新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/12/05 08:101.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36613コメント欄へ移動すべて|最新の50件564.神も仏も名無しさんpeynB17 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑世の中の憂き事が霊感の言葉に示される因縁と結びつけられる。そして、利他は教えの為だけに尽くす事、特に勧誘に尽くす事に置き換えられる。2025/10/17 05:59:13565.神も仏も名無しさんYbC4K18 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑世間を否定的に見て、教えの世界を第1と考えるのがみ仏本位である。信じない自由を侵害するカルト化した信者は、自らは尊いと思いながら世間での居場所が無くなるのである。2025/10/18 11:12:12566.神も仏も名無しさんVzHlo19 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】権威をば振るってなせる教化には 形成りても実(じつ)は少なし【教主注釈】自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。↑入信させても、その人が勧誘できる人にならなければならない。途中で信じない自由を主張しても認められない構造である。2025/10/19 07:58:26567.神も仏も名無しさん9nCwc20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑その裏には、「勧誘しなければお力はいつまでも続かない」と言われて、お力がマルチ商法で掴まされる粗悪品であることが明かされる。勧誘するのに、その粗悪品を人にも与えなければならないのである。2025/10/20 06:15:23568.神も仏も名無しさんOOSnk21 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】善友に近よることはよけれども 愚人の交際絶たばなおよし【教主注釈】涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。↑教えを疑わせる存在を遠ざけようとする信者の性質は、集団で情報を操作しようとする傾向も見られる。そこから離れて冷静に考えることが必要である。2025/10/21 06:06:04569.神も仏も名無しさんzcFlq22 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは 今を機会と知るも尊し【教主注釈】機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。↑今ここに集中するのは良いことであるが、それが霊感カルト宗教の取り組みであるならば方向修正すべきだろう。2025/10/22 06:23:26570.神も仏も名無しさんCpNTD23 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住のみ佛さまを慕いつつ 仕うる人ぞたのものしきかな【教主注釈】常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。↑世の中の無常の中で、教祖一家が常住して監視されているのが信者の心理である。教えを疑うのは意の罪とされる。2025/10/23 06:16:29571.神も仏も名無しさん5QTF224 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】お済度は父母を救ける心にて 説けよ苑人これぞ道なり【教主注釈】お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。↑理想の父母が教祖夫婦となり、勧誘に踏み出す信者。そうしなければ、「勧誘しなければお力はいつまでも続かない」と言われるのである。2025/10/24 06:04:59572.神も仏も名無しさんAQdhc25 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓喜積みお救けこそは積み磨き 奉仕は磨く徳と知れ人【教主注釈】歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。↑教えの言葉によって積まれも崩されもする徳を積むことが推奨される。疑えばもちろん崩される。2025/10/25 07:49:22573.神も仏も名無しさんfIZj526 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】他のために言葉やわらげ教ゆるは 菩提(めばえ)育てのまことなりけり【教主注釈】聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。↑ただ信じていれば救われる教えと、人に起こった事象を良くても悪くても教えのお陰と言うだけ。ネット上で実態を調べられても、悪いことは嘘と言うだけ。2025/10/26 07:33:55574.神も仏も名無しさんEyOmv27 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】道に外れあゆむが故に事故起し 後の後悔先には立たず【教主注釈】教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。↑教えを信じない人間の不幸を待ち構えて、「教えどおりではないから」とこじつける信者。その心理は信じない自由を侵害する行為にもつながる。2025/10/27 05:58:03575.神も仏も名無しさんlluih28 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて 歓喜世界の出現(いず)る時まで【教主注釈】信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。↑指導者は「この教えは千年続く」と言うが、「気づくのはあっという間」である。2025/10/28 06:11:34576.神も仏も名無しさんYzGLJ29 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大乗の道も炭火と同じなれ 三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ【教主注釈】信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。↑被害を広める教えを束になって取り組まれたら被害者が増えてしまう。静かに引き継がれようとしている教えを、実被害をばねに知らしめよう。2025/10/29 06:01:38577.神も仏も名無しさん6piYq30 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば それ、それ自体が真理(みち)に叶わん【教主注釈】怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。↑生か死かで取り組んで、人の信じない自由まで奪おうとする信者の行動が恨まれるのである。2025/10/30 06:10:30578.