摂受と折伏について最終更新 2024/10/28 09:501.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmk71qf久しぶりの新スレとなります。トークが出来た勢いで変なのも向こうからやってきて大分嫌がらせをされましたけど、最近は変なのが大分消えたので、本来の趣旨に沿って本スレや他のスレでの考察を進めていこうと思います。2024/06/15 11:30:5231コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.栖雲居士◆dqam8SqGUPdm1uckm我得力時(我れ力を得ん時)。於彼処見此衆生(彼々の処に於て此の衆生を見ば)。応折伏者而折伏之(応に折伏すべき者は之を折伏し)。応摂受者而摂受之(応に摂受すべき者は之を摂受せん。)。何以故(何を以ての故に)。以折伏摂受故令法久住(折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ)。『勝鬘師子吼一乘大方便方廣經(勝鬘経) 』より2024/06/15 12:02:283.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmGnxkN(中外日報より引用)摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(1/2ページ)日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏1、初期の経典からの解釈教化法としての摂受・折伏の初出は、『ミリンダ王の問い』(1世紀頃)の「折伏の意義」の章となる。この章はミリンダ王が尊者ナーガセーナに「他人を害せず親切なれと教える如来が、折伏すべき者は折伏し摂受すべき者は摂受せよとも言われる。折伏とは折檻し死刑に処し命を断つことであり、如来の言葉に相応しくない」と問うことから始まっている。尊者は「人を害せずは不変の教戒だが、高慢心は折伏され、卑下心は誉められ(摂受)、盗賊は折伏される」と答える。王が「盗賊の折伏とは?」と尋ね、尊者が「死刑に処すべき者を死刑にする」と答えると、王は「如来は死刑を是認したのか?」と問い詰めた。尊者は「盗賊は自らの行為によって殺されたのであり(自業自得)、この折伏(処刑)に如来は関与せずその教戒は常に正しい」と答え、王も賛同してこの章が終わる。摂受の語意は「誉められる」、折伏は「高慢心の制御から盗賊の処刑まで」となる。尊者の答えから、仏は教戒して王は処罰する役割に分かれ、仏法と王法により正法を護持していく形が既に認められる。また「高慢心の制御」は自己折伏であり、ここに摂折の語意の原型を見ることができる。その後の『勝鬘経』では、摂折の目的は令法久住(法をして久しく住せしむ)で、それを「摂受(護持)正法」と呼ぶ。『勝鬘経義疏』には「重悪をば即ち勢力を以て折伏し、軽悪をば即ち道力を以て摂受す」とあり、勢力折伏(王法)と道力摂受(仏法)により正法を護る。これが摂折の布教の基本形となる。2024/06/16 19:57:514.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmGnxkN>尊者ナーガセーナよ、折伏とは、手を切り、足を切り、なぐり、しばり、拷問にかけ、死刑に処し、生命の存続を断つことです。>この言葉は、尊き師にふさわしくなく、また、尊き師は、この言葉を口にするにふさわしくありません>大王よ、しかしながら、如来が『折伏すべき者は折伏に値いし、摂受すべき者は摂受に値いす』と言われたのは、次のような意味からです。>大王よ、高慢心は折伏されるべく、卑下心はほめられるべく、不善心は折伏されるべく、善心はほめられるべきです。>正しい注意のないものは折伏されるべく、正しい注意はほめられるべきです。>よこしまな行ないをなすものは折伏されるべく、正しい行ないをなすものはほめられるべきです。>聖ならざる者は折伏されるべく、聖なる者はほめられるべきです。>盗賊は折伏されるべく、盗賊ならざる者はほめられるべきだからです。(『ミリンダ王の問い』2 中村元・早島鏡正訳、平凡社)2024/06/16 20:03:245.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmGnxkN(中外日報より引用)摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(1/2ページ)日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏2、天台教学による展開次の天台教学では、摂折を語句からでなく『法華経』と『涅槃経』の経説内容から解釈し、行門と教門とで意味を広げて論じられた。行門では『勝鬘経』の基本形を受け継ぎ、『法華経』が摂受、『涅槃経』が折伏となる。