世界心道教徒だけど質門ある?最終更新 2026/10/05 01:051.神も仏も名無しさんh3vhM初心者から上級者誰でも歓迎します。誹謗中傷やご指摘どしどしどうぞ。2026/10/03 16:22:5328コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんh3vhMりのさとし 昭和四十二年 二號◎ 昭和四十一年十一月八日午後十二時五十分御書き取り二月の心得につき御言葉御願い一日 面足之命様(そうじした ところをあるき たちどまり そのところより かんろうだいを 先負) ☆三八七一六二五四九ということは、大正十二年の末から昭和十三年三月の十と三日までのことを、「そうじしたところを、あるきたちどまり」ということやそうな。「そのところより」ということが、昭和十三年から昭和十七年の十二月二十三日までのことが、最初に月読之命様、国狭土之命様、二社の神様が天降りあり、それから五ヵ年間の間、「幕へ幻燈を写すようなもの」と仰せくだされて、身上者や事情者の人のことを、幻燈でお助けをさしていただいてまいりまして、昭和十七年の十二月の二十三日に、あとの八社様天降りあり。2026/10/03 16:30:443.神も仏も名無しさんh3vhMその中で五社の神様先に天降りあり、最後に三社様天降りあり、十社の神様御そろいになった時が、そのところよりこの「会田ヒデ」が、皆様方が願われることを天に伺うて、道あけのことを皆さんにとりつぎしていたゞくことが、『そのところより甘露台を』ということやそうな。 そしてだん々ひとり、ふたり三人と寄り集まって、昭和十年となりまして皆様の願われることについて、天より天佑をくだされ、『てんゆう』とは御利益のこと。そしてありがたい、ありがたいでこの道に協力してくだされたお陰にて、昭和四十年度の暮れに、普請が始まり、現場の普請と心の理の普請と共にやらしていただいてきょうの日でございますが、これから先も今まで通りに御利益をいただきつつ、協力をしていただきとうございますということが、天との「会田ヒデ」と皆さんと、『三点龍頭一つのみにかゝっている』と天で仰せでございますが、2026/10/03 18:19:274.神も仏も名無しさんh3vhM お互様は、親様月日様、八方様の御利益で、皆様方の協力で万ごう末代助けていたゞく、なくてはならん本部と、なくてはならん十社様と、皆様方と三つ一つになって、世上助けにまい進していただいて、皆めいく〜が心のそうじにいそしんで、暮らすことが大切と思う。 この道の信仰にはいらしてもらって、一つの教会や支部を持たしていただいて、教会長や支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師になるまでの間をさして、『そうじしたところを、あるきたちどまり』ということが、日夜人様を導かしてもらった功徳によって、一つのしるしを持たしていたゞけた、ということが、そのところより親様月日様、八方様とこの台の心を受けて、世上助けにまい進して、親様月日様、八方様の理を取り次いで、信徒さんをたくさんかくとくすることをさして、そのところより甘露台様、すなわち十社様の理を取り次ぐことを、『そうじしたところを歩き立ちどまり、そ2026/10/03 18:41:445.神も仏も名無しさんh3vhMのところよりかんろうだいを』ということやそうな。よくわかったでしょう。二日 国狭土之命様(どのような からきしんぱい みえたとて なにもこわみな あぶなげもない 仏滅) ☆四九八二七三 六五一 ということは、何事によらず心配事があったら、いつでも本部に運ばしていただいて、その心配事を天からといて聞かしていただいて、帰宅をしておられたら、何も心配することはないでしょう。腹の中で心配事を考えて、いくら人間が心配をしていたとてどうにもならんのだから、正気づいて本部に運ぶにあると思う。ある書物を読んで、いつなん時どんなことになってくるかと、心の中をちぢみあがらしているようなことでは、お道を聞かしていただいた価値がないでしょう。 人間の世界、人間の世であったら、人間同志が心配をせねばならんが、神様の世界で、神様の世であるのだから、心配は一つもないと思いますねい。2026/10/03 18:56:476.神も仏も名無しさんh3vhM皆様方が、「親様月日様」と御願いをされれば、いつも利益をいただいておられるでしょう。それだから、何も一事が万事心配をして世渡りをしている必要はないと思いますねい。それですから、『どのようなからき心配みえたとて、何もこわみなあぶなげもない』と仰せくだされてあるのですよ。いつの時でも、ない世界、ない人間を御造りくだされてある世上、ということをよく〜悟ってごらんんなさい。 なぜならば、あなた方のおなかへ赤ちゃんを宿らしくださるでしょう。そこで、子供を『宿しこむのも月日なら、生まれ出すのも月日せわどり』と仰せくだされてあって、ない世界、ない人間を生まれ出さしてくだされてある、ということは、よくわかるでしょう。人間の力で十月十日の間に五輪五体をそろえて生まれさしてくだされてあることだけでも、よくわかるでしょう。