この世は巨大コンピュータ内の仮想現実★3最終更新 2026/03/20 16:001.神も仏も名無しさんukyM3リクエストにお応えして(?)、スレを立ててみました参考サイト人類を科学するhttps://www.metafaith.net/philosophy/この世は巨大コンピュータ内の仮想現実https://talk.jp/boards/psy/1688894973この世は巨大コンピュータ内の仮想現実★2https://talk.jp/boards/psy/17231541642025/01/22 07:01:29276コメント欄へ移動すべて|最新の50件227.◆JBLfMwCXhYUt0Bn4を忘れてた4、完全自動型この世界には、1の意味でも、2の意味でも、プレイヤーは存在しない。この世界の成り行きを観察して楽しんでいる者も、この世界で仮想体験して楽しんでいる者もいない。すべては偶然の積み重ねにすぎない2025/11/23 07:55:10228.◆JBLfMwCXhYUt0Bn4こそ、現代では主流の考え方だだが、あまりにもバカげている(笑)途方もなく不合理な考え方だこれを科学的で合理的と思う人の気持ちが分からない2025/11/23 07:56:41229.◆JBLfMwCXhYUt0Bn4は、20世紀に特有の特殊な信仰であり今世紀中に消滅することが予想される2025/11/23 07:58:09230.◆JBLfMwCXhYUt0Bn検討に値する世界観は、以下の2つだ↓1、シムシティ型ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している2、ロールプレイング型多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る2025/11/23 08:01:11231.◆JBLfMwCXhYUt0Bn真実は1と2のどちらか、またはその両方だ「1と2のどちらの意味でもプレイヤー不在、この世界は、完全に全自動で創造と破壊を繰り返している」というのは、あまりにもバカげている(笑)2025/11/23 08:03:00232.◆JBLfMwCXhYUt0Bn「1と2のどちらの意味でもプレイヤー不在、この世界は、完全に全自動で創造と破壊を繰り返している」↑これは、途方もなく不合理な考え方だこれを科学的で合理的と思う人は、まったくどうかしている2025/11/23 08:04:09233.◆JBLfMwCXhYUt0Bn世間では、まだまだ有力な考え方ではあるだが、個人的には、完全に切り捨ててよい愚論と判断している2025/11/23 08:05:33234.◆JBLfMwCXhYUt0Bnこの世界に、「プレイヤー」は必ずいる1と2のどちらか(または、その両方)だ1、シムシティ型ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している2、ロールプレイング型多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る2025/11/23 08:06:54235.◆JBLfMwCXhYUt0Bn1の場合は、われわれ全員が「本当の自分」を持たない仮想の存在だ死後の世界もないし、輪廻転生もない2025/11/23 08:08:53236.◆JBLfMwCXhYUt0Bn2の場合は、われわれは、このオンラインゲームに参加するために設定したキャラであるゲームオーバーでログアウトすれば、「本当の自分」に戻る2025/11/23 08:09:56237.◆JBLfMwCXhYUt0Bnはたして、1と2のどちらが真実なのか?それを考える材料は、1つしかない「他ならぬ自分は、NPC なのか?」その一点に尽きる2025/11/23 08:13:27238.◆JBLfMwCXhYUt0Bn他人のことは分からない「プレイヤーは自分1人で、他人は全員 NPC 」ということだって、あり得る(哲学的には、これを『独我論』という)哲学史上、浮かんだり消えたりしてきた考え方だが、本気で支持する人は誰もいない(笑)2025/11/23 08:15:23239.◆JBLfMwCXhYUt0Bnロールプレイングゲームをやったことない人のために、解説を一応つけとくと↓ノンプレイヤーキャラクター( NPC )ノンプレイヤーキャラクター(英:Non Player Character)の略称をNPCという。ゲーム内においてプレイヤーが操作をしないキャラクターを指す。敵キャラクター扱いにされるかは作品によって変化する。プレイヤーキャラクターに対し「ゲームの進行」「イベント発生」「バランス調整」を行い、プレイヤーをゲームマスターの作ったストーリーにうまく誘導するための存在である。