【日蓮仏法】 トーク法華講 【立正安国】 第3講最終更新 2026/08/30 16:271.◆JBLfMwCXhYw69eQ日蓮大聖人の仏法を学びましょう※ 特定の信徒団体とは、一切関係ありません前スレTalk 法華講https://talk.jp/boards/psy/1745362437Talk 法華講 2https://talk.jp/boards/psy/17562915612026/03/15 19:44:11559コメント欄へ移動すべて|最新の50件510.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.5OvXg寺名 経王山 妙法寺(きょうおうざん みょうほうじ)宗派 日蓮宗徳治元年(1306年)日蓮聖人が御入滅されてから25年後風間公が日昭上人のためにご自分の敷地内に寺院を建立し、寄進されたのが妙法寺のはじまりです。当山は、日蓮聖人の一番弟子日昭聖人が住まわれ布教された唯一の古刹であることから、平成9年に日蓮宗の宗門史跡に認定されました。https://i.imgur.com/DYUcdoa.jpeghttps://i.imgur.com/KuD62yg.jpeghttps://myouhouji.jp/2026/08/11 09:41:49511.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.5OvXg妙法寺 浄心道場https://youtu.be/YW-oqkuBCu0?si=jVjWvRTLL24Lt2Aw2026/08/11 18:28:14512.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.mfb9bhttps://i.imgur.com/BUPBX24.jpeghttps://i.imgur.com/sKM8ZsC.jpeghttps://i.imgur.com/WsDKMrA.jpeg2026/08/11 19:43:57513.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.mfb9b室内画像はホームページからhttps://i.imgur.com/trTqCOK.jpeg2026/08/11 19:45:23514.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.mfb9b五大檀越①富木常忍…下総若宮の領主。最大の外護者。主要遺文の対告衆であった。遺文の蒐集に努めた。②四条金吾…聖人に最も愛された信徒。典型的な鎌倉武士、直情径行、聖人に尽くした。③南条時光…駿河上野郷の領主。「上野殿}と呼ばれる。駿河を代表する外護者。④池上宗仲…武蔵国池上郷の地頭。弟の宗長と共に帰依。臨終の時の邸宅。⑤波木井実長…甲斐源氏南部氏の出。甲斐波木井郷の領主(の三男)。身延全山を寄進。その他船守弥三郎夫妻(伊豆)阿仏坊・千日尼夫妻(佐渡)、工藤吉隆(安房)、大田乗明(下総)、曽谷教信(下総)、日妙聖人親子(鎌倉)、比企大学三郎(鎌倉)、領家の新尼(安房)2026/08/11 19:56:44515.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.mfb9b祖廟輪番奉仕とは祖廟輪番奉仕(給仕)とは、日蓮聖人のご遺命により身延に建てられた御廟を、六老僧がひと月毎に交替で護持したことにはじまりました。日蓮宗宗憲第73条に「住職、担任又は教導である僧侶は、六老僧の芳躅に遵い祖廟に輪番給仕するものとする」、第78条に「檀信徒は祖師直檀の芳躅に遵い、祖廟に参拝奉仕するものとする」と規定されているように、祖廟輪番奉仕は日蓮宗寺院檀信徒にとって大事なつとめとなっております。2026/08/11 20:17:08516.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.mfb9b起源と歴史六老僧の交替護持:日蓮聖人の入滅後、直弟子である六人の老僧が交代で身延の御廟に仕え、給仕したのが始まりです。現代の制度:昭和33年(1958年)に再興され、日蓮宗の宗憲にも僧侶や檀信徒の務めとして規定されています。門流の展開と変遷: のちに日興門流(富士門流)は身延山の久遠寺側との見解の相違(身延離山)などから独自に発展しましたが、日蓮聖人への報恩謝徳という根本の給仕・供養の精神は、各山(身延山や富士門流の北山本門寺など)の法務や参拝行事のなかに形を変えて息づいています。2026/08/11 20:19:27517.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.nEZN8身延山祖廟そばにある六老僧供養塔左から弁阿闍梨日昭上人、大国阿闍梨日朗上人、佐渡阿闍梨日向上人、白蓮阿闍梨日興上人、伊与阿闍梨日頂上人、蓮華阿闍梨日持上人https://i.imgur.com/J3J9dpc.jpeg2026/08/12 02:28:02518.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.CmUZH日蓮滅後にあやふやになった祖廟輪番奉仕は、今現在、実行されている。問う日蓮直結とは。https://i.imgur.com/SNbts7P.jpeg2026/08/12 11:30:44519.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.VibdN南部氏https://youtu.be/WHv6658wbRc?si=tgYPQ0HKFnaHdNad2026/08/13 01:14:51520.◆JBLfMwCXhYKeXoyすごい歴史だな?2026/08/13 20:36:46521.神も仏も名無しさんJX62S明治までの江戸時代末期の日蓮宗に統合される前の日蓮宗、当時は法華宗だが内部分派の本山があると聞く関心薄いだがバルタン氏教えてけろー2026/08/13 20:57:43522.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.SyVGf「しかるに、日蓮は、いずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無戒の僧、有智・無智にもはずれたる牛羊のごとくなる者なり。いかにしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を、先立って、ねごとのように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候いしほどに唱うるなり。詮ずるところ、よきことにや候らん、また悪しきことにや侍るらん、我もしらず、人もわきまえがたきか。」意訳日蓮は自分が独自の教えを作った「宗祖」ではなく、あくまでお釈迦様(釈尊)の教えの根幹である『法華経』の題目(南無妙法蓮華経)を弘める使者にすぎない。『妙密上人御消息』 建治2年(ʼ76)閏3月5日 55歳 妙密2026/08/13 21:38:56523.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.SyVGf日蓮宗の総本山と主な大本山総本山身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)七大本山誕生寺(千葉県鴨川市)清澄寺(千葉県鴨川市)中山法華経寺(千葉県市川市)北山本門寺(静岡県富士宮市)池上本門寺(東京都大田区)妙顕寺(京都府京都市上京区)本圀寺(京都府京都市山科区)2026/08/13 21:42:04524.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.SyVGf主な分派・独立宗派とその本山日蓮正宗:総本山 大石寺(静岡県富士宮市)日蓮本宗:総本山 多宝富士山 要法寺(京都市左京区)法華宗(本門流):総本山 藻原寺(千葉県茂原市)法華宗(陣門流):総本山 本圀寺から独立(※本能寺など)顕本法華宗:総本山 妙満寺(京都市左京区)本門法華宗:大本山 妙蓮寺(京都市上京区)2026/08/13 21:44:46525.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.SyVGf天皇公認・勅願となった主な日蓮宗寺院妙顕寺(京都府京都市)特徴: 1321年に日蓮の孫弟子である日像上人が創建し、1334年に後醍醐天皇より法華経布教の勅旨(綸旨)を賜った、日蓮宗で最初の公認・勅願寺。本圀寺(京都府京都市)特徴: 妙顕寺と同様に、後醍醐天皇など歴代天皇の綸旨を受け、国家安穏を祈る根本道場として公認された日蓮宗の大本山(旧・六条門流の総本山)。2026/08/13 21:47:52526.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.SyVGf日蓮が「立正安国論」を鎌倉幕府・最明寺入道北条時頼に進呈した時、「天台沙門」と称した。日蓮は終生、「従来とは異なる自らが創案した独自の宗名」を名乗ることはなかった。日蓮が「独自の宗名」を弟子・檀越に示した真蹟・真蹟曽存遺文は見当たらない。当時もそれからも、日蓮の一弟子・六人の共通認識としての「宗名」はなかった。鎌倉後期から南北朝期、日蓮孫弟子の活動する頃になって「法華宗」との名乗りが一般的となった。参考https://buddhist-study.jimdofree.com/%E4%BA%94%E8%80%81%E5%83%A7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B-%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E6%B2%99%E9%96%80-%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%90%8D%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%81%AF%E8%AC%97%E6%B3%95%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E5%B8%AB%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/2026/08/13 22:05:50527.神も仏も名無しさんRWUfl明治以前の日蓮宗自体の構造はもっと複雑だったらしい曹洞宗は明治で永平寺總持寺の二つを二大大本山として統合されたが本来は別々の血筋だったらしい日蓮宗内部にて曹洞宗よりも多くの内部血筋が分かれていたらしい日蓮宗内部全部が久遠寺の管轄というわけでもなく日蓮宗分派になっていたらしいその辺を俺は調べてない日蓮宗世界に満足してしまい、江戸時代末期の構造まで探求してない😅2026/08/14 07:31:34528.神も仏も名無しさんRWUfl六老僧から分派したり、まとまったりしたりして江戸時代初期にはどれだけ内部分派があり、どの寺が有力本山であったのか?という謎が残る😀2026/08/14 07:33:24529.神も仏も名無しさんRWUfl例えば、浄土宗知恩院派の内部でも明治以前だと、白旗派とか、名越派とかあったらしい😀2026/08/14 07:34:25530.神も仏も名無しさんRWUfl明治以前の浄土宗知恩院派、日蓮宗の内部分派のリサーチはなおざりだそっちよりもキリスト教に走り気味だ😀2026/08/14 07:35:24531.神も仏も名無しさんRWUfl浄土宗知恩院派の僧侶でも成田不動尊の有名な僧侶だったりする明治以前は謎のままだ😀2026/08/14 07:36:44532.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.X4gRC臨済宗・白隠筆 「南無妙法蓮華経」https://i.imgur.com/4ycTBov.jpeg2026/08/14 08:30:16533.神も仏も名無しさんRWUflAIで簡単に出てくるじゃないかー😀明治以前(江戸時代まで)の日蓮宗は、高弟たちやその後の展開による「門流(もんりゅう)」と呼ばれる多くの流派に分かれており、それぞれに独自の中心的な本山が存在していました。明治11年(1878年)の布令や昭和16年(1941年)の三派合同を経て現在の「日蓮宗」に統合・整理される前は、主に次のような門流と本山が並立していました。 身延門流(久遠寺派)総本山:身延山久遠寺(山梨県)特徴:日蓮が晩年を過ごした最重要の聖地。全門流のなかでも中心的な位置づけにありました。 