妊娠中に一家の家庭がごた〜して、ほこりを積んでいると、五輪五体2026/10/03 19:04:217.神も仏も名無しさんh3vhMりと思う、ということや。わかったでしょう。三日 月読之命様(おたがいに 節分祭を よくさとれまめではたらく ことであるなら 大安) ☆五一九三八四 七六二 天も勇んで守護くださることやから、節分祭ということは、せつの分かれめであって、日々心配事をくり返して、ふるえていることと、心があたたかくなって、家族がそろってえ顔で暮らすこの心を、ということが節分祭になぞらえて、豆まきをやっているでしょう。四方八方へ気くばり、目くばりさせてもらって商売をやらしていただく理の姿が、まめで働く、ということやそうな。 「福は内、鬼は外」というていたとて、家々でつの突き合いをしていたら福が舞いこんできそうなことはない。鬼のような心を追放しながら、福は内鬼は外となえれば、天から心どおりの守護をしてくださる、ということや2026/10/03 19:09:318.神も仏も名無しさんh3vhM四日 雲読之命様(いつつるぞ なんのひがてる なにゆえか このせいしんの みちをしらねば 赤口) ☆ 六二一四九五 八七三 ということは、このお道を聞かしていただいてからは、皆さん方の心を天が受け取って、うつりし理をうつし返ししていてくだされて、天のみ心になった心を天へ供えておればこそ、家々も明かるくなり、つくし運びもできにおいがけもしさせてもらい、教師になってお助けもでき、そしてどこからどこまでも人様に敬まい、とうとばれるような心の持ち主になった時が、親様月日様、八方様のありがたいがわかった時、天から入信していない人のことを、『いつつるぞ、なんのひがてるなにゆえか』と仰せくだされてあるのですから、皆さんは一人も多く導いてやらんと、天の月日親神様が、『親として子供の苦労を見るにしのびん』と仰せくだされてありますとおり、においがけや、お助けをさしていたゞかんと、天の御心が日々休まらんことになり2026/10/03 20:44:259.神も仏も名無しさんh3vhMそこで年男だとか、年女だとか言うているでしょう。これは鬼門の年の人、八方ふさがりの年の人、病門の年の人のこと。この節にお互様は、心を徐行して暮らしていきさいすれば、その年は無難で暮らせる、ということや。 お互様に、横目ふらずに、ということは、道草くわずに、理というものを心でねってということは、よりかけてということや。そしてどんなけわしい山道でも、ということは、どんな苦労でも心配事でも、運んで聞かしていただいて、理というものを杖として暮らさせていただくことを、天の御言葉の中に、『横目ふらずによりかけて、ほうてのぼれよ理をつえにして』と仰せくだされてあるのでございますから、親様月日様、八方様ということを、たえず安心して暮らすにありと思う。理を杖にして、ということは、運んで聞かしていただいているでしょう。そのみ教えを守っていくことをさして、理をつえにして、ということですよ。わかったでしょう。2026/10/03 20:50:3210.神も仏も名無しさんERJvt阪神優秀だ❗2026/10/03 22:04:3811.神も仏も名無しさんERJvtだんじり祭期間大阪2026/10/03 23:05:0012.神も仏も名無しさんrEads鹿ノ谷の経歴は全部嘘っぱちでした2026/10/04 09:09:3713.神も仏も名無しさんiMEO5ますから、においがけや、お助けをした人を一人もおとおさんよう、信徒さんを修理して、信徒さんの家を花ざかりに導いてやって、実のりをたっぷりあたえてやってもらえば、おのづと信徒は、それからそれいとふえてくる。というこの精神が天のみ心のかなって、大きな働きがさしていたゞけるのだと天でいつも仰せくだされてあることを、『いつてるぞ、なんの日がてる、なにゆえか、この精神をよくしらねば』と仰せくださる御心の御言葉でございますから、皆様も心の改良をしながら、つくしも運びもやりながら、においがけお助けにまい進していただきたいと、いつも天が地上のありさまをながめて、台と天と八方様と皆さんと、せつなる願いと思う。 これからもなお一層しっかりと、お道にふんばりください、ということやわかったでしょう。2026/10/04 10:03:3114.神も仏も名無しさんiMEO5五日 惶根之命様(ぜんあくを みわけすすめて なにもかも よろずたすかる ことになるから 先勝) ☆七三二五一六 九八四 ということは、善悪の見さかいなきときは、たとえていうたら、皆様よ、無二の親友だとか、あれは遠縁にあたる親戚だとか、またはあれは昔から知っている人だからというて、人というものをむやみに信用して、「この人はおれに金を借りる受け判になってくれというているけれど、おれには迷惑をかけるような人ではないだろう」と、うっかり受け人になって、はんを押し・て三年五年とたつうちに、人間には「この人を受け人にしておいて、先になったらおれはどこかへ借りた金も返さずに高とびをして、受け判をしてくれた人の財産を、おれの借金のかたに払わしてやろう」というような、悪のりょうけんはないでしょうけれど、いきがかり上事業に失敗して、赤字になってどういうふうにやりくりをしても、とうていおっつかなくなったというて2026/10/04 10:11:4115.