【中判】LINHOF Super-Technikaのスレッド【6x9】最終更新 2024/05/25 11:261.名無しさん脚W9xXxcgT三重苦(重,高,大)の古典的カメラ,リンホフスーパーテヒニカ6x9のスレッド。融通の利かないドイツ製の金属カメラに愛の手を。(ボーッとしてたら落ちたので再掲します。はたして生き残れるかな。)出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/15960228332020/07/29 20:40:3358コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無しさん脚VQaBBワロタ2023/07/15 09:27:313.名無しさん脚mp9sLいいね2023/07/16 08:01:224.名無しさん脚DnYpO埋め2023/07/17 06:34:075.名無しさん脚C4YZk保守2023/07/31 06:08:116.名無しさん脚Z9rcj運用2023/07/31 08:47:247.目のつけ所が名無しさんGML87いいね2023/09/15 09:12:348.目のつけ所が名無しさんHLSou保守2023/09/16 10:50:009.目のつけ所が名無しさんuQwJu運用2023/09/21 09:05:3310.目のつけ所が名無しさんNZm3x埋め2023/09/23 09:21:1511.目のつけ所が名無しさん6kZHmワロタ2023/09/28 10:55:0612.目のつけ所が名無しさん4N7Is48丁目から8 × 10インチの大型カメラを担いでセントラルパークに撮影に行った。当時のトライエックスの8 × 10インチの25枚入りのフイルムは確か60ドル位だったと思う。その撮影済フィルムをたくさんストックしておいて1983年の夏の数ヶ月ウースターストリートの大きなロフトに^_^暮らしていたのでそこで現像をした。タイトルは春のセントラルパークと言うことで撮影したのであるがこれには結構シニカルな意味が込められていてニューヨークが春で素晴らしいから春のセントラルパークとタイトルをつけたわけではない。単なるプロジェクトのコードネームとしてつけただけの話である。メトロポリタンミュージアムの辺りまで北に行くと風景はちょっとセントラルパークも変わってくる。それでちょうどこの樹木Dog Woodの花が咲き始めたところを撮影した。この作品は非常に好きなものなのであるが素人ウケしにくい作品である。素人ウケすると言うのはミュージアムとかBrooklyn Bridgeが写っているのが人気があるのである。それで23年来田中長徳ギャラリーと言うオンラインギャラリーを展開しているのであるがその販売している作品の中で人気のないものなのだがこれを手に入れるコレクターはかなり写真がわかっている人だと思っていた。それでこの間この作品が売れたので私はそのコレクターのレベルが結構高いと言うことを言っておきたいのである。樹木と言うのは不思議な存在であってニューヨークにはもともと樹木がないから大切なのである。フルクサス運動の創始者常時マチューナスは漏話マンハッタンのウースターストリートに住んでいた。彼が植えた1本の樹木はポリスが撤去しろと文句を言いに来たのだがそれを撤去しないでそのまま何十年も経ってウェスターストリートで唯一の巨大な樹木になった。そのことはジョナスめかすも書いている。2023/10/08 06:31:2613.目のつけ所が名無しさんPdaRdかなり以前にガラクタ屋さんで2000円位で手に入れた。6 × 9センチの蛇腹カメラである。1910年頃から1945年頃にかけて、このタイプのカメラは実はスタンダードモデルであった。最初の頃はガラス甲板を使っていたのだが、ロールフィルムホルダーをつけられるようになって大幅に大衆化した。0ロバートフランクがスイスで撮影してニューヨークに行った時にアレクセイブロードビッチに見せたポートフォリオと言うのはこれと同じモデルで撮影されているのである。あるいは夜のパリを撮影したブラッサイもこのタイプのカメラを使っていた。だから、彼らが意図的にそういうカメラを選んだのではなくて蛇腹式のこのタイプのカメラが、あの時代のスタンダードであったと言う意味である。外見がこのようであるから、極めて時代遅れのように、初心者のカメラ人類さんには見えるのであろうが、実際にはなかなか便利なカメラである。特に反射式の小さなカレンダーが付いていて、その暁には水平をチェックできるバブルのレベルも付いているし、おそらくスナップシューティングでは、ライカより早く撮影ができると思う。6 × 9センチのミドルフォーマットは、雑誌の撮影などにはかなり便利なものであって、バルセロナオリンピックの前の年に2ヶ月ほどスペインに滞在して、料理の写真を膨大に撮影したのである。そういう時にこういうカメラを使ってはあまりにもクラシックなので、周りから警戒されそうなので、その時使ったのはLinhofのプレスカメラであった撮影の時間と人手が限られているので、本来ならば4 × 5インチのシートフィルムで撮影したいのであるが、それが不可能な時は6 × 9センチのロールフィルムだと撮影の管理がやりやすい。ガラクタ屋さんで手に入れたこのカメラは、改造がしてあって、これも当時の最新テクニックであったわけだがレンジファインダーが組み込まれていて、ピントが合わせることができる。言い換えれば、これは6 × 9センチのライカカメラであると言うこともできる。2023/10/25 09:35:4014.目のつけ所が名無しさんPdaRdしかし、実際の撮影ではレンジファインダーなどを使うのはめんどくさいので、カメラに付いている撮影距離をそのまま読み取って撮影すれば良いのである。私の場合は撮影距離はinfinityと5メートルと決まっているから、何の問題もない。ところで、このカメラであるが、カメラの名前が付いていないので、おそらくカールツアイスとかフォクトレンダーとかそういう有名メーカーのカメラであると思って10年近くが経過したのであるが、昨日のことであるけれど、カメラのフラップのところに何かスタンプがあるので、ルーペで拡大してみたらそれはお月様と星のマークが付いていた。それでようやくこのカメラがドレスデンで作られたIhageeのカメラであることが分かった。つまりヨセフクーデルカが使っていたExaktaの大先輩にあたるわけである。レンズはテッサー105ミリの明るいエフ4.5レンズが付いている。製造番号からするとコンタックスの1番最初のモデルが出た頃に作られたレンズではないかと思われる。シャッターもダイヤルセットではなくて、リムセット金パーだからね。このカメラに感動しているのは、金属ボディーにしっかりレザーが貼ってあるのだけれど、その1部が剥がれかけていると言う点である。精密機械としてこれだけ長い時間、つまり100年近く使ってこの程度の摩耗なら凄いと思う。2023/10/25 09:36:1115.目のつけ所が名無しさんPdaRd53年前に日本デザインセンターで広告写真家としてスタートしたときに標準的な4 × 5インチのカメラはリンホフカメラであった。ロケーションが多いし、モノレールの大型カメラよりも実際的で使いやすい。スタジオ撮影でもモノレールカメラで必要とするような複雑なムーブメントは使わないので、リンホフカメラと言うのはまさにユニバーサルである。車を追い写しする時などは手持ちで使うこともできる。私が当時使っていたのはリンホフカメラの4型と言うやつであるがアシスタント時代にはこれを自衛隊の小銃みたいなもので、全部分解してクリーニングして油をさしてまた組み立てると言うようなことをずっとやっていた。それで今でもリンホフカメラは暗闇でも操作できるのである。尊敬する写真家で、アメリカから日本に帰化して、トップレベルの写真、芸術の仕事をした石元先生であるがこの写真家が西銀座駅のホームで三脚に乗せたライカM2のブラックペイントを持っているときに高校生だった私は偶然その姿を見てブラックのエムツーを買ったのである。カメラジャーナルと言う100円マガジンの関連でずいぶんいろいろな単行本や写真集も出したのだが、二十数人の現場でヨーロッパを旅行して歩いた。撮影ツアーと言うよりもクラシックカメラの買い付けツアーと言うことで、日本経済新聞の人物の近況を知らせるコラムで、私とキャノンの御手洗さんが並んで紹介されたのにはびっくりした。要するに、御手洗さんは、新しいキャノンのビジネスの計画を語っていて、それに対して私は来月ヨーロッパに中古カメラを買いに行くのが楽しみと言う。すごいコントラストなのである。日本経済新聞の記者さんが私のカメラ本の読者さんと言うわけで、別に不正な事は何もないのだが、その人はアメリカの大学にユダヤ人の家族法の研究で留学してしまったが、今はどうしていらっしゃるのであろうか?しかし、この人物近況のコラムはプラスの面もあって、当時私の義理の兄が、大手の銀行の偉い人であったから、読むのは日本経済新聞だけだし、そういうところにキャノンのトップの御手洗さんとどこの馬の骨か分からない私が並んで出たので、私は単なる馬の骨ではなくて、うしのほねであることがわかって、私を信用してくれるようになったのはこれはプラスのエフェクトと言うわけだ。2023/10/25 23:27:5916.目のつけ所が名無しさんlTy4Y小村レンズは60年前は単なる安いレンズだと差別されていたのであるが、最近になって改めて手に取ってみるとそのクオリティーが高いのに驚かされる。要するに60年前はサードパーティー製の普通のレンズのクオリティーであったのが今では、メジャーなレンズのブランドのレベルが大幅に落ちたので、それと比較するとクオリティーが高いように見えるということなのかもしれない。その当時の小村レンズのカタログで、4 × 5インチ用のレンズのLINEアップが非常に完成していたのでびっくりしたことがあった。これはドイツ製の大判、カメラ用レンズ、すなわちカールツアイスとかシュナイダーが全盛の頃にこのラインナップを出していたというのがすごい。富士フイルムとかニッコールレンズが4 × 5インチ用のレンズを出すようになったのは、それから10年近く後の話なのである。それで500ミリef 7と言う35ミリ用であり、ミドルフォーマット用のレンズがあるのだけれど、それをナンバースリーのシャッターに入れたのが、この4 × 5インチ用のレンズである。ネットオークションで見つけて珍しいので、手に入れて、プロ用の4 × 5インチのカメラにセットすると、このように威風堂々として、いかにもプロの道具と言う感じがする。ところが4 × 5インチで私が通常使っているのは広角レンズだから65ミリと75ミリと90ミリが全てで長いほうのレンズは1度も使わない。