【自民党総裁選】1970年代~80年代にかけての総裁選では、誰を支持するのかを鮮明にしない議員に対し、数千万円の現金を渡していた例があった、1987年の総裁選では勝利のために約25億円が必要とされていたアーカイブ最終更新 2024/08/24 10:081.影のたけし軍団 ★???■ 「カネとポストを乱発」は、どう始まった?現在の自由民主党は、1955年11月に自由党と民主党が合併する「保守合同」によって誕生しました。以来、69年の間に44回の総裁選が行われています。ただ、この数には候補者が1人しかいなかった、話し合いで次期総裁が決まったなどのケースも含まれており、すべてが激しい選挙戦だったわけではありません。自民党として最初の総裁選は結党の翌年でした。保守合同による新党結成後、自民党は総裁代行委員制を敷いて地方組織の確立に励み、半年足らずで都道府県ごとに支部連合会を結成させます。そして1956年4月に臨時党大会を開催。国会議員に地方代議員を加えた総裁選挙を行い、初代総裁に旧民主党系の鳩山一郎氏を選出しました。得票数は鳩山氏の394票に対し、2位以下の10人はいずれも1ケタ。有力候補だった緒方竹虎氏が直前に急死したことから、総裁選は信任投票の色合いが濃いものとなりました。鳩山氏の引退を受けた第2回の総裁選は、同じ1956年の12月に行われました。これが自民党としては、初めての本格的な選挙戦となります。立候補したのは、岸信介、石橋湛山、石井光次郎の3氏。第1回投票では、岸氏がトップ(223票)で、2位は石橋氏(151票)、3位は石井氏(137票)でした。誰も過半数を獲得できなかったため、舞台は岸氏VS石橋氏の決選投票に移ります。ところが、このとき、2位・3位連合が実現し、決選投票では石橋氏が岸氏を抑えて当選したのです。この結果は「世紀の大逆転」などと言われましたが、水面下では凄まじい多数派工作が行われたようです。札束による買収や閣僚ポストを約束して投票を依頼するケースが続出。この総裁選こそ、「カネとポストを乱発して争う原型」になったとされました。派閥の領袖をかついで総裁の座を狙う派閥政治の源流もこの総裁選にあったようです。実際、当時の新聞報道などによると、昼間はホテルのラウンジで、夜は料亭で多数派工作が繰り返されたようです。■ 「ニッカ、サントリー、オールドパー」1960年7月の総裁選も対決型でした。このときに勝利するのは、池田勇人氏(在任1960年7月~1964年12月)です。1956年12月の総裁選同様、このときも第1回投票で池田氏は過半数を獲得できませんでした。しかし、決選投票では2位以下の候補を支持していた国会議員らが池田氏に投票。かつての2位・3位連合による大逆転は起きませんでした。この総裁選でも“実弾”という隠語で呼ばれた現金が飛び交いますが、カネによる買収工作がさらに激化したのは、池田氏が3選を果たした1964年7月の総裁選です。態度を鮮明にしない国会議員には、各派閥が相次いで接触していきます。2派から現金をもらうことは「ニッカ」、3派からもらえば「サントリー」、それ以上なら「オールドパー」という隠語が生まれるほど。当時の日本は、「所得倍増計画」を掲げる池田首相の下で経済成長路線を走り始めており、高級品だったウイスキーにも庶民の手が届くようになっていました。それに引っ掛けての「ニッカ、サントリー、オールドパー」という言葉が永田町で交わされたのです。当時はすでに、「カネまみれの総裁選」の問題点が、新聞の積極的な報道によって広く社会に知れ渡っていました。例えば、1966年12月の総裁選では、読売新聞が1カ月前から「汚れた総裁公選」というキャンペーンを展開。「断ち切れ腐敗政治」「カネより政策を」「野放しの病根に怒り」といった大見出しを付けて真っ向から自民党とカネの問題に切り込んでいました。まるで、2024年の記事かと思えるような見出しです。1970年代に入ると、カネとポストを軸にした自民党の派閥政治・派閥支配はさらに強くなっていきます。しかも党内の総裁選どころか、国会議員の選挙でもカネの力で当選を勝ち取ろうという動きが強まってきました。参議院議員選挙・全国区では、「5当・4落」と言われたのも、この頃です。候補の資金力が5億円なら当選、4億円なら落選。それが実態だというわけです。1970年代~80年代にかけての総裁選では、誰を支持するのかを鮮明にしない議員に対し、数千万円の現金を渡していた例があったとされています。当時の新聞報道によれば、1987年の総裁選では勝利のために約25億円が必要とされていたそうです。https://news.yahoo.co.jp/articles/fa929b39c87aa55a9e95bc1fdc67ec927a6f66692024/08/22 11:02:358すべて|最新の50件2.名無しさん5vU2P二階先生<いい時代だったな。みんな若く、そして熱気があった。2024/08/22 11:32:433.名無しさんrl5cV立憲共産に政権交代だ自民党に投票するの止める2024/08/22 11:57:404.名無しさんM5St0まぁ今回も間違いなくやってるでしょ有権者の皆さんこれが議院内閣制ですよ2024/08/22 11:59:235.名無しさん9xRha裏金ないと払えない2024/08/22 13:09:026.名無しさんhGJT9裏金の使い途の一つ2024/08/22 13:16:307.名無しさんnRPZk>>1一回立憲民主党中心の連立に政権交代させて金権腐敗政治の流れを断ち切らんと日本が終わる2024/08/22 13:51:458.名無しさんaHyTY牧歌的な古き良き時代2024/08/24 10:08:30
