新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/12/25 06:051.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36632コメント欄へ移動すべて|最新の50件583.神も仏も名無しさん3JEFA6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑過去がこの教えの霊言どおり霊的に解釈される。それは、お力が流れてこないことを恐れて、教えどおりに勧誘ノルマに追われることになる。2025/11/06 06:11:53584.神も仏も名無しさんw87Pv7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑心ないや心忘れたは、教えを教えどおりに信じられないことである。そのとおりにならない人にハラスメントをするから信者は心ないと言われるのである。2025/11/07 06:06:40585.神も仏も名無しさんCiocZ8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑新興宗教を信じさせられている劣等感があり、最高の教えを信じているという優越感を持たされて、教えを信じられない人は可哀想という我を抑えながら勧誘する信者のストレスは計り知れない。2025/11/08 07:23:44586.神も仏も名無しさんy5ks99 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救うとは、教えに繋いでその力で救うのであるが、目的は勧誘である。そうすれば、勧誘した側も救われると言われるが、それはネズミ講の原理である。2025/11/09 08:27:25587.神も仏も名無しさんu2BDk10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑「この教えは深い」と思わせるだけで教義など伝わらない。勧誘中心の取り組みが示されるだけである。2025/11/10 06:12:52588.神も仏も名無しさんEFHC111 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑この書は過去の教団の警察沙汰を美化し、世にある悪徳商法と同様の手法をカモフラージュしている。信者による言葉に怪しさを感じたら調べてみよう。2025/11/11 06:04:24589.神も仏も名無しさんYUGHF12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑この教えを信じて、勧誘して人を繋ぐことが世の為と思っている信者が、信じない人を貶めるのは、新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しである。2025/11/12 06:08:10590.神も仏も名無しさん8U3F813 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑信者はどうしてやってはいけないと言われることをするのだろうか。それを修行の身だからと都合良く肯定する傾向もある。2025/11/13 06:10:03591.神も仏も名無しさんuzHc414 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑この世の浮き沈みを霊的に教えに結びつけて心揺さぶられる。そして、教えを信じない人を「不幸になる」と揺さぶるようになるのである。2025/11/14 06:04:44592.神も仏も名無しさんRx4ar15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑教団施設で経を唱えながら目をつむり、目を開けると教祖一家の肖像画や胸像が目に入る。暗闇から光が一気に差すので、後光の様に見える。それを知覚のコントラストと言い、マインドコントロールの一手法である。2025/11/15 07:09:29593.神も仏も名無しさんWVOls16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑教えなくしては幸福になれないと思う信者が唱える。信じないことで信者にされた嫌がらせは、何事も無いように振る舞えば消える過去ではなく、信者の曲がった取り組みの肯定となるので、その手口は明かし続けなければならないだろう。2025/11/16 07:10:05594.神も仏も名無しさん4aqG2「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。2025/11/17 06:07:14595.神も仏も名無しさん4aqG217 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。2025/11/17 06:10:59596.神も仏も名無しさんq0dge18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならない世に不満を抱いて教えに救いを求めても、そのままなならい世の中で、勧誘させられて居場所を失うのである。2025/11/18 06:09:31597.神も仏も名無しさんOLBsz19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑何だか分からないから恐れて非難される方が、信者はその人の背後霊が教えを求めていると思えるのだろう。それを見越して信者による挑発に反応しない方が日々平穏に暮らせるのである。2025/11/19 06:06:14598.神も仏も名無しさんW6UbP20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑何を見ても教えになぞらえる境地は、自分が教えを信じているからお前の幸福を保ってやっているという高慢にも発展する。2025/11/20 06:06:26599.神も仏も名無しさんCHKfL21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑何かあると思わせぶりの指導者の声に有り難みを感じていても、いずれ勧誘しなければ救われない、と言われるだろう。お力はいつまでも続かないということは、お力が無いということである。2025/11/21 06:10:24600.神も仏も名無しさんQQioE22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑ここの教師の勧誘手法は、「勧誘しなければお力が流れてこなくなって救われない」という脅しである。2025/11/22 09:15:21601.神も仏も名無しさん3228j23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑迷惑なのは、信者が最高の教えを信じていると信じて、教えを信じられない人に強権的になり、精神的暴力などを使うようになることである。最高の教えが人を苦しめる教えだと気づけない信者の発生である。2025/11/23 08:44:16602.神も仏も名無しさんzEsva24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑見返りを求めずに教えに尽くせば、遍くお力が流れてくる。そんなうまい話が言われている。2025/11/24 06:56:07603.