神も仏も名無しさんiMEO5どこかへ行方不明になる。そうこうしているうちに、受け判をした人のところへいきなり差し押えがくる。金が払えなければ競売にする、というようなとんでもない災難がまい込んでくる。 お互様に前生に相手方に借金をしておいて払わずに世を去ったり、払わずに夜逃げをしたり、いろ〜な因縁が積んであったとしたら、その借財を返さにゃならん因縁があるから、たのまれりゃ受け判でも何でもして、前生の借金を返さにゃならんとあせって受け判をするようになったり、前生に泣かしてある女に出会うと、ごきげをとって返さにゃならん理がでてくると、二号でも三号でもやたらもって早く因縁を切って、せい〜しようと思って一生懸命にはたしにかかる。 それからまた『人間というものはどこから生まれてきたのやら、どこへ死んで行くのやらあとさき知りたる者はない』と仰せくだされてありますとお2026/10/04 10:15:2216.神も仏も名無しさんiMEO5り、前生の因縁の深い者ほど因縁はたしがきれないと、生まれながらにしてごく悪因縁を積む人もあれば、前生のごく悪因縁をはたすために、一生懸命にいそいで、あっちこっちと因縁切りに歩く。この因縁切りに歩く人が家を外にして、家族の者から見れば悪いことばかりしているように見えますが『親子となるは深き因縁』とも仰せくだされてありますとおり、『一家族というものは、同じ因縁を寄せて守護してある』とも仰せくだされてありますから、お筆先の中に、『この世は、りいでせめたる世界なり、なにかよろづは、歌のりでせめる(家々の言葉の理)』とありますし、『せめるとて、手出しするではないほ(家々でろんのすえ、事情がおきてくるということや)どに、口でもいわん筆先のせめ』とありますとおり、これから先もなお一層この世の中の善悪の見分け心にして、理から因縁を自覚して暮らすにありと思う。そこで日夜心して、心のじじょうをふみならしてかよい道(本部のこと)という。そしてよろず助けていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう2026/10/04 10:23:4717.神も仏も名無しさんiMEO5六日 大食天之命様(おたがいに のむ物きるもの はなすものよろづたすかる ことであるから 友引) ☆ 八四三六二七 一九五 ということは、のむというたら現場では、水とか、お茶とか、ジュースとか、昆布茶とか、かき氷とかアイスクリームとか、いろ〜飲むものはあるでしょう。 そこで一家の家庭というものは、皆親子、兄弟、夫婦、孫、しゅうと、しゅうとめ、小じゅうとというように、みず知らずの他人はいないでしょう。これが【みず】それだから家族の者の話しを共に語り合って、だめにするようなことでは、お茶を飲んでいて理のわからん人、お互様に喜んで日暮らしをさせてもらうが【昆布茶】。【かき氷】とは、家々でへだて心を使って、あの子はこの子は、あのおやじは、この案内は、あのしゅうと、あのしゅうとめ、あの小じゅうとは、この子供は、この孫は、この嫁は、というてお互2026/10/04 10:28:0218.神も仏も名無しさんiMEO5に、にらみ合って冷たい心の持ち主という言葉の理が、かき氷という。 お互様に愛しあって、喜びあって、一つの苦労も共にさしていただいてわになって暮らしていただくということが【アイスクリーム】という。そこで、何事によらずゆずりあって暮らしてゆくという、何事によらずすべてじゅんずるという心、これすなわち【ジュース】という。 着る物という着る物はもめん、お互にめんめんが気をもまんようにする理で、【きもめん】を着ている理、いろ〜な着物もたくさんあるでしょう。いち〜言うたらきりのないことでございますが、【かすり】というたら、天からいろ〜な物を貸し与えてくだされて、人間からは借り物で、理というものをわからしてもらって、各自の家庭が軒を並べている姿が、かすりの理の姿。【しま柄】は、天から天降りの理の姿。 【横段】は、皆様方が家庭をもって一列に暮らしている理の姿。2026/10/04 10:34:3019.神も仏も名無しさんiMEO5鶴の柄でも、きっこうでも、着せていただいておっても、理がわからなかったら着ている価値はありませんでねい。 世の中でよく言う「鶴は千年、亀は万年」というていれどもこの心、悟りがのうては何もわかりませんねい。心の改良に専念して暮らしてもらえばいつまでもいつまでも万ごう末代御連れ通りくださる、という理の姿。 【きっこう】の姿は、手足をつっつ付けば引っ込め、頭をつっつ付けば、引っ込めして、へだてのない心をさして、べっこの取り扱いをせぬという心がまえが、天から見られて万ごう末代見落としはないから、低い優しいすなおな心の持ち主になって、はい〜で暮らしてゆけよ、との御心の理の姿。 【山】の姿は、高い心になると、めったに人が寄りつかなくなる、という理の姿。 