【ラマナ・マハルシ】インドの宗教哲人【ラーマクリシュナ】最終更新 2025/12/04 13:311.◆JBLfMwCXhYBbiwH哲学と宗教の本場インドの教えを学ぼう2023/07/16 15:33:29358コメント欄へ移動すべて|最新の50件309.神も仏も名無しさんGgAHNそれくらいに日本における仏教は葬式法事勤行仏教であり観察とか重んじない仏教僧侶が多数派だ😀2025/09/28 12:40:47310.◆JBLfMwCXhYWxJpz4つのヴェーダ(四吠陀)『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』2025/11/16 16:15:26311.◆JBLfMwCXhYWxJpzヴェーダの構成各『ヴェーダ』は4つの部分からなっています。本集(サンヒター)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)です。本集が中核部分で、狭い意味での『ヴェーダ』は、本集の部分になります。讃歌や歌詞、祭詞、呪詞などが記されています。ブラーフマナは、本集に附属した散文の解説です。神話や伝説も含まれています。アーラニヤカ(森林書)は、森林で教えられるべき秘儀を記されているということでアーラニヤカ(森林書)といわれます。祭式や、哲学的な内容もあります。ウパニシャッドは、ヴェーダーンタともいわれ、哲学的思想の極致が記されています。2025/11/16 16:15:51312.◆JBLfMwCXhYWxJpzヴェーダとは『ヴェーダ』とは、インドの古い文献の総称です。「知る」という意味の「√vid」から派生した言葉です。つまり「知識」というほどの意味です。ヴェーダには、作者はありません。もし人間が作ったものだとすれば、人間は間違えるものなので、ヴェーダには間違いがあることになってしまいます。ですが、ヴェーダは自明の真理とされるので、人間の著作ではなく、聖仙や詩人によって感得された掲示とされます。そのため、天啓聖典ともいわれます。2025/11/16 16:16:13313.◆JBLfMwCXhYWxJpz正統派といわれるのは、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ニヤーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派の6つです。これを「六派哲学」といわれます。これが正統派といわれるのは、その時代に主流だったというよりも、後の時代に、シャンカラ派ヴェーダーンタを強く押し出したヒンドゥーリヴァイヴァルの動きがあったことが大きい、ともいわれます。2025/11/16 16:16:43314.◆JBLfMwCXhYWxJpzそれに対して非正統派といわれるのは、仏教と、ジャイナ教を含む六師外道(ろくしげどう)です。六師外道というのは、プーラナ・カッサパ、パクダ・カッチャーヤナ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリン、サンジャヤ、ニガンタ・ナータプッタの6人の教えです。ニガンタ・ナータプッタの教えがジャイナ教です。これらの六派哲学と、仏教、六師外道が代表的なインド哲学です。正統派と非正統派を分けるのは、『ヴェーダ』に対するスタンスです。2025/11/16 16:17:39315.◆JBLfMwCXhYMjpkxサーンキャ哲学は、プルシャ(純粋な意識)とプラクリティ(物質的な原理)の二元論を基本とし、世界の成り立ちを説明する哲学です。プルシャは観察者であり、プラクリティは現象世界を構成する物質的原理で、この両者の相互作用によって宇宙や個々の存在が生じると考えます。この関係性を理解し、プラクリティから離れることが解脱につながるとされます。2025/11/22 15:55:28316.◆JBLfMwCXhYMjpkxサーンキャ哲学の主な概念プルシャ (Puruṣa)純粋な意識、真我。常に他者を観察する、傍観者のような存在。本来清浄で不変だが、プラクリティに束縛されてしまうことで苦しみが生じるとされる。2025/11/22 15:55:41317.