【中判】LINHOF Super-Technikaのスレッド【6x9】最終更新 2024/11/10 05:581.名無しさん脚W9xXxcgT三重苦(重,高,大)の古典的カメラ,リンホフスーパーテヒニカ6x9のスレッド。融通の利かないドイツ製の金属カメラに愛の手を。(ボーッとしてたら落ちたので再掲します。はたして生き残れるかな。)出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/15960228332020/07/29 20:40:3379コメント欄へ移動すべて|最新の50件30.目のつけ所が名無しさんAdPnkピンマイクは、TENTACLE TRACK Eというポケット・レコーダーを使用しています。装着は、マイク含めて小型なのでお相手の服の中にしまっており、収録中にモニタリングはしていません。32ビットフロートで録音すれば、絶対に音割れしないからです。あとは、カメラに載せた「ECM-B1M」も使ってます。録音用の「機材・環境」は、これだけです。また、「カラーグレーディングやカラーコレクションの環境」は、MacBook Pro(M2)と、ソフトウエアはDavinci Resolve(4万7980円の有料版)を使用しており、「カラーグレーディング」以外にも編集からサウンドエディット等のすべてのポスト・プロダクション作業を、これだけで行っています。ちなみにアクセントで使っているドローンショットの大半は、「DJI Mavic3」です。あとはSONYのαシリーズのカメラとレンズがあれば、もうこれだけで劇場公開映画が作れる時代なんです。それゆえ、「映画制作の民主化がはじまった」とお伝えしている次第です。3年前には考えられませんでした。いい時代になりましたね。2024/01/05 18:09:3131.目のつけ所が名無しさんK1DAJシートだと1枚づつ現像方法変えられるのでイイですよねー🤤2024/01/06 14:21:0932.目のつけ所が名無しさん0h7E11980年代の初めに、ニューヨーク近代美術館にアメリカの写真を研究しに行った頃には、まだいわゆるニューカラーの連中が新人であった。それで私も影響を受けて、8 × 10インチの大型カメラでマンハッタンの撮影を開始した。ところがコストがかかりすぎるので、当時の文化庁からもらっていたお金では何しろ当時のレートが285円だったので経済的に行き詰まってしまう。それで方向変換して8 × 10インチのモノクロフィルムでマンハッタンを撮影した。今思うとこれはこれで良かったと思う。当時のニューカラーの連中は私と同世代だと思っていたら、私が25年前に写真を教えていた渋谷にある写真学校で、今度ニューカラーの有明写真家の講演会をやるらしい。そのインフォメーションビデオを見たら、当時の20代はすでに後期高齢者になっていたのは当然のことだけど、時間経過にびっくりした。ニューヨークのセントラルパークもたくさん撮影したポイントである。ちょうど春の時期でメトロポリタンミュージアムの裏側に、Dogwoodの花が咲きだして、それがなんとも言えなかった。植物の花をその存在感、ありのままに取ると言うのは非常に難しいことであって、ロバートフランクもパリにいて非常に苦労している。この作品は私は大好きなのだが、いつも考えている事は、一般的な好みのモチーフではないなと言うことなのだ。ニューヨークのテーマですればBrooklyn Bridgeとかそういう方がはるかにわかりやすいのである。最近ヤフオクでオンラインギャラリーと言う形でこの時代のプリントを販売している。今までに50点位売れたのであるが、その中にこの作品も入っていて、今までに2人のコレクターがコレクションに加えてくれたのはありがたい。2024/01/07 04:46:4133.目のつけ所が名無しさんSmmr7時々「改造レンズ」で検索かけたりもします😊2024/01/13 15:00:1334.目のつけ所が名無しさん8FZRk私は22歳の大学生です。Instaの映え文化の影響もあってか、同世代は日常的にスマホで写真を撮っています。ただ、おしゃれな写真を消費しているイメージで「写真そのものが好き」というよりも、雰囲気を魅せるためあるいは共有が好きな人が大半な印象ですね。カメラを所有している人は、あまりいませんし、自分のようなオールドレンズ狂いは希少種ですね。カメラを所有している人は大体αです。2024/01/14 09:47:0435.目のつけ所が名無しさんc0NCBその意味で、中判の蛇腹カメラでは75-85mmのレンズなのでFBは65-75ミリ程度ですから問題なく成立するでしょう。2024/01/20 11:29:1036.目のつけ所が名無しさんBjCSd69バックが欲しかったので、ホースマンのジャンクをポチって、追加工して付けましたスクリーンとフィルム面のフォーカスも合致していて、実戦投入です2024/01/23 20:29:0337.目のつけ所が名無しさんjm2t0例えば、高級食パンや、タピオカ屋や立ち食いステーキファミレスや居酒屋チェーンなんかが儲かるのはわかるわけですが私はそういう所には行かないのです。私は、人形町今半とか、道頓堀今井とか居酒屋赤鬼とか、居酒屋山三とか歴史あるこだわりの店に行くことが多いのです。なぜかというと、やっぱり老舗のこだわりの店の方がお客様との関係を大切にしていて品質がいい傾向にあるからであります。また、ホテルも最近は利益ばかり重視の狭い部屋が増えていますが、私は利益最大化を追わない余裕あるホテルを選んでいます。2024/01/27 11:26:3238.目のつけ所が名無しさんwIDbN例の如くカメラ屋に行ってきました。前々から気になっていた大判を始めるか悩んでいます。やっぱり135mmや軽量デジタル機を長年使用した身には厳しいですかね?2024/02/04 11:24:2839.目のつけ所が名無しさんCpHEIまずはストーリーのアイデアを貯めましょう。そして順次、短期間で完成する「オーディオドラマ」を量産しましょう。映画製作にはさまざまな準備があったり、季節的なタイミング、関係者のスケジュールなどもあります。完成したオーディオドラマの中から「条件の合うもの」を順次、映画化していくというパターンを作っておくのもいいかもしれません。「この作品に協力して欲しい」と仲間を誘うときにも、企画書や脚本だけでなく、オーディオドラマがあると、イメージを膨らませやすくなることは間違いありません。「オーディオドラマから映画化へ」というパターンは、その一つの可能性を示しています。皆さんもぜひ挑戦してみてください。私も実践してみます。2024/02/10 12:06:4740.目のつけ所が名無しさん96sRJいいね2024/02/20 11:54:4441.目のつけ所が名無しさんIPtEW進歩の源泉人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、すべてインスピレーションとか感動から始まる。ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。2024/02/23 16:08:2742.目のつけ所が名無しさんdrDrq普段、画廊を経営しておりますから絵を見ることは慣れております。それでも作家の思いを直接伺うことはとても大切です。山田雅哉さんという作家さんがとても素晴らしいことをおっしゃっておりましたのでご紹介いたします。‘僕は日本画の可能性を信じています。日本人として生まれ、日本画は日本の精神性を表すものとして最適な表現方法だと思っています。日本画を描くときは顔料と膠と紙と筆で描いています。その時に僕は日本画は全て自然界にあるもので絵を描いているという事を意識しています。すべてのものに神様がいるという考え方は日本画の世界の中に今でも生きていると思っています。‘確か、こんな感じのトークをたんたんとまだお若いのにお話されていたのがとても印象的でした。銀座柳画廊は油絵の作家を中心に扱っている画廊ですが、今の時代は油絵とか、日本画とか、インスタレーションとか、ミックスドメディアやメディアアートなど、さまざまな表現方法があり、大切なことは、その絵画に込められた精神性だと私は思っています。海外からのお客様が増えた銀座では日本画に興味を持たれる方が多くいらっしゃることを肌で感じています。また、日本画の作家は日本にいながらにして、日本人であることを意識されている方が多くいらっしゃいます。改めて私自身も、山種美術館とのご縁を頂いたことから、日本画についても 展覧会をはじめとして知識と経験を深めようと思いました。山種美術館での公募展では、非常に高いレベルの作品が並んでおり、ここから将来の巨匠が生まれてくるのだと思うと、画商としてはまた3年後、この展覧会には来なければいけないと思いました。美術ファンには、これからの作家を見つける登竜門になると思います。2024/02/24 09:24:0643.目のつけ所が名無しさんPG4Qo山に登るという行為について、思いをめぐらせることもあります。「頂上までひたすら登って、頂上に着いたらまた下る。登って下るというのが登山。でも果たして頂上は必要なのか? 自分が山に登るのは、山道をただ歩くという行為が気持ちよく、その尾根を回り込んだ先に、その峠を越えた先に何が展望できるのかという期待があるからではないからか。だったら頂上は必ずしも必須の要素ではない。ただ歩くだけの登山もあってもいいのではないか。ひたすらどこまでも歩き続け、頂上も下山という行為もない登山……」そういうことをつらつらと考えたりしているのです。たわいないし、とりとめもない思考です。だから直接的に、生産に結びつくわけではない。役に立たなそうに見えます。しかし本当に「役に立たない」のでしょうか。思考には「収束的思考」と「拡散的思考」があります。収束的思考はただひとつに集約していく思考であり、思考の結果として生産があり、原稿や講演といった成果物に結実します。拡散的思考はひたすら広がっていく思考であり、成果物を生み出すわけではないけれども、さまざまなアイデアや発想が湧いてくるものです。わたしが山に登っているときの思考は、拡散的思考です。「山道を転ばずに歩くにはどうすれば良いか」「山頂は本当に必要か」「歩き続けるのはなぜ楽しいのか」などのとりとめのない思考が次々に湧き出しています。それらは決して収束しないので、そのまま原稿などの成果物になるわけではありません。しかし、いずれは成果物に結びつくかもしれない、さまざまなアイデアの泉にはなっているのです。2024/02/28 15:09:0444.目のつけ所が名無しさんUYrad純粋に日本に生まれて、育ててくれた日本の事が大好きだとおっしゃる福永先生にとって、今回、初めて描かれた富士山は、今まで畏れ多くて描けないと思っていたのを、今回の展覧会では「描かなければ」と思ったようです。作家にとって、個展というものは何年かに一度、自分の成長を含めて、日々の精進と考えていることを発表する場所でもあります。それは孤独な作業でありますが、多くの方に見ていただくことで、その孤独の作業の結果を感じる機会となります。前回の展覧会はコロナ過で開催され、それから世界はロシアの戦争、中国の覇権の脅威、そしてパレスチナとイスラエルの戦争など、私達の周りでは心が不安定になる要素でいっぱいです。今回~ひのもと~というサブタイトルをつけ、富士山を描こうと思った福永先生の気持ちはそれらの一連の当然の流れであったのだと感じています。今、世界で求められるのは、‘和をもって尊しとする’日本の精神性であると福永先生は感じておられ、私もそれに共感しています。その思いを日本画という形で表現され、今回の展覧会にぶつけてきてくれたことに、銀座柳画廊としては応えていきたいと思っています。私も最近、海外に出ることが多くなってきている中で、感じることは海外にいると緊張しているという事です。言葉の問題ももちろん、ありますが、人に騙されないか、すりにあわないか、危険な目に合わないか、などなどそこには危険が一杯だからです。日本にいるときに感じる、安心感と食事のおいしさ、人の優しさはお金では表現できないものであり、その価値に気づいた外国人が円安で安いからだけではなく、日本のファンになっているのだと思っています。今回の展覧会は福永先生の今の心境が伝わるものとなっています。一人でも多くの方にご高覧いただきたく、宜しくお願いいたします。2024/03/02 10:39:5845.