【波の柄】は、心に波うつなよ。静かな心で平らに進めよと【川】の姿。2026/10/04 10:38:1820.神も仏も名無しさんiMEO5【花の柄】でもそのごとく、姿ながめてよく悟るにありと思う。 お互様に話すものということは、声のかけようで自分の心にぴったりとはまるような返事が、先方からいただけるのでございますが、こちらの声のかけ方が違っている時は、腹立たしい喜べない言葉を返してくれますから、声のかけようも日々研究して、日々お暮らしくさい、ということや。こういうことも、日々に心して暮らさしていだくけば万事助かる、ということや。心のかての一つですから心して日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。七日 大戸辺之命様(かちまけの しょうぶごとおは やめにせよ りからそんする ことになりては 先負) ☆九五四七三八 二一六 いかんから、天から人間へ御注意くださるのであって、人間が勝負事をやっていると、損をするようなことになってはだめでしょう。そこで親様の二2026/10/04 10:43:0921.神も仏も名無しさんiMEO5十年の道中に、いろ〜勝負事で損をしたことを、見たり聞いたりしておりましたが、勝負事をして損をすると、前に損をした元金を取り返そうと思って、だん〜と深みにはいって行って、しまいには家を抵当に入れたり地所を売ったりして、皆損をして目をさまさずに、家内の生活費を腕力で家家の者を泣かして勝負事に持っていく。また中には家庭内のいろ〜な道具を持ち出して売り払って勝負事に使っている人も、中にはたくさんあるように思いますが、とにかく家々に何んにもないようになって娘を売りとばしたり、男の子はあいそをつかして家に寄りつかなくなったり、家内はおやじに離婚をせまって出ていってしまう。一家の家庭がどどのつまりは、破壊してしまうようなことにもなる。 また家内や子供と一家むつまじく暮らしていればよいものを、二号三号と持ち歩いて家内の方には仕送りをしなくなって、二号三号の方で暮らしてい2026/10/04 10:46:5722.神も仏も名無しさんiMEO5るうちに、にっちもさっちもいかなくなって、みすぼらしい姿をして一号のところへもどってくる。家内や子供にさげしめられて、自殺をとげる人もある。これ皆勝負事のようなものなれば、天の御言葉の中に、『万里の道も一歩から』と仰せくだされてありますとおり、ふみ出しのかゝりが大事ですから、一家の家庭で不平不満を共に語り合って、不平不満のないようにして暮らしてゆけば、二号、三号も、もたないですむし、勝負事もしないですむようになりますから、一家族が和合して、豊かな道を通らしてもらうよう心してお暮らしください。 さすれば理から結構になりますし、勝負事や、二号、三号をもって家庭を外にすると、軌道からはずれた脱線者になりますから、家々の者から理から排せきされるようなことになりますから、しっかりと心してお暮らしくださいということや。わかったでしょう。2026/10/04 10:51:3523.神も仏も名無しさんiMEO5八日 岐 様 おやこでも りというものが なかだちや りからなかよく くらすことなら 仏滅 ☆一六五八四九 三二七 ということは、皆さんここのところはよく聞きわけてくださいねい。この道はうらはらの道とゆうて、前生親子であれば、親が先に死んで子供の子供(孫)にな って生まれてきて、前生の姿そのままに現わすものであって、これを理が仲立ちという事ですよ。それだから女の子であれば、男親と非常に仲良く暮らす者もあり。また男の子であって母親と仲良く暮らすもありで、そこでせがれが嫁をもらって、親とせがれが仲がよすぎて、嫁をお手伝いさんのようにむやみやたらとき使って、親とせがれが嫁を目下に見下してどなる、ふてる、たたく、親子で夫婦気取りで、嫁さんは日々まご〜おど〜して暮らしている家庭も、たくさんあるようでございますねい。 また嫁さんとむこさんが、はたの見る目もうらやましいくらい、仲良くと2026/10/04 10:57:1724.神も仏も名無しさんiMEO5おる若夫婦、その姿を見て、嫁を見て、父親がやきもきするもあり、養子を迎えてしゅうとめがやきもきするもあり、また孫としゅうと、しゅうとめが仲良く暮らすもあり、嫁が子供をざんこくに扱うもあり、子供が親をざんこくに扱うもあり、何しろ前生の姿そのままに今世現わしているのだから、ようするにしゅうとめが嫁をひどいめにあわしていると、今度はしゅうとめが孫になって現われてきて、その孫が嫁にひどいめにあっている。これが理が仲立ちであるから、前生の因縁と自覚して、嫁が子供を愛していくのが理が仲立ち、ということや。それから子供もこの道を聞かしていただいて、「前生このおれがこのおっかさんをひどいめにあわしたから、今世ひどいめにあわされるのだから、理が仲立ちだから、たたくおかあさんを自分が悪かったから、今たたかれているのだ」と、喜んで母親に感謝して暮らさしていただくという心がけが大切と思う。これで理の仲立ちと、うらはらの道ということがよくわかったでしょう。