新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/04/13 08:131.神も仏も名無しさんM3eFr(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36378コメント欄へ移動すべて|最新の50件329.神も仏も名無しさん5DMwCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑手法で言えばあらゆる騙しの手口が集まっている。それを大海と見立てても威厳は無い。2025/02/22 06:29:43330.神も仏も名無しさんN67k9コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑霊因縁の恐怖に急かされてきた信者が、世で解散請求されている教団と同じ霊感商法を使っていると気づくことは、「全部わかった」に値してしまうのではないか。2025/02/23 06:27:59331.神も仏も名無しさんc3lM7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑教えの為にしたことは見返りを求めてはいけない。しかし、遍くお力が流れてくると言われる。しかし、教えのお力への報謝はしつこく求められる。2025/02/24 09:19:22332.神も仏も名無しさんLF3ZsコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑教えの指導者となって思い上がるおばちゃんを見てきたが、それは目を覚まさせて霊感商法をはじめとする手法に目を向けさせてしまうだろう。2025/02/25 05:48:32333.神も仏も名無しさんLOmW8コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑ご利益を求めない振りをする信者が一番の取り組みである勧誘をしないと「お力は長く続かない」と言われる。ご利益の為に人の信じない自由を侵害してまで勧誘しなければならなくなる。2025/02/26 05:36:45334.神も仏も名無しさんtaLQ1コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑仏教を隠れ蓑に霊感の言葉で真理を説く。それは後からどうとでも言える言葉である。2025/02/27 05:45:36335.神も仏も名無しさんmAKYCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑お力への執着が定着すると、勧誘しないと救われないと言われれば、勧誘しても信じない人間に対して怒りを向ける。それを鎮めるために、教えを信じられなくて可哀想と思うのである。2025/02/28 05:53:52336.神も仏も名無しさん3e1b7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑霊感の言葉が信者の脳裏に定着すると、日々の出来事に教えの影響を考えなければならなくなる。それが洗脳である。2025/03/01 09:53:26337.神も仏も名無しさんcctVuコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑教祖一家の歴史を学ぶことが救いと考えるのは勝手だ。人の信じない自由を奪おうとしなければ良いのである。しかし、ねずみ講の教えはそれを許さない。2025/03/02 08:18:11338.神も仏も名無しさんKPteTコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑教えのお力に喜んでばかりでは救われないと説かれる。勧誘に踏み出さなければお力はいつまでも続かないと言われる。それがマルチ商法の粗悪品を掴まされることになるのである。2025/03/03 06:00:50339.神も仏も名無しさんnzJwnコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑この教えの喜びは集団圧力のように集会で強調される。違和感を感じたら距離を取ったほうが良い。2025/03/04 05:45:56340.神も仏も名無しさんYQtF4コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教えを信じていれば何をしても許されるという信者の心理が、よく言われる問題を引き起こしているのか。2025/03/05 05:53:36341.神も仏も名無しさんpo76jコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えへの疑いをはからい心と疑わせ、霊因縁の恐怖を与えて信じないことを罪のように思わせる。やがて人の信じない自由を侵害するようになる。2025/03/06 05:55:06342.神も仏も名無しさんMuV3uコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑霊感の言葉に苦も喜びも教えのお陰と思わされて揺さぶられる信者が勧誘するから、被害が広がるのである。2025/03/07 05:58:46343.神も仏も名無しさんZwoRfコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑教祖一家のお力を仏教を隠れ蓑に求めさせようとするが、霊感商法やねずみ講の手口を知れば、人は離れていくだろう。2025/03/08 08:24:18344.神も仏も名無しさんwdcmuコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼生老病死の成長過程の生涯を5年間毎にひとくくりと したらば ゼロ歳未満の死因は流産、死産だが、一生を通じて死因の第一位は人工中絶0~4 乳児期 2歳までは授乳 天使か妖精の無分別期5~9 幼児期 ここまで生きられたら健康の天才児。男女7歳にして席を同じゅうせず10~14 10歳尋常小学卒業まで生き延びたら丁稚奉公で親元出立 女児初潮生涯卵子数400個保持 10歳幼学ようがく15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19 縄文時代の平均寿命は15最長30 15歳志学しがく20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張る肌 感触最良バスト 20歳弱冠25~29 脱水で細る顔ポソッ30~34 人生再検討期、新興宗教開祖期 三十路ミソジ35~39 立脚点確立 滴る愛液急減少40~44 40不惑 自他横一列が欠け始め精子数減少開始 43老眼乱視子宮硬化45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命てんめい知命ちめい アル中、肝静脈瘤破裂前期55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中、肝静脈瘤破裂後期60~64 