この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌 「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。 これは、新たな研究の端緒を拓いたということを (高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども) フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。 そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、 その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである (なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、 簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。
240 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/05/24(火) 18:19:32.48 ID:98ujCcPg party system ├─non-partisan democracy ├─party dictatorship │ ├─one-party state │ └─hegemony political party system └─multi-party system ├─predominant-party system │ └─one-party system ├─two-bloc system │ └─two-party system ├─moderate pluralism │ ├─three-party system │ └─north European five-party state ├─polarized pluralism └─atomization political party system
996 132人目の素数さん [sage] 2018/08/14(火) 03:43:14.49 ID:Hv2DfroI 4-3.論文集  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ・ "Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables" (French) Tokyo, Japan: Iwanami Shoten. p.234 (1961) - Includes bibliographical references.
・ "Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables" (French, Nouv. éd. augmentée. ed.). Tokyo, Japan: Iwanami. p.246 (1983)
・. "KIYOSHI OKA COLLECTED PAPERS" Reinhold Remmert. ed (English, French (translation)) English translation from the French by Raghavan Narasimhan; with commentaries by Henri Cartan. Springer-Verlag. p.223 (1984) ISBN 0-387-13240-6 ISBN 3-540-13240-6.
・『岡潔先生遺稿集』 全7集、論文集刊行会、(1983/Dec) - 数学論文集。解説:秋月康夫。
997.
名無しさん
fLsGV(149/152)
997 132人目の素数さん [sage] 2018/08/14(火) 03:48:56.29 ID:Hv2DfroI 4-4.公表論文  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 論文I (1936) "Domaines convexes par rapport aux fonctions rationnelles", J. Science Hiroshima Univ., 6, pp.245-255 (1936)
岡潔(おか きよし、1901年(明治34年)4月19日 - 1978年(昭和53年)3月1日)は、日本の数学者。
奈良女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1940年(昭和15年))。
岡潔について語るスレ(数学板)http://mimizun.com/log/2ch/math/1006432306/
岡潔について語るスレ 2http://mimizun.com/log/2ch/math/1119708612/
岡潔について語るスレ 3http://mimizun.com/log/2ch/math/1145762178/
岡潔について語るスレ 4http://mimizun.com/log/2ch/math/1148595505/
晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、
真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。
一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。
また日本民族は知が不得手であるため、西洋的なインスピレーションより東洋的な情操・情緒を大切にすることで
分別智と無差別智の働きにより知を身につけるべきと提唱している。
さらに現代日本は自他弁別本能・理性主義・合理主義・物質主義・共産主義などにより
「汚染されている」と警鐘を鳴らし、これらを無明と位置付け、心の彩りを神代調に戻し
生命の喜びを感じることで無限に捨てるべきと述べた。
また画家の坂本繁二郎と対話したのちに、日本人の精神統一法について思考を巡らせている。
繁二郎が「馬」を描いていた若い頃は分別智が途切れる瞬間無差別智の閃光が差し込む
インスピレーションを主とする純西洋型精神統一法を用いていたが、
「月」を描くような年頃になってからは分別智の春雨と無差別智の明かりによる
情操・情緒を主とする日本的西洋型精神統一法を用いていたという。
岡自身も三つの大問題の解決にあたりインスピレーション型(花木型)→梓弓型→情操・情緒型(大木型)と
移行していき、この日本的西洋型精神統一法と無差別智のみの禅型精神統一法を使い分けることで
老後の日常生活を乗り切っていたと語っている。
晩年は『春宵十話』を皮切りに他人の手を介していくつか随筆が書かれており、
教育者の側面や人格の項で触れたような内容が流麗なタッチで記されている。
ただし初期は『一葉舟』のように非常に将来に対して悲観的であり、日本を憂う発言が多かった。
しかし日本について詳しく調べるうち、やがてそれは自らの手で描く警鐘へと繋がり、
さらに最晩年は活字にはならなかったが日本の将来は安泰だという確信に転じている。
日本史においては神代は矛盾の無い知情意のもと、スサノオに代表される
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と
雄大な歌を詠めるほど健康的であったが、大陸文化伝来と同時に氏を表すという悪習(氏姓制度)が入り、
それにより日本民族の心は汚れていったという。
まず西行の「心無き 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」に代表されるように
無明を直視したため美しく弱々しい「たをやめぶり」になってしまい、
さらに武士の世では源実朝の「箱根路を わが越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」の
ように無明に呑まれすっかり弱まってしまった。
太平の世であった江戸時代に(知と意は抜けているものの)神代調の情や「個性」を歌った
松尾芭蕉の歌が出た以外は、神代より後の日本は概ね心が弱っているか、
それすら気づかず自他対立に明け暮れているといえよう。
知が暴走しやがて大東亜戦争敗戦という結果を招いた日露戦争以後や、意が暴走し社会が乱れた戦後のように。
また人智の進歩の中で一つのキーワードとなるのが仏教用語でいう「我」で、
氏を表す悪習により日本民族は自他弁別本能に取り憑かれ「小我」になってしまったという。
これに対し日本民族の「準中核」にあたるのが「武士道」や「大和魂」に相当する人物で、
こうした人物は小我から脱しつつあるため、
旧制中学などを利用してこのような人材をまず日本は育てなさいと提言している。
それより上の次元に進むと、日本民族の「中核」である「真我」や「大我」に繋がり、
この次元にまで達すると決して自他対立せず衆善奉行できるという。
仁徳天皇に自らの皇位継承権を譲るために自殺してしまった菟道稚郎子や、
生涯を日本に捧げた先帝陛下たる昭和天皇は典型例であろうと語っている。
『春雨の曲』第7稿、私家版、1978年9月。- 完成形だが取り下げ、没後出版となった。
金星の娘との出会い、生命と物質の関係、天衆の挨拶、
第一の心である自然科学の顕在識(第一識から第六識)と西洋人に存在する潜在識(無明の入る第七識)、
第二の心である東洋人に存在する悟り識(第八識から第十五識)、
世間智を用いる自他の別、分別智を用いる時空の框、
分別智と無差別智を用いる発見(インスピレーション型発見と梓弓型発見と情操・情緒型発見)、
無差別智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を用いる純粋直観(知的純粋直観と情的純粋直観と意的純粋直観)、
九識論を上回る日本人に存在する第十識「真情」への到達(情が知や意より先であることの当然性)、
自浄其意による第十一識「時」への到達(道元の別時)、
男女の別を好みと懐かしさで超えることによる第十二識「主宰性」への到達(天照大神の見神)等の最晩年の境地も描かれている。
以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%BD%94より。
5 考える名無しさん 2013/03/06(水) 13:12:09.70 ID:
唯物論を科学者の視点で真っ向から否定した最初で最後のキチガイ数学者
6 考える名無しさん 2013/03/07(木) 02:09:17.57 ID:
誰か知ってる奴おらんの?
7 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:19:56.10 ID:
5 軍国主義教育に対する怒りで事件をおこしたのであって
当時キチガイだったのは、別の教育者です。
8 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:23:12.30 ID:
養老孟司さんだけでなく 岡潔も言っていました
仕事の合間にタバコを吸うと、その煙草の味で体調がよくわかるそうです。
極端な禁煙ファシズムはキチガイがやることです。
泉重千代も100歳くらいまでタバコを吸っていました、100歳を過ぎて
気管支、呼吸がおとろえてきたらタバコを辞めればいいのです。
9 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:28:23.58 ID:
また岡潔は、小学生時代チョウを追いかけて警察に捜索されたらしいです
「子供時代は警察に捜索されるくらい虫取りをしなくては」とも言ってました
例えば岡が愛した日本画家、横山大観ですが
美しいチョウチョを日が暮れるくらいまで追いかけないと・・
大観「無我」の情緒は分からないでしょうな。
喫煙者が嫌われるのは健康問題が理由ではない。
喫煙者が家に来ると床や畳や絨毯のどこかを黒く焦がして謝らずに黙って帰ってしまう。
アパートでボヤ騒ぎを起こす多くが喫煙者。
酔っぱらって帰ってきて寝ながら煙草する。大家に黙って黒焦げの畳を取り換えようと
してるのを見つかり追い出される。飲食店のゴミ箱から出火するのも煙草の火の不始末。
社会に迷惑を長年かけ続けて反省しない喫煙者が社会から排除されても同情しない。
11 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/27(水) 08:06:35.18 ID:
>>10 それはその通りですが、タバコは社会に対して十分すぎる貢献もしています
アインシュタインもタバコを吸ってリラックスできたからノーベル賞を
取れたのだと思います。
現在日本は、情報機器を多用する社会ですから
情報機器でやりとりする相手がタバコを吸えなくてイライラして
雑なコミュニケーションになるとますますストレスがたまります。
IT機器でやり取りする相手がたばこスパスパ吸ってもどうでもいいしね。
タレントの太田光君が最近調子悪いのはタバコが原因かもしれませんし。
太田光君がヘンな発言すると何十万人もストレスたまるしね。
あんまりたばこばっかり規制するのはやめましょう。
12 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/27(水) 08:37:45.82 ID:
まぁ私としては、日本人が昔みたいに歩きながら自然を観るのが大事だと思うから
タバコよりも、持ち歩きできる情報端末や、自動車の使いすぎを規制すべき。
横山大観、坂本繁二郎、熊谷守一などが好きだったらしいねこの人。
14 考える名無しさん [sage] 2013/03/30(土) 11:38:33.02 ID:
喫煙そのものは悪くないので禁止しちゃいかんけど、吸い方は規制すべき。
日本喫煙安全協会、喫煙マナー向上センター等、
省庁からの天下り団体を作って、喫煙ルール講習の受講を義務化。
5年に1回、喫煙者から講習料を取る。
15 考える名無しさん 2013/04/01(月) 14:48:07.05 ID:
誰か数学セミナー「天上の歌を聴いた日」を読んだことのある方いませんか?
13識、14識、15識、4サイクルして60識まで行くと書かれている文献はこれしか無いらしいので。
岡潔は邪智である世間智は真善美妙の敵だから使うなと言ってたけど
同時に西洋の学問で用いる理性はすべて邪智型平等性智(世間智型意)だとも言ってるね。
この時点で東洋と西洋は話し合いの余地が無いのは自明らしい。
17 考える名無しさん 2013/04/09(火) 15:12:57.50 ID:
西洋ってキリスト教的なものはってこと?
18 考える名無しさん 2013/04/09(火) 20:02:37.54 ID:
いや、西洋といったら西洋全てだな。
岡は細分化しようと思えばどこまでも細分化する人でね、
一番見下してたのが側頭葉を重視するアメリカや古代ローマ。
次に見下してたのが前頭葉を重視するヨーロッパや古代ギリシャ。
本に収録されていない内容になると頭頂葉の仏教と後頭葉の中国も駄目で、
視覚中枢に真の自分がある日本しか頼れるものはないとまで言い出してる。
キリスト教に関しては、邪智(世間智)を無くすのには有効だけど、
妄智(分別智)は無くならないから、自他対立しなくなっても
文化が一向に育たず、知性の邪魔をして文芸復興開始までの停滞を招いたと言ってる。
19 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 20:04:58.54 ID:
18
面白い。興味あります。どの本に書いてありますか。
20 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 20:27:24.22 ID:
残念ながらこの次元になると既刊には載っていない。
4の春雨の曲や、講話を録音して書き起こした私的な文集には載ってるが、
これは岡潔思想研究会っていうサイトに出てる関係者に問い合わせないと読めない。
というのも遺族や関係者の間で意見が合わなくて、最晩年の内容は出版を止めてるらしい。
おそらく様子見したいんだろう。岡の名声に傷を付けない程度に世の中がどこまでついてこれるかということでね。
3の内容なら97年に出た日本の心や04年に出た日本の国という水槽の水の入れ替え方に載ってる。
ウィキペディア、第13識「造化」・第14識「帰趣」・第15識「内外」って追加されてるね。
金星の娘に会った時が広島事件の時か。
岡潔が強度の錯乱を起こして家から飛び出し、修道中学の生徒からカバンを盗み出して川沿いで寝てたって事件。
精神病ということで逮捕や起訴は免れたが、広島大学は休職→辞職になった事件。
実は川沿いで寝てた日に宵の明星から来たかわいらしい娘(天照大神の分身)と話し、
自分の行く末についていろいろ聞いてたらしい。
第12識以降はより顕著にそういう方向に岡潔は進んでいったらしいな。男は月読になり、女は天照大神になるとかなんとか。
22 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 22:54:13.58 ID:
20
ありがとうございました。参考にさせていただきます。
23 考える名無しさん 2013/04/10(水) 20:51:08.97 ID:
第12識になると無明に全く感染しなくなるらしいがどうなるんだろう。
24 考える名無しさん [sage] 2013/04/11(木) 05:10:24.36 ID:
素粒子や末那識の観点から自然科学を完全否定していたが(もちろん自分も同意)、
クォークやヒッグス粒子やニュートリノといった理論が当時より進歩している今となっては
岡さんはどう絡めて解説してくるか聴いてみたい。
日本人は学問を教えることだと信じて疑わないために学問恐怖症を催すらしい。
西洋の物真似だけして物質現象しか見ない日本人は知を語る資格が無いってさ。
by岡潔
26 考える名無しさん [sage] 2013/04/14(日) 12:35:49.34 ID:
いつの時代の話してんの
27 考える名無しさん [sage] 2013/04/14(日) 12:42:19.52 ID:
俺も最初は何言ってんのと思って反発したが、
この頃になって似たようなことを感じるようになってきた。
28 考える名無しさん 2013/04/15(月) 04:09:02.52 ID:
岡の言行は化石どころか時代が経れば経るほどよく世の中に伝わるようになっている
29 考える名無しさん [sage] 2013/04/16(火) 04:51:17.77 ID:
25
逆逆。
学問恐怖症だから学問を教えることだと思い込む。
30 考える名無しさん 2013/04/16(火) 05:35:01.83 ID:
ヒトハブネだっけ?ソースは。
岡の本はちと重複が多くて読むのに困る時があるのよね。
確かに書いた順に読むのが一番と言えば一番なのだが。
「春宵十話」は常識に基づいて書かれたわけだけど、岡としては昔から霊感体質だったもんだから
それを排除して遠回しな言い方をするのに本人は非常に歯がゆさがあったみたい。
それが「風蘭」の教育の手助けの方法論に繋がるが、これもパンチとしては弱い。
絶版になってからは『情緒と創造』や『情緒の教育』で復刻され売り出されてる。
岡潔初心者はこのへんから読む人が多いだろうな。
仕方なくいわゆる最強硬右派的なことも「紫の火花」「春風夏雨」「月影」で書くが、
朝日新聞に拒否られて「紫の火花」は増刷できず、『岡潔 日本の心』で再登場させるはめに。
そうした中で集大成としてまとめられたのが「一葉舟」「昭和への遺書」「日本民族」。
当然絶版。再版は『日本の国という水槽の水の入れ替え方』まで叶わなかった。
この『日本の国という水槽の水の入れ替え方』は晩年前期の内容が本当によくまとまってて(>>2-3)、
岡の思想を掘り下げる入口にはもってこいというか、ベストな本だと思う。>>4も一部は載ってるし。
で、この後は『日本民族の危機 葦牙よ萌え上がれ!』を除き
>>20の理由からか絶版&未出版ばかりになるわけだけど、このへんの内容は本当に驚きの連続。
学生紛争もあって反発・反論も一番凄かった時代。「曙」や「神々の花園」など。
未出版のものなら『葦牙会講話集』『春雨村塾講話集』『京都産業大講義録』と目白押し。
晩年後期になると敵を作るような内容ではなくなるけれど、
次元が高すぎて急速に世の中が無視して忘れ去る時代になる。
この頃は『流露』や『夜雨の声』(『日本の国という水槽の水の入れ替え方』に収録)、
『一滴の涙』(「岡潔講演集」に収録)や「春雨の曲」と、
情緒を水に例えたタイトルが増えてくる。
「春雨の曲」に至っては完全に恋愛物のファンタジーの世界。
「岡潔集」を編纂した保田与重郎に依頼されて書かれたが、歴史や神様の話が常軌を逸したレベル。
※「」は岡の存命当時の本、『』は岡が没したのち新しく編集されて最近出版された本。
多変数解析函数について
Ⅰ 有理函数に関する凸状域 (1936)pp.11
Ⅱ 正則域 (1937)pp.15
Ⅲ Cousinの第2問題 (1939)pp.13
Ⅳ 正則域と有理凸状域 (1941)pp.5
Ⅴ Cauchyの積分 (1941)pp.9
Ⅵ 擬凸状領域 (1942)pp.38
Ⅶ 或る算術的概念について (1950)pp.35
Ⅷ 基本補題 (1951)pp.31
Ⅸ 内分岐点を持たない有限領域 (1953)pp.77
Ⅹ 擬凸状領域を生成する新しい仕方 (1962)pp.11
唯識論
第一識 眼(視覚)
第二識 耳(聴覚)
第三識 鼻(嗅覚)
第四識 舌(味覚)
第五識 身 ここまでが五感
第六識 意識 ここまでが顕在識
第七識下層 末那識邪智世間智
第七識中層 末那識妄智分別智
第七識上層 末那識真智無差別智 ここまでが潜在識 ここまでが第一の心 ここまでが理解で分かる世界
第八識 阿頼耶識 本当の意 ここまでが八識論
第九識 真如 本当の知 ここまでが九識論
第十識 真情 本当の情
第十一識 時
第十二識 主宰性
第十三識 造化
第十四識 帰趣
第十五識 内外 ここまでが悟り識 ここまでが第二の心 ここまでが真心で分かる世界
第十六識 心そのものとその上の命そのもの
論文Ⅶの不定域イデアルをカルタンが層に置き換えたのを岡は非常に嫌がったらしいな
35 考える名無しさん 2013/04/29(月) 01:13:12.76 ID:
世の中はゴールデンウィークだ!オカケツなんて言ってないで働け家族にリップサービスしろ!
36 考える名無しさん 2013/04/29(月) 02:37:27.06 ID:
女房とセクロスして家族サービス
数学史にはデカルト・ライプニッツ・パスカルみたいな
哲学者の名前は全く出てこないな。
専門領域では取るに足らない業績なのか?
38 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:12:18.79 ID:
小林秀雄読んでたら岡の話があったんで。
もともと抽象的な分野だったが、戦後になって
ますます抽象化が進んだと漏らしてたと。
アメリカが学問の中心になったせいだろうが。
39 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:28:29.07 ID:
解析学の根幹は微積分(calculus=計算主義)ということに
なるわけだな。現代高等数学ってのは、概ね、この計算主
義の上に成り立ってるんだろ?