大昔カメラ道楽のおじさんがどんどん高いカメラが欲しくなると、ライカを買ってからブローアップしてハッセルブラッドに行き、さらに4 × 5インチのリンホフに行ったりする。それで実際には4 × 5インチは使わないから、立派なお座敷の床の間にリンホフカメラが飾ってあったりする。1981年頃まだ暇であった天才荒木と新宿のでかい喫茶店で会話をしていた時、我々の話題は現代写真ではなくて、冷蔵庫を4 × 5インチのカメラで撮影するときのベストなレンズは何かと言う話題であった。彼は博報堂で私は日本デザインセンターで冷蔵庫を撮影していたからである。そういう場合でも話題になったのは4 × 5インチのカメラに対してベストなレンズは210ミリなのかそれとも240ミリなのかということで話題沸騰した。その意味でも500ミリと言うのはちょっと普通では使わない望遠レンズなのである。2023/11/09 06:03:0217.目のつけ所が名無しさん7ADKkそんな古いフィルムの画質でレンズカガーとか言われるレンズが可哀そう2023/11/10 20:34:3718.目のつけ所が名無しさんK0Dz1ワロタ2023/11/11 06:33:0319.目のつけ所が名無しさんgAuK2ワロタ2023/11/25 08:31:0720.目のつけ所が名無しさん4FCxy「ニコラ・ペルシャイド)Nicola Perscheid」。一方では最高の肖像用カメラレンズと言われ、一方ではどう撮ってよいのかわからないレンズとも言われる不思議なレンズ。300mmから420mmくらいの8x10用のレンズがほとんどですが、手元にあるのは180mmで最大4x5。中判カメラでもよいかもしれません。2023/12/01 12:34:5721.目のつけ所が名無しさん2JSKP1930年代とかなり古いレンズですが、中央部はキッチリ撮ってくれますね☺️逆光耐性は皆無です😅2023/12/03 12:27:2222.目のつけ所が名無しさんjwbuK私も漠然とは同じように考えていますが、魂=抽象度の高い知覚、と定義すれば科学的に説明できるようにも思えます。LLMに関わる研究者の多くが、モデルの大きさと学習データの大きさを増やすことにより、設計者が予想もしなかった新たな能力が「出現(emerge)」していると指摘していますが、その延長上に、私たちが「魂」とか「意識」と呼んでいるものがあると考えている研究者もいます。しかし、この考え方に直感的に納得がいかないのが、人間や他の動物にある「生存本能」「食欲」「性欲」など、自然淘汰の結果つくられた「本能」や「欲求」が人工知能にはない点です。具体的には小脳の欠如です。つまり、さまざまな本能や欲求があった上で、その上に知能が発達することが、魂や意識の出現には不可欠に私には思えるのです。私と同様に考える研究者も当然いるでしょうから、小脳に相当する部分を人工的に作ろうとする試みも行われると予想できますが、私にはそれこそが、人類の存続危機に繋がる「危険な一歩」のように思えます。2023/12/05 09:39:5323.目のつけ所が名無しさんkXmtB135/3.5 Planar (Carz Zeiss) GermanyLinhof ネーム入りリンホフテヒニカ4×5inボード付 (オリジナル)前後純正キャップ付 、シンクロコンパーM.X.V.1番シャッター付M. フラッシュ球 X. ストロボ V. セルフタイマーT.B.1〜1/400 F3.5〜F32 真円の丸々絞りイメージサークル178mm (f 3.5)フィルターサイズ58 mm135mm F3.5 Planarは30年程製造されていましたが、此の年代のレンズが1番シャープで解像度もトップだと思います。レンズの硝材が良いのでしょうね ! 。光学レンズもさる事乍、レンズを抱き込んでいる鏡胴の美しさ精度の高さが伺えます。2023/12/06 17:56:4424.目のつけ所が名無しさんWdAUGこれまで、自ら街を歩いて撮影した写真をモチーフに、2022年からはシルクスクリーンによる 写真製版技法も併用しながら、ありふれた景色や場面を写しとり、絵画にしてきました。 それらは私にとって実在した出来事の記録であるとともに、流動と定着を繰り返す顔料や箔によって、 画面上に重ねられていった新たな出来事の痕跡でもあります。 それらは常に、そこには映らなかった/描かれなかった/生まれなかった無数の出来事の可能性を、私に示唆し続けます。 たしかにあったこと、どこにでもあること、けれどいつかはなくなってしまうものに、別の生を与えること。 ささやかな日常の断片と、その変奏を描きます。(作家から)2023/12/09 08:29:4225.目のつけ所が名無しさん6XM17いいね2023/12/16 00:24:3926.目のつけ所が名無しさんtw4JQAI(人工知能)を中心とした世界がアメリカ企業を中心にして構築されると、他国の企業はもう太刀打ちできなくなっていくということだ。インターネットを制したアメリカ企業が世界を制したのと同じで、今度の10年~20年は引き続きアメリカ企業がAIで世界を制する確率が非常に高い。そうでなくてもアメリカ企業一強なのに、アメリカ企業の「AIを中心としたパラダイムシフト」が起こると、その強大さは恐ろしいものになりそうだ。ChatGPTによって開かれたAI時代は「まだ始まったばかり」なのだから、まだ気づいていない人もいるのだろうが、やがては地球の全人口がAIの技術革新に飲み込まれていくだろう。もちろん、AIも完璧ではない。場合によっては、AIによるパラダイムシフトが頓挫するケースも存在するかもしれない。しかし、今はそれに賭けるよりもAIが全世界を支配する方向に賭けたほうが勝率は高い。だから、私は「何が悲しくて資産の40%をアメリカ以外の国に振り分けてパフォーマンスを落とさないといけないのか」と考えてしまうのだ。「全世界よりも全米に賭ける」のは、そういう意味合いがある。現在、アメリカのハイテク企業は、そこらの新興国のGDPをはるかに超えるような巨大な時価総額を誇っている。Apple、Microsoft、Google、Amazonなどの企業のスケールは国家レベルの規模となって地球に君臨している。おおよそ、現代人でアメリカのハイテク企業の製品やサービスを使わずに日常生活を送れる人はほとんどいない。これらの企業は、まるで当たり前かのように全世界対応のサービスを行っている。今、私たちの文明はテクノロジーがなければ何も始まらない世界になっているのだが、その根幹の部分をアメリカのハイテク企業ががっちりとつかんでいて、代替品はどこにもない。これからやってくるAIによるパラダイムシフトも、やはりアメリカのハイテク企業群が制するのである。2023/12/17 15:40:4227.目のつけ所が名無しさんpLOm7縁が無いので良くは知りませんが、一般的に美術大学に入学するのはなかなか難しい印象があります。そして、最近よく美大で絵画を学んだ人の話を聞く機会が多くて、その実情に愕然としています。画家になりたくて美大に入った人は、ひたすら創作に打ち込みます。卒業後も、最低限の生活費を稼ぐアルバイトをしつつ、絵を描き続けます。「とにかく創作に全てのエネルギーを注げ!」と教育されているからです。一部の人は、師事したプロの画家について回って、その画家の個展にオマケとして1枚だけ自分の絵を展示させてもらったりしますが、そこから活路が開けることはほとんどありません。驚くことに、美大を卒業して画家になった人の大半は、一度も自分の絵が売れた経験がないまま、画家の道を諦めて別の進路を選ぶそうです。これは何を意味するか。「創作者は技術を磨き、感性に従ってひたすら作りなさい」という指導が間違っていると私は思います。少なくとも職業画家になるのであれば、・どういう作品が求められているか・どこに顧客がいるのか・どうすれば自分をアピールする場を確保できるかということを調べて勉強する必要があったはずなんです。これはいわゆる「商売」の要素です。「芸術家は貧乏なものだ」「金で魂を売るな」というような滑稽な考えが、画家という特殊技術を持った人の才能と時間をかえって無駄にしてしまうんです。この滑稽な考えや教育方針が、個人だけでなく、その業界全体を衰退させる元凶だと言っても過言ではないでしょう。美大では芸術家としてのビジネススキルを身に付けるカリキュラムをもっと強化すべきではないでしょうか?2023/12/23 08:57:2528.目のつけ所が名無しさんgDkmEいいね2024/01/01 13:43:0629.目のつけ所が名無しさんamqLMこの前の被写体タチハラ('ω')2024/01/04 13:26:1630.目のつけ所が名無しさんAdPnkピンマイクは、TENTACLE TRACK Eというポケット・レコーダーを使用しています。装着は、マイク含めて小型なのでお相手の服の中にしまっており、収録中にモニタリングはしていません。32ビットフロートで録音すれば、絶対に音割れしないからです。あとは、カメラに載せた「ECM-B1M」も使ってます。録音用の「機材・環境」は、これだけです。また、「カラーグレーディングやカラーコレクションの環境」は、MacBook Pro(M2)と、ソフトウエアはDavinci Resolve(4万7980円の有料版)を使用しており、「カラーグレーディング」以外にも編集からサウンドエディット等のすべてのポスト・プロダクション作業を、これだけで行っています。ちなみにアクセントで使っているドローンショットの大半は、「DJI Mavic3」です。あとはSONYのαシリーズのカメラとレンズがあれば、もうこれだけで劇場公開映画が作れる時代なんです。それゆえ、「映画制作の民主化がはじまった」とお伝えしている次第です。3年前には考えられませんでした。いい時代になりましたね。2024/01/05 18:09:3131.目のつけ所が名無しさんK1DAJシートだと1枚づつ現像方法変えられるのでイイですよねー🤤2024/01/06 14:21:0932.目のつけ所が名無しさん0h7E11980年代の初めに、ニューヨーク近代美術館にアメリカの写真を研究しに行った頃には、まだいわゆるニューカラーの連中が新人であった。それで私も影響を受けて、8 × 10インチの大型カメラでマンハッタンの撮影を開始した。ところがコストがかかりすぎるので、当時の文化庁からもらっていたお金では何しろ当時のレートが285円だったので経済的に行き詰まってしまう。それで方向変換して8 × 10インチのモノクロフィルムでマンハッタンを撮影した。今思うとこれはこれで良かったと思う。当時のニューカラーの連中は私と同世代だと思っていたら、私が25年前に写真を教えていた渋谷にある写真学校で、今度ニューカラーの有明写真家の講演会をやるらしい。そのインフォメーションビデオを見たら、当時の20代はすでに後期高齢者になっていたのは当然のことだけど、時間経過にびっくりした。