ローマ帝国でキリスト教が公認されたころ、その教義の確立に向けてさまざまな著作が現れた。その中で、正統の教義とされた著作を著した教会の司教らが、4世紀ごろから特に教父(英語では Farthers of Church)といわれた。また、彼らの信仰論、教会論を含め、新プラトン主義の影響を受けた哲学的思考を「教父哲学」といっている。
スコラはカトリック教会およびその修道院に付属する「学校」を意味していた。中世ヨーロッパのスコラ哲学は、このスコラで研究された哲学のこと。ラテン語のこの「スコラ」から英語の school が生まれたが、もとはギリシア語から来ている。ギリシア語で「スコラ」というのは、もともと「暇(ひま)」を意味していた。働かない、ヒマな人が集まるところが「スコラ」だった。
ここではキリスト教における「教理」(英語:doctrine ドクトリン)の語義とその指す内容とを、おもに教派別に扱う。
「教義」(英語:dogma ドグマ)と同義の場合もあれば、異なる意義を持つ場合もある。
キリスト教における「教理」の語義は、教派や時代によって異なっている。
前スレ
【原罪】キリスト教の教理を学ぶスレ【三位一体】
https://talk.jp/boards/psy/1690085205
ボコられても
😫
教父とは、古代の初期キリスト教において、教会の指導者であり、聖書の解釈などで重要な著作を行った人々。その著作は聖書に次いで重要なものとされた。
ローマ帝国でキリスト教が公認されたころ、その教義の確立に向けてさまざまな著作が現れた。その中で、正統の教義とされた著作を著した教会の司教らが、4世紀ごろから特に教父(英語では Farthers of Church)といわれた。また、彼らの信仰論、教会論を含め、新プラトン主義の影響を受けた哲学的思考を「教父哲学」といっている。
ギリシア語で著述した教父にはエウセビオス、アタナシウスなどがおり、ラテン語で著述した教父にはヒエロニムス、アンブロシウス、アウグスティヌスらがいる。特にアウグスティヌスは最大の教父といわれ、その著作『神の国』は、ローマ=カトリック教会の正統性を確立した書として、聖書に次ぐ重要性を与えられている。
4~5世紀、西ローマ時代、北アフリカで活動した教父。『告白録』『神の国』などを著し、ローマ=カトリック教会の理念を確立させ、中世以降のキリスト教に多大な影響を与えた。
新プラトン主義の影響を受け、プラトン的な二元論の世界観をキリスト教の教義体系に導入した。
聖アウグスティヌスは北アフリカの人だった。海洋国家カルタゴがローマ帝国に滅ぼされて以来、北アフリカはローマ帝国の領土だった。
キリスト教は、すでにローマ帝国の国教となっていた。しかし、帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国はゲルマン人の民族大移動により滅亡に向かっていた。410年、アラリックが率いる西ゴート人により、永遠の都ローマが占領・略奪された。西ローマ帝国は大きな衝撃を受け、「こうなったのはキリスト教のせいだ」と、反キリスト教勢力が騒ぎ始めた。
そこで、キリスト教を擁護すべく敢然と立ち上がったのが、聖アウグスティヌスだった。彼は、代表作「神の国」を書いてキリスト教を擁護した。
「たとえ、地の国(ローマ帝国)が滅ぶとも、神の国(ローマ・カトリック教会)は永遠である」
これにより、カトリック教会の権威は確立されたのだ。
やがて、聖アウグスティヌスが司教を務める北アフリカのヒッポにも、ガイセリックに率いられたヴァンダル人が押し寄せた。ヴァンダル人によりヒッポが長期包囲される中、病床の聖アウグスティヌスは世を去った。
地の国(西ローマ帝国)は滅びたが、神の国(ローマ・カトリック教会)は、その後も千年以上にわたって西欧社会に君臨することとなった。
11~12世紀に起こり、13~14世紀の中世ヨーロッパにおける思想の主流となった哲学を「スコラ哲学(スコラ学)」という。
スコラはカトリック教会およびその修道院に付属する「学校」を意味していた。中世ヨーロッパのスコラ哲学は、このスコラで研究された哲学のこと。ラテン語のこの「スコラ」から英語の school が生まれたが、もとはギリシア語から来ている。ギリシア語で「スコラ」というのは、もともと「暇(ひま)」を意味していた。働かない、ヒマな人が集まるところが「スコラ」だった。
中世ヨーロッパにおいては、すべての学問は、カトリック教会およびその修道院に付属する「学校」(スコラ)において教えられ、研究されていた。中世ヨーロッパの哲学はこのような「スコラ」における哲学という意味で「スコラ学」と言われる。