RPG作品などで「一時的に仲間になる」キャラを指す場合が多い。※格闘ゲームなどの対戦ゲームで、対戦相手がマッチングされない場合に登場するCPUキャラもNPCに分類されることがある。操作ができないキャラクターではあるが、ゲームの進行などで目にする機会も多いことから、隠れファンも得ているのがNPCキャラクターの特徴ともいえる。2025/11/23 08:20:32240.◆JBLfMwCXhYUt0Bn他人のことは分からないだから、自分自身を観察するしかないインド哲学の伝統、御家芸ともいえる発想だ2025/11/23 08:22:30241.◆JBLfMwCXhYUt0Bn早い話が、「私は在る」のかどうかだ2025/11/23 08:25:16242.◆JBLfMwCXhYUt0Bn1、シムシティ型ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している2、ロールプレイング型多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る1が真実である可能性はあるだが、それにしては、各人が体験している「現実」が、あまりにも手の込んだ仕掛けで迫真でありすぎるここまでやる必要があると思えない2025/11/23 08:28:36243.◆JBLfMwCXhYUt0Bn2、ロールプレイング型多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る↑これが最も自然な解釈だ1もあり得るが、ちょっと無理がある確証は無いが、これが真実である可能性が高い2025/11/23 08:32:52244.◆JBLfMwCXhYUt0Bn現代では、多くの人が4、完全自動型この世界には、1の意味でも、2の意味でも、プレイヤーは存在しない。この世界の成り行きを観察して楽しんでいる者も、この世界で仮想体験して楽しんでいる者もいない。すべては偶然の積み重ねにすぎず、この世界は全自動で創造と破壊を繰り返している↑この説を支持しているとくに、自称・知識人に多いその影響力は強大だだが、いくら影響力があろうとも、まったく不合理でバカげた考え方であることに変わりはない(笑)2025/11/23 08:37:15245.◆JBLfMwCXhYdwkFZ3、1人多役型ゲームのプレイヤーはただ1人であるが、1人で無数のキャラとなり、全部のキャラになりきって仮想世界を体験している↑この考え方も、スピリチュアル系の人には意外と多いこれは、1、シムシティ型と基本的に同じであると思う単に、たった1人のプレイヤーがかけている手間ヒマが極端に膨張して、不合理なだけだ2025/11/23 09:05:31246.◆JBLfMwCXhYEqpwuこの世界は、個人の体験と成長に重点が置かれている2025/11/23 09:22:47247.◆JBLfMwCXhYEqpwu3、1人多役型ゲームのプレイヤーはただ1人であるが、1人で無数のキャラとなり、全部のキャラになりきって仮想世界を体験している↑この考え方には無理があるあまりにも、プレイヤーの数が膨大だ地球人類だけでも数十億人宇宙人まで入れたら、どれだけいるか分からんし人間意外の動物だって、全員が全自動で動いているとは限らない2025/11/23 09:24:50248.◆JBLfMwCXhYEqpwu「神は無限に大きいから、1人で何億役も演じることができる」という考え方もあり得るがいくらなんでも、膨大な手数をかけすぎで不合理きわまりない2025/11/23 09:26:32249.◆JBLfMwCXhYEqpwu2、ロールプレイング型多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る↑やはり、これが最も自然な解釈だ確証は無いが、これが最も真実に近い2025/11/23 09:30:10250.◆JBLfMwCXhYEqpwu2502025/11/23 09:30:32251.◆JBLfMwCXhYEqpwuこの世は体験型のテーマパークみたいなものだ2025/11/23 09:42:25252.◆JBLfMwCXhYoH9XN「意識の死後存続」と言っても様々な形態が考えられる。SS1 : 死後も存続する人がいるが、機能する脳がないため、精神状態を表現したり、世界に影響を与えたりすることができない。SS2 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、死後の心理的状況は生前のものとは記憶の点でも性質の点でもほとんど連続性がない。