富士門流(日興門流)本山:北山本門寺(静岡県)、上山本門寺(静岡県)、西山本門寺(静岡県)、小泉久遠寺(静岡県)、重須本門寺(静岡県)など特徴:日蓮の高弟・日興が開き、のちに日目やその系統が継承した流派(現在の幾つかの日蓮正宗系や本門宗系の母体)。池上門流(日朗門流)大本山:池上本門寺(東京都)本山:比企谷妙本寺(神奈川県)など特徴:日蓮入滅の地である池上を本拠地とし、関東を中心に栄えました。 中山門流(日常門流)大本山:正中山法華経寺(千葉県)特徴:下総国(千葉県北部)を基盤とした有力な門流です。 六条門流(日像門流)大本山:大光山本圀寺(京都府)特徴:京都布教の祖である日像が開き、洛中における中心的な寺院の一つでした。 妙顕寺門流(日像門流系)大本山:具足山妙顕寺(京都府)特徴:京都における最初の法華題目堂として栄えた名刹です。 什師門流(日什門流・のちの顕本法華宗)本山:法花山本興寺(京都府・兵庫県)、妙国寺(福島県会津若松市)など特徴:天台宗から改宗した日什を祖とし、教義の勝劣(法華経勝者)を厳格に主張した流派です。 隆師門流(日隆門流・のちの法華宗本門流)大本山:本能寺(京都府)、本興寺(兵庫県)、光長寺(静岡県)、鷲山寺(千葉県)特徴:日隆を派祖とし、「本能寺の変」でも知られる京都の本能寺などを本山としました。2026/08/14 08:45:22534.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.9uarB南無一乗妙法蓮華経2026/08/17 09:33:21535.◆JBLfMwCXhYQJRgf白隠も法華経信仰してたんだな2026/08/19 08:34:24536.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Ym95L祖廟輪番奉仕団(そびょうりんばんほうしだん)とは、身延山久遠寺(山梨県)の御廟所において、日蓮聖人の墓前にお線香やまごころをお供えして参拝・給仕を行う日蓮宗の奉仕団です。祖廟輪番奉仕の概要由来: 日蓮聖人のご遺命により、直弟子の六老僧が交替して御廟所をお守りしたことに由来します。主な活動: 寺院単位(僧侶と檀信徒)または久遠寺の主催などで奉仕団を構成し、参拝や法要(輪番委託式法要など)に臨みます。参加方法: 原則として寺院を通じて申し込むほか、総本山主催の一般向け募集(例:定員50名、参加費3,500円など)が行われることもあります。2026/08/26 09:19:39537.◆JBLfMwCXhYGaDT6834 夕 2026/08/27(木) 09:09:57.75 ID:a62Nq日蓮は神道を否定しているか日興が身延離山の心情を綴った「原殿御返事」の文中では、「守護の善神此の国を捨去すと云ふ事は不審未だ晴れず候。其の故は鎌倉に御座候御弟子は諸神此の国を守り給ふ、尤も参詣す可く候。身延山の御弟子は堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらる」(日蓮宗宗学全書[以下、宗全]2 P170)とあって、鎌倉の弟子の日昭・日朗らは諸々の神が日本国を守護するのであるから神社参詣を「可」としたこと。身延山の弟子・日興らは、守護の善神は天上に去りこの国にはいないという神天上を説いて、神社参詣を「不可」としたことが示されています。🟦「原殿御返事」該当箇所の現代語訳● 原文(要点)「守護の善神がこの国を捨て去ったということは、どうも疑問が晴れません。その理由は、鎌倉にいる御弟子たちは『諸神はこの国を守っている。ゆえに神社参詣すべきである』と言っている。しかし、身延山の御弟子たちは『守護神はこの国にいない』と強く主張しているからです。」🟩 現代語訳(自然な文章)「守護の善神が日本国を捨てて天に帰ったという説については、まだ疑問が残っています。というのも、鎌倉にいる弟子たちは『諸々の神々は今も日本を守護している。だから神社参詣は当然すべきだ』と考えているからです。一方で、身延山にいる弟子たちは『守護神はすでにこの国を離れ、今は存在しない』と強く主張しており、神社参詣を認めていません。この二つの意見が食い違っているため、私としても判断がつかず、疑念が晴れないのです。」2026/08/27 12:45:29538.◆JBLfMwCXhYGaDT6835 夕 2026/08/27(木) 09:10:09.69 ID:a62Nq● 鎌倉門流の立場日昭・日朗らは「神仏習合」の伝統を重視善神は法華経を守護するよって神社参詣は「可」神は“今も日本にいる”という立場● 身延門流(日興)の立場末法の日本では正法が失われた善神は法味に飢えて天に帰る(神天上)神社は“神のいない場所”よって神社参詣は「不可」● 日蓮自身の立場日蓮は「神天上」を説くが、神道そのものを否定したわけではない神仏習合の枠内で、神は法華経の守護者という理解弟子たちの解釈が分裂したため、日蓮自身も「不審未だ晴れず」と述べている2026/08/27 12:46:19539.◆JBLfMwCXhYGaDT6>>538こうしてみると日蓮正宗/創価学会が不寛容なのがよく分かる2026/08/27 12:46:56540.◆JBLfMwCXhYGaDT6これほど神道を否定する宗派は、他にない2026/08/27 12:47:36541.◆JBLfMwCXhYGaDT6だから、池田大作はあんなに反日っぽいのか😫2026/08/27 12:47:59542.◆JBLfMwCXhYGaDT6六老僧は横並びというけれど日朗が実質トップだな2026/08/27 13:05:47543.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Dmkm0法華経自体は「一切衆生悉有仏性(すべての人が仏になれる)」や、他を排斥しない寛容な精神を説いている側面もあります。そのため、特定の他宗派を「無間地獄に落ちる」「国を滅ぼす」と決めつけて激しく攻撃する四箇格言は、仏教が本来説く慈悲や和合の精神、さらには法華経の包摂的な教えの精神に反しているのではないかという批判や疑問が持たれています。2026/08/27 23:24:09544.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Dmkm0>>5381271年(文永8年)9月12日、日蓮が竜口の刑場へ護送される途中、鶴岡八幡宮の前で馬から降り、八幡大菩薩に対して仏法守護の怠慢を強く直言した「社頭諫暁(しゃとうかんぎょう)」の舞台として知られています。