【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】最終更新 2026/01/26 01:281.◆JBLfMwCXhYLe0sF日本テーラワーダ仏教協会https://j-theravada.com/2026/01/18 07:06:51459コメント欄へ移動すべて|最新の50件410.神も仏も名無しさんUsMKr北極のテーラワーダと南極の禅北極のテーラワーダのヴィパッサナーのサティが少し理解てきると南極の禅が理解しやすい麦、ハッスル、ムイムイ、デンパパ、リダンはこのあたりが、わからんて御託を述べている感、説明的にいえば😆2026/01/25 10:43:39411.神も仏も名無しさんUsMKr基本的に禅は説明不要なんて基本的には塩対応は自称禅やってますよ〜タイプに禅のサービスだ😆2026/01/25 10:48:52412.神も仏も名無しさんUsMKrロンや仏のスレ主はサービス過多だな😆2026/01/25 10:49:29413.神も仏も名無しさんp3feqどんなメソッドでもいいから徹底的にやり尽くすのよ「これはあかんわ」とわかるまで2026/01/25 12:05:12414.神も仏も名無しさんUyhXf相変わらず、サティの真意を掴み損ねたいるな、サティ自体の目的を反転させると、という意味だな😆873.ユーザー◆JBLfMwCXhYhxeLr>>865> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい> この抜き差しならない実物の方が大事つまり、空観は観念の遊戯にすぎず物には実体があるというのが真実であると?2026/01/25 12:26:162026/01/25 12:35:46415.神も仏も名無しさんUyhXfサティの目的を反転させると仕事や武道に転換てきるとかー😆2026/01/25 12:37:36416.◆JBLfMwCXhYhxeLrサティの目的を反転点せるのか?2026/01/25 12:39:08417.神も仏も名無しさんUyhXf禅の理解は中論よりもテーラワーダのサティが近道だろなーゲルク派は中論解釈はヒットだろな😆2026/01/25 12:39:09418.◆JBLfMwCXhYhxeLr反転させるのか?2026/01/25 12:39:18419.◆JBLfMwCXhYhxeLr>>417そりゃそうだろな中論は、空と縁起思想の哲学2026/01/25 12:39:56420.◆JBLfMwCXhYhxeLr瞑想仏教なら、テーラワーダが王道といえる2026/01/25 12:40:19421.神も仏も名無しさんUyhXfサティはラベリングとかで無我になるテーラワーダては、無我で外部は生滅してあるそれを逆回転させると無我と空を追加して生滅の方へアウトプット説明的だがそれが牛乳の味云々のスレ主のスタンスみたいなもんやーま、これも近似値や😆六眼のサービス近似値解答やから百点の説明てはないでー😆2026/01/25 12:42:05422.神も仏も名無しさんUyhXf生滅の方へアウトプットでゲルクのいう止観相融的にみればこの質問も、ま、愚問ということやな873.ユーザー◆JBLfMwCXhYhxeLr>>865> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい> この抜き差しならない実物の方が大事つまり、空観は観念の遊戯にすぎず物には実体があるというのが真実であると?2026/01/25 12:26:162026/01/25 12:43:47423.◆JBLfMwCXhYhxeLrまあ、それはそうだろうな2026/01/25 12:44:21424.◆JBLfMwCXhYhxeLr個人的には、「仏のスレ」というタイトルで空の思想をバッサリと否定してるのは、なんとも違和感😅2026/01/25 12:44:58425.神も仏も名無しさんUyhXf禅にはなんとなくテーラワーダ的な生滅的な雰囲気が大乗仏教では一番濃いやろな😆永遠嫌いやしなー😆2026/01/25 12:45:22426.◆JBLfMwCXhYhxeLrロン師匠に感じる違和感と似ているな😂2026/01/25 12:45:38427.神も仏も名無しさんUyhXf>>424それゃ、空要素の薄い華厳あたりの事事無碍法界の赤道から南極へ行ったんやからー😆2026/01/25 12:46:58428.