新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/01/18 06:251.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36295コメント欄へ移動すべて|最新の50件246.神も仏も名無しさん4WI7t29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑教えに触れて浄まっていると思う信者が霊感商法やねずみ講の様な悪徳商法の手口を宗教活動であると思って実践しているから、汚れを感じさせるのである。2024/11/29 06:05:02247.神も仏も名無しさん6pSGu30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑仏教の裏で霊感商法やねずみ講の取り組みがされている。それは仏教を隠れ蓑としているということである。2024/11/30 07:11:24248.神も仏も名無しさん8Hc7k1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑教えが求めるのは教えに人、金、労力をもたらす人であるだから仕事中も教えに準えて考えるように洗脳されるのである。2024/12/01 07:44:13249.神も仏も名無しさんaqtND2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑学ぶのは教祖一家の苦難のストーリーでその裏のストーリーは隠されている。教えの手口も同様に隠されている。2024/12/02 05:59:57250.神も仏も名無しさんEbyDw3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑教えに従って実践することで悟りが得られると言われる。それは霊感商法の手法で勧誘、無償労働、献金をすることである。2024/12/03 05:43:57251.神も仏も名無しさんutyuv4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑他の教えの報謝はお力の代償を求められると否定しておいて、この教えのお力が特別であると洗脳して心から献金させる。その根拠は霊を持ち出した因縁による霊感商法である。2024/12/04 05:22:41252.神も仏も名無しさんNOc6a5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教えの為に欲を捨てる。それは、霊感の言葉が根拠のお力を求める欲に置き換えられるだけである。2024/12/05 05:52:48253.神も仏も名無しさんFafWl形式は必ず内容を伴ってこその形式美であると思う。鏡は本質ではないよ。美は 分別だから 不要だよね。わたしに、わたしが無いので、美も無いのよね。頭の中と行動が一致するよう、にと思うんだよね。デフィカルト だけれども死んでます 日々。わたしに 悪心が、良心が無く、したがって、もとの こころがありません。自由とは 主人公、主体性 を言いますが。私もあなたもないもとから ないものを どうやって。わたしに 分別心 は無い。中でも、外でも、生きたり、死んだり してる。あるがままも ないんですよ。瞬間は 常に 移り変わっていますから これが瞬間だと とらえられmなせん。無学で 無知 のわたしなんですけどね。満ち足りています。求めません。べきものは ないですね。なにも しない。くりかえしになりますが、 自由とは、主人公、主体性ですよ。毒物、劇物には致死量がある。致死量があるものを毒劇物という。致死量をずんずん、どbんどん、少量にして薬効量にしたものを薬、という。薬の薬効量をとてつもなく薄めたものを、食品、健康食品という。その効果があるものはつまりは、致死量を薄めて、薬効量の範囲で薬品としたもので、不必要なものは絶対に摂取してはならない。つまりは服毒自殺をしていることになる。だが、やまいであれば、いたし方が無い。病中は、服薬し、健康が戻れば、直ちに中止する。水を三日のまなければ、死ぬ、のだから生殺与奪の権は我にある。ノットディフィカルトである。服毒自殺を 勧めてはならない。しかし、闘病とは、毒を以て毒を制すべし。なのである。病気の時は、病人である。病気でなければ、病人ではない。病人でなければ、服毒自殺うぇおしてはならない。2024/12/05 17:00:41254.神も仏も名無しさんvGEAS6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑はからいはこの教えへの疑いである。人に対して後ろめたい取り組みをして、世間での居場所が無くなると、この教えの輪の中で洗脳されていくのである。2024/12/06 06:02:25255.神も仏も名無しさん5ogy77 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦も喜びも教えのお陰にされる。霊感の言葉で。2024/12/07 07:19:09256.神も仏も名無しさんEa67a8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑教えを信じる、信じないで人を判断して徳がある、なしで攻撃的にもなるのが信者の行動パターンである。2024/12/08 07:27:45257.神も仏も名無しさんyPFIG9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑それは勧誘の実践に信者を取り組ませる方便である。2024/12/09 05:52:11258.神も仏も名無しさん16v8Z10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑世の中を危険な場所と思わせて、教団施設内の地位を求めさせようとする。霊感の言葉が根拠である。2024/12/10 05:50:35259.神も仏も名無しさんIYbaH11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑この教えに力の限りを尽くすほど洗脳されることは、その手法を知ると無駄なことと分かる。2024/12/11 06:38:39260.神も仏も名無しさん46i8o12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑他が為に身を捧げているようで、実は教えの為に勧誘しようとしている。霊感の言葉が根拠であると知られないように密教と多くを言わないようにして。2024/12/12 05:48:52261.