天下り先退職金積み増し 60還暦耳順じじゅん65~69 年金受給 人生黄金期前期 世界旅行食べ歩き 65夜間頻尿70~74 人生黄金期後期 72男健康年齢 前立腺がん75~79 ひ孫と面談、ランドセル予約 女健康年齢7580~84 長寿の達人 男平均寿命8285~89 存在確認の同窓会が無い 女平均寿命8790~94 歯科医の総仕上げ総入れ歯 90卒寿そつじゅ95~99 歯茎で噛み切れる刺身が旨い 99白寿はくじゅ100~104 自治体表彰 100百壽ももじゅ105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい 108茶壽ちゃじゅ110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい 111歳皇壽こうじゅ115~119 もっと尿瓶しびんをクレヨンクレパス 119頑寿がんじゅ120~124 今日も元気だ薬がウマヒィ 120昔寿せきじゅ121歳大還暦2025/03/08 21:44:01345.神も仏も名無しさんjBSYKコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑人にこの教えを繋ぐと巡りに巡って自分にお力として返ってくる。施餓鬼も7分の6が返ってくると言われる。それは後から霊感の言葉でお力だと示されてその気にさせられるだけであるが。2025/03/09 09:21:38346.神も仏も名無しさん00dAQコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑霊感の言葉で示されたお力を聖なるものとして求めさせられる。誰でも言える言葉であると気づけば、離れよう。2025/03/10 05:57:48347.神も仏も名無しさん3f8UWコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑霊因縁の恐怖の力は、人の信じない自由をも侵害する力となり得る。2025/03/11 05:55:15348.神も仏も名無しさんwUWKuコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑他が為と聴くと勧誘しなければならないというトリガーが信者に働く。独特の言葉が使われて信者を教えの為に動かそうとするのである。2025/03/12 05:52:53349.神も仏も名無しさん9NkleコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑良い結果も悪い結果も教えのお力があるからより良く、悪くてもこれくらいで済んだと言われる。霊感の言葉で後出しジャンケンが続けられている。2025/03/13 06:27:33350.神も仏も名無しさんzg9OoコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑教えのお力を相手が信じられるように信者が念を送ると、不幸が見られたときに勧誘の兆しが現れる。それは呪いである。2025/03/14 06:05:06351.神も仏も名無しさんSOS02コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑教えを疑うとお力が流れてこない恐怖を感じる。人に否定されても同様である。そして信じない自由を侵害する。2025/03/15 08:12:46352.神も仏も名無しさん4x0jFコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑霊感商法の言葉に一切お任せ。それは普通に考えて思考停止へ向かう危険な行為である。2025/03/16 09:47:32353.神も仏も名無しさんd7LJqコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑信者が集団で喜びを表現しようとする。それに違和感を感じたら、信者は霊因縁の恐怖を感じながら、人に教えを信じさせようとするために恐怖心を煽ろうとしていることに気づこう。2025/03/17 07:00:31354.神も仏も名無しさんbOR42コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑「他が為」は信者にとって勧誘のトリガーである。信者は霊因縁の恐怖に追い詰められながら何度もけしかけられていると忘れてはならない。2025/03/18 05:54:09355.神も仏も名無しさんNIGU1コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他人事を自分に準えても、結局霊因縁の言葉で教えの都合の良い解釈となる。誰でも言える言葉である。2025/03/19 05:27:13356.神も仏も名無しさんZaNXCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えに調子に乗せられた信者の言動は正気を逸していて非常に怖い。2025/03/20 07:41:35357.神も仏も名無しさん3XPP7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑この素晴らしい教えを人に繋いで歩ませることによって自分も救われる。それは勧誘とは言わないようであるが。2025/03/22 08:43:42358.神も仏も名無しさんtiDV0コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑しかし、信者は信じない人に対して地獄に落ちると他のカルトと同様な事を言うのである。修行の身と謙遜しながら。2025/03/23 05:25:02359.神も仏も名無しさんoreCqコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑この教えの実践は勧誘が多くを占める。霊感の言葉で一人救われたと思っているだけではお力は続かないのである。2025/03/24 06:01:29360.神も仏も名無しさんnWxa7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑この教えを静かに続けさせては信じない自由が侵害される。信者による信じない自由の侵害は静かではないが。2025/03/26 05:53:18361.神も仏も名無しさんg1EhTコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳は霊感の言葉で与えられ、人生の転機に崩されると言われる。それは架空の言葉に人生を左右されるということである。2025/03/27 06:02:18362.神も仏も名無しさんf39fUコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑高額献金が無ければ同じ霊感商法を使って良いのか。それが行き着く手法である。2025/03/28 05:53:11363.