デカルト・ライプニッツ・パスカル・ニュートンくらいな名前は
数学史にも見えるな。
40 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:35:42.45 ID:
現代数学の神様のフェルマーはパスカルと共同で
確率論の研究やって、デカルトと文通してた。
数学も根っこを探すと哲学分野になる。
北米アングロサクソンの合理主義プラグマティズムが
見向きもしない問題だが。
岡の業績は多変数複素関数論で、本人も認めてるように科学よりも芸術だから
人によってはあまり見向きもされない分野らしいですね。
ただし、高く評価する人は本当に数学史中の最高峰と見なしたりもしていたようですが。
私は門外漢なのでコメントは控えます。
哲学についてはデカルトがあってこそのニュートン、
ヘーゲルがあってこそのマルクスと岡は語っています。
なのでヘーゲルに関しては当時からショーペンハウエルが
あんなものは知性ではないと批判していたようですね。
もっとも岡は哲学を重視する一方で、哲学も学問に含まれるために
真に対応する学問、美に対応する芸術のように
善に対応する訳語が西洋には存在しないということを非常に嘆いておりましたが。
42 考える名無しさん 2013/04/29(月) 20:32:28.92 ID:
岡潔曰く西洋(特にアメリカ)って極端なめくらだからあんなに学術が物質的に精緻になるらしいね
43 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 21:39:34.60 ID:
フェルマーは弁護士で余技で数学をやったのだな。
数学は哲学者より弁護士業界がやる時代か?
44 考える名無しさん [sage] 2013/04/29(月) 22:07:25.67 ID:
かもね。
岡は数学の抽象化や自然科学の色合いが数学でも強まってきてることを嫌悪していた。
こういう時代になると実業家が数学やる方が認められやすい。
45 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 22:52:36.62 ID:
言わば金融形而上学の時代だな。
46 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 23:34:22.73 ID:
アメリカ人の脳味噌をハッキングして徹底的に分析してやる。
力が強い、エネルギーを大量に使うというのは岡潔が嫌ったことであって。
小さな物から悠久の歴史を観ずること。
大木を見て、大木の長さ大きさ硬さを分析して活用するのは西洋。
大木を見て、年輪を観ずれば自ずから・・。が日本の文化。
48 Jesse Oldendorf [ウェブ崩壊] 2013/04/30(火) 12:43:17.04 ID:
もっとも今の日本の古典教育では古典をマークシートでパチンコみたいに
やらせているから、日本人の娯楽のレベルが下がりました。
日本政府の政治家の方も、靖国神社に参拝して中国韓国の怒りを買うよりもっと
やるべきことがあるのではないのか。
それはラバウル島、ガダルカナル島の鉄くずを回収したり
自分自身の言葉、行住坐臥をしっかりと改めることではないのか。
49 考える名無しさん [sage] 2013/04/30(火) 14:58:45.34 ID:
岡自身が政治・軍事・土木や劣化新興宗教の教祖から距離を置くタイプだったからなんとも言えんが
たぶん岡は靖国以前に中曽根大勲位みたいなタイプの人間を一番批判するだろうなぁ。
大勲位は保守も共産も無く、ただ自分の保身のために行政改革を行った人だったから、
民生が向上しないばかりか、国体面でも著しく弱体化した。
靖国神社参拝に付け入るスキを作ったのもこの人。
先進国間協調でバブルを生み出させ破綻させたのもこの人。
大量に国債を発行し所得税率を下げ消費税を導入しようとし財政状態を極端に悪化させたのもこの人。
,,,,,,,,,,,,、 、 ,
, -ニ三ニニニヽ`、ミ) ) 、 レ ,
, z イ三ニ三ヽヾ`、ヾ、 y' 、ソサ、ヽ 、
,レィ三フラ三二 ―--ヽ 、ァ≦、ζソシ、
ス三ンサ三三三ニ三ミ ミY yラ孚ナラジョシ
ウ三ンサ三三ニニ― `ミ、 ', i ! リ`キ=ニミ
、ニ三=ニ―-―ニ―-- ヽ ミリ リi! 、 ヽ、
、シシ三シル'r―ラーア` ' ノ 、、 、
三ニ ニリ i) |iリ!' /ノ / `、 `ミ
二三 三シ'、リノノシ / -- '''゛ -― 、 `;
ヾ三二ノノヾリツ/ ,,, ------―- 、; ,
`Y `;^ヾ、、リl!' ,,、ァャ 、 f゛_,,,,、 /; '
', リ=リヾ、、 彡>―-、.:.i :...,、-- /i、
'、ヽ〈 i!l ヾ、、‐-rt;ァ、 .;.| ,、rェァ ;/ヾi!
ヽ ' | ヾラ===ャ=ァ===マ'
ゝ-ァ! :::::::::|! ,r‐''" ノ i' ヽ ノ
,、iiiill、 :::::: `ゝ- --'゛:: `、‐--‐'
,、iiiiillll::::、:::::i /:.:.:::`~- ' `/
,、iiiillllllll|:::: 、、 i 、ェェェェ、;;、 /
,,iiiilllllllllllll|::::::::、 ヽ 、 ゞア=,` /、
Iiiiiilllllllllllllllllli:::::::: ヽ、 \ ` ノlliiiii;;::、,,
llllllllllllllllllllllllllii:::::::::: ::‐-- -‐'イ| llliii.;;.;....、ヽ、
岡潔
この人の憲法観を聴きたい。
たしか破棄論者だったと思うが、、、
52 考える名無しさん [sage] 2013/05/07(火) 17:16:53.89 ID:
破棄論者ですね。
ただ春雨の曲では、大日本帝国憲法・五箇条の御誓文・教育勅語も否定していますが・・・。
まず前文から見て論外と言ってますね。
>そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
>その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
>その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
>この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
これらは大嘘なんだそうです。小我観そのものだから人類普遍の原理じゃない。
物質主義から来てる考えから、一人ひとりに基本的人権を与えるということなんですが、
そうすると個人主義を生み、また個人主義が利己主義を生むのは避けられない。
自分だけが大事という考えのままでいるのは、魚類と変わらないと岡は言ってますね。
(ちなみに物質主義だと魚類以前のおたまじゃくしだそうです)
53 考える名無しさん [sage] 2013/05/07(火) 17:34:23.94 ID:
で、憲法制定のいきさつですが、押し付け憲法ではないそうです。
ただし、万世一系の皇統を切るぞと脅されて仕方なく日本人自ら制定したんだそうです。
この後すぐに改正しなかった吉田茂(麻生副総理の祖父)を、
岡は腑抜け、昭和天皇は得体の知れない外交官と評してます。
占領下での憲法作成は出来ないと峻拒した西ドイツと比べても腰抜けなんだそうで。
アメリカの思想が入っている憲法なんですが、
その中でも特にジョン・デューイの教育論が入っている。
日本人の当時の知識層に流行ったんだそうです。
プラグマティズム・構造機能主義・コアカリキュラム・問題解決学習といった考えの原点になります。
岡はデューイについてもあれは野獣だと批判してます。
なおその後憲法改正に意欲を燃やした岸信介(安倍首相の祖父)や
福田赳夫(福田康夫元首相の父)は晩年岡の哲学に傾倒していたようです。
岡潔の外国観
アメリカ
嫌い。但し無茶ばかりする国柄な為にたまに突拍子も無い人物を生む。
岡はこうした人物を「マッハボーイ」と呼ぶ。例えば連続体仮説は肯定できないことを示したコーエンなど。
(ちなみに不完全性定理を証明したオーストリアのゲーデルが連続体仮説は否定できないことを示した)
ロシア
20世紀の悪夢だった共産主義のかつての親玉。
形式論理を磨き上げたトルストイは苦手だが、前半生において逮捕された経験を持つドストエフスキーは好き(特に「白痴」)。
西洋の中で俳句がわかる国はロシアとフランスのみらしい。
55 考える名無しさん 2013/05/18(土) 01:08:19.88 ID:
フランス
岡の留学先。ギリシャ神話や北欧神話があまりあてはまらないラテン民族の国。
このため血筋的にも意外と日本に近い民族らしい。
ナポレオンをはじめとしたフランスの栄光の歴史をシャルル・ド・ゴールが非常に重んじた。
民族文化の温かい大河の流れにプカプカ浮いていれば自ずと知性が働く。
岡は図書館でこの流れを感じて生涯の数学の問題を定めている。
しかし高い知性以外はあまり褒められるところは無いらしい。
イギリス
フランスを敵視。ブラックジョークの国。
自分たちが滅びるくらいなら相手も滅ぼすのがイギリス魂。
ドイツ
カントやショーペンハウエルの出身国。
ときどきマルクスやヒトラーといった狂人も輩出する。
最近連邦議会で議席数を増やしている緑の党は左派勢力ではあるものの脱物質主義を掲げているため、
欧州の価値観が近年変わってきていることが伺える。こういう変化に日本は疎く、外国を見て動くフシあり。
56 考える名無しさん 2013/05/18(土) 01:29:22.62 ID:
インド
今でこそヒンドゥーとイスラムだが仏教の故郷。
仏教では点を空と言い、線を色と言う。
しかしそれきり発展しないために古代インド文明には斉家治国平天下が生まれなかった。
支那
岡の友人であった胡蘭成曰く、毛沢東は湖南人だから駄目。
支那と日本は民族的に非常に近い関係だが、
このうち満州人や台湾人は特に近い。ネパールやブータンやシンガポールも近い。
支那は知的純粋直観がよく働き、日本は情的純粋直観と意的純粋直観がよく働く。
早く共産主義やめればいいのにと岡は思っている。
かつて日本が支那を侵略したのは事実だが、
南京事件や慰安婦問題は卑怯なでっち上げであり、岡はこの面については非常に毛嫌いしている。
慰安婦問題を書いたのでついでに性問題の岡の見解を。
一応、国は性問題を放置してはいけない。
3S(セックス・スクリーン・スポーツ)は扱いに気を付けないといけない。
(スクリーンは岡の時代と比べて今は斜陽だし、スポーツは自他弁別本能そのものである根性を使わなければ良い)
しかし、スキンシップと性本能は切っても切れない関係なため、悪質性が低いことも多い。
なのでセックスは気品高く行ってほしいとのこと(笑)子供が下品に生まれてこないためにも。
58 淀屋橋ハニワ 2013/05/18(土) 08:16:23.50 ID:
セックスがテーブルマナーみたいになるのかよ?
手づかみ厳金?(あほらし
59 考える名無しさん 2013/05/18(土) 12:32:50.73 ID:
手掴み厳禁とは言ってませんよ。昼ドラみたいな手の出し方でもいいわけです。
ただ、あれの問題点は、非常に心が汚れるんですね。それは親となる人物にも良くなく、
生まれてくる子にも良くない。
第15識や親子の繋がりにも関わってくる問題です。
プラトン 「幾何学を知らざるもの、この門をたたくべからず」
ピタゴラス、エウクレイデス、アルキメデスとか、古代ギリシアの知性は基本が数学なんだよね。
東洋の「思想」と西洋の「哲学」の差も、これに由来するよね。
61 考える名無しさん 2013/05/22(水) 19:34:47.78 ID:
明日、医学評論社から評伝岡潔虹の章Ⅰ・Ⅱ発売だね
62 考える名無しさん [sage] 2013/05/28(火) 17:16:32.26 ID:
岡潔のお孫さん(第12識にいらっしゃるそうです)
http://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20130324-04.html
63 考える名無しさん [sage] 2013/05/28(火) 17:18:36.77 ID:
同じく続き
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/594
第12識といえば
曹洞宗の開祖である道元は第11識~第14識にいたらしく、第11識についてよく調べ、
早死覚悟で時をいじって岡潔に会いにきたとか。
おかげで岡は知的純粋直観が拓け正法眼蔵がすらすら読めるようになったそうな。
それまでは岡でさえ知的純粋直観がほとんど働かなかったから、
残念ながら日本民族の知はやはりあまり役に立たないらしい。
もっともその後の岡は禅はナンセンスな修行方法だと酷評してたが・・・w
それとフランスのサン=テグジュペリも第11識にいたらしい。
「星の王子さま」がそれ。
星へ落っこちるという表現と、毒蛇に足を噛ませるという表現は
第11識を知らないと書けない表現なんだってさ。
フランス人と日本人はかなり近い関係なのかもしれないね、本当に。
65 考える名無しさん [sage] 2013/06/04(火) 06:16:02.31 ID:
昭和41年11月25日号の『週間朝日』の連載ルポ「ふるさとを行く」
(明治以降の日本人は)人は死ねばそれきりだと思っている。
皆そう思って、そのつもりで人生の計画を立てている。
本当は僅々七十年位でできることなんか何一つないのだが、
無理に勝手な理屈をつけて、計画が立ったといっているのである......
しかし明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、
この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。
そして私もそう思っている。
「岡潔講演集」より 序(松下正寿の解説)
岡潔先生の思想は西洋式の形式論理を超越したユニークなものである。
であるから西洋式の形式論理に当てはめて理解しようとすると難解というよりは理解不可能になる。
ところで問題は我々の常識になっている西洋式形式論理でどの程度まで真理が把握できるかである。
私は極めて小と思う。西洋式形式論理で解る程度の真理は常識で解るのであるから特に論理の必要はない。
わかり切ったことをえらそうに表現するに過ぎない。
ところで岡潔先生の論理は形式論理ではなく、直感の論理である。
だから形式論理で考える習慣を改め直感で考えると先生の言われることがよく解るのである。
67 考える名無しさん 2013/06/10(月) 05:15:19.65 ID:
Wikipediaより 松下正寿
京都府生まれ。母方の祖父松下一郎は牧師で、松下家はキリスト教徒の家系であった。
母は亀徳(きとく)しづ。兄は青山学院大学教授の亀徳正臣(1899-1954)。母方の姓を名乗る。
青森県八戸市の八戸聖公会で育つ。旧制八戸中学校(現 青森県立八戸高等学校)を経て1922年に立教大学を卒業。
コロンビア大学でPh.D、カールトン大学で学士号を取得した他、ミネソタ大学やジョンズ・ホプキンス大学にも留学した。
1929年、28歳の若さで母校である立教大学教授に着任する。
第二次世界大戦中は、高木惣吉の提唱により設置された海軍軍務局調査課のブレーンを務め、
各種研究会に所属していた。
戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)では日本側の弁護人を務める。1948年弁護士開業。
1955年、立教大学総長に就任し、在任中は法学部の設立に尽力する。
1957年には岸信介首相の特使として訪英し、
核実験の実施に遺憾の意を示す岸首相の書簡を英国首相ハロルド・マクミランに渡している。
1967年、東京都知事選挙に自民・民社2党推薦で立候補したが、社共推薦の美濃部亮吉東京教育大学教授に惜敗した。
1968年7月の第8回参議院議員通常選挙に民社党公認で東京都選挙区から出馬し、初当選を果たした。
第10回参議院議員通常選挙には出馬せず、1期で引退。1975年に再び東京都知事選挙に民社党推薦で出馬するが、
美濃部亮吉知事、石原慎太郎の後塵を拝し、3位で落選した。1986年死去。
生後から5歳くらいまでの子の成長(日本の場合)
生後3ヵ月まで→第10識「真情」にいる
3ヵ月から1年11ヵ月まで→第9識「真如」にいる
1年11ヵ月から2年5ヵ月まで→第8識「阿頼耶識」にいる
2年5ヵ月までが童心の季節であり(やはり情が知や意より先)、
以降は第7識~第1識が強まってくる。
4歳で第7識「末那識」において分別智が強まり、
5歳で世間智も強まってくる。
したがって幼稚園教育・保育園教育・ピアノやそろばんの技術偏重教育はもってのほかであり、
ワークシェアリングを推進してでも3歳までは母、3歳から5歳までは父が側にいるべき。
6歳頃の寺子屋教育の復活も方法としては良い(現代ではしまじろう等が代行している)。
なお稀に第12識「主宰性」にいる子もおり、
生後2ヵ月の子の目を観察するとそれかどうか分かるらしい。
69 考える名無しさん [so2] 2013/06/12(水) 17:44:48.30 ID:
梅原猛さんによると・・詩人になるにはアホでなければならないと。
この点から観るに関西人、特に大阪育ちの人は詩人になれる人はいないだろう、
なぜかって言うと、お笑い好きの大阪人はアホさ加減が直観で分かるから
これについては、森毅。一刀斎最後の戯言でも詠んで。
関西でも和歌山県は別世界なのかのぅ?
