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【日本】《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説アーカイブ

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912.
ユーザー
bdLBq
漢人って何だよ南人・色目人かよ
913.
ユーザー
bdLBq
>>892
簡単に上代日本語とか言うなよ
914.
ユーザー
6arQL
渡来系は四国から近畿に流れ込んでいるのが分かってるからなぁ
新興で天皇と収蔵品だけ移したんだろ
歴史的に毎度やってること
元の場所なんてどうでもいいのよ
移った場所が同じ名前付けてそうなるんだから
915.
ユーザー
6arQL
そもそも国や首都を意味してないのよ

「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説。 アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説。
916.
ユーザー
6arQL
大陸に対して自分たちの国はユートピアと言ってるようなもん
決まった国名が無かったんだろ
毎度の勘違い、行き違い
917.
ユーザー
g0Gke
どこにでもあってどこにもない
918.
ユーザー
9PVOj
>>906
つまりどういう事なん
919.
ユーザー
Kjex3
>>918
それよりも前からヤマト国と呼ばれてた地域が畿内大和とは別の場所にある
という事

で、九州には山門という地名がある
920.
ユーザー
9PVOj
倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東
大倭(ヤマト)

邪馬台国(ヤマト国) 2-3世紀

大和(ヤマト) 8世紀、奈良県
日本(ニッポン、ヒノモト) 701年、大宝律令

もうこれ、奈良やろな
921.
ユーザー
Kjex3
>>920
>倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東
>大倭(ヤマト)

これ間違ってないか?
ソースなに?
922.
ユーザー
9PVOj
>>921
うはっ、ソースはwikiに決まっとる

国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)[注釈 2]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD
923.
ユーザー
Kjex3
>>922
それ、8世紀9世紀の話しだよ

1-2世紀ではない
924.
ユーザー
qP3sb
>>922
文字が伝わったのが早くて4世紀末から
倭なんて表記は存在しないのが邪馬台国の時代
925.
ユーザー
bCI0H
ヤマトは都市を表す言葉じゃねぇよ、ボケ
926.
ユーザー
9PVOj
>>923
そう言うことか
朧げながらも国家誕生までの年表を見たいが、誰か綺麗にまとめて欲しいの

1世紀末から2世紀初頭にかけて、倭国をある程度代表する有力な政治勢力が生まれたとする見解があるものの、日本列島各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。いずれにせよ、これ以降、7世紀最末期までの間、倭・倭人を代表する/統合する政治勢力は、対外的に「倭国」を称し続けた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD

なお、神武天皇 紀元前660年即位

927.
ユーザー
Kjex3
>>926
邪馬台国と神武天皇の畿内大和政権が同一国家だったという無意識な思い込みをやめたら
歴史はもっと面白くなるよ
928.
ユーザー
9PVOj
>>927
レスが断片的で否定だけやから、素人に理解できない
ボクが考える日本国の創世記を書いて欲しいんだけどな
929.
ユーザー
bCI0H
オマエのノートに勝手に書いてろよ
930.
ユーザー
Kjex3
>>928
九州に邪馬台国を含む当時の倭国が存在していて
それらの国々が共同で一人の女王を擁立した
それが卑弥呼

「邪馬台国」とは、卑弥呼が所属している国の名前に過ぎず
倭人の国の総称ではない

卑弥呼の時代以降に
邪馬台国とは別の国の権力者が倭国をまとめ上げ勢力を拡大し、畿内大和に首都を置いた
これが神武東遷

魏志倭人伝で卑弥呼や邪馬台国の記述があるので
中国との貿易や朝貢に邪馬台国という名前を利用した

これが「やまと」という名前を頻繁に使い始めるきっかけとなった
931.
ユーザー
bCI0H
噴火と寒冷化が人類史を作る
照らし合わせれば、ごくごく当たり前のこと
それで滅亡危機と流入、食糧事情や文化の激変
いつも同じところで、と考えること自体がアホ
戦争だってその結果
932.
ユーザー
9PVOj
>>930
邪馬台国は九州にあった
神武東征は7-8世紀の出来事やと
面白かったです。ありがとうございます
933.
ユーザー
9PVOj
畿内説の人たちの歴史観も見てみたいですが、少数派なんやろうか?
934.
ユーザー
bCI0H
ハプロと噴火と寒冷化
コレを追えば十分
935.
ユーザー
bCI0H
但し、誤魔化しも多くピースもまだまだ足りない
今はまだどうせ完成しない
他分野の学術研究とかを積極的に取り入れるぐらいじゃないと
日本の考古学は既得権益のクソ
とくに奈良の連中のコメントには反吐が出た
金蔓としか見ていない
936.
ユーザー
7GjBL
魏志倭人伝に倭人は入れ墨をしているとある
入れ墨は縄文人の風習である
卑弥呼は縄文人の女王であった

