人間に自由意志がない以上、歴史を学ぶ意義は大きいよな?アーカイブ最終更新 2024/12/30 16:271.番組の途中ですが転載は禁止ですtRKb3人間に自由意志を認めてるアホは言うなれば向上心が無い人間だけだろう何故って現状に満足族は理性と本能の対立がなく理性が本能の奴隷だからな理性が本能と独立戦争を戦ってる人間なら自由意志なんてないのは明々白々なのを理解できると思う仮に自由意志なんてものがあったら今日この日に東大行くか!と志したら受かるまで全てを投げ出してそこに没頭できるはずなんだよ何理性という本能の監督者が王権を振るって本能、肉体的欲求を完全に抑制して一度そう決心したら絶対にそれを貫徹する継続力を人間に与えるはずだからなところがどうだ?不自由意志である人間は志しても頓挫するのが大半だなそれに自由意志なんてものがあったとしたら、つまり人間の言動に法則性が全くない訳だからその様相は多重人格者みたいになるし人類の辞書から性格なんて概念の言葉は生まれてないはずだ性格なんてのは人間の言動の法則性を言い換えた言葉みたいなもんだからなあと心理学もそもそも成立しない何せ科学する、とは一見すると無秩序に運行してる事象を継続的で地道な緻密な観察と研究結果得られる法則性から演繹帰納して結果を予測したりあるいは結果から原因を特定すること、そしてこのプロセスの有効活用の事を言うんだから自由意志があったら無秩序極まってどう観察しても法則性なんてなく常に例外しか見当たらないとしたら因果律に基づいた体系立てなんてできるわけないからなつまりは性格とか心理学の存在はもう人間の自由意志の存在を否定しているんだよ2024/12/28 19:31:0931すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですtRKb3そして歴史とはそんな不自由意志の人間の塊が織りなす不協和音、あるいはハーモニーだとしたら結局ここにも法則性がある訳だからな現に歴史を学べばわかる通り本質的には同じことの繰り返しなんだからな2024/12/28 19:32:183.番組の途中ですが転載は禁止ですxY28kそうなんだおじさん「そうなんだ」2024/12/28 19:36:534.番組の途中ですが転載は禁止ですtRKb3物理法則で例えればわかると思うがな物理法則が”自由”に振る舞ったら物理学なんて学問はどうやっても成立しないだって指で軽く壁を叩いた時の運動エネルギーが同じ条件の元今日と昨日あるいは一時間後と一時間前でそれぞれ全く違うものになるなら物理学として学問できないからな昨日は何も起こらなかったのに今日は爆発して二年後には核爆発起きるような状態がいわば自由意志な物理だから法則が無いから学問にもならない2024/12/28 19:37:525.番組の途中ですが転載は禁止ですKEJhDなんだただのキチガイか2024/12/28 19:40:346.番組の途中ですが転載は禁止ですtRKb3そもそも自由意志が無いからこそ人間同士は付き合えるんだろ昨日の彼彼女は今日の彼彼女に間違いないと無意識に安心で人付き合いできるのは両者共に不自由意志の囚われが故だ性格を知る、つまり科学すればこそこの人にはここまで踏み込んでも多分問題ないと思えるしあの人にはここまで踏み込むとまずい、なんて判断がつくんだよ人付き合いなんてのは本質的には科学者野やってることと同じだよ違いがあるとすれば対象物が人間かそうじゃ無いかだけだろう2024/12/28 19:41:597.番組の途中ですが転載は禁止ですtRKb3>>5自由意志があれば精神病院なんてのも存在しなくなるだろ自分の置かれた状況に最も適した性格を展開できるんだから演技でもなんでも無くあたかもそれが自分の生まれに最も適した生き方も言えるような感覚で展開できるはずだ2024/12/28 19:43:398.