2026/08/27 23:29:12545.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Dmkm0竜口法難と鶴岡八幡宮の関連事件の背景: 1271年9月12日の深夜、幕府から弾圧を受けた日蓮は、処刑場である佐渡流罪(正確には竜口での斬首未遂)へ向けて護送されていました。八幡大菩薩への叱責: 鶴岡八幡宮の前にさしかかった際、日蓮は護送の武士に馬を止めさせました。そして、「日本第一の法華経の行者である自分を幕府が不当に罰するのを見過ごすなら、神である八幡大菩薩は本当に仏法を守る神といえるのか」と強く訴えかけたと伝えられています。下馬の碑: 現在も鎌倉の若宮大路周辺(下馬四ツ角付近)には、日蓮がここで下馬して神仏に詰め寄ったとされる伝承を伝える史跡碑が残されています。2026/08/27 23:30:37546.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Dmkm0而るを安房の国東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、 其の故は天照太神跡を垂れ給へり、昔は伊勢の国に跡を垂れさせ 給いてこそありしかども、 国王は八幡加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かり しかば、太神瞋りおぼせし時源右将軍と申せし人御起請文をもつて、あをかの小大夫に仰せつけて頂戴し伊勢の外宮に しのびをさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に 日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、 此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、 されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず安房の国 東条の郡にすませ給うか、例えば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は 山城の国男山に移り給い、今は相州鎌倉鶴が岡に栖み給う これもかくのごとし。「新尼御前御返事」文永十二年二月 五十四歳御作2026/08/27 23:41:33547.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.Dmkm0(訳)安房の国・東条の郷は、地図の上では辺境の国ですが、 内容からいえば日本国の中心のような所です。 なぜなら、 天照太神がお住みになっていらっしゃる所だからです。 天照太神は、昔は伊勢の国に住んでおいでになったのですが、 国王が八幡や加茂の神々ばかりを尊崇して、天照太神への御帰依が浅かったものですから、太神は不快にお思いに なっていらっしゃった―― その時、源の右大将頼朝という人が、ご起請文を記して 会加(あおか)の小大夫に命令して天照太神を奉戴 (ほうたい)し、伊勢の外宮に安置なさったものですから、太神の御心に かなったのでしょう、 頼朝は日本国を統治する将軍となりました。 その頼朝が、安房の国・東条の郡を天照太神の御栖 (おんすみか)とお定めになったのです。だから、この太神は、今は伊勢の国にはおいでに ならないで、東条の郷におすみになっていらっしゃる はずです。 たとえば、八幡大菩薩は、昔は筑前の太宰府においでに なりましたが、中ごろは山城の国・男山に移られ、 今は相模の国・鎌倉の鶴が岡に住んでいらっしゃいます。天照太神も同様なのです。2026/08/27 23:43:48548.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.vTpun身延山https://youtu.be/leZImGO5nZE?si=0HQ0SBSW0DOqgAKh2026/08/29 06:29:38549.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.qKkVx日興上人の事、八幡の社壇を重須に建立あり、内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云、今の義にあらず、天下一同に法華経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云、大隅の八幡宮の石の文には昔は霊山にありて法華経を説き、今は正宮に有りて大菩薩と現すと八幡の御自筆有り、釈迦仏の垂迹にて在すが故なり云云、所詮朽木書とは手本という意なり。日有上人化儀抄https://www.mitene.or.jp/~hokkekou/kegisyou2.html2026/08/29 09:25:48550.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.qKkVx日興自身が重須(現・北山本門寺)に神宮を建立したことは、大石寺9世日有も認めている。2026/08/29 09:29:32551.夕Ef2qA二仏並座とは、釈迦如来と多宝如来が並んで座る姿を表す仏教用語です。概要二仏並座(にぶつびょうざ)は、法華経「見宝塔品」第11に由来する概念で、釈迦如来と多宝如来が並んで座る場面を指します 。釈迦如来は悟りを開いた存在であり、多宝如来はその悟りの真実性を証明する役割を持ちます。日蓮宗の御本尊でもこの形態が採用されており、釈迦如来と多宝如来の関係は、組織における「首長と議会」のように、行動の推進と正当性の確認という象徴的意味を持ちます 。歴史的背景二仏並座像は**北魏時代(5世紀後半)**の雲崗石窟に初期例が見られ、日本でも奈良の長谷寺に伝わる「銅板法華説法図」などで表現されています 。通常は結跏趺坐(けっかふざ)の姿で並べられますが、半跏の姿で左右逆に配置される例もあります。日本の長谷寺の銅板では、三重塔の初段中央に二仏並座が描かれ、左に多宝仏、右に釈尊が座る構図となっています 。宗教的意義釈迦如来:悟りを開き、世の真理を示す存在多宝如来:釈迦如来の悟りを証明し、教えの正当性を保証する存在この二仏の並座は、仏法の教えの普遍性と正当性を象徴し、信仰者に悟りの道を示す重要な意味を持ちます2026/08/29 13:09:52552.