新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2026/01/15 06:071.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36653コメント欄へ移動すべて|最新の50件604.神も仏も名無しさんDMnl226 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。2025/11/26 06:13:52605.神も仏も名無しさんUFU4T27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。2025/11/27 06:08:23606.神も仏も名無しさんh5dhp28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。2025/11/28 06:17:00607.神も仏も名無しさん1SLpo29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。2025/11/29 08:02:44608.神も仏も名無しさんTt64S30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。2025/11/30 09:02:08609.神も仏も名無しさん8NEy31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。2025/12/01 05:59:26610.神も仏も名無しさんu9dTp2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。2025/12/02 05:50:37611.神も仏も名無しさんiNGVU3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。2025/12/03 06:42:32612.神も仏も名無しさんDNBAV4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。2025/12/04 06:08:34613.神も仏も名無しさんoHqXJ5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。2025/12/05 08:10:48614.神も仏も名無しさん7UCXU6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えの為でなければ、とらわれを捨てろと言われる。勧誘、献金、無償労働をすることは、社会信用、金銭、時間へのとらわれを捨てさせられることである。世間でのとらわれを、教えのとらわれに置き換えられて搾取されるだけである。2025/12/06 07:38:24615.神も仏も名無しさんvF5uG7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦と喜びをこの教えのお力にこじつけられて進む道は、教え絶対のカルトの道である。2025/12/07 07:52:39616.神も仏も名無しさんNl6xD8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑み仏も出てくるが、霊能者も出てくる。様々な宗教的要素が寄せ集められている。2025/12/08 06:06:32617.神も仏も名無しさんaXuIr9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑この教えは他の為に行うと自分にお力が返ってくるようになっている。信者を奮い立たせる為に、「お力はいつまでも続かない」と言われたら、その本質を疑うべきだろう。2025/12/09 06:01:54618.神も仏も名無しさん4MQAL10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑聖なるものが、実は、信じないと大きなお力が流れてこない恐怖心となっている。それが他が為と言って人の信じない自由を侵害する力にもなる。2025/12/10 06:02:55619.神も仏も名無しさんH3juX11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑この教えに力の限り念じても、実践しても、後付けのお力で良くも悪くも言われてしまうのが実態である。2025/12/11 06:08:25620.神も仏も名無しさんFC4TR12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑作ってはいけないと言われる教えが一人歩きしている。それを真に受けた信者が、死に物狂いで教えを信じさせようとしてくる。それが宗教被害となり得るのである。2025/12/12 06:01:35621.神も仏も名無しさんifNc513 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑この教えで示される因縁こそが、悪因縁である。それらに雁字搦めにされることの方が不幸である。2025/12/13 09:41:28622.神も仏も名無しさん9Tman14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑呪文を唱えることでお力を請う。信者にとって教えを否定する言葉を発する人間は敵である。それだけ気づくのはあっという間だからである。2025/12/14 08:58:47623.神も仏も名無しさんrwYhC15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑教祖一家の色情因縁を払拭する理想の親は、これからも示され続けるだろうが、教えの手口も晒され続けるだろう。2025/12/15 06:03:54624.神も仏も名無しさんGq4Ha16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑お委せは思考停止、お救けは勧誘である。教えの意図が見える。2025/12/16 06:07:08625.神も仏も名無しさんXlQEh18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑自分の為も他の為も、教えの為の取り組みになる。お力が自分に多く返ってくると言われても、献金、無償労働、勧誘によって三つの搾取が行われている。2025/12/18 06:02:01626.神も仏も名無しさんhYjnX19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他に幸いのあゆみを与える行為が勧誘であるが、悪因縁を示されてお力を頂く為にさせるのがねらいである。2025/12/19 06:06:00627.神も仏も名無しさんu2NL720 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑他の人もこの教えに結ばれて幸せになれば良いのに。そんなかけ離れた思考にさせられるのは、お力が流れてこなくなる恐怖が根底にあるからである。