一つ聞いたらいっさいが、かたきをとって2026/10/04 11:04:3225.神も仏も名無しさんiMEO5うとことがよくわかったでしょう。一つ聞いたら一さいが、かたきをとってとられて暮らしていく世の中の理の姿というものですよ。そこでお互が因縁を自覚して仲良く暮らすにありと思う。よくわかったでしょう。九日 美様(おたがいに いっちだんけつ たいせつや ともにたすかる みちをもために 先勝) ☆二七六九五一 四三八 皆さんは、本部に運んでおりながら、教会の信徒なら教会に協力するが理の当然でしょう。それにもかかわらず一致団結力を忘れてしまって、十年も前に本部から出張した先生の口車にのって、自分のつごうのよいことを言われて、その気になって同じようなグループをこしらえて、教会から脱線してかってな行動をとっていた人が、今から店をたたんで暮らさにゃならんようなはめに落ち入ったり、【腎臓結石】を煩ったり、【尿道結石】になったり、または【胃潰瘍】になったり、または【腰抜け】になったり、あるじが病気2026/10/04 15:01:3426.神も仏も名無しさんiMEO5になったり、娘が病気になったり、せがれにがみ〜言われたり、支部をやめるとゆうてみたり、いくら願っても、【小児まひ】が御利益がいたぐけなかったり、親様を向こうにまわして、あくたもくたにののしったりしておった本部の先生も、理から本部にいられなくなって、ひとり、ふたり、三人四人、五人、六人、七人、八人というように、不足不足で暮らしていると、理から本部を出ねばならんようになって、今はさかんに苦しんでいるそうな。本部から出た先生のおきみやげで、四、五十人ぐらいの信徒が皆身上にかかって困っているそうな。それでも、お道をやめていないから、どうにかこうにか御利益はいただいておるそうな。 なれど職業の方も位が下がって門番となって、【胃潰瘍】を煩って、ざんげして御利益をもらって帰宅をされましたが、親様を向こうにまわしてあくたもくた言うておいて、何んにも知らん顔をして、ただ身上になったから2026/10/04 15:06:5827.神も仏も名無しさんiMEO5「御利益をいただきとうございます」と訪れてこられても、こちらはあまりよい気持ちはしませんが、それでも、「助けてくれ」と尋ねてくる者をほってもおかれない。かわいそうな人だと思って面会をして御利益をいただいて帰宅してもらったようなわけでございますが、 『これから教会や本部に協力するというて軌道にのる心になって一致団結して道をやれば助かるし、今までのような道を通っていると助からんことになるだけですから、どちらでもごずいいに』と申しましたところ、「しっかりやらしていただきます」というて地方にもどられましたがあ、助けていただく道を求めにきておりながら、ちょっとしたはずみに、つまらん人の口車にのらんよう心してお暮らしくさい、ということや。わかったでしょう。一〇日 国狭土之命様(おたがいに みちやるひと やらんひと えんりょきがねは おおけがのもと 友引)☆三八七一六二 五四九2026/10/04 17:55:2628.神も仏も名無しさんHjwaZ人生は楽しんだもん勝ち2026/10/05 01:05:12
◎ 昭和四十一年十一月八日午後十二時五十分御書き取り
二月の心得につき御言葉御願い
一日 面足之命様(そうじした ところをあるき たちどまり そのところより かんろうだいを 先負) ☆
三八七
一六二
五四九
ということは、大正十二年の末から昭和十三年三月の十と三日までのことを、「そうじしたところを、あるきたちどまり」ということやそうな。「そのところより」ということが、昭和十三年から昭和十七年の十二月二十三日までのことが、最初に月読之命様、国狭土之命様、二社の神様が天降りあり、それから五ヵ年間の間、「幕へ幻燈を写すようなもの」と仰せくだされて、身上者や事情者の人のことを、幻燈でお助けをさしていただいてまいりまして、昭和十七年の十二月の二十三日に、あとの八社様天降りあり。
そしてだん々ひとり、ふたり三人と寄り集まって、昭和十年となりまして皆様の願われることについて、天より天佑をくだされ、『てんゆう』とは御利益のこと。そしてありがたい、ありがたいでこの道に協力してくだされたお陰にて、昭和四十年度の暮れに、普請が始まり、現場の普請と心の理の普請と共にやらしていただいてきょうの日でございますが、これから先も今まで通りに御利益をいただきつつ、協力をしていただきとうございますということが、天との「会田ヒデ」と皆さんと、『三点龍頭一つのみにかゝっている』と天で仰せでございますが、
この道の信仰にはいらしてもらって、一つの教会や支部を持たしていただいて、教会長や支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師になるまでの間をさして、『そうじしたところを、あるきたちどまり』ということが、日夜人様を導かしてもらった功徳によって、一つのしるしを持たしていたゞけた、ということが、そのところより親様月日様、八方様とこの台の心を受けて、世上助けにまい進して、親様月日様、八方様の理を取り次いで、信徒さんをたくさんかくとくすることをさして、そのところより甘露台様、すなわち十社様の理を取り次ぐことを、『そうじしたところを歩き立ちどまり、そ
