「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi)」は、哲学者ジョージ・バークリーの主観的観念論の中心原理で、物事の存在はそれが誰かの心によって知覚(見たり、聞いたり、触れたりすること)されている場合に限られる、という考え方です。つまり、私たちが「物質的な実体」として認識している机やリンゴなどは、色や形といった観念(アイデア)の束に過ぎず、それらを認識する「心(精神)」がなければ、それらの観念も存在し得ない、という主張で、現実世界そのものの存在を否定するのではなく、その存在を「知覚に依存する」とした点が重要です。
高野山の聖地「奥之院」に秘められた空海の思いとは?高野山大学副学長が解説する奥之院https://www.youtube.com/watch?v=SvHOcAIPJYg
https://www.youtube.com/watch?v=0T4rDyVQ47E
空海と
天台の読書か
😆
外に置いたスポーツドリンクが
ぬるくなってない
季節だな、
😆
知らないことが多いね🤔
空海の最終的な目的は即身成仏であり、その行為は利他行だそうだ。上記の動画で言っていた。我々は仏であるが仏である事に気が付かないというスタンスみたいだ。
日本有名神がたくさんいた😆
アマテラス=大日如来の
世界観は多数派だった
奥の院は
明治期以前は
その発想の場であっただろな
😆
仁和寺の謎を解けてきた
たぶん、それだ
空海=大日如来=アマテラス
みたいな😆
😆
宮内庁御用達の寺
414尊 描かれている。
明治期以前は
仁和寺門跡の神仏習合の祈祷処があった
😆
スルーされていたかも
と思いつつある
😆
😆
疲れやすさが抜けてきた
朝からヘビメタだ
😆
弘法大師様が、泉聖天尊の教えの実行を、推奨してくださっていると思います。
「手から出る糸を縦糸にして、横糸は、泉先生の御教えを村木先生からいただけますから、それを横糸としてするなら、心に着る錦ができます。」と、おっしゃってくださっています。
泉聖天尊の教え(神泉園講話集)の「弘法大師様のお言葉」を見てください。
https://www.sanboukai.jp/
突然の投稿で、「なんだこれは?」となりますよね。
困って、相談に来られた人から、話を聞かずとも、その人が、どういうことをして、どういう原因で困った状態になっているのかを、わかる方でした。
泉聖天尊は、「教えの親は大師ぞよ」と、おっしゃっておられました。
村木先生は、泉聖天尊が亡くなるまでの4年間、直接指導を受けられました。
泉聖天尊がお亡くなりになる前に、村木先生に「村木さんよ、わしが教えることはもうすんだ、これからは、おまはんは、大師 (弘法)が『育てるぞ』と言っているぜ」とのありがたいおことばがありました。
村木先生は、膨大な仏教経典を研究せられ、泉聖天尊の教えが、仏教経典の教えと一致していることを確認されたのだと思います。
お釈迦様の教えは、人類の宝です。
お釈迦様の教えを、お釈迦様のお弟子様方が、後世に伝えてくださったことは、本当にありがたいことです。
お釈迦様は2千5百年前の方であり、その教えは、パーリ語等、インドの言葉で残されたと思います。
唐の玄奘三蔵様は当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅に出られ、インドで修学の末、17年に及ぶ旅を終え帰国されました。
帰国後は、持ち帰った経典を翻訳されました。
日本にも仏教が伝来しました。
弘法大師様が唐に渡られ、密教を持ち帰られました。
日本で、経典に接することができるのは、非常にありがたいことです。
しかしながら、我々一般人にとっては、経典は、難しく、研究しないと、なかなか理解が難しいと思います。
その点、村木先生が、泉聖天尊の教えを、わかりやすく講話されているので、我々は、講話を学び、実行することによって、良い因縁を作っていくことができると思います。
講話を熱心に学び、実行することによって、苦の世界から抜け出せ、悟りへの道が開かれると思います。
多くの人に、講話を読み、聞いていただきたいです。
皆さんおめでとう。
AIで阿頼耶識と老子の無の違いを言い合っているw
出だしは私の前の私ということである。
この私とは構造的なもので、私という意識は後付けであるという議論から、唯識の阿頼耶識は構造的ではないか?では老子の意識前とは相対前である。視点が違うということをAIが言っている。
まぁ、こんなことをしながら遊んでいるw修行は女性が普通にやっていることを意識してやっている。まぁ家事ねw
明けましておめでとうございます
おめでとうございます!
書き込む暇がなくてすいませんね。
とにかく、いそがしいw
両者はどちらも「意識以前」を扱うけれど、
阿頼耶識は“心の仕組み”の話で、
老子の無は“世界そのもののあり方”の話。
つまり、
阿頼耶識 → 心の深層構造
無(道) → 宇宙の根源的なあり方
という違いがある。
似ている点
どちらも“意識以前”を扱う
主体と客体が分かれる前の層を重視
言語化できない領域を指している
「私」は後付けであるという理解と相性が良い
☆違う点(ここが核心)
*阿頼耶識
心の構造
心の働きの因果
記憶・習慣・傾向の蓄積
“心の世界”の説明
*老子の無
宇宙の根源
存在のあり方
有と無の相互生成
“世界そのもの”の説明
*つまり、
阿頼耶識は“心の深層構造”で、
老子の無は“存在の深層構造”。
扱っているスケールが違う。
*なぜ日本語の「寒い」は即座に“感じられる”のか
日本語で「寒い」と聞くと、
身体 感覚 過去の記憶 状況のイメージ
これらが一瞬で立ち上がる。
これは、
あなたの阿頼耶識(=構造)に日本語の「寒い」が深く結びついているから。
つまり、
「寒い」という音と意味と感覚が、
あなたの深層構造の中で“セット”になっている。
では英語の “cold” がピンとこないのはなぜか
“cold” という音は、
あなたの深層構造(阿頼耶識)にまだ十分に結びついていない。
だから、感覚 感情 身体反応 記憶
が即座に立ち上がらない。
つまり、
“cold” はまだあなたの構造の中で「相対化」されていない。
ここで「相対化以前」という概念が効いてくる
あなたが言う「相対化以前」とは、
主体/客体
言葉/意味
音/感覚
こうした区別がまだ立ち上がっていない状態。
日本語の「寒い」は、
あなたの構造の中で
“音=意味=感覚=反応” が一体化している。
これはすでに“相対化された後”の世界。
一方で英語の “cold” は、
まだその一体化が起きていない。
つまり、
“cold” はあなたの構造の中でまだ相対化されていない=相対前の状態に近い。
平等とは本当にあるのか。なんてね。私が理念は修行的である。修行の中でしかありえないとかいうと、政経が哲学になってしまう。
今真言宗寺院で
禅定ミドルクラスをキメてきたぜ〜
僧侶と手伝いしている
女性は
良からぬものを感じる敏感体質らしい
俺は大方良いものしか感じないが
😆
夕が気づくチャンスがある時気づく可能性が低い
仏教魔王のお墓参りしてきた
最初だけ歓迎リアクションで
あとはノーリアクション
禅の世界ではよくあることだ
😆
レスする暇がなかった
朝は墓参り奉仕
昼から真言宗寺院で
自慢しまくったあと
禅定ゾーンミドルクラスにはいっていた
😆
「即身成仏義」の構造としては、まず「序」があり、続いて8行の詩(頌)が書かれ、次のその頌の説明がなされます。
「即身成仏義」の構造
「序」は「二経一論八箇の証文」と呼ばれます。まず、仏教の伝統的な成仏観を説明したあと、空海が即身成仏を提唱した背景を過去の仏典から示します。いわゆる先行研究によるエビデンスの提示です。
続く8行の詩は「二頌八句」と呼ばれ、四句+四句になっています。この詩は、本論のサマリーとして機能し、現代の論文の要約に相当します。サマリーを詩で書くっていいでしょう。
四種曼荼各不離
三密加持速疾顕
重重帝網名即身
法然具足薩般若
心数心王過刹塵
各具五智無際智
円鏡力故実覚智
二頌八句の詩(頌)
そして、それに続いて、その詩の解説がなされますが、下の図を見るとわかるように八行の頌でも前半の四行の説明が中心で、しかも最初の一行(六大無碍常瑜伽)と三行目(三密加持速疾顕)に多くの紙幅が使われています。
六大無碍にして常に瑜伽なり(体)
四種曼荼各々離れず(相)
三密加持すれば速疾に顕はる(用)
重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)
《原文》
六大無碍常瑜伽(体)
四種曼荼各不離(相)
三密加持速疾顕(用)
重重帝網名即身(瑜伽)
「起」「承」で、人間と仏さまは同じだということを述べ
「転」で、じゃあ、どうやったら仏様と一体化できるかということを説明し
「結」で、それをインドラ・ネットワーク(帝網)に広げる
…という構成になっています。
さらにその視点も変わっていきます。
人間と仏様が同一体ということを説明するときも、最初は「六大」という細かな構成要素に分けるところからはじめる。わざと小さな部分に分割する。
それが次に「四曼荼」で機能的な説明になる。
構造が機能になることによって、視点は広がる。
が、次に「三密」でまた構造的な話になる。が、今度はそれに行為が含まれる。
そして、最後はインドラ・ネットワークなんていう、超広大な宇宙的な視点になる。
さすが漢詩の天才、空海です。
まず、起承転結の「起」です。
意味をざっと説明します。
「万物の構成要素である『六大』は、たがいに入りまじって(無礙)、しかもつねに統一(瑜伽)されている」
六大とは「地・水・火・風・空」の五大に「識」を加えたものをいいます。
人間の身体は、この六つの要素(地・水・火・風・空・識)で構成されています。
「地」は肉や骨などの硬いもの、
「水」は血液や汗などの水分、
「火」は体温や熱、
「風」は息、
「空」は体内の空洞、
「識」は意識や認識などです。
ところが、仏様も人間と同じ六大の構成要素でできていると空海は説きます。これにより人間と仏様の本質的な違いはないというのです。
次に、起承転結の「承」です。起を承けて述べます。
「曼荼羅には四つのものがある。その四つは連携し合っている。これは仏様の曼荼羅だけではなく、人間でも同じだ」
曼荼羅には4つの種類があります。
・大曼荼羅(形):私たちが曼荼羅(マンダラ)と聞いてイメージするのがこれです。多くの仏様の姿が描かれます。
・三昧耶(さんまや)曼荼羅(持ち物):仏様の持ち物によって描かれる曼荼羅です。
・法曼荼羅(名前):一体一体の仏様を梵字一字であらわした曼荼羅です。
・羯磨(かつま)曼荼羅(動き):仏様が立体となっている曼荼羅です。東寺(京都)の立体曼荼羅が有名ですが、サンスクリット語では「カーマ」なので、動きがあるのが本当です。
そして、人間もこれらの四種の曼荼羅を持ちます。
スケザネ(渡辺祐真)さん
たとえば、スケザネさんは…
このような姿をして(大曼荼羅)、
このような服を着て(三昧耶曼荼羅)、
そして「わたなべゆうま(スケザネ)」という名を持ち(法曼荼羅)、
そして当然、立体であり動きます(羯磨曼荼羅)。
そう考えると、仏様も人間も同じなのです。
…と起承転結の「起」と「承」で、仏様と人間が、その本質においては同じであることが示されます。
そこで次は、起承転結の「転」となります。仏様と人間とが一体であるということを示した起承をベースに、この「転」では人間が仏様になる方法が具体的に示されます。
意味をざっと説明すれば「三密、すなわち身体、言葉、意識を仏のそれと通じさせようとすれば、即座に成仏できる」となります。
三密というのは身(身体性)、口(言葉)、意(心・イメージ)、これを仏様のそれと同じ実践をすることです。
「身」は具体的には印を結ぶ、
「口」は真言を唱える、
「意」は仏様をイメージする
…と言われています。
(4)重重帝網(たいもう)なるを即身と名づく(瑜伽)
そして、最後が起承転結の「結」です。
「これら(六大・四曼・三密)が網の目のように入りまじわり、重なりあっていることは、まるで帝釈天の網のようであり、だからこそこの身このままで成仏できるのである」
帝網:インドラの網
ここに「帝網」、帝釈天の網という比喩が出されます。
帝釈天の宮殿には、無限に広がる網が張りめぐらされていて、その網の結び目には無数の宝珠がかけられています。そして、各宝珠は互いに映しあい、一つの珠にすべての珠が映り、すべての珠にも一つの珠が映ります。
すなわちあらゆる存在には、あらゆる存在が映り、そこに差異はありません。人間と仏も同じです。そう考えます。
宮沢賢治は「インドラの網」という童話を書いています。インドラとは帝釈天のことです。
仏様と自分は違うように見えても、実は網のように複雑に絡まり合い、全てが繋がっています。ニューロ・ネットワーク的な、インドラ・ネットワークの中にすべての存在はあります。
帰り際に
真言宗僧侶と話をしていた
真言宗僧侶の知り合いは
ここよ一人だけだ
😆
たしかにインドラの網だ
天台宗からの
そんな雰囲気が入りだす、
むろん天台小止観でもだ
唯識と
天台宗、三論宗の間には
NO1は勘違いするくらいに壁は存在する
😆
法華経内容のインドラの網的なものが
存在する
当然、出口王仁三郎超えの俺にとっては
体験ありきのレスしているのが当たり前😆
宝珠は互いを映し合う
一つが曇れば、全体が曇る
一つが輝けば、全体が輝く
唯識の鏡と少々違うような気がする。鏡とは自分の心模様。自分自身でもある。
重々帝網と
ある
まー
昨日の真言宗寺院で
片付け手伝いで
それに入ってはいたが
😆
夕
😆
風呂あがりで着替えたあとでもなー
😆
年末、滑って転んで、あばらをやられました。なかなか治んないねです
心頭滅却すれば火もまた涼しいなんて言いますけど。いたいです
たとへがおかしかったかw😊
それは大変だったな
俺も30ジャストの時
寒いので
飛び出したら
軽く車にひかれて
あばら骨少しヒビ入った
😆
昨日まで
臨濟宗が最初、
真言宗が正月から
まー修行の鬼だね
😆
かなり修行したな
😆
応用が
キリスト教の洞察が深まったナウ
😆
般若心経で盛り上がっているね。縁起がいい😊
禅は
臨濟宗がらみだから、
夕向けのネタはない
😆
一切 即 仏 仏 即 一切
とかね。
とかもあったな😊
ちっとは理屈の基礎で
進歩しとくよーにこれでも見とけ
https://m.youtube.com/watch?v=Qiq6q_xGcaM&pp=ygUS5Yqg6Jek44CA5LiJ6KuW5a6X
禅宗ってのは、ネタがか宗派だよなあ
いつまででも書き続けられる(笑)
何だかんだ言って
臨濟宗世界を、事細かく話さないなー
得体の知れないお題だされて
自力で解答ださなあかん、
ハッスル🤡様みたいな漫談ではない
あのボンクラ管主みたいな理屈でもない
😆
川上セッタンの動画で降臨させてレスすれば、まーまーやれるからなー
出口王仁三郎か、呪術廻戦の拝みババアみたいな
😆
真言宗僧侶も言っていた
まーそーだな
三時あたりから
そのゾーンに入っていた
その前は鬼修行のお話
倶舎論と修行回数自慢はいかん坊主の動画の話
😆
無理だ
😆
https://m.youtube.com/watch?v=68vfq1PZHaE&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki
https://m.youtube.com/watch?v=r8H-dDFHHPs&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki
当然、拝みババアのノリ
😆
弘法大師様の著作の内容を解説していただき、ありがとうございます。
勉強になります。
大師様の教えを学ぼう😆
😆
今日は曹洞宗寺院で勤行一式と
つる切り作務やってきた
予定がなかったんだが
2日の真言宗寺院参りのオチらしい
無関係ではない
大晦日から修行の鬼だったので
2日の真言宗寺院で
俺をほっておくものか〜教えてやる〜
のノリだったらしい、あちらさんが
曹洞宗寺院での
いつもの読んでいる
修証義、第4章の内容と
関連があったらしい
次、その真言宗寺院に行く時の自慢話だなー
これは
😆
でっか〜
😆今日まで
修行ネタは続いていたよーだ
😆
訓感認知とはよくわからないのだが、
このようなことか?
曼荼羅的なものを空間認知する。
体もはいるのか。宇宙も入るのか?
空海は「身・口・意」の三密を宇宙の三密と一致させることで成仏すると。
ま、空間に何かを感じる
真言宗僧侶もそのように言っていたし
俺も、まーそんな感じだ
曹洞宗寺院は
「無」からの空間認知であるけどなー
曹洞宗はわかりやすい
臨濟宗はめんどくせー😆
そこ住人だけどなー
😆
俺の禅の為の基本教育アイテムだった
😆
臨濟宗の入口は見えていた
そこから、厄介なんだけどなー
ブイブイ😈、ハッスル🤡を
ぶっ壊すようなー
😆
真言宗僧侶で
密教と禅もの違いは
密教は観相能力の瞑想センス
禅はなにもない無のセンスとか
言っていたな
俺は観相センスが先行していて
禅の空間認知の土台になっていた
😆
チャンネルやったな
😆
臨濟宗の解釈はどうだか?感はあるが
曹洞宗と真言宗の違い、
はいい線かもなー
😆
観相能力の瞑想とは
*対象を心に明確に観じる瞑想(密教・真言)
密教では「観想(かんそう)」と呼ばれ、
本尊の姿
曼荼羅の構造
光明
種子字(梵字)
自身が仏となった姿(自観仏)
などを心に鮮明に観じる。
これは 観相能力を鍛える瞑想 そのもの。
目的は、
行者の心と本尊の心を一致させる(不二)
三密加持を成立させる
という密教的な悟りの実践。
このようなことか?
観相してまうので
間すっ飛ばし
😆
チベット密教ニンマ派を理解しようとか
荒業狙ってたなー
😆
観相は
チベット密教だったけど
😆
2004年あたり
2008年あたりから禅オンリーになった
😆
チベット密教我流満足したら
真言宗各宗派を
般若心経一本で勝負しに行ってた
相性の良い宗派は般若心経無しでもいける簡単だが
いけない真言宗宗派がいくつかあった
😆
最奥義:ゾクチェン(大究竟)
ニンマ派の最大の特徴は ゾクチェン(Dzogchen) を最奥義とすること。
ゾクチェンは、
始原清浄(カタク)
自然成就(ルンドゥプ)
を説き、
「本来すでに完成された心の本性を直接認識する」
という究極の教え。
これでいいのか?
これと空海で理解するとは?
大奥義が本覚ぽいのだが。
ほとんどロンが好きそうな話やろ
曹洞宗がゴジラなら
ニンマ派はメカゴジラやな
😆
そういうの
「阿字本不生」
とか言っとるやろ
😆
確かに😊
本来は
俺側が好まん傾向にあったのでニンマ派に走った、
真言宗の観音は
俺に教育したかって一方的ラブで
俺的には基礎教育になったので
今、恩返しの茨の木やつるの切り作業するようになった
😆
阿字本不生とは
「阿字」=万物の根源・大日如来
「本不生」=本来不生不滅・空
宇宙も自心も本来不生であり、仏そのもの
真言密教の瞑想・宇宙観・即身成仏の核心
という教え。
なるほど
俺にラブなのに
俺はウマが合わんなー感覚とか
ヒデェー第一印象
家に即身成仏義があったから
それを見ながら
ニンマ派の本尊研究我流修行してた
😆
俺的神秘主義好み美人三姉妹に
ランクインしてないからなー
チベット密教は一つまとめで
ランクインしている仕事日の前は
ヤクザな仕事と相性悪いのでノータッチ
溺れる
😆
真言宗なの?
