新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2024/11/21 05:521.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36239コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんM3eFr23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑教えを信じないと地獄に落ちると信者は平気で言うが、因果応報の根拠が霊感・霊視商法の手法で作られてしまい、信じてしまえばその人の運命も左右されてしまうだろう。2024/03/23 08:37:363.神も仏も名無しさんrGD9924 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑仏教を隠れ蓑に献金と実践が言われる。霊感の言葉でただ信じ実践するように恐怖心が植え付けられ、思考が停止していくのである。2024/03/24 04:59:424.神も仏も名無しさんP1qlx25 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑初心者はいわゆるラブシャワーを向けられてもてはやされる。そして教え無しでは生きられなくなると粗末に扱われても洗脳が解けなくなる。早く霊感・霊視商法の言い回しに気づいた方が良い。2024/03/25 05:55:165.神も仏も名無しさん50wwv26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑霊感・霊視商法の手法でお力をもたらす教祖一家の常住はお力が流れてこなくなる恐怖心を信者に与える。その連鎖が信教の自由を侵害しながら広まるが、無断で入れられた名前だけの信者が多数なのが実態である。2024/03/26 05:06:026.神も仏も名無しさんx5pz827 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳は霊感・霊視商法の言葉によって積まれると思わされるが、人生の転機や教えを信じないとたちまち減ってしまうと思わされる。教えにとって都合の良いポイントのようなものである。2024/03/27 05:54:527.神も仏も名無しさんE0Ssx28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑仏教を隠れ蓑にあらゆる騙しの要素で、因縁から救われる為に信者をお力に依存させようとする。2024/03/28 05:08:068.神も仏も名無しさんcY55A29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑教祖一家に仕えると思いきや、大衆に仕えると言えば、勧誘してこの教えを信じさせることである。それがどういう連鎖かはねずみ講の手法である。2024/03/29 09:07:089.神も仏も名無しさんJcQ6h30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑信者は教えを信じる、信じないで貴賤を判断するが、教祖は「貧乏人は別の教団に行け」と言う。そんな教えの行き着く先を想像した方が良い。2024/03/30 06:05:2710.神も仏も名無しさんrMJdC31 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】善法に従わなきは心にぞ 邪楽しむ心宿るらむ【教主注釈】涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。↑最上の教えを欲にかられて信じきれないことが説かれている。しかしその基本は霊感・霊視商法の言葉である。信者は教えを信じていれば欲楽に興じていても許されると思っている。2024/03/31 07:23:3711.神も仏も名無しさん0f9Cs1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑お導きは勧誘である。仏教を霊感・霊視商法の隠れ蓑にしている。2024/04/01 05:39:3512.神も仏も名無しさんm0rci2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑多くの人が救われるという建前の裏で信者が信じる自由、信じない自由のバランスを保って行動しているかがカルト性を見る要素となる。この教えを信じる自由のみが尊重され、信じない自由が蔑ろにされていればカルト性を伴う行為とみなされる。2024/04/02 05:10:3713.神も仏も名無しさんE22BV3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑霊感・霊視商法の言葉に霊、因縁を信じさせられて、人を誘わなければ救われないと思わされて、人の信じない自由を奪ってまで自分のために取り組む信者は哀れと思われないのであろうか。2024/04/03 05:22:1514.神も仏も名無しさんZ3TQo4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑檀家が仏教でも信者は葬式仏教と下に見る。仏壇に教祖一家や涅槃像が飾られていれば、かなり染まっていると思って良い。2024/04/04 04:57:3415.神も仏も名無しさんkgUub5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑ここの信者が悟っているかは日常の会話を見れば分かる。霊感の言葉を信じさせられているが、その寄せ集めの教義を人に信じさせようとしても無理だから無断で入会させるのである。2024/04/05 05:00:3016.神も仏も名無しさんjCqIl6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑身口意の罪が教えの為ならば許されると洗脳されれば、人の宗教を信じない自由も奪おうとする罪を感じなくなる。それはカルト性を伴う。2024/04/06 07:25:4817.神も仏も名無しさん2fI0s7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑この霊感の言葉による信心はカネ、ヒマ、社会的信用が搾取される。因縁に倒される恐怖によって人の信じない自由を侵害しようとしてカルトと見られるようにもなる。2024/04/07 05:14:0918.神も仏も名無しさんKrKfD8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑教えの中で得られる霊意などの地位は世の中で得られない地位に代わって信者が執着する。それは霊感の言葉で安易に得られるからである。2024/04/08 04:47:0119.神も仏も名無しさんmFzJ69 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑信心によって耐える力が備わることはある。しかし、信じたくない人を貶め、信じない自由を奪う行為はカルト性を伴う侵害行為であると気付けないのは強さではない。2024/04/09 06:54:3020.神も仏も名無しさんMZYhN10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑他の為と言うが世間法と教えを信じない人を見下し、上から目線で勧誘する信者。救いの根拠が霊感の言葉による救われた物語だから否定されるのを恐れているのである。2024/04/10 06:30:0821.神も仏も名無しさんDYB2411 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑好転どころか判断力を削がれるため、悪循環をもたらす。霊感の言葉で思考を停止させられるからである。2024/04/11 06:16:0522.神も仏も名無しさんTri0F12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑教祖一家が克服できなかったものを信者に戒めようとする。霊感商法で信者にカネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして貢がせようとする。2024/04/12 06:02:0123.神も仏も名無しさんIc8tD14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑教えにとって都合の良いとらわれを捨てることは、カネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして教えに貢ぐことである。特に勧誘が重要視されるが、人の信じない自由を侵害してまで行えば、カルト性を伴うと取られて信用を失うのである。2024/04/14 05:27:0224.神も仏も名無しさん3u5mM15 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海の如きみ法にあいまつり 常楽我浄と知るも尊し【教主注釈】すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。↑あらゆる騙しの手口がこの教えに取り入れられている。宗教を隠れ蓑にそれら手口によって信じない自由が侵害され、信教の自由が侵害されている。2024/04/15 07:07:0825.神も仏も名無しさんstg4K16 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自らの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。↑教えを信じないのが悪という単純思考で人の信じない自由を侵害しているからカルトと言われるのである。2024/04/16 04:24:1726.神も仏も名無しさんRrH9317 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑喜びが強調されて人の為に良かれと教えに繋ぐ方法が無断入信や人が信じないと逆ギレして信じない自由を侵害しようとする手法である。それはカルト性を伴う行動である。2024/04/17 03:58:2527.神も仏も名無しさんZwypL18 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑毒親の様に呵責を楽しむ真如苑指導者。その前にこの教えの霊感・霊視商法の手口に気づいて距離を取らなければならないだろう。2024/04/18 05:29:4128.神も仏も名無しさんJwuxs真如苑ってカルトなんですか?信者数なこんなご時世なのに増え続けている理由を知ってる人はいますか?2024/04/18 14:35:3329.神も仏も名無しさん1vWt319 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】権威をば振るってなせる教化には 形成りても実(じつ)は少なし【教主注釈】自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。↑いずれ分かると無断でも強引に入信させても霊感・霊視商法の手口はよほど心の弱った人でなければ通じない。webで調べれば杜撰な手口が沢山調べられる。2024/04/19 05:42:4130.神も仏も名無しさんFJToq20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑霊感・霊視商法の教えの如く歩んでいけば、カネ、ヒマ、社会的信用が搾取される。特に人の信じない自由を侵害してまで勧誘すればカルト性を伴って社会的信用が失われる。2024/04/20 05:51:0731.神も仏も名無しさんLljJa21 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】善友に近よることはよけれども 愚人の交際絶たばなおよし【教主注釈】涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。↑教えを信じない人や否定する人に対して手のひらを返したように排他的な態度を取る洗脳。それは霊感・霊視商法の手法に注目させない目的があるのだろう。2024/04/21 05:38:3032.神も仏も名無しさんINtM122 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは 今を機会と知るも尊し【教主注釈】機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。↑霊感で示された因縁を切る機会は今しかないと急かされ、霊感の言葉で因縁が深められていく。そして、霊感で示す教えで救ってやるというマッチポンプである。2024/04/22 05:19:5733.神も仏も名無しさんSfDBi23 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住のみ佛さまを慕いつつ 仕うる人ぞたのものしきかな【教主注釈】常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。↑この教えのみ仏の常住は、霊感の言葉で因縁にどう倒されるか分からないと思わされている人によるお力を求める恐怖心から求められている。常に教えを疑っていないか監視されている気分であ2024/04/23 05:16:3634.神も仏も名無しさん5Qxt924 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】お済度は父母を救ける心にて 説けよ苑人これぞ道なり【教主注釈】お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。↑教祖夫婦を父母と同等視してしまうまで洗脳されると人の信じない自由を侵害してまでも教えを信じさせようとしてしまうだろう。それはカルト性を伴う行動である。2024/04/24 04:19:2835.神も仏も名無しさんv32SC25 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓喜積みお救けこそは積み磨き 奉仕は磨く徳と知れ人【教主注釈】歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。↑勧誘が積んで磨くから二倍の精進らしい。無断で入信させても会費さえ払っていれば救われるらしい。だから会費立替で幽霊信者が沢山いるのだろう。2024/04/25 05:37:1036.神も仏も名無しさんZoeiI26 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】他のために言葉やわらげ教ゆるは 菩提(めばえ)育てのまことなりけり【教主注釈】聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。↑霊位のレベルに応じて示される霊言が違うと自負する信者がいる。霊感商法の手法であることは変わりないが。2024/04/26 05:24:2737.神も仏も名無しさんcfcYP27 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】道に外れあゆむが故に事故起し 後の後悔先には立たず【教主注釈】教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。↑良ければ教えのとおり、悪ければ「それ見たことか」と教えどおりでないと戒めることは誰でもできる。霊を絡めた言葉で行われるので霊感商法である。2024/04/27 05:53:0638.神も仏も名無しさんpo65128 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて 歓喜世界の出現(いず)る時まで【教主注釈】信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。↑霊感の言葉で思考停止させられて二元論的になれば楽であろう。しかし、宗教を強要することは心理的虐待になることもある。2024/04/28 05:07:0439.神も仏も名無しさんAGoex29 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大乗の道も炭火と同じなれ 三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ【教主注釈】信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。↑集団圧力は複数人が一所に集まることで強められる。そこへ連れて行かれる前にSNS等で情報を収集し霊感商法の手口に気づくべきである。2024/04/29 06:29:3440.神も仏も名無しさんNbjIr30 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば それ、それ自体が真理(みち)に叶わん【教主注釈】怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。↑こんな楽な修行で大きなお力が得られると言われることもある。その先にあるのは金、暇、社会的信用の搾取である。2024/04/30 05:04:1541.神も仏も名無しさん3ULMu1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑信者が謙っていても、傲慢さと上から目線が伝わってくる。霊、因縁の恐怖と選民意識で感情を揺さぶられて洗脳されているからである。2024/05/01 05:50:3142.神も仏も名無しさんxg0Nk2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑勧誘したらSNSで手口が知られていて避けられてしまう。親子関係や職場の縛りで無理に信じさせようとすると心理的虐待となる。2024/05/02 05:03:0243.神も仏も名無しさんzkEPD3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑人を観察しながらその人の不幸をどう霊と絡めて勧誘するかを考えるようになる。相手の迷惑を考えられなくなるほど宗教を押し付ける様になれば、人として終わりではないか。2024/05/03 08:03:0244.神も仏も名無しさん6JZdf4 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑教えどおりではないことが全てはからいとみなされる。それは指導者の主観で変わることもある。だから指導者はやめられないのであろう。教えどおりに思考停止することが安心と思えば、教えの意図どおりの人間になることである。2024/05/04 06:52:5845.神も仏も名無しさんwlNX75 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑実際は、霊感商法を使う組織が法的措置を受けてこの教えの手口も同様であると世に知られただけである。2024/05/05 04:29:2646.神も仏も名無しさん8cOp76 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑過去の霊感の言葉に左右されない状況から何でも霊の仕業にされる霊感商法の手法に左右される状況へ。それは楽なようで実は金銭、時間、社会的信用が搾取される状況である。