大阪はヤクザだ在日だ左翼だ言われても個人的には好きだけどね。
ユーモアが上手くない日本人の中では珍しい部類の地域。
和歌山・奈良は別世界かもね確かに。
日本文明発祥の地であり、平安や鎌倉でない、神代の文化が栄えた地域。
ただそれでも古事記は支那から文字が入ってからの書物だから、
偉いとかアカンとかそういう内容があって日本神話を伝える本としては
あまり良くないらしいが。天月読命は影がかなり薄くなってるし。
加えてインドから入ってきた仏教も弊害が多かったしね。
聖徳太子が頑張って神道と仏教を融合させようとしたけど失敗した例もあるし。
71 考える名無しさん [sage] 2013/06/12(水) 18:24:30.97 ID:
それと詩ってね、あまり長くなく簡潔に言い表した方がいいらしいよ。
日本と共通点が多いフランスでさえ100句くらい使わないと認められないらしいし。
その点日本は短歌や俳句っていう最強チート武器があるからね。
直観が利く大阪府民でもいけるでしょ当然。
まぁ向き不向きは確かにあるらしくて、
明治以後も自他対立していない歌を歌えた県民は岩手県民くらいしかいないみたいだけど。
昭和への遺書 1968年6月
西の子(西洋)の歴史に限って言うと、古代ギリシャ時代400年は昼、古代ローマ時代2000年は夜、
文芸復興から20世紀初頭までの400年が昼、第一次大戦後はまた夜である。
だいたい4時間が昼、20時間が夜という緯度の所にいるらしい。
ローマ時代は真、善、美が分からず、軍事、政治、土木がもっぱら重んじられたのであった。
その頃のローマと今の世界状勢は酷似している。
ローマ時代を知りたければ、眼前の世を見ればよいと言いたい。
私は数学の研究を自分でもし、他にもさせているのであるが、
数学くらいごまかしの利かない所も少なかろうと思う。
この窓から見ると、二度の大戦で光が格子段的に薄くなっていく有様が手に取るようにわかる。
存在意義も見失っており、そこでは自明的な自家撞着にすら気づかないらしい。
第二次大戦後には、これが覚醒時の意識で書かれた論文かというものが数多く出ていて、
私の私設研究室の人たちに手分けして読んでもらって聞いていると、知識のがらくたという気しかしない。
市民大学講座 1968年11月
もし、本当の教育をすれば、日本の文化は高度に進みます。
そうすれば単に、高い文化を持つというだけで、日本にはちょっと手がつけられなくなる。
こんな小さな資源もない島にとって自衛の手段としてそういうことが考えられる。
それだけでにらみが効きます。核エネルギーだってそれほど悪くはない。
そうするには今の教育は問題です。
日本は工業的生産力が世界第三位だということと
(当時の二位はソ連だが、現代なら支那に置き換えればよい)、
国民性が勤勉であるということ以外何一つうまく行っていない。横隔膜の病気である。
これを船に例えるとね、エンジンだけしっかりしたぼろ船です。
だから日本は今、どっかから水が洩れたらそれをつめ、
又どっかから水が洩れたらそれをつめ、みんな寄って一致協力して精一杯やって、
どうにか向こう岸へ着けなきゃならない、そういう有様です。
でもこれは、仲々働き甲斐のあることで、
共産主義なんていうお祭り騒ぎして騒いでいるよりは、ずっと面白いはずです。
市民大学東京校 1974年5月
四年前「春雨の曲」と、こういう本を一冊書こうと思った。
その初め二年間は、こんなもの書いたところで、
ここまで来てしまっては所詮日本民族の滅亡は防げないだろうと思ってた。
去年になって少し事態が好転したと思い始めた。
非常に好転したと思い出したのは去年の七月の中頃から。
で、去年の末までにはもう大丈夫、滅びないと思った。
そして今年の三月には、最早人類自滅の危機は去ったと思ってる。
造化には人に生まれることを許可している司命官庁というのが確かにある。
そうして、これから一番大事なのはその司命官庁です。
人類の滅亡をどうして食い止めるか。
簡単に云えば!人口を減らせば良い。
増加の方向に向かってたのを、減少の方向に向け変えたら、それで良い。
ところが、こんなように云った人、一人もないのね。
どれくらいに減らせば良いか。四%くらい。
そうすると今こうすべしと云って、それが姿に現れるのは二百十年後でしょう。
そしたらその時、日本の人口は既に四百万になってるか、四百万を指して減って行ってる筈。
日本人がこのまま餓鬼道でいたらそうなるのは仕方ない。
一億が四百万に減ったら、つまらなかったものが大切になり、大切だったものがつまらなくなるでしょう。
まあともかく、ガラーンとした寒村にすこーしの家しかなかった時の、山村の暮らしのようになるでしょう。
人懐かしくなるでしょう。物質なんかどうでも良くなるでしょう。
それでいい訳なんです。
75 考える名無しさん 2013/06/15(土) 22:47:00.07 ID:
age
太田龍の時事寸評 平成十五年(二〇〇三年)二月十日(月)(第四百八十三回)
岡潔先生は、苗代清太郎先生と同じく、晩年になるにつれてラジカルに成る。
「中国はダメ。佛教はダメ。西洋は救いようがないほどダメ。」(「岡潔先生二十年祭記念・聴雨録-師弟談話集」)と言はれたのでは、
岡先生ご出身の日本の(西洋式)数学者でさえ、立つ瀬がない。
敬遠。封印。無視。忘れ去る。ないことにしてしまふ。
・・・より他ないであらう。これでは、昭和五十三年逝去と同時に急速に、
全日本社会が、岡潔を忘却することに成るのも当然だ。
しかし、これからが本番だ。
岡潔先生は、西暦二〇一〇年(平成二十二年)頃、高天原神国日本の第二次国産みが完了する(「春雨の曲」第七稿)、と予告された。
当寸評は、岡潔説を一から十まで鵜呑みにはしないが、
それにしても、ここに現代日本の最高の思想が表現されて居ることは明らかだ。(了)
77 考える名無しさん 2013/06/23(日) 23:00:10.37 ID:
都議選もあったしキナ臭い世界だけど岡の政治観でも書くか。
国政と地方選の争点は一致しないが一応。
・政治は労働者層を雲散霧消させるのを目標にすべき
・かつてのソニー、パナソニックは労働組合が消失するほど経営が上手くいっていた
(ただし商品については今後は2からも伺えるように価値観の多様性を踏まえる必要がある)
・かつての自民党は雲散霧消させるのを目標としていなかった
・旧社会党は労働者階級に固執して逆に日本の方を雲散霧消させようとしていた
・したがって新党が必要
(個人的には自民、民主、維新の三大政党制が良い気がする。TPP推進と消費増税は引っ込めてほしいが)
・共産党は左派政策を引っ込めるだけで社民党より遥かにまともな政党になる
・政教分離は必要だが、祭政一致も必要
・餓鬼道や小我のまま投票したり立候補したりしないように
葦牙会発足 1968年12月
建武の新政が馬鹿な公家によって失敗した際、
楠木正成に兵庫県で足利尊氏の大軍を迎え撃てと、こういう詔勅が下った。
そうすると、正成は幼い正行に時勢と死後を諭して、
湊川で尊氏の大軍を迎え撃ち華々しく戦ってことごとく討ち死にした。
その時に、ななたび(七度)人間に生まれ変わって君国に報いよう、そういって死んだと伝えられています。
79 考える名無しさん 2013/06/27(木) 14:47:39.78 ID:
この正成の立派な死に方を見て、敵将の尊氏が深い感銘を受けた。
それで、これを手厚く葬るために河内の楠木邸に送った。
正成の首を見た正行は、毎日毎日一族の遺族達の子弟を集めて、戦ごっこをする。
形見の短刀は、自殺するためでなく、賊の首を切るためだと父に諭されていたから。
そうして大きくなった。やがて敵将の高師直が、吉野朝を大軍で攻めようとした。
その時、楠木正行は多分結婚して直ぐだったが、ことごとく討ち死にした。
正行の奥さん、勾当内侍(こうとうのないじ)っていったと思いますが、私よく知らない。
それで、多分それに非常によく似た、戦国時代の木村重成の奥さんの話をします。
81 考える名無しさん 2013/06/27(木) 15:03:38.36 ID:
大坂の落城が迫ったと聞いて、木村重成はいよいよ最期と覚悟の程を決めて出陣しようとする。
そうすると、その結婚したばかりの若くて美しい奥さんは、
いち早くこれを察して、夫に兜を捧げるんですが、
重成がこれを受け取ってみると名香が炊き込めてある。
それで妻の意を察した重成は、その兜をかぶって、兜の緒をきりりと締めると、
その残った兜の緒を結び目ぎりぎりの所からぷっつりと切った。
これは最早脱がないという決意を示してるんです。
奥さんはそれを見て、静かに夫の出陣を見送ったのち、自分の部屋へ入って、そして先んじて自刃した。
こういう風なんですね。
82 考える名無しさん 2013/06/27(木) 15:08:07.57 ID:
日本民族の女性の真の幸福というものはこういう所にある。こういう所にしかむしろ無い。
何も必ずしも死ななくても良い。こういう場合にはいつでも死ねる。
こういう時には死ぬという形に現れ、そうでない時は死なないという形に現れているだけであって、
真の幸福というものはこういう所にあるんです。
曙 1969年6月
日本は既に破綻が方々に出てるものに真似をして、それを良いと示し、それだけの上にいろいろやろうとする。
日本民族の大多数は実に無知ということです。
日本民族のうちは、中核の一万程に知が非常によく働き、情と意によって一般の人々を感銘させ向上させる。
だけど一般の人々は全然無知です。これは日本史を調べると、ずっとそうなっています。
こういう民族が、多数の言うことを正しいとする決め方、これを民主主義と云ってるんですが、
こんな批判の仕方を長く続けていると、衰退するに決まっていますよ。
大体、明治までの1300年もの間、五尺の体とその機能が自分であるというのは、小我という迷いであって、
この迷いを覚まさなきゃあいけないと習い続けたんです。
それが100年も経たんうちにケロッとそれを忘れて、
五尺の体とその機能が自分であり、自分中心に行為すべきであると憲法・法律に明記し、
それによって社会通念を作り、それによって教育原理を教えてるんですが、
どんなに馬鹿な民族かわかるでしょう!
それがたった100年の一般人です。全然、相容れない。
しかも終戦までは、人の為にする行為が善行で、利己主義は唾棄すべきものとなっていたんです。
消極的利己主義も積極的利己主義もね。
その反対をやっている。全然、知が働かない。
中核の言う所に従順に従って来たんでしょう、それを続けるべきです。
正しいことを言う奴が一人もいない!間違ったことばかり言う!
ここから何時も 1969年8月
バイオリンのあの何処がいいんです。前頭葉の音楽です。西洋のは皆。
意識を通さなきゃあわからん。じかにわかる音楽にすべきです。
もともと前頭葉の心あることしか知らない者の芸術だから、全て前頭葉を通す。
それじゃあいかん。改良してじかにわかるようにすべきです。頭頂葉でわからしたらじかにわかる。
古典音楽までは前頭葉の音楽、ドビュッシー以後は側頭葉の音楽、終戦後は「からだ」の音楽です!
西洋人のやった所を踏み台にして良くして行きゃあいいんだから、
バイオリンをお習いになるのは良いが、これが最上などと思ったら間違い。
意識を通す、あれは。だからつい、俺は音楽の天才だと思う。
創価学会は全体主義そのもの。宗教じゃない!
あれの不安を煽る勧誘に引っ掛かる理由は馬鹿だから!(笑)
大体、仏教ったら小学一年生用なん!法華経、読んで大した勉強になる訳ないん!
それ以上説きようもなかった。
それじゃあ釈尊なんてわかりゃしません。日本民族が解釈しないとわかりません。
何も知らないのに 1970年5月
大体、日本人が西洋の学問・芸術にすぐ飛びつくのはまだごく子供だから!
「やっとこやっとこ繰り出した。おもちゃのマーチがラッタッタ」です。
大事なこと何もわかってないのに、つまらん事に多弁を弄してる。
それが面白いって言うんでしょう。あんなことするのは馬鹿だ!
大体そんな風が明治以後ですが、終戦後は更に丸で腑抜けです。
ちーとこういう所を反省することから始めたら良い。
何故そんなに真似ばかりしなきゃいかん。また、それが何故良い。
いや、私も欧米人の数学というものをやったということで文化勲章を受けた(1960年に池田勇人内閣から)。
何という馬鹿な!(笑)数学をやる者もやる者だけど、そんな者に文化勲章をくれる者もくれる者!(拍手)
実際、ろくなのおらん!これじゃ日本駄目になるのは当然でしょう。
在りし日の岡潔
http://www.youtube.com/watch?v=uQcCmAvTc2Y&feature=player_embedded
87 xeo ◆topaTViseQ [sage] 2013/07/05(金) ID:
小林秀雄とも対談してるね~岡潔。
しかしまあ、その後、小林は今日出海との対談で、ジャーナリズムが
岡をあっちこっちひっぱりまわして、貴重な才能をもつ岡をくたびれ
させてしまったって批判してるね。今も相づちうって、岡の書くモノは
最近面白くないっていう風にいってたなぁそういえば。
88 考える名無しさん 2013/07/06(土) ID:
69年を境に出さなくなるからね、本を。
正確には出せなくなった、が正解だが。
葦牙会や市民大学講座もあまりやらなくなり、春雨の曲の執筆に専念するようになる。
とりあえず警鐘は乱打したので後は未来の教科書を書こうと思って。
岡潔が他人の計算によって考え出した話によると、
日本民族は血縁的には相当濃いらしいね。血による病気には罹りやすいかもしれんが。
人には二人の親があり、三十年で子を生むものとして計算すると、
千八百年で一億の一億倍になる。千八百年前の人口を一千万と仮定すると、
当時の任意の人は今の任意の日本人から見て、十億重に一番古い祖先となる。
計算が合ってるかどうかはともかくとして、血縁が濃いから、仲良く住もうという結論を導き出してる。
天皇無所有の思想もそういう意味合いがあるらしい。岡潔曰く天皇は元首じゃなく家長だと。
90 考える名無しさん 2013/07/08(月) ID:
ってか無所有だから皇室は金銭的にはあまり裕福じゃないらしいね。
91 考える名無しさん 2013/07/09(火) ID:
87-88
今の言論人の辿るルートも変わってないよね。
藤原正彦の場合、国家の品格で岡に触れたのち、今は沈黙を貫いてるし。
まぁあの人は、あえて論文書かない人だから周囲に呼びかけるような真似はしたくないと思ってるようだが。
小林よしのりも同じだね。好んで読む人が本当に減った。
岡の場合は、出版社に悉く断られてるし、可哀想だな。そのせいで遺族も本を出したがらないし。
日本民族 1968年12月
私は石原慎太郎さんに会おうと思って、氏の著作を読んだ。
あるところにこう書いてある。「力を備えていなければ駄目」である。
またあるところにこう書いてある。「嫌悪感という情操に基づく好意」
私は嫌悪感という情操、という言葉を初めて聞いた。
憎悪になると小我になるが、嫌悪だと情緒の濁りといった感じで、掴み所が無い。
力と嫌悪を組み合わせると信長のイメージ(印象)が浮かび上がる。
氏はまたどこかの新聞小説でこう書いてあった。
「若い男女が一緒に海で泳いだ末、二人だけで裸で立って互いにそこを見合って、淋しそうな目の色」をした。
この「淋しそうな目の色」という言葉はちょっと書けない。
会ったのは京都の料亭、小さな庭があり、季節はまだ夏だが、
もう秋色が感じられて美しかった。私が信長が好きかと聞くと好きだと答えて、
一人でAll or Nothing(全か無か)の一戦をしたいと言っていた。そして私に松蔭になれと言った。
氏は十二神将の一人だと思う。
93 考える名無しさん 2013/07/11(木) ID:
数学者 岡潔思想研究会
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/
94 考える名無しさん 2013/07/18(木) ID:
93
カウント10000回突破したな。
春雨の曲 第4稿 1975年12月
造化(A+T)はみんなが懐かしさと喜びの世界に心を一つにして住めるようにしか生物を作っていない。
男性は皆、懐かしさの象徴である天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に帰一せしめ、
女性は喜びの象徴である天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一せしめることを目標にしているのである。
諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意により第十一識に行く(但し第十一識の抜き身は使い過ぎると早死にする)。
自浄其意さえ怠らなければ、善良な凡人は段々向上して
第七識から第八識、第八識から第九識、第九識から第十識、第十識から第十一識までは行ける。
この次は第十一識から第十二識に行くに自覚しながら行ったのであるが、
わたしは第十一識に入ったのは終戦の第二年(一九四六年)、
第十二識に行けば天照大神を見神できるのであるが、
見神したのは一九七三年の七月十五日頃である。
そうすると、実に二十七年かかっている。これは男女の別を取り去るのに時間がかかったのである。
わたしは男性である。だから男性のことはよくわかる。しかし、女性のことはよくわからない。
わたしは長い間こんな風であった。
こんな風であると云うことは男性と云う私がわたしに残っていたことになる。
それを除るのに二十七年もかかったのである。
つまり天照大神を見神する為には男女を超越しなければならない。これは容易には出来ない。
人はカチノー(カチカチの脳)になってしか天照大神のことを考えないからである。
天照大神を見神するには大神が死ぬほど好きでなければならぬ。
人は中核Kと外包Lとからなっている。
容易に大神が死ぬ程好きになれないのは、外包Lを脱ぎ捨てて中核Kだけになれないからである。
Lがカチカチにさせているのである。
これは男性の人に言ったのであるが、女性の人は天の月読の尊をお念じ申すのがよい。
第十二識まで行くことが出来ると男性ならばオリジナルのa1を、女性ならばオリジナルのt1を見神することが出来る。
そうすると、やがて造化の夢殿の初覚の間に入ることが出来る。この後これを認識し、自覚し、確認する。
自覚を確かめるのが確認である。
確認すれば帰趣の宮殿の内に入ることが出来る。
そうすると一応、男性ならば天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に、
女性ならば天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一したということができたことになる。
外の夢殿に入ると、使命を托されて人に生まれる。親を選ぶのは子である。
その度毎に向上していって、遂に内の夢殿に入り、生命の秘境(両性ある心そのものの世界)に帰趣するのである。
わたしの場合をお話しよう。
一九七三年に華厳第七門の見神をした。これについては前に述べた。これは天照大神の遠望である。
その後一年がかりで、うじのわきいらつこの尊の俤(おもかげ)、孝明天皇の俤、
弟橘媛の俤、明恵上人の俤、式子内親王の俤、樋口一葉の俤を見せていただいた。
そして翌一九七四年の七月十五日頃、二度目の見神をした。これは華厳第八門の見神である。
そしてその年の十二月八日に帰趣宮に行き、二尊が無自覚時代終わったことを宣言されるのを聞いた。
無自覚時代が終わったとは、神から人へという方向で諸事象が推移していたのが、