◆JBLfMwCXhYMjpkxプラクリティ (Prakriti)物質的な原理、現象世界の根本原因。3つのグナ(トリグナ)と呼ばれる性質から構成されている。プルシャの干渉によってバランスが崩れ、そこからマハット(宇宙的知性)などが流出するとされる。全ての現象世界はプラクリティが変化して生まれたもの。2025/11/22 15:55:55318.◆JBLfMwCXhYMjpkxプルシャとプラクリティの関係プルシャとプラクリティが出会うことで、外の世界が生まれると考える。プラクリティが自らを転変させて人間身心を含む現象世界を形成する。苦しみは、プルシャがプラクリティから完全に離れられないことに起因する。解脱のためには、プラクリティに対して無関心になることが必要となる。2025/11/22 15:56:12319.◆JBLfMwCXhYMjpkxサーンキャ哲学はシンプルだ2025/11/22 15:56:24320.◆JBLfMwCXhYMjpkx一言でいって「プルシャとプラクリティの二元論」2025/11/22 15:56:53321.◆JBLfMwCXhYMjpkxプルシャは、見るものプラクリティは、見られるもの2025/11/22 15:57:14322.◆JBLfMwCXhYMjpkxプルシャは、真我プラクリティは、物質世界(の原理)2025/11/22 15:57:48323.◆JBLfMwCXhYMjpkxプラクリティは、物質そのもの、世界そのものではない2025/11/22 16:00:21324.◆JBLfMwCXhYMjpkx物質世界を生み出す原理唯識論でいう、阿頼耶識みたいなものだ2025/11/22 16:00:47325.◆JBLfMwCXhYMjpkx物質世界が出現するためには、プルシャ(見る者)を必要とする2025/11/22 16:01:34326.◆JBLfMwCXhYMjpkxプルシャがいなければプラクリティは物質世界を生じさせる可能性を秘めた、可能態に過ぎない2025/11/22 16:03:20327.◆JBLfMwCXhYMjpkxプルシャと出会うことにより、プラクリティは現実態となる2025/11/22 16:03:42328.◆JBLfMwCXhYMjpkxコンピュータのバーチャルリアリティと似ているプレイヤーがいなければ、世界は存在しないも同然だ2025/11/22 16:04:18329.◆JBLfMwCXhYMjpkxプレイヤーがログオンすることにより初めて、世界が立ち現れる2025/11/22 16:04:43330.◆JBLfMwCXhYMjpkxそれまでは、プレイヤーを待っている状態でしかない2025/11/22 16:05:45331.◆JBLfMwCXhYMjpkx唯識論の阿頼耶識システムよりずっとシンプルな世界観だ2025/11/22 16:07:39332.◆JBLfMwCXhYMjpkx仏教の場合は、どうしても「無我なのに、何が輪廻転生しているのか?」という、古くて新しい難題がつきまとうだから、途方もなくややこしい説明になってしまう2025/11/22 16:08:51333.◆JBLfMwCXhYMjpkx3332025/11/22 16:09:14334.◆JBLfMwCXhYMjpkxこれが、サーンキャ哲学だとシンプルだ「真我」を認めさえすれば、話は簡単だ😂2025/11/22 16:09:51335.◆JBLfMwCXhYMjpkxキリスト教とイスラム教の関係に似ているキリスト教は、「父と子と聖霊はひとつ」という三位一体の教義のおかげで、難解になった「イエス・キリストは神なのか、人なのか?」なんて問題で、何百年も流血沙汰を伴う大論争が続いたイスラム教はこれを他山の石として、「アッラーの他に神は無し。ムハンマドはその使徒である」というシンプルな教義に決めた2025/11/22 16:14:04336.◆JBLfMwCXhYMjpkxそれと同じでヨーガ哲学は、仏教哲学をずっとシンプルなものにしている2025/11/22 16:14:31337.◆JBLfMwCXhYMjpkx問題は、「真我」を認めるかどうかだ😅2025/11/22 16:15:07338.