新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2024/11/21 05:521.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36239コメント欄へ移動すべて|最新の50件190.神も仏も名無しさんdAkLK3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑教えを信じない人を下に見る信者の態度は、霊感商法型の新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しではないか。2024/10/03 05:46:12191.神も仏も名無しさんlPPHp4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑檀家を大事にすることを言われるが、仏壇に涅槃像や教祖一家が祀られていたら気をつけたほうが良い。2024/10/04 05:48:23192.神も仏も名無しさん4IW7M5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑日々教えになぞらえて事象を見ても、その根拠が霊感商法の言葉であることき気づけなければ、教えに示される因縁が深まってしまうだろう。2024/10/05 07:25:02193.神も仏も名無しさんWGPFT6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑霊感の言葉が根拠の教えを人に信じさせなければならないので、密教だから多くを言えないと言い、教団施設に連れて行って多くの洗脳手法に触れさせようとする。それは偽りではないか。2024/10/06 06:18:04194.神も仏も名無しさんQbU737 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑霊感の後から取ってつけた言葉で教えの為に実践させようとする。霊感の言葉に追い詰められた信者の勧誘はえげつない。2024/10/07 05:49:37195.神も仏も名無しさん2vMrb8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑霊感の言葉で塗り固められた教えは否定され、自分もそれに気づいてしまうことがある。信者はそれを恐れて否定されると逆ギレするのである。2024/10/08 05:56:29196.神も仏も名無しさん6xaKu9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑自分の信仰を信じない怒りが信者から向けられる。教えがあったから耐えられたのではなく、教えをやっていれば何をしても許されるという勘違いが自分の信仰を貶めるのである。2024/10/09 05:51:27197.神も仏も名無しさんRVEge10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑霊感の言葉で世間は危険と暗示して教団施設を安全と思わせる。しかし、信教の自由の信じない自由を侵してまでも人を勧誘しなければならないねずみ講の教えでもある。2024/10/10 05:15:57198.神も仏も名無しさん4gxdn11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑霊言によって示されるものは霊感商法の手法によって後からどうとでも言えることである。その魅力はおばちゃん信者を動かす。2024/10/11 05:34:22199.神も仏も名無しさんzRLZU12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑他の為にこの教えのお力を繋ぐ。しかし、そのお力は霊感の言葉で個人ごとにこじつけられたものである。2024/10/12 06:53:08200.神も仏も名無しさんzMkEq13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑吉凶も行いの良し悪しも霊感の言葉で決められる。それは、そこら辺のおばちゃん指導者でもその人にこじつけて発することができる。良ければ教えのお陰、悪ければ取り組みが足りない。2024/10/13 07:31:48201.神も仏も名無しさんYcWnp14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑霊感の言葉で信じさせられたお力に執着すると、勧誘などの取り組みをしないとお力が続かないと心を揺さぶられ、負のスパイラルに陥っていく。2024/10/14 06:36:03202.神も仏も名無しさんfMIbA15 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海の如きみ法にあいまつり 常楽我浄と知るも尊し【教主注釈】すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。↑洗脳やマインド・コントロール、霊感商法などあらゆる手法を携えて、大海に見立てた総合的手法が使われている。2024/10/15 05:29:26203.神も仏も名無しさん1inhY16 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自らの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。↑教えの指導者や教義に疑問を持ち、その霊感商法をはじめとした手法に違和感を感じることは大事である。教えを信じない人を否定ばかりしていては世間での居場所が無くなるだろう。2024/10/16 05:53:31204.神も仏も名無しさんoZOLF17 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑信者が喜べるのは教えの為にしてお力を頂いていると思える時である。その為に人の信じない自由を侵害して悲しませることも辞さない。2024/10/17 05:51:30205.神も仏も名無しさんhlejY18 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑霊位が上がると呵責に耐えられると自慢する信者。それは洗脳が進んで教えから離れられないだけなのであるが。2024/10/18 05:48:13206.神も仏も名無しさんjyTG419 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】権威をば振るってなせる教化には 形成りても実(じつ)は少なし【教主注釈】自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。↑この教えは信者が平然と行っていることを指摘するが、信者は自分が行っていることと気付けないのが洗脳である。2024/10/19 10:51:02207.