2024/05/06 05:57:4347.神も仏も名無しさん8alHH7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑この教えのみ仏に心を奪われ、み仏のために勧誘、献金、無償労働をするようになると、人の望まない勧誘をするようになる。その状態が心を忘れた状態ではないか。2024/05/07 05:17:4548.神も仏も名無しさんQVTRp8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑救いだと本当に思っている信者が歩んでいるのだろう。実際は霊感商法による後付のお力だから信者が人為的に人を貶めて「教えを信じないから」と迷惑をかけているケースがほとんどであろう。2024/05/08 05:09:5149.神も仏も名無しさん55hX99 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑「いずれ分かる」と否定されても霊の仕業をほのめかし続ける信者。SNSではそのしつこさと手口が日々語られる。2024/05/09 05:37:1450.神も仏も名無しさんNDf6l10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑霊感の言葉で教えの中の教えと信じさせられた信者が「信じないのはおかしい」と興奮気味に勧誘する様になる。信教の自由の人権感覚も麻痺させられている。2024/05/10 05:10:2451.神も仏も名無しさんKAuEL11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑教書や機関誌に「ああ救われた、こう救われた」と書かれていても、霊的に後から解釈された言葉である。その霊感商法の手口に気づかなければならない。2024/05/11 05:58:0052.神も仏も名無しさん6KJcb12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑自分が救われるために人の為と宗教を強要する心理的虐待は、信者が霊感商法を使っていることに対して目を逸らしているが故に無くならない。2024/05/12 06:42:2353.神も仏も名無しさんShIPY13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑信者はどこまでも上から目線でしてやった主義である。それは同様な霊感商法を使う団体が解散請求されても目を逸らすことで続くのであろう。2024/05/13 05:10:3754.神も仏も名無しさん1ydEu14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑信者が世間での居場所を無くされるのは勧誘ノルマで宗教の強要をさせられるからである。真の加害はそれによる心理的虐待である。2024/05/14 05:22:3055.神も仏も名無しさんlAu8o16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑これは食事(じきじ)観念と言って信者が食事の前に教えに感謝する呪文である。独特な読み方が信者の選民意識を高める要素ではないか。2024/05/16 05:10:1156.神も仏も名無しさん2aQpW17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴からお力が入り込むというイメージであるが、同時にお力が流れてこない恐怖心も入り込むイメージである。表と裏がある教義の裏には霊感商法がある。2024/05/17 04:58:4057.神も仏も名無しさんCA9ce18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならないのが霊の仕業にされる。そして、教団の為に金、暇、社会的信用を犠牲にすれば救われると霊感商法の手口で騙される。2024/05/18 06:04:5058.神も仏も名無しさんdNlwo19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑避難やざん謗がつきものなのは、この教えがねずみ講型で霊感商法型の取り組みをするからである。それさえも気づけなくなるのは悲しいことではないか。2024/05/19 07:32:2759.神も仏も名無しさんcnLfG20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑誰にでも当てはまる言葉で当たったと思わせる接心は霊感商法やコールド・リーディングが使われるが、本人の状況を知る指導者によるホット・リーディングと組み合わせて信じさせられる。そこに至る前に洗脳された信者が教えを強要するのは心理的虐待であり、信教の自由の侵害である。2024/05/20 05:25:4960.神も仏も名無しさんQSVeH21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑求める心とは霊因縁の恐怖でお力を求める教えの為に貢がなければならない心である。そこから霊感商法の騙しによって、ねずみ講型の勧誘ノルマを達成しなければならなくなる。2024/05/21 05:42:2361.神も仏も名無しさんROe8522 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑あらゆる騙しの技術が集約された教え。仏教を隠れ蓑としているが、洗脳で盲目となった信者が引き起こす問題がSNSで挙げられて行く。2024/05/22 04:59:5162.神も仏も名無しさん8Uq8m23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑初心者はお力がすぐに降り注ぐ偉大な教えであるが、霊位が上がるこどにハードルが高くなる。悪徳商法の手法ばかりなので、何か困れば「分かった様なことを言う」と逃げの言葉を使う。2024/05/23 05:57:3463.神も仏も名無しさんN1WpM24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑他の宗教に頼ると「もらったお力を返せ」と因縁となるからここを頼れと言われる。しかし、一番報謝を求められる結果となる。カネ、ヒマ、社会的信用の犠牲を伴って。2024/05/24 05:54:4864.神も仏も名無しさんS5s5n25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑この教えの呵責は霊的ハラスメントであると距離を取ることが悟りである。2024/05/25 06:09:5865.神も仏も名無しさん4TjnN26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑実際は献金してもご利益は無い。良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと後から霊的に言われているだけである。それを霊感・霊視商法と言う。2024/05/26 05:06:3366.神も仏も名無しさんKsoKU27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑信者の言う絶対的教えは後から霊的に示されるので、騙され続ければ一生続くであろう。二世以上は信じたくないのに信じさせられようとする心理的虐待を意識して被害を訴え続けるだろう。2024/05/27 05:00:0467.神も仏も名無しさんhx6cn28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の欲は全て執着と言われ、教えへの執着は正しいと言われる。信者自身も含めた世の中から搾取させてカネ、ヒマ、社会的信用を教えに貢がせるのである。2024/05/28 06:00:4368.神も仏も名無しさんKkXjg29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑この教えを信じて懺悔する時、その状況が霊的にお力のお陰とすり替えられる。良くても悪くてもである。2024/05/29 05:52:1669.神も仏も名無しさんxFVl830 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑仏を隠れ蓑にした霊感商法が人の世に溶け込んでいる。それに気づいてカルト性を見抜けたら幸福に近付けるのである。2024/05/30 05:50:5470.神も仏も名無しさんE3zfG31 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】夢みせて出離の道を教ゆるも 佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり【教主注釈】夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。↑夢も霊感商法の要素として使われる。それが取り組みと嬉しく思ってしまうのは洗脳が進んでいるからだろう。2024/05/31 05:27:3971.神も仏も名無しさんLPJNx1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑日々の業務にも入り込んでくる霊感の教え。み仏本位は教えの為であり、人間本位は教えの為にならないことである。2024/06/01 06:43:1472.神も仏も名無しさんESEda2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑霊的に後から言葉を取ってつけることが学びならば、霊感商法の騙しを学ぶことになる。それは悲しいことである。2024/06/02 06:26:3473.神も仏も名無しさんiHZ3O3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑ただ喜んで教えのお力に出会えて喜んでいるだけでは教団のためにならない。自分にとっての三つの搾取である献金、勧誘、無償労働をしなければならないのである。2024/06/03 05:08:0974.神も仏も名無しさんvwbXR5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑世の楽しみを悪として教えに貢がせようとする。それだけである。2024/06/04 04:39:3875.神も仏も名無しさんkB5ZD6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑この教えは正しい。信じて行動できないのははからいである。そう霊感商法の言葉で後から取って付けられるのである。2024/06/06 04:50:1176.ネズミIdJNeここはいい時でも東京都内の信者は2000人いないので、今はご奉仕もままならない状態です。ただのネズミ講の詐欺宗教です。あたかもまともな教化しているように見えますけどね。ほとんどが在日か部落民の高齢者の信者しかいません。2024/06/06 17:47:1877.神も仏も名無しさんqY2G57 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑お力に浮足立たされ、お力が流れてこないと恐怖させられている信者。それによって三つの搾取を受けている信者は周囲にに不幸を与える。2024/06/07 05:08:1278.神も仏も名無しさんFpWX38 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑接心の言葉を日常に生かすのが無相接心である。全て霊感商法による後から取って付けた言葉であるが。2024/06/08 05:43:3879.神も仏も名無しさんa2z5U11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑全ての力をこの教えに使うほど洗脳されては哀れである。世の霊感商法の手口を知って離れよう。2024/06/11 05:44:4480.神も仏も名無しさんZn5wp12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑教えに身を捧げることが他が為を意味する。霊感商法によって自分の為に勧誘するが、それは教えのためになっていることが前提である。2024/06/12 05:14:4981.神も仏も名無しさんS6Q5413 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑教えどおりか教えどおりではないかで良し悪しを後から決められる。霊感商法の手口で霊の仕業に因縁付けられて。2024/06/13 05:53:1482.神も仏も名無しさんU1vCE14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑この偉大な教えを祈り、大船に乗った状態で呪文を唱えると大きなお力が流れる。そういう霊感商法である。2024/06/14 05:51:2783.神も仏も名無しさんznPam15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑涅槃経を持ち出して仏教を隠れ蓑にし、理想の親を見せる。その裏で行われていることが人に被害を与えていないかを見抜くことが大事である。2024/06/15 05:38:2184.神も仏も名無しさんCC5ED16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑一切お委せは思考停止。初信から霊感の言葉ですり込まれていく。そして、信教の自由の侵害も気にせず勧誘するようになる。その前に気づこう。2024/06/16 07:31:3385.神も仏も名無しさん4qQxU17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑感謝の強要とも取れるくらい苑内で感謝・報謝を言われる。それは集団圧力であり、マインドコントロールの手法の一つである。2024/06/17 05:10:1686.神も仏も名無しさん7l55218 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑教えの為に行えばお力が流れて自分の為にいずれなる。しかし、自分は金銭的、身体的、精神的被害を受けているのだが、霊感の言葉で「こんなに救われている」と思わされている。2024/06/18 05:28:5787.神も仏も名無しさん2ZzMY19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑自分が救われるため他人事を我が事として霊感商法の教えに繋ぐ。それがねずみ講の行為であり、迷惑なのである。2024/06/19 05:49:0488.神も仏も名無しさんvPbaQ20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑尊い宝と言われる信心は霊感商法による洗脳の結果である。苦しみをこの教えの因縁にされる前に気づこう。2024/06/20 05:46:4289.神も仏も名無しさんwPkCX21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑教えの為ならみ仏本位。そうでなければ人間本位。その単純な論理に振り回されると人生を奪われる。2024/06/21 05:08:2190.神も仏も名無しさん7SpQb22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑この新興宗教は霊感商法を使うと知りながらも勧誘しなければならなくなるのは精神的に弱っているからである。教えは因縁を示してお力を求めさせるため、更に信者を貶めようとする。2024/06/22 06:13:0791.神も仏も名無しさんsArL023 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑罰も因果応報もこの教えは説くが、どれも霊感商法による霊感の言葉が根拠である。言葉が行動になり、習慣になれば運命にもなってしまう。その言葉に耳を傾けることが不幸の始まりである。2024/06/23 07:55:3992.神も仏も名無しさんGDbxp24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑献金、実践は勧誘と無償労働である。仏教を隠れ蓑に日々霊感商法を使って信者から搾取している。2024/06/24 05:49:1193.神も仏も名無しさんDMwe425 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑初心でお力を貰う人もいる。その根拠は霊感商法の手法であるが、いずれ突き放されることがほのめかされている。2024/06/25 06:17:2594.神も仏も名無しさんUWBJu26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑霊感商法を使い、教祖一家を常住で力を及ぼし続けると信者に思わせ、別の意味で世の中に蔓延っている。少しでも手口を知ることで被害は抑えられる。2024/06/26 05:57:3595.神も仏も名無しさん1LYnI27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳はお力が流れてくるためのポイントを積むものであるが、その量は霊感の言葉で上がりも下がりもする。一般人でもコントロールできる手法で教えのために操られるのである。2024/06/27 05:52:1796.神も仏も名無しさんz8vLC28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑世のカルトが行き着いている霊感商法の手法は、簡単に不安を煽るために使われている。不安を煽られるとワーキングメモリーが消費され、信じやすくなるのである。2024/06/28 05:54:1697.神も仏も名無しさんzxwTD29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑仏である教祖一家、仏法僧である教祖一家、教え、事務局に仕えることが救いと言うが、宗教被害に繋がるので、大衆への奉仕ではない。2024/06/29 08:08:0298.神も仏も名無しさんx7ybv30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑貴賤が教えへの貢献度で決まるのがこの教えのルールである。信者が教えを信じられない人を賤しいと下に見ることで行動したことが教えの正体である。2024/06/30 05:59:1199.神も仏も名無しさんx3g0c1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑このお力を求める前には霊感で不安を煽る行為が行われる。それは、カルトの手法である。2024/07/01 05:25:39100.神も仏も名無しさんFZryL2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑救われるの意味が霊感商法の手法で不安を煽られてお力を求めさせられることである。献金、無償労働、勧誘する人が増えることが救われる人が増えるという裏の意味である。2024/07/02 05:22:25101.