Hasselblad 205TCC Body with 110mm/2.0 FE Planar + E12 Magazine 15EH10773+30EH90557+7466287
Condition: excellent
The body shows only light signs of use. The shutter works correct and sound good and silent. All times are checked and runs correct. The viewfinder have is clear and clean and shows smal dustpoints. The camera is complete revised and works 100% perfect.
the lens: The tube has outside only light signs of use. Lens are clear, no fungus, no haze, no scratches. Inside the lens we can see one smal dust particle. The apertureblades are free of oil and works perfectly. The lens is technically full working condition without flaws. We have all complete checked. + 1 year warranty
At the XL-images you can see the actual condition of the article.
下手な鉄砲も数うち当たるの逆の非常に真面目な撮影方式というのがカメラの1枚撮り装置である。ライカにもあったが、最初の初歩的なモデルは35ミリフィルムを1枚相当にちょんぎったやつをクリップに挟んで、ダークルームでライカの本体の中に滑り込ませると言うやつだった。これでも充分に1枚撮りの目的は達成する。
しかし、コレクターズアイテムとして珍しがられているのは、大型カメラと同じように本体の方が上に標準レンズが付いて、反対側に1枚撮りのフイルムホルダーをつけると言うライカの1枚撮りカメラである。これはレア物で今でも結構な値段がついているらしい。
方向がちょっと違っているが、ケネディインスツルメントと言う入るほど関係の会社から70年位前に出ていたいるよう。朝の場というのがあって、これは4 × 5インチのビデオカメラと言う意味で世界で唯一のものである。ただしこの場合1枚撮りの撮影ではなくて、36枚撮りのフイルムホルダーが付いている。
ハッセルブラッドの場合には、フイルムホルダーは自由自在に交換できるから、むしろラボラトリー用の目的にはうまく適合している。それで1枚撮りのフィルムホルダーがあって、そこにフイルムを装填するために、ロールフィルムを1枚分の長さにカットする特別なアクセサリーとしてのハサミがこれなのである。
四半世紀昔のことだが、プラハのアトリエで膨大な量のハッセルブラッド関係を扱っている。eBayで端から端までおそらく30,000点位のアクセサリーを見たのであるが、このハッセルブラッドのハサミは発見できなかった。
こういうレアなアクセサリーは、まず中古カメラ屋さんで見たことが1度もない。それにほとんど販売がされていなかったのではないかと思うのだ。私もハッセルブラッドのハサミを手に入れて大変幸せであったが、実際に1枚撮り撮影装置を使うわけでもないし、本来のコレクターの目的でこれを大切にするというのが、カメラ人類の重要な私の任務であると言う事には気がついた。
その当時の中古カメラは今とは違って結構盛んであったから、サイン会となるとお客さんが100人以上並んだりした。それで慣れてくるとお客さんが何人並んでいるのかを最初にチェックする。100人だと1人の方に1分間時間を費やすと1時間40分になるから大変である。サインをするほうも大変だが、列に並ぶお客さんも大変な苦労になる。
それに対してお客さんが50人以下だと1人1分時間をかけることができるし、どんなカメラを使っているのですか?とかいろいろ会話して楽しい。握手をリクエストする人には握手会で握手をするわけである。
これはオンラインで拾ってきた画像なのであるが、どこかの集まりでこの西暦2000年に私がサインしたソ連製ハッセルブラッドのシャッター幕が話題になったらしい。こちらはすっかり忘れていたのであるが、こういうところで証拠物件が出てくるのは恐ろしいもので。
