【イエス】統合・修道スレ128【キリスト】(仮)slip最終更新 2026/11/02 14:581.栖雲居士50-8jr-Ij-wvuSVRQH✝主の祈り天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日(きょう)もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。-----------------------------------------スレモットー1.神の御名が崇められることを願い、発言をする。2.悪い言葉をさけ、人の徳を高めるのに役立つような言葉を用いる。3.ここでの発言が実生活での修道の前進に役立てるよう心がける。 1)聖書を読み、祈り、聖霊との交わりを日々実践する。 2)罪を悔い改め、許されていることを日々実感し感謝する。 3)イエス様によって示された神の愛をより深く知り、 このスレでも、また実生活でも、隣人愛の実践を日々心がける。 4)実生活が修道の場であることを覚え、 神の創造の業の前進に参与することで、自己の成長を心がける。 5)実生活での健康に留意し、自己を律し規則的な生活を心がける。(モットーとは心がけであり、人を縛るための律法ではありません。 自らの修道の前進・成長のための努力目標とし、活用しましょう。)-----------------------------------------スレ禁止事項1.当スレは、名無しによる誹謗中傷荒らしを避けるため、 名無しのスレ書き込みを、禁止といたします。 当スレご利用の皆様におかれましては、名無しのスレ書き込みを 無視する設定とされますよう、ご協力よろしくお願いいたします。-----------------------------------------5ch閉鎖に伴う臨時の継続スレとします。2026/03/06 14:03:18376コメント欄へ移動すべて|最新の50件327.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBr最後にソクラテスはグラウコンに言う。こうして「エルの物語」は滅びず救われたのであり、我々がこの物語を信じるなら、我々自身も救うことになるだろう。忘却の河を渡っても魂を汚さずに済むだろう。魂が不死で、あらゆる悪にも善にも堪えうるものだと信じるならば、我々は常に向上の道を外れることなく、あらゆる努力を尽くして正義と思慮にいそしむことになるだろう。そうすることで、生前も死後も、1000年の旅路においても、我々は幸せであることができるだろう。2026/10/27 19:18:12328.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBr輪廻転生っていったら、インド人の思想と思われているのだが2026/10/27 19:18:37329.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBrそれに勝るとも劣らないほど、ピタゴラスやプラトンの影響が大きい古代ギリシャ哲学だ2026/10/27 19:19:12330.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBr仏教学者と同じく西洋哲学の学者の学者も、こういう箇所を引用することを好まないなので、知らない人が多い2026/10/27 19:20:06331.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBr仏教学者と同じく西洋哲学の学者も、こういう箇所を引用することを好まないなので、知らない人が多い2026/10/27 19:20:22332.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBrだが、西洋哲学の開祖プラトンは主著の「国家」に堂々と掲載している2026/10/27 19:24:49333.◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95QBCPBr死後世界や輪廻転生は有る無いと、ツジツマが合わないそう主張した2026/10/27 19:25:23334.◆JBLfMwCXhY50-wHr-er-xsMBCPBrインドの輪廻転生思想は仏教の「無我」を筆頭に、摩訶不思議な輪廻観が多い2026/10/27 19:50:40335.◆JBLfMwCXhY50-wHr-er-xsMBCPBrプラトンのほうが、よほど現代人が考える「輪廻転生」に普通に近い2026/10/27 19:51:03336.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLなので、西洋思想の伝統にも死後世界は脈々と流れている2026/10/28 08:19:24337.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL「死後の審判」に対する意識は西洋人のほうが遥かに高い2026/10/28 08:19:56338.