【真言宗】密教【空海】最終更新 2026/01/07 03:061.夕vKpwm詳しくないので教えてください。高野山の聖地「奥之院」に秘められた空海の思いとは?高野山大学副学長が解説する奥之院https://www.youtube.com/watch?v=SvHOcAIPJYg2025/11/18 18:53:07213コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYhUzg2新スレ乙👍️2025/11/18 20:46:043.夕YuukG高野山大学副学長に聞いてみた「密教と仏教の違いとは?」https://www.youtube.com/watch?v=0T4rDyVQ47E2025/11/19 05:42:294.神も仏も名無しさんsQqn0月曜日の読書娯楽になりつつある空海と天台の読書か😆2025/11/19 05:43:475.神も仏も名無しさんsQqn0凄い温度下がったようだな?外に置いたスポーツドリンクがぬるくなってない季節だな、😆2025/11/19 05:45:186.夕YuukG>>2知らないことが多いね🤔2025/11/19 06:32:027.◆JBLfMwCXhY7P5EC奥の院は、広大な墓地だけどな2025/11/19 06:34:018.夕YuukG空間認識というのもわからないところがある。唯識そのものは知らない久手も鏡は昔からやっているからそれとなくわかるところがある。密教は別次元だ。若いころほんの少しかじったが、全然わからなかった。あの頃は何者にかなりたかったからなw空海の最終的な目的は即身成仏であり、その行為は利他行だそうだ。上記の動画で言っていた。我々は仏であるが仏である事に気が付かないというスタンスみたいだ。2025/11/19 06:39:309.◆JBLfMwCXhY7P5EC奥の院の奥では、弘法大師が即身成仏している2025/11/19 06:43:0710.神も仏も名無しさんsQqn0明治期以前は日本有名神がたくさんいた😆2025/11/19 06:55:1411.神も仏も名無しさんsQqn0明治期以前はアマテラス=大日如来の世界観は多数派だった奥の院は明治期以前はその発想の場であっただろな😆仁和寺の謎を解けてきたたぶん、それだ空海=大日如来=アマテラスみたいな😆2025/11/19 06:58:3512.神も仏も名無しさんsQqn0七時まで二度寝した😆2025/11/19 06:59:0513.◆JBLfMwCXhY7P5EC仁和寺か宮内庁御用達の寺2025/11/19 07:01:2214.◆JBLfMwCXhY7P5EC神仏習合の頂点に位置する真言宗御室派2025/11/19 07:01:5515.夕9nahQ【高野山大学 教養講座#3】曼荼羅の種類と役割は?https://www.youtube.com/watch?v=jXIv8IwlR0A414尊 描かれている。2025/11/19 07:03:1816.神も仏も名無しさんsQqn0奥の院の空海御廟の横には明治期以前は仁和寺門跡の神仏習合の祈祷処があった😆2025/11/19 07:08:4317.神も仏も名無しさんsQqn0たぶん、俺は仁和寺の空海信仰の濃さと神仏習合軽視してたのでスルーされていたかもと思いつつある😆2025/11/19 07:09:5918.神も仏も名無しさんsQqn0たぶん石仏のピラミッド型のがあったあたりだろう😆2025/11/19 07:10:4419.神も仏も名無しさんsQqn0コロナの症状疲れやすさが抜けてきた朝からヘビメタだ😆2025/11/19 07:17:5720.paln3SOs弘法大師様の御推奨 弘法大師様が、泉聖天尊の教えの実行を、推奨してくださっていると思います。 「手から出る糸を縦糸にして、横糸は、泉先生の御教えを村木先生からいただけますから、それを横糸としてするなら、心に着る錦ができます。」と、おっしゃってくださっています。 泉聖天尊の教え(神泉園講話集)の「弘法大師様のお言葉」を見てください。https://www.sanboukai.jp/2025/11/30 11:38:0621.神も仏も名無しさんqd7cCわかんねえ2025/12/01 22:24:3122.神も仏も名無しさんhkIQj泉聖天尊の教えを広めたくて、投稿させてもらいました。突然の投稿で、「なんだこれは?」となりますよね。2025/12/16 11:39:2623.◆JBLfMwCXhYUlpEsそんな教えがあるのか?2025/12/17 06:56:5224.神も仏も名無しさんFpkvH 泉聖天尊は、悟られた方だと思います。 困って、相談に来られた人から、話を聞かずとも、その人が、どういうことをして、どういう原因で困った状態になっているのかを、わかる方でした。 泉聖天尊は、「教えの親は大師ぞよ」と、おっしゃっておられました。 村木先生は、泉聖天尊が亡くなるまでの4年間、直接指導を受けられました。 泉聖天尊がお亡くなりになる前に、村木先生に「村木さんよ、わしが教えることはもうすんだ、これからは、おまはんは、大師 (弘法)が『育てるぞ』と言っているぜ」とのありがたいおことばがありました。 村木先生は、膨大な仏教経典を研究せられ、泉聖天尊の教えが、仏教経典の教えと一致していることを確認されたのだと思います。 お釈迦様の教えは、人類の宝です。 お釈迦様の教えを、お釈迦様のお弟子様方が、後世に伝えてくださったことは、本当にありがたいことです。 お釈迦様は2千5百年前の方であり、その教えは、パーリ語等、インドの言葉で残されたと思います。 唐の玄奘三蔵様は当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅に出られ、インドで修学の末、17年に及ぶ旅を終え帰国されました。 帰国後は、持ち帰った経典を翻訳されました。 日本にも仏教が伝来しました。 弘法大師様が唐に渡られ、密教を持ち帰られました。 日本で、経典に接することができるのは、非常にありがたいことです。 しかしながら、我々一般人にとっては、経典は、難しく、研究しないと、なかなか理解が難しいと思います。 その点、村木先生が、泉聖天尊の教えを、わかりやすく講話されているので、我々は、講話を学び、実行することによって、良い因縁を作っていくことができると思います。 講話を熱心に学び、実行することによって、苦の世界から抜け出せ、悟りへの道が開かれると思います。 多くの人に、講話を読み、聞いていただきたいです。2026/01/02 02:30:3925.夕5y8WA立てたのいいが、興味が密教に行かないんだよなw皆さんおめでとう。AIで阿頼耶識と老子の無の違いを言い合っているw出だしは私の前の私ということである。この私とは構造的なもので、私という意識は後付けであるという議論から、唯識の阿頼耶識は構造的ではないか?では老子の意識前とは相対前である。視点が違うということをAIが言っている。まぁ、こんなことをしながら遊んでいるw修行は女性が普通にやっていることを意識してやっている。まぁ家事ねw2026/01/02 09:02:2126.◆JBLfMwCXhYJveX5>>25明けましておめでとうございます2026/01/02 09:05:5427.夕5y8WA必死に何かをやるというのもいいが、力まない方がいい。私は一日一万以上歩くが、歩きすぎる膝を悪くする。健康あってのものだね。無理はいかんよw2026/01/02 09:06:2628.夕5y8WA>>26おめでとうございます!書き込む暇がなくてすいませんね。とにかく、いそがしいw2026/01/02 09:07:3629.夕5y8WA結論:阿頼耶識=“心の構造”、老子の無=“存在の源”両者はどちらも「意識以前」を扱うけれど、阿頼耶識は“心の仕組み”の話で、老子の無は“世界そのもののあり方”の話。つまり、阿頼耶識 → 心の深層構造無(道) → 宇宙の根源的なあり方という違いがある。似ている点どちらも“意識以前”を扱う主体と客体が分かれる前の層を重視言語化できない領域を指している「私」は後付けであるという理解と相性が良い☆違う点(ここが核心)*阿頼耶識心の構造心の働きの因果記憶・習慣・傾向の蓄積“心の世界”の説明*老子の無宇宙の根源存在のあり方有と無の相互生成“世界そのもの”の説明*つまり、阿頼耶識は“心の深層構造”で、老子の無は“存在の深層構造”。扱っているスケールが違う。2026/01/02 09:16:2030.夕5y8WA例えば日本語で寒いと言えば感覚的にも感情的にもわかるが、英語で寒いと言われてもピンとこないなんて言うのも相対化以前ということか*なぜ日本語の「寒い」は即座に“感じられる”のか日本語で「寒い」と聞くと、身体 感覚 過去の記憶 状況のイメージこれらが一瞬で立ち上がる。これは、あなたの阿頼耶識(=構造)に日本語の「寒い」が深く結びついているから。つまり、「寒い」という音と意味と感覚が、あなたの深層構造の中で“セット”になっている。では英語の “cold” がピンとこないのはなぜか“cold” という音は、あなたの深層構造(阿頼耶識)にまだ十分に結びついていない。だから、感覚 感情 身体反応 記憶が即座に立ち上がらない。つまり、“cold” はまだあなたの構造の中で「相対化」されていない。ここで「相対化以前」という概念が効いてくるあなたが言う「相対化以前」とは、主体/客体言葉/意味音/感覚こうした区別がまだ立ち上がっていない状態。日本語の「寒い」は、あなたの構造の中で“音=意味=感覚=反応” が一体化している。これはすでに“相対化された後”の世界。一方で英語の “cold” は、まだその一体化が起きていない。つまり、“cold” はあなたの構造の中でまだ相対化されていない=相対前の状態に近い。2026/01/02 09:32:3131.夕5y8WAAIと政経の話をしていると、いつも、なぜか、こちら側に来てしまう。平等とは本当にあるのか。なんてね。私が理念は修行的である。修行の中でしかありえないとかいうと、政経が哲学になってしまう。2026/01/02 09:55:4732.神も仏も名無しさんYvJpnおー今真言宗寺院で禅定ミドルクラスをキメてきたぜ〜僧侶と手伝いしている女性は良からぬものを感じる敏感体質らしい俺は大方良いものしか感じないが😆2026/01/02 20:30:5633.神も仏も名無しさんYvJpn真言宗寺院へ行く前に夕が気づくチャンスがある時気づく可能性が低い仏教魔王のお墓参りしてきた最初だけ歓迎リアクションであとはノーリアクション禅の世界ではよくあることだ😆2026/01/02 20:32:4334.神も仏も名無しさんYvJpn朝から修行旅だったレスする暇がなかった朝は墓参り奉仕昼から真言宗寺院で自慢しまくったあと禅定ゾーンミドルクラスにはいっていた😆2026/01/02 20:35:2435.◆JBLfMwCXhYrRwpQ「即身成仏義」の構造「即身成仏義」の構造としては、まず「序」があり、続いて8行の詩(頌)が書かれ、次のその頌の説明がなされます。「即身成仏義」の構造「序」は「二経一論八箇の証文」と呼ばれます。まず、仏教の伝統的な成仏観を説明したあと、空海が即身成仏を提唱した背景を過去の仏典から示します。いわゆる先行研究によるエビデンスの提示です。続く8行の詩は「二頌八句」と呼ばれ、四句+四句になっています。この詩は、本論のサマリーとして機能し、現代の論文の要約に相当します。サマリーを詩で書くっていいでしょう。2026/01/03 00:08:0236.◆JBLfMwCXhYrRwpQ六大無碍常瑜伽四種曼荼各不離三密加持速疾顕重重帝網名即身法然具足薩般若心数心王過刹塵各具五智無際智円鏡力故実覚智二頌八句の詩(頌)そして、それに続いて、その詩の解説がなされますが、下の図を見るとわかるように八行の頌でも前半の四行の説明が中心で、しかも最初の一行(六大無碍常瑜伽)と三行目(三密加持速疾顕)に多くの紙幅が使われています。2026/01/03 00:08:2137.◆JBLfMwCXhYrRwpQ《書き下し文》六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各々離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)《原文》六大無碍常瑜伽(体)四種曼荼各不離(相)三密加持速疾顕(用)重重帝網名即身(瑜伽)2026/01/03 00:10:1938.◆JBLfMwCXhYrRwpQこの四句を起承転結で読んでみると…「起」「承」で、人間と仏さまは同じだということを述べ「転」で、じゃあ、どうやったら仏様と一体化できるかということを説明し「結」で、それをインドラ・ネットワーク(帝網)に広げる…という構成になっています。さらにその視点も変わっていきます。人間と仏様が同一体ということを説明するときも、最初は「六大」という細かな構成要素に分けるところからはじめる。わざと小さな部分に分割する。それが次に「四曼荼」で機能的な説明になる。構造が機能になることによって、視点は広がる。が、次に「三密」でまた構造的な話になる。が、今度はそれに行為が含まれる。