神も仏も名無しさん9VQ8EコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑み仏は教祖一家を信者に連想させ、教えの為に世の中で奉仕して勧誘の成功度を上げようとする。追い詰められると人の信じない自由を奪おうとするが。2025/03/29 07:07:48364.神も仏も名無しさんe2TWXコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑教えを信じられない人は可哀想。それが信者の貴賤の基準である。2025/03/30 08:34:55365.神も仏も名無しさんHOP7lコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】善法に従わなきは心にぞ 邪楽しむ心宿るらむ【教主注釈】涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。↑世の中の欲望を教えの中の欲望に置き換えられて求めさせられる。それを世間の人に押し付けようとするのだから、居場所を無くして教えの輪に閉じこもろうとする。しかし、それでは救われないので、勧誘に繰り出さなければならない。2025/03/31 06:10:55366.神も仏も名無しさんeMUM8コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑教祖一家をみ仏と見立てた教えの裏に、霊感商法をはじめとしたあらゆる手法が隠されている。2025/04/01 06:02:00367.神も仏も名無しさんTcRnQコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑一人を救うとは一人が教え無しには救われないと思わせることである。それが洗脳である。2025/04/02 05:50:09368.神も仏も名無しさん6cFUyコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑信者の新興宗教を信じさせられているという劣等感に対して、教えを信じられない人は可哀想と思う優越感が自惚れとして上から目線になっている。そして、人の信じない自由を侵害しようとするのである。2025/04/03 05:58:50369.神も仏も名無しさんilhydコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑家の檀家を大事にしても、信者の行動にカルト性が見られれば、それが真の姿である。2025/04/04 05:49:54370.神も仏も名無しさん07Ce2コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑信者の得ているのは菩提心ではなく、霊因縁の恐怖を与えられてお力を求める煩悩である。2025/04/05 07:48:11371.神も仏も名無しさん05mULコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑信者のまこととは、教えを否定する人を許さずとことん貶めることである。信教の自由の信じない自由を侵害するならば、カルト化していると言えるだろう。2025/04/06 07:27:42372.神も仏も名無しさんTT6p6コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑勧誘しなければお力はいつまでも続かない。それがお力の実態であるが、その頃にはもう辞められなくなっているのである。2025/04/07 05:54:04373.神も仏も名無しさんaUPN4コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑この教えの宝を目指してしまうと、勧誘の為に世の中で人の信じない自由を侵害するので、居場所が無くなる。教えの輪の中で幸福ぶる態度に無理がある。2025/04/08 05:55:03374.神も仏も名無しさんDwQIBコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑ここの信心によって、信教の自由の信じない自由を侵害するという自覚が曇らされ、当然のように行うようになるのである。2025/04/09 06:03:48375.神も仏も名無しさんusT08コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑解散命令を受けた団体と同じ手口を使うが、高額な献金が明るみに出ていない。周囲が泣き寝入るならば、この教えは静かに続けられるだろう。2025/04/10 06:06:33376.神も仏も名無しさん4pgMFコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑この教えの霊感の言葉で示された方向は、勧誘しなければ救われないねずみ講への道である。2025/04/11 05:59:00377.神も仏も名無しさんxKdEeコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑世間で欲求を満たすものへの「欲しい欲しい」から救われるためのお力が「欲しい欲しい」にすり替えられる。その根拠は、その人に合わせて発せられる霊界からの言葉である。2025/04/12 06:14:18378.神も仏も名無しさんvEIhcコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑おばちゃん指導者が後から取ってつけた言葉で修行が足りないとこじつけてくる。それが教えの生きがいなのだろう。2025/04/13 08:13:51
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
手法で言えばあらゆる騙しの手口が集まっている。それを大海と見立てても威厳は無い。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
霊因縁の恐怖に急かされてきた信者が、世で解散請求されている教団と同じ霊感商法を使っていると気づくことは、「全部わかった」に値してしまうのではないか。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
教えの為にしたことは見返りを求めてはいけない。しかし、遍くお力が流れてくると言われる。しかし、教えのお力への報謝はしつこく求められる。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
教えの指導者となって思い上がるおばちゃんを見てきたが、それは目を覚まさせて霊感商法をはじめとする手法に目を向けさせてしまうだろう。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
ご利益を求めない振りをする信者が一番の取り組みである勧誘をしないと「お力は長く続かない」と言われる。ご利益の為に人の信じない自由を侵害してまで勧誘しなければならなくなる。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