登り棒◆0mnwMe9WsAmGfFt>>337現象世界が現れるのに認識は必要。それゆえプルシャというものは常に付きまとう。過去を振り返るにも振り返った過去を認識するものが現れる。でも仏教は縁起の理を説く。今の現象が成立するには過去等の成り立ちも含めて全てが破綻なく成立したからこそ現れている。その成り立ちには認識がなかった時間帯すら含まれて整合し現れている。プルシャも常にあるわけではなく実体はない。まぁこの説明の仕方だと唯識の認識とぶつかるんだけどそこはもろに中論と唯識の対立内容と被る。2025/11/22 18:51:15339.◆JBLfMwCXhYbVVXm確かにプルシャだ、真我だといっても無我と真っ向から対立するようなものではない似たような話だ2025/11/22 19:26:17340.◆JBLfMwCXhYbVVXm日本では、仏教アゲ・ヒンドゥー教サゲする人が多いが彼らが言うほどの違いは無い(笑)2025/11/22 19:27:39341.◆JBLfMwCXhYx343n⤴️2025/12/03 05:36:27342.◆JBLfMwCXhYx343ntoggle navigationsearch buttonホームニュース特集連載動画深めようヨガ哲学プルシャとプラクリティの関係で学ぶ、生まれた意味ヨガを練習していると、自分のことを客観的に見ているもう一人の自分の存在を感じることがあるかもしれません。もしかしたら、それがヨガで探している本当の自分の可能性があります。自分の本質に近づくと、物質世界への執着が少しずつ弱まります。すると、そもそも何のために生まれて何のために生きているのかを見失うことがあるかもしれません。今回は、ヨガの練習で見つける、自分の本質と物質的な自分の関係を『ヨガ・スートラ』の教えを元に見ていきましょう。2025/12/03 05:43:45343.◆JBLfMwCXhYx343n物質的な世界を作る3つの性質『ヨガ・スートラ』では自分の本質のことをプルシャ(真我)と呼びます。それは、姿形のない霊魂のようなものです。プルシャは何も行動をすることがなく、物質世界で起きていることを映画を見るように眺めています。私たちが見ている世界は全てプラクリティと呼ばれる物質原理が開展して生まれたもので、プラクリティを理解することが、世界で起きているあらゆる現象を理解することに繋がります。2025/12/03 05:44:31344.◆JBLfMwCXhYx343nまずは、『ヨガ・スートラ』に書かれたプラクリティ(物質根本原理)について見ていきましょう。見られるものとは、照明、活動、鈍重の性向をあわせそなえ、物質元素と知覚、運動の器官とから成るものであって、真我の経験と解脱とをその目的としている。佐保田鶴治, 1983, 『ヨーガ根本経典 ヨガ・スートラ』2章18節, 平河出版社, p. 952025/12/03 05:45:08345.◆JBLfMwCXhYadHmQヨガ哲学では、この世界の全ては3つのグナ(性質)が原理となって作られたと説かれています。この3つのグナとは、サットバ(純質)・ラジャス(激質)、タマス(鈍質)のこと。これらを理解して生活の中の“選択”に活かすことで、自分自身の性質を整えることができます。世界を作り出す3つのグナの特性についてご説明します。2025/12/04 11:30:44346.◆JBLfMwCXhYadHmQ3つのグナとは?世界が作られた仕組みヨガの哲学部分を担ったサーンキャ哲学では、世界はプルシャとプラクリティの出会いによって作られたと説かれます。プルシャ:私たちの本質部分、霊魂、真我です。傍観すること以外に何も行動を起こさない純粋な存在です。プラクリティ:物質全ての原理です。私たちがこの世にあると認識できるものは全てプラクリティが根源となって生まれました。2025/12/04 11:31:11347.◆JBLfMwCXhYadHmQプラクリティとプルシャは共に無始であると知られるべきだ。それらの変異と要素は、プラクリティから作られた。(バガヴァッド・ギーター13章19節)プラクリティによって全ての原因と結果を作るものだと言われる。