ニューヨークのセントラルパークもたくさん撮影したポイントである。ちょうど春の時期でメトロポリタンミュージアムの裏側に、Dogwoodの花が咲きだして、それがなんとも言えなかった。植物の花をその存在感、ありのままに取ると言うのは非常に難しいことであって、ロバートフランクもパリにいて非常に苦労している。この作品は私は大好きなのだが、いつも考えている事は、一般的な好みのモチーフではないなと言うことなのだ。ニューヨークのテーマですればBrooklyn Bridgeとかそういう方がはるかにわかりやすいのである。最近ヤフオクでオンラインギャラリーと言う形でこの時代のプリントを販売している。今までに50点位売れたのであるが、その中にこの作品も入っていて、今までに2人のコレクターがコレクションに加えてくれたのはありがたい。2024/01/07 04:46:4133.目のつけ所が名無しさんSmmr7時々「改造レンズ」で検索かけたりもします😊2024/01/13 15:00:1334.目のつけ所が名無しさん8FZRk私は22歳の大学生です。Instaの映え文化の影響もあってか、同世代は日常的にスマホで写真を撮っています。ただ、おしゃれな写真を消費しているイメージで「写真そのものが好き」というよりも、雰囲気を魅せるためあるいは共有が好きな人が大半な印象ですね。カメラを所有している人は、あまりいませんし、自分のようなオールドレンズ狂いは希少種ですね。カメラを所有している人は大体αです。2024/01/14 09:47:0435.目のつけ所が名無しさんc0NCBその意味で、中判の蛇腹カメラでは75-85mmのレンズなのでFBは65-75ミリ程度ですから問題なく成立するでしょう。2024/01/20 11:29:1036.目のつけ所が名無しさんBjCSd69バックが欲しかったので、ホースマンのジャンクをポチって、追加工して付けましたスクリーンとフィルム面のフォーカスも合致していて、実戦投入です2024/01/23 20:29:0337.目のつけ所が名無しさんjm2t0例えば、高級食パンや、タピオカ屋や立ち食いステーキファミレスや居酒屋チェーンなんかが儲かるのはわかるわけですが私はそういう所には行かないのです。私は、人形町今半とか、道頓堀今井とか居酒屋赤鬼とか、居酒屋山三とか歴史あるこだわりの店に行くことが多いのです。なぜかというと、やっぱり老舗のこだわりの店の方がお客様との関係を大切にしていて品質がいい傾向にあるからであります。また、ホテルも最近は利益ばかり重視の狭い部屋が増えていますが、私は利益最大化を追わない余裕あるホテルを選んでいます。2024/01/27 11:26:3238.目のつけ所が名無しさんwIDbN例の如くカメラ屋に行ってきました。前々から気になっていた大判を始めるか悩んでいます。やっぱり135mmや軽量デジタル機を長年使用した身には厳しいですかね?2024/02/04 11:24:2839.目のつけ所が名無しさんCpHEIまずはストーリーのアイデアを貯めましょう。そして順次、短期間で完成する「オーディオドラマ」を量産しましょう。映画製作にはさまざまな準備があったり、季節的なタイミング、関係者のスケジュールなどもあります。完成したオーディオドラマの中から「条件の合うもの」を順次、映画化していくというパターンを作っておくのもいいかもしれません。「この作品に協力して欲しい」と仲間を誘うときにも、企画書や脚本だけでなく、オーディオドラマがあると、イメージを膨らませやすくなることは間違いありません。「オーディオドラマから映画化へ」というパターンは、その一つの可能性を示しています。皆さんもぜひ挑戦してみてください。私も実践してみます。2024/02/10 12:06:4740.目のつけ所が名無しさん96sRJいいね2024/02/20 11:54:4441.目のつけ所が名無しさんIPtEW進歩の源泉人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、すべてインスピレーションとか感動から始まる。ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。2024/02/23 16:08:2742.目のつけ所が名無しさんdrDrq普段、画廊を経営しておりますから絵を見ることは慣れております。それでも作家の思いを直接伺うことはとても大切です。山田雅哉さんという作家さんがとても素晴らしいことをおっしゃっておりましたのでご紹介いたします。‘僕は日本画の可能性を信じています。日本人として生まれ、日本画は日本の精神性を表すものとして最適な表現方法だと思っています。日本画を描くときは顔料と膠と紙と筆で描いています。その時に僕は日本画は全て自然界にあるもので絵を描いているという事を意識しています。すべてのものに神様がいるという考え方は日本画の世界の中に今でも生きていると思っています。‘確か、こんな感じのトークをたんたんとまだお若いのにお話されていたのがとても印象的でした。銀座柳画廊は油絵の作家を中心に扱っている画廊ですが、今の時代は油絵とか、日本画とか、インスタレーションとか、ミックスドメディアやメディアアートなど、さまざまな表現方法があり、大切なことは、その絵画に込められた精神性だと私は思っています。海外からのお客様が増えた銀座では日本画に興味を持たれる方が多くいらっしゃることを肌で感じています。また、日本画の作家は日本にいながらにして、日本人であることを意識されている方が多くいらっしゃいます。改めて私自身も、山種美術館とのご縁を頂いたことから、日本画についても 展覧会をはじめとして知識と経験を深めようと思いました。山種美術館での公募展では、非常に高いレベルの作品が並んでおり、ここから将来の巨匠が生まれてくるのだと思うと、画商としてはまた3年後、この展覧会には来なければいけないと思いました。美術ファンには、これからの作家を見つける登竜門になると思います。2024/02/24 09:24:0643.目のつけ所が名無しさんPG4Qo山に登るという行為について、思いをめぐらせることもあります。「頂上までひたすら登って、頂上に着いたらまた下る。登って下るというのが登山。でも果たして頂上は必要なのか? 自分が山に登るのは、山道をただ歩くという行為が気持ちよく、その尾根を回り込んだ先に、その峠を越えた先に何が展望できるのかという期待があるからではないからか。だったら頂上は必ずしも必須の要素ではない。ただ歩くだけの登山もあってもいいのではないか。ひたすらどこまでも歩き続け、頂上も下山という行為もない登山……」そういうことをつらつらと考えたりしているのです。たわいないし、とりとめもない思考です。だから直接的に、生産に結びつくわけではない。役に立たなそうに見えます。しかし本当に「役に立たない」のでしょうか。思考には「収束的思考」と「拡散的思考」があります。収束的思考はただひとつに集約していく思考であり、思考の結果として生産があり、原稿や講演といった成果物に結実します。拡散的思考はひたすら広がっていく思考であり、成果物を生み出すわけではないけれども、さまざまなアイデアや発想が湧いてくるものです。わたしが山に登っているときの思考は、拡散的思考です。「山道を転ばずに歩くにはどうすれば良いか」「山頂は本当に必要か」「歩き続けるのはなぜ楽しいのか」などのとりとめのない思考が次々に湧き出しています。それらは決して収束しないので、そのまま原稿などの成果物になるわけではありません。しかし、いずれは成果物に結びつくかもしれない、さまざまなアイデアの泉にはなっているのです。2024/02/28 15:09:0444.目のつけ所が名無しさんUYrad純粋に日本に生まれて、育ててくれた日本の事が大好きだとおっしゃる福永先生にとって、今回、初めて描かれた富士山は、今まで畏れ多くて描けないと思っていたのを、今回の展覧会では「描かなければ」と思ったようです。作家にとって、個展というものは何年かに一度、自分の成長を含めて、日々の精進と考えていることを発表する場所でもあります。それは孤独な作業でありますが、多くの方に見ていただくことで、その孤独の作業の結果を感じる機会となります。前回の展覧会はコロナ過で開催され、それから世界はロシアの戦争、中国の覇権の脅威、そしてパレスチナとイスラエルの戦争など、私達の周りでは心が不安定になる要素でいっぱいです。今回~ひのもと~というサブタイトルをつけ、富士山を描こうと思った福永先生の気持ちはそれらの一連の当然の流れであったのだと感じています。今、世界で求められるのは、‘和をもって尊しとする’日本の精神性であると福永先生は感じておられ、私もそれに共感しています。その思いを日本画という形で表現され、今回の展覧会にぶつけてきてくれたことに、銀座柳画廊としては応えていきたいと思っています。私も最近、海外に出ることが多くなってきている中で、感じることは海外にいると緊張しているという事です。言葉の問題ももちろん、ありますが、人に騙されないか、すりにあわないか、危険な目に合わないか、などなどそこには危険が一杯だからです。日本にいるときに感じる、安心感と食事のおいしさ、人の優しさはお金では表現できないものであり、その価値に気づいた外国人が円安で安いからだけではなく、日本のファンになっているのだと思っています。今回の展覧会は福永先生の今の心境が伝わるものとなっています。一人でも多くの方にご高覧いただきたく、宜しくお願いいたします。2024/03/02 10:39:5845.目のつけ所が名無しさんwVYhWというわけで、もしあなたも最高の人生を望むのであれば最高とは言えない、腐れ縁的な関係は終わらせるをお勧めします。不満のある恋人と付き合いだらしない友人とだらだらと過ごしイマイチな職場に勤めていたら最高の人生にはならないものですね。最高の人生にするためには時間を確保してその時間に最高のものを埋めていくという思考が必要です。2024/03/04 19:28:1746.目のつけ所が名無しさんbnspM私達は一人一人、違った時間感覚を持っています。 何事にもゆっくりしたペースで臨む人は、せかせかと忙しなく行動する人のことを「せっかち」と思い敬遠しているかもしれません。 逆に、何事も処理能力が高く、素早く的確な判断ができる人にとっては、じっくり型のスローペースの人の行動は怠惰に見えてしまったりします。 しかし、自分が感じているテンポ以外の時間の流れが人の数だけ存在していることに気づければ、人が自分と違うテンポで物事を処理することにもゆとりを持って接することができるでしょう。2024/03/09 09:49:5547.目のつけ所が名無しさんhMYLW個人的には、田中千秋社長がIT業界におられてから、この美術業界に入られました。私とおなじような時期に業界に入られておられるので親近感を持っています。