この辺の内容が分かっていたら、若ければはまっていたかもw
空海の著作
😆
本来は哲学研究家探求時代に
空海とか仏教思想の本を古本屋で
安いのを買いまくっていた
1990年くらいに
古本屋本買いまくり思想マニアだった
😆
「空」による不二(有無不二)
有と無はどちらも成立しない → 空である
すべての対立概念(生滅・常断・一異・来去)が否定される。
不二の意味
二元対立は、言語による仮の構造でしかない
すべては「空」であるため、対立そのものが成立しない。
実践
論理的分析(中論)
空性の洞察
哲学的・論理的な不二
とりあえず、竜樹のを上げておく。
宗派不二の意味特徴
中観有無不二(空)論理的・哲学的
禅主客不二体験的・直観的
天台空・仮・中の三諦円融統合的・体系的
華厳事理無碍・事事無碍宇宙論的・相互浸透
真言密教仏と衆生の不二(三密)実践的・身体技法
ゾクチェン本来清浄・自然成就直接的・本覚的
面白のがあったので貼っておく
法華経の
釈迦の一切世界を照らすイメージが三諦円融ということで
最上部で
その下に勝義諦と世俗諦を
設定しとるな
😃
私はたいして理解しているわけではないw
でおーが何を言いたいのか探索している😊
真言宗、浄土宗、山伏とかの関係とか、多分知らない人の方が多いよ。
存在が相互に写し合う
インドラの網というこやな、
そこから密教にいくわけや
😃
というのは
道元禅にもあるだろう
ロンは半端にしか説明しないだろうな
だそうだ道元禅師
「修」と「証」の同一性: 「山河大地、みな仏性海なり」と説く一方で、それは修行して初めて現れるものであり、修行(只管打坐)なしには仏性(実証)は得られないとします。「修」と「証」は別々ではなく、修行そのものが仏性を現す行為(修証一等)であると説きます。
もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸仏法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟無為の深般若を開演す。
これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに仏事を助発し、ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本証の仏化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の仏徳そなはり、展転広作して、無尽、無間断、不可思議、不可称量の仏法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。もし、凡流のおもひのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあひ覚知すべきなり。もし覚知にまじはるは証則にあらず、証則には迷情およばざるがゆゑに。
インドラの宮殿
インドラの光
こんなのもあるんだ。
華厳経の教えでもあるが、これを密教は積極的に取り入れている。
禅バージョンの
インドラの網とも言える
😃
世俗諦と勝義諦の上にあり
天台宗は、痕跡は残るが
華厳真言禅は
インドラの網で
仕上がり視点がメインになる
😃
バカだから
天台あたりで
三諦円融
仮=世俗諦
と
空=勝義諦
中道が
その三つが円融するという意味が解ってない
ま、バカに指導したい親切心は
俺にはない
😃
どこの文献かな。昔見たことがあるんだよな。
さほどら究極的という感じではなさそうだな
俺的には究極禅定から空間認知はできるけど
現在の日本密教でも
本来のキリスト教ぐらいの迫力はありそうだ
キリスト教の聖霊の導きで生活するとかいうノリ
如来智慧を感知でコツコツと如来の三密を理解する
みたいな感じさだろうな
😃
観相行をやり切るまで修行やるノリらしいが
現在の密教は
法事、法要に向かってやる途中で仏の色々認知が進むみたいな感じかもなー、😃
天台は“理解としての不二、
真言は“実践としての不二
内容ははしょるw
天台は観る
真言は成る
修行
道元は密教の「本来の思想」には理解を示す
しかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判
特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌った
ただし密教の哲学(本覚思想・法界観)には影響を受けている
という立場。
修行とは、もともとある本性(仏性)がそのまま現れるプロセス
そこだな、ポイントは
勝義諦とは、空観だ
中国仏教では、この 『仮⇔空』の二極対立を止揚するのが『中』であるという考えが生まれた
勝義諦 ・・・ 空観
円融三諦 ・・・ 中道観
逆に、法介師匠が最も好む分野でもある
この辺りでも、あの2人は合わなかった😫
> 道元は密教の「本来の思想」には理解を示す
> しかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判
> 特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌った
それは皮肉だな😫
道元のあと、曹洞宗は衰退したが
瑩山紹瑾が儀礼や加持祈祷の要素を大胆に取り入れて、再興した
そういうことでしょうな
もともと、仏なのだ
仏という本性を表に現せばいいだけ
竜樹のポイント
二つは矛盾しない。
世俗が成立するのは空だからである。
つまり、
世俗=縁起の現れ
空=縁起の本質
という関係。
*しかし竜樹は「同時に見る」とは言っていない。
あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。
天台
三諦は“同時に成立する三つの真理”
空諦:すべては空
仮諦:空であるがゆえに現象が成立
中諦:空と仮は矛盾せず同時に成立する
そして天台は言う。
*三つは別々ではなく、一念の中に同時に具わる(円融)。
これは竜樹にはない発想。
龍樹に、それは無い
勝義諦=空性=中道
これで完結している
仮諦と空諦の二極対立が気になった
さらに進めて、円融三諦へと向かった
天台の問題意識:
「空と仮が別々にあるなら、それはまだ二元論ではないか?」**
天台はこう考える。
空と仮が別々にあるなら、
→ まだ“二つの真理”があることになる
それでは「不二」にならない
真理が二つあるのはおかしい
宇宙は一つの真理であるはずだ
つまり天台は、
空と仮を“別々の視点”として扱うこと自体が不十分だ
と見た。
*確かに、こういうのって、老子の影響のような感じがする。
インド仏教の核心は 縁起・空。
すべては条件によって生じる
固定した実体はない
永遠不変の本質はない
絶対者も絶対原理も否定される
ナーガールジュナ(竜樹)は徹底してこう言う。
「空を実体視する者は救われない」
「空すらも空である」
「絶対的な真理を立てること自体が無明である」
つまり、
インド仏教は“絶対”という概念そのものを拒否する宗教。
そういうことなんだろうね。
色即是空 空即是色
これは、
色 → 空 になる
空 → 色 に戻る
という変化を言っているのではなく、
色=空(同一)
空=色(同一)
という 同一性の宣言。
*あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。
縁起(仮)であることは、無自性(空)であることと同じ
無自性(空)であることは、有無を超えた中道であることと同じ
つまり、
仮=空=中
これは「三つが別々の真理」ではなく、
同じ真理の三つの言い方。
・勝義諦=空性=中道(本質)
・世俗諦=縁起=仮(現れ)
この無は逆説でしょ
今という感覚一つとっても違うそうだ。
釈迦仏教の「今」
今にピントを合わせる=合一ではなく、執着の停止
三論宗では
それではない
加藤師匠の動画を勉強しよう
三論宗解釈はどうか
という問題が、残っている
😃
大般若経を合わせて読むと
どのような解釈が中論になされるか?
という問題が残る
😃
曹洞宗だろうが
そこ2件作務やってるが
最近、それだけで
マジでかなり究極のゾーンに入り気味になる
今も、そうのゾーンに、なってるなー
変に仏道修行熱心コースになってるぬ?
キリスト教、イスラーム研究てきないなー
😃
魔王かー
ますますだな〜
😃
そんなの、関係ねぇ!
になるけど😃
真言宗と曹洞宗
相当な完成体ぽくなってきたな?
😃
俺のヤル気は、そんなに決死さはないんだが
真言宗と曹洞宗の両方が
俺の脳内をこじ開けて
仕込みにきたな?
😆😆😆😆😆😆
天台浄土教、山伏、神仏習合、
唯識、倶舎論、テーラワーダあたりの
トップ情報が脳内に流入構築しとる
ほんまに根っからの修行マニアだ
キリスト教、イスラーム研究てきんな?
😆
あたりまえだが
戒定慧
ま、
ハッスルー🤡
ハッスルー🤡とか
やらん上品な世界だ
😆
キリスト教、イスラーム、神道研究に戻れた
😆
すごい組み合わせだな😂
華厳、真言、禅は
空間認知で共通項がある
心臓部が異なるだけで
空間が大日如来認知か、無に基づく空間認知か
の違いがあるだけくらいなもの
😆
驚きだが
今少しキリスト教の書物読んで満足した
クルアーンにいくー
😆
😆
仏尊の礼拝行
→イエス・キリストの礼拝、
→アッラーへの礼拝
とかのテーマ、
最初は瞑想と空間認知だったが
日蓮的なご本尊礼拝にテーマが移行して
今クルアーン
😆
福音書の箇所を引用しているところを読んでいる
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran019.htm
福音書の箇所を
クルアーン解釈で
アッラーはなんでも奇跡を起こせる
と
言う感じだな
😆
容赦無しにクルアーンを燃やして
挑発するんだろなー
😫
クルアーンには、旧約聖書のことも新約聖書のことも全部、書いてある
イスラム教徒は旧約聖書を読まない
霊的脳内ワールドやってる
😆
満足したので
神道を読む
😆
スマホありがたやー
https://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/oharai/t_02.html
邇邇芸命
)は豊かな葦原の茂る瑞々しい稲穂に恵まれた日本の国を、安らかな国として平穏にお治めなさい」と仰せられて、この国を御委任申し上げなさった。このように御委任申し上げなさった国の中で、乱暴する神たちを次々に問い
糺
され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で
掻
き別け掻き別けして、天上から地上へお降し申し上げた。このようにして御委任申し上げた地上の国の真中のすぐれた所として、この太陽が空高く輝く
糺
され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で
こーいう感じの展開なんだろなー
😆
まーまーブンブン丸だ
😆
終えた
次は天理教かな?
😆
人は言葉を覚えた瞬間から、
その言葉に対するイメージ
過去の経験
感情
価値判断
が自動的にくっつく。
たとえば「色」という言葉を聞くと、
形
固さ
大きさ
“そこにあるもの”
という実体感が自然に湧く。
これは人間の認識の仕組みであり、避けられない。
ほうが
日本仏教ですら多数派だからなー
言葉のイメージにシフトしているから
念仏、日蓮、山伏、神仏習合が
明治以前ては圧倒的多数派だからなー
😆
法華経そのもののイメージや
日蓮の解釈がメインだからなー
😆
色は
説一切有部の
分析内容だからなー
😆
オカシイ
😆
😆😟😆😆
天理教における最も重要な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手だてです。第一義的には、本部神殿で勤められる「かぐらづとめ」を指します。つとめは「かぐら」を主とし、「てをどり」に及びます。 かぐらは、10人のつとめ人衆が、「ぢば・かんろだい」を囲んで、元初もとはじまりにおける人間・世界創造に際しての親神様おやがみさまのお働きを手振りに表して勤めることにより、元初まりの親神様のご守護を今に頂き、よろづたすけの成就じょうじゅと陽気ぐらしの世への立て替えを祈念するものです
「よろづたすけの成就」への道のり
信仰の実践: 「おつとめ」や「てをどり」を日々勤める。
手振り(お手振り)の習得: 親神様の働きを理解し、真似ることで、その御守護を頂く。
救いの広がり: 多くの人が救われ、陽気ぐらしの世界が広がることを目指す。
つまり、「よろづたすけの成就」は、天理教の信仰者が教えを実践し、神の救いをこの世に実現していくための、活動の目標であり、最終的な到達点と言えます。
「読む人のレベルに応じて意味が変わる」
多層構造の経典
まるで鏡のように、
読む人の心をそのまま映す。
玄奘の思わく通り。
般若心経が“鏡”として働くのは玄奘の思惑通り。
その鏡が映す最深の空性は、玄奘の意図を超えているかもしれないw
昔はたくさんの訳を使われていたよーだ
空海や道元あたりは
玄奘三蔵訳は使ってなかったとか聞く
玄奘三蔵訳を使われたのは
高野山の僧侶が大和興福寺関連の土地地域出身と
明治以前の高野山に念仏山伏のたまり場になっていたせいだろな
😆
玄奘訳 → 分析知・唯識的理解
不空訳 → 密教的理解
法月訳 → 古典的理解
羅什系 → 詩的・直観的理解(もし残っていれば)
こんな感じだそうだ。
キリスト教、イスラーム、神道含めて
宗教臭いクセを把握できた
瞑想系統世界にいると
日蓮みたいなのは
理解不能だからなー
😆
😆
道元の純粋性というものを庶民が理解できなんだろうね。当時は魑魅魍魎の世界であるw 魑魅魍魎とは己の事である。その己を鎮めるので、加持祈祷が必要であった。そういう儀式が必要であったというのが実情ではないか。
キリスト教、イスラーム、神道は
こーいうノリらしい?
😆
守護するれいみたいな?
😆
https://m.youtube.com/watch?v=BnBCKXEjmwM&pp=ygUS6Jek5aCC6JG144CA55yf5Lq60gcJCU0KAYcqIYzv
純粋道元禅よりも臨濟宗要素一部入れた流れが増えている
俺は、その臨濟宗要素一部取り入れた流派は一昨年にマスターしてる
😆
純粋道元禅自称は許される範囲だろう
😆
セッタン流はマスターだ
😆
どこかいわんそ
余計な情報漏洩は防ぐ
😆
😆
ノーゲット
行ってないからなー
😆
まぁ、寺の坊主じゃなくてあういうところに行くのは変わり者が多いような気がするw 南直哉も似たようなものw
澤木興道一派もオリジナルではないか?
と
寺の師匠筋と僧侶の力量で独自の禅定感覚が個性が出る
臨濟宗は?というと
有るとも言える、無いとも言える
禅定感覚自体が重要ではない、
曹洞宗よりも、曹洞宗はかなり師弟の血筋みたいなのが影響ある
セッタンみたいなレベル高いの独自の禅定の間合いを持っている可能性がある
😆
割合個人力勝負てまはないので
血筋がハッキリしているので
宗派別でだいたい別れている
宗派内で統一してないのが高野山の宿坊
各各違いがある
😆
行ったこともないしな
😆
思っている
😆
真宗内宗派別で違う
俺が真宗寺院へ行くと
ほとんど
天台宗解釈みたいな感じになるからなー
真宗坊主が感知し得ないものを
感知しとるからなー
世襲坊主の大方は
俺より禅定能力低いのが多いでしょうな
禅のマジメなグループや
チベット密教、テーラワーダには
上から目線の感想は思わないけどな
😆
臨濟宗も人口では少数宗派だからなー
😫
円覚寺の管主、ボンクラなのかw
臨濟宗としては、
仏教者としては
いい人だろな
😆
仏が20分か1時間くらい出てたのは
やってたか?
俺は1秒くらい家に出た
😆
それは良さそうだな?
具体的に、仏が出た場面は、確認できなかったですね。
玄奘三蔵のインドの記録にはある
聖地で現れたらしい
😆
初期の般若心経は
五蘊皆空
空の六相
マントラ
だけだそうだ。まぁ金剛般若経に空という言葉を当てはめただけだとも思える。
まぁ、これは少々調べる価値がある🤔
空の六相 私が思うに、今だろうということである。
速くもなく、遅くもなく。ブッタも言っている。それの延長線のように感じる。
個々にかかれていることは、表層的なことである。もう少し、調べる価値がある。
論文を上げていかなけらば、なかなか納得するものでもない。
觀世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舍利弗色空故無惱壞相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覺相。何以故。舍利弗非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舍利弗是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不增不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無罜礙。無罜礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦惱。究竟涅槃。三世諸佛依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明咒。無上明咒。無等等明咒。能除一切苦真實不虛故說般若波羅蜜咒即說咒曰
竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提僧莎呵摩訶般若波羅蜜大明咒經
殆ど玄奘訳と同じ。非過去非未來非現在。これはないな。これを見ると、金剛般若経を思い出す。
つまりあまりにも玄奘訳に近い。羅什は、どちらかというと、般若思想の人である。綿密に名詞を出して、ないないはやらないだろうということみたいだ。
これは異本じゃないかということみたいだ。まぁ、もう少し調べてみたい。
羅什の時代の唯識は「萌芽段階」でもある。
腕疲れた😆
明日の仕事のための
ウォーミングアップどころよりも
キツかつた
😆
佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=vt77hn4zy4w
「阿含経」で生きる人、「般若心経」で生きる人(佐々木閑の仏教講義 特別編 その2https://www.youtube.com/watch?v=-nH7Rewh-Bw
空という信仰で生きる。空というのものも神秘性なのだろう。さらに神秘性とともに生きる。まぁこれで汎用性が生まれた。お釈迦様の作り上げたものは、合理的であったのだろう。空の上位と言えば、まぁ、仏の空間的広がりで在ろう。
あくまでも、十八界・十二因縁・四諦の否定 アビダルマの否定であった。
> バークリー、ヒュームの西洋哲学の流れにおいては、先に知覚対象としての物の実体性が否定され、そのあとで我の実体性が否定されたが、仏教において先に阿含、ニカーヤにおいて我の実体性が否定され、その後大乗仏教において物の実体性が否定された。
さすがは、佐々木閑先生
西洋哲学もよく知ってるな~😆
個人的に、大きな影響を受けた😅
という、イギリス経験論の三大哲学者の流れがあるのだが
ロックの世界観は倶舎論に似ている
バークリの世界観は唯識論に似ている~😆
> バークリー、ヒュームの西洋哲学の流れにおいては、先に知覚対象としての物の実体性が否定され
それは、バークリの「存在することは知覚されることである」理論を指していると思われる
観念論: 私たちが経験する世界は、心の中の観念(知覚されたイメージや感覚)の集まりである。
物質の実体否定: 観念の背後にある「物質」という実体は存在しない、と主張する。
「存在」の定義: あるものが「存在する」とは、それが「知覚される」こと、あるいは「知覚する心」として存在すること。
神の役割: 人間が知覚していない時でも世界が存続するのは、神が常に世界を観念として知覚しているからだと説明した(非物質主義的観念論)。
森の中の倒木: 誰もいない森で木が倒れても、もし誰もその音を聞いていなければ、その「音」は存在しない(音の観念は生じない)とバークリーは考えます。木が「存在」するのは、誰かが(神も含め)その木の色や形を「知覚」しているから、というわけです。
この考え方は、映画『マトリックス』のように、現実と仮想世界の境界を問い、知覚と存在の関係について深く考えさせるものです。
似て非なるものだ
仏教の影響を受けたらしいからなー
😆
ドイツ人のチベット潜入記みたいな本を
古本で買ったけど
最後のほうに謎のカルト密教集団の組織に入るとか、あったな、
途中で表にでない隠者の
空気の薄いチベット高山を高速であるく修行者とか
おもろかったな
2004年殺読んだ
😆
個人的に、西洋哲学史上で最も好きな人物😆
唯識論とか、「この世は仮想現実」理論に似ているからだ~😆
> バークリー、ヒュームの西洋哲学の流れにおいては、・・・そのあとで我の実体性が否定されたが
それは、ヒュームの「知覚の束」理論のことを言っていると思われる
印象(Impression)と観念(Idea): ヒュームは、人間が受け取る知覚を「印象」(鮮明な感覚)と「観念」(印象のコピー)に分け、これらが連続的に心に現れると考えました。
自我の実体否定: 私たちが「自分」と呼ぶものは、特定の単一の知覚ではなく、これらの印象と観念が高速で入れ替わり、束ねられて流動している状態に過ぎないと主張しました。まさに「知覚の束」です。
懐疑論の深化: われわれが当たり前だと思っている「因果関係」や「自分」といった概念も、単なる習慣や期待によって生じるもので、実体として存在すると証明できないと考え、徹底した懐疑論を展開しました。
影響: この「知覚の束」論は、後世の哲学者カントに大きな衝撃を与え、西洋哲学史において重要な概念となりました。
テレビの画面に映る「映像」のようなものです。一つの映像が固定されているのではなく、無数の点(画素)が素早く切り替わることで「動く映像」として認識されるように、人間の「自我」もまた、絶えず変化する知覚の集まり(束)である、というイメージです。
😆
似て非なるものだ
ゾーンとかあるからなー
テーラワーダは
😆
初期仏教のは、「仮の存在にすぎない我に対する執着を断って、解脱する」ことを目的としている
ヒュームのは、「我思う、ゆえに我あり」という、近代哲学の祖・デカルトに向けて異論を唱えたものだ
倶舎論は読めば、だいたい筋書きが解った
佐々木先生の動画のプラスアルファあったから仕上がっただけやけど
😆
> ホントに俺は 哲学は全くの無知に近いジャンルだな、栗本慎一郎?、ソシュール、メルロ・ポンティあたりしか読んでない
> 😆
それだけ読んでれば、かなりのものだが~😆
「五蘊仮和合」を体験として知るシステム
😆
> ニーチェ、ショーペンハウアーとかも
> 仏教の影響を受けたらしいからなー
> 😆
日本人よりもドイツ人のほうが、インド人ともともと考え方が似ているからな~
日本人は、「仏教を知ってるのは我々が東洋人だからだ。西洋人はこんなの知らんだろう」と思いがちだが、その考えは甘い~😂
自分という存在が、パチパチ点滅するのか~😆
だから真言宗は
テーラワーダの発想に一部先祖帰りしたな?