縄文人連合国は神武の東征で滅ぼされた
女王の国と言うと高志の国も女王国だった。

高志の女王は出雲と婚姻同盟を結ぶが
大和朝廷に抗しがたく敗北。
子孫は諏訪大社の宮司になったという。
937.
ユーザー
7GjBL
しかし意外にも九州には渡来人系が少なく
畿内、四国、そして高志のあたりに渡来人が多い
出雲はどちらとも言えない

渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ
日経サイエンス
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/
938.
ユーザー
bCI0H
天照と素戔嗚を卑弥呼と帥升と考えたらワリと足跡は納得がいったケドね
とくに素戔嗚、帥升
中国地方、出雲、そして、四国
もしかしたら、イザナミも渡来系なのかもな
そして、近畿へ
天照の女神化も権威の変化なんだろ
ハプロも三竦みだし
月読は縄文で隠れてしまうがな
DとO1とO2
純粋では無く、渾然だがね
939.
ユーザー
bCI0H
国津神とかも多分、もの凄い勘違いがあると思ってる
あと、逆転現象とかもある
鉄器や青銅器とかの勘違いも
四国が古い国人ではなく、一番渡来系だったことで
全く考えが変わったんだよね
かなり前になるけど
940.
ユーザー
bCI0H
ちなみに大陸マレー系プラスモンゴルの半島の影響なんか大してないと思ってるよ
半島なんて日本への影響はムチャクチャ新しいとしか思えないからね
少なくとも古朝鮮とは完全に別物
遼河周辺で女真同士で争ってそれどころじゃないと思うからね
その斥候やはじき出された爪弾きが今の半島人だから
ハプロも半島は華南と同じ集団、広く見ても華南、華北、満洲と同じ集団にしか見えないからね
日本、沖縄、アイヌは同じ集団だが、半島はそれとは全くの別物
941.
ユーザー
bCI0H
但し、刀伊やムクリコクリとか古代から日本に悪逆非道の限りを尽くした最低最悪の外道は今の半島の先祖
942.
ユーザー
xvdDJ
>>933
多数派でしょ 日本で魏に使者を送って金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
魏志倭人伝で南を東に変えたら距離的に奈良になるし そもそも九州に大きな国があったとか伝わってない
魏と高句麗が戦っていた時、倭国の代表として高句麗と戦える国はヤマトしか考えられんし
朝鮮が暴れるから魏も日本と仕方なく付き合ってくれただけだから まぁ古代から法則がはたらいてたな
943.
ユーザー
Kjex3
>>942
>金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
そこらへんからしてすでに間違ってるもんな
944.
ユーザー
bCI0H
渡来系の影響が強いのに文字伝達に齟齬なんか出ると思うか?
畿内になってから一気に頻繁な交流してんのに
系統が全く違うんだよ
それと規模は無意味だぞ
大陸は内部事情で日本を大きく見せたかった、って当時の状況があるから
945.
ユーザー
bCI0H
旧唐書などから少なくとも二系統はあると考えるのが自然
統一、安定なんてずっと後
946.
ユーザー
bCI0H
明らかに記紀や東夷伝、倭人伝なんかを見たって長期間かけた主導権や立場の逆転があるのさ
だから、天照大神を女神化させる必要があったし
そして、天皇家が素戔嗚を祖神とハッキリ言わないのも
大陸に疑われたのもそこらへん
そのクセ、ヤマトタケルなどその後も素戔嗚との相似性を匂わせている
どう考えたって渡来系の影響が強くて急速に大陸と結び付いていくクセに
947.
ユーザー
bCI0H
紀元前11世紀から紀元前4世紀前までは明らかに北部九州
紀元前4世紀以降は近畿
948.
ユーザー
tBhZm
>>8
そもそも論になるが
「『魏志』倭人伝」自体が間違っている可能性も高い。
この場合の「間違っている」は、「写本のミス」を含む
『魏志』倭人伝が作られた当時の筆記具は、保存に適してないため、1000年持たなかった。
そのため『魏志』倭人伝は数回の写本が行われており、現在残っているのは11世紀頃の最新版。
その間にまったく書き間違いがないと考えるほうが不自然だろ。
949.
ユーザー
bCI0H
西日本しか無い日本の古代史で
北部九州の勢力と四国を中心とした勢力
その結果としての一番争いから離れた
近畿の新都構想だったとしか思えない
950.
ユーザー
bCI0H
そもそも数世紀単位の時系列無視した寄せ集めだし
勢力や系統もムチャクチャ
ソレを一つにしようとするから
951.
ユーザー
9PVOj
>>936
倭人は全身に刺青と鯨面までやっとったって見て
ヤマト王権以降の日本文化とは違うなと思った
基本的に罪人に対して行う行為で、戦国時代の武将がやってたなんて、聞いたことありません