神も仏も名無しさんT5AVU>>550だろうね当時の日本仏教の多数派らしい発想、明治以降の日本人にはわからなくなった😀2026/08/29 14:25:32553.◆JBLfMwCXhY10W6W319 法介◆T3azX0Hk1U 2026/08/29(土) 10:57:43.19 ID:6TF2Y日蓮さんは『一念三千法門』で次のように言われております。「此の一念三千一心三観の法門は法華経の一の巻の十如是より起れり、文の心は百界千如三千世間云云、さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界・皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即・報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相・是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界・皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即・応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身・般若・解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。」2026/08/30 06:39:39554.◆JBLfMwCXhY10W6W320 チャッピー 2026/08/29(土) 11:01:01.14 ID:6TF2Yまず大事なのは、一念三千・一心三観という法門が、『法華経』方便品の「十如是」から起こっている、ということですね。2026/08/30 06:40:03555.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.MXB4p開経偈無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い奉ること難し我今見聞し、受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん至極の大乗、思議すべからず見聞触知、皆菩提に近づく能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は、即ち是れ応身なり無量の功徳、皆この経に集まれり是故に自在に冥に薫じ密に益す有智無智罪を滅し善を生ず若しは信、若しは謗、共に仏道を成ぜん三世の諸仏、甚深の妙典なり生々世々、値遇し頂戴せん2026/08/30 08:29:31556.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.RozVy仏法における「文証」の立て方は、経文(釈尊の経水・根本の経典)を先とし、章疏(天台・妙楽などの解釈書や論師の伝記・日蓮の御書)を後とするのが正しい順序です。2026/08/30 16:01:41557.(V)o¥o(V)◆HXzu/Ofdwtq.RozVy「天台大師の云く「修多羅と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず」文、釈の意は経文に明(あきらか)ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり」『聖愚問答抄』天台大師は「経典と合うものは記録してこれを用いよ。経典に文がなく義のない説は信受すべきではない」といっている。この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。2026/08/30 16:12:02558.神も仏も名無しさんy1yq4かなり無理してるな日蓮😅神仏習合時代の匂いをプンプンさせてるしなー神仏習合時代の世界観と末法思想だろしなー伝教偽書の山盛りの時代だしな😅2026/08/30 16:24:36559.神も仏も名無しさんy1yq4日蓮時代の神仏習合文書から麗気記【読み下し文】ソタラン云はく【現代語訳】最澄が言うソタラン、『聞書』に「伝教大師の御称ト云々。最澄也」とある。【読み下し文】「釈に云はく『此、究竟を観ずるを妙覚(みょうかく)と名づく。猶、寂光(じゃっこう)の妙土に居て、無明所感の土には非ず。万法、悉く法性(ほっしょう)を出でざるが故に、三土即ち寂光也』【現代語訳】「ある注釈に言う『究竟を観ずることを、妙覚と名付ける。それはまるで寂光浄土にいるようであり、智慧の無い者が認識できる世界ではない。法性の領域から出るものは何もない。よって四種の浄土のうち、寂光浄土を除く他の三種の浄土も、やはり寂光浄土に含まれるのである。』中国天台宗の事実上の開祖である天台大師・智顗(538-598)は、国土を次の四種に分類し、「四土」説を説きました。四土とは、「凡聖同居土(ぼんしようどうごど)、方便有余土(ほうべんうよど)、実報無障碍土(じっぽうむしょうげど)、常寂光土(じょうじゃくこうど)です。凡聖同居土とは、凡夫も如来もともに住む国土。方便有余土とは、小乗の高位の聖者が住む国土。実報無障礙土とは、高位の菩薩が住む国土。常寂光土とは、如来が住む国土です。【読み下し文】釈に云はく『豈(あ)に伽耶(かや)を離れて別に常寂(じょうじゃく)を求めんや。寂光の外に別して娑婆有るに非ず』故に和光同塵(わこうどうじん)は穢土(えど)に居て衆生を利す。内証、全く寂光の本土を動ぜず」【現代語訳】ある注釈に言われる『どうして、成道の地ブッダガヤを離れて、他に悟りを求める必要があろうか。悟りの世界と別に、この現実世界があるのではない』故に、仏や菩薩は、日本の神として現われ、この不浄なる世界で私たちに利益を与えているけれども、その覚りの心が寂光浄土を離れることは全くない」2026/08/30 16:27:17
※ 特定の信徒団体とは、一切関係ありません
前スレ
Talk 法華講
https://talk.jp/boards/psy/1745362437
Talk 法華講 2
https://talk.jp/boards/psy/1756291561
(きょうおうざん みょうほうじ)
宗派 日蓮宗
徳治元年(1306年)日蓮聖人が御入滅されてから25年後風間公が日昭上人のためにご自分の敷地内に寺院を建立し、寄進されたのが妙法寺のはじまりです。