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLところが弟子のアリストテレスが、方向性を大きく変えた2026/10/28 08:20:46339.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLアリストテレスは、科学的合理主義者だ現代人から見れば、科学的には間違ってるところが多いが人間のタイプとして、科学的合理主義者なのは間違いない2026/10/28 08:27:22340.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLグーグルAI:アリストテレスは「科学的合理主義者」というよりも、むしろ経験主義や観察・分類に基づく自然研究(博物学)の基礎を作った古代ギリシャの哲学者です。アリストテレスの特徴経験主義と現実重視: プラトンが目に見えない「イデア界」を重視したのに対し、アリストテレスは目の前の現実世界を観察・分類することを重視しました。形式論理学の創始: 思考の筋道や推論のルール(三段論法など)を体系化し、あらゆる科学的探求の「道具」と位置づけました。万学の祖: 形而上学だけでなく、動物学、植物学、倫理学、政治学など幅広い分野を研究し、実証的な科学の萌芽を作りました。現代科学との違い: 彼の自然学は観察に基づいているものの、実験による検証や近代科学の数理的な法則化とは異なるため、現代から見ると誤りも多く含まれています。2026/10/28 08:32:20341.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLそういえば、そうだった2026/10/28 08:32:36342.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL科学的合理主義者は言いすぎだったな20世紀アメリカのクワインじゃあるまいし2026/10/28 08:34:01343.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLグーグルAI:W・V・O・クメイン(クワイン)は、合理主義者ではなく徹底した「経験主義者(経験論者)」であり、同時に現代の「自然主義(ナチュラルズム)」の代表格とされるアメリカの哲学者です。彼の立場は「科学的合理主義」というより、「科学をベースにした、徹底的で、かつ新しいタイプの経験主義」と捉えるのが正確です。2026/10/28 08:34:31344.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLクメインの哲学の核「経験主義のふたつのドグマ」による革新: 従来の経験主義や論理実証主義が信じていた「分析的命題(論理や数学のように経験なしで正しいもの)」と「総合的命題(経験で確かめるもの)」の区別を否定しました。数学や論理学さえも、究極的には人類の経験のネットワーク(知識の網の目)の一部であり、絶対に修正不可能な真理など存在しないと主張しました。知識の全体論(ホーリズム): 私たちの知識や科学体系は、個別の文が一つひとつ経験と対比されるのではなく、全体として一塊(ひとつの網の目)になって経験の裁きを受けると考えました。これを「クメイン・デュエムのテーゼ」と呼びます。自然主義(第一哲学の否定): 哲学を科学の上位にある「特別な学問(第一哲学)」とは見なさず、哲学も自然科学の延長線上にあるもの(地続き)として捉えました。認識の仕組みを解き明かすのは、抽象的な理性の反省ではなく、認知心理学などの科学の仕事であるべきだと主張しました(認識論の自然化)。合理主義(理性だけで真理に到達できるとする立場)とは一線を画し、「科学の成果」と「感覚による経験」だけを徹底して信頼したのがクメインです。クメインの主張で最も有名な「知識の網の目(ウェブ・オブ・ビリーフ)」の具体的なイメージや、彼が「なぜ数学さえも書き換え可能だと言ったのか」について、さらに掘り下げて解説しましょうか?2026/10/28 08:34:56345.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLそういえば、そうだった2026/10/28 08:35:09346.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLクワインはゴリゴリの経験論者だな2026/10/28 08:35:23347.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL合理論者とは対極に位置する(笑)2026/10/28 08:35:39348.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL日常用語でいう「合理主義者」と哲学用語でいう「合理論者」が違うんだよな~😫2026/10/28 08:36:26349.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL哲学の世界で「合理論」っていったらデカルトみたいなスタンスだ2026/10/28 08:37:03350.