神も仏も名無しさんPXv9i25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑教えに洗脳されてしまえば、宗教モラルハラスメントも有り難い呵責となるのだろう。気づいてしまえばただのモラルハラスメントであるのだが。2025/11/25 06:04:34604.神も仏も名無しさんDMnl226 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。2025/11/26 06:13:52605.神も仏も名無しさんUFU4T27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。2025/11/27 06:08:23606.神も仏も名無しさんh5dhp28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。2025/11/28 06:17:00607.神も仏も名無しさん1SLpo29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。2025/11/29 08:02:44608.神も仏も名無しさんTt64S30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。2025/11/30 09:02:08609.神も仏も名無しさん8NEy31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。2025/12/01 05:59:26610.神も仏も名無しさんu9dTp2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。2025/12/02 05:50:37611.神も仏も名無しさんiNGVU3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。2025/12/03 06:42:32612.神も仏も名無しさんDNBAV4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。2025/12/04 06:08:34613.神も仏も名無しさんoHqXJ5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。2025/12/05 08:10:48614.神も仏も名無しさん7UCXU6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えの為でなければ、とらわれを捨てろと言われる。勧誘、献金、無償労働をすることは、社会信用、金銭、時間へのとらわれを捨てさせられることである。世間でのとらわれを、教えのとらわれに置き換えられて搾取されるだけである。2025/12/06 07:38:24615.神も仏も名無しさんvF5uG7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦と喜びをこの教えのお力にこじつけられて進む道は、教え絶対のカルトの道である。2025/12/07 07:52:39616.神も仏も名無しさんNl6xD8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑み仏も出てくるが、霊能者も出てくる。様々な宗教的要素が寄せ集められている。2025/12/08 06:06:32617.神も仏も名無しさんaXuIr9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑この教えは他の為に行うと自分にお力が返ってくるようになっている。信者を奮い立たせる為に、「お力はいつまでも続かない」と言われたら、その本質を疑うべきだろう。2025/12/09 06:01:54618.神も仏も名無しさん4MQAL10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑聖なるものが、実は、信じないと大きなお力が流れてこない恐怖心となっている。それが他が為と言って人の信じない自由を侵害する力にもなる。2025/12/10 06:02:55619.神も仏も名無しさんH3juX11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑この教えに力の限り念じても、実践しても、後付けのお力で良くも悪くも言われてしまうのが実態である。2025/12/11 06:08:25620.神も仏も名無しさんFC4TR12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑作ってはいけないと言われる教えが一人歩きしている。それを真に受けた信者が、死に物狂いで教えを信じさせようとしてくる。それが宗教被害となり得るのである。2025/12/12 06:01:35621.神も仏も名無しさんifNc513 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑この教えで示される因縁こそが、悪因縁である。それらに雁字搦めにされることの方が不幸である。2025/12/13 09:41:28622.神も仏も名無しさん9Tman14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑呪文を唱えることでお力を請う。信者にとって教えを否定する言葉を発する人間は敵である。それだけ気づくのはあっという間だからである。2025/12/14 08:58:47623.神も仏も名無しさんrwYhC15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑教祖一家の色情因縁を払拭する理想の親は、これからも示され続けるだろうが、教えの手口も晒され続けるだろう。2025/12/15 06:03:54624.神も仏も名無しさんGq4Ha16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑お委せは思考停止、お救けは勧誘である。教えの意図が見える。2025/12/16 06:07:08625.神も仏も名無しさんXlQEh18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑自分の為も他の為も、教えの為の取り組みになる。お力が自分に多く返ってくると言われても、献金、無償労働、勧誘によって三つの搾取が行われている。2025/12/18 06:02:01626.神も仏も名無しさんhYjnX19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他に幸いのあゆみを与える行為が勧誘であるが、悪因縁を示されてお力を頂く為にさせるのがねらいである。2025/12/19 06:06:00627.神も仏も名無しさんu2NL720 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑他の人もこの教えに結ばれて幸せになれば良いのに。そんなかけ離れた思考にさせられるのは、お力が流れてこなくなる恐怖が根底にあるからである。2025/12/20 09:23:49628.神も仏も名無しさんsOSd521 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑霊言が教えに都合の良いように解釈される。それがみ仏本意なのだろうが、この教えは仏教ではないのだから、普通に考えれば危険な解釈である。それを人間本意と言われるのだろうが。2025/12/21 07:19:43629.