【がん闘病】 森永卓郎さん 「この1年で、一番状態が悪い」「お腹とか背中の、中心部の周りが、激痛が走るようになって」「筋力が落ちて、スイスイ歩けない」 腫瘍マーカーの数値は正常値の上限の100倍以上ニュース速報+181486.82025/01/15 19:00:48
現在の自由民主党は、1955年11月に自由党と民主党が合併する「保守合同」によって誕生しました。以来、69年の間に44回の総裁選が行われています。
ただ、この数には候補者が1人しかいなかった、話し合いで次期総裁が決まったなどのケースも含まれており、すべてが激しい選挙戦だったわけではありません。
自民党として最初の総裁選は結党の翌年でした。
保守合同による新党結成後、自民党は総裁代行委員制を敷いて地方組織の確立に励み、半年足らずで都道府県ごとに支部連合会を結成させます。そして1956年4月に臨時党大会を開催。国会議員に地方代議員を加えた総裁選挙を行い、初代総裁に旧民主党系の鳩山一郎氏を選出しました。
得票数は鳩山氏の394票に対し、2位以下の10人はいずれも1ケタ。有力候補だった緒方竹虎氏が直前に急死したことから、総裁選は信任投票の色合いが濃いものとなりました。
鳩山氏の引退を受けた第2回の総裁選は、同じ1956年の12月に行われました。これが自民党としては、初めての本格的な選挙戦となります。
立候補したのは、岸信介、石橋湛山、石井光次郎の3氏。第1回投票では、岸氏がトップ(223票)で、2位は石橋氏(151票)、3位は石井氏(137票)でした。
誰も過半数を獲得できなかったため、舞台は岸氏VS石橋氏の決選投票に移ります。ところが、このとき、2位・3位連合が実現し、決選投票では石橋氏が岸氏を抑えて当選したのです。
この結果は「世紀の大逆転」などと言われましたが、水面下では凄まじい多数派工作が行われたようです。札束による買収や閣僚ポストを約束して投票を依頼するケースが続出。この総裁選こそ、「カネとポストを乱発して争う原型」になったとされました。派閥の領袖をかついで総裁の座を狙う派閥政治の源流もこの総裁選にあったようです。
実際、当時の新聞報道などによると、昼間はホテルのラウンジで、夜は料亭で多数派工作が繰り返されたようです。
■ 「ニッカ、サントリー、オールドパー」
1960年7月の総裁選も対決型でした。このときに勝利するのは、池田勇人氏(在任1960年7月~1964年12月)です。1956年12月の総裁選同様、このときも第1回投票で池田氏は過半数を獲得できませんでした。しかし、決選投票では2位以下の候補を支持していた国会議員らが池田氏に投票。かつての2位・3位連合による大逆転は起きませんでした。
この総裁選でも“実弾”という隠語で呼ばれた現金が飛び交いますが、カネによる買収工作がさらに激化したのは、池田氏が3選を果たした1964年7月の総裁選です。
態度を鮮明にしない国会議員には、各派閥が相次いで接触していきます。2派から現金をもらうことは「ニッカ」、3派からもらえば「サントリー」、それ以上なら「オールドパー」という隠語が生まれるほど。当時の日本は、「所得倍増計画」を掲げる池田首相の下で経済成長路線を走り始めており、高級品だったウイスキーにも庶民の手が届くようになっていました。
それに引っ掛けての「ニッカ、サントリー、オールドパー」という言葉が永田町で交わされたのです。
当時はすでに、「カネまみれの総裁選」の問題点が、新聞の積極的な報道によって広く社会に知れ渡っていました。
例えば、1966年12月の総裁選では、読売新聞が1カ月前から「汚れた総裁公選」というキャンペーンを展開。「断ち切れ腐敗政治」「カネより政策を」「野放しの病根に怒り」といった大見出しを付けて真っ向から自民党とカネの問題に切り込んでいました。まるで、2024年の記事かと思えるような見出しです。
1970年代に入ると、カネとポストを軸にした自民党の派閥政治・派閥支配はさらに強くなっていきます。しかも党内の総裁選どころか、国会議員の選挙でもカネの力で当選を勝ち取ろうという動きが強まってきました。
参議院議員選挙・全国区では、「5当・4落」と言われたのも、この頃です。候補の資金力が5億円なら当選、4億円なら落選。それが実態だというわけです。
1970年代~80年代にかけての総裁選では、誰を支持するのかを鮮明にしない議員に対し、数千万円の現金を渡していた例があったとされています。
当時の新聞報道によれば、1987年の総裁選では勝利のために約25億円が必要とされていたそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa929b39c87aa55a9e95bc1fdc67ec927a6f6669
自民党に投票するの止める
有権者の皆さんこれが議院内閣制ですよ
一回立憲民主党中心の連立に政権交代させて金権腐敗政治の流れを断ち切らんと日本が終わる