神も仏も名無しさんAlIgy13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑自分を責めてしまう人は気をつけた方が良い。霊感の言葉を根拠に良いことも悪いことも教えのお陰にされて、自分の修行が足りないことにされてしまうから。2024/12/13 05:57:52262.神も仏も名無しさんXJBdQ14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑人を霊感の言葉を根拠に誘い込むことは大乗の行いではないからお力も流れてこないのである。2024/12/14 07:53:24263.神も仏も名無しさんPD8Hk15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑どこにも毒親はいるが、それと引き換えに理想の親を見せるのは新興宗教の手口であろう。2024/12/15 11:19:53264.神も仏も名無しさんIUHU916 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑教えを密教であるから多くを言えず深いものだと思わされてただ全てを委ねる信者。それが洗脳であり思考停止である。2024/12/16 05:49:18265.神も仏も名無しさんTepGw17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑教えの外の人に批判されたり避けられたりしているうちに疑いが生じて教えが流れてこなくなるのが怖くなる。もう「霊感商法を使うような教えでなくて良かった」とは言い合えないだろう。2024/12/17 05:54:00266.神も仏も名無しさんnWBQN18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑実は自分が救われる為に他の為と称して勧誘する。そこに信教の自由の信じない自由を侵害すれば、カルト性を伴う行為となる。2024/12/18 05:54:06267.神も仏も名無しさんsFDHo19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑霊感商法の手法である霊言による因縁で恐怖心を与えられると、人を真剣に勧誘するようになる。それが信教の自由の侵害とならなければ良いが。2024/12/19 05:50:51268.神も仏も名無しさんAqPfh20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えに悟りと思わされるものは、霊感の言葉によって煽られた恐怖心によるものである。2024/12/20 05:41:41269.神も仏も名無しさんeD33f21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑教えどおりならばみ仏本位、そうでなければ人間本位。ただそれだけで、誰でも言えることである。2024/12/21 09:51:14270.神も仏も名無しさんrptWO22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑霊感の言葉で勧誘しなければ救われないと言われるのは、洗脳の第二段階のねずみ講の手法である。2024/12/22 08:36:17271.神も仏も名無しさんajexI23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑罰も因果応報も結局霊感の言葉である。その法則性を知れば、迷惑行為にしか見えないだろう。2024/12/23 05:57:13272.神も仏も名無しさんbgznf24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑献金、勧誘、無償労働のことが言われている。仏教を隠れ蓑にして。2024/12/24 05:41:17273.神も仏も名無しさんoDcE425 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑初心でもお力をいただけると霊感の言葉でお力をその人の事象にこじつける。その後、取り組みが足りないと不幸を霊感の言葉で示しても信者は辞められなくなる。その波に乗ってはいけない。2024/12/25 05:52:49274.神も仏も名無しさん5elut26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑この教えが静かに続けられているが、霊感商法他あらゆる洗脳手法を使って行われていることを知る人が増えることが対策である。2024/12/26 05:50:33275.神も仏も名無しさんrUWTJ27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑この教えで徳を積むには、人の信じない自由を侵害してまで信じさせようとしなければならないこともある。だから、業を積んでしまうのである。2024/12/27 05:58:07276.神も仏も名無しさんRCyms28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑霊感商法と言われると、行き着く所まで来ていると思える。あらゆる騙しの手法が散りばめられている。2024/12/28 08:55:55277.神も仏も名無しさんc1fS029 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑疑うとお力が流れて来ないという脅しに従う様になると、信者はやたらと謙った言葉を使う。しかし、上から目線であるから、違和感を感じさせるのである。2024/12/29 09:04:14278.神も仏も名無しさんpyHdp30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑教えを信じる、信じないが貴賎の基準である信者は信じない人をどこまでも貶めてくる。そして世間での居場所が無くなるのである。2024/12/30 08:05:45279.神も仏も名無しさんxUiaf31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】善法に従わなきは心にぞ 邪楽しむ心宿るらむ【教主注釈】涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。↑霊感による因縁の脅しに、教えのお力を求める欲楽と人間本来の欲楽が分からなくなるのだろう。教えを否定される度にトリガーを引くように感情が揺さぶられて攻撃的になってしまうのだろう。2024/12/31 10:10:34280.