新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2026/04/12 06:551.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36739コメント欄へ移動すべて|最新の50件690.神も仏も名無しさんPbYMG22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑世間でそれまでの罪が問われている宗教は、霊感商法に行き着いている。誰もがこの教えとの共通点に気づくだろう。2026/02/22 07:45:34691.神も仏も名無しさんAI1c123 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑信者が論破できないと判断すると、「分かったようなことを言う」が方便である。私はまだまだ教えが分からない、という類いの言葉が美徳となることもある。それを集会の中だけでやれば批判されないのである。2026/02/23 08:06:16692.神も仏も名無しさんbinPj24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑良くも悪くも、「これくらいで済んだ」と教えのお力が強調される。それはバーナム効果である。2026/02/24 06:08:19693.神も仏も名無しさんLtT9e25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑呵責を教えのレベルが違うからと誇示する信者もいる。呵責できることが教えのステータスだと思う信者もいるだろう。2026/02/25 05:44:05694.神も仏も名無しさんIifHw26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑教団内では献金してお力が頂ける、という期待を戒められる。いずれ勧誘しなければお力はいつまでも続かない、と言われる。霊界を持ち出すのは霊感商法である。2026/02/26 05:52:08695.神も仏も名無しさん07O1o27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑仏イコール教祖一家であるが、霊感も持ち出して様々な宗教が寄せ集められている。2026/02/27 06:03:00696.神も仏も名無しさんxy8eg28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着が教えのお力への執着にすり替えられ、霊因縁の恐怖は教団の為に信者を勧誘の取り組みに駆り立てる。信じない自由の侵害は、信者の世間での居場所を失わせる。2026/02/28 07:37:22697.神も仏も名無しさんZTS1h1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑日々の業務をみ仏本意に生きると覚悟した信者は、職場で勧誘するのだろう。2026/03/01 07:40:25698.神も仏も名無しさんKNweU2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑ここの神仏は感謝、報謝をしきりに求めてくる。信者はお力が流れてこないで因縁にどう倒されるか分からない恐怖に煽られて、教法を学ぶ暇はない。恐怖を煽るのが教法とも知らずに。2026/03/02 06:01:31699.神も仏も名無しさんozdy53 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑この教えに心を奪われると、悪因縁を植え付けられて、心忘れて人の信じない自由を奪ってまでも勧誘させられる。やればやるほど悪因縁は示され、深まっていく。2026/03/03 06:09:08700.神も仏も名無しさんMDTmv4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑言葉を本来の意味と違えて信者に使わせるのはカルトの手法であるが、献金を「歓喜」と言わせるところにその意図が読み取れる。2026/03/04 06:01:49701.神も仏も名無しさんigeZu5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑カルトは、教祖一家が丸々と太り、スキャンダルがあるものである。2026/03/05 06:07:33702.神も仏も名無しさんkGXTI6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑この教えで、はからい心を取り去るとは、人の信じない自由を侵害してまで教えに導く行為をすることである。2026/03/06 06:05:27703.神も仏も名無しさんEIbE27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦も喜びも、この教えの霊的示しで揺さぶられる。それら浮き沈みを教えのお力にこじつけられるのである。2026/03/07 10:05:32704.神も仏も名無しさんYUuhY8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑霊言を日常の生活に生かすのであるが、それは後から理由付けられるだけであって、誰にでも当てはまる言葉である。それは霊感・霊視商法とも言われる。2026/03/08 07:21:53705.神も仏も名無しさんi4ssi9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑施餓鬼も7分の6がこちらに返ってくると言われる。勧誘が2倍の精進と言われる。霊感・霊視商法には変わりないが。2026/03/09 06:08:05706.神も仏も名無しさんYemlw10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑世的なものを因縁まみれと不純と見させる教えである。しかし、世の人を勧誘して巻き込まなければならないため、霊因縁の恐怖に強引さを伴う勧誘行為は不純に見られる。2026/03/10 05:37:04707.神も仏も名無しさんX3FYN11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑この教えに力の限り尽くすまでには、霊因縁による恐怖が心に浸透していなければならない。