番組の途中ですが転載は禁止ですvFNmr>>1> 仮に自由意志なんてものがあったら今日この日に東大行くか!と志したら受かるまで全てを投げ出してそこに没頭できるはずなんだよ意味不明な供述…2024/12/29 00:15:319.番組の途中ですが転載は禁止ですShIQ5バカの考え休むに似たり2024/12/29 00:25:0310.番組の途中ですが転載は禁止です4oocW>>8つまり本当の意味で自分の身体を自分の好きなように扱えるということだ仮に自由意志があったら男はみんなインテリスパルタ人みたいになってデブもガリもいなくなるししかしガリやデブになる必要があるならいとも容易く簡単にストイックな思想や習慣も切り替えてそういうふうになれる自由意志があるってことは全くなんの法則も無く意志が必要に応じて展開するわけだからそうなるショーペンハウアーの言うように人間も自然の現象でしかないとなりゃ物理法則が一定、つまり法則があるように人間にも法則があると言うわけだ自由意志があると思えるのは観察と研究と概観た総観が足りないからだ自然現象なんてノーテンキに眺めてりゃ勝手気ままに振る舞ってるように思えるがしかしよく観察すりゃ神の意志を感じるくらい規則正しく補い合って運行してるんだからな物理法則だって良く事象を観察しなけりゃ一定の法則があることに気がつけないだろ物理法則の発見に尽力してきた連中なんてのは向上心があってこの自然をどうにかして家畜のように飼い慣らすことはできないか?と思ったからだろとなりゃ同じで自由意志を認めない人間ってのはこれと同じで自分をもっと飼い慣らすにはどうしたらいいか?つまりは肉体的反応を抑制して自分の決めた道を貫徹するにはどう対処したらいいか?を考えた結果の内戦状態の結果と言える試しに俺の様に朝の極寒の中冷水シャワーを五分浴びることを習慣して肉体とバトルしてみろマルクスアウレリアスが言う様に肉体に苦痛を自発的に継続的に与える事でいかに肉体と指導原理が別個の存在であるかを自覚する苦痛を本能の赴くままに逃げる人間にはそんな自覚は生まれないとな何故かといえば朝の極寒の中ただでさえ布団から出るのさえきついのにその上冷水シャワーを浴びるんだそれも五分仕事行く前にだ猛烈な肉体的拒絶反応を振り切ってやってりゃこりゃ堕落主義者理性の弱い本能のゼンマイでしか動いてない連中はそりゃこれに抗えないわな俺とて時として肉体の拒絶反応に屈するんだからと思えばやはりこの様にしてさまざまな場面で起こる強烈な肉体的反応にコントロールされて自由が無くなるわけだから結果ないんだよな俺が自由意志を持ってなら毎日やると決めたら必ずやられるはずなんだよ何せ自由意志があるなら布団の中でぬくぬくしていたいと言う本能の強さほどに逆に理性が立ち勝ってて本能を抑制して俺を全くストレスフリーでこの苦行に向かわせることが可能なのだから2024/12/29 08:43:3211.番組の途中ですが転載は禁止ですeMGJB誰か反論できるか?人間は自然の現象の一つに過ぎないこの前提があるのにどうやって自由意志を想定できるんだい?研究によってこの森羅万象は一見すると無秩序だが実は恐ろしいほど厳密な法則性に従って運行されてるのは知られてる事で人間のその中の森羅万象の一部なら同じ様に一見すると無秩序だが実は法則があると言う事になりつまりは不自由意志しか無いと言う事になるお前らは考えたことがないんだ性格なんて言葉がこの世に存在する時点で不自由意志しかないだろ自由意志があるなら法則が無いなら性格なんてその個体の持つ言動の傾向法則も全く見当たらないから多重人格者だからその人に確固たる性格がない以上その人に性格はないと言えるしみんな多重人格者で法則性のある一つの性格がないならやはりその世界では物理法則が存在しない世界と同じだから物理学も無いし性格って言葉も生まれてないだろ2024/12/29 08:56:5112.