■□今からはじめるモノクロ現像 14本目□■最終更新 2025/10/18 12:001.名無しさん脚QnKKy3qH過去スレ■□今からはじめるモノクロ現像 10本目□■https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1390575044/■□今からはじめるモノクロ現像 9本目□■http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/camera/1313574355/■□今からはじめるモノクロ現像 8本目□■http://toki.2ch.net/test/read.cgi/camera/1289746994/■□今からはじめるモノクロ現像 7本目□■http://toki.2ch.net/test/read.cgi/camera/1264943900/■□今からはじめるモノクロ現像 6本目□■http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1247494002/■□今からはじめるモノクロ現像 5本目□■http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1229865820/■□今からはじめるモノクロ現像 3本目□■(実質4)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1185936786/■□今からはじめるモノクロ現像 3本目□■ http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/camera/1174110081/■□今からはじめるモノクロ現像 2本目□■http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/camera/1150458513/■□今からはじめるモノクロ現像□■http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/camera/1138083227/■□今からはじめるモノクロ現像 11本目□■https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1563062924/■□今からはじめるモノクロ現像 12本目□■https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1623976156/■□今からはじめるモノクロ現像 13本目□■https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1631794888/出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/16585402912022/07/23 10:38:11176コメント欄へ移動すべて|最新の50件127.目のつけ所が名無しさんi8hMD撮影したフィルムの本数には意味があるフイルムがどんどん高くなってフイルムが買えない自慢と言うような空前絶後の面白い時代になってきた。私は25年前のエプソンのデジタルカメラと後は今原稿を書いている。iPhoneの方遅れのモデルをカメラとして使っているから、当面別段困る事は何もない。フィルムカメラを使わなくなって困ったのは事実であるが、逆に壊れているフイルムカメラでもその存在感が12分に楽しめると言う境地にフィルムカメラを使わなくなって困ったのは事実であるが、逆に壊れているフィルムカメラでもその存在感が縦に分離楽しめると言う新しい境地に到達したのは、自分でも想像できない。面白いレベルに到達したものだと考えているのだ。それでフイルムカメラ時代にフィルム消費量=の法則というのがあったので、それを紹介しておく。フィルム消費量=の法則と言うのは、例えばエイト売店で1日10枚撮影した。フィルムの面積と言うのは120フイルムで撮影した10本の面積にほぼ等しい。4 35ミリ版で撮影したフィルムの10本分にも大体同じ面積なのである。だから、フィルムを撮影したときの満足感と言うのは、このフイルム面積に等しくなる。Etoh売店10枚と言うのは凌だと40枚でかなり撮影したなと言う感覚がそこに生じるのである。それともう一つ35ミリフィルムで撮影しているときの満足感というかいわゆる36枚撮りフィルムで何本とったから、今日はもうそろそろ撮影を終りにしようと言う感覚である。大体1日に集中して御本撮影すると、今日はもう充分という感じがする。これは自分の作品のために取っているときの最大の本数が御本で満足と言うことなのだ。何か日本酒を飲んでいるときの徳利の数に似ていますね。ところがアサインメントで撮影すると脇にクライアントとかエリタがいるから、私は気を遣って、1日に30本とか50本撮影するとクライアントもたくさん仕事をしたと言うので、安心してくれると言う。ヘンテコリンな業界の習慣があるのはあれはやめたほうがいいね。2024/07/23 02:53:59128.目のつけ所が名無しさんfS9AKこれからのブックスはペーパーに印刷したものではなくて、オンラインで読めるものが良い。その一例として数年前に出した佃日記というのがある。ペーパーに印刷された本は10,000円以上するし、重さも2キロ位ある。一方で、紀伊国屋書店で売っているオンラインの佃日記は重さは存在しない。値段も2000円しないのである。私の理想の読書のやり方と言うのはペーパーに印刷された。佃日記を枕にして、iPadでオンラインの佃日記を読むことである。その計画はそのまま達成されて、今でもそのように読み方を自分なりにパーソナライズしているのだ。青空文庫もその意味では大切なオンラインブックスである。私の個展の時に私の熱心な読者の方が私の写真集にサインをもらうと言うので、大きなリュックサックがこわれる位の写真集を持ってきてくださった。誠にありがたい次第である。そこでいつも考えることなのだが、写真集と言うのはオンラインではダメでペーパーに印刷されたものに限ると言うことだ。よくテレビ番組でタレントさんが自分がペーパーに印刷した本が出ましたと言うのを不自然に宣伝したりしているが、あれは一体どういう背景があるのかな?メディアだったらテレビでもオンラインでも何でもそれで良いと思うので、彼らはペーパーに印刷された出版物をステータスと勘違いしているようなところがあるのが面白い。今描いているオンラインのノートにしてもそうで何かペーパーに印刷された本がノートから出版されるとそれが偉い人と言うような扱いになっているのが開発途上国だね。それでこの手前にあるウィーンモノクロームセブンティーズと言うタイトルのハードカバーの写真集であるが、これはなかなか複雑な仕掛けがあって、1970年頃のワルシャワビエンナーレのカタログと言うイメージで制作した。その頃私などは東ヨーロッパで印刷される印刷物のクオリティーの低さが、逆に素晴らしいと理解していたのである。それで1000ページ位のそういうプアーなクオリティーのモノクロ写真集を作ろうと思って束見本を頼んだら重さが5キロぐらいあるのでこれは買ってくれる方に失礼だと思った。それでページ数を半分の500ページにしたのであった。2024/07/24 08:55:37129.目のつけ所が名無しさんfS9AK^_^しかし、単なる印刷の悪いモノクロ写真集では、売れないから出版社に頼んでハードカバーにしてもらって、さらにその上に上質な箱をつけたのである。箱に銀箔を押すといっこあたりのコストが高くなるのだが、出版社が嫌がるのを無理矢理お願いしてそのようにしていただいた。それで1000だけ作って、ほとんど売れたのだから、買ってくださった方には感謝である。出版社にもそんはかけていないつもりだ。2024/07/24 08:56:06130.目のつけ所が名無しさんZYFpb「ヴィンテージ風」などイルフォードから35mm用カラーフィルムが登場イルフォード・ジャパン株式会社は、カラーネガフィルム「ILFOCOLOR VintageTone 400 PLUS」とカラーリバーサルフィルム「ILFOCHROME 100」を8月1日(木)に発売する。いずれのフィルムも対応フォーマットは35mmとなっている。ILFOCOLOR Vintage Tone 400 PLUS2023年6月に発売した、ヴィンテージ風の仕上がりを特徴としたネガフィルム「ILFOCOLOR Vintage Tone」シリーズに属するモデル。今回のモデルでは、従来のヴィンテージの風合いを残しつつ、各色の高濃度部から低濃度部までの色再現を改善した。そのため、濁りが少なくすっきりとした描写が得られるという。感度はISO 400。処理はC-41現像。製品ラインアップ※価格はいずれも想定市場価格24枚撮り:1,760円36枚撮り:2,100円36枚撮り×3パック:6,610円2024/07/26 15:58:10131.目のつけ所が名無しさんXqFaK1973年からウィーンに暮らし始めて翌年の5月に家人と初めてパリに行ったのである。ウィーン等はナポレオンに占領されていたこともあるけれどもやはりフランスに対するというかパリに対するコンプレックスがすごかったらしい。それでウィーンの言葉はドイツ語であるのだがかなりフランス語的ななまりが付属してリエゾンがあると言う不思議なドイツ語になっている。夜行列車がパリの東駅に到着して最初に歩き出すと出会うのがこのキャナルである。その影響で50年以上この辺の安ホテルに宿泊することになった。もっとも仕事では取材と言うことでパリの五つ星も体験したけれどやはり理想からすれば星は少ない方が楽しめる。北ホテルのすぐそばにあるこの橋の上から写真に写っている手前の端を撮影するのが楽しみであって、ご存知のようにこの橋は船が通行するときに浮き上がって旋回するのである。まず最高のパリ見物のモチーフになる。プリント制作は1980年。ザルツブルグカレッジで写真を教えていた時にそこの宮殿に宿泊していた。ダークルームにはイタリア製のダストの1番安い引き伸ばし機があったのでそれでプリントしたらなかなかのクオリティ。その時プリントした200数十点があるがこれはコレクションになっている。ネガフィルムは紛失してしまったのでエディションは1と言うわけだ。2024/07/27 12:52:22132.目のつけ所が名無しさんzCdYe結論ですが、AdobeLightroomを使ってAI現像しましょう!人間の目(脳)は、「光の強弱がある環境」でも「明るいところと暗いところの差が激し」くても補正しますが、デジタルカメラなど機械的なビジョンセンサーでは、そのような都合の良い(脳を騙す)機能がありません。そこで、現像ソフトを用いて「光の強弱がある環境だと、明るいところと暗いところの差が激しい仕上がりになってしまい、一部の人の顔が暗すぎたり明る過ぎたり」するのを、AIを使って補正しましょう。現代写真術では撮影だけで完結せず、後でコンピューター上で補正して良い仕上がりにするのが必須です。そのため、あとで補正するためにダイナミックレンジの広いカメラで撮影することが大事なのです。そうすればポスト作業でどうにでもなりますし、ストロボなどの必然性もなくなります。ぜひ一度お試しくださいませ。「一部の人の顔が暗すぎたり明る過ぎたり」するお悩みを解決できます。2024/08/02 18:09:34133.目のつけ所が名無しさんPTZOIウィーンモノクロームセブンティーズの見返し2.5キログラムの重さで1000だけ印刷して完売して、最近では探している人もいる。私のウィーンモノクロームの写真集である。この写真集も自分でセレクトしたのではなく、デザイナーさんにお願いしたのでいい感じに仕上がった。内容もそうだけど、自慢できるのは表紙のすぐ裏側つまり見返しである。銀色の髪にブラックですってあるのだが、ウィーンのアパートメントに所狭しと並べた写真とニコンSPを構える。私の写真が並んでいる。考えてみれば、これが1970年代の私のウィーンの写真生活の現実であった。