毎日新聞とTBSが戦争特集で「竹槍事件」を取り上げない理由を考察アーカイブ最終更新 2023/08/12 17:051.名無しさんv8gxQ新名の「懲戒召集」毎日新聞は責任者を処分したが、新名は退社させず、逆に編集局長が賞を与えるなどした。記事執筆から8日後、新名に召集令状が届く。新名本人も周囲も、この「指名召集」を東條首相による「懲戒召集」だと受け止めた[24]。新名は郷里、高松に行き、二等兵として丸亀の重機関銃中隊(第11師団歩兵第12連隊)に1人で入営した。中央からは、激戦地となることが予想される硫黄島の「球」部隊へ転属させるよう指令が届いていた[25][14](ただし、「球」の通称号を持つ部隊は硫黄島ではなく沖縄に配置された第32軍である)。これに対し、新名が黒潮会主任記者であり、軍需物資の海軍配当割増という海軍の要求を代弁させた結果の事件であったことから海軍が召集に抗議した。新名は、海軍の庇護に加え、日中戦争当時に善通寺師団の従軍記者をしていたこともあって、中隊内で特別待遇を受けつつ3か月で召集解除となった。その際、中隊の陸軍将校から「近いうちに再召集の命が下るだろうから、内地にいないほうがよい」と忠告されている。その後、陸軍が再召集しようとしたが、その前に海軍が新名を海軍報道班員として外地、フィリピンに送っていたため、再召集を逃れている[25]。新名が徴兵検査を受けたのは大正時代のことで、それまでその世代は1人も召集されていなかった。そのため、海軍は「兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍を批判した。それに対し陸軍は、新名と同世代で大正時代に徴兵検査を受けた人間を250人召集し、歩兵第12連隊に入営させて辻褄を合わせた[26]。その30代後半の老兵達は、全員が硫黄島の戦いで玉砕・戦死した(ただし歩兵第12連隊は硫黄島に展開していない)。海軍側の反応当時の海軍報道部長であった栗原悦蔵少将は、「もう太平洋の東の制空権はほとんど失ってしまったと」「海軍としては国民全体に知らせたいと思って、私もずいぶんその黒潮会にもお願いいたしましたけれども、なかなかそれを書く人がない、そこを大胆に新名さんが書いてくださいましたので、われわれとしては、たいへん喜んで絶賛したわけですね」[27]と証言している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A7%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6 12月3日付け毎日新聞読書面「今週の本棚」の紹介記事である。編者新名丈夫(1906~ 1981)が書いた記事が以下の紙面だ。 この紙面に、東条英機首相は激怒、陸軍省に乗り込み「今朝の毎日を見たか。見たならなぜ、処分せぬか!」「毎日を廃刊にしろ」と叫んだという。 37歳の新名は、丸亀連隊に懲罰召集された。新名は海軍省記者クラブ「黒潮会」に属していた。海軍がこの召集に抗議すると、陸軍は、新名同様大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊に召集して辻褄を合わせた。 新名は3か月後、召集解除されたが、巻き添え召集の250人は後に硫黄島に送られ玉砕した。 新名は、その後、海軍報道班員となり、敗戦を迎えた。 (堤 哲)http://maiyukai.o.oo7.jp/salon/seniors-and-juniors/3708/「竹槍では戦えぬ」…戦時下、東條英機を公然と批判した“不撓不屈の記者”がいた…!https://gendai.media/articles/-/92850「竹槍事件」の抵抗と250人の死 (戦争中の新聞は何を書いていたか--執筆着100人の記録と告白)掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 145) 1971.10.00 p.222~227雑誌記事新名 丈夫https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I298372-002023/08/12 17:00:293すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですqUlfTお前らがざまぁとか煽るからやろ2023/08/12 17:02:133.番組の途中ですが転載は禁止ですb0JmE>>2少々煽っても反省しない国だから仕方ないつい2年前でも酷暑に朝顔とかやってそれを散々馬鹿にされたのに強行した国だぞ2023/08/12 17:05:50