目のつけ所が名無しさんwVYhWというわけで、もしあなたも最高の人生を望むのであれば最高とは言えない、腐れ縁的な関係は終わらせるをお勧めします。不満のある恋人と付き合いだらしない友人とだらだらと過ごしイマイチな職場に勤めていたら最高の人生にはならないものですね。最高の人生にするためには時間を確保してその時間に最高のものを埋めていくという思考が必要です。2024/03/04 19:28:1746.目のつけ所が名無しさんbnspM私達は一人一人、違った時間感覚を持っています。 何事にもゆっくりしたペースで臨む人は、せかせかと忙しなく行動する人のことを「せっかち」と思い敬遠しているかもしれません。 逆に、何事も処理能力が高く、素早く的確な判断ができる人にとっては、じっくり型のスローペースの人の行動は怠惰に見えてしまったりします。 しかし、自分が感じているテンポ以外の時間の流れが人の数だけ存在していることに気づければ、人が自分と違うテンポで物事を処理することにもゆとりを持って接することができるでしょう。2024/03/09 09:49:5547.目のつけ所が名無しさんhMYLW個人的には、田中千秋社長がIT業界におられてから、この美術業界に入られました。私とおなじような時期に業界に入られておられるので親近感を持っています。田中さんのお父様は、私が画廊巡りを始めた時、周りの同業者からは冷たい目で見られていたのに、ツアーで伺うと温かく迎えてくれたのを昨日のように覚えています。さて、その田中社長が長年、本を出版するにあたりなかなか出版社が決まらないと悩んでいらっしゃっていたので、私が本を出版したときに力になってくれた編集者をご紹介させていただき、素敵な内容な本を出されたと感激しています。名前のとおり、‘アートコレクター入門’ということで、この本の目的は、何人かの登場人物と、田中社長とでコレクター入門の塾の講義を聞くという仕立てになっています。SNSでは過激な発言の多い田中社長ですが、この本の中では非常にバランスのとれた、優しいおじさん風の会話で、読みやすい内容になっています。私が画廊巡りを始めた思いと同じであると、この本を拝読して感じました。美術業界で、新しいお客様を増やしていくためには、業界をあげて取り組まなければならない課題であるにも関わらず、個々の画廊の努力だけではどうにもならない状況に追い込まれているというのが共通認識です。日本の文化の素晴らしさを身近に感じているのが、日本の美術関係者です。その仲間である私達が、つまらない嫉妬や焼きもちで外部のお客様への対応が、お客様の望む方向性になっていないのが現実です。これからは、田中社長をはじめとして 多くの同業者の仲間が日本の文化の営業マンとして、商売だけでなく多方面で協力しあう時代なのだと思っています。2024/03/23 09:23:3548.目のつけ所が名無しさんUqv12戦後になって4 × 5インチのプレスカメラはアメリカのスーパーグラフィックが主流になった。これを日本の会社がそのままライセンス生産をしたこともあった。戦後にアメリカ軍の放出品としてかなり日本に入ってきた大型カメラと言うよりも当時は通常のフォーマットサイズのプレスカメラである。このカメラの威力は絶大であって当時の日本でもスーパーグラフィックを手にしていればそのままポリスLINEを突破することができると言う伝説もあった。このカメラは英国製で130年位前にできたものだ。あちらでは4 × 5インチではなくて点5 × 41というのが理由は知らないけど何か面白い。20世紀初頭の世界のカメラメーカーはアメリカのイーストマン・コダックはもちろんあったけれどもヨーロッパのマーケットでがんばっていたのが英国製ドイツ製フランス製だった。そしてこの頃のカメラの様子と言うものがこのサンダーソンに代表されるような感じでマホガニーの本体に黒い皮が貼ってあって、蛇腹はこのような目も覚めるようなレッドであって、そこに真鍮製の金色のブラスフィッティングがついていると言うのは今の時代の我々から見るとカメラが夢を抱きかかえているように見える。しかしこれは当時としてはごく普通のカメラのアピアランスであったわけだ。このカメラは30年位前にロンドンのマーブルアーチのそばにある古道具屋さんで買ったものだった。もともとガラスプレートを使うようになっていたがそのプレートで中にアダプターが入っているので通常のフイルムも使うことができる。この時代にガラスプレートから次と文に移動していた時期と言うわけだ。それからしばらく経ってから全く同じものをガラクタ屋さんで発見してにだいめを手に入れた程度は年代の終わりにはどちらも素晴らしいものだった。カメラの設計者の三田さんと言う思想はもともと建築家であったのがカメラメーカーになったようで建築写真を撮るときにはカメラのフロントを上の方に来店するというのがテクニックの定番であるから、このカメラもフロントのライズが非常にうまくできるようになっているトップのカメラのフレームがヒンジで上に跳ね上がって開くようになっているのだ。このユニークな気候と言うのをドイツのリンホフカメラではずっと時代が降った1970年代の隣豊富になって初めて採用している。2024/03/26 07:00:2749.目のつけ所が名無しさんlBu5k画廊の仕事は息の長い仕事で、作家を育てるといっても10年単位で、すぐに結果がでるものではありません。しかも、絵が売れるというのは、作品が良いことも長い目で見たら非常に重要ですが、景気というものにも大きく影響を受けてしまいます。ですから、絵描きと一緒に仕事をしている画廊の心構えとしては、個展で作品が売れることに一喜一憂するのではなく、やはり10年単位で、扱っている作家が成長していくことを伴奏する覚悟があるかどうかを自問自答しながら継続することになります。2024/03/30 09:05:4250.目のつけ所が名無しさん3GRVaご高覧いただきまして、ありがとうございます。すべての映画を自然光だけで撮っている巨匠テレンス・マリックは、敬虔なクリスチャンであることから、自然光を「神の光」と考え、「その恩恵のもと、すべてを撮る」と話しています。僕はそこまで深い信仰心はありませんが、同じように自然光を「神の光」と捉え、なによりその下では嘘がありません。それゆえ、照明どころかレフ板も使わず、映画だろうがスチル写真だろうが、ドラマだろうがドキュメンタリーだろうが、ありのまま撮っています。また、以前は主体とバックグランドの強弱を現場の光でコントロールするしかありませんでしたが、いまはアプリケーションのAI技術でポスト処理が可能です。そうすることによって、照明機材の映り込みを気にせず広角で撮れますが、ただし、太陽光が良くなる時間まで気長に待つ必要があります(←ここ、ポイント!)。一方、タレントスケジュールや予算から撮影日程が決まっている仕事(特に広告)だと、そうは行きません。「広告代理店に入社」ということは、タレント仕事も手がけるのでしょうが、「天気待ち」など許されるわけがありません。テレビもそうですが、好感度は高いけどクリエイティビティが低いタレント仕事に嫌気がさして、お疲れにならないようにしてください。タレントも広告も「それなりに嘘」をつくことが重要でして、それゆえ照明との相性もいいのです(自然光との相性は悪いのです)。ちなみに、僕が天気待ちの間は、音楽聴きながら読書に勤しんでいます。2024/04/07 06:05:5151.目のつけ所が名無しさんOad0kいいね2024/05/01 13:44:5952.目のつけ所が名無しさんfEeKi長年、コンピュータの理解と英語が大切だと説いてきましたが、「プログラミング」はそこまで重要だとは考えていません。なぜなら、世の中は無人化に向かっており、プログラマーもエンジニアも徐々に淘汰されていくからです。これはAIに限らず、コロナ禍で顕著になったノーコード(実際はノーエンジニア)サービスが一般化したためで、コンピュータをしっかり理解していれば、もはや「プログラミング」の必要なく、WEBからスマホアプリまで作ることが可能です。このようなサービスでは、ビジュアルに長けたインターフェースを使ってアプリの機能やデザインを定義することができ、なによりスクラッチで作るより開発時間とコストが10分の1以下ですみます。さらに、AIの分野でも機械学習モデルの構築にプログラミングが不要になりつつあり、データをアップロードするだけで、自動的に最適なモデルを構築します。つまり、これからの時代に必要なのは、プログラミング言語の習得ではなく、最新のツールを「選ぶ力」だと言えるでしょう。そのためには、プログラミングの勉強に固執するのではなく、新しいテクノロジーやツールに常にアンテナを張り、柔軟に学び続ける姿勢が大切だと思います。プログラミングの学習で行き詰まっているのであれば、一度立ち止まって、本当に必要なスキルは何かを見つめ直してみてはいかがでしょうか。ちなみにツールの「選ぶ力」の次に必要なのは、「人とは違った使い方」をする創造力です。こちらは次の課題でしょうね。2024/05/03 16:51:5453.目のつけ所が名無しさんeIWhM自分たちが5年くらい掛かって出来るようになったことも、新人に裏技込みで教えると、1ヶ月で出来るようになるんです。私は1日でも早く戦力になってもらって作業を助けてもらいたかったので、段階を追って自分が知る全ての裏技を伝えていましたが、ベテランイラストレーターの中にはそれを良く思わない人もいました。「はじめからそんな裏技を教えたら勉強にならないよ」ともっともらしいことを言っても、要は「自分たちが長年掛かって出来るようになったことを短時間で出来るようになられて面白くない」というのが本音でしょう。映像の世界でも同じような話はたくさん聞きます。「自分たちの頃はどれくらいの明るさに映るか、露出計などを使って計算してプロの技術で撮影してた。今はモニターで最終的な状態を確認しながら簡単に撮影できてしまう。あれでプロと言えるのか。嘆かわしい」などという意見はどんどん技術が進んで行く世界では滑稽な批判です。2024/05/04 10:17:0054.目のつけ所が名無しさんJELw3現在では、ほぼ100%、映像の撮影はデジタルカメラで行います。アナログのビデオカメラで撮影した映像を、アナログ編集していた時代を知らない人の方が多いのではないでしょうか。映像をデジタルデータとして扱うことが当たり前の現在、パソコン編集によって映像合成がとてもしやすくなっています。でも、映像合成をするのであれば、アナログ時代の手法が最も実用的なんです。アナログ時代の手法というのは、基本的に「合成する映像はカメラを固定して撮影する」というものです。古典的な手法である「ストップモーション」を多用した特撮映画は、近年でもその楽しさが再評価されて、新しい作品も作られていますが、これらの場合も、基本的にはカメラは固定した状態で撮影します。つまり、「カメラワーク」を使わないんです。カメラワークというのは、カメラを上下左右の向きに動かしながら撮影したり、移動しながら撮影したり、ズームしながら撮影することです。映像合成は2つ以上の映像を組み合わせるので、映像が動いていると合成がずれてしまうんです。昔の日本映画などを見ると、合成用のブルーバックの前で俳優を撮影するときにカメラワークを使ってしまったため、非常に不自然な合成映像になっているシーンがあったりします。これは恐らく、その監督やスタッフが合成特撮の性質を良く理解していないせいだと思われます。「合成映像は固定カメラで撮影する」という常識を打ち破った映画もあります。「ジュラシック・パーク(1993)」です。この作品では「走っている人物を移動しながら撮影した映像」にCGで作成した「走っている恐竜」を合成するという場面が登場します。今では珍しい映像ではありませんが、当時は信じられない映像でした。当初は「ジュラシック・パーク」でも、合成映像部分は基本、カメラを固定して撮影する計画だったそうです。しかし、スピルバーグ監督の「どうしても移動撮影にしたい」という、ある意味「ワガママ」を実現するため、撮影済みの映像の解析をして、カメラの角度や動きの向き、スピードを割り出した後、それに同調するようにCG映像を合成するというような、ソフトウェアを開発して実用化しました。資金力があるアメリカ映画ならではのエピソードです。2024/05/11 10:28:4055.