滞在の極初期の頃だから、まだライカの引き伸ばし機が買えなくて、ウィーンの西駅のすぐそばにある。カメラ屋さんで木の箱に入った携帯式の引き伸ばしと言うので、これらのプリントは制作されたのである。ライカの引き延ばしほど優秀ではないが、これはこれでそれなりのプリントができたので満足。2024/08/08 08:08:01134.目のつけ所が名無しさんJa4ts1973年の最初のアパートメントはアルザ通りにあった。それでその近所をライカM3にコダクロームを入れて撮影して歩いた。カメラ毎日に発表したウィーン記憶の街と言うのもこの界隈で撮影した作品が含まれる。この写真館のカップルの結婚式の写真がいかにも60年代から70年代の時代背景だなと思って見ていた。そしてライカで撮影をした。70年代的だなと言うのは、その当時は非常にも旦那スタイルという意味である。それが50年経過したら、懐かしのノスタルジーになってしまったと言うところが面白い。私の結婚式の写真は東京カテドラルで撮影したのだが、うちの神さんは写真に撮られるのが嫌いで、写真屋さんが組み立てカメラで2枚撮影した。その2枚ともシャッターが開いた瞬間に目をつぶっているのである。写真屋さんはそれを小さな筆で目が空いているように直すから、たまに見る私の結婚記念写真は全く知らない女の人が脇に座っていると言うわけだ。2024/08/09 06:34:44135.目のつけ所が名無しさんPMYRbこの機にご自身の作品集を出版するのはどうでしょうか?ご質問を拝読する限り、日々「作品制作」をなさっているご様子ですが、これをまとめて紙の本とKindleの両方で出版し、できれば個展も行いましょう!あらゆるクリエイターにとって、最大の転機は受注から脱却し、自分の作品を世の中に出すタイミングです。このチャンスを逸すると、いつまでも日雇いが続きます。「物を減らし人間関係を整理して」、「ヤンキー的なノリや飲み文化」や「芸能系の仕事や付き合いを完全に整理し」た現在、ご自身の作品を世に問う機会が訪れています。「仕事が落ち着く」いまこそ、千載一遇のチャンスだとお考えくださいませ!2024/08/16 13:16:00136.目のつけ所が名無しさんRuRLoカメラ新機種、熱い商戦…キヤノンはミラーレス初旗艦モデル・リコーは21年ぶりフィルムカメラニュースイッチ by 日刊工業新聞各社が独自性追求、既存ファン深耕・新規開拓国内カメラ各社が新機種を相次いで投入している。キヤノンは注力するミラーレスカメラブランドの「EOS Rシステム」から初のフラッグシップ(旗艦)モデルを11月に発売する。ニコンや富士フイルムも独自の機構や機能で差別化を図り、リコーは21年ぶりにフィルムカメラを開発した。プロから初心者まで各層がそれぞれの楽しみ方を追求できる多様なラインアップを各社展開しており、カメラ市場の活性化に期待がかかる。2024/08/19 14:50:37137.目のつけ所が名無しさん2vfVZ私が撮影したウィーン時代のショットで非常に気に入っているのがこの写真である。だから何度も登場する。その理由には2つ要素があって、1つにはこのフィルムは現像する前にアクシデントでカットされたやつなので、画面の右側のほうに本物のウィーンの闇が広がっている点が1つ。2つ目は、ペリカンの万年筆とインクとフィルムカメラがその当時の唯一のコミニケーション手段であったと言うことをちゃんと記憶しておきたいためだ。こういう言い方をすると不思議に思うかもしれないけれども、これはインターネットが登場する。何十年も前の人類がみんな使っていた通信手段なのである。1976年からヨーロッパを巡回した日本人の写真展覧会にしても、奥のほうに写っているエアメール様のライスペーパーに用件を書いてエアメールで日本に送ったのである。電話等はすごく高価だから使った事は1度もなかった。そういう今から見ると、稚拙なコミュニケーション手段で、3年間の写真展のスケジュールは全部予定通り行われたのだから、万年筆で陰気で書くと言うのもそれなりの優れたメソッドであると思う。2024/08/24 10:56:46138.目のつけ所が名無しさんkxCPr鋭角な風景に惹かれること良い写真へのアドバイス。テーマを決めて撮影をすると言うのは、目的のものに対する価値観で全てが決められているので、とんでもない方向違いの表現に行く場合もある。偉大な写真家が求めているものはアルフレッドスティグリッツであれウォーカーエバンスであれ、ロバートフランクであれ、リーフリードランダであれ、みんなストリートフォトグラフィーが基本の基本になっている。ストリートに出て珍しいものを探すと言う意味ではない。写真家が新しい空間の哲学の構築をそこに発見してそれを見る人に伝えると言うことである。ここで最も重要なのは優れた写真家がキャプチャーした空間構造を理解するためには、その受けてのほうもかなりのレベルの視神経と空間構造への認識を最初から持っていなければならない。大阪芸術大学で12年間写真を教えて。私が痛感したのは優れた写真表現者になるためには、写真の技術を磨くより写真を見てその空間構造を認識すると言うこちらの方がはるかに大切であったと言うことだ。写真に対する才能のない学生さんはいくら教えてもだめである。大阪芸術大学で私は写真教育不可能を教えてもらった。墨田区の裏街を歩いていて、細い道からちょっと大きな道に出るときに直感的に感じたのは風景が鋭い角度になっているなということであった。そう感じる以前に私の右手の人差し指は自動的に動いて、そこでこういう空間構造がキャプチャーされたと言うわけだ。画像が形成されてから観察すると、左側に見えるポカリスエットなども意外性を助長していて面白い。カメラは、ニコンのレンジファインダーで2.5センチの広角レンズ。2024/08/25 07:47:14139.目のつけ所が名無しさんpvJKL35ミリカメラのフィルムカッターの使い方2024082735ミリカメラの内部にフィルムカッターが装填されていると言う事は、フィルムがこれだけ高い時代になってしまうと知らない人からすれば、これは大切なフィルムを撮影の途中で切断して何度も使うようにするためのアイディアではないかと思われたりするのである。35ミリフィルムカメラの歴史を考えてみると、ライカカメラの場合は36枚撮影したフィルムを巻き戻して使うというのが操作の基本になっていた。それに対してコンタックスはもちろん巻き戻しもできる。けれども、コンタックスに形になってから考え方が変わって、カールツアイスはダブルマガジンを推奨していたようである。これだと1度巻き取ってしまうと巻き戻しは必要がないから時間の節約にもなる。その他に、当時のコンタックス用のフィルムで120フイルムと同じように、フイルムの前と後にBlack ペーパーを巻きつけて巻き戻しを不要にしたフイルムも提供されていた。それを使うときはまずフイルムカウンターの28のところに印が付いているので、フイルムのリーダー部分を想定したら28コマ目から撒き始めて1になるとフィルムの最初のコマが出ると言う仕掛けになっている。このメカニズムはそのままロシア製のコンタックスにも受け継がれていて、本来の目的が失われたのにポイントだけが残っていると言うわけだ。写真のイラストはロードカメラの初期のモデルのフィルムナイフである。私の先輩の朝日新聞の写真部長さんなどは現場に行く時に伝書鳩さんを連れて行って撮影した。フィルムはこのフィルム買ったで短く切ったのをアルミのコンテナに入れて、伝書鳩さんに持って帰ってもらったと言う話をなさっていた。すなわち当時の最も進んだプレス写真の最前線。インターネットで原稿を送るなんて格好悪いよね。2024/08/27 10:20:31140.目のつけ所が名無しさんjcgHdリーフリードランダーさんとのお付き合いは非常に長い。彼が1970年頃に出した。最初の自費出版のセルフポートレートを買うのに、郵便局でマネーオーダーを作って、それを封筒に入れて彼の住まいに送ったのである。ニューヨークのニューcityと言う所だった。つい最近まで、私はそれをNew York Cityと勘違いしていたのである。 オーストリアのグラーツにフェスティバルで大写真家が来た時はこちらも頭がへんてこりんになっていたので、トランキライザーを飲んでから会いに行った。気さくなおじさんと言う感じでよく接してくれて、私の写真集のポートフォリオも見てもらった。神様にポートフォリオを見てもらうなんて大変なことだよね。その後ウィーンであったりした。日本に帰っては山岸さんの関係で何度か東京でお目にかかることがあった。その中で1番おかしかったのは、六本木のお寿司屋さんで山岸京子さん達と数人で飲んでいて、お勘定の時に私の割り勘分の10,000円が払えなくなったのである。その日は現像所で50,000円位の支払いをしていたのでそうなった。そしたら大写真家が俺が立て替えておくよと言うので恐縮してしまった。しかし外国の写真家には、その次会って返すチャンスがあるか、どうかわからないから、一緒にいらした 日本の大写真家である。有田さんに立て替えていただいた。そのお金はちゃんと返したと記憶している。その当時は有田さんとは結構付き合いがあって、六本木の仕事場にもお邪魔していたのである。この写真を撮影して 半世紀が経過したので、リーは元気かなと言うので、チェックしてみたら90歳のいいじいさんになって元気そうなポートレートがインターネットにあったので安心したところで、リーと言う名前は不思議な名前で、私にはグリコの例の辛いカレーの事だと思ってしまうのである。2024/08/28 08:29:22141.目のつけ所が名無しさんXakPRとりあえず写真は普段から撮り続けてインスタとかのSNSにアップし続けましょう。そのなかで自分なりの形を見つけていくことですかね。蜷川実花さんの作品のように、誰の作品かわかるくらいの自分なりの形が見つけられるといいと思います。2024/09/08 09:32:22142.目のつけ所が名無しさんxRV9j1980年の9月に初めてリスボンに行ったわけだが、ウィーンから列車でドイツのケルンのフォトキナを取材して、それからパリに出て、パリからさらに列車で2泊して到着した。リスボンは本当に遠いところというか、世界の果てと言う感じがした。黄色い路面電車にはまってしまってそれから50年近くノスタルジーを感じてリスボンの黄色い電車を見に行ったりしているわけである。街の1番低いところから急な坂で東にカテドラルの大阪まで上がってそのさっきヨロヨロと会ってくる黄色い路面電車がこのような二股の風景に出会うところが極めてフォトジェニックである1980年に街中の中古カメラ屋さんで買ったフランス製のFocaと言う35ミリカメラに最初のフィルムを入れて同じ光景を撮影した。それから40数年経過して撮影したのがデジカメで撮ったこのショットである。50年近く経過したタイムラプスで何も変わっていないように見えるけれども、よく観察すると樹木が半世紀分だけ高くなっていると言うのは思い込みではなくて事実だと思う。富士フイルムがまだモノクロ写真に力を入れていた時に、1980年に撮影した最初のショットを藤野モノクロの広告に利用した。競合相手のドライEXで撮ったのですと説明したら、広告の部長さんがそこら辺をよく心得ているから、それは別に問題ありませんと言うことでなかなか大人の対応など思ったのである。2024/09/10 09:06:34143.目のつけ所が名無しさんW3HaWフランスはパリで作られたプロ用映画機材エクレールである。このカメラは戦後になってそのスタイルが一変して、ハンドヘルドの撮影に絶好なスタイルを持つことになった。代表的なのは亀フレックスであって、フランスのヌーベルバーグの映画監督が愛用したのでも有名である。時代は16ミリ映画の時代になって、テレビジョンはまだビデオが登場する前だから小型で軽量な取り回しのしやすい。しかもテープレコーダーとの同時録音で音がしない。カメラというのが求められた。そこで登場したのがエクレールノイズレス。ポータブルレフレックスカメラである。