『法華経』安楽行品の「長短を称せず」を摂受、『涅槃経』の「刀杖を執持し乃至首を斬れ」を折伏として、「与・奪、途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」(『摩訶止観』)とする。折伏には、『涅槃経』の破戒者を呵責する覚徳比丘(仏法)とそれを武力で護る有徳王(王法)の話から、王の勢力折伏が配されている。しかし教門では、正直捨方便の教えの『法華経』は折伏(法華折伏破権門理)になり、諸門の方便を許す『涅槃経』は摂受(涅槃摂受更許権門)に配当されて、共に円教の大海に帰すとする。『法華文句』の「不軽品」註釈では、釈迦と不軽の説法が対比されている。釈迦の対告衆には過去世での法華経の善根(仏種)が有るので小乗教から説くが、不軽の対告衆には善根が無いため直ぐに法華経を強毒すべしという。その強説によって謗法者は善悪の両果を得て、謗る罪で堕悪するも、毒鼓の力で善の果報も獲得する。また湛然は『止観義例』で摂折を種熟脱の三益と逆化順化に関連させて論じている。そして『法華文句記』では不軽行を逆化として、不軽を謗る逆縁の者の方が順縁の者よりも功徳を得るとした。このように智顗と湛然は摂折の意味を広げ、折伏の解釈として不軽行を逆化と下種と毒鼓に結び、後に不軽行が逆縁下種の折伏行として解釈される論拠を整えた。だが、天台教学の円教の摂折論では「取捨宜しきを得て一向にすべからず」として摂折の妙用が基本となる。2024/06/16 20:05:066.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5c(中外日報より引用)摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(2/2ページ)日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏論2020年6月5日 09時21分3、日蓮仏教における摂折の意義日蓮聖人の摂折論は、天台の解釈を踏襲した上で、独自に「教機時国序」の五義判を導入し題目下種を強調、その教説を自ら生きた。すでに初期の1260(文応元)年5月の『唱法華題目抄』には教門(不軽品)が、また7月の『立正安国論』には行門(涅槃経)が示されていて、その概容をうかがうことができる。諫暁の書として上呈された『安国論』では、摂折の基本形となる『涅槃経』の王仏両輪での正法護持がテーマとなる。『唱法華題目抄』では天台の不軽強毒を引き、末法の今を「謗縁を結ぶべき時節」として、末法凡夫には逆縁により謗ぜしめて下種の功徳を与え、堕獄をへて成仏させるという「毒鼓の縁」を明らかにした。その後の龍口法難後の『転重軽受法門』では、「日蓮も又かくせめ(責)らるゝも先業なきにあらず」と述べ、「其罪畢已」の不軽の罪と滅罪に重ねて、毒鼓が招く法難が自らの罪を滅すると説く。この龍口法難をへて「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」と名のって、不軽の二十四字と題目の五字はこれ同じと宣べ、不軽行を末法逆縁のための題目下種行としていった。また『開目抄』の摂折段では不軽品を折伏としているが、『観心本尊抄』の摂折現行段では四菩薩が垂迹して、折伏を現ずる時は賢王と成り摂受を行ずる時は僧と成るとしている。この摂受の僧は覚徳であり不軽でもあるため、不軽行は摂折の両義にわたっている。最晩年の『諌暁八幡抄』では「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益これなり。各々我弟子等はげませ給へはげませ給へ」と述べ、説く自らも謗る強敵も共々に成仏に至らしめる不軽行を、末法広宣流布の行規と定めた。日蓮滅後には『立正安国論』中心に摂折が論じられたが、度々の法難で宗風は折伏主義から摂受主義になっていった。2024/06/17 07:33:237.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5c(前レス続き)4、近現代における摂折論その後、日本の近代化に沿って『安国論』中心に折伏主義を復活させたのは田中智学である。智学は『本化摂折論』を著し、摂折を超えた「超悉檀的折伏」の概念を示して、日蓮主義と名付けた折伏中心の教学を体系化した。その折伏は『宗門の維新』において「侵略的に信仰せよ、侵略的に学べよ」と説かれて、下種論としても侵略=折伏として使命化した。下種は救済であり、相手が嫌がるからこそ深層意識に下種できるとする折伏下種論は、まさに侵略的に帝国主義化を進める大日本帝国の建設に沿ったものだった。そして日本天皇を賢王として、本門戒壇建立と世界の道義的統一の実現を託していった。敗戦後においてその侵略的折伏を受け継いだのは、戦後民主主義を背景に折伏大行進を行った創価学会である。初期の『折伏教典』ではGHQのマッカーサーを日本の神々を叱り飛ばした賢王に見立て、「亡国は真の仏法発展の兆」として東洋への広宣流布を鼓舞した。その折伏の特徴は「宿命転換」と「王仏冥合」にある。宿命転換では、折伏で誹謗されれば今の悪運(罰)が消え福運が増すと現世利益を強調。