一九七四年の末に自覚時代に人の行くべき道は、人から神への方向であることが確認されたということである。
初度は体験、二度目は認識、三度目は自覚、四度目は自覚の確認即ち自覚の捨であって、ここに到って初めて実践できるのである。
そして(オリジナルt1―オリジナルa1)が四度目を踏み出すことが出来るようになったから、日本民族は自覚時代に入ったのである。
秋が来ると紅葉 1969年9月
※文章化したものもこれから書きますが、移動先のサイトの岡の肉声と合わせて読むことを勧めます。
http://www.youtube.com/watch?v=gCqDC-tu9Kc
100 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
秋が来ると紅葉します。それを木の葉が赤くなるから、秋が来たような気がするのである、と思う。
こんな風なのを物質主義というのです。
今の日本は、例えば教育は秋の気分を出そうとして、木に赤インキを注射してるようだと言えば、
本当にそんな風だという気がします。あんまりいろいろとおかしなものを注射すると木が枯れてしもう。
こういうのを物質主義というんです。
至るところ物質主義です。
物質主義は必然、個人主義を生みます。個人主義というのは五尺の体が自分だと思うのです。
物質主義というのは、感覚は厳然たる事実だし、感覚で分からないものは基礎にできないと、
そういう思想ですから。
五尺の体を自分だと思う、これが個人主義です。五尺の体を自分だと思う、そういう自分を小我という。
小さな我と書く。小我は迷いである。本当の自分を真我と呼ぶ。
小我の迷いを離れて、真我を自分だと悟れというのが仏教の教えです。
日本は明治までの1300年の間、非常にそれを勉強したんです。
それだのに、それから100年も経ちますと、ケロッと忘れてしまった。
日本の新憲法は五尺の体が自分だとなっています。
そんなこと分かり切ってて、いちいち書かなくても良いという書き振りです。
日本に十万も僧侶がいるのですが、「これは間違いである。小我といって迷いである。」という人は一人もいない。
個人主義は利己主義を生みます。どーしても利己主義を生む。
利己主義のうちでポジティブなもの、自分中心にしか考えたり行為したりしない人がある。
人の目にも付きますし、自分の目にも付く。
だから、まだ良いのですが、消極的な、ネガティブな利己主義が困る。
自分と自分の周りの人達以外に対しては全く無関心である。それが困る。
今、日本は消極的な利己主義がほとんど行き渡ってしまっています。
だから個人の幸福は考えますが、国家などというものは少しも考えない。
102 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
ところが実際は、国家というものなしに個人の幸福などというものはあり得ないのです。
こんなこと猿だって知ってる。また世界の各国民は皆知ってる。知らぬは終戦後の日本だけです。
これに似た国民を求めますと、なかなか近いところにはない。
遡って、2000年近く遡りますと、一度ユダヤという国が滅びました。
あの滅亡直前のユダヤ国民が今の日本国民に酷似しています。
だから今の日本国民は民主的だなどと思ったらとんでもない、ユダヤ的というべきです。
個人の幸福あるを知って、国あるを知らんのをユダヤ的というのです。
民主的とは言いません、そんなこと不可能ですから。
ところで、何故、こういう事態に立ち至ったか。それを一番初めから詳しく申しましょう。
※なお、岡は昭和への遺書>>72で、アインシュタインを輩出できたのはユダヤ民族の歴史が古いからである、
とも述べています。日本民族はそれ以上に歴史が古いわけですから、言わずもがなとなるわけです。
人には心が二つあるんです。
心理学が対象としている心を第一の心ということにしますと、この第一の心は前頭葉に宿っている。
この心は私というものを入れなければ全然動かない。
その代わり、いったん私というものを入れると、笑いカワセミのようにうるさい。
私は嬉しい、私は悲しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲すると、こういう心。
また、この心は意識を通さなければ分かりません。それからこの心は、心理学者は知らないでしょうが、
前頭葉に宿っているというのは中心が前頭葉にあるという意味で、広がって物質的自然界全体を覆うています。
物質的自然界というのは自然科学が対象にしている自然です。
人は生まれて何時頃からそんな風になるかと言いますと、
第四年目にはそうなり始めて、小学校へ行くまでにはそうなります。
それで自然科学者は、初めに(第七識に)時間空間というものがあって、一切のものはその中にあるとしか思えないのです。
しかし、この心は物質的自然界全体を覆うていますが、それから外には出ていません。
ギリシャ人や欧米人はこの心以外知らないのです。
104 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
ところが本当は、人には第二の心があります。この心は頭頂葉(唯識論を深く掘り下げると後頭葉)に宿っている。
この心は無私の心です。無私とは私がない。
無私の心であるというのは、私を入れようとしても入れることができない、そういう意味です。
また、この心の分かり方は意識を通しません、じかに分かる。
この心は頭頂葉に宿ってるというのは、中心が頭頂葉だという意味ですが、
広がって肉体の全体に及び、外に出て物質的自然界全体に及び、
更にその外に出て空間の無いところにまで広がっています。
現在、過去、未来を問わず、およそ時のあるところにはこの心がある。
そういう第二の心がある。欧米人はこの心があるということを知らないのです。
こういう話しますと、貴方々、あまり信じられないような気がするでしょう。
それは欧米の思想、何よりも自然科学を過信しているからです。
この自然科学過信をここで打ち破っておかなければ、今のようなこと言っても、それから出発したのでは聞いてもらえない。
近頃、物理学者が素粒子を電子顕微鏡で見た。
そうすると素粒子は生まれてきてはすぐにまた消えて行ってる。
これは、物質は生じたり滅したりしないものだという古来の観念を破っています。
古来の観念は既に破れてしまっている。
古来考えてきたように、生じたり滅したりしないような物質というものはないのです。
しかし、それよりも不思議なのは、何しろ物理学者は初めに時間空間というものがあるとして考えて行ってる。
然るに素粒子は生まれてきては消えて行ってる。
素粒子は一体どこから生まれてきて、どこへ消えて行ってるのだろうか。
今、物理学者の先端の人達は茫然自失してるも同じこと。
どうすればごまかせるだろうかと思って、工夫するだろうと思いますが、自然科学は初めから間違っている。
今、その間違いがやっと分かる所まで来たんです。
しかし、間違っているとはなかなか気づかないかもしれません。
106 考える名無しさん [milo] 2013/08/02(金) ID:
100 感覚は厳然たる事実、これは大事です。
感覚的に感じたことを表現するこれ気持ちいいね。
107 考える名無しさん [milo] 2013/08/02(金) ID:
物を観て、その物を用いていた人の経験を観ることこれ大事。
108 考える名無しさん 2013/08/03(土) ID:
ニュートンの「絶対時間」やアインシュタインの「相対時間」は第七識にあるんだよね。
だから今の物理界で盛んに探されているダークマターは第八識にある。幽霊も大体はここにいる。
ベルクソンやサン=テグジュペリ、道元や岡潔が重視した「時」は七、八、九、十を超えて第十一識にある。
もっともほとんど宗教の世界だから、岡の遺族や研究会としては
岡を教祖化させないように非常に警戒して目立たない活動してるよね。
創価学会や統一教会、幸福の科学なんかももう少し全体主義色を薄めればいいんだけどなあ。
物質主義に対抗するための存在としては正論を言ってることも多いんだから。
春雨の曲 第8稿 1978年7月(未完で絶筆)
日本民族の旅路については、極く大体の荒筋しかまだ確認出来ていません。
これを詳しく認識的に調べることは、人の「からだ」を身に着けたままでは無理です。
だからこれは来世以後に於て詳しく調べます。
そうすれば兎角論議の種になりがちな「日本歴史」もはっきりわかる筈です。
私が今書いている「春雨の曲」の稿は第八稿です。
これに先立つ七つの原稿は書き上げては反故にし、書き上げては反故にしたのです。
反故を作るために書き上げたようなものですが、そうすることによって、
云わば足台を積み重ねることによって段々上の方に手が届くようにしていったのであって、
認識的に大宇宙の実相を研究するには、私に対しては此の漸近法が一番よい方法だと思っています。
春雨の曲 第7稿 1978年9月
そういう日の夕刻、わたしは奈良のまちから帰って来て新薬師寺の角を曲ると、
一見人の世の人のように見える天衆が群れていて、
ある者は隣人のように田の畔に立ってわたしを出迎え、
或るものは旅人のように、すれ違いざま、或は追い抜きざまわたしに無声の声をかけた。
挨拶の言葉のこころはわかっても意味がわからないのは、
或はすれ違っても触れられないのは、
わたしがまだ外の夢殿にいたからである。
わたしとこれらの天衆とは同じ空間にいながら別の世界に住んでいるのである。
葦牙会発足 質問編 1968年12月
(岡潔)
あのね、民族にとって、国民にとって一番恐ろしいのは男女問題です。
それ一つだけで十分滅びる。アテネがそう。今のチベットも民族浄化で危ない。
親を選ぶのは子なんです。就中、男女の交わりの時に、その性に合ったところへ行って生まれる。
だから、できるだけ気品の高い交わりをしてもらわないと大変困る。
そうするとね、日本の今の男女の交わりはひどく乱れている。享楽の具と考えている。
これじゃ目茶。それで、生後八ヵ月で立つという子が非常に多い。牛や馬に非常に近い。
私、おじけ震ってる。これは船の底に穴が空いたようなもの。どんどん悪い水が入って来る!
正常には十五ヵ月で立つんですが、それを八ヵ月って半分ですもの。
八ヵ月で立つっていうのに医者は平然としてる。馬鹿は仕様ない。非常に心配なんです。
112 考える名無しさん [sage] 2013/08/07(水) ID:
(司会)
先日もですね、教育の一番の問題はまあ男女の問題であるということを、
岡先生もこの間おっしゃったことを憶えております。
(岡潔)
あのう、共産主義者ねえ、どうやって学生や一般大衆を引き入れたかっていうと、
「踊って、歌って、恋をして」っちゅうて引き入れたんです。仕様のない奴等だ!
しかも「恋をして」っていうのが尋常一様の恋じゃないんです。
本当にあんなん皆明るみに出して、親達に教えてやらないといかん。
あのねぇ、日本の共産主義は、他国の共産主義よりもずっとひどいですよ!
実にひどいバイキンだ!あんな下等な宗教に感染するくらいなら、滅んだ方がはるかにマシです!知性も何もないもの!!
(質問)
今はね、日本はすごく何か、落ち着きがないというんですか、
若い世代がどんどん都会へ行く気持ちである。
それに対する戦後の日本というのは、これは日本ではない、アメリカだと思うんですけど、
そういうことに対してはどうお考えですか。
(岡潔)
ともかく今、都市へ出て行きたがる奴は馬鹿です。(笑)
大体、地方に残ってます。良い日本は。何と思って都市に住みたいのかわからん。
まあ、都市に住まなきゃあ労働できないという人達も出て来てることは確かです。
で、こういう人達が都市で生き甲斐を感じて生きるようにしてあげるにはどうすればよいか、
有識者は考えていかないといけないんです。
それくらい都市に住みながら、生き甲斐を感じて生きるということは難しいのである。
また、子供を地方で育てるのは簡単ですが、都市で良く育てようと思ったらひどく難しいんです。
だから次の代を本当に担う人は、それは地方から出るでしょう。
都市からはひどく出にくい。酒の肴に良いようなのが都市から出るんです。(笑)
ともかく都市で住みたいっていう奴は馬鹿です!
僕の親族の片付いてる家がある。それで、こんな東京なんかで住まないで、
田舎へ行って家建てるかマンションに住むかしなさいっていったら、
都落ちするのが嫌だっていって、到頭東京へ家建ててしまった。(笑)馬鹿な奴!
教育と産業が上手くいってないんですね。
114 考える名無しさん 2013/08/07(水) ID:
嬰児に学ぶ 1969年10月
(司会)
どうもありがとうございます。それでは時間の関係で、もう一問だけお受けいたします。
ただ誤解のないように申し上げますが、青年会議所は本日は先生の個性を、
非常に明日からの我々の為に必要だと思ってお招きした訳でございます。
ですから一般論にうんと時間を費やすということは先生のご健康もありますので、
もう一問で終らせて頂きたいと思います。如何でしょうか。もう一問、お受けいたします。どんな質問でも・・・。
(岡潔)
あのう、今の大学紛争ね。大学が早く潰れてくれたら、本当の大学を作るのになあと思ってる。
西洋の大学は早く潰れてくれたら、日本の本当の大学を作るのになあと思ってる。(拍手)
だから西洋文明の崩壊だと言ってる!
(司会)
はい、最後のご質問があれば受けますが。
それでは一応、時間が参りましたので打ち切らせて頂きます。どうもありがとうございました。(拍手)
113 春宵十話より、岡は都会の子供より田舎の子供のほうが
動物性がないと書いてありました。
都会のオフィス街ではみんながおんなじように歩かないと
疲れてヨボヨボ歩くと、変な風にあつかわれる・・
こんな世界で育った人間がどんなことをできるのか。
それなら田舎で、地方都市の車出勤の場所でなくて
年よりは年寄りなりにゆっくり稲を刈ったり
若者は若者なりに、・・・
バイクの音や変な花火がうるさいだろうが俗物めが。
116 考える名無しさん [miko] 2013/08/07(水) ID:
地震や災害に備えるでも、大事なのは一日一日の歩く息を吸う
それが昔の人間に対して誇れるレベルなのか。
歩きながら都会の「みんなが一緒におんなじように歩く」
それから抜け出すには自然を観ながら。
値札が付いていない世界にいけるか??
値札が付いていない自然を観て楽しめるか??
115-116
これはもう仕様も無いことだからね。
進歩の問題として、人類の今の現状は邪智世間智を使わなくても生活できるようにはできていない。
ただし超長期的には使わなくても良い社会を創らなくてはいけないのは事実。
ちなみに欧米諸国は前頭葉主体の社会のままでも
近年は相当に妄智分別智や真智無差別智を重視するようになってきてはいるね。
岡自身も「欧米人は日本人に進化しなくても、日本人によって啓蒙されれば相当に生活態度が変わる。」って
言ってるしな。現にロシアのプーチンの愛読書は国家の品格だったと思うよ。公式には発表していないが。
118 考える名無しさん 2013/08/09(金) ID:
age
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。
Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います。
岡潔「蘆牙」より
東海林さだお「岡潔センセイと議論する」
ボクは数学と聞いただけで、数々のいまわしい思い出が、頭をよぎるのである。
解析Ⅰ、解析Ⅱ、幾何、ああ思い出してもセンリツが背中を走る。
数学の授業が始まって終るまでの、あの重苦しい、長い長い灰色の時間よ。
試験の答案をもらうとき、女生徒に見られぬように、パッと引ったくり、すばやく折りたたみ、
卑屈な笑い浮かべて、教壇から自分の机に戻る足どりの重さよ。
考えてみれば、ボクは、あのころから女のコにモテなかったなァ、
と思い出は、よくない方へ、よくない方へと拡がるばかり。
岡先生は、こともあろうにその数学の先生なのである。
考えれば考えるほど身がすくむ。
編集部の人の話によると、今回は、数学の話ではないという。
岡先生の近況は、数学から離れ、
荒廃する日本の行く末を案じて自宅に道場を建てられ、念仏三昧の毎日を送っておられるという。
今回は、岡先生が、どんなふうに日本の行く末を案じておられるのか、
また、次代のにない手である若者をどうお考えになっておられるのか、
そこのところを、ボクが、若者の代表としてうけたまわってくるという趣向だという。
それではということで、早速、編集の人と二人で岡先生の住む奈良へ電話をかける。
121 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
「もしもし、こちら文芸春秋の浸画讀本の者ですが、今回、『にっぼん拝見』という企画で、
東海林という浸画家が、ぜひ先生にお目にかかって、お話うかがわせていただきたいわけなのですが」
「なに?漫画家が?わたしに?……なぜ漫画家がわたしに会う必要があるのです。
漫画家はふざけて書くから会いません。会いたくありません」
「そこを、ぜひなんとか……」
「日本はいま、どういう時だと思いますか?」
「……」日本は、どういう時かと聞かれ、一瞬ちんもく。チト待てよ、たとえば安保の……
「では、さようなら」
ガチャン。
いったい、なにがどうなったのか、ボクは呆然と受話器を見つめるばかり。
だが現代のマスコミというものは、こんなことぐらいで、ひるむものではないのである。
とにかく奈良まで行きましよう、行けば行ったでなんとかなりますよ、ということになってしまうのである。
一月の奈良は、氷るように寒い。
奈良の山を背負った田ンボの中に、岡先生の新居が見えてきた。
文化勲章受賞当時、六畳二間の文化勲章と騒がれた家を引きはらって、
二年ほど前に建てられた白壁の大きな家である。敷地も二百坪はあると思われる。
このへん、坪いくらぐらいするだろうと、俗塵にまみれた漫画家は考える。
ともすれば、ひるむ心にムチ打ち、玄関のベルを押す。
たぶん、お嬢さんと思われる人が出て来て用件を聞き、「しばらくお待ちください」といって引っ込む。
家の中で協議が行なわれているのであろう。緊張の十分。
そして、「お会いするそうです。お上がりください」といわれたときは、
うれしさと、緊張のあまり足がもつれ、よろめくように座敷にころげこんだ。
浸画家といっても、漫画界では一流の、人品いやしからぬ紳士が、ゆったり現われると思いきや、
ヘンなアンチャンみたいのが、赤い背広着てドタドタところげこんできたのであるから、先生としても、さぞビックリされたことと思う。
だが先生は、優しい瞳をして、静かにすわっておられた。
蓬髪、痩躯、鶴のように痩せた、という表現そのままに、先生はキチンと正座されている。ボクも座ぶとんの上にキチンと正座する。
「わたしとしては、漫画家には会いたくないが、東京からわざわざおいでになられたのであるから、
わたしの最近の心境のようなものでしたらお話ししましょう」
といわれる。
早速、メモ帳出してキッとかまえたが、ボクはここ数年、正座というものをしたことがない。
一分とたたないうちに、足がしびれてくる。
足もしびれるが、ボクのズボンは安物なので、ヒザが抜けてしまわないか、それも心配である。シワだって寄る。
123 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
先生のお話は、まず日本の防衛論から始まった。
先生のお話は、急に飛躍したり、前後がつながらないことが多いが、
これは、先生の頭脳が、通常人の約二万七千倍も速く回転するせいであると思われる。(この二万七千倍については後述する)