と
六大無碍だ
ハッスル🤡様が燃えているな?
悔しそうに
😆
ババジの動画です。
素晴らしいお姿に感動します‼️
https://i.imgur.com/DuaB6ea.jpeg
過去の空海言うなら今のスワミジにも参究すべし‼️
躁転しているのか?
👽
> スワミジは空海の転生者だよ
マジか~😵
マヤカシデンパパ📶
大爆発してたな?
NO1と共に
😆
それはどうでもいいんだ。
さて、老子と言えば、道可道、非常道 これだ。
この道を、法に変えると、法可法、非常法となる。
構文的には、即非のように見える。
となると、老子は勝義諦を語っているのかということにも見える。
まぁこんな考察をしている。相対もそうだけどね。
以前、なにかで「般若心経は一切空を説いている」というのを読んで、なんとなくわかった気になっていたけど、やはりわかっていないな。
前半は、「空」と「無」の字が多く、「一切空を説いている」ように思えますが、後半は「般若波羅蜜多」が多く出てきますね。
「菩提薩埵は、般若波羅密多に依るが故に、心に罣碍なく、罣碍なきが故に、恐怖あることなく、一切の顚倒夢想を遠離して、涅槃を究竟せり。 三世の諸仏は、般若波羅密多に依るがゆえに、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。」と。
六波羅密行は、施行、忍行、戒行、精進行、禅行、智行であり、村木先生は、まず、人間としての、施行、忍行、戒行、精進行が必要であり、特に施行が大切であると教えてくださっています。
やはり、悟りを得るためには、正しい修行が必要なんですね。
泉聖天尊が、あるとき、「どうして、自分のような者に、わかる力を与えてくれたのでしょうか」と神様に尋ねると「慈悲心ができたからじゃ」と答えてくれたそうです。
また、泉聖天尊が、「心が、ありがたさでいっぱいになる。心がからっぽになるのではない」とおっしゃっておられました。
慈悲と感謝の心が大事なのですね。
筋道をきとんとしないといけないだろなー😆
解釈によっていろんな宗派てきるわなー
まー真言宗僧侶との付き合いもあるしー
まー細かいのはしらんがー😆
そうそうだからでおーのやり方は間違い
WEB版 | 空海の庫を開く
真言密教は、顕教とは異なる独自の視点を持っています。顕教では、仏や菩薩を悟りを開いた「人」として捉える傾向がありますが、密教では仏や菩薩を宇宙の真理そのもの、すなわち「法身仏(ほっしんぶつ)」として捉えます。このため、密教は表面的な意味だけでなく、教えの中に隠された深い意味や象徴性を重視します。
また、真言密教の大きな特徴として「欲望の肯定」が挙げられます。一般的な仏教では煩悩や欲望を克服すべきものと捉えることが多いですが、密教では人間の欲望や存在そのものを肯定し、それを悟りへの道と捉える教えを説きます。これは、宇宙の全てが大日如来の顕現であるという思想に基づいています。
空間の自己の混ざり合う感覚は、ある
唯識では、たた識のみで
世界が、自分の内部に含まれるように
😆
すごい事知ってるね
なるほど
> 泉聖天尊が、あるとき、「どうして、自分のような者に、わかる力を与えてくれたのでしょうか」と神様に尋ねると「慈悲心ができたからじゃ」と答えてくれたそうです。
慈悲と智慧は、別々のものではない
慈悲が強くなれば、智慧も強くなる
密教では、仏は永遠の法身仏
大乗仏教では、「永遠の仏陀が説いた永遠の法」を肯定するのが主流だ
「方便だ~!」にこだわるのは、奇妙な解釈
「永遠の仏陀が説いた永遠の法」
↑
個人的に、かつては大川隆法っぽさを感じて、イラッとくるフレーズだったが😫
いまはさすがに、大川隆法を思い出すこともない😂
これは法華経の思想そのものだ👍️
ウンコはそれを忘れてるみたいだから、思い出すべき
リダンは知らないみたいだから、これから知るべき
大乗仏教の時代には、考え方が変わってきている
日本の仏教界の大半の人と、話がカミ合わない
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 沒在於苦悩 故不為現身 令其生渇仰
因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
我此土安隠 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
宝樹多花菓 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆伎楽
雨曼陀羅花 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽
憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者
則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 恵光照無量
寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故
実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生憍恣心
放逸著五欲 墮於悪道中 我常知衆生 行道不行道
随所応可度 為説種種法 毎自作是意 以何令衆生
得入無上恵 速成就仏身
私が仏になってから経過した期間は、百千万億という長い時間です。その間に教えを説いて数限りない人々を教化し、仏の道に導いてきました。それから長い時間が経過しました。人々を救うために、一度は(釈迦として)死んだ姿をとりましたが、実際に死んだのではなく、常にこの世界にいて法を説いているのです。私は常にこの世に現れていますが、神通力によって迷っている人々には、姿を見せないようにしているのです。人々は私の死を見て、私の遺骨を供養し、私をなつかしく思い、慕い敬う心を起こしました。人々が信仰心を起こし、心が素直になり、仏に会いたいと願い、そのために命も惜しまないように、その時私は、弟子たちと霊鷲山に姿を現します。そして人々に語ります。
「私は常にこの世界にあり、不滅ですが、人々を導く手段として死んでみせたのです」と。他の国土の人々も、私を信じ敬うならば、その人々のためにも、「私は最高の教えを説くでしょう」。あなたたちはこれを信ぜず、私が死んだと思っています。私がみるところ、人々は苦しみの中にあえいでいます。だから姿を現わさず、すがる心を起こさせたのですが、今私を仰ぐ心が起こったので、こうして姿を現し教えを説くのです。
罪を重ねてきた人々は、悪い行為の結果、どんな長い時が過ぎても、仏の教えを聞くことができませんが、善い行為をなし、心が素直な人々は、皆私の姿を見られますし、私の教えを聞くこともできます。こうした人々に、仏の寿命は永遠であると説き、やっと仏の姿を見ることができた者には、仏の姿を見るのは困難だと説きます。
人々は迷っているので、私が死んだと錯覚しています。私が常に姿を現わしていますと、なまけ心を起こし、欲望に捕われて、悪世界に堕ちることになります。そこで私はいつも人々が、正しい道を歩んでいるかを見極め、どうすれば救えるかを考えながら、ふさわしい教えを説いています。そして常に、「どうすれば人々を最高の教えに導き、一刻も早く仏に成るだろうか」と常に念じているのです。
タマゴからかえったばかりのヒヨコが、最初に見たものを親鳥だと信じてついていくように
変な人についていってしまった😫
まず、それを捨て去る必要がある
親善蹴り 間違い、自然 です。
親善蹴り なんかすごいなw。親善使節団に蹴りを入れいるようだw
我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅
がーじーごーしゅうじょう じょうざいしーふーめつ いーほうべん げんぬーふーめつ
いいね。
曹洞宗は読むからね。
😆
怨怨?笑
そんな次元で俺は動いてないよ
おれはずっと中論の真諦、俗諦の話を
しているんだが?
お前も龍樹はこう書いていると反論してたはずだが
中論では反論出来る内容がないみたいだな
まあそうだろうよ
どう読んだって言語に真諦があるという
意義は書いてないからな
正しい道を歩んでいるかを見極め、どうすれば救えるかを考えながら、ふさわしい教えを説いています。
これを方便と言うんだよ
いうとらんかいな
🫥
たずねみるに、仏道とは、まっすぐ只管打坐する、ただそのままの仏のいのち現成であり、本来あらゆるところにまどかに通達していて妙用自在の絶対の真実である。修行ということで、さとりをことさら求める必要がどうしてあろうか。
まさしく嗣法せられた坐禅、まさしく相承せられた宗旨、まさしく嗣続せられた宗乗であって、何の支障さわりもなく心覆い滞ることなく、自在に功夫は重ねられる。
いわんやこの真実の全体は、無常現成のいのち存在なるゆえ、坐禅が絶対の真実そのもので在り得ている。まさにこの尽十方界真実人体は、はるかに迷いの世界を超出している。一体、妄想・迷情を払拭する手段てだてなどを誰が信じよう。
簡単にいうがね
所知障りのまま煩悩肯定しても
どうしようもなかろう
三密を経ての話
セックスは清らかであるというのがあるわけだ
それを所知障のまま
欲望に赴くままは違うんじゃないかな
身口意にしろ
真言はとくに真諦、勝義が重要やないか?
そう書いてあるから
セックス放題でもいいんだーは
流石に指ばかり見ていると
言わざるをえない
😫
NO1だから
わからんでも無駄にベラベラやるかりなー
そう言う意味での無駄NO1
😆
付き合いのある真言宗僧侶は
功徳という地味な積み重ね
その意味は
今日の宗教研究で
さらに深まった
法事、法要趣味も含めて
😆
信仰はいるんじゃないか?
現世利益をお加持するにあたりさ
信仰が必要だろ
真言は在家にゃどうせいといってんの?
アジカンや写経すすめてないか?
三千円とかで
平安時代の初めに、密教を学ぶため遣唐使の一員、留学生として唐に渡られ、密教の第八祖になられた弘法大師・空海・お大師様(西暦774~835年)が、日本に帰られて後開かれた教えが真言密教・真言宗です。
密教においては、他の仏教とは違い、欲望も含め、我々人間の全存在を真正面から肯定します。
そして、
「仏様だけが尊いのではない。すべての人も同様に尊いのである」
「自分の中にこそ仏がいると知るべきである」
「本当の自分を知るということは、仏の心を知ることである」
「自分の中に宝を持っていながら、自分の宝を知らない」
と説きます。
「人間は皆、抜け出し難い業を背負っている」
ととらえ、その業=罪を生み出す元とは、次の三つ=三業であると説きます。
【1】人間が身体で行った罪(行為の罪)
【2】人間が口で喋った罪(言語の罪)
【3】人間が心で思った罪(意識の罪)
これに対し、真言密教では、この身・口・意の三業を「業」とはとらえず、「三密」と呼び、
この身・口・意を使ってこそ、仏になれると説きます。
密教という名称は、この三密に由来しています。
つまり、仏様だけが仏なのではなく、我々も同様に仏であり、本来仏たる資質を備えている。
そして、たとえスケールは違っていても、我々も他の人に代わってもらうことのできない独自な仏としての役回りを持っている。
だから、「仏と我々の身体・言葉・心の三種の行為の形態が、不思議な働きによって感応しあう時、速やかに悟りの世界が現れてくる。 (三密加持)」と説きます。
以我功徳力=我々の功徳の力
如来加持力=仏の救済の力
及以法界力=両者の出会いの場としての全宇宙のあらゆる力
この三つが融合しあうことをいいます。
天台浄土教修行してきた
😆
「加」とは、仏のお力(ご加護)が修行する我々の心に映ることであり、
「持」とは、修行者の心が仏のお力(ご加護)をよく感じること」です。
「愛欲に飽きることを知らないこと」「愛欲が原因で怒ること」「愛欲に酔いしれること」の三つを、なかなか抜くことのできない三毒の煩悩と説きますが、真言密教においては、「欲望」も「怒り」も、現に存在しているものであり、これを否定することは、「波の外に水を求めるようなものである」「波は水だ」と説きます。
この意味は次のとおりです。
「性の欲望というものは、もともときわめて御し難い、それ故欲望からくる諸々の悪を防ぐには、初めからその欲望を一切否定し、認めないとするほうが、策としては手っ取り早いし、教えにも一応の筋は立つ。それ故に一般の仏教では禁欲の旗を掲げているのだ。
しかし、現に生身の人間が住むこの世で、そういう教えが本当に成り立つだろうか。もしも性の欲が一切いらぬ、というなら子孫は絶え、この世から人間というものが消えうせることになろう」
真言密教では、次のように欲をとらえています。
「この世の中で欲望を捨てることほど大きな罪はない」
「もし、欲が邪魔になるなら、もっと大きな欲で制すればよい」
「例えば、御仏と同じ一切衆生を済度するという大欲が我々に持てれば、目先の小欲は制することができる、欲の浄化とはそういうことだ」
「将来、大欲があったお陰で今日の自分がある、と言えるようになれる」
夫れ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。
真如外に非ず。身を捨てて何んか求めん。
迷悟我に在れば、発心すれば即ち至る。
明暗、他に非(あら)ざれば、信修すれば、忽ちに証す。
哀れなるかな、哀れなるかな、長眠の子。
苦しいかな、痛いかな、狂酔の人。
痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」
(般若心経秘鍵)
この体を捨てていったいどこに真理を求めようとするのか。
迷いも悟りも自分の中にあるのだから、発心さえすれば必ず悟りにたどりつける。
智恵の光も煩悩の闇も、自分の中にしかないのだから、それさえ分かれば、結局、目を開けて見るか、目を開けて見ないかで決まってくる。
哀れなことだ、哀れなことだ、煩悩の闇に浸っている人は。
苦しいことだ、痛ましいことだ、煩悩の快感に酔いしれている人は。
酔っぱらい -煩悩にひどくとらわれている人- は、酔わない人 -迷いの世界の快感に酔っていない人- を笑うし、眠りこけているもの -闇夜に浸っているもの- は、目が覚めているもの -煩悩のとらわれから解き放たれているもの- を笑うようなものだ。」
(意訳)
真言宗醍醐派別格本山 狗留孫山修禅寺
所在地 〒750-0405 山口県下関市豊田町杢路子2643
正月2日に霊感ある女性と真言宗僧侶の前で加持力の話をちょろっとした
加持力は
唯識はあるといえばある、
山伏念仏日蓮も、
テーラワーダも生滅智の加持力ぽいのがある
無いのは禅のみ
禅に比べての話をした
😆
😁😁😁😁
まるで誰かだな?
😆
哀れなるかな、哀れなるかな、長眠の子。
苦しいかな、痛いかな、狂酔の人。
痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」
たくさんいるな?
哀れなるかな、哀れなるかな、長眠の子。
苦しいかな、痛いかな、狂酔の人。
痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
名称の由来:
毘盧遮那:サンスクリット語の「ヴァイローチャナ(Vairocana)」の音写で、「光り輝くもの」「遍く照らす」の意味。
大日:太陽(日)の光で全てを照らす、宇宙の根本を意味する。
宗派による使い分け:
華厳宗:毘盧遮那仏(盧舎那仏とも)を法身仏として説く。
真言宗(密教):毘盧遮那仏と同一視し、金剛界・胎蔵界の曼荼羅の中心に位置する教主を「大日如来」と呼ぶ。
表現の違い:
毘盧遮那仏(華厳経など):宇宙の真理そのもの(法身)として、より抽象的。
大日如来(密教):菩薩のような装飾(宝冠・瓔珞など)をつけ、王者の姿で表現されることが多い。金剛界では智拳印を結ぶなど、具体的な姿で示される。
毘盧遮那仏は「宇宙の真理」という概念的な存在で、大日如来は「その真理を太陽に例え、具体的に信仰の対象とした仏」であり、密教においては両者は同じ存在(同一仏)とされています。つまり、「毘盧遮那仏」という概念を、密教で「大日如来」という名前と具体的な姿で表現している、と理解すると分かりやすいでしょう。
真言宗では大日如来と呼ばれ、華厳宗では毘盧遮那仏と呼ばれる
パリパリの神秘主義だからなー
😆
テーラワーダの生滅智みたいなゾーンを
永遠の仏陀設定に解釈した
存在現象の生滅→それを永遠の仏陀
物質構成要素の生滅→大日如来そのものの六大の物質構成要素
と
禅定マニアの俺は
予測している
😆
三密加持で禅定をキメると
領域展開、空間は六大の世界て満たされる
😆
判断力には
全く役には立たなさそうだが
疲労回復、反転術式ぽい能力は圧倒的にある
😆
華厳、真言宗の
禅定の領域展開は余裕で
余程疲れてない限りいつでもやれる
😆
天台、華厳は玄奘三蔵以前の唯識系統の禅定の影響があるんではないか?