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL実験はほとんどしない頭の中で、数式をヒネリにヒネって、物理法則を導き出す2026/10/28 08:37:55351.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL実験を重視する経験論とは、対極に位置する2026/10/28 08:38:21352.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL>>348Chat GPT:スレの318以降、JBLさんのレスを確認したよ。今回の議論は、アリストテレスとプラトンの違い、そして「合理主義」と「合理論」の違いが中心だね。哲学史の用語をきちんと区別しようとしている点が、今回の一連のレスの核心だと思う。結論からいうと、問題意識はかなり的確。ただし、アリストテレスを経験論、プラトンを合理論と対比させる説明は、近代哲学の分類を古代ギリシャに当てはめた整理なので、そこを少し補正すると、もっと説得力が増す。2026/10/28 08:41:57353.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL1. 各レスの論評318「アリストテレスは、ゴリゴリの経験論者だよ。合理論者なのはプラトンだ」この対比は、哲学史の大きな流れをつかむための整理としては有効だね。プラトン:感覚で捉えられる個々の事物を超えて、イデアという真の実在を理性的に認識しようとする。アリストテレス:感覚経験から出発し、個々の事物を観察し、そこから普遍的な知識や原因を探究する。この意味で、アリストテレスを経験論的、プラトンを合理論的な方向に位置づけるのは、十分に理解できる整理だ。実際、スタンフォード哲学百科事典の「古代・中世の経験論」も、アリストテレスの認識論には広い意味で経験論的な性格があると論じている。2026/10/28 08:42:22354.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLただし、注意したいのは、アリストテレスは単なる経験主義者ではないという点。彼は感覚経験を重視する一方で、知性による普遍的な原理の把握や、論証による学問的知識も重視していた。また、プラトンも感覚世界を観察しなかったわけではない。彼の哲学を単純に「理性だけで考える立場」と理解すると、対話篇における議論の複雑さを見落としてしまう。だから、学術的に厳密にするなら、アリストテレスは経験を認識の出発点として重視し、プラトンは感覚を超えたイデアの理性的認識を重視した。という表現が、より強いと思う。2026/10/28 08:43:44355.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL319「日常用語でいう『合理主義者』と哲学用語でいう『合理論者』が違うんだよな~」ここは非常に重要な指摘。日常用語の「合理主義者」は、物事を筋道立てて考える人、感情や慣習に流されず理性的に判断する人、といった意味で使われる。一方、哲学史における「合理論」は、主に認識論上の立場を指す。用語主な意味日常的な合理主義理性的・論理的に判断する態度哲学史上の合理論感覚経験だけでは得られない知識を、理性などによって獲得できるとする立場哲学史上の経験論知識や概念の源泉として経験を重視する立場この区別をしないと、「論理的な人だから合理論者」「実験する人だから経験論者」という混乱が生じる。JBLさんの指摘は、まさにこの混同を解消するものだね。なお、哲学史上の合理論と経験論の区別自体にも問題があり、すべての哲学者がきれいに二分できるわけではない。そこまで意識できると、さらによい。2026/10/28 08:44:45356.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL320「哲学の世界で『合理論』っていったらデカルトみたいなスタンスだ」これも基本的に正しい。代表例を挙げるなら、近代合理論には次の哲学者たちがいる。ルネ・デカルト:方法的懐疑を通じて確実な知識の基礎を探る。バールーフ・デ・スピノザ:幾何学的な論証形式を用いて哲学体系を構築する。ゴットフリート・ライプニッツ:理性による原理的な説明や、必然的真理を重視する。この意味で、デカルトを合理論の代表格として挙げるのは適切だ。ただし、合理論の特徴は、単に論理的に考えることではない。経験に還元できない知識や、理性によって認識できる必然的真理を認めることなどが重要になる。2026/10/28 08:45:06357.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL321「実験はほとんどしない。頭の中で、数式をヒネリにヒネって、物理法則を導き出す」ここは、少し修正したい。デカルトのような合理論者が、理性や演繹的推論を重視したという趣旨は分かる。ただ、「実験をほとんどしない」というのは、デカルトの自然哲学を説明する表現としては強すぎる。