目のつけ所が名無しさんJELw3「手振れがある映像」=「リアリティがある映像」という考えで作られた作品も多くありますが、その手法はそろそろ陳腐化していると思われます。そして何より、手振れ映像は見ていて疲れるんです。人によっては「映像に酔ってしまうので苦手」という場合もあります。私は学生時代から多くの自主映画に対して、「手振れが安っぽく見える原因の1つだ」と考えていたので、出来るだけ三脚を使って安定した映像にすることを心掛けてきました。これには一理あると今でも思っています。映画の入門書などをみると、基本技術としていろいろなカメラワークが解説されています。確かにカメラワークによって出る効果もありますし、カメラワークを使った撮影自体にも魅力はあります。ただ、「一定条件の中で作品を完成させる」という高い視点に立ってDIY映画製作を考えると、カメラワークの無い固定撮影を多用することがとても有効な手法と言えると、私は自身の体験から言えます。2024/05/11 10:30:5356.目のつけ所が名無しさんPUYfA【速報!】本日より池袋の東武百貨店で始まった池袋クラシックカメラ博に朝一番から参戦してきました!予想以上の大混雑でした!やはり行くと欲しくなっちゃいますね~MNGしちゃいました~😇明日明後日はジャンク市があるそうです。21日(火)まで。見てるだけでも楽しいので、また行くと思います!2024/05/16 12:53:5757.目のつけ所が名無しさんNewRwニック・ワプリントン(1965-)は、イギリスとアメリカを拠点に活躍する写真家です。1991年にAperture社から発行されたデビュー作品集「Living Room」で高い評価を受けます。 同書のエッセーは、写真家リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)と美術批評家ジョン・バーガー(John Berger)が担当。1980年代後半までのイギリスは、サッチャー政権下で、産業の崩壊、貧困と失業の増加した時代でした。 同書はイギリス・ノッティンガムのブロクストウ団地の労働者階級の友人、家族、隣人たちの日々の生活を5年間に渡って撮影したものです。彼の写真は、被写体たちがカメラの存在を全く意識せず、自然体であることが大きな特徴でした。写真は基本的で全く平凡ですが、人生と喜びに溢れています。そしてドラマが繰り広げられるのは、タイトルにもなっているリビングルーム。そこは、コミュニティが人間関係を演じる舞台であり、セットであり、窮屈で、不潔ですが、一方で美しい世界でもあるのです。写真、映画、テレビでは、この時代のイギリスの労働者階級を、概して暗い印象で提示しています。しかしワプリントンはカラー写真を駆使し、笑い、愛、幸福に満ちた別の側面を見せることで、この画一的な なイメージに揺さぶりをかけたのです。同書は1980年代の労働者階級のイギリスの現実を描いた重要な作品として今も語り継がれています。本書は1991年発表のオリジナル・モノグラフを、未公開の膨大なアーカイブを活用して現代的な視点からコンセプチュアルにリメイクしたものです。オリジナル版同じ風景写真とポートレート写真の配列で、59枚の写真それぞれを未発表の作品に置き換えています。一部作品はオリジナルと同じロールのフィルムからセレクションされています。彼の写真を通して、いまから数十年前のサッチャー政権下の英国の生活を鮮烈に再経験できます。2024/05/18 11:33:3458.目のつけ所が名無しさんR6XTj私がそもそも「映画作り」という趣味に挑戦したきっかけは、いわゆる「名作ドラマ」に感動したからではありません。もちろん、子供の頃から映画などを見て感動することはありましたが、それはあくまでも観客としてであり、「自分もこんなのを作りたい」という動機には繋がりませんでした。高校生の頃、小説やシナリオを書いている同級生と仲良くなり、初めて「映画」を鑑賞する対象ではなく、自分で作る対象として認識しました。それまでもテレビ放送で、レイ・ハリーハウゼンの一連のコマ撮り特撮映画などを見ていましたが、この頃になると完全に、自分の創作の参考として繰り返し作品を見ることになります。そんな嗜好もあって、私にとって映画原点の一つは「クリーチャーが登場する特撮映画」となっているんです。(人情劇の「男はつらいよ」も好きなのでそれほどマニアックに嗜好が尖っているとも言えません)レイ・ハリーハウゼンのコマ撮り特撮映画というと、「シンドバッド」シリーズや「アルゴ探検隊の大冒険」「恐竜グワンジ」など、とてもリアルで独創的な生物「クリーチャー」が画面に生き生きと登場します。骸骨兵士と主人公がチャンバラをしたり、古代遺跡の中でドラゴンやケンタウロス、グリフォンが戦ったり、恐竜や双頭の鷲に襲われたりと、映画ならではの異世界のシーンが具体的に表現されているのが最大の魅力です。2024/05/25 11:26:0859.目のつけ所が名無しさん4GKiP映画にはさまざまなジャンルがあって、映像の種類も多種多様です。観客は自分の好みに合った映像に心地良さを感じたり、見慣れない映像に衝撃を受けたりして楽しみます。一般的に、映画などの映像作品の特徴は「動き」を表現することであり、チャップリンなどの初期の映画を見ても分かる通り、映像の中で動き回る人の面白さは映画ならではのものと言えます。特に実写映画であれば、登場人物の動きだけでなく、撮影するカメラの動きを組み合わせることで、躍動感や立体感が際立つ特徴もあるので、上手く演出に盛り込めばとても魅力的な作品になります。しかし、冒頭で言った通り、映画の種類は豊富です。極めて動きが少ないにも関わらずとても魅力的な作品も意外と多いんです。分かりやすい例で言えばアニメーション作品。通常、アニメーションはいかに細かく動きを表現するかに腐心します。動きの細かさはそのままコストに跳ね返りますから、・動きの細かいところ・あまり動かないところに分けてメリハリを出す演出も研究されています。その最たるものが「静止画」をそのまま使ってしまう手法です。作品のラストで映像が静止画になる演出は、現代劇・時代劇など古いテレビドラマやアニメーション作品などでもお馴染みで、コミカルな終わり方にもシリアスな終わり方にも相性が良く、とても多く見られます。ところが、出崎統というアニメーション監督の作品では、ラストシーンでもないのにシーンの要所要所に静止画を挟む手法を多用しています。アニメーション作品の中で動きのを無い静止画を使うのはとても逆説的で面白いのですが、これがとても効果的なんです。ボクシングの激しい動きを描写している中で唐突に登場する静止画が、かえってその試合の激しさを感じさせたりすます。もちろんアニメーション作品ですから、その部分に関して言えばコストの削減も実現しているでしょう。二重の意味で有効な手法と言えます。2024/06/02 10:24:4060.目のつけ所が名無しさんQNW7Hこのように、映像編集におけるデジタル技術を使えば、さまざまなコスト削減が出来ます。例えば、色味がちょっと違うティラノサウルスを3体同時に画面に登場させるとしても、馬鹿正直に3体の模型を作る必要はありません。3体分を別々に撮影して、合成編集と色味の補正を施すことで、その映像は作れるんです。その感覚を養ってください。ただ、何事もやり過ぎると逆効果です。私の最近の失敗例を紹介します。グリーンバック撮影した人物を合成する前提で、ミニチュアセットを作りました。その室内セットにはスチール製の棚が3つ並んでいる、という設定だったのですが、いつものように手を抜く計画をした私は、棚を1つだけ作りました。そして、背景映像の撮影時、カメラを固定した状態で棚を3箇所に配置した3枚の写真を撮り、映像合成で棚が壁際に3つ並んでいる状態にしたんです。ところが、棚は空ではありません。リアルに見えるように、別に作ったファイルのミニチュアを棚に並べて撮影したんです。棚は3つ、映像上で複製しますが、棚の中に並んでいるファイルは同じ内容だといかにも不自然です。そこで、3つの棚に対して、ファイルの並びを変えて撮影する必要が出てきます。そうやって背景映像は作れるのですが、1つのシーンの中ではいろんな角度の背景が必要です。手前の人物を違う角度から見るたびに、必要な背景の角度も違うからです。そこで、別角度でも同様に棚を3回に分けて撮影することになるんですが、角度が変わっても棚の中に並ぶファイルの並び方はそれぞれ同じでないとおかしなことになるんです。結局、「棚の合成の手間」に加えて、「ファイルを同じパターンで何度も並べ直す手間」が掛かり過ぎて何度か失敗もしたため、棚のミニチュアを2つ追加で作成することにしました。後日、3つに増えた棚の全てにファイルを並べ、ミニチュアセットの撮影をやり直します。手を抜く箇所を間違えるとかえって手間が掛かるので注意しましょうという話です。2024/06/08 08:52:3861.目のつけ所が名無しさんusn4Aフイルムが高くなったので、フイルムカメラの値段が安くなって今は買い時だね先月の田中長徳のカメラノートスペシャルの特集で、カメラ素振り学入門と言うのをやった。その意味はフイルムカメラを持つ人は自分の持っているカメラが全部使える状態でないとダメと言う。1種の精神疾患であったのが方向を転じて、カメラは壊れていても全く問題ないと言うフイルムカメラの持つ楽しみを発見したことにある。フィルムカメラは動かなくても、カメラの魅力としての存在感を我々カメラ人類は認めるわけだ。それに対して壊れたデジカメは石鹸箱の代わりにもならない。間宮マガジン35と言うカメラを最初に手にしたのは、25年ほど前に元朝日新聞のジュネーブ支局長の柳沢さん達と一緒に新幹線で仙台に行った時の事だった。仙台駅前に上野のアメ横みたいな食品街があって、その中にぽつんと1つだけあるのが中古カメラ屋さんなのである。あれはいい感じだった。間宮マガジン35 = 1950年代にカラーフィルムが高かった。撮影中にモノクロからカラーに交換できると言うので、アメリカでは人気のカメラであった。あの頃のドルをかなり稼いだカメラでもある。そういう歴史的なカメラがめぐりめぐって、ネットオークションに登場して1000円のプライスが付いているのである。記念に入札しておいたら1000円で落札してしまったのはありがたい。間宮マガジン35はレアなカメラであるが、それよりもレアなのは左に写っているエバレディケースなのである。これなど単体でネットオークションに出ているのを見ると、安いバルナックライカの本体が買える位の値段が付いていることもある。^_^^_^^_^2024/06/10 12:20:2262.目のつけ所が名無しさんoqFQ5写真家と猫さん石元さんとは、人生で数多くあった事はないが、非常に重要な出会いがあった。まずこの写真家と出会うのが土壌で撮影中と言う時なのだ。最初にお目にかかったのは私が高校生の頃、丸の内線の西銀座駅で三脚にライカM2のブラック弁当をつけて撮影をなさっていた。それから影響を受けて、私はライター、M2のブラック弁当手に入れたのだった。それから何十年かたって東京ビックサイトの建設中に、私は車でまだ何もない。野原を走っていたら、とっくにカメラを二台持って歩いている人影を見かけた。あこれは写真家だなと思って車を止めてお乗りになりませんかと声をかけたら、偉大な写真家の言葉はいや、いいであった。このショットは写真家が数年前、アメリカで巡回した桂離宮の写真展のカタログのトップに掲載されているのであるが、ディレクターの写真のセレクションが実に優秀だと思う。写真家はおそらく1950年代の銀座と思われるところに三脚を立てていて、カメラは旧型のリンホフカメラである。そこで見過ごせないのは、写真家の友人が猫さん達であることだ。私の最近の猫写真の異常なブームに対して、批判的に感じているのは、その基本テーマがかわいい猫たちであることだ。これは大変な勘違いで日本語間違った方向に導くものだと思う。あるいは政府が猫を使って国民の愚民政策をやっているのかもしれない。有名映画監督タルコフスキーが愛鳥を手に乗せている貴重なショットがあって、それに感心したのは映画監督と鳥さんと言うのは平等な関係にあると言うことだ。ここでの写真家の振る舞いとその下で遊んでいる猫さんの立場も完全に平等なのである。そこが素晴らしい。2024/06/15 06:59:0063.目のつけ所が名無しさんI3i83本を超えた撮影術を目指しましょう!2024/06/28 10:26:0464.