神も仏も名無しさんS7mtJ22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑新興宗教信者が勧誘のためにカミングアウトする時、かなりの恐怖心が植え付けられているのだろう。2025/12/22 06:04:51630.神も仏も名無しさんRWFNJ23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑教えを信じない罰を因果応報と説く教えであるが、信者の動機はお力が流れてこないことで因縁にどう倒されるか分からない恐怖による。2025/12/23 06:05:45631.神も仏も名無しさんQ1ndz24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑教えをただ信じることで知恵かつくと考える信者が、それを人にも実践させようとする。それは信教の自由の侵害でもあるが、騙しでもある。2025/12/24 06:03:48632.神も仏も名無しさんeBa9b25 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑この教えは遍くお力が流れてくるから、初心者もすぐに救われると言われる。やがて、お力はもったいぶられて、勧誘しなければ、「お力はいつもでも続かない」と更に急かされるのである。2025/12/25 06:05:44
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
過去がこの教えの霊言どおり霊的に解釈される。それは、お力が流れてこないことを恐れて、教えどおりに勧誘ノルマに追われることになる。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
心ないや心忘れたは、教えを教えどおりに信じられないことである。そのとおりにならない人にハラスメントをするから信者は心ないと言われるのである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
新興宗教を信じさせられている劣等感があり、最高の教えを信じているという優越感を持たされて、教えを信じられない人は可哀想という我を抑えながら勧誘する信者のストレスは計り知れない。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うとは、教えに繋いでその力で救うのであるが、目的は勧誘である。そうすれば、勧誘した側も救われると言われるが、それはネズミ講の原理である。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
「この教えは深い」と思わせるだけで教義など伝わらない。勧誘中心の取り組みが示されるだけである。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
この書は過去の教団の警察沙汰を美化し、世にある悪徳商法と同様の手法をカモフラージュしている。信者による言葉に怪しさを感じたら調べてみよう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
この教えを信じて、勧誘して人を繋ぐことが世の為と思っている信者が、信じない人を貶めるのは、新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しである。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
信者はどうしてやってはいけないと言われることをするのだろうか。それを修行の身だからと都合良く肯定する傾向もある。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
この世の浮き沈みを霊的に教えに結びつけて心揺さぶられる。そして、教えを信じない人を「不幸になる」と揺さぶるようになるのである。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
教団施設で経を唱えながら目をつむり、目を開けると教祖一家の肖像画や胸像が目に入る。暗闇から光が一気に差すので、後光の様に見える。それを知覚のコントラストと言い、マインドコントロールの一手法である。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
教えなくしては幸福になれないと思う信者が唱える。信じないことで信者にされた嫌がらせは、何事も無いように振る舞えば消える過去ではなく、信者の曲がった取り組みの肯定となるので、その手口は明かし続けなければならないだろう。
↑
毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴から入り込むように洗脳される信者は、お力が流れてくる喜びを感じる。しかし、信じない人間に釣られて教えを疑うようになるのは恐怖なので、信じない人に攻撃的になるのである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
ままならない世に不満を抱いて教えに救いを求めても、そのままなならい世の中で、勧誘させられて居場所を失うのである。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
何だか分からないから恐れて非難される方が、信者はその人の背後霊が教えを求めていると思えるのだろう。それを見越して信者による挑発に反応しない方が日々平穏に暮らせるのである。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
何を見ても教えになぞらえる境地は、自分が教えを信じているからお前の幸福を保ってやっているという高慢にも発展する。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
何かあると思わせぶりの指導者の声に有り難みを感じていても、いずれ勧誘しなければ救われない、と言われるだろう。お力はいつまでも続かないということは、お力が無いということである。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
ここの教師の勧誘手法は、「勧誘しなければお力が流れてこなくなって救われない」という脅しである。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
迷惑なのは、信者が最高の教えを信じていると信じて、教えを信じられない人に強権的になり、精神的暴力などを使うようになることである。最高の教えが人を苦しめる教えだと気づけない信者の発生である。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
見返りを求めずに教えに尽くせば、遍くお力が流れてくる。そんなうまい話が言われている。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
教えに洗脳されてしまえば、宗教モラルハラスメントも有り難い呵責となるのだろう。気づいてしまえばただのモラルハラスメントであるのだが。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
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結果を求めないふりをしてお力を請う信者。気高い振りが卑しく見えてしまう。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