2本ターレットのカメラで通常のコンフィグレーションでは、12ミリから120ミリのズームレンズが付いていて、もう1本は10ミリの広角レンズと言う使い方になっている。もちろんレンズは自由自在に交換できる。 1960年代の多くのドキュメンタリームービーの撮影に使われるタフなカメラであった。それでよく覚えているのは原子爆弾に対抗して、それにプロテストするために、人々が路上に横になって死んだふりをして抗議の意思を表明するプロテクトの行動があった。60年代から70年代の市民の抗議運動と言うのは実に激しいものである。その様子を取材している。カメラマンが持っていたのがエクレールカメラであって、ディレクターがその脇に付き従って、彼が手にしているのは、2つのここで見るような400フィートマガジンなのである。今のビデオの時代と違うから400フィートマガジンを装填した。エクレールのフィルムカメラは10分しか撮影時間がないのである。そこで映画のディレクターがカメラマンに付き従ってバックアップ用の日本の400フィートマガジンを持っていると言うのは、まさにプロテクトの抗議の意思にふさわしい。これでトータルで10分で3本だから、30分のムービーが撮れると言うわけだ。いつも思うのであるが、ムービーフィルム時代のカメラマンは、フィルムの長さに対する考え方が極めてプリミティブでフィルムの長さを重要に考えていたところがある。今のように6時間ビデオで撮影しっぱなしと言う時代では無いのだった。2024/09/14 12:07:54144.目のつけ所が名無しさんx7OGgネガフィルムが出てこないと大変なことになる大写真家東松さんにヨーロッパを巡回する。写真展示のお願いをしたときに大写真家はこんなことを言った。それは大変だよ。Tanakaくんね。顔出すだけで数日間はかかるんだよね。これが真実なのである。なかなか狙ったネガフィルムがいっぱつで出るものではないのだ。私はそれほどではないが似たような体験がある。契約したギャラリーで写真が売れたりすると、ギャラリーオーナーとよく話すのであるが、最初のエディションの1つまり展示している作品が売れればそれはありがたいのだが、注文が同じショットに集中してしまうのである。そこのギャラリーとの契約では1つの写真はエディション中まで制作することができるが注文が集中してしまうのはなかなか面倒なのである。それでこのワンショットのワクワクするような女の子のスナップショットであるが、何しろ2000本以上お願いがあるのを片っ端から見てついに発見することができなかったので、購入予定の皆様に深くお詫びをしたことがあった。本来の整理不足ということがあるから、私の責任なのだけれども、せっかく注文してくださった皆様とギャラリーには申し訳ないことだと思っている。そこで面白い状況が発生してくるのは、解像力はこのように非常に低いけれども、これだけの画像を見てもらえば私が言わんとしている発見できなかった。寝顔の写真がどういうものであるかと言う事は皆さんに理解していただけるのである。という事は、この作品の存在と言うのは、世界に認知されているわけだ。ただし、オリジナルヴィンテージプリントと言うことになると、私のウィーン時代の2000本のネガフィルムから捜索しなければならないと言う別のファサードがそこに構築されてくるからトラブル続きと言うわけです。2024/09/17 16:34:26145.目のつけ所が名無しさんtaKU7バブル期までの北の工作員2024/09/17 19:18:04147.目のつけ所が名無しさんOKZh210年位前の事だったと思う。秋の非常に素晴らしい天気の午後であった。その時は私はプラハの東側の労働者外にあるネオルネッサンス様式の空色のホテルに宿泊していた。手元のライカエムファイブとモノクロフィルムを5本だけ持って、ぶらぶらと南に向けて歩き出したのである。ウィーンに暮らしていた時もそうであるが、撮影の時に28ミリレンズ1本だけということが多かった。28ミリレンズは私の視神経に合っている。それでいくつかの顔を越えて谷を越えてプラハのサッカースタジアムの脇を通過して、さらに南に歩いて、路面電車の11番の南の終点あたりまで歩行したのである。いつも歩行しながら撮影をしていると、楽しい時ばかりではないが、この秋の日の午後は実に快適な撮影ができた。まぁそういうこともたまにはあるのだね。その時の撮影はモノクロフィルム5本だけであったのだが、これが打率が意外と良かったので、その翌年に京橋のアイランドギャラリーで写真展を開催したのである。いつもならゼラチンシルバープリントというところだが、その時はわざとデータをスキャンしたのをデジタルプリントにして展示販売した。時代が変わってきているから、何が何でもゼラチンシルバープリントでなければいけないと言うような時代は既に過ぎ去っているようなのだ。快適なプラハの日の午後に楽しみながら散歩をして撮影した。5本のフィルムで展覧会と言うのは理想のそして同時にちょっと奇跡な撮影散歩だった。2024/09/29 06:59:21148.目のつけ所が名無しさんMzUTSライカモノクロームで遊んだトップコールレンズと言うのは不思議な存在感でよれよれに使い込んだものがある。それは私が日本カメラから出した3冊のカメラ分の1番最初に触れたことなのであるが、要するに航空母艦の上でぶんなげられていたとしか思えないような大変なエネルギーがカメラやレンズを表現しているのである。フィルムカメラに加えられた外部的圧力と言うものは、例えばわかりやすく言えば、ブラックライカの角が禿げているようなものだが、そこに美学を感じると言うのは、デジタルカメラの美学の尺度では存在しないものなのだ。トップコール35ミリの非常に汚いのはガラクタ屋さんから同時に2本買ってきた。それも前期型と後期型であって、前期型は毎回自動絞りのレバーをセットする必要があるが、後期型はシャッターボタンを押すと絞りが絞られるようになっている。その2つが両方ともひどい程度であって、そこが気に入って日本同時に手に入れた。それでこのレンズで非常に程度の良いライカモノクロームで、バスの中から東京の写真を撮った。これはロバートフランクの作法の真似なのである。そのガラクタ屋さんで手に入れた。日本の35ミリレンズの程度はひどいものであって、両方ともフォーカシングは全く動かない。しかしありがたいことに。どちらも5メートルとか10メートルのあたりでフォーカシングがフリーズしているから、そのまま通常の街中の撮影に使えるのである。それで結構良いショットをバスの中から取ることができた。そこで考えるのはライカモノクロームで撮影したのはデジタル映像であるから、ゼラチンシルバープリントで制作した。いわゆるオリジナルプリントはちょっと方向が違うのではないかということなのである。しかし、そこら辺の業界上の区別、アイラナ我々そんなに神経質になる必要もないような気がする。しばらく前にライカエフで撮ったモノクロームのネガデータをスキャンして、デジタルプリントにして、京橋のアイランドギャラリーで写真展を開いたこともあるからだ。2024/10/05 06:09:57149.目のつけ所が名無しさんCMncg現代社会は多くの「罠」が仕掛けられており、少しでも気を抜くと穴に落ちてしまうものです。心の迷いやゆらぎは、ご質問者に限らず僕とて同じで、だからこそ日々の食事に気をつけなければいけません。また、迷いを払拭するため、日々走るもしくはファストウォーキングなどを積極的に行うことも大切だと何度かお伝えして参りました。その際のコツは、心拍数を高めること。一般的に220 − ご年齢の80%まで心拍数を高めて走ったりファストウォーキングをそれなりに続けると、頭を使う余裕がなくなり、煩悩が払拭されるんですよ!時間は個人によっても異なりますが、もうダメだと思ってから、あと5分頑張って先に進むと、それなりに頭が真っ白になり多くの煩悩が払拭されると経験上思います。このためにいつもより1時間早く起きることが大切です(ここ、ポイント!)。まずは、早起きして、外に出てみると、絶対にそれまでと違った感覚を得られます。気がつくと「欲」や「言い訳としてのストレス」に流されなくなりますよ。ご自身で作った「パターン」から脱出しましょう!出来れば明日の朝から。2024/10/12 16:40:15150.目のつけ所が名無しさんclZq3何というか、写真は『いい写真』が一番ですよね!いい写真とは??高解像度??滲みレンズ??人それぞれですが、自分にとっては、感激する写真です。2024/10/13 09:01:04151.目のつけ所が名無しさんzqiJp全くお酒を飲まなくなってもう10年以上経ちますが、正直申しまして人生が大きく変わりました! まず体調面で不調が出なくなり、また不調に対応する時間や、なんとなくお酒を飲んだり、誰かに夜付き合ってたりする時間も全くなくなったことにより、誰にでも平等な時間が大幅に増えました! この時間を創作活動にたっぷり使え、また勉強する時間も増えたんです。 特に医療に関して毎日世界中の論文を読んでおりまして、多くの知見が溜まり、皆様にお伝えすることができるようになりました。 金銭面からお話しすれば、生産性のない享楽的な飲酒コストがなくなり、創作物が増えたので、手元資金は倍増です! 何より人間関係が健全になりました。 飲酒習慣をやめたのと引き換えに得たのは、間違いなく心身の健康および健全な人間関係、そして収入増と豊かな時間です。 人生、変わりますよ!2024/10/18 17:21:54152.目のつけ所が名無しさんunbLF特撮ドラマのお手本 実写の特撮テレビドラマというと、「特撮変身ヒーローもの」をイメージする人も多いと思います。 確かに、1970年代は各テレビ局からそれこそ無数の特撮変身ヒーローが生まれました。 それはさながら古生代のカンブリア爆発を思わせる大発生で、その後の定型となり、長年にわたってシリーズ化された「仮面ライダー」のような作品もあれば、「どうしてそれが子供たちに受けると思ったのか?」と理解しにくいデザイン・設定のヒーローも作られました。 もっとも、仮面ライダーもバッタの怪人ですから、受けるかどうかは紙一重と言えるかもしれません。 そんな中、1978年に日本テレビで作られたのが、今では伝説的な番組となった「西遊記」です。 実はこの1978年は日中平和友好条約が調印された年で、前年はTBSでコメディ人形劇『飛べ!孫悟空』が始まったり、フジテレビではアニメ『SF西遊記スタージンガー』が始まったりと、西遊記にまつわる企画が多かった年なんです。 日本テレビの「西遊記」では日本のテレビでは初めて中国ロケが許可され、主にオープニングやエンディングでの壮大な風景映像として使われています。2024/10/19 13:34:52153.目のつけ所が名無しさんZR6QTご高覧いただきまして、誠にありがとうございました!同じようなご質問を多数頂戴しまして、『FUTURE OF SPECIALITY COFFEE』の写真は当初からあのフォーマットにしようと思ってたんです。縦横の比率で言うと1対2.39。いわゆるシネマスコープと言われるサイズで、コーヒーをめぐる冒険を追いかけるドキュメンタリー映画のような本を作りたかったので、あのサイズになりました。また、「写真は通常の撮影後にトリミングした物」で、「最初からトリミングすることを考えた上で撮影」しました。カメラ画面に近いグリッドも出しています。もちろん白黒にして「銀残し」のような特別な印刷方法を使ったことも「写真がすごくいいな」とお感じの要因になっていると思いますが、クリエイティブと言うのは最終アウトプットが大事で、そのための総合力が問われる仕事です。どんなに機材が良くてもその後のポストプロセスや印刷技術を理解していなかったら、最終的に書籍を手に取ったときに「熱」のようなものを感じません。もしくは、すべてにおいて一環してなければ、「気」のようなものが伝われない(通らない)と言い換えられるのかもしれません。ちなみに、本書の僕なりのコンセプトは「苦くて華やかな未来の思い出」でした。格段「モノクロ写真をつくる時に意識している」わけではありませんが、モノクロ写真は言葉では言い表せない不思議な時間軸があります。