神も仏も名無しさんUyhXf>>426テーラワーダのサティを理解しないとその逆回転はわからんやろ赤道の華厳の事事無碍法界問題もあるしなー😆2026/01/25 12:48:08429.◆JBLfMwCXhYhxeLr北極から南極を見てるようなもんだな両極端のようで、実際には似ているのかも(笑)2026/01/25 12:49:08430.神も仏も名無しさんUyhXf北極、テーラワーダ↓唯識↓天台↓赤道、華厳、真言↓南極、禅みたいな位置関係ハッスル🤡はアタマ悪いからんな視点はない😆2026/01/25 12:49:56431.神も仏も名無しさんUyhXf天台あたりに、三論宗、中論かな😆2026/01/25 12:50:39432.神も仏も名無しさんUyhXfハッスル的には南極、禅は唯識だーみたいな地図になってるやろなー😆2026/01/25 12:51:27433.神も仏も名無しさんUyhXf禅なんかは天台華厳真言あたりの構築したのを解体したからなー無〜〜〜😆2026/01/25 12:52:10434.神も仏も名無しさんUyhXfロンや仏のスレ主は南極以外関心ありませんといったところやろなー😆2026/01/25 12:53:28435.◆JBLfMwCXhYhxeLr北極と南極は、実際には似ている(笑)2026/01/25 12:54:54436.神も仏も名無しさんUyhXf南極の禅で赤道の天台華厳真言を解体した勝義諦とか持ちたすハッスル、麦は俺的には空いた口が塞がらない😮2026/01/25 12:56:38437.神も仏も名無しさんUyhXf南極で生まれたので赤道、北極知りませーんみたいな😆2026/01/25 12:57:25438.神も仏も名無しさんUyhXf北極と南極の類似点、赤道では、こーいう発想しない生滅的雰囲気があるこれ一つで、まー仏のスレ主の正体も理解できる中論用無しだ😆https://kougetsuin.com/blog/%E7%A6%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0/41252026/01/25 13:01:54439.神も仏も名無しさんUyhXfありのままの姿を無心で感じとるという部分他の解釈は今ひとつだなこのブログは😆2026/01/25 13:04:55440.神も仏も名無しさんUyhXf北極と南極の類似点、仏のスレ主の趣味はこんなところだ😆「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」は、曹洞宗の開祖道元禅師の和歌で、四季折々の自然の姿そのものが仏の真実の姿(本来の面目)であり、それをありのままに受け入れる禅の境地を示しています。花、ほととぎす、月、雪といった自然の現象に、**「本来の面目(ほんらいのめんもく)」**という副題がつけられ、それぞれの姿に真理が顕現していると説く、禅の教えを表現した歌です。歌の意味と解釈春は花(はるははな):春には花が咲き、その花自体が真実の姿である。夏ほととぎす(なつほととぎす):夏にはほととぎすが鳴き、その鳴き声に真実が宿る。秋は月(あきはつき):秋には月が輝き、その月光に真理が表れる。冬雪さえて、すずしかりけり(ふゆゆきさえて、すずしかりけり):冬の雪が澄み切って冷たいように、その清らかさ、冷たさの中に真実がある。「すずしかりけり」は「清々しい」という意味で、自然のありのままの姿に感動する境地。2026/01/25 13:06:51441.神も仏も名無しさんUyhXfテーラワーダのサティの逆回転というのこういうこったな😆2026/01/25 13:07:30442.神も仏も名無しさんUyhXf勝義諦など用無し言ってるやつはビギナー以前😆2026/01/25 13:08:33443.神も仏も名無しさんUyhXf春は永遠ではないし夏も永遠ではないま、地球の赤道は一定だろな南極、北極は1日中夜の時期があったり、昼の、時間は違うだろうけど😆2026/01/25 13:10:50444.神も仏も名無しさんUyhXf勝義諦など用無し言ってるやつは禅のビギナー以前😆に修正😆2026/01/25 13:11:34445.神も仏も名無しさんUyhXf俺は南極から〜赤道と天台と北極しかマップがなかった間の、倶舎論、唯識が探索不足であった山伏念仏神仏習合は月だな、あれは別ゾーンだ😆2026/01/25 13:19:42446.神も仏も名無しさんv4d5dこれで仏のスレ主の手の内の暴露、分析はてきたやろ😆2026/01/25 13:39:30447.