その様な状態の信者から静かに観察され、不幸を霊的なものにこじつけられようとするのである。2026/03/11 06:06:22708.神も仏も名無しさんcCqhh12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑あなたの為と上から目線で、それでも信じなければ、あなたのせいで自分も救われないと言う始末。曲がった他が為である。2026/03/12 05:45:34709.神も仏も名無しさんYu6Ct13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑良いことは教えのお陰、悪いことは修行が足りないから。この教えの霊的な言葉によるバーナム効果である。2026/03/13 06:04:24710.神も仏も名無しさんwYw1V14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑教えのお陰の幸不幸を言われるバーナム効果のお力では、大乗(大船)に乗った気持ちにはなれない。2026/03/14 07:26:07711.神も仏も名無しさん5VpZS15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑家庭環境の問題は、理想の親を示すこの教えの、格好の入り込む理由である。2026/03/15 08:38:28712.神も仏も名無しさんiqsK216 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑信者は一切お委せで無責任。事務局も、苦情を受ければ「そんな指導はしていない」と無責任である。2026/03/16 06:11:18713.神も仏も名無しさんbzqQb17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑信者同士喜びを煽るが、そうしなければ徳が減るという不安もあろう。否定の言葉が攻撃されるのは、お力が流れてこない恐怖であろう。2026/03/17 05:53:38714.神も仏も名無しさんSm7R818 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑他の為は教えの為であり、他の為にこの教えに誘うのも教えの為である。この教えの霊的な言葉のバーナム効果に動かされるのである。2026/03/18 06:14:26715.神も仏も名無しさん0pFXI19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑その悪因縁は霊言のバーナム効果で植え付けられたものである。そこから救ってやる、と取り組ませるのは、火をつけておいて、消しにきてやる「マッチ・ポンプ」である。2026/03/19 06:04:57716.神も仏も名無しさんi0yyh20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑誰にでも当てはまる霊言の言葉に振り回されるのを仏道と勘違いしてしまうと、教えの中にある霊感商法をはじめとした手法の当事者にさせられてしまうのである。2026/03/20 08:34:35717.神も仏も名無しさん7ZUik21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑この教えで自らを空しくすることは、思考停止して教えに取っての善し悪しで物事を判断することである。そして、霊感商法をはじめとした手法に加担させられるのである。2026/03/21 08:04:40718.神も仏も名無しさんhWhXL22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑心を飾るのは、有り難い教えに出会えたからだろうが、その裏に勧誘しなければお力が流れてこない恐怖心を植え付けられている。それが、有り難い教えなのか。2026/03/22 05:07:48719.神も仏も名無しさんl9Q6D23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑罰を説くのも、因果応報を説くのも、元は霊言によるバーナム効果である。2026/03/23 05:53:01720.神も仏も名無しさんKIAX424 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑教えの実践でついた知恵は、マインドコントロール満載の教団施設に誘い込む為の悪知恵である。そこには、金銭的(献金)、精神的(勧誘)、身体的(無償労働)被害となる取り組みが用意されている。2026/03/24 06:01:39721.神も仏も名無しさん0IQBH25 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑なぜ本当なのか。それが霊言によるバーナム効果で、本当に近づけられるのである。マインドコントロールの手法である。2026/03/25 06:05:23722.神も仏も名無しさん1enyI26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑この教えは、信者が教師になる為に入れた架空の信者が水ぶくれとなり、会費は立て替えられ、水ぶくれ信者は増えるが、信者数は微減に操作され、教師数ばかり増えているのである。2026/03/26 06:14:50723.神も仏も名無しさんpLKOi27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳が教えの意図で増えも減りもする。お力が流れてくる為のポイントを、教師や指導者になれば、下の者を操る為に操作できるのである。2026/03/27 06:04:29724.神も仏も名無しさんdpdMb28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑この道が最高と表現したいようであるが、マインドコントロールの手法が詰まった道である。2026/03/28 08:20:35725.神も仏も名無しさん55JhV29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑大衆に奉仕するのは、この教えに勧誘する為である。