ですので、テキストにしてしまうと時節がおかしい「苦くて華やかな未来の思い出」のような文言になってしまいますので、写真を多用した次第です。もし、テキストだけでお伝えできるなら、そのような本作りにしたと思いますが、テキストだけではお伝えできないと思って、あのような1.4kgの書籍になりました。新時代の「ヘルムート・ニュートンのような」ご活躍を楽しみにしてますね!2024/11/09 16:50:05154.目のつけ所が名無しさんZR6QT本書では半分近くの写真をスマートフォンで撮影し、特殊印刷を行うことで通常のモノクロフォトとは違う「銀残し」のような雰囲気に仕上げているのも見どころです。2024/11/09 16:50:45155.目のつけ所が名無しさんzLP4Q一番使っている音楽ストリーミングは、TIDALです。プレイヤーは、長年Audirvanaを愛用してまして、これにEQ(Fabfilter)などのプラグインを入れて、環境によって調整しています。また、Djay Proにストリーミングを流し込む時もTIDALです。なぜなら、Apple MusicだとSTEM(Neural Mix)できないからなんです。Spotifyは、音質の問題から随分前に辞めました。2024/11/15 21:19:53156.目のつけ所が名無しさんO7XDzいいね2025/02/13 08:53:42157.目のつけ所が名無しさんwVYxFエプソンカメラ12ミリモノクロモードエプソンのレンジファインダーカメラは、ライカム鉢売りも数ヶ月早く登場したということで、完全にライカの面目を潰したという功績がある。20年ほど前にエプソンのこのカメラが出るときにいろいろお手伝いをしたのは面白かった。写真集を出して写真展もやって、当時は日本カメラ賞がまだ東京ビッグサイトでやっていたのだけど、その時坂崎幸之助さんと対談もやりました。今ならデジタルカメラにあと得られるレンズが漬けられると言うのは当たり前なことになっているが、20年前はそうではなかった。ライカマウントのレンズが漬けられるデジタルカメラと言うのはこのエプソンが1番最初だった。まだリアルビューファインダーにはなっていないけれども、リアルビューファインダーになったことによって写真を撮ると言うレベルが大幅に低下したのだから、このデジタルカメラは普通のレンジファインダーシステムで充分なのである。20年ほど前にこのカメラで撮影した写真集を作るために、夏と冬にヨーロッパを旅行した。その時は戦前のライカのレンズとかいろいろ持っていったのであるが、結局そういうのは表面的な興味に過ぎなくてちゃんと映りますよと言う。今のデジタルカメラレンズ交換症候群の連中と同じになってしまうから、それはやめました。結局落ち着いたのはエプソンに12ミリのレンズをつけることだ。フルサイズだと18ミリ相当になる。それで面白がって使っていたのであるが、ある時モノクロモードにしたら新しい発見がもたらされた。何が発見家と言うのはなかなか説明が難しいのだが、その場所の存在感がカラーよりモノクロの方が強烈に浮き上がってくると言うことなのだ。これは1日で撮影した十数点の作品であるが、それを時々紹介していこうと思う。東京の公園に私が興味を持つ理由と言うのは、ヨーロッパの公園は規模そのものが非常に大きくて公園に入ってやろうと言う意気込みで公園に入ってしまうから、一旦公園に入ってしまうとそれ以上の刺激は無い。ところが、日本の東京の公園と言うのは、街歩きをしているときに、いきなり予告なしに抜き打ち的に登場するのである。それでそういう公園に出会って、公園の真ん中に白樺の不思議な存在のある樹木が立っているとそれなりに感動したりする。2025/03/08 09:21:16158.目のつけ所が名無しさんI41kRエプソンのレンジファインダーデジタルカメラに12ミリを撮影すると言うのは結構有効な私の撮影テクニックであったが、ある時カラーモードからモノクロモードに変換したらさらに面白いことになった。この場合よく我々の間で問題になるのは最初からカラーでとっておいて、モノクロにしたいときにモノクロに変換すれば良いのではないかと言う質問である。しかし私はこれには反対だ。何と言うのかカラーでとっておいて、後でHopeモノクロにすると言うのは、そこに人間としての節操のなさみたいなものを感じるのである。フィルム時代の最後のほうの職業カメラマンで、特に報道関係者はいつも二台のカメラを持ち歩いて1台はカラーフィルム。そしてもう1台はモノクロフィルムが入っていたと言う。これの方が確かにモチーフに対しては真面目であると言う感じがするね。駐車場と言うのは走っている。車を取るよりもジェニックな感じがすると言うのは以前から私が考えていたことである。黄色いスバルというのがあって、これは友人のマンションの近くにいつも駐車しているスバルであるのだが、なぜか黄色塗装されている。同時に、この黄色いスバルは宇宙船であって、友人の焦点した猫ちゃん達が月に行く時に使うロケットでもあるのだ。それで黄色いスバルが好きで、時々早稲田のこの場所に見に行ったりしていたのであるが、ついに黄色いスバルはなくなってしまった。この画像ではグレーのスバルになっているが、モノクロモードで撮るとイエローがグレーになってしまうと言うところも大変なアドバンテージである。2025/03/09 09:52:46159.目のつけ所が名無しさんjcTMN最近ではRokkorレンズが極めて廉価ですね!その意味でもおススメです♪2025/04/06 07:20:49160.目のつけ所が名無しさん45ALdこんばんは。今日は初めて暗室でカットホルダーにフィルムを装填しました。「撮る」までのプロセスがここまでに長いカメラは初めてです笑でも、楽しいですね。大判やられてる方、もしくはやっている方、撮影にあたってアドバイスがあればご教示お願いします2025/04/25 13:15:37161.目のつけ所が名無しさんbH4Dzいいね2025/04/29 08:10:34162.目のつけ所が名無しさんp2yVmそれに対して、アナログ特撮はどうか。恐竜の皮膚の感じを表現するための素材を何にするのかから始まって、リアルな動きにするための骨組みの構造をこうしてみようとか、塗料の種類や塗装法を工夫したり、という作業になります。私は今、リアルな撮影が難しい「四足動物の歩行」ショットを楽に撮影するための、撮影用歩行装置の新しい試作品を作っているところです。試行錯誤を重ねながら、今までにも数パターンの試作機を作っています。こういった、回りくどい装置の工作は、CGに比べてはるかに効率が悪いかもしれません。でも、最近感じることがあります。映画作りには「映像」が必要で、その映像は効率よく手に入れるに越したことは無いはずなんですが、そこにCGというブラックボックスが入ると、途端に魅力が半減することが多い、ということです。CGのように、「この選択をして数値をこうすれば質感や動きがリアルになる」という、ソフトの仕様としてのブラックボックスに頼るのではなく、その工夫も仕組みも、メイキングの現場を見ればタネが分かる、アナログ特撮の方が、作る方も見る方も、満足度が高くなることが多いと私は感じます。これは、もしかしたら私の創作レベルがまだまだ低いせいで、「映像をどうやって作るか」にこだわっているだけとも思えます。自分が発想した「物語」を形にするという、高い視点に立てば、映像をCGで作ろうがアナログ特撮で作ろうが、そこに差は無いのかもしれません。そもそも、その高い視点で映画作りを目指している人は、初めから映像づくりの手法の話には興味がないと思います。2025/06/28 08:20:39163.目のつけ所が名無しさんQFQHc現場での手際の良い撮影がどれだけ重要かは、経験してみると分かるはずです。効果的な撮影効率化の工夫はいろいろあると思うんですが、もっともシンプルで実用的と思われるのが、「高精細の映像で撮影することでアップ撮影を減らす」というものです。例えば、胸から上が映っている「バストショット」を撮影して、次に「顔のアップ」に切り替えるという事があります。もちろん、出演者の表情を強調するためにアップにするんですが、この部分の撮影を効率化する案です。撮影はシンプルで、4Kや8Kといった高画質の設定で「バストショット」のみを撮影して、アップは編集時に映像を拡大して作ります。理論的には、4K撮影の場合、2倍まで拡大しても画面は荒くなりません。これは、撮影としてはもちろん邪道の類でしょう。「そんなの映画撮影じゃないよ」と批判する人も多いと思いますが、正直、少しでもスケジュールが短縮できて、観客にとって退屈せず見やすい映像になるメリットの方が大きいと私は思います。編集時に拡大できるという前提に立つと、撮影時、「もうちょっとアップにしようかな、いや引きの方がいいかな」となったときに、迷わず「引きの状態で撮影しておこう」という選択が出来ます。私は「念のために両方撮っておこう」という質なので、結構、無駄な繰り返し撮影を良くしていました。今振り返ると、「明確なNGではないのに何度も撮り直す」というのは、本当に意味のないことだったと実感しています。それを無くすだけで、もう少し余裕のある現場で楽しく撮影できたのに、とちょっと後悔しているんです。2025/07/05 10:45:05164.目のつけ所が名無しさんwCNiqいいね2025/08/05 10:39:45165.目のつけ所が名無しさんdBe4U保守2025/08/13 11:49:32166.目のつけ所が名無しさんatDYa運用2025/08/26 07:30:48167.目のつけ所が名無しさん7i4sFてすつ2025/08/28 16:18:37168.目のつけ所が名無しさんGEP5R保守2025/08/28 19:32:07169.目のつけ所が名無しさんMmGZO今回の展覧会は、藤田の描いた絵画だけでなく、藤田が撮った写真 や、被写体としての藤田にもフォーカスをあてて展示をしています。 エコール・ド・パリの寵児と言われた藤田嗣治は、当時ピカソより 早く注目を集めたと言われています。 その大きな理由のひとつとして、ヨーロッパを席巻したジャポニズム にも上手にのり、おかっぱ頭にちょび髭をはやし、着物でパーティに 登場するなど、セルフプロデュースも上手にされていたと思われます。 何より、言葉が苦手な日本人の画家の中で、フランス語と英語を話す 藤田嗣治はパリの人気者となりました。 猫をモデルとして多くの絵画を制作された藤田ですが、猫と一緒に ポーズをとる写真が、本展覧会のポスターに採用されておりました。 藤田嗣治の猫好きは有名で、「猫は野獣性と家畜性と二つの性質を 持っているので、そこが面白いと思う。」という言葉を残しています。 異国の地で孤独と戦いながら、希望を失わなかった藤田が猫に強く 惹かれたのもわかる気がします。また藤田は旅を愛し、旅先でも多く の写真をとり、その写真をもとに細部を切り出して画面を構成して 絵画作品を構成していったことも、よく知られています。 藤田嗣治にとって、写真はとても大切なメディアであり、森村泰昌氏 のように、セルフブランディングの主題としてセルフポートレートを 多く撮影しており、メディア戦略の一環として写真を上手に利用して います。 写真というものが世の中で出回り始めた時代に、それをいち早くとり いれて、画家でありながら写真家ともいえるような写真を多くとり、 自分を売り出す道具としても写真を利用していることから、藤田の 作品の鑑賞を今回の展示はより楽しいものにしていると思います。 藤田の作品を理解するのに、藤田のとった写真、被写体としての藤田 を同時に拝見することは、藤田作品の理解を深くしてくれると思います。2025/08/30 09:30:52170.目のつけ所が名無しさんkRvlI運用2025/09/06 07:34:57171.目のつけ所が名無しさんYJoNzPhotograph や Image、Picture が「写真」と訳されたことは、日本の写真表現を窮屈な枠に押し込めてしまったのではないか──そんな言説に、私はこれまで頷いてきた。けれども、今の写真を取り巻く状況を思えば、「真を写す」こと以外に、果たして写真が生き延びる道があるのだろうか。