神も仏も名無しさん3uFDe20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑教え通りに歩んでいくと、お力によるご利益が得られたと霊感の誰にでも当てはまる言葉で信じさせられるだけである。2024/10/20 07:00:57208.神も仏も名無しさん3UIjV21 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】善友に近よることはよけれども 愚人の交際絶たばなおよし【教主注釈】涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。↑勧誘時には甘い言葉ですり寄るが、信じなかったり教えを辞めると「堕ちた人」として隔離しようとする。信者は自分も疑ってお力が流れなくなるのを恐れるのである。2024/10/21 05:50:58209.神も仏も名無しさん0E0li22 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは 今を機会と知るも尊し【教主注釈】機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。↑今ここでお力をもらうために勧誘に踏み切る。そう促されて社会的信用を失うねずみ講の教えである。2024/10/22 05:51:13210.神も仏も名無しさんFk0Vf23 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住のみ佛さまを慕いつつ 仕うる人ぞたのものしきかな【教主注釈】常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。↑教団施設では同類の人と明るくなるが、日常では信じない人の前で不機嫌を示して不満をぶつける。それで私の信じる教えを正しいと思ってもらえるはずがない。2024/10/23 05:48:26211.神も仏も名無しさん2Eah824 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】お済度は父母を救ける心にて 説けよ苑人これぞ道なり【教主注釈】お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。↑教えに示された教祖夫婦にみたてられた理想の親は探し求めてしたものと思う人もいるのだろう。様々な逸話があったとしても。2024/10/24 05:22:22212.神も仏も名無しさんNCG8j25 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓喜積みお救けこそは積み磨き 奉仕は磨く徳と知れ人【教主注釈】歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。↑信者は霊感の言葉で示された霊の仕業による因縁を示され、それに霊感の言葉に示されるように取り組む。それが悪因縁が積まれる構図である。2024/10/25 05:21:53213.神も仏も名無しさん6BHXL26 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】他のために言葉やわらげ教ゆるは 菩提(めばえ)育てのまことなりけり【教主注釈】聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。↑カルト教団施設に行くと歓迎され、ラブシャワーを浴びる。そして、抜けられなくなったら厳しくされても辞められなくなるのである。2024/10/26 07:06:21214.神も仏も名無しさん2AQI127 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】道に外れあゆむが故に事故起し 後の後悔先には立たず【教主注釈】教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。↑教えの為かどうかだけ後付けの言葉で示されて、従わないと悪いことが起こると恐怖心を与えられる。それでは判断力も鈍り、事故も起こるだろう。それも教えのお陰でこれくらいで済んだと言われるのである。2024/10/27 04:11:44215.神も仏も名無しさんkHQwD28 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて 歓喜世界の出現(いず)る時まで【教主注釈】信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。↑一生かけてカルトに騙される人は心のクセがある。それを霊感の教えの言葉で指摘され続けて無限ループに陥るのである。2024/10/28 10:56:05216.神も仏も名無しさんcV3ID29 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大乗の道も炭火と同じなれ 三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ【教主注釈】信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。↑集団圧力はAだと思っていても皆がBだと言うと自分もBだと思わなければならないと誘導される。それもマインド・コントロールの一手口である。2024/10/29 05:01:17217.神も仏も名無しさんFo7y630 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば それ、それ自体が真理(みち)に叶わん【教主注釈】怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。↑勧誘すれば批判される。正しい教えだから批判されるなどあり得ない。2024/10/30 05:47:36218.神も仏も名無しさんfKsK831 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】言うがごと行うがごとく言(こと)示せ 茲(ここ)に一如の救いあるなり【教主注釈】不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。↑人に教えの取り組みに関して集会で集団圧力を用いて宣言させておいて実行させようとする。2024/10/31 05:41:36219.神も仏も名無しさんCmXdq1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑真如教徒から感じられる選民意識による傲慢さは、その教義の霊感商法性を見るとバカらしく見える。2024/11/01 05:51:08220.神も仏も名無しさんeybWa2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑解散命令請求される教団と同じ霊感商法を使うのだから、勧誘すれば悪く言われるのは当然である。2024/11/02 08:09:00221.