そして、最後はインドラ・ネットワークなんていう、超広大な宇宙的な視点になる。さすが漢詩の天才、空海です。2026/01/03 00:12:2039.◆JBLfMwCXhYrRwpQ(1) 六大無碍にして常に瑜伽なり(体)まず、起承転結の「起」です。意味をざっと説明します。「万物の構成要素である『六大』は、たがいに入りまじって(無礙)、しかもつねに統一(瑜伽)されている」六大とは「地・水・火・風・空」の五大に「識」を加えたものをいいます。人間の身体は、この六つの要素(地・水・火・風・空・識)で構成されています。「地」は肉や骨などの硬いもの、「水」は血液や汗などの水分、「火」は体温や熱、「風」は息、「空」は体内の空洞、「識」は意識や認識などです。ところが、仏様も人間と同じ六大の構成要素でできていると空海は説きます。これにより人間と仏様の本質的な違いはないというのです。2026/01/03 00:13:0140.◆JBLfMwCXhYrRwpQ(2)四種曼荼各々離れず(相)次に、起承転結の「承」です。起を承けて述べます。「曼荼羅には四つのものがある。その四つは連携し合っている。これは仏様の曼荼羅だけではなく、人間でも同じだ」曼荼羅には4つの種類があります。・大曼荼羅(形):私たちが曼荼羅(マンダラ)と聞いてイメージするのがこれです。多くの仏様の姿が描かれます。・三昧耶(さんまや)曼荼羅(持ち物):仏様の持ち物によって描かれる曼荼羅です。・法曼荼羅(名前):一体一体の仏様を梵字一字であらわした曼荼羅です。・羯磨(かつま)曼荼羅(動き):仏様が立体となっている曼荼羅です。東寺(京都)の立体曼荼羅が有名ですが、サンスクリット語では「カーマ」なので、動きがあるのが本当です。そして、人間もこれらの四種の曼荼羅を持ちます。スケザネ(渡辺祐真)さんたとえば、スケザネさんは… このような姿をして(大曼荼羅)、 このような服を着て(三昧耶曼荼羅)、 そして「わたなべゆうま(スケザネ)」という名を持ち(法曼荼羅)、 そして当然、立体であり動きます(羯磨曼荼羅)。そう考えると、仏様も人間も同じなのです。…と起承転結の「起」と「承」で、仏様と人間が、その本質においては同じであることが示されます。2026/01/03 00:14:0141.◆JBLfMwCXhYrRwpQ(3)三密加持すれば速疾に顕はる(用)そこで次は、起承転結の「転」となります。仏様と人間とが一体であるということを示した起承をベースに、この「転」では人間が仏様になる方法が具体的に示されます。意味をざっと説明すれば「三密、すなわち身体、言葉、意識を仏のそれと通じさせようとすれば、即座に成仏できる」となります。三密というのは身(身体性)、口(言葉)、意(心・イメージ)、これを仏様のそれと同じ実践をすることです。「身」は具体的には印を結ぶ、「口」は真言を唱える、「意」は仏様をイメージする…と言われています。2026/01/03 00:14:5742.◆JBLfMwCXhYrRwpQ(4)重重帝網(たいもう)なるを即身と名づく(瑜伽)そして、最後が起承転結の「結」です。「これら(六大・四曼・三密)が網の目のように入りまじわり、重なりあっていることは、まるで帝釈天の網のようであり、だからこそこの身このままで成仏できるのである」帝網:インドラの網ここに「帝網」、帝釈天の網という比喩が出されます。帝釈天の宮殿には、無限に広がる網が張りめぐらされていて、その網の結び目には無数の宝珠がかけられています。そして、各宝珠は互いに映しあい、一つの珠にすべての珠が映り、すべての珠にも一つの珠が映ります。すなわちあらゆる存在には、あらゆる存在が映り、そこに差異はありません。人間と仏も同じです。そう考えます。宮沢賢治は「インドラの網」という童話を書いています。インドラとは帝釈天のことです。仏様と自分は違うように見えても、実は網のように複雑に絡まり合い、全てが繋がっています。ニューロ・ネットワーク的な、インドラ・ネットワークの中にすべての存在はあります。2026/01/03 00:15:5343.神も仏も名無しさんXqdFx身口意の話はちらっと帰り際に真言宗僧侶と話をしていた真言宗僧侶の知り合いはここよ一人だけだ😆2026/01/03 05:51:3944.神も仏も名無しさんXqdFx真言宗のゾーンはたしかにインドラの網だ天台宗からのそんな雰囲気が入りだす、むろん天台小止観でもだ唯識と天台宗、三論宗の間にはNO1は勘違いするくらいに壁は存在する😆2026/01/03 05:53:4845.神も仏も名無しさんXqdFx三論宗の最上部には法華経内容のインドラの網的なものが存在する当然、出口王仁三郎超えの俺にとっては体験ありきのレスしているのが当たり前😆2026/01/03 05:55:2846.夕Nnx0S華厳ですね2026/01/03 07:50:3347.夕Nnx0S宇宙のあらゆる存在は、互いに映し合い、影響し合い、独立しているようでいて独立していない宝珠は互いを映し合う一つが曇れば、全体が曇る一つが輝けば、全体が輝く唯識の鏡と少々違うような気がする。鏡とは自分の心模様。自分自身でもある。2026/01/03 07:54:0648.神も仏も名無しさん0EXQV空海は華厳思想を継承してるので即身成仏義では重々帝網とあるまー昨日の真言宗寺院で片付け手伝いでそれに入ってはいたが😆2026/01/03 08:08:5049.神も仏も名無しさん0EXQVあけおめー夕😆2026/01/03 08:09:0550.神も仏も名無しさん0EXQV昨夜は寝るまで高野山真言宗匂いが周囲でプンプンしてた風呂あがりで着替えたあとでもなー😆2026/01/03 08:10:0551.夕Nnx0Sおめでとうございます。年末、滑って転んで、あばらをやられました。なかなか治んないねです心頭滅却すれば火もまた涼しいなんて言いますけど。いたいですたとへがおかしかったかw😊2026/01/03 09:42:1152.神も仏も名無しさんVADUc>>51それは大変だったな俺も30ジャストの時寒いので飛び出したら軽く車にひかれてあばら骨少しヒビ入った😆2026/01/03 10:04:4453.神も仏も名無しさんVADUc大晦日から昨日まで臨濟宗が最初、真言宗が正月からまー修行の鬼だね😆かなり修行したな😆2026/01/03 10:06:2554.神も仏も名無しさんVADUcやっとキリスト教研究モードに入ったナウ😆2026/01/03 10:28:0055.神も仏も名無しさんrlfxX大晦日からの仏教修行の応用がキリスト教の洞察が深まったナウ😆2026/01/03 10:37:2756.夕9X3Tsさて、またね。般若心経で盛り上がっているね。縁起がいい😊2026/01/03 13:54:1557.神も仏も名無しさんvpI0vまたな〜禅は臨濟宗がらみだから、夕向けのネタはない😆2026/01/03 13:56:5058.夕9X3Ts玄奘の意訳とまでとは言わないが、ずっばと切り落とし感が、即を浮き上がらせている。私はなんだかだ、言いながら、この即を後世の人は結構使っている。一切 即 仏 仏 即 一切とかね。2026/01/03 13:58:0359.夕9X3Ts一 即 多 多 即 一とかもあったな😊2026/01/03 14:00:1060.神も仏も名無しさんvpI0v>>58ちっとは理屈の基礎で進歩しとくよーにこれでも見とけhttps://m.youtube.com/watch?v=Qiq6q_xGcaM&pp=ygUS5Yqg6Jek44CA5LiJ6KuW5a6X2026/01/03 14:00:3961.夕9X3Ts確かに、ネタがないw2026/01/03 14:00:5162.◆JBLfMwCXhYZDAPlまあ、確かに禅宗ってのは、ネタがか宗派だよなあ2026/01/03 17:30:2563.◆JBLfMwCXhYZDAPlネタがない宗派だよなあ2026/01/03 17:30:3764.◆JBLfMwCXhYZDAPl倶舎論とか唯識論なんていつまででも書き続けられる(笑)2026/01/03 17:30:5665.◆JBLfMwCXhYZDAPl坐るしかないからな何だかんだ言って2026/01/03 17:31:1666.◆JBLfMwCXhYZDAPlここで、真言密教の話を続ける😆2026/01/03 17:32:0467.神も仏も名無しさんvpI0v真言宗僧侶に臨濟宗世界を、事細かく話さないなー得体の知れないお題だされて自力で解答ださなあかん、ハッスル🤡様みたいな漫談ではないあのボンクラ管主みたいな理屈でもない😆2026/01/03 18:06:0168.神も仏も名無しさんvpI0v道元禅師は、まだやりやすい川上セッタンの動画で降臨させてレスすれば、まーまーやれるからなー出口王仁三郎か、呪術廻戦の拝みババアみたいな😆2026/01/03 18:07:4169.神も仏も名無しさんvpI0v即身成仏義の内容の空間認知を真言宗僧侶も言っていたまーそーだな三時あたりからそのゾーンに入っていたその前は鬼修行のお話倶舎論と修行回数自慢はいかん坊主の動画の話😆2026/01/03 18:09:3470.神も仏も名無しさんvpI0v臨濟宗は降霊術みたいなのは無理だ😆2026/01/03 18:10:0971.神も仏も名無しさんvpI0v拝みババアhttps://m.youtube.com/watch?v=68vfq1PZHaE&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki2026/01/03 18:11:1472.神も仏も名無しさんvpI0v拝みババア2https://m.youtube.com/watch?v=r8H-dDFHHPs&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki2026/01/03 18:11:5573.神も仏も名無しさんvpI0v高野山真言宗は当然、拝みババアのノリ😆2026/01/03 18:12:1974.palFkxzn泉聖天尊の内容を投稿させてもらった者です。弘法大師様の著作の内容を解説していただき、ありがとうございます。勉強になります。2026/01/04 15:01:2975.◆JBLfMwCXhY4uYXV>>74大師様の教えを学ぼう😆2026/01/04 18:43:5476.◆JBLfMwCXhY4uYXV遍照金剛と、同行二人~😆2026/01/04 18:44:2377.神も仏も名無しさん3jC3h聖天さん信仰だったのかー😆今日は曹洞宗寺院で勤行一式とつる切り作務やってきた予定がなかったんだが2日の真言宗寺院参りのオチらしい無関係ではない大晦日から修行の鬼だったので2日の真言宗寺院で俺をほっておくものか〜教えてやる〜のノリだったらしい、あちらさんが曹洞宗寺院でのいつもの読んでいる修証義、第4章の内容と関連があったらしい次、その真言宗寺院に行く時の自慢話だなーこれは😆2026/01/04 18:59:2178.神も仏も名無しさん3jC3h宗派超えのインドラの網でっか〜😆今日まで修行ネタは続いていたよーだ😆2026/01/04 19:02:1079.夕ntzH9>>69訓感認知とはよくわからないのだが、このようなことか?曼荼羅的なものを空間認知する。体もはいるのか。宇宙も入るのか?空海は「身・口・意」の三密を宇宙の三密と一致させることで成仏すると。2026/01/04 20:48:0380.神も仏も名無しさんMJ5bD>>79ま、空間に何かを感じる真言宗僧侶もそのように言っていたし俺も、まーそんな感じだ曹洞宗寺院は「無」からの空間認知であるけどなー曹洞宗はわかりやすい臨濟宗はめんどくせー😆そこ住人だけどなー😆2026/01/04 21:00:1181.神も仏も名無しさんMJ5bD真言宗は俺の禅の為の基本教育アイテムだった😆2026/01/04 21:00:4682.神も仏も名無しさんMJ5bD真言宗の基本教育の空間認知があったから臨濟宗の入口は見えていたそこから、厄介なんだけどなーブイブイ😈、ハッスル🤡をぶっ壊すようなー😆2026/01/04 21:02:0483.神も仏も名無しさんMJ5bDユーチューブの真言宗僧侶で密教と禅もの違いは密教は観相能力の瞑想センス禅はなにもない無のセンスとか言っていたな俺は観相センスが先行していて禅の空間認知の土台になっていた😆2026/01/04 21:04:1884.神も仏も名無しさんMJ5bDゆうき和尚のチャンネルやったな😆2026/01/04 21:04:5785.神も仏も名無しさんMJ5bDhttps://m.youtube.com/watch?v=8XpBn-bN3uo臨濟宗の解釈はどうだか?感はあるが曹洞宗と真言宗の違い、はいい線かもなー😆2026/01/04 21:10:4886.夕ntzH9>>83観相能力の瞑想とは*対象を心に明確に観じる瞑想(密教・真言)密教では「観想(かんそう)」と呼ばれ、本尊の姿曼荼羅の構造光明種子字(梵字)自身が仏となった姿(自観仏)などを心に鮮明に観じる。これは 観相能力を鍛える瞑想 そのもの。目的は、行者の心と本尊の心を一致させる(不二)三密加持を成立させるという密教的な悟りの実践。