神も仏も名無しさん6VD6W3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑霊感の言葉に不安を煽られ、持ち上げられて自惚れ、人にも同様な不安を煽ってお力を求めさせようとする信者は哀れと思われて仕方がない。2024/07/03 05:47:06102.神も仏も名無しさんyDW6h4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑檀家を大事にし、この教えは護法の神など多くの神様を信じるから争いが少ないと言う信者。その裏で教祖一家一神教であり、霊感商法の手法でねずみ講の様に活動するから精神的争いが絶えない。2024/07/04 05:46:15103.神も仏も名無しさんkd2aF5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑霊感の言葉で不安を煽られ、何でも教えに関係あると思ってしまうと洗脳が深まる。立ち止まって考えることが大事である。2024/07/05 05:59:46104.神も仏も名無しさんrWMBq6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑この教えの為の真実の行いが、周囲から見れば霊感商法やねずみ講の手法で周囲に迷惑をかける行動に見られる。それが綺麗な言葉の裏の教えの目的から現れる信者の行動である。2024/07/06 08:37:57105.神も仏も名無しさんVEEmd7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑霊感の言葉でお力を頂いて喜んでいるだけでは許されない。献金、無償労働、勧誘することで教えに差し出さないと救われないのである。霊感の言葉で後から理由付けされるだけならば実際には救われていなことになる。2024/07/07 06:02:15106.神も仏も名無しさんpSr3L9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑霊感商法の言葉による不安を煽られた祈りは、教えを否定されたときの怒りに至る。それを押し殺すように人にこの教えを信じさせなければならないので、弱い立場の人の信じない自由が侵害される。2024/07/08 05:54:23107.神も仏も名無しさんGw3B310 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑霊感の言葉で不安を煽られて大海の教えと信じされられ、人を救わなければ救われないとねずみ講の取り組みもさせられる。喜びでしなければ救われないと笑顔を作るが、平気で信じない自由を侵害する。2024/07/10 06:03:49108.神も仏も名無しさん16YVz11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑霊言で曖昧な言葉を言われ、後から教え通りかそうでないかで幸福を左右される。それと取り組み続けると、人生を左右され、教えに貢ぐために時間、金、社会的信用を搾取されるのである。2024/07/11 05:47:43109.神も仏も名無しさんgRTlH12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑霊感商法の手法で自分にお力が流れて救われると言われる。しかし、人を勧誘して救うために行動しないとお力は長くは続かないと言われて実践を迫られる。それは、マルチ商法の粗悪品としてのお力を明かされることである。それでも続けなければならない洗脳を避けよう。2024/07/12 05:50:02110.神も仏も名無しさんCBU9U13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑教えの霊感の言葉に従っていれば、幸福でなければならない。その裏で教えを信じなかったり、教えどおりにしていても運が悪かったりすれば、不幸でなければならず、教えのお陰でこれくらいで済んだことにされてしまうのである。2024/07/13 06:09:16111.神も仏も名無しさんRigvX14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑この教えが霊感で示す因縁とお力はマッチポンプである。それに気づけなければこの教えに都合の良い因縁が深まっていくのである。2024/07/14 06:47:19112.神も仏も名無しさん0d7YR15 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海の如きみ法にあいまつり 常楽我浄と知るも尊し【教主注釈】すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。↑教団施設では尊いとラブシャワーを受ける。この教えが霊感商法を使い、後から霊的に因縁を示してお力を求めさせるマッチポンプであると気づくと、後になるほど落胆は大きい。2024/07/15 07:12:53113.神も仏も名無しさんg35fE16 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自らの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。↑教えの指導者や教えを批判すると教えの仲間は離れていくだろう。表向きの言葉の裏で何が平然と行われているかを知り、静かに教えから離れよう。2024/07/16 05:58:59114.神も仏も名無しさんapsWY17 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑霊感に示された言葉を自分の日常に当てはめて喜ばなければならない。しかし人を勧誘して人にも喜びを与えるために信じない自由を侵害していては本末転倒である。2024/07/17 05:30:13115.神も仏も名無しさんqSq2618 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑「していない、してはいけない」の裏でされていることは何か。そこに注目すれば教えの意図がわかる。それらがまかり通ってしまうのが洗脳である。2024/07/18 05:53:21116.神も仏も名無しさんLxaJi20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑最初は歩まなくてもお力が流れると言われる。次第に歩まなければお力はいつまでも続かないと言われる。ご利益信仰ではないとも言われるが、お力がマルチ商法の粗悪品と明かされても、この教えのご利益を求めずにいられない洗脳にかかると辞められなくなるのである。2024/07/19 06:05:42117.神も仏も名無しさんTGica20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑ご利益信仰ではないと言われるが、この教えのご利益ならば求めて良いと言われる。他の宗教に頼るとその見返りを求められると言われるが、この教えの報謝の方が激しく求められるのを洗脳が進むと気付けない。2024/07/20 06:42:06118.神も仏も名無しさんfT7JE21 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】善友に近よることはよけれども 愚人の交際絶たばなおよし【教主注釈】涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。↑世間に受け入れられる教えならば、信者だけが集まる状況にはならない。霊感商法による洗脳を使うから、否定的な人間を排除し、洗脳がし易い環境にしようとしているのである。2024/07/21 06:19:20119.神も仏も名無しさんDE08V22 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは 今を機会と知るも尊し【教主注釈】機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。↑機会を逃すなと霊感の言葉に急かされる。世間では同様に霊感商法で不安を煽る教団が問題とされているが。2024/07/22 05:53:30120.神も仏も名無しさんP5xbt23 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住のみ佛さまを慕いつつ 仕うる人ぞたのものしきかな【教主注釈】常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。↑霊感の言葉で常住のみ仏となった教祖一家の為に喜んで仕える信者の発する言葉よりも、行動に着目してどの様な教えか判断すべきだろう。2024/07/23 05:59:27121.神も仏も名無しさん9A7od24 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】お済度は父母を救ける心にて 説けよ苑人これぞ道なり【教主注釈】お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。↑理想の親を見せるのはカルトの一手段である。理想の親の為に勧誘を勧めている。2024/07/24 05:22:41122.神も仏も名無しさんjRTwC25 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓喜積みお救けこそは積み磨き 奉仕は磨く徳と知れ人【教主注釈】歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。↑三つの搾取と言われる三つの歩みである。献金は積む徳、勧誘は積み磨く徳、奉仕は磨く徳であり、勧誘は積み磨くから二倍の精進と言われる。「先祖の因縁が…」と勧誘すれば霊感商法と気付かれてしまうだろう。2024/07/25 05:48:21123.神も仏も名無しさんkmg2m26 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】他のために言葉やわらげ教ゆるは 菩提(めばえ)育てのまことなりけり【教主注釈】聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。↑優しい言葉もマインド・コントロール手法の一つとして使われる。その裏にある教えや信者の目的は恐ろしいカルトの取り組みであると気付こう。2024/07/26 06:00:37124.神も仏も名無しさんN4Pp727 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】道に外れあゆむが故に事故起し 後の後悔先には立たず【教主注釈】教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。↑霊感の言葉で不安を煽る教えに従って行動する信者は同様に人の不安を煽って勧誘する。その様な教義に従って人との軋轢が深まったとしても、また同様に不安を煽られるだろう。2024/07/27 06:32:20125.神も仏も名無しさんr8TVW28 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて 歓喜世界の出現(いず)る時まで【教主注釈】信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。↑この教えに一生を奪われる前に、世の霊感商法をはじめとした手口を知り、対策しよう。2024/07/28 07:16:03126.神も仏も名無しさんJnGOv29 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大乗の道も炭火と同じなれ 三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ【教主注釈】信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。↑誰からも受け入れられる教えではないから信者同士で集まり、人を引き入れようとする。人が信じないことに腹を立て信じない自由を奪おうとするのである。2024/07/29 05:57:14127.神も仏も名無しさん7w3m430 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば それ、それ自体が真理(みち)に叶わん【教主注釈】怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。↑最初は優しい言葉をかけられるが、生死の問題と思わせるまで洗脳が進むと引き返せなくなる。信者を見て何をさせられるかを知ったら距離を取ろう。2024/07/30 05:55:54128.神も仏も名無しさんXB2FE31 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】言うがごと行うがごとく言(こと)示せ 茲(ここ)に一如の救いあるなり【教主注釈】不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。↑集会では目標を宣言させられる。具体的に「勧誘何人」と宣言させるが、霊感商法の手法ではまともに実現できないため、無断入信によって信じない自由が侵害されるのである。2024/07/31 06:00:02129.神も仏も名無しさんUpwcr1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑謙っているようで、実は上から目線の信者は新興宗教を信じさせられている劣等感と最高の教えを信じているという洗脳の板挟みによって不安定である。距離を取りながら実際の行動を見ると、信じれば自分もさせられる悪事が見えてくる。2024/08/01 05:58:29130.神も仏も名無しさんfOBuc2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑教えに自己犠牲を求められる頃には洗脳が進んだと思われているのだろう。2024/08/02 06:08:16131.神も仏も名無しさんUeJ7U3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑人の行いも自分のせいにすることで、自己犠牲を強いられる。「自分が変われば相手も変わる」と相手が教えを信じられるように自分が変わるという黒い心が推奨されるのである。2024/08/03 07:38:36132.神も仏も名無しさんltSG94 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑この霊感商法の教えの洗脳に委ねたとき、良いことも悪いことも教えのお陰となる。その裏には後出しジャンケンの悪意ある言葉がある。2024/08/04 09:10:51133.神も仏も名無しさんGsUkM5 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑この教えは今後科学の進歩を言い当てたようなことを示せないだろう。予想できるのは摘発された霊感商法を使うカルトの手法との類似性が知られて信者が追い詰められていくことである。2024/08/05 08:55:02134.神も仏も名無しさん4ssAn6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑霊感の言葉に「申し訳ない」という気持ちにさせられたら次は勧誘をさせられる。そうならないように距離を取って信者の行っていることが正しいか見てみよう。2024/08/06 05:59:38135.神も仏も名無しさんTlySK7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑霊感の言葉でカネ、ヒマ、社会的信用を搾取されてしまえば、名実ともにこの教えに奪われてしまうだろう。2024/08/07 05:56:59136.神も仏も名無しさんkzCrk8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑霊感の言葉に救いを求めさせるために相手の状況を知り、霊の仕業による因縁と結び付けなければならない。それを霊感商法と言う。2024/08/08 05:41:41137.神も仏も名無しさんCF2in9 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救う(勧誘)することは積み磨く二倍の精進であるので、自らの救いになると言われる。そして仏教を持ち出してカモフラージュしようとするが、ねずみ講の手法である。2024/08/09 06:01:53138.神も仏も名無しさんAOI1g10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑この道は仏教の道であると、霊感商法やねずみ講の手法をカモフラージュしようとしている。2024/08/10 06:53:03139.神も仏も名無しさんhTj0B11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑ここの書物は霊感の言葉に意味付けられた救いの寄せ集めである。信じてしまえば今後も霊感の言葉でこの教えのお力による結果であると自分の境遇にこじつけられるだろう。2024/08/11 07:49:05140.神も仏も名無しさん6tzFH12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑他が救われるためには他をこの教えに導くことである。それが大船に乗った行動であると言われるが、実は霊感商法型新興宗教の泥舟に乗せられることである。2024/08/12 06:29:04141.神も仏も名無しさんHZcBv13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑教えの為に行ったことや、教えのお力によるものは特別であるという洗脳がある。教えに繋いでやった、教団施設に連れて行ってやったという特別な行為が信じない自由を侵害する行為にも繋がる。2024/08/13 05:50:32142.神も仏も名無しさんmhKQa14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑霊感の言葉で後から言われたことがぴたりと当たったと思わされたとき、仏教や修験道の寄せ集めであることも気付けないほど最高の教えになってしまうのだろう。2024/08/14 05:57:25143.神も仏も名無しさんRxY5q15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑法要で目を瞑って顔を上げて目を開くと、暗闇から光が目に入って教祖一家の肖像画に後光が見える。それは知覚のコントラストというマインド・コントロール手法である。2024/08/15 05:55:26144.神も仏も名無しさんen6F916 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑信者は食事の前にこれを唱え、教祖一家への感謝の言葉を言わされる。それも含めて人に信じることを強要すれば、カルト性を伴う行為となる。2024/08/16 06:02:31145.神も仏も名無しさんlSUbt17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑結ばれていれば毛穴からお力が入り込むという安易な考えと、常住で常に監視されているという恐怖心が隠れている。2024/08/17 07:26:34146.