2025/12/20 09:23:49628.神も仏も名無しさんsOSd521 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑霊言が教えに都合の良いように解釈される。それがみ仏本意なのだろうが、この教えは仏教ではないのだから、普通に考えれば危険な解釈である。それを人間本意と言われるのだろうが。2025/12/21 07:19:43629.神も仏も名無しさんS7mtJ22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑新興宗教信者が勧誘のためにカミングアウトする時、かなりの恐怖心が植え付けられているのだろう。2025/12/22 06:04:51630.神も仏も名無しさんRWFNJ23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑教えを信じない罰を因果応報と説く教えであるが、信者の動機はお力が流れてこないことで因縁にどう倒されるか分からない恐怖による。2025/12/23 06:05:45631.神も仏も名無しさんQ1ndz24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑教えをただ信じることで知恵かつくと考える信者が、それを人にも実践させようとする。それは信教の自由の侵害でもあるが、騙しでもある。2025/12/24 06:03:48632.神も仏も名無しさんeBa9b25 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑この教えは遍くお力が流れてくるから、初心者もすぐに救われると言われる。やがて、お力はもったいぶられて、勧誘しなければ、「お力はいつもでも続かない」と更に急かされるのである。2025/12/25 06:05:44633.神も仏も名無しさん2Hku026 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑ネットでカルトの手口を調べて、この教えから身を守ることのできる人を増やすべきである。仏教をはじめとして寄せ集められた宗教用語が見られるのもカルトの特徴である。2025/12/26 06:09:18634.神も仏も名無しさんeHNua27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳というポイントは危険である。指導者の意図で増やすも減らすもできるのだから。信者はただ教えのお力を貪欲に求める。2025/12/27 09:10:09635.神も仏も名無しさんqJW6M28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑大海の教えは、様々な宗教が寄せ集められたものであることを、使われる用語を比較すれば分かる。2025/12/28 08:21:58636.神も仏も名無しさんntJjQ29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑仏教の修行僧と思い込む信者が奉仕しているのは、教えの為だけである。大衆に奉仕するのではなく、教えの為に勧誘するのみである。信者が上の立場にあれば、信じない人や否定する人を貶めようとする。2025/12/29 06:55:55637.神も仏も名無しさんIcKMx30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑教えを信じない人を見下す信者が実践できないことである。言葉は謙っているが、上から目線である。2025/12/30 07:42:29638.神も仏も名無しさんGax5G31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】善法に従わなきは心にぞ 邪楽しむ心宿るらむ【教主注釈】涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。↑教えを信じていれば何でもできるという信者の暗黙のルールが修行の身とはほど遠い振る舞いとなる。仏教の修行をしていると主張する信者は哀れ。2025/12/31 07:44:19639.神も仏も名無しさんawi5G1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑遍くお力は初心者向けである。お力を操作されながら感情を揺さぶられ、人の信じない自由を侵害するようになると、カルト信者の完成である。2026/01/01 09:24:12640.神も仏も名無しさんwTsaV2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑実際無断入信や、信じない人がハラスメントを受けているので、多く救われることは実現していない。脱会のノウハウや信者への対処法が語り継がれるのである。2026/01/02 09:25:12641.神も仏も名無しさんe7Dan3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑これは将に、教えを信じない人を貶めながら、建前はきれいな言葉を並べて、教えを信じない人の不幸を想う信者の姿ではないか。信者の言葉ではなく、行動が教えの本質である。2026/01/03 08:17:09642.神も仏も名無しさんuDK1s4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑家の仏壇にこの教えの尊影を飾ったり、伝統仏教の法要で「このお経では救われない」と念じたりするのが、信者の高慢な思考である。2026/01/04 08:46:31643.神も仏も名無しさんHybfL5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑信者が、お力が流れてこなくなることを恐れて、何でも教えになぞらえて考える。それは恐怖を植え付けられているのであり悟りではない。2026/01/05 06:11:28644.神も仏も名無しさんSWOtY6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑教えの中の身口意の罪と世間でのそれがずれてくるから批判される。良い教えだから信じて当然と思って行動するのは、信教の自由の侵害にも繋がる。2026/01/06 06:06:44645.神も仏も名無しさんTvi6B7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑実践しなければ、お力は何時までも続かないと言われる。一番の実践は勧誘である。それと共に、お力は人にも掴ませなければならないマルチ商法の粗悪品と同じであると明かされる。2026/01/07 06:05:12646.神も仏も名無しさんMbESt8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑教えの宝はどうであろうか、世の宝を捨てさせるために遍くお力を示し、徳というポイントを求めさせ、勧誘しなければお力はいつまでも続かないと遍くお力が否定される。