神も仏も名無しさんwNMFC3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑相手の事を我が身と思って祈るのであるが、自分との境界が曖昧となって人の信心の侵害もするし、自分の心も操られるようになるのである。2024/11/03 05:26:25222.神も仏も名無しさんToCYU4 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑教団施設や教えの集まりにしか居場所がなくなったとき、霊感商法やねずみ講の教えを否定されることを恐れて暮らすのである。2024/11/04 06:23:14223.神も仏も名無しさんEx31Q5 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑経典がどうこうではなく、霊を持ち出す手法が世間で注目される教団と同じなのである。2024/11/05 05:48:20224.神も仏も名無しさんXyiWf6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。2024/11/06 05:11:47225.神も仏も名無しさん79NLU7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。2024/11/07 05:16:29226.神も仏も名無しさん0RQ3r8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。2024/11/08 05:48:38227.神も仏も名無しさんRvQXH9 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。2024/11/09 07:46:56228.神も仏も名無しさんWuZ1w10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。2024/11/10 08:01:52229.神も仏も名無しさんxTDOm11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。2024/11/11 05:47:52230.神も仏も名無しさんto6uI12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。2024/11/12 05:28:45231.神も仏も名無しさんbTA6h13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。2024/11/13 05:40:08232.神も仏も名無しさんTZ0jV14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。2024/11/14 05:51:28233.神も仏も名無しさんIEaAw15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。2024/11/15 05:11:39234.神も仏も名無しさんSlqek16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。2024/11/16 06:58:14235.神も仏も名無しさんf1QJL17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。2024/11/17 07:09:13236.神も仏も名無しさん1kGYZ18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。2024/11/18 05:39:42237.神も仏も名無しさん2uoxG19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。2024/11/19 05:13:24238.神も仏も名無しさんt2e8220 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。2024/11/20 05:47:47239.神も仏も名無しさん5M9V721 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。2024/11/21 05:52:52
【国民民主党】玉木代表 加熱する不倫報道に「家族の心理的負担は極めて大きい」「テレビや週刊誌やネットも見てしまって、その都度傷ついている」ニュース速報+312641.42024/11/21 18:51:27
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+5321570.12024/11/21 18:49:51
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
教えを信じない人を下に見る信者の態度は、霊感商法型の新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しではないか。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家を大事にすることを言われるが、仏壇に涅槃像や教祖一家が祀られていたら気をつけたほうが良い。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
日々教えになぞらえて事象を見ても、その根拠が霊感商法の言葉であることき気づけなければ、教えに示される因縁が深まってしまうだろう。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
霊感の言葉が根拠の教えを人に信じさせなければならないので、密教だから多くを言えないと言い、教団施設に連れて行って多くの洗脳手法に触れさせようとする。それは偽りではないか。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
霊感の後から取ってつけた言葉で教えの為に実践させようとする。霊感の言葉に追い詰められた信者の勧誘はえげつない。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
霊感の言葉で塗り固められた教えは否定され、自分もそれに気づいてしまうことがある。信者はそれを恐れて否定されると逆ギレするのである。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
自分の信仰を信じない怒りが信者から向けられる。教えがあったから耐えられたのではなく、教えをやっていれば何をしても許されるという勘違いが自分の信仰を貶めるのである。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
霊感の言葉で世間は危険と暗示して教団施設を安全と思わせる。しかし、信教の自由の信じない自由を侵してまでも人を勧誘しなければならないねずみ講の教えでもある。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊言によって示されるものは霊感商法の手法によって後からどうとでも言えることである。その魅力はおばちゃん信者を動かす。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