このようなことか?2026/01/04 21:11:5387.神も仏も名無しさんMJ5bD俺は空海著作で観相してまうので間すっ飛ばし😆2026/01/04 21:14:0888.神も仏も名無しさんMJ5bD空海著作でチベット密教ニンマ派を理解しようとか荒業狙ってたなー😆観相はチベット密教だったけど😆2026/01/04 21:15:1989.神も仏も名無しさんMJ5bD荒業やってたのは2004年あたり2008年あたりから禅オンリーになった😆2026/01/04 21:16:1890.神も仏も名無しさんMJ5bDある程度、観相が上手くなってチベット密教我流満足したら真言宗各宗派を般若心経一本で勝負しに行ってた相性の良い宗派は般若心経無しでもいける簡単だがいけない真言宗宗派がいくつかあった😆2026/01/04 21:19:4991.夕ntzH9>>88最奥義:ゾクチェン(大究竟)ニンマ派の最大の特徴は ゾクチェン(Dzogchen) を最奥義とすること。ゾクチェンは、始原清浄(カタク)自然成就(ルンドゥプ)を説き、「本来すでに完成された心の本性を直接認識する」という究極の教え。これでいいのか?これと空海で理解するとは?大奥義が本覚ぽいのだが。2026/01/04 21:21:4592.神も仏も名無しさんMJ5bD>>91ほとんどロンが好きそうな話やろ曹洞宗がゴジラならニンマ派はメカゴジラやな😆2026/01/04 21:23:0993.神も仏も名無しさんMJ5bD空海はそういうの「阿字本不生」とか言っとるやろ😆2026/01/04 21:24:0294.夕ntzH9>>92確かに😊2026/01/04 21:25:3795.神も仏も名無しさんMJ5bD真言宗は本来は俺側が好まん傾向にあったのでニンマ派に走った、真言宗の観音は俺に教育したかって一方的ラブで俺的には基礎教育になったので今、恩返しの茨の木やつるの切り作業するようになった😆2026/01/04 21:26:2196.夕ntzH9>>93阿字本不生とは「阿字」=万物の根源・大日如来「本不生」=本来不生不滅・空宇宙も自心も本来不生であり、仏そのもの真言密教の瞑想・宇宙観・即身成仏の核心という教え。なるほど2026/01/04 21:27:4397.神も仏も名無しさんMJ5bD真言宗観音は向こうは一方的に俺にラブなのに俺はウマが合わんなー感覚とかヒデェー第一印象家に即身成仏義があったからそれを見ながらニンマ派の本尊研究我流修行してた😆2026/01/04 21:28:2498.神も仏も名無しさんhW3fT未だに真言宗は俺的神秘主義好み美人三姉妹にランクインしてないからなーチベット密教は一つまとめでランクインしている仕事日の前はヤクザな仕事と相性悪いのでノータッチ溺れる😆2026/01/04 21:32:3499.夕ZqouB>家に即身成仏義があったから真言宗なの?この辺の内容が分かっていたら、若ければはまっていたかもw2026/01/04 21:41:06100.神も仏も名無しさんhW3fT即身成仏義は空海の著作😆本来は哲学研究家探求時代に空海とか仏教思想の本を古本屋で安いのを買いまくっていた1990年くらいに古本屋本買いまくり思想マニアだった😆2026/01/04 21:43:15101.夕ZqouB中観派(ナーガールジュナ)「空」による不二(有無不二) 有と無はどちらも成立しない → 空であるすべての対立概念(生滅・常断・一異・来去)が否定される。不二の意味二元対立は、言語による仮の構造でしかないすべては「空」であるため、対立そのものが成立しない。実践論理的分析(中論)空性の洞察哲学的・論理的な不二とりあえず、竜樹のを上げておく。2026/01/04 22:15:47102.夕ZqouB宗派不二の意味特徴中観有無不二(空)論理的・哲学的禅主客不二体験的・直観的天台空・仮・中の三諦円融統合的・体系的華厳事理無碍・事事無碍宇宙論的・相互浸透真言密教仏と衆生の不二(三密)実践的・身体技法ゾクチェン本来清浄・自然成就直接的・本覚的面白のがあったので貼っておく2026/01/04 22:19:47103.◆JBLfMwCXhYrziPdなるほど?2026/01/04 22:20:05104.神も仏も名無しさんhW3fT天台は法華経の釈迦の一切世界を照らすイメージが三諦円融ということで最上部でその下に勝義諦と世俗諦を設定しとるな😃2026/01/04 22:23:47105.夕ZqouB>>103私はたいして理解しているわけではないwでおーが何を言いたいのか探索している😊真言宗、浄土宗、山伏とかの関係とか、多分知らない人の方が多いよ。2026/01/04 22:24:42106.神も仏も名無しさんhW3fT華厳は存在が相互に写し合うインドラの網というこやな、そこから密教にいくわけや😃2026/01/04 22:24:52107.神も仏も名無しさんhW3fT存在が相互に写し合うというのは道元禅にもあるだろうロンは半端にしか説明しないだろうなだそうだ道元禅師「修」と「証」の同一性: 「山河大地、みな仏性海なり」と説く一方で、それは修行して初めて現れるものであり、修行(只管打坐)なしには仏性(実証)は得られないとします。「修」と「証」は別々ではなく、修行そのものが仏性を現す行為(修証一等)であると説きます。2026/01/04 22:29:22108.夕ZqouBインドラ・ネットか2026/01/04 22:32:33109.神も仏も名無しさんhW3fT弁道話もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸仏法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟無為の深般若を開演す。 これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに仏事を助発し、ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本証の仏化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の仏徳そなはり、展転広作して、無尽、無間断、不可思議、不可称量の仏法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。もし、凡流のおもひのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあひ覚知すべきなり。もし覚知にまじはるは証則にあらず、証則には迷情およばざるがゆゑに。2026/01/04 22:35:20110.夕ZqouBインドラの宝珠インドラの宮殿インドラの光こんなのもあるんだ。華厳経の教えでもあるが、これを密教は積極的に取り入れている。2026/01/04 22:36:11111.神も仏も名無しさんhW3fTこの弁道話は禅バージョンのインドラの網とも言える😃2026/01/04 22:36:25112.神も仏も名無しさんhW3fTこーいうのが世俗諦と勝義諦の上にあり天台宗は、痕跡は残るが華厳真言禅はインドラの網で仕上がり視点がメインになる😃2026/01/04 22:39:33113.神も仏も名無しさんhW3fTハッスル🤡はバカだから天台あたりで三諦円融仮=世俗諦と空=勝義諦中道がその三つが円融するという意味が解ってないま、バカに指導したい親切心は俺にはない😃2026/01/04 22:42:34114.夕ZqouB弟子に華厳も進めているし。密教も悪くないが、今の密教はなぁとも言っている。当時の密教がどんな状態かは分からないが。どこの文献かな。昔見たことがあるんだよな。2026/01/04 22:43:07115.神も仏も名無しさんhW3fT日本密教はさほどら究極的という感じではなさそうだな俺的には究極禅定から空間認知はできるけど現在の日本密教でも本来のキリスト教ぐらいの迫力はありそうだキリスト教の聖霊の導きで生活するとかいうノリ如来智慧を感知でコツコツと如来の三密を理解するみたいな感じさだろうな😃2026/01/04 22:49:11116.神も仏も名無しさんhW3fT昔の密教は観相行をやり切るまで修行やるノリらしいが現在の密教は法事、法要に向かってやる途中で仏の色々認知が進むみたいな感じかもなー、😃2026/01/04 22:53:04117.夕ZqouB三諦円融とは、なぜ同時なのかということだろね😊天台は“理解としての不二、真言は“実践としての不二内容ははしょるw天台は観る真言は成る修行2026/01/04 23:07:53118.夕ZqouB道元が密教をどう見ていたか(研究史でよく言われること)道元は密教の「本来の思想」には理解を示すしかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌ったただし密教の哲学(本覚思想・法界観)には影響を受けているという立場。2026/01/04 23:32:23119.夕ZqouB修行は本性の顕現とは修行とは、もともとある本性(仏性)がそのまま現れるプロセス2026/01/04 23:47:39120.◆JBLfMwCXhYrziPd>>113そこだな、ポイントは2026/01/04 23:55:03121.◆JBLfMwCXhYrziPd世俗諦とは、仮観だ勝義諦とは、空観だ中国仏教では、この 『仮⇔空』の二極対立を止揚するのが『中』であるという考えが生まれた2026/01/04 23:58:04122.◆JBLfMwCXhYS6rsL世俗諦 ・・・ 仮観勝義諦 ・・・ 空観円融三諦 ・・・ 中道観2026/01/05 00:00:16123.◆JBLfMwCXhYS6rsLこの「空 仮 中」ってのは、聖ウンコ師がスルーしてる分野のひとつだ逆に、法介師匠が最も好む分野でもあるこの辺りでも、あの2人は合わなかった😫2026/01/05 00:02:07124.◆JBLfMwCXhYS6rsL>>118> 道元は密教の「本来の思想」には理解を示す> しかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判> 特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌ったそれは皮肉だな😫道元のあと、曹洞宗は衰退したが瑩山紹瑾が儀礼や加持祈祷の要素を大胆に取り入れて、再興した2026/01/05 00:09:33125.◆JBLfMwCXhYS6rsL>>119そういうことでしょうなもともと、仏なのだ仏という本性を表に現せばいいだけ2026/01/05 00:10:36126.夕ubFyj竜樹のと、天台は違う。竜樹のポイント二つは矛盾しない。世俗が成立するのは空だからである。つまり、世俗=縁起の現れ空=縁起の本質という関係。*しかし竜樹は「同時に見る」とは言っていない。あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。天台三諦は“同時に成立する三つの真理”空諦:すべては空仮諦:空であるがゆえに現象が成立中諦:空と仮は矛盾せず同時に成立するそして天台は言う。*三つは別々ではなく、一念の中に同時に具わる(円融)。これは竜樹にはない発想。2026/01/05 00:13:45127.◆JBLfMwCXhYS6rsL確かに龍樹に、それは無い2026/01/05 00:14:33128.◆JBLfMwCXhYS6rsL龍樹の場合は勝義諦=空性=中道これで完結している2026/01/05 00:15:04129.◆JBLfMwCXhYS6rsLしかし、天台の場合は仮諦と空諦の二極対立が気になったさらに進めて、円融三諦へと向かった2026/01/05 00:17:21130.夕ubFyj>>129天台の問題意識:「空と仮が別々にあるなら、それはまだ二元論ではないか?」**天台はこう考える。空と仮が別々にあるなら、→ まだ“二つの真理”があることになるそれでは「不二」にならない真理が二つあるのはおかしい宇宙は一つの真理であるはずだつまり天台は、空と仮を“別々の視点”として扱うこと自体が不十分だと見た。*確かに、こういうのって、老子の影響のような感じがする。2026/01/05 00:20:51131.夕ubFyj老荘思想が背景にあるかもしれないが、老子のコピーではない。天台は仏教を再構築したものである。まぁ、そういうことにしておきます。2026/01/05 00:26:35132.夕ubFyjインド仏教には絶対的感覚というものが無い。インド仏教の核心は 縁起・空。すべては条件によって生じる固定した実体はない永遠不変の本質はない絶対者も絶対原理も否定されるナーガールジュナ(竜樹)は徹底してこう言う。「空を実体視する者は救われない」「空すらも空である」「絶対的な真理を立てること自体が無明である」つまり、インド仏教は“絶対”という概念そのものを拒否する宗教。2026/01/05 00:35:52133.夕ubFyj>勝義諦=空性=中道そういうことなんだろうね。