二日 国狭土之命様(どのような からきしんぱい みえたとて
なにもこわみな あぶなげもない 仏滅) ☆
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二七三 六五一
ということは、何事によらず心配事があったら、いつでも本部に運ばしていただいて、その心配事を天からといて聞かしていただいて、帰宅をしておられたら、何も心配することはないでしょう。腹の中で心配事を考えて、いくら人間が心配をしていたとてどうにもならんのだから、正気づいて本部に運ぶにあると思う。ある書物を読んで、いつなん時どんなことになってくるかと、心の中をちぢみあがらしているようなことでは、お道を聞かしていただいた価値がないでしょう。
人間の世界、人間の世であったら、人間同志が心配をせねばならんが、神様の世界で、神様の世であるのだから、心配は一つもないと思いますねい。
なぜならば、あなた方のおなかへ赤ちゃんを宿らしくださるでしょう。そこで、子供を『宿しこむのも月日なら、生まれ出すのも月日せわどり』と仰せくだされてあって、ない世界、ない人間を生まれ出さしてくだされてある、ということは、よくわかるでしょう。人間の力で十月十日の間に五輪五体をそろえて生まれさしてくだされてあることだけでも、よくわかるでしょう。妊娠中に一家の家庭がごた〜して、ほこりを積んでいると、五輪五体
三日 月読之命様(おたがいに 節分祭を よくさとれまめではたらく ことであるなら 大安) ☆
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天も勇んで守護くださることやから、節分祭ということは、せつの分かれめであって、日々心配事をくり返して、ふるえていることと、心があたたかくなって、家族がそろってえ顔で暮らすこの心を、ということが節分祭になぞらえて、豆まきをやっているでしょう。四方八方へ気くばり、目くばりさせてもらって商売をやらしていただく理の姿が、まめで働く、ということやそうな。
「福は内、鬼は外」というていたとて、家々でつの突き合いをしていたら福が舞いこんできそうなことはない。鬼のような心を追放しながら、福は内鬼は外となえれば、天から心どおりの守護をしてくださる、ということや
六二一
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ということは、このお道を聞かしていただいてからは、皆さん方の心を天が受け取って、うつりし理をうつし返ししていてくだされて、天のみ心になった心を天へ供えておればこそ、家々も明かるくなり、つくし運びもできにおいがけもしさせてもらい、教師になってお助けもでき、そしてどこからどこまでも人様に敬まい、とうとばれるような心の持ち主になった時が、親様月日様、八方様のありがたいがわかった時、天から入信していない人のことを、『いつつるぞ、なんのひがてるなにゆえか』と仰せくだされてあるのですから、皆さんは一人も多く導いてやらんと、天の月日親神様が、『親として子供の苦労を見るにしのびん』と仰せくだされてありますとおり、においがけや、お助けをさしていたゞかんと、天の御心が日々休まらんことになり
お互様に、横目ふらずに、ということは、道草くわずに、理というものを心でねってということは、よりかけてということや。そしてどんなけわしい山道でも、ということは、どんな苦労でも心配事でも、運んで聞かしていただいて、理というものを杖として暮らさせていただくことを、天の御言葉の中に、『横目ふらずによりかけて、ほうてのぼれよ理をつえにして』と仰せくだされてあるのでございますから、親様月日様、八方様ということを、たえず安心して暮らすにありと思う。理を杖にして、ということは、運んで聞かしていただいているでしょう。そのみ教えを守っていくことをさして、理をつえにして、ということですよ。わかったでしょう。
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これからもなお一層しっかりと、お道にふんばりください、ということやわかったでしょう。
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ということは、善悪の見さかいなきときは、たとえていうたら、皆様よ、無二の親友だとか、あれは遠縁にあたる親戚だとか、またはあれは昔から知っている人だからというて、人というものをむやみに信用して、「この人はおれに金を借りる受け判になってくれというているけれど、おれには迷惑をかけるような人ではないだろう」と、うっかり受け人になって、はんを押し・て三年五年とたつうちに、人間には「この人を受け人にしておいて、先になったらおれはどこかへ借りた金も返さずに高とびをして、受け判をしてくれた人の財産を、おれの借金のかたに払わしてやろう」というような、悪のりょうけんはないでしょうけれど、いきがかり上事業に失敗して、赤字になってどういうふうにやりくりをしても、とうていおっつかなくなったというて