番組の途中ですが転載は禁止ですeMGJB人間に自由意志認めるならな?ここに宣誓してもらいたいこの世の森羅万象には全くの法則性がない、ってな笑こんな愚かしいことは小学校の理科でもテキトーにやってても言えないはずだが馬鹿は言えるのだ何故か?馬鹿は一見でなんでも判断するからだ笑印象とかねまあ要は思慮は浅く感情的と言うことだな自由意志を認めないのは尊厳の冒涜だ!と言うなら心理学者という人類の尊厳を最も傷つける”科学者”共を吊し上げないといかんなあいつらは人間を対象に科学した冒涜者達だからな科学していいのは人間以外の全ての事象でなきゃな2024/12/29 09:01:3413.番組の途中ですが転載は禁止ですvFNmr>>10> 仮に自由意志があったら男はみんなインテリスパルタ人みたいになってデブもガリもいなくなるししかしガリやデブになる必要があるならいとも容易く簡単にストイックな思想や習慣も切り替えてそういうふうになれるそれはむしろ「本能」だろ?ミツバチは必ず花のありかをみつけ花の蜜を足につけ巣に帰る。そうしないミツバチはいない…本能じゃん。自由意志の問題じゃなく、「ヒトにインテリスパルタ人みたいになる本能があれば」とまあ君がなにに感化されたかは、ググってみてほぼ想像がついた2024/12/29 13:13:2914.番組の途中ですが転載は禁止ですvFNmr自由意志なら、たとえば「オイディプス王」の話(戯曲)があるオイディプスは自由な選択(自由意志)によって自分の行く末を決めようとするんだが、予言どおり父を惨殺し母を姦淫してしまう。個人の自由な意志決定も、社会的・歴史的関係の網の目(構造)のなかにあり、その構造のなかの過少な選択肢のなかで選択してるにすぎず、結局は「運命」の網にからめとられてしまう=予言通りの選択をしてしまうこういう話なら理解する2024/12/29 13:21:0315.番組の途中ですが転載は禁止ですB12JAないね2024/12/29 14:25:4116.番組の途中ですが転載は禁止ですV40rY人間は自然の現象の一部に過ぎないという事実を否定するなら自由意志はあると言えるだがこの地球の産物 宇宙の産物ならばこの森羅万象が緻密な法則性に則って運行してる以上人間も同じで無秩序に自由に動いてるように”見える”のはよく目を凝らして見ていないからだ。という事になる自由に動いて喋ってる感、だけで自由意志を想定するのが愚かしいというのだ2024/12/29 20:15:0917.番組の途中ですが転載は禁止ですV40rYだから歴史を知るというのは石油のもつ性質の法則性を知る事に等しい歴史を知ってりゃ石油の爆発性と揮発性の法則を前もって知っているから黒焦げになることは免れるわけだだが人間に自由を認めるなら石油だってもっと買って気ままに振る舞わないといけないつまりは常温で普通は液体であるのに固体であったり揮発性が昨日はなくて今日はあって爆発性が今日はあるが明日はないしかもこの有無の理由に法則なんてなく気ままに時期も関係なくそうなるのが自由意志を想定した森羅万象の世界観だ2024/12/29 20:19:0218.番組の途中ですが転載は禁止ですvFNmr>>16> 人間は自然の現象の一部に過ぎないという事実を否定するなら一部であり、かつ、自然にはたらきかけ自然の形を変えることのできる、唯一の生物、それが人間。温暖化がすすんでるのはなぜ?「自然の現象の一部」(現象を入れる意味がわからんが)にとどまらない存在だからでしょ?2024/12/29 23:43:5719.番組の途中ですが転載は禁止ですvFNmr>>16> 宇宙の産物ならばこの森羅万象が緻密な法則性に則って運行してる以上ナイーブな決定論(ですらないなにか)なんかイライラしてきたわw2024/12/29 23:48:5920.