神も仏も名無しさん0uHkS31 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】言うがごと行うがごとく言(こと)示せ 茲(ここ)に一如の救いあるなり【教主注釈】不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。↑人を救うが勧誘であるが、言葉の意味を変えて言わせて教団のためにさせるのである。2025/10/31 05:58:32579.神も仏も名無しさんuQNBg1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑最高の教えを信じられない人は可哀想、という信者に植え付けられた心理が上から目線となる。2025/11/01 07:30:53580.神も仏も名無しさん7Wy0p2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑勧誘すると悪口を言われる。それは、信者が最高の教えの下、人の信じない自由を踏みにじってきたからである。洗脳されているとしても加害者である。2025/11/02 08:27:33581.神も仏も名無しさんLjTiB3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑相手は鏡であっても、教えを信じない相手を信者は強引に変えようとする。信教の自由の侵害でもあるが、宗教ハラスメントであるから批判が絶えないのである。2025/11/03 09:27:16582.神も仏も名無しさんVqMWo5 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑信者の教えを人に信じさせようとする行為が、信じない自由を侵害する心ない行為として恨みを買い、ネットで知らしめられ警戒されるのである。2025/11/04 06:04:33583.神も仏も名無しさん3JEFA6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑過去がこの教えの霊言どおり霊的に解釈される。それは、お力が流れてこないことを恐れて、教えどおりに勧誘ノルマに追われることになる。2025/11/06 06:11:53584.神も仏も名無しさんw87Pv7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑心ないや心忘れたは、教えを教えどおりに信じられないことである。そのとおりにならない人にハラスメントをするから信者は心ないと言われるのである。2025/11/07 06:06:40585.神も仏も名無しさんCiocZ8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑新興宗教を信じさせられている劣等感があり、最高の教えを信じているという優越感を持たされて、教えを信じられない人は可哀想という我を抑えながら勧誘する信者のストレスは計り知れない。2025/11/08 07:23:44586.神も仏も名無しさんy5ks99 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救うとは、教えに繋いでその力で救うのであるが、目的は勧誘である。そうすれば、勧誘した側も救われると言われるが、それはネズミ講の原理である。2025/11/09 08:27:25587.神も仏も名無しさんu2BDk10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑「この教えは深い」と思わせるだけで教義など伝わらない。勧誘中心の取り組みが示されるだけである。2025/11/10 06:12:52588.神も仏も名無しさんEFHC111 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑この書は過去の教団の警察沙汰を美化し、世にある悪徳商法と同様の手法をカモフラージュしている。信者による言葉に怪しさを感じたら調べてみよう。2025/11/11 06:04:24589.神も仏も名無しさんYUGHF12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑この教えを信じて、勧誘して人を繋ぐことが世の為と思っている信者が、信じない人を貶めるのは、新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しである。2025/11/12 06:08:10590.神も仏も名無しさん8U3F813 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑信者はどうしてやってはいけないと言われることをするのだろうか。それを修行の身だからと都合良く肯定する傾向もある。2025/11/13 06:10:03591.神も仏も名無しさんuzHc414 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑この世の浮き沈みを霊的に教えに結びつけて心揺さぶられる。そして、教えを信じない人を「不幸になる」と揺さぶるようになるのである。2025/11/14 06:04:44592.神も仏も名無しさんRx4ar15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑教団施設で経を唱えながら目をつむり、目を開けると教祖一家の肖像画や胸像が目に入る。暗闇から光が一気に差すので、後光の様に見える。それを知覚のコントラストと言い、マインドコントロールの一手法である。2025/11/15 07:09:29593.神も仏も名無しさんWVOls16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑教えなくしては幸福になれないと思う信者が唱える。信じないことで信者にされた嫌がらせは、何事も無いように振る舞えば消える過去ではなく、信者の曲がった取り組みの肯定となるので、その手口は明かし続けなければならないだろう。2025/11/16 07:10:05594.神も仏も名無しさん4aqG2「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。2025/11/17 06:07:14595.神も仏も名無しさん4aqG217 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。2025/11/17 06:10:59596.神も仏も名無しさんq0dge18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならない世に不満を抱いて教えに救いを求めても、そのままなならい世の中で、勧誘させられて居場所を失うのである。2025/11/18 06:09:31597.神も仏も名無しさんOLBsz19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑何だか分からないから恐れて非難される方が、信者はその人の背後霊が教えを求めていると思えるのだろう。それを見越して信者による挑発に反応しない方が日々平穏に暮らせるのである。2025/11/19 06:06:14598.神も仏も名無しさんW6UbP20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑何を見ても教えになぞらえる境地は、自分が教えを信じているからお前の幸福を保ってやっているという高慢にも発展する。2025/11/20 06:06:26599.神も仏も名無しさんCHKfL21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑何かあると思わせぶりの指導者の声に有り難みを感じていても、いずれ勧誘しなければ救われない、と言われるだろう。