その頃の私のサイン会でよく記憶に残っているのはカメラではなくてTシャツにサインしてくれと言うのもあって、それには喜んで応じたのである。私の本も何も持ってないから自分の手帳にサインをしてくださいと言うので、こういうのもありがたいことである。
それでいろんなところにサインをさせていただいたのであるが、コニカヘキサRFを持ってきた人がいて、そのトップカバーにサインをしてくださいと言うので、サインをして差し上げた。そしたら結構その方はテンションが上がってきて、ついでにカメラのファインダーにもサインをしてくださいと言うので、喜んでお受けしたが、ファインダー側から覗いて正しく見えるように田中と言うのをローマ字表記にして左右逆にしてサインをしたのも懐かしい。
数千万円のほうでしかできないことがわずかにあって、それが欲しいなら数千万円出さないとだめだ
ほとんどのことは数十万のやつで充分だし、携帯性や互換性などでは勝ったりする
プロとなると変なこともしたくなるから数千万円突っ込んじゃうって話
それより短いレトロフォーカスレンズのディスタゴン40ミリは1つだけあって、これは写真部長が使うようなレンズと言う認識があった。私は長いことハッセルブラッドスーパーワイドを使っていたのであるが、写真部長専用のレンズであったことを思い出して10年位前に40ミリレンズを手に入れる。しかし、使いこなすことができなかった。
40ミリのレンズは日本デザインセンターの機材子にいっこしかなかったが、もう一つハッセルブラッドの広角レンズで1本だけ在庫しているのがあった。それがディスタゴン60ミリなのである。カールツアイスは50ミリレンズを出す前に技術的に慎重であったせいか、それよりも10ミリ焦点距離の長い60ミリディスタゴンレンズを出した。
この60ミリは先輩カメラマンには全く人気がないので、いつもベンチに入ると言う感じだったので、時々私が使ったのであるが、そのパースペクティブは自然で良い感じであった。
写真家ダイアンアーバスがハッセルブラッドを使うなどと言うのは漫画になってしまって想像がしづらいけれども、彼女が使っていた広角レンズは間宮フレックスで65ミリなのである。ライカで考えると50ミリの0.7倍の縮小率がちょうど35ミリレンズになるからそれと同じ計算をすれば80ミリのハッセルブラッドの標準レンズに対して55ミリ位が標準的な広角レンズの焦点距離になる。
その50ミリに+5ミリを出すと60ミリで広角レンズと標準レンズの昼間の描写をするというのが私を引きつけたのであった。もっとも、これは6 × 6センチの画面サイズをノートリミングで使うときの話なのであって、広告写真とかエディトリアルではスクエアなフォーマットで使う事はなくて、必ずデザイナーさんがフルサイズをちょんぎってくれるから、最初からクリエイティブも何も存在したものではない。
定番のディスタゴン50ミリはレトロフォーカスレンズであるから、全長が結構長くなってしまって取り回しが悪い。それに対してディスタゴン60ミリのレンズの短さと言うのはなかなかかっこいいものだと思う。
ハッセルで真っ先に思い出した動画
ハッセルブラッド マスターズ コンテストは、世界中の才能あふれるフォトグラファーを対象に、2001年以来、毎年開催されています。ハッセルブラッド マスターズは、世界で最も権威あるアートコンテストの一つとして知られ、プロのフォトグラファーに、写真業界で名前を広く知られるチャンスを提供し続けています。
受賞者には、1億画素センサー搭載のミラーレス中判カメラとXCDシリーズレンズ2つが授与され、5000ユーロ相当の創作支援基金を獲得することができます。また、受賞者は、ハッセルブラッド後援のもと、ハッセルブラッドカメラを使い、受賞者自身の写真プロジェクトを制作することができます。そのプロジェクトから選ばれた作品は、記念フォトブック「Hasselblad Masters book」に掲載されます。
ツアイスえーですね
ツアイス
えーなー
私は自分の本は自分では持たないことにしているが日本のユニークな66番カメラ藤田のことを書くときに必要なのでネットオークションでハッセルブラッド紀行の本を手に入れた。
それで十数年前のヨーテボリのことを思い出してハッセルブラッドのオリジナルデザインはSaabのデザイナーが作ったイメージモデルとゼンザブロニカの最初のモデルが非常に似ていたと言うことでそのポイントを思い出したのである。
あの当時の日本のカメラと言うのは4 × 4センチの2眼レフカメラがドイツのローライフレックスの真似であると訴えられたりいろいろな騒ぎがあった。今の時代のデザインが日本の工業製品が中国にコピーされているのと似たような状況である。