目のつけ所が名無しさんygJGY私のように、あらかじめ絵コンテを作り込んでから撮影するタイプの場合、構図を絵コンテとそっくりになるよう努力しがちですが、特にスマホを使う場合、絵コンテ通りの構図の再現が難しくなることが多いです。例えば、「手前の人物の背中越しに相手の人物の顔が見える」というような構図を作ろうとすると、「思ったより相手の顔が小さくしか映らない」となりがちです。スマホを使う場合は、あくまでも絵コンテの再現を優先するのではなく、「ああ、スマホではこう映るのか」と割り切って構図をやや変更して撮影を進めることも有効だと思います。一つ注意があるとすれば、「デジタルズームは使わない」ということです。ビデオカメラの「光学ズーム」というのは、光の屈折を応用してアップ映像を撮影するので、画質は落ちないのですが、スマホの「デジタルズーム」は疑似的なズームです。5倍に拡大すると、画質は1/5に落ちてるんです。しかもズームアップしながらの撮影は、大抵の場合、「見づらい映像」になります。「画質が落ちるデジタルズームを使ってでも、想定した映像にしたい」という場合、撮影時はズームアップにせず、編集時に拡大する加工をした方が失敗が少なくなると思います。結果的に同じ映像になります。撮影に対する知識が増えると、「どうせなら性能の良いカメラを使って素晴らしい作品を撮りたい」と思いがちですが、経験を積まずに知識だけ増えても、良いことはありません。「どうせやるなら」と高望みする人は、結局やらないんです。今持っている、スマホの環境で、まずは映画作りを始めることが正解だと思いますよ。2024/07/06 09:09:4065.目のつけ所が名無しさんNi0mk一方で、映画という創作は総合的です。・写真技術・演劇技術・音楽技術などを効果的に組み合わせる点から見ても「総合的」と言えるんですが、もっと話を絞り込んで「小道具などの工作」という点でも、考え方は総合的で、さまざまな材料や手法を適材適所で自由に組み合わせることが求められます。私は基本、特撮映画が好きで、普通のドラマ作品でもさりげなく特撮技術を使うことで、王道のやり方よりも低コストでその場面を再現できる、ということにこだわっています。例えば、「古い木造の校舎を流用した村役場の中の、古めかしい応接セット」というシーンを作りたいと思った場合、条件に合う撮影場所を探して、撮影していてはどれだけコストが掛かるか分かりませんから、「理想的なイメージ通りのセット」をミニチュアで作ってしまって、そこに人物を合成しよう、という発想になるわけです。ですから、私の映画作りにおいては、エネルギーの半分は、ミニチュアセット作りに費やされる訳ですが、ここでの工作は、前述のような単独の材料や手法にこだわった工作ではありません。さまざまな材料や手法を適材適所で自由に組み合わせる「なんでもあり」という事の方が大事になってきます。2024/07/13 09:40:2466.目のつけ所が名無しさんxFbRn撮影はシンプルです。「人物抜きの状態」で写真を撮ります。この写真画像を、フォトショップを使って加工します。まずフォトショップで画像を開き、保存形式を「JPG」などから「PSD」に変更します。これによって、画像データの中に「レイヤー」と呼ばれる「階層」の情報を持てるようになります。そのレイヤー機能を使って、同じ画像を2つに複製します。1つは撮影したままの「背景」。もう一つは、背景から、「机」の部分だけ切り抜いた画像です。切り抜きは、大抵の場合、原始的な手作業で行います。フォトショップのペンツールを使って輪郭に線を描き、その線で囲んだ部分以外が選択範囲になるように設定して、机以外の部分を消してしまいます。これによって、・机込みの背景画像・机のみの画像が用意できます。あとはこれを動画編集ソフト(私の場合はプレミアプロ)に読み込んで、まず、・背景画像の前に座っている人を合成するという処理を行います。この時点では、机と人が重なっている、なんだかへんてこな映像にはなりますが、それは気にせず、大きさのバランスや合成位置を調整します。それが終わったら、さらにその上から・机だけの画像を合成します。そうすることで、「人物が机の向こうに座っている」という状況が立体的に表現されます。書き割りの前にいる人物とは違って、人物がより背景映像に溶け込んでいる状態に感じられると思います。この手法をマスターすると、基本的には思いついた映像のほとんどを再現できます。別にミニチュアセットを使わなくても手法は同じです。2024/07/20 08:47:1767.目のつけ所が名無しさんERMO4日本人の私達は、美術館で所有されている作品というと、現在の査定 金額がたとえ、思ったよりも廉価な作品であったとしても非常に大切に 扱います。その考え方は日本全般の美術愛好家の方にも浸透されていて、 日本の美術品の扱いは非常に丁寧で、湿度や温度、紫外線に対しても 几帳面に管理されていると思います。 しかし、パリ市立美術館で飾られている藤田嗣治の名品や、ピカソ 美術館にあるピカソの大作の名品であったとしても、大きなひび割れ だけでなく、剥落寸前までに割れている作品を堂々と陳列している ことに驚きました。 日本ですと、額の内側にはいいている埃やゴミを非常に気にされる方も 多く、特に写実絵画を扱っているとお客様は、几帳面な方が多いために、 私などは、恐ろしくて作品を扱えずに画廊にいる美大出身のスタッフにお 願いしています。ところが、百億円もしそうな美術品であっても、良い こととは思いませんが、ひびが入って剥落しそうな状況の作品をアクリル もいれずに、そのまま見せるところが、フランス人のおおらかさというか、 アバウトな気質がみてとれました。 本場と言われるパリの多くの美術館で、美術品の扱いだけでなく、アバウト な運営なども拝見していると、多くの人に愛されるということは、こういう ことなのかとも思いました。 実際に、多くのアスリートと思わせる世界中の方々がパリの美術館に足を 運んでいる姿と、それをおおらかに受け入れている姿を見て、美術品を 過度に神経質に扱い、子どもが少しはしゃぐだけで、叱られてしまう様な 美術館運営では、外国人観光客も日本の美術館には入りづらいと感じて しまうのではないかと心配してしまいました。2024/08/10 09:44:0268.目のつけ所が名無しさんXc6qc体力じゃないでしょうかね、どこか自分の居心地の良い場所へパッと移動できる(逃げ出す)ための。そのためには、心身ともに健康でいなければいけません。なにしろ、パターンシーカーの最大の天敵は、既得権に守られたシステムです。そのシステムに捕獲され、教化される前に即座に逃げ出せないと「自己破壊的な行為を行ったり、精神を病んでしまう」のです。かつて、ドゥルーズとガタリは、社会や権力が個人を特定の役割や場所に「領域化」しようとする過程を批判し、そこから「脱領域化」する、つまり定められた役割や場所から逃れることを「デテリトリアリゼーション」と呼びました。「逃走」は単なる「逃避」ではなく、抵抗の一形態であり、既存の権力構造からの脱出を即し、新しい創造的な生き方や社会の構築につながるものとドゥルーズとガタリは定義しました。これが現代ノマドの本質です。オフィスを持たずに街中でWifiを探す事ではありません。僕も良くも悪くも同じ場所にずっといられず、周囲が気がついたときには遥か遠くに行っており、システムに対抗するように逃走を続けていますので、やはり「経験を踏まえて見解」は、体力です!ちなみに、僕の「カテゴリー」は「天才」ではなく「変人」だと思いますよ、社会性がギリギリある程度の(と、思っているだけかもしれませんが)。2024/08/16 17:33:0669.目のつけ所が名無しさんsFedx意外かもしれませんが、食事を変えることが大切です。瞑想は「四念処経」を初めに理解することが大切などとも言われますが、日々瞑想する仏僧の食事を見れば明らかで、いわゆる粗食です。僕自身の経験からしても初めて深い瞑想レベルに達したのは、スリランカのアーユルヴェーダの施設で、半月ばかり食事を徹底した後でした。実はそれ以前も様々な瞑想方法を試していましたが、とても納得出来る瞑想体験を得られた事は1度もありません。「行う時間や場所など」ではなく、心を穏やかにするためにも、血糖値が乱高下しない食事をしばらく徹底しましょう。まずは、ここから。2024/08/23 16:41:2070.目のつけ所が名無しさんh5njSたとえば、複数の人たちで撮影をすると、荷物を運ぶのには人数が必要なんだけれども、本番中は別にやることが無い人が生まれます。その場合は、あらかじめ、スマホで現場の記録撮影をする係に任命しておくことが有効です。この制作途中の「メイキング資料作り」は非常に有効で、やった方がいいんですけれども、製作者は現場で余裕がないんです。記念写真を1枚撮っておけばよかったということを、後から後悔しがちです。でも、企画段階でそれを相談して依頼ができていれば、スタッフを撮影係にできます。単なる現場の手伝いでなく、メイキング資料の製作者、という新しい体験を伴う満足感が得られるかもしれないんです。そして、企画書があると、作品が完成した後に、その企画の成功度合いを確認したり、次からの改善点というのを考えることも出来ます。せっかく創作活動を、しかも複数の人たちで行うのであれば、楽しめる要素は全て楽しんでやろうという形に持っていければ、創作活動自体が継続しやすくなるはずです。新しい仲間も集めやすいということにつながっていくと思います。2024/08/24 08:43:0571.目のつけ所が名無しさんjDxrj 他にも、ヴラマンクの花の油彩や、小磯良平の女性像の油彩画、 キスリングの女性像の油彩画など、美術館にも置いてあるような 作品からお求めやすい、ピカソやシャガールの版画、ピカソの 絵皿など眺めるだけでも幸せな気持ちになるものを置いています。 美術品というのは不思議なもので、おなかが一杯になるわけでは ありませんが、その美術品にあった波長の方がその絵の前に立つと 不思議な共鳴があるのだと思っています。それは言葉にすることは 難しく、経験した方ではないとわからない感覚なのだと思います。 名品と言われる作品は、その共鳴を多くの方と起こしたからこそ 時代を超えても残っているのであって、共鳴しない方には意味が ないものなのかもしれません。2024/09/07 09:15:2472.目のつけ所が名無しさんkLgqN現在連載中の「大ビジュアルコミュニケーション時代を生き抜く方法」でもお伝えしましたように、ここ数年のミラーレスカメラの動画機能と、同価格帯の「シネマカメラ」のあがりに違いはありません。ですので、手にとって使いやすい方がよろしいかと思います。一方、ARRIやRED、SONYでもVENICEなどの「シネマカメラ」は、完全に仕様が動画向けになっているため、静止画を撮る機能がありません。ですので、静止画メインのαシリーズか、動画メインのFXシリーズでお悩みなら、家電量販店で実際に触ったグリップ感でお選びなってよろしいかと思います。判断に迷ったら「持ってて、やる気になる!」かどうかです。2024/09/07 16:28:5573.目のつけ所が名無しさんW3HaWかねがね、「料理」と「映画」には共通点が結構あると思っています。厳密なルールがあるわけではないですが、・材料を準備して・正しい順番で加工して・完成させる・完成品を味わうこのあたりがよく似ています。どういう人が料理上手かというと、2種類います。・レシピに従って材料を揃え、手順どおりに作って美味しい料理を作る・冷蔵庫に残った食材を使って即興的に作る飲食店における「まかない飯」というのは後者の即興料理です。従業員が自分たちの食事を作る際に、店の中にあるあまり物の材料をうまく使って作る料理です。大抵の場合、修行中の料理人が訓練として作ったりすると聞いたことがあります。概ね「まかない飯」というのは美味しいものです。映画作りについても、普通は厳密に準備をして作品を作る風潮があると思います。それはレシピ本を見ながら、材料を全部揃えて、手順に従って作品を作るやり方しかしていないということです。実際はもっとラフでもいいんじゃないか、ラフに作って面白くなることもあり得るんじゃないかなと思います。料理で言う「まかない飯」と同じ感覚で、手元にある映像素材をうまく使える人は実は強いんじゃないかという話です。2024/09/14 15:30:0974.