争が何かも知らないで俺をせめる資格があんのか?俺はずっと世間のやっかい者だ、戦場じゃ仁義があった、お互い助け合って生きてきただがここでは違う2024/03/04 11:44:083.番組の途中ですが転載は禁止ですxBgBJ戦場ではヘリを飛ばし、戦車を走らせ100万ドルの武器を任されたそれがここでは駐車係の仕事すらないんだ!惨めすぎる…こんな、こんなことって…みんなどこへ行った?畜生…どこへ…空軍にも友達が大勢いた…そう、大勢戦友がいた戦場には頼れる仲間が、親友がいた…ここには誰もいないダン・フォースを覚えていますか?賭け事の好きな奴でみょうにウマがあってよく話をしたんです帰ったら一緒にラスベガスに行こう、そんときは奴の車でって約束したんです真っ赤な58年型のスポーツカーが奴の自慢だった二人でビンビンにぶっ飛ばそうって…あの日町を歩いてたら声をかけられた。靴みがきの箱を持ったガキで「靴みがきOK?」って言うんです、「お願い」って俺は断ったけどダン・フォースはつい「イエス」っていっちまった。そして俺はビールを買いに行った。その間に悲劇が起きた靴みがきの箱には爆弾が仕掛けられててそいつは爆発音と悲鳴が一緒になってバラバラになった身体が俺にへばりついた…俺は必死でそいつをひっぺがそうとしたんだそれから慌ててバラバラになった手足をひろい集め奴の身体にくっつけようとしたけど内臓がはみ出して…奴は泣きながら言った、「家に帰りたい…家に帰りたいよ、家に帰ってあの車を運転したいよ」って…2024/03/04 11:44:284.番組の途中ですが転載は禁止ですxBgBJ俺はそのまわりを這いずりまわって奴のちぎれた脚を捜した。でも見つからなかった、その時の光景が頭に焼き付いて7年たった今も毎晩夢にみる目を覚ますと自分がどこにいるのか、誰かもわからなくなるそんなことが丸一日、一週間も続く…追い払えないよ助けてください大佐俺はどうすればいいんですか…教えてください…2024/03/04 11:45:38
【セブンエリート】コンビニで…おにぎり”1個”に対して、客「箸10本つけてくれ」店員「そんなに…?」直後⇒店員が放った【鋭い指摘】に一触即発!ニュー速(嫌儲)16147.82024/05/27 11:55:27
ロシア軍のネパール人傭兵は最多1万5千人、傷心の帰国多く
2024.03.03 Sun posted at 16:05 JST
ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadka
ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadka
(CNN) 3年目に突入したロシアによるウクライナ侵略などを背景に、ロシア政府の勧誘に応じ同国軍に加わったネパール人が最多で1万5000人に達していることが3日までにわかった。
CNNの取材に応じた多数の関係筋が明らかにした。ロシア政府は昨年、金銭的な好条件などを材料に外国人戦闘員の募集に乗り出していた。月給は少なくとも2000米ドルとし、ロシアの旅券獲得は審査期間を短縮して迅速に実現させることも保証していた。
この従軍契約は1年で、署名した外国人兵士は月給が振り込まれるロシアの銀行に口座を設ける。多くの兵士によると、前線で長く戦えば、それだけ多めとなるボーナスも得られる仕組みのはずだった。
一部の兵士は、月給は最大で4000ドルに膨らむと期待したが、これら現金を引き出す方途を知らない者が多くいたという。
ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん(37)は最近、ウクライナの前線で負傷した後、母国に戻った。外国人傭兵(ようへい)としてロシア軍に編入されたが、ウクライナへ行ったことを後悔していると打ち明けた。
実戦の場へ赴くのはウクライナが初めてではなかった。ネパールでは武装闘争を唱えたネパール共産党毛沢東主義派の一員として1990年代半ばから10年間、政府軍との交戦に明け暮れていた。
この後は民間軍事業者に雇われてアフガニスタンに行き、北大西洋条約機構(NATO)軍によるイスラム主義勢力「タリバン」などの掃討戦への支援に携わった。
カドカさんは自らのこれまでの人生で全てのつらい場面は味わったとの思いを抱いていた。流血、死者の目撃や苦痛などだ。
しかし、ネパールの毛派による武装闘争が終結した後の約17年後、母国で新たな仕事を見つけられる望みはなかった。ロシア軍の誘いに応じる決心をしたのはお金を稼ぐのが目的だったとの気持ちも吐露した。
「遊び心でロシア軍に加わったわけではない。だが、今思えば、正しい決定ではなかった」と述懐。「あれだけ早く前線につぎ込まれるとは考えていなかった。前線があれほどおぞましい状況にあったことも」と振り返った。
モスクワに到着したのは昨年9月。2週間のみの訓練を受けた後、ウクライナ東部ドネツク州バフムートの戦場へ送られた。ウクライナ軍とロシア軍が最も激しくしのぎをけずったとされる戦闘も自らの目に刻み込まれた。ロシアが支給してくれたのは銃と基本的な装備品のみだった。
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俺にとってあの戦争は今でも続いてる
あなたに無理やり連れていかれ勝つために必死で戦った、だが結局は勝てなかった
そしてやっと帰国したら空港ではデモ隊が俺を待ち受け罵り声をあびせてきた
赤ん坊殺しだ、大量殺人者だってねえ
あいつらにそういう資格があるのか?誰ひとり戦争が何かも知らないで俺をせめる資格があんのか?
俺はずっと世間のやっかい者だ、戦場じゃ仁義があった、お互い助け合って生きてきた
だがここでは違う
それがここでは駐車係の仕事すらないんだ!
惨めすぎる…こんな、こんなことって…みんなどこへ行った?畜生…どこへ…空軍にも友達が大勢いた…そう、大勢戦友がいた
戦場には頼れる仲間が、親友がいた…ここには誰もいない
ダン・フォースを覚えていますか?賭け事の好きな奴でみょうにウマがあってよく話をしたんです
帰ったら一緒にラスベガスに行こう、そんときは奴の車でって約束したんです
真っ赤な58年型のスポーツカーが奴の自慢だった
二人でビンビンにぶっ飛ばそうって…
あの日町を歩いてたら声をかけられた。靴みがきの箱を持ったガキで「靴みがきOK?」って言うんです、「お願い」って
俺は断ったけどダン・フォースはつい「イエス」っていっちまった。そして俺はビールを買いに行った。その間に悲劇が起きた
靴みがきの箱には爆弾が仕掛けられててそいつは爆発音と悲鳴が一緒になってバラバラになった身体が俺にへばりついた…
俺は必死でそいつをひっぺがそうとしたんだ
それから慌ててバラバラになった手足をひろい集め奴の身体にくっつけようとしたけど内臓がはみ出して…
奴は泣きながら言った、「家に帰りたい…家に帰りたいよ、家に帰ってあの車を運転したいよ」って…
7年たった今も毎晩夢にみる
目を覚ますと自分がどこにいるのか、誰かもわからなくなる
そんなことが丸一日、一週間も続く…追い払えないよ
助けてください大佐
俺はどうすればいいんですか…教えてください…