このスレッドはアーカイブ化された過去ログです。

バカ「飛脚は東京から京都まで3日で徒歩移動した凄腕アスリート」俺「それって徒歩の必要性ある?」アーカイブ

1.
ユーザー
2f98U
「飛脚」は爆走する配達人!? 江戸から京都まで3~4日で荷物が届く謎
https://www.rekishijin.com/28805

江戸の飛脚には3種類あった。公用飛脚(継飛脚ともいう)、大名飛脚、そして町飛脚の3つだ。
公用飛脚は幕府が直接運営した飛脚であり、重要な公文書などを京都所司代や大坂城代、
各地の遠国奉行などに運んだ。その逆もあった。
公用飛脚では、幕府が五街道などで整備した宿駅制度がフルに活用されている。
つまり、一人の飛脚が目的地に向かうのではなく、各宿場に配置された飛脚が
リレー方式で手紙や荷物を届けたのである。
一人あたり10kmほどを走っただけであり、江戸・京都を3~4日で結ぶことができた。

大名飛脚は公用飛脚のシステムに習って、各大名が江戸藩邸と国元、
西国大名の場合は国元のほか大坂蔵屋敷との連絡用に設けた飛脚である。
江戸・国元間の街道の七里ごとに飛脚を配置して、
手紙や荷物の運送にあたらせた七里飛脚が知られている。

だが、すべての大名が飛脚を設けたわけではない。
尾張・紀州藩などの大藩に限られたのが実態だった。
そして、飛脚制度を維持するために要した人件費などは藩財政にとって大きな負担であった。
よって、各藩レベルで飛脚制度を維持することは次第に難しくなり、
次に取り上げる町飛脚に委託するケースが増えていく。

民営事業である町飛脚の場合は、人ではなく馬に積んで運ぶのが通例である。
宰領(さいりょう)と呼ばれた者が手紙や荷物を預かり、馬に乗って運んだ。
馬は宿場で借り、馬方(うまかた)に引かせた。
宿場に着くと馬と馬方を代えて次の宿場へと進んだが、
それだけ手紙や荷物を多く運べたと言えるだろう。

つまり、飛脚の一般的なイメ―ジである「半裸のような格好で荷物入りの箱を肩に担いで走った」というのは
公用飛脚や大名飛脚に限られた。
公用・大名飛脚の場合は、手紙も荷物も人が運ぶのが原則だったからである。
43
すべて
|
最新の50件
2.
ユーザー
j0roW
「求む、若く、痩せこけて針金のような男、18歳以上は不可。馬の騎乗に優れ毎日死を賭した危険に立ち向かわなければならない。孤児優遇」
3.
ユーザー
Iplnc
若いなら何とかなるが40過ぎたらやれねえだろ
明らか早死にするわ
4.
ユーザー
wbWxq
>>3
40までで生涯賃金稼げた仕事だぞ。
今でこそ馬鹿にされてるが。
5.
ユーザー
dOUHk
中継地点の飛脚は山の中で生活してたのか?
1日10km歩くだけの為に
6.
ユーザー
m2sZn
>>5
江戸時代にしすぎじゃね
7.
ユーザー
11TPF
>>3
平均寿命30代だからな
明治の文献でも「日本人は40歳になると腰が曲がった老人になるが居留地の白人はそんなのいない」と言ってる
8.
ユーザー
slZuJ
馬でやらないと判断した知能を疑う
精神論か?
9.
ユーザー
H64Ee
リレー形式じゃないの?
10.
ユーザー
b5ZPA
>>8
人間より馬のが高いよ?
しかも西欧の馬が入ってくる前だから華奢だし
11.
ユーザー
MVu1w
細かいサービスは機械より人を使い捨てする方がいいってのまんまの世界だったんだろうな
当時の機械=馬
12.
ユーザー
DjUsY
>>8
馬はいたけど乗馬は禁止されていたから
まあ気分の問題だな
13.
ユーザー
BdjpT
山越え川越えっての馬はできるんか?
14.
ユーザー
nDsmS
何でジャップって車輪を活かすっていう紀元前レベルのことを思いつかなかったの?
15.
ユーザー
RS7rJ
>>14
地形的に長距離移動に車輪を使うのにあまり適してなかったのでは
16.
ユーザー
NMmCB
>>14
江戸時代に鉄オタがいたらいやだろ
17.
ユーザー
DjUsY
>>14
都市内なら大八車を使ってた
都市間輸送では峠越えができなかった
18.
ユーザー
rkCnt
駅伝制自体はもっと昔からあっただろ
19.
ユーザー
nDsmS
>>15
>>17
人間が人間を山超えて運んでたのに車輪で運べない道理なんてないだろ
道路整備なんて他国は紀元前でやってるぞ
馬鹿な民族なだけ
20.
ユーザー
MVu1w
住民の移動が自由ではなく封建社会が続いてたからじゃないの
険しい道は関所として機能していて限られたものや人しか越えられない
21.
ユーザー
XZIPL
江戸時代は責められにくいようにわざと整備してなかった言うしな
22.
ユーザー
hPUEI
つまり佐川急便は公務員
23.
ユーザー
hPUEI
>>5
宿場町間の距離がだいたい10kmである
24.
ユーザー
v9bCR
>>19
紀元前レベル以下のバカが考えそうなことだね
25.
ユーザー
hPUEI
>>8
そもそも馬より人の方が早かった
26.
ユーザー
z9SWK
全ての道はローマに通ずる