目のつけ所が名無しさんg2MQvこの作家の一生を見ても、芸術家という方々は才能を持って生まれて しまったがゆえに、その道を選んでしまったがために、多くの苦しみを 得ることになるのは、現代の画家にも通じる普遍の心理なのだとしみ じみ思います。運とご縁が非常に大切な厳しい世界です。2024/09/28 09:51:0175.目のつけ所が名無しさんCMncgその中で、多くの画家との出会いは財産だと思っています。全てが お互いにとって良いものになるとは限りません。一度だけの展覧会 でご縁がなくなった方もいらっしゃいます。画家と画廊との間には 多くの利害関係があり、お互いにプラスになる関係性でないと、 続けていくのは難しいと思っています。 どちらかだけが、得をする関係というのは長続きしないのだと思い ます。また人間ですから、感情があるわけですし、5年10年と お付き合いしていると、お互いの成長の度合いも気になるわけです。 仕事ですので、お互いに成長をして利益を配分していくのが良い 関係を持続する秘訣です。画廊は日々、絵画を購入するお客様と 接しているわけですから、お客様の嗜好や状況を把握している事 が大切です。画家は、自分の作品を高めていく努力が必要で、 やはりマンネリですとお客様に飽きられてしまいます。 今回、出展される作家さんは団体展に所属されている画家の方も多く いらっしゃいます。団体展というのは、作家の精進する場所として 意味があると思います。画廊だけとの付き合いですと、どうしても 売ることが中心になりますので、画家としての成長という分野に おいて、団体展は作家同志の切磋琢磨の場所として機能していると 思っています。 画家の仕事というのは、根本的には歴史に残る多くの人の心に棲む ことができる作品を制作することであり、画商の仕事は画家の生活を 支え、作品を収集家の方に届けることだと思っています。 ですから、作家の行くべき道を画商が指導することは少し違うと私は 思っていて、人間としてお互いに切磋琢磨をしていきたいと思って おりますが、画家としての成長はやはり画家自身が考えなければいけ ないと思っています。2024/10/12 16:02:1376.目のつけ所が名無しさんtECGO「なーんだ。AIで作ったのか」と思われてしまう映像AIの分かりやすい応用例として画像生成技術がよく話題になります。「こういう風景の中を、こういう人物が歩いている映像を作ってください」という形でAIに指示を出すと、実写そっくりの架空の映像が作られる、というデモ映像を見た方も多いのではないでしょうか?それを見て「今後は自分で苦労して映像を作る意味がなくなるんじゃないか」というような意見も聞きます。実際、長い時間を掛けて苦労して作った映像とほぼ同じ映像が、AIで生成されるということもあるとは思います。ただ、私たちはCG(コンピュータ・グラフィック)で作られた、実写そっくりの映像が登場したときの衝撃と、その後の「ああ、いつものフルCGね」という冷めっぷりを見ています。特に創作物に対しては、AIによって作り出されたリアルな映像が主流になることはむしろ難しいと予想しています。CGと同じで、AIの生成機能に頼った映像はメインで使うのではなく、実写の補佐としての使い方が効果的なのではないでしょうか。2024/11/02 14:43:2377.目のつけ所が名無しさんZR6QTYouTubeをご覧になるとわかりますが、ほとんどの番組は対談か自分語りばかり。なぜなら、取材に出向くとお金がかかるからに他なりません。僕は人の話を聞くのが大変苦手ですので、そのようなYouTube番組を見る事はほとんどないのですが、逆に言えば、もし誰かが他にはないテーマに基づき、あちこち取材に行ったらきっと見るでしょう。お読みいただいたコーヒー本は、そうやって作った1冊です。現在、撮影や編集機材のコストが著しく下がり、動画制作が容易になって、またAI時代だからこそ、足で稼ぐ取材こそが他の人やAIと差をつける秘訣だと考えます。ちなみに「売れるkindle本の作」ろうと思った事は一度もありません。それなら大手出版社の言う通りに書いて、わかりやすいタイトルをつけ、しかし、自分にとっては面白くない本を出すことになるでしょう。はてさて、ご自身で「初めてkindle出版をする」のに、それでいいのでしょうか?これこそ「大事なこと」だと思いますね。2024/11/09 16:46:3578.目のつけ所が名無しさんpfKNC土地成金とその逸材保護利権を自殺から守るのも大変そうだな真っ当な事業者なら怖いぐらいに皆が完全に知って居るがその手の人達は民法と税制上でも完全出禁無論人としての刑法でも出禁以外のお取り扱いは出来ないんですねぇ(笑)働き始めたら皆直ぐに知ると言うか理解出来る話まあ逸材は日本国内だけで何人居るのか知らないが働いた事が無いとか言い出す始末だからねとは言え統一教会や自民党を始めお金には成る様だからね(笑)でも一瞬でも相手をした過去が出来たら結婚も出来なくなるから要注意だなその辺が弱そうな人は(笑)2024/11/09 19:29:4679.目のつけ所が名無しさんiiazY運用2024/11/10 05:58:55
融通の利かないドイツ製の金属カメラに愛の手を。
(ボーッとしてたら落ちたので再掲します。はたして生き残れるかな。)
装着は、マイク含めて小型なのでお相手の服の中にしまっており、収録中にモニタリングはしていません。
32ビットフロートで録音すれば、絶対に音割れしないからです。
あとは、カメラに載せた「ECM-B1M」も使ってます。
録音用の「機材・環境」は、これだけです。
また、「カラーグレーディングやカラーコレクションの環境」は、MacBook Pro(M2)と、ソフトウエアはDavinci Resolve(4万7980円の有料版)を使用しており、「カラーグレーディング」以外にも編集からサウンドエディット等のすべてのポスト・プロダクション作業を、これだけで行っています。
ちなみにアクセントで使っているドローンショットの大半は、「DJI Mavic3」です。
あとはSONYのαシリーズのカメラとレンズがあれば、もうこれだけで劇場公開映画が作れる時代なんです。
それゆえ、「映画制作の民主化がはじまった」とお伝えしている次第です。
3年前には考えられませんでした。
いい時代になりましたね。
それで方向変換して8 × 10インチのモノクロフィルムでマンハッタンを撮影した。今思うとこれはこれで良かったと思う。当時のニューカラーの連中は私と同世代だと思っていたら、私が25年前に写真を教えていた渋谷にある写真学校で、今度ニューカラーの有明写真家の講演会をやるらしい。そのインフォメーションビデオを見たら、当時の20代はすでに後期高齢者になっていたのは当然のことだけど、時間経過にびっくりした。
ニューヨークのセントラルパークもたくさん撮影したポイントである。ちょうど春の時期でメトロポリタンミュージアムの裏側に、Dogwoodの花が咲きだして、それがなんとも言えなかった。
植物の花をその存在感、ありのままに取ると言うのは非常に難しいことであって、ロバートフランクもパリにいて非常に苦労している。
この作品は私は大好きなのだが、いつも考えている事は、一般的な好みのモチーフではないなと言うことなのだ。ニューヨークのテーマですればBrooklyn Bridgeとかそういう方がはるかにわかりやすいのである。
最近ヤフオクでオンラインギャラリーと言う形でこの時代のプリントを販売している。今までに50点位売れたのであるが、その中にこの作品も入っていて、今までに2人のコレクターがコレクションに加えてくれたのはありがたい。
カメラを所有している人は、あまりいませんし、自分のようなオールドレンズ狂いは希少種ですね。カメラを所有している人は大体αです。
スクリーンとフィルム面のフォーカスも合致していて、実戦投入です
立ち食いステーキ
ファミレスや居酒屋チェーンなんかが
儲かるのはわかるわけですが
私はそういう所には行かないのです。
私は、人形町今半とか、道頓堀今井とか
居酒屋赤鬼とか、居酒屋山三とか
歴史あるこだわりの店に
行くことが多いのです。
なぜかというと、やっぱり
老舗のこだわりの店の方が
お客様との関係を大切にしていて
品質がいい傾向にあるからであります。
また、ホテルも最近は
利益ばかり重視の狭い部屋が
増えていますが、
私は利益最大化を追わない
余裕あるホテルを選んでいます。
そして順次、短期間で完成する「オーディオドラマ」を量産しましょう。
映画製作にはさまざまな準備があったり、季節的なタイミング、関係者のスケジュールなどもあります。
完成したオーディオドラマの中から「条件の合うもの」を順次、映画化していくというパターンを作っておくのもいいかもしれません。
「この作品に協力して欲しい」と仲間を誘うときにも、企画書や脚本だけでなく、オーディオドラマがあると、イメージを膨らませやすくなることは間違いありません。
「オーディオドラマから映画化へ」というパターンは、その一つの可能性を示しています。
皆さんもぜひ挑戦してみてください。
私も実践してみます。
人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、
すべてインスピレーションとか感動から始まる。
ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。
感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。
放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。
それでも作家の思いを直接伺うことはとても大切です。山田雅哉さん
という作家さんがとても素晴らしいことをおっしゃっておりましたので
ご紹介いたします。
‘僕は日本画の可能性を信じています。日本人として生まれ、日本画
は日本の精神性を表すものとして最適な表現方法だと思っています。
日本画を描くときは顔料と膠と紙と筆で描いています。その時に僕は
日本画は全て自然界にあるもので絵を描いているという事を意識して
います。すべてのものに神様がいるという考え方は日本画の世界の中
に今でも生きていると思っています。‘
確か、こんな感じのトークをたんたんとまだお若いのにお話されていた
のがとても印象的でした。
銀座柳画廊は油絵の作家を中心に扱っている画廊ですが、今の時代は
油絵とか、日本画とか、インスタレーションとか、ミックスドメディア
やメディアアートなど、さまざまな表現方法があり、大切なことは、
その絵画に込められた精神性だと私は思っています。
海外からのお客様が増えた銀座では日本画に興味を持たれる方が多く
いらっしゃることを肌で感じています。また、日本画の作家は日本にいな
がらにして、日本人であることを意識されている方が多くいらっしゃいます。
改めて私自身も、山種美術館とのご縁を頂いたことから、日本画についても
展覧会をはじめとして知識と経験を深めようと思いました。山種美術館での
公募展では、非常に高いレベルの作品が並んでおり、ここから将来の巨匠が
生まれてくるのだと思うと、画商としてはまた3年後、この展覧会には来な
ければいけないと思いました。
美術ファンには、これからの作家を見つける登竜門になると思います。
そういうことをつらつらと考えたりしているのです。たわいないし、とりとめもない思考です。だから直接的に、生産に結びつくわけではない。役に立たなそうに見えます。しかし本当に「役に立たない」のでしょうか。
思考には「収束的思考」と「拡散的思考」があります。収束的思考はただひとつに集約していく思考であり、思考の結果として生産があり、原稿や講演といった成果物に結実します。拡散的思考はひたすら広がっていく思考であり、成果物を生み出すわけではないけれども、さまざまなアイデアや発想が湧いてくるものです。
わたしが山に登っているときの思考は、拡散的思考です。「山道を転ばずに歩くにはどうすれば良いか」「山頂は本当に必要か」「歩き続けるのはなぜ楽しいのか」などのとりとめのない思考が次々に湧き出しています。それらは決して収束しないので、そのまま原稿などの成果物になるわけではありません。しかし、いずれは成果物に結びつくかもしれない、さまざまなアイデアの泉にはなっているのです。
しゃる福永先生にとって、今回、初めて描かれた富士山は、今まで
畏れ多くて描けないと思っていたのを、今回の展覧会では「描かな
ければ」と思ったようです。
作家にとって、個展というものは何年かに一度、自分の成長を含め