田中さんのお父様は、私が画廊巡りを始めた時、周りの同業者からは冷たい目で見られていたのに、ツアーで伺うと温かく迎えてくれたのを昨日のように覚えています。さて、その田中社長が長年、本を出版するにあたりなかなか出版社が決まらないと悩んでいらっしゃっていたので、私が本を出版したときに力になってくれた編集者をご紹介させていただき、素敵な内容な本を出されたと感激しています。名前のとおり、‘アートコレクター入門’ということで、この本の目的は、何人かの登場人物と、田中社長とでコレクター入門の塾の講義を聞くという仕立てになっています。SNSでは過激な発言の多い田中社長ですが、この本の中では非常にバランスのとれた、優しいおじさん風の会話で、読みやすい内容になっています。私が画廊巡りを始めた思いと同じであると、この本を拝読して感じました。美術業界で、新しいお客様を増やしていくためには、業界をあげて取り組まなければならない課題であるにも関わらず、個々の画廊の努力だけではどうにもならない状況に追い込まれているというのが共通認識です。日本の文化の素晴らしさを身近に感じているのが、日本の美術関係者です。その仲間である私達が、つまらない嫉妬や焼きもちで外部のお客様への対応が、お客様の望む方向性になっていないのが現実です。これからは、田中社長をはじめとして 多くの同業者の仲間が日本の文化の営業マンとして、商売だけでなく多方面で協力しあう時代なのだと思っています。2024/03/23 09:23:3548.目のつけ所が名無しさんUqv12戦後になって4 × 5インチのプレスカメラはアメリカのスーパーグラフィックが主流になった。これを日本の会社がそのままライセンス生産をしたこともあった。戦後にアメリカ軍の放出品としてかなり日本に入ってきた大型カメラと言うよりも当時は通常のフォーマットサイズのプレスカメラである。このカメラの威力は絶大であって当時の日本でもスーパーグラフィックを手にしていればそのままポリスLINEを突破することができると言う伝説もあった。このカメラは英国製で130年位前にできたものだ。あちらでは4 × 5インチではなくて点5 × 41というのが理由は知らないけど何か面白い。20世紀初頭の世界のカメラメーカーはアメリカのイーストマン・コダックはもちろんあったけれどもヨーロッパのマーケットでがんばっていたのが英国製ドイツ製フランス製だった。そしてこの頃のカメラの様子と言うものがこのサンダーソンに代表されるような感じでマホガニーの本体に黒い皮が貼ってあって、蛇腹はこのような目も覚めるようなレッドであって、そこに真鍮製の金色のブラスフィッティングがついていると言うのは今の時代の我々から見るとカメラが夢を抱きかかえているように見える。しかしこれは当時としてはごく普通のカメラのアピアランスであったわけだ。このカメラは30年位前にロンドンのマーブルアーチのそばにある古道具屋さんで買ったものだった。もともとガラスプレートを使うようになっていたがそのプレートで中にアダプターが入っているので通常のフイルムも使うことができる。この時代にガラスプレートから次と文に移動していた時期と言うわけだ。それからしばらく経ってから全く同じものをガラクタ屋さんで発見してにだいめを手に入れた程度は年代の終わりにはどちらも素晴らしいものだった。カメラの設計者の三田さんと言う思想はもともと建築家であったのがカメラメーカーになったようで建築写真を撮るときにはカメラのフロントを上の方に来店するというのがテクニックの定番であるから、このカメラもフロントのライズが非常にうまくできるようになっているトップのカメラのフレームがヒンジで上に跳ね上がって開くようになっているのだ。このユニークな気候と言うのをドイツのリンホフカメラではずっと時代が降った1970年代の隣豊富になって初めて採用している。2024/03/26 07:00:2749.目のつけ所が名無しさんlBu5k画廊の仕事は息の長い仕事で、作家を育てるといっても10年単位で、すぐに結果がでるものではありません。しかも、絵が売れるというのは、作品が良いことも長い目で見たら非常に重要ですが、景気というものにも大きく影響を受けてしまいます。ですから、絵描きと一緒に仕事をしている画廊の心構えとしては、個展で作品が売れることに一喜一憂するのではなく、やはり10年単位で、扱っている作家が成長していくことを伴奏する覚悟があるかどうかを自問自答しながら継続することになります。2024/03/30 09:05:4250.目のつけ所が名無しさん3GRVaご高覧いただきまして、ありがとうございます。すべての映画を自然光だけで撮っている巨匠テレンス・マリックは、敬虔なクリスチャンであることから、自然光を「神の光」と考え、「その恩恵のもと、すべてを撮る」と話しています。僕はそこまで深い信仰心はありませんが、同じように自然光を「神の光」と捉え、なによりその下では嘘がありません。それゆえ、照明どころかレフ板も使わず、映画だろうがスチル写真だろうが、ドラマだろうがドキュメンタリーだろうが、ありのまま撮っています。また、以前は主体とバックグランドの強弱を現場の光でコントロールするしかありませんでしたが、いまはアプリケーションのAI技術でポスト処理が可能です。そうすることによって、照明機材の映り込みを気にせず広角で撮れますが、ただし、太陽光が良くなる時間まで気長に待つ必要があります(←ここ、ポイント!)。一方、タレントスケジュールや予算から撮影日程が決まっている仕事(特に広告)だと、そうは行きません。「広告代理店に入社」ということは、タレント仕事も手がけるのでしょうが、「天気待ち」など許されるわけがありません。テレビもそうですが、好感度は高いけどクリエイティビティが低いタレント仕事に嫌気がさして、お疲れにならないようにしてください。タレントも広告も「それなりに嘘」をつくことが重要でして、それゆえ照明との相性もいいのです(自然光との相性は悪いのです)。ちなみに、僕が天気待ちの間は、音楽聴きながら読書に勤しんでいます。2024/04/07 06:05:5151.目のつけ所が名無しさんOad0kいいね2024/05/01 13:44:5952.目のつけ所が名無しさんfEeKi長年、コンピュータの理解と英語が大切だと説いてきましたが、「プログラミング」はそこまで重要だとは考えていません。なぜなら、世の中は無人化に向かっており、プログラマーもエンジニアも徐々に淘汰されていくからです。これはAIに限らず、コロナ禍で顕著になったノーコード(実際はノーエンジニア)サービスが一般化したためで、コンピュータをしっかり理解していれば、もはや「プログラミング」の必要なく、WEBからスマホアプリまで作ることが可能です。このようなサービスでは、ビジュアルに長けたインターフェースを使ってアプリの機能やデザインを定義することができ、なによりスクラッチで作るより開発時間とコストが10分の1以下ですみます。さらに、AIの分野でも機械学習モデルの構築にプログラミングが不要になりつつあり、データをアップロードするだけで、自動的に最適なモデルを構築します。つまり、これからの時代に必要なのは、プログラミング言語の習得ではなく、最新のツールを「選ぶ力」だと言えるでしょう。そのためには、プログラミングの勉強に固執するのではなく、新しいテクノロジーやツールに常にアンテナを張り、柔軟に学び続ける姿勢が大切だと思います。プログラミングの学習で行き詰まっているのであれば、一度立ち止まって、本当に必要なスキルは何かを見つめ直してみてはいかがでしょうか。ちなみにツールの「選ぶ力」の次に必要なのは、「人とは違った使い方」をする創造力です。こちらは次の課題でしょうね。2024/05/03 16:51:5453.目のつけ所が名無しさんeIWhM自分たちが5年くらい掛かって出来るようになったことも、新人に裏技込みで教えると、1ヶ月で出来るようになるんです。私は1日でも早く戦力になってもらって作業を助けてもらいたかったので、段階を追って自分が知る全ての裏技を伝えていましたが、ベテランイラストレーターの中にはそれを良く思わない人もいました。「はじめからそんな裏技を教えたら勉強にならないよ」ともっともらしいことを言っても、要は「自分たちが長年掛かって出来るようになったことを短時間で出来るようになられて面白くない」というのが本音でしょう。映像の世界でも同じような話はたくさん聞きます。「自分たちの頃はどれくらいの明るさに映るか、露出計などを使って計算してプロの技術で撮影してた。今はモニターで最終的な状態を確認しながら簡単に撮影できてしまう。あれでプロと言えるのか。嘆かわしい」などという意見はどんどん技術が進んで行く世界では滑稽な批判です。2024/05/04 10:17:0054.目のつけ所が名無しさんJELw3現在では、ほぼ100%、映像の撮影はデジタルカメラで行います。アナログのビデオカメラで撮影した映像を、アナログ編集していた時代を知らない人の方が多いのではないでしょうか。映像をデジタルデータとして扱うことが当たり前の現在、パソコン編集によって映像合成がとてもしやすくなっています。でも、映像合成をするのであれば、アナログ時代の手法が最も実用的なんです。アナログ時代の手法というのは、基本的に「合成する映像はカメラを固定して撮影する」というものです。古典的な手法である「ストップモーション」を多用した特撮映画は、近年でもその楽しさが再評価されて、新しい作品も作られていますが、これらの場合も、基本的にはカメラは固定した状態で撮影します。つまり、「カメラワーク」を使わないんです。カメラワークというのは、カメラを上下左右の向きに動かしながら撮影したり、移動しながら撮影したり、ズームしながら撮影することです。映像合成は2つ以上の映像を組み合わせるので、映像が動いていると合成がずれてしまうんです。昔の日本映画などを見ると、合成用のブルーバックの前で俳優を撮影するときにカメラワークを使ってしまったため、非常に不自然な合成映像になっているシーンがあったりします。これは恐らく、その監督やスタッフが合成特撮の性質を良く理解していないせいだと思われます。「合成映像は固定カメラで撮影する」という常識を打ち破った映画もあります。「ジュラシック・パーク(1993)」です。この作品では「走っている人物を移動しながら撮影した映像」にCGで作成した「走っている恐竜」を合成するという場面が登場します。今では珍しい映像ではありませんが、当時は信じられない映像でした。当初は「ジュラシック・パーク」でも、合成映像部分は基本、カメラを固定して撮影する計画だったそうです。しかし、スピルバーグ監督の「どうしても移動撮影にしたい」という、ある意味「ワガママ」を実現するため、撮影済みの映像の解析をして、カメラの角度や動きの向き、スピードを割り出した後、それに同調するようにCG映像を合成するというような、ソフトウェアを開発して実用化しました。