最も考えてみれば最初のハッセルブラッドのアイディアは別にビクターハッセルブラッドが独創的に思いついたのではなくて第二次大戦中のドイツ製の航空カメラからヒントを得て基本デザインを制作したと言うのはよく知られた事実である。
10年近く前にゼンザブロニカを制作した吉野さんの実の弟さんにあたる方が北区の方でカメラ修理工場をやっていると言うので人に誘われて見学に行ったことがあった。今更ブロニカのアイディアはハッセルブラッドのデザインをインスパイアしたものなのですかなどと言う友情をぶち壊すような馬鹿な事は言わなかった。
でもせっかくのハッセルブラッドの里帰りと言う事から考えてみればオリジナルのフォーカルプレーンシャッターのモデルがよいであろうと思った。1番オリジナルが1600fであるが、これはコレクターズアイテムでもあるし故障もあるから最初からオフにした。ハッセルブラッドの会社にしても最初のモデル1600エフの故障が多いのでそれよりもシャッタースピードを下げた1000エフを売り出したわけである。
1000エフには60ミリのディスタゴンレンズと200ミリのキャノンレンズを用意した。フォーカルプレーンシャッターの時代のハッセルブラッドは適当なレンズをアダプターでボディーに装着すればそのままハッセルブラッドのレンズになると言うアドバンテージがあった
当時の西ドイツの生流フィットがライカ様の望遠レンズのヘッドをそのままねじ込めばインフィニティーがジャストフィットでハッセルブラッドようになると言うアダプターを出していたのでそれを使ったのである。
それともう1台1番最初のハッセルブラッドスーパーワイドを持っていった。これはハッセルブラッドシリーズで1番最初に登場したレンズシャッター式カメラなのである。
オープニングレセプションとか正式の晩餐会には出席したけれど、後はハッセルブラッドの人と雑談をしたりそれ以外はハッセルブラッドの里帰りと言う使命を持ったハッセルブラッドを持って街中を歩きまわった。3月のことであったが街は完全に凍り付いていた。
それで凍りついた街を歩くのには慣れていない私だから撮影中に何回か転倒したのであるが里帰りのハッセルブラッドを路面にぶつけるようなことはしなかった。それで後で写真を選んでびっくりしたのであるがかなりの寒い気候にもかかわらず里帰りのハッセルブラッド政府は別に故障もせずにちゃんと活躍してくれたのである。
ファインアート分野で活躍する写真家です。 彼のファッション写真は、
パーソナルな視点による大胆な美の追求とスタイルの解釈に定評があります。
既成概念に囚われることなく、ファッション・シーンの内側からモデルを
撮影し、 彼女たちのパーソナリティーの本質や繊細さを引き出すことで
知られており、一目でヨーガン・テラー作品だとわかるイメージを
生み出しています。
本書は、ヨーガン・テラーとクリエイティブ・ディレクターのデニス・
フリードマンが、「W」誌のために、そして後にニューヨークの高級百貨店
バーニーズのために行った長期にわたるコラボレーションを紹介するものです。
1999年から2016年にかけて、2人はテラーのトレードマークであるリアルな
スタイルで捉えた象徴的なシリーズを次々と発表。
テラーは、「W」誌のための写真では一貫して時代の流れに逆らいます。
大規模な予算をかけた撮影に抵抗し、反商業的な物語と簡素化されたリアルな
ロケーションを追求します。例えば、1999年の忘れがたい最初のエディトリアル
では、ステファニー・シーモア、シャローム・ハーロウ、ナオミ・キャンベル
(他のスーパーモデルも含む)が雑誌のオフィスワーカーとして登場しています。
彼は、オートクチュールの顧客、モナコグランプリでのケイト・モス、社交界の
コレクターのティルダ・スウィントンから、ウィリアム・エグルストンやロニ・
ホーンのポートレートまでを撮影。これらのテラーの「W」誌のための仕事は、
彼の創造的自由の進化を明らかにしています。
2011年から2016年にかけて行われた、バーニーズのカタログのために二人が
手がけた作品では、ベオグラード、パナマシティ、ティラナといった珍しい
ロケーションで撮影を行っています。これらは彼らのリスクを冒したファッション
写真の創作アプローチを象徴しており、出来上がったイメージには遊び心と
予想外のシナリオが見られます。モデルや俳優がコミカルなポーズで現場を
探検しており、一種の型破りな広告が生み出されています。
あなたは、映画評論家が「面白い」と紹介する映画がちっとも面白くなくて、文句なしに面白いと思う映画が批判されがちなことを不思議に思ったことが無いでしょうか?