番組の途中ですが転載は禁止ですoZQ7Qまあ歴史はいくら英雄といえど基本顔が良い貴族が大半なわけでブサイク一般人が歴史に名を残す英雄になんてなれない2024/12/30 00:14:5921.番組の途中ですが転載は禁止ですvgkAz歴史のいいところはどんなバカでも学べるところ皮肉じゃなくてほんとにいいところだと思う2024/12/30 10:15:5522.壺の妖精しんだもん!donguri2iCuaようするに>>1は宇宙プログラム説とかニーチェの永劫再帰とかにかぶれてる馬鹿ってことだろ2024/12/30 10:17:3323.壺の妖精しんだもん!donguri2iCuaキリスト教のほうが「人の自由意志は、神によって付与されてる」で宇宙に、ヒト個々人の自己決定領分があるとしてるから賢いよ>>1よりね2024/12/30 10:19:0924.番組の途中ですが転載は禁止ですnjVeH>>1自由意志が無いなら歴史を学ぼうが学ぶまいが一緒だろタコ助2024/12/30 10:20:5625.番組の途中ですが転載は禁止ですEXvZ7>>22ニーチェの永劫回帰は、(決定論的に)繰り返される無意味に思える人生において、「これが人生であったか。ならばもう一度!」と欲する境地のことを言うんであって、決定論に対する自由意志の優位を説いたものだろう2024/12/30 12:06:2026.壺の妖精しんだもん!donguri2iCua>>25その辺はなんとでも取れるよ「時間や空間、神に設計された世界」への超克を「キリスト教批判」として人間が超人として成し遂げて、乗り越えていくようなイメージでお前の言うレスもあってるけど「そして世界は再び再起動」するで繰り返しを意味してるってことにもなるからなその中でお前のニーチェ理解では、人が再び自由意志を始動させることを意味し>>1の馬鹿は、再び同じことが同じプログラムで起こり続けることになる2024/12/30 12:11:5127.番組の途中ですが転載は禁止ですEXvZ7>>26> 「キリスト教批判」として人間が超人として成し遂げてこんな読解があるんだ?君、「設計された世界」を超えた存在Xなのではw2024/12/30 12:25:0028.壺の妖精しんだもん!donguri2iCua>>27ニーチェの話は常に「反キリスト教」を念頭にして聞かないとダメだよまぁ聞くんじゃなくて読むだけどねそれからぶっちゃけ「どうとでも取れる」から読解はいくらでもできるだからお前のレスも正しいよニーチェとナチスの関係とかは、ほんとうに色んな読解でニーチェ批判と擁護がある2024/12/30 13:00:4429.番組の途中ですが転載は禁止ですEXvZ7>>26> お前のニーチェ理解では、人が再び自由意志を始動させることを意味し> >>1の馬鹿は、再び同じことが同じプログラムで起こり続けることになるどっちもどっち論ですねなぜ「どっちもどっち」に回帰するかというと、それは前段の「再び自由意志を始動させ」るがなにを意味するか理解してないから。君のいう「>>1の馬鹿」の立場と同じですねプログラム「の中」であろうと、人生「の中」であろうと、世界「の中」であろうと、社会「の中」であろうと、そのような構造の中に人間は生まれ落ち、生まれ落ちたあともその「中」で存在せざるをえないが、同時に、それぞれの人間はそのような構造を生み出す原因・起因のひとつであり、その意味で構造は可変なわけでしょう?その可変性が自由意志じゃん。だから、構造を不変のものと考える立場(間違いだが)が>>1のような決定論者・構造論者。構造は可変だと考える立場がニーチェであり、自由意志は存在するとする立場。ニーチェの永遠回帰はこの線で考えないと。アンチクリスト云々は頭の中から一度追い払えば?w2024/12/30 15:34:2630.