資金力があるアメリカ映画ならではのエピソードです。2024/05/11 10:28:4055.目のつけ所が名無しさんJELw3「手振れがある映像」=「リアリティがある映像」という考えで作られた作品も多くありますが、その手法はそろそろ陳腐化していると思われます。そして何より、手振れ映像は見ていて疲れるんです。人によっては「映像に酔ってしまうので苦手」という場合もあります。私は学生時代から多くの自主映画に対して、「手振れが安っぽく見える原因の1つだ」と考えていたので、出来るだけ三脚を使って安定した映像にすることを心掛けてきました。これには一理あると今でも思っています。映画の入門書などをみると、基本技術としていろいろなカメラワークが解説されています。確かにカメラワークによって出る効果もありますし、カメラワークを使った撮影自体にも魅力はあります。ただ、「一定条件の中で作品を完成させる」という高い視点に立ってDIY映画製作を考えると、カメラワークの無い固定撮影を多用することがとても有効な手法と言えると、私は自身の体験から言えます。2024/05/11 10:30:5356.目のつけ所が名無しさんPUYfA【速報!】本日より池袋の東武百貨店で始まった池袋クラシックカメラ博に朝一番から参戦してきました!予想以上の大混雑でした!やはり行くと欲しくなっちゃいますね~MNGしちゃいました~😇明日明後日はジャンク市があるそうです。21日(火)まで。見てるだけでも楽しいので、また行くと思います!2024/05/16 12:53:5757.目のつけ所が名無しさんNewRwニック・ワプリントン(1965-)は、イギリスとアメリカを拠点に活躍する写真家です。1991年にAperture社から発行されたデビュー作品集「Living Room」で高い評価を受けます。 同書のエッセーは、写真家リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)と美術批評家ジョン・バーガー(John Berger)が担当。1980年代後半までのイギリスは、サッチャー政権下で、産業の崩壊、貧困と失業の増加した時代でした。 同書はイギリス・ノッティンガムのブロクストウ団地の労働者階級の友人、家族、隣人たちの日々の生活を5年間に渡って撮影したものです。彼の写真は、被写体たちがカメラの存在を全く意識せず、自然体であることが大きな特徴でした。写真は基本的で全く平凡ですが、人生と喜びに溢れています。そしてドラマが繰り広げられるのは、タイトルにもなっているリビングルーム。そこは、コミュニティが人間関係を演じる舞台であり、セットであり、窮屈で、不潔ですが、一方で美しい世界でもあるのです。写真、映画、テレビでは、この時代のイギリスの労働者階級を、概して暗い印象で提示しています。しかしワプリントンはカラー写真を駆使し、笑い、愛、幸福に満ちた別の側面を見せることで、この画一的な なイメージに揺さぶりをかけたのです。同書は1980年代の労働者階級のイギリスの現実を描いた重要な作品として今も語り継がれています。本書は1991年発表のオリジナル・モノグラフを、未公開の膨大なアーカイブを活用して現代的な視点からコンセプチュアルにリメイクしたものです。オリジナル版同じ風景写真とポートレート写真の配列で、59枚の写真それぞれを未発表の作品に置き換えています。一部作品はオリジナルと同じロールのフィルムからセレクションされています。彼の写真を通して、いまから数十年前のサッチャー政権下の英国の生活を鮮烈に再経験できます。2024/05/18 11:33:3458.目のつけ所が名無しさんR6XTj私がそもそも「映画作り」という趣味に挑戦したきっかけは、いわゆる「名作ドラマ」に感動したからではありません。もちろん、子供の頃から映画などを見て感動することはありましたが、それはあくまでも観客としてであり、「自分もこんなのを作りたい」という動機には繋がりませんでした。高校生の頃、小説やシナリオを書いている同級生と仲良くなり、初めて「映画」を鑑賞する対象ではなく、自分で作る対象として認識しました。それまでもテレビ放送で、レイ・ハリーハウゼンの一連のコマ撮り特撮映画などを見ていましたが、この頃になると完全に、自分の創作の参考として繰り返し作品を見ることになります。そんな嗜好もあって、私にとって映画原点の一つは「クリーチャーが登場する特撮映画」となっているんです。(人情劇の「男はつらいよ」も好きなのでそれほどマニアックに嗜好が尖っているとも言えません)レイ・ハリーハウゼンのコマ撮り特撮映画というと、「シンドバッド」シリーズや「アルゴ探検隊の大冒険」「恐竜グワンジ」など、とてもリアルで独創的な生物「クリーチャー」が画面に生き生きと登場します。骸骨兵士と主人公がチャンバラをしたり、古代遺跡の中でドラゴンやケンタウロス、グリフォンが戦ったり、恐竜や双頭の鷲に襲われたりと、映画ならではの異世界のシーンが具体的に表現されているのが最大の魅力です。2024/05/25 11:26:08
融通の利かないドイツ製の金属カメラに愛の手を。
(ボーッとしてたら落ちたので再掲します。はたして生き残れるかな。)
タイトルは春のセントラルパークと言うことで撮影したのであるがこれには結構シニカルな意味が込められていてニューヨークが春で素晴らしいから春のセントラルパークとタイトルをつけたわけではない。単なるプロジェクトのコードネームとしてつけただけの話である。
メトロポリタンミュージアムの辺りまで北に行くと風景はちょっとセントラルパークも変わってくる。それでちょうどこの樹木Dog Woodの花が咲き始めたところを撮影した。
この作品は非常に好きなものなのであるが素人ウケしにくい作品である。素人ウケすると言うのはミュージアムとかBrooklyn Bridgeが写っているのが人気があるのである。それで23年来田中長徳ギャラリーと言うオンラインギャラリーを展開しているのであるがその販売している作品の中で人気のないものなのだがこれを手に入れるコレクターはかなり写真がわかっている人だと思っていた。
それでこの間この作品が売れたので私はそのコレクターのレベルが結構高いと言うことを言っておきたいのである。樹木と言うのは不思議な存在であってニューヨークにはもともと樹木がないから大切なのである。
フルクサス運動の創始者常時マチューナスは漏話マンハッタンのウースターストリートに住んでいた。彼が植えた1本の樹木はポリスが撤去しろと文句を言いに来たのだがそれを撤去しないでそのまま何十年も経ってウェスターストリートで唯一の巨大な樹木になった。そのことはジョナスめかすも書いている。
0ロバートフランクがスイスで撮影してニューヨークに行った時にアレクセイブロードビッチに見せたポートフォリオと言うのはこれと同じモデルで撮影されているのである。あるいは夜のパリを撮影したブラッサイもこのタイプのカメラを使っていた。だから、彼らが意図的にそういうカメラを選んだのではなくて蛇腹式のこのタイプのカメラが、あの時代のスタンダードであったと言う意味である。
外見がこのようであるから、極めて時代遅れのように、初心者のカメラ人類さんには見えるのであろうが、実際にはなかなか便利なカメラである。特に反射式の小さなカレンダーが付いていて、その暁には水平をチェックできるバブルのレベルも付いているし、おそらくスナップシューティングでは、ライカより早く撮影ができると思う。
6 × 9センチのミドルフォーマットは、雑誌の撮影などにはかなり便利なものであって、バルセロナオリンピックの前の年に2ヶ月ほどスペインに滞在して、料理の写真を膨大に撮影したのである。そういう時にこういうカメラを使ってはあまりにもクラシックなので、周りから警戒されそうなので、その時使ったのはLinhofのプレスカメラであった
撮影の時間と人手が限られているので、本来ならば4 × 5インチのシートフィルムで撮影したいのであるが、それが不可能な時は6 × 9センチのロールフィルムだと撮影の管理がやりやすい。
ガラクタ屋さんで手に入れたこのカメラは、改造がしてあって、これも当時の最新テクニックであったわけだがレンジファインダーが組み込まれていて、ピントが合わせることができる。言い換えれば、これは6 × 9センチのライカカメラであると言うこともできる。
ところで、このカメラであるが、カメラの名前が付いていないので、おそらくカールツアイスとかフォクトレンダーとかそういう有名メーカーのカメラであると思って10年近くが経過したのであるが、昨日のことであるけれど、カメラのフラップのところに何かスタンプがあるので、ルーペで拡大してみたらそれはお月様と星のマークが付いていた。
それでようやくこのカメラがドレスデンで作られたIhageeのカメラであることが分かった。つまりヨセフクーデルカが使っていたExaktaの大先輩にあたるわけである。
レンズはテッサー105ミリの明るいエフ4.5レンズが付いている。製造番号からするとコンタックスの1番最初のモデルが出た頃に作られたレンズではないかと思われる。シャッターもダイヤルセットではなくて、リムセット金パーだからね。
このカメラに感動しているのは、金属ボディーにしっかりレザーが貼ってあるのだけれど、その1部が剥がれかけていると言う点である。精密機械としてこれだけ長い時間、つまり100年近く使ってこの程度の摩耗なら凄いと思う。
私が当時使っていたのはリンホフカメラの4型と言うやつであるがアシスタント時代にはこれを自衛隊の小銃みたいなもので、全部分解してクリーニングして油をさしてまた組み立てると言うようなことをずっとやっていた。それで今でもリンホフカメラは暗闇でも操作できるのである。
尊敬する写真家で、アメリカから日本に帰化して、トップレベルの写真、芸術の仕事をした石元先生であるがこの写真家が西銀座駅のホームで三脚に乗せたライカM2のブラックペイントを持っているときに高校生だった私は偶然その姿を見てブラックのエムツーを買ったのである。
カメラジャーナルと言う100円マガジンの関連でずいぶんいろいろな単行本や写真集も出したのだが、二十数人の現場でヨーロッパを旅行して歩いた。撮影ツアーと言うよりもクラシックカメラの買い付けツアーと言うことで、日本経済新聞の人物の近況を知らせるコラムで、私とキャノンの御手洗さんが並んで紹介されたのにはびっくりした。
要するに、御手洗さんは、新しいキャノンのビジネスの計画を語っていて、それに対して私は来月ヨーロッパに中古カメラを買いに行くのが楽しみと言う。すごいコントラストなのである。
日本経済新聞の記者さんが私のカメラ本の読者さんと言うわけで、別に不正な事は何もないのだが、その人はアメリカの大学にユダヤ人の家族法の研究で留学してしまったが、今はどうしていらっしゃるのであろうか?
