【全宗教】悟りをひらいた人のスレ842【歓迎】アーカイブ最終更新 2023/07/24 10:121.神も仏も名無しさんFWTJR悟りをひらいた・霊的に生まれ変わったと思う人悟りをひらきたい・霊的に生まれ変わりたいと思う人悟りや霊性に対して懐疑・批判的な人新興宗教の方も歓迎!宗教・宗派を超えて皆さん大歓迎!!ただし、否定されても発狂しない【お約束】 1.次スレは>>970が立てる事(無理な場合は早めに依頼を)。 2.原則としてコテをつける事。 3.誹謗中傷はイエローカード、3回で成仏前スレ【全宗教】悟りをひらいた人のスレ841【歓迎】 https://talk.jp/boards/psy/16858806252023/07/21 19:20:276すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYTm0Xe数息観のコピペ(抜粋)じゃ。みんな修行に励むのじゃ。 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。 息を吐く時に、頭の中で一と数える。 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。2023/07/22 10:59:453.◆JBLfMwCXhYTm0Xe数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。 木でも花でも何でもいい。それを見て、細かく観察するのじゃ。 例えば花なら花という言葉を使わず、 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」 などと、出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。 そのような雑念が沸いてきたら、ただスルーするのじゃ。 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。 そうすれば雑念は自然に消えていく。 このような時に止の行は役立つのじゃ。 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。2023/07/22 11:03:534.◆JBLfMwCXhYTm0Xe更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、今、感じている感覚を観察するのじゃ。感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。2023/07/22 11:08:365.◆JBLfMwCXhYTm0Xeコピペ中止2023/07/22 11:10:176.元コマンドー◆KBl5hH0VXMVs3wpこのスレは破棄する2023/07/24 10:12:51
悟りをひらきたい・霊的に生まれ変わりたいと思う人
悟りや霊性に対して懐疑・批判的な人
新興宗教の方も歓迎!
宗教・宗派を超えて皆さん大歓迎!!
ただし、否定されても発狂しない
【お約束】
1.次スレは>>970が立てる事(無理な場合は早めに依頼を)。
2.原則としてコテをつける事。
3.誹謗中傷はイエローカード、3回で成仏
前スレ
【全宗教】悟りをひらいた人のスレ841【歓迎】
https://talk.jp/boards/psy/1685880625
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
木でも花でも何でもいい。それを見て、細かく観察するのじゃ。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと、出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。
そのような雑念が沸いてきたら、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。
感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。