プルシャは様々な苦痛と快楽を受け取る要因である。(バガヴァッド・ギーター13章20節)物質的な要因のプラクリティと、そこから生じた感覚を受け取るプルシャの両方で世界は成り立っています。2025/12/04 11:31:31348.◆JBLfMwCXhYadHmQプラクリティは3つのグナ(性質)で構成されています世界を成立させる、プラクリティとプルシャのうち、プラクリティが、先にも述べた3つのグナで構成されているのです。それぞれの性質は下記のとおり。サットバ:汚れないもの、軽い、照らし輝く、調和、軽い、幸福、知識ラジャス:激しい動き、激情、渇愛、執着、行為、躁状態、貪欲タマス:濁っている、思い込み、怠慢、怠惰、睡眠、怠慢、迷想、無活動プラクリティがプルシャと出会って活動を始めて、最初に優勢になったのはサットバです。サットバは限りなく純粋な状態。つまり、プルシャに近い状態です。その後、活動的なラジャスが活発に動くことにより、タマスも活動を始めて様々な性質をもった存在が生まれました。私たちはサットバが優勢になると上昇し、ラジャスが強くなると中間に留まり、タマスが優勢になると下降します。私たちは純粋なプルシャ(幸福)に近づくために、自分自身のサットバ性を上げなくてはいけません。2025/12/04 11:32:24349.◆JBLfMwCXhYadHmQグナを意識して日常に活かす世の中のあらゆるものは、3つのグナで構成されています。できるだけサットバ性が多く、タマスが低いものを自身に取り入れることによって、自分自身の意識を高い次元(本来あるべきプルシャに近い状態)にもっていくことができます。食品のグナ例えば、食べ物を選ぶ時にもそれぞれの性質を考えるようにしましょう。サットバ性の食べ物新鮮なもの、軽いもの、調理したばかりのもの、長時間調理していないもの。例)新鮮な野菜、果物、豆、ミルク、シンプルな調理のもの、消化しやすいものラジャス性の食べ物刺激の強いもの、辛味、苦み、酸味などがあるもの。例)辛味スパイスの多い料理、コーヒーなどのカフェイン飲料タマス性の食べ物一度調理したあと時間が経って温め直したもの、古くて新鮮でないもの、加工し過ぎたもの。例)インスタント食品、保存料の入ったもの、前日に調理した料理、お酒、カフェイン飲料(一度活発になった後、タマス性が上がる)、砂糖の多く含まれたものライフスタイルによっては常に新鮮な野菜ばかり食べられないこともあるでしょう。しかし、できるだけ良くないものを減らす努力は難しくありません。お酒を飲まないと寝れない、コーヒーを飲まないと集中できない……。このような習慣を変えるだけでも効果がとても大きいです。2025/12/04 11:33:20350.◆JBLfMwCXhYadHmQ自分の思考の状態を観察してみましょう自分の思考の状態がどのグナに当てはまっているかを観察することも、とても役に立ちます。すぐにサットバ性の思考に変更することは難しいですが、現状を理解することで冷静になり、対処法が分かるようになります。それぞれのグナの心理状態サットバ穏やか、安定、長く続く幸福感、寛大、温かい愛、集中力ラジャス感情的、渇愛、執着、切迫感、短期の極端な楽しみ、貪欲、集中力がなく落ち着きがないタマス怠け、やる気のなさ、眠気、思い込み、妄想、答え出ない悩み自身の心の状態を観察すると、どのグナが優勢になっているかを観察することができます。タマスの状態はヨガの練習や生活全体で心地良く生きることの妨げになってしまいます。ヨガの障害として以前紹介した心の状態はタマスの状態と言えます。自分の心の状態を自覚して、サットバ性を上げることができると良いですね。2025/12/04 11:33:49351.◆JBLfMwCXhYadHmQあらゆる選択の判断基準に活用しましょう普段の生活で自分が触れるもの、行うこと、口にするもの、言葉などをできるだけサットバ性の高いものにしましょう。場所も重要です。自然の中にいるだけで心が洗われる感覚になるのも、場所のサットバ性の影響を受けているからです。自宅が綺麗に整っているのかもとても大切です。汚れている部屋、物の散乱している部屋は精神状態にも良くない影響を与えます。