て、日々の精進と考えていることを発表する場所でもあります。
それは孤独な作業でありますが、多くの方に見ていただくことで、
その孤独の作業の結果を感じる機会となります。
前回の展覧会はコロナ過で開催され、それから世界はロシアの戦争、
中国の覇権の脅威、そしてパレスチナとイスラエルの戦争など、
私達の周りでは心が不安定になる要素でいっぱいです。
今回~ひのもと~というサブタイトルをつけ、富士山を描こうと思っ
た福永先生の気持ちはそれらの一連の当然の流れであったのだと感じて
います。今、世界で求められるのは、‘和をもって尊しとする’日本
の精神性であると福永先生は感じておられ、私もそれに共感しています。
その思いを日本画という形で表現され、今回の展覧会にぶつけてきて
くれたことに、銀座柳画廊としては応えていきたいと思っています。
私も最近、海外に出ることが多くなってきている中で、感じることは
海外にいると緊張しているという事です。言葉の問題ももちろん、あ
りますが、人に騙されないか、すりにあわないか、危険な目に合わない
か、などなどそこには危険が一杯だからです。
日本にいるときに感じる、安心感と食事のおいしさ、人の優しさは
お金では表現できないものであり、その価値に気づいた外国人が
円安で安いからだけではなく、日本のファンになっているのだと
思っています。
今回の展覧会は福永先生の今の心境が伝わるものとなっています。一人
でも多くの方にご高覧いただきたく、宜しくお願いいたします。
最高の人生を望むのであれば
最高とは言えない、腐れ縁的な関係は
終わらせるをお勧めします。
不満のある恋人と付き合い
だらしない友人とだらだらと過ごし
イマイチな職場に勤めていたら
最高の人生にはならないものですね。
最高の人生にするためには
時間を確保して
その時間に最高のものを
埋めていくという思考が必要です。
に入られました。私とおなじような時期に業界に入られておられる
ので親近感を持っています。田中さんのお父様は、私が画廊巡り
を始めた時、周りの同業者からは冷たい目で見られていたのに、
ツアーで伺うと温かく迎えてくれたのを昨日のように覚えています。
さて、その田中社長が長年、本を出版するにあたりなかなか出版社が
決まらないと悩んでいらっしゃっていたので、私が本を出版したときに
力になってくれた編集者をご紹介させていただき、素敵な内容な本を
出されたと感激しています。
名前のとおり、‘アートコレクター入門’ということで、この本の
目的は、何人かの登場人物と、田中社長とでコレクター入門の塾の
講義を聞くという仕立てになっています。SNSでは過激な発言の多い
田中社長ですが、この本の中では非常にバランスのとれた、優しい
おじさん風の会話で、読みやすい内容になっています。
私が画廊巡りを始めた思いと同じであると、この本を拝読して感じま
した。美術業界で、新しいお客様を増やしていくためには、業界を
あげて取り組まなければならない課題であるにも関わらず、個々の
画廊の努力だけではどうにもならない状況に追い込まれているという
のが共通認識です。
日本の文化の素晴らしさを身近に感じているのが、日本の美術関係者
です。その仲間である私達が、つまらない嫉妬や焼きもちで外部のお客
様への対応が、お客様の望む方向性になっていないのが現実です。
これからは、田中社長をはじめとして 多くの同業者の仲間が日本の
文化の営業マンとして、商売だけでなく多方面で協力しあう時代なのだと
思っています。
このカメラは英国製で130年位前にできたものだ。あちらでは4 × 5インチではなくて点5 × 41というのが理由は知らないけど何か面白い。20世紀初頭の世界のカメラメーカーはアメリカのイーストマン・コダックはもちろんあったけれどもヨーロッパのマーケットでがんばっていたのが英国製ドイツ製フランス製だった。
そしてこの頃のカメラの様子と言うものがこのサンダーソンに代表されるような感じでマホガニーの本体に黒い皮が貼ってあって、蛇腹はこのような目も覚めるようなレッドであって、そこに真鍮製の金色のブラスフィッティングがついていると言うのは今の時代の我々から見るとカメラが夢を抱きかかえているように見える。しかしこれは当時としてはごく普通のカメラのアピアランスであったわけだ。
このカメラは30年位前にロンドンのマーブルアーチのそばにある古道具屋さんで買ったものだった。もともとガラスプレートを使うようになっていたがそのプレートで中にアダプターが入っているので通常のフイルムも使うことができる。この時代にガラスプレートから次と文に移動していた時期と言うわけだ。
それからしばらく経ってから全く同じものをガラクタ屋さんで発見してにだいめを手に入れた程度は年代の終わりにはどちらも素晴らしいものだった。
カメラの設計者の三田さんと言う思想はもともと建築家であったのがカメラメーカーになったようで建築写真を撮るときにはカメラのフロントを上の方に来店するというのがテクニックの定番であるから、このカメラもフロントのライズが非常にうまくできるようになっているトップのカメラのフレームがヒンジで上に跳ね上がって開くようになっているのだ。
このユニークな気候と言うのをドイツのリンホフカメラではずっと時代が降った1970年代の隣豊富になって初めて採用している。
で、すぐに結果がでるものではありません。しかも、絵が売れると
いうのは、作品が良いことも長い目で見たら非常に重要ですが、景気
というものにも大きく影響を受けてしまいます。
ですから、絵描きと一緒に仕事をしている画廊の心構えとしては、
個展で作品が売れることに一喜一憂するのではなく、やはり10年
単位で、扱っている作家が成長していくことを伴奏する覚悟がある
かどうかを自問自答しながら継続することになります。
すべての映画を自然光だけで撮っている巨匠テレンス・マリックは、敬虔なクリスチャンであることから、自然光を「神の光」と考え、「その恩恵のもと、すべてを撮る」と話しています。
僕はそこまで深い信仰心はありませんが、同じように自然光を「神の光」と捉え、なによりその下では嘘がありません。
それゆえ、照明どころかレフ板も使わず、映画だろうがスチル写真だろうが、ドラマだろうがドキュメンタリーだろうが、ありのまま撮っています。
また、以前は主体とバックグランドの強弱を現場の光でコントロールするしかありませんでしたが、いまはアプリケーションのAI技術でポスト処理が可能です。
そうすることによって、照明機材の映り込みを気にせず広角で撮れますが、ただし、太陽光が良くなる時間まで気長に待つ必要があります(←ここ、ポイント!)。
一方、タレントスケジュールや予算から撮影日程が決まっている仕事(特に広告)だと、そうは行きません。
「広告代理店に入社」ということは、タレント仕事も手がけるのでしょうが、「天気待ち」など許されるわけがありません。
テレビもそうですが、好感度は高いけどクリエイティビティが低いタレント仕事に嫌気がさして、お疲れにならないようにしてください。
タレントも広告も「それなりに嘘」をつくことが重要でして、それゆえ照明との相性もいいのです(自然光との相性は悪いのです)。
ちなみに、僕が天気待ちの間は、音楽聴きながら読書に勤しんでいます。
なぜなら、世の中は無人化に向かっており、プログラマーもエンジニアも徐々に淘汰されていくからです。
これはAIに限らず、コロナ禍で顕著になったノーコード(実際はノーエンジニア)サービスが一般化したためで、コンピュータをしっかり理解していれば、もはや「プログラミング」の必要なく、WEBからスマホアプリまで作ることが可能です。
このようなサービスでは、ビジュアルに長けたインターフェースを使ってアプリの機能やデザインを定義することができ、なによりスクラッチで作るより開発時間とコストが10分の1以下ですみます。
さらに、AIの分野でも機械学習モデルの構築にプログラミングが不要になりつつあり、データをアップロードするだけで、自動的に最適なモデルを構築します。
つまり、これからの時代に必要なのは、プログラミング言語の習得ではなく、最新のツールを「選ぶ力」だと言えるでしょう。
そのためには、プログラミングの勉強に固執するのではなく、新しいテクノロジーやツールに常にアンテナを張り、柔軟に学び続ける姿勢が大切だと思います。
プログラミングの学習で行き詰まっているのであれば、一度立ち止まって、本当に必要なスキルは何かを見つめ直してみてはいかがでしょうか。
ちなみにツールの「選ぶ力」の次に必要なのは、「人とは違った使い方」をする創造力です。
こちらは次の課題でしょうね。
私は1日でも早く戦力になってもらって作業を助けてもらいたかったので、段階を追って自分が知る全ての裏技を伝えていましたが、ベテランイラストレーターの中にはそれを良く思わない人もいました。
「はじめからそんな裏技を教えたら勉強にならないよ」
ともっともらしいことを言っても、要は「自分たちが長年掛かって出来るようになったことを短時間で出来るようになられて面白くない」というのが本音でしょう。
映像の世界でも同じような話はたくさん聞きます。
「自分たちの頃はどれくらいの明るさに映るか、露出計などを使って計算してプロの技術で撮影してた。今はモニターで最終的な状態を確認しながら簡単に撮影できてしまう。あれでプロと言えるのか。嘆かわしい」
などという意見はどんどん技術が進んで行く世界では滑稽な批判です。
アナログのビデオカメラで撮影した映像を、アナログ編集していた時代を知らない人の方が多いのではないでしょうか。
映像をデジタルデータとして扱うことが当たり前の現在、パソコン編集によって映像合成がとてもしやすくなっています。
でも、映像合成をするのであれば、アナログ時代の手法が最も実用的なんです。
アナログ時代の手法というのは、基本的に
「合成する映像はカメラを固定して撮影する」
というものです。
古典的な手法である「ストップモーション」を多用した特撮映画は、近年でもその楽しさが再評価されて、新しい作品も作られていますが、これらの場合も、基本的にはカメラは固定した状態で撮影します。
つまり、「カメラワーク」を使わないんです。
カメラワークというのは、カメラを上下左右の向きに動かしながら撮影したり、移動しながら撮影したり、ズームしながら撮影することです。
映像合成は2つ以上の映像を組み合わせるので、映像が動いていると合成がずれてしまうんです。
昔の日本映画などを見ると、合成用のブルーバックの前で俳優を撮影するときにカメラワークを使ってしまったため、非常に不自然な合成映像になっているシーンがあったりします。
これは恐らく、その監督やスタッフが合成特撮の性質を良く理解していないせいだと思われます。
「合成映像は固定カメラで撮影する」という常識を打ち破った映画もあります。「ジュラシック・パーク(1993)」です。
この作品では「走っている人物を移動しながら撮影した映像」にCGで作成した「走っている恐竜」を合成するという場面が登場します。
今では珍しい映像ではありませんが、当時は信じられない映像でした。
当初は「ジュラシック・パーク」でも、合成映像部分は基本、カメラを固定して撮影する計画だったそうです。
しかし、スピルバーグ監督の「どうしても移動撮影にしたい」という、ある意味「ワガママ」を実現するため、撮影済みの映像の解析をして、カメラの角度や動きの向き、スピードを割り出した後、それに同調するようにCG映像を合成するというような、ソフトウェアを開発して実用化しました。
資金力があるアメリカ映画ならではのエピソードです。
そして何より、手振れ映像は見ていて疲れるんです。人によっては「映像に酔ってしまうので苦手」という場合もあります。
私は学生時代から多くの自主映画に対して、「手振れが安っぽく見える原因の1つだ」と考えていたので、出来るだけ三脚を使って安定した映像にすることを心掛けてきました。これには一理あると今でも思っています。
映画の入門書などをみると、基本技術としていろいろなカメラワークが解説されています。
確かにカメラワークによって出る効果もありますし、カメラワークを使った撮影自体にも魅力はあります。
ただ、「一定条件の中で作品を完成させる」という高い視点に立ってDIY映画製作を考えると、カメラワークの無い固定撮影を多用することがとても有効な手法と言えると、私は自身の体験から言えます。