番組の途中ですが転載は禁止ですEXvZ7>>28> ニーチェとナチスの関係とかは、ほんとうに色んな読解でこれもしょーもないニーチェの「超人」をゲルマン民族の優越に勝手かつ安直に結びつけただけ解釈ですらないわwなにが「ほんとうに色んな読解」だよ。年末だから大目にみとくが2024/12/30 15:38:1731.番組の途中ですが転載は禁止ですEXvZ7思いついたので書いとくが、ハイデガーという20世紀の代表的な哲学者がいるハイデガーは、人間を「世界-内-存在」と規定し、文字どおり、「世界のうちにある存在」とした。世界「の内」と最初から規定されており、「外」には出れない。この「世界-内-存在」を「プログラム‐内‐存在」と読み替えても差し支えないまたハイデガーは、人間を「存在者」と規定し、「存在(=存在すること)」と峻別した(峻別とはきびしく分類すること)。存在者は世界の内にあり、外に出ることができない。その一方で人間における「存在=存在すること」は、世界の内側にはない。外側にもない。そして存在者はこの人間が「存在する」ことによって、はじめて存在せしめられる存在とした。なお、これは旧約の神=ヤハウェ(エホバ)=創造者と、その創造者が土を捏ねてつくった人間の関係と類比的である。創造者が「存在」であり、造られた人間が「存在者」と、そういう関係になる。人間にとって創造者の存在は、見ることができず想像することもできず名前を呼ぶこともできない。同じように人間にとって「存在する」こと自体は見えないし、想像することもできず、つまりは概念化できない。神も存在することも、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」に相当するまあ、このハイデガーのいう「存在(存在すること)」が、世界という構造の可変性の根源であり、構造=決定論に対する自由意志にあたり、ただ世界「の中」に存在するだけでなくこの世界を構成する力(作用)でもあるという、そういう両面性に気づかせるための概念である。人間はただの存在者でなく、存在しつづけることで世界の創生そのものを更新しつづける、そういう存在である。ニーチェの永遠回帰も存在者の「存在」にかかわるアイデアである(ハイデガーの解釈では)2024/12/30 16:27:42
何故って現状に満足族は理性と本能の対立がなく理性が本能の奴隷だからな
理性が本能と独立戦争を戦ってる人間なら自由意志なんてないのは明々白々なのを理解できると思う
仮に自由意志なんてものがあったら今日この日に東大行くか!と志したら受かるまで全てを投げ出してそこに没頭できるはずなんだよ
何理性という本能の監督者が王権を振るって本能、肉体的欲求を完全に抑制して一度そう決心したら絶対にそれを貫徹する継続力を人間に与えるはずだからな
ところがどうだ?
不自由意志である人間は志しても頓挫するのが大半だな
それに自由意志なんてものがあったとしたら、つまり人間の言動に法則性が全くない訳だからその様相は多重人格者みたいになるし人類の辞書から性格なんて概念の言葉は生まれてないはずだ
性格なんてのは人間の言動の法則性を言い換えた言葉みたいなもんだからな
あと心理学もそもそも成立しない
何せ科学する、とは一見すると無秩序に運行してる事象を継続的で地道な緻密な観察と研究結果得られる法則性から演繹帰納して結果を予測したりあるいは結果から原因を特定すること、そしてこのプロセスの有効活用の事を言うんだから自由意志があったら無秩序極まってどう観察しても法則性なんてなく常に例外しか見当たらないとしたら因果律に基づいた体系立てなんてできるわけないからな
つまりは
性格とか心理学の存在はもう人間の自由意志の存在を否定しているんだよ
現に歴史を学べばわかる通り本質的には同じことの繰り返しなんだからな