世間で注目されるカルトと手法が似ていないか。2026/01/08 06:18:00647.神も仏も名無しさん5eBGF9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑霊的ハラスメントのヒエラルキーが経単位で形成されている。上へ行き、霊的ハラスメントをするために、今はハラスメントに耐える信者。2026/01/09 06:18:38648.神も仏も名無しさんCzVzL10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑仏性が教え絶対に生活し、人にも押しつけることになり、自分たすかるために勧誘することになる。その為に信者であることをカミングアウトするのである。2026/01/10 07:16:13649.神も仏も名無しさんPKJrF11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑出離とは出家することであるが、この教えの売りは在家でも出家して得られる悟りに至れることである。しかし、コールドリーディングの手法が使われた霊言では、教えのお力を得られないで因縁にどう倒されるか分からない妄想を植え付けられるのである。2026/01/11 08:43:42650.神も仏も名無しさんexMIH12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑他の為と思わせられるが、実は教えの為である。勧誘させられるのも然り。2026/01/12 07:26:25651.神も仏も名無しさん4zqVV13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑日々教えのお力が流れてこなければならない。良いことは教えのお陰で、悪いのは信心が足りないから。そんなホットリーディングの繰り返しである。2026/01/13 06:11:48652.神も仏も名無しさんII06w14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑世の中の執着を切る名目で示される霊言によって、因縁が増えていくのである。それは確信犯である。2026/01/14 06:08:21653.神も仏も名無しさんk2RkI15 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海の如きみ法にあいまつり 常楽我浄と知るも尊し【教主注釈】すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。↑大海にすべての河が流れ着くが如く、霊感商法をはじめとした手口が用意されているのである。2026/01/15 06:07:04
【自民党調査・獲得議席予想】自民党199→260、立憲民主党148→70、日本維新の会34→38、国民民主党27→35、公明党24→18、参政党3→17、れいわ9→7、日本保守党3→5、共産8→5ニュース速報+893661.42026/01/15 06:43:09
【!?】戸田市議の河合ゆうすけ氏「外国の顔したハーフに日本の政治語られたくない」 → フィフィさんブチギレ!実は付き合っていたと暴露し大騒動にニュース速報+492624.82026/01/15 06:39:25
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
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結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えの為でなければ、とらわれを捨てろと言われる。勧誘、献金、無償労働をすることは、社会信用、金銭、時間へのとらわれを捨てさせられることである。世間でのとらわれを、教えのとらわれに置き換えられて搾取されるだけである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦と喜びをこの教えのお力にこじつけられて進む道は、教え絶対のカルトの道である。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
み仏も出てくるが、霊能者も出てくる。様々な宗教的要素が寄せ集められている。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
この教えは他の為に行うと自分にお力が返ってくるようになっている。信者を奮い立たせる為に、「お力はいつまでも続かない」と言われたら、その本質を疑うべきだろう。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
聖なるものが、実は、信じないと大きなお力が流れてこない恐怖心となっている。それが他が為と言って人の信じない自由を侵害する力にもなる。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
この教えに力の限り念じても、実践しても、後付けのお力で良くも悪くも言われてしまうのが実態である。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
作ってはいけないと言われる教えが一人歩きしている。それを真に受けた信者が、死に物狂いで教えを信じさせようとしてくる。それが宗教被害となり得るのである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
この教えで示される因縁こそが、悪因縁である。それらに雁字搦めにされることの方が不幸である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
呪文を唱えることでお力を請う。信者にとって教えを否定する言葉を発する人間は敵である。それだけ気づくのはあっという間だからである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
教祖一家の色情因縁を払拭する理想の親は、これからも示され続けるだろうが、教えの手口も晒され続けるだろう。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
お委せは思考停止、お救けは勧誘である。教えの意図が見える。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
自分の為も他の為も、教えの為の取り組みになる。お力が自分に多く返ってくると言われても、献金、無償労働、勧誘によって三つの搾取が行われている。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他に幸いのあゆみを与える行為が勧誘であるが、悪因縁を示されてお力を頂く為にさせるのがねらいである。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
他の人もこの教えに結ばれて幸せになれば良いのに。そんなかけ離れた思考にさせられるのは、お力が流れてこなくなる恐怖が根底にあるからである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