日本人が持つこの独特の嗅覚、未来を見越すような感性の鋭さには、脱帽させられてしまう。2025/09/20 16:20:45172.目のつけ所が名無しさん3kSIz藤田嗣治のファンの方でしたら、藤田嗣治と猫は切っても切れない関係であることはご存じだと思うのですが、西洋絵画が入ってきた黎明期の日本において、そもそも西洋の油彩画では動物を主題に作品を描くことが殆どなかったという事実は、今回の展覧会まで存じあげませんでした。パリで初めて評価された日本人の油彩画家である藤田嗣治は東京芸大で学んだ時に、日本画の手ほどきもうけておりますし、沢山の古い日本の美術も鑑賞されてこられたのだと思います。江戸時代の丸山応挙や若冲など、日本の画家たちは好んで画題に犬や猫、にわとりなどの動物を描いてきておりますが、西洋絵画において当時、動物を主題にしたり、藤田のように頻繁に動物を人物とともに取り上げる作家はいなかったのだそうです。府中市美術館のこの展示を拝見するまでこの視点には気が付きませんでした。言われてみればそうかな、、、という感じです。しかも、府中市美術館によると、藤田が日本人として評価されるポイントとして、西洋絵画の常識である、人物、静物、風景を中心とする画題の選び方に対して、猫を題材として絵画に頻繁に登場させる事自体、挑戦的なことであり、それを西洋画壇に受け入れてもらったという事実は画期的なことなのだそうです。そして藤田がパリで受け入れられるようになってから、西洋の油彩画で動物が登場するようになったということですから、藤田嗣治の業績は改めて偉大な事なのです。もともと、イソップ物語のように動物に擬態させるお話はあるのですが、絵画の世界で、西洋で流行させたのが藤田嗣治までいなかったというのも、少し不思議な気がします。2025/09/27 10:12:56173.目のつけ所が名無しさん39CGkはい、「写真」とはまさに「光」で被写体を「描く」もので、その語源も「光」に由来しています。光の方向や強さ、質感を理解し活用することで、写真は驚くほど魅力的に変化します。なので、可能な限り光を活用できる条件設定が良い結果を生むでしょう!2025/09/28 17:54:59174.目のつけ所が名無しさんNvNSK私が実際に行なった列車内映像の例を紹介します。まずは列車内の映像を撮影する必要があります。これは、何度も行ったことがある公園の一角で、野外展示されている「ブルートレイン」の車両を使いました。車両内には自由に出入り出来て撮影も出来るので、他の人がいないタイミングを見計らって、色々な角度から車内の写真を撮っておきます。このあたりは感覚的なものもあるんですが、オーソドックスな映像として使う「構図」には、一定のパターンがあるので、「使える構図」の種類はそれほど多くないんです。誰もいない車両の中で、「ここに人物が座っていたらこっちから撮るだろう」と思いつくパターンを、出来るだけ効率よく撮影していきます。効率よく撮影するコツは2つあります。一つは「高画質で広めに撮っておくこと」です。これによって、「少しアップ気味の映像撮影」は割愛できるんです。編集時、画面の中で拡大すれば済むからです。もう一つのコツは、撮影を「静止画」でなく「動画」で行うことです。人物を自然に合成するためには、背景と人物の角度が合っていないといけません。想定した背景に合うように注意しながら人物撮影は行うんですが、所詮は撮影済みの背景写真とカメラのモニターを見比べながらの、目分量の撮影です。これは、低予算作品の場合、1日の撮影量を多くする必要がある関係で仕方ありません。そうすると映像編集時、「背景と被写体の角度がちょっと合わない」という事が起きるんです。「背景をもう少し横から撮っておくべきだった」とか「もう少し上から撮るべきだった」とかという「ズレ」です。このズレを体験すると、微妙に違う角度でも背景を撮影しておくことの有効性を実感するわけですが、その時に、撮影を動画モードにしておけば、例えば「真横から正面まで」という一連の撮影が出来るわけです。編集時、人物と一番フィットする角度になる瞬間の静止画を書き出して使用することが出来るので、失敗が減らせます。2025/10/04 10:45:22175.目のつけ所が名無しさんhrrIE「映画作り」には、物語づくりとか演技、演出といった「ソフト的技術」とは別に「カメラの操作」のような「ハード的技術」がたくさんあります。全てにおいて高水準の技術者集団が揃っている、プロの商業作品と違い、私たちが趣味として見よう見まねで行う映画作りでは、大前提として技術力がありません。だからと言って、プロのスタッフを雇って働いてもらうことは出来ないですし、仮にプロに作ってもらったとしたら、ちっとも楽しくはありません。そもそも、その「見よう見まねの活動」自体を楽しむのが趣味の映画作りなんです。大事なのは、優先順位と気付いてください。映画である以上、映像品質が最優先と思ったら危険です。私は、「作品を完成させる調整力」が最優先だと思っています。さらに言うと、観客に鑑賞してもらうためには、低品質な音声から来るストレスを減らすことが、映像品質より大事だとさえ思っています。次には、観客を退屈させないカット割りのテンポも優先度が高いと考えます。そう考えると、私たちが手掛ける低予算作品においては撮影条件がかなり限られてきますから、「照明」という要素は、あえて優先度を低くするという選択も考慮すべきです。2025/10/11 08:31:11176.目のつけ所が名無しさんdAjJh山種美術館の日本画聖地巡礼展に行って参りました。土曜日だった せいか、多くの方がいらしておりました。日本の名所を近代の大 作家の速水御舟や東山魁夷といった方から、現代作家の山口晃 の描かれた作品を拝見することで、この景色に会いに行こうと思わ せる展覧会でした。 以前にも拝見しているのですが、定位置に奥田元宋の奥入瀬(秋) が今回も気になりました。紅葉の風景が描かれている大作です。 大作だからでしょうか。景色に包まれるような感覚になり、いつま でも拝見していたい気持ちになる作品です。絵には魔力があるよう で、この奥田元宋の作品は夢にもでてまいりました。 今年は難しいかもしれませんが、死ぬまでには必ず行ってみたい 場所の一つになりました。 山口晃さんの東京圖1・0・4 輪之段 という作品は、まるで 地図のような作品で、圧巻でした。あまりに細かくて、細かな所 まで確認しなかったのですが、好きな人にはたまらなく楽しい作品 なのだと思います。多くのマニアが並んでみておりました。 私自身は最近、老眼が進んだこともあり、色とか大きなものを描いた 作品に惹かれるようになっています。その中で、次に気になったのが、 山口華楊の木精です。北野天満宮の大樹であり、大樹の根が複雑に 絡み合っているのも、とても神聖な気持ちにさせてもらいました。 京都の北野天満宮には何度も行っておりますが、改めてこの大木を 探しに行きたいと思いました。2025/10/18 12:00:08
【国際】トランプ「同盟国の多くは友達じゃない」凍りつく…高市総理は台湾有事発言で米に見捨てられたか? 撤回できず、前にも進めず「八方塞がり」ニュース速報+2542370.72025/12/05 14:20:31
【高市自民】ネット大荒れ「はあ?」「子育てに罰金」「高市支持やめる!」 高校生の扶養控除縮小検討の報道に騒然「意味分からん」「ほーら増税始まった」「涙出る」「子育て支援は嘘」 公明離脱で再燃ニュース速報+3991317.52025/12/05 14:20:59
【舛添要一氏】「かつて、農民も職人も、皆死ぬまで働き、深夜のネトウヨ行為など無縁だった、今の高齢者は、定年退職後、社会参加もせずに、ネットに溺れている、ネットを捨てて働いたほうが健全だ」ニュース速報+214944.12025/12/05 14:21:14
■□今からはじめるモノクロ現像 10本目□■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1390575044/
■□今からはじめるモノクロ現像 9本目□■
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/camera/1313574355/
■□今からはじめるモノクロ現像 8本目□■
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/camera/1289746994/
■□今からはじめるモノクロ現像 7本目□■
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/camera/1264943900/
■□今からはじめるモノクロ現像 6本目□■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1247494002/
■□今からはじめるモノクロ現像 5本目□■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1229865820/
■□今からはじめるモノクロ現像 3本目□■(実質4)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/camera/1185936786/
■□今からはじめるモノクロ現像 3本目□■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/camera/1174110081/
■□今からはじめるモノクロ現像 2本目□■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/camera/1150458513/
■□今からはじめるモノクロ現像□■
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/camera/1138083227/
■□今からはじめるモノクロ現像 11本目□■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1563062924/
■□今からはじめるモノクロ現像 12本目□■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1623976156/
■□今からはじめるモノクロ現像 13本目□■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1631794888/
フイルムがどんどん高くなってフイルムが買えない自慢と言うような空前絶後の面白い時代になってきた。私は25年前のエプソンのデジタルカメラと後は今原稿を書いている。iPhoneの方遅れのモデルをカメラとして使っているから、当面別段困る事は何もない。
フィルムカメラを使わなくなって困ったのは事実であるが、逆に壊れているフイルムカメラでもその存在感が12分に楽しめると言う
境地にフィルムカメラを使わなくなって困ったのは事実であるが、逆に壊れているフィルムカメラでもその存在感が縦に分離楽しめると言う新しい境地に到達したのは、自分でも想像できない。面白いレベルに到達したものだと考えているのだ。
それでフイルムカメラ時代にフィルム消費量=の法則というのがあったので、それを紹介しておく。フィルム消費量=の法則と言うのは、例えばエイト売店で1日10枚撮影した。フィルムの面積と言うのは120フイルムで撮影した10本の面積にほぼ等しい。4 35ミリ版で撮影したフィルムの10本分にも大体同じ面積なのである。
だから、フィルムを撮影したときの満足感と言うのは、このフイルム面積に等しくなる。Etoh売店10枚と言うのは凌だと40枚でかなり撮影したなと言う感覚がそこに生じるのである。
それともう一つ35ミリフィルムで撮影しているときの満足感というかいわゆる36枚撮りフィルムで何本とったから、今日はもうそろそろ撮影を終りにしようと言う感覚である。大体1日に集中して御本撮影すると、今日はもう充分という感じがする。これは自分の作品のために取っているときの最大の本数が御本で満足と言うことなのだ。何か日本酒を飲んでいるときの徳利の数に似ていますね。
