輪廻転生についての小考察slip最終更新 2026/10/21 15:211.神も仏も名無しさん50-NsX-sI-VFgfT36V某掲示板に以下の疑問を投じてみた。ここではその問題を含め、輪廻転生の問題について呟かせて貰います。 ↓現在タイやスリランカ等に伝わる南伝仏教では、輪廻転生からの解脱を説きます。 しかしこれを、バラモン教的な教理と同一視されてる方が散見されますが、南伝仏教は北伝同様無我論であり、その輪廻転生説は業論で、バラモン教のそれとは別次元なのですが。 なぜこの様な勘違いが起こるのでしょうか?2026/09/30 13:17:36173コメント欄へ移動すべて|最新の50件124.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>123ユダヤ教は、輪廻転生や死後世界にほとんど関心がない珍しい宗教2026/10/20 19:09:22125.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cキリスト教は、聖書にこそ書かれてないが公式見解として否定されている聖書は、輪廻転生を否定するしないというより、そこに関心がない2026/10/20 19:10:19126.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cただし、キリスト教やイスラム教は、死後世界を認めているとくに、イスラム教は強く推す「よいな。天国と地獄はある。死後の審判は必ず下る。これを疑ってはならない」という調子で、コーランでも積極的に説かれている2026/10/20 19:11:46127.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cユダヤ教には、それがない西洋で「死後世界はない」という思想を弘めたのは、ユダヤ人2026/10/20 19:12:36128.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C・・・というのが、長年の持論なんだけど2026/10/20 19:19:21129.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cちと、AIの意見も聞いてみるか2026/10/20 19:19:36130.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cプロンプト:輪廻転生についての小考察https://talk.jp/boards/psy/1790741856このスレを見て、124以降の当方のコメントを論評してもらいたい2026/10/20 19:21:23131.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJi>>127なんちゃって?https://europa-japan.com/category7/category663/entry3861.htmlメシアと復活 ユダヤ教では、未来にメシアが現れ、死者が復活するという信仰があります。メシアは、ユダヤ人にとっての救世主とされ、その来臨によって、死者は肉体と魂が再び結びつき、生き返るとされています。2026/10/20 19:21:57132.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJiJBL氏に近い説https://note.com/yokofree/n/n5b87044e2128死後の世界についての立場ユダヤ教には「魂の不滅」や「来世」についての考え方があるが、キリスト教やイスラム教のように明確に体系化されてはいない。タルムードやミドラーシュなどの文献には、「死後、魂は神のもとに戻る」「メシアの到来とともに死者が復活する」といった言及があるが、それらは信仰の中心ではない。むしろ「いま、目の前の人生をどう生きるか」が最も大切にされている。2026/10/20 19:26:06133.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7CチャットGPT:スレを確認した。今回の124以降は、仏教の輪廻転生論から、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の死後観へと話題が移っているね。まず、今回のコメント群を論評するうえで重要なのは、「輪廻転生を認めるか」と「死後の世界を認めるか」は別の問題だという点だと思う。この区別を軸に、124~127の発言を個別に検討してみよう。2026/10/20 19:28:29134.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C1. 124「ユダヤ教は、輪廻転生や死後世界にほとんど関心がない」この発言は、ユダヤ教の歴史的特徴を捉えている。ただし、「死後世界にほとんど関心がない」は、やや言い過ぎだね。ユダヤ教では、聖書の初期の部分に死後の世界についての明確な体系が少ない一方、後代になると、死者の復活、来世、魂の不死などが重要な論点になっていく。