神も仏も名無しさんtuod918 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑霊感の言葉で教えに貢ぐ人を勧誘するという歪んだ目的を成就するように洗脳されれば、人生の方向性は狂う。2024/08/18 07:37:19147.神も仏も名無しさんz8Awq19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑なぜ非難されるのか。それを霊感商法やねずみ講の手法を使う教えであるからと気付けなければ搾取され続けるだろう。2024/08/19 05:47:17148.神も仏も名無しさんpbl6n20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑何でも教えのお力に当てはめてしまうような洗脳が進むと、もう自分で考える力は奪われてしまうだろう。2024/08/20 05:51:36149.神も仏も名無しさんnvubJ21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑この教えで呵責されて自分は認められていると思うなら、洗脳が進んでいる証拠である。2024/08/21 05:51:16150.神も仏も名無しさんTsDQE22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑霊感商法をはじめとした悪徳商法の手法に行き着いた大海の教え。それら手法に気付けばこの教えの示す一喜一憂に惑わされることはない。2024/08/22 05:56:55151.神も仏も名無しさんZxkcs23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑結ばれればお力はすぐに流れてくるが、教えは密教で理解しにくいものである。それは、指導者が質問に困ったときに「知ったようなことを言う」と逃げることにも使われる。2024/08/23 06:05:47152.神も仏も名無しさん2WZzi24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑報謝、報謝とお力への感謝を言われ、それ以上にお力が流れてくると言われる。その根拠は霊感商法による霊感の言葉である。2024/08/24 08:38:50153.神も仏も名無しさんj8fUm25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑いつまでたってもその場しのぎの霊感の言葉のこじつけであるから、本人が気づかなければ終わりはない。霊位が上がると呵責が増えるが、多重のマインド・コントロールで辞められなくなった証拠である。2024/08/25 06:20:01154.神も仏も名無しさんQwGSw26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑結果を求めない布施、無償労働、勧誘。洗脳された信者の行動の結果、人の信じる自由を奪う様な勧誘が一番精神的被害を与えているのではないか。2024/08/26 09:11:31155.神も仏も名無しさんErmjw27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えの歴史が教書に書いてあるのに、最初から仏教であると思えるならば、洗脳が進んで判断力が削がれたのであろう。2024/08/27 09:02:32156.神も仏も名無しさんpFHST28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑教えのお力への執着を植え付けられると貪りが生じる。勧誘、無償労働、献金をさせられる中で、思い通りにならない周囲の人への怒り、妄想によってカルト性を伴う行為をしてしまうのである。2024/08/28 05:55:08157.神も仏も名無しさんI7s6H30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑世間や自分の移り変わりに合わせて霊感商法の言葉は個人に降り注ぐ。良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと教えは肯定され続けるだろう。2024/08/29 05:51:05158.神も仏も名無しさんwlH6P31 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】夢みせて出離の道を教ゆるも 佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり【教主注釈】夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。↑夢の出来事も霊感の言葉で教えのお力を示そうとする。その繰り返しの中で人の信じない自由を侵害しないならば自由である。2024/08/31 07:54:56159.神も仏も名無しさんHygmc1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑物事を常に教えになぞらえて考えるように洗脳されている信者は、自ら「良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない」と考える。それを人に強いようとすれば、宗教であるから信教の自由の侵害である。2024/09/01 06:29:55160.神も仏も名無しさんPcvKI2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑信者の時間を割いて教えに取り組んでいるというアピールは卑しい。それは正しい取り組みではなく、人に認められなければ実感できないからであろう。2024/09/02 06:41:55161.神も仏も名無しさんdj70N3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑霊感の言葉に意味付けられた道は良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと揺さぶられ、教えに貢がされる。それをねずみ講のように人にもさせなければ救われないのである。2024/09/03 05:49:48162.神も仏も名無しさんI7bTU4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑霊感商法と思わない布施は喜びがあると思うが、その境地は悟りではなく洗脳である。2024/09/04 05:51:17163.神も仏も名無しさんASesm5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教祖一家の色情因縁を信者に対して戒めるのは、カルト教団に共通する教義の傾向か。2024/09/05 05:54:31164.神も仏も名無しさんVdHzA6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑世間で居場所が無くなり、教団施設や集会に逃げ込むことを、聖なるものに近づくと思わされる。それだけでは許されず勧誘しなければならないが、信教の自由の侵害をするから更に居場所が無くなるのである。2024/09/06 06:00:34165.神も仏も名無しさんazEJW7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦も喜びも霊感の言葉でお力のお陰とされる。仏教を隠れ蓑に。2024/09/07 06:19:23166.神も仏も名無しさんv4o2z8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑霊感の言葉で示されたみ仏を日常に持ち込む。それは盲目に教えを信じることであり、それを人に強いれば信教の自由の侵害である。2024/09/08 07:18:26167.神も仏も名無しさんLyAR89 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑他の人にも霊感の言葉で不安を煽るのは倫理観の欠如である。信教の自由を侵害しない人権感覚も麻痺させられるだろう。2024/09/09 05:50:56168.神も仏も名無しさん5vJLq10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑聖なるものと思わされて自身の境遇に霊的にお力を因縁付けられるとカネ、ヒマ、社会的信用の犠牲を払って教えに貢がされるのである。2024/09/10 05:46:41169.神も仏も名無しさん50pWa11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑まだ足りないと信者が自分に言い聞かせる。後出しジャンケンの霊感の言葉は信者から確実に搾取する。2024/09/11 05:41:07170.神も仏も名無しさんJxmJY12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑他が為は教えの為である。他が救われる為に教えに導くと言うが、霊感の言葉によって搾取されるように導くことであるから、人を騙すことである。2024/09/12 05:58:16171.神も仏も名無しさんfaGfl13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑霊感の言葉で修行の足りない自分が悪いと思わせる。因果関係は霊感の後出しジャンケンの言葉でこじつけられるのである。2024/09/13 05:48:10172.神も仏も名無しさん8P8wp14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑霊感の言葉で救いのお力を示し、人外のお力も想像させる。徐々にお力無しでは生きられない心理にさせられるのである。2024/09/14 07:05:43173.神も仏も名無しさんfIwzn15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑毒親を敬っているようで敬い切れないことで見せられる理想の親が教祖夫婦である。カルトの基本か。2024/09/15 07:22:05174.神も仏も名無しさんZfi0716 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑霊感の言葉に一切を任せてしまえば、後から自分の幸、不幸を因縁付けられて教えに貢がされるのである。2024/09/16 06:19:37175.神も仏も名無しさん0GBkj17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑喜びを強要し合っている信者の喜びは何かの裏返しに見える。それは霊感商法型新興宗教を信じさせられている劣等感である。2024/09/17 05:52:39176.神も仏も名無しさんr7S4E18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑他の為は人の為と言われるが、教えの為である。人の為と教えに導けば教えの為に信者が増えるが、霊感商法の教義のため、信教の自由を侵害するような教化がされることがある。2024/09/18 06:05:44177.神も仏も名無しさんQI5yZ19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑人事も我が事も霊感の言葉になぞらえて教えに都合の良い様に解釈していく。それを霊感商法に加担することと言う。2024/09/19 05:47:09178.神も仏も名無しさんsgQoU20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑自己肯定感の低い人を目覚めさせ教えの為に霊感の言葉で行動させる。「この教えしかない」と思わせると信教の自由も厭わなく勧誘する信者が現れる。2024/09/20 05:58:03179.神も仏も名無しさんOqeLj21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑霊感の言葉の判断基準は明確である。教えの為になっているか、いないか。2024/09/21 06:57:25180.神も仏も名無しさんbhXAw22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑霊感の言葉が教義の根拠なので、とても人に言えない。しかし、人をこの教えに導かなければ救われない。あらゆる地位を利用した教化が信教の自由の侵害へと向かう。2024/09/22 07:10:42181.神も仏も名無しさんfa0bk23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑因果応報を霊感の言葉でそこら辺のおばちゃんも指導できてしまう。それが魅力なのであろう。2024/09/23 05:53:20182.神も仏も名無しさん92JDl24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑仏教を隠れ蓑にした霊感商法に搾取されないように、違和感を感じたら離れよう。2024/09/24 05:51:36183.神も仏も名無しさんFLAs926 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑千年続くと言われる教えであるが、ネットで調べられ、解散請求沙汰の教団とも手法が同じだと知られてしまうのである。2024/09/25 05:55:18184.神も仏も名無しさんoBK4C27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳は良ければ教えのおかげ、悪ければ修行が足りないの霊感の言葉によって上がりも下がりもする。2024/09/27 05:54:44185.神も仏も名無しさんOpKeV28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑おばちゃんでも仏の教えであると説ける霊感商法の手法は、あらゆる教えが取り入れるのだろうか。静かに続けさせてはいけない。2024/09/28 06:59:45186.神も仏も名無しさんXzSdm29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑仏教を隠れ蓑にして人の為と偽り、霊感商法の教えを信じさせようとする意図が見られる。2024/09/29 07:58:17187.神も仏も名無しさん9WVfn30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑教えの為にならない人は勧誘せず連れて行かない。それが実際の指導である。2024/09/30 05:49:42188.神も仏も名無しさんL6pA51 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑遍くお力を感じる前に霊感の言葉で不安を煽られてお力を示される。マッチポンプである。2024/10/01 05:50:08189.神も仏も名無しさんkB83R2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑その願い、ハコモノの救いと言われた頃から逆の発展が実情である。信者数が伸びていると言われるが、無断入信による幽霊信者の状態化は必然だろう。2024/10/02 06:00:35190.神も仏も名無しさんdAkLK3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑教えを信じない人を下に見る信者の態度は、霊感商法型の新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しではないか。2024/10/03 05:46:12191.神も仏も名無しさんlPPHp4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑檀家を大事にすることを言われるが、仏壇に涅槃像や教祖一家が祀られていたら気をつけたほうが良い。2024/10/04 05:48:23192.神も仏も名無しさん4IW7M5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑日々教えになぞらえて事象を見ても、その根拠が霊感商法の言葉であることき気づけなければ、教えに示される因縁が深まってしまうだろう。2024/10/05 07:25:02193.神も仏も名無しさんWGPFT6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑霊感の言葉が根拠の教えを人に信じさせなければならないので、密教だから多くを言えないと言い、教団施設に連れて行って多くの洗脳手法に触れさせようとする。それは偽りではないか。2024/10/06 06:18:04194.神も仏も名無しさんQbU737 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑霊感の後から取ってつけた言葉で教えの為に実践させようとする。霊感の言葉に追い詰められた信者の勧誘はえげつない。2024/10/07 05:49:37195.神も仏も名無しさん2vMrb8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑霊感の言葉で塗り固められた教えは否定され、自分もそれに気づいてしまうことがある。信者はそれを恐れて否定されると逆ギレするのである。2024/10/08 05:56:29196.神も仏も名無しさん6xaKu9 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は耐えかぬことも耐えさせる 妙薬なりと知れよ世の人【教主注釈】あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。↑自分の信仰を信じない怒りが信者から向けられる。教えがあったから耐えられたのではなく、教えをやっていれば何をしても許されるという勘違いが自分の信仰を貶めるのである。2024/10/09 05:51:27197.神も仏も名無しさんRVEge10 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海のひろき教えをほどこして 他のためになす喜びぞ佳し【教主注釈】大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。↑霊感の言葉で世間は危険と暗示して教団施設を安全と思わせる。しかし、信教の自由の信じない自由を侵してまでも人を勧誘しなければならないねずみ講の教えでもある。2024/10/10 05:15:57198.神も仏も名無しさん4gxdn11 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言は出離を示す啓示ゆえ こころに心してぞ聞くべし【教主注釈】出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。↑霊言によって示されるものは霊感商法の手法によって後からどうとでも言えることである。その魅力はおばちゃん信者を動かす。2024/10/11 05:34:22199.神も仏も名無しさんzRLZU12 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】我が為になす信心はそなわらず 他がために為しそなわると知れ【教主注釈】本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。