教義が勧誘、無償労働、献金の三つの搾取を言っているので、それをはぐらかすのに信者は苦労している。2026/03/29 07:42:55726.神も仏も名無しさん4zO6W30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑世の地位が教えの霊位に変わるだけである。教えに仕組まれた霊位向上の欲求に流されて、教えに貢ぐ行動をさせられるのである。2026/03/30 05:56:37727.神も仏も名無しさん4Kiai31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】善法に従わなきは心にぞ 邪楽しむ心宿るらむ【教主注釈】涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。↑涅槃の教えが有り難いと思えるのは、霊言によるバーナム効果でお力に救われていると思わされているからである。それは、悪循環である。2026/03/31 06:05:19728.神も仏も名無しさんG7uVW- 1 常楽【今月の苑歌】- 【今日の苑歌】- み佛のみめぐみこそは世の果の- はてのはてまであまねかりけり-- 【教主注釈】- み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。-- ↑- 遍くお力は最初だけである。霊言によるバーナム効果を更に焦らせようとして、勧誘しないとお力はいつまでも続かないと言われるのである。2026/04/01 06:01:19729.神も仏も名無しさん2W3ud2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑無断入信の信者を含めた、多くの人がこの教えに巣食われている。2026/04/02 06:03:16730.神も仏も名無しさん1Nf8x3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑教えに結ばれたのは徳が高いから、と自惚れ、お力に酔わされて勧誘する信者。その原動力は、お力が流れてこなくなる恐怖心である。2026/04/03 06:04:34731.神も仏も名無しさんwbDEE4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑例えば、檀家の伝統仏教を大事にしている様で、心では「この宗教では救われない」と思うのが信者である。それを人に押しつけなければ、信教の自由である。2026/04/04 07:28:12732.神も仏も名無しさんAGqBp5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑何でも教えになぞらえて物事を解釈するようになると、その心の根底には教えのお力が流れてこなくなる恐怖心が根付いている。「あなたが勧誘して精進していくためにお力が流れていたけれど、勧誘しなければお力はいつまでも続かない。」と言われると、恐怖のトリガーが引かれるのである。2026/04/05 06:51:39733.神も仏も名無しさん8kN3q6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑相手の為と無断入信もし、教団施設でカードも通す。増えるのは実態の無い信者と、ずるい信者である。2026/04/06 05:45:46734.神も仏も名無しさんnOVLp7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑確かに、実践しなければ妄想であるが、その実践の内容が、自他に金銭的、精神的、身体的被害を与えるから不浄なのである。2026/04/07 05:55:22735.神も仏も名無しさんZoQya8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑教えの宝は、霊言によるバーナム効果で妄想させられているのだから、元々無い。元々価値の無いものを複数の人に掴ませようとするから、マルチ商法とも言われるのである。2026/04/08 05:57:32736.神も仏も名無しさんygc369 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑世間での怒りを教えが包容するようであるが、教えの世界では、おばちゃん指導者による適当なこじつけによる指導への怒りが募る。それらに対する怒りが心に結生するが、それは仏教の修行とはほど遠いものである。2026/04/09 05:56:46737.神も仏も名無しさんYjlCT10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑詐欺もカルト宗教も、あらゆる手口を取り入れ、同じところに行き着く。それは、八大河が大海に流れ込む様である。2026/04/10 05:53:53738.神も仏も名無しさんcCrkX11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑霊言を持ち出すことがもう、仏教ではない。寄せ集めの宗教である。2026/04/11 06:22:35739.神も仏も名無しさんDMQZB12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑霊言のバーナム効果で、お力欲しい、欲しいの餓鬼の心が植え付けられる。他の為になることが自分の為になると言われ、教えの為に人を救うと称して勧誘するのである。2026/04/12 06:55:16
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☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
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世間でそれまでの罪が問われている宗教は、霊感商法に行き着いている。誰もがこの教えとの共通点に気づくだろう。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
信者が論破できないと判断すると、「分かったようなことを言う」が方便である。私はまだまだ教えが分からない、という類いの言葉が美徳となることもある。それを集会の中だけでやれば批判されないのである。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