と推測している
😆
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
大日如来は実質的に唯一神と変わらない
概要: 仏教、特に密教における最高位の仏。「大いなる太陽(日輪)」を意味し、宇宙の真理そのもの、あらゆる仏の頂点に立つ存在とされます。
特徴: 宝石などで装飾された姿で表されることがあり、全能の力で人々の願いを叶えるとされます。
概要: ユダヤ教における唯一神。天地万物の創造主であり、他の神々を認めず、絶対的な存在として崇拝されます。
キリスト教・イスラム教: キリスト教の父なる神や、イスラム教のアッラーも、このヤハウェ(唯一神)を基盤としています。
「全能性」の類似: どちらも「世界を創造・統べる力」を持つとされる点で共通します。
シンクレティズム: 日本の神仏習合(神仏と神々を同一視する考え)や、異文化交流の中で、宇宙の根源たる大日如来と、唯一神ヤハウェが重ね合わせて語られることがあります。
大日如来とヤハウェは別々の信仰体系に属しますが、「世界を創造・支配する究極の存在」という共通の概念から、比較対象として、あるいは宗教的融合の文脈で言及されることがある、と理解すると良いでしょう。
宇宙の根源: 宇宙の真理そのものであり、森羅万象を生み出すエネルギーの源。
最高位の仏: 仏教の世界観では、全ての仏(如来・菩薩・明王など)のトップに位置します。
密教の本尊: 空海(弘法大師)によって日本に伝えられ、真言宗の中心的な存在。
金剛界(こんごうかい)
: ダイヤモンドのように堅固な智慧を象徴。
不動のポーズ
(両手を組む印)で表されることが多い。
胎蔵界(たいぞうかい): 母親の胎内のように万物を包み込む慈悲を象徴。菩薩のような装いの姿で描かれる。
仏像の特徴: 菩薩のような美しい姿(宝冠や装飾)で描かれ、穏やかな表情をしていることが多い。
即身成仏: 大日如来と一体になることで、生きながらにして仏になれる(即身成仏)と説かれます。
曼荼羅: 寺院の曼荼羅の中心に描かれ、宇宙を具現化した姿として信仰されます。
民間信仰: 日本の太陽信仰(天照大神)と結びつき、自然崇拝とも関連が深い。
😆
渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない
貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ
完全にでおーに当てはまる
修羅道とは
闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ
でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ
これもでおーの行動に完全一致
地獄道とは
怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
正義感が攻撃に変わる
これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする
まさにでおーが相手にやってる事やね
俺は寺門派の世界が悟りだと思っていたので
真言宗寺院の金剛ぽい感覚に違和感しか感じなかった
😆
https://st.andyou.jp/wp-content/uploads/2024/07/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5.webp
😁
「信仰対象は大日如来である」ということ
ここを押さえなければならない
俺はなんの感情もなく書いてる
でおーとはこういう人間だと照らしてるだけ
そりゃ山伏的だ
真言密教は
ムイムイに不足している😁
如実知自心が重要
😆
大日大聖不動明王だからなー
😆
巡って
付き合いある真言宗僧侶の寺院の弟子の指導に格闘している
ムイムイ😁みたいなふんぞり返りプライド激しいのがいるからなー
😆
ムイムイやハッスルが
典型だ
😫
それで分かった
俺は完璧だ
という傾向が、奴らには強い
そして、頑固にも学ぼうという姿勢が欠ける、威張るだけ
😫
俺は、まだまだ気づかない知らないことがたくさんあるという立ち位置だ
😆
その他、数息観(すそくかん)や月輪観(がちりんかん)などがあり、真言(マントラ)や印(ハンドジェスチャー)も用いるのが特徴です。
阿字観: 真言密教の根本経典『大日経』に基づき、梵字「阿」を観想する瞑想。大日如来と宇宙の根源を表し、自分と世界が一体となることを目指します。
呼吸法: 「ア」の音(阿息観)を出しながら呼吸を整えたり、鼻から息を吸う際に清浄な空気を吸い込むことを意識したりします。
作法: 瞑想前には身を清め、般若心経を唱えるなどの作法があり、座禅のように警策(けいさく)で叩かれることはありません。
目的: 心身のリラックス、ストレス軽減、自己の浄化、そして仏の心(大日如来)との一体感を得ることが目的です。
準備: 阿字観の軸(掛け軸)の前に座り、姿勢を整え身を清める。
呼吸: 口を少し開けて「ア」と声を出しながらゆっくり息を吐き、鼻から吸う際は清らかな気を吸い込むイメージを持つ。
観想: 目の前の「阿」の字を心に焼き付け、それが胸に近づき、やがて宇宙全体に広がるのを観じる。
集中: 集中が途切れたら、再び軸を確認し、呼吸と観想を繰り返す。
高野山や真言宗系の寺院(高野山真言宗 薬師院、智積院など)で体験できます。
カルチャーセンターなどで入門講座が開かれることもあります。
阿字観やったとき
阿字観やる前の本堂の山伏系統禅定のほうがインパクト強かった
😆
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
餓鬼道とは
渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない
貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ
完全にでおーに当てはまる
修羅道とは
闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ
でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ
これもでおーの行動に完全一致
地獄道とは
怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
正義感が攻撃に変わる
これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする
まさにでおーが相手にやってる事やね
宗祖: 弘法大師空海。
中心思想: 即身成仏(この身のままで仏になる)。
教えの性質: 秘密の教え(密教)。言葉では表現できない真実を、身・口・意の修行を通して体得する。
実践方法:
身(しん): 印(いん)を結ぶ(手の形)。
口(く): 真言(しんごん)を唱える(仏の真実の言葉)。
意(い): 瞑想(心静める)。
これら三つを一体化させる「三密加持(さんみつかじ)」を行う。
本尊: 大日如来(宇宙の真理そのもの)。
人間観: 欲望も含め、人間存在のすべてを肯定し、誰もが仏になる素質(仏性)を持つと考える。
顕教との違い
顕教: 仏の教えを広く一般に説く(例:お釈迦様の教え)。
密教(真言密教): 顕教で理解しきれない深い意味を、秘密の作法で伝授する。現実社会と積極的に関わり、実践を重視する。
他の密教との関係
天台密教(台密): 最澄が開いた天台宗の密教。真言密教(東密)とは、教えの体系や思想(東密は顕劣密勝、台密は顕密一致など)に違いがある。
空海の思想
空海は『十住心論』などで密教の思想を体系化し、人は誰もが仏になれる素質を持ち、三密の修行によって即身成仏できると説きました。
まとめ
真言密教は、空海が日本にもたらし、大日如来を信仰し、身・口・意の三密修行を通じて「即身成仏」を目指す、神秘的で実践的な仏教です。
😆
↑
ここが重要と見た😆
仁和寺以外の
真言宗宗派はほぼ
とりま即身成仏領域展開ゲットだ
😆
欲望でも個人の欲望というのではなく
大日如来の聖なる大いなる欲望、大欲だ
真言宗は何につけても
大楽とか
大を、つけるのが好きだ
ヒンズーあたりだとヨガでも
ハタヨーガ、とかタントリズムは
欲望のエネルギーを使う
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、修羅道の性質と一致している。
地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
つまり、
自分は餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、
驚くほど一致している。
まーまかせなさい?
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
自己の障害を
取り除くのが
大日如来の道らしい
😆
大我の道を開くらしい
😆
真言宗勤行一式に
かなり真言が入っている
当然だが
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
基本的な作法として、勤行前には手洗いや口すすぎで身を清め、お灯明・お線香をあげてから合掌礼拝します。
身の清め・礼拝:
手洗い・口すすぎ(身を清める)。
お灯明・お線香をあげ、合掌礼拝する。
懺悔(ざんげ): 日々の罪過を反省し、心を整える。
三帰・三竟・十善戒: 仏・法・僧の三宝に帰依し、生涯誓い、十善戒を守ることを誓う。
発菩提心: 悟りへの願い(菩提心)を起こす。
三摩耶戒(さんまやかい): 大日如来と一体になる誓いを立てる。
開経偈(かいきょうげ): 大日如来の教えに感謝する偈(うた)を唱える。
般若心経: 般若心経を読誦する。
本尊真言・十三仏真言: 本尊(大日如来)や十三仏の真言を唱える。
光明真言(こうみょうしんごん): 仏の光明(加護)を願う真言。
御宝号(ごほうごう): 「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱える。
祈願文(きがんもん): 祈りごとを唱える。
回向(えこう): 功徳を故人や衆生に振り向ける。
勤行の際は、念珠を左手にかけ、姿勢を正すのが作法です。
読経の際は、般若心経の他、理趣経(りしゅきょう)なども読まれることがあります。
「南無大師遍照金剛」は、真言宗の基本の念仏です。
これらの次第は、宗派や寺院によって多少の違いはありますが、おおよそ上記の流れで日々の勤行が行われます。
https://share.google/8aHTARa0MwtdPh4Do
高野山修行中夜寝ずに布団の中で空海著作を読み倒した坊主、
俺のインスピレーションをあげて
真言宗禅定のグレードが
この動画で上がった😆
https://m.youtube.com/watch?v=t_H3Lvszi6I&t=979s
超ヒットだ
臨済宗で汎用化されないものが
俺の中の真言宗のみならず
オール神秘禅定解釈の
グレードアップしてもーた
😆
品性ないけど
やっぱりアタマが良いな、あれは
テーマもオモロイしなー 😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
空海著作と照らし合わせてみると
かなりオモシロいだろうな
https://m.youtube.com/shorts/U4ej7c0OHgc
真言宗では多くの宗派がありますが、勤行の基本は共通していており、ここでは高野山真言宗の勤行を紹介いたします。
真言宗の勤行は毎日続ける読経供養の修行で、自らの修行のため、或いは他を利するため、或いは亡き人の供養のためなどの目的を持って行います。
唱えると共に自らの行いを反省し、正しい方向に向かうための礎として心に刻みます。
勤行とは毎日行うものであり、自分や亡き人の功徳にもなり、自らの行動の指標を見出し、仏教の実践を行う上で必要な日課です。
服装は普段着で構いませんので毎日続けることが大切です。
経を読む「読経」が基本であり、一人で行っても良いですし、家族などの複数の人数で行っても良いのです。
何も持たなくても座って合掌すればお勤めが出来ます。
数珠があれば左腕に掛けて輪袈裟があれば首から掛けます。
御本尊様や祭壇があれば燈明を灯して香を焚き、正座するか椅子に座っても構いません。
ご先祖様の仏壇でお勤めされる方もたくさん居られます。
勤行する場所としては祭壇、仏壇などの前で行います。
祭壇は御本尊をお迎えするのでしたら大日如来の仏像か掛け軸があれば良く、更には不動明王と真言宗の開祖である弘法大師の三尊形式が揃えば立派な真言宗の祭壇になります。
真言宗の勤行の式次第は次の通りで、ある程度の時間が必要になりますので、時間が取れない場合には光明真言から後を唱えるだけでも構いませんし、本当に時間が無ければ合掌礼拝だけでも構いません。
逆に時間が取れる場合には般若心経を何回もループさせて唱えたら良いと思います。
合掌礼拝~開経偈~般若心経~懺悔(3回唱える)~三帰(3回唱える)~三竟 (3回唱える)~十善戒(3回唱える)~発菩提心(3回唱える)~三昧耶戒(3回唱える)~十三仏真言(それぞれ3回唱える)~光明真言(7回唱える)~南無大師遍照金剛(7回唱える)~大金剛輪陀羅尼~回向
般若心経は通常の勤行では1回唱えますが、何回唱えても構いません。
無上甚深微妙法[むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇[ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持[がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義[がんげにょらい しんじつぎ]
良い雰囲気でやれる自信がでてきた
今日は曹洞宗寺院で勤行
西山派寺院によって模索した
お坊さんオンラインの動画で
禅定レボリューションをひらめいた
😆
この動画で上がった😆
https://m.youtube.com/watch?v=t_H3Lvszi6I&t=979s
真言宗寺院でマジメに、やってるな
😆
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 [ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう]
觀自在菩薩 [かんじざいぼさ]
行深般若波羅蜜多時 [ぎょうじんはらみたじ]
照見五蘊皆空 度一切苦厄 [しょうけんごうんかいどいっさいくやく]
舍利子 [しゃりし]
色不異空 [しきふいくう]
空不異色 [くうふいしき]
色即是空 [しきぞくぜくう]
空即是色 [くうそくぜしき]
受想行識 [じゅそうぎょうしき]
亦復如是 [やくぶにょぜ]
・・・
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶 [ぎゃていきゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか]
般若心經 [はんにゃしんぎょう]
我昔所造諸悪業[がしゃくしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪瞋痴[かいゆむし とんじんち]
従身語意之所生[じゅうしんごい ししょしょう]
一切我今皆懺悔[いっさいがこん かいさんげ]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏[きえぶつ]
帰依法[きえほう]
帰依僧[きえそう]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏竟[きえぶっきょう]
帰依法竟[きえほうきょう]
帰依僧竟[きえそうきょう]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
不殺生[ふせっしょう]
不偸盗[ふちゅうとう]
不邪淫[ふじゃいん]
不妄語[ふもうご]
不綺語[ふきご]
不悪口[ふあっく]
不両舌[ふりょうぜつ]
不慳貪 [ふけんどん]
不瞋恚[ふしんに]
不邪見[ふじゃけん]
独特の良さがある
なんとなく意識はしている
お坊さんオンラインの
動画は
この如来は響き、音の如来だー
まー高野山真言宗に勤行の独特の音の響きがある
曹洞宗はナチュラルに伸ばす勤行
😆
おんぼうじ しった ぼだはだやみ
三昧耶戒(三反)
おん さんまや さとばん
一、不動明王(ふどうみょうおう)
のうまく さんまんだ ばざらだんかん
二、釈迦如来(しゃかにょらい)
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
三、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
おん あらはしゃ のう
四、普賢菩薩(ふけんぼさつ)
おん さんまや さとばん
五、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
おん かかかび さんまえい そわか
おん まい たれいや そわか
七、薬師如来(やくしにょらい)
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
八、観音菩薩(かんのんぼさつ)
おん あろりきゃ そわか
九、勢至菩薩(せいしぼさつ)
おん さんざんさく そわか
十、阿弥陀如来(あみだにょらい)
おん あみりた ていせい から うん
おん あきしゅびや うん
十二、大日如来(だいにちにょらい)
おん あびらうんけん ばざら だとばん
十三、虚空蔵菩薩(こうくうぞうぼさつ)
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
南無大師遍照金剛 [なむだいしへんじょうこんごう]
付き合いしている真言宗僧侶の勤行方式を
取り入れている
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶 [ぎゃていきゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか]
を3回となえている
😆
学んで反省してほしい
😆
各3回唱えているなー
しかし、腕が少し痛めて
つる切り作務ができないので
行く回数が減り気味だ
😆
のうまく しっちりや ぢびきゃなん たたぎゃたなん あん びらじ びらじ まかしゃきゃら ばじり さたさた さらてい さらてい たらい たらい びだまに さんばんじゃに たらまちしった ぎりやたらん そわか
願以此功徳[がんにしくどく]
普及於一切[ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生[がとうよしゅじょう]
皆共成仏道[かいぐじょうぶつどう]
素晴らしいな?😆
あっちで
スマナサーラの
三因生まれ
の話が
うんこー様を想像しながら
楽しめ
😆
https://m.youtube.com/watch?v=D3WqK0u7PIM&t=50s&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D
いいな
うんこの?
😱
本来多くの日本の仏教は
そうなんだろうな
😆
なにか勤行すべきだな
😆
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻🧻
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
184じゃんきー・おおやま 2018/01/23(火) 14:28:06.96ID:08TBommn
>>183
310 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:23:17.73 ID:HTY0aqiy
少しまとめようかw
1.そのレスで検索しても結果が出てこない。
2.そのレスのリンク先を引用者が示さない。(>>834)
3.同じ5ちゃんねるの掲示板(ピンクちゃんねる?)ようだがその掲示板にレスをするとIDが変わり、同じIDとして被る確率は≒0%なこと。
(>>800と>>805で実際に検証済み)
4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)
4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)
4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)
4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板
16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板
21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板
21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板
22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板
23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板
∴レスの捏造
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
185じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:29:48.51ID:08TBommn
311 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:24:02.35 ID:HTY0aqiy
>>310(補足w)
レスをするとIDが変わる板でIDが被る確率は、ほぼ0%に等しいからな。
つまりそいつは、一年以上前も前にくだらぬ議論を吹っかけて来て俺に瞬殺されたのをいつまでも根に持ち、自作自演の自画自賛、煽りaaの60連投、俺や他人に成りすましては多数派を装っての煽り、非難・中傷、disりを繰り返してもアッサリと返り討ちされたから、終いには一線を超えて、レスまで捏造したという事だな。
こいつ、異常だよ。
⚠️⚠️⚠️
>>889
誹謗中傷デマ依存症患者でおー、本当に悪いナリスマシですね!
186じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:30:13.56ID:08TBommn
なぁ、でおー?
俺がソープランドのスレで淫らな書き込みをしているとかのレスを捏造してまで俺をdisり、非難・中傷したいのか?
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
188じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:32:55.40ID:08TBommn
スレまで捏造すりでおーw
189じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:33:42.48ID:08TBommn
>>187
そうか、でおーw
190じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:34:52.27ID:08TBommn
スレまで捏造するとかw
193じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:00.28ID:08TBommn
>>191
はいはいw
捏造じゃないというなら>>184に反証してからな。
スレまで捏造するとか、お前、キチガイだな、一線を超えてるわ。
194じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:45.14ID:08TBommn
>>192
やっぱりでおーか。
認めたな。
195じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:45:25.58ID:08TBommn
おい、IDそのままだぞ?
www
187 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:31:40.94 ID:7yG0SPc0
でおーじゃないよ
他所から持ってきますたw
189 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:33:42.48 ID:08TBommn
>>187
そうか、でおーw
192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0
>>189
俺様がでおーだじょー!
194 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:38:45.14 ID:08TBommn
>>192
やっぱりでおーか。
認めたな。
198じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:50:49.81ID:08TBommn
>>196
ぶぁーかw
トリとIDは別だろが。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
201じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 14:54:51.95ID:08TBommn
>>197
移動中にスマホだよ。
だから尚更、IDが変わる他所の掲示板で同じIDとかはあり得ないんだよ。
関係のない他所のネットのIDと同じIDだからといって、同一人物扱いとかw
202じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 14:58:21.22ID:08TBommn
>>200
あほw
トリを付けてもIDは別途に振られるだろ?
そもそも何故トリを付けないお前がそうした事を言ってくるんだよ?
疾しい事があるからだろ?
205じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:03:03.47ID:08TBommn
>>200
いいか?
トリを付けてadgというIDが振られたとして、他のネットの掲示板でadgというIDが振られていたら、「お前は同一人物だ!」と騒ぐんだろ?しかも「トリ付きだ!」と。
207じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:09:54.34ID:08TBommn
>>204
まず>> 184に反証してからだなw
捏造を疑われてるのは、でおー、お前だしな。
だいたい、今頃になって11月の同じIDのスレを見つけて騒ぐ事自体、お前の異常の証しだよ。
それと、その後のIDが一致したスレも、元スレのリンク先も出してない。
スレを捏造までするとか異常だよ。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
209じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:12:10.39ID:08TBommn
>>206
だから、>>184で別人って立証したろ?
レスを偽造したと疑われてるのはお前なんだよ、
でおー。
210じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:12:56.68ID:08TBommn
>>208
192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0
>>189
俺様がでおーだじょー!
212じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:17:27.92ID:08TBommn
「ソープスレに卑猥なレスを書いている!」と騒いだものの、その後のアクセス記録からレスを捏造し自作自演していた事がバレたでおー。
213じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:18:13.78ID:08TBommn
>>211
充分なってるよw
反証してみなw
215じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:19:20.25ID:08TBommn
また、墓穴掘ったな、でおーw
216じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:22:06.13ID:08TBommn
>>214
なら、他のネットにアクセスして同じIDが出るか試して見ろや、ぶぁーかw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
219じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:28:37.94ID:08TBommn
>>217
下のデータ見ろよ、0%だなぁ。
>>184
>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
>14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板
>16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板
>21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板
>21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板
>22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板
>23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板
221じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:31:41.30ID:08TBommn
>>218
まぁ、お仕置きは必要だから、お前(でおー)のレス偽造の事実は拡散しないとなぁw
223じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:38:23.04ID:08TBommn
>>222
スラッシュの文字化けかな?
>>184
>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
>14:01.,.ID:PTwUS3Zn...宗教板
>16:13...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>18:58...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>20:25...D:7v/RWqvn...宗教板
>21:04...ID:7v/RWqvn...宗教板
>21:57...ID:ewS8EaPx...宗教板
>22:08...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>23:33...ID: 7v/RWqvn...宗教板
>23:35...ID: 7v/RWqvn...宗教板
225じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:47:26.25ID:08TBommn
>>224
これもな。
>>184
>4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)
>4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)
>4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
227じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:57:16.65ID:08TBommn
>>226
必死もどきチェッカーで検索して調べなよw
228じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 16:11:32.61ID:08TBommn
>>224
画面コピーしたから、これなら見れるよな?
www
https://i.imgur.com/ZcyOsOG.jpg
231じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 17:14:59.74ID:08TBommn
>>230
ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。
233じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 18:31:32.42ID:08TBommn
>>232
ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。
246じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 20:40:06.55ID:iWxk9dF7
ID:Ldhw1op8とID:mJalPoyUはでおー。
必死チェッカーもどきで、アクセスデータを解析されて、ソープレスの捏造を暴かれたからって必死だなw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
270じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:16:42.66ID:HOjxb7sD
しかし、人の見性体験や知識に妬みや嫉みを抱くのはともかく、架空のレスまで捏造するとか、でおー(タ)の煩悩の炎はそこまで凄まじいものなのか?
271じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:32:06.04ID:37zJIxVf
>>270
唯識では種子なるものを設けてるそうだが、でおー(タ)には一体どんな種子が蔵されているんだろうな?
可視化が可能であれば面白いんだがw
まあ、例の変なガンダムのaaやおかしな犬のaaが種子として、でおー(タ)の阿頼耶識に蔵されているんだろうな www
早朝ソープの割引もでおー(タ)の阿頼耶識に種子として蔵されてるのかw
それが、俺に対する妬みや嫉みを縁として、レスの捏造として表象化したのか。
浅ましい奴だな。
273じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:45:20.75ID:37zJIxVf
>>271(続き)
酒もタバコもギャンブルも興味ねーし、風俗とか一度も行ったことねーわ。
大した給料も貰ってねーし、そんなカネがあったら子供の学費や生活費にまわすし、自分の小遣いは昼飯代と本代、お釣りは寄付で消滅だよw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
274じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:48:34.08ID:37zJIxVf
>>272
お前が生活板に書いてんだろ?
てか、でおーや?
お前、四六時中レスしてるが、仕事(作業)してるのか?
340 名前:おさかなくわえた名無しさん :2018/01/24(水) 11:27:51.51 ID:FscRQyTj
>>338
いや朝は安いんだよ
283じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:00:28.14ID:oIhtP7TW
>>282
世の中にはそうした奴もいるんだよ。
風俗は一度もいったことはないよw
285じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:09:45.38ID:oIhtP7TW
>>282
今度は元オームで演出かw
お前の様に自作自演、なりすまし、挙げ句の果てには架空のレスまで捏造する
やつは異常だよ。
289じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:20:32.33ID:oIhtP7TW
>>284
構わないよ。
性に対する話題もいいんじゃないの?
以前商社員だった時は、ボーナスが出ると部の先輩に連れられて、日ノ出町や南町に
同僚が行ってたし、穴兄弟とか翌日に下ネタ蒔いてたし。
ただ、俺そういうのはちょっとな。
291じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:31:39.88ID:oIhtP7TW
酒もタバコもギャンブルもやらんし風俗も行かん。
人間好き嫌いがあるんだし、その位は許容範囲だろ。
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
無上甚深微妙法[むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇[ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持[がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義[がんげにょらい しんじつぎ]
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 [ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう]
觀自在菩薩 [かんじざいぼさ]
行深般若波羅蜜多時 [ぎょうじんはらみたじ]
照見五蘊皆空 度一切苦厄 [しょうけんごうんかいどいっさいくやく]
舍利子 [しゃりし]
色不異空 [しきふいくう]
空不異色 [くうふいしき]
色即是空 [しきぞくぜくう]
空即是色 [くうそくぜしき]
受想行識 [じゅそうぎょうしき]
亦復如是 [やくぶにょぜ]
・・・
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶 [ぎゃていきゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか]
般若心經 [はんにゃしんぎょう]
我昔所造諸悪業[がしゃくしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪瞋痴[かいゆむし とんじんち]
従身語意之所生[じゅうしんごい ししょしょう]
一切我今皆懺悔[いっさいがこん かいさんげ]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏[きえぶつ]
帰依法[きえほう]
帰依僧[きえそう]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏竟[きえぶっきょう]
帰依法竟[きえほうきょう]
帰依僧竟[きえそうきょう]
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
不殺生[ふせっしょう]
不偸盗[ふちゅうとう]
不邪淫[ふじゃいん]
不妄語[ふもうご]
不綺語[ふきご]
不悪口[ふあっく]
不両舌[ふりょうぜつ]
不慳貪 [ふけんどん]
不瞋恚[ふしんに]
不邪見[ふじゃけん]
おんぼうじ しった ぼだはだやみ
三昧耶戒(三反)
おん さんまや さとばん
一、不動明王(ふどうみょうおう)
のうまく さんまんだ ばざらだんかん
二、釈迦如来(しゃかにょらい)
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
三、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
おん あらはしゃ のう
四、普賢菩薩(ふけんぼさつ)
おん さんまや さとばん
五、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
おん かかかび さんまえい そわか
おん まい たれいや そわか
七、薬師如来(やくしにょらい)
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
八、観音菩薩(かんのんぼさつ)
おん あろりきゃ そわか
九、勢至菩薩(せいしぼさつ)
おん さんざんさく そわか
十、阿弥陀如来(あみだにょらい)
おん あみりた ていせい から うん
おん あきしゅびや うん
十二、大日如来(だいにちにょらい)
おん あびらうんけん ばざら だとばん
十三、虚空蔵菩薩(こうくうぞうぼさつ)
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
南無大師遍照金剛 [なむだいしへんじょうこんごう]
のうまく しっちりや ぢびきゃなん たたぎゃたなん あん びらじ びらじ まかしゃきゃら ばじり さたさた さらてい さらてい たらい たらい びだまに さんばんじゃに たらまちしった ぎりやたらん そわか
願以此功徳[がんにしくどく]
普及於一切[ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生[がとうよしゅじょう]
皆共成仏道[かいぐじょうぶつどう]
おはー
😆
紫雲堂
https://youtu.be/cLDoygn7OdU?si=NRNnIlarVzuUeQMx
精神錯乱呪霊二体が徘徊するだろうから
彼らの供養は必要だ
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW
「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW
身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
😆
https://m.youtube.com/watch?v=wrA0yp-xHU0&t=27s
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
弘法大師空海が説いた密教の根幹思想であり、人間と仏も同じ六大で構成されているため、修行(三密)により即身成仏が可能という理論の基礎となっています。
地大(ちだい):堅固さ、形(物質の固形)
水大(すいだい):湿り、流れ(液体・結合)
火大(かだい):熱、光(エネルギー・燃焼)
風大(ふうだい):運動、呼吸(気体・動的な力)
空大(くうだい):空間、何ものにも障礙されない(広大さ)
識大(しきだい):認識、精神、心(精神的な意識)
宇宙そのもの:単なる構成要素ではなく、宇宙の本体そのもの(大日如来)。
万有同体:人間も草木も、この六大で成り立っているため、仏と人間は本質的に同じ(「六大無碍(ろくだいむげ)」)。
真言密教の核心:『即身成仏儀』において、「六大・四曼・三密」の一つとして重要視される。
真言宗のキーワード
地(ち):堅いもの、大地。
水(すい):湿っているもの、液体。
火(か):熱いもの、エネルギー、日光。
風(ふう):動くもの、呼吸、空気。
空(くう):何ものにも妨げられない空間。
識(しき):認識する心、知性、大日如来の智慧。
万物の本体:これら6つの要素が組み合わさって、この世のあらゆる事象が生じている。
大日如来の現れ:六大は単なる物理的構成要素ではなく、宇宙そのもの(大日如来)の体性である。
即身成仏:人間もこの六大で構成されており、仏(大日如来)と衆生(我々)は本質的に一体である。この原理を悟り、三密(印・真言・心を調える)を行うことで、この身のままで仏になれる(即身成仏)と説く。
六大無碍(ろくだいむげ):6つの要素は互いに影響し合い、融合して存在しているという教え。
承狂閣下も、
割合まともなマウント好きだろなー
俺は、そんなに相手しないけど
😆
実は大好きだ
理屈言わんけどなー
677.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
vyqlL(7/8)
4.唯識思想批判
(1)チャンドラキールティは唯識学派を「認識論者」や「表象論者」と呼び,唯識学派を認識の存在性を主張する一派として位置づけ,唯識思想批判も認識の存在性の問題に限定される傾向にある.これはバーヴィヴェーカが唯識学派を「ヨーガの実践者」と呼び,唯識思想全般をトータルに批判しようとした点と対比される.
(2)チャンドラキールティは,アーラヤ識の想定を不要と主張するが,その存在を便宜的に認める.ただし,それは真実としてアーラヤ識を説く唯識学派の主張とは異なり,唯識学派の独自性を失わせた形でである.
まあ、そうでしょうな
後期中観派とは似てるけどな~
一言必殺
ま、ムイムイ、ハッスルに
一撃一言は
やはり未だに好きだな
ヒラメキで一撃
😆
承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、
他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。
六大は物質・精神を含む宇宙万有の元素(地・水・火・風・空・識)、五蘊は心身を構成する5つの要素(色・受・想・行・識)を指し、いずれも固定的な実体(「私」)は存在しないという空の思想を解明するものです。
真言密教などで特に重要視される、宇宙の万有を構成する6つの要素・本質です。
地大(ちだい): 堅い性質、物質の固まり。
水大(すいだい): 湿った性質、流動性。
火大(かだい): 熱い性質、エネルギー。
風大(ふうだい): 動く性質、運動。
空大(くうだい): 空間、六大が互いに障らない特性。
識大(しきだい): 認識作用、精神・心。
※地・水・火・風・空の「五大」に「識」を加えたもの。
人間の心と身体を5つの集まりに分類したもので、執着する対象(私)の正体です。
色蘊(しきうん): 物質・肉体。
受蘊(じゅうん): 感受作用、苦・楽・不苦不楽を感じること。
想蘊(そううん): 表象・概念・イメージする作用。
行蘊(ぎょううん): 意志・意欲・心の働き、行動を起こすエネルギー。
識蘊(しきうん): 認識・識別する主体、心の根本。
五蘊皆空: 《般若心経の「五蘊皆空」という言葉の解釈》にある通り、これら5つの要素は実体ではなく、因縁によって仮に集まっているに過ぎない(「私」という実体はない)という教えです。
六大(密教): 宇宙のすべてを「色(物質)」と「心(精神)」から成り立っているとし、5つの物理的要素(地・水・火・風・空)と、1つの精神的要素(識)で説明します。
五蘊(初期仏教・大乗仏教): 「私」という人間存在が何から構成されているか、特に心理的な側面に焦点を当てて分類したものです。
五蘊は「色」だけが物質的要素で、あとの4つ「受想行識」は精神的要素だけど
六大は逆だ
「地水火風空」は物質的要素で、「識」だけが精神的要素
三大部
即身成仏義、吽字義、声字なんとか?
ハッスル様より記憶が〜
声字ナントカは
より五蘊ぽいから読んでないかも〜
案外、五蘊とかの系譜が
解釈は違うが散見できるだろな
😆
のあたりを
六大マイナス識大
じゃないかな?
うろ覚えだ
😆
ハッスル様みたいだな😆
吽字義が意密
声字ナントカが口密
だったけ〜
うろ覚えー
😆
即身成仏義と吽字義だけだな
いまんところ
般若心経秘鍵と秘蔵宝ヤクぐらいまでしかよんでないな
😆
なせか、いまんところ読んでないな
😆
😆
真言宗における「声字(しょうじ)」は、空海が『声字実相義』で説いた、言葉(声)や文字がそのまま真理(実相)を表すという独自の言語観です。すべての音や文字は宇宙そのものである大日如来の教えであり、この「声字」を唱え、観想する「三密」の修行により、即身成仏を目指します。
主な特徴・概念
声字実相:音響(声)と文字は、ただの記号ではなく、それ自体が仏の真理であるという教え。
法身説法:宇宙の真理そのものである法身大日如来は、無言ではなく「声字」を通してつねに教えを説いているとする。
悉曇(しったん)と阿字:梵字(サンスクリット)の「阿字」を最高に位置づけ、文字の根本は法身であるとする。
六塵(ろくじん)悉(ことごと)く文字:風の音、鳥の声、物質すべてが仏のメッセージ(真言)であると捉える。
空海の『声字実相義』は、密教の世界観を論理的に説明し、言葉の力を最大限に重視する真言宗の核となる思想です。
やはり関係ありそうだ
精読してないからなー
色蘊(しきうん): 物質・肉体。
受蘊(じゅうん): 感受作用、苦・楽・不苦不楽を感じること。
想蘊(そううん): 表象・概念・イメージする作用。
行蘊(ぎょううん): 意志・意欲・心の働き、行動を起こすエネルギー。
識蘊(しきうん): 認識・識別する主体、心の根本。
密接さを感じるな
😆
五蘊の説明には関与しない
道元も関与しないな
😆
関心薄かったんだろなー
😆
Ⅰ 理念<いのちと自然の声を聞くための「言語」>
あらゆるいのち<生物>は自然を住みかとし、その中で生きている。そのいのちの一員であるヒトは、住みかを見回し、まず、声によって名称をつけ、それを文字にし、言語によって表現された世界を生みだした。この言語によってヒトは世界と結びついている。
言語はヒトがその知覚と意識、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考えるによって、モノ・コトをとらえ、それらのイメージを声と字によって表現したものである。したがって、知覚と意識によってとらえられた世界のすがたは、いのちの有する"からだ(繁殖し、活動する個体)"と、からだによって受発信される"ひびきの差異(声)"と、"意識(神経反応と脳)"の三つの根源的な"知のはたらき"があってのたまものである。これらのあらゆるいのちに平等にそなわるはたらきは、全世界に満ちていて、永遠に変わることがない。
禅の教義と比較した
オモロイ内容である
PDF
https://www.manpukujitochigi.or.jp/from_priest_23.html
真言から
禅の構造は多少見えてくるなー
倶舎論も含めて
真言密教は成立してそうてある
https://www.manpukujitochigi.or.jp/pdf/read_unjigi.pdf
上記リンク全部な
😆
https://www.manpukujitochigi.or.jp/
吽字義と声字実相義の文章を
理解すれば
禅の理屈的な理解は多少はできるだろう
リアルな禅とまではいかん
が
概観としての理解だな
😆
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
まだ読めない😂
ここの智山派の僧侶は
かなり他宗派との比較する感性があってがおもろい
麦のレス1000回見るよりも
禅に関する収穫はデカい
😆
何も知識的にと禅定的にも
納得感ゼロ
😱
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
真言密教と禅との近似値は
見えてきたか?