ところがアサインメントで撮影すると脇にクライアントとかエリタがいるから、私は気を遣って、1日に30本とか50本撮影するとクライアントもたくさん仕事をしたと言うので、安心してくれると言う。ヘンテコリンな業界の習慣があるのはあれはやめたほうがいいね。
一方で、紀伊国屋書店で売っているオンラインの佃日記は重さは存在しない。値段も2000円しないのである。私の理想の読書のやり方と言うのはペーパーに印刷された。佃日記を枕にして、iPadでオンラインの佃日記を読むことである。その計画はそのまま達成されて、今でもそのように読み方を自分なりにパーソナライズしているのだ。
青空文庫もその意味では大切なオンラインブックスである。私の個展の時に私の熱心な読者の方が私の写真集にサインをもらうと言うので、大きなリュックサックがこわれる位の写真集を持ってきてくださった。誠にありがたい次第である。
そこでいつも考えることなのだが、写真集と言うのはオンラインではダメでペーパーに印刷されたものに限ると言うことだ。よくテレビ番組でタレントさんが自分がペーパーに印刷した本が出ましたと言うのを不自然に宣伝したりしているが、あれは一体どういう背景があるのかな?メディアだったらテレビでもオンラインでも何でもそれで良いと思うので、彼らはペーパーに印刷された出版物をステータスと勘違いしているようなところがあるのが面白い。
今描いているオンラインのノートにしてもそうで何かペーパーに印刷された本がノートから出版されるとそれが偉い人と言うような扱いになっているのが開発途上国だね。
それでこの手前にあるウィーンモノクロームセブンティーズと言うタイトルのハードカバーの写真集であるが、これはなかなか複雑な仕掛けがあって、1970年頃のワルシャワビエンナーレのカタログと言うイメージで制作した。その頃私などは東ヨーロッパで印刷される印刷物のクオリティーの低さが、逆に素晴らしいと理解していたのである。
それで1000ページ位のそういうプアーなクオリティーのモノクロ写真集を作ろうと思って束見本を頼んだら重さが5キロぐらいあるのでこれは買ってくれる方に失礼だと思った。それでページ数を半分の500ページにしたのであった。
イルフォード・ジャパン株式会社は、カラーネガフィルム「ILFOCOLOR VintageTone 400 PLUS」とカラーリバーサルフィルム「ILFOCHROME 100」を8月1日(木)に発売する。
いずれのフィルムも対応フォーマットは35mmとなっている。
ILFOCOLOR Vintage Tone 400 PLUS
2023年6月に発売した、ヴィンテージ風の仕上がりを特徴としたネガフィルム「ILFOCOLOR Vintage Tone」シリーズに属するモデル。
今回のモデルでは、従来のヴィンテージの風合いを残しつつ、各色の高濃度部から低濃度部までの色再現を改善した。そのため、濁りが少なくすっきりとした描写が得られるという。
感度はISO 400。処理はC-41現像。
製品ラインアップ
※価格はいずれも想定市場価格
24枚撮り:1,760円
36枚撮り:2,100円
36枚撮り×3パック:6,610円
それでウィーンの言葉はドイツ語であるのだがかなりフランス語的ななまりが付属してリエゾンがあると言う不思議なドイツ語になっている。
夜行列車がパリの東駅に到着して最初に歩き出すと出会うのがこのキャナルである。その影響で50年以上この辺の安ホテルに宿泊することになった。もっとも仕事では取材と言うことでパリの五つ星も体験したけれどやはり理想からすれば星は少ない方が楽しめる。
北ホテルのすぐそばにあるこの橋の上から写真に写っている手前の端を撮影するのが楽しみであって、ご存知のようにこの橋は船が通行するときに浮き上がって旋回するのである。まず最高のパリ見物のモチーフになる。
プリント制作は1980年。ザルツブルグカレッジで写真を教えていた時にそこの宮殿に宿泊していた。ダークルームにはイタリア製のダストの1番安い引き伸ばし機があったのでそれでプリントしたらなかなかのクオリティ。
その時プリントした200数十点があるがこれはコレクションになっている。ネガフィルムは紛失してしまったのでエディションは1と言うわけだ。
人間の目(脳)は、「光の強弱がある環境」でも「明るいところと暗いところの差が激し」くても補正しますが、デジタルカメラなど機械的なビジョンセンサーでは、そのような都合の良い(脳を騙す)機能がありません。
そこで、現像ソフトを用いて「光の強弱がある環境だと、明るいところと暗いところの差が激しい仕上がりになってしまい、一部の人の顔が暗すぎたり明る過ぎたり」するのを、AIを使って補正しましょう。
現代写真術では撮影だけで完結せず、後でコンピューター上で補正して良い仕上がりにするのが必須です。
そのため、あとで補正するためにダイナミックレンジの広いカメラで撮影することが大事なのです。
そうすればポスト作業でどうにでもなりますし、ストロボなどの必然性もなくなります。
ぜひ一度お試しくださいませ。
「一部の人の顔が暗すぎたり明る過ぎたり」するお悩みを解決できます。
2.5キログラムの重さで1000だけ印刷して完売して、最近では探している人もいる。私のウィーンモノクロームの写真集である。
この写真集も自分でセレクトしたのではなく、デザイナーさんにお願いしたのでいい感じに仕上がった。内容もそうだけど、自慢できるのは表紙のすぐ裏側つまり見返しである。銀色の髪にブラックですってあるのだが、ウィーンのアパートメントに所狭しと並べた写真とニコンSPを構える。私の写真が並んでいる。
考えてみれば、これが1970年代の私のウィーンの写真生活の現実であった。
滞在の極初期の頃だから、まだライカの引き伸ばし機が買えなくて、ウィーンの西駅のすぐそばにある。カメラ屋さんで木の箱に入った携帯式の引き伸ばしと言うので、これらのプリントは制作されたのである。
ライカの引き延ばしほど優秀ではないが、これはこれでそれなりのプリントができたので満足。
この写真館のカップルの結婚式の写真がいかにも60年代から70年代の時代背景だなと思って見ていた。そしてライカで撮影をした。70年代的だなと言うのは、その当時は非常にも旦那スタイルという意味である。それが50年経過したら、懐かしのノスタルジーになってしまったと言うところが面白い。
私の結婚式の写真は東京カテドラルで撮影したのだが、うちの神さんは写真に撮られるのが嫌いで、写真屋さんが組み立てカメラで2枚撮影した。その2枚ともシャッターが開いた瞬間に目をつぶっているのである。写真屋さんはそれを小さな筆で目が空いているように直すから、たまに見る私の結婚記念写真は全く知らない女の人が脇に座っていると言うわけだ。
ご質問を拝読する限り、日々「作品制作」をなさっているご様子ですが、これをまとめて紙の本とKindleの両方で出版し、できれば個展も行いましょう!
あらゆるクリエイターにとって、最大の転機は受注から脱却し、自分の作品を世の中に出すタイミングです。
このチャンスを逸すると、いつまでも日雇いが続きます。
「物を減らし人間関係を整理して」、「ヤンキー的なノリや飲み文化」や「芸能系の仕事や付き合いを完全に整理し」た現在、ご自身の作品を世に問う機会が訪れています。
「仕事が落ち着く」いまこそ、千載一遇のチャンスだとお考えくださいませ!
ニュースイッチ by 日刊工業新聞
各社が独自性追求、既存ファン深耕・新規開拓
国内カメラ各社が新機種を相次いで投入している。キヤノンは注力するミラーレスカメラブランドの「EOS Rシステム」から初のフラッグシップ(旗艦)モデルを11月に発売する。ニコンや富士フイルムも独自の機構や機能で差別化を図り、リコーは21年ぶりにフィルムカメラを開発した。プロから初心者まで各層がそれぞれの楽しみ方を追求できる多様なラインアップを各社展開しており、カメラ市場の活性化に期待がかかる。
2つ目は、ペリカンの万年筆とインクとフィルムカメラがその当時の唯一のコミニケーション手段であったと言うことをちゃんと記憶しておきたいためだ。こういう言い方をすると不思議に思うかもしれないけれども、これはインターネットが登場する。何十年も前の人類がみんな使っていた通信手段なのである。
1976年からヨーロッパを巡回した日本人の写真展覧会にしても、奥のほうに写っているエアメール様のライスペーパーに用件を書いてエアメールで日本に送ったのである。電話等はすごく高価だから使った事は1度もなかった。そういう今から見ると、稚拙なコミュニケーション手段で、3年間の写真展のスケジュールは全部予定通り行われたのだから、万年筆で陰気で書くと言うのもそれなりの優れたメソッドであると思う。
良い写真へのアドバイス。テーマを決めて撮影をすると言うのは、目的のものに対する価値観で全てが決められているので、とんでもない方向違いの表現に行く場合もある。
偉大な写真家が求めているものはアルフレッドスティグリッツであれウォーカーエバンスであれ、ロバートフランクであれ、リーフリードランダであれ、みんなストリートフォトグラフィーが基本の基本になっている。ストリートに出て珍しいものを探すと言う意味ではない。
写真家が新しい空間の哲学の構築をそこに発見してそれを見る人に伝えると言うことである。ここで最も重要なのは優れた写真家がキャプチャーした空間構造を理解するためには、その受けてのほうもかなりのレベルの視神経と空間構造への認識を最初から持っていなければならない。
大阪芸術大学で12年間写真を教えて。私が痛感したのは優れた写真表現者になるためには、写真の技術を磨くより写真を見てその空間構造を認識すると言うこちらの方がはるかに大切であったと言うことだ。
写真に対する才能のない学生さんはいくら教えてもだめである。大阪芸術大学で私は写真教育不可能を教えてもらった。
墨田区の裏街を歩いていて、細い道からちょっと大きな道に出るときに直感的に感じたのは風景が鋭い角度になっているなということであった。そう感じる以前に私の右手の人差し指は自動的に動いて、そこでこういう空間構造がキャプチャーされたと言うわけだ。
画像が形成されてから観察すると、左側に見えるポカリスエットなども意外性を助長していて面白い。カメラは、ニコンのレンジファインダーで2.5センチの広角レンズ。
35ミリカメラの内部にフィルムカッターが装填されていると言う事は、フィルムがこれだけ高い時代になってしまうと知らない人からすれば、これは大切なフィルムを撮影の途中で切断して何度も使うようにするためのアイディアではないかと思われたりするのである。
35ミリフィルムカメラの歴史を考えてみると、ライカカメラの場合は36枚撮影したフィルムを巻き戻して使うというのが操作の基本になっていた。それに対してコンタックスはもちろん巻き戻しもできる。けれども、コンタックスに形になってから考え方が変わって、カールツアイスはダブルマガジンを推奨していたようである。これだと1度巻き取ってしまうと巻き戻しは必要がないから時間の節約にもなる。
その他に、当時のコンタックス用のフィルムで120フイルムと同じように、フイルムの前と後にBlack ペーパーを巻きつけて巻き戻しを不要にしたフイルムも提供されていた。それを使うときはまずフイルムカウンターの28のところに印が付いているので、フイルムのリーダー部分を想定したら28コマ目から撒き始めて1になるとフィルムの最初のコマが出ると言う仕掛けになっている。
このメカニズムはそのままロシア製のコンタックスにも受け継がれていて、本来の目的が失われたのにポイントだけが残っていると言うわけだ。
写真のイラストはロードカメラの初期のモデルのフィルムナイフである。私の先輩の朝日新聞の写真部長さんなどは現場に行く時に伝書鳩さんを連れて行って撮影した。フィルムはこのフィルム買ったで短く切ったのをアルミのコンテナに入れて、伝書鳩さんに持って帰ってもらったと言う話をなさっていた。すなわち当時の最も進んだプレス写真の最前線。インターネットで原稿を送るなんて格好悪いよね。