しかし、この人物近況のコラムはプラスの面もあって、当時私の義理の兄が、大手の銀行の偉い人であったから、読むのは日本経済新聞だけだし、そういうところにキャノンのトップの御手洗さんとどこの馬の骨か分からない私が並んで出たので、私は単なる馬の骨ではなくて、うしのほねであることがわかって、私を信用してくれるようになったのはこれはプラスのエフェクトと言うわけだ。
その当時の小村レンズのカタログで、4 × 5インチ用のレンズのLINEアップが非常に完成していたのでびっくりしたことがあった。これはドイツ製の大判、カメラ用レンズ、すなわちカールツアイスとかシュナイダーが全盛の頃にこのラインナップを出していたというのがすごい。
富士フイルムとかニッコールレンズが4 × 5インチ用のレンズを出すようになったのは、それから10年近く後の話なのである。それで500ミリef 7と言う35ミリ用であり、ミドルフォーマット用のレンズがあるのだけれど、それをナンバースリーのシャッターに入れたのが、この4 × 5インチ用のレンズである。
ネットオークションで見つけて珍しいので、手に入れて、プロ用の4 × 5インチのカメラにセットすると、このように威風堂々として、いかにもプロの道具と言う感じがする。ところが4 × 5インチで私が通常使っているのは広角レンズだから65ミリと75ミリと90ミリが全てで長いほうのレンズは1度も使わない。
大昔カメラ道楽のおじさんがどんどん高いカメラが欲しくなると、ライカを買ってからブローアップしてハッセルブラッドに行き、さらに4 × 5インチのリンホフに行ったりする。それで実際には4 × 5インチは使わないから、立派なお座敷の床の間にリンホフカメラが飾ってあったりする。
1981年頃まだ暇であった天才荒木と新宿のでかい喫茶店で会話をしていた時、我々の話題は現代写真ではなくて、冷蔵庫を4 × 5インチのカメラで撮影するときのベストなレンズは何かと言う話題であった。彼は博報堂で私は日本デザインセンターで冷蔵庫を撮影していたからである。そういう場合でも話題になったのは4 × 5インチのカメラに対してベストなレンズは210ミリなのかそれとも240ミリなのかということで話題沸騰した。
その意味でも500ミリと言うのはちょっと普通では使わない望遠レンズなのである。
300mmから420mmくらいの8x10用のレンズがほとんどですが、手元にあるのは180mmで最大4x5。中判カメラでもよいかもしれません。
逆光耐性は皆無です😅
しかし、この考え方に直感的に納得がいかないのが、人間や他の動物にある「生存本能」「食欲」「性欲」など、自然淘汰の結果つくられた「本能」や「欲求」が人工知能にはない点です。具体的には小脳の欠如です。つまり、さまざまな本能や欲求があった上で、その上に知能が発達することが、魂や意識の出現には不可欠に私には思えるのです。
私と同様に考える研究者も当然いるでしょうから、小脳に相当する部分を人工的に作ろうとする試みも行われると予想できますが、私にはそれこそが、人類の存続危機に繋がる「危険な一歩」のように思えます。
Linhof ネーム入り
リンホフテヒニカ4×5inボード付 (オリジナル)
前後純正キャップ付 、
シンクロコンパーM.X.V.1番シャッター付
M. フラッシュ球 X. ストロボ V. セルフタイマー
T.B.1〜1/400 F3.5〜F32 真円の丸々絞り
イメージサークル178mm (f 3.5)
フィルターサイズ58 mm
135mm F3.5 Planarは30年程製造されていましたが、此の年代のレンズが1番シャープで解像度もトップだと思います。
レンズの硝材が良いのでしょうね ! 。
光学レンズもさる事乍、レンズを抱き込んでいる鏡胴の美しさ
精度の高さが伺えます。
写真製版技法も併用しながら、ありふれた景色や場面を写しとり、絵画にしてきました。
それらは私にとって実在した出来事の記録であるとともに、流動と定着を繰り返す顔料や箔によって、
画面上に重ねられていった新たな出来事の痕跡でもあります。
それらは常に、そこには映らなかった/描かれなかった/生まれなかった無数の出来事の可能性を、私に示唆し続けます。
たしかにあったこと、どこにでもあること、けれどいつかはなくなってしまうものに、別の生を与えること。
ささやかな日常の断片と、その変奏を描きます。(作家から)
そうでなくてもアメリカ企業一強なのに、アメリカ企業の「AIを中心としたパラダイムシフト」が起こると、その強大さは恐ろしいものになりそうだ。ChatGPTによって開かれたAI時代は「まだ始まったばかり」なのだから、まだ気づいていない人もいるのだろうが、やがては地球の全人口がAIの技術革新に飲み込まれていくだろう。
もちろん、AIも完璧ではない。場合によっては、AIによるパラダイムシフトが頓挫するケースも存在するかもしれない。しかし、今はそれに賭けるよりもAIが全世界を支配する方向に賭けたほうが勝率は高い。
だから、私は「何が悲しくて資産の40%をアメリカ以外の国に振り分けてパフォーマンスを落とさないといけないのか」と考えてしまうのだ。「全世界よりも全米に賭ける」のは、そういう意味合いがある。
現在、アメリカのハイテク企業は、そこらの新興国のGDPをはるかに超えるような巨大な時価総額を誇っている。Apple、Microsoft、Google、Amazonなどの企業のスケールは国家レベルの規模となって地球に君臨している。
おおよそ、現代人でアメリカのハイテク企業の製品やサービスを使わずに日常生活を送れる人はほとんどいない。これらの企業は、まるで当たり前かのように全世界対応のサービスを行っている。
今、私たちの文明はテクノロジーがなければ何も始まらない世界になっているのだが、その根幹の部分をアメリカのハイテク企業ががっちりとつかんでいて、代替品はどこにもない。
これからやってくるAIによるパラダイムシフトも、やはりアメリカのハイテク企業群が制するのである。
そして、最近よく美大で絵画を学んだ人の話を聞く機会が多くて、その実情に愕然としています。
画家になりたくて美大に入った人は、ひたすら創作に打ち込みます。
卒業後も、最低限の生活費を稼ぐアルバイトをしつつ、絵を描き続けます。
「とにかく創作に全てのエネルギーを注げ!」と教育されているからです。
一部の人は、師事したプロの画家について回って、その画家の個展にオマケとして1枚だけ自分の絵を展示させてもらったりしますが、そこから活路が開けることはほとんどありません。
驚くことに、美大を卒業して画家になった人の大半は、一度も自分の絵が売れた経験がないまま、画家の道を諦めて別の進路を選ぶそうです。
これは何を意味するか。
「創作者は技術を磨き、感性に従ってひたすら作りなさい」
という指導が間違っていると私は思います。
少なくとも職業画家になるのであれば、
・どういう作品が求められているか
・どこに顧客がいるのか
・どうすれば自分をアピールする場を確保できるか
ということを調べて勉強する必要があったはずなんです。
これはいわゆる「商売」の要素です。
「芸術家は貧乏なものだ」「金で魂を売るな」というような滑稽な考えが、画家という特殊技術を持った人の才能と時間をかえって無駄にしてしまうんです。
この滑稽な考えや教育方針が、個人だけでなく、その業界全体を衰退させる元凶だと言っても過言ではないでしょう。
美大では芸術家としてのビジネススキルを身に付けるカリキュラムをもっと強化すべきではないでしょうか?