お力はいつまでも続かないということは、お力が無いということである。2025/11/21 06:10:24600.神も仏も名無しさんQQioE22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑ここの教師の勧誘手法は、「勧誘しなければお力が流れてこなくなって救われない」という脅しである。2025/11/22 09:15:21601.神も仏も名無しさん3228j23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑迷惑なのは、信者が最高の教えを信じていると信じて、教えを信じられない人に強権的になり、精神的暴力などを使うようになることである。最高の教えが人を苦しめる教えだと気づけない信者の発生である。2025/11/23 08:44:16602.神も仏も名無しさんzEsva24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑見返りを求めずに教えに尽くせば、遍くお力が流れてくる。そんなうまい話が言われている。2025/11/24 06:56:07603.神も仏も名無しさんPXv9i25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑教えに洗脳されてしまえば、宗教モラルハラスメントも有り難い呵責となるのだろう。気づいてしまえばただのモラルハラスメントであるのだが。2025/11/25 06:04:34604.神も仏も名無しさんDMnl226 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。2025/11/26 06:13:52605.神も仏も名無しさんUFU4T27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。2025/11/27 06:08:23606.神も仏も名無しさんh5dhp28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。2025/11/28 06:17:00607.神も仏も名無しさん1SLpo29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。2025/11/29 08:02:44608.神も仏も名無しさんTt64S30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。2025/11/30 09:02:08609.神も仏も名無しさん8NEy31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。2025/12/01 05:59:26610.神も仏も名無しさんu9dTp2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。2025/12/02 05:50:37611.神も仏も名無しさんiNGVU3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。2025/12/03 06:42:32612.神も仏も名無しさんDNBAV4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。2025/12/04 06:08:34613.神も仏も名無しさんoHqXJ5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。2025/12/05 08:10:48
【国際】トランプ「同盟国の多くは友達じゃない」凍りつく…高市総理は台湾有事発言で米に見捨てられたか? 撤回できず、前にも進めず「八方塞がり」ニュース速報+64525602025/12/05 17:49:31
【高市自民】ネット大荒れ「はあ?」「子育てに罰金」「高市支持やめる!」 高校生の扶養控除縮小検討の報道に騒然「意味分からん」「ほーら増税始まった」「涙出る」「子育て支援は嘘」 公明離脱で再燃ニュース速報+445994.12025/12/05 17:22:30
【奈良地検】「日本は現金を持ち歩く人が多く、スリがしやすい」観光客など101人の財布を盗んだ疑い 逮捕・起訴された中国籍の男 「カードの写真を海外に送ると1枚2000円の報酬も」ニュース速報+25991.32025/12/05 17:50:13
【舛添要一氏】「かつて、農民も職人も、皆死ぬまで働き、深夜のネトウヨ行為など無縁だった、今の高齢者は、定年退職後、社会参加もせずに、ネットに溺れている、ネットを捨てて働いたほうが健全だ」ニュース速報+2767432025/12/05 17:49:23
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
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世の中の憂き事が霊感の言葉に示される因縁と結びつけられる。そして、利他は教えの為だけに尽くす事、特に勧誘に尽くす事に置き換えられる。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
世間を否定的に見て、教えの世界を第1と考えるのがみ仏本位である。信じない自由を侵害するカルト化した信者は、自らは尊いと思いながら世間での居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
入信させても、その人が勧誘できる人にならなければならない。途中で信じない自由を主張しても認められない構造である。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
その裏には、「勧誘しなければお力はいつまでも続かない」と言われて、お力がマルチ商法で掴まされる粗悪品であることが明かされる。勧誘するのに、その粗悪品を人にも与えなければならないのである。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
教えを疑わせる存在を遠ざけようとする信者の性質は、集団で情報を操作しようとする傾向も見られる。そこから離れて冷静に考えることが必要である。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今ここに集中するのは良いことであるが、それが霊感カルト宗教の取り組みであるならば方向修正すべきだろう。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
世の中の無常の中で、教祖一家が常住して監視されているのが信者の心理である。教えを疑うのは意の罪とされる。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
理想の父母が教祖夫婦となり、勧誘に踏み出す信者。そうしなければ、「勧誘しなければお力はいつまでも続かない」と言われるのである。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
教えの言葉によって積まれも崩されもする徳を積むことが推奨される。疑えばもちろん崩される。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
ただ信じていれば救われる教えと、人に起こった事象を良くても悪くても教えのお陰と言うだけ。ネット上で実態を調べられても、悪いことは嘘と言うだけ。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