【スラップかな?🤔】反社会的な差別行為を繰り返してきた竹田恒泰の出版社・令和書籍さん、「差別主義者」呼ばわりしてきた相手を提訴へ!!😡ニュー速(嫌儲)13524.12024/04/27 16:26:04
毎日新聞は責任者を処分したが、新名は退社させず、逆に編集局長が賞を与えるなどした。記事執筆から8日後、新名に召集令状が届く。新名本人も周囲も、この「指名召集」を東條首相による「懲戒召集」だと受け止めた[24]。新名は郷里、高松に行き、二等兵として丸亀の重機関銃中隊(第11師団歩兵第12連隊)に1人で入営した。中央からは、激戦地となることが予想される硫黄島の「球」部隊へ転属させるよう指令が届いていた[25][14](ただし、「球」の通称号を持つ部隊は硫黄島ではなく沖縄に配置された第32軍である)。これに対し、新名が黒潮会主任記者であり、軍需物資の海軍配当割増という海軍の要求を代弁させた結果の事件であったことから海軍が召集に抗議した。新名は、海軍の庇護に加え、日中戦争当時に善通寺師団の従軍記者をしていたこともあって、中隊内で特別待遇を受けつつ3か月で召集解除となった。その際、中隊の陸軍将校から「近いうちに再召集の命が下るだろうから、内地にいないほうがよい」と忠告されている。
その後、陸軍が再召集しようとしたが、その前に海軍が新名を海軍報道班員として外地、フィリピンに送っていたため、再召集を逃れている[25]。
新名が徴兵検査を受けたのは大正時代のことで、それまでその世代は1人も召集されていなかった。そのため、海軍は「兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍を批判した。それに対し陸軍は、新名と同世代で大正時代に徴兵検査を受けた人間を250人召集し、歩兵第12連隊に入営させて辻褄を合わせた[26]。その30代後半の老兵達は、全員が硫黄島の戦いで玉砕・戦死した(ただし歩兵第12連隊は硫黄島に展開していない)。
海軍側の反応
当時の海軍報道部長であった栗原悦蔵少将は、「もう太平洋の東の制空権はほとんど失ってしまったと」「海軍としては国民全体に知らせたいと思って、私もずいぶんその黒潮会にもお願いいたしましたけれども、なかなかそれを書く人がない、そこを大胆に新名さんが書いてくださいましたので、われわれとしては、たいへん喜んで絶賛したわけですね」[27]と証言している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A7%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
12月3日付け毎日新聞読書面「今週の本棚」の紹介記事である。編者新名丈夫(1906~ 1981)が書いた記事が以下の紙面だ。
この紙面に、東条英機首相は激怒、陸軍省に乗り込み「今朝の毎日を見たか。見たならなぜ、処分せぬか!」「毎日を廃刊にしろ」と叫んだという。
37歳の新名は、丸亀連隊に懲罰召集された。新名は海軍省記者クラブ「黒潮会」に属していた。海軍がこの召集に抗議すると、陸軍は、新名同様大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊に召集して辻褄を合わせた。
新名は3か月後、召集解除されたが、巻き添え召集の250人は後に硫黄島に送られ玉砕した。
新名は、その後、海軍報道班員となり、敗戦を迎えた。
(堤 哲)
http://maiyukai.o.oo7.jp/salon/seniors-and-juniors/3708/
「竹槍では戦えぬ」…戦時下、東條英機を公然と批判した“不撓不屈の記者”がいた…!
https://gendai.media/articles/-/92850
「竹槍事件」の抵抗と250人の死 (戦争中の新聞は何を書いていたか--執筆着100人の記録と告白)
掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 145) 1971.10.00 p.222~227
雑誌記事
新名 丈夫
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I298372-00
少々煽っても反省しない国だから仕方ない
つい2年前でも酷暑に朝顔とかやってそれを散々馬鹿にされたのに強行した国だぞ