良くも悪くも、「これくらいで済んだ」と教えのお力が強調される。それはバーナム効果である。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
呵責を教えのレベルが違うからと誇示する信者もいる。呵責できることが教えのステータスだと思う信者もいるだろう。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
教団内では献金してお力が頂ける、という期待を戒められる。いずれ勧誘しなければお力はいつまでも続かない、と言われる。霊界を持ち出すのは霊感商法である。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
仏イコール教祖一家であるが、霊感も持ち出して様々な宗教が寄せ集められている。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着が教えのお力への執着にすり替えられ、霊因縁の恐怖は教団の為に信者を勧誘の取り組みに駆り立てる。信じない自由の侵害は、信者の世間での居場所を失わせる。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の業務をみ仏本意に生きると覚悟した信者は、職場で勧誘するのだろう。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
ここの神仏は感謝、報謝をしきりに求めてくる。信者はお力が流れてこないで因縁にどう倒されるか分からない恐怖に煽られて、教法を学ぶ暇はない。恐怖を煽るのが教法とも知らずに。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
この教えに心を奪われると、悪因縁を植え付けられて、心忘れて人の信じない自由を奪ってまでも勧誘させられる。やればやるほど悪因縁は示され、深まっていく。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
言葉を本来の意味と違えて信者に使わせるのはカルトの手法であるが、献金を「歓喜」と言わせるところにその意図が読み取れる。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
カルトは、教祖一家が丸々と太り、スキャンダルがあるものである。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
この教えで、はからい心を取り去るとは、人の信じない自由を侵害してまで教えに導く行為をすることである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦も喜びも、この教えの霊的示しで揺さぶられる。それら浮き沈みを教えのお力にこじつけられるのである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊言を日常の生活に生かすのであるが、それは後から理由付けられるだけであって、誰にでも当てはまる言葉である。それは霊感・霊視商法とも言われる。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
施餓鬼も7分の6がこちらに返ってくると言われる。勧誘が2倍の精進と言われる。霊感・霊視商法には変わりないが。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
世的なものを因縁まみれと不純と見させる教えである。しかし、世の人を勧誘して巻き込まなければならないため、霊因縁の恐怖に強引さを伴う勧誘行為は不純に見られる。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
この教えに力の限り尽くすまでには、霊因縁による恐怖が心に浸透していなければならない。その様な状態の信者から静かに観察され、不幸を霊的なものにこじつけられようとするのである。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
あなたの為と上から目線で、それでも信じなければ、あなたのせいで自分も救われないと言う始末。曲がった他が為である。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良いことは教えのお陰、悪いことは修行が足りないから。この教えの霊的な言葉によるバーナム効果である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
教えのお陰の幸不幸を言われるバーナム効果のお力では、大乗(大船)に乗った気持ちにはなれない。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
家庭環境の問題は、理想の親を示すこの教えの、格好の入り込む理由である。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
信者は一切お委せで無責任。事務局も、苦情を受ければ「そんな指導はしていない」と無責任である。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
信者同士喜びを煽るが、そうしなければ徳が減るという不安もあろう。否定の言葉が攻撃されるのは、お力が流れてこない恐怖であろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他の為は教えの為であり、他の為にこの教えに誘うのも教えの為である。この教えの霊的な言葉のバーナム効果に動かされるのである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
その悪因縁は霊言のバーナム効果で植え付けられたものである。そこから救ってやる、と取り組ませるのは、火をつけておいて、消しにきてやる「マッチ・ポンプ」である。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
誰にでも当てはまる霊言の言葉に振り回されるのを仏道と勘違いしてしまうと、教えの中にある霊感商法をはじめとした手法の当事者にさせられてしまうのである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
