アネモネと政治についてアーカイブ最終更新 2024/08/18 22:23304.名無しさんといつまでも一緒FyurC> 謙虚?ナニソレまずオレがあそこで書いた「謙虚さ」というのは、基本的に人に対してのものじゃない言語を使うとき本来は重要にしないといけないのに、これから毀損してしまうであろう論理や正確さや知に対する謙虚さだ結果的に、それが話の相手にも伝わればさらによいわけだが巨大主語だとか、煩雑な修辞だとか、過度におもしろさを追求してしまった比喩だとか、あるいは行き過ぎた省略や単純化というものは、そのうちに常に暴力を孕んでいる言語というのはそういうものから逃れられないので、言語そのものが暴力を孕んでいると言えなくもないが、まあそれがまったくわからん人間もいる「謙虚さを持たない」人間は、暴力に対してとても鈍感だとは言っても、敏感であり過ぎてもいけない社会生活ができなくなる同様に鈍感でありすぎるのも考えものロボットのセンサーと同じで、閾値をどこに設定するかが個性だと言えなくもないおますの場合は閾値を異常に甘く設定している(センサーをオフにしてると言ってもよいレベルなので、オーディエンスからはポンコツに見えてしまう)まあ、だいたいそもそもにおいて、ねらーというのはそういう生き物ではあるけども2024/05/22 21:50:021000すべて|最新の50件305.名無しさんといつまでも一緒FyurCもうひとつ、> 自分の生き様を他人に評価させるのがオマエの趣味なんかまったくもって当たり前なことだが社会のなかで他者とともに生き、生産活動に従事し、あるいは、ただ息をして飯を食ってうんこして寝るだけの人生であっても「自分の生き様を他人に評価さ」れるのはごく普通のことださせたくなくたってされるものなんだから仕方がない社会とはそういうものだロビンソン・クルーソーですら孤島で生活するときに難破船から聖書を大事に持ちかえり、それ(聖書と神)を基準にして、自分ひとりの生活のなかに信仰と倫理を持ち込んだたったひとりの孤島の生活のなかでさえ人間は他者から評価されることを欲するのだそれが、人間というものだ他者からの評価をまったく考慮しない生き方をすれば、ただの動物になってしまうのだが、一方で、自分の自分に対する評価というのも大切だそれはうまくいけば慰めに、うまくいかなければ自分の命を奪うおますがここでやっているのは、この自分に対する慰めでそれは(傍から見たら失敗のように見えているが)実際のところ成功しているのだろう(どうやったら成功とみなせるのか、本人もヲチャも不思議でたまらんだろうが)2024/05/22 21:55:01306.名無しさんといつまでも一緒FyurC閑話休題、とにかく要はバランスださっきの閾値の設定ではないが、過不足なくふたつの評価の両方が、つねに同時に機能するよう整えておく努力が人間らしい生活だとオレは思っているとはいえ、つねに他者の厳しい評価(低評価)にさらされていればここでくらい「自由奔放に生きてる設定」を楽しみたいというおますの気持ちはわからなくはないよどうか死ぬまで前のめりのような後ろぞりで、がんばって生きてくださいそれがおますだ2024/05/22 21:56:47
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+667921.42024/11/22 04:02:45
まずオレがあそこで書いた「謙虚さ」というのは、基本的に人に対してのものじゃない
言語を使うとき本来は重要にしないといけないのに、これから毀損してしまうであろう
論理や正確さや知に対する謙虚さだ
結果的に、それが話の相手にも伝わればさらによいわけだが
巨大主語だとか、煩雑な修辞だとか、過度におもしろさを追求してしまった比喩だとか、
あるいは行き過ぎた省略や単純化というものは、そのうちに常に暴力を孕んでいる
言語というのはそういうものから逃れられないので、言語そのものが暴力を孕んでいると言えなくもない
が、まあそれがまったくわからん人間もいる
「謙虚さを持たない」人間は、暴力に対してとても鈍感だ
とは言っても、敏感であり過ぎてもいけない
社会生活ができなくなる
同様に鈍感でありすぎるのも考えもの
ロボットのセンサーと同じで、閾値をどこに設定するかが個性だと言えなくもない
おますの場合は閾値を異常に甘く設定している
(センサーをオフにしてると言ってもよいレベルなので、オーディエンスからはポンコツに見えてしまう)
まあ、だいたいそもそもにおいて、
ねらーというのはそういう生き物ではあるけども
> 自分の生き様を他人に評価させるのがオマエの趣味なんか
まったくもって当たり前なことだが
社会のなかで他者とともに生き、生産活動に従事し、
あるいは、ただ息をして飯を食ってうんこして寝るだけの人生であっても
「自分の生き様を他人に評価さ」れるのはごく普通のことだ
させたくなくたってされるものなんだから仕方がない
社会とはそういうものだ
ロビンソン・クルーソーですら孤島で生活するときに
難破船から聖書を大事に持ちかえり、それ(聖書と神)を基準にして、
自分ひとりの生活のなかに信仰と倫理を持ち込んだ
たったひとりの孤島の生活のなかでさえ
人間は他者から評価されることを欲するのだ
それが、人間というものだ
他者からの評価をまったく考慮しない生き方をすれば、ただの動物になってしまうのだ
が、一方で、自分の自分に対する評価というのも大切だ
それはうまくいけば慰めに、うまくいかなければ自分の命を奪う
おますがここでやっているのは、この自分に対する慰めで
それは(傍から見たら失敗のように見えているが)実際のところ成功しているのだろう
(どうやったら成功とみなせるのか、本人もヲチャも不思議でたまらんだろうが)
とにかく要はバランスだ
さっきの閾値の設定ではないが、
過不足なくふたつの評価の両方が、つねに同時に機能するよう整えておく努力が
人間らしい生活だとオレは思っている
とはいえ、つねに他者の厳しい評価(低評価)にさらされていれば
ここでくらい「自由奔放に生きてる設定」を楽しみたいという
おますの気持ちはわからなくはないよ
どうか死ぬまで前のめりのような後ろぞりで、
がんばって生きてください
それがおますだ