😆
は見えてない世界がある
そこに
😆
大事なところ見落としている
ムイムイもだが
😆
空海の真言密教 ─ 六大と即身成仏
2025年12月21日 23:42
空海(774~835)は平安時代初期のお坊さんで、真言宗の開祖です。空海は、若くして密教に並ならぬ関心を示し、31歳で唐の長安に渡ると、まず醴泉寺のインド人の僧・般若三蔵に師事し、密教の習得のために欠かせない梵語(サンスクリット)の知識を深め、続いて密教の第七祖である青龍寺の恵果和尚のもとを訪れます。
空海は、恵果から密教の奥義を学び、さらに密教の正統の後継者に認められると、さまざまな経典・仏具・仏像・仏画などを買い集めました。
こうして入唐の目的を果たした空海は、20年の在唐予定期間を2年に縮め「滞在費がなくなった」という名目をかかげて帰国します。
『深はすなわち秘密、浅略はすなわち顕なり。』(『弁顕密二教論』第四節)どちらも仏の教えであることに変わりはありませんが、顕教は或る特定の人物、すなわち釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の教えであるのに対し、密教は「法身(ほっしん)大日如来」の教えです。
密教としての仏教とは、「或る仏が語った教え」ではなく、大日如来が語り続けている「人間を仏にする教え」なのです。
大日如来は、常に真言として三千大千世界にくまなく響き渡っており、真言を聞く耳(心)を持つ人にだけ働きかけ、その人を「仏にする」のです。
顕教においては、人間が仏になるには「三劫かかる」とされています。劫(カルパ)は、とてつもなく長い時間を指し、『大智度論』には「1辺7kmの立方体の城にぎっしり詰まっているケシ粒を100年に1粒ずつ取り出して行き、それが全部なくなっても1劫に満たない」とあります。
いっぽう密教では、両親から与えられた・この身このままで、しかも今生において成仏できるとされています。つまり私たちは、この一生の間に・生きたまま仏になれるのです。
六大とは「地・水・火・風・空・識」の6つの元素を指します。人間を含むあらゆる物は、六大が様々な比率で寄り集うことによって生成し「つかのまの存在」を得ます。
したがって「物が消滅する」とは、1つに集まって存在を保っていた六大が分散することを言います。物の存在とは、六大が寄りつどって保たれている「幻」であり、物の消滅とは、幻がもとの六大に分散しつつ・次なる幻に移り変わるプロセスであり、三世三界(世界)は、六大の集合・分散が繰り広げられている「夢幻の舞台」に過ぎません。
真言密教は、真言として響き渡っている存在の仕組みを捉えて語りあらわす「真言の存在論」であり、人間の存在を超えた最高の存在としての大日如来と一つになる「超越」(即身成仏)を果たした人だけが「仏」と呼ばれるに値するのです。
成仏することは、存在の仕組みを捉えて語りあらわせるようになることであり、新たな時代の扉を開く存在論者になることこそ「新たな即身成仏」なのです。
原文はもっと長い
https://note.com/charm_liger1031/n/n40dbdb5294b8
当たり前のことばかりかもしれんが
真言宗の教義体系については、ほとんど知らんかった😅
バカ信者のノリだった
正直、反省している
『弁顕密二教論』
『即身成仏義』
『声字実相義』
『秘密曼荼羅十住心論』
真言が大日如来なのだ
空海を開祖とする真言宗は密教に基づく「即身成仏」を目指し、修行や儀式を重視します。
一方、達磨を初祖とし臨済宗や曹洞宗を擁する禅宗は、座禅や公案(クイズのような課題)を通じて「自分自身の力で悟りを開く」自力修行に重きを置く宗派です。
真言宗(密教):
特徴: 即身成仏(生きたまま仏になる)を目標とする。
修行: 秘密の儀式や真言(マントラ)の唱える。
本尊: 大日如来。
特徴: 自力本願(自身の内面と向き合う)を重視。
修行: 座禅(座禅そのものが悟り)や公案。
代表宗派: 臨済宗、曹洞宗、黄檗宗。
麦、ハッスルが
何をやって禅なの。
と言う姿勢が明白になるだろう
😆
真言密教の空間認知は必須だ
😆
道元、臨済宗なと禅関連のみえる
空間認知は
真言密教の認知を理解てきないと
やはり禅の全体像は
わからない
😆
華厳・真言・禅の3点セットだな~😆
普通に考えると、「自分の心くらい、自分が一番よくわかっているわ」となるだろう。
でも、大日経に書かれ、弘法大師様が大事にされている言葉であるから、当然、そんなことでは無いのであろう。
悪い行動(貪瞋痴)の結果の、悪い因縁により汚れ切った心を、良い行動の結果の、良い因縁で汚れを洗い流し、仏性を磨き出せということかな。
大事な入口としてスタートとして
初期仏典だと
如実知見か
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によってナルシズムによる周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
🤡これは本人に対して言ってません。
こいつはこういう奴だと周りに伝えてます。
唯識論の「四智」は、八識が転換して仏の智慧となる過程を説き、大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の4つを指す。
密教の五智は唯識の四智をさらに発展させたものである。
金剛界の五智如来が持つ智慧であり、法界体性智を加えた5つが特徴。
法界体性智(ほうかいたいしょうち):宇宙の根本真理そのもの、大日如来の知恵。
大円鏡智(だいえんきょうち):万物を鏡のようにありのままに映し出す知恵。
平等性智(びょうどうしょうち):自他の区別を離れ、すべてを平等に観る慈悲の知恵。
妙観察智(みょうかんざっち):諸事象の差別や特徴を正しく観察・理解する知恵。
成所作智(じょうしょさち):自他のために仏道を成就する行動・実践の知恵。
唯識派において、修行によってアーラヤ識などの意識が浄化・転換(転依)して生じる4つの智慧。
大円鏡智:アーラヤ識(第八識)が転じたもの。
平等性智:末那識(第七識、エゴ・我欲)が転じたもの。
妙観察智:意識(第六識、思考)が転じたもの。
成所作智:前五識(五感)が転じたもの。
真言密教では、唯識思想の四智を基盤とし、それらをさらに深化させて法界体性智(金剛界大日如来)を加えた五智の思想を構成している。
倶舎論の存在を真逆に永遠の存在大日如来にしたあたりだろうな
たぶんな〜
😆
真言密教は
案外近道かもしれん
真逆の存在として
扱えば
😆
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
五蘊は人間存在の「色受想行識」の5つ、六大は「地水火風空+識」の6つの要素を指します。
個人の存在を構成する5つの要素。般若心経で「五蘊皆空」として説かれる、執着の対象です。
色(しき):物質的な身体、感覚器官。
受(じゅ):感受作用(苦・楽・不苦不楽)。
想(そう):表象作用、イメージする心。
行(ぎょう):意志作用、行動を起こす心。
識(しき):認識・識別作用。
宇宙の万有(物質と精神)の本体であり、無限の普遍的な元素。密教(特に真言宗)において、空海が説いた宇宙の構成要素です。
地(ち):かたい物質(身体や大地)。
水(すい):液体、凝集性。
火(か):熱、エネルギー。
風(ふう):呼吸、運動。
空(くう):空間、物質が存在する場。
識(しき):心、精神的機能。
※五大(地水火風空)に「識」を加えたもので、物質面を五大、精神面を識大としてすべてを包括します。
焦点を当てている範囲:
五蘊:個人の心身や内面(個人の存在)。
六大:宇宙全体の根本的な構成要素(普遍的な真理・元素)。
文脈・宗派:
五蘊:初期仏教、般若心経などで、自己執着から離れるために説かれる。
六大:密教(大乗仏教)で、万物は大日如来の現れであるという「六大体大」の思想として説かれる。
倶舎論の五蘊は、主に「個人」
真言宗の六大は、主に「宇宙」
に、それぞれ焦点をあてているんだな
識要素は
このあたりかもなー
かなり合成されとるけどな
https://www.manpukujitochigi.or.jp/from_priest_23.html
個人の識的要素も
これも
倶舎論に比べ合成されているが
関連がある
https://www.manpukujitochigi.or.jp/from_priest_24.html
法話ブログ
今日も二名の方に伝授をしました。その中で、人間の体こそは自然界そのもの、宇宙そのものであるというお話をしました。そのことを、皆様にもお伝えしましょう。
まず、私たちの頭は丸くて頂上が少し盛り上がった形をしています。お大師さまの頭はその典型で、これは天空を示し、宝珠の形を象徴するのです。天空を見あげてみてください。全体が丸くて、しかも無限のかなたに遠のくはずです。あさか大師はほぼ360度に視界が開けていますので、そのことがよくわかります。ちなみに申し上げますが、キューピーちゃんの頭は、その形を少し大げさにしたということです。
次に顔は、額からアゴにかけては半円です。これは風の形を示します。風は大きく回転しながら半円を描いて進むのであって、台風も竜巻もその例外ではありません。
次に、首から肩にかけては三角形です。これは火を示します。火は上に向かって細くなりますから、全体が三角形になるのです。お護摩を修する時、お導師が最初に三角形の炎をイメージするのもこのためです。
次に、お腹はお臍へそを中心に丸い形をしていて、水を示します。お腹は飲んだものや食べたもので、水分が多いのです。つまり、水玉の丸い形でこれを象徴するのです。カルピスの水玉模様を見れば、誰でも水を連想するはずです。
そして最後に、両足を座禅のように組んで座ると、横長な四角形になり、大地を示します。私たちが両足を大地に着けて生きているのも、実はこの意味なのです。
以上を両足から順に示せば〈地・水・火・風・空〉となり、真言密教ではこれを〈五大〉といいます。私たちの体が自然界そのもの、宇宙そのものの縮図であるという意味です。だから、「人間のこの体にこそ仏が宿るのだ」とするのが、お大師さまの教えです。私たちの体は、それほどに尊いことを知らねばなりません。
インドの仏教とは異なる発想だき
そのような内容がある
記憶にある
2004年頃、金友氏?の書籍だったかな
😆
仏のスレ主引退らしい、
ハッスル軍団の隔離として
仏のスレ69か
70をJBLに建てていただきたい
😆
😆
俺、数字の記憶あかんねん
😆
国立大は無理やねん
😆
リダンがいると、他の人たちが居なくなるんだよな~😫
仏のスレ69
スレ立て
よろしく〜
😆
やりながら
吽字義の
「大楽」を
軽く見ていたことに気づいた
なかなかの発見である
休日の正統派瞑想仏教研究としては
😆
承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、
他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。
六大(ろくだい)の遍(へん)ずる所、これ我が身(しん)なり
(地水火風空識がゆきわたっているところが、己れの体である。)
「人間の体はなにからできていますか?」と尋ねますと、その答えには炭素・窒素・カルシウムなどという科学的用語が返ってきます。
仏教のほうでは、地水火風という四大から成り立っていると考えます。
もうちょっと詳しくいうと、地というのは大地の塵のことです。
この塵のなかには炭素もカルシウムも入っています。
水は水分ですし、火の根元は日光です。
風は酸素や窒素を含んでいる空気を動かして呼吸をすることです。
ここでもう一つ「空」というのを加えます。
この空は、地水火風を入れる風袋、つまり容器です。
これで地水火風空という五大になります。
その心のことを「識」といって、ついでにそれも風袋に入れて、地水火風空識の六大というのです。
識という心はなにをするのかといいますと、四大からできている肉体が目で見たり、耳で聞いたり、鼻で嗅いだり、舌で味わったり、指先で触ったりしたことを「空」が感じます。
空はどう感ずるかというと、目が見たことを美しいと感じたり、耳が聞いたことをやかましいと感じたり、鼻が嗅いだことを臭いと感じたり、舌が味わったことをまずいと感じたり、指先で触ったことを痛いと感じたりします。
そして、空は感じたことを「識」に伝えて判断を仰ぐのです。
識はそれを裁判官のごとく判断して「それは道理にかなっている」とか「そいつは無理だ」とか分別するのです。
そのことを「識別する」というのです。
「じゃあ、俺はなんだ?」と自問自答してみます。
〈俺は宇宙の塵か! そうすると、俺が一所懸命にあくせく働いて貯めたお金も、三十年ローンで買ったこの家も、うちのかわいい娘も、みんな宇宙の塵になるのか〉
そう思って身のまわりを見回してみると、娘とじゃれあっている三毛猫も、ぬいぐるみの犬も、水槽のなかの金魚も、いや台所のゴミまでもが自分と同じように大切に思えてくるのです。
「おといれだより」平成30年8月号『第60回 弘法さんのことば』より
高野山真言宗
八幡大師 大日寺
〒151-0053 東京都渋谷区代々木 5-5-4
地水火風は色法なので、それとは区別されていた
弘法大師は、これらを一緒にしてしまったな
「虚空」は特別な意味を持っていた
虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう): 空海が室戸岬(御厨人窟)などで修した、虚空蔵菩薩の真言を百万回唱え、無限の記憶力と智恵を得るための修行。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ): 虚空(広大な空間)のように、無限の徳や知恵を持っている菩薩。
星の飛来体験: 修行中に明けの明星(金星)が口に飛び込み、宇宙の真理と一体化する轟音と衝撃を感じたという伝説。
思想の原点: 「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」という言葉に表されるように、無尽蔵の慈悲と知恵という思想の根幹に虚空がある。
村松虚空蔵尊: 空海が開いたとされる、茨城県東海村の歴史ある寺院。
この体験を経て、空海は真言密教(即身成仏)の道を確立していきました。
龍樹のいう「空」(シューニャ)とは別概念だ
空気は、地水火風の「風」だ
具体的には以下の意味を持ちます。
地(ち): 堅固なもの、土や大地。骨や肉など身体の骨組み。
水(すい): 湿り気、流動的なもの。血液や体液。
火(か): 熱、燃焼、エネルギー。体温や消化作用。
風(ふう): 動き、空気、呼吸。呼吸や身体の動き。
仏教の思想では、これら4つの要素が絶えず変化(流転)し、調和・分解することで現象や生命を形成すると説かれます。これに「空(空間)」を加えた「地水火風空」は五大と呼ばれます。
虚空は
😆
それでないと宇宙云々は語れない
😆
JBLの壁が
そこにあった
麦も
ハッスルもそうだけど
虚空的なものにより
華厳真言禅は
中論の世俗諦、勝義諦の説明がなくなった
ゲルク派以外は
サキャ派もありそうだけど
😆
大がつけるのが密教
大空という意味として
龍樹の否定のみならず
肯定があるのだから
そこが
壁なのさー
😆
ムイムイもだけど
😆
虚空がわかれば
華厳、禅の雰囲気を理解できる
ある種、仏のスレ主とか
ロンは
そういう延長でモノを言っている、
麦が解ってないところだ
😆
空間認知の意味だ
😆
禅語録に漫画のであったが何か忘れたが
「虚空をつかんでみせよ」とかあったな
😆
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
虚空は前提ではない
ということ
255.
ユーザー
麦◆MUGITANx95Dj
rs9P3(9/9)
>>252
∞ノノハ∞
川^○^ハレ色即是空 空即是色の空即是色ですよ
即非の論理より
>「山が自己で自己が山である」という「霊性的直覚」の禅経験を根底にしており、
「分別の無分別」(否定)と「無分別の分別」(肯定)との瞬間同時の経験事実へと現成するのであって、単なる言葉上の遊戯仮論ではない
唯識にしても即非の論理にしても
瞑想や坐禅の体験が元だと思いますからね
平等性智だと思います
もはや勝義諦、世俗諦はない
😆
これは虚空の空間認知の言葉だ
「山が自己で自己が山である
麦は全く解ってない
言ってやらん
禅を自称してるやつには親切しない
😆
自称禅には
😆
説明する
😆
親切説明してやらない
それが禅のルール
😆
なるほどな~😆
😆
たった一人、山の中のお堂で、朝2時3時に起きて
桶に張った氷を割って、水をかぶり、三畳くらいの
真っ暗な部屋で、ろうそくの明かりだけを頼りに
毎日12時間~14時間、五十日間拝み続ける。
その間、人とは全く会わず、
食べ物は持ち込んだ蕎麦を一日二回食べる。
唐で真言密教学ぶ前の
修験密教だったらしい
😆
修験知らなかったけど
😆
麦を超越しよう
😆
聖護院系統修験があったらしい
😆
→臨済宗
のコースやった
😆
麦、何をバカなこと言ってんの?
感である
😆
麦を超越するのか~😆
きっとこんな感じだろうというイメージが
聖護院系統修験だった
父方の先祖の血が十津川だったらしいので関係あるかもしれん
😆
😆
本山派に関心が薄い
研究してない
😆
世捨て人になりそうなくらい
ヘビーな陶酔感がある
😆
聖護院系統の感覚が強すぎた
😆
陶酔快楽に溺れ過ぎない
😆
違和感とか酷い扱いである昔、
空海著作を利用してチベット密教我流ニンマ派をマスター狙いしてた
😆
師匠の臨済宗寺に逃げ込んで事なきを得た
😆
割とメンタル暴走しかける恐怖体験がある
2004年頃
ニンマ派は2度
真言宗は一度
😆
😆
ゲルク派に
禅臭い、瞑想ばかりやってお勉強しない扱いの派だ
😆
ニンマ派を利用した
かなり我流マスターすると
疲労感が、抜け、メンタルクリアになる
その後、臨済宗パワー注入する
そんなことを2008年あたりまでやっていた😆
大方は
😆
😆
やりすぎの感もあるが
道元がコジラなら
ニンマ派はメカゴジラ感
😆
論理的にやりたい人にはゲルク派は
👍️だろな
😆
そのまま引きずってるな
道元の言う意味合いを
とりま理解してた感はある
😆
曹洞宗はナントカ派、ま、デンパパ📶がお調子こいて言ってたのに近いのを
2013年頃禅定ゲットしてた
😆
ハッスル、麦をバカにしか見えない
そんなに理屈こくなら
ゲルク派やれよ感
😆
なかなか時期が遅い
😆
多少無茶突破発想は
臨済宗に少し似ている
😆
我流ニンマ派による土台がベースだから
真言密教教学もある程度わかる
😆
「六大はそれぞれがそれぞれとして存在しているのではなく、それぞれが互いに影響し合い、融合し合い存在している」という意味です。
2015年あたりで高野山の書店でニンマ派の本を四冊くらい買って読んだ時以来
ニンマ派禅定やったことがない
ゲルク派禅定の方が
やっている
😆
そのあたりも空間認知だ
華厳の一即多、多即一と
似た空間認知だ
チベット密教ニンマ派の方が好みだったので
ルンか微細な光明みたいな感覚で
その内容を解釈してた
2004年年頃
😆
無上瑜伽タントラ(むじょうゆがタントラ )とは、チベット仏教の用語であり、チベット仏教で一般的に用いられるタントラ(密教におけるスートラ(経)に代わる仏典の呼称)群の分類法である「密教四分法」における、最も発達した密教である後期密教のタントラ群、もしくはその密教の呼称。「無上瑜伽タントラ」というタントラがあるわけではない。
なお、無上瑜伽タントラのサンスクリット語として流布した「アヌッタラヨーガタントラ」は、サンスクリット語の文献では確認されていない。
そのあたりも空間認知だ
華厳の一即多、多即一と
似た空間認知だ
チベット密教ニンマ派の方が好みだったので
ルンか微細な光明みたいな感覚で
その内容を解釈してた
2004年年頃
😆
禅の無で、そのような
空間認知をすると
麦が全く理解していない
あの言葉になるのさー
😆
存在が生滅する倶舎論ぽい
無理に説明すると
倶舎論には
当然空間認知までやってない
😆
大方の仏教の雰囲気は知的に理解できるだろうな
😆
臨済は
言っている
俺が、これこれと言ったからと言って
それを鵜呑みにして、その言葉を固定して信奉するな、
と
これがハッスルや麦、ムイムイへの
塩対応のモチベである
😆
ニンマとは「古い」という意味で四つの宗派の中で一番古い宗派です。 開祖はインドの密教行者パドマサンバヴァ(蓮華生)という方です。 教義の特長にゾクチェンというのがあります。
塩対応の理由は
ここだ
😆
なるほど
😆
「ゾクチェン」という言葉は「大いなる完全性」という意味で、これは、あらゆる仏性は、明知(リクパ、純粋な意識)のレベル、つまり、最も深い基礎において完全であるという事実を指しています。
公案禅としても話にならん
ヤツラの知的レベル問題担当を、
JBLに期待しているわけ
😆
う~ん😅
その強行突破発想が
ゲルク派から
禅臭い扱いされる
😆
ツォンカパは
ボコボコ扱いだ禅とニンマ派
😆
俺は
後から臨済宗、曹洞宗を修行した😆
その
文脈を理解すれば
ロンや仏のスレ主の発想が、多少読める
類似点がある
ツォンカパが嫌ったくらいに
😆
すべての大乗仏教のマップが脳内で
知的に区分できるだろう
😆
基本全くの的外れ
ロンはいい加減だけど
6割くらいは要点を
知的におさえている
😆
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
声字則実相:言葉や文字は単なる記号ではなく、それ自体が真理そのもの(実相)であるとする思想。
五大皆有響:地・水・火・風・空の五大(全物質・宇宙)が常に音(響)を発しており、それは真言(仏の言葉)であると解釈。
六塵悉文字:目にする景色、耳にする音など、感覚が捉えるすべてのもの(六塵)は、仏の智慧を書き表した文字であると説く。
位置づけ:空海の思想体系の中核を成す三部書(即身成仏義、声字実相義、吽字義)の重要な一つ。
空海は、真言(サンスクリット語)を唱えることで、この宇宙の真理と一体化し、即身成仏に至ると考えた。
定義:「阿」が万物のはじまり、「吽」が終わり(終息)を表す。阿吽(あうん)の「吽」である。
内容:「吽」字を構成する「訶(h)」「阿(a)」「汙(u)」「麼(ṃ)」の4字を、法身・報身・応身・化身といった仏の様々な姿と位置づけ、森羅万象が「吽」字に包含されていると説く。
意義:「阿」の始まりから「吽」の終わりまで、言葉の最初と最後の中に大日如来の知恵のすべてが収められているとする。
三部作:即身成仏義、声字実相義と合わせて「即・声・吽」と呼ばれ、文字・声のなかに真理が宿るという思想(声字実相)を表現する。
この著作により、見慣れた「阿吽」の呼吸にも深遠な世界観があるとされている。
定義: 人間が父母から授かったそのままの肉体(生身)で、即座に悟りを開き仏になること。
主体: 空海(弘法大師)が著した真言宗の重要文献。
方法(三密加持): 手で印を結び、口で真言を唱え、心に仏の姿を想う(三密修行)ことによって、自身の身・口・意(体・言葉・心)が本尊と一体になる。
理論的根拠: 万物は大日如来の現れであり、宇宙の全て(六大)、あらゆる存在のあり方(四種曼荼羅)はそのまま仏の性質を持つという思想。
: 従来の仏教では気の遠くなるような長い修行期間(輪廻転生)が必要とされたが、密教では正しい修行により今生でその境地に達することができると主張した
『即身成仏義』は、単なる宗教的信念にとどまらず、存在の本性について論じた哲学的な書物とも位置づけられています。
「即・声・吽」三部作
空間認知があるということ
この辺がホーカイくんにはない
それがない視線で
えの仏陀があるなしで
評価しとるんやろな
😁
でおーは議論をしているのではなく
他人を使って自分の不安を処理しているだけ。
四種曼荼各離れず
三密加持すれば速疾に顕わる
重重帝網なるを即身と名づく
法然に薩般若を具足して
心数心王刹塵に過ぎたり
各五智無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり
即身成仏義からなんですね。
JBLさんが説明してくださったように、従来の仏教では気の遠くなるような長い修行期間(輪廻転生)が必要とされたが、密教では正しい修行により今生でその境地に達することができると主張。
永遠と思われるような修行期間(輪廻転生)が必要となると、希望が持てないですよね。
悟りを得るのは、簡単なことではないけれども、「速疾に顕わる」と示されていると、希望が持てますね。
俺はまったく無関心だ
所詮正宗教学を、土台にしてるだけだしな
😆
デッドヒートしてるな?