気持ちが沈んでいる時に、自宅を掃除して自分のいる環境のサットバ性を高めると、気持ちも整うかもしれません。何を行うのかも大切ですし、汚い言葉を使わないことも大切。全てのエネルギーは繋がっていることを認識して、自分自身の周りをサットバ性の高い状態に保つようにしましょう。サットバ性が上がると本当の自分を感じやすいヨガの目的とは、本来の自分の姿であるプルシャに出会うことです。自身のサットバ性を上げると、自身の本質を見ることができます。2025/12/04 11:34:07352.◆JBLfMwCXhYadHmQプルシャは池の底の地面の部分のようなものです。本来の自分の姿である“プルシャ”は池の底の地面の部分のようなもの池が汚れて濁っていると底は見えません。それはタマス(鈍質)が上がっている状態です。池の水に動きがあり波紋が立っていても底は見えません。それはラジャス(激質)の上がっている状態です。サットバの状態である澄んだ水、それ自体が底ではありませんが、サットバな状態である水を通し、底を見ることができます。私たちは身体を通して行動し、あらゆる対象を見ます。プラクリティによって作り出された身体は本来のプルシャとなることはできませんが、自分自身の純粋さを高めていくことで自身の本質を見ることができます。2025/12/04 11:34:38353.◆JBLfMwCXhYadHmQ3グナが活動を止める時ヨガの実践により、実践者が真我(プルシャ)に到達することができると3つのグナは活動を停止します。カイバルヤ(孤立)とは、3グナがプルシャのために行う目的が叶い没し去ることである。もしくは、プルシャが本来の状態に安住することである。(ヨガスートラ4章34節)3つのグナ、つまりプラクリティの全ての活動は、プルシャのための活動です。ヨガの実践によって、私たちが本来のプルシャの状態に到達することが叶うとプラクリティは活動の目的を果たします。本来プルシャとプラクリティは別々に存在し、安住していました。活動を止めた先には、プルシャの本来の姿である永遠の平穏さ、至高の状態に戻ります。それがヨガの最終的な到達点です。2025/12/04 11:34:52354.◆JBLfMwCXhYadHmQ生活に活かせる3グナの考え方3グナは、あらゆる物質、事柄の性質を考えるために、とても分かりやすいコンセプトです。自分が心地いいと思える状態は、できるだけサットバ性の高いものを選択することで叶います。世の中の「好き」という感情は様々な種類があります。タマス性のものは痛みを伴う快楽、ラジャス性のものは劇的で瞬間的な快楽、この2つは、一時的な楽しみの後、苦痛に繋がってしまいがちです。長く幸福が続くサットバ性の喜びを選ぶことで、人生が安定して幸せなものに近づいていきます。2025/12/04 11:35:03355.◆JBLfMwCXhYadHmQなるほど2025/12/04 13:30:38356.◆JBLfMwCXhYadHmQプルシャとプラクリティの二元論2025/12/04 13:30:52357.◆JBLfMwCXhYadHmQプラクリティは3つの性質に分かれる2025/12/04 13:31:05358.◆JBLfMwCXhYadHmQサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)だ2025/12/04 13:31:52
【国際】トランプ「同盟国の多くは友達じゃない」凍りつく…高市総理は台湾有事発言で米に見捨てられたか? 撤回できず、前にも進めず「八方塞がり」ニュース速報+4182609.32025/12/05 15:38:24
【高市自民】ネット大荒れ「はあ?」「子育てに罰金」「高市支持やめる!」 高校生の扶養控除縮小検討の報道に騒然「意味分からん」「ほーら増税始まった」「涙出る」「子育て支援は嘘」 公明離脱で再燃ニュース速報+4171171.72025/12/05 15:19:34
【舛添要一氏】「かつて、農民も職人も、皆死ぬまで働き、深夜のネトウヨ行為など無縁だった、今の高齢者は、定年退職後、社会参加もせずに、ネットに溺れている、ネットを捨てて働いたほうが健全だ」ニュース速報+244872.32025/12/05 15:37:48