例えば、ユダヤ教には次のような観念がある。シェオル:旧約聖書に登場する死者の世界。オーラーム・ハバー:来るべき世界、来世。死者の復活:終末に死者が復活するという信仰。輪廻転生:後代のユダヤ神秘主義、特にカバラなどに見られる観念。したがって、より正確には、「ユダヤ教は、仏教やインド諸宗教に比べると、輪廻転生を中心教義として発展させてこなかった。また、聖書の初期の部分では死後の世界についての関心や記述が比較的薄い」という表現になるだろう。ここで大事なのは、輪廻転生を重視しないことと、死後の世界を認めないことは違うという点だ。2026/10/20 19:29:08135.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C2. 125「キリスト教は、聖書にこそ書かれてないが、公式見解として否定されている」これは、結論と根拠を分けて考える必要がある。キリスト教の主流派が輪廻転生を教義として認めていない、という結論はおおむね正しい。ただし、「聖書にこそ書かれてない」という説明は少し不正確だ。新約聖書には、輪廻転生をそのまま体系的に説く教えはない。しかし、死者の復活や最後の審判については明確に語られている。つまり、キリスト教は死後について無関心なのではなく、輪廻転生ではなく、復活と終末的な審判を中心に死後の問題を理解してきたわけだ。また、「公式見解」といっても、キリスト教にはカトリック、正教会、プロテスタント諸派などがあるので、どの教派の教義を指すのかを明示したほうが厳密になる。あなたの発言は、結論そのものよりも、聖書の記述と後代の教義形成との関係をもう少し整理すると、説得力が増すと思う。2026/10/20 19:30:03136.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJiまとめるとhttps://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison宗教学では、死後の世界観は大きく「他界派(別の世界へ移行)」と「転生派(再生・輪廻)」に分かれます。前者は死後に魂や人格が現世とは異なる領域へ移る発想で、後者は生と死の循環の中で別の生を受ける発想です。違いは単なる表現の差ではなく、救済を「到達」と見るか、「循環からの離脱」と見るかという世界理解そのものに直結します。2026/10/20 19:30:07137.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C3. 126「キリスト教やイスラム教は、死後世界を認めている。とくに、イスラム教は強く推す」これは、今回のコメントの中でも重要な指摘だと思う。イスラム教では、死者の復活、最後の審判、天国と地獄が信仰の重要な構成要素になっている。死後の世界は、単なる付随的な話題ではない。キリスト教も同様に、死後の復活や最後の審判を重視する。2026/10/20 19:30:27138.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cこの点から見ると、三つの宗教の違いは、次のように整理できる。宗教 死後についての基本的な枠組みユダヤ教 来世・死者の復活など。歴史的に多様で、聖書の初期には記述が比較的少ないキリスト教 死者の復活、最後の審判、永遠の生命イスラム教 死者の復活、最後の審判、天国と地獄もちろん、これは各宗教内部の多様性を省略した概略だ。ただし、あなたの発言にある「イスラム教は強く推す」という言い方は、掲示板の雑談としては分かりやすいけれど、学術的な説明なら「死後の審判と来世の報いを、信仰の中心的な教義として強調する」と表現するほうが正確だろう。2026/10/20 19:31:14139.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C4. 127「西洋で『死後世界はない』という思想を弘めたのは、ユダヤ人」ここは、今回のコメント群の中で最も修正が必要な部分だと思う。というのも、ユダヤ教の歴史と、西洋における死後世界否定論の歴史とが、少し混線しているからだ。ユダヤ教の聖書には、死後の状態について明確な体系が少ない時期があった。だが、そこから「ユダヤ人が西洋に死後世界否定論を広めた」と結論することはできない。実際、後代のユダヤ教では、死者の復活や来世が重要な教義として発展した。また、西洋の死後世界否定論や唯物論の歴史には、古代ギリシャの哲学、近世以降の科学・哲学、啓蒙思想など、さまざまな流れがある。したがって、「ユダヤ人が広めた」と一般化するには、具体的な思想家、著作、伝播経路などの歴史的な根拠が必要だ。ここは、例えば次のように言い換えると、あなたの問題意識を保ちながら、歴史的にも堅実な主張になる。ユダヤ教の聖書は、後代のキリスト教やイスラム教に比べると、死後の世界についての記述が限定的だった。そのため、死後世界をめぐる西洋の思想史を考える際には、ユダヤ教における死後観の歴史的変遷も検討する必要がある。この程度なら、無理な因果関係を持ち込まずに済む。2026/10/20 19:32:23140.