「エー日本は兵力の放棄をうたっておりますが、相手の国が(兵力を)放棄するかどうかを考えていません。
(これでは)いったいどうなりますか」
「そして民族の団結心がない。国を愛していない。みんな自己主張ばかりしています。
そしてみな、物質中心の考え方しかしない。こんな状態が続けば国は亡びます」
「あのォ安保条約に関して先生は……」
「今いうよ」
「ハハーッ」
「安保は存続させるべきです。日本のこんにちの繁栄は、安保があって(米軍に)守ってもらっているからこそ、こうなったのです。
もしこれを放棄して、米国が日本から去れば、中共は必ず攻めてきます。これは自明です。今の日本人は、こんなことさえもわからないのです」
「ハハーッ」
「そして日本は、今や、亡国直前のユダヤと同じです。みんな、儲けることしか考えない。
そして団結心がない。そして国を愛するという気持ちがない。日本は亡びます、十中八九亡びます」
「ハハーッ。亡びます……と」
ここからお請は情緒の問題に急転換する。
お話のあいだ中、ずっと体は左右に揺れ続け、ハイライトを口にくわえるが、火はつけない。
つけないでまたテーブルに置く、またくわえるということをくり返す。
「情緒の元は、すべて頭頂葉にあります」
ボクの足のシビレは限界に来たが、先生は決して、「おたいらに」といってくださらない。
やむなく、先生のスキをみて、ソロソロとヒザをくずしにかかる。
「最近の人間は頭頂葉を使わずに、前頭葉ばかり使っています。
自然科学的なものの考えの元は前頭葉にあります。西洋人は前頭葉ばかり使ってきました。だから物質第一主義となったのです」
この頭頂葉という言葉は、先生のお好きな言葉であるらしく、じつにヒンパンにお話の中に出てくる。
そして「頭頂葉」といわれるたびに頭のテッペンをバシッとたたかれる。
そのありさまは、ほんとにバシッという感じで、先生の腕時計が、そのたびに、カチャカチャと音を立てるほどなのである。
「日本人は、大型景気に浮かれ、借金をしてどんどん設備投資をしています。
借金だから利子を払わなくてはいけません。ですからそのうち、大量倒産時代が必ずやってきます。
そのとき日本人は団結心がないからたちまち亡びてしまいます。それもみな、情緒というものを忘れてしまったからです。
それは、頭頂葉(バシッ、カチャカチャ)を使うことをしないからです」
そうして先生は「国が亡びるのを座視するに忍びず」その対策を、本に書いたり、人にいったりしてきたのであるが誰もわかってくれない。
「日本人は情操を解するただ一つの秀れた国民です。もともと頭頂葉(パシッ、カチャカチャ)の発達した国民です。
それがいつのまにか、こんなことになってしまった。情けないことです。日本はもうすぐ亡びます」
話が佳境にはいり、熱してくると、体の揺れも激しくなり、「頭頂葉」の出てくる頻度も激しくなり、
当然、頭をたたかれる回数も多くなる。バシッ、カチャカチャも多くなる。
しかし、あんなに頭をたたかれては、頭頂葉のために、よくないのではないだろうか。
あるいは、ああして頭頂葉を鍛えておられるのだろうか。
125 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
お茶が出、コーヒーが出て、話はどんどん発展する。
「とにかく日本は、いま、亡国寸前です。亡びるのは自明ですから、それまであなたは漫画でも書いていなさい」
「ハイ。そうします」
お茶を飲みすぎて、ボクの膀胱は、ついに満タンになってしまった。
「あのォ、おトイレは」
「だいたい今の人間は自然科学を重視しすぎます。自然科学で、人間はなにを知りえたでしょうか。
たとえば、今私は坐っている。立とうと思う。そうするとすぐ立てる。これもまた不思議なことです。
全身四百いくつの筋肉が統一的に働いたから立てたのです。
なぜこんなことができるのか。自然科学はなにひとつ教えてくれません」
膀胱をしっかり押さえつけ、シビレる足をなでつつお話を拝聴する。
「今、全学連が騒いでいますが、先生としては……」
「あんなことをしてもなんの役にも立ちません。すべて物質中心主義、自然科学過信がまねいた結果です」
「あのォ、宇宙開発が今盛んに……」
「いくら物質を科学しても、何も得られません。ムダなことです。
宇宙を開発しても人間は幸福になりません。大切なのは心です」
「最近の女性は……」
「最近の女性は、あれはいったいなんですか。性欲まる出しにして尻ふりダンスなどしておる。
まったく情操の世界から逸脱しておる。セックスは種の保存のために必要です。
仏教では親が子を生むのではなく、子が親を選ぶのだといいます。
ですから男女のまじわりは気高く行なわねばなりません」
セックスについて語るのに「気高く」という表現が使われたのでボクは一瞬息をのむ。
「最近の若者の無知ぶりはひどい。わたしはせんだってある女子大生の知力をはかってみましたところ、
わたしの二万七千分の一しかありませんでした。そして最近になって、もう一度はかってみましたら、
さらに、そのときの三十分の一になっていました。これはじつに、合計百万分の一ということです」
(略)
「日本の最近の男女の乱れぶりは亡びる前のアテネに似ています」
先生はここで急に声をひそめ、
「日本の共産主義の若いものは、『歌って踊って恋をして』の方針でやっているらしい。
わたしが最近、親しい僧侶から聞いた話では、
男たちが、若い女性を輪姦して、それで女が喜びを知って共産主義に走るということをしているらしい。
これは、私が相当の地位にある僧侶から聞いた語だから、ウソではないでしょう」
ボクは岡先生の口から輪姦という言葉がとび出してきたのでびっくりしてしまった。
そして、老いたる高名な僧侶と先生が、ヒソヒソと輪姦の話をなさっている場面を、思わず想像してしまったのである。
「それにしても」と先生は続ける。「こんなことをして、ほんとうに日本はどうなるのでしょう。
まちがいなく亡国寸前の姿です。日本はまもなく亡びます。十中八九亡びます」と、
おいとまを告げて玄関に出たわれわれに、さらに先生はこう続けられたのである。
玄関で靴をはく間もボクの心は深い憂いに沈んでいた。どうやら日本はまもなく滅びるらしいのである。
本当に日本はどうなるのだろうか。この非常のときに、漫画など書いてていいのだろうか。
不安が次第につのり、胸がいっぱいになり、ぼくはヨロメくように玄関から退出したのである。(略)
「岡潔センセイと議論する」より 解説(野坂昭如)
岡潔へのインタビュー、というよりその形を借りて、
老先生を肴にした文章/名にし負う狷介孤高偏屈独断の人物を相手に、
その周辺をとびはねているだけの如くみえて、
余人の誰も描き出せなかった岡の人物像を、見事、浮び上らせたのだ。
秋が来ると紅葉の続き
※今回も音源がありますので、良かったらどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=iqmbdwAOvWk
129 考える名無しさん [sage] 2013/08/27(火) ID:
「家付き、カー付き、ババ抜き」という諺がある。
これは確かにもとはアメリカです。
ところがそれを徹底的にやったんです。
徹底的にやって、とうとう赤ちゃん殺しちまったでしょう。
こういうのがアメリカ色ですね。そうでしょう。
あれはまあ大体、女性じゃないか。
それに相当する日本色っていったら、こんなんがある。
平安も末の頃、鳥羽上皇の北面の武士に源渡というのがあった。
これが宮中に仕えて卑しい勤めをしている袈裟というのをもらった。
袈裟は輝くような美貌で、心ばえも優に優しかった。それで夫婦仲はいたって睦まじかった。
ところが同じ北面の武士に遠藤盛遠というのがおった。
これがふと袈裟を見初めて、命懸けで言い寄った。
で、袈裟はこんな風になったら、事態はこうなったら、つまりそんな者にここまで思い込まれたら、
これは貞操を守るために自分の命を捨てなきゃ仕方がない、そう思った。
実際、袈裟が命を捨てなかったら、盛遠は夫の渡を殺しかねない。
もう、かなわんのです。あんな者に見初められたら。
それで夫の留守の夜を見計らって、そして、今夜、主人を風呂に入れて早く寝させつけておくから、
手探りで髪を触って濡れているのを感じたら、一刀のもとに首を打ち落としてくれ、
その後でなければお心に従うことができぬ、そう書き送った。
それで盛遠がその通りにして月明りに透かして見ますと、あろうことかそれは袈裟の首だった。
131 考える名無しさん [sage] 2013/08/27(火) ID:
で、袈裟が貞操を守るために命を捨てたという評判は京の街々に伝わった。
そうすると京の街々で貞操をひさいで暮らしを立てていた大勢の哀れな女性達は、
袈裟の葬式の日に長い葬列を作って、そして街外れの田舎まで遠い道を墓場まで送り届けた。
こういう話があります。
※別な講演では岡は袈裟のことを天照大神の分身である、とも発言しています。
袈裟のような死に方は、頭頂葉の心が自分だと分かっている人でなきゃあできないんです。
頭頂葉の心が自分だと分かってる人を目覚めた人というんですが、そういう人でなければできないんです。
ところが袈裟はその死によって、どういうことをしたかというと、大勢の哀れな女性達に、
全く虚無に陥っていた哀れな女性達に、人生には尊ぶべきもののあることを教えた。
即ち、生きる望みを与えた。これが日本色なんです。
菊池寛に「袈裟と盛遠」という話がありますが、私が言ったようには書いてない。
で、あの頃、既に、余程駄目になっていた。が、明治は改めて申します。
私の言ったのが、それまで明治以前の日本人が語り伝えてた袈裟物のはず。これが日本色。
こんなにも違うんだから!矜持を持つべきだと思う。これが頭頂葉と前頭葉との違い。
133 考える名無しさん 2013/08/27(火) ID:
ところで、さっきもちょっと言いましたが、頭頂葉の心が自分であると気づいた人を目覚めた人という。
前頭葉の心の描く妄像を自分だと思ってる人、即ち、五尺の体を自分だと思ってる人を眠っている人という。
人には二つの状態しかないのです。目覚めるか、眠っているかです。
目覚めた人は少ない。だけど、あることはある。
日本には少ないといっても相当あります(既にこの当時第10識を自分だと思っていた人は4%はいる)。
中国にもよく見ればありますが、欧米にはないのです。
ところで頭頂葉の心を自分だと思う。即ち、目覚める。これが真我です。そうするとどんな風かというと、
花を見れば花が自分に笑いかけていると思い、鳥を聞けば鳥が自分に話しかけていると思い、
人の喜んでいるのを見れば嬉しく、人の悲しんでいるのを見れば悲しく、
みんなのために働くことに無上の幸福を感じ、疑いなんか決して起こらない。
就中、自分は死んでしもうのじゃあるまいか、などという疑いは決して起こらない。
人は目覚めることはできなくても、できるだけ眠りが浅くならないといけないんです。
春雨の曲 第4稿 注釈
岡先生は「春雨の曲」第四稿に姉小路公知卿暗殺の記述を遺しているのであるが、
その宗教的解釈によるならば、桂小五郎の妻となった芸者幾松にその責がある。
岡先生が見たビジョンによると姉小路卿こそが天上の神々の使いなのだが、
もう一人の天上の神々の使いである幾松が桂小五郎をそれと勘違いしていた間に生じた手落ちだったというのだ。
通説とは異なり、岡先生によると、
天上の神々の意向に沿う祭政一致の政体を希求した孝明天皇は公武合体を望まなかったが、
この姉小路卿の横死によって祭政一致の近々の実現は不可能になった情勢を踏まえ、
天上の神々は明治天皇の即位を選ぶ。
外圧の危機を乗り越えるために富国強兵を早急に達成する明治時代の迂路を選択せざるを得なかったとする。
だが岡先生が祭政一致の原則に根底から反するとして糾弾するのは王政復古と「五箇条のご誓文」であり、
最終責任者としての木戸孝允(桂小五郎)を許さなかった。
どうも、姉小路卿の横死の責任を、幾松と木戸孝允(桂小五郎)に帰しているのだろうと思われる。
昭和への遺書の続き
私は初め一高に入ろうと思っていたのであるが、一高の校風の自治が自分の性に合わない、
自分の性に合うのは三高の校風の自由であるとわかって、三高へ入ったのである。
代表的寮歌を挙げると、
(旧制一高寮歌)
嗚呼玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向ケ岡にそそり立つ
五寮の健児意気高し
(旧制三高寮歌)
紅萌ゆる丘の花
早緑匂う岸の色
都の花に嘯けば
月こそかかれ吉田山
私は三高の自由とはどういうものか今日まで言えなかった。しかしやっとわかった。
これは無差別智と分別智による「植物の喜び」である。
言い換えると神代の心、日本的西洋型精神統一法である。
これに対して一高の自治は世間智が加わる「動物の犇き」だと思った。
それで躊躇なく人生の梶を一高から三高へ取り変えたのである。
日本が意志中心の国になれば大変なことになりますと・・
実際に現在日本は、人間の意識が作ったものに無理やり適応させようと
がんばっているようですが・・・ぐっすり眠るには
人間の意識が作った機械とはほどほどに付き合えばよいのです。
137 考える名無しさん [miko] 2013/09/13(金) 22:18:34.78 ID:
日本が中世の暗黒時代の繰り返しになると・・岡が記して
50年くらいになるでしょうか。
いいからあしたから、毎日自分の足で歩いて思索してほしいのです
特に大学生、まだ夏休みでしょうから
毎日自分の足で歩いて、会社員がどんなふうに昼食をとっているのか
よくよく見てください。
138 考える名無しさん [miko] 2013/09/13(金) 22:35:24.34 ID:
効率よく忘れ、効率よく老化するぞ。
機械で管理された環境にいると。
岡潔って鬼女(既婚女性)の傍若無人ぶりを極端に嫌ってたが、それ以上に日教組嫌いだったよな。
んー岡スレがあがってる。
88
同じようなことばかり書くのに飽きたんだろう。
91
岡全集は絶版になったのかな?
ちょっとまえ、近くの図書館にいったら岡潔全集があったので
パラパラとめくってみた。司馬遼太郎と対談してたね。あんまり
話噛み合ってなかったね。
「岡潔講演集」より 序(66の全文)
この度岡潔先生の講演集を出版することにした。その内容は目次に書いてある通りである。
岡潔先生は市民大学講座の提唱者であり、しばしば本講座で講義されたことがあるから我々とは縁の深い方である。
私は切に諸君がこの本を読む、というよりは熟読することを御勧めする。
「読み易い本」だから御読みなさいと言いたいが、そう言うとウソになる。実に難解な本である。
本が難解であるだけではなく、日常のお話しが難解である。
今から七、八年前だと思うが、私は岡潔先生を奈良の御宅にお訪ねした。
初対面の挨拶も済まないうちに突如として「数学は愛である」という言葉が先生の口から飛び出した。
正直のところ何のことだかよく解らないので、恐る恐る「それはどういう意味ですか」と、うかがいを立てた。
そうしたら先生はどういうものか怒り心頭に達したらしく
「そんなことが解らないか。だからキリスト教とアメリカがいけないんだ」と。それも私にはさっぱり解らない。
そこで私は再び恐る恐る「それはどういうわけですか」と聞いた。
そのあたりから先生の怒りは消え、数学と仏教の話しになった。
それもよく解らなかったが、質問するとまた叱られるから一時間ばかり御説を拝聴して辞去した。
「御説」の内容はちんぷんかんぷんであったが、
私は自分の頭の中にたまっているゴミがすっかり落とされたようなスガスガしさを覚え、その心境は今でも残っている。
岡潔先生の思想は西洋式の形式論理を超越したユニークなものである。
であるから西洋式の形式論理に当てはめて理解しようとすると難解というよりは理解不可能になる。
ところで問題は我々の常識になっている西洋式形式論理でどの程度まで真理が把握できるかである。
私は極めて小と思う。西洋式形式論理で解る程度の真理は常識で解るのであるから特に論理の必要はない。
わかり切ったことをえらそうに表現するに過ぎない。
ところで岡潔先生の論理は形式論理ではなく、直感の論理である。
だから形式論理で考える習慣を改め直感で考えると先生の言われることがよく解るのである。
岡先生の思想は実にユニークである。従ってそれを説明するのは非常に困難であるし、
強いて説明すると違ったものになる。であるから私は敢えて先生の思想を解説しようとはしない。
ただこういうことは言えるのではないか。ギリシャ哲学、仏教、神道をよく理解した学者は沢山いる。
しかし岡潔先生はこの三つを頭で理解し、心で愛した。そしてその愛を直感的に表現した。
だから難解と言えば難解であるが、心を澄まし、無心無欲で接すれば強く心を打つものがある。
私は諸君がこの本を「とっつきにくい」と言って放棄しないで欲しい。
解らなかったら解らなくてよいから読んで戴きたい。
必ず諸君は読む前と読んでから後とで諸君の心境に何かの変化が起きていることに気づかれるであろう。
岡潔先生と私は同年である。「数学は愛である」が解らないので愚問を発したので御叱りを受けたが
御宅を辞す時非常に別れを惜しみ「是非また来て下さい」と言われた。
私もまた御訪ねするつもりでいた。そのうち月日が過ぎ去り、彼は故人となった。
もっと沢山仕事をして欲しかった。というのが私の心情である。
何故かというに私は彼ほど、彼の名の如く「潔」い人はこの世にいないと思うからである。
彼は日本の宝、世界の宝であった。宝は既に去った。しかし彼の思想は永久に残る。
すくなくとも私の心には残り、そして働いている。
昭和五十三年九月
松下正寿
1972年6月6日京都産業大学講義録
物質が法則を満たすということは、物質に絶対的な知性と意志とがあることを仮定してのことである、
仮定しなければ言葉の意味がわからない、と云いますとね、日本人にこんな話をしますとね、『スカミタイナ顔』してる。
スカミタイナ顔と云うのは、日本人にこういう非常に大きな真理を話した時のことです。大きすぎてわからん。
フランス人はねえ、『知的興味を以って膝を進める』。それにキリスト教もあるし、妄智は残っても邪智は取れてることが多い。
日本人は白痴だ!!犬猫と選ぶところないじゃないか!
話が大きくなればなる程、大切なことになればなる程、それが知的な宝であればある程、無関心。
邪智を使っているし、使わなくても側頭葉が引き金を引くから、
共産主義にコロッと騙されたり、的外れな批判や集中攻撃を皆でしたりする。
日本人は意的純粋直観は得意だからそこは大いに誇るべきだが、諸刃の剣なの。
君等の顔がそうなん。大切な知識になる程無関心。こんなのを白痴って云うん。つまらないことだと熱心に聞く。
前頭葉の発育が悪いん!だから応神天皇以後真似ばかりしてる!
白痴だから危なくてしょうがない!いつ何をしでかすかわからん!
だけどこの白痴だって、西洋人を日本人にするには20万年はかかるだろうと云いましたが、
前頭葉の白痴をなおすのだって2千年位はかかるだろう。
ともかく応神天皇の頃からちっとも良くなってやしない。2千年位じゃどうにもならんかもしれん。
それだと仕方ないから、初め、進化の度は遅れてるんだけど、20万年位遅れてるだろうけど、
ともかくレシーバーを持ってる欧米人に先話して、ともかく人類の滅亡を喰い止めるより仕方ないかもしれん。
君等はレシーバーを持たん!
えー、これは欧米人から先にったって無理です。
レシーブはしますけど、本当に見ようと思った時、情の目でしか見られんから。
(欧米人は)これが働かないから。だから非常にわかりのいい盲に外界を教えるようなもの。
で、やはり日本人にやってもらうより仕方ない。
(日本人は)前頭葉は非常に悪いんです!