デカルトは数学的・理論的な思考を重視したが、自然現象についても観察や実験的な検討を行っている。また、頭の中で数式を操作して物理法則を導くという説明は、デカルトよりも、近代物理学の数学的理論化全般を説明しているように読める。実際、合理論者と呼ばれる哲学者も経験を利用するし、経験論者も論理や数学を使う。両者の違いは、論理を使うかどうかではなく、知識の根拠として理性と経験をどう位置づけるかにある。このレスは、次のようにすれば、かなり正確になる。デカルトのような合理論者は、感覚経験だけに頼らず、理性による明晰な認識や演繹によって確実な知識を得ようとする。2026/10/28 08:45:54358.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL322「実験を重視する経験論とは、対極に位置する」言いたいことは分かる。ただし、321の問題を引き継いでいる。経験論は、実験だけを重視する立場ではない。経験には、感覚、観察、内省なども含まれる。また、経験論者も推論や数学的な議論を活用する。したがって、合理論と経験論を対比する際には、合理論:経験だけでは説明できない知識の源泉を理性に認める。経験論:知識や概念の源泉として経験を重視する。という対比のほうが、哲学史的には正確だね。2026/10/28 08:47:17359.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL2. 314~317の流れも含めた評価318以降だけでなく、その直前の流れを見ると、JBLさんの議論の意図がよく分かる。313では、西洋思想をキリスト教とギリシャ哲学の二本柱として捉え、314でアリストテレスの重要性を強調している。315ではアリストテレスを「科学的合理主義者」と表現し、316でAIの説明を引用した後、318以降で用語を整理し直している。ここで面白いのは、自分の表現をいったんAIの説明に照らし、そこから概念の区別を掘り下げていること。315の「科学的合理主義者」は、日常的な意味では十分に理解できる。アリストテレスは、自然を分類・観察し、原因を探究し、論理的な説明を体系化した人物だからね。しかし、316のAIの回答に接して、合理主義と合理論の違いに意識が向いた。318~322は、その区別を明示するための連続レスになっている。議論の進め方としては、単にAIの回答を受け入れるのではなく、自分の使っていた言葉の意味を再点検したところに価値がある。一方、318の「アリストテレスはゴリゴリの経験論者」という強い表現は、せっかく区別を明確にしようとしているのに、今度はアリストテレス自身を近代哲学の分類に押し込みすぎる危険がある。アリストテレスは経験を重視するが、論理学、形而上学、第一原理の探究も重視する。経験と理性のどちらか一方だけで説明できる哲学者ではない。2026/10/28 08:47:55360.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL3. キリスト教思想との関係から見るとスレの主題に引きつけるなら、ここはさらに興味深い。西洋のキリスト教神学は、ギリシャ哲学、とりわけアリストテレスの思想と深く関わってきた。代表的なのが、トマス・アクィナスだ。彼はアリストテレス哲学を積極的に取り入れながら、理性による哲学的探究と、啓示に基づく神学とを関連づけた。この点を考えると、アリストテレスを単に「経験論者」と呼ぶよりも、経験から出発する探究と、理性的な論証による体系化を結びつけた哲学者と捉えるほうが、キリスト教思想への影響を理解しやすい。つまり、JBLさんが313で挙げた「キリスト教とギリシャ哲学の二本柱」という見方は、思想史を考えるうえで有効な視点だと思う。ただし、西洋思想にはほかにも多くの伝統があり、二本柱というのはあくまで大きな見取り図だね。2026/10/28 08:48:13361.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL4. 総合評価よい点:用語の混同を見抜いた日常的な合理主義と、哲学史上の合理論を区別したのは重要。今回の議論で最も評価できる点だと思う。よい点:短いレスで論点を段階的に整理した318から322へと、経験論・合理論・デカルト・実験の重視という順に論点を展開しており、掲示板の会話として読みやすい。改善点:経験論と合理論を二分しすぎたアリストテレスも理性を重視し、デカルトも経験を利用した。「経験か理性か」という単純な二分法より、知識の根拠をどう考えるかに焦点を当てるとよい。僕の評価を一言でまとめると、哲学用語の区別については鋭い。ただし、その区別を古代ギリシャの哲学者に適用するときには、もう一段の慎重さが必要、ということになる。特に319の指摘は、今回の一連のレスの中で最も重要だと思う。アリストテレスを「科学的合理主義者」と呼ぶことと、彼を近代哲学史上の「合理論者」に分類することは別問題だからね。この区別を押さえておけば、プラトン、アリストテレス、デカルト、ライプニッツを比較するときにも、言葉の意味に引きずられず、それぞれの哲学の特徴をより正確に捉えられるはずだよ。