SS3 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする欲求も意図もあるが、そのような能力がない。SS4 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする能力もあるが、そのような欲求や意図がない。SS5 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、交信しようとする能力も、欲求も、意図もない。SS6 : 死後はその人ならではの意識以外の部分のみが残る。SS7 : 死後は、心的傾向の基礎となる部分のみが残る。2025/11/23 14:33:35253.神も仏も名無しさんlZeNr>>211->>214はいはい、また過去の主張の焼き直し、焼き直し。2025/11/25 23:30:23254.神も仏も名無しさんlZeNr>>218そしていつもの超短絡思考。w>「人は死ねば無になる」> 「人は、生まれてから死ぬまでの間だけの、時間に限定された存在である」この2つの命題からは>この世というゲーム空間に存在するキャラは、全員がプレイヤー不在の NPC である」という命題は論理的に正しく導けませ~ん。……「自分以外のプレイヤーキャラ」という可能性を何故恣意的に排除するんですかねぇ?2025/11/25 23:45:16255.神も仏も名無しさんlZeNr>>218 の時点で論理的に破綻しているから、>>219->>251 は無意味な「考察もどき」、恣意的な論理展開だらけのシロモノ。2025/11/25 23:50:42256.神も仏も名無しさんtsaQ1>>249その解釈には「アバターのアバターのアバターの……」や「ロールプレイングのロールプレイングのロールプレイングの……」といった無限退行に対する歯止めが無い。そんなものは周転円に周転円を重ねる天動説や「デカルト劇場」の様なものであり、オッカムの剃刀で削ぎ落とされるだけである。2025/11/26 00:13:34257.◆JBLfMwCXhYt0C41シミュレーション仮説とは、私たちが住むこの世界全体が、未来の高度な文明や知的生命体が作ったコンピューターシミュレーション(仮想現実)である、という考え方で、哲学者ニック・ボストロムが2003年に提唱し有名になりました。この仮説は「もし文明が高度に発展すれば、過去の全人類を含む宇宙をシミュレートするほど計算能力を持つはずで、そうなると私たちが現実ではなく、そのシミュレーションの住人である可能性の方が高い」と論じ、SF『マトリックス』などで描かれるような「現実は偽物かもしれない」という概念を、科学的・哲学的な議論の対象として提示しています。2025/12/16 09:08:10258.◆JBLfMwCXhYt0C41主な論点ボストロムの三択:以下の3つのうち少なくとも1つは真実である可能性が高いと主張。人類のような文明は、シミュレーションを作る前に絶滅する。高度文明は倫理的理由などでシミュレーションを作らない。我々はほぼ確実にシミュレーションの中にいる。2025/12/16 09:08:27259.◆JBLfMwCXhYt0C41科学的側面:量子力学における情報(ビット)の最小単位と宇宙の素粒子が一致することや、宇宙の構造が情報処理に基づいている可能性が注目されますが、検証は困難で「反証可能性がない」と批判されることもあります。哲学的側面:現代の技術発展により、古代からの「現実とは何か」という問いが、より具体的な形で再浮上しています。支持者:イーロン・マスクなどの著名人も言及し、話題を呼びました。2025/12/16 09:08:41260.◆JBLfMwCXhYt0C41この世は、全知全能の神・アッラーが創造したシミュレーションなのだ😆2025/12/16 09:09:39261.◆JBLfMwCXhYt0C41議論の現状証明・反証の難しさ:シミュレーションの「外側」から観測する方法がないため、科学的に証明も反証も難しいという根本的な課題があります。物理学からの反論:一方で、物理学の観点から「重力異常」などを根拠にシミュレーションではないとする研究も存在します。この仮説は、私たちの存在や宇宙の根本について深く考えさせる、現代の興味深い思考実験の一つとされています。2025/12/16 09:09:59262.◆JBLfMwCXhYt0C41この世は仮想現実にすぎない2025/12/16 09:10:45263.◆JBLfMwCXhYUlpEsこの世はロールプレイングゲームだ2025/12/17 06:59:09264.神も仏も名無しさんu5kmb>>257->>263はいはい、また過去の主張の焼き直し、焼き直し。