この教えで自らを空しくすることは、思考停止して教えに取っての善し悪しで物事を判断することである。そして、霊感商法をはじめとした手法に加担させられるのである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
心を飾るのは、有り難い教えに出会えたからだろうが、その裏に勧誘しなければお力が流れてこない恐怖心を植え付けられている。それが、有り難い教えなのか。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
罰を説くのも、因果応報を説くのも、元は霊言によるバーナム効果である。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
教えの実践でついた知恵は、マインドコントロール満載の教団施設に誘い込む為の悪知恵である。そこには、金銭的(献金)、精神的(勧誘)、身体的(無償労働)被害となる取り組みが用意されている。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
なぜ本当なのか。それが霊言によるバーナム効果で、本当に近づけられるのである。マインドコントロールの手法である。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
この教えは、信者が教師になる為に入れた架空の信者が水ぶくれとなり、会費は立て替えられ、水ぶくれ信者は増えるが、信者数は微減に操作され、教師数ばかり増えているのである。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳が教えの意図で増えも減りもする。お力が流れてくる為のポイントを、教師や指導者になれば、下の者を操る為に操作できるのである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
この道が最高と表現したいようであるが、マインドコントロールの手法が詰まった道である。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
大衆に奉仕するのは、この教えに勧誘する為である。教義が勧誘、無償労働、献金の三つの搾取を言っているので、それをはぐらかすのに信者は苦労している。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
世の地位が教えの霊位に変わるだけである。教えに仕組まれた霊位向上の欲求に流されて、教えに貢ぐ行動をさせられるのである。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
涅槃の教えが有り難いと思えるのは、霊言によるバーナム効果でお力に救われていると思わされているからである。それは、悪循環である。
- 【今日の苑歌】
- み佛のみめぐみこそは世の果の
- はてのはてまであまねかりけり
-
- 【教主注釈】
- み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
-
- ↑
- 遍くお力は最初だけである。霊言によるバーナム効果を更に焦らせようとして、勧誘しないとお力はいつまでも続かないと言われるのである。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
無断入信の信者を含めた、多くの人がこの教えに巣食われている。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
教えに結ばれたのは徳が高いから、と自惚れ、お力に酔わされて勧誘する信者。その原動力は、お力が流れてこなくなる恐怖心である。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
例えば、檀家の伝統仏教を大事にしている様で、心では「この宗教では救われない」と思うのが信者である。それを人に押しつけなければ、信教の自由である。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
何でも教えになぞらえて物事を解釈するようになると、その心の根底には教えのお力が流れてこなくなる恐怖心が根付いている。「あなたが勧誘して精進していくためにお力が流れていたけれど、勧誘しなければお力はいつまでも続かない。」と言われると、恐怖のトリガーが引かれるのである。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
相手の為と無断入信もし、教団施設でカードも通す。増えるのは実態の無い信者と、ずるい信者である。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
確かに、実践しなければ妄想であるが、その実践の内容が、自他に金銭的、精神的、身体的被害を与えるから不浄なのである。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
教えの宝は、霊言によるバーナム効果で妄想させられているのだから、元々無い。元々価値の無いものを複数の人に掴ませようとするから、マルチ商法とも言われるのである。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
世間での怒りを教えが包容するようであるが、教えの世界では、おばちゃん指導者による適当なこじつけによる指導への怒りが募る。それらに対する怒りが心に結生するが、それは仏教の修行とはほど遠いものである。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
詐欺もカルト宗教も、あらゆる手口を取り入れ、同じところに行き着く。それは、八大河が大海に流れ込む様である。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊言を持ち出すことがもう、仏教ではない。寄せ集めの宗教である。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
霊言のバーナム効果で、お力欲しい、欲しいの餓鬼の心が植え付けられる。他の為になることが自分の為になると言われ、教えの為に人を救うと称して勧誘するのである。