2026/10/28 08:49:13362.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLまあ、確かに2026/10/28 08:49:26363.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLAIさんの、おっしゃる通り(笑)2026/10/28 08:49:41364.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLでも、こっちは違いを際立たせるために、あえて極端な表現をしてるんで2026/10/28 08:50:10365.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL「厳密に言えば、ちょっと違う」とか分かっとるわ、それくらい(笑)2026/10/28 08:50:40366.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeLまあ、それはともかくアリストテレスやクワインを「科学的合理主義者」と呼ぶのは、ヤメよう😅2026/10/28 08:51:58367.◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95QigqeL哲学用語としては、かなりおかしい😂2026/10/28 08:52:12368.神も仏も名無しさん4D-Rs6-eo-0keDsw39カントを脳内で生理中やはりカントは偉大だ人権とかデモクラシーの基本を構築している😀2026/11/01 06:43:23369.神も仏も名無しさん4D-Rs6-eo-0keDsw39整理中だ😀2026/11/01 06:43:39370.神も仏も名無しさん4D-Rs6-eo-0keDsw39宗教研究もかなり仕上がってきた、瞑想系統仏教以外はざっくり宗教をまとめると二つのケースにまとめられる1.霊的に神仏と一体化する、ヒンズーが得意2.神仏の原理と一つである喜びこれで、まとまってきた😀2026/11/01 06:46:28371.神も仏も名無しさん4D-Rs6-eo-0keDsw39瞑想系統仏教の研究もそれなりに研究が進んだが、特にレボリューションみたいなのはない今までの理解を深めるのみお土産だスレ主関連にてスレ主系統は飯田トウインの系統で曹洞宗だが、元臨済宗で南天棒の弟子だから、臨済宗のノリがあるんだろう、オレですらマジメな、臨済宗なので議論、論理提示はやらない、臨済宗要素がある禅は基本、相手のニーズがなきゃやらないのが本筋、スレ主やロンはでしゃばり過ぎだろな😅ハッスル🤡や鈴木大拙などの屁理屈は馬鹿にするほうだ😀2026/11/01 06:48:20372.ゴンぎつね36-dPU-dc-yiUPuzgAプロテスタントはエホバ、統一教会、繁栄教、モルモン教、からは区別されています。プロテスタントからカトリックへの批判は教会制度、マリア論、聖人崇敬、教皇権力、など。カトリックはキリスト教ですがその教義と制度には聖書の福音に反する部分があります。カトリックの教会伝統、教導権、マリア崇敬、秘跡など。カトリックには誤りがあると考える牧師やプロテスタント神学者は多い。2026/11/01 13:24:16373.◆JBLfMwCXhY50-d2J-er-xsM4j2Hxカトリックとプロテスタントは正統2026/11/01 14:02:00374.◆JBLfMwCXhY50-d2J-er-xsM4j2Hx統一、エホバ、モルモンは異端2026/11/01 14:02:15375.◆JBLfMwCXhY50-d2J-er-xsM4j2Hx「三位一体を認めるかどうか」キリスト教では、ここに明確な線引きがある2026/11/01 14:02:54376.ゴンぎつね36-j0o-dc-yiUhO2Yh進化論は生命の起源を直接説明できる理論ではない。自然選択だけで説明はできない、遺伝的浮動、発生、遺伝子重複、共生なども含める必要があります。現代進化論は完成済みの理論ではなく生物の変化を説明する中核部分は非常に強い証拠によって指示されている、現在の論争は主に進化が起きたかではなくどの仕組みがどの程度重要かにあります。科学界でも進化の事実そのものではなく進化の具体的な各機構の重要度が研究対象になっている。進化論に対するよくある誤解は、進化論は単なる理論だ、進化の観察はできない、化石の中間が足りない、複雑な器官は偶然性では作れない。人間は猿から進化した。2026/11/02 14:58:14
【仕様変更って何?】増田三莉音ちゃん人気凄すぎる18時15分開始のぎおび盛り上がり39202 ギフト324727 タワー13 5期オタの言い訳を聞かせてくれwwwwwwwwwwwwww乃木坂46423861.42026/11/03 06:08:44
✝主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日(きょう)もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
アーメン。