お互様に前生に相手方に借金をしておいて払わずに世を去ったり、払わずに夜逃げをしたり、いろ〜な因縁が積んであったとしたら、その借財を返さにゃならん因縁があるから、たのまれりゃ受け判でも何でもして、前生の借金を返さにゃならんとあせって受け判をするようになったり、前生に泣かしてある女に出会うと、ごきげをとって返さにゃならん理がでてくると、二号でも三号でもやたらもって早く因縁を切って、せい〜しようと思って一生懸命にはたしにかかる。
それからまた『人間というものはどこから生まれてきたのやら、どこへ死んで行くのやらあとさき知りたる者はない』と仰せくだされてありますとお
てごく悪因縁を積む人もあれば、前生のごく悪因縁をはたすために、一生懸
命にいそいで、あっちこっちと因縁切りに歩く。この因縁切りに歩く人が家
を外にして、家族の者から見れば悪いことばかりしているように見えますが
『親子となるは深き因縁』とも仰せくだされてありますとおり、『一家族と
いうものは、同じ因縁を寄せて守護してある』とも仰せくだされてあります
から、お筆先の中に、『この世は、りいでせめたる世界なり、なにかよろづ
は、歌のりでせめる(家々の言葉の理)』とありますし、『せめるとて、手出しするではないほ
(家々でろんのすえ、事情がおきてくるということや)
どに、口でもいわん筆先のせめ』とありますとおり、これから先もなお一層
この世の中の善悪の見分け心にして、理から因縁を自覚して暮らすにありと
思う。そこで日夜心して、心のじじょうをふみならしてかよい道(本部のこと)という。そ
してよろず助けていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう
八四三
六二七 一九五
ということは、のむというたら現場では、水とか、お茶とか、ジュースとか、昆布茶とか、かき氷とかアイスクリームとか、いろ〜飲むものはあるでしょう。
そこで一家の家庭というものは、皆親子、兄弟、夫婦、孫、しゅうと、しゅうとめ、小じゅうとというように、みず知らずの他人はいないでしょう。これが【みず】それだから家族の者の話しを共に語り合って、だめにするようなことでは、お茶を飲んでいて理のわからん人、お互様に喜んで日暮らしをさせてもらうが【昆布茶】。【かき氷】とは、家々でへだて心を使って、あの子はこの子は、あのおやじは、この案内は、あのしゅうと、あのしゅうとめ、あの小じゅうとは、この子供は、この孫は、この嫁は、というてお互
お互様に愛しあって、喜びあって、一つの苦労も共にさしていただいてわになって暮らしていただくということが【アイスクリーム】という。そこで、何事によらずゆずりあって暮らしてゆくという、何事によらずすべてじゅんずるという心、これすなわち【ジュース】という。
着る物という着る物はもめん、お互にめんめんが気をもまんようにする理で、【きもめん】を着ている理、いろ〜な着物もたくさんあるでしょう。いち〜言うたらきりのないことでございますが、【かすり】というたら、天からいろ〜な物を貸し与えてくだされて、人間からは借り物で、理というものをわからしてもらって、各自の家庭が軒を並べている姿が、かすりの理の姿。【しま柄】は、天から天降りの理の姿。
【横段】は、皆様方が家庭をもって一列に暮らしている理の姿。
世の中でよく言う「鶴は千年、亀は万年」というていれどもこの心、悟りがのうては何もわかりませんねい。心の改良に専念して暮らしてもらえばいつまでもいつまでも万ごう末代御連れ通りくださる、という理の姿。
【きっこう】の姿は、手足をつっつ付けば引っ込め、頭をつっつ付けば、引っ込めして、へだてのない心をさして、べっこの取り扱いをせぬという心がまえが、天から見られて万ごう末代見落としはないから、低い優しいすなおな心の持ち主になって、はい〜で暮らしてゆけよ、との御心の理の姿。
【山】の姿は、高い心になると、めったに人が寄りつかなくなる、という理の姿。
【波の柄】は、心に波うつなよ。静かな心で平らに進めよと【川】の姿。
お互様に話すものということは、声のかけようで自分の心にぴったりとはまるような返事が、先方からいただけるのでございますが、こちらの声のかけ方が違っている時は、腹立たしい喜べない言葉を返してくれますから、声のかけようも日々研究して、日々お暮らしくさい、ということや。こういうことも、日々に心して暮らさしていだくけば万事助かる、ということや。心のかての一つですから心して日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。
七日 大戸辺之命様(かちまけの しょうぶごとおは やめにせよ りからそんする ことになりては 先負) ☆
九五四
七三八 二一六
いかんから、天から人間へ御注意くださるのであって、人間が勝負事をやっていると、損をするようなことになってはだめでしょう。そこで親様の二