神も仏も名無しさんjIwBq1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑み仏の慈悲に触れるために勧誘しなければならない。そこにねずみ講をはじめとした騙しの手法が見え隠れしていることを見逃してはいけない。2025/01/01 08:40:58281.神も仏も名無しさんXdF2C3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑まさにここの信者の最高の教えに結ばれた自惚れではないか。それは世間での居場所を無くして教団の人間関係に居場所を縛る効果がある。2025/01/03 09:28:19282.神も仏も名無しさんZm7ik4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑檀家が仏教でも、檀家の経文を唱えながら「本当に救われる教えではない」と念じる信者。それは自由だが、人の信心までコントロールしようとするからトラブルになるのである。2025/01/04 08:19:41283.神も仏も名無しさん6rBIh5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑世の中の事象を教えに準えて取るように洗脳される。霊感の言葉の裏に脅しの要素が隠されているのに気づくことなく。2025/01/05 09:01:26284.神も仏も名無しさんSMN5r6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑教えを信じない人を貶めることは身・口・意の罪とは思わない。その洗脳が信者との関係に違和感を感じさせる。それを感じたら距離を取ろう。2025/01/06 05:53:12285.神も仏も名無しさんCkcbz7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑お力を頂いて喜んでいるだけでは、お力はいつまでも続かない。そう言われて教え実践に焦るのは洗脳が効いていた証拠である。そこで信者の本性が現れるのであろう。2025/01/07 06:01:48286.神も仏も名無しさん4sjiL8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑この教えの地位に囚われてしまうと、教えのコミュニティしか居場所が無くなる。それが教えの狙いでもあるが。2025/01/08 05:53:49287.神も仏も名無しさんES7pR9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑信者は教えの為にならないことは耐えない。教えになぞらえれば耐えるであろうが、その選択は単純明快である。2025/01/09 05:54:01288.神も仏も名無しさんeaioi10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑大海の教え。それをよく見ると世のあらゆる騙しが流れ込んでいる教えである。2025/01/10 05:53:52289.神も仏も名無しさんg1flH11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑霊感の言葉で好転していると思わせるのが霊言であるが、その解釈は実に単純である。2025/01/11 08:40:52290.神も仏も名無しさんyx0SR12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑自分が救われているだけでなくて、人も救わなければならないという論理であるが、人にもねずみ講の取り組みをさせなければならないということである。「情は人の為ならず」とは正反対の取り組みである。2025/01/12 09:56:38291.神も仏も名無しさん2Y8Lc13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑教えに結ばれていれば、お力で救われていなければならない。悪くてもそれくらいで済んだのである。その論調で誰でも指導者になれるのだろう。2025/01/13 08:51:59292.神も仏も名無しさんvXQkN14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑世の執着を捨てさせるために教えのお力に執着させようとする。仏教を隠れ蓑にして。2025/01/14 05:48:22293.神も仏も名無しさんJyB1p16 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自らの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。↑教えには霊感商法をはじめとしたあらゆる騙しの要素があると気づけずに、人を誘い込もうとすると、世間での居場所が狭まっていくだろう。2025/01/16 07:14:09294.神も仏も名無しさんpAVXu17 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑教えに結ばれて喜べない人は可哀想な人と信者が思う。そう思わされることで、教えを信じない人を貶めて居場所が無くなるのである。2025/01/17 05:45:39295.神も仏も名無しさんBG8sd18 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑み教えの言葉は信者のやっていることに釘を刺すこともある。それに気付けない信者は自分の言葉がみ仏の言葉であるかのように下の者に押し付けようとする。2025/01/18 06:25:02
【フジテレビ〝CM差し止めドミノ〟で開局以来、最大危機! 】 現役フジテレビ局員 「とんでもないことになった、1か月足らずで会社を取り巻く環境が激変した、局員の表情は暗く、転職活動を開始した若手もいる」ニュース速報+203940.12025/01/19 04:25:08
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
教えに触れて浄まっていると思う信者が霊感商法やねずみ講の様な悪徳商法の手口を宗教活動であると思って実践しているから、汚れを感じさせるのである。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
仏教の裏で霊感商法やねずみ講の取り組みがされている。それは仏教を隠れ蓑としているということである。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