1973年第2回京都産業大学講義録
聞かんのか!(大変大きな声で一喝)
で、この悲願、これが間違ってると、統一のとれるわけもなく、秩序のあるわけもない。
だから一番始めに心の世界に出た「こころそのもの」(第十三識の造化)がある。
一番始めに心の世界に出た「こころそのもの」を、古事記から採って名前をつける。
『原始天尊天の月読の尊』(ここで学生ガヤガヤと退出)
この無量の天つ神々の悲願が大宇宙の原動力である。
これあるが故に喜びというものは絶えず心の奥底から送られてくる。
こんなふうなん。これが原動力。
これなしに、天つ神々の悲願なしに、何もない。時もない。まして時の内容はありません。
ともかく今は、このままでは間もなく人類は滅亡する。
だから思い切って変えなきゃならん。人類始って以来の『大革命』が要る。
これをやらなきゃ人類は自滅であるということがわかる人の限度が四百万人というわけです。
あなた方にもそのつもりで説いていく。あなた方の四パーセントがわかるわけですから。
だって、他のことをしたって無意味だから。
ところで、これまで人類の歴史に現れた革命というふうなものは、
武力を頼ったり、あるいは人数を頼ったり、つまり力というものによって戦って来ましたね。
今度はそんなやり方では到底駄目なことは明らかですね。今度は知によって戦わなきゃならん。
で、是非やるべきことは、古来の間違った観念、
それが人の生活に大きな影響を与えている、そういう間違った観念の打破です。
だから知といいましたが、もっと遡ると悪い。
ともかく、物質の力なんていう、あるいは個人というもの、つまりからだというもの、数などと、
そんなおかしなものを使って出来る革命じゃありません。人類に一度あって二度ない革命でしょう。
ここを乗り切れば、もはや自滅の危機は来ないと思う。
数学者・岡博士の記念館 建設へ基金
橋本市は、同市ゆかりの世界的な数学者、岡潔博士(1901~78)の顕彰事業として記念館を建設することを決め、
全国から建設資金などを募るための「橋本市岡潔顕彰基金」を創設した。
建設地は同市御幸辻の杉村公園で、2018年のオープンを目指している。(山田博之)
岡博士は、大阪市で生まれ、4歳から父の実家があった紀見村(現橋本市)で育った。
京都帝国大学を卒業後、「多変数函数(かんすう)論」に関する難問を解決。
戦後は奈良女子大教授を務め、1960年に文化勲章を受章し、61年には橋本市初の名誉市民になった。
岡博士の旧宅(木造平屋約80平方メートル)は老朽化によって2001年に取り壊され、建材は保存されている。
その業績をたたえ、数学教育を推進しようと、木下善之市長や市内外の教育関係者らが2009年に「橋本市岡潔数学WAVE」を設立。
親子を対象にした算数・数学教室や講演会を開いたり、絵本「岡潔博士ってだぁーれ?」を出版したりしてきた。
同時に、記念館を建設する構想を打ち出し、市もこれまで建設に前向きな考えを示していた。
同市によると、記念館は木造平屋で100平方メートル前後。旧宅と似た設計にし、保存中の建材も活用する方針。
岡博士の業績を示す資料を展示し、算数や数学を学習するためのイベントも開催する。
同市は、2014年度に有識者らによる建設実行委員会を設立し、基本設計を策定する予定。
建設費は数千万円規模になるとみており、同基金や国からの補助金を充てる方針。
同市企画部企画経営室の担当者は「記念館の建設や運営に市民も参加できるような方法を考えたい。
岡博士の名前を全国に広め、若い人に地域への誇りを持ってもらうための拠点になればうれしい」と話している。
(2013年10月1日 読売新聞和歌山版)
研究会関係者と先日お話したところ以下のようなお返事でした。
①岡潔の考えについて知っている人は周囲のいろんな人に岡を広めたり、
関係者に未出版の資料を問い合わせたりしてほしい。
黙っていることは美徳とはいえ岡自身は下から葦牙のように盛り上がるのを期待していたので。
(一歩間違えれば劣化宗教化・全体主義化する危険はあるが)
②現状インターネットしか広報手段が無く地道な活動に留まっており、
なかなか大きな動きにならず残念である。
③岡の予言通りなら2001年頃にアマテラスが生まれ(愛子さまか?)、
2010年頃に日本の転換期が来た(東日本大震災か?)。
なおその後は紆余曲折はあるかもしれないが数世代を経て
2170年頃、日本は一致結束し世界をリードしてもう安心になる、とのこと。
148 考える名無しさん [sage] 2013/10/08(火) 23:10:01.75 ID:
141
いわゆる知識人のこういうエピソードってさ、ただ単に自分自身の立場(権威)に乗っかって
聞き手をからかってるんじゃないのかね?ただの凡人にこんな対応されたら聞き手は激怒だろwww
149 考える名無しさん [sage] 2013/10/08(火) 23:18:58.03 ID:
どうなんだろう・・・w
日本人の短所とでも言うべきか、そういうものはからかいにすぐ乗って怒りまくることだからね。
もしくは我慢しすぎて突然暴発するところとか。
あるいはあまり知ろうとしなかったり、いくら矛盾してても気にせず忘れてしまったりすることとか。
岡潔は権威とかそういうのを一番嫌ってたけどね。
すぐキレるのはご愛嬌というかね、知性を働かせすぎるとああなるねどうしても。
周りが無知すぎて我慢なんかしてたらキリがないしね。
キリスト教の神って一神教だけど、岡自身はそこに大した問題は見出してないよな。
日本の多神教っていうのは第二の心の世界で、「一つであって一つではない」(不一不二)から、数学の使えない世界。
第15識で生まれた内宮さま(原始天孫天照大神)、外宮さま(原始天孫天月読尊)をもとにして、
第13識の造化でそれらが八百万の神々になって、
それより浅い第12識以降で人間が呼んでる存在が岡の解釈する「神」というもの。
だから一神教でも多神教でも岡にしたらどうでもいい主題なんだろう。どっちにしろ偉さは無いから。
レムリア・ルネッサンスや幸福の科学としたらこの辺の区別にはこだわるから岡の考え方とは相容れないだろうけれども。
イエス・キリストっていうのは西洋人としては数少ない第二の心の持ち主なんだな。
だから第一の心で迷える羊の一般西洋人のことを罪人扱いして悔い改めよと説いたが、
それが禁欲となってなんとか西洋は道徳水準を維持しているらしい。
しかし禁欲っていうのは諸刃の剣で、これを悪い方向に解釈したのが宗教改革前のカトリックだな。
プロテスタントとしては憤慨したわけで、アメリカの建国精神にもそういう反省が込められているわけだ。
けれどもこのプロテスタントっていうのもまた厄介で、
カルヴァン派は禁欲するなら金銭を稼ぎまくって良いっていう意味不明な宗教だから、
それが発展に次ぐ発展を重ねて今日の新自由主義となったわけだろう。
ちなみに古典派経済学者のハイエクですら過剰な新自由主義には警鐘を鳴らしていたね。
若い頃は仲の悪かったケインズに対しても彼が亡くなってからは評価する発言をしているし。
風蘭 1964年5月
女性の、情から知と行くのがうまい行き方で、知から情と行く男性の行き方は下手なのかもしれない。
それはひどく手間がかかるのです。
情から知と行けば、なにか形となって残ります。つまり情緒となってまとまって、それが残ります。
まとまれば、それをつかんだらいいのです。
152 考える名無しさん 2013/10/28(月) 22:30:47.46 ID:
紫の火花 1964年6月
私は答案などによってくわしく研究した結果、
男性は普通、知から情に向って意志が働くが、
女性は逆に情から知に向って意志が働くらしいことを知った。
前者は発散し、後者は心の中に残る。
男女二人合わせると意志が動かなくなり、安定するのかもしれない。
月影 1966年4月
人として一番大切なことは、大脳新皮質に宿る心の珠を磨くことである。
この珠は磨けば磨くほど深い輝きを増して限りがないのである。
この珠がよく光っていれば大脳前頭葉もよく働く。
ではこの珠を磨くためにはどの学科がいちばん適しているかという問題がある。
わたしはそれに対し、それは数学であると答える。その理由を説明しよう。
文芸復興以後の数学史はかなり詳しくわかっている。
ところがそこに出てくる数学者は、多少人格に疑問のある、ただふたりを除いてすべて善人である。
しかもそのふたりとも、その数学のやり方のほうにも疑問がある。
それで数学者は例外なく善人であるといえる。
この事実は、数学科の存在意義の完全ともいうべき裏付けである。
ここに一つ困った問題がある。たいていの数学者は昼は視覚型、夜は聴覚型なのであるが、
したがってたいていの児童もそうだろうと思うのだが、
まれに昼も夜も聴覚型の数学者がいる。
わたしがフランスで会った人たちの中ではジュリヤがそうであった。
彼には主要な論文は二つしかない(論文の数ならば七十以上ある)。
しかし二つとも非常によいのである。
孫のきのみもその母のすがね(私の長女)もこの聴覚型である。
二学期に見たのはこの母がこの子に教えている数学教育で、わたしには実におもしろかった。
以下に述べるのはこのときのありさまから取ったものである。
食物の消化を見ると次の順になっている。
「口に入れる」、咀嚼玩味する、「嚥下する」、消化吸収する。
このうち見落としがちな「口に入れる」と、「嚥下する」とが実に大事であって、
これらに相当するものは、数学する場合には、
「前向きの姿勢をとる」、「真情の裏づけをやろうとする」
である。
聴覚型の児童はこの二つを非常に深くやろうとするため(要領が悪いため)、
てまどって、他の子についてゆけないのである。
すがねは今わたしの私設数学研究所で勉強中である。
わたしはすがねに特別な指導をしてやって、
きのみのほうはすがねに教えてもらうことに決めている。
聴覚型の子には何かそういった工夫が必要だろうと思う。
(算数ができないので先生に呼び出されることもあった当時小学四年生の次女さおりに対し)
さおりのやるのを見ていると、不思議にも少しも数学しているという気がしない。
規則どおりにしなければ×がつけられると思いつめて、びくびくし続けているにすぎない。
ところが、おもしろいことに、間違いのほうに目をつけると、このほうは生彩陸離としている。
初めはおずおず間違うのであるが、だんだん興が乗って、しまいには傍若無人に間違う。
鞍上人なく鞍下馬なしである。
間違いやすいから間違うのではなく、間違えたいから間違うのである。
そうなるとなんだかリズムのようなものさえ感じられる。
生命力は表へは出ようがないから、裏へ出たのであろう。
その表と裏とを変えるのに、私は三月かかったのである。
高倉健さんらに文化勲章 皇居・宮殿で親授式(産経新聞)
文化勲章の親授式が3日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年度の受章者は、映画俳優の高倉健さん(82)▽電子工学の東北工業大理事長、岩崎俊一さん(87)▽書家の高木聖鶴(せいかく)さん(90)
▽万葉集研究で知られる日本文学・比較文学の中西進さん(84)▽医化学・分子免疫学の京大客員教授、本庶佑(ほんじょ・たすく)さん(71)の計5人で、
天皇陛下が直接、勲章を授与された。
続いて行われた拝謁では、受章者を代表し高木さんが「それぞれの分野において一層の精進を重ねる決意です」とあいさつ。
陛下は「今後ともそれぞれの分野の発展のために尽くされるよう願っております」と述べられた。
その後の記者会見では、高倉さんが「日本人に生まれてほんとによかったと思いました」と話した。
1960年11月3日
私が皇居で文化勲章をいただいたとき、そのあとでコーヒーを御馳走になった。
私はその席で、
「西洋の文化はインスピレーション型、東洋の文化は情操型だと思います。
これは、いわば花木型と大木型というようなものです。
日本の教育は、大木型の人を育てることを目標にしてほしいと思います」
と申し上げた。そうすると皇太子殿下(今上陛下)は、
「大木型の人を作る教育というのは僕も賛成だな」
と仰せられた。是非皆様にお伝えしておきたいと思う。
陛下(先帝陛下)は「数学はどうしてするの」と御下問になった。
私は「数学は生命を燃焼させて、それを結晶させてつくるのです」とお答え申し上げた。
情熱が創造になるのであって、他のものは道具である。
それで大脳前頭葉は感情、意欲、創造といわれているが、
よい創造が起きるためには感情は熱愛、意欲は不動の意志であるのが望ましいと思う。
【1960年11月3日】数学者の岡潔さんに文化勲章
http://gyao.yahoo.co.jp/player/01061/v00001/v0000000000000000348/
明らかに日本人より台湾人なんかの方が美人が多いよな~ビビアンスーなんて典型。
オカケツは日本の社会が歪んでるからそうなるって言ってたが、まさにそう。
女性って情緒の影響をモロに受けるから、それがそのまま顔つきに出るんだってさ。
男性諸君、女性の顔見りゃ性格まで大体予想つくでしょ?
戦後顔つきが大きく変わったのは、当時の世の中がおかしな時代だったってことだよ。
最近は100年くらい前の顔に戻ってきたね。良い兆しといえば良い兆しかな。
台湾の場合は大陸の悪い部分に汚染されてないからな。
李登輝みたいな人格者は日本にはもういないんじゃないかな。
かつて日中戦争時に日本側についた胡蘭成(オカケツの友人)も
ほとんど知られていないが1990年に台湾から名誉回復されている。
大陸からも2000年代以降は事実上回復されている。
余談だが「カワイイ」系は美じゃなくて感覚だからオカケツは嫌がってたな。
それと日本が西洋に惹かれるのは男性が麗しい女性を見てよろめくのと同じことらしい。
1969年10月26日
(質問)
私は大学生です。先生に話を伺って、まだ、男子の志した現在の物質文明や、
その中で生活している我々っていうのを、捕えられ得ない訳ですけれども、
今、僕たちが当面している問題の中で、大学、先生が大学は化石化している、
そういうことをおっしゃったんですが・・・
(岡潔)
大学については西洋文明が壊れていくという現れの一つだと、そう言いました。
一度、君の理論を聞きたい!その前に。君の理論を聞きたい。
(質問)
いいですか。僕たちが関わっている、マスコミを通じて一般に大学紛争と言われるものは、
セクトに分かれている。そして派閥争いのように言われている。
しかし、僕たちが大学において求めているのは、大学の管理運営やそういうものをより民主化して行く。
そして僕たちの本当に聞きたい講義や、そういうものを聞けるような大学を作って行く。自由化して行く。
そしてまた、先生が奈良女子大学の教授であったように、それを大学で何を求めるのか、
大学で何を人間として作って行くのか。そういうことまで突き詰めて、
僕の場合、教育学部ですけれども、明日の教育を担っている、日本の教育を担っている。
そういう教育者として、本当の教育者として、大学の四年間、短い四年間を生活している訳ですけども、
勉学生活や、そしてクラブ生活や、そういうものを通して僕たちの本当に社会に出て、正しい人間になる。
先生のおっしゃる日本精神ですか、そういうものを自分たちで形作って行く。
人間として当然の権利や、そして義務を遂行して行く。
この世に人間として生まれて来て、その中で自分がどのような役割を果たして行くのか。
そういうものを当然四年間の中で求めるべき。そういうものが大学には少ない条件である。
だから僕たちとしては大学の管理運営やそういうものを民主化して行く。
ですから僕たちの講義が全く詰め込み式で、先生が黄色いノートをそのまま開いている。
そして教育の現場にあっては先生を責めました。
(岡潔)
もう、その辺でやめなさい!君の言ってることはことごとく意識を通して言ってる!
その前に、意識を通さないで言うと分るということがなければ!
(質問)
あのう、どうも先生、失礼しました。
(岡潔)
君は馬鹿です、完全な!泥吐きして白紙に帰りなさい!
真新しい心、真新しい知情意を持って、君が無自主的、無批判的に詰め込んだ欧米の観念を洗いなさい!
何だ、この、自由だの、権利だのと!
(質問)
私は先生に罵倒された!
(岡潔)
罵倒じゃない!