神も仏も名無しさんizZm9🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/25 20:11:13448.◆JBLfMwCXhYXGtwP北極−南極の分析か😆2026/01/26 00:46:51449.◆JBLfMwCXhYXGtwP北極から見て、南極は赤道より遠いでも、赤道よりずっと北極に似ている2026/01/26 00:47:38450.◆JBLfMwCXhYXGtwP右翼と左翼が似てるようなものだ両極端はだんだん似てくる2026/01/26 00:48:05451.◆JBLfMwCXhYXGtwP【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「感覚の実況中継と観察」についてスマナサーラ長老がお話します。2026/01/26 00:48:21452.◆JBLfMwCXhYXGtwP[Q] 「観察する」という言葉ですが、私の理解では花や草木や昆虫などの何かモノ(対象)を見るというイメージがあります。ヴィパッサナー瞑想では、例えば「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と感覚を実況中継します。これは感覚を観察しているという意識では無いのですが、これが観察ということなのでしょうか?2026/01/26 00:49:25453.◆JBLfMwCXhYXGtwP[A]■ヴィパッサナーに必要なことヴィパッサナー瞑想の実践では、頭(思考)を使うことを何とか控えてください。頭で理解しようとする癖が、どこかで引っかかって、囚われてしまうのです。「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と足の感覚を実況中継しますね。それがヴィパッサナーで必要な観察なのです。生きることと関係ないもの、花や草木や昆虫や動物などを観察することが、本当の観察ではないかと思っているかもしれませんが、そのような観察は子供たちもやっているし、科学者という方々も行っているのです。でも、誰一人も生きるとは何かと発見しないし、悟りにも達しません。2026/01/26 00:49:39454.◆JBLfMwCXhYXGtwP■生きることそのものの観察ヴィパッサナーは生きること自体、生きることそのものを観察することですから、物質的なモノを見ることではありません。「感覚を実況中継する」ことが観察するということなのです。それ以上はありません。余計なことをする必要はありません。知識でやってはいけません。知識が入ってきた時点で、成長はストップしてしまいます。瞑想できなくなります。ヴィパッサナーの観察は、知識で理解できないほど難しいのです。そんなことを言ってしまうと更に余計な知識が増えるだけですが。気づくこと、感覚を実況中継することが観察することだと理解してください。「膨らみ」「縮み」と実況中継しているなら、それは観察していることになるのです。2026/01/26 00:50:09455.◆JBLfMwCXhYXGtwP■妄想に気づくことも観察のうち瞑想中に「観察ってどういうことだ?」と思うことは、頭がどこかに飛んで行ってしまった、妄想してしまったということです。それですぐに「妄想、妄想、妄想」と気づいて(実況中継)、意識を戻さなくてはいけない。その時「妄想、妄想、妄想」と気づいたのは、頭が飛んだ(妄想した)ことを観察したということになるのです。2026/01/26 00:50:51456.◆JBLfMwCXhYXGtwP■言葉という道具を頼りに進んでいく身体の動きをきめ細やかに観察する。たくさんの現象を観察すると、観察能力がかなり上がります。観察能力が上達すれば、その時は言葉なく観察できるようになります。観察するすべての現象に適した単語・言葉は存在しません。言語は瞑想していない人が作ったものですから、どこまでも使えるという道具ではありません。しかし、基本的には言語に頼るしかありません。動作にはどんな言語でも単語・言葉があります。ですから、瞑想に使えます。名詞は使えません。高度な智慧のレベルに達するまでは、言葉という道具の助けが必要です。2026/01/26 00:51:24457.◆JBLfMwCXhYXGtwPなるほど言葉で実況中継するけどそれは、動詞が中心なんだな2026/01/26 00:53:27458.◆JBLfMwCXhYXGtwP名詞でラべリングするのは言語で意味づけすることだ確かに、それは避けないと😆2026/01/26 00:54:19459.神も仏も名無しさんwGbqD🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 01:28:56