写真家です。1991年にAperture社から発行されたデビュー作品集「Living Room」
で高い評価を受けます。 同書のエッセーは、写真家リチャード・アヴェドン
(Richard Avedon)と美術批評家ジョン・バーガー(John Berger)が担当。
1980年代後半までのイギリスは、サッチャー政権下で、産業の崩壊、貧困と失業
の増加した時代でした。 同書はイギリス・ノッティンガムのブロクストウ団地の
労働者階級の友人、家族、隣人たちの日々の生活を5年間に渡って撮影した
ものです。彼の写真は、被写体たちがカメラの存在を全く意識せず、自然体で
あることが大きな特徴でした。
写真は基本的で全く平凡ですが、人生と喜びに溢れています。そしてドラマが
繰り広げられるのは、タイトルにもなっているリビングルーム。そこは、
コミュニティが人間関係を演じる舞台であり、セットであり、窮屈で、不潔
ですが、一方で美しい世界でもあるのです。写真、映画、テレビでは、
この時代のイギリスの労働者階級を、概して暗い印象で提示しています。
しかしワプリントンはカラー写真を駆使し、笑い、愛、幸福に満ちた別の側面を
見せることで、この画一的な なイメージに揺さぶりをかけたのです。
同書は1980年代の労働者階級のイギリスの現実を描いた重要な作品として
今も語り継がれています。
本書は1991年発表のオリジナル・モノグラフを、未公開の膨大なアーカイブを
活用して現代的な視点からコンセプチュアルにリメイクしたものです。
オリジナル版同じ風景写真とポートレート写真の配列で、59枚の写真それぞれを
未発表の作品に置き換えています。一部作品はオリジナルと同じロールの
フィルムからセレクションされています。彼の写真を通して、いまから
数十年前のサッチャー政権下の英国の生活を鮮烈に再経験できます。
もちろん、子供の頃から映画などを見て感動することはありましたが、それはあくまでも観客としてであり、「自分もこんなのを作りたい」という動機には繋がりませんでした。
高校生の頃、小説やシナリオを書いている同級生と仲良くなり、初めて「映画」を鑑賞する対象ではなく、自分で作る対象として認識しました。
それまでもテレビ放送で、レイ・ハリーハウゼンの一連のコマ撮り特撮映画などを見ていましたが、この頃になると完全に、自分の創作の参考として繰り返し作品を見ることになります。
そんな嗜好もあって、私にとって映画原点の一つは「クリーチャーが登場する特撮映画」となっているんです。
(人情劇の「男はつらいよ」も好きなのでそれほどマニアックに嗜好が尖っているとも言えません)
レイ・ハリーハウゼンのコマ撮り特撮映画というと、「シンドバッド」シリーズや「アルゴ探検隊の大冒険」「恐竜グワンジ」など、とてもリアルで独創的な生物「クリーチャー」が画面に生き生きと登場します。
骸骨兵士と主人公がチャンバラをしたり、古代遺跡の中でドラゴンやケンタウロス、グリフォンが戦ったり、恐竜や双頭の鷲に襲われたりと、映画ならではの異世界のシーンが具体的に表現されているのが最大の魅力です。
観客は自分の好みに合った映像に心地良さを感じたり、見慣れない映像に衝撃を受けたりして楽しみます。
一般的に、映画などの映像作品の特徴は「動き」を表現することであり、チャップリンなどの初期の映画を見ても分かる通り、映像の中で動き回る人の面白さは映画ならではのものと言えます。
特に実写映画であれば、登場人物の動きだけでなく、撮影するカメラの動きを組み合わせることで、躍動感や立体感が際立つ特徴もあるので、上手く演出に盛り込めばとても魅力的な作品になります。
しかし、冒頭で言った通り、映画の種類は豊富です。
極めて動きが少ないにも関わらずとても魅力的な作品も意外と多いんです。
分かりやすい例で言えばアニメーション作品。
通常、アニメーションはいかに細かく動きを表現するかに腐心します。
動きの細かさはそのままコストに跳ね返りますから、
・動きの細かいところ
・あまり動かないところ
に分けてメリハリを出す演出も研究されています。
その最たるものが「静止画」をそのまま使ってしまう手法です。
作品のラストで映像が静止画になる演出は、現代劇・時代劇など古いテレビドラマやアニメーション作品などでもお馴染みで、コミカルな終わり方にもシリアスな終わり方にも相性が良く、とても多く見られます。
ところが、出崎統というアニメーション監督の作品では、ラストシーンでもないのにシーンの要所要所に静止画を挟む手法を多用しています。
アニメーション作品の中で動きのを無い静止画を使うのはとても逆説的で面白いのですが、これがとても効果的なんです。
ボクシングの激しい動きを描写している中で唐突に登場する静止画が、かえってその試合の激しさを感じさせたりすます。
もちろんアニメーション作品ですから、その部分に関して言えばコストの削減も実現しているでしょう。
二重の意味で有効な手法と言えます。
例えば、色味がちょっと違うティラノサウルスを3体同時に画面に登場させるとしても、馬鹿正直に3体の模型を作る必要はありません。
3体分を別々に撮影して、合成編集と色味の補正を施すことで、その映像は作れるんです。
その感覚を養ってください。
ただ、何事もやり過ぎると逆効果です。
私の最近の失敗例を紹介します。
グリーンバック撮影した人物を合成する前提で、ミニチュアセットを作りました。
その室内セットにはスチール製の棚が3つ並んでいる、という設定だったのですが、いつものように手を抜く計画をした私は、棚を1つだけ作りました。
そして、背景映像の撮影時、カメラを固定した状態で棚を3箇所に配置した3枚の写真を撮り、映像合成で棚が壁際に3つ並んでいる状態にしたんです。
ところが、棚は空ではありません。
リアルに見えるように、別に作ったファイルのミニチュアを棚に並べて撮影したんです。
棚は3つ、映像上で複製しますが、棚の中に並んでいるファイルは同じ内容だといかにも不自然です。
そこで、3つの棚に対して、ファイルの並びを変えて撮影する必要が出てきます。
そうやって背景映像は作れるのですが、1つのシーンの中ではいろんな角度の背景が必要です。
手前の人物を違う角度から見るたびに、必要な背景の角度も違うからです。
そこで、別角度でも同様に棚を3回に分けて撮影することになるんですが、角度が変わっても棚の中に並ぶファイルの並び方はそれぞれ同じでないとおかしなことになるんです。
結局、「棚の合成の手間」に加えて、「ファイルを同じパターンで何度も並べ直す手間」が掛かり過ぎて何度か失敗もしたため、棚のミニチュアを2つ追加で作成することにしました。
後日、3つに増えた棚の全てにファイルを並べ、ミニチュアセットの撮影をやり直します。
手を抜く箇所を間違えるとかえって手間が掛かるので注意しましょうという話です。
先月の田中長徳のカメラノートスペシャルの特集で、カメラ素振り学入門と言うのをやった。
その意味はフイルムカメラを持つ人は自分の持っているカメラが全部使える状態でないとダメと言う。1種の精神疾患であったのが方向を転じて、カメラは壊れていても全く問題ないと言うフイルムカメラの持つ楽しみを発見したことにある。
フィルムカメラは動かなくても、カメラの魅力としての存在感を我々カメラ人類は認めるわけだ。それに対して壊れたデジカメは石鹸箱の代わりにもならない。
間宮マガジン35と言うカメラを最初に手にしたのは、25年ほど前に元朝日新聞のジュネーブ支局長の柳沢さん達と一緒に新幹線で仙台に行った時の事だった。
仙台駅前に上野のアメ横みたいな食品街があって、その中にぽつんと1つだけあるのが中古カメラ屋さんなのである。あれはいい感じだった。
間宮マガジン35 = 1950年代にカラーフィルムが高かった。撮影中にモノクロからカラーに交換できると言うので、アメリカでは人気のカメラであった。あの頃のドルをかなり稼いだカメラでもある。
そういう歴史的なカメラがめぐりめぐって、ネットオークションに登場して1000円のプライスが付いているのである。記念に入札しておいたら1000円で落札してしまったのはありがたい。
間宮マガジン35はレアなカメラであるが、それよりもレアなのは左に写っているエバレディケースなのである。これなど単体でネットオークションに出ているのを見ると、安いバルナックライカの本体が買える位の値段が付いていることもある。
^_^^_^^_^
石元さんとは、人生で数多くあった事はないが、非常に重要な出会いがあった。
まずこの写真家と出会うのが土壌で撮影中と言う時なのだ。最初にお目にかかったのは私が高校生の頃、丸の内線の西銀座駅で三脚にライカM2のブラック弁当をつけて撮影をなさっていた。それから影響を受けて、私はライター、M2のブラック弁当手に入れたのだった。
それから何十年かたって東京ビックサイトの建設中に、私は車でまだ何もない。野原を走っていたら、とっくにカメラを二台持って歩いている人影を見かけた。あこれは写真家だなと思って車を止めてお乗りになりませんかと声をかけたら、偉大な写真家の言葉は
いや、いい
であった。このショットは写真家が数年前、アメリカで巡回した桂離宮の写真展のカタログのトップに掲載されているのであるが、ディレクターの写真のセレクションが実に優秀だと思う。
写真家はおそらく1950年代の銀座と思われるところに三脚を立てていて、カメラは旧型のリンホフカメラである。そこで見過ごせないのは、写真家の友人が猫さん達であることだ。
私の最近の猫写真の異常なブームに対して、批判的に感じているのは、その基本テーマがかわいい猫たちであることだ。これは大変な勘違いで日本語間違った方向に導くものだと思う。あるいは政府が猫を使って国民の愚民政策をやっているのかもしれない。
有名映画監督タルコフスキーが愛鳥を手に乗せている貴重なショットがあって、それに感心したのは映画監督と鳥さんと言うのは平等な関係にあると言うことだ。ここでの写真家の振る舞いとその下で遊んでいる猫さんの立場も完全に平等なのである。そこが素晴らしい。
例えば、「手前の人物の背中越しに相手の人物の顔が見える」というような構図を作ろうとすると、「思ったより相手の顔が小さくしか映らない」となりがちです。
スマホを使う場合は、あくまでも絵コンテの再現を優先するのではなく、「ああ、スマホではこう映るのか」と割り切って構図をやや変更して撮影を進めることも有効だと思います。
一つ注意があるとすれば、「デジタルズームは使わない」ということです。
ビデオカメラの「光学ズーム」というのは、光の屈折を応用してアップ映像を撮影するので、画質は落ちないのですが、スマホの「デジタルズーム」は疑似的なズームです。
5倍に拡大すると、画質は1/5に落ちてるんです。
しかもズームアップしながらの撮影は、大抵の場合、「見づらい映像」になります。
「画質が落ちるデジタルズームを使ってでも、想定した映像にしたい」という場合、撮影時はズームアップにせず、編集時に拡大する加工をした方が失敗が少なくなると思います。
結果的に同じ映像になります。
撮影に対する知識が増えると、「どうせなら性能の良いカメラを使って素晴らしい作品を撮りたい」と思いがちですが、経験を積まずに知識だけ増えても、良いことはありません。
「どうせやるなら」と高望みする人は、結局やらないんです。
今持っている、スマホの環境で、まずは映画作りを始めることが正解だと思いますよ。
・写真技術
・演劇技術
・音楽技術
などを効果的に組み合わせる点から見ても「総合的」と言えるんですが、もっと話を絞り込んで「小道具などの工作」という点でも、考え方は総合的で、さまざまな材料や手法を適材適所で自由に組み合わせることが求められます。
私は基本、特撮映画が好きで、普通のドラマ作品でもさりげなく特撮技術を使うことで、王道のやり方よりも低コストでその場面を再現できる、ということにこだわっています。
例えば、「古い木造の校舎を流用した村役場の中の、古めかしい応接セット」というシーンを作りたいと思った場合、条件に合う撮影場所を探して、撮影していてはどれだけコストが掛かるか分かりませんから、「理想的なイメージ通りのセット」をミニチュアで作ってしまって、そこに人物を合成しよう、という発想になるわけです。
ですから、私の映画作りにおいては、エネルギーの半分は、ミニチュアセット作りに費やされる訳ですが、ここでの工作は、前述のような単独の材料や手法にこだわった工作ではありません。
さまざまな材料や手法を適材適所で自由に組み合わせる「なんでもあり」という事の方が大事になってきます。