2025/12/17 19:55:22265.神も仏も名無しさんu5kmbそもそも「シミュレーション」は「オリジナル」が無いと成立しない概念だが、シミュレーション仮説に嵌っている奴に限って、そのオリジナルの何たるかを明確に語る能力が無く、神だの霊だの高次元だののあやふやな言葉で知ったかぶりしてる奴ばかりだ。2025/12/17 20:01:47266.神も仏も名無しさんu5kmbところで >>252 の続きはどうした?何が言いたかったんや?2025/12/17 20:03:49267.◆JBLfMwCXhYceyhc世界を二次元とする「ホログラフィック宇宙論」宇宙物理学の最新理論が、人間の意識についても説明を与えてくれるのではないか、と一部の学者が主張し始めたのである。それが「ホログラフィック宇宙論」という仮説だ。米国の理論物理学者、ポール・サター氏が言う。「プリンストン大やスタンフォード大など、世界有数の学術機関がホログラフィック宇宙論を有望と見て研究しています。かみ砕いて言うと、私たちは自分たちの住む世界(宇宙)を三次元、つまりタテ・ヨコ・高さがある立体構造だと思い込んでいるが、実際には世界は二次元、すなわちタテ・ヨコだけの平面であるという考え方です」2025/12/28 15:09:21268.◆JBLfMwCXhYceyhcこのような世界観が、平面に印刷された模様があたかも立体のように見える「ホログラム」と似ているので「ホログラフィック宇宙論」と呼ばれるようになったわけだ。理論の詳細を説明するのは難しいが、要するに世界を二次元だと考えると「重力とは何か」や「ブラックホールはどのような性質の天体なのか」といった、宇宙に関する未解決の難問をうまく解くことができるかもしれない。それゆえ、近年注目を浴びているのである。「この理論によれば、全宇宙のあらゆるできごとは二次元の平面に記された情報として表現できる。しかも、その情報は過去と未来にわたって失われず、全てが保存されているといいます」(サター氏)たとえると、こういうことだ。この世界の本当の姿は、一本の長い長い映画である。平らなフィルムの上に、過去、現在、未来のありとあらゆるできごと、生と死、感情や記憶までもが記録されている。私たちは再生されるその映像を眺めている観客であり、同時に登場人物でもある。そして再生が終わったフィルムは、どこかに大切にしまわれていて、死んでいった人たちの記憶も永遠に失われることはない―。2025/12/28 15:09:39269.神も仏も名無しさんwDwp8そんな事より、 >>252 の続き、早よ。2025/12/29 15:52:38270.◆JBLfMwCXhYzFuPcこの世は巨大コンピュータ内の仮想現実であるその考え方は、現代哲学や科学でも真剣に議論されているテーマです。いわゆる「シミュレーション仮説」と呼ばれるものですね。2026/03/20 15:58:35271.◆JBLfMwCXhYzFuPcまず代表的なのは、哲学者の ニック・ボストロム が提唱した議論です。彼は大まかにこう言います:もし高度な文明が無数の仮想世界を作れるなら、私たちが「本物の現実」にいる確率はむしろ低いのではないか?つまり、技術が進めば「現実そっくりの仮想世界」は作れるそういう世界が大量に存在するなら私たちがその一つである可能性は否定できないという論理です。2026/03/20 15:58:57272.◆JBLfMwCXhYzFuPc哲学的に見るとこの発想は実は新しくなくて、例えば:ルネ・デカルト→ 「悪魔が世界を欺いているかもしれない」ジョージ・バークリー→ 「存在とは知覚されることである」など、「現実って本当に外にあるのか?」という疑いの延長線にあります。2026/03/20 15:59:16273.◆JBLfMwCXhYzFuPc仏教との共通点あなたが関心を持っている仏教的視点ともかなり近いです。例えば:唯識(ゆいしき)→ 世界は「心のはたらき」によって構成される龍樹の思想→ あらゆるものに固定的実体はない(空)これは「外界が確固として実在する」という前提を崩す点で、シミュレーション仮説と響き合っています。2026/03/20 15:59:39274.◆JBLfMwCXhYzFuPcただし重要な違いここが一番大事です。シミュレーション仮説→ 「現実の背後に“本当の物理世界”がある」仏教(特に中観・唯識)→ 「そもそも“本当の実体”という発想自体が幻想」つまり、 👉 シミュレーション仮説は「もう一段奥の現実」を想定する👉 仏教は「奥も手前も全部、関係的で仮のもの」と見る2026/03/20 16:00:07275.◆JBLfMwCXhYzFuPc科学的にはどうか?現時点では、証明も否定もできていないただし「検証が難しい」ため、科学というより哲学寄りとされています。2026/03/20 16:00:22276.◆JBLfMwCXhYzFuPc一言でまとめると「この世は巨大コンピュータの中かもしれない」という考えは、哲学的には筋が通っている科学的には未検証仏教的には「発想としては近いが、まだ実体に執着している」という位置づけです。もし興味あれば、👉 「じゃあ“気づく”ことに意味はあるのか?」👉 「仮想現実だとしたら倫理はどうなるのか?」みたいな次のステップもかなり面白い議論になります。2026/03/20 16:00:35
