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「アホの坂田」坂田利夫さん82歳死去 22年7月の寄席が最後の出演に お別れ会は予定せずアーカイブ

1.
ユーザー
???
「アホの坂田」で親しまれたお笑い芸人、坂田利夫さん(本名・地神利夫=じがみ・としお)が29日、老衰のため、大阪市内で亡くなった。

吉本興業が30日、発表した。82歳だった。通夜、葬儀告別式は近く近親者のみでとり行う。

坂田さんは、22年4月に110周年公演「伝説の一日」に出演。同年7月30日に、大阪市内で寄席に出演したのが最後になった。

関係者によると、近年は施設や病院を行き来するなどしていたが、盟友の間寛平は頻繁に坂田さんを見舞っていた。

(続きは以下URLから)

https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=7694305&media_id=8

https://news-image.mixi.net/article/8/8_f-et-tp0-231231-202312310000028.jpg
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2.
ユーザー
exslh
マジかよ アホ死んだん?
3.
ユーザー
CaphJ
アッホ
4.
ユーザー
miml0
今年も多いなぁ
と、毎年思ってたが、自分の加齢と共に役者や芸人も加齢しとるからそりゃヤバい人増えるわな
ガキん時から知っとるとなぁ
5.
ユーザー
gXUo3
寛平ちゃんがよく見舞い行ってるツイートしてたが、
寝たきりだったからなあ
6.
ユーザー
3CicT
娘はハイヒールモモコ
7.
ユーザー
VdU8y
老衰と言うには若過ぎるな
8.
ユーザー
7K8Qe
人間80過ぎると一気に逝くよな
9.
ユーザー
gWWAD
年末に今年最大級のショックだな・・・・(ノД`)
10.
ユーザー
INElD
11.
ユーザー
OrdMg
かんぺーは尊敬するわ
12.
ユーザー
ZLOXp
寛平ちゃん夫婦が看取ってくれて良かったなぁ
ちょこちょこ会いにいってよく世話焼いとった
13.
ユーザー
sFLaD
82歳で老衰って
14.
ユーザー
9s7XB
寛平ちゃんは義理堅いなぁ。
若い頃受けた親切を一生貫いた。
15.
ユーザー
jVdfZ
それに引き換え松本人志ときたら
16.
ユーザー
scjbP
あ~りがとさん!
17.
ユーザー
mC77w
年末悲しすぎやろ
師匠、冗談やろ(涙)
18.
ユーザー
r0pjO
>>8
まあ平均寿命がそのへんだからw
19.
ユーザー
Go021
>>18
昔は50歳前後とか60歳前後が寿命だったと聞くとなかなか驚く
まあこれからはあまり長生きせず人生ほどほど楽しんで60手前とか早めにポックリ逝くのがステイタスかも知れん
20.
ユーザー
D923W
あ~りが~とさ~ん。笑いをありがとう。
21.
ユーザー
g8HkD
yahooニュースはこの記事でいっぱいなのにこっちはわずか20レス
22.
ユーザー
i6u5i
昔上司に阿保さんという名前の人がいて、呼びかけ辛かったなぁ
23.
ユーザー
plHTr
>>13
何も不思議じゃないだろ。
24.
ユーザー
Wdbcc
2023年は
上岡龍太郎師匠が逝き、
桑原和男氏こと和子婆さんも天に召され
松本人志メンバーはやらかすし
最後に坂田利夫師匠の訃報

全関西が泣いた(´;ω;`)
25.
ユーザー
plHTr
一般人とは異質の怪人のような芸人さん達が亡くなっていくのは寂しいなぁ。
26.
ユーザー
HngMA
平均寿命超えてるのに「若い」とか正気か?
27.
ユーザー
FuQM2
坂田利夫--本名、地神(じがみ)利夫。
1941(昭和16)年、10月大阪市に生まれる。
1957(昭和32)年、私立灘高校入学。60年安保闘争には高校時代から関わり、灘校卒業後も安保闘争に専念するため浪人。このときの挫折感が、後の「暴力では何も解決しない」という思想につながる。
1961(昭和36)年、京都大学理学部数学科入学。
1965(昭和40)年、同科首席卒業ののちに、大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻の博士課程に入る。
1967(昭和42)年、大阪大学大学院前期博士課程修了、この年、大阪市立大学大学院の前田邦弘(前田五郎)と共に、コメディNo.1結成。
当時盛んであった反戦思想・マルキシズム思想を大衆レベルにまで浸透させるため、大学に籍を置きながらにして芸能活動を開始。
それは、地神の目指す、学術・芸能を伝達手段とした「平和的な革命思想」の浸透を目指すものでもあった。
しかし、44年の学生運動退潮、45年のラジオ大阪上方漫才大賞新人賞、翌年の第1回 NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞という二度の栄冠、そして自身の博士論文が思想的な理由から何度もリジェクトされるという現実から、 彼はお笑いの道に専心する事を決意する。

阪大時代、彼が残した論文は、マルクス主義的な「開発独裁」が、開発途上国の資源配分を最適化することを数理経済的に実証するという、衝撃的な内容であった。
が、この論文は学内で受けいれられることはなかった。
また、博士課程の学生であるにも関わらず学生運動に加担したこともあり、地神は博士号を授与されることなく、 追われるように阪大を去った。

のちにノーベル経済学賞を受賞するアマルティア・センが、1970年に『集合的選択と社会的厚生"Collective Choice and Social Welfare"』を出したとき、 地神は歯噛みして悔しがった。
何故なら、センの打ち出した、社会的公正の効用としての関数化という発想は、彼の幻の博士論文である、 『開発独裁の社会経済的合理性とそのインセンティヴ"Socio-Economic Rationality of Autocratic Development and its incentiveness"』 において、主張されたものであったからである。
しかし当時は、一般均衡理論が隆盛を極めており、帰結主義が経済学において完全に支配的であったため、彼の論文は一顧だにされなかった。
地神はこのことにいたくショックを受け、経済学の研究をやめる一つのきっかけになったと言われている。
この論文は現在、森嶋文庫に紛れ込み、今も阪大の社経研のどこかに存在するという噂はあるが、定かではない。
28.
ユーザー
UzDSm
>>27
それ面白いと思って貼り付けてんの?
29.
ユーザー
jlzlb
出棺はアホの坂田を大合唱かよ
30.
ユーザー
NofH2
ハゲは悪人と犯罪者ばかりなのに珍しく悪人で無かったハゲ
31.
ユーザー
Vj89j
キダタローより先に行くなよ
32.
ユーザー
6z9xj
82で老衰て早くね?
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