色即是空 空即是色これは、色 → 空 になる空 → 色 に戻るという変化を言っているのではなく、色=空(同一)空=色(同一)という 同一性の宣言。*あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。2026/01/05 00:57:17134.夕ubFyj>>128縁起(仮)であることは、無自性(空)であることと同じ無自性(空)であることは、有無を超えた中道であることと同じつまり、仮=空=中これは「三つが別々の真理」ではなく、同じ真理の三つの言い方。・勝義諦=空性=中道(本質)・世俗諦=縁起=仮(現れ)2026/01/05 01:08:42135.夕ubFyj>般若心経には、『無』という字が多すぎる。あまりにも、『無無無・・・』の連発。ちょっと極端だな」と感じている(笑)この無は逆説でしょ2026/01/05 01:15:23136.夕ubFyj中国仏教と、インド仏教は違う。今という感覚一つとっても違うそうだ。釈迦仏教の「今」今にピントを合わせる=合一ではなく、執着の停止2026/01/05 01:30:33137.神も仏も名無しさんrYxao>>134三論宗ではそれではない加藤師匠の動画を勉強しよう三論宗解釈はどうかという問題が、残っている😃2026/01/05 06:25:33138.神も仏も名無しさんrYxaoあと、中論を単一でみるのと大般若経を合わせて読むとどのような解釈が中論になされるか?という問題が残る😃2026/01/05 06:42:07139.神も仏も名無しさんrYxao真言宗だろうが曹洞宗だろうがそこ2件作務やってるが最近、それだけでマジでかなり究極のゾーンに入り気味になる今も、そうのゾーンに、なってるなー変に仏道修行熱心コースになってるぬ?キリスト教、イスラーム研究てきないなー😃2026/01/05 06:55:01140.神も仏も名無しさんrYxao作務だけで魔王かーますますだな〜😃2026/01/05 06:55:49141.神も仏も名無しさんrYxao仕事日前日あたりからそんなの、関係ねぇ!になるけど😃2026/01/05 06:56:36142.神も仏も名無しさんrYxao新年修行で真言宗と曹洞宗相当な完成体ぽくなってきたな?😃2026/01/05 06:57:42143.神も仏も名無しさんrYxaoこっちの大晦日の臨濟宗修行の強化仕上げに俺のヤル気は、そんなに決死さはないんだが真言宗と曹洞宗の両方が俺の脳内をこじ開けて仕込みにきたな?😆😆😆😆😆😆2026/01/05 07:05:01144.神も仏も名無しさんrYxao今天台浄土教、山伏、神仏習合、唯識、倶舎論、テーラワーダあたりのトップ情報が脳内に流入構築しとるほんまに根っからの修行マニアだキリスト教、イスラーム研究てきんな?😆2026/01/05 07:06:50145.神も仏も名無しさんrYxaoなにかとえばあたりまえだが戒定慧ま、ハッスルー🤡ハッスルー🤡とかやらん上品な世界だ😆2026/01/05 07:08:37146.神も仏も名無しさんrYxaoよし、少しキリスト教、イスラーム、神道研究に戻れた😆2026/01/05 08:51:18147.◆JBLfMwCXhYS6rsL>>142すごい組み合わせだな😂2026/01/05 08:57:29148.神も仏も名無しさんrYxao>>147華厳、真言、禅は空間認知で共通項がある心臓部が異なるだけで空間が大日如来認知か、無に基づく空間認知かの違いがあるだけくらいなもの😆2026/01/05 08:59:27149.神も仏も名無しさんrYxao今日も仏教修行の熱があったとは驚きだが今少しキリスト教の書物読んで満足したクルアーンにいくー😆2026/01/05 09:00:30150.神も仏も名無しさんrYxao出口王仁三郎の神霊の憑依並みの変換の速さだ😆2026/01/05 09:01:01151.神も仏も名無しさんrYxao今朝仏教研究しながら仏尊の礼拝行→イエス・キリストの礼拝、→アッラーへの礼拝とかのテーマ、最初は瞑想と空間認知だったが日蓮的なご本尊礼拝にテーマが移行して今クルアーン😆2026/01/05 09:03:12152.神も仏も名無しさんrYxao今、クルアーンの福音書の箇所を引用しているところを読んでいるhttp://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran019.htm2026/01/05 09:05:11153.神も仏も名無しさんrYxaoクルアーンは福音書の箇所をクルアーン解釈でアッラーはなんでも奇跡を起こせると言う感じだな😆2026/01/05 09:07:58154.神も仏も名無しさんrYxaoクルアーンのこういう箇所を知るヨーロッパ人は容赦無しにクルアーンを燃やして挑発するんだろなー😫2026/01/05 09:09:14155.◆JBLfMwCXhYS6rsL>>152クルアーンには、旧約聖書のことも新約聖書のことも全部、書いてある2026/01/05 09:15:14156.◆JBLfMwCXhYS6rsLだから、クルアーンさえ読んでいればいいイスラム教徒は旧約聖書を読まない2026/01/05 09:15:37157.神も仏も名無しさんaNgZRアッラー礼拝によって魂の浄化を体現するとかの霊的脳内ワールドやってる😆満足したので神道を読む😆2026/01/05 09:26:49158.神も仏も名無しさんaNgZR出口王仁三郎並みに神霊切り替え😆スマホありがたやーhttps://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/oharai/t_02.html邇邇芸命)は豊かな葦原の茂る瑞々しい稲穂に恵まれた日本の国を、安らかな国として平穏にお治めなさい」と仰せられて、この国を御委任申し上げなさった。このように御委任申し上げなさった国の中で、乱暴する神たちを次々に問い糺され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で掻き別け掻き別けして、天上から地上へお降し申し上げた。このようにして御委任申し上げた地上の国の真中のすぐれた所として、この太陽が空高く輝く2026/01/05 09:30:33159.神も仏も名無しさんaNgZRこういうのが神社の礼拝の霊的エネルギーなんだろうと😆糺され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で2026/01/05 09:31:35160.神も仏も名無しさんaNgZR鎮魂とかいうのはこーいう感じの展開なんだろなー😆2026/01/05 09:35:17161.神も仏も名無しさんaNgZR神道の神気がまーまーブンブン丸だ😆2026/01/05 09:35:54162.神も仏も名無しさんaNgZRま、礼拝と霊的な力の研究はとりま終えた次は天理教かな?😆2026/01/05 09:36:26163.夕BN70e*言葉を知った瞬間に、言葉には“意味”と“感情”が付着する人は言葉を覚えた瞬間から、その言葉に対するイメージ過去の経験感情価値判断が自動的にくっつく。たとえば「色」という言葉を聞くと、形固さ大きさ“そこにあるもの”という実体感が自然に湧く。これは人間の認識の仕組みであり、避けられない。2026/01/05 09:55:59164.神も仏も名無しさんaNgZR言語で構築するイメージのほうが日本仏教ですら多数派だからなー言葉のイメージにシフトしているから念仏、日蓮、山伏、神仏習合が明治以前ては圧倒的多数派だからなー😆2026/01/05 09:58:53165.神も仏も名無しさんaNgZR法華経は天台智顗の解釈よりも法華経そのもののイメージや日蓮の解釈がメインだからなー😆2026/01/05 10:00:17166.神も仏も名無しさんaNgZR厳密には色は説一切有部の分析内容だからなー😆2026/01/05 10:01:02167.神も仏も名無しさんaNgZRハッスル🤡解釈の色はオカシイ😆2026/01/05 10:01:27168.◆JBLfMwCXhYgZZ2Gマニアックなスレになってきたな~😂2026/01/05 10:03:30169.神も仏も名無しさんaNgZR出口王仁三郎憑依モードだからな?😆😟😆😆2026/01/05 10:04:20170.神も仏も名無しさんaNgZR天理教の礼拝の霊的キモはこのあたりぽい天理教における最も重要な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手だてです。第一義的には、本部神殿で勤められる「かぐらづとめ」を指します。つとめは「かぐら」を主とし、「てをどり」に及びます。 かぐらは、10人のつとめ人衆が、「ぢば・かんろだい」を囲んで、元初もとはじまりにおける人間・世界創造に際しての親神様おやがみさまのお働きを手振りに表して勤めることにより、元初まりの親神様のご守護を今に頂き、よろづたすけの成就じょうじゅと陽気ぐらしの世への立て替えを祈念するものです2026/01/05 10:06:14171.神も仏も名無しさんaNgZR天理教礼拝の霊的キモ「よろづたすけの成就」への道のり信仰の実践: 「おつとめ」や「てをどり」を日々勤める。手振り(お手振り)の習得: 親神様の働きを理解し、真似ることで、その御守護を頂く。救いの広がり: 多くの人が救われ、陽気ぐらしの世界が広がることを目指す。つまり、「よろづたすけの成就」は、天理教の信仰者が教えを実践し、神の救いをこの世に実現していくための、活動の目標であり、最終的な到達点と言えます。2026/01/05 10:08:42172.夕1Iwh3結局般若心経は観る人によっていろんな解釈できてしまう。いや、トップの人間もここが大事とか言う。また呪のところが大事ともいう。「読む人のレベルに応じて意味が変わる」多層構造の経典まるで鏡のように、読む人の心をそのまま映す。玄奘の思わく通り。般若心経が“鏡”として働くのは玄奘の思惑通り。その鏡が映す最深の空性は、玄奘の意図を超えているかもしれないw2026/01/05 10:53:44173.神も仏も名無しさん7mNpr流通しているのは玄奘三蔵訳だな昔はたくさんの訳を使われていたよーだ空海や道元あたりは玄奘三蔵訳は使ってなかったとか聞く玄奘三蔵訳を使われたのは高野山の僧侶が大和興福寺関連の土地地域出身と明治以前の高野山に念仏山伏のたまり場になっていたせいだろな😆2026/01/05 11:04:29174.夕1Iwh3>>173玄奘訳 → 分析知・唯識的理解不空訳 → 密教的理解法月訳 → 古典的理解羅什系 → 詩的・直観的理解(もし残っていれば)こんな感じだそうだ。2026/01/05 11:08:03175.夕1Iwh3羅什系が残っていたら面白いのにね。2026/01/05 11:09:56176.神も仏も名無しさんg1NLR念仏山伏日蓮とキリスト教、イスラーム、神道含めて宗教臭いクセを把握できた瞑想系統世界にいると日蓮みたいなのは理解不能だからなー😆2026/01/05 11:32:57177.神も仏も名無しさんg1NLR夕がホーカイくんをボコりたい気分は理解できる😆2026/01/05 11:33:32178.夕VAX8T>>124道元の純粋性というものを庶民が理解できなんだろうね。当時は魑魅魍魎の世界であるw 魑魅魍魎とは己の事である。その己を鎮めるので、加持祈祷が必要であった。そういう儀式が必要であったというのが実情ではないか。2026/01/05 12:11:28179.神も仏も名無しさん7mNpr日蓮や山伏、念仏キリスト教、イスラーム、神道はこーいうノリらしい?😆守護するれいみたいな?😆https://m.youtube.com/watch?v=BnBCKXEjmwM&pp=ygUS6Jek5aCC6JG144CA55yf5Lq60gcJCU0KAYcqIYzv2026/01/05 12:12:18180.神も仏も名無しさん7mNpr瑩山以降純粋道元禅よりも臨濟宗要素一部入れた流れが増えている俺は、その臨濟宗要素一部取り入れた流派は一昨年にマスターしてる😆2026/01/05 12:14:03181.神も仏も名無しさん7mNprセッタンはクセが強いが純粋道元禅自称は許される範囲だろう😆2026/01/05 12:14:44182.神も仏も名無しさん7mNprセッタン音声動画でセッタン流はマスターだ😆2026/01/05 12:15:08183.神も仏も名無しさん7mNpr臨濟宗要素一部入れた流れはどこかいわんそ余計な情報漏洩は防ぐ😆2026/01/05 12:16:32184.神も仏も名無しさん7mNpr曹洞宗はマスターしたのはセッタン流入れて五つはある😆2026/01/05 12:17:34185.神も仏も名無しさん7mNpr総持寺、永平寺本山クラスはノーゲット行ってないからなー😆2026/01/05 12:18:22186.夕VAX8Tセッタンは総持寺だろ。ちがったっけ? 修行もしないで釣りをしていたようなことを聞いたことがある。井上ギエン師の子供らは、発心寺。まぁ、寺の坊主じゃなくてあういうところに行くのは変わり者が多いような気がするw 南直哉も似たようなものw2026/01/05 12:28:27187.