装着は、マイク含めて小型なのでお相手の服の中にしまっており、収録中にモニタリングはしていません。
32ビットフロートで録音すれば、絶対に音割れしないからです。
あとは、カメラに載せた「ECM-B1M」も使ってます。
録音用の「機材・環境」は、これだけです。
また、「カラーグレーディングやカラーコレクションの環境」は、MacBook Pro(M2)と、ソフトウエアはDavinci Resolve(4万7980円の有料版)を使用しており、「カラーグレーディング」以外にも編集からサウンドエディット等のすべてのポスト・プロダクション作業を、これだけで行っています。
ちなみにアクセントで使っているドローンショットの大半は、「DJI Mavic3」です。
あとはSONYのαシリーズのカメラとレンズがあれば、もうこれだけで劇場公開映画が作れる時代なんです。
それゆえ、「映画制作の民主化がはじまった」とお伝えしている次第です。
3年前には考えられませんでした。
いい時代になりましたね。
それで方向変換して8 × 10インチのモノクロフィルムでマンハッタンを撮影した。今思うとこれはこれで良かったと思う。当時のニューカラーの連中は私と同世代だと思っていたら、私が25年前に写真を教えていた渋谷にある写真学校で、今度ニューカラーの有明写真家の講演会をやるらしい。そのインフォメーションビデオを見たら、当時の20代はすでに後期高齢者になっていたのは当然のことだけど、時間経過にびっくりした。
ニューヨークのセントラルパークもたくさん撮影したポイントである。ちょうど春の時期でメトロポリタンミュージアムの裏側に、Dogwoodの花が咲きだして、それがなんとも言えなかった。
植物の花をその存在感、ありのままに取ると言うのは非常に難しいことであって、ロバートフランクもパリにいて非常に苦労している。
この作品は私は大好きなのだが、いつも考えている事は、一般的な好みのモチーフではないなと言うことなのだ。ニューヨークのテーマですればBrooklyn Bridgeとかそういう方がはるかにわかりやすいのである。
最近ヤフオクでオンラインギャラリーと言う形でこの時代のプリントを販売している。今までに50点位売れたのであるが、その中にこの作品も入っていて、今までに2人のコレクターがコレクションに加えてくれたのはありがたい。
カメラを所有している人は、あまりいませんし、自分のようなオールドレンズ狂いは希少種ですね。カメラを所有している人は大体αです。
スクリーンとフィルム面のフォーカスも合致していて、実戦投入です
立ち食いステーキ
ファミレスや居酒屋チェーンなんかが
儲かるのはわかるわけですが
私はそういう所には行かないのです。
私は、人形町今半とか、道頓堀今井とか
居酒屋赤鬼とか、居酒屋山三とか
歴史あるこだわりの店に
行くことが多いのです。
なぜかというと、やっぱり
老舗のこだわりの店の方が
お客様との関係を大切にしていて
品質がいい傾向にあるからであります。
また、ホテルも最近は
利益ばかり重視の狭い部屋が
増えていますが、
私は利益最大化を追わない
余裕あるホテルを選んでいます。
そして順次、短期間で完成する「オーディオドラマ」を量産しましょう。
映画製作にはさまざまな準備があったり、季節的なタイミング、関係者のスケジュールなどもあります。
完成したオーディオドラマの中から「条件の合うもの」を順次、映画化していくというパターンを作っておくのもいいかもしれません。
「この作品に協力して欲しい」と仲間を誘うときにも、企画書や脚本だけでなく、オーディオドラマがあると、イメージを膨らませやすくなることは間違いありません。
「オーディオドラマから映画化へ」というパターンは、その一つの可能性を示しています。
皆さんもぜひ挑戦してみてください。
私も実践してみます。
人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、
すべてインスピレーションとか感動から始まる。
ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。
感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。
放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。
それでも作家の思いを直接伺うことはとても大切です。山田雅哉さん
という作家さんがとても素晴らしいことをおっしゃっておりましたので
ご紹介いたします。
‘僕は日本画の可能性を信じています。日本人として生まれ、日本画
は日本の精神性を表すものとして最適な表現方法だと思っています。
日本画を描くときは顔料と膠と紙と筆で描いています。その時に僕は
日本画は全て自然界にあるもので絵を描いているという事を意識して
います。すべてのものに神様がいるという考え方は日本画の世界の中
に今でも生きていると思っています。‘
確か、こんな感じのトークをたんたんとまだお若いのにお話されていた
のがとても印象的でした。
銀座柳画廊は油絵の作家を中心に扱っている画廊ですが、今の時代は
油絵とか、日本画とか、インスタレーションとか、ミックスドメディア
やメディアアートなど、さまざまな表現方法があり、大切なことは、
その絵画に込められた精神性だと私は思っています。
海外からのお客様が増えた銀座では日本画に興味を持たれる方が多く
いらっしゃることを肌で感じています。また、日本画の作家は日本にいな
がらにして、日本人であることを意識されている方が多くいらっしゃいます。
改めて私自身も、山種美術館とのご縁を頂いたことから、日本画についても
展覧会をはじめとして知識と経験を深めようと思いました。山種美術館での
公募展では、非常に高いレベルの作品が並んでおり、ここから将来の巨匠が
生まれてくるのだと思うと、画商としてはまた3年後、この展覧会には来な
ければいけないと思いました。
美術ファンには、これからの作家を見つける登竜門になると思います。
そういうことをつらつらと考えたりしているのです。たわいないし、とりとめもない思考です。だから直接的に、生産に結びつくわけではない。役に立たなそうに見えます。しかし本当に「役に立たない」のでしょうか。
思考には「収束的思考」と「拡散的思考」があります。収束的思考はただひとつに集約していく思考であり、思考の結果として生産があり、原稿や講演といった成果物に結実します。拡散的思考はひたすら広がっていく思考であり、成果物を生み出すわけではないけれども、さまざまなアイデアや発想が湧いてくるものです。
わたしが山に登っているときの思考は、拡散的思考です。「山道を転ばずに歩くにはどうすれば良いか」「山頂は本当に必要か」「歩き続けるのはなぜ楽しいのか」などのとりとめのない思考が次々に湧き出しています。それらは決して収束しないので、そのまま原稿などの成果物になるわけではありません。しかし、いずれは成果物に結びつくかもしれない、さまざまなアイデアの泉にはなっているのです。
しゃる福永先生にとって、今回、初めて描かれた富士山は、今まで
畏れ多くて描けないと思っていたのを、今回の展覧会では「描かな
ければ」と思ったようです。
作家にとって、個展というものは何年かに一度、自分の成長を含め
て、日々の精進と考えていることを発表する場所でもあります。
それは孤独な作業でありますが、多くの方に見ていただくことで、
その孤独の作業の結果を感じる機会となります。
前回の展覧会はコロナ過で開催され、それから世界はロシアの戦争、
中国の覇権の脅威、そしてパレスチナとイスラエルの戦争など、
私達の周りでは心が不安定になる要素でいっぱいです。
今回~ひのもと~というサブタイトルをつけ、富士山を描こうと思っ
た福永先生の気持ちはそれらの一連の当然の流れであったのだと感じて
います。今、世界で求められるのは、‘和をもって尊しとする’日本
の精神性であると福永先生は感じておられ、私もそれに共感しています。
その思いを日本画という形で表現され、今回の展覧会にぶつけてきて
くれたことに、銀座柳画廊としては応えていきたいと思っています。
私も最近、海外に出ることが多くなってきている中で、感じることは
海外にいると緊張しているという事です。言葉の問題ももちろん、あ
りますが、人に騙されないか、すりにあわないか、危険な目に合わない
か、などなどそこには危険が一杯だからです。
日本にいるときに感じる、安心感と食事のおいしさ、人の優しさは
お金では表現できないものであり、その価値に気づいた外国人が
円安で安いからだけではなく、日本のファンになっているのだと
思っています。
今回の展覧会は福永先生の今の心境が伝わるものとなっています。一人
でも多くの方にご高覧いただきたく、宜しくお願いいたします。
最高の人生を望むのであれば
最高とは言えない、腐れ縁的な関係は
終わらせるをお勧めします。
不満のある恋人と付き合い
だらしない友人とだらだらと過ごし
イマイチな職場に勤めていたら
最高の人生にはならないものですね。
最高の人生にするためには
時間を確保して
その時間に最高のものを
埋めていくという思考が必要です。
に入られました。私とおなじような時期に業界に入られておられる
ので親近感を持っています。田中さんのお父様は、私が画廊巡り
を始めた時、周りの同業者からは冷たい目で見られていたのに、
ツアーで伺うと温かく迎えてくれたのを昨日のように覚えています。
さて、その田中社長が長年、本を出版するにあたりなかなか出版社が
決まらないと悩んでいらっしゃっていたので、私が本を出版したときに
力になってくれた編集者をご紹介させていただき、素敵な内容な本を
出されたと感激しています。
名前のとおり、‘アートコレクター入門’ということで、この本の
目的は、何人かの登場人物と、田中社長とでコレクター入門の塾の
講義を聞くという仕立てになっています。SNSでは過激な発言の多い
田中社長ですが、この本の中では非常にバランスのとれた、優しい
おじさん風の会話で、読みやすい内容になっています。
私が画廊巡りを始めた思いと同じであると、この本を拝読して感じま
した。美術業界で、新しいお客様を増やしていくためには、業界を
あげて取り組まなければならない課題であるにも関わらず、個々の
画廊の努力だけではどうにもならない状況に追い込まれているという
のが共通認識です。
日本の文化の素晴らしさを身近に感じているのが、日本の美術関係者
です。その仲間である私達が、つまらない嫉妬や焼きもちで外部のお客
様への対応が、お客様の望む方向性になっていないのが現実です。
これからは、田中社長をはじめとして 多くの同業者の仲間が日本の
文化の営業マンとして、商売だけでなく多方面で協力しあう時代なのだと
思っています。
このカメラは英国製で130年位前にできたものだ。あちらでは4 × 5インチではなくて点5 × 41というのが理由は知らないけど何か面白い。20世紀初頭の世界のカメラメーカーはアメリカのイーストマン・コダックはもちろんあったけれどもヨーロッパのマーケットでがんばっていたのが英国製ドイツ製フランス製だった。