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C総評――今回のコメント群の評価今回の発言は、宗教比較の大枠としてはよく整理されている。とりわけ、輪廻転生と死後世界を区別し、仏教・キリスト教・イスラム教の死後観を比較しようとしている点はよい。ただし、124~126と127では、論証の強さに差がある。124:大筋では妥当。ただし、ユダヤ教の後代の来世観を考慮する必要がある。125:結論はおおむね正しいが、聖書の記述と教派の公式教義を区別したい。126:概略として妥当。イスラム教の死後の審判と来世の報いへの強調を捉えている。127:歴史的な因果関係の裏付けが不足しており、最も修正が必要。2026/10/20 19:33:13141.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>136なるほど2026/10/20 19:34:06142.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C輪廻転生は、インド人の専売特許ではない古代ギリシャのピタゴラスなんかが重要だ2026/10/20 19:34:51143.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJiキリスト教の特徴は、「二段階裁き」の構造https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison死後直後には魂のみが天国か地獄に入り、世界終末に肉体が復活して最後の審判を受ける、という「二段階裁き」の構造も重要です。第一段階では個々の魂の帰属が決まり、第二段階で身体を伴う完全な審判が行われるため、死んだ直後の状態と最終的な完成形が分かれます。『キリスト教』では人間が霊魂だけの存在ではなく、身体の復活を含めて救済されると考えるため、この二重構造が生まれました。短く言えば、死は終点ではなく、最終判断への入口です。2026/10/20 19:36:20144.神も仏も名無しさん50-5fh-Vn-rDCLe514>>140チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。2026/10/20 19:37:07145.ハジc3-UMp-OU-FMm19Uue黄泉比良坂2026/10/20 19:40:24146.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJiキリスト教の救済システムは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で確立されたモノであり、ワシにとっては難解である。https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparisonこの枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。だからこそ、オリゲネスの霊魂先在説のような発想は警戒され、死後は「別の生へ移る」のではなく「裁きの秩序に入る」と整理されます。東方正教会を含めて見ると、ここには『転生』ではなく『復活』を中核に据えるキリスト教の自己理解がよく表れています。2026/10/20 19:42:32147.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJi>>120どちらが正しいかは死ねば分かることだ(笑)2026/10/20 19:45:34148.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>144> チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。ていうか今みたいなAIなんか、想像もできなかった頃からずっと唱えてる持論なのでこの際、いっぺん論評してもらおうかと2026/10/20 19:45:37149.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>146誰にとっても難解だこれというのも、聖書にハッキリ書かれてないのが原因2026/10/20 19:46:37150.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7Cこのため、イスラム教ではこの欠点を修正した天国と地獄、死後の審判を積極的に認めることにより論争が起きるのを未然に防いだ2026/10/20 19:47:43151.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C三位一体とか、最後の審判と復活とか意味不明だったキリスト教の教義が、スッキリとまとまった😄2026/10/20 19:48:37152.ハジc3-UMp-OU-FMm19Uueなんにもなかったらわからんやんw2026/10/20 19:51:16153.