ローマ街道網は 375 本の幹線だけでも 8 万 5 千 km 以上、支線を加えると優に15万kmはあったといわれている。

紀元前の話
27.
ユーザー
gusUr
だって道が整備されてねえんだもん

岩場だの崖だのを行くには馬はリスキーだし損害がでかすぎ
28.
ユーザー
ezFlQ
>>14
江戸時代の頭いい人は君より頭いいよ
29.
ユーザー
z9SWK

一人の飛脚が目的地に向かうのではなく、各宿場に配置された飛脚が
リレー方式で手紙や荷物を届けたのである。

一人あたり10kmほどを走っただけであり、江戸・京都を3~4日で結ぶことができた。


1人あたり10キロ走るだけじゃん
30.
ユーザー
vQzBl
10kmって30分くらいしか走ってねーだろ、ホワイトすぎる
31.
ユーザー
dwibU
>>28
考えつかなかっただけだよな
32.
ユーザー
KaHX1
川に橋をかけなかったのがアホすぎる
33.
ユーザー
z9SWK
>>32
川に橋かけるのも思いつかなかった
34.
ユーザー
6iBOc
>>14
科学の発展に危険を感じて禁止してた
35.
ユーザー
11TPF
>>14
儒教では古いものが正義で新しいものは悪という思想だった
仏教では苦労は前世の悪事の罰だから苦労から逃げると罰が老後や来世に持ち越しになってしまうという思想だった
江戸はそういう儒教や仏教に基づいて発明を禁じる法律もあった
36.
ユーザー
iXYlM
南米にも古代の飛脚ハイウェイがあったらしいな
黒部も真っ青の断崖絶壁に道作って人が走る
37.
ユーザー
w1gMl
欧州でも車輪なんか整備された都市一部でしか使ってねえよ
基本は徒歩と馬
バカチョンもう少し勉強しましょう
38.
ユーザー
UdtHt
食い物もおにぎりだけなんだよな
確かにおにぎり食うと自転車でも結構走れるけど
39.
ユーザー
g6xRz
山がちで道路が整備されていなかったから馬で長距離移動するのは難儀だったからだろ
40.
ユーザー
2rc4a
>>1
俺の先祖は地方の小大名の足軽だったが江戸屋敷まで文書を運ぶ仕事を頻繁にやってたと当家の記録にある
飛脚制度は幕府か大大名の特権みたいな事書いてあるが小大名でも下っ端役人が普通に飛脚業務はやってたよ
41.
ユーザー
WbJv2
>>19
車輪を活かすには路面整備が必要
全面に山切り開いて車輪転がる道路引けるほどの力はない
他国だって山合いは車輪使わず人か馬の背に荷物乗せて越えてるよ
42.
ユーザー
eGcYz
車輪を使うと暖かみがないからな
43.
ユーザー
EjTOk
>>30
さすがに1日1通ではないだろw
このスレッドはアーカイブ化された過去ログです。