霊言が教えに都合の良いように解釈される。それがみ仏本意なのだろうが、この教えは仏教ではないのだから、普通に考えれば危険な解釈である。それを人間本意と言われるのだろうが。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
新興宗教信者が勧誘のためにカミングアウトする時、かなりの恐怖心が植え付けられているのだろう。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
教えを信じない罰を因果応報と説く教えであるが、信者の動機はお力が流れてこないことで因縁にどう倒されるか分からない恐怖による。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
教えをただ信じることで知恵かつくと考える信者が、それを人にも実践させようとする。それは信教の自由の侵害でもあるが、騙しでもある。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
この教えは遍くお力が流れてくるから、初心者もすぐに救われると言われる。やがて、お力はもったいぶられて、勧誘しなければ、「お力はいつもでも続かない」と更に急かされるのである。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
ネットでカルトの手口を調べて、この教えから身を守ることのできる人を増やすべきである。仏教をはじめとして寄せ集められた宗教用語が見られるのもカルトの特徴である。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳というポイントは危険である。指導者の意図で増やすも減らすもできるのだから。信者はただ教えのお力を貪欲に求める。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
大海の教えは、様々な宗教が寄せ集められたものであることを、使われる用語を比較すれば分かる。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
仏教の修行僧と思い込む信者が奉仕しているのは、教えの為だけである。大衆に奉仕するのではなく、教えの為に勧誘するのみである。信者が上の立場にあれば、信じない人や否定する人を貶めようとする。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
教えを信じない人を見下す信者が実践できないことである。言葉は謙っているが、上から目線である。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
教えを信じていれば何でもできるという信者の暗黙のルールが修行の身とはほど遠い振る舞いとなる。仏教の修行をしていると主張する信者は哀れ。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
遍くお力は初心者向けである。お力を操作されながら感情を揺さぶられ、人の信じない自由を侵害するようになると、カルト信者の完成である。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
実際無断入信や、信じない人がハラスメントを受けているので、多く救われることは実現していない。脱会のノウハウや信者への対処法が語り継がれるのである。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
これは将に、教えを信じない人を貶めながら、建前はきれいな言葉を並べて、教えを信じない人の不幸を想う信者の姿ではないか。信者の言葉ではなく、行動が教えの本質である。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
家の仏壇にこの教えの尊影を飾ったり、伝統仏教の法要で「このお経では救われない」と念じたりするのが、信者の高慢な思考である。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
信者が、お力が流れてこなくなることを恐れて、何でも教えになぞらえて考える。それは恐怖を植え付けられているのであり悟りではない。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
教えの中の身口意の罪と世間でのそれがずれてくるから批判される。良い教えだから信じて当然と思って行動するのは、信教の自由の侵害にも繋がる。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
実践しなければ、お力は何時までも続かないと言われる。一番の実践は勧誘である。それと共に、お力は人にも掴ませなければならないマルチ商法の粗悪品と同じであると明かされる。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
教えの宝はどうであろうか、世の宝を捨てさせるために遍くお力を示し、徳というポイントを求めさせ、勧誘しなければお力はいつまでも続かないと遍くお力が否定される。世間で注目されるカルトと手法が似ていないか。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
霊的ハラスメントのヒエラルキーが経単位で形成されている。上へ行き、霊的ハラスメントをするために、今はハラスメントに耐える信者。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
仏性が教え絶対に生活し、人にも押しつけることになり、自分たすかるために勧誘することになる。その為に信者であることをカミングアウトするのである。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
出離とは出家することであるが、この教えの売りは在家でも出家して得られる悟りに至れることである。
しかし、コールドリーディングの手法が使われた霊言では、教えのお力を得られないで因縁にどう倒されるか分からない妄想を植え付けられるのである。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
他の為と思わせられるが、実は教えの為である。勧誘させられるのも然り。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
日々教えのお力が流れてこなければならない。良いことは教えのお陰で、悪いのは信心が足りないから。そんなホットリーディングの繰り返しである。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
世の中の執着を切る名目で示される霊言によって、因縁が増えていくのである。それは確信犯である。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
大海にすべての河が流れ着くが如く、霊感商法をはじめとした手口が用意されているのである。