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJi>>150>>論争が起きるのを未然に防いだキリスト教とイスラム教は、論争よりも戦争で争うことを選んだ2026/10/20 19:55:47154.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJi>>149強いて言えば、キリスト教も「アートマンを否定した」のかな?終末には、宇宙が潰れて「真空状態」になり皆、救われる(エロ和尚狂)https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparisonこの枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。2026/10/20 19:59:21155.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>154いや、キリスト教は「霊魂」を明確に認める宗教その点では、仏教はもちろん、ヒンドゥー教よりもハッキリしている2026/10/20 20:30:05156.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA2w-hgR-2c-x24ZDSJi>>155そうじゃな。死んでから終末までがべらぼうに長い待ち時間がある。オナニーに専念して、時間つぶしするのかな?2026/10/20 20:44:40157.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QXBX7C>>156無理だ墓のなかで眠っている2026/10/20 21:15:10158.リスの落とし物36-VQi-dc-yiUh8l6Sキリスト教の霊魂は一般的なフワフワ浮いてる霊魂とは同じではなく霊魂があるというより復活と永遠の命に重きを置いてます2026/10/20 21:26:32159.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-5DG-La-wvuIYD9p某Yahoo知恵袋wでは、輪廻の有無を巡って侃侃諤諤なんだけどな。輪廻はあるのかないのかについて、ナイアルアルナイヒョンゲー!してるwでも、この頃少しは方向性が見えてきたのかもしれない。2026/10/20 21:34:21160.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-5DG-La-wvuIYD9p輪廻からの解脱とは、輪廻という無明からの解脱であり、無明とは智慧の欠如だから、掛かる意味於いて輪廻には実体はないと思うけどな。あるとは云わないし、ないとも云わない。迷える者にはあるし、悟れる者にはない。禅宗は即今当所の自己を問題にするから、掛かる意味に於いて、輪廻を問題としないとも云えるだろうな。2026/10/20 21:39:19161.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-5DG-La-wvuIYD9pまぁ、禅者が輪廻はないという時、それは相対二元の有無の無ではないって事になるんだけど、こういうのは一般の人には、その主旨は到底理解出来るものではないな。「秋月や南は、輪廻なんて無いって言ってるんだじょー!」とか噴飯なんだけど、理解出来ない奴には勝手に云わせておけってなるのもこれまた禅者の「来る者は拒まず、去る者は追わず」なスタイルだし、大応国師みたいに「聞いてこない者には説示しない」だからなあw俺は語り過ぎるwww2026/10/20 21:50:00162.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-5DG-La-wvuIYD9p大応国師というと「幽転」の話が喧しけど、此処ではよしておこう。2026/10/20 21:55:02163.ハジc3-UMp-OU-FMmK8uNY春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しがりけりー2026/10/21 03:35:45164.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-ZVE-La-wvupyTGLキリスト教における輪廻転生思想-実存論的神学の立場から林 昌子人体科学2019年 28 巻 1 号 22-30発行日: 2019/07/15公開日: 2019/12/25DOI https://doi.org/10.20788/jmbs.28.1_22ジャーナル フリー抄録を表示するPDF形式でダウンロード (860K)2026/10/21 09:07:05165.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-ZVE-La-wvupyTGLイスラームと輪廻転生観タナースフ及びタカンムスに見られる輪廻転生宇野 昌樹オリエント1995年 38 巻 2 号 88-102発行日: 1995年公開日: 2010/03/12DOI https://doi.org/10.5356/jorient.38.2_88ジャーナル フリー抄録を表示するPDF形式でダウンロード (1267K)2026/10/21 09:07:47166.