教えが求めるのは教えに人、金、労力をもたらす人であるだから仕事中も教えに準えて考えるように洗脳されるのである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
学ぶのは教祖一家の苦難のストーリーでその裏のストーリーは隠されている。教えの手口も同様に隠されている。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
教えに従って実践することで悟りが得られると言われる。それは霊感商法の手法で勧誘、無償労働、献金をすることである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
他の教えの報謝はお力の代償を求められると否定しておいて、この教えのお力が特別であると洗脳して心から献金させる。その根拠は霊を持ち出した因縁による霊感商法である。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教えの為に欲を捨てる。それは、霊感の言葉が根拠のお力を求める欲に置き換えられるだけである。
鏡は本質ではないよ。
美は 分別だから 不要だよね。
わたしに、わたしが無いので、美も無いのよね。
頭の中と行動が一致するよう、にと思うんだよね。デフィカルト だけれども
死んでます 日々。
わたしに 悪心が、良心が無く、したがって、もとの こころがありません。
自由とは 主人公、主体性 を言いますが。
私もあなたもない
もとから ないものを どうやって。
わたしに 分別心 は無い。
中でも、外でも、生きたり、死んだり してる。
あるがままも ないんですよ。
瞬間は 常に 移り変わっていますから これが瞬間だと とらえられmなせん。
無学で 無知 のわたしなんですけどね。
満ち足りています。求めません。
べきものは ないですね。
なにも しない。
くりかえしになりますが、 自由とは、主人公、主体性ですよ。
毒物、劇物には致死量がある。
致死量があるものを毒劇物という。
致死量をずんずん、どbんどん、少量にして薬効量にしたものを薬、という。
薬の薬効量をとてつもなく薄めたものを、食品、健康食品という。
その効果があるものはつまりは、致死量を薄めて、薬効量の範囲で薬品としたもので、不必要なものは絶対に摂取してはならない。
つまりは服毒自殺をしていることになる。
だが、やまいであれば、いたし方が無い。
病中は、服薬し、健康が戻れば、直ちに中止する。
水を三日のまなければ、死ぬ、のだから生殺与奪の権は我にある。ノットディフィカルトである。
服毒自殺を 勧めてはならない。
しかし、闘病とは、毒を以て毒を制すべし。なのである。
病気の時は、病人である。
病気でなければ、病人ではない。
病人でなければ、服毒自殺うぇおしてはならない。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
はからいはこの教えへの疑いである。人に対して後ろめたい取り組みをして、世間での居場所が無くなると、この教えの輪の中で洗脳されていくのである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦も喜びも教えのお陰にされる。霊感の言葉で。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
教えを信じる、信じないで人を判断して徳がある、なしで攻撃的にもなるのが信者の行動パターンである。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
それは勧誘の実践に信者を取り組ませる方便である。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
世の中を危険な場所と思わせて、教団施設内の地位を求めさせようとする。霊感の言葉が根拠である。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
この教えに力の限りを尽くすほど洗脳されることは、その手法を知ると無駄なことと分かる。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
他が為に身を捧げているようで、実は教えの為に勧誘しようとしている。霊感の言葉が根拠であると知られないように密教と多くを言わないようにして。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
自分を責めてしまう人は気をつけた方が良い。霊感の言葉を根拠に良いことも悪いことも教えのお陰にされて、自分の修行が足りないことにされてしまうから。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
人を霊感の言葉を根拠に誘い込むことは大乗の行いではないからお力も流れてこないのである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
どこにも毒親はいるが、それと引き換えに理想の親を見せるのは新興宗教の手口であろう。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
教えを密教であるから多くを言えず深いものだと思わされてただ全てを委ねる信者。それが洗脳であり思考停止である。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
教えの外の人に批判されたり避けられたりしているうちに疑いが生じて教えが流れてこなくなるのが怖くなる。もう「霊感商法を使うような教えでなくて良かった」とは言い合えないだろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
実は自分が救われる為に他の為と称して勧誘する。そこに信教の自由の信じない自由を侵害すれば、カルト性を伴う行為となる。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
霊感商法の手法である霊言による因縁で恐怖心を与えられると、人を真剣に勧誘するようになる。それが信教の自由の侵害とならなければ良いが。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えに悟りと思わされるものは、霊感の言葉によって煽られた恐怖心によるものである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
教えどおりならばみ仏本位、そうでなければ人間本位。ただそれだけで、誰でも言えることである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