政界進出すると王仏冥合と国立戒壇を掲げて、公明党と学会の王仏両輪を目指した。これは政教一致批判で頓挫するも、連立与党に入り穏然とその形を実現したといえよう。5、平成の摂折論争とその課題以上のように摂折は解釈されてきた。この流れを受け、今成師は『本尊抄』の摂折現行段を論拠に「日蓮聖人は(僧として)摂受による正法弘持を本懐として、不軽行を折伏としていない」と論じた。折伏を勢力折伏(暴力)に限定したその所論は、折伏立教を唱える門下から批判が集中したが、あらためて折伏と立正安国を考える画期的な機会となった。そこには「国家と宗教」「宗教と暴力」の問題があり、また近現代の折伏主義の克服の課題があった。しかし、論争は「不軽行は摂受か折伏か」が焦点になり、ついに僧を離れた「勢力折伏」の問題を論及せずに終わっている。今成師の所論の動機には、日蓮主義の克服と国際交流時代における折伏の否定があった。いま、様々な局面で共生と共存が未来への課題となる中で、今成師が提起した問題はまだ生きている。その課題を考えつくすことによって、今日の立正安国と日蓮思想の現代化が見えてくるのではないだろうか。2024/06/17 07:34:228.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5cこの理屈は面白いw>『唱法華題目抄』では天台の不軽強毒を引き、末法の今を「謗縁を結ぶべき時節」として、末法凡夫には逆縁により謗ぜしめて下種の功徳を与え、堕獄をへて成仏させるという「毒鼓の縁」を明らかにした。2024/06/17 08:14:039.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5cこういう理屈なのか(^o^;)下種は救済であり、相手が嫌がるからこそ深層意識に下種できるとする折伏下種論は、まさに侵略的に帝国主義化を進める大日本帝国の建設に沿ったものだった。そして日本天皇を賢王として、本門戒壇建立と世界の道義的統一の実現を託していった。2024/06/17 08:16:0010.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5cひたすら汗www (^o^;)初期の『折伏教典』ではGHQのマッカーサーを日本の神々を叱り飛ばした賢王に見立て、「亡国は真の仏法発展の兆」として東洋への広宣流布を鼓舞した。その折伏の特徴は「宿命転換」と「王仏冥合」にある。宿命転換では、折伏で誹謗されれば今の悪運(罰)が消え福運が増すと現世利益を強調。政界進出すると王仏冥合と国立戒壇を掲げて、公明党と学会の王仏両輪を目指した。これは政教一致批判で頓挫するも、連立与党に入り穏然とその形を実現したといえよう。2024/06/17 08:17:1911.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBuG5c法華折伏破権門理 >法華は折伏にして権門の理を破す。 >(『法華玄義』天台智顗)涅槃摂受更許権門 >涅槃は摂受にして更に権門を許す >(『法華玄義』天台智顗)毒鼓の縁 >同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒どっ鼓くの縁と成すべきか >(御書 p231) >毒薬を以て用ひて太鼓に塗り、大衆の中に於いて、之を撃ちて声を発さしむるが如し心に聞かんと欲する無しと雖いも、之を聞けば皆死す>(国訳・涅槃部1−204)下種 法を聞かせるというのが「聞法下種」 信受させるのが「発心下種」2024/06/17 08:36:2512.栖雲居士◆dqam8SqGUPdm8gm6T今の時代、折伏は如何なもの?ただでさえ宗教が叩かれ二世問題だのカルトだのと指弾されているのに。2024/07/03 00:52:3613.栖雲居士◆dqam8SqGUPdm8gm6T宗教問題が幾度か取沙汰される中で、さすがに昭和の頃のような常軌を逸した強引な勧誘は無くなりつつある様ですが、未だに強硬な勧誘行為を行う団体もある様ですね。もしそうした団体がこうした宗教掲示板で組織的な行動を取った時、我々はどの様に対応出来るのでしょうか。2024/07/03 21:03:0614.神も仏も名無しさんGgekm💩ジャイアン〜〜あらわれた〜🧟🧟🧟🧟🧟2024/07/03 21:47:0515.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBIQ3g折伏下種論~日蓮聞法下種論~最澄というか、聞法下種論というのは唯識の種子説由来でしょうね。2024/07/06 14:01:1416.神も仏も名無しさんCJJ4bナルシズムパワー〜〜🧟2024/07/06 14:19:3617.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBIQ3g我得力時(我れ力を得ん時)。於彼処見此衆生(彼々の処に於て此の衆生を見ば)。応折伏者而折伏之(応に折伏すべき者は之を折伏し)。応摂受者而摂受之(応に摂受すべき者は之を摂受せん。)