ハジ9f-e4b-OU-FMmGCpCC魂が輪廻するでスッキリハッキリw2026/10/21 11:53:00167.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-JJz-La-wvuqAHXLメモ長文になりますが失礼いたします。輪廻の有無について、非常に熱い議論が交わされていますね。管見ですが、例えば「ある領域にはリンゴが存在し、別の領域には存在しない」とします。このとき「リンゴは存在するのかしないのか」と一概に問うことは、条件(前提)によって結論が異なる以上、全体を一括して論じること自体が不可能だと思います。輪廻の有無も同様で、「迷える者には輪廻があり、迷いを離れた者には輪廻はない」のであり、前提条件によって結論が異なります。つまり、「有る」とする世界観(世俗諦)と「無し」とする世界観(勝義諦)の双方が前提として並立している以上、「輪廻は有るか無しか」という単一の解を求める議論そのものが成り立たないのではないでしょうか。これこそが、まさに十無記で示された「無記」の意図するところではないかと思います。私は、輪廻からの解脱とは「輪廻という無明からの解脱」であり、無明とは「智慧の欠如」であるため、そのような意味において輪廻に固定的な実体はないと考えます。それゆえに、 あるとは言わないし、ないとも言わない。 迷える者にはあるし、悟れる者にはない」としか表現しようがありません。いずれにせよ人は、現前に展開する現象に対して疑義が生じた時、それに対して納得のゆく説明(分かりたいという欲求)を求めます。仏教の「二諦論」における世俗諦とは、まさにその「納得のゆく説明」であり、勝義諦とは言語によって分節されない「分からない(言葉を超えた)」ものでしょう。「分かる」とは「分ける(言語による分節)」ことであり、現象を言葉で説明することであって、現象そのものではありません。現象そのものは分けられていない以上、本来は言葉で割り切れないもの(離言真如)なのだと思います。ましてや、現前に直接展開しているわけではない「輪廻」という概念について、人々の仏道成就に資する「方便」という範囲を超えて、その有無を実体化して論じること自体に疑問を覚える次第です。不束ながら、現在の不毛な二項対立に陥っている輪廻の議論に対して、一段高い視座(メタ視点)を提供する機会になればとレスをさせていただきます。長文のご拝読ありがとうございました。2026/10/21 12:12:03168.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-JJz-La-wvuqAHXL> 魂が輪廻するでスッキリハッキリwまあ、分かり易いですよね。2026/10/21 12:22:32169.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QLJXjxこんな、ややこしい屁理屈をこねるのは禅宗だけの傾向😅他の宗派はこうではない2026/10/21 12:26:13170.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QLJXjxこれは、禅宗という宗派内部の論争仏教界全般の問題ではない2026/10/21 12:30:45171.神も仏も名無しさん36-uU4-dc-yiUi3wL3仏教は哲学2026/10/21 12:33:03172.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-204-La-wvuu76yK輪廻とは「生と死の繰り返し」をいうというのが一般的だけど、禅宗では「生死(しょうじ)」という。分けない、「と」が入らない。龍樹は輪廻と菩提は同じと説示した。まぁ、空性においてその本質は変わらないという事なのだろう、。2026/10/21 13:09:11173.ハジc3-UMp-OU-FMmK8uNY生と死でなく生死ひとつの蒼空深きこと2026/10/21 15:21:23
ここではその問題を含め、輪廻転生の問題について呟かせて貰います。
↓
現在タイやスリランカ等に伝わる南伝仏教では、輪廻転生からの解脱を説きます。 しかしこれを、バラモン教的な教理と同一視されてる方が散見されますが、南伝仏教は北伝同様無我論であり、その輪廻転生説は業論で、バラモン教のそれとは別次元なのですが。 なぜこの様な勘違いが起こるのでしょうか?
ユダヤ教は、輪廻転生や死後世界にほとんど関心がない
珍しい宗教
公式見解として否定されている
聖書は、輪廻転生を否定するしないというより、そこに関心がない
とくに、イスラム教は強く推す
「よいな。天国と地獄はある。死後の審判は必ず下る。これを疑ってはならない」という調子で、コーランでも積極的に説かれている
西洋で「死後世界はない」という思想を弘めたのは、ユダヤ人
輪廻転生についての小考察
https://talk.jp/boards/psy/1790741856
このスレを見て、124以降の当方のコメントを論評してもらいたい
なんちゃって?