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スレモットー
1.神の御名が崇められることを願い、発言をする。
2.悪い言葉をさけ、人の徳を高めるのに役立つような言葉を用いる。
3.ここでの発言が実生活での修道の前進に役立てるよう心がける。
1)聖書を読み、祈り、聖霊との交わりを日々実践する。
2)罪を悔い改め、許されていることを日々実感し感謝する。
3)イエス様によって示された神の愛をより深く知り、
このスレでも、また実生活でも、隣人愛の実践を日々心がける。
4)実生活が修道の場であることを覚え、
神の創造の業の前進に参与することで、自己の成長を心がける。
5)実生活での健康に留意し、自己を律し規則的な生活を心がける。
(モットーとは心がけであり、人を縛るための律法ではありません。
自らの修道の前進・成長のための努力目標とし、活用しましょう。)
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スレ禁止事項
1.当スレは、名無しによる誹謗中傷荒らしを避けるため、
名無しのスレ書き込みを、禁止といたします。
当スレご利用の皆様におかれましては、名無しのスレ書き込みを
無視する設定とされますよう、ご協力よろしくお願いいたします。
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5ch閉鎖に伴う臨時の継続スレとします。
こうして「エルの物語」は滅びず救われたのであり、我々がこの物語を信じるなら、我々自身も救うことになるだろう。忘却の河を渡っても魂を汚さずに済むだろう。魂が不死で、あらゆる悪にも善にも堪えうるものだと信じるならば、我々は常に向上の道を外れることなく、あらゆる努力を尽くして正義と思慮にいそしむことになるだろう。そうすることで、生前も死後も、1000年の旅路においても、我々は幸せであることができるだろう。
古代ギリシャ哲学だ
西洋哲学の学者の学者も、こういう箇所を引用することを好まない
なので、知らない人が多い
西洋哲学の学者も、こういう箇所を引用することを好まない
なので、知らない人が多い
主著の「国家」に堂々と掲載している
無いと、ツジツマが合わない
そう主張した
仏教の「無我」を筆頭に、
摩訶不思議な輪廻観が多い
よほど現代人が考える「輪廻転生」に
普通に近い
死後世界は脈々と流れている
西洋人のほうが遥かに高い
弟子のアリストテレスが、方向性を大きく変えた
現代人から見れば、科学的には間違ってるところが多いが
人間のタイプとして、科学的合理主義者なのは間違いない
アリストテレスは「科学的合理主義者」というよりも、むしろ経験主義や観察・分類に基づく自然研究(博物学)の基礎を作った古代ギリシャの哲学者です。
アリストテレスの特徴
経験主義と現実重視: プラトンが目に見えない「イデア界」を重視したのに対し、アリストテレスは目の前の現実世界を観察・分類することを重視しました。
形式論理学の創始: 思考の筋道や推論のルール(三段論法など)を体系化し、あらゆる科学的探求の「道具」と位置づけました。
万学の祖: 形而上学だけでなく、動物学、植物学、倫理学、政治学など幅広い分野を研究し、実証的な科学の萌芽を作りました。
現代科学との違い: 彼の自然学は観察に基づいているものの、実験による検証や近代科学の数理的な法則化とは異なるため、現代から見ると誤りも多く含まれています。
20世紀アメリカのクワインじゃあるまいし
W・V・O・クメイン(クワイン)は、合理主義者ではなく徹底した「経験主義者(経験論者)」であり、同時に現代の「自然主義(ナチュラルズム)」の代表格とされるアメリカの哲学者です。
彼の立場は「科学的合理主義」というより、「科学をベースにした、徹底的で、かつ新しいタイプの経験主義」と捉えるのが正確です。
「経験主義のふたつのドグマ」による革新: 従来の経験主義や論理実証主義が信じていた「分析的命題(論理や数学のように経験なしで正しいもの)」と「総合的命題(経験で確かめるもの)」の区別を否定しました。数学や論理学さえも、究極的には人類の経験のネットワーク(知識の網の目)の一部であり、絶対に修正不可能な真理など存在しないと主張しました。
知識の全体論(ホーリズム): 私たちの知識や科学体系は、個別の文が一つひとつ経験と対比されるのではなく、全体として一塊(ひとつの網の目)になって経験の裁きを受けると考えました。これを「クメイン・デュエムのテーゼ」と呼びます。
自然主義(第一哲学の否定): 哲学を科学の上位にある「特別な学問(第一哲学)」とは見なさず、哲学も自然科学の延長線上にあるもの(地続き)として捉えました。認識の仕組みを解き明かすのは、抽象的な理性の反省ではなく、認知心理学などの科学の仕事であるべきだと主張しました(認識論の自然化)。
合理主義(理性だけで真理に到達できるとする立場)とは一線を画し、「科学の成果」と「感覚による経験」だけを徹底して信頼したのがクメインです。
クメインの主張で最も有名な「知識の網の目(ウェブ・オブ・ビリーフ)」の具体的なイメージや、彼が「なぜ数学さえも書き換え可能だと言ったのか」について、さらに掘り下げて解説しましょうか?