仏教を隠れ蓑に霊感の言葉で真理を説く。それは後からどうとでも言える言葉である。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
お力への執着が定着すると、勧誘しないと救われないと言われれば、勧誘しても信じない人間に対して怒りを向ける。それを鎮めるために、教えを信じられなくて可哀想と思うのである。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
霊感の言葉が信者の脳裏に定着すると、日々の出来事に教えの影響を考えなければならなくなる。それが洗脳である。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教祖一家の歴史を学ぶことが救いと考えるのは勝手だ。人の信じない自由を奪おうとしなければ良いのである。
しかし、ねずみ講の教えはそれを許さない。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
教えのお力に喜んでばかりでは救われないと説かれる。勧誘に踏み出さなければお力はいつまでも続かないと言われる。それがマルチ商法の粗悪品を掴まされることになるのである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
この教えの喜びは集団圧力のように集会で強調される。違和感を感じたら距離を取ったほうが良い。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教えを信じていれば何をしても許されるという信者の心理が、よく言われる問題を引き起こしているのか。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えへの疑いをはからい心と疑わせ、霊因縁の恐怖を与えて信じないことを罪のように思わせる。やがて人の信じない自由を侵害するようになる。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
霊感の言葉に苦も喜びも教えのお陰と思わされて揺さぶられる信者が勧誘するから、被害が広がるのである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
教祖一家のお力を仏教を隠れ蓑に求めさせようとするが、霊感商法やねずみ講の手口を知れば、人は離れていくだろう。
0~4 乳児期 2歳までは授乳 天使か妖精の無分別期
5~9 幼児期 ここまで生きられたら健康の天才児。男女7歳にして席を同じゅうせず
10~14 10歳尋常小学卒業まで生き延びたら丁稚奉公で親元出立 女児初潮生涯卵子数400個保持 10歳幼学ようがく
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19 縄文時代の平均寿命は15最長30 15歳志学しがく
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張る肌 感触最良バスト 20歳弱冠
25~29 脱水で細る顔ポソッ
30~34 人生再検討期、新興宗教開祖期 三十路ミソジ
35~39 立脚点確立 滴る愛液急減少
40~44 40不惑 自他横一列が欠け始め精子数減少開始 43老眼乱視子宮硬化
45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放
50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命てんめい知命ちめい アル中、肝静脈瘤破裂前期
55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中、肝静脈瘤破裂後期
60~64 天下り先退職金積み増し 60還暦耳順じじゅん
65~69 年金受給 人生黄金期前期 世界旅行食べ歩き 65夜間頻尿
70~74 人生黄金期後期 72男健康年齢 前立腺がん
75~79 ひ孫と面談、ランドセル予約 女健康年齢75
80~84 長寿の達人 男平均寿命82
85~89 存在確認の同窓会が無い 女平均寿命87
90~94 歯科医の総仕上げ総入れ歯 90卒寿そつじゅ
95~99 歯茎で噛み切れる刺身が旨い 99白寿はくじゅ
100~104 自治体表彰 100百壽ももじゅ
105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい 108茶壽ちゃじゅ
110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい 111歳皇壽こうじゅ
115~119 もっと尿瓶しびんをクレヨンクレパス 119頑寿がんじゅ
120~124 今日も元気だ薬がウマヒィ 120昔寿せきじゅ121歳大還暦
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
人にこの教えを繋ぐと巡りに巡って自分にお力として返ってくる。施餓鬼も7分の6が返ってくると言われる。
それは後から霊感の言葉でお力だと示されてその気にさせられるだけであるが。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
霊感の言葉で示されたお力を聖なるものとして求めさせられる。誰でも言える言葉であると気づけば、離れよう。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
霊因縁の恐怖の力は、人の信じない自由をも侵害する力となり得る。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
他が為と聴くと勧誘しなければならないというトリガーが信者に働く。独特の言葉が使われて信者を教えの為に動かそうとするのである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良い結果も悪い結果も教えのお力があるからより良く、悪くてもこれくらいで済んだと言われる。霊感の言葉で後出しジャンケンが続けられている。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
教えのお力を相手が信じられるように信者が念を送ると、不幸が見られたときに勧誘の兆しが現れる。それは呪いである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
教えを疑うとお力が流れてこない恐怖を感じる。人に否定されても同様である。そして信じない自由を侵害する。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
霊感商法の言葉に一切お任せ。それは普通に考えて思考停止へ向かう危険な行為である。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