(質問)
しかし、私としての二十一年間の生きて来た人間としての、その人生の中で・・・
(岡潔)
あなたは!いや、そんな石地蔵はそのまま死ぬだけだ。
東西のハーモニー 1969年5月
後頭葉や頭頂葉から前頭葉へ行く道に二つある。
西洋人は中心前回の一次運動野を経由して行く。東洋人は経由しないで行く。
経由する場合は非常に無明が濃いため、流れが地下に潜ったようになる。
このため西洋人は東洋人に比べあまり無明が心に入らないらしいが、
一方で第二の心が存在するということになかなか気づけない。
東洋人でも大学教授なんか長くやってると、西洋人に似てくる。
「俺が俺が」っちゅうように人より自分を先にして生きていると前頭葉にいる。
この時、前頭葉から頭頂葉に戻ろうとすると、一次運動野はなかなか登れなくて非常に苦労する。
で、登れないならどうすれば良いか。降りたら良い。
東洋人は訓練すれば、一次運動野を経由するルートと経由しないルートとを使い分けられるようになる。
東洋人が頭頂葉から前頭葉へ一次運動野を経由して降りれば、途中で登ろうと頑張っている西洋人と握手できる。
そうすりゃあ、西洋と東洋が本当の意味で融合できる。
僕も面白いと思って、それで早速、今日降りたんです。
世界的数学者 岡潔博士の顕彰碑…和歌山
和歌山県橋本市ゆかりの世界的な数学者、岡潔博士(1901~78年)の功績や教えを後世に伝えようと、
橋本ロータリークラブは同市役所前広場に顕彰碑を建立し、24日、関係者約100人が出席して除幕式を行った。
岡博士は大阪市で生まれ、4歳から父の実家があった紀見村(現橋本市)で育った。
京都帝国大学を卒業後、「多変数函数かんすう論」に関する難問を解決。
戦後は奈良女子大学教授を務め、文化勲章も受章した。
橋本市は市内に岡博士の記念館を建設する計画を進めている。
顕彰碑は黒石製で2基あり、ともに高さ約1・8メートル、幅約80センチ、奥行き約45センチ。
「日本民族は情の民族である。人と人との間によく心が通い合うし、
人と自然との間にもよく心が通い合う」などという岡博士の言葉や業績、似顔絵を彫り込んだ。
除幕式では、同クラブの小西捷治しょうじ会長(70)が
「子どもたちの健全な情緒を高めようという教えを世の中に広めたい」とあいさつ。
岡博士の長男、岡煕哉(おかひろや)さん(77)(奈良市)が
「顕彰碑が青少年に夢や希望を与えるとうれしい」と語った。
(2013年11月25日 読売新聞)
【数学】世界一の難問「多変数解析関数論」を解いた数学者、岡潔の顕彰碑が完成 和歌山・橋本市
http://anago.2@h.net/test/read.cgi/scienceplus/1385303757/1-100
@→c
日本人は他の星から来たって岡は言ってたな(六十万年前)。この時の日本人は神々とイコール。
移動する際は時がある第11識を使い捨てにして、抜き身を行い魂だけ移ってきたらしい。
ちなみに人は肉体が死ぬ時は7識から浅い部分が無くなり、星を移る時は11識から浅い部分が無くなるらしい。
どんなことがあっても12識から深い部分は残るから、生命は不死なんだそうだ。
四大文明は日本人が創ったもので(三十万年前)、
そのうち情を自分だと思うよう天照大神と天月読尊に育てられ、そういう人間だけ選り抜かれ
日本列島に住むことになったらしい(八万年前)。これが天孫降臨。
最終氷期が終了して日本列島の形が大体今のようになった時が神武天皇の時代(一万年前)。
やがてまた他の星に移らないといけない時が来るが、
その時も自然科学的方法では無理で、上に書いたようなやり方をしないといけないらしい。
先々週発売されたLIGHTNING RETURNS : FINAL FANTASY XIIIのストーリーやエンディングもこういう筋書きだった。
対話 人間の建設 1965年10月
岡:日本は、戦後個人主義を取り入れたのだが、個人主義というものは日本国新憲法の前文で考えているような甘いものではない。
それに同調して教育まで間違ってしまっている。その結果、現状はひどいことになっている。
それに気づいて直してもらいたいと、私は呼びかけています。
それを一億の人に呼びかけようと思ったら、続けて呼び続けなければならない。
同じ文章で同じことをいって呼び続けても、退屈して読んでくれなくなる。
どうすれば比較的読んでくれるだろうかという技巧は数学で使っていることと同じでしょう。
数学で未知なるものをできるだけ既知のものに近づけるために書く文章と、いまあちこちに書く文章は、書き方としては同じです。
169 考える名無しさん 2014/01/03(金) 22:56:34.46 ID:
小林:私はゴッホのことを書いたことがありますが、ゴッホを書いた動機というものは、複製なんですよ。
その複製を見て、感動して書いたのです。
その後、ゴッホの百年祭でアムステルダムに行きまして、その原画を見たのです。
ところが感動しないのですね。複製のほうがいいですわ。
色がたいへん違うのですが、その原画は、あんまりなまなましい。
それが複製されると、ぼんやりしていて落着いてくるのです。
複製のほうが作品として出来がいいのですよ。
このごろ真贋問題とかで世の中が騒ぎますが、てんで見当が違うことだと思いますね。
それは贋物と本物は違うという問題はありますよ。
しかし人間の眼だって、そんなによくできたものではありませんよ。
岡:実際一人の人というのは不思議なものです。それがわからなければ個人主義もわからないわけです。そういう事実を個人の尊厳と言っているのですね。
利己的な行為が尊厳であるかのように新憲法の前文では読めますが、だれが書いたのですかな。書いた連中には個人の存在の深さはわからない。
個人の存在の底までわかり、従ってその全体像がわかってはじめて、その人の残した一言一句も本当にわかるわけですね。
いまの知識階級のごく少数の人だけでもわかってくれたらよいと思います。
個人主義をごく甘くみてしまっているんです。
そういう個人というものがわからなければ、もののあわれというものも恐らくわからないでしょうし、
もののあわれがわからなければ平和と言ったってむなしい言葉にすぎないでしょう。
171 考える名無しさん 2014/01/03(金) 23:11:21.48 ID:
小林:岡さんのお考えは、理論とは言えない、一つのヴィジョンですね。私はたいへん面白いと思います。
お書きになるもので大体わかっていましたが、一つのヴィジョンです。
勿論そのヴィジョンが一番よく現れているのは、やはりあなたの数学のお仕事だろうと思うのです。
もしもあなたの親友の数学者が、あなたのお仕事を見れば、これが情緒だと、指でさせるだろうと思うのだ。
それは数学の言葉が通じているからです。
残念だが、それが私にはできない。
でもそれでいいのです。ヴィジョンの閃きを感じれば、それでいいのです。
あなたのヴィジョンが言葉になるところをつかまえる。それしか出来ない。
たとえばね、あなたは、子供がまず順序数というものをつかむと言う。
それから全身の運動を繰り返して、一という考え方、真情をものにすると言う。
私は児童心理学というようなものには不案内ですが、そんな学問が、今なにを言っていてもいい。
あなたのヴィジョンはたいへん美しくおもしろいと思うのです。
文系は特定の人間持ち上げるからたちワルい
小林:それからもう一つ、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。
自分の確信したことしか文章に書いていない。
これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。
学説は書きますよ、知識は書きますよ、
しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実に実にまれなのです。
そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。
こういうことをしている人は本当に少いのですよ。
フランスには今度こんな派が現れたとか、それを紹介するとか解説するとか、文章はたくさんあります。
そういう文章は知識としては有益でしょうが、私は文章としてものを読みますからね、
その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。
岡さんの文章には確信だけが書いてあるのですよ。
岡:なるほど。
小林:自分はこう思うということばかりを、二度言ったり、三度目だけどまた言うとか、何とかかんとか書いていらっしゃる。
そういう文章を書いている人はいまいないと思ったのです。
それで私は心を動かされたのです。
172
大抵の数学の研究者だって、「偉い先生が始めたプログラムだから」「最近の潮流だから」って理由で研究対象を選んでるよ
権威に頼らない独自の価値観なんて稀
皆知ってると思うけど166の全レス掲載版
http://anago.2@h.net/test/read.cgi/scienceplus/1385303757/
@→c
176 考える名無しさん [sage] 2014/01/05(日) 12:30:09.47 ID:
香ばしい熱弁を振るう人の多いこと多いこと
177 考える名無しさん 2014/01/05(日) 20:42:17.79 ID:
そういう板でしょ。哲学板だもんここ。オカケツが嫌なら来るなよ。
178 考える名無しさん [sage] 2014/01/05(日) 21:06:10.72 ID:
いや、175のリンク先のこと
情と日本人 1972年3月
※数学者 岡潔思想研究会にも掲載されていますが、最も大事と言ってよい文章なので再掲します。
大事なことなので二回言いました、ってやつです。再び再びと読むと新しい発見があります。
今日初めて聞かれる方もあるかも知れませんが、その方にとっては関係ないことだけど、そうじゃない方もおられる。
で、そうでない方に対して、今日また同じことを繰り返そうと思う。
どういうことかというと、日本人は「情」の人である。
人としてそれが正しいんです。そうであるということが非常に大事だのに、少しもそれを自覚していない。
日本人は情の人であるということを自覚するということが、
今非常にしなければならないことであると本当に分って、
本当にそう思うようになってもらいたいと思うんです。
つまり、言葉でいえば「日本人は情の人である」だけなんです。
そういえば成程と思う。これは日本人だからだと思いますが、しかし、それから先が進まないんですね。
大阪へ行って淀川を見る。これはひどい、これではいけないと直ぐ公害を思うんだけど、
川が見えなくなるとけろりと忘れてしまう。そんな風な分り方ではさっぱりことは進展しない。
で、そうじゃないようにしようと思う。
そうすると、結局同じことを繰り返し繰り返しいうことになってしまう。
そうする他はない。それで今日も同じことを繰り返していおうと思うんです。
戦後、幸福ということをよくいう。
世界のはやりに従って、日本はことにアメリカの真似をして、近頃の人は幸福ということをよくいうんですが、
戦前は幸福などといわなかったものです。
幸福とは何が幸福かということですが、これは知、情、意のうち「情」が幸福なんです。
知が幸福だの、意が幸福だの、意味をなさない。
よし意味をなしたところで、そんな幸福どうでも良い。自分の情が幸福と思う、それが幸福なんでしょう。
人は動物ですが、動物の中で割合信頼できます。
なぜ信頼できるかというと、人には人の情というものがあるから信頼できる。
みすみすなことは大抵はしない。それは人には人の情というものがあるからです。
こんなことをしてはいけないんだがなあと情の思うことを、知や意のすすめによってする。
そうするといつまでも心がとがめる。これが情です。漱石の「こころ」もこれを書いている。
そうすると道徳とは人本然の情に従うことである。そういえると思う。
また情というものがなかったら、道徳とは何かという前に、道徳というものが存在し得ないでしょう。
人に情あるが故に道徳というものが存在し得るのです。
道徳とは人本然の情に従うのが道徳です。背くのが不道徳です。ところが古来そういった人は一人もいない。
孔子なんか随分道徳について説いた。それが儒教ですね。
ところが儒教はいろんな形式は詳しく説いていますが、内容は説いていない。
儒教の内容は「仁」です。ところが仁とは何かということいってない。
だから儒教は形式は分っても、内容は分らない。
仁とは何であるかというと、人本然の情、それが仁でしょう。
情の中から不純なものを削り去って、良い所だけを残して、
これを「真情」ということにすると、真情が仁です。ところがそういってない。
真情が仁だといえば誰にでも分る。だから真情に従って行為するように努めるのが儒教の修行になる。
ところが内容が仁であるのが道徳であるというんだから、どうしていいか全く分らない。
それで形式ばかり重んじている。それが儒教でしょう。少しも実があがってない。
情と知と意を比べてみますと、情は自分の体だけど、
知や意はなんか着物のような、そういう感じがするでしょう。
知的や意的に分ったって、本当に膚で分ってないという、そういう気がするでしょう。
今度、赤軍派の学生が無茶をやった。そうすると皆それを非難している。
それで日本は赤軍派の学生のようなものを出したという短所よりも、
ああいうものが出たら皆非難するという長所を現わしたわけです。
つまり赤軍派には情がない、惨酷であるということをひどく非難している。
ああいうものが出たら直ぐそれを非難する。これが日本人の長所です。
短所を恥じるよりも長所を誇った方が良い。しかし、そうであるという自覚がない。
だからそれから先、話が少しも進展しない。
こういうものが出るのは、人の本体は情であるから、教育は何よりも情をつくるべきである。
教育は全く間違えていると、そういう意見は新聞にはひとつもなかった。情が非常に大事だということ、分るでしょう。
情が自分であるという自覚があったら、それを踏み台にして知や意を働かすことができるんだけど、
その自覚がなかったら、何が何だか分らないのですね。
日本人は誰でも、情が自分だといえば成程そうだと分りますね。
そうすると、情が自分だという自覚がなかったら、どんなにものがうまく運ばないのかということの方を知れば良いでしょうが、
ともかく情が自分だということは、日本人ならいわれたら直ぐ分る。
だが、本当の自分とは情であると、はっきり思った日本人は一人もいないらしい。
何故かといったら、そんなこと誰も書いてない。
誠に不思議なことだけど、情が自分だといった人はありません。
日本人にないんだから、世界にそんな人はありません。
そういう人類は一人もいないということになる。
東洋は情を自分だとは思わないらしい。
心は情、知、意の順に働きますが、その情、知、意と連ねた心というものを自分だと思っているらしい。
これは日本人である私には想像のつかないことです。
どうすればそんなことが思えるのか分らないが、そう思っているに違いない。
その証拠には、中国では知が基だといいますが、仏教も知が基だといっている。
それだったら心が自分だと思っているんでしょう。そうでなければ、そんなこといえる訳がない。
西洋人に至っては、情の中で大脳前頭葉で分る部分、これが感情ですね。これは極く浅い情です。
もっと深い情を西洋ではどういっているかというと、ソール(魂)といっている。これが情です。
西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思って、びくびくしている。
そうすると情というものは大切なものではあるが、自分ではないと思っているんですね。
東洋人はまだしも、心を自分だと思っているから、その中には情も含まれますが、
西洋人に至っては情を自分だと思っていないらしい。
その魂という程の深みの情、これも今の日本人には分りにくいでしょう。
感情などというのは極く浅い情。
もっと深い情とは一口にいって、どんな風なものか。これは一例をあげれば良い。
日本人は情というものを無意識的によく知っている。それで一例をあげれば足りるんです。
明治になってからの話ですが、お母さんと子供が住んでいた。
子供が13歳になった。そして禅の修行をしたいといい出した。
それで修行の為に家を出ることになって、いよいよ別れるという時になって、お母さんはこういった。
お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていても良い。
しかし、お前の修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、
私を思い出して、私の所へ帰って来ておくれ。そういった。
それから30年程たった。子供は修行がうまくいって、偉い禅師になった。
松島の碧厳寺という大きなお寺の住職をしていた。
その時、郷里から使いが来て、お母さんは年をとって、この頃では寝たきりである。
お母さんは何ともいわないが、私達がお母さんの心を推し量ってお知らせに来た。そういった。
それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に座った。
そうするとお母さんは子供の顔を見てこういった。
この30年、私はお前に一度も便りをしなかったが、しかし、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ。
私はこの話を最初、杉田お上人から聞いた。その時、涙が流れて止まらなかった。これが情の本体です。
こういう情というものがあるのだということを西洋人は知らないのでしょう。この情を魂といっている。
人にはこういう情というものがある。それが人の本体です。
幸福は情が幸福なのであって、道徳は情があるが故にあるのである。明白なことです。
ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。
私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。
一旦分っていってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。
戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。
多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。
これは改めなければいけない。
これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。
それを自覚するということが非常に大事です。
自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。
大体、「知、知」と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。
今の教育なんかもそうだけど、
知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。
知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解する」という。
ところが、わかるということの一番初歩なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。
松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。
理解というのは、その「理」がわかる。
ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。
何がわかるのかというと、その「趣」がわかるんでしょう。
松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。
趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。
情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。
それから先が知ですが、その基となる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。
人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。
その状態は言葉ではいえない。
いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。
言葉ではいえない。教えられたものでもない。
しかし、わかっている。これがわかるということです。
だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。
それ、わかるでしょう。これがわかっていないから、知的にいっても今の教育は全然駄目なんです。
上滑りしてしまって、形式しかわからない。本当にわかったんじゃない。
「悟る」というのは本当にわかって自覚する。これは情の目で見極めることです。
芭蕉は「散る花、鳴く鳥、見止め引き止めざれば留まることなし」といっていますが、
見止め聞き止めるのは情の目で見極めるのである。
情の目で見極めるのが「悟る」「自覚する」ということです。そうすれば存在して消えない。
存在を与えているものは情だけです。
これも銘々経験があるでしょう。深い印象とか深い感銘、これは決して消えないでしょう。
生涯消えないでしょう。こんな力を持っているのは情以外にありません。
人の本体は情であると知ることは、非常に大切なことなんです。
大勢の人がそれがわかったら、例えば教育はいっぺんに改められます。
そうすれば余程変わって来る。そうする以外にやりようがない。
公害という問題が欧米から輸入されて、日本で大分やかましくいわれている。
日本人は、人は情の動物であるということは、自覚なしにだけどよく知っている。
それと共に、もう一つ詰まらないことを思っている。
文化とは外国から入って来るものだと思っている。外国から入って来ないものは文化にあらずと思っている。
それで公害という言葉、これは文化の一種ですね。
外国から入って来て、日本で大分やかましくいわれている。
外国にオリジンがあるから、こんなにジャーナリズムが取り上げたんですよ。
しかし公害、さっぱりうまくいかない。
何故うまくいかないかというと、情の濁りから取り去らないからです。
単に濁りだけじゃありませんが、情からきれいにして行かないからうまく行かない。
これは二つの点でうまく行かないのです。
一つは情が濁っていますから、すぐ自己中心の考えに走る。
それで企業が公害を取り除くことに反対します。
政府だって、やはり産業優先というようないことを考える。一つはそういう害がある。
もう一つは、情が生き生きと働かなかったら、存在というものがない。
それで淀川を見ても、これはひどい濁りだなあと思っても、それが見えなくなったらけろりと忘れる。
だから公害だって、みんなが絶えず心に留って、気に掛かるという風じゃない。
この二つからうまく行かない。それで情をきれいにし、よく働かすようにするより仕方がない。
日本歴史を昔からずっと見てみますと、応神天皇以前は多分うまく行っていた。
が、応神天皇の時、中国から文化を取り入れた。そうすると、知が人の中心だといっている。
その後、印度から仏教を取り入れた。やはり知が中心だといっている。
ともかく情が大事だといってない。
それで本居宣長の頃になって、「漢意からごころ清く捨てらるべし」、そんな風になって来た。
どんな風にいけなかったかというと、ともかく儒教の修行も仏教の修行も、ひどく陰気くさく見えたんだと思う。
儒教は形式一点張り。だから裃を着て、しゃちほこ張ったようなものになってしまう。
仏教の方は難行、苦行が多い。大体、意志の修行です。だから矢張り暗いものになってしまう。
そうしてうまく行かなかった。
それだけじゃなく、単に濁りを取るということに留めて、情を積極的にはぐくみ育てるということを全然しない。
つまり今でいえば、情操教育ということをしない。
情操教育という言葉ですが、情操教育が大事だっていったら、絵をかかせたり、音楽ひかしたり。
そんな馬鹿な。人本然の情がよく働くようにするのが情操教育です。まるで見当外れをやっている。
ともかく情を軽んじたんでしょう。だから本居宣長
しきしまの大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
情緒というものが大事であると思っているんでしょう。
はっきりそうと分っていませんが、何となくそれが分ったんでしょうね。
それで「からごころ清く捨てらるべし」といったり、
「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」といったりしたんでしょう。
情が自分だから、情を大事にせよとずばりいえなかったんだが、
あそこでもっと自分を振り返ってみる暇があったら、それの分る日本人も出て来たかも知れない。
あそこでは、ぐずぐずしていたら滅ぼされてしまうという、そういう状態にあったから、大急ぎで明治維新をやった。