物理法則が”自由”に振る舞ったら物理学なんて学問はどうやっても成立しない
だって指で軽く壁を叩いた時の運動エネルギーが同じ条件の元今日と昨日あるいは一時間後と一時間前でそれぞれ全く違うものになるなら物理学として学問できないからな
昨日は何も起こらなかったのに今日は爆発して二年後には核爆発起きるような状態がいわば自由意志な物理だから法則が無いから学問にもならない
昨日の彼彼女は今日の彼彼女に間違いないと無意識に安心で人付き合いできるのは両者共に不自由意志の囚われが故だ
性格を知る、つまり科学すればこそこの人にはここまで踏み込んでも多分問題ないと思えるしあの人にはここまで踏み込むとまずい、なんて判断がつくんだよ
人付き合いなんてのは本質的には科学者野やってることと同じだよ
違いがあるとすれば対象物が人間かそうじゃ無いかだけだろう
自由意志があれば精神病院なんてのも存在しなくなるだろ
自分の置かれた状況に最も適した性格を展開できるんだから
演技でもなんでも無くあたかもそれが自分の生まれに最も適した生き方も言えるような感覚で展開できるはずだ
> 仮に自由意志なんてものがあったら今日この日に東大行くか!と志したら受かるまで全てを投げ出してそこに没頭できるはずなんだよ
意味不明な供述…
つまり本当の意味で自分の身体を自分の好きなように扱えるということだ
仮に自由意志があったら男はみんなインテリスパルタ人みたいになってデブもガリもいなくなるししかしガリやデブになる必要があるならいとも容易く簡単にストイックな思想や習慣も切り替えてそういうふうになれる
自由意志があるってことは全くなんの法則も無く意志が必要に応じて展開するわけだからそうなる
ショーペンハウアーの言うように人間も自然の現象でしかない
となりゃ物理法則が一定、つまり法則があるように人間にも法則があると言うわけだ
自由意志があると思えるのは観察と研究と概観た総観が足りないからだ
自然現象なんてノーテンキに眺めてりゃ勝手気ままに振る舞ってるように思えるがしかしよく観察すりゃ神の意志を感じるくらい規則正しく補い合って運行してるんだからな
物理法則だって良く事象を観察しなけりゃ一定の法則があることに気がつけないだろ
物理法則の発見に尽力してきた連中なんてのは向上心があってこの自然をどうにかして家畜のように飼い慣らすことはできないか?と思ったからだろ
となりゃ同じで自由意志を認めない人間ってのはこれと同じで自分をもっと飼い慣らすにはどうしたらいいか?
つまりは肉体的反応を抑制して自分の決めた道を貫徹するにはどう対処したらいいか?を考えた結果の内戦状態の結果と言える
試しに俺の様に朝の極寒の中冷水シャワーを五分浴びることを習慣して肉体とバトルしてみろ
マルクスアウレリアスが言う様に肉体に苦痛を自発的に継続的に与える事でいかに肉体と指導原理が別個の存在であるかを自覚する
苦痛を本能の赴くままに逃げる人間にはそんな自覚は生まれないとな
何故かといえば朝の極寒の中ただでさえ布団から出るのさえきついのにその上冷水シャワーを浴びるんだ
それも五分
仕事行く前にだ
猛烈な肉体的拒絶反応を振り切ってやってりゃこりゃ堕落主義者理性の弱い本能のゼンマイでしか動いてない連中はそりゃこれに抗えないわな
俺とて時として肉体の拒絶反応に屈するんだからと思えばやはりこの様にしてさまざまな場面で起こる強烈な肉体的反応にコントロールされて自由が無くなるわけだから結果ないんだよな
俺が自由意志を持ってなら毎日やると決めたら必ずやられるはずなんだよ
何せ自由意志があるなら布団の中でぬくぬくしていたいと言う本能の強さほどに逆に理性が立ち勝ってて本能を抑制して俺を全くストレスフリーでこの苦行に向かわせることが可能なのだから
人間は自然の現象の一つに過ぎない
この前提があるのにどうやって自由意志を想定できるんだい?