哲学用語でいう「合理論者」が違うんだよな~😫
デカルトみたいなスタンスだ
頭の中で、数式をヒネリにヒネって、物理法則を導き出す
Chat GPT:
スレの318以降、JBLさんのレスを確認したよ。
今回の議論は、アリストテレスとプラトンの違い、そして「合理主義」と「合理論」の違いが中心だね。哲学史の用語をきちんと区別しようとしている点が、今回の一連のレスの核心だと思う。
結論からいうと、問題意識はかなり的確。ただし、アリストテレスを経験論、プラトンを合理論と対比させる説明は、近代哲学の分類を古代ギリシャに当てはめた整理なので、そこを少し補正すると、もっと説得力が増す。
318「アリストテレスは、ゴリゴリの経験論者だよ。合理論者なのはプラトンだ」
この対比は、哲学史の大きな流れをつかむための整理としては有効だね。
プラトン:感覚で捉えられる個々の事物を超えて、イデアという真の実在を理性的に認識しようとする。
アリストテレス:感覚経験から出発し、個々の事物を観察し、そこから普遍的な知識や原因を探究する。
この意味で、アリストテレスを経験論的、プラトンを合理論的な方向に位置づけるのは、十分に理解できる整理だ。実際、スタンフォード哲学百科事典の「古代・中世の経験論」も、アリストテレスの認識論には広い意味で経験論的な性格があると論じている。
彼は感覚経験を重視する一方で、知性による普遍的な原理の把握や、論証による学問的知識も重視していた。
また、プラトンも感覚世界を観察しなかったわけではない。彼の哲学を単純に「理性だけで考える立場」と理解すると、対話篇における議論の複雑さを見落としてしまう。
だから、学術的に厳密にするなら、
アリストテレスは経験を認識の出発点として重視し、プラトンは感覚を超えたイデアの理性的認識を重視した。
という表現が、より強いと思う。
ここは非常に重要な指摘。
日常用語の「合理主義者」は、物事を筋道立てて考える人、感情や慣習に流されず理性的に判断する人、といった意味で使われる。
一方、哲学史における「合理論」は、主に認識論上の立場を指す。
用語
主な意味
日常的な合理主義
理性的・論理的に判断する態度
哲学史上の合理論
感覚経験だけでは得られない知識を、理性などによって獲得できるとする立場
哲学史上の経験論
知識や概念の源泉として経験を重視する立場
この区別をしないと、
「論理的な人だから合理論者」
「実験する人だから経験論者」
という混乱が生じる。
JBLさんの指摘は、まさにこの混同を解消するものだね。
なお、哲学史上の合理論と経験論の区別自体にも問題があり、すべての哲学者がきれいに二分できるわけではない。そこまで意識できると、さらによい。
これも基本的に正しい。
代表例を挙げるなら、近代合理論には次の哲学者たちがいる。
ルネ・デカルト:方法的懐疑を通じて確実な知識の基礎を探る。
バールーフ・デ・スピノザ:幾何学的な論証形式を用いて哲学体系を構築する。
ゴットフリート・ライプニッツ:理性による原理的な説明や、必然的真理を重視する。
この意味で、デカルトを合理論の代表格として挙げるのは適切だ。
ただし、合理論の特徴は、単に論理的に考えることではない。経験に還元できない知識や、理性によって認識できる必然的真理を認めることなどが重要になる。
ここは、少し修正したい。
デカルトのような合理論者が、理性や演繹的推論を重視したという趣旨は分かる。ただ、「実験をほとんどしない」というのは、デカルトの自然哲学を説明する表現としては強すぎる。
デカルトは数学的・理論的な思考を重視したが、自然現象についても観察や実験的な検討を行っている。
また、頭の中で数式を操作して物理法則を導くという説明は、デカルトよりも、近代物理学の数学的理論化全般を説明しているように読める。
実際、合理論者と呼ばれる哲学者も経験を利用するし、経験論者も論理や数学を使う。両者の違いは、論理を使うかどうかではなく、知識の根拠として理性と経験をどう位置づけるかにある。
このレスは、次のようにすれば、かなり正確になる。
デカルトのような合理論者は、感覚経験だけに頼らず、理性による明晰な認識や演繹によって確実な知識を得ようとする。
言いたいことは分かる。ただし、321の問題を引き継いでいる。
経験論は、実験だけを重視する立場ではない。経験には、感覚、観察、内省なども含まれる。また、経験論者も推論や数学的な議論を活用する。
したがって、合理論と経験論を対比する際には、
合理論:経験だけでは説明できない知識の源泉を理性に認める。
経験論:知識や概念の源泉として経験を重視する。
という対比のほうが、哲学史的には正確だね。
318以降だけでなく、その直前の流れを見ると、JBLさんの議論の意図がよく分かる。