参考サイト
人類を科学する
https://www.metafaith.net/philosophy/
この世は巨大コンピュータ内の仮想現実
https://talk.jp/boards/psy/1688894973
この世は巨大コンピュータ内の仮想現実★2
https://talk.jp/boards/psy/1723154164
4、完全自動型
この世界には、1の意味でも、2の意味でも、プレイヤーは存在しない。この世界の成り行きを観察して楽しんでいる者も、この世界で仮想体験して楽しんでいる者もいない。すべては偶然の積み重ねにすぎない
だが、あまりにもバカげている(笑)
途方もなく不合理な考え方だ
これを科学的で合理的と思う人の気持ちが分からない
今世紀中に消滅することが予想される
↓
1、シムシティ型
ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している
2、ロールプレイング型
多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る
「1と2のどちらの意味でもプレイヤー不在、この世界は、完全に全自動で創造と破壊を繰り返している」
というのは、あまりにもバカげている(笑)
↑
これは、途方もなく不合理な考え方だ
これを科学的で合理的と思う人は、まったくどうかしている
だが、個人的には、完全に切り捨ててよい愚論と判断している
1と2のどちらか(または、その両方)だ
1、シムシティ型
ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している
2、ロールプレイング型
多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る
死後の世界もないし、輪廻転生もない
ゲームオーバーでログアウトすれば、「本当の自分」に戻る
それを考える材料は、1つしかない
「他ならぬ自分は、NPC なのか?」
その一点に尽きる
「プレイヤーは自分1人で、他人は全員 NPC 」ということだって、あり得る
(哲学的には、これを『独我論』という)
哲学史上、浮かんだり消えたりしてきた考え方だが、
本気で支持する人は誰もいない(笑)
↓
ノンプレイヤーキャラクター( NPC )
ノンプレイヤーキャラクター(英:Non Player Character)の略称をNPCという。ゲーム内においてプレイヤーが操作をしないキャラクターを指す。敵キャラクター扱いにされるかは作品によって変化する。
プレイヤーキャラクターに対し「ゲームの進行」「イベント発生」「バランス調整」を行い、プレイヤーをゲームマスターの作ったストーリーにうまく誘導するための存在である。
RPG作品などで「一時的に仲間になる」キャラを指す場合が多い。
※格闘ゲームなどの対戦ゲームで、対戦相手がマッチングされない場合に登場するCPUキャラもNPCに分類されることがある。
操作ができないキャラクターではあるが、ゲームの進行などで目にする機会も多いことから、隠れファンも得ているのがNPCキャラクターの特徴ともいえる。
だから、自分自身を観察するしかない
インド哲学の伝統、御家芸ともいえる発想だ
ゲームのプレイヤーはただ1人であり、ゲーム内のキャラは全員が NPC である。プレイヤーは世界を創造し、発展させたり破壊したりして、全体の経過を観察している
2、ロールプレイング型
多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る
1が真実である可能性はある
だが、それにしては、各人が体験している「現実」が、あまりにも手の込んだ仕掛けで迫真でありすぎる
ここまでやる必要があると思えない
多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る
↑
これが最も自然な解釈だ
1もあり得るが、ちょっと無理がある
確証は無いが、これが真実である可能性が高い
4、完全自動型