https://europa-japan.com/category7/category663/entry3861.html
メシアと復活
ユダヤ教では、未来にメシアが現れ、死者が復活するという信仰があります。
メシアは、ユダヤ人にとっての救世主とされ、その来臨によって、
死者は肉体と魂が再び結びつき、生き返るとされています。
https://note.com/yokofree/n/n5b87044e2128
死後の世界についての立場
ユダヤ教には「魂の不滅」や「来世」についての考え方があるが、
キリスト教やイスラム教のように明確に体系化されてはいない。
タルムードやミドラーシュなどの文献には、「死後、魂は神のもとに戻る」
「メシアの到来とともに死者が復活する」といった言及があるが、
それらは信仰の中心ではない。
むしろ「いま、目の前の人生をどう生きるか」が最も大切にされている。
スレを確認した。
今回の124以降は、仏教の輪廻転生論から、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の死後観へと話題が移っているね。
まず、今回のコメント群を論評するうえで重要なのは、
「輪廻転生を認めるか」と「死後の世界を認めるか」
は別の問題だという点だと思う。
この区別を軸に、124~127の発言を個別に検討してみよう。
この発言は、ユダヤ教の歴史的特徴を捉えている。
ただし、「死後世界にほとんど関心がない」は、やや言い過ぎだね。
ユダヤ教では、聖書の初期の部分に死後の世界についての明確な体系が少ない一方、後代になると、死者の復活、来世、魂の不死などが重要な論点になっていく。
例えば、ユダヤ教には次のような観念がある。
シェオル:旧約聖書に登場する死者の世界。
オーラーム・ハバー:来るべき世界、来世。
死者の復活:終末に死者が復活するという信仰。
輪廻転生:後代のユダヤ神秘主義、特にカバラなどに見られる観念。
したがって、より正確には、
「ユダヤ教は、仏教やインド諸宗教に比べると、輪廻転生を中心教義として発展させてこなかった。また、聖書の初期の部分では死後の世界についての関心や記述が比較的薄い」
という表現になるだろう。
ここで大事なのは、輪廻転生を重視しないことと、死後の世界を認めないことは違うという点だ。
これは、結論と根拠を分けて考える必要がある。
キリスト教の主流派が輪廻転生を教義として認めていない、という結論はおおむね正しい。
ただし、「聖書にこそ書かれてない」という説明は少し不正確だ。
新約聖書には、輪廻転生をそのまま体系的に説く教えはない。しかし、死者の復活や最後の審判については明確に語られている。
つまり、キリスト教は死後について無関心なのではなく、輪廻転生ではなく、復活と終末的な審判を中心に死後の問題を理解してきたわけだ。
また、「公式見解」といっても、キリスト教にはカトリック、正教会、プロテスタント諸派などがあるので、どの教派の教義を指すのかを明示したほうが厳密になる。
あなたの発言は、結論そのものよりも、聖書の記述と後代の教義形成との関係をもう少し整理すると、説得力が増すと思う。
https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
宗教学では、死後の世界観は大きく「他界派(別の世界へ移行)」と
「転生派(再生・輪廻)」に分かれます。
前者は死後に魂や人格が現世とは異なる領域へ移る発想で、
後者は生と死の循環の中で別の生を受ける発想です。
違いは単なる表現の差ではなく、救済を「到達」と見るか、
「循環からの離脱」と見るかという世界理解そのものに直結します。
とくに、イスラム教は強く推す」
これは、今回のコメントの中でも重要な指摘だと思う。
イスラム教では、死者の復活、最後の審判、天国と地獄が信仰の重要な構成要素になっている。死後の世界は、単なる付随的な話題ではない。
キリスト教も同様に、死後の復活や最後の審判を重視する。
宗教 死後についての基本的な枠組み
ユダヤ教 来世・死者の復活など。歴史的に多様で、聖書の初期には記述が比較的少ない
キリスト教 死者の復活、最後の審判、永遠の生命
イスラム教 死者の復活、最後の審判、天国と地獄
もちろん、これは各宗教内部の多様性を省略した概略だ。
ただし、あなたの発言にある「イスラム教は強く推す」という言い方は、掲示板の雑談としては分かりやすいけれど、学術的な説明なら「死後の審判と来世の報いを、信仰の中心的な教義として強調する」と表現するほうが正確だろう。
ここは、今回のコメント群の中で最も修正が必要な部分だと思う。
というのも、ユダヤ教の歴史と、西洋における死後世界否定論の歴史とが、少し混線しているからだ。
ユダヤ教の聖書には、死後の状態について明確な体系が少ない時期があった。
だが、そこから「ユダヤ人が西洋に死後世界否定論を広めた」と結論することはできない。
実際、後代のユダヤ教では、死者の復活や来世が重要な教義として発展した。