そしてこの頃のカメラの様子と言うものがこのサンダーソンに代表されるような感じでマホガニーの本体に黒い皮が貼ってあって、蛇腹はこのような目も覚めるようなレッドであって、そこに真鍮製の金色のブラスフィッティングがついていると言うのは今の時代の我々から見るとカメラが夢を抱きかかえているように見える。しかしこれは当時としてはごく普通のカメラのアピアランスであったわけだ。
このカメラは30年位前にロンドンのマーブルアーチのそばにある古道具屋さんで買ったものだった。もともとガラスプレートを使うようになっていたがそのプレートで中にアダプターが入っているので通常のフイルムも使うことができる。この時代にガラスプレートから次と文に移動していた時期と言うわけだ。
それからしばらく経ってから全く同じものをガラクタ屋さんで発見してにだいめを手に入れた程度は年代の終わりにはどちらも素晴らしいものだった。
カメラの設計者の三田さんと言う思想はもともと建築家であったのがカメラメーカーになったようで建築写真を撮るときにはカメラのフロントを上の方に来店するというのがテクニックの定番であるから、このカメラもフロントのライズが非常にうまくできるようになっているトップのカメラのフレームがヒンジで上に跳ね上がって開くようになっているのだ。
このユニークな気候と言うのをドイツのリンホフカメラではずっと時代が降った1970年代の隣豊富になって初めて採用している。
で、すぐに結果がでるものではありません。しかも、絵が売れると
いうのは、作品が良いことも長い目で見たら非常に重要ですが、景気
というものにも大きく影響を受けてしまいます。
ですから、絵描きと一緒に仕事をしている画廊の心構えとしては、
個展で作品が売れることに一喜一憂するのではなく、やはり10年
単位で、扱っている作家が成長していくことを伴奏する覚悟がある
かどうかを自問自答しながら継続することになります。
すべての映画を自然光だけで撮っている巨匠テレンス・マリックは、敬虔なクリスチャンであることから、自然光を「神の光」と考え、「その恩恵のもと、すべてを撮る」と話しています。
僕はそこまで深い信仰心はありませんが、同じように自然光を「神の光」と捉え、なによりその下では嘘がありません。
それゆえ、照明どころかレフ板も使わず、映画だろうがスチル写真だろうが、ドラマだろうがドキュメンタリーだろうが、ありのまま撮っています。
また、以前は主体とバックグランドの強弱を現場の光でコントロールするしかありませんでしたが、いまはアプリケーションのAI技術でポスト処理が可能です。
そうすることによって、照明機材の映り込みを気にせず広角で撮れますが、ただし、太陽光が良くなる時間まで気長に待つ必要があります(←ここ、ポイント!)。
一方、タレントスケジュールや予算から撮影日程が決まっている仕事(特に広告)だと、そうは行きません。
「広告代理店に入社」ということは、タレント仕事も手がけるのでしょうが、「天気待ち」など許されるわけがありません。
テレビもそうですが、好感度は高いけどクリエイティビティが低いタレント仕事に嫌気がさして、お疲れにならないようにしてください。
タレントも広告も「それなりに嘘」をつくことが重要でして、それゆえ照明との相性もいいのです(自然光との相性は悪いのです)。
ちなみに、僕が天気待ちの間は、音楽聴きながら読書に勤しんでいます。
なぜなら、世の中は無人化に向かっており、プログラマーもエンジニアも徐々に淘汰されていくからです。
これはAIに限らず、コロナ禍で顕著になったノーコード(実際はノーエンジニア)サービスが一般化したためで、コンピュータをしっかり理解していれば、もはや「プログラミング」の必要なく、WEBからスマホアプリまで作ることが可能です。
このようなサービスでは、ビジュアルに長けたインターフェースを使ってアプリの機能やデザインを定義することができ、なによりスクラッチで作るより開発時間とコストが10分の1以下ですみます。
さらに、AIの分野でも機械学習モデルの構築にプログラミングが不要になりつつあり、データをアップロードするだけで、自動的に最適なモデルを構築します。
つまり、これからの時代に必要なのは、プログラミング言語の習得ではなく、最新のツールを「選ぶ力」だと言えるでしょう。
そのためには、プログラミングの勉強に固執するのではなく、新しいテクノロジーやツールに常にアンテナを張り、柔軟に学び続ける姿勢が大切だと思います。
プログラミングの学習で行き詰まっているのであれば、一度立ち止まって、本当に必要なスキルは何かを見つめ直してみてはいかがでしょうか。
ちなみにツールの「選ぶ力」の次に必要なのは、「人とは違った使い方」をする創造力です。
こちらは次の課題でしょうね。
私は1日でも早く戦力になってもらって作業を助けてもらいたかったので、段階を追って自分が知る全ての裏技を伝えていましたが、ベテランイラストレーターの中にはそれを良く思わない人もいました。
「はじめからそんな裏技を教えたら勉強にならないよ」
ともっともらしいことを言っても、要は「自分たちが長年掛かって出来るようになったことを短時間で出来るようになられて面白くない」というのが本音でしょう。
映像の世界でも同じような話はたくさん聞きます。
「自分たちの頃はどれくらいの明るさに映るか、露出計などを使って計算してプロの技術で撮影してた。今はモニターで最終的な状態を確認しながら簡単に撮影できてしまう。あれでプロと言えるのか。嘆かわしい」
などという意見はどんどん技術が進んで行く世界では滑稽な批判です。
アナログのビデオカメラで撮影した映像を、アナログ編集していた時代を知らない人の方が多いのではないでしょうか。
映像をデジタルデータとして扱うことが当たり前の現在、パソコン編集によって映像合成がとてもしやすくなっています。
でも、映像合成をするのであれば、アナログ時代の手法が最も実用的なんです。
アナログ時代の手法というのは、基本的に
「合成する映像はカメラを固定して撮影する」
というものです。
古典的な手法である「ストップモーション」を多用した特撮映画は、近年でもその楽しさが再評価されて、新しい作品も作られていますが、これらの場合も、基本的にはカメラは固定した状態で撮影します。
つまり、「カメラワーク」を使わないんです。
カメラワークというのは、カメラを上下左右の向きに動かしながら撮影したり、移動しながら撮影したり、ズームしながら撮影することです。
映像合成は2つ以上の映像を組み合わせるので、映像が動いていると合成がずれてしまうんです。
昔の日本映画などを見ると、合成用のブルーバックの前で俳優を撮影するときにカメラワークを使ってしまったため、非常に不自然な合成映像になっているシーンがあったりします。
これは恐らく、その監督やスタッフが合成特撮の性質を良く理解していないせいだと思われます。
「合成映像は固定カメラで撮影する」という常識を打ち破った映画もあります。「ジュラシック・パーク(1993)」です。
この作品では「走っている人物を移動しながら撮影した映像」にCGで作成した「走っている恐竜」を合成するという場面が登場します。
今では珍しい映像ではありませんが、当時は信じられない映像でした。
当初は「ジュラシック・パーク」でも、合成映像部分は基本、カメラを固定して撮影する計画だったそうです。
しかし、スピルバーグ監督の「どうしても移動撮影にしたい」という、ある意味「ワガママ」を実現するため、撮影済みの映像の解析をして、カメラの角度や動きの向き、スピードを割り出した後、それに同調するようにCG映像を合成するというような、ソフトウェアを開発して実用化しました。
資金力があるアメリカ映画ならではのエピソードです。
そして何より、手振れ映像は見ていて疲れるんです。人によっては「映像に酔ってしまうので苦手」という場合もあります。
私は学生時代から多くの自主映画に対して、「手振れが安っぽく見える原因の1つだ」と考えていたので、出来るだけ三脚を使って安定した映像にすることを心掛けてきました。これには一理あると今でも思っています。
映画の入門書などをみると、基本技術としていろいろなカメラワークが解説されています。
確かにカメラワークによって出る効果もありますし、カメラワークを使った撮影自体にも魅力はあります。
ただ、「一定条件の中で作品を完成させる」という高い視点に立ってDIY映画製作を考えると、カメラワークの無い固定撮影を多用することがとても有効な手法と言えると、私は自身の体験から言えます。
写真家です。1991年にAperture社から発行されたデビュー作品集「Living Room」
で高い評価を受けます。 同書のエッセーは、写真家リチャード・アヴェドン
(Richard Avedon)と美術批評家ジョン・バーガー(John Berger)が担当。
1980年代後半までのイギリスは、サッチャー政権下で、産業の崩壊、貧困と失業
の増加した時代でした。 同書はイギリス・ノッティンガムのブロクストウ団地の
労働者階級の友人、家族、隣人たちの日々の生活を5年間に渡って撮影した
ものです。彼の写真は、被写体たちがカメラの存在を全く意識せず、自然体で
あることが大きな特徴でした。
写真は基本的で全く平凡ですが、人生と喜びに溢れています。そしてドラマが
繰り広げられるのは、タイトルにもなっているリビングルーム。そこは、
コミュニティが人間関係を演じる舞台であり、セットであり、窮屈で、不潔
ですが、一方で美しい世界でもあるのです。写真、映画、テレビでは、
この時代のイギリスの労働者階級を、概して暗い印象で提示しています。
しかしワプリントンはカラー写真を駆使し、笑い、愛、幸福に満ちた別の側面を
見せることで、この画一的な なイメージに揺さぶりをかけたのです。
同書は1980年代の労働者階級のイギリスの現実を描いた重要な作品として
今も語り継がれています。
本書は1991年発表のオリジナル・モノグラフを、未公開の膨大なアーカイブを
活用して現代的な視点からコンセプチュアルにリメイクしたものです。
オリジナル版同じ風景写真とポートレート写真の配列で、59枚の写真それぞれを
未発表の作品に置き換えています。一部作品はオリジナルと同じロールの
フィルムからセレクションされています。彼の写真を通して、いまから
数十年前のサッチャー政権下の英国の生活を鮮烈に再経験できます。
もちろん、子供の頃から映画などを見て感動することはありましたが、それはあくまでも観客としてであり、「自分もこんなのを作りたい」という動機には繋がりませんでした。
高校生の頃、小説やシナリオを書いている同級生と仲良くなり、初めて「映画」を鑑賞する対象ではなく、自分で作る対象として認識しました。
それまでもテレビ放送で、レイ・ハリーハウゼンの一連のコマ撮り特撮映画などを見ていましたが、この頃になると完全に、自分の創作の参考として繰り返し作品を見ることになります。
そんな嗜好もあって、私にとって映画原点の一つは「クリーチャーが登場する特撮映画」となっているんです。
(人情劇の「男はつらいよ」も好きなのでそれほどマニアックに嗜好が尖っているとも言えません)
レイ・ハリーハウゼンのコマ撮り特撮映画というと、「シンドバッド」シリーズや「アルゴ探検隊の大冒険」「恐竜グワンジ」など、とてもリアルで独創的な生物「クリーチャー」が画面に生き生きと登場します。
骸骨兵士と主人公がチャンバラをしたり、古代遺跡の中でドラゴンやケンタウロス、グリフォンが戦ったり、恐竜や双頭の鷲に襲われたりと、映画ならではの異世界のシーンが具体的に表現されているのが最大の魅力です。