オーストリアのグラーツにフェスティバルで大写真家が来た時はこちらも頭がへんてこりんになっていたので、トランキライザーを飲んでから会いに行った。気さくなおじさんと言う感じでよく接してくれて、私の写真集のポートフォリオも見てもらった。神様にポートフォリオを見てもらうなんて大変なことだよね。
その後ウィーンであったりした。日本に帰っては山岸さんの関係で何度か東京でお目にかかることがあった。その中で1番おかしかったのは、六本木のお寿司屋さんで山岸京子さん達と数人で飲んでいて、お勘定の時に私の割り勘分の10,000円が払えなくなったのである。その日は現像所で50,000円位の支払いをしていたのでそうなった。そしたら大写真家が俺が立て替えておくよと言うので恐縮してしまった。
しかし外国の写真家には、その次会って返すチャンスがあるか、どうかわからないから、一緒にいらした 日本の大写真家である。有田さんに立て替えていただいた。そのお金はちゃんと返したと記憶している。その当時は有田さんとは結構付き合いがあって、六本木の仕事場にもお邪魔していたのである。
この写真を撮影して 半世紀が経過したので、リーは元気かなと言うので、チェックしてみたら90歳のいいじいさんになって元気そうなポートレートがインターネットにあったので安心した
ところで、リーと言う名前は不思議な名前で、私にはグリコの例の辛いカレーの事だと思ってしまうのである。
黄色い路面電車にはまってしまってそれから50年近くノスタルジーを感じてリスボンの黄色い電車を見に行ったりしているわけである。街の1番低いところから急な坂で東にカテドラルの大阪まで上がってそのさっきヨロヨロと会ってくる黄色い路面電車がこのような二股の風景に出会うところが極めてフォトジェニックである
1980年に街中の中古カメラ屋さんで買ったフランス製のFocaと言う35ミリカメラに最初のフィルムを入れて同じ光景を撮影した。それから40数年経過して撮影したのがデジカメで撮ったこのショットである。
50年近く経過したタイムラプスで何も変わっていないように見えるけれども、よく観察すると樹木が半世紀分だけ高くなっていると言うのは思い込みではなくて事実だと思う。
富士フイルムがまだモノクロ写真に力を入れていた時に、1980年に撮影した最初のショットを藤野モノクロの広告に利用した。競合相手のドライEXで撮ったのですと説明したら、広告の部長さんがそこら辺をよく心得ているから、それは別に問題ありませんと言うことでなかなか大人の対応など思ったのである。
時代は16ミリ映画の時代になって、テレビジョンはまだビデオが登場する前だから小型で軽量な取り回しのしやすい。しかもテープレコーダーとの同時録音で音がしない。カメラというのが求められた。そこで登場したのがエクレールノイズレス。ポータブルレフレックスカメラである。
2本ターレットのカメラで通常のコンフィグレーションでは、12ミリから120ミリのズームレンズが付いていて、もう1本は10ミリの広角レンズと言う使い方になっている。もちろんレンズは自由自在に交換できる。
1960年代の多くのドキュメンタリームービーの撮影に使われるタフなカメラであった。それでよく覚えているのは原子爆弾に対抗して、それにプロテストするために、人々が路上に横になって死んだふりをして抗議の意思を表明するプロテクトの行動があった。60年代から70年代の市民の抗議運動と言うのは実に激しいものである。その様子を取材している。カメラマンが持っていたのがエクレールカメラであって、ディレクターがその脇に付き従って、彼が手にしているのは、2つのここで見るような400フィートマガジンなのである。
今のビデオの時代と違うから400フィートマガジンを装填した。エクレールのフィルムカメラは10分しか撮影時間がないのである。そこで映画のディレクターがカメラマンに付き従ってバックアップ用の日本の400フィートマガジンを持っていると言うのは、まさにプロテクトの抗議の意思にふさわしい。これでトータルで10分で3本だから、30分のムービーが撮れると言うわけだ。
いつも思うのであるが、ムービーフィルム時代のカメラマンは、フィルムの長さに対する考え方が極めてプリミティブでフィルムの長さを重要に考えていたところがある。今のように6時間ビデオで撮影しっぱなしと言う時代では無いのだった。
大写真家東松さんにヨーロッパを巡回する。写真展示のお願いをしたときに大写真家はこんなことを言った。それは大変だよ。Tanakaくんね。顔出すだけで数日間はかかるんだよね。
これが真実なのである。なかなか狙ったネガフィルムがいっぱつで出るものではないのだ。私はそれほどではないが似たような体験がある。契約したギャラリーで写真が売れたりすると、ギャラリーオーナーとよく話すのであるが、最初のエディションの1つまり展示している作品が売れればそれはありがたいのだが、注文が同じショットに集中してしまうのである。そこのギャラリーとの契約では1つの写真はエディション中まで制作することができるが注文が集中してしまうのはなかなか面倒なのである。
それでこのワンショットのワクワクするような女の子のスナップショットであるが、何しろ2000本以上お願いがあるのを片っ端から見てついに発見することができなかったので、購入予定の皆様に深くお詫びをしたことがあった。本来の整理不足ということがあるから、私の責任なのだけれども、せっかく注文してくださった皆様とギャラリーには申し訳ないことだと思っている。
そこで面白い状況が発生してくるのは、解像力はこのように非常に低いけれども、これだけの画像を見てもらえば私が言わんとしている発見できなかった。寝顔の写真がどういうものであるかと言う事は皆さんに理解していただけるのである。という事は、この作品の存在と言うのは、世界に認知されているわけだ。
ただし、オリジナルヴィンテージプリントと言うことになると、私のウィーン時代の2000本のネガフィルムから捜索しなければならないと言う別のファサードがそこに構築されてくるからトラブル続きと言うわけです。
ウィーンに暮らしていた時もそうであるが、撮影の時に28ミリレンズ1本だけということが多かった。28ミリレンズは私の視神経に合っている。それでいくつかの顔を越えて谷を越えてプラハのサッカースタジアムの脇を通過して、さらに南に歩いて、路面電車の11番の南の終点あたりまで歩行したのである。
いつも歩行しながら撮影をしていると、楽しい時ばかりではないが、この秋の日の午後は実に快適な撮影ができた。まぁそういうこともたまにはあるのだね。
その時の撮影はモノクロフィルム5本だけであったのだが、これが打率が意外と良かったので、その翌年に京橋のアイランドギャラリーで写真展を開催したのである。いつもならゼラチンシルバープリントというところだが、その時はわざとデータをスキャンしたのをデジタルプリントにして展示販売した。
時代が変わってきているから、何が何でもゼラチンシルバープリントでなければいけないと言うような時代は既に過ぎ去っているようなのだ。快適なプラハの日の午後に楽しみながら散歩をして撮影した。5本のフィルムで展覧会と言うのは理想のそして同時にちょっと奇跡な撮影散歩だった。
トップコールレンズと言うのは不思議な存在感でよれよれに使い込んだものがある。それは私が日本カメラから出した3冊のカメラ分の1番最初に触れたことなのであるが、要するに航空母艦の上でぶんなげられていたとしか思えないような大変なエネルギーがカメラやレンズを表現しているのである。
フィルムカメラに加えられた外部的圧力と言うものは、例えばわかりやすく言えば、ブラックライカの角が禿げているようなものだが、そこに美学を感じると言うのは、デジタルカメラの美学の尺度では存在しないものなのだ。
トップコール35ミリの非常に汚いのはガラクタ屋さんから同時に2本買ってきた。それも前期型と後期型であって、前期型は毎回自動絞りのレバーをセットする必要があるが、後期型はシャッターボタンを押すと絞りが絞られるようになっている。
その2つが両方ともひどい程度であって、そこが気に入って日本同時に手に入れた。それでこのレンズで非常に程度の良いライカモノクロームで、バスの中から東京の写真を撮った。これはロバートフランクの作法の真似なのである。
そのガラクタ屋さんで手に入れた。日本の35ミリレンズの程度はひどいものであって、両方ともフォーカシングは全く動かない。しかしありがたいことに。どちらも5メートルとか10メートルのあたりでフォーカシングがフリーズしているから、そのまま通常の街中の撮影に使えるのである。
それで結構良いショットをバスの中から取ることができた。そこで考えるのはライカモノクロームで撮影したのはデジタル映像であるから、ゼラチンシルバープリントで制作した。いわゆるオリジナルプリントはちょっと方向が違うのではないかということなのである。
しかし、そこら辺の業界上の区別、アイラナ我々そんなに神経質になる必要もないような気がする。しばらく前にライカエフで撮ったモノクロームのネガデータをスキャンして、デジタルプリントにして、京橋のアイランドギャラリーで写真展を開いたこともあるからだ。
心の迷いやゆらぎは、ご質問者に限らず僕とて同じで、だからこそ日々の食事に気をつけなければいけません。
また、迷いを払拭するため、日々走るもしくはファストウォーキングなどを積極的に行うことも大切だと何度かお伝えして参りました。
その際のコツは、心拍数を高めること。
一般的に220 − ご年齢の80%まで心拍数を高めて走ったりファストウォーキングをそれなりに続けると、頭を使う余裕がなくなり、煩悩が払拭されるんですよ!
時間は個人によっても異なりますが、もうダメだと思ってから、あと5分頑張って先に進むと、それなりに頭が真っ白になり多くの煩悩が払拭されると経験上思います。
このためにいつもより1時間早く起きることが大切です(ここ、ポイント!)。
まずは、早起きして、外に出てみると、絶対にそれまでと違った感覚を得られます。
気がつくと「欲」や「言い訳としてのストレス」に流されなくなりますよ。
ご自身で作った「パターン」から脱出しましょう!
出来れば明日の朝から。
いい写真とは??高解像度??滲みレンズ??人それぞれですが、自分にとっては、感激する写真です。
同じようなご質問を多数頂戴しまして、『FUTURE OF SPECIALITY COFFEE』の写真は当初からあのフォーマットにしようと思ってたんです。
縦横の比率で言うと1対2.39。
いわゆるシネマスコープと言われるサイズで、コーヒーをめぐる冒険を追いかけるドキュメンタリー映画のような本を作りたかったので、あのサイズになりました。
また、「写真は通常の撮影後にトリミングした物」で、「最初からトリミングすることを考えた上で撮影」しました。
カメラ画面に近いグリッドも出しています。
もちろん白黒にして「銀残し」のような特別な印刷方法を使ったことも「写真がすごくいいな」とお感じの要因になっていると思いますが、クリエイティブと言うのは最終アウトプットが大事で、そのための総合力が問われる仕事です。
どんなに機材が良くてもその後のポストプロセスや印刷技術を理解していなかったら、最終的に書籍を手に取ったときに「熱」のようなものを感じません。
もしくは、すべてにおいて一環してなければ、「気」のようなものが伝われない(通らない)と言い換えられるのかもしれません。
ちなみに、本書の僕なりのコンセプトは「苦くて華やかな未来の思い出」でした。
格段「モノクロ写真をつくる時に意識している」わけではありませんが、モノクロ写真は言葉では言い表せない不思議な時間軸があります。
ですので、テキストにしてしまうと時節がおかしい「苦くて華やかな未来の思い出」のような文言になってしまいますので、写真を多用した次第です。
もし、テキストだけでお伝えできるなら、そのような本作りにしたと思いますが、テキストだけではお伝えできないと思って、あのような1.4kgの書籍になりました。
新時代の「ヘルムート・ニュートンのような」ご活躍を楽しみにしてますね!