。何以故(何を以ての故に)。以折伏摂受故令法久住(折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ)。『勝鬘師子吼一乘大方便方廣經(勝鬘経) 』よりいわゆる勝鬘経十受章と云われるもので、同経おける王妃の十項目の誓いを記したものと云われております。此の力とは「道力」の事を云うそうです(伝聖徳太子「勝鬘経義疏」~ 「力有二種。一勢力、二道力」)。或いは「授記」をされているということかもしれません。<参照>勝鬘師子吼 一乗大方便方広経高校生にもわかる大蔵経現代日本語訳プロジェクト大蔵経研究推進会議及び SAT 大蔵経テキストデータベース研究会https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/JT0353.pdf『勝鬘経』十受章について ―中国諸注釈書の異同―https://cir.nii.ac.jp/crid/10505642877018295042024/07/06 15:55:1818.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBIQ3ghttps://hokkeshu-kenkyusho.jp/pdf/22/%E6%A0%AA%E6%A9%8B%E9%9A%86%E7%9C%9F%E3%80%8C%E6%B3%95%E4%BD%93%E6%8A%98%E4%BC%8F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8D.pdf法体折伏について2024/07/06 15:57:1719.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmBIQ3g我力を得ん時とは、力に二種あり。一に勢力、二に道力なり。(中略)重悪は即ち勢力を以て折伏し、軽悪 は即ち道力を以て摂受す。悪を息め、善を修すれば即ち聖化久住す。伝聖徳太子「勝鬘経義疏」より力とは「勢力」と「道力」のようです。失礼しました。2024/07/06 16:01:4821.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmFluoE向こうが規制中ですので、取り敢えず法華経の問題について。難信難解については、以下の論文が参考になりました。 石川教道_法華経に示す難解の法の意味について https://rissho.repo.nii.ac.jp/records/11279難信は仏性の問題について、難解は増上慢の問題と云うことでありましょう。2024/07/08 10:59:0622.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmFluoE難信であろう仏性の問題については、現代日本の仏教理解においては、まぁ、表面上は問題ないように思われます。問題は難解であろう増上慢の問題でしょうね。自身を省みるのは勿論ですが、折伏の名の下に法華経を流布される方のほうが余程増上慢に見えるのは私だけでしょうか?2024/07/08 11:03:3323.神も仏も名無しさんwkAdvせいうんこバドルの準備のよーだ〜〜🧟2024/07/08 11:45:1324.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmFluoEさて、例えば小松原の法難について見てみると、法華経の信者故に念仏衆に襲われ、法華経を護持する故に一命を取り留めたと、解釈される趣がある訳です。しかし、「清澄寺大衆中」によると>故いかんとなれば、東条左衛門景信が悪人として清澄のかいしゝ等をかりとり、房々の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんとせいじょうの起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候ひしなり。此の事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。ってあるんです。よくある鎌倉時代にはよく見られた荘園領家と地頭との領地や施設を巡る争いに、日蓮さんが領家側に立って幕府に証人として立ち、その結果地頭側の襲撃を受け、運良く一命を取り留め>弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へと感慨するに至ったのでありましょう。2024/07/08 15:39:0725.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmgcOXiここで注目されるのは、日蓮が流罪に処せられたことを、「御勘気を被って(ここでは、かをほりて)」と述べている点である。日蓮は、別の箇所でも同じように述べ、御勘気ということばを使っている。また、佐渡への流罪について述べるときにも、やはり御勘気という言い方をしている。