この世界には、1の意味でも、2の意味でも、プレイヤーは存在しない。この世界の成り行きを観察して楽しんでいる者も、この世界で仮想体験して楽しんでいる者もいない。すべては偶然の積み重ねにすぎず、この世界は全自動で創造と破壊を繰り返している
↑
この説を支持している
とくに、自称・知識人に多い
その影響力は強大だ
だが、いくら影響力があろうとも、まったく不合理でバカげた考え方であることに変わりはない(笑)
ゲームのプレイヤーはただ1人であるが、1人で無数のキャラとなり、全部のキャラになりきって仮想世界を体験している
↑
この考え方も、スピリチュアル系の人には意外と多い
これは、1、シムシティ型と基本的に同じであると思う
単に、たった1人のプレイヤーがかけている手間ヒマが極端に膨張して、不合理なだけだ
ゲームのプレイヤーはただ1人であるが、1人で無数のキャラとなり、全部のキャラになりきって仮想世界を体験している
↑
この考え方には無理がある
あまりにも、プレイヤーの数が膨大だ
地球人類だけでも数十億人
宇宙人まで入れたら、どれだけいるか分からんし
人間意外の動物だって、全員が全自動で動いているとは限らない
という考え方もあり得るが
いくらなんでも、膨大な手数をかけすぎで不合理きわまりない
多くのプレイヤーがゲームに参加しており、ゲーム内のキャラはプレイヤーが仮想世界で行動するためのアバターである。プレイヤー達はこの世界でおのおののキャラに扮して仮想体験し、終わったら元の自分に戻る
↑
やはり、これが最も自然な解釈だ
確証は無いが、これが最も真実に近い
SS1 : 死後も存続する人がいるが、機能する脳がないため、精神状態を表現したり、世界に影響を与えたりすることができない。
SS2 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、死後の心理的状況は生前のものとは記憶の点でも性質の点でもほとんど連続性がない。
SS3 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする欲求も意図もあるが、そのような能力がない。
SS4 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする能力もあるが、そのような欲求や意図がない。
SS5 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、交信しようとする能力も、欲求も、意図もない。
SS6 : 死後はその人ならではの意識以外の部分のみが残る。
SS7 : 死後は、心的傾向の基礎となる部分のみが残る。
はいはい、また過去の主張の焼き直し、焼き直し。
そしていつもの超短絡思考。w
>「人は死ねば無になる」
> 「人は、生まれてから死ぬまでの間だけの、時間に限定された存在である」
この2つの命題からは
>この世というゲーム空間に存在するキャラは、
全員がプレイヤー不在の NPC である」
という命題は論理的に正しく導けませ~ん。
……「自分以外のプレイヤーキャラ」という可能性を何故恣意的に排除するんですかねぇ?
>>219->>251 は無意味な「考察もどき」、恣意的な論理展開だらけのシロモノ。
その解釈には
「アバターのアバターのアバターの……」や
「ロールプレイングのロールプレイングのロールプレイングの……」といった無限退行に対する歯止めが無い。
そんなものは周転円に周転円を重ねる天動説や「デカルト劇場」の様なものであり、オッカムの剃刀で削ぎ落とされるだけである。
ボストロムの三択:
以下の3つのうち少なくとも1つは真実である可能性が高いと主張。
人類のような文明は、シミュレーションを作る前に絶滅する。
高度文明は倫理的理由などでシミュレーションを作らない。
我々はほぼ確実にシミュレーションの中にいる。
量子力学における情報(ビット)の最小単位と宇宙の素粒子が一致することや、宇宙の構造が情報処理に基づいている可能性が注目されますが、検証は困難で「反証可能性がない」と批判されることもあります。
哲学的側面:
現代の技術発展により、古代からの「現実とは何か」という問いが、より具体的な形で再浮上しています。
支持者:
イーロン・マスクなどの著名人も言及し、話題を呼びました。
証明・反証の難しさ:
シミュレーションの「外側」から観測する方法がないため、科学的に証明も反証も難しいという根本的な課題があります。
物理学からの反論:
一方で、物理学の観点から「重力異常」などを根拠にシミュレーションではないとする研究も存在します。
この仮説は、私たちの存在や宇宙の根本について深く考えさせる、現代の興味深い思考実験の一つとされています。
はいはい、また過去の主張の焼き直し、焼き直し。
何が言いたかったんや?