プレイヤーは、長年Audirvanaを愛用してまして、これにEQ(Fabfilter)などのプラグインを入れて、環境によって調整しています。
また、Djay Proにストリーミングを流し込む時もTIDALです。
なぜなら、Apple MusicだとSTEM(Neural Mix)できないからなんです。
Spotifyは、音質の問題から随分前に辞めました。
エプソンのレンジファインダーカメラは、ライカム鉢売りも数ヶ月早く登場したということで、完全にライカの面目を潰したという功績がある。
20年ほど前にエプソンのこのカメラが出るときにいろいろお手伝いをしたのは面白かった。写真集を出して写真展もやって、当時は日本カメラ賞がまだ東京ビッグサイトでやっていたのだけど、その時坂崎幸之助さんと対談もやりました。
今ならデジタルカメラにあと得られるレンズが漬けられると言うのは当たり前なことになっているが、20年前はそうではなかった。ライカマウントのレンズが漬けられるデジタルカメラと言うのはこのエプソンが1番最初だった。まだリアルビューファインダーにはなっていないけれども、リアルビューファインダーになったことによって写真を撮ると言うレベルが大幅に低下したのだから、このデジタルカメラは普通のレンジファインダーシステムで充分なのである。
20年ほど前にこのカメラで撮影した写真集を作るために、夏と冬にヨーロッパを旅行した。その時は戦前のライカのレンズとかいろいろ持っていったのであるが、結局そういうのは表面的な興味に過ぎなくてちゃんと映りますよと言う。今のデジタルカメラレンズ交換症候群の連中と同じになってしまうから、それはやめました。
結局落ち着いたのはエプソンに12ミリのレンズをつけることだ。フルサイズだと18ミリ相当になる。それで面白がって使っていたのであるが、ある時モノクロモードにしたら新しい発見がもたらされた。
何が発見家と言うのはなかなか説明が難しいのだが、その場所の存在感がカラーよりモノクロの方が強烈に浮き上がってくると言うことなのだ。これは1日で撮影した十数点の作品であるが、それを時々紹介していこうと思う。
東京の公園に私が興味を持つ理由と言うのは、ヨーロッパの公園は規模そのものが非常に大きくて公園に入ってやろうと言う意気込みで公園に入ってしまうから、一旦公園に入ってしまうとそれ以上の刺激は無い。
ところが、日本の東京の公園と言うのは、街歩きをしているときに、いきなり予告なしに抜き打ち的に登場するのである。それでそういう公園に出会って、公園の真ん中に白樺の不思議な存在のある樹木が立っているとそれなりに感動したりする。
この場合よく我々の間で問題になるのは最初からカラーでとっておいて、モノクロにしたいときにモノクロに変換すれば良いのではないかと言う質問である。しかし私はこれには反対だ。何と言うのかカラーでとっておいて、後でHopeモノクロにすると言うのは、そこに人間としての節操のなさみたいなものを感じるのである。
フィルム時代の最後のほうの職業カメラマンで、特に報道関係者はいつも二台のカメラを持ち歩いて1台はカラーフィルム。そしてもう1台はモノクロフィルムが入っていたと言う。これの方が確かにモチーフに対しては真面目であると言う感じがするね。
駐車場と言うのは走っている。車を取るよりもジェニックな感じがすると言うのは以前から私が考えていたことである。黄色いスバルというのがあって、これは友人のマンションの近くにいつも駐車しているスバルであるのだが、なぜか黄色塗装されている。
同時に、この黄色いスバルは宇宙船であって、友人の焦点した猫ちゃん達が月に行く時に使うロケットでもあるのだ。
それで黄色いスバルが好きで、時々早稲田のこの場所に見に行ったりしていたのであるが、ついに黄色いスバルはなくなってしまった。この画像ではグレーのスバルになっているが、モノクロモードで撮るとイエローがグレーになってしまうと言うところも大変なアドバンテージである。
でも、楽しいですね。大判やられてる方、もしくはやっている方、撮影にあたってアドバイスがあればご教示お願いします
恐竜の皮膚の感じを表現するための素材を何にするのかから始まって、リアルな動きにするための骨組みの構造をこうしてみようとか、塗料の種類や塗装法を工夫したり、という作業になります。
私は今、リアルな撮影が難しい「四足動物の歩行」ショットを楽に撮影するための、撮影用歩行装置の新しい試作品を作っているところです。
試行錯誤を重ねながら、今までにも数パターンの試作機を作っています。
こういった、回りくどい装置の工作は、CGに比べてはるかに効率が悪いかもしれません。
でも、最近感じることがあります。
映画作りには「映像」が必要で、その映像は効率よく手に入れるに越したことは無いはずなんですが、そこにCGというブラックボックスが入ると、途端に魅力が半減することが多い、ということです。
CGのように、「この選択をして数値をこうすれば質感や動きがリアルになる」という、ソフトの仕様としてのブラックボックスに頼るのではなく、その工夫も仕組みも、メイキングの現場を見ればタネが分かる、アナログ特撮の方が、作る方も見る方も、満足度が高くなることが多いと私は感じます。
これは、もしかしたら私の創作レベルがまだまだ低いせいで、「映像をどうやって作るか」にこだわっているだけとも思えます。
自分が発想した「物語」を形にするという、高い視点に立てば、映像をCGで作ろうがアナログ特撮で作ろうが、そこに差は無いのかもしれません。
そもそも、その高い視点で映画作りを目指している人は、初めから映像づくりの手法の話には興味がないと思います。
効果的な撮影効率化の工夫はいろいろあると思うんですが、もっともシンプルで実用的と思われるのが、「高精細の映像で撮影することでアップ撮影を減らす」というものです。
例えば、胸から上が映っている「バストショット」を撮影して、次に「顔のアップ」に切り替えるという事があります。
もちろん、出演者の表情を強調するためにアップにするんですが、この部分の撮影を効率化する案です。
撮影はシンプルで、4Kや8Kといった高画質の設定で「バストショット」のみを撮影して、アップは編集時に映像を拡大して作ります。
理論的には、4K撮影の場合、2倍まで拡大しても画面は荒くなりません。
これは、撮影としてはもちろん邪道の類でしょう。
「そんなの映画撮影じゃないよ」
と批判する人も多いと思いますが、正直、少しでもスケジュールが短縮できて、観客にとって退屈せず見やすい映像になるメリットの方が大きいと私は思います。
編集時に拡大できるという前提に立つと、撮影時、「もうちょっとアップにしようかな、いや引きの方がいいかな」となったときに、迷わず「引きの状態で撮影しておこう」という選択が出来ます。
私は「念のために両方撮っておこう」という質なので、結構、無駄な繰り返し撮影を良くしていました。
今振り返ると、「明確なNGではないのに何度も撮り直す」というのは、本当に意味のないことだったと実感しています。
それを無くすだけで、もう少し余裕のある現場で楽しく撮影できたのに、とちょっと後悔しているんです。
や、被写体としての藤田にもフォーカスをあてて展示をしています。
エコール・ド・パリの寵児と言われた藤田嗣治は、当時ピカソより
早く注目を集めたと言われています。
その大きな理由のひとつとして、ヨーロッパを席巻したジャポニズム
にも上手にのり、おかっぱ頭にちょび髭をはやし、着物でパーティに
登場するなど、セルフプロデュースも上手にされていたと思われます。
何より、言葉が苦手な日本人の画家の中で、フランス語と英語を話す
藤田嗣治はパリの人気者となりました。
猫をモデルとして多くの絵画を制作された藤田ですが、猫と一緒に
ポーズをとる写真が、本展覧会のポスターに採用されておりました。
藤田嗣治の猫好きは有名で、「猫は野獣性と家畜性と二つの性質を
持っているので、そこが面白いと思う。」という言葉を残しています。
異国の地で孤独と戦いながら、希望を失わなかった藤田が猫に強く
惹かれたのもわかる気がします。また藤田は旅を愛し、旅先でも多く
の写真をとり、その写真をもとに細部を切り出して画面を構成して
絵画作品を構成していったことも、よく知られています。
藤田嗣治にとって、写真はとても大切なメディアであり、森村泰昌氏
のように、セルフブランディングの主題としてセルフポートレートを
多く撮影しており、メディア戦略の一環として写真を上手に利用して
います。
写真というものが世の中で出回り始めた時代に、それをいち早くとり
いれて、画家でありながら写真家ともいえるような写真を多くとり、
自分を売り出す道具としても写真を利用していることから、藤田の
作品の鑑賞を今回の展示はより楽しいものにしていると思います。
藤田の作品を理解するのに、藤田のとった写真、被写体としての藤田
を同時に拝見することは、藤田作品の理解を深くしてくれると思います。
けれども、今の写真を取り巻く状況を思えば、「真を写す」こと以外に、果たして写真が生き延びる道があるのだろうか。
日本人が持つこの独特の嗅覚、未来を見越すような感性の鋭さには、脱帽させられてしまう。
関係であることはご存じだと思うのですが、西洋絵画が入ってきた
黎明期の日本において、そもそも西洋の油彩画では動物を主題に
作品を描くことが殆どなかったという事実は、今回の展覧会まで
存じあげませんでした。
パリで初めて評価された日本人の油彩画家である藤田嗣治は東京
芸大で学んだ時に、日本画の手ほどきもうけておりますし、沢山
の古い日本の美術も鑑賞されてこられたのだと思います。
江戸時代の丸山応挙や若冲など、日本の画家たちは好んで画題に
犬や猫、にわとりなどの動物を描いてきておりますが、西洋絵画
において当時、動物を主題にしたり、藤田のように頻繁に動物を
人物とともに取り上げる作家はいなかったのだそうです。
府中市美術館のこの展示を拝見するまでこの視点には気が付きませ
んでした。言われてみればそうかな、、、という感じです。しかも、
府中市美術館によると、藤田が日本人として評価されるポイントと
して、西洋絵画の常識である、人物、静物、風景を中心とする画題
の選び方に対して、猫を題材として絵画に頻繁に登場させる事自体、
挑戦的なことであり、それを西洋画壇に受け入れてもらったという
事実は画期的なことなのだそうです。そして藤田がパリで受け入れ
られるようになってから、西洋の油彩画で動物が登場するようになった
ということですから、藤田嗣治の業績は改めて偉大な事なのです。
もともと、イソップ物語のように動物に擬態させるお話はあるのですが、
絵画の世界で、西洋で流行させたのが藤田嗣治までいなかったという
のも、少し不思議な気がします。
まずは列車内の映像を撮影する必要があります。
これは、何度も行ったことがある公園の一角で、野外展示されている「ブルートレイン」の車両を使いました。
車両内には自由に出入り出来て撮影も出来るので、他の人がいないタイミングを見計らって、色々な角度から車内の写真を撮っておきます。
このあたりは感覚的なものもあるんですが、オーソドックスな映像として使う「構図」には、一定のパターンがあるので、「使える構図」の種類はそれほど多くないんです。
誰もいない車両の中で、「ここに人物が座っていたらこっちから撮るだろう」と思いつくパターンを、出来るだけ効率よく撮影していきます。
効率よく撮影するコツは2つあります。
一つは「高画質で広めに撮っておくこと」です。
これによって、「少しアップ気味の映像撮影」は割愛できるんです。
編集時、画面の中で拡大すれば済むからです。
もう一つのコツは、撮影を「静止画」でなく「動画」で行うことです。
人物を自然に合成するためには、背景と人物の角度が合っていないといけません。
想定した背景に合うように注意しながら人物撮影は行うんですが、所詮は撮影済みの背景写真とカメラのモニターを見比べながらの、目分量の撮影です。
これは、低予算作品の場合、1日の撮影量を多くする必要がある関係で仕方ありません。
そうすると映像編集時、「背景と被写体の角度がちょっと合わない」という事が起きるんです。
「背景をもう少し横から撮っておくべきだった」とか「もう少し上から撮るべきだった」とかという「ズレ」です。
このズレを体験すると、微妙に違う角度でも背景を撮影しておくことの有効性を実感するわけですが、その時に、撮影を動画モードにしておけば、例えば「真横から正面まで」という一連の撮影が出来るわけです。
編集時、人物と一番フィットする角度になる瞬間の静止画を書き出して使用することが出来るので、失敗が減らせます。
全てにおいて高水準の技術者集団が揃っている、プロの商業作品と違い、私たちが趣味として見よう見まねで行う映画作りでは、大前提として技術力がありません。
だからと言って、プロのスタッフを雇って働いてもらうことは出来ないですし、仮にプロに作ってもらったとしたら、ちっとも楽しくはありません。
そもそも、その「見よう見まねの活動」自体を楽しむのが趣味の映画作りなんです。
大事なのは、優先順位と気付いてください。
映画である以上、映像品質が最優先と思ったら危険です。
私は、「作品を完成させる調整力」が最優先だと思っています。
さらに言うと、観客に鑑賞してもらうためには、低品質な音声から来るストレスを減らすことが、映像品質より大事だとさえ思っています。
次には、観客を退屈させないカット割りのテンポも優先度が高いと考えます。
そう考えると、私たちが手掛ける低予算作品においては撮影条件がかなり限られてきますから、「照明」という要素は、あえて優先度を低くするという選択も考慮すべきです。
せいか、多くの方がいらしておりました。日本の名所を近代の大
作家の速水御舟や東山魁夷といった方から、現代作家の山口晃
の描かれた作品を拝見することで、この景色に会いに行こうと思わ
せる展覧会でした。
以前にも拝見しているのですが、定位置に奥田元宋の奥入瀬(秋)
が今回も気になりました。紅葉の風景が描かれている大作です。
大作だからでしょうか。景色に包まれるような感覚になり、いつま
でも拝見していたい気持ちになる作品です。絵には魔力があるよう
で、この奥田元宋の作品は夢にもでてまいりました。
今年は難しいかもしれませんが、死ぬまでには必ず行ってみたい
場所の一つになりました。
山口晃さんの東京圖1・0・4 輪之段 という作品は、まるで
地図のような作品で、圧巻でした。あまりに細かくて、細かな所
まで確認しなかったのですが、好きな人にはたまらなく楽しい作品
なのだと思います。多くのマニアが並んでみておりました。
私自身は最近、老眼が進んだこともあり、色とか大きなものを描いた
作品に惹かれるようになっています。その中で、次に気になったのが、
山口華楊の木精です。北野天満宮の大樹であり、大樹の根が複雑に
絡み合っているのも、とても神聖な気持ちにさせてもらいました。
京都の北野天満宮には何度も行っておりますが、改めてこの大木を
探しに行きたいと思いました。