勘気とは、主君や父親から咎められることを意味する。勘当とも意味が共通するが、日蓮が御勘気と述べているところからすると、鎌倉幕府、あるいはそれを司る執権との関係は、幕府や執権が主で、日は従であることになる。そこでは、流罪に処した側に対する日蓮の不満や不信の念は示されていない。日蓮は、彼を流罪に処した側を決して批判してはいないのだ。日蓮の側に、そうした気持ちがあっても不思議ではない。だが、日蓮は、自分の処分に対して異議を申し立てることはなく、そのままそれを受け入れてしまっている。それはまるで、子どもが悪さをして親にられたとき、悪びれもせず、「られちゃった」と、舌でも出すときと似ている。鎌倉幕府は、日蓮にとって、親のような存在なのだろうか。そこには、日蓮の鎌倉幕府観、あるいは権力観が示されているようにも思われる。権力者には逆らえないという感覚があるようなのだ。2024/07/08 16:10:3026.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmgcOXiここで注目されるのは、日蓮が流罪に処せられたことを、「御勘気を被って(ここでは、かをほりて)」と述べている点である。日蓮は、別の箇所でも同じように述べ、御勘気ということばを使っている。また、佐渡への流罪について述べるときにも、やはり御勘気という言い方をしている。勘気とは、主君や父親から咎められることを意味する。勘当とも意味が共通するが、日蓮が御勘気と述べているところからすると、鎌倉幕府、あるいはそれを司る執権との関係は、幕府や執権が主で、日は従であることになる。そこでは、流罪に処した側に対する日蓮の不満や不信の念は示されていない。日蓮は、彼を流罪に処した側を決して批判してはいないのだ。日蓮の側に、そうした気持ちがあっても不思議ではない。だが、日蓮は、自分の処分に対して異議を申し立てることはなく、そのままそれを受け入れてしまっている。それはまるで、子どもが悪さをして親にられたとき、悪びれもせず、「叱られちゃった」と、舌でも出すときと似ている。鎌倉幕府は、日蓮にとって、親のような存在なのだろうか。そこには、日蓮の鎌倉幕府観、あるいは権力観が示されているようにも思われる。権力者には逆らえないという感覚があるようなのだ。(『ほんとうの日蓮』 島田裕巳 より)2024/07/08 16:12:1628.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmrUkfw******チェック(07/18)*******見るべき内容無し。2024/07/18 03:19:5330.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmoK1qG****チェック(08/02)**** 見るべき内容無し。*****************2024/08/02 09:13:2431.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmd0EFY****チェック(10/28)****2024/10/28 09:50:49
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+6331174.72024/11/21 23:31:38
トークが出来た勢いで変なのも向こうからやってきて大分嫌がらせをされましたけど、最近は変なのが大分消えたので、本来の趣旨に沿って本スレや他のスレでの考察を進めていこうと思います。
於彼処見此衆生(彼々の処に於て此の衆生を見ば)。
応折伏者而折伏之(応に折伏すべき者は之を折伏し)。
応摂受者而摂受之(応に摂受すべき者は之を摂受せん。)。
何以故(何を以ての故に)。
以折伏摂受故令法久住(折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ)。
『勝鬘師子吼一乘大方便方廣經(勝鬘経) 』より
摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(1/2ページ)
日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏
1、初期の経典からの解釈
教化法としての摂受・折伏の初出は、『ミリンダ王の問い』(1世紀頃)の「折伏の意義」の章となる。この章はミリンダ王が尊者ナーガセーナに「他人を害せず親切なれと教える如来が、折伏すべき者は折伏し摂受すべき者は摂受せよとも言われる。折伏とは折檻し死刑に処し命を断つことであり、如来の言葉に相応しくない」と問うことから始まっている。
尊者は「人を害せずは不変の教戒だが、高慢心は折伏され、卑下心は誉められ(摂受)、盗賊は折伏される」と答える。王が「盗賊の折伏とは?」と尋ね、尊者が「死刑に処すべき者を死刑にする」と答えると、王は「如来は死刑を是認したのか?」と問い詰めた。尊者は「盗賊は自らの行為によって殺されたのであり(自業自得)、この折伏(処刑)に如来は関与せずその教戒は常に正しい」と答え、王も賛同してこの章が終わる。