その内容は、主としてキリスト教の教義を学ぶ神学を、ギリシア哲学(特にアリストテレス哲学)によって理論化、体系化することであった。その中心的な課題となった論争は普遍論争であった。12世紀におけるスコラ学の隆盛は12世紀ルネサンスの中心的な事柄であり、13世紀のトマス=アクィナスによって大成されることとなる。
13世紀イタリアのスコラ哲学、神学者。『神学大全』を著しスコラ哲学を大成した。
13世紀のスコラ学の代表的な神学者。イタリアに生まれ、ドミニコ会修道士からパリ大学教授となる。アリストテレス哲学をキリスト教信仰に調和させて解釈し、信仰と理性の一致をめざした。
「普遍論争」では正統的な実在論をさらに発展させ、スコラ学(哲学)を大成したと言われる。
その代表的な著作が『神学大全』(1265~73年ごろ)で、神の存在と教会の正当性を論証する大著として、後世のキリスト教に大きな影響を与えた。
「哲学は神学の婢(はしため)」というのは神学をすべての学問の上位におくという彼の思想を表している。
中世のヨーロッパでは、380年にローマ帝国がキリスト教を国教とした。
そのことに象徴されるように、キリスト教の勢力と影響力が増し、キリスト教の司教といった有力者たちが「神」を〝出発点〟とした哲学を展開した。
こうした特徴を持つ哲学は、4世紀から14世紀もしくは15世紀まで続き、「中世哲学」として区分される。
「教父哲学」と「スコラ哲学」が、キリスト教の神学を支える2本の太い柱だ。
地上に手をかざす、現実主義者のアリストテレス
西洋思想は、この2人の巨人の間を行ったり来たり
https://i0.wp.com/paradjanov.biz/works/wp-content/uploads/2015/03/athens01.jpg
キリスト教とプラトン哲学を統合したのが、聖アウグスティヌスの教父哲学
キリスト教とアリストテレス哲学を統合したのが、聖トマス・アクィナスのスコラ哲学
日本では、仏教と神道が神仏習合したが
西洋では、ギリシャ哲学がキリスト教の教義体系にガッチリと組み込まれた
コズモがオモロイレスしてるなあ〜
雰囲気的霊的理性て大事かもな〜
😄
西欧哲学理性的スタンダードキリスト教は
やはり雰囲気的理性が結構大事かと、
そーとーな曖昧なワールドや
それが
西欧哲学理性的スタンダードキリスト教
たぶんね
😄
教理は教派によって多少の違いがありますが、基本的にキリスト教の教義はユダヤ教の律法を基礎としたイエスや使徒の言行から発展したものです。
神には、同一の本質を持ちつつも互いに混同し得ない区別された3つの位格「父なる神」と「子なる神(キリスト)」と「聖霊なる神」があるという考えを「三位一体」と言います。カトリック教会やプロテスタント諸派、正教会といった主要教派のすべてがこの教理を共有しています。
相当理屈コリコリのプロテスタントでつまらんのだけど
最近、西欧哲学理性的スタンダードキリスト教の面白さが解ってきたから
少しは楽しめるかもしれん
ホント
原始キリスト教気分だと
既存のスタンダードキリスト教は
つまらんからな〜
理性志向のツボを
理解してないと
😄
キリスト教では、アダムとイヴの堕罪以降、子孫であるすべての人間は生まれながらにして罪に陥っている存在であるとされています。
しかし、神にして人であるイエス・キリストの死はこれを贖い、イエスを信じる者は罪の赦しを得て永遠の生命に入るという信仰も、キリスト教の根幹をなしている教理のひとつです。
数ある教理を簡潔に述べ、箇条書きにされたものを「信条」と言います。この信条は、洗礼式や礼拝の際に信仰告白のために使用され、いくつか数がある中で、最も重要視されている信条が「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」です。
原始キリスト教は
ヨハネの福音書の聖霊の扱いと聖句の理解が
本来はベースなんだろうと
思うけど
既存のスタンダードは
西欧哲学理性的な影響下にあるので
俺的には
とても難解だった
😄
原始仏教 → 倶舎論・唯識論 → 中国・日本仏教の諸派
似とるわ、この流れ
どちらも、やたら難しくなった後で、簡単になった
やはり
西欧哲学的理性がベース、
ま、その信仰自体が世界を支配する法則なんやろな
俺的には
イエス・キリストと言う存在の霊的コンタクトで
聖句の深意を理解して
心理分析と心理問題の解消を
求めておくのが
本来のキリスト教てめはないか?