😆
おひさー
😆
素晴らしいな?😆
闘ってるな~😫
元興寺の三論はその後智蔵の弟子智光と礼光が法統を受け継ぎ、奈良時代は「南都六宗」の一つとして栄えた。平安期には、のちに醍醐寺の開祖となる聖宝(しょうぼう、理源大師)が、この元興寺流の三論を究め三論宗中興の祖と言われた。
大安寺流の三論は、道慈に師事した善議(ぜんぎ)が唐に渡り、帰国後大安寺で三論を講じ、法将と呼ばれた。その善議を師としたのが、空海仏道入門の師の勤操である。
しかし、天長六年(八二九)に空海が大安寺別当になってから真言宗になった。平安期以降宗としては次第に衰退していくが、仏教の基礎学として他宗からもよく学ばれた。
それはそれとして、空海の時代、日本の仏教は法相宗であろうと三論宗であろうと華厳宗であろうと、元興寺であろうと大安寺であろうと東大寺であろうと、天台宗であろうと真言宗であろうと、比叡山であろうと高野山であろうと、他宗兼学が当たり前であった。学僧はみな、他宗の学僧と交わり他宗の寺をたずね他宗の勉強を怠らなかった。
空海の三論宗への態度:三論宗の祖師である龍樹の思想を重視しつつも、三論宗の否定的な面(全てを「ない」とする)に対し、空海は密教的な「肯定」的な真理を主張した。
学僧としての出発:空海が密教に至る前、当時の奈良仏教の学統である三論宗を学んでいたと考えられている。
その第一は空海入唐以前から日本仏教界最大の関心事となっていた三論宗・法相宗間の空有論諍である。この論争において注目された「最高真理の状態においては言語や心が絶え果てる」という理解に対して、空海はそれ以前から日本の学僧にも知られていた『十巻楞伽経』の「法身説法」の概念に自ら請来した密教経典の記述とを重ね合わせて解釈することで「法身(抽象的な真理)が直接説法する(具体的な活動を行う)」という正統的な仏教教理の理解から逸脱とも言える主張を行い、また『釈摩訶衍論』の記述に基づいて「真理と関わりあう言語がある」と主張した。
これは法相・三論両宗に対する理解が最澄の活動を境にして、先述の「真理と言語との断絶」という理解から「八識三性・八不空性」という一般的理解へと変化することに見られるように両宗に対する関心が相対的に低下した。また十住心思想においてその骨格となった、ある宗が尊崇する菩薩を象徴する梵字一字によってその宗の教理全てを代表させるという理論に最も適合しにくかった天台宗の菩薩や梵字について『法華経開題』諸本の中で調整を図り、『十住心論』においてその到達点を示したことを論じた。
空海の世界観を構成した密教経典における<真理の空間的遍在>という思考法は『華厳経』・華厳教学も同様に用いるところであり、空海もその初期著作においてはそれを援用していたが、後期に至り、華厳教学との区別をつけるために、華厳教学において世界全体を示す「三種世間」という語を『大乗起信論』に見られる記述を解釈することによって「出世間」よりも小さなものであるとして、華厳所説の三種世間を下位に位置づけた。また「法爾・不変・常恒」は密教経典に基づく空海における真理の規定であった。
三論宗っていったら、中観派だ
ウンコとリダンが大好きな、
「最高の真理の状態では言語が途絶える」
という思想が流行していた
それに対して空海は
「法身が直接説法する」
「真理と関わりあう言語がある」
といって、異論を唱えた
法相宗っていったら、唯識派だ
当方がしばしば強調している
「成仏するには途方もない時間がかかる」
という思想が、当時の主流だった
空海は、即身成仏の説を唱えて反対した
華厳宗っていったら、「毘盧遮那仏(=大日如来)が世界そのものである」という思想
「真理の空間的偏在」だ
この辺りの理屈はよく分からんが、とにかく空海は、華厳宗に対する真言宗の優位を唱えた
空海はなった
😆
三論宗は衰退し始めてから
東大寺内部に三論宗があった
😆
そうなのか😄
興福寺や東大寺を征服したような感じ
😆
いきなり青龍寺を制覇したくらいだからな😅
日本の国内で無双なのは当然か
あと念仏、
三論宗もそうだけど
😆
しかし、俺はこれくらい仏教知識あっても
レスするのはJBLくらいしか
レスしない
禅関連は知識は重要ではないし
ロン、仏のスレ主、アンドーには
知識を、語るの違うし
その他の仏教知識は語るに足らんアホばかりだしな〜😭
ほとんどレスしないからなー
😆
> 禅関連は知識は重要ではないし
> ロン、仏のスレ主、アンドーには
> 知識を、語るの違うし
確かに、その3人は仏教知識に関心ないな~
最初はもうちょいマトモかと思ったが
たちまち、ハッスル教に洗脳された😫
仏教じゃないしな~
鎌倉期以降は
興福寺の小嶋流とか、その系譜が
高野山の学問僧を支配した感がある
現在高野山真言宗は
南北朝以降の流派で
平安期の仏像ある宿坊は東寺のぽい
まったく霊感が違う
😆
夏に行ったな~😆
関東では、よく行く寺は真言宗智山派だし
神社を除けば、行ったのは高野山と東寺だ
じつは真言宗に偏ってるな😂
宿坊南院から
高野山のトップに影響与えた
逆襲の興福寺感がある
むろん密教だけど、
😆
「これだ~ッ!😆」って感じになるのよな
俺はいかないが大覚寺は
かなり好みだ
マタタビ霊感が真言宗の中では一位だな
😆
高野山廃墟時代がある
その時は大和の国中部の吉野の手前
小嶋寺が高野山の拠点になっていた
もちろん現存しているし
行ったことがある
ま、戦国時代で焼かれているので
この場所か保証はないが
😆
真如苑とか真言宗だったら
もっと、話が合っただろな~😆
天は二物を与えず~😫
古義真言宗(こぎしんごんしゅう)
空海の教えを直接受け継ぐ系統。
高野山真言宗:総本山・金剛峯寺(和歌山県)。
東寺真言宗:総本山・東寺(教王護国寺、京都府)。
真言宗御室派:総本山・仁和寺(京都府)。
真言宗醍醐派:総本山・醍醐寺(京都府)。
平安時代に覚鑁(かくばん)が根来寺で開いた系統。
真言宗智山派:総本山・智積院(京都府)。成田山新勝寺、川崎大師、高尾山薬王院などが有名。
真言宗豊山派:総本山・長谷寺(奈良県)。護国寺などが有名。
鎌倉時代に叡尊が真言密教に律宗の教え(戒律)を採り入れた系統。
開祖:空海(弘法大師)。
本尊:大日如来。
教え:「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」。この身体のまま仏になるという教え。
修行:三密加持(身に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念ずる)。
特色:多くの分派があり、それぞれに本山がある。また、密教は東寺や高野山を拠点とする「東密」と、天台宗の「台密」に分かれる。
高野山の奥の院で法要したのだが、
半数は三井寺系統
ま、高野山の山伏は三井寺系統だろな
霊感的にも、そう感じる
三井寺系統の高野山山伏はやはり関心薄い、
長谷寺ぽい?謎の山伏グループらしき高野山宿坊とかは割合大好きだ
外国人人気の恵光院とかも、
長谷寺ぽいんだな、
そのグループらしき高野山宿坊は
恵光院含めて4つあった
😆
比叡山こそ、日本の密教の拠点だな~😆
やったんだな?
拝観はさせてくれるかもよ
むろん無料で
20010年頃は無料拝観させてもらった
😆
来る前から
鹿ちゃんの言うそれが
体験に合致してたからやな
だから来た
かなり電波だぞ
口ひらけば体外離脱の話やし
石にも末那識あるんやないか?
とか言ってたわ
台密でも三井寺のほうだ
熊野参詣とかは三井寺系統だからなー
藤原道長あたりの時代から
院政の時代に
熊野参詣で三井寺系統は絶頂期だったからなー😆
恐らく徳川時代以前は
台密は三井寺の天下だったかも
信長に焼かれるくらい堕落してたからなー
😆
そういえば、そうだった😅
天台といっても、寺門ですな
シャープな清涼感がある
滝のイメージだ
比叡山グループは
クリーム白ぽい、カトリックぽいんだよなー
😆
jblの電脳と阿頼耶識が似てるってのは
支持しとるで
山頂から見る琵琶湖の景色は素晴らしい👍️
そうなのか
あとアレフガルドの話な
龍樹は世界や自身(アバター)は0と1の相依
やでと
一応そう説明するんは
お前ら用に変換した真実であるから
それも捨てないと
PCそのもの0と1そのものは分からんで
と言ってる
その視座、フォーカスすれば
八不だよね?
って言ってんの
般若心経の大半(仮設)で説明書は
一応したけども
それは君らようの方便だから
ぎゃーてーぎゃーてー
でええよって話
説明◯
ってのは運動の話しをふくめ
延々と中論の大半を割いとるわけ
勝義諦(0そのもの)
両方を知ればお釈迦様の言うことは
分かるよ
って話
空の説明しても分からんだろ
分かるような設定じゃねんだから
俺らのために変換された方便だってこと
変換された方便も捨てて
勝義諦へ行け
筏を捨てろってこと
それが中論に書かれてることだ
>>768
体外離脱による
0と1の相依であるは体現してるから
0と1の相依に拘る
大半はまずそれを知らんのやから
それを主体に話すとこんがらがる
ガンバルンバ〜
😁
頑固さだけは凄いな
「今この身で」仏になる:肉体を持ってこの世に生きている間に、仏と一体となること。
真言密教の根本教理:弘法大師・空海が『即身成仏義』で説いた、即身・即身成仏・即身具徳という教えの核心。
三密加持:自分の「身(体)」で印を結び、「口」で真言を唱え、「意(心)」で仏を観念する(三密)の修行を通じて、即座に仏の働きと一体化する。
法華経の解釈:日蓮宗などの法華経の観点では、凡夫(一般人)が本来持っている仏性をそのまま開き現す「凡夫成仏」という意味合いで用いられる。
> 厳しい修行を経てそのままの姿でミイラとなった「即身仏」
どうも、このイメージが強い😅
そのまま、ミイラになる
そういうイメージを持っていた
真言宗の教えの中で、他の仏教諸宗との一番の違いは「即身成仏」という考え方である。
心の救済は来世にあるとするこれまでの仏教では、仏になるためには途方もなく長い時間がかかるとされていた。これを「三劫成仏ーさんごうじょうぶつ」という。これに対し真言宗では、人間は生きながらにして仏になることが可能で、機縁が熟せば誰もがすぐに成仏できるとされている。これを「即身成仏」という。この「即身成仏」の思想を明確に打ち出したのが、819(弘仁10)年に弘法大師が著された「即身成仏義」である。
「六大」とは、地・水・火・風・空という物質を表し、精神を表す識、の六つをいう。これらは、宇宙を構成している要素であり、すべてのものの本質である。また本尊大日如来の象徴であり目に見えないものとされている。
四つの曼荼羅(四曼)は仏像や法具、梵字などにより六大の世界を具体的に表現している。
手で印を結んで宇宙の動きを表す(身密)真言を唱える(口密)心に宇宙を感じる(意密)である。この「三密」で宇宙すなわち大日如来と一体化するのである。
「即身成仏」を目指すには、これらの理論の把握と行動の実践が必要不可欠で、仏を自分の心に感じ、成仏すべく修行(生活)することが必要であると弘法大師は説かれたのである。
埼玉 阿弥陀寺 大幡密範
2回目でやっと
仁和寺は3回行ってるが
振られまくり
😆
1回目はキメには行かずお経を買いにおったくらいの軽い気持ち
😆
真言密教=即身仏ミイラの
思い込みの話は
解っていても放置していた
語るに足らん
と
思った相手には一切知識やらん
😆
とことん知識を与えない
冷徹さが
俺にはある
ま、自称禅連中への禅指導は親切だけどな
😆
本来は空海が生きている間に元々空海の姿がずっとある話はない
空海の墓所の穴に行くと
空海の幻がみえるやつと見えないやつがいて
見えないほうの手をみえるやつが空海の幻の体に手を持っていくと、
その手に一生香りが残っていた
という話、
その手の香り話は
俺の真言密教宗派別の即身成仏の禅定のオプションに全部ついている😆
南北朝以降の学問僧の新派ですら
ビミョーに香りが違う
大覚寺なんかは
まったく別物で大好きだ
😆
真言密教宗派別の
光明を見分けている
😆
真言密教宗派の各派の禅定の領域展開いつでもやれる
😆
身密をコンプしとるわけやな
😆
同じ身体で記憶と認識がある
故に
リアルな彼らの教義のツボの理解がとても遅れる😆
> ホーカイくんの
> 真言密教=即身仏ミイラの
> 思い込みの話は
> 解っていても放置していた
そのイメージは確かにあったな😅
https://i.imgur.com/TVYZ9AW.png
後の南朝につながった歴史があるな
京都市右京区にある仏教寺院
大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院。山号は嵯峨山。本尊は不動明王を中心とする五大明王。開山は恒寂入道親王である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)である(正式名は旧嵯峨御所大覚寺門跡)。
時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている。
しばらくして後、大覚寺は興福寺一乗院による兼帯が続いたが、文永5年(1268年)に後嵯峨上皇が落飾して法皇となり素覚と号し、第21代門跡となっている。
徳治2年(1307年)には後宇多天皇が出家して法皇となり、法名を金剛性と号して第23代門跡に就任し、翌徳治3年(1308年)に大覚寺を再興した。法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため、「中興の祖」と称されている。また、ここで院政を行ったため嵯峨御所(さがごしょ)とも呼ばれた。法皇の父である亀山法皇から続く系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが、後の南北朝分裂につながった。
このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気がただよっている。御所跡地が国の史跡に指定されている。
大沢池は唐の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれ、平安時代前期の名残をとどめる日本最古の人工の庭池とされている。当時の唐風文化の面影を今に残す園地は池の北方約100メートルにある「名古曽滝跡」とともに1923年(大正12年)に国の文化財として国の名勝に指定されている。毎年、中秋の名月の頃に、大沢池に舟を浮かべて「観月の夕べ」が催される。
大沢池の外周はおよそ1キロメートルあり、広さは約6万4000平方メートルで甲子園球場がすっぽり入る大きさである。
2つの系統による両統迭立の時代
平安時代末期から江戸時代にかけて平安京北郊に存在した邸宅および寺院
持明院(じみょういん)は、平安時代末期から江戸時代にかけて平安京北郊に存在した邸宅およびその邸内にあった寺院。現在の京都市上京区安楽小路町の光照院の付近にあった。鎌倉時代以降には仙洞御所や里内裏となり、持明院統の由来となる。邸宅を持明院殿、また寺院を安楽光院(あんらくこういん)・安楽行院(あんらくぎょういん)とも称す。
鎌倉時代、持明院基家の娘陳子(後の北白川院)は守貞親王の妃になり、茂仁親王(後堀河天皇)を生んだ。承久の乱後、後堀河天皇が即位すると、父親の守貞親王には太上天皇の尊号がおくられ、後高倉院を院号としてここで院政を行い、持明院宮と呼ばれた。続いて後堀河天皇も退位後にもここを御所として院政を行った。守貞親王系の断絶後も後嵯峨天皇・後深草天皇の退位後の御所となり、後深草天皇の系統の伏見上皇・後伏見上皇・花園上皇・光厳上皇・光明上皇はいずれも持明院殿を御所とした。また、一時期崇光天皇の内裏ともなった。この系統を持明院統と称す。ただし、守貞親王系の断絶後は後堀河天皇の皇女であった室町院(暉子内親王)が持明院を御所とし、その没後に伏見上皇が継承した事が持明院統の持明院所有の端緒であり、後深草天皇は外祖父である西園寺実氏が彼のために献上した冷泉富小路殿で生涯の大半を過ごしたとする指摘もある。
後光厳天皇の1353年(文和2年/正平8年)2月の火事により焼失すると、安楽光院一堂を残して邸宅部分は以後荒廃した。
安楽光院は、広義門院の命によって再興され、室町時代にも持明院統関連の仏事等が行なわれ、江戸時代には泉涌寺塔頭とされた。応仁の乱後に後伏見天皇の皇女進子内親王ゆかりの光照院が移転したとも伝えられ、移転後の一時期は光照院も「安楽光院」を名乗っている。
また、持明院に残った安楽光院を現京都市伏見区深草に移して深草法華堂としたとする伝承もある。深草法華堂には後深草天皇以下12名の天皇の陵墓が置かれ、17世紀後半に安楽行院として再興され、廃仏毀釈まで残存した。
現在は一部駐車場として使われている。
両統迭立から始まった対立は、なんと二百年も続いた
即身仏は現在禁止されていますか?
科学的には、即身仏とはヒトが死んでミイラとなることにほかならず、信仰上生きているとされても生物学的には死んでいる。 生入定を作ることは、現在の日本では自殺幇助罪または死体損壊罪・死体遺棄罪に問われるため、法律上不可能である。
は
なかなかの優雅さNO1の禅定がある
なんというか蓮の花の香りみたい?な
知らんけど
😆
やはり、皇室ゆかりの門跡寺院には魅力があるな?
天台系統の門跡寺院は意外と行ってない
真如堂の浄土曼荼羅は楽しそうだけどなー
😆
かなり挑発してたからなー
😆
JBLの理解に合わせたスタイルとかな?
😆
元気だな?