教えを信じない人間の不幸を待ち構えて、「教えどおりではないから」とこじつける信者。その心理は信じない自由を侵害する行為にもつながる。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
指導者は「この教えは千年続く」と言うが、「気づくのはあっという間」である。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
被害を広める教えを束になって取り組まれたら被害者が増えてしまう。静かに引き継がれようとしている教えを、実被害をばねに知らしめよう。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
生か死かで取り組んで、人の信じない自由まで奪おうとする信者の行動が恨まれるのである。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
人を救うが勧誘であるが、言葉の意味を変えて言わせて教団のためにさせるのである。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
最高の教えを信じられない人は可哀想、という信者に植え付けられた心理が上から目線となる。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
勧誘すると悪口を言われる。それは、信者が最高の教えの下、人の信じない自由を踏みにじってきたからである。洗脳されているとしても加害者である。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
相手は鏡であっても、教えを信じない相手を信者は強引に変えようとする。信教の自由の侵害でもあるが、宗教ハラスメントであるから批判が絶えないのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
信者の教えを人に信じさせようとする行為が、信じない自由を侵害する心ない行為として恨みを買い、ネットで知らしめられ警戒されるのである。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
過去がこの教えの霊言どおり霊的に解釈される。それは、お力が流れてこないことを恐れて、教えどおりに勧誘ノルマに追われることになる。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
心ないや心忘れたは、教えを教えどおりに信じられないことである。そのとおりにならない人にハラスメントをするから信者は心ないと言われるのである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
新興宗教を信じさせられている劣等感があり、最高の教えを信じているという優越感を持たされて、教えを信じられない人は可哀想という我を抑えながら勧誘する信者のストレスは計り知れない。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うとは、教えに繋いでその力で救うのであるが、目的は勧誘である。そうすれば、勧誘した側も救われると言われるが、それはネズミ講の原理である。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
「この教えは深い」と思わせるだけで教義など伝わらない。勧誘中心の取り組みが示されるだけである。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
この書は過去の教団の警察沙汰を美化し、世にある悪徳商法と同様の手法をカモフラージュしている。信者による言葉に怪しさを感じたら調べてみよう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
この教えを信じて、勧誘して人を繋ぐことが世の為と思っている信者が、信じない人を貶めるのは、新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しである。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
信者はどうしてやってはいけないと言われることをするのだろうか。それを修行の身だからと都合良く肯定する傾向もある。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
この世の浮き沈みを霊的に教えに結びつけて心揺さぶられる。そして、教えを信じない人を「不幸になる」と揺さぶるようになるのである。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
教団施設で経を唱えながら目をつむり、目を開けると教祖一家の肖像画や胸像が目に入る。暗闇から光が一気に差すので、後光の様に見える。それを知覚のコントラストと言い、マインドコントロールの一手法である。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
教えなくしては幸福になれないと思う信者が唱える。信じないことで信者にされた嫌がらせは、何事も無いように振る舞えば消える過去ではなく、信者の曲がった取り組みの肯定となるので、その手口は明かし続けなければならないだろう。
↑
毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
ままならない世に不満を抱いて教えに救いを求めても、そのままなならい世の中で、勧誘させられて居場所を失うのである。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
何だか分からないから恐れて非難される方が、信者はその人の背後霊が教えを求めていると思えるのだろう。それを見越して信者による挑発に反応しない方が日々平穏に暮らせるのである。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
何を見ても教えになぞらえる境地は、自分が教えを信じているからお前の幸福を保ってやっているという高慢にも発展する。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
何かあると思わせぶりの指導者の声に有り難みを感じていても、いずれ勧誘しなければ救われない、と言われるだろう。お力はいつまでも続かないということは、お力が無いということである。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
ここの教師の勧誘手法は、「勧誘しなければお力が流れてこなくなって救われない」という脅しである。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
迷惑なのは、信者が最高の教えを信じていると信じて、教えを信じられない人に強権的になり、精神的暴力などを使うようになることである。最高の教えが人を苦しめる教えだと気づけない信者の発生である。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
見返りを求めずに教えに尽くせば、遍くお力が流れてくる。そんなうまい話が言われている。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
教えに洗脳されてしまえば、宗教モラルハラスメントも有り難い呵責となるのだろう。気づいてしまえばただのモラルハラスメントであるのだが。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。