と
想定している
ま、それが
霊性の神学ではあるんだけど
😄
プロテスタント系だな
聖霊の指令が飛ぶからね、
旧約では主の啓示命令が明白にあるし、
原始キリスト教は
ハッキリとした聖句などの指令啓示我あったんだろう、
その啓示指令が
オリジナリティの方向に
いっちゃたのが
出口王仁三郎
😄
世界、心理分析スタイルが
日蓮以外は、まともにある
日蓮は唯一真理、法華経なので
ある種の西欧哲学理性的な
無条件に従うべき絶対的真理に近い
既存のスタンダードキリスト教は
無条件に従うべき絶対的真理としての設定で発展してきた
心理分析て発展しなかった。
無条件に従うべき絶対的真理としての設定で発展してきた既存キリスト教の
理解の着地点は
俺的には
とても難しかった
今年になって見えてきた
😄
基本心理分析面は
仏教には劣る。
心の分析ね。
絶対的真理、本質で発展してきた
法則、秩序の方向、
故に、アラブ世界や西欧の方が自然科学の発達は早かったんやろ、
😄
どや〜
思想分析センスは
ソシュールと構造主義あたりの
思想分析力ありそーやろ
俺ちゃまは〜
😄
ささやかな主の奇跡による希望があると
昨日の礼拝から
脳内構築して、今、言語化できた
明白な霊的啓示というわけではなく、
ほんと
理性化したキリスト教からだな
明晰な聖句からの霊的パワー探求が低下して
主の理性にシフトしたので
ささやかな主の奇跡の現れから
提示するしか道がない、
昨日、主の提示に
乗って、
スタンダードキリスト教のスタンスを超えない範囲で
明白な、ささやかなな奇跡の
利他行を
教会で
キメてきた〜
真言密教寺院なら、
ブンブンと快刀乱麻に
撃ちまくれるけどな
😄
生活と利他行運用が1月4日で
完全体に近くなった、
真言密教で利他行やれる確信はまったくなかった
😄
それは
旧約聖書において、
主の指示が聞こえない人物達に
ささやかに働く奇跡、
旧約聖書でも
本流は主の霊的な声支持で動いていくのが
新約聖書時代でも通用する
原始キリスト教の
メインだろな
😄
さらに
天台浄土教や山伏も
それ相応な
身口意の生活運用ができる
原始仏教で言えば、
ローラー様にできない
正語
😄
天地創造・神様が6日間で世界を造られる(休憩を入れて7日)
アダムとエバ・初の人類”アダムとエバ”が、禁断の実を食べてしまいエデンの園を追放される
・これにより、人類は罪(原罪)を背負っていくことに
カインとアベル・”カインとアベル”は、アダムとエバの間に生まれた人類初の兄弟
・兄カインが嫉妬により、弟のアベルを殺してしまう
ノアの方舟・世界に悪がはびこり、神様は人間を造ったことを後悔
・神様は人類を滅ぼすために大洪水を起こすが、正しい人”ノア”の家族だけは方舟に乗って助けられる
バベルの塔・天まで届く塔を建てようとした人々が、神様の怒りに触れて言語をバラバラにされてしまう
紀元前1900年~紀元前1300年頃
族長とは、モーセ以前のイスラエル統率者のこと
・族長には、アブラハムやヤコブ、ヨセフなどがおり、彼らの活躍が書かれている
・”ソドムとゴモラ”の町が、神様に滅ぼされるのもこの頃
出エジプト
紀元前1250年頃
エジプトの奴隷となっていたイスラエル人を”モーセ”が連れ出し、聖地カナンを目指す
・モーセが海を割ったり、十戒を受け取ったりといった有名なエピソードも書かれている
聖地カナン征服
紀元前1200年頃
モーセに代わり”ヨシュア”が新しいイスラエルの指導者に
・ヨシュアたちは戦いに勝ちまくり、聖地カナンを征服
士師の時代
紀元前1100年頃・