霊感の言葉で勧誘しなければ救われないと言われるのは、洗脳の第二段階のねずみ講の手法である。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
罰も因果応報も結局霊感の言葉である。その法則性を知れば、迷惑行為にしか見えないだろう。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
献金、勧誘、無償労働のことが言われている。仏教を隠れ蓑にして。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心でもお力をいただけると霊感の言葉でお力をその人の事象にこじつける。その後、取り組みが足りないと不幸を霊感の言葉で示しても信者は辞められなくなる。その波に乗ってはいけない。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
この教えが静かに続けられているが、霊感商法他あらゆる洗脳手法を使って行われていることを知る人が増えることが対策である。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
この教えで徳を積むには、人の信じない自由を侵害してまで信じさせようとしなければならないこともある。だから、業を積んでしまうのである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すよう
に、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
霊感商法と言われると、行き着く所まで来ていると思える。あらゆる騙しの手法が散りばめられている。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
疑うとお力が流れて来ないという脅しに従う様になると、信者はやたらと謙った言葉を使う。しかし、上から目線であるから、違和感を感じさせるのである。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
教えを信じる、信じないが貴賎の基準である信者は信じない人をどこまでも貶めてくる。そして世間での居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
霊感による因縁の脅しに、教えのお力を求める欲楽と人間本来の欲楽が分からなくなるのだろう。教えを否定される度にトリガーを引くように感情が揺さぶられて攻撃的になってしまうのだろう。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
み仏の慈悲に触れるために勧誘しなければならない。そこにねずみ講をはじめとした騙しの手法が見え隠れしていることを見逃してはいけない。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
まさにここの信者の最高の教えに結ばれた自惚れではないか。それは世間での居場所を無くして教団の人間関係に居場所を縛る効果がある。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家が仏教でも、檀家の経文を唱えながら「本当に救われる教えではない」と念じる信者。それは自由だが、人の信心までコントロールしようとするからトラブルになるのである。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
世の中の事象を教えに準えて取るように洗脳される。霊感の言葉の裏に脅しの要素が隠されているのに気づくことなく。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
教えを信じない人を貶めることは身・口・意の罪とは思わない。その洗脳が信者との関係に違和感を感じさせる。それを感じたら距離を取ろう。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
お力を頂いて喜んでいるだけでは、お力はいつまでも続かない。そう言われて教え実践に焦るのは洗脳が効いていた証拠である。そこで信者の本性が現れるのであろう。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
この教えの地位に囚われてしまうと、教えのコミュニティしか居場所が無くなる。それが教えの狙いでもあるが。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
信者は教えの為にならないことは耐えない。教えになぞらえれば耐えるであろうが、その選択は単純明快である。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
大海の教え。それをよく見ると世のあらゆる騙しが流れ込んでいる教えである。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊感の言葉で好転していると思わせるのが霊言であるが、その解釈は実に単純である。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
自分が救われているだけでなくて、人も救わなければならないという論理であるが、人にもねずみ講の取り組みをさせなければならないということである。
「情は人の為ならず」とは正反対の取り組みである。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
教えに結ばれていれば、お力で救われていなければならない。悪くてもそれくらいで済んだのである。その論調で誰でも指導者になれるのだろう。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
世の執着を捨てさせるために教えのお力に執着させようとする。仏教を隠れ蓑にして。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えには霊感商法をはじめとしたあらゆる騙しの要素があると気づけずに、人を誘い込もうとすると、世間での居場所が狭まっていくだろう。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
教えに結ばれて喜べない人は可哀想な人と信者が思う。そう思わされることで、教えを信じない人を貶めて居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
み教えの言葉は信者のやっていることに釘を刺すこともある。それに気付けない信者は自分の言葉がみ仏の言葉であるかのように下の者に押し付けようとする。