研究によってこの森羅万象は一見すると無秩序だが実は恐ろしいほど厳密な法則性に従って運行されてるのは知られてる事で人間のその中の森羅万象の一部なら同じ様に一見すると無秩序だが実は法則があると言う事になりつまりは不自由意志しか無いと言う事になる
お前らは考えたことがないんだ
性格なんて言葉がこの世に存在する時点で不自由意志しかないだろ
自由意志があるなら法則が無いなら性格なんてその個体の持つ言動の傾向法則も全く見当たらないから多重人格者だからその人に確固たる性格がない以上その人に性格はないと言えるしみんな多重人格者で法則性のある一つの性格がないならやはりその世界では物理法則が存在しない世界と同じだから物理学も無いし性格って言葉も生まれてないだろ
ここに宣誓してもらいたい
この世の森羅万象には全くの法則性がない、ってな笑
こんな愚かしいことは小学校の理科でもテキトーにやってても言えないはずだが馬鹿は言えるのだ
何故か?
馬鹿は一見でなんでも判断するからだ笑
印象とかね
まあ要は思慮は浅く感情的と言うことだな
自由意志を認めないのは尊厳の冒涜だ!と言うなら心理学者という人類の尊厳を最も傷つける”科学者”共を吊し上げないといかんな
あいつらは人間を対象に科学した冒涜者達だからな
科学していいのは人間以外の全ての事象でなきゃな
> 仮に自由意志があったら男はみんなインテリスパルタ人みたいになってデブもガリもいなくなるししかしガリやデブになる必要があるならいとも容易く簡単にストイックな思想や習慣も切り替えてそういうふうになれる
それはむしろ「本能」だろ?
ミツバチは必ず花のありかをみつけ花の蜜を足につけ巣に帰る。そうしないミツバチはいない…本能じゃん。自由意志の問題じゃなく、「ヒトにインテリスパルタ人みたいになる本能があれば」と
まあ君がなにに感化されたかは、ググってみてほぼ想像がついた
オイディプスは自由な選択(自由意志)によって自分の行く末を決めようとするんだが、予言どおり父を惨殺し母を姦淫してしまう。個人の自由な意志決定も、社会的・歴史的関係の網の目(構造)のなかにあり、その構造のなかの過少な選択肢のなかで選択してるにすぎず、結局は「運命」の網にからめとられてしまう=予言通りの選択をしてしまう
こういう話なら理解する
だがこの地球の産物 宇宙の産物ならばこの森羅万象が緻密な法則性に則って運行してる以上人間も同じで無秩序に自由に動いてるように”見える”のはよく目を凝らして見ていないからだ。という事になる
自由に動いて喋ってる感、だけで自由意志を想定するのが愚かしいというのだ
歴史を知ってりゃ石油の爆発性と揮発性の法則を前もって知っているから黒焦げになることは免れるわけだ
だが人間に自由を認めるなら石油だってもっと買って気ままに振る舞わないといけない
つまりは常温で普通は液体であるのに固体であったり揮発性が昨日はなくて今日はあって爆発性が今日はあるが明日はない
しかもこの有無の理由に法則なんてなく気ままに時期も関係なくそうなるのが自由意志を想定した森羅万象の世界観だ
> 人間は自然の現象の一部に過ぎないという事実を否定するなら
一部であり、かつ、自然にはたらきかけ自然の形を変えることのできる、唯一の生物、それが人間。温暖化がすすんでるのはなぜ?「自然の現象の一部」(現象を入れる意味がわからんが)にとどまらない存在だからでしょ?
> 宇宙の産物ならばこの森羅万象が緻密な法則性に則って運行してる以上
ナイーブな決定論(ですらないなにか)
なんかイライラしてきたわw
ブサイク一般人が歴史に名を残す英雄になんてなれない
皮肉じゃなくてほんとにいいところだと思う
>>1は宇宙プログラム説とか
ニーチェの永劫再帰とかにかぶれてる馬鹿ってことだろ
「人の自由意志は、神によって付与されてる」
で
宇宙に、ヒト個々人の自己決定領分があるとしてるから賢いよ
>>1よりね
自由意志が無いなら歴史を学ぼうが学ぶまいが一緒だろタコ助
ニーチェの永劫回帰は、(決定論的に)繰り返される無意味に思える人生において、「これが人生であったか。ならばもう一度!」と欲する境地のことを言うんであって、決定論に対する自由意志の優位を説いたものだろう
その辺はなんとでも取れるよ
「時間や空間、神に設計された世界」への超克を
「キリスト教批判」として人間が超人として成し遂げて、乗り越えていくようなイメージで
お前の言うレスもあってるけど
「そして世界は再び再起動」するで繰り返しを意味してるってことにもなるからな
その中でお前のニーチェ理解では、人が再び自由意志を始動させることを意味し
>>1の馬鹿は、再び同じことが同じプログラムで起こり続けることになる
> 「キリスト教批判」として人間が超人として成し遂げて
こんな読解があるんだ?
