《週刊文春》「お尻に突っ込まれてものすごく痛かった。」 元ジャニーズが明かすジャニー喜多川氏からの性被害 [黄金伝説★]アーカイブ最終更新 2023/07/10 19:541.名無しさん@恐縮ですEmXBaZXz9「ことしで65歳になる」というその男性の名は、豊川誕。1975年、ジャニーズ事務所から「汚れなき悪戯」でレコードデビューを果たした「ジャニーズアイドル」の一人だ。 事務所の黎明期に活躍した4人組グループ「フォーリーブス」の弟分のような存在として人気を博した豊川もまた、ジャニー喜多川氏による「性被害」の経験者だったという。■ジャニー氏の「推し」ポジションを郷から引き受ける 入所早々にジャニー氏のお眼鏡にかなった豊川には、ほかのジュニアたちにはない“特権”が与えられた。「ジャニーさんから『ユー、この部屋使いなよ』と言って個室をあてがわれました。事務所を退所してしまった郷ひろみが使っていた部屋です」 ジャニー氏は、「合宿所」につながる電話番号を「5103(ゴー・ヒロミ)」と芸名をもじったものにするほど、郷に目をかけていたという。 しかし、ジャニー氏が心血を注いで育てた郷は1975年、設立間もないバーニングプロダクションに移籍。郷の「部屋」を引き継ぐことで、豊川は郷からジャニー氏の「推し」としてのポジションも引き受ける格好となった。「郷が使っていた個室には、デビューを約束された別の少年がいましたが、僕がやってきてその子はすぐにいなくなりました」 豊川によると、ジャニー氏が行為に及んだのは、入所から数日経ったある日のこと。 豊川がひとり、「推し部屋」のベッドで寝ていた時に、ジャニー氏が布団に潜り込んできたという。「合宿所に入ってから3日も経ってなかったと思います。はっきりした記憶はないですが、お尻に突っ込まれてものすごく痛かったことは覚えている。あんまり痛いし、やっぱり気持ち悪いじゃないですか。だから、その後、2回目にされそうになった時は、はっきりと『嫌だ』と拒否しました。そうしたら諦めたようで、強引にしようとするようなこともなかったですね」■「ジャニーさんのひざの上に乗って…」 これらの作品中にある「セクハラ行為」の記述は、ジャニー氏の「性加害」を追及した1999年の「週刊文春」のキャンペーン報道をめぐり、ジャニーズ事務所が、発行元の文藝春秋を訴えた名誉毀損裁判でも注目を浴びた。 2003年7月15日の東京高裁判決は、セクハラに関する記事を指して「重要な部分について真実であることの証明があった」として、文春の記事のジャニー氏の「セクハラ」に関する部分の真実相当性を認めた。と同時に、北と豊川それぞれの著書での「セクハラ行為」の記述にジャニー氏側が抗議しなかった点を指摘している。 ジャニー氏が積極的な反論・反証を行わなかったことが判決に影響を及ぼしたのだ。 とはいえ、当事者である豊川には性被害者としての意識は薄い。「正直いって仕方ない面もあると思うんです。実際、プロモーターの人にも言われましたから。『ジャニーさんのひざの上に乗って耳舐めなきゃだめだよ』って。僕はそこまでできなかったけど、スターになるためには何でもしなきゃいけない。そういう世界なんですよ」記事全文はこちらhttps://news.nifty.com/article/entame/etc/12113-2421453/出典 https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/16883953452023/07/03 23:42:252すべて|最新の50件2.名無しさん@恐縮ですj3UGKツッコミもやるタイプか…2023/07/10 19:54:02
【会見】フジ社長 タレントとアナウンサーの性的接触は「ないと信じたい」…第三者が入る調査委員会設置、「現在まで説明出来ていなかったことをお詫び」ニュース速報+9412638.12025/01/18 03:08:13
事務所の黎明期に活躍した4人組グループ「フォーリーブス」の弟分のような存在として人気を博した豊川もまた、ジャニー喜多川氏による「性被害」の経験者だったという。
■ジャニー氏の「推し」ポジションを郷から引き受ける
入所早々にジャニー氏のお眼鏡にかなった豊川には、ほかのジュニアたちにはない“特権”が与えられた。
「ジャニーさんから『ユー、この部屋使いなよ』と言って個室をあてがわれました。事務所を退所してしまった郷ひろみが使っていた部屋です」
ジャニー氏は、「合宿所」につながる電話番号を「5103(ゴー・ヒロミ)」と芸名をもじったものにするほど、郷に目をかけていたという。
しかし、ジャニー氏が心血を注いで育てた郷は1975年、設立間もないバーニングプロダクションに移籍。郷の「部屋」を引き継ぐことで、豊川は郷からジャニー氏の「推し」としてのポジションも引き受ける格好となった。
「郷が使っていた個室には、デビューを約束された別の少年がいましたが、僕がやってきてその子はすぐにいなくなりました」
豊川によると、ジャニー氏が行為に及んだのは、入所から数日経ったある日のこと。
豊川がひとり、「推し部屋」のベッドで寝ていた時に、ジャニー氏が布団に潜り込んできたという。
「合宿所に入ってから3日も経ってなかったと思います。はっきりした記憶はないですが、お尻に突っ込まれてものすごく痛かったことは覚えている。あんまり痛いし、やっぱり気持ち悪いじゃないですか。だから、その後、2回目にされそうになった時は、はっきりと『嫌だ』と拒否しました。そうしたら諦めたようで、強引にしようとするようなこともなかったですね」
■「ジャニーさんのひざの上に乗って…」
これらの作品中にある「セクハラ行為」の記述は、ジャニー氏の「性加害」を追及した1999年の「週刊文春」のキャンペーン報道をめぐり、ジャニーズ事務所が、発行元の文藝春秋を訴えた名誉毀損裁判でも注目を浴びた。
2003年7月15日の東京高裁判決は、セクハラに関する記事を指して「重要な部分について真実であることの証明があった」として、文春の記事のジャニー氏の「セクハラ」に関する部分の真実相当性を認めた。と同時に、北と豊川それぞれの著書での「セクハラ行為」の記述にジャニー氏側が抗議しなかった点を指摘している。
ジャニー氏が積極的な反論・反証を行わなかったことが判決に影響を及ぼしたのだ。
とはいえ、当事者である豊川には性被害者としての意識は薄い。「正直いって仕方ない面もあると思うんです。実際、プロモーターの人にも言われましたから。『ジャニーさんのひざの上に乗って耳舐めなきゃだめだよ』って。僕はそこまでできなかったけど、スターになるためには何でもしなきゃいけない。そういう世界なんですよ」
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