当山は、日蓮聖人の一番弟子日昭聖人が住まわれ布教された唯一の古刹であることから、平成9年に日蓮宗の宗門史跡に認定されました。
https://i.imgur.com/DYUcdoa.jpeg
https://i.imgur.com/KuD62yg.jpeg
https://myouhouji.jp/
https://youtu.be/YW-oqkuBCu0?si=jVjWvRTLL24Lt2Aw
https://i.imgur.com/BUPBX24.jpeg
https://i.imgur.com/sKM8ZsC.jpeg
https://i.imgur.com/WsDKMrA.jpeg
https://i.imgur.com/trTqCOK.jpeg
①富木常忍…下総若宮の領主。最大の外護者。主要遺文の対告衆であった。遺文の蒐集に努めた。
②四条金吾…聖人に最も愛された信徒。典型的な鎌倉武士、直情径行、聖人に尽くした。
③南条時光…駿河上野郷の領主。「上野殿}と呼ばれる。駿河を代表する外護者。
④池上宗仲…武蔵国池上郷の地頭。弟の宗長と共に帰依。臨終の時の邸宅。
⑤波木井実長…甲斐源氏南部氏の出。甲斐波木井郷の領主(の三男)。身延全山を寄進。
その他
船守弥三郎夫妻(伊豆)
阿仏坊・千日尼夫妻(佐渡)、
工藤吉隆(安房)、
大田乗明(下総)、
曽谷教信(下総)、
日妙聖人親子(鎌倉)、
比企大学三郎(鎌倉)、
領家の新尼(安房)
祖廟輪番奉仕(給仕)とは、日蓮聖人のご遺命により身延に建てられた御廟を、六老僧がひと月毎に交替で護持したことにはじまりました。
日蓮宗宗憲第73条に「住職、担任又は教導である僧侶は、六老僧の芳躅に遵い祖廟に輪番給仕するものとする」、第78条に「檀信徒は祖師直檀の芳躅に遵い、祖廟に参拝奉仕するものとする」と規定されているように、祖廟輪番奉仕は日蓮宗寺院檀信徒にとって大事なつとめとなっております。
六老僧の交替護持:日蓮聖人の入滅後、直弟子である六人の老僧が交代で身延の御廟に仕え、給仕したのが始まりです。
現代の制度:昭和33年(1958年)に再興され、日蓮宗の宗憲にも僧侶や檀信徒の務めとして規定されています。
門流の展開と変遷: のちに日興門流(富士門流)は身延山の久遠寺側との見解の相違(身延離山)などから独自に発展しましたが、日蓮聖人への報恩謝徳という根本の給仕・供養の精神は、各山(身延山や富士門流の北山本門寺など)の法務や参拝行事のなかに形を変えて息づいています。
左から
弁阿闍梨日昭上人、大国阿闍梨日朗上人、佐渡阿闍梨日向上人、白蓮阿闍梨日興上人、伊与阿闍梨日頂上人、蓮華阿闍梨日持上人
https://i.imgur.com/J3J9dpc.jpeg
問う日蓮直結とは。
https://i.imgur.com/SNbts7P.jpeg
https://youtu.be/WHv6658wbRc?si=tgYPQ0HKFnaHdNad
日蓮宗、当時は法華宗だが
内部分派の本山があると聞く
関心薄いだが
バルタン氏
教えてけろー
意訳
日蓮は自分が独自の教えを作った「宗祖」ではなく、あくまでお釈迦様(釈尊)の教えの根幹である『法華経』の題目(南無妙法蓮華経)を弘める使者にすぎない。
『妙密上人御消息』
建治2年(ʼ76)閏3月5日 55歳 妙密
総本山
身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)
七大本山
誕生寺(千葉県鴨川市)
清澄寺(千葉県鴨川市)
中山法華経寺(千葉県市川市)
北山本門寺(静岡県富士宮市)
池上本門寺(東京都大田区)
妙顕寺(京都府京都市上京区)
本圀寺(京都府京都市山科区)
日蓮正宗:総本山 大石寺(静岡県富士宮市)
日蓮本宗:総本山 多宝富士山 要法寺(京都市左京区)
法華宗(本門流):総本山 藻原寺(千葉県茂原市)
法華宗(陣門流):総本山 本圀寺から独立(※本能寺など)
顕本法華宗:総本山 妙満寺(京都市左京区)
本門法華宗:大本山 妙蓮寺(京都市上京区)
妙顕寺(京都府京都市)
特徴: 1321年に日蓮の孫弟子である日像上人が創建し、1334年に後醍醐天皇より法華経布教の勅旨(綸旨)を賜った、日蓮宗で最初の公認・勅願寺。
本圀寺(京都府京都市)
特徴: 妙顕寺と同様に、後醍醐天皇など歴代天皇の綸旨を受け、国家安穏を祈る根本道場として公認された日蓮宗の大本山(旧・六条門流の総本山)。
日蓮は終生、「従来とは異なる自らが創案した独自の宗名」を名乗ることはなかった。
日蓮が「独自の宗名」を弟子・檀越に示した真蹟・真蹟曽存遺文は見当たらない。
当時もそれからも、日蓮の一弟子・六人の共通認識としての「宗名」はなかった。
鎌倉後期から南北朝期、日蓮孫弟子の活動する頃になって「法華宗」との名乗りが一般的となった。
参考
https://buddhist-study.jimdofree.com/%E4%BA%94%E8%80%81%E5%83%A7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B-%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E6%B2%99%E9%96%80-%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%90%8D%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%81%AF%E8%AC%97%E6%B3%95%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E5%B8%AB%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/
もっと複雑だったらしい
曹洞宗は明治で永平寺總持寺の
二つを二大大本山として統合されたが
本来は別々の血筋だったらしい
日蓮宗内部にて
曹洞宗よりも多くの内部血筋が分かれていたらしい
日蓮宗内部全部が久遠寺の管轄というわけでもなく日蓮宗分派になっていたらしい
その辺を俺は調べてない
日蓮宗世界に満足してしまい、江戸時代末期の構造まで探求してない
😅
分派したり、まとまったりしたりして
江戸時代初期にはどれだけ内部分派があり、どの寺が有力本山であったのか?