【『ひるおび』だけじゃない、ワイドショーの高市サゲにSNS猛反発】 《モーニングショーもワイドスクランブルも高市総理を下げる報道ばかりだね。高市政権崩壊を願っているオールドメディアが本腰入れてきましたね》ニュース速報+597720.72026/01/26 03:45:00
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南極の禅
北極のテーラワーダの
ヴィパッサナーのサティが少し理解てきると
南極の禅が理解しやすい
麦、ハッスル、ムイムイ、デンパパ、リダン
はこのあたりが、わからんて
御託を述べている感、
説明的にいえば
😆
禅は説明不要なんて
基本的には塩対応は
自称禅やってますよ〜タイプに
禅のサービスだ
😆
😆
徹底的にやり尽くすのよ
「これはあかんわ」とわかるまで
サティの真意を掴み損ねたいるな、
サティ自体の目的を反転させると、
という意味だな
😆
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
hxeLr
>>865
> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい
> この抜き差しならない実物の方が大事
つまり、空観は観念の遊戯にすぎず
物には実体があるというのが真実であると?
2026/01/25 12:26:16
仕事や武道に転換てきるとかー
😆
中論よりも
テーラワーダのサティが近道だろなー
ゲルク派は
中論解釈はヒットだろな
😆
そりゃそうだろな
中論は、空と縁起思想の哲学
ラベリングとかで無我になる
テーラワーダては、無我で
外部は生滅してある
それを逆回転させると
無我と空を追加して
生滅の方へアウトプット
説明的だが
それが牛乳の味云々の
スレ主のスタンスみたいなもんやー
ま、これも近似値や
😆
六眼のサービス近似値解答やから
百点の説明てはないでー
😆
ゲルクのいう
止観相融的にみれば
この質問も、ま、愚問ということやな
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
hxeLr
>>865
> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい
> この抜き差しならない実物の方が大事
つまり、空観は観念の遊戯にすぎず
物には実体があるというのが真実であると?
2026/01/25 12:26:16
空の思想をバッサリと否定してるのは、なんとも違和感😅
なんとなく
テーラワーダ的な生滅的な雰囲気が
大乗仏教では
一番濃いやろな
😆
永遠嫌いやしなー
😆
それゃ、
空要素の薄い
華厳あたりの事事無碍法界の赤道から
南極へ行ったんやからー
😆
テーラワーダのサティを
理解しないと
その逆回転はわからんやろ
赤道の華厳の事事無碍法界問題もあるしなー
😆
両極端のようで、実際には似ているのかも(笑)
↓
唯識
↓
天台
↓
赤道、華厳、真言
↓
南極、禅
みたいな位置関係
ハッスル🤡はアタマ悪いから
んな視点はない😆
かな
😆
南極、禅は唯識だー
みたいな地図になってるやろなー
😆
天台華厳真言あたりの
構築したのを
解体したからなー
無〜〜〜
😆
南極以外
関心ありません
といったところやろなー
😆
赤道の天台華厳真言を解体した
勝義諦とか持ちたす
ハッスル、麦は
俺的には
空いた口が塞がらない
😮
赤道、北極知りませーんみたいな
😆
赤道では、こーいう発想しない
生滅的雰囲気がある
これ一つで、まー仏のスレ主の正体も理解できる
中論用無しだ
😆
https://kougetsuin.com/blog/%E7%A6%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0/4125
という部分
他の解釈は
今ひとつだな
このブログは
😆
仏のスレ主の趣味は
こんなところだ
😆
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」は、曹洞宗の開祖道元禅師の和歌で、四季折々の自然の姿そのものが仏の真実の姿(本来の面目)であり、それをありのままに受け入れる禅の境地を示しています。花、ほととぎす、月、雪といった自然の現象に、**「本来の面目(ほんらいのめんもく)」**という副題がつけられ、それぞれの姿に真理が顕現していると説く、禅の教えを表現した歌です。