ヨシュアの死後、イスラエルの指導者が不在になり、人々もすっかり不信仰に
・その不信仰さが原因で、外敵に襲われづつける
・イスラエルの危機を救うために士師たち(ギデオン、サムソンなど)が現れ、指導者の役割を果たす
紀元前1020年~紀元前965年頃・
最後の士師”サムエル”が王制を導入し、イスラエルは統一王国に
・サウル、ダビデと有名な王様が続き、ソロモン王の頃にはイスラエルが全盛期を迎える
南北王朝時代
紀元前926年~紀元前538年頃
ソロモンが死ぬと、イスラエル王国は南北に分裂(南=ユダ、北=イスラエル)
・異教の神を拝む人々が増え、それを批判する預言者(エリヤ、エリシャ、イザヤなど)たちが活躍する
・それでも人々が神に背き続けたため、南北どちらの国も滅ぼされ、南王国ユダの人々は”バビロン捕囚”に
エルサレムへ帰還
紀元前538年~紀元前332年頃
”バビロン捕囚”にあっていた南王国ユダの人々は解放され、かつてイスラエル王国があった地”エルサレム”に帰ることをゆるされる
・ユダ王国の再建が始まる
・ユダヤ教が確立
なんだか、ボクには解ってきたぞ?😄前スレキリスト教がわかってきた人のスレ vol.3
https://talk.jp/boards/psy/1704679416
スタンダードキリスト教で
主の恩寵という
霊的理解ができた〜
主の霊的理性の
ささやかなる奇跡
らしい、
昨日、礼拝で
その現場を
主より提示された
😄
霊的理解は
なかなかてきなかった〜
主の恩寵、
ほんと、スタンダードキリスト教になると
イミフ、
俺側としては
イエス・キリストとの関係、
霊的に聖句からの知恵の提示なのだが
スタンダードキリスト教の
主の恩寵の
霊的理解が
昨日の礼拝から、
今朝イメージ言語化がてきた
😄
スタンダードキリスト教だと
主の理性秩序、絶対的真理からの
三位一体。
俺サイドの理解は
霊的関係性
共にいるの
霊的基礎構造、
ま、霊性の神学ね
😄
原始キリスト教らしい霊性の神学と
ダブルで見えるよーになった
😄
キリスト教神学や西欧哲学理解の入りやすいゾーンにきたということやな、
理性の霊的扱いが
見えてきたので
😄
「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」
7日天地創造で
アメリカのファンダメンタルズと
それ以外の連中との
解釈の差が出てくる、
7日創造ならば
進化論を否定する
恐竜と人間が一緒にある
博物館が
アメリカにあるらしい
😄
それを
理性と
捉えるのが
スタンダードキリスト教
霊的関係性の修復と捉えるのが
霊性の神学となる
う〜む
キリスト教マニア道が近い〜
キリスト教神学理解できたあかつきには
真のキリスト教オタク完全体だな
😄
今や多角的に示せる〜
俺ちゃま〜
😄
まだ
その道のりは遠い
JBLの神学系統レスが頼りだ
😄
(2)しかし、現実には、妄念・頻悩に覆いかくされて、それが見えなくなっている。
(3)したがって、坐禅によってその妄念・煩悩を除去してゆけば、やがて仏性が顕われ出てくる。
つまり現実態の迷える自己を坐禅によって克服し、その底に潜在している「仏」とひとしき本来の自己を回復する、という考え方です。
加えば浮雲の底の日光の似し、雲霧滅し尽さば、日光自ずから現る。
何ぞ更に多くの広学知見もて、文字語言を渉歴り、覆って生死の道に帰するを用いん。
口を用いて文を説き、伝えて道と為す者は、
此の人、名利を貪求りて、自からを壊し他を壊すなり。
亦た銅鏡を磨くが如し、鏡面上の塵落ち尽くさば、鏡は自り明浄なり。
(『りょうがしじき』より)