宇宙物理学の最新理論が、人間の意識についても説明を与えてくれるのではないか、と一部の学者が主張し始めたのである。
それが「ホログラフィック宇宙論」という仮説だ。米国の理論物理学者、ポール・サター氏が言う。
「プリンストン大やスタンフォード大など、世界有数の学術機関がホログラフィック宇宙論を有望と見て研究しています。
かみ砕いて言うと、私たちは自分たちの住む世界(宇宙)を三次元、つまりタテ・ヨコ・高さがある立体構造だと思い込んでいるが、実際には世界は二次元、すなわちタテ・ヨコだけの平面であるという考え方です」
理論の詳細を説明するのは難しいが、要するに世界を二次元だと考えると「重力とは何か」や「ブラックホールはどのような性質の天体なのか」といった、宇宙に関する未解決の難問をうまく解くことができるかもしれない。それゆえ、近年注目を浴びているのである。
「この理論によれば、全宇宙のあらゆるできごとは二次元の平面に記された情報として表現できる。しかも、その情報は過去と未来にわたって失われず、全てが保存されているといいます」(サター氏)
たとえると、こういうことだ。この世界の本当の姿は、一本の長い長い映画である。平らなフィルムの上に、過去、現在、未来のありとあらゆるできごと、生と死、感情や記憶までもが記録されている。
私たちは再生されるその映像を眺めている観客であり、同時に登場人物でもある。そして再生が終わったフィルムは、どこかに大切にしまわれていて、死んでいった人たちの記憶も永遠に失われることはない―。
その考え方は、現代哲学や科学でも真剣に議論されているテーマです。いわゆる「シミュレーション仮説」と呼ばれるものですね。
もし高度な文明が無数の仮想世界を作れるなら、
私たちが「本物の現実」にいる確率はむしろ低いのではないか?
つまり、
技術が進めば「現実そっくりの仮想世界」は作れる
そういう世界が大量に存在するなら
私たちがその一つである可能性は否定できない
という論理です。
この発想は実は新しくなくて、例えば:
ルネ・デカルト
→ 「悪魔が世界を欺いているかもしれない」
ジョージ・バークリー
→ 「存在とは知覚されることである」
など、「現実って本当に外にあるのか?」という疑いの延長線にあります。
あなたが関心を持っている仏教的視点ともかなり近いです。
例えば:
唯識(ゆいしき)
→ 世界は「心のはたらき」によって構成される
龍樹の思想
→ あらゆるものに固定的実体はない(空)
これは「外界が確固として実在する」という前提を崩す点で、
シミュレーション仮説と響き合っています。
ここが一番大事です。
シミュレーション仮説
→ 「現実の背後に“本当の物理世界”がある」
仏教(特に中観・唯識)
→ 「そもそも“本当の実体”という発想自体が幻想」
つまり、 👉 シミュレーション仮説は「もう一段奥の現実」を想定する
👉 仏教は「奥も手前も全部、関係的で仮のもの」と見る
現時点では、
証明も否定もできていない
ただし「検証が難しい」ため、科学というより哲学寄り
とされています。
「この世は巨大コンピュータの中かもしれない」という考えは、
哲学的には筋が通っている
科学的には未検証
仏教的には「発想としては近いが、まだ実体に執着している」
という位置づけです。
もし興味あれば、
👉 「じゃあ“気づく”ことに意味はあるのか?」
👉 「仮想現実だとしたら倫理はどうなるのか?」
みたいな次のステップもかなり面白い議論になります。