摂受の語意は「誉められる」、折伏は「高慢心の制御から盗賊の処刑まで」となる。尊者の答えから、仏は教戒して王は処罰する役割に分かれ、仏法と王法により正法を護持していく形が既に認められる。また「高慢心の制御」は自己折伏であり、ここに摂折の語意の原型を見ることができる。
その後の『勝鬘経』では、摂折の目的は令法久住(法をして久しく住せしむ)で、それを「摂受(護持)正法」と呼ぶ。『勝鬘経義疏』には「重悪をば即ち勢力を以て折伏し、軽悪をば即ち道力を以て摂受す」とあり、勢力折伏(王法)と道力摂受(仏法)により正法を護る。これが摂折の布教の基本形となる。
>この言葉は、尊き師にふさわしくなく、また、尊き師は、この言葉を口にするにふさわしくありません
>大王よ、しかしながら、如来が『折伏すべき者は折伏に値いし、摂受すべき者は摂受に値いす』と言われたのは、次のような意味からです。
>大王よ、高慢心は折伏されるべく、卑下心はほめられるべく、不善心は折伏されるべく、善心はほめられるべきです。
>正しい注意のないものは折伏されるべく、正しい注意はほめられるべきです。
>よこしまな行ないをなすものは折伏されるべく、正しい行ないをなすものはほめられるべきです。
>聖ならざる者は折伏されるべく、聖なる者はほめられるべきです。
>盗賊は折伏されるべく、盗賊ならざる者はほめられるべきだからです。
(『ミリンダ王の問い』2 中村元・早島鏡正訳、平凡社)
摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(1/2ページ)
日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏
2、天台教学による展開
次の天台教学では、摂折を語句からでなく『法華経』と『涅槃経』の経説内容から解釈し、行門と教門とで意味を広げて論じられた。
行門では『勝鬘経』の基本形を受け継ぎ、『法華経』が摂受、『涅槃経』が折伏となる。『法華経』安楽行品の「長短を称せず」を摂受、『涅槃経』の「刀杖を執持し乃至首を斬れ」を折伏として、「与・奪、途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」(『摩訶止観』)とする。折伏には、『涅槃経』の破戒者を呵責する覚徳比丘(仏法)とそれを武力で護る有徳王(王法)の話から、王の勢力折伏が配されている。
しかし教門では、正直捨方便の教えの『法華経』は折伏(法華折伏破権門理)になり、諸門の方便を許す『涅槃経』は摂受(涅槃摂受更許権門)に配当されて、共に円教の大海に帰すとする。
『法華文句』の「不軽品」註釈では、釈迦と不軽の説法が対比されている。釈迦の対告衆には過去世での法華経の善根(仏種)が有るので小乗教から説くが、不軽の対告衆には善根が無いため直ぐに法華経を強毒すべしという。その強説によって謗法者は善悪の両果を得て、謗る罪で堕悪するも、毒鼓の力で善の果報も獲得する。
また湛然は『止観義例』で摂折を種熟脱の三益と逆化順化に関連させて論じている。そして『法華文句記』では不軽行を逆化として、不軽を謗る逆縁の者の方が順縁の者よりも功徳を得るとした。
このように智顗と湛然は摂折の意味を広げ、折伏の解釈として不軽行を逆化と下種と毒鼓に結び、後に不軽行が逆縁下種の折伏行として解釈される論拠を整えた。だが、天台教学の円教の摂折論では「取捨宜しきを得て一向にすべからず」として摂折の妙用が基本となる。
摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(2/2ページ)
日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏
論2020年6月5日 09時21分
3、日蓮仏教における摂折の意義
日蓮聖人の摂折論は、天台の解釈を踏襲した上で、独自に「教機時国序」の五義判を導入し題目下種を強調、その教説を自ら生きた。
すでに初期の1260(文応元)年5月の『唱法華題目抄』には教門(不軽品)が、また7月の『立正安国論』には行門(涅槃経)が示されていて、その概容をうかがうことができる。
諫暁の書として上呈された『安国論』では、摂折の基本形となる『涅槃経』の王仏両輪での正法護持がテーマとなる。『唱法華題目抄』では天台の不軽強毒を引き、末法の今を「謗縁を結ぶべき時節」として、末法凡夫には逆縁により謗ぜしめて下種の功徳を与え、堕獄をへて成仏させるという「毒鼓の縁」を明らかにした。
その後の龍口法難後の『転重軽受法門』では、「日蓮も又かくせめ(責)らるゝも先業なきにあらず」と述べ、「其罪畢已」の不軽の罪と滅罪に重ねて、毒鼓が招く法難が自らの罪を滅すると説く。
この龍口法難をへて「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」と名のって、不軽の二十四字と題目の五字はこれ同じと宣べ、不軽行を末法逆縁のための題目下種行としていった。