おりましたが、勝負事をして損をすると、前に損をした元金を取り返そうと
思って、だん〜と深みにはいって行って、しまいには家を抵当に入れたり
地所を売ったりして、皆損をして目をさまさずに、家内の生活費を腕力で家
家の者を泣かして勝負事に持っていく。また中には家庭内のいろ〜な道具
を持ち出して売り払って勝負事に使っている人も、中にはたくさんあるよう
に思いますが、とにかく家々に何んにもないようになって娘を売りとばした
り、男の子はあいそをつかして家に寄りつかなくなったり、家内はおやじに
離婚をせまって出ていってしまう。一家の家庭がどどのつまりは、破壊して
しまうようなことにもなる。
また家内や子供と一家むつまじく暮らしていればよいものを、二号三号と
持ち歩いて家内の方には仕送りをしなくなって、二号三号の方で暮らしてい
ところへもどってくる。家内や子供にさげしめられて、自殺をとげる人もあ
る。これ皆勝負事のようなものなれば、天の御言葉の中に、『万里の道も一
歩から』と仰せくだされてありますとおり、ふみ出しのかゝりが大事ですか
ら、一家の家庭で不平不満を共に語り合って、不平不満のないようにして暮
らしてゆけば、二号、三号も、もたないですむし、勝負事もしないですむよ
うになりますから、一家族が和合して、豊かな道を通らしてもらうよう心し
てお暮らしください。
さすれば理から結構になりますし、勝負事や、二号、三号をもって家庭を外
にすると、軌道からはずれた脱線者になりますから、家々の者から理から排
せきされるようなことになりますから、しっかりと心してお暮らしください
ということや。わかったでしょう。
一六五
八四九 三二七
ということは、皆さんここのところはよく聞きわけてくださいねい。この道はうらはらの道とゆうて、前生親子であれば、親が先に死んで子供の子供(孫)にな って生まれてきて、前生の姿そのままに現わすものであって、これを理が仲立ちという事ですよ。それだから女の子であれば、男親と非常に仲良く暮らす者もあり。また男の子であって母親と仲良く暮らすもありで、そこでせがれが嫁をもらって、親とせがれが仲がよすぎて、嫁をお手伝いさんのようにむやみやたらとき使って、親とせがれが嫁を目下に見下してどなる、ふてる、たたく、親子で夫婦気取りで、嫁さんは日々まご〜おど〜して暮らしている家庭も、たくさんあるようでございますねい。
また嫁さんとむこさんが、はたの見る目もうらやましいくらい、仲良くと
とられて暮らしていく世の中の理の姿というものですよ。そこでお互が因縁
を自覚して仲良く暮らすにありと思う。よくわかったでしょう。
九日 美様(おたがいに いっちだんけつ たいせつや
ともにたすかる みちをもために 先勝) ☆
二七六
九五一 四三八
皆さんは、本部に運んでおりながら、教会の信徒なら教会に協力するが理
の当然でしょう。それにもかかわらず一致団結力を忘れてしまって、十年も
前に本部から出張した先生の口車にのって、自分のつごうのよいことを言わ
れて、その気になって同じようなグループをこしらえて、教会から脱線して
かってな行動をとっていた人が、今から店をたたんで暮らさにゃならんよう
なはめに落ち入ったり、【腎臓結石】を煩ったり、【尿道結石】になったり、
または【胃潰瘍】になったり、または【腰抜け】になったり、あるじが病気
めるとゆうてみたり、いくら願っても、【小児まひ】が御利益がいたぐけな
かったり、親様を向こうにまわして、あくたもくたにののしったりしておっ
た本部の先生も、理から本部にいられなくなって、ひとり、ふたり、三人四
人、五人、六人、七人、八人というように、不足不足で暮らしていると、理
から本部を出ねばならんようになって、今はさかんに苦しんでいるそうな。
本部から出た先生のおきみやげで、四、五十人ぐらいの信徒が皆身上にかか
って困っているそうな。それでも、お道をやめていないから、どうにかこう
にか御利益はいただいておるそうな。
なれど職業の方も位が下がって門番となって、【胃潰瘍】を煩って、ざん
げして御利益をもらって帰宅をされましたが、親様を向こうにまわしてあく
たもくた言うておいて、何んにも知らん顔をして、ただ身上になったから
よい気持ちはしませんが、それでも、「助けてくれ」と尋ねてくる者をほっ
てもおかれない。かわいそうな人だと思って面会をして御利益をいただいて
帰宅してもらったようなわけでございますが、
『これから教会や本部に協力するというて軌道にのる心になって一致団結
して道をやれば助かるし、今までのような道を通っていると助からんことに
なるだけですから、どちらでもごずいいに』と申しましたところ、「しっか
りやらしていただきます」というて地方にもどられましたがあ、助けていただ
く道を求めにきておりながら、ちょっとしたはずみに、つまらん人の口車に
のらんよう心してお暮らしくさい、ということや。わかったでしょう。
一〇日 国狭土之命様(おたがいに みちやるひと やらんひと えんりょきがねは おおけがのもと 友引)☆
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