という謎が残る
😀
明治以前だと、白旗派とか、名越派とかあったらしい
😀
浄土宗知恩院派、日蓮宗の内部分派の
リサーチはなおざりだ
そっちよりも
キリスト教に走り気味だ
😀
成田不動尊の有名な僧侶だったりする
明治以前は謎のままだ
😀
https://i.imgur.com/4ycTBov.jpeg
😀
明治以前(江戸時代まで)の日蓮宗は、高弟たちやその後の展開による「門流(もんりゅう)」と呼ばれる多くの流派に分かれており、それぞれに独自の中心的な本山が存在していました。明治11年(1878年)の布令や昭和16年(1941年)の三派合同を経て現在の「日蓮宗」に統合・整理される前は、主に次のような門流と本山が並立していました。 身延門流(久遠寺派)総本山:身延山久遠寺(山梨県)特徴:日蓮が晩年を過ごした最重要の聖地。全門流のなかでも中心的な位置づけにありました。 富士門流(日興門流)本山:北山本門寺(静岡県)、上山本門寺(静岡県)、西山本門寺(静岡県)、小泉久遠寺(静岡県)、重須本門寺(静岡県)など特徴:日蓮の高弟・日興が開き、のちに日目やその系統が継承した流派(現在の幾つかの日蓮正宗系や本門宗系の母体)。池上門流(日朗門流)大本山:池上本門寺(東京都)本山:比企谷妙本寺(神奈川県)など特徴:日蓮入滅の地である池上を本拠地とし、関東を中心に栄えました。 中山門流(日常門流)大本山:正中山法華経寺(千葉県)特徴:下総国(千葉県北部)を基盤とした有力な門流です。 六条門流(日像門流)大本山:大光山本圀寺(京都府)特徴:京都布教の祖である日像が開き、洛中における中心的な寺院の一つでした。 妙顕寺門流(日像門流系)大本山:具足山妙顕寺(京都府)特徴:京都における最初の法華題目堂として栄えた名刹です。 什師門流(日什門流・のちの顕本法華宗)本山:法花山本興寺(京都府・兵庫県)、妙国寺(福島県会津若松市)など特徴:天台宗から改宗した日什を祖とし、教義の勝劣(法華経勝者)を厳格に主張した流派です。 隆師門流(日隆門流・のちの法華宗本門流)大本山:本能寺(京都府)、本興寺(兵庫県)、光長寺(静岡県)、鷲山寺(千葉県)特徴:日隆を派祖とし、「本能寺の変」でも知られる京都の本能寺などを本山としました。
祖廟輪番奉仕の概要
由来: 日蓮聖人のご遺命により、直弟子の六老僧が交替して御廟所をお守りしたことに由来します。
主な活動: 寺院単位(僧侶と檀信徒)または久遠寺の主催などで奉仕団を構成し、参拝や法要(輪番委託式法要など)に臨みます。
参加方法: 原則として寺院を通じて申し込むほか、総本山主催の一般向け募集(例:定員50名、参加費3,500円など)が行われることもあります。
日蓮は神道を否定しているか
日興が身延離山の心情を綴った「原殿御返事」の文中では、「守護の善神此の国を捨去すと云ふ事は不審未だ晴れず候。其の故は鎌倉に御座候御弟子は諸神此の国を守り給ふ、尤も参詣す可く候。身延山の御弟子は堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらる」(日蓮宗宗学全書[以下、宗全]2 P170)とあって、鎌倉の弟子の日昭・日朗らは諸々の神が日本国を守護するのであるから神社参詣を「可」としたこと。身延山の弟子・日興らは、守護の善神は天上に去りこの国にはいないという神天上を説いて、神社参詣を「不可」としたことが示されています。
🟦「原殿御返事」該当箇所の現代語訳
● 原文(要点)
「守護の善神がこの国を捨て去ったということは、どうも疑問が晴れません。
その理由は、鎌倉にいる御弟子たちは『諸神はこの国を守っている。ゆえに神社参詣すべきである』と言っている。
しかし、身延山の御弟子たちは『守護神はこの国にいない』と強く主張しているからです。」
🟩 現代語訳(自然な文章)
「守護の善神が日本国を捨てて天に帰ったという説については、まだ疑問が残っています。
というのも、鎌倉にいる弟子たちは『諸々の神々は今も日本を守護している。だから神社参詣は当然すべきだ』と考えているからです。
一方で、身延山にいる弟子たちは『守護神はすでにこの国を離れ、今は存在しない』と強く主張しており、神社参詣を認めていません。
この二つの意見が食い違っているため、私としても判断がつかず、疑念が晴れないのです。」
● 鎌倉門流の立場
日昭・日朗らは「神仏習合」の伝統を重視
善神は法華経を守護する
よって神社参詣は「可」
神は“今も日本にいる”という立場
● 身延門流(日興)の立場
末法の日本では正法が失われた
善神は法味に飢えて天に帰る(神天上)
神社は“神のいない場所”
よって神社参詣は「不可」
● 日蓮自身の立場
日蓮は「神天上」を説くが、
神道そのものを否定したわけではない
神仏習合の枠内で、神は法華経の守護者という理解
弟子たちの解釈が分裂したため、日蓮自身も「不審未だ晴れず」と述べている
こうしてみると
日蓮正宗/創価学会が不寛容なのがよく分かる
日朗が実質トップだな
そのため、特定の他宗派を「無間地獄に落ちる」「国を滅ぼす」と決めつけて激しく攻撃する四箇格言は、仏教が本来説く慈悲や和合の精神、さらには法華経の包摂的な教えの精神に反しているのではないかという批判や疑問が持たれています。
1271年(文永8年)9月12日、日蓮が竜口の刑場へ護送される途中、鶴岡八幡宮の前で馬から降り、八幡大菩薩に対して仏法守護の怠慢を強く直言した「社頭諫暁(しゃとうかんぎょう)」の舞台として知られています。
事件の背景: 1271年9月12日の深夜、幕府から弾圧を受けた日蓮は、処刑場である佐渡流罪(正確には竜口での斬首未遂)へ向けて護送されていました。
八幡大菩薩への叱責: 鶴岡八幡宮の前にさしかかった際、日蓮は護送の武士に馬を止めさせました。そして、「日本第一の法華経の行者である自分を幕府が不当に罰するのを見過ごすなら、神である八幡大菩薩は本当に仏法を守る神といえるのか」と強く訴えかけたと伝えられています。
下馬の碑: 現在も鎌倉の若宮大路周辺(下馬四ツ角付近)には、日蓮がここで下馬して神仏に詰め寄ったとされる伝承を伝える史跡碑が残されています。
もつて、あをかの小大夫に仰せつけて頂戴し伊勢の外宮に しのびをさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に 日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、 此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、 されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず安房の国 東条の郡にすませ給うか、
例えば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は 山城の国男山に移り給い、今は相州鎌倉鶴が岡に栖み給う これもかくのごとし。