沖縄やアイヌには刺青文化が残っとるから余計に縄文弥生人と、ヤマト人?は民族や風習も違うんやろなと想像できます

>>937
現代人ゲノムの色分け見ると北九州が青いのが意外ですね
距離的に大陸との玄関口だった筈なのにね
渡来人はそこに定住はしなかったのか争いに敗れて畿内に逃げたのか、ハテ
それに北海道の50人にアイヌが何人含まれとるのか気になる結果ですね

これらから邪馬台国がそれまでの縄文系民族であると考えれば、辻褄が合う訳ですね
面白いです
952.
ユーザー
7GjBL
>>951
ここがわかりやすい
https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

夏后の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。
今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威圧する為であったが、後には次第に飾りとなった。
諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。
その(邪馬壱国までの)道の里程を計算すると、まさに(中国の)会稽から東治の東にあるはずだ。(東治は東冶の誤字と考える。)

全身入れ墨とは書いてない。
ただ地域差はあるが子供も全員が入れているという。
会稽の東と言うと鹿児島あたりということになってしまう。

また、そして鹿児島はまさに熊襲の地である。

真珠や青玉を産出するとあるが
青玉は翡翠を連想する。
953.
ユーザー
Ipyne
渡来人もなにも現日本人のゲノムは70%が東アジア系で30%が弥生系だからみんな渡来してきた民族だろ
アイヌの村みたいに弥生の村は残らず古墳人の王朝のクニしか残らなかったからスペインのインカ帝国征服みたいなもんだ
954.
ユーザー
H0tmz
だからこそ、D1bを30%以上持つかどうかが他集団の違いだろ
一緒くたにするなよ、ザパニーズ
955.
ユーザー
2lVS2
>953
ハプログループの染色体はDNAの乗り物の役目なので遺伝されてる場合混血した跡が分かるのだが、全ゲノム解析の結果わかる集団的形質とは関係がない
むしろ現日本人(古墳人)も弥生人(縄文人と東北アジア人との混雑)との混雑の結果、縄文人のゲノムが15%あるので古代からの形質は受け継がれてる
956.
ユーザー
zvWtA
どうせ、ソイツは朝鮮、華南、華北、満洲の集団
957.
ユーザー
UlGUH
日本は元々南方系だよ
古語にタミル語の影響が強い
アイヌや朝鮮やシナが語源ではないんだよ
日本語よりも琉球語の方が古いから島間の方言が
鹿児島と青森よりも違いがあるくらいだ
前氷河期明けに渡って来た縄文系が
琉球を経由して来たのは間違いない
その前の間氷期の5万年前の原住民も居た
同じ縄文人とするのが間違いだ
ハプロCとハプロDの大きな違いがある
958.
ユーザー
pBLBT
新十津川村こそ邪馬台国。
959.
ユーザー
FK4V6
日本人は南方系にしか見えない
半島は華奢なモンゴル人って感じで北方系にしか見えない
960.
ユーザー
hl6az
ヤマトだと色々不都合だから気付いててもスルーされてただけだろ
捏造だらけの古代日本の歴史がバレてしまう
961.
ユーザー
FK4V6
卑弥呼の墓も拡張工事で木っ端微塵にしたんじゃなかったっけ?
もう絶対にミステリーは解けないよ
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