信者が集団で喜びを表現しようとする。それに違和感を感じたら、信者は霊因縁の恐怖を感じながら、人に教えを信じさせようとするために恐怖心を煽ろうとしていることに気づこう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
「他が為」は信者にとって勧誘のトリガーである。信者は霊因縁の恐怖に追い詰められながら何度もけしかけられていると忘れてはならない。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他人事を自分に準えても、結局霊因縁の言葉で教えの都合の良い解釈となる。誰でも言える言葉である。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えに調子に乗せられた信者の言動は正気を逸していて非常に怖い。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
この素晴らしい教えを人に繋いで歩ませることによって自分も救われる。それは勧誘とは言わないようであるが。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
しかし、信者は信じない人に対して地獄に落ちると他のカルトと同様な事を言うのである。修行の身と謙遜しながら。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
この教えの実践は勧誘が多くを占める。霊感の言葉で一人救われたと思っているだけではお力は続かないのである。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
この教えを静かに続けさせては信じない自由が侵害される。信者による信じない自由の侵害は静かではないが。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳は霊感の言葉で与えられ、人生の転機に崩されると言われる。それは架空の言葉に人生を左右されるということである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すよう
に、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
高額献金が無ければ同じ霊感商法を使って良いのか。それが行き着く手法である。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
み仏は教祖一家を信者に連想させ、教えの為に世の中で奉仕して勧誘の成功度を上げようとする。追い詰められると人の信じない自由を奪おうとするが。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
教えを信じられない人は可哀想。それが信者の貴賤の基準である。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
世の中の欲望を教えの中の欲望に置き換えられて求めさせられる。それを世間の人に押し付けようとするのだから、居場所を無くして教えの輪に閉じこもろうとする。しかし、それでは救われないので、勧誘に繰り出さなければならない。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
教祖一家をみ仏と見立てた教えの裏に、霊感商法をはじめとしたあらゆる手法が隠されている。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
一人を救うとは一人が教え無しには救われないと思わせることである。それが洗脳である。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
信者の新興宗教を信じさせられているという劣等感に対して、教えを信じられない人は可哀想と思う優越感が自惚れとして上から目線になっている。そして、人の信じない自由を侵害しようとするのである。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
家の檀家を大事にしても、信者の行動にカルト性が見られれば、それが真の姿である。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
信者の得ているのは菩提心ではなく、霊因縁の恐怖を与えられてお力を求める煩悩である。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
信者のまこととは、教えを否定する人を許さずとことん貶めることである。信教の自由の信じない自由を侵害するならば、カルト化していると言えるだろう。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
勧誘しなければお力はいつまでも続かない。それがお力の実態であるが、その頃にはもう辞められなくなっているのである。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
この教えの宝を目指してしまうと、勧誘の為に世の中で人の信じない自由を侵害するので、居場所が無くなる。
教えの輪の中で幸福ぶる態度に無理がある。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
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ここの信心によって、信教の自由の信じない自由を侵害するという自覚が曇らされ、当然のように行うようになるのである。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
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解散命令を受けた団体と同じ手口を使うが、高額な献金が明るみに出ていない。周囲が泣き寝入るならば、この教えは静かに続けられるだろう。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
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この教えの霊感の言葉で示された方向は、勧誘しなければ救われないねずみ講への道である。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
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世間で欲求を満たすものへの「欲しい欲しい」から救われるためのお力が「欲しい欲しい」にすり替えられる。その根拠は、その人に合わせて発せられる霊界からの言葉である。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
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おばちゃん指導者が後から取ってつけた言葉で修行が足りないとこじつけてくる。それが教えの生きがいなのだろう。