😁
さらにお仕事集中力を少しシステムアップナウ
😆
まあ、無理でも、少しでも進めば。
亡くなって、あの世に行ってしまうと、修行は積めないらしい。
苦しくても、修行が積めるのが、この世の良いところらしい。
ダラダラとした生活をしていると、死ぬとき、また、死んでから後悔するんだろうな。
「もっと修行をしておけば良かった」と。
「時間が無くなってしまった」と。
刻々と進む時間。
充実した時間を過ごしたい....と思いながら、なかなかできない。
1. 根本的な教えを理解する
即身成仏(そくしんじょうぶつ): 修行によって、生きているこの身体のまま仏になれるという考え方。
大日如来(だいにちにょらい): 宇宙の真理そのものである根本仏。すべての仏は大日如来の姿を変えたものとされる。
三密(さんみつ): 身・口・意の修行。身(印を結ぶ)、口(真言を唱える)、意(心に仏を思い描く)の3つを統合し、仏と同じ境地になることを目指す。
空海(弘法大師): 平安時代に密教を日本に伝えた開祖。
曼荼羅(まんだら): 宇宙の真理や悟りの世界を絵図にしたもの。「胎蔵界(たいぞうかい)」「金剛界(こんごうかい)」の2つで教えを表現する。
真言(マントラ)を唱える: 大日如来の真言「ア・ヴィ・ラ・ウン・ケン」や、観世音菩薩の「光明真言」などを唱える。ただし、他人を不幸にするような邪な心で唱えない。
南無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう): 空海への帰依を表す唱え。
日常の勤行: 仏壇の前で合掌し、心を落ち着けて祈る。
高野山(和歌山県): 真言宗の総本山であり、空海が修行した地。
関連書籍: 空海の著作(『三教指帰』など)や、解説本を読む。
オンライン・寺院: 瞑想のワークショップや、寺院での写経・法話に参加する。
真言宗は「形」から入ることも有効な宗派であるため、密教の芸術性(曼荼羅や仏像)や、真言(呪文)の響きを体験することで、その本質に近づくことができます。
> ダラダラとした生活をしていると、死ぬとき、また、死んでから後悔するんだろうな。
> 「もっと修行をしておけば良かった」と。
> 「時間が無くなってしまった」と。
さっそく、今日から勤行しよう😆
合掌礼拝(がっしょうらいはい):手を洗い口をすすぎ身を清め、仏壇前で三礼する。
懺悔文(ざんげもん):これまでの罪を懺悔する。
三帰・三竟(さんき・さんきょう):仏・法・僧の三宝に帰依を誓う。
十善戒(じゅうぜんかい):生活の戒めを誓う。
発菩提心(ほつぼだいしん):悟りを求める心を起こす。
三摩耶戒(さんまやかい):大日如来と一体になることを誓う。
開経偈(かいきょうげ):教えに出会えた喜びに感謝する。
般若心経(はんにゃしんぎょう):仏教の真髄。
本尊真言(ほんぞんしんごん):仏様ごとの真言を唱える。
十三仏真言(じゅうさんぶつしんごん):13の仏様の真言。
光明真言(こうみょうしんごん):『オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン』。
御宝号(ごほうごう):『南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)』を3回・7回・21回・108回唱える。
祈願文・回向(えこう):修行の功徳を皆に振り向ける。
念珠・線香・お灯明:必ず用意し、念珠は左手にかける。
心がけ:毎日、心を落ち着けて行うことが重要。
この次第は特に高野山真言宗などで使われる標準的な形式です。
四国88か所は、2回以上回りました。
高野山には、10回近く行ったかな。
それはすごい!!😲
筋金入りですな👍️
四国は一度も回ったことがないなー
高野山30回は超えているなー
高野山大学の図書館の虫時代があった
😆
朝の飛び入り宿坊勤行も同じくらい
高野山大学図書館とセットやったからなー
😆
コロナ禍以降は回数が減った
ここ四年は行ってないなー
仕事が過酷で余裕が
年1回の旅と
年3回の高野山真言宗寺院に寄るくらいだ
😆
それも凄いな😅
朝の飛び入り勤行宿坊で
得度を勧められたが
受けなかった
目的は
高野山の教義体系から消えた
上杉謙信がらみの
印融大徳の密教禅定をマスターしたかったから
15回トライしても相手されなかった難敵だった
😆
長覚の法流の密教をマスターしたかった
😆
現存しない高野山の山伏、念仏、
あと両部神道の研究したかった
😆
現存しない高野山の山伏、念仏、
あと両部神道の研究したかった
😆
だから、真言密教から教義を取り入れた
自分が小学生のときに、親戚のおじいさんが、孫を何名か引き連れて、四国88か所参りに連れていってくれました。
あるお寺に宿泊しました。
宿泊した寺の風呂で、いとこの小さい子が、湯と水を間違えたらしく、手にやけどを負ってしまったそうです。
医者に連れていったものの、泣き止まず、おじいさんも、観念してしまったそうです。
おじいさんは、宿泊した寺の御本尊様に「こういう状態なので、旅を断念し、帰らさせてもらいます」と言い訳をしていたそうです。
すると、おじいさんの目に、小さい黄色い手がたくさん出てきて、いとこの手をなでてくれたそうです。
いとこは、急に泣き止み、寝てしまったそうです。
御本尊様は、千手観音様だったそうです。
そういうことがあり、予定どおり、旅を続けることができました。
今思っても、ありがたいことでした。
御流神道の教義書の現在語訳はなかった
漢文のはあるだろうな
三輪神道の教義書の現在語訳はあったのでバッチリ全部コピーを取った
😆
真言密教はやる気満々だからなー
そのせいで
無住寺院の冬季つる切り茨切りが
年間行事になってしまった
本尊家に一秒出てきたからなー
ま、俺の家の近所のお寺構えたかったんやろなー
😆
素晴らしい~😭
四国88か所参りをしていた4人の団体客が、ある宿に宿泊したそうです。
宿の主人が、「お金が無くなり、宿を閉めます。あなた方が最後のお客様です」と言ったそうです。
宿泊した客が気の毒がり、3人の人がお金を出し合い、宿を続けられるようにしてあげたそうです。
翌朝、宿を出て、最初の寺に着き、納経所に納経帳を出したそうです。
すると、なんと、お金を出してあげた3人の人の納経帳には、最後の88か所まで、記帳されていたそうです!
これなども、慈悲が大切ということを示しているのかなと思いました。
あくまで、聞いた話です。
弘法大師様が御入定されて、約1190年、今も高野山の参拝者が絶えず、四国88か所参りが絶えないのは、こういうことがあるからなのかなと思ってしまいます。
ありがたや~😭
真言宗における「開経偈(かいきょうげ)」は、読経(お経を読むこと)の前に唱える、4行(四句)からなる詩(偈文)です。この上なく深い仏の教えに出会えた喜びと、その教えを正しく理解・実践して悟りを得たいという決意を表明するものであり、多くの宗派で共通して用いられる真摯な心構えの歌です。
偈文(漢文):
無上甚深微妙の法は
百千万劫にも遭い遇うこと難し
我今聞見し受持することを得たり
願わくは如来の真実義を解したてまつらん
この上なく深遠で素晴らしい仏の教えは、
想像できないほど長い時間(百千万劫)を経ても、出会うことは難しい。
私は今、この教えを聞き、お経を手にすることができた。
どうか、仏(如来)の真実の教えを理解し、体得できますように。
「無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法」: 「この上なく、深くて、きわめて細かい」仏の真理を指します。
「百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭い遇うこと難し」: 1劫は気が遠くなるほど長い時間。これほど出会うのが難しい教えに出会えたことへの感謝です。
真言宗の法要や日々の勤行において、般若心経などの読経の前に必ず唱えられ、心を落ち着かせ、仏法を学ぶ姿勢を整えるために唱えられます。
百千万劫難遭遇[ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持[がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義[がんげにょらい しんじつぎ]
これは真言宗に限らず、多くの宗派で共通する
意外と、般若心経がメインだったりするんだよな~
書いておるらなー
十巻章にあるぞ
😆😆
般若心経秘鍵にて
全仏教の宗派の教義が
真言密教に置いて統一されていると
全仏教宗派を曼荼羅であるかのように
解説している
それも大事な発想だ
禅やら華厳を知るにも
😆
般若心経を
そのように扱っている
😆
まともな禅のヤツラの感性は理解できやすくなるだろう
唯識との違いがみえてくる
😆
幅が広いタイプだな
興教大師の時代の細かな関係人物と、その後歴史は
意外に知らない歴史がおおいな
😆
ルーツの
道範
かれと
興教大師と
金剛三昧院の あたりの関係とかありそうだけど知らない
😆
↓
関東の真言宗(特に智山派)の初詣は、300万人超が訪れる成田山新勝寺(千葉)、厄除けで有名な川崎大師平間寺(神奈川)、修行の場である高尾山薬王院(東京)の三大本山が非常に有名です。毎日護摩祈祷が行われ、力強い不動明王や弘法大師のご利益を求めて多くの参拝者で賑わいます。
成田山 新勝寺(千葉県成田市)
特徴: 真言宗智山派の大本山。「成田のお不動さま」として親しまれ、初詣参拝客数は明治神宮に次ぐ全国トップクラス(約300万人以上)。
ご利益: 交通安全、家内安全、開運など。
川崎大師 平間寺(神奈川県川崎市)
特徴: 「厄除けのお大師さま」として全国的に有名。毎日行われる護摩祈祷で厄を払う。
ご利益: 厄除け、方位除け、家内安全。
高尾山 薬王院(東京都八王子市)
特徴: 真言宗智山派の大本山。都心からアクセスしやすく、登山を兼ねた初詣が人気。
ご利益: 家内安全、厄除け、開運。
高幡不動尊 金剛寺(東京都日野市)
特徴: 関東三大不動の一つ。真言宗智山派の別格本山。新選組土方歳三の菩提寺としても知られる。
ご利益: 交通安全、厄除け。
不動ヶ岡不動尊 總願寺(埼玉県加須市)
特徴: 関東三大不動の一つに数えられることもある古刹。江戸時代から続く不動明王信仰が篤い。
護摩祈祷: 真言宗の寺院では、本尊の前で護摩の炎により願いを成就する「お護摩」が行われます。
混雑回避: 成田山や川崎大師は三が日は非常に混雑するため、時間をずらすか、松の内(1月7日まで)の参拝がおすすめです。
名物: 成田山の鰻、川崎大師の「とんとこ飴」など、参道グルメも楽しめます。
高野聖、念仏聖の
ある種の大将みたいな部分ももっていた
😆
鳥羽上皇だったので
余計に関東に人気があったんやろな?
😆
↓
2026年の関東の初詣は、参拝者数1位の明治神宮(東京)が不動の人気です。次いで成田山新勝寺(千葉)、川崎大師(神奈川)、浅草寺(東京)、鶴岡八幡宮(神奈川)が混雑・人気トップクラスです。縁結びなら東京大神宮や川越氷川神社も人気です。
【関東の初詣スポット人気・参拝者数ランキング】
1位:明治神宮(東京都)- 圧倒的な参拝者数を誇る都市の森
2位:成田山新勝寺(千葉県)- 厄除けで名高い、歴史ある大寺院
3位:川崎大師 平間寺(神奈川県)- 厄除け大師として関東全域から参拝
4位:浅草寺(東京都)- 都内最古の寺、雷門は非常に混雑
5位:鶴岡八幡宮(神奈川県)- 鎌倉のシンボル、歴史と格式が高い
😆
山伏っぽいな?😆
😆
身分は低くなかったらしい
高野山は
学問僧が一番地位があった
😆
なんらかは乗っかていた覚鑁は
😆
伝承を除いて
日本仏教で念仏が始まったのは
空也と恵心僧都の時代
第二期が、覚鑁と高野山の念仏聖高野聖の時代
覚鑁より前の世代、恵心僧都に近い時期だが、
まだ、ノーリサーチ
😆
アマテラスと八幡
高野山の山伏は
それに春日明神を足す
根来寺にも春日明神の祠があったな
😆
即身成仏主義者やろしなー
少し古義派と三密加持の解釈が違う
😆
阿弥陀如来の回向を待ってたわけじゃあるまい
三密加持に関しては教義的には古義派だろうけど
実践的には覚鑁ぽいかもしれん
徹底的な完璧な即身成仏の主義の真言密教は
おそらくほとんどないだろう
😆
恵心僧都の影響で
二段構えしているだろうな
万人成仏の為の阿弥陀仏
大日如来=阿弥陀仏の
ツートップ教義が覚鑁
それで、俺が禅定狙いの
高野山の宿坊に飛び入り勤行してた
宿坊も
覚鑁的な
大日如来=阿弥陀仏の
ツートップ教義に近いらしい
😆
> 興教大師(こうぎょうだいし) 覚鑁上人(かくばんしょうにん) は、高野山の復興と真言教学の振興に努められた方なんですね。豊山派の寺の御住職さんと話したことがありますが、そういう歴史は知りませんでした。
関東の真言宗寺院では、たいてい
こんな具合に弘法大師と興教大師が
並べてあります
↓
https://www.hakkodou.net/products/img/594-12-161417.jpg
大日如来=阿弥陀仏の
ツートップ教義でウケた可能性がある
😆
ご宝号は二つだなお経マニアなので
知っている
😆
真言宗寺院は、阿弥陀如来を御本尊にしてるとこが結構多い
大日如来は、本尊にしにくいのかも
覚鑁が不動尊に変化したという伝承がある😆
根来寺の不動尊がそれと
言われている
😆
知識とフィールドワークと禅定の
3本柱が
基本スタイル
関東は行けんので
知らないがたくさんあるだろうな
😆
Unknownや
😆
善光寺には、正月に行った😆
一遍と親鸞と高野山は関係がある
善光寺は
😆
遠いな😅
昔の人はよく移動できたなあ
時宗と金剛三昧院の臨済宗系統の高野聖が相当出入りしてたよーだ
一遍自体が遊行聖修行だったから
あの原型があって善光寺があるんやろ
高野聖と聖徳太子信仰と善光寺ラインが
関係あるらしい
😆
唯識のある種の種子みたいなのが
変形した感があるな
遊行修行は
😆
禅定よりも功徳路線
😆
西国三十三箇所も、
あれも山伏的遊行やったんたろな
功徳の種子みたいな
😆
途中の地形は険しいからな
論文で見た
女人道あたりと高野三山が回峰行だったらしい
食事は穀物を取らないとか云々と論文にあった記憶がある
😆
😱
読み(漢文):
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
意味:
私が昔から作ってきた諸々の悪業は、皆、遠い過去からの貪り・怒り・愚かさ(三毒)によるものです。それらは身体、言葉、心から生まれたものです。私は今、そのすべてを心から懺悔します。
唱えるタイミング: 勤行(おつとめ)の最初、お経やお念仏を唱える前。
「さんげ」と読む: キリスト教の「ざんげ」とは異なり、仏教では「さんげ」と読み、罪を悔い改めることを意味します。
根本の過ちを反省: 自分の行った悪いことだけでなく、その原因となる「貪瞋癡(とんじんち:むさぼり、いかり、おろかさ)」という心まで含めて懺悔します。
日常の習慣: 真言宗のお勤めにおいて、毎日唱える経文の基本です。
また、高野山などで読まれる「密厳院発露懺悔文」は、興教大師覚鑁が記した、特に重みのある別の懺悔文も存在します。
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
逃げている可能性も
ありうるけどなー
天野には世界遺産の丹生都比売神社がある
山伏の拠点で
両部神道が関係あったらしい昔
無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義
高野山真言宗のお勤めにあるなー
https://yasurakaan.com/shingonshyu/kouyasan-otutome/
あと曹洞宗もあるよ
https://soto-tokai.net/okyou.html
これでスマホ勤行やってる
😆
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
スマホ勤行もいいな😆
真言宗は響きを重んじる勤行
曹洞宗は自然体勤行と
同じ内容でも読み方を変えている
😆
天野がどこか分からん
逆に時間が取れる場合には般若心経を何回もループさせて唱えたら良いと思います。
合掌礼拝~開経偈~般若心経~懺悔(3回唱える)~三帰(3回唱える)~三竟 (3回唱える)~十善戒(3回唱える)~発菩提心(3回唱える)~三昧耶戒(3回唱える)~十三仏真言(それぞれ3回唱える)~光明真言(7回唱える)~南無大師遍照金剛(7回唱える)~大金剛輪陀羅尼~回向
般若心経は通常の勤行では1回唱えますが、何回唱えても構いません。
https://m.youtube.com/watch?v=yOuVy5zrufA&pp=ygUV6auY6YeO5bGx44CA44GK5Yuk44KB0gcJCZEKAYcqIYzv
天野は高野山の北西だな
紀の川の一山越えた場所
西行法師の関連とかあるらしい
俺はまだ行ったことがない
縁がないだけだ
😆
😆
一、不動明王(ふどうみょうおう)
のうまく さんまんだ ばざらだんかん
二、釈迦如来(しゃかにょらい)
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
三、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
おん あらはしゃ のう
四、普賢菩薩(ふけんぼさつ)
おん さんまや さとばん
五、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
おん かかかび さんまえい そわか
六、弥勒菩薩(みろくぼさつ)
おん まい たれいや そわか
七、薬師如来(やくしにょらい)
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
おん あろりきゃ そわか
九、勢至菩薩(せいしぼさつ)
おん さんざんさく そわか
十、阿弥陀如来(あみだにょらい)
おん あみりた ていせい から うん
十一、阿閦如来(あしゅくにょらい)
おん あきしゅびや うん
十二、大日如来(だいにちにょらい)
おん あびらうんけん ばざら だとばん
十三、虚空蔵菩薩(こうくうぞうぼさつ)
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
そうなのか
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
南無大師遍照金剛 [なむだいしへんじょうこんごう]
のうまく しっちりや ぢびきゃなん たたぎゃたなん あん びらじ びらじ まかしゃきゃら ばじり さたさた さらてい さらてい たらい たらい びだまに さんばんじゃに たらまちしった ぎりやたらん そわか
願以此功徳[がんにしくどく]
普及於一切[ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生[がとうよしゅじょう]
皆共成仏道[かいぐじょうぶつどう]
この辺りは、省略させてもらおう😅
~十三仏真言(それぞれ3回唱える)~光明真言(7回唱える)~南無大師遍照金剛(7回唱える)~大金剛輪陀羅尼~回向
ここから始める😆
いや、ここまではやった方がいいか
【六大無碍】 真言密教 【即身成仏】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1770463596
そして阿字本不生が
わかれば
元仏のスレ主とロンの趣味が
俯瞰できるだろう
😆
般若心経に全ての仏教のエッセンスが含まれるという内容だ
空海の野望が垣間見える
😆
ハッスルや麦の理屈は
ダメダメ禅じゃ〜んと
理解てきる
😆
核心的なポイント
阿字(あじ)の根源性: サンスクリット語(梵字)の「阿」は全ての音声の母であり、真理(空)を表す。
本不生(ほんぷしょう): 万物、特に真理そのものは、始まりも終わりも持たない「不生不滅」の性質(=「本より生ぜず」)を持っている。
大日如来と一体: 「阿」は法身大日如来を象徴し、森羅万象が大日如来そのものである。
阿字観(あじかん): この教えに基づいて、自らの心の本源と大日如来が一体であることを観じる高野山の瞑想法。
阿字本不生は、輪廻の現実を超越した不変の悟りの境地を象徴し、即身成仏の基盤となる真理とされている。
https://engawayoga.com/wp-content/uploads/2015/12/736f1d361d1dcfdaf56ffae40fb9e542.jpg
十巻章を読もう😄
だんだん見えてくるに違いない🤣
これで
既にロンや
元仏のスレ主の趣味が見えてくる
😆
無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩? 依般若波羅蜜多故 心無?礙 無?礙故 無有恐怖 遠離顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋癡 (かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
おん あらはしゃ のう
おん さんまや さとばん
おん かかかび さんまえい そわか
おん まい たれいや そわか
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
おん あろりきゃ そわか
おん さんざんさく そわか
おん あみりた ていせい から うん
おん あきしゅびや うん
おん あびらうんけん ばざら だとばん
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
願以此功徳[がんにしくどく]
普及於一切[ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生[がとうよしゅじょう]
皆共成仏道[かいぐじょうぶつどう]
これくらいでいいだろう
関西は今から寒さ突入
😆
おんさんまやさとばん
やなかったのか?
かなり意味深い真言たけどな〜
😆
人によって異なるからな~😫
菩提心とか
戒とかの関連の真言だな
😆
身・口・意(行動・言葉・心)の三業(さんごう)から生じた煩悩(三毒)による悪業を懺悔し、心を清らかにして仏道修行に入るための重要な祈りです。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんぐいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
2. 意味・現代語訳
「私が昔から作ってきた様々な悪業(悪い行い)は、」
「すべて、遠い過去からの貪り(とん・むさぼり)、怒り(じん)、愚かさ(ち)という三毒の煩悩に由来し、」
「身体の行動、言葉、心のはたらきから生じたものです。」
「私は今、そのすべてを懺悔(謝罪・悔い改め)します。」
読み方:ざんげではなく、仏教では「さんげ」と呼びます。
由来:『華厳経』の四十巻本(普賢行願品)に由来する偈文(仏の教えを韻文で表したもの)です。
目的:読経前に自らの汚れを洗い流し、心を清浄にすることで、お経の功徳をより深く受け取るため。
日常の教え:自身の至らなさを自覚し、毎日「ごめんなさい」と「ありがとう」の心を持つ誓いとされています。
真言宗のお勤め(日常勤行)では、通常「開経偈」の次に唱えられます。
無上甚深微妙法 [むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇 [ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持 [がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義 [がんげにょらい しんじつぎ]
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩? 依般若波羅蜜多故 心無?礙 無?礙故 無有恐怖 遠離顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋癡 (かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)
一、不動明王
のうまく さんまんだ ばざらだんかん
二、釈迦如来
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
三、文殊菩薩
おん あらはしゃ のう
四、普賢菩薩
おん さんまや さとばん
五、地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
六、弥勒菩薩
おん まい たれいや そわか
七、薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
おん あろりきゃ そわか
九、勢至菩薩
おん さんざんさく そわか
十、阿弥陀如来
おん あみりた ていせい から うん
十一、阿シュク如来
おん あきしゅびや うん
十二、大日如来
おん あびらうんけん ばざら だとばん
十三、虚空蔵菩薩
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
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