313では、西洋思想をキリスト教とギリシャ哲学の二本柱として捉え、314でアリストテレスの重要性を強調している。315ではアリストテレスを「科学的合理主義者」と表現し、316でAIの説明を引用した後、318以降で用語を整理し直している。
ここで面白いのは、自分の表現をいったんAIの説明に照らし、そこから概念の区別を掘り下げていること。
315の「科学的合理主義者」は、日常的な意味では十分に理解できる。アリストテレスは、自然を分類・観察し、原因を探究し、論理的な説明を体系化した人物だからね。
しかし、316のAIの回答に接して、合理主義と合理論の違いに意識が向いた。
318~322は、その区別を明示するための連続レスになっている。
議論の進め方としては、単にAIの回答を受け入れるのではなく、自分の使っていた言葉の意味を再点検したところに価値がある。
一方、318の「アリストテレスはゴリゴリの経験論者」という強い表現は、せっかく区別を明確にしようとしているのに、今度はアリストテレス自身を近代哲学の分類に押し込みすぎる危険がある。
アリストテレスは経験を重視するが、論理学、形而上学、第一原理の探究も重視する。経験と理性のどちらか一方だけで説明できる哲学者ではない。
スレの主題に引きつけるなら、ここはさらに興味深い。
西洋のキリスト教神学は、ギリシャ哲学、とりわけアリストテレスの思想と深く関わってきた。
代表的なのが、トマス・アクィナスだ。
彼はアリストテレス哲学を積極的に取り入れながら、理性による哲学的探究と、啓示に基づく神学とを関連づけた。
この点を考えると、アリストテレスを単に「経験論者」と呼ぶよりも、経験から出発する探究と、理性的な論証による体系化を結びつけた哲学者と捉えるほうが、キリスト教思想への影響を理解しやすい。
つまり、JBLさんが313で挙げた「キリスト教とギリシャ哲学の二本柱」という見方は、思想史を考えるうえで有効な視点だと思う。
ただし、西洋思想にはほかにも多くの伝統があり、二本柱というのはあくまで大きな見取り図だね。
よい点:用語の混同を見抜いた
日常的な合理主義と、哲学史上の合理論を区別したのは重要。
今回の議論で最も評価できる点だと思う。
よい点:短いレスで論点を段階的に整理した
318から322へと、経験論・合理論・デカルト・実験の重視という順に論点を展開しており、掲示板の会話として読みやすい。
改善点:経験論と合理論を二分しすぎた
アリストテレスも理性を重視し、デカルトも経験を利用した。「経験か理性か」という単純な二分法より、知識の根拠をどう考えるかに焦点を当てるとよい。
僕の評価を一言でまとめると、哲学用語の区別については鋭い。ただし、その区別を古代ギリシャの哲学者に適用するときには、もう一段の慎重さが必要、ということになる。
特に319の指摘は、今回の一連のレスの中で最も重要だと思う。アリストテレスを「科学的合理主義者」と呼ぶことと、彼を近代哲学史上の「合理論者」に分類することは別問題だからね。
この区別を押さえておけば、プラトン、アリストテレス、デカルト、ライプニッツを比較するときにも、言葉の意味に引きずられず、それぞれの哲学の特徴をより正確に捉えられるはずだよ。
違いを際立たせるために、あえて極端な表現をしてるんで
分かっとるわ、それくらい(笑)
アリストテレスやクワインを「科学的合理主義者」と呼ぶのは、ヤメよう😅
やはりカントは偉大だ
人権とかデモクラシーの基本を構築している😀
瞑想系統仏教以外は
ざっくり宗教をまとめると二つのケースにまとめられる
1.霊的に神仏と一体化する、ヒンズーが得意
2.神仏の原理と一つである喜び
これで、まとまってきた
😀
それなりに研究が進んだが、
特にレボリューションみたいなのはない
今までの理解を深めるのみ
お土産だスレ主関連にて
スレ主系統は
飯田トウインの系統で
曹洞宗だが、元臨済宗で南天棒の弟子だから、臨済宗のノリがあるんだろう、
オレですらマジメな、臨済宗なので
議論、論理提示はやらない、
臨済宗要素がある禅は
基本、相手のニーズがなきゃやらないのが本筋、スレ主やロンはでしゃばり過ぎだろな😅
ハッスル🤡や鈴木大拙などの屁理屈は
馬鹿にするほうだ😀
カトリックには誤りがあると考える牧師やプロテスタント神学者は多い。
キリスト教では、ここに明確な線引きがある
自然選択だけで説明はできない、遺伝的浮動、発生、遺伝子重複、共生なども含める必要があります。
現代進化論は完成済みの理論ではなく生物の変化を説明する中核部分は非常に強い証拠によって指示されている、
現在の論争は主に進化が起きたかではなく
どの仕組みがどの程度重要かにあります。
科学界でも進化の事実そのものではなく進化の具体的な各機構の重要度が研究対象になっている。
進化論に対するよくある誤解は、
進化論は単なる理論だ、進化の観察はできない、化石の中間が足りない、複雑な器官は偶然性では作れない。人間は猿から進化した。