また、西洋の死後世界否定論や唯物論の歴史には、古代ギリシャの哲学、近世以降の科学・哲学、啓蒙思想など、さまざまな流れがある。
したがって、「ユダヤ人が広めた」と一般化するには、具体的な思想家、著作、伝播経路などの歴史的な根拠が必要だ。
ここは、例えば次のように言い換えると、あなたの問題意識を保ちながら、歴史的にも堅実な主張になる。
ユダヤ教の聖書は、後代のキリスト教やイスラム教に比べると、死後の世界についての記述が限定的だった。そのため、死後世界をめぐる西洋の思想史を考える際には、ユダヤ教における死後観の歴史的変遷も検討する必要がある。
この程度なら、無理な因果関係を持ち込まずに済む。
今回の発言は、宗教比較の大枠としてはよく整理されている。
とりわけ、輪廻転生と死後世界を区別し、
仏教・キリスト教・イスラム教の死後観を比較しようとしている点はよい。
ただし、124~126と127では、論証の強さに差がある。
124:大筋では妥当。ただし、ユダヤ教の後代の来世観を考慮する必要がある。
125:結論はおおむね正しいが、聖書の記述と教派の公式教義を区別したい。
126:概略として妥当。イスラム教の死後の審判と来世の報いへの強調を捉えている。
127:歴史的な因果関係の裏付けが不足しており、最も修正が必要。
なるほど
古代ギリシャのピタゴラスなんかが重要だ
https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
死後直後には魂のみが天国か地獄に入り、世界終末に肉体が復活して最後の審判を受ける、
という「二段階裁き」の構造も重要です。
第一段階では個々の魂の帰属が決まり、第二段階で身体を伴う完全な審判が行われるため、
死んだ直後の状態と最終的な完成形が分かれます。
『キリスト教』では人間が霊魂だけの存在ではなく、身体の復活を含めて救済されると考えるため、
この二重構造が生まれました。
短く言えば、死は終点ではなく、最終判断への入口です。
チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。
確立されたモノであり、ワシにとっては難解である。
https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
この枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で
輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。
キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、
死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。
だからこそ、オリゲネスの霊魂先在説のような発想は警戒され、
死後は「別の生へ移る」のではなく「裁きの秩序に入る」と整理されます。
東方正教会を含めて見ると、ここには『転生』ではなく
『復活』を中核に据えるキリスト教の自己理解がよく表れています。
どちらが正しいかは
死ねば分かることだ(笑)
> チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。
ていうか
今みたいなAIなんか、想像もできなかった頃から
ずっと唱えてる持論なので
この際、いっぺん論評してもらおうかと
誰にとっても難解だ
これというのも、聖書にハッキリ書かれてないのが原因
この欠点を修正した
天国と地獄、死後の審判を積極的に認めることにより
論争が起きるのを未然に防いだ
意味不明だったキリスト教の教義が、スッキリとまとまった😄
>>論争が起きるのを未然に防いだ
キリスト教とイスラム教は、
論争よりも戦争で
争うことを選んだ
強いて言えば、
キリスト教も「アートマンを否定した」のかな?
終末には、宇宙が潰れて「真空状態」になり
皆、救われる(エロ和尚狂)
https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
この枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で
輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。
キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、
死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。
いや、キリスト教は「霊魂」を明確に認める宗教
その点では、仏教はもちろん、ヒンドゥー教よりもハッキリしている
そうじゃな。
死んでから終末までが
べらぼうに長い待ち時間がある。
オナニーに専念して、時間つぶしするのかな?