↑他の為にこの教えのお力を繋ぐ。しかし、そのお力は霊感の言葉で個人ごとにこじつけられたものである。2024/10/12 06:53:08200.神も仏も名無しさんzMkEq13 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日という日の吉凶を論ずより 今日の行い見かえるぞよし【教主注釈】み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。↑吉凶も行いの良し悪しも霊感の言葉で決められる。それは、そこら辺のおばちゃん指導者でもその人にこじつけて発することができる。良ければ教えのお陰、悪ければ取り組みが足りない。2024/10/13 07:31:48201.神も仏も名無しさんYcWnp14 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】執われを思い切ってぞ因縁の 重きを知ると知れ世の人【教主注釈】 執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。↑霊感の言葉で信じさせられたお力に執着すると、勧誘などの取り組みをしないとお力が続かないと心を揺さぶられ、負のスパイラルに陥っていく。2024/10/14 06:36:03202.神も仏も名無しさんfMIbA15 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大海の如きみ法にあいまつり 常楽我浄と知るも尊し【教主注釈】すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。↑洗脳やマインド・コントロール、霊感商法などあらゆる手法を携えて、大海に見立てた総合的手法が使われている。2024/10/15 05:29:26203.神も仏も名無しさん1inhY16 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自らの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。↑教えの指導者や教義に疑問を持ち、その霊感商法をはじめとした手法に違和感を感じることは大事である。教えを信じない人を否定ばかりしていては世間での居場所が無くなるだろう。2024/10/16 05:53:31204.神も仏も名無しさんoZOLF17 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の憂きこと多きその中に 利他のまことに生きよ苑人【教主注釈】信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。↑信者が喜べるのは教えの為にしてお力を頂いていると思える時である。その為に人の信じない自由を侵害して悲しませることも辞さない。2024/10/17 05:51:30205.神も仏も名無しさんhlejY18 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ 悩む立場に立ちて行なえ【教主注釈】駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。↑霊位が上がると呵責に耐えられると自慢する信者。それは洗脳が進んで教えから離れられないだけなのであるが。2024/10/18 05:48:13206.神も仏も名無しさんjyTG419 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】権威をば振るってなせる教化には 形成りても実(じつ)は少なし【教主注釈】自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。↑この教えは信者が平然と行っていることを指摘するが、信者は自分が行っていることと気付けないのが洗脳である。2024/10/19 10:51:02207.神も仏も名無しさん3uFDe20 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】御利益はまことの歩みの福利なり 歩まず乞うは邪と知れ【教主注釈】教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。↑教え通りに歩んでいくと、お力によるご利益が得られたと霊感の誰にでも当てはまる言葉で信じさせられるだけである。2024/10/20 07:00:57208.神も仏も名無しさん3UIjV21 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】善友に近よることはよけれども 愚人の交際絶たばなおよし【教主注釈】涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。↑勧誘時には甘い言葉ですり寄るが、信じなかったり教えを辞めると「堕ちた人」として隔離しようとする。信者は自分も疑ってお力が流れなくなるのを恐れるのである。2024/10/21 05:50:58209.神も仏も名無しさん0E0li22 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは 今を機会と知るも尊し【教主注釈】機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。↑今ここでお力をもらうために勧誘に踏み切る。そう促されて社会的信用を失うねずみ講の教えである。2024/10/22 05:51:13210.神も仏も名無しさんFk0Vf23 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住のみ佛さまを慕いつつ 仕うる人ぞたのものしきかな【教主注釈】常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。↑教団施設では同類の人と明るくなるが、日常では信じない人の前で不機嫌を示して不満をぶつける。それで私の信じる教えを正しいと思ってもらえるはずがない。2024/10/23 05:48:26211.神も仏も名無しさん2Eah824 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】お済度は父母を救ける心にて 説けよ苑人これぞ道なり【教主注釈】お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。↑教えに示された教祖夫婦にみたてられた理想の親は探し求めてしたものと思う人もいるのだろう。様々な逸話があったとしても。2024/10/24 05:22:22212.神も仏も名無しさんNCG8j25 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓喜積みお救けこそは積み磨き 奉仕は磨く徳と知れ人【教主注釈】歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。↑信者は霊感の言葉で示された霊の仕業による因縁を示され、それに霊感の言葉に示されるように取り組む。それが悪因縁が積まれる構図である。2024/10/25 05:21:53213.神も仏も名無しさん6BHXL26 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】他のために言葉やわらげ教ゆるは 菩提(めばえ)育てのまことなりけり【教主注釈】聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。↑カルト教団施設に行くと歓迎され、ラブシャワーを浴びる。そして、抜けられなくなったら厳しくされても辞められなくなるのである。2024/10/26 07:06:21214.神も仏も名無しさん2AQI127 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】道に外れあゆむが故に事故起し 後の後悔先には立たず【教主注釈】教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。↑教えの為かどうかだけ後付けの言葉で示されて、従わないと悪いことが起こると恐怖心を与えられる。それでは判断力も鈍り、事故も起こるだろう。それも教えのお陰でこれくらいで済んだと言われるのである。2024/10/27 04:11:44215.神も仏も名無しさんkHQwD28 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて 歓喜世界の出現(いず)る時まで【教主注釈】信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。↑一生かけてカルトに騙される人は心のクセがある。それを霊感の教えの言葉で指摘され続けて無限ループに陥るのである。2024/10/28 10:56:05216.神も仏も名無しさんcV3ID29 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】大乗の道も炭火と同じなれ 三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ【教主注釈】信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。↑集団圧力はAだと思っていても皆がBだと言うと自分もBだと思わなければならないと誘導される。それもマインド・コントロールの一手口である。2024/10/29 05:01:17217.神も仏も名無しさんFo7y630 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば それ、それ自体が真理(みち)に叶わん【教主注釈】怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。↑勧誘すれば批判される。正しい教えだから批判されるなどあり得ない。2024/10/30 05:47:36218.神も仏も名無しさんfKsK831 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】言うがごと行うがごとく言(こと)示せ 茲(ここ)に一如の救いあるなり【教主注釈】不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。↑人に教えの取り組みに関して集会で集団圧力を用いて宣言させておいて実行させようとする。2024/10/31 05:41:36219.神も仏も名無しさんCmXdq1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑真如教徒から感じられる選民意識による傲慢さは、その教義の霊感商法性を見るとバカらしく見える。2024/11/01 05:51:08220.神も仏も名無しさんeybWa2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑解散命令請求される教団と同じ霊感商法を使うのだから、勧誘すれば悪く言われるのは当然である。2024/11/02 08:09:00221.神も仏も名無しさんwNMFC3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑相手の事を我が身と思って祈るのであるが、自分との境界が曖昧となって人の信心の侵害もするし、自分の心も操られるようになるのである。2024/11/03 05:26:25222.神も仏も名無しさんToCYU4 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑教団施設や教えの集まりにしか居場所がなくなったとき、霊感商法やねずみ講の教えを否定されることを恐れて暮らすのである。2024/11/04 06:23:14223.神も仏も名無しさんEx31Q5 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑経典がどうこうではなく、霊を持ち出す手法が世間で注目される教団と同じなのである。2024/11/05 05:48:20224.神も仏も名無しさんXyiWf6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。2024/11/06 05:11:47225.神も仏も名無しさん79NLU7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。2024/11/07 05:16:29226.神も仏も名無しさん0RQ3r8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。2024/11/08 05:48:38227.神も仏も名無しさんRvQXH9 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。2024/11/09 07:46:56228.神も仏も名無しさんWuZ1w10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。2024/11/10 08:01:52229.神も仏も名無しさんxTDOm11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。2024/11/11 05:47:52230.神も仏も名無しさんto6uI12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。2024/11/12 05:28:45231.神も仏も名無しさんbTA6h13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。2024/11/13 05:40:08232.神も仏も名無しさんTZ0jV14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。2024/11/14 05:51:28233.神も仏も名無しさんIEaAw15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。2024/11/15 05:11:39234.神も仏も名無しさんSlqek16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。2024/11/16 06:58:14235.神も仏も名無しさんf1QJL17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。2024/11/17 07:09:13236.神も仏も名無しさん1kGYZ18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。2024/11/18 05:39:42237.神も仏も名無しさん2uoxG19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。2024/11/19 05:13:24238.神も仏も名無しさんt2e8220 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。2024/11/20 05:47:47239.神も仏も名無しさん5M9V721 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。2024/11/21 05:52:52
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【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+5661472.52024/11/21 19:56:06
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
教えを信じないと地獄に落ちると信者は平気で言うが、因果応報の根拠が霊感・霊視商法の手法で作られてしまい、信じてしまえばその人の運命も左右されてしまうだろう。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
仏教を隠れ蓑に献金と実践が言われる。霊感の言葉でただ信じ実践するように恐怖心が植え付けられ、思考が停止していくのである。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心者はいわゆるラブシャワーを向けられてもてはやされる。そして教え無しでは生きられなくなると粗末に扱われても洗脳が解けなくなる。早く霊感・霊視商法の言い回しに気づいた方が良い。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
霊感・霊視商法の手法でお力をもたらす教祖一家の常住はお力が流れてこなくなる恐怖心を信者に与える。その連鎖が信教の自由を侵害しながら広まるが、無断で入れられた名前だけの信者が多数なのが実態である。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳は霊感・霊視商法の言葉によって積まれると思わされるが、人生の転機や教えを信じないとたちまち減ってしまうと思わされる。教えにとって都合の良いポイントのようなものである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
仏教を隠れ蓑にあらゆる騙しの要素で、因縁から救われる為に信者をお力に依存させようとする。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
教祖一家に仕えると思いきや、大衆に仕えると言えば、勧誘してこの教えを信じさせることである。それがどういう連鎖かはねずみ講の手法である。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
信者は教えを信じる、信じないで貴賤を判断するが、教祖は「貧乏人は別の教団に行け」と言う。そんな教えの行き着く先を想像した方が良い。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
最上の教えを欲にかられて信じきれないことが説かれている。しかしその基本は霊感・霊視商法の言葉である。信者は教えを信じていれば欲楽に興じていても許されると思っている。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
お導きは勧誘である。仏教を霊感・霊視商法の隠れ蓑にしている。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
多くの人が救われるという建前の裏で信者が信じる自由、信じない自由のバランスを保って行動しているかがカルト性を見る要素となる。この教えを信じる自由のみが尊重され、信じない自由が蔑ろにされていればカルト性を伴う行為とみなされる。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
霊感・霊視商法の言葉に霊、因縁を信じさせられて、人を誘わなければ救われないと思わされて、人の信じない自由を奪ってまで自分のために取り組む信者は哀れと思われないのであろうか。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家が仏教でも信者は葬式仏教と下に見る。仏壇に教祖一家や涅槃像が飾られていれば、かなり染まっていると思って良い。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