今ではあまり聞きませんが、昔は「好きな映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だ」と言うと、バカにする映画マニアがたくさんいました。
難解な作品を褒める一方で、分かりやすいエンタメ作品を貶すことで、自分たちの見識の高さを確認したい人たちは今でもいます。
そうなってしまう理由の一つは、映画マニアは鑑賞する数が膨大なことです。
つまり、一般的に面白さを感じる作品は見飽きてしまって、別の刺激を求める段階に入ってしまっているんです。
そういう人たちにとっては、オーソドックスなエンタメ作品は刺激が弱すぎて、満足できない訳ですが、それは感性が変質しているだけのことであって、けっしてレベルが高くなっている事とは限らないと思います。
私は「ベタ」な作品を手堅く完成させて、多くの一般客を楽しませてくれる山崎貴監督や矢口史靖監督の作品が大好きですし、マニアでない人を惹きつける方がはるかに偉大なことだと思っています。
私は学生時代、まだ自分で映画を作ったことが無い頃に、他の人たちが作る自主制作映画を見ていて、「これはやらないようにしよう」と思ったことがたくさんありました。
その一つは「激しいカメラワーク」です。
演出としてカメラを激しく動かす手法はありますが、特にアマチュアの場合、本人たちは狙いのつもりでやっていても、観客にとっては単なる見づらい「失敗映像」にしか見えないんです。
この「無駄な手振れ映像」を無くすだけで、作品の質は格段に上がるはずだと確信して、初めての長編作品「水晶髑髏伝説」では全900カットのほとんどを三脚固定カメラで撮りました。
実際、その効果は十分に感じました。
その後、撮影時間短縮の実験も兼ねて、「ほぼ全編手持ちカメラ撮影」の作品も作りましたが、あくまでも手振れは最小限に押さえることを心掛けています。
FE Planar + E12 Magazine
15EH10773+30EH90557+7466287
Condition: excellent
The body shows only light signs of use. The shutter works correct and sound good and silent. All times are checked and runs correct. The viewfinder have is clear and clean and shows smal dustpoints. The camera is complete revised and works 100% perfect.
the lens:
The tube has outside only light signs of use. Lens are clear, no fungus, no haze, no scratches. Inside the lens we can see one smal dust particle. The apertureblades are free of oil and works perfectly. The lens is technically full working condition without flaws.
We have all complete checked.
+ 1 year warranty
At the XL-images you can see the actual condition of the article.