神も仏も名無しさんJy0GBセッタンはオリジナルありと観ている澤木興道一派もオリジナルではないか?と寺の師匠筋と僧侶の力量で独自の禅定感覚が個性が出る臨濟宗は?というと有るとも言える、無いとも言える禅定感覚自体が重要ではない、曹洞宗よりも、曹洞宗はかなり師弟の血筋みたいなのが影響あるセッタンみたいなレベル高いの独自の禅定の間合いを持っている可能性がある😆2026/01/05 12:32:25188.神も仏も名無しさんJy0GB密教寺院は割合個人力勝負てまはないので血筋がハッキリしているので宗派別でだいたい別れている宗派内で統一してないのが高野山の宿坊各各違いがある😆2026/01/05 12:34:16189.神も仏も名無しさんJy0GB発心寺の系統も未確認だ行ったこともないしな😆2026/01/05 12:35:46190.神も仏も名無しさんJy0GB曹洞宗は割合行って見ないと禅定読めん可能性があるとは思っている😆2026/01/05 12:39:02191.夕GPLYa本山も末寺の檀家の数が減っているから、経営が大変みたいだよ。まぁ、新しい方向性に向けないと難しいかな。そう意味では日蓮、真宗系は強いなw2026/01/05 12:51:31192.夕GPLYa真宗もどうかな?2026/01/05 12:52:01193.神も仏も名無しさんJy0GB真宗も割合同じだ真宗内宗派別で違う俺が真宗寺院へ行くとほとんど天台宗解釈みたいな感じになるからなー真宗坊主が感知し得ないものを感知しとるからなー世襲坊主の大方は俺より禅定能力低いのが多いでしょうな禅のマジメなグループやチベット密教、テーラワーダには上から目線の感想は思わないけどな😆2026/01/05 12:56:05194.神も仏も名無しさんJy0GB臨濟宗も円覚寺のボンクラ管主が救世主かもしれんくらい臨濟宗も人口では少数宗派だからなー😫2026/01/05 12:58:02195.夕GPLYa>>194円覚寺の管主、ボンクラなのかw2026/01/05 13:04:31196.神も仏も名無しさんJy0GB>>196臨濟宗としては、仏教者としてはいい人だろな😆2026/01/05 13:07:17197.◆JBLfMwCXhYCc2jf僧侶というより、仏教学者みたいだな2026/01/05 14:07:04198.◆JBLfMwCXhYCc2jfまた、円覚寺に坐禅しに行きたいな~😆2026/01/05 14:07:31199.palrOvmsアマゾンのプライムビデオで、「三蔵法師・玄奘の旅路」を見ました。中国の映画のようで、日本の孫悟空が活躍する西遊記とは違い、けっこう史実に基づき、まじめに作られており、見ごたえがありました。砂漠で死にかける場面も描写されています。唐の国を出ることは、国禁を犯すことであり、砂漠や山脈を超えることは、難しく、いろいろな人から「不可能であり、行けば死ぬ」と言われながら、命を落とす危険を顧みずに行かれたのだと思いました。女性が般若心経の歌を歌う歌声が、ところどころで流れており、こんな歌があるのだと驚きました。2026/01/05 14:40:13200.神も仏も名無しさんiC1Zq>>199仏が20分か1時間くらい出てたのはやってたか?俺は1秒くらい家に出た😆2026/01/05 14:50:07201.◆JBLfMwCXhYCc2jf>>199それは良さそうだな?2026/01/05 19:51:00202.palrOvms>>200具体的に、仏が出た場面は、確認できなかったですね。2026/01/05 20:29:31203.神も仏も名無しさんocKpz>>202玄奘三蔵のインドの記録にはある聖地で現れたらしい😆2026/01/05 20:44:36204.palYMK1q玄奘三蔵様が砂漠で、大切な水袋を落とし、水が無くなってしまい、東に帰りかけたけど、「自分は東には帰らないと誓ったはずだ」と、また西に向かったそうです。それから5日間進んだものの、寝てしまったときに、夢の中で神様が現れ、「なぜ強行せず、ぐずぐずと寝ているのか」と叱ってくれたそうです。それから、馬が勝手な方向に進み、泉まで連れて行ってくれたそうです。「心は遠くブッダのあとをつぎ三蔵法師玄奘の旅(松原哲明著)」より。この本は、著者が大唐西域記の記録により、玄奘三蔵が行った跡をたどって作成されたようです。映画でも、水袋を落とし、倒れてしまったものの、馬が泉まで連れていってくれた場面が描写されています。けっこう史実に基づいているなと思いました。2026/01/06 12:15:00205.夕eN4bQ般若心経の歴史を調べているが。確かに羅什系はあるが、厳密には羅什系じゃないみたいだ。玄奘訳が混ざっているという感じだ。羅什訳の異本ということになる。素の羅什訳は紛失しているとも言っている。まぁこの辺は調べ直したい。後期の玄奘訳はやはり唯識の影響下にある。それはサンスクリット版にも当てはまる。玄奘はこれをまぁ忠実にあらわした?w 抜けているところはあるけど。まぁそういうことだw。初期の般若心経は五蘊皆空空の六相マントラだけだそうだ。まぁ金剛般若経に空という言葉を当てはめただけだとも思える。まぁ、これは少々調べる価値がある🤔空の六相 私が思うに、今だろうということである。速くもなく、遅くもなく。ブッタも言っている。それの延長線のように感じる。個々にかかれていることは、表層的なことである。もう少し、調べる価値がある。論文を上げていかなけらば、なかなか納得するものでもない。2026/01/06 13:45:43206.夕eN4bQ姚秦天竺三藏鳩摩羅什譯觀世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舍利弗色空故無惱壞相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覺相。何以故。舍利弗非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舍利弗是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不增不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無罜礙。無罜礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦惱。究竟涅槃。三世諸佛依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明咒。無上明咒。無等等明咒。能除一切苦真實不虛故說般若波羅蜜咒即說咒曰竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提僧莎呵摩訶般若波羅蜜大明咒經殆ど玄奘訳と同じ。非過去非未來非現在。これはないな。これを見ると、金剛般若経を思い出す。つまりあまりにも玄奘訳に近い。羅什は、どちらかというと、般若思想の人である。綿密に名詞を出して、ないないはやらないだろうということみたいだ。これは異本じゃないかということみたいだ。まぁ、もう少し調べてみたい。羅什の時代の唯識は「萌芽段階」でもある。2026/01/06 14:02:24207.神も仏も名無しさんY1GU6曹洞宗寺院のつる切り作務で腕疲れた😆明日の仕事のためのウォーミングアップどころよりもキツかつた😆2026/01/06 14:17:11208.夕dhiIuバークリー、ヒュームの西洋哲学の流れにおいては、先に知覚対象としての物の実体性が否定され、そのあとで我の実体性が否定されたが、仏教において先に阿含、ニカーヤにおいて我の実体性が否定され、その後大乗仏教において物の実体性が否定された。佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)https://www.youtube.com/watch?v=vt77hn4zy4w2026/01/07 01:56:59209.夕dhiIu私はどうも信仰心というものが少ないようだw「阿含経」で生きる人、「般若心経」で生きる人(佐々木閑の仏教講義 特別編 その2https://www.youtube.com/watch?v=-nH7Rewh-Bw空という信仰で生きる。空というのものも神秘性なのだろう。さらに神秘性とともに生きる。まぁこれで汎用性が生まれた。お釈迦様の作り上げたものは、合理的であったのだろう。空の上位と言えば、まぁ、仏の空間的広がりで在ろう。2026/01/07 02:07:29210.夕dhiIu在ろう。まちがい あろう。です。2026/01/07 02:08:28211.夕dhiIu般若心経の解釈関して、唯識であったという解釈は誤りであった。ここで訂正とお詫び申し上げる。あくまでも、十八界・十二因縁・四諦の否定 アビダルマの否定であった。2026/01/07 02:37:07212.夕dhiIu概念が変われば見方も変わる。再構成されるということだろう。2026/01/07 02:47:39213.夕dhiIu大乗は神秘性と理屈の両輪で汎用的になった。2026/01/07 03:06:46
高野山の聖地「奥之院」に秘められた空海の思いとは?高野山大学副学長が解説する奥之院https://www.youtube.com/watch?v=SvHOcAIPJYg
https://www.youtube.com/watch?v=0T4rDyVQ47E
空海と
天台の読書か
😆
外に置いたスポーツドリンクが
ぬるくなってない
季節だな、
😆
知らないことが多いね🤔
空海の最終的な目的は即身成仏であり、その行為は利他行だそうだ。上記の動画で言っていた。我々は仏であるが仏である事に気が付かないというスタンスみたいだ。
日本有名神がたくさんいた😆
アマテラス=大日如来の
世界観は多数派だった
奥の院は
明治期以前は
その発想の場であっただろな
😆
仁和寺の謎を解けてきた
たぶん、それだ
空海=大日如来=アマテラス
みたいな😆
😆
宮内庁御用達の寺
414尊 描かれている。
明治期以前は
仁和寺門跡の神仏習合の祈祷処があった
😆
スルーされていたかも
と思いつつある
😆
😆
疲れやすさが抜けてきた
朝からヘビメタだ
😆
弘法大師様が、泉聖天尊の教えの実行を、推奨してくださっていると思います。
「手から出る糸を縦糸にして、横糸は、泉先生の御教えを村木先生からいただけますから、それを横糸としてするなら、心に着る錦ができます。」と、おっしゃってくださっています。
泉聖天尊の教え(神泉園講話集)の「弘法大師様のお言葉」を見てください。
https://www.sanboukai.jp/
突然の投稿で、「なんだこれは?」となりますよね。
困って、相談に来られた人から、話を聞かずとも、その人が、どういうことをして、どういう原因で困った状態になっているのかを、わかる方でした。
泉聖天尊は、「教えの親は大師ぞよ」と、おっしゃっておられました。
村木先生は、泉聖天尊が亡くなるまでの4年間、直接指導を受けられました。
泉聖天尊がお亡くなりになる前に、村木先生に「村木さんよ、わしが教えることはもうすんだ、これからは、おまはんは、大師 (弘法)が『育てるぞ』と言っているぜ」とのありがたいおことばがありました。
村木先生は、膨大な仏教経典を研究せられ、泉聖天尊の教えが、仏教経典の教えと一致していることを確認されたのだと思います。
お釈迦様の教えは、人類の宝です。
お釈迦様の教えを、お釈迦様のお弟子様方が、後世に伝えてくださったことは、本当にありがたいことです。
お釈迦様は2千5百年前の方であり、その教えは、パーリ語等、インドの言葉で残されたと思います。
唐の玄奘三蔵様は当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅に出られ、インドで修学の末、17年に及ぶ旅を終え帰国されました。
帰国後は、持ち帰った経典を翻訳されました。
日本にも仏教が伝来しました。
弘法大師様が唐に渡られ、密教を持ち帰られました。
日本で、経典に接することができるのは、非常にありがたいことです。
しかしながら、我々一般人にとっては、経典は、難しく、研究しないと、なかなか理解が難しいと思います。
その点、村木先生が、泉聖天尊の教えを、わかりやすく講話されているので、我々は、講話を学び、実行することによって、良い因縁を作っていくことができると思います。
講話を熱心に学び、実行することによって、苦の世界から抜け出せ、悟りへの道が開かれると思います。
多くの人に、講話を読み、聞いていただきたいです。
皆さんおめでとう。
AIで阿頼耶識と老子の無の違いを言い合っているw
出だしは私の前の私ということである。
この私とは構造的なもので、私という意識は後付けであるという議論から、唯識の阿頼耶識は構造的ではないか?では老子の意識前とは相対前である。視点が違うということをAIが言っている。
まぁ、こんなことをしながら遊んでいるw修行は女性が普通にやっていることを意識してやっている。まぁ家事ねw
明けましておめでとうございます
おめでとうございます!