ここの信者が悟っているかは日常の会話を見れば分かる。霊感の言葉を信じさせられているが、その寄せ集めの教義を人に信じさせようとしても無理だから無断で入会させるのである。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
身口意の罪が教えの為ならば許されると洗脳されれば、人の宗教を信じない自由も奪おうとする罪を感じなくなる。それはカルト性を伴う。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
この霊感の言葉による信心はカネ、ヒマ、社会的信用が搾取される。因縁に倒される恐怖によって人の信じない自由を侵害しようとしてカルトと見られるようにもなる。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
教えの中で得られる霊意などの地位は世の中で得られない地位に代わって信者が執着する。それは霊感の言葉で安易に得られるからである。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
信心によって耐える力が備わることはある。しかし、信じたくない人を貶め、信じない自由を奪う行為はカルト性を伴う侵害行為であると気付けないのは強さではない。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
他の為と言うが世間法と教えを信じない人を見下し、上から目線で勧誘する信者。救いの根拠が霊感の言葉による救われた物語だから否定されるのを恐れているのである。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
好転どころか判断力を削がれるため、悪循環をもたらす。霊感の言葉で思考を停止させられるからである。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
教祖一家が克服できなかったものを信者に戒めようとする。霊感商法で信者にカネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして貢がせようとする。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
教えにとって都合の良いとらわれを捨てることは、カネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして教えに貢ぐことである。特に勧誘が重要視されるが、人の信じない自由を侵害してまで行えば、カルト性を伴うと取られて信用を失うのである。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
あらゆる騙しの手口がこの教えに取り入れられている。宗教を隠れ蓑にそれら手口によって信じない自由が侵害され、信教の自由が侵害されている。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えを信じないのが悪という単純思考で人の信じない自由を侵害しているからカルトと言われるのである。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
喜びが強調されて人の為に良かれと教えに繋ぐ方法が無断入信や人が信じないと逆ギレして信じない自由を侵害しようとする手法である。それはカルト性を伴う行動である。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
毒親の様に呵責を楽しむ真如苑指導者。その前にこの教えの霊感・霊視商法の手口に気づいて距離を取らなければならないだろう。
信者数なこんなご時世なのに増え続けている理由を知ってる人はいますか?
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
いずれ分かると無断でも強引に入信させても霊感・霊視商法の手口はよほど心の弱った人でなければ通じない。webで調べれば杜撰な手口が沢山調べられる。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
霊感・霊視商法の教えの如く歩んでいけば、カネ、ヒマ、社会的信用が搾取される。特に人の信じない自由を侵害してまで勧誘すればカルト性を伴って社会的信用が失われる。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
教えを信じない人や否定する人に対して手のひらを返したように排他的な態度を取る洗脳。それは霊感・霊視商法の手法に注目させない目的があるのだろう。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
霊感で示された因縁を切る機会は今しかないと急かされ、霊感の言葉で因縁が深められていく。そして、霊感で示す教えで救ってやるというマッチポンプである。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
この教えのみ仏の常住は、霊感の言葉で因縁にどう倒されるか分からないと思わされている人によるお力を求める恐怖心から求められている。常に教えを疑っていないか監視されている気分であ
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
教祖夫婦を父母と同等視してしまうまで洗脳されると人の信じない自由を侵害してまでも教えを信じさせようとしてしまうだろう。それはカルト性を伴う行動である。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
勧誘が積んで磨くから二倍の精進らしい。無断で入信させても会費さえ払っていれば救われるらしい。だから会費立替で幽霊信者が沢山いるのだろう。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
霊位のレベルに応じて示される霊言が違うと自負する信者がいる。霊感商法の手法であることは変わりないが。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
良ければ教えのとおり、悪ければ「それ見たことか」と教えどおりでないと戒めることは誰でもできる。霊を絡めた言葉で行われるので霊感商法である。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
霊感の言葉で思考停止させられて二元論的になれば楽であろう。しかし、宗教を強要することは心理的虐待になることもある。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
集団圧力は複数人が一所に集まることで強められる。そこへ連れて行かれる前にSNS等で情報を収集し霊感商法の手口に気づくべきである。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
こんな楽な修行で大きなお力が得られると言われることもある。その先にあるのは金、暇、社会的信用の搾取である。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
信者が謙っていても、傲慢さと上から目線が伝わってくる。霊、因縁の恐怖と選民意識で感情を揺さぶられて洗脳されているからである。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
勧誘したらSNSで手口が知られていて避けられてしまう。親子関係や職場の縛りで無理に信じさせようとすると心理的虐待となる。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
人を観察しながらその人の不幸をどう霊と絡めて勧誘するかを考えるようになる。相手の迷惑を考えられなくなるほど宗教を押し付ける様になれば、人として終わりではないか。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
教えどおりではないことが全てはからいとみなされる。それは指導者の主観で変わることもある。だから指導者はやめられないのであろう。教えどおりに思考停止することが安心と思えば、教えの意図どおりの人間になることである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
実際は、霊感商法を使う組織が法的措置を受けてこの教えの手口も同様であると世に知られただけである。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
過去の霊感の言葉に左右されない状況から何でも霊の仕業にされる霊感商法の手法に左右される状況へ。それは楽なようで実は金銭、時間、社会的信用が搾取される状況である。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
この教えのみ仏に心を奪われ、み仏のために勧誘、献金、無償労働をするようになると、人の望まない勧誘をするようになる。その状態が心を忘れた状態ではないか。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
救いだと本当に思っている信者が歩んでいるのだろう。実際は霊感商法による後付のお力だから信者が人為的に人を貶めて「教えを信じないから」と迷惑をかけているケースがほとんどであろう。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
「いずれ分かる」と否定されても霊の仕業をほのめかし続ける信者。SNSではそのしつこさと手口が日々語られる。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
霊感の言葉で教えの中の教えと信じさせられた信者が「信じないのはおかしい」と興奮気味に勧誘する様になる。信教の自由の人権感覚も麻痺させられている。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
教書や機関誌に「ああ救われた、こう救われた」と書かれていても、霊的に後から解釈された言葉である。その霊感商法の手口に気づかなければならない。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
自分が救われるために人の為と宗教を強要する心理的虐待は、信者が霊感商法を使っていることに対して目を逸らしているが故に無くならない。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
信者はどこまでも上から目線でしてやった主義である。それは同様な霊感商法を使う団体が解散請求されても目を逸らすことで続くのであろう。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
信者が世間での居場所を無くされるのは勧誘ノルマで宗教の強要をさせられるからである。真の加害はそれによる心理的虐待である。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
これは食事(じきじ)観念と言って信者が食事の前に教えに感謝する呪文である。独特な読み方が信者の選民意識を高める要素ではないか。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴からお力が入り込むというイメージであるが、同時にお力が流れてこない恐怖心も入り込むイメージである。表と裏がある教義の裏には霊感商法がある。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
ままならないのが霊の仕業にされる。そして、教団の為に金、暇、社会的信用を犠牲にすれば救われると霊感商法の手口で騙される。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
避難やざん謗がつきものなのは、この教えがねずみ講型で霊感商法型の取り組みをするからである。それさえも気づけなくなるのは悲しいことではないか。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
誰にでも当てはまる言葉で当たったと思わせる接心は霊感商法やコールド・リーディングが使われるが、本人の状況を知る指導者によるホット・リーディングと組み合わせて信じさせられる。
そこに至る前に洗脳された信者が教えを強要するのは心理的虐待であり、信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
求める心とは霊因縁の恐怖でお力を求める教えの為に貢がなければならない心である。そこから霊感商法の騙しによって、ねずみ講型の勧誘ノルマを達成しなければならなくなる。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる騙しの技術が集約された教え。仏教を隠れ蓑としているが、洗脳で盲目となった信者が引き起こす問題がSNSで挙げられて行く。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
初心者はお力がすぐに降り注ぐ偉大な教えであるが、霊位が上がるこどにハードルが高くなる。悪徳商法の手法ばかりなので、何か困れば「分かった様なことを言う」と逃げの言葉を使う。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
他の宗教に頼ると「もらったお力を返せ」と因縁となるからここを頼れと言われる。しかし、一番報謝を求められる結果となる。カネ、ヒマ、社会的信用の犠牲を伴って。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
この教えの呵責は霊的ハラスメントであると距離を取ることが悟りである。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
実際は献金してもご利益は無い。良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと後から霊的に言われているだけである。それを霊感・霊視商法と言う。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
信者の言う絶対的教えは後から霊的に示されるので、騙され続ければ一生続くであろう。二世以上は信じたくないのに信じさせられようとする心理的虐待を意識して被害を訴え続けるだろう。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の欲は全て執着と言われ、教えへの執着は正しいと言われる。信者自身も含めた世の中から搾取させてカネ、ヒマ、社会的信用を教えに貢がせるのである。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
この教えを信じて懺悔する時、その状況が霊的にお力のお陰とすり替えられる。良くても悪くてもである。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
仏を隠れ蓑にした霊感商法が人の世に溶け込んでいる。それに気づいてカルト性を見抜けたら幸福に近付けるのである。
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
↑
夢も霊感商法の要素として使われる。それが取り組みと嬉しく思ってしまうのは洗脳が進んでいるからだろう。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の業務にも入り込んでくる霊感の教え。み仏本位は教えの為であり、人間本位は教えの為にならないことである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
霊的に後から言葉を取ってつけることが学びならば、霊感商法の騙しを学ぶことになる。それは悲しいことである。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
ただ喜んで教えのお力に出会えて喜んでいるだけでは教団のためにならない。自分にとっての三つの搾取である献金、勧誘、無償労働をしなければならないのである。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
世の楽しみを悪として教えに貢がせようとする。それだけである。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
この教えは正しい。信じて行動できないのははからいである。そう霊感商法の言葉で後から取って付けられるのである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
お力に浮足立たされ、お力が流れてこないと恐怖させられている信者。それによって三つの搾取を受けている信者は周囲にに不幸を与える。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
接心の言葉を日常に生かすのが無相接心である。全て霊感商法による後から取って付けた言葉であるが。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
全ての力をこの教えに使うほど洗脳されては哀れである。世の霊感商法の手口を知って離れよう。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
教えに身を捧げることが他が為を意味する。霊感商法によって自分の為に勧誘するが、それは教えのためになっていることが前提である。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
教えどおりか教えどおりではないかで良し悪しを後から決められる。霊感商法の手口で霊の仕業に因縁付けられて。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
この偉大な教えを祈り、大船に乗った状態で呪文を唱えると大きなお力が流れる。そういう霊感商法である。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
涅槃経を持ち出して仏教を隠れ蓑にし、理想の親を見せる。その裏で行われていることが人に被害を与えていないかを見抜くことが大事である。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
一切お委せは思考停止。初信から霊感の言葉ですり込まれていく。そして、信教の自由の侵害も気にせず勧誘するようになる。その前に気づこう。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
感謝の強要とも取れるくらい苑内で感謝・報謝を言われる。それは集団圧力であり、マインドコントロールの手法の一つである。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
教えの為に行えばお力が流れて自分の為にいずれなる。しかし、自分は金銭的、身体的、精神的被害を受けているのだが、霊感の言葉で「こんなに救われている」と思わされている。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