歌の意味と解釈
春は花(はるははな):春には花が咲き、その花自体が真実の姿である。
夏ほととぎす(なつほととぎす):夏にはほととぎすが鳴き、その鳴き声に真実が宿る。
秋は月(あきはつき):秋には月が輝き、その月光に真理が表れる。
冬雪さえて、すずしかりけり(ふゆゆきさえて、すずしかりけり):冬の雪が澄み切って冷たいように、その清らかさ、冷たさの中に真実がある。「すずしかりけり」は「清々しい」という意味で、自然のありのままの姿に感動する境地。
こういうこったな
😆
用無し
言ってるやつは
ビギナー以前
😆
夏も永遠ではない
ま、地球の赤道は一定だろな
南極、北極は1日中夜の時期があったり、昼の、時間は違うだろうけど
😆
用無し
言ってるやつは
禅のビギナー以前
😆
に修正
😆
南極から〜赤道と天台と
北極しか
マップがなかった
間の、倶舎論、唯識が探索不足であった
山伏念仏神仏習合は
月だな、
あれは
別ゾーンだ
😆
仏のスレ主の手の内の
暴露、分析は
てきたやろ
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
でも、赤道よりずっと北極に似ている
両極端はだんだん似てくる
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「感覚の実況中継と観察」についてスマナサーラ長老がお話します。
「観察する」という言葉ですが、私の理解では花や草木や昆虫などの何かモノ(対象)を見るというイメージがあります。ヴィパッサナー瞑想では、例えば「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と感覚を実況中継します。これは感覚を観察しているという意識では無いのですが、これが観察ということなのでしょうか?
■ヴィパッサナーに必要なこと
ヴィパッサナー瞑想の実践では、頭(思考)を使うことを何とか控えてください。頭で理解しようとする癖が、どこかで引っかかって、囚われてしまうのです。「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と足の感覚を実況中継しますね。それがヴィパッサナーで必要な観察なのです。生きることと関係ないもの、花や草木や昆虫や動物などを観察することが、本当の観察ではないかと思っているかもしれませんが、そのような観察は子供たちもやっているし、科学者という方々も行っているのです。でも、誰一人も生きるとは何かと発見しないし、悟りにも達しません。
ヴィパッサナーは生きること自体、生きることそのものを観察することですから、物質的なモノを見ることではありません。「感覚を実況中継する」ことが観察するということなのです。それ以上はありません。余計なことをする必要はありません。知識でやってはいけません。知識が入ってきた時点で、成長はストップしてしまいます。瞑想できなくなります。ヴィパッサナーの観察は、知識で理解できないほど難しいのです。そんなことを言ってしまうと更に余計な知識が増えるだけですが。気づくこと、感覚を実況中継することが観察することだと理解してください。「膨らみ」「縮み」と実況中継しているなら、それは観察していることになるのです。
瞑想中に「観察ってどういうことだ?」と思うことは、頭がどこかに飛んで行ってしまった、妄想してしまったということです。それですぐに「妄想、妄想、妄想」と気づいて(実況中継)、意識を戻さなくてはいけない。その時「妄想、妄想、妄想」と気づいたのは、頭が飛んだ(妄想した)ことを観察したということになるのです。
身体の動きをきめ細やかに観察する。たくさんの現象を観察すると、観察能力がかなり上がります。観察能力が上達すれば、その時は言葉なく観察できるようになります。観察するすべての現象に適した単語・言葉は存在しません。言語は瞑想していない人が作ったものですから、どこまでも使えるという道具ではありません。しかし、基本的には言語に頼るしかありません。動作にはどんな言語でも単語・言葉があります。ですから、瞑想に使えます。名詞は使えません。高度な智慧のレベルに達するまでは、言葉という道具の助けが必要です。
言葉で実況中継するけど
それは、動詞が中心なんだな
言語で意味づけすることだ
確かに、それは避けないと😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。