書き込む暇がなくてすいませんね。
とにかく、いそがしいw
両者はどちらも「意識以前」を扱うけれど、
阿頼耶識は“心の仕組み”の話で、
老子の無は“世界そのもののあり方”の話。
つまり、
阿頼耶識 → 心の深層構造
無(道) → 宇宙の根源的なあり方
という違いがある。
似ている点
どちらも“意識以前”を扱う
主体と客体が分かれる前の層を重視
言語化できない領域を指している
「私」は後付けであるという理解と相性が良い
☆違う点(ここが核心)
*阿頼耶識
心の構造
心の働きの因果
記憶・習慣・傾向の蓄積
“心の世界”の説明
*老子の無
宇宙の根源
存在のあり方
有と無の相互生成
“世界そのもの”の説明
*つまり、
阿頼耶識は“心の深層構造”で、
老子の無は“存在の深層構造”。
扱っているスケールが違う。
*なぜ日本語の「寒い」は即座に“感じられる”のか
日本語で「寒い」と聞くと、
身体 感覚 過去の記憶 状況のイメージ
これらが一瞬で立ち上がる。
これは、
あなたの阿頼耶識(=構造)に日本語の「寒い」が深く結びついているから。
つまり、
「寒い」という音と意味と感覚が、
あなたの深層構造の中で“セット”になっている。
では英語の “cold” がピンとこないのはなぜか
“cold” という音は、
あなたの深層構造(阿頼耶識)にまだ十分に結びついていない。
だから、感覚 感情 身体反応 記憶
が即座に立ち上がらない。
つまり、
“cold” はまだあなたの構造の中で「相対化」されていない。
ここで「相対化以前」という概念が効いてくる
あなたが言う「相対化以前」とは、
主体/客体
言葉/意味
音/感覚
こうした区別がまだ立ち上がっていない状態。
日本語の「寒い」は、
あなたの構造の中で
“音=意味=感覚=反応” が一体化している。
これはすでに“相対化された後”の世界。
一方で英語の “cold” は、
まだその一体化が起きていない。
つまり、
“cold” はあなたの構造の中でまだ相対化されていない=相対前の状態に近い。
平等とは本当にあるのか。なんてね。私が理念は修行的である。修行の中でしかありえないとかいうと、政経が哲学になってしまう。
今真言宗寺院で
禅定ミドルクラスをキメてきたぜ〜
僧侶と手伝いしている
女性は
良からぬものを感じる敏感体質らしい
俺は大方良いものしか感じないが
😆
夕が気づくチャンスがある時気づく可能性が低い
仏教魔王のお墓参りしてきた
最初だけ歓迎リアクションで
あとはノーリアクション
禅の世界ではよくあることだ
😆
レスする暇がなかった
朝は墓参り奉仕
昼から真言宗寺院で
自慢しまくったあと
禅定ゾーンミドルクラスにはいっていた
😆
「即身成仏義」の構造としては、まず「序」があり、続いて8行の詩(頌)が書かれ、次のその頌の説明がなされます。
「即身成仏義」の構造
「序」は「二経一論八箇の証文」と呼ばれます。まず、仏教の伝統的な成仏観を説明したあと、空海が即身成仏を提唱した背景を過去の仏典から示します。いわゆる先行研究によるエビデンスの提示です。
続く8行の詩は「二頌八句」と呼ばれ、四句+四句になっています。この詩は、本論のサマリーとして機能し、現代の論文の要約に相当します。サマリーを詩で書くっていいでしょう。
四種曼荼各不離
三密加持速疾顕
重重帝網名即身
法然具足薩般若
心数心王過刹塵
各具五智無際智
円鏡力故実覚智
二頌八句の詩(頌)
そして、それに続いて、その詩の解説がなされますが、下の図を見るとわかるように八行の頌でも前半の四行の説明が中心で、しかも最初の一行(六大無碍常瑜伽)と三行目(三密加持速疾顕)に多くの紙幅が使われています。
六大無碍にして常に瑜伽なり(体)
四種曼荼各々離れず(相)
三密加持すれば速疾に顕はる(用)
重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)
《原文》
六大無碍常瑜伽(体)
四種曼荼各不離(相)
三密加持速疾顕(用)
重重帝網名即身(瑜伽)
「起」「承」で、人間と仏さまは同じだということを述べ
「転」で、じゃあ、どうやったら仏様と一体化できるかということを説明し
「結」で、それをインドラ・ネットワーク(帝網)に広げる
…という構成になっています。
さらにその視点も変わっていきます。
人間と仏様が同一体ということを説明するときも、最初は「六大」という細かな構成要素に分けるところからはじめる。わざと小さな部分に分割する。
それが次に「四曼荼」で機能的な説明になる。
構造が機能になることによって、視点は広がる。
が、次に「三密」でまた構造的な話になる。が、今度はそれに行為が含まれる。
そして、最後はインドラ・ネットワークなんていう、超広大な宇宙的な視点になる。
さすが漢詩の天才、空海です。
まず、起承転結の「起」です。
意味をざっと説明します。
「万物の構成要素である『六大』は、たがいに入りまじって(無礙)、しかもつねに統一(瑜伽)されている」
六大とは「地・水・火・風・空」の五大に「識」を加えたものをいいます。
人間の身体は、この六つの要素(地・水・火・風・空・識)で構成されています。
「地」は肉や骨などの硬いもの、
「水」は血液や汗などの水分、
「火」は体温や熱、
「風」は息、
「空」は体内の空洞、
「識」は意識や認識などです。
ところが、仏様も人間と同じ六大の構成要素でできていると空海は説きます。これにより人間と仏様の本質的な違いはないというのです。
次に、起承転結の「承」です。起を承けて述べます。
「曼荼羅には四つのものがある。その四つは連携し合っている。これは仏様の曼荼羅だけではなく、人間でも同じだ」
曼荼羅には4つの種類があります。
・大曼荼羅(形):私たちが曼荼羅(マンダラ)と聞いてイメージするのがこれです。多くの仏様の姿が描かれます。
・三昧耶(さんまや)曼荼羅(持ち物):仏様の持ち物によって描かれる曼荼羅です。
・法曼荼羅(名前):一体一体の仏様を梵字一字であらわした曼荼羅です。
・羯磨(かつま)曼荼羅(動き):仏様が立体となっている曼荼羅です。東寺(京都)の立体曼荼羅が有名ですが、サンスクリット語では「カーマ」なので、動きがあるのが本当です。
そして、人間もこれらの四種の曼荼羅を持ちます。
スケザネ(渡辺祐真)さん
たとえば、スケザネさんは…
このような姿をして(大曼荼羅)、
このような服を着て(三昧耶曼荼羅)、
そして「わたなべゆうま(スケザネ)」という名を持ち(法曼荼羅)、
そして当然、立体であり動きます(羯磨曼荼羅)。
そう考えると、仏様も人間も同じなのです。
…と起承転結の「起」と「承」で、仏様と人間が、その本質においては同じであることが示されます。
そこで次は、起承転結の「転」となります。仏様と人間とが一体であるということを示した起承をベースに、この「転」では人間が仏様になる方法が具体的に示されます。
意味をざっと説明すれば「三密、すなわち身体、言葉、意識を仏のそれと通じさせようとすれば、即座に成仏できる」となります。
三密というのは身(身体性)、口(言葉)、意(心・イメージ)、これを仏様のそれと同じ実践をすることです。
「身」は具体的には印を結ぶ、
「口」は真言を唱える、
「意」は仏様をイメージする
…と言われています。
(4)重重帝網(たいもう)なるを即身と名づく(瑜伽)
そして、最後が起承転結の「結」です。
「これら(六大・四曼・三密)が網の目のように入りまじわり、重なりあっていることは、まるで帝釈天の網のようであり、だからこそこの身このままで成仏できるのである」
帝網:インドラの網
ここに「帝網」、帝釈天の網という比喩が出されます。
帝釈天の宮殿には、無限に広がる網が張りめぐらされていて、その網の結び目には無数の宝珠がかけられています。そして、各宝珠は互いに映しあい、一つの珠にすべての珠が映り、すべての珠にも一つの珠が映ります。
すなわちあらゆる存在には、あらゆる存在が映り、そこに差異はありません。人間と仏も同じです。そう考えます。
宮沢賢治は「インドラの網」という童話を書いています。インドラとは帝釈天のことです。
仏様と自分は違うように見えても、実は網のように複雑に絡まり合い、全てが繋がっています。ニューロ・ネットワーク的な、インドラ・ネットワークの中にすべての存在はあります。
帰り際に
真言宗僧侶と話をしていた
真言宗僧侶の知り合いは
ここよ一人だけだ
😆
たしかにインドラの網だ
天台宗からの
そんな雰囲気が入りだす、
むろん天台小止観でもだ
唯識と
天台宗、三論宗の間には
NO1は勘違いするくらいに壁は存在する
😆
法華経内容のインドラの網的なものが
存在する
当然、出口王仁三郎超えの俺にとっては
体験ありきのレスしているのが当たり前😆
宝珠は互いを映し合う
一つが曇れば、全体が曇る
一つが輝けば、全体が輝く
唯識の鏡と少々違うような気がする。鏡とは自分の心模様。自分自身でもある。
重々帝網と
ある
まー
昨日の真言宗寺院で
片付け手伝いで
それに入ってはいたが
😆
夕
😆
風呂あがりで着替えたあとでもなー
😆
年末、滑って転んで、あばらをやられました。なかなか治んないねです
心頭滅却すれば火もまた涼しいなんて言いますけど。いたいです
たとへがおかしかったかw😊
それは大変だったな
俺も30ジャストの時
寒いので
飛び出したら
軽く車にひかれて
あばら骨少しヒビ入った
😆
昨日まで
臨濟宗が最初、
真言宗が正月から
まー修行の鬼だね
😆
かなり修行したな
😆
応用が
キリスト教の洞察が深まったナウ
😆
般若心経で盛り上がっているね。縁起がいい😊
禅は
臨濟宗がらみだから、
夕向けのネタはない
😆
一切 即 仏 仏 即 一切
とかね。
とかもあったな😊
ちっとは理屈の基礎で
進歩しとくよーにこれでも見とけ
https://m.youtube.com/watch?v=Qiq6q_xGcaM&pp=ygUS5Yqg6Jek44CA5LiJ6KuW5a6X
禅宗ってのは、ネタがか宗派だよなあ
いつまででも書き続けられる(笑)
何だかんだ言って
臨濟宗世界を、事細かく話さないなー
得体の知れないお題だされて
自力で解答ださなあかん、
ハッスル🤡様みたいな漫談ではない
あのボンクラ管主みたいな理屈でもない
😆
川上セッタンの動画で降臨させてレスすれば、まーまーやれるからなー
出口王仁三郎か、呪術廻戦の拝みババアみたいな
😆
真言宗僧侶も言っていた
まーそーだな
三時あたりから
そのゾーンに入っていた
その前は鬼修行のお話
倶舎論と修行回数自慢はいかん坊主の動画の話
😆
無理だ
😆
https://m.youtube.com/watch?v=68vfq1PZHaE&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki
https://m.youtube.com/watch?v=r8H-dDFHHPs&pp=ygUe5ZGq6KGT5bu75oim44CA5oud44G_44OQ44OQ44Ki
当然、拝みババアのノリ
😆
弘法大師様の著作の内容を解説していただき、ありがとうございます。
勉強になります。
大師様の教えを学ぼう😆
😆
今日は曹洞宗寺院で勤行一式と
つる切り作務やってきた
予定がなかったんだが
2日の真言宗寺院参りのオチらしい
無関係ではない
大晦日から修行の鬼だったので
2日の真言宗寺院で
俺をほっておくものか〜教えてやる〜
のノリだったらしい、あちらさんが
曹洞宗寺院での
いつもの読んでいる
修証義、第4章の内容と
関連があったらしい
次、その真言宗寺院に行く時の自慢話だなー
これは
😆
でっか〜
😆今日まで
修行ネタは続いていたよーだ
😆
訓感認知とはよくわからないのだが、
このようなことか?
