でお~様とゆかいな仲間たちの、たのしい仏教ワールドアーカイブ最終更新 2024/02/04 10:12355.◆JBLfMwCXhYXUM55ついでに、大聖師にもご登場ねがおう😅(長いので途中省略)↓宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」谷口雅春先生の教えみ教えキーワード③唯神実相我々の住んでいるこの環境が、どういう世界であるかと考える、いわゆる世界観には大きく分けて二つがあります。唯物的世界観と唯心的世界観がそれであります。唯物的世界観は、この世界が物質と物質との偶然的な集合によって成り立っているとみる世界観であります。唯心的世界観は、この世界の運行に何らかの有目的的な意志を認め、世界がその心によって統括されているとみる世界観であります。唯物的世界観では、この世界には物質以外のものは存在しな い。生命というものも、偶然によって誕生したと考えるのでありますから、人間の運命も偶然によって支配され、意味もなく滅んでいくと考えるのであります。 従って、唯物的世界観からは、生命の尊厳や人生の意義などということは、見いだすことができません。一方、唯心的世界観はこの世界の存在に、ある意志を認めるのでありますが、その意志が一つであるか、複数であるかによって、一元的唯心論、二元的唯心論、多元的唯心論に分かれるのであります。一元的唯心論は、この世界にただ一つの意志を認めるのであります。この世には、神と悪魔が存在して争っているとみるような世界観が二元的唯心論、この世には複数の神々がいて、それぞれにバラバラに世界を統括しているというような世界観は、多元的唯心論に入るわけであります。これに対して、生長の家で説いている世界観は、実在する世界 は善一元である、本当に存在するのは善なる神のみであるとする世界観でありますから、唯神的な善一元的世界観であります。(続く)2024/01/22 16:08:321000すべて|最新の50件356.◆JBLfMwCXhYXUM55(続き)この現われの世界は現象世界といって、その現われは本当にあるのではないのであります。現われの世界は、我々の心が現わしているのであって、本来無い。病気は本来無い、不幸も本来無い、争いも本来無いのです。現象の肉体も無い。物質も無い。この我々の心が現わしている現象世界を否定しきったときに、本当にあるところの実相世界が現われる。ですから、生長の家の世界観を特に「唯神実相」の世界観であるというのであります。この「唯神実相」は単なる空理空論の世界観ではないのであって、万物の実相を心の眼で観たときに、実相の姿が現われるのであります。その実際例は、多くの体験談に見ることができるのでありまして、意地悪な姑の実相 を観て拝んだら、優しい本来の姿が現われたとか、夫や妻の実相を礼拝したら不完全な夫や妻が完全円満なる姿に変わったとか、子供の実相を拝んだら、劣等児 が優等生になったという多くの体験があるのであります。2024/01/22 16:08:54
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+6541053.32024/11/22 01:30:17
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宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」
谷口雅春先生の教え
み教えキーワード③唯神実相
我々の住んでいるこの環境が、どういう世界であるかと考える、いわゆる世界観には大きく分けて二つがあります。唯物的世界観と唯心的世界観がそれであります。
唯物的世界観は、この世界が物質と物質との偶然的な集合によって成り立っているとみる世界観であります。唯心的世界観は、この世界の運行に何らかの有目的的な意志を認め、世界がその心によって統括されているとみる世界観であります。
唯物的世界観では、この世界には物質以外のものは存在しな い。生命というものも、偶然によって誕生したと考えるのでありますから、人間の運命も偶然によって支配され、意味もなく滅んでいくと考えるのであります。 従って、唯物的世界観からは、生命の尊厳や人生の意義などということは、見いだすことができません。
一方、唯心的世界観はこの世界の存在に、ある意志を認めるのでありますが、その意志が一つであるか、複数であるかによって、一元的唯心論、二元的唯心論、多元的唯心論に分かれるのであります。
一元的唯心論は、この世界にただ一つの意志を認めるのであります。
この世には、神と悪魔が存在して争っているとみるような世界観が二元的唯心論、この世には複数の神々がいて、それぞれにバラバラに世界を統括しているというような世界観は、多元的唯心論に入るわけであります。
これに対して、生長の家で説いている世界観は、実在する世界 は善一元である、本当に存在するのは善なる神のみであるとする世界観でありますから、唯神的な善一元的世界観であります。
(続く)
この現われの世界は現象世界といって、その現われは本当にあるのではないのであります。現われの世界は、我々の心が現わしているのであって、本来無い。
病気は本来無い、不幸も本来無い、争いも本来無いのです。現象の肉体も無い。物質も無い。この我々の心が現わしている現象世界を否定しきったときに、本当にあるところの実相世界が現われる。ですから、生長の家の世界観を特に「唯神実相」の世界観であるというのであります。この「唯神実相」は単なる空理空論の世界観ではないのであって、万物の実相を心の眼で観たときに、実相の姿が現われるのであります。
その実際例は、多くの体験談に見ることができるのでありまして、意地悪な姑の実相 を観て拝んだら、優しい本来の姿が現われたとか、夫や妻の実相を礼拝したら不完全な夫や妻が完全円満なる姿に変わったとか、子供の実相を拝んだら、劣等児 が優等生になったという多くの体験があるのであります。