また『開目抄』の摂折段では不軽品を折伏としているが、『観心本尊抄』の摂折現行段では四菩薩が垂迹して、折伏を現ずる時は賢王と成り摂受を行ずる時は僧と成るとしている。この摂受の僧は覚徳であり不軽でもあるため、不軽行は摂折の両義にわたっている。
最晩年の『諌暁八幡抄』では「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益これなり。各々我弟子等はげませ給へはげませ給へ」と述べ、説く自らも謗る強敵も共々に成仏に至らしめる不軽行を、末法広宣流布の行規と定めた。
日蓮滅後には『立正安国論』中心に摂折が論じられたが、度々の法難で宗風は折伏主義から摂受主義になっていった。
4、近現代における摂折論
その後、日本の近代化に沿って『安国論』中心に折伏主義を復活させたのは田中智学である。智学は『本化摂折論』を著し、摂折を超えた「超悉檀的折伏」の概念を示して、日蓮主義と名付けた折伏中心の教学を体系化した。
その折伏は『宗門の維新』において「侵略的に信仰せよ、侵略的に学べよ」と説かれて、下種論としても侵略=折伏として使命化した。下種は救済であり、相手が嫌がるからこそ深層意識に下種できるとする折伏下種論は、まさに侵略的に帝国主義化を進める大日本帝国の建設に沿ったものだった。そして日本天皇を賢王として、本門戒壇建立と世界の道義的統一の実現を託していった。
敗戦後においてその侵略的折伏を受け継いだのは、戦後民主主義を背景に折伏大行進を行った創価学会である。初期の『折伏教典』ではGHQのマッカーサーを日本の神々を叱り飛ばした賢王に見立て、「亡国は真の仏法発展の兆」として東洋への広宣流布を鼓舞した。その折伏の特徴は「宿命転換」と「王仏冥合」にある。
宿命転換では、折伏で誹謗されれば今の悪運(罰)が消え福運が増すと現世利益を強調。政界進出すると王仏冥合と国立戒壇を掲げて、公明党と学会の王仏両輪を目指した。これは政教一致批判で頓挫するも、連立与党に入り穏然とその形を実現したといえよう。
5、平成の摂折論争とその課題
以上のように摂折は解釈されてきた。この流れを受け、今成師は『本尊抄』の摂折現行段を論拠に「日蓮聖人は(僧として)摂受による正法弘持を本懐として、不軽行を折伏としていない」と論じた。折伏を勢力折伏(暴力)に限定したその所論は、折伏立教を唱える門下から批判が集中したが、あらためて折伏と立正安国を考える画期的な機会となった。
そこには「国家と宗教」「宗教と暴力」の問題があり、また近現代の折伏主義の克服の課題があった。しかし、論争は「不軽行は摂受か折伏か」が焦点になり、ついに僧を離れた「勢力折伏」の問題を論及せずに終わっている。
今成師の所論の動機には、日蓮主義の克服と国際交流時代における折伏の否定があった。いま、様々な局面で共生と共存が未来への課題となる中で、今成師が提起した問題はまだ生きている。その課題を考えつくすことによって、今日の立正安国と日蓮思想の現代化が見えてくるのではないだろうか。
>『唱法華題目抄』では天台の不軽強毒を引き、末法の今を「謗縁を結ぶべき時節」として、末法凡夫には逆縁により謗ぜしめて下種の功徳を与え、堕獄をへて成仏させるという「毒鼓の縁」を明らかにした。
下種は救済であり、相手が嫌がるからこそ深層意識に下種できるとする折伏下種論は、まさに侵略的に帝国主義化を進める大日本帝国の建設に沿ったものだった。そして日本天皇を賢王として、本門戒壇建立と世界の道義的統一の実現を託していった。
初期の『折伏教典』ではGHQのマッカーサーを日本の神々を叱り飛ばした賢王に見立て、「亡国は真の仏法発展の兆」として東洋への広宣流布を鼓舞した。その折伏の特徴は「宿命転換」と「王仏冥合」にある。
宿命転換では、折伏で誹謗されれば今の悪運(罰)が消え福運が増すと現世利益を強調。政界進出すると王仏冥合と国立戒壇を掲げて、公明党と学会の王仏両輪を目指した。これは政教一致批判で頓挫するも、連立与党に入り穏然とその形を実現したといえよう。
>法華は折伏にして権門の理を破す。
>(『法華玄義』天台智顗)
涅槃摂受更許権門
>涅槃は摂受にして更に権門を許す
>(『法華玄義』天台智顗)
毒鼓の縁
>同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒どっ鼓くの縁と成すべきか
>(御書 p231)
>毒薬を以て用ひて太鼓に塗り、大衆の中に於いて、之を撃ちて声を発さしむるが如し心に聞かんと欲する無しと雖いも、之を聞けば皆死す
>(国訳・涅槃部1−204)
下種
法を聞かせるというのが「聞法下種」
信受させるのが「発心下種」
ただでさえ宗教が叩かれ二世問題だのカルトだのと指弾されているのに。
もしそうした団体がこうした宗教掲示板で組織的な行動を取った時、我々はどの様に対応出来るのでしょうか。
あらわれた〜
🧟🧟🧟🧟🧟
聞法下種論~最澄
というか、聞法下種論というのは唯識の種子説由来でしょうね。
🧟
於彼処見此衆生(彼々の処に於て此の衆生を見ば)。
応折伏者而折伏之(応に折伏すべき者は之を折伏し)。
応摂受者而摂受之(応に摂受すべき者は之を摂受せん。)。