自分が救われるため他人事を我が事として霊感商法の教えに繋ぐ。それがねずみ講の行為であり、迷惑なのである。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
尊い宝と言われる信心は霊感商法による洗脳の結果である。苦しみをこの教えの因縁にされる前に気づこう。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
教えの為ならみ仏本位。そうでなければ人間本位。その単純な論理に振り回されると人生を奪われる。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
この新興宗教は霊感商法を使うと知りながらも勧誘しなければならなくなるのは精神的に弱っているからである。教えは因縁を示してお力を求めさせるため、更に信者を貶めようとする。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
罰も因果応報もこの教えは説くが、どれも霊感商法による霊感の言葉が根拠である。言葉が行動になり、習慣になれば運命にもなってしまう。その言葉に耳を傾けることが不幸の始まりである。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
献金、実践は勧誘と無償労働である。仏教を隠れ蓑に日々霊感商法を使って信者から搾取している。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心でお力を貰う人もいる。その根拠は霊感商法の手法であるが、いずれ突き放されることがほのめかされている。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
霊感商法を使い、教祖一家を常住で力を及ぼし続けると信者に思わせ、別の意味で世の中に蔓延っている。少しでも手口を知ることで被害は抑えられる。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳はお力が流れてくるためのポイントを積むものであるが、その量は霊感の言葉で上がりも下がりもする。一般人でもコントロールできる手法で教えのために操られるのである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
世のカルトが行き着いている霊感商法の手法は、簡単に不安を煽るために使われている。不安を煽られるとワーキングメモリーが消費され、信じやすくなるのである。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
仏である教祖一家、仏法僧である教祖一家、教え、事務局に仕えることが救いと言うが、宗教被害に繋がるので、大衆への奉仕ではない。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
貴賤が教えへの貢献度で決まるのがこの教えのルールである。信者が教えを信じられない人を賤しいと下に見ることで行動したことが教えの正体である。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
このお力を求める前には霊感で不安を煽る行為が行われる。それは、カルトの手法である。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
救われるの意味が霊感商法の手法で不安を煽られてお力を求めさせられることである。献金、無償労働、勧誘する人が増えることが救われる人が増えるという裏の意味である。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
霊感の言葉に不安を煽られ、持ち上げられて自惚れ、人にも同様な不安を煽ってお力を求めさせようとする信者は哀れと思われて仕方がない。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家を大事にし、この教えは護法の神など多くの神様を信じるから争いが少ないと言う信者。その裏で教祖一家一神教であり、霊感商法の手法でねずみ講の様に活動するから精神的争いが絶えない。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
霊感の言葉で不安を煽られ、何でも教えに関係あると思ってしまうと洗脳が深まる。立ち止まって考えることが大事である。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
この教えの為の真実の行いが、周囲から見れば霊感商法やねずみ講の手法で周囲に迷惑をかける行動に見られる。それが綺麗な言葉の裏の教えの目的から現れる信者の行動である。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
霊感の言葉でお力を頂いて喜んでいるだけでは許されない。献金、無償労働、勧誘することで教えに差し出さないと救われないのである。霊感の言葉で後から理由付けされるだけならば実際には救われていなことになる。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
霊感商法の言葉による不安を煽られた祈りは、教えを否定されたときの怒りに至る。それを押し殺すように人にこの教えを信じさせなければならないので、弱い立場の人の信じない自由が侵害される。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
霊感の言葉で不安を煽られて大海の教えと信じされられ、人を救わなければ救われないとねずみ講の取り組みもさせられる。喜びでしなければ救われないと笑顔を作るが、平気で信じない自由を侵害する。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊言で曖昧な言葉を言われ、後から教え通りかそうでないかで幸福を左右される。それと取り組み続けると、人生を左右され、教えに貢ぐために時間、金、社会的信用を搾取されるのである。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
霊感商法の手法で自分にお力が流れて救われると言われる。しかし、人を勧誘して救うために行動しないとお力は長くは続かないと言われて実践を迫られる。それは、マルチ商法の粗悪品としてのお力を明かされることである。それでも続けなければならない洗脳を避けよう。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
教えの霊感の言葉に従っていれば、幸福でなければならない。その裏で教えを信じなかったり、教えどおりにしていても運が悪かったりすれば、不幸でなければならず、教えのお陰でこれくらいで済んだことにされてしまうのである。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
この教えが霊感で示す因縁とお力はマッチポンプである。それに気づけなければこの教えに都合の良い因縁が深まっていくのである。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
教団施設では尊いとラブシャワーを受ける。この教えが霊感商法を使い、後から霊的に因縁を示してお力を求めさせるマッチポンプであると気づくと、後になるほど落胆は大きい。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えの指導者や教えを批判すると教えの仲間は離れていくだろう。表向きの言葉の裏で何が平然と行われているかを知り、静かに教えから離れよう。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
霊感に示された言葉を自分の日常に当てはめて喜ばなければならない。しかし人を勧誘して人にも喜びを与えるために信じない自由を侵害していては本末転倒である。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
「していない、してはいけない」の裏でされていることは何か。そこに注目すれば教えの意図がわかる。それらがまかり通ってしまうのが洗脳である。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
最初は歩まなくてもお力が流れると言われる。次第に歩まなければお力はいつまでも続かないと言われる。ご利益信仰ではないとも言われるが、お力がマルチ商法の粗悪品と明かされても、この教えのご利益を求めずにいられない洗脳にかかると辞められなくなるのである。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
ご利益信仰ではないと言われるが、この教えのご利益ならば求めて良いと言われる。他の宗教に頼るとその見返りを求められると言われるが、この教えの報謝の方が激しく求められるのを洗脳が進むと気付けない。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
世間に受け入れられる教えならば、信者だけが集まる状況にはならない。霊感商法による洗脳を使うから、否定的な人間を排除し、洗脳がし易い環境にしようとしているのである。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
機会を逃すなと霊感の言葉に急かされる。世間では同様に霊感商法で不安を煽る教団が問題とされているが。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
霊感の言葉で常住のみ仏となった教祖一家の為に喜んで仕える信者の発する言葉よりも、行動に着目してどの様な教えか判断すべきだろう。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
理想の親を見せるのはカルトの一手段である。理想の親の為に勧誘を勧めている。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
三つの搾取と言われる三つの歩みである。献金は積む徳、勧誘は積み磨く徳、奉仕は磨く徳であり、勧誘は積み磨くから二倍の精進と言われる。「先祖の因縁が…」と勧誘すれば霊感商法と気付かれてしまうだろう。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
優しい言葉もマインド・コントロール手法の一つとして使われる。その裏にある教えや信者の目的は恐ろしいカルトの取り組みであると気付こう。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
霊感の言葉で不安を煽る教えに従って行動する信者は同様に人の不安を煽って勧誘する。その様な教義に従って人との軋轢が深まったとしても、また同様に不安を煽られるだろう。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
この教えに一生を奪われる前に、世の霊感商法をはじめとした手口を知り、対策しよう。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
誰からも受け入れられる教えではないから信者同士で集まり、人を引き入れようとする。人が信じないことに腹を立て信じない自由を奪おうとするのである。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
最初は優しい言葉をかけられるが、生死の問題と思わせるまで洗脳が進むと引き返せなくなる。信者を見て何をさせられるかを知ったら距離を取ろう。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
集会では目標を宣言させられる。具体的に「勧誘何人」と宣言させるが、霊感商法の手法ではまともに実現できないため、無断入信によって信じない自由が侵害されるのである。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
謙っているようで、実は上から目線の信者は新興宗教を信じさせられている劣等感と最高の教えを信じているという洗脳の板挟みによって不安定である。距離を取りながら実際の行動を見ると、信じれば自分もさせられる悪事が見えてくる。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
教えに自己犠牲を求められる頃には洗脳が進んだと思われているのだろう。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
人の行いも自分のせいにすることで、自己犠牲を強いられる。「自分が変われば相手も変わる」と相手が教えを信じられるように自分が変わるという黒い心が推奨されるのである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
この霊感商法の教えの洗脳に委ねたとき、良いことも悪いことも教えのお陰となる。その裏には後出しジャンケンの悪意ある言葉がある。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
この教えは今後科学の進歩を言い当てたようなことを示せないだろう。予想できるのは摘発された霊感商法を使うカルトの手法との類似性が知られて信者が追い詰められていくことである。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
霊感の言葉に「申し訳ない」という気持ちにさせられたら次は勧誘をさせられる。そうならないように距離を取って信者の行っていることが正しいか見てみよう。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉でカネ、ヒマ、社会的信用を搾取されてしまえば、名実ともにこの教えに奪われてしまうだろう。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
霊感の言葉に救いを求めさせるために相手の状況を知り、霊の仕業による因縁と結び付けなければならない。それを霊感商法と言う。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救う(勧誘)することは積み磨く二倍の精進であるので、自らの救いになると言われる。そして仏教を持ち出してカモフラージュしようとするが、ねずみ講の手法である。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
この道は仏教の道であると、霊感商法やねずみ講の手法をカモフラージュしようとしている。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
ここの書物は霊感の言葉に意味付けられた救いの寄せ集めである。信じてしまえば今後も霊感の言葉でこの教えのお力による結果であると自分の境遇にこじつけられるだろう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
他が救われるためには他をこの教えに導くことである。それが大船に乗った行動であると言われるが、実は霊感商法型新興宗教の泥舟に乗せられることである。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
教えの為に行ったことや、教えのお力によるものは特別であるという洗脳がある。教えに繋いでやった、教団施設に連れて行ってやったという特別な行為が信じない自由を侵害する行為にも繋がる。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
霊感の言葉で後から言われたことがぴたりと当たったと思わされたとき、仏教や修験道の寄せ集めであることも気付けないほど最高の教えになってしまうのだろう。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
法要で目を瞑って顔を上げて目を開くと、暗闇から光が目に入って教祖一家の肖像画に後光が見える。それは知覚のコントラストというマインド・コントロール手法である。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
信者は食事の前にこれを唱え、教祖一家への感謝の言葉を言わされる。それも含めて人に信じることを強要すれば、カルト性を伴う行為となる。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
結ばれていれば毛穴からお力が入り込むという安易な考えと、常住で常に監視されているという恐怖心が隠れている。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
霊感の言葉で教えに貢ぐ人を勧誘するという歪んだ目的を成就するように洗脳されれば、人生の方向性は狂う。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
なぜ非難されるのか。それを霊感商法やねずみ講の手法を使う教えであるからと気付けなければ搾取され続けるだろう。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
何でも教えのお力に当てはめてしまうような洗脳が進むと、もう自分で考える力は奪われてしまうだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
この教えで呵責されて自分は認められていると思うなら、洗脳が進んでいる証拠である。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
霊感商法をはじめとした悪徳商法の手法に行き着いた大海の教え。それら手法に気付けばこの教えの示す一喜一憂に惑わされることはない。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
結ばれればお力はすぐに流れてくるが、教えは密教で理解しにくいものである。それは、指導者が質問に困ったときに「知ったようなことを言う」と逃げることにも使われる。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
報謝、報謝とお力への感謝を言われ、それ以上にお力が流れてくると言われる。その根拠は霊感商法による霊感の言葉である。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
いつまでたってもその場しのぎの霊感の言葉のこじつけであるから、本人が気づかなければ終わりはない。霊位が上がると呵責が増えるが、多重のマインド・コントロールで辞められなくなった証拠である。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
結果を求めない布施、無償労働、勧誘。洗脳された信者の行動の結果、人の信じる自由を奪う様な勧誘が一番精神的被害を与えているのではないか。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
この教えの歴史が教書に書いてあるのに、最初から仏教であると思えるならば、洗脳が進んで判断力が削がれたのであろう。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
教えのお力への執着を植え付けられると貪りが生じる。勧誘、無償労働、献金をさせられる中で、思い通りにならない周囲の人への怒り、妄想によってカルト性を伴う行為をしてしまうのである。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