インドの教えを学ぼう
日本における仏教は
葬式法事勤行仏教であり
観察とか重んじない仏教僧侶が
多数派だ
😀
『リグ・ヴェーダ』
『サーマ・ヴェーダ』
『ヤジュル・ヴェーダ』
『アタルヴァ・ヴェーダ』
各『ヴェーダ』は4つの部分からなっています。
本集(サンヒター)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)です。
本集が中核部分で、狭い意味での『ヴェーダ』は、本集の部分になります。
讃歌や歌詞、祭詞、呪詞などが記されています。
ブラーフマナは、本集に附属した散文の解説です。
神話や伝説も含まれています。
アーラニヤカ(森林書)は、森林で教えられるべき秘儀を記されているということでアーラニヤカ(森林書)といわれます。
祭式や、哲学的な内容もあります。
ウパニシャッドは、ヴェーダーンタともいわれ、哲学的思想の極致が記されています。
『ヴェーダ』とは、インドの古い文献の総称です。
「知る」という意味の「√vid」から派生した言葉です。
つまり「知識」というほどの意味です。
ヴェーダには、作者はありません。
もし人間が作ったものだとすれば、人間は間違えるものなので、ヴェーダには間違いがあることになってしまいます。
ですが、ヴェーダは自明の真理とされるので、人間の著作ではなく、聖仙や詩人によって感得された掲示とされます。
そのため、天啓聖典ともいわれます。
これを「六派哲学」といわれます。
これが正統派といわれるのは、その時代に主流だったというよりも、後の時代に、シャンカラ派ヴェーダーンタを強く押し出したヒンドゥーリヴァイヴァルの動きがあったことが大きい、ともいわれます。
六師外道というのは、プーラナ・カッサパ、パクダ・カッチャーヤナ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリン、サンジャヤ、ニガンタ・ナータプッタの6人の教えです。
ニガンタ・ナータプッタの教えがジャイナ教です。
これらの六派哲学と、仏教、六師外道が代表的なインド哲学です。
正統派と非正統派を分けるのは、『ヴェーダ』に対するスタンスです。
プルシャ (Puruṣa)
純粋な意識、真我。
常に他者を観察する、傍観者のような存在。
本来清浄で不変だが、プラクリティに束縛されてしまうことで苦しみが生じるとされる。
物質的な原理、現象世界の根本原因。
3つのグナ(トリグナ)と呼ばれる性質から構成されている。
プルシャの干渉によってバランスが崩れ、そこからマハット(宇宙的知性)などが流出するとされる。
全ての現象世界はプラクリティが変化して生まれたもの。
プルシャとプラクリティが出会うことで、外の世界が生まれると考える。
プラクリティが自らを転変させて人間身心を含む現象世界を形成する。
苦しみは、プルシャがプラクリティから完全に離れられないことに起因する。
解脱のためには、プラクリティに対して無関心になることが必要となる。
「プルシャとプラクリティの二元論」
プラクリティは、見られるもの
プラクリティは、物質世界(の原理)
唯識論でいう、阿頼耶識みたいなものだ
プラクリティは物質世界を生じさせる可能性を秘めた、可能態に過ぎない
プレイヤーがいなければ、世界は存在しないも同然だ
初めて、世界が立ち現れる
ずっとシンプルな世界観だ
「無我なのに、何が輪廻転生しているのか?」
という、古くて新しい難題がつきまとう
だから、途方もなくややこしい説明になってしまう
「真我」を認めさえすれば、話は簡単だ😂
キリスト教は、「父と子と聖霊はひとつ」という三位一体の教義のおかげで、難解になった
「イエス・キリストは神なのか、人なのか?」なんて問題で、何百年も流血沙汰を伴う大論争が続いた
イスラム教はこれを他山の石として、「アッラーの他に神は無し。ムハンマドはその使徒である」というシンプルな教義に決めた
ヨーガ哲学は、仏教哲学をずっとシンプルなものにしている
現象世界が現れるのに認識は必要。それゆえプルシャというものは常に付きまとう。
過去を振り返るにも振り返った過去を認識するものが現れる。
でも仏教は縁起の理を説く。今の現象が成立するには過去等の成り立ちも含めて全てが破綻なく成立したからこそ現れている。