何以故(何を以ての故に)。
以折伏摂受故令法久住(折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ)。
『勝鬘師子吼一乘大方便方廣經(勝鬘経) 』より
いわゆる勝鬘経十受章と云われるもので、同経おける王妃の十項目の誓いを記したものと云われております。
此の力とは「道力」の事を云うそうです(伝聖徳太子「勝鬘経義疏」~ 「力有二種。一勢力、二道力」)。
或いは「授記」をされているということかもしれません。
<参照>
勝鬘師子吼 一乗大方便方広経
高校生にもわかる大蔵経現代日本語訳プロジェクト
大蔵経研究推進会議及び SAT 大蔵経テキストデータベース研究会
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/JT0353.pdf
『勝鬘経』十受章について ―中国諸注釈書の異同―
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050564287701829504
法体折伏について
伝聖徳太子「勝鬘経義疏」より
力とは「勢力」と「道力」のようです。
失礼しました。
難信難解については、以下の論文が参考になりました。
石川教道_法華経に示す難解の法の意味について
https://rissho.repo.nii.ac.jp/records/11279
難信は仏性の問題について、難解は増上慢の問題と云うことでありましょう。
問題は難解であろう増上慢の問題でしょうね。
自身を省みるのは勿論ですが、折伏の名の下に法華経を流布される方のほうが余程増上慢に見えるのは私だけでしょうか?
準備の
よーだ〜〜
🧟
しかし、「清澄寺大衆中」によると
>故いかんとなれば、東条左衛門景信が悪人として清澄のかいしゝ等をかりとり、房々の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんとせいじょうの起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候ひしなり。此の事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。
ってあるんです。
よくある鎌倉時代にはよく見られた荘園領家と地頭との領地や施設を巡る争いに、日蓮さんが領家側に立って幕府に証人として立ち、その結果地頭側の襲撃を受け、運良く一命を取り留め
>弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ
と感慨するに至ったのでありましょう。
日蓮は、別の箇所でも同じように述べ、御勘気ということばを使っている。また、佐渡への流罪について述べるときにも、やはり御勘気という言い方をしている。
勘気とは、主君や父親から咎められることを意味する。
勘当とも意味が共通するが、日蓮が御勘気と述べているところからすると、鎌倉幕府、あるいはそれを司る執権との関係は、幕府や執権が主で、日は従であることになる。
そこでは、流罪に処した側に対する日蓮の不満や不信の念は示されていない。
日蓮は、彼を流罪に処した側を決して批判してはいないのだ。
日蓮の側に、そうした気持ちがあっても不思議ではない。
だが、日蓮は、自分の処分に対して異議を申し立てることはなく、そのままそれを受け入れてしまっている。
それはまるで、子どもが悪さをして親にられたとき、悪びれもせず、「られちゃった」と、舌でも出すときと似ている。
鎌倉幕府は、日蓮にとって、親のような存在なのだろうか。
そこには、日蓮の鎌倉幕府観、あるいは権力観が示されているようにも思われる。
権力者には逆らえないという感覚があるようなのだ。
日蓮は、別の箇所でも同じように述べ、御勘気ということばを使っている。また、佐渡への流罪について述べるときにも、やはり御勘気という言い方をしている。
勘気とは、主君や父親から咎められることを意味する。
勘当とも意味が共通するが、日蓮が御勘気と述べているところからすると、鎌倉幕府、あるいはそれを司る執権との関係は、幕府や執権が主で、日は従であることになる。
そこでは、流罪に処した側に対する日蓮の不満や不信の念は示されていない。
日蓮は、彼を流罪に処した側を決して批判してはいないのだ。
日蓮の側に、そうした気持ちがあっても不思議ではない。
だが、日蓮は、自分の処分に対して異議を申し立てることはなく、そのままそれを受け入れてしまっている。
それはまるで、子どもが悪さをして親にられたとき、悪びれもせず、「叱られちゃった」と、舌でも出すときと似ている。
鎌倉幕府は、日蓮にとって、親のような存在なのだろうか。
そこには、日蓮の鎌倉幕府観、あるいは権力観が示されているようにも思われる。
権力者には逆らえないという感覚があるようなのだ。
(『ほんとうの日蓮』 島田裕巳 より)
見るべき内容無し。
見るべき内容無し。
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