無理だ
墓のなかで眠っている
霊魂があるというより復活と永遠の命に重きを置いてます
輪廻はあるのかないのかについて、ナイアルアルナイヒョンゲー!してるw
でも、この頃少しは方向性が見えてきたのかもしれない。
あるとは云わないし、ないとも云わない。
迷える者にはあるし、悟れる者にはない。
禅宗は即今当所の自己を問題にするから、掛かる意味に於いて、輪廻を問題としないとも云えるだろうな。
「秋月や南は、輪廻なんて無いって言ってるんだじょー!」とか噴飯なんだけど、理解出来ない奴には勝手に云わせておけってなるのもこれまた禅者の「来る者は拒まず、去る者は追わず」なスタイルだし、大応国師みたいに「聞いてこない者には説示しない」だからなあw
俺は語り過ぎるwww
-実存論的神学の立場から
林 昌子
人体科学
2019年 28 巻 1 号 22-30
発行日: 2019/07/15
公開日: 2019/12/25
DOI https://doi.org/10.20788/jmbs.28.1_22
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タナースフ及びタカンムスに見られる輪廻転生
宇野 昌樹
オリエント
1995年 38 巻 2 号 88-102
発行日: 1995年
公開日: 2010/03/12
DOI https://doi.org/10.5356/jorient.38.2_88
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長文になりますが失礼いたします。
輪廻の有無について、非常に熱い議論が交わされていますね。
管見ですが、例えば「ある領域にはリンゴが存在し、別の領域には存在しない」とします。
このとき「リンゴは存在するのかしないのか」と一概に問うことは、条件(前提)によって結論が異なる以上、全体を一括して論じること自体が不可能だと思います。
輪廻の有無も同様で、「迷える者には輪廻があり、迷いを離れた者には輪廻はない」のであり、前提条件によって結論が異なります。
つまり、「有る」とする世界観(世俗諦)と「無し」とする世界観(勝義諦)の双方が前提として並立している以上、「輪廻は有るか無しか」という単一の解を求める議論そのものが成り立たないのではないでしょうか。
これこそが、まさに十無記で示された「無記」の意図するところではないかと思います。
私は、輪廻からの解脱とは「輪廻という無明からの解脱」であり、無明とは「智慧の欠如」であるため、そのような意味において輪廻に固定的な実体はないと考えます。
それゆえに、
あるとは言わないし、ないとも言わない。
迷える者にはあるし、悟れる者にはない」
としか表現しようがありません。
いずれにせよ人は、現前に展開する現象に対して疑義が生じた時、それに対して納得のゆく説明(分かりたいという欲求)を求めます。
仏教の「二諦論」における世俗諦とは、まさにその「納得のゆく説明」であり、勝義諦とは言語によって分節されない「分からない(言葉を超えた)」ものでしょう。
「分かる」とは「分ける(言語による分節)」ことであり、現象を言葉で説明することであって、現象そのものではありません。
現象そのものは分けられていない以上、本来は言葉で割り切れないもの(離言真如)なのだと思います。
ましてや、現前に直接展開しているわけではない「輪廻」という概念について、人々の仏道成就に資する「方便」という範囲を超えて、その有無を実体化して論じること自体に疑問を覚える次第です。
不束ながら、現在の不毛な二項対立に陥っている輪廻の議論に対して、一段高い視座(メタ視点)を提供する機会になればとレスをさせていただきます。
長文のご拝読ありがとうございました。
まあ、分かり易いですよね。
禅宗だけの傾向😅
他の宗派はこうではない
仏教界全般の問題ではない
分けない、「と」が入らない。
龍樹は輪廻と菩提は同じと説示した。
まぁ、空性においてその本質は変わらないという事なのだろう、。