Condition: 2-
Delivery note:
- 1x Hasselblad 205TCC Body
- 1x Hasselblad Light Shaft/Viewfinder
- 1x Hasselblad 110mm/2,0 FE Planar Lens
- 1x Hasselblad E12 Magazine silver
- 1x Hasselblad 110 Lens Hood
ハッセルブラッドなどの6 × 6センチで撮影してそれをトリミングするというのが当時のプロフェッショナルの普通のカメラの使い方があった。6x7の一眼レフと言うのは市場に溢れていたが使う気にならなかった。そこで富士フイルムのポイント&ショット方式のレンジ、ファインダーの結構チープなカメラが登場して、それを愛用するようになった。
撮影のときの生理学的な感覚からすると、カメラを横画面で構えているライカがそのままフィルムサイズが2倍以上大きくなって縦画面で作れると言う感じなのである。
だから、セミ番のポイント&ショットの富士フイルムのカメラで今思い出してみると横画面で撮影したことが1度もない。全てが普通にカメラをホールドした状態の縦画面なのである。
^_^カメラジャーナルと言う個人雑誌を10年間やっていて、その真ん中の画面が縦画面を左と右にレイアウトすると言うやり方だったので、結果として縦画面内縦画面と言う画像のぶつかり合いを楽しむようになった。
写真家中平卓馬が、彼の最初の仕事では、横画面で象徴主義的な写真を出していたのを、私などは冷静に見ていて、あー流行写真に載っているなと思ったものである。それが中平が記憶を失って、本来の表現としての視神経に戻ったら、彼は100ミリ望遠レンズで、全部が縦画面の写真家になった。ここら辺は表現の本質というか素晴らしい生まれ変わりである。
大昔にロンドンのクリスティーズのオークションで手に入れたカメラだ。月に行った夢ハッセルブラッドと同じ構造のカメラである。と言うよりも、これが本物であって、次に行ったのは月面用の改造がなされたと言うこともできる。
^_^地理学上の計測のために、フィルムアパチュアの前にはフラットグラスがあって、そこにリゾートプレートと言う数字が入っている。素人なので何のことかよくわからないのです。
冷静に考えてみると、人類が月に到着した。1970年と言う時代にはまだデジタルカメラはなかったんだね。こういうビックイベントは全部フィルムで撮影されていたと言うところが興奮するな。
それでこれを撮影するにはパーフォレーションの入った70ミリフィルムを使うのである。これがなかなか手に入らないので、結局このスペースハッセルブラッドで写真を撮る事はなかった。別の可能性としては220フィルムを使うマガジンもあったのだけれども、おりらしく、このカメラを手に入れた頃から、220フイルムも市場になくなってしまった。
^_^しかし、この計測用カメラのレンズがすごいものらしくて、いつか富士フイルムの人と話になったのだが、富士フイルムの技術がいかに進んでいてもこのクラスのカメラとレンズは作れないと言っていた。最初から兜を脱いでいると言うところがこのハッセルブラッドのレベルが、いかに凄いかが分かる。
ビクターハッセルブラッド生誕100年の取材に行って、その年の夏に出た私のハッセルブラッドの本なのであるが、久しぶりに見返して懐かしいので、ちょっとハッセルブラッドムーンカメラと同じカメラを紹介してみました。
色々なご縁で私の本にサインを依頼されたりするのは非常に嬉しいことだ。ソ連製のハッセルブラッドというか、ウクライナ製のハッセルブラッドにサインをした記憶は明らかにある。しかしそのサインの年代を見たら2000年と言うのでびっくりしました。四半世紀前のことなんだね。
サインをもらって感動したと言うのは、これも私の場合にはいろいろあって、1980年のザルツブルグ音楽祭で指揮者カールベームさんにサインをしてもらった時は感動して、その後握手もしたので、三日間は手を洗いませんでした。
あの時のカールベームは、ザルツブルグ音楽祭で、ナクソス島のアリアドネの色をして、家のヴィッツを叱ったりしていたのはすごい怖かった。でも、マエストロと短い時間を話して、その翌年に日本の公園に行ったのだから、極東から来たマエストロのファンと言うのは結構喜んでくれたようである。とにかくマエストロの最後の最後は指揮台から落ちるので、浮気2冊が作られた位のものであった。
ネットオークションで時々私が制作したプリントが売りに出ている。そのこと自身は忘れていて、ただその作品が何であるかは覚えているのである。ところが1番確かなのは作品の裏に入っている。私のサインであって、これは自分で認識できる正しく自分で書いた歳なのだ。そこら辺が非常に面白いと最近認識しているのである。