その成り立ちには認識がなかった時間帯すら含まれて整合し現れている。
プルシャも常にあるわけではなく実体はない。
まぁこの説明の仕方だと唯識の認識とぶつかるんだけどそこはもろに中論と唯識の対立内容と被る。
プルシャだ、真我だといっても
無我と真っ向から対立するようなものではない
似たような話だ
彼らが言うほどの違いは無い(笑)

search button
ホーム
ニュース
特集
連載
動画
深めようヨガ哲学
プルシャとプラクリティの関係で学ぶ、生まれた意味
ヨガを練習していると、自分のことを客観的に見ているもう一人の自分の存在を感じることがあるかもしれません。もしかしたら、それがヨガで探している本当の自分の可能性があります。
自分の本質に近づくと、物質世界への執着が少しずつ弱まります。すると、そもそも何のために生まれて何のために生きているのかを見失うことがあるかもしれません。
今回は、ヨガの練習で見つける、自分の本質と物質的な自分の関係を『ヨガ・スートラ』の教えを元に見ていきましょう。
『ヨガ・スートラ』では自分の本質のことをプルシャ(真我)と呼びます。それは、姿形のない霊魂のようなものです。プルシャは何も行動をすることがなく、物質世界で起きていることを映画を見るように眺めています。
私たちが見ている世界は全てプラクリティと呼ばれる物質原理が開展して生まれたもので、プラクリティを理解することが、世界で起きているあらゆる現象を理解することに繋がります。
見られるものとは、照明、活動、鈍重の性向をあわせそなえ、物質元素と知覚、運動の器官とから成るものであって、真我の経験と解脱とをその目的としている。
佐保田鶴治, 1983, 『ヨーガ根本経典 ヨガ・スートラ』2章18節, 平河出版社, p. 95
ヨガの哲学部分を担ったサーンキャ哲学では、世界はプルシャとプラクリティの出会いによって作られたと説かれます。
プルシャ:私たちの本質部分、霊魂、真我です。傍観すること以外に何も行動を起こさない純粋な存在です。
プラクリティ:物質全ての原理です。私たちがこの世にあると認識できるものは全てプラクリティが根源となって生まれました。
プラクリティによって全ての原因と結果を作るものだと言われる。プルシャは様々な苦痛と快楽を受け取る要因である。(バガヴァッド・ギーター13章20節)
物質的な要因のプラクリティと、そこから生じた感覚を受け取るプルシャの両方で世界は成り立っています。
世界を成立させる、プラクリティとプルシャのうち、プラクリティが、先にも述べた3つのグナで構成されているのです。それぞれの性質は下記のとおり。
サットバ:汚れないもの、軽い、照らし輝く、調和、軽い、幸福、知識
ラジャス:激しい動き、激情、渇愛、執着、行為、躁状態、貪欲
タマス:濁っている、思い込み、怠慢、怠惰、睡眠、怠慢、迷想、無活動
プラクリティがプルシャと出会って活動を始めて、最初に優勢になったのはサットバです。サットバは限りなく純粋な状態。つまり、プルシャに近い状態です。その後、活動的なラジャスが活発に動くことにより、タマスも活動を始めて様々な性質をもった存在が生まれました。
私たちはサットバが優勢になると上昇し、ラジャスが強くなると中間に留まり、タマスが優勢になると下降します。私たちは純粋なプルシャ(幸福)に近づくために、自分自身のサットバ性を上げなくてはいけません。
世の中のあらゆるものは、3つのグナで構成されています。できるだけサットバ性が多く、タマスが低いものを自身に取り入れることによって、自分自身の意識を高い次元(本来あるべきプルシャに近い状態)にもっていくことができます。
食品のグナ
例えば、食べ物を選ぶ時にもそれぞれの性質を考えるようにしましょう。
サットバ性の食べ物
新鮮なもの、軽いもの、調理したばかりのもの、長時間調理していないもの。
例)新鮮な野菜、果物、豆、ミルク、シンプルな調理のもの、消化しやすいもの
ラジャス性の食べ物
刺激の強いもの、辛味、苦み、酸味などがあるもの。
例)辛味スパイスの多い料理、コーヒーなどのカフェイン飲料
タマス性の食べ物
一度調理したあと時間が経って温め直したもの、古くて新鮮でないもの、加工し過ぎたもの。