曼荼羅的なものを空間認知する。
体もはいるのか。宇宙も入るのか?
空海は「身・口・意」の三密を宇宙の三密と一致させることで成仏すると。
ま、空間に何かを感じる
真言宗僧侶もそのように言っていたし
俺も、まーそんな感じだ
曹洞宗寺院は
「無」からの空間認知であるけどなー
曹洞宗はわかりやすい
臨濟宗はめんどくせー😆
そこ住人だけどなー
😆
俺の禅の為の基本教育アイテムだった
😆
臨濟宗の入口は見えていた
そこから、厄介なんだけどなー
ブイブイ😈、ハッスル🤡を
ぶっ壊すようなー
😆
真言宗僧侶で
密教と禅もの違いは
密教は観相能力の瞑想センス
禅はなにもない無のセンスとか
言っていたな
俺は観相センスが先行していて
禅の空間認知の土台になっていた
😆
チャンネルやったな
😆
臨濟宗の解釈はどうだか?感はあるが
曹洞宗と真言宗の違い、
はいい線かもなー
😆
観相能力の瞑想とは
*対象を心に明確に観じる瞑想(密教・真言)
密教では「観想(かんそう)」と呼ばれ、
本尊の姿
曼荼羅の構造
光明
種子字(梵字)
自身が仏となった姿(自観仏)
などを心に鮮明に観じる。
これは 観相能力を鍛える瞑想 そのもの。
目的は、
行者の心と本尊の心を一致させる(不二)
三密加持を成立させる
という密教的な悟りの実践。
このようなことか?
観相してまうので
間すっ飛ばし
😆
チベット密教ニンマ派を理解しようとか
荒業狙ってたなー
😆
観相は
チベット密教だったけど
😆
2004年あたり
2008年あたりから禅オンリーになった
😆
チベット密教我流満足したら
真言宗各宗派を
般若心経一本で勝負しに行ってた
相性の良い宗派は般若心経無しでもいける簡単だが
いけない真言宗宗派がいくつかあった
😆
最奥義:ゾクチェン(大究竟)
ニンマ派の最大の特徴は ゾクチェン(Dzogchen) を最奥義とすること。
ゾクチェンは、
始原清浄(カタク)
自然成就(ルンドゥプ)
を説き、
「本来すでに完成された心の本性を直接認識する」
という究極の教え。
これでいいのか?
これと空海で理解するとは?
大奥義が本覚ぽいのだが。
ほとんどロンが好きそうな話やろ
曹洞宗がゴジラなら
ニンマ派はメカゴジラやな
😆
そういうの
「阿字本不生」
とか言っとるやろ
😆
確かに😊
本来は
俺側が好まん傾向にあったのでニンマ派に走った、
真言宗の観音は
俺に教育したかって一方的ラブで
俺的には基礎教育になったので
今、恩返しの茨の木やつるの切り作業するようになった
😆
阿字本不生とは
「阿字」=万物の根源・大日如来
「本不生」=本来不生不滅・空
宇宙も自心も本来不生であり、仏そのもの
真言密教の瞑想・宇宙観・即身成仏の核心
という教え。
なるほど
俺にラブなのに
俺はウマが合わんなー感覚とか
ヒデェー第一印象
家に即身成仏義があったから
それを見ながら
ニンマ派の本尊研究我流修行してた
😆
俺的神秘主義好み美人三姉妹に
ランクインしてないからなー
チベット密教は一つまとめで
ランクインしている仕事日の前は
ヤクザな仕事と相性悪いのでノータッチ
溺れる
😆
真言宗なの?
この辺の内容が分かっていたら、若ければはまっていたかもw
空海の著作
😆
本来は哲学研究家探求時代に
空海とか仏教思想の本を古本屋で
安いのを買いまくっていた
1990年くらいに
古本屋本買いまくり思想マニアだった
😆
「空」による不二(有無不二)
有と無はどちらも成立しない → 空である
すべての対立概念(生滅・常断・一異・来去)が否定される。
不二の意味
二元対立は、言語による仮の構造でしかない
すべては「空」であるため、対立そのものが成立しない。
実践
論理的分析(中論)
空性の洞察
哲学的・論理的な不二
とりあえず、竜樹のを上げておく。
宗派不二の意味特徴
中観有無不二(空)論理的・哲学的
禅主客不二体験的・直観的
天台空・仮・中の三諦円融統合的・体系的
華厳事理無碍・事事無碍宇宙論的・相互浸透
真言密教仏と衆生の不二(三密)実践的・身体技法
ゾクチェン本来清浄・自然成就直接的・本覚的
面白のがあったので貼っておく
法華経の
釈迦の一切世界を照らすイメージが三諦円融ということで
最上部で
その下に勝義諦と世俗諦を
設定しとるな
😃
私はたいして理解しているわけではないw
でおーが何を言いたいのか探索している😊
真言宗、浄土宗、山伏とかの関係とか、多分知らない人の方が多いよ。
存在が相互に写し合う
インドラの網というこやな、
そこから密教にいくわけや
😃
というのは
道元禅にもあるだろう
ロンは半端にしか説明しないだろうな
だそうだ道元禅師
「修」と「証」の同一性: 「山河大地、みな仏性海なり」と説く一方で、それは修行して初めて現れるものであり、修行(只管打坐)なしには仏性(実証)は得られないとします。「修」と「証」は別々ではなく、修行そのものが仏性を現す行為(修証一等)であると説きます。
もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸仏法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟無為の深般若を開演す。
これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに仏事を助発し、ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本証の仏化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の仏徳そなはり、展転広作して、無尽、無間断、不可思議、不可称量の仏法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。もし、凡流のおもひのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあひ覚知すべきなり。もし覚知にまじはるは証則にあらず、証則には迷情およばざるがゆゑに。
インドラの宮殿
インドラの光
こんなのもあるんだ。
華厳経の教えでもあるが、これを密教は積極的に取り入れている。
禅バージョンの
インドラの網とも言える
😃
世俗諦と勝義諦の上にあり
天台宗は、痕跡は残るが
華厳真言禅は
インドラの網で
仕上がり視点がメインになる
😃
バカだから
天台あたりで
三諦円融
仮=世俗諦
と
空=勝義諦
中道が
その三つが円融するという意味が解ってない
ま、バカに指導したい親切心は
俺にはない
😃
どこの文献かな。昔見たことがあるんだよな。
さほどら究極的という感じではなさそうだな
俺的には究極禅定から空間認知はできるけど
現在の日本密教でも
本来のキリスト教ぐらいの迫力はありそうだ
キリスト教の聖霊の導きで生活するとかいうノリ
如来智慧を感知でコツコツと如来の三密を理解する
みたいな感じさだろうな
😃
観相行をやり切るまで修行やるノリらしいが
現在の密教は
法事、法要に向かってやる途中で仏の色々認知が進むみたいな感じかもなー、😃
天台は“理解としての不二、
真言は“実践としての不二
内容ははしょるw
天台は観る
真言は成る
修行
道元は密教の「本来の思想」には理解を示す
しかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判
特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌った
ただし密教の哲学(本覚思想・法界観)には影響を受けている
という立場。
修行とは、もともとある本性(仏性)がそのまま現れるプロセス
そこだな、ポイントは
勝義諦とは、空観だ
中国仏教では、この 『仮⇔空』の二極対立を止揚するのが『中』であるという考えが生まれた
勝義諦 ・・・ 空観
円融三諦 ・・・ 中道観
逆に、法介師匠が最も好む分野でもある
この辺りでも、あの2人は合わなかった😫
> 道元は密教の「本来の思想」には理解を示す
> しかし当時の日本密教(天台・真言)は“儀礼偏重”で堕落していると批判
> 特に「加持祈祷」「験力」「呪術化」を嫌った
それは皮肉だな😫
道元のあと、曹洞宗は衰退したが
瑩山紹瑾が儀礼や加持祈祷の要素を大胆に取り入れて、再興した
そういうことでしょうな
もともと、仏なのだ
仏という本性を表に現せばいいだけ
竜樹のポイント
二つは矛盾しない。
世俗が成立するのは空だからである。
つまり、
世俗=縁起の現れ
空=縁起の本質
という関係。
*しかし竜樹は「同時に見る」とは言っていない。
あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。
天台
三諦は“同時に成立する三つの真理”
空諦:すべては空
仮諦:空であるがゆえに現象が成立
中諦:空と仮は矛盾せず同時に成立する
そして天台は言う。
*三つは別々ではなく、一念の中に同時に具わる(円融)。
これは竜樹にはない発想。
龍樹に、それは無い
勝義諦=空性=中道
これで完結している
仮諦と空諦の二極対立が気になった
さらに進めて、円融三諦へと向かった
天台の問題意識:
「空と仮が別々にあるなら、それはまだ二元論ではないか?」**
天台はこう考える。
空と仮が別々にあるなら、
→ まだ“二つの真理”があることになる
それでは「不二」にならない
真理が二つあるのはおかしい
宇宙は一つの真理であるはずだ
つまり天台は、
空と仮を“別々の視点”として扱うこと自体が不十分だ
と見た。
*確かに、こういうのって、老子の影響のような感じがする。
インド仏教の核心は 縁起・空。
すべては条件によって生じる
固定した実体はない
永遠不変の本質はない
絶対者も絶対原理も否定される
ナーガールジュナ(竜樹)は徹底してこう言う。
「空を実体視する者は救われない」
「空すらも空である」
「絶対的な真理を立てること自体が無明である」
つまり、
インド仏教は“絶対”という概念そのものを拒否する宗教。
そういうことなんだろうね。
色即是空 空即是色
これは、
色 → 空 になる
空 → 色 に戻る
という変化を言っているのではなく、
色=空(同一)
空=色(同一)
という 同一性の宣言。
*あくまで「二つの視点が矛盾しない」と言っているだけ。
縁起(仮)であることは、無自性(空)であることと同じ
無自性(空)であることは、有無を超えた中道であることと同じ
つまり、
仮=空=中
これは「三つが別々の真理」ではなく、
同じ真理の三つの言い方。
・勝義諦=空性=中道(本質)
・世俗諦=縁起=仮(現れ)
この無は逆説でしょ
今という感覚一つとっても違うそうだ。
釈迦仏教の「今」
今にピントを合わせる=合一ではなく、執着の停止
三論宗では
それではない
加藤師匠の動画を勉強しよう
三論宗解釈はどうか
という問題が、残っている
😃
大般若経を合わせて読むと
どのような解釈が中論になされるか?