この写真画像を、フォトショップを使って加工します。
まずフォトショップで画像を開き、保存形式を「JPG」などから「PSD」に変更します。
これによって、画像データの中に「レイヤー」と呼ばれる「階層」の情報を持てるようになります。
そのレイヤー機能を使って、同じ画像を2つに複製します。
1つは撮影したままの「背景」。
もう一つは、背景から、「机」の部分だけ切り抜いた画像です。
切り抜きは、大抵の場合、原始的な手作業で行います。
フォトショップのペンツールを使って輪郭に線を描き、その線で囲んだ部分以外が選択範囲になるように設定して、机以外の部分を消してしまいます。
これによって、
・机込みの背景画像
・机のみの画像
が用意できます。
あとはこれを動画編集ソフト(私の場合はプレミアプロ)に読み込んで、まず、
・背景画像の前に座っている人を合成する
という処理を行います。
この時点では、机と人が重なっている、なんだかへんてこな映像にはなりますが、それは気にせず、大きさのバランスや合成位置を調整します。
それが終わったら、さらにその上から
・机だけの画像
を合成します。
そうすることで、「人物が机の向こうに座っている」という状況が立体的に表現されます。
書き割りの前にいる人物とは違って、人物がより背景映像に溶け込んでいる状態に感じられると思います。
この手法をマスターすると、基本的には思いついた映像のほとんどを再現できます。
別にミニチュアセットを使わなくても手法は同じです。
金額がたとえ、思ったよりも廉価な作品であったとしても非常に大切に
扱います。その考え方は日本全般の美術愛好家の方にも浸透されていて、
日本の美術品の扱いは非常に丁寧で、湿度や温度、紫外線に対しても
几帳面に管理されていると思います。
しかし、パリ市立美術館で飾られている藤田嗣治の名品や、ピカソ
美術館にあるピカソの大作の名品であったとしても、大きなひび割れ
だけでなく、剥落寸前までに割れている作品を堂々と陳列している
ことに驚きました。
日本ですと、額の内側にはいいている埃やゴミを非常に気にされる方も
多く、特に写実絵画を扱っているとお客様は、几帳面な方が多いために、
私などは、恐ろしくて作品を扱えずに画廊にいる美大出身のスタッフにお
願いしています。ところが、百億円もしそうな美術品であっても、良い
こととは思いませんが、ひびが入って剥落しそうな状況の作品をアクリル
もいれずに、そのまま見せるところが、フランス人のおおらかさというか、
アバウトな気質がみてとれました。
本場と言われるパリの多くの美術館で、美術品の扱いだけでなく、アバウト
な運営なども拝見していると、多くの人に愛されるということは、こういう
ことなのかとも思いました。
実際に、多くのアスリートと思わせる世界中の方々がパリの美術館に足を
運んでいる姿と、それをおおらかに受け入れている姿を見て、美術品を
過度に神経質に扱い、子どもが少しはしゃぐだけで、叱られてしまう様な
美術館運営では、外国人観光客も日本の美術館には入りづらいと感じて
しまうのではないかと心配してしまいました。
そのためには、心身ともに健康でいなければいけません。
なにしろ、パターンシーカーの最大の天敵は、既得権に守られたシステムです。
そのシステムに捕獲され、教化される前に即座に逃げ出せないと「自己破壊的な行為を行ったり、精神を病んでしまう」のです。
かつて、ドゥルーズとガタリは、社会や権力が個人を特定の役割や場所に「領域化」しようとする過程を批判し、そこから「脱領域化」する、つまり定められた役割や場所から逃れることを「デテリトリアリゼーション」と呼びました。
「逃走」は単なる「逃避」ではなく、抵抗の一形態であり、既存の権力構造からの脱出を即し、新しい創造的な生き方や社会の構築につながるものとドゥルーズとガタリは定義しました。
これが現代ノマドの本質です。
オフィスを持たずに街中でWifiを探す事ではありません。
僕も良くも悪くも同じ場所にずっといられず、周囲が気がついたときには遥か遠くに行っており、システムに対抗するように逃走を続けていますので、やはり「経験を踏まえて見解」は、体力です!
ちなみに、僕の「カテゴリー」は「天才」ではなく「変人」だと思いますよ、社会性がギリギリある程度の(と、思っているだけかもしれませんが)。
瞑想は「四念処経」を初めに理解することが大切などとも言われますが、日々瞑想する仏僧の食事を見れば明らかで、いわゆる粗食です。
僕自身の経験からしても初めて深い瞑想レベルに達したのは、スリランカのアーユルヴェーダの施設で、半月ばかり食事を徹底した後でした。
実はそれ以前も様々な瞑想方法を試していましたが、とても納得出来る瞑想体験を得られた事は1度もありません。
「行う時間や場所など」ではなく、心を穏やかにするためにも、血糖値が乱高下しない食事をしばらく徹底しましょう。
まずは、ここから。
その場合は、あらかじめ、スマホで現場の記録撮影をする係に任命しておくことが有効です。
この制作途中の「メイキング資料作り」は非常に有効で、やった方がいいんですけれども、製作者は現場で余裕がないんです。
記念写真を1枚撮っておけばよかったということを、後から後悔しがちです。
でも、企画段階でそれを相談して依頼ができていれば、スタッフを撮影係にできます。
単なる現場の手伝いでなく、メイキング資料の製作者、という新しい体験を伴う満足感が得られるかもしれないんです。
そして、企画書があると、作品が完成した後に、その企画の成功度合いを確認したり、次からの改善点というのを考えることも出来ます。
せっかく創作活動を、しかも複数の人たちで行うのであれば、楽しめる要素は全て楽しんでやろうという形に持っていければ、創作活動自体が継続しやすくなるはずです。
新しい仲間も集めやすいということにつながっていくと思います。
キスリングの女性像の油彩画など、美術館にも置いてあるような
作品からお求めやすい、ピカソやシャガールの版画、ピカソの
絵皿など眺めるだけでも幸せな気持ちになるものを置いています。
美術品というのは不思議なもので、おなかが一杯になるわけでは
ありませんが、その美術品にあった波長の方がその絵の前に立つと
不思議な共鳴があるのだと思っています。それは言葉にすることは
難しく、経験した方ではないとわからない感覚なのだと思います。
名品と言われる作品は、その共鳴を多くの方と起こしたからこそ
時代を超えても残っているのであって、共鳴しない方には意味が
ないものなのかもしれません。
ですので、手にとって使いやすい方がよろしいかと思います。
一方、ARRIやRED、SONYでもVENICEなどの「シネマカメラ」は、完全に仕様が動画向けになっているため、静止画を撮る機能がありません。
ですので、静止画メインのαシリーズか、動画メインのFXシリーズでお悩みなら、家電量販店で実際に触ったグリップ感でお選びなってよろしいかと思います。
判断に迷ったら「持ってて、やる気になる!」かどうかです。
厳密なルールがあるわけではないですが、
・材料を準備して
・正しい順番で加工して
・完成させる
・完成品を味わう
このあたりがよく似ています。
どういう人が料理上手かというと、2種類います。
・レシピに従って材料を揃え、手順どおりに作って美味しい料理を作る
・冷蔵庫に残った食材を使って即興的に作る
飲食店における「まかない飯」というのは後者の即興料理です。
従業員が自分たちの食事を作る際に、店の中にあるあまり物の材料をうまく使って作る料理です。
大抵の場合、修行中の料理人が訓練として作ったりすると聞いたことがあります。
概ね「まかない飯」というのは美味しいものです。
映画作りについても、普通は厳密に準備をして作品を作る風潮があると思います。
それはレシピ本を見ながら、材料を全部揃えて、手順に従って作品を作るやり方しかしていないということです。
実際はもっとラフでもいいんじゃないか、ラフに作って面白くなることもあり得るんじゃないかなと思います。
料理で言う「まかない飯」と同じ感覚で、手元にある映像素材をうまく使える人は実は強いんじゃないかという話です。
しまったがゆえに、その道を選んでしまったがために、多くの苦しみを
得ることになるのは、現代の画家にも通じる普遍の心理なのだとしみ
じみ思います。運とご縁が非常に大切な厳しい世界です。
お互いにとって良いものになるとは限りません。一度だけの展覧会
でご縁がなくなった方もいらっしゃいます。画家と画廊との間には
多くの利害関係があり、お互いにプラスになる関係性でないと、
続けていくのは難しいと思っています。
どちらかだけが、得をする関係というのは長続きしないのだと思い
ます。また人間ですから、感情があるわけですし、5年10年と
お付き合いしていると、お互いの成長の度合いも気になるわけです。
仕事ですので、お互いに成長をして利益を配分していくのが良い
関係を持続する秘訣です。画廊は日々、絵画を購入するお客様と
接しているわけですから、お客様の嗜好や状況を把握している事
が大切です。画家は、自分の作品を高めていく努力が必要で、
やはりマンネリですとお客様に飽きられてしまいます。
今回、出展される作家さんは団体展に所属されている画家の方も多く
いらっしゃいます。団体展というのは、作家の精進する場所として
意味があると思います。画廊だけとの付き合いですと、どうしても
売ることが中心になりますので、画家としての成長という分野に
おいて、団体展は作家同志の切磋琢磨の場所として機能していると
思っています。
画家の仕事というのは、根本的には歴史に残る多くの人の心に棲む
ことができる作品を制作することであり、画商の仕事は画家の生活を
支え、作品を収集家の方に届けることだと思っています。
ですから、作家の行くべき道を画商が指導することは少し違うと私は
思っていて、人間としてお互いに切磋琢磨をしていきたいと思って
おりますが、画家としての成長はやはり画家自身が考えなければいけ
ないと思っています。
AIの分かりやすい応用例として画像生成技術がよく話題になります。
「こういう風景の中を、こういう人物が歩いている映像を作ってください」
という形でAIに指示を出すと、実写そっくりの架空の映像が作られる、というデモ映像を見た方も多いのではないでしょうか?
それを見て「今後は自分で苦労して映像を作る意味がなくなるんじゃないか」というような意見も聞きます。
実際、長い時間を掛けて苦労して作った映像とほぼ同じ映像が、AIで生成されるということもあるとは思います。
ただ、私たちはCG(コンピュータ・グラフィック)で作られた、実写そっくりの映像が登場したときの衝撃と、その後の「ああ、いつものフルCGね」という冷めっぷりを見ています。
特に創作物に対しては、AIによって作り出されたリアルな映像が主流になることはむしろ難しいと予想しています。
CGと同じで、AIの生成機能に頼った映像はメインで使うのではなく、実写の補佐としての使い方が効果的なのではないでしょうか。
なぜなら、取材に出向くとお金がかかるからに他なりません。
僕は人の話を聞くのが大変苦手ですので、そのようなYouTube番組を見る事はほとんどないのですが、逆に言えば、もし誰かが他にはないテーマに基づき、あちこち取材に行ったらきっと見るでしょう。
お読みいただいたコーヒー本は、そうやって作った1冊です。
現在、撮影や編集機材のコストが著しく下がり、動画制作が容易になって、またAI時代だからこそ、足で稼ぐ取材こそが他の人やAIと差をつける秘訣だと考えます。
ちなみに「売れるkindle本の作」ろうと思った事は一度もありません。
それなら大手出版社の言う通りに書いて、わかりやすいタイトルをつけ、しかし、自分にとっては面白くない本を出すことになるでしょう。
はてさて、ご自身で「初めてkindle出版をする」のに、それでいいのでしょうか?
これこそ「大事なこと」だと思いますね。
真っ当な事業者なら怖いぐらいに皆が完全に知って居るが
その手の人達は民法と税制上でも完全出禁
無論人としての刑法でも出禁以外のお取り扱いは出来ないんですねぇ(笑)
働き始めたら皆直ぐに知ると言うか理解出来る話
まあ逸材は日本国内だけで何人居るのか知らないが働いた事が無いとか言い出す始末だからね
とは言え統一教会や自民党を始めお金には成る様だからね(笑)
でも一瞬でも相手をした過去が出来たら結婚も出来なくなるから要注意だなその辺が弱そうな人は(笑)