君、「設計された世界」を超えた存在Xなのではw
ニーチェの話は常に「反キリスト教」を念頭にして聞かないとダメだよ
まぁ聞くんじゃなくて読むだけどね
それからぶっちゃけ「どうとでも取れる」から読解はいくらでもできる
だからお前のレスも正しいよ
ニーチェとナチスの関係とかは、ほんとうに色んな読解で
ニーチェ批判と擁護がある
> お前のニーチェ理解では、人が再び自由意志を始動させることを意味し
> >>1の馬鹿は、再び同じことが同じプログラムで起こり続けることになる
どっちもどっち論ですね
なぜ「どっちもどっち」に回帰するかというと、それは前段の「再び自由意志を始動させ」るがなにを意味するか理解してないから。君のいう「>>1の馬鹿」の立場と同じですね
プログラム「の中」であろうと、人生「の中」であろうと、世界「の中」であろうと、社会「の中」であろうと、そのような構造の中に人間は生まれ落ち、生まれ落ちたあともその「中」で存在せざるをえないが、同時に、それぞれの人間はそのような構造を生み出す原因・起因のひとつであり、その意味で構造は可変なわけでしょう?その可変性が自由意志じゃん。だから、構造を不変のものと考える立場(間違いだが)が>>1のような決定論者・構造論者。構造は可変だと考える立場がニーチェであり、自由意志は存在するとする立場。ニーチェの永遠回帰はこの線で考えないと。アンチクリスト云々は頭の中から一度追い払えば?w
> ニーチェとナチスの関係とかは、ほんとうに色んな読解で
これもしょーもない
ニーチェの「超人」をゲルマン民族の優越に勝手かつ安直に結びつけただけ
解釈ですらないわw
なにが「ほんとうに色んな読解」だよ。年末だから大目にみとくが
ハイデガーは、人間を「世界-内-存在」と規定し、文字どおり、「世界のうちにある存在」とした。世界「の内」と最初から規定されており、「外」には出れない。この「世界-内-存在」を「プログラム‐内‐存在」と読み替えても差し支えない
またハイデガーは、人間を「存在者」と規定し、「存在(=存在すること)」と峻別した(峻別とはきびしく分類すること)。存在者は世界の内にあり、外に出ることができない。その一方で人間における「存在=存在すること」は、世界の内側にはない。外側にもない。そして存在者はこの人間が「存在する」ことによって、はじめて存在せしめられる存在とした。なお、これは旧約の神=ヤハウェ(エホバ)=創造者と、その創造者が土を捏ねてつくった人間の関係と類比的である。創造者が「存在」であり、造られた人間が「存在者」と、そういう関係になる。人間にとって創造者の存在は、見ることができず想像することもできず名前を呼ぶこともできない。同じように人間にとって「存在する」こと自体は見えないし、想像することもできず、つまりは概念化できない。神も存在することも、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」に相当する
まあ、このハイデガーのいう「存在(存在すること)」が、世界という構造の可変性の根源であり、構造=決定論に対する自由意志にあたり、ただ世界「の中」に存在するだけでなくこの世界を構成する力(作用)でもあるという、そういう両面性に気づかせるための概念である。人間はただの存在者でなく、存在しつづけることで世界の創生そのものを更新しつづける、そういう存在である。ニーチェの永遠回帰も存在者の「存在」にかかわるアイデアである(ハイデガーの解釈では)