という問題が残る
😃
曹洞宗だろうが
そこ2件作務やってるが
最近、それだけで
マジでかなり究極のゾーンに入り気味になる
今も、そうのゾーンに、なってるなー
変に仏道修行熱心コースになってるぬ?
キリスト教、イスラーム研究てきないなー
😃
魔王かー
ますますだな〜
😃
そんなの、関係ねぇ!
になるけど😃
真言宗と曹洞宗
相当な完成体ぽくなってきたな?
😃
俺のヤル気は、そんなに決死さはないんだが
真言宗と曹洞宗の両方が
俺の脳内をこじ開けて
仕込みにきたな?
😆😆😆😆😆😆
天台浄土教、山伏、神仏習合、
唯識、倶舎論、テーラワーダあたりの
トップ情報が脳内に流入構築しとる
ほんまに根っからの修行マニアだ
キリスト教、イスラーム研究てきんな?
😆
あたりまえだが
戒定慧
ま、
ハッスルー🤡
ハッスルー🤡とか
やらん上品な世界だ
😆
キリスト教、イスラーム、神道研究に戻れた
😆
すごい組み合わせだな😂
華厳、真言、禅は
空間認知で共通項がある
心臓部が異なるだけで
空間が大日如来認知か、無に基づく空間認知か
の違いがあるだけくらいなもの
😆
驚きだが
今少しキリスト教の書物読んで満足した
クルアーンにいくー
😆
😆
仏尊の礼拝行
→イエス・キリストの礼拝、
→アッラーへの礼拝
とかのテーマ、
最初は瞑想と空間認知だったが
日蓮的なご本尊礼拝にテーマが移行して
今クルアーン
😆
福音書の箇所を引用しているところを読んでいる
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran019.htm
福音書の箇所を
クルアーン解釈で
アッラーはなんでも奇跡を起こせる
と
言う感じだな
😆
容赦無しにクルアーンを燃やして
挑発するんだろなー
😫
クルアーンには、旧約聖書のことも新約聖書のことも全部、書いてある
イスラム教徒は旧約聖書を読まない
霊的脳内ワールドやってる
😆
満足したので
神道を読む
😆
スマホありがたやー
https://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/oharai/t_02.html
邇邇芸命
)は豊かな葦原の茂る瑞々しい稲穂に恵まれた日本の国を、安らかな国として平穏にお治めなさい」と仰せられて、この国を御委任申し上げなさった。このように御委任申し上げなさった国の中で、乱暴する神たちを次々に問い
糺
され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で
掻
き別け掻き別けして、天上から地上へお降し申し上げた。このようにして御委任申し上げた地上の国の真中のすぐれた所として、この太陽が空高く輝く
糺
され、次々に掃いのけられて、さわがしく物を言っていた岩石や樹木や一片の草の葉までも、ものを言うことを止めさせて、すっかり平定して、皇御孫の命を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で
こーいう感じの展開なんだろなー
😆
まーまーブンブン丸だ
😆
終えた
次は天理教かな?
😆
人は言葉を覚えた瞬間から、
その言葉に対するイメージ
過去の経験
感情
価値判断
が自動的にくっつく。
たとえば「色」という言葉を聞くと、
形
固さ
大きさ
“そこにあるもの”
という実体感が自然に湧く。
これは人間の認識の仕組みであり、避けられない。
ほうが
日本仏教ですら多数派だからなー
言葉のイメージにシフトしているから
念仏、日蓮、山伏、神仏習合が
明治以前ては圧倒的多数派だからなー
😆
法華経そのもののイメージや
日蓮の解釈がメインだからなー
😆
色は
説一切有部の
分析内容だからなー
😆
オカシイ
😆
😆😟😆😆
天理教における最も重要な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手だてです。第一義的には、本部神殿で勤められる「かぐらづとめ」を指します。つとめは「かぐら」を主とし、「てをどり」に及びます。 かぐらは、10人のつとめ人衆が、「ぢば・かんろだい」を囲んで、元初もとはじまりにおける人間・世界創造に際しての親神様おやがみさまのお働きを手振りに表して勤めることにより、元初まりの親神様のご守護を今に頂き、よろづたすけの成就じょうじゅと陽気ぐらしの世への立て替えを祈念するものです
「よろづたすけの成就」への道のり
信仰の実践: 「おつとめ」や「てをどり」を日々勤める。
手振り(お手振り)の習得: 親神様の働きを理解し、真似ることで、その御守護を頂く。
救いの広がり: 多くの人が救われ、陽気ぐらしの世界が広がることを目指す。
つまり、「よろづたすけの成就」は、天理教の信仰者が教えを実践し、神の救いをこの世に実現していくための、活動の目標であり、最終的な到達点と言えます。
「読む人のレベルに応じて意味が変わる」
多層構造の経典
まるで鏡のように、
読む人の心をそのまま映す。
玄奘の思わく通り。
般若心経が“鏡”として働くのは玄奘の思惑通り。
その鏡が映す最深の空性は、玄奘の意図を超えているかもしれないw
昔はたくさんの訳を使われていたよーだ
空海や道元あたりは
玄奘三蔵訳は使ってなかったとか聞く
玄奘三蔵訳を使われたのは
高野山の僧侶が大和興福寺関連の土地地域出身と
明治以前の高野山に念仏山伏のたまり場になっていたせいだろな
😆
玄奘訳 → 分析知・唯識的理解
不空訳 → 密教的理解
法月訳 → 古典的理解
羅什系 → 詩的・直観的理解(もし残っていれば)
こんな感じだそうだ。
キリスト教、イスラーム、神道含めて
宗教臭いクセを把握できた
瞑想系統世界にいると
日蓮みたいなのは
理解不能だからなー
😆
😆
道元の純粋性というものを庶民が理解できなんだろうね。当時は魑魅魍魎の世界であるw 魑魅魍魎とは己の事である。その己を鎮めるので、加持祈祷が必要であった。そういう儀式が必要であったというのが実情ではないか。
キリスト教、イスラーム、神道は
こーいうノリらしい?
😆
守護するれいみたいな?
😆
https://m.youtube.com/watch?v=BnBCKXEjmwM&pp=ygUS6Jek5aCC6JG144CA55yf5Lq60gcJCU0KAYcqIYzv
純粋道元禅よりも臨濟宗要素一部入れた流れが増えている
俺は、その臨濟宗要素一部取り入れた流派は一昨年にマスターしてる
😆
純粋道元禅自称は許される範囲だろう
😆
セッタン流はマスターだ
😆
どこかいわんそ
余計な情報漏洩は防ぐ
😆
😆
ノーゲット
行ってないからなー
😆
まぁ、寺の坊主じゃなくてあういうところに行くのは変わり者が多いような気がするw 南直哉も似たようなものw
澤木興道一派もオリジナルではないか?
と
寺の師匠筋と僧侶の力量で独自の禅定感覚が個性が出る
臨濟宗は?というと
有るとも言える、無いとも言える
禅定感覚自体が重要ではない、
曹洞宗よりも、曹洞宗はかなり師弟の血筋みたいなのが影響ある
セッタンみたいなレベル高いの独自の禅定の間合いを持っている可能性がある
😆
割合個人力勝負てまはないので
血筋がハッキリしているので
宗派別でだいたい別れている
宗派内で統一してないのが高野山の宿坊
各各違いがある
😆
行ったこともないしな
😆
思っている
😆
真宗内宗派別で違う
俺が真宗寺院へ行くと
ほとんど
天台宗解釈みたいな感じになるからなー
真宗坊主が感知し得ないものを
感知しとるからなー
世襲坊主の大方は
俺より禅定能力低いのが多いでしょうな
禅のマジメなグループや
チベット密教、テーラワーダには
上から目線の感想は思わないけどな
😆
臨濟宗も人口では少数宗派だからなー
😫
円覚寺の管主、ボンクラなのかw
臨濟宗としては、
仏教者としては
いい人だろな
😆
仏が20分か1時間くらい出てたのは
やってたか?
俺は1秒くらい家に出た
😆
それは良さそうだな?
具体的に、仏が出た場面は、確認できなかったですね。
玄奘三蔵のインドの記録にはある
聖地で現れたらしい
😆
初期の般若心経は
五蘊皆空
空の六相
マントラ
だけだそうだ。まぁ金剛般若経に空という言葉を当てはめただけだとも思える。
まぁ、これは少々調べる価値がある🤔
空の六相 私が思うに、今だろうということである。
速くもなく、遅くもなく。ブッタも言っている。それの延長線のように感じる。
個々にかかれていることは、表層的なことである。もう少し、調べる価値がある。
論文を上げていかなけらば、なかなか納得するものでもない。
觀世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舍利弗色空故無惱壞相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覺相。何以故。舍利弗非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舍利弗是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不增不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無罜礙。無罜礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦惱。究竟涅槃。三世諸佛依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明咒。無上明咒。無等等明咒。能除一切苦真實不虛故說般若波羅蜜咒即說咒曰
竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提僧莎呵摩訶般若波羅蜜大明咒經
殆ど玄奘訳と同じ。非過去非未來非現在。これはないな。これを見ると、金剛般若経を思い出す。
つまりあまりにも玄奘訳に近い。羅什は、どちらかというと、般若思想の人である。綿密に名詞を出して、ないないはやらないだろうということみたいだ。
これは異本じゃないかということみたいだ。まぁ、もう少し調べてみたい。
羅什の時代の唯識は「萌芽段階」でもある。
腕疲れた😆
明日の仕事のための
ウォーミングアップどころよりも
キツかつた
😆
佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=vt77hn4zy4w
「阿含経」で生きる人、「般若心経」で生きる人(佐々木閑の仏教講義 特別編 その2https://www.youtube.com/watch?v=-nH7Rewh-Bw
空という信仰で生きる。空というのものも神秘性なのだろう。さらに神秘性とともに生きる。まぁこれで汎用性が生まれた。お釈迦様の作り上げたものは、合理的であったのだろう。空の上位と言えば、まぁ、仏の空間的広がりで在ろう。
あくまでも、十八界・十二因縁・四諦の否定 アビダルマの否定であった。