「新尼御前御返事」文永十二年二月 五十四歳御作
安房の国・東条の郷は、地図の上では辺境の国ですが、 内容からいえば日本国の中心のような所です。 なぜなら、 天照太神がお住みになっていらっしゃる所だからです。 天照太神は、昔は伊勢の国に住んでおいでになったのですが、 国王が八幡や加茂の神々ばかりを尊崇して、天照太神への
御帰依が浅かったものですから、太神は不快にお思いに なっていらっしゃった―― その時、源の右大将頼朝という人が、ご起請文を記して 会加(あおか)の小大夫に命令して天照太神を奉戴 (ほうたい)し、
伊勢の外宮に安置なさったものですから、太神の御心に かなったのでしょう、 頼朝は日本国を統治する将軍となりました。 その頼朝が、安房の国・東条の郡を天照太神の御栖 (おんすみか)とお定めになったのです。
だから、この太神は、今は伊勢の国にはおいでに ならないで、東条の郷におすみになっていらっしゃる はずです。 たとえば、八幡大菩薩は、昔は筑前の太宰府においでに なりましたが、中ごろは山城の国・男山に移られ、 今は相模の国・鎌倉の鶴が岡に住んでいらっしゃいます。
天照太神も同様なのです。
https://youtu.be/leZImGO5nZE?si=0HQ0SBSW0DOqgAKh
日有上人化儀抄
https://www.mitene.or.jp/~hokkekou/kegisyou2.html
釈迦如来と多宝如来が並んで座る姿を表す仏教用語です。
概要
二仏並座(にぶつびょうざ)は、法華経「見宝塔品」第11に由来する概念で、釈迦如来と多宝如来が並んで座る場面を指します 。
釈迦如来は悟りを開いた存在であり、多宝如来はその悟りの真実性を証明する役割を持ちます。日蓮宗の御本尊でもこの形態が採用されており、釈迦如来と多宝如来の関係は、組織における「首長と議会」のように、行動の推進と正当性の確認という象徴的意味を持ちます 。
歴史的背景
二仏並座像は**北魏時代(5世紀後半)**の雲崗石窟に初期例が見られ、日本でも奈良の長谷寺に伝わる「銅板法華説法図」などで表現されています 。
通常は結跏趺坐(けっかふざ)の姿で並べられますが、半跏の姿で左右逆に配置される例もあります。日本の長谷寺の銅板では、三重塔の初段中央に二仏並座が描かれ、左に多宝仏、右に釈尊が座る構図となっています 。
宗教的意義
釈迦如来:悟りを開き、世の真理を示す存在
多宝如来:釈迦如来の悟りを証明し、教えの正当性を保証する存在
この二仏の並座は、仏法の教えの普遍性と正当性を象徴し、信仰者に悟りの道を示す重要な意味を持ちます
だろうね当時の日本仏教の多数派らしい発想、
明治以降の日本人にはわからなくなった
😀
日蓮さんは『一念三千法門』で次のように言われております。
「此の一念三千一心三観の法門は法華経の一の巻の十如是より起れり、文の心は百界千如三千世間云云、さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界・皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即・報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相・是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界・皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即・応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身・般若・解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。」
まず大事なのは、
一念三千・一心三観という法門が、
『法華経』方便品の
「十如是」
から起こっている、ということですね。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い奉ること難し
我今見聞し、受持することを得たり、
願わくは如来の第一義を解せん
至極の大乗、思議すべからず
見聞触知、皆菩提に近づく
能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は、即ち是れ応身なり
無量の功徳、皆この経に集まれり
是故に自在に冥に薫じ密に益す
有智無智罪を滅し善を生ず
若しは信、若しは謗、共に仏道を成ぜん
三世の諸仏、甚深の妙典なり
生々世々、値遇し頂戴せん
『聖愚問答抄』
天台大師は「経典と合うものは記録してこれを用いよ。経典に文がなく義のない説は信受すべきではない」といっている。この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。
日蓮
😅
神仏習合時代の匂いをプンプンさせてるしなー
神仏習合時代の
世界観と末法思想
だろしなー
伝教偽書の山盛りの時代だしな
😅
麗気記
【読み下し文】ソタラン云はく
【現代語訳】最澄が言う
ソタラン、『聞書』に「伝教大師の御称ト云々。最澄也」とある。
【読み下し文】「釈に云はく『此、究竟を観ずるを妙覚(みょうかく)と名づく。
猶、寂光(じゃっこう)の妙土に居て、無明所感の土には非ず。
万法、悉く法性(ほっしょう)を出でざるが故に、三土即ち寂光也』
【現代語訳】「ある注釈に言う『究竟を観ずることを、妙覚と名付ける。
それはまるで寂光浄土にいるようであり、智慧の無い者が認識できる世界ではない。
法性の領域から出るものは何もない。
よって四種の浄土のうち、寂光浄土を除く他の三種の浄土も、やはり寂光浄土に含まれるのである。』
中国天台宗の事実上の開祖である天台大師・智顗(538-598)は、国土を次の四種に分類し、「四土」説を説きました。
四土とは、「凡聖同居土(ぼんしようどうごど)、方便有余土(ほうべんうよど)、実報無障碍土(じっぽうむしょうげど)、常寂光土(じょうじゃくこうど)です。
凡聖同居土とは、凡夫も如来もともに住む国土。
方便有余土とは、小乗の高位の聖者が住む国土。
実報無障礙土とは、高位の菩薩が住む国土。
常寂光土とは、如来が住む国土です。
【読み下し文】釈に云はく『豈(あ)に伽耶(かや)を離れて別に常寂(じょうじゃく)を求めんや。寂光の外に別して娑婆有るに非ず』
故に和光同塵(わこうどうじん)は穢土(えど)に居て衆生を利す。内証、全く寂光の本土を動ぜず」
【現代語訳】ある注釈に言われる『どうして、成道の地ブッダガヤを離れて、他に悟りを求める必要があろうか。悟りの世界と別に、この現実世界があるのではない』
故に、仏や菩薩は、日本の神として現われ、この不浄なる世界で私たちに利益を与えているけれども、その覚りの心が寂光浄土を離れることは全くない」