例)インスタント食品、保存料の入ったもの、前日に調理した料理、お酒、カフェイン飲料(一度活発になった後、タマス性が上がる)、砂糖の多く含まれたもの
ライフスタイルによっては常に新鮮な野菜ばかり食べられないこともあるでしょう。しかし、できるだけ良くないものを減らす努力は難しくありません。
お酒を飲まないと寝れない、コーヒーを飲まないと集中できない……。このような習慣を変えるだけでも効果がとても大きいです。
自分の思考の状態がどのグナに当てはまっているかを観察することも、とても役に立ちます。すぐにサットバ性の思考に変更することは難しいですが、現状を理解することで冷静になり、対処法が分かるようになります。
それぞれのグナの心理状態
サットバ
穏やか、安定、長く続く幸福感、寛大、温かい愛、集中力
ラジャス
感情的、渇愛、執着、切迫感、短期の極端な楽しみ、貪欲、集中力がなく落ち着きがない
タマス
怠け、やる気のなさ、眠気、思い込み、妄想、答え出ない悩み
自身の心の状態を観察すると、どのグナが優勢になっているかを観察することができます。タマスの状態はヨガの練習や生活全体で心地良く生きることの妨げになってしまいます。ヨガの障害として以前紹介した心の状態はタマスの状態と言えます。
自分の心の状態を自覚して、サットバ性を上げることができると良いですね。
普段の生活で自分が触れるもの、行うこと、口にするもの、言葉などをできるだけサットバ性の高いものにしましょう。
場所も重要です。自然の中にいるだけで心が洗われる感覚になるのも、場所のサットバ性の影響を受けているからです。自宅が綺麗に整っているのかもとても大切です。汚れている部屋、物の散乱している部屋は精神状態にも良くない影響を与えます。気持ちが沈んでいる時に、自宅を掃除して自分のいる環境のサットバ性を高めると、気持ちも整うかもしれません。
何を行うのかも大切ですし、汚い言葉を使わないことも大切。全てのエネルギーは繋がっていることを認識して、自分自身の周りをサットバ性の高い状態に保つようにしましょう。
サットバ性が上がると本当の自分を感じやすい
ヨガの目的とは、本来の自分の姿であるプルシャに出会うことです。自身のサットバ性を上げると、自身の本質を見ることができます。
本来の自分の姿である“プルシャ”は池の底の地面の部分のようなもの
池が汚れて濁っていると底は見えません。それはタマス(鈍質)が上がっている状態です。池の水に動きがあり波紋が立っていても底は見えません。それはラジャス(激質)の上がっている状態です。サットバの状態である澄んだ水、それ自体が底ではありませんが、サットバな状態である水を通し、底を見ることができます。
私たちは身体を通して行動し、あらゆる対象を見ます。プラクリティによって作り出された身体は本来のプルシャとなることはできませんが、自分自身の純粋さを高めていくことで自身の本質を見ることができます。
ヨガの実践により、実践者が真我(プルシャ)に到達することができると3つのグナは活動を停止します。
カイバルヤ(孤立)とは、3グナがプルシャのために行う目的が叶い没し去ることである。もしくは、プルシャが本来の状態に安住することである。(ヨガスートラ4章34節)
3つのグナ、つまりプラクリティの全ての活動は、プルシャのための活動です。ヨガの実践によって、私たちが本来のプルシャの状態に到達することが叶うとプラクリティは活動の目的を果たします。本来プルシャとプラクリティは別々に存在し、安住していました。活動を止めた先には、プルシャの本来の姿である永遠の平穏さ、至高の状態に戻ります。それがヨガの最終的な到達点です。
3グナは、あらゆる物質、事柄の性質を考えるために、とても分かりやすいコンセプトです。自分が心地いいと思える状態は、できるだけサットバ性の高いものを選択することで叶います。世の中の「好き」という感情は様々な種類があります。タマス性のものは痛みを伴う快楽、ラジャス性のものは劇的で瞬間的な快楽、この2つは、一時的な楽しみの後、苦痛に繋がってしまいがちです。長く幸福が続くサットバ性の喜びを選ぶことで、人生が安定して幸せなものに近づいていきます。