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この教えは教祖一家が易学と霊能を組み合わせて始められた。仏教は教祖が醍醐寺で得度受戒しただけである。明らかにストーリーが歪められている。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着から離れるようで、教えの中の階層に組み入れられて、お力を貰える地位に執着させられる。上へ上がるほど自分や導き子の勧誘実績が問われるため、世の中との摩擦が大きくなり、居場所は教団の輪の中だけとなる。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
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涅槃経を取り入れたから最初から仏教で、一番新しい教えだと主張されている。それも見越して、実態を見抜こう。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
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変わらないのは仏教をまとったこの教えの慈悲と言われている。その慈悲は勧誘、無償労働、献金、特に勧誘をしなければ得られない。本当に得られるかも分からない。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の仕事をみ仏のお力に支えられていると思うことは良いことだが、そのお力が勧誘しなければいつまでも続かないのだから、それを人に勧めれば、マルチ商法の粗悪品と同じである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
学ぼうとしなくとも、教団施設に行けば心に染み渡ってくるのがマインドコントロール技術である。忙しい振りは信者がよく使う手段である。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
この教えにに言われるように行うと、三つの搾取がある。勧誘、献金、無償労働である。特に勧誘は二倍の精進と言われている。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
喜びを強要される教えの中で、信じない自由を侵害されたなら、それは宗教モラルハラスメントである。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
三つの搾取をさせるために示されるお力の方が、悪魔の投げた餌食である。勧誘、献金、無償労働の真の意味に気づいた方が良い。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えの為でなければ、とらわれを捨てろと言われる。勧誘、献金、無償労働をすることは、社会信用、金銭、時間へのとらわれを捨てさせられることである。世間でのとらわれを、教えのとらわれに置き換えられて搾取されるだけである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦と喜びをこの教えのお力にこじつけられて進む道は、教え絶対のカルトの道である。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
み仏も出てくるが、霊能者も出てくる。様々な宗教的要素が寄せ集められている。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
この教えは他の為に行うと自分にお力が返ってくるようになっている。信者を奮い立たせる為に、「お力はいつまでも続かない」と言われたら、その本質を疑うべきだろう。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
聖なるものが、実は、信じないと大きなお力が流れてこない恐怖心となっている。それが他が為と言って人の信じない自由を侵害する力にもなる。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
この教えに力の限り念じても、実践しても、後付けのお力で良くも悪くも言われてしまうのが実態である。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
作ってはいけないと言われる教えが一人歩きしている。それを真に受けた信者が、死に物狂いで教えを信じさせようとしてくる。それが宗教被害となり得るのである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
この教えで示される因縁こそが、悪因縁である。それらに雁字搦めにされることの方が不幸である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
呪文を唱えることでお力を請う。信者にとって教えを否定する言葉を発する人間は敵である。それだけ気づくのはあっという間だからである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
教祖一家の色情因縁を払拭する理想の親は、これからも示され続けるだろうが、教えの手口も晒され続けるだろう。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
お委せは思考停止、お救けは勧誘である。教えの意図が見える。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
自分の為も他の為も、教えの為の取り組みになる。お力が自分に多く返ってくると言われても、献金、無償労働、勧誘によって三つの搾取が行われている。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他に幸いのあゆみを与える行為が勧誘であるが、悪因縁を示されてお力を頂く為にさせるのがねらいである。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
他の人もこの教えに結ばれて幸せになれば良いのに。そんなかけ離れた思考にさせられるのは、お力が流れてこなくなる恐怖が根底にあるからである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
霊言が教えに都合の良いように解釈される。それがみ仏本意なのだろうが、この教えは仏教ではないのだから、普通に考えれば危険な解釈である。それを人間本意と言われるのだろうが。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
新興宗教信者が勧誘のためにカミングアウトする時、かなりの恐怖心が植え付けられているのだろう。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
教えを信じない罰を因果応報と説く教えであるが、信者の動機はお力が流れてこないことで因縁にどう倒されるか分からない恐怖による。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
教えをただ信じることで知恵かつくと考える信者が、それを人にも実践させようとする。それは信教の自由の侵害でもあるが、騙しでもある。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
この教えは遍くお力が流れてくるから、初心者もすぐに救われると言われる。やがて、お力はもったいぶられて、勧誘しなければ、「お力はいつもでも続かない」と更に急かされるのである。