他の為にこの教えのお力を繋ぐ。しかし、そのお力は霊感の言葉で個人ごとにこじつけられたものである。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
吉凶も行いの良し悪しも霊感の言葉で決められる。それは、そこら辺のおばちゃん指導者でもその人にこじつけて発することができる。良ければ教えのお陰、悪ければ取り組みが足りない。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
霊感の言葉で信じさせられたお力に執着すると、勧誘などの取り組みをしないとお力が続かないと心を揺さぶられ、負のスパイラルに陥っていく。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
洗脳やマインド・コントロール、霊感商法などあらゆる手法を携えて、大海に見立てた総合的手法が使われている。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えの指導者や教義に疑問を持ち、その霊感商法をはじめとした手法に違和感を感じることは大事である。教えを信じない人を否定ばかりしていては世間での居場所が無くなるだろう。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
信者が喜べるのは教えの為にしてお力を頂いていると思える時である。その為に人の信じない自由を侵害して悲しませることも辞さない。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
霊位が上がると呵責に耐えられると自慢する信者。それは洗脳が進んで教えから離れられないだけなのであるが。
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
この教えは信者が平然と行っていることを指摘するが、信者は自分が行っていることと気付けないのが洗脳である。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
教え通りに歩んでいくと、お力によるご利益が得られたと霊感の誰にでも当てはまる言葉で信じさせられるだけである。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
勧誘時には甘い言葉ですり寄るが、信じなかったり教えを辞めると「堕ちた人」として隔離しようとする。信者は自分も疑ってお力が流れなくなるのを恐れるのである。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今ここでお力をもらうために勧誘に踏み切る。そう促されて社会的信用を失うねずみ講の教えである。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
教団施設では同類の人と明るくなるが、日常では信じない人の前で不機嫌を示して不満をぶつける。それで私の信じる教えを正しいと思ってもらえるはずがない。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
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教えに示された教祖夫婦にみたてられた理想の親は探し求めてしたものと思う人もいるのだろう。様々な逸話があったとしても。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
信者は霊感の言葉で示された霊の仕業による因縁を示され、それに霊感の言葉に示されるように取り組む。それが悪因縁が積まれる構図である。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
カルト教団施設に行くと歓迎され、ラブシャワーを浴びる。そして、抜けられなくなったら厳しくされても辞められなくなるのである。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
教えの為かどうかだけ後付けの言葉で示されて、従わないと悪いことが起こると恐怖心を与えられる。それでは判断力も鈍り、事故も起こるだろう。それも教えのお陰でこれくらいで済んだと言われるのである。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
一生かけてカルトに騙される人は心のクセがある。それを霊感の教えの言葉で指摘され続けて無限ループに陥るのである。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
集団圧力はAだと思っていても皆がBだと言うと自分もBだと思わなければならないと誘導される。それもマインド・コントロールの一手口である。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
勧誘すれば批判される。正しい教えだから批判されるなどあり得ない。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
人に教えの取り組みに関して集会で集団圧力を用いて宣言させておいて実行させようとする。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
真如教徒から感じられる選民意識による傲慢さは、その教義の霊感商法性を見るとバカらしく見える。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
解散命令請求される教団と同じ霊感商法を使うのだから、勧誘すれば悪く言われるのは当然である。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
相手の事を我が身と思って祈るのであるが、自分との境界が曖昧となって人の信心の侵害もするし、自分の心も操られるようになるのである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
教団施設や教えの集まりにしか居場所がなくなったとき、霊感商法やねずみ講の教えを否定されることを恐れて暮らすのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
経典がどうこうではなく、霊を持ち出す手法が世間で注目される教団と同じなのである。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
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日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。
そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。