世間や自分の移り変わりに合わせて霊感商法の言葉は個人に降り注ぐ。良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと教えは肯定され続けるだろう。
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
↑
夢の出来事も霊感の言葉で教えのお力を示そうとする。その繰り返しの中で人の信じない自由を侵害しないならば自由である。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
物事を常に教えになぞらえて考えるように洗脳されている信者は、自ら「良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない」と考える。それを人に強いようとすれば、宗教であるから信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
信者の時間を割いて教えに取り組んでいるというアピールは卑しい。それは正しい取り組みではなく、人に認められなければ実感できないからであろう。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
霊感の言葉に意味付けられた道は良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りないと揺さぶられ、教えに貢がされる。それをねずみ講のように人にもさせなければ救われないのである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
霊感商法と思わない布施は喜びがあると思うが、その境地は悟りではなく洗脳である。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教祖一家の色情因縁を信者に対して戒めるのは、カルト教団に共通する教義の傾向か。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
世間で居場所が無くなり、教団施設や集会に逃げ込むことを、聖なるものに近づくと思わされる。それだけでは許されず勧誘しなければならないが、信教の自由の侵害をするから更に居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦も喜びも霊感の言葉でお力のお陰とされる。仏教を隠れ蓑に。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊感の言葉で示されたみ仏を日常に持ち込む。それは盲目に教えを信じることであり、それを人に強いれば信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
他の人にも霊感の言葉で不安を煽るのは倫理観の欠如である。信教の自由を侵害しない人権感覚も麻痺させられるだろう。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
聖なるものと思わされて自身の境遇に霊的にお力を因縁付けられるとカネ、ヒマ、社会的信用の犠牲を払って教えに貢がされるのである。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
まだ足りないと信者が自分に言い聞かせる。後出しジャンケンの霊感の言葉は信者から確実に搾取する。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
他が為は教えの為である。他が救われる為に教えに導くと言うが、霊感の言葉によって搾取されるように導くことであるから、人を騙すことである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
霊感の言葉で修行の足りない自分が悪いと思わせる。因果関係は霊感の後出しジャンケンの言葉でこじつけられるのである。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
霊感の言葉で救いのお力を示し、人外のお力も想像させる。徐々にお力無しでは生きられない心理にさせられるのである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
毒親を敬っているようで敬い切れないことで見せられる理想の親が教祖夫婦である。カルトの基本か。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
霊感の言葉に一切を任せてしまえば、後から自分の幸、不幸を因縁付けられて教えに貢がされるのである。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
喜びを強要し合っている信者の喜びは何かの裏返しに見える。それは霊感商法型新興宗教を信じさせられている劣等感である。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他の為は人の為と言われるが、教えの為である。人の為と教えに導けば教えの為に信者が増えるが、霊感商法の教義のため、信教の自由を侵害するような教化がされることがある。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
人事も我が事も霊感の言葉になぞらえて教えに都合の良い様に解釈していく。それを霊感商法に加担することと言う。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
自己肯定感の低い人を目覚めさせ教えの為に霊感の言葉で行動させる。「この教えしかない」と思わせると信教の自由も厭わなく勧誘する信者が現れる。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
霊感の言葉の判断基準は明確である。教えの為になっているか、いないか。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
霊感の言葉が教義の根拠なので、とても人に言えない。しかし、人をこの教えに導かなければ救われない。あらゆる地位を利用した教化が信教の自由の侵害へと向かう。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
因果応報を霊感の言葉でそこら辺のおばちゃんも指導できてしまう。それが魅力なのであろう。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
仏教を隠れ蓑にした霊感商法に搾取されないように、違和感を感じたら離れよう。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
千年続くと言われる教えであるが、ネットで調べられ、解散請求沙汰の教団とも手法が同じだと知られてしまうのである。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳は良ければ教えのおかげ、悪ければ修行が足りないの霊感の言葉によって上がりも下がりもする。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
おばちゃんでも仏の教えであると説ける霊感商法の手法は、あらゆる教えが取り入れるのだろうか。静かに続けさせてはいけない。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
仏教を隠れ蓑にして人の為と偽り、霊感商法の教えを信じさせようとする意図が見られる。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
教えの為にならない人は勧誘せず連れて行かない。それが実際の指導である。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
遍くお力を感じる前に霊感の言葉で不安を煽られてお力を示される。マッチポンプである。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
その願い、ハコモノの救いと言われた頃から逆の発展が実情である。信者数が伸びていると言われるが、無断入信による幽霊信者の状態化は必然だろう。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
教えを信じない人を下に見る信者の態度は、霊感商法型の新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しではないか。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家を大事にすることを言われるが、仏壇に涅槃像や教祖一家が祀られていたら気をつけたほうが良い。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
日々教えになぞらえて事象を見ても、その根拠が霊感商法の言葉であることき気づけなければ、教えに示される因縁が深まってしまうだろう。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
霊感の言葉が根拠の教えを人に信じさせなければならないので、密教だから多くを言えないと言い、教団施設に連れて行って多くの洗脳手法に触れさせようとする。それは偽りではないか。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
霊感の後から取ってつけた言葉で教えの為に実践させようとする。霊感の言葉に追い詰められた信者の勧誘はえげつない。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
霊感の言葉で塗り固められた教えは否定され、自分もそれに気づいてしまうことがある。信者はそれを恐れて否定されると逆ギレするのである。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
自分の信仰を信じない怒りが信者から向けられる。教えがあったから耐えられたのではなく、教えをやっていれば何をしても許されるという勘違いが自分の信仰を貶めるのである。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
霊感の言葉で世間は危険と暗示して教団施設を安全と思わせる。しかし、信教の自由の信じない自由を侵してまでも人を勧誘しなければならないねずみ講の教えでもある。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊言によって示されるものは霊感商法の手法によって後からどうとでも言えることである。その魅力はおばちゃん信者を動かす。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
他の為にこの教えのお力を繋ぐ。しかし、そのお力は霊感の言葉で個人ごとにこじつけられたものである。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
吉凶も行いの良し悪しも霊感の言葉で決められる。それは、そこら辺のおばちゃん指導者でもその人にこじつけて発することができる。良ければ教えのお陰、悪ければ取り組みが足りない。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
霊感の言葉で信じさせられたお力に執着すると、勧誘などの取り組みをしないとお力が続かないと心を揺さぶられ、負のスパイラルに陥っていく。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
洗脳やマインド・コントロール、霊感商法などあらゆる手法を携えて、大海に見立てた総合的手法が使われている。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えの指導者や教義に疑問を持ち、その霊感商法をはじめとした手法に違和感を感じることは大事である。教えを信じない人を否定ばかりしていては世間での居場所が無くなるだろう。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
信者が喜べるのは教えの為にしてお力を頂いていると思える時である。その為に人の信じない自由を侵害して悲しませることも辞さない。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
霊位が上がると呵責に耐えられると自慢する信者。それは洗脳が進んで教えから離れられないだけなのであるが。
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
この教えは信者が平然と行っていることを指摘するが、信者は自分が行っていることと気付けないのが洗脳である。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
教え通りに歩んでいくと、お力によるご利益が得られたと霊感の誰にでも当てはまる言葉で信じさせられるだけである。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
勧誘時には甘い言葉ですり寄るが、信じなかったり教えを辞めると「堕ちた人」として隔離しようとする。信者は自分も疑ってお力が流れなくなるのを恐れるのである。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今ここでお力をもらうために勧誘に踏み切る。そう促されて社会的信用を失うねずみ講の教えである。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
教団施設では同類の人と明るくなるが、日常では信じない人の前で不機嫌を示して不満をぶつける。それで私の信じる教えを正しいと思ってもらえるはずがない。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
教えに示された教祖夫婦にみたてられた理想の親は探し求めてしたものと思う人もいるのだろう。様々な逸話があったとしても。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
信者は霊感の言葉で示された霊の仕業による因縁を示され、それに霊感の言葉に示されるように取り組む。それが悪因縁が積まれる構図である。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
カルト教団施設に行くと歓迎され、ラブシャワーを浴びる。そして、抜けられなくなったら厳しくされても辞められなくなるのである。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
教えの為かどうかだけ後付けの言葉で示されて、従わないと悪いことが起こると恐怖心を与えられる。それでは判断力も鈍り、事故も起こるだろう。それも教えのお陰でこれくらいで済んだと言われるのである。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
一生かけてカルトに騙される人は心のクセがある。それを霊感の教えの言葉で指摘され続けて無限ループに陥るのである。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
集団圧力はAだと思っていても皆がBだと言うと自分もBだと思わなければならないと誘導される。それもマインド・コントロールの一手口である。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
勧誘すれば批判される。正しい教えだから批判されるなどあり得ない。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
人に教えの取り組みに関して集会で集団圧力を用いて宣言させておいて実行させようとする。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
真如教徒から感じられる選民意識による傲慢さは、その教義の霊感商法性を見るとバカらしく見える。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
解散命令請求される教団と同じ霊感商法を使うのだから、勧誘すれば悪く言われるのは当然である。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
相手の事を我が身と思って祈るのであるが、自分との境界が曖昧となって人の信心の侵害もするし、自分の心も操られるようになるのである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
教団施設や教えの集まりにしか居場所がなくなったとき、霊感商法やねずみ講の教えを否定されることを恐れて暮らすのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
経典がどうこうではなく、霊を持ち出す手法が世間で注目される教団と同じなのである。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
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周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
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この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
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霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
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日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
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そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。
そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
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ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
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正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
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接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
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この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。