それから外国と戦うために兵器を準備した。
兵器を準備しようと思ったら、西洋の学問より仕方がない。
それで西洋の学問を取り入れた。そのうちにすっかり西洋の学問に溺れてしまった。戦後はそれが極端にまで来ている。
こんな風な訳で、日本人はまだ一度も応神天皇以前の日本人がどんな風だったのかということを、
ゆっくり考え自覚する暇がなかった。
それで一人も、日本人は情の人であると、それが人として正しいのである、といった人はいないのです。
が、それが非常に大事です。
側頭葉
道徳がうまく行かないのは、情を重んじないからです。
情のみがこれが道徳か、これが不道徳かを見分けることができる。
これは教えなくても分っている。だから道徳というものが有り得るんです。
ところで、日本人は情の人ですが、今だって意識してはいませんが、情の人の如く行為しているんだけども、
その自覚がないから知や意の働かしようがない。だからそれから後、さっぱり進展がない。
だから情の人であるというのが正しいのである。それが大事である、という自覚をしてもらうことが非常に大事なんです。
その為には一人一人が自分がそうなって隣の人に話し、成程そうだとうなずかして行くのが早いんだけど、
そのきっかけが仲々つかめないらしい。で、同じことを繰り返し繰り返しいう外ないだろうと思う。
同じ一つのことについてだから、同じ話になってしまうんですが、それを繰り返すのはその効果がないからです。
一人になった時、やっぱりそう思っているということもなければ、
新たな人にその話をするということもしないから、ひとつも進展がないんですね。
一通りその自覚が行き渡ってからでなくては、教育一つも変えられはしません。
今のままの情を粗末にする教育では、赤軍派の学生のようなものがみすみす出るということが分っていても、変えられない。
どう変えればいいかは簡単だけど、大勢の同意がいるんですね。
それには一人一人に自覚してもらうより仕方がない。
で、根気よく繰り返し繰り返しいっている訳なんです。
一つは情がエゴイズムで非常に濁っている。
もう一つは、生気が充分生き生きしていないんです。
情というものだけど、生きるとういうことは情が生き生きすることだと思う。
情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。
これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、
物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。
素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。
こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。
電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、
電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。
そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、
それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。
バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、
内容は絶えず変わっているのである。
人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、
湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。
これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。
人類がそうであるように、生物も皆そうである。
大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。
情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。
ともかく、生きるということは生き生きすることです。
それがどういうことであるか見たければ幼な児を見れば良い。
情は濁ってはいけない。また情緒は豊かでなければいけない。
教育はそれを第一の目標とすべきです。でなければ知はよく働かない。意志も有り得ない。
意志というのは知が描いた地図の上に、この道を歩こうと決めるようなものだから、
地図がぼんやりしていれば意志もぼんやりしてしまう。だから情、知、意の順にうまく行かないのです。その基は情です。
情はエゴイズムで濁ってはいけない。生き生きしていなければいけない。
また、宣長が歌に詠んだように、諸情緒が絢爛と華やかでなければいけない。教育はこれを目標とすべきです。
今の日本は情が濁ってひからびてしまっている。
これを早く変えなければ大変なことになってしまう。そう思うのです。
充分に膚で分ってほしいですね。
なんか私がいっている間だけ、なんとなくそういう気がするが、済んでしまったら忘れてしまうんでしょう。
そういうものなんです。
人類というのは音楽が割合よく分るんですが、情が流れているとそれを感じるんでしょう。
流れが止むとそれを覚えていないんでしょうね。見極めないから存在までいかないのでしょうね。
見極めるには自分で情を働かさなければ。
人の動かすのをただ情的に感知するに留めておくから、その人の情の動きがなくなると一切がなくなってしまう。
自分の情を動かす。自分で見極めなければいけない。それをやってほしい。
これが知性の教育なんです。知が大事だっていうなら、学校はこれをやらさなければいけないのです。
自分で情を動かして、情の目で見極めるということを充分やらさなければいけないのです。
どんなにやらしても、やらし過ぎるということはない。
何しろ難しい問題です。松とか竹とかが分るのは知だといって放ってあるでしょう。
これが世界の人の目です。はなはだここは見にくい。
よく見てみると情が分るからです。松の趣というものが情で分るから、それで松とか竹とかが教えられるんですね。
情が働かなかったら教えようがない。盲に自然を教えようとするようなもの。
知の地図の上に描くのが意志であり、情あるが故に言葉も有り得る、そして形式も有り得る。それが知。
根本は情だということを充分自覚してもらわなければいけない。
人本然の情に従うのが道徳である、といった人が一人もいないというくらい人類は馬鹿なんです。
それで世界がうまく治まる訳がない。だけど一人もいませんよ。
儒教なんか見てみますと、仁が基だといっているのに、その仁が情だとはいっていないんだから、余程わからないのですね。
仏教の修行を見てご覧なさい。意志で修行しようとする。それで多くは難行、苦行です。大抵そうです。
情が本体であるということを知って、まっ先に教育を変えなければいけない。
学校教育もですが、家庭教育を変えなければいけない。
赤ん坊の時は情の中に住んでいますが、生まれて3ヶ月は「懐しさと喜びの世界」ですが、
これがずっと続けば良い。成年ぐらいまで続けば良い。
成年ぐらいまでずっと「懐しさと喜びの世界」に住むようにするのが家庭教育です。
そして、これさえできていれば、あとの教育は簡単なものです。
こんなこと直ぐできる。気付かないのですね。だから、みんな知っていただきたい。
みんながそうなる為には、一人一人が先ずわかってもらいたい。
わかる為には自分の情の目で見ることですが、いちいち見て成程とわかったら、まだわかってない人にいう。
そのやり方なら初めは極く少しの人ですが、直ぐ広がる。そうしてもらいたいと思う。
世界を救う道は日本人ほどやり易くはないだろうけど、結局は情が人であると教えることです。
ヒューマニティーが道徳に一番近い。
それだのにカントは「実践理性批判」、理性というようなものが道徳に近いという。見当違いです。
赤ん坊は理性など働かしはしません。こころの世界に住んでいる。
むしろ、あんなものを働かさないから、こころの世界に住んでいる。
真情の命じるままですね。
それが道徳であり、それが幸福なんです。
※以上になりますが、岡の示唆は不器用に繰り返し繰り返し読まないと本体が見えてこないようになっています。
講演当時はさらに文献も無い時代でしたので、ちんぷんかんぷんさに拍車がかかっていたようです。
しかし、大事なのは文字や言葉ではなく情。「日本人は情の人である」をよくわかってもらうことが岡の願いでした。
風変わりな憲法 1969年5月
※九段会館で講演が行われました。靖国神社近くに位置し、二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物ですが、
東日本大震災のため現在は改装されました。
http://www.youtube.com/watch?v=CwyCfzsp7H8
このような風変わりな、敢えて憲法とは言いません、文章を、私あまり読んだことがない。(割れんばかりの拍手)
新日本国憲法の前文というのが中学校の社会科の教科書の、
多分中級、二年位と思いますが、後に付いてた。読んでみた。
そうしますとね、あそこに何と書いてあるかというと
「利己主義で悪かったな、利己主義のどこが悪いのだ」と書いてある。
いくら何でも、そりゃあ日本とアメリカと違いますが、どうせアメリカから示唆受けたんでしょう。
いくらアメリカ人でも「利己主義のどこが悪い」っていうのは如何にも変だから、
それで段々様子を聞いたんですが、これはイギリスに向かっての独立宣言の時の文章がお手本になっています。
だから植民地アメリカの人達が、英本国のあまりの仕方に腹を立てて
「利己主義のどこが悪いんだ」とそういう啖呵を切った。これでやっとわかった。
それとそっくり内容的には取って来て、そして日本国新憲法の前文としたんです。
この、日本は千三百年、仏教の理屈でやって来ました。
それ以前は、大体、日本民族になってから三十万年、そういう理屈なしにやってました。
明治までは、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべている広々とした心が自分だと、
はっきりこうなってたんです。明治以後、それが大分乱れ始めましたが、
五尺の体が自分だとはっきり書いてあるのは日本国新憲法の前文が初めてです。
真の自分といえば、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべてる広々とした心です。
だから自然が喜んでおれば自分は嬉しい、人の世が喜んでおれば自分は嬉しい、
一人でもひどく悲しんでいる者があれば自分はひどく悲しい。
これが真の個人という意味です。
で、真の個人というものを諭しても人はまたしても迷って、五尺の体を自分と思いがちだから、
それは迷いであると骨折って教えたのが仏教です。
明治まで千三百年そう教えたのですが、明治以後はあまり言わなくなっている。
この、欧米人は物質主義、個人主義ですから。
言わなくなったけれども、それでも善い行いというのは終戦までは、人の為にする行いが善い行いであって、
自分の為にする行いは利己主義、利己主義は唾棄すべきものだとなっていたんです。
それを全然ひっくり返して言ったのが日本国新憲法の前文です。(拍手)
風変わりはわかってる、一番始めからしてそんな風だから。
奈良女を卒業したねーちゃんがいつもいっていた。肉やの前で
ド近眼のオッサーンがじっとはかりをみつめていた。それが
おかけつだったと。
葦牙
(岡潔)
お孫さんがかわいいでしょうって言われたら、私目に角を立てます。
縁あって絶えず一緒に住んでいる。
大切にはしますが、だけどそれだけ。
舞台が終われば、また離れてしまう。
暫くの間しか一緒におられないのだからというので、特別に大切にはしますが、
自分の孫だからかわいいんじゃない。
(質問)
子供を見ておりますと、みなどの子供もかわいい。
と言いますのは、近所の小さな子供がおりますね、
子供は自分の家も他の家も全然区別がないですね。
ところが、大人はどうしてもそういうのをおさえたがる。
(岡潔)
大人が間違っている。
203 考える名無しさん 2014/01/28(火) 01:26:37.21 ID:
(質問)
それがいけないわけですね。
(岡潔)
ええ。日本なら日本、まあ、日本だけにしないと、他国は遅れていますから。
日本の国が一つの懐かしさと喜びの世界、
そうなるようにと思っていろいろ考えていきゃ、なんにもむつかしいことはない。
政治も教育も。懐かしさと喜びの世界に住んでいるということを物質的に表現する。
そうすりゃあよい。子供が正しい。
(質問)
そういう意味ったらおかしいですが、そういうことで私、
女性の方、出来るだけ早く結婚したらいいと思ってたんです。
(岡潔)
そりゃ大変結構です。(笑)日本人はそんなふうなんです。
(質問)
小さい時の教育を誤ると大きくなってからではちょっと方法が無いということですが、
昔のように国が規制するということも無い現代において、
人間が個々別々で自己本位になっていく現状は、なんとかしなければいけないわけですが、
当面、差し当たって何か一つ指針のようなものがあれば、お示し戴きとうございます。
(岡潔)
第一の心がいけないんですね。
自己中心が一番いけないし、それから、理屈もあまり言っちゃいけない。
第二の心の一番基本的な働きは、心と心が合一することだと言いましたが、
情緒としては、懐かしさという情緒が一番基本になるのです。
第二の心が働かないと、人が懐かしかったり、自然が懐かしかったりしないんですね。
そういう外界が総て懐かしいという、その基本的な働きが著しく弱くなっているんです。
根本を放っておいて、枝葉末節をいろいろやったところで、とても直りはしない。
(岡潔)
ともかく、欧米は間違っている。その真似を止めなきゃいけない。
これを自覚することですね。アメリカの真似をするからいけない。ソビエトの真似だっていけません。
大体、そういう基本的な評価が間違っていてはどうしようもない。
(質問)
そのどうしようもない状態におきまして、葦牙会の指導方針と言いますか、
何か具体的なものはどういうところにあるんでしょうか。
(岡潔)
今日本は間違ってる。欧米の真似は止めなきゃいけないと言っても、なかなか聞きませんね。
なかなか聞かなくても、まあ、ここへ来て下さる方は、聞いてやろうという稀な方ですから、
まあ細々と話でもしていかなきゃ。
三島由紀夫さんのような思い切ったことやっても、感銘は与えるでしょうが、それ以上の効果はないでしょうしね。
全く日本はどうなっていくのかと思いますが......
第二の心が神ですね。もし神々が働いてくれなかったら、日本は滅びるでしょう。
肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、
それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。
それくらい悪いんです。
(岡潔)
第二の心の世界というのは、それが欠けると、それを知っている人の目には非常によくわかるんです。
が、それが欠けてる本人の目にはちっともわからんのです。
だからいくら言ったって、聞きやしない。
これに対して、良い方法って、思い当たりませんね。
いろいろ言うんだけど、今日もここで言ったこと、皆さんはどれだけ聞いて下さったか、甚だ疑わしい。
余程日本人の中ではよくわかる方々でしょうが、それでも、どれだけ聞いて下さったかは甚だ疑わしい。
それくらいわかりにくいんです。
年長者の素行見てたり京産大生の作文読んでたりしたら、まるでしょうがないなあ、ちっともわかってないなあと思うんですが、
それをみんな思ったら、もっとやかましく言うでしょうが、思わんのでしょう。
「情、知、意」の知識性とは、「理性」のことであり、この「理性」は西洋哲学の中心にある概念です。
しかし、「情」は「思いやりの心、なさけ、主観的な意識などのことですが、この説明では漠然としている。
岡潔の「情」は、物事の根底にあって最も“重要”なものであるが、現代の社会、科学の種々の理論、主義に
対して、同じ「土俵」の上で“改革と創造”を進めて行かなければ、“情”という言葉だけの記憶として人々の
心に残るだけであり、 そして…それはいつしか人々から忘れさられてしまう。
「情」という概念(感情性)が、人々に理解されるには、「理性」のように一定の“論理”が必要となる。
つまり、「情」の“思考プロセス”が必要となる。それは、どう言うことかというと、西洋哲学の「理性」は、“方法的懐疑”
によって「超越論的主観性(理性)」という不動の論理を構築している。今日の科学、社会システムがこの「理性」を基盤として
発展しているのであり、「情」がこの「理性」と対等の位置にあるのであれば、「情」も不動の論理を構築する必要
がある。
私は、「情」と「理性」は車の“両輪”であり、両者は互いに助け合い、協調することの相関関係にあると考えており、その
バランスが崩れてきているのが、今日の文明社会であると解釈している。
同じ「土俵」で
【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん(産経新聞)
東大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。
講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。
なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。
難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)
【プロフイル】
もりた・まさお 昭和60年、東京生まれ。2歳から10歳まで米・シカゴで過ごす。
東京大学の工学部、理学部数学科を卒業後、独立。
平成22年に福岡県糸島市で数学道場「懐庵」を開き、
「数学の演奏会」「大人のための数学講座」などユニークな講演活動を各地で展開し、
思想家の内田樹(たつる)氏や人類学者の中沢新一氏らとも対談。
24年春に京都に拠点を構えた。
--起業ですか
森田 当時すごく盛り上がっていた米国のシリコンバレーに行き、
あちこちの会社に連絡して「とにかく今すぐ社長に会わせてくれ」みたいなことを言っていたら、
現地のジェトロ(日本貿易振興機構)のスタッフが「最近迷惑な東大生がいると聞いたがお前のことか。それなら案内してやるよ」と言われて、
あちこち連れて行ってくださったんです。
--うれしい援軍ですね
森田 その中の一人の投資会社の方が、鈴木健さんという人がおもしろい会社を作ろうとしているからと言って紹介してくれた。
鈴木さんは「なめらかな社会とその敵」という本を書いて話題になった人ですが、
実際に会ってみるととにかくものすごい人で、会社の立ち上げを手伝うことになったんです。
その会社のメンバーがみんないわゆる「理系」の世界の人たちで、数学とか物理をやる人は頭でっかちだと思っていたのに、
話をしてみるとイメージと全然違う。
身体性の起源を物理学的に考えたいと言ったり、縄張りの始まりはどういうものかを数学的に研究しているとか言って、
何か面白い。もっと知りたいという思いがどんどん強くなって、工学部に転部したんです。
そこで研究をしていくうちに、どんどん数学そのものへの関心が膨らんできて、
そのときに数学者の岡潔(1901~78)の著作に出合って衝撃を受けた。
数学にこんな世界があったのか。これは人生を懸けるに足るという感じがしたんです。
210 考える名無しさん [sage] 2014/02/05(水) 17:53:39.80 ID:
--数学者の岡潔が研究に没頭した和歌山県紀見村(現橋本市)を訪ねていますね
森田 岡は「数学は情緒の表現だ」と言っていますが、情緒はこの環境で育まれたんだなと実感しました。
大阪から和歌山に入る紀見峠の高台に立つと、正面の遠くに高野山を見晴らすことができる。
山並みや虫の鳴く声、すばらしい景色、環境に囲まれています。
岡は「計算も論理もない数学をしたい」といって周囲を驚かせたのですが、
この山中でまさに計算も論理も超越した数学の喜びに浸っていたのかもしれません。
--岡が言う情緒とは何なのでしょうか
森田 岡は「自然数の1が何であるか数学は何も知らない」と著書で繰り返し書いています。
数学の始まりの数である「1」が何であるのかは議論しなくても、脳の中でありありと分かる。
逆に「1は何か」を数学的には定義できないし、
「1」を説明しようとするあらゆる試みは「1」の直感を頼りにしてしまっています。
だから数学は数学自身によって支えられているのではない。
計算や論理に先だって数学を支えているもの、それは実感であり、情緒であると言っているのです。
--数の感覚はどこから来るのでしょうか
森田 脳が「数覚」をどうやって生み出しているのかという研究があります。
ここに1本のペンがある。1本のペンだとすぐ分かる。
2本なら2本、3本なら3本ということを瞬間に分かる能力を認知科学でスービタイゼイションと言いますが、
この能力は3か4で止まってしまう。
だから数字は、漢字の「一」では横棒1本で、「二」は横棒2本、「三」は横棒3本だが、「四」は横棒4本でない。
横棒が4本になると数えなければ分からなくなるからです。
回転すし屋さんでお皿3枚はぱっと見て分かるが、4枚ぐらいになるととたんにあやしくなる。
人間の認知限界はだいたいこの辺にあります。
--おもしろいですね
森田 脳は数学をするために進化してきたわけではないんです。
38億年の生命史のなかで、「36×73」なんて計算をすることはなかった。
いきなり計算をしろといわれて、脳はどうしたかというと、計算するためではない部位を使う。
その結果、情報が混在して、例えば5という数字を思い浮かべるつもりでありながら、
5という数字に伴う空間感覚や時間感覚、
あらゆる具体的感覚が一緒に到来してしまって数字に具体的な質感を感じてしまう。
人間が数字に向いていないことによる副作用でもあるのですが、
逆に言えば、それが岡が言う「数学が実感に支えられている」ということになります。
212 考える名無しさん 2014/02/05(水) 18:00:45.89 ID:
--岡の研究スタイルは
森田 海外では「Oka」といえば、数学者集団だと信じていた人がいるぐらい、壮大な数学的風景を作り出しました。
岡は生涯で3つの大きな発見をしたと回想していますが、その前に必ず行き詰まったと語っています。
1年、2年ではなく、6、7年も行き詰まった。
さすがに6、7年行き詰まると頭ではやることがなくなるんです。
計算でできることはたかがしれている。理論的にやれることもやり尽くしている。
「やるのは情意であって、知は働きようがない」と岡は言います。
そうすると頭でないどこかが動き出してくる。
岡の数学日記を読むと山に登って花を観察したり、スケッチをしたり、自分の脳よりも大きなところで数学をしている。
数学は脳で閉じていない身体的な行為なのです。
言語は、意識的に表面に現れるものと、無意識的に創出するものとの“二重性”を
持っていますが、数字の概念も記号として視覚的に捉えられるものと、情緒という無意識層
との連関としての“二重性”があると言うのは、非常に奥の深いものを感じている。
214 考える名無しさん 2014/02/13(木) 22:52:29.77 ID:
春雨の曲のコピーってどこで手に入るの?
あと岡潔研究会っていうサイトがあるけどこのサイトって
春雨の曲の内容も含めた岡潔の思想がまとめられていると見ていいの?
春雨のコピーは正直、ほとんど手に入らん。
ネットにあるものも個人のブログによるほんの少しの抜粋がほとんど。
分量が多すぎて用意できないんだろうな。
春雨は、おかけつの人生の回顧録的な内容も結構ある。
回顧録と言っても、既刊に無い初見の内容が多々あってそれはそれで面白い。
が、回顧録にしろそうでないにしろ春雨を全部読んでどうのこうのなるかと言うと、難しい。
報道関係者なら、急いで読んで損は無い。
研究会は晩年中期が主体で、春雨はほぼスルーしてる。一番読み応えがあるからね。
ただ、春雨に反しない解説になってるよちゃんと。
芥川龍之介なんかが典型だね。インスピレーション型の人が芥川龍之介で、情操型の人が夏目漱石。
芭蕉の解釈を誤ったことを理由に、おかけつは一時期芥川を批判するんだよ。
でも天照大神を非常に慕っていたことを理由に、春雨では再評価に至るんだ。
206の京産大の学生の作文も読んでいてね、11識から15識にいるらしい学生も結構発見するんだよ。
216 考える名無しさん [sage] 2014/02/14(金) 16:46:45.38 ID:
春雨の曲を手に入れられるコネ
・和歌山県橋本市図書館(たぶんある)
・御遺族(岡嫌いの人間には会いたがらない)
・横山賢二氏(晩年中期の資料はタダでくれるが相当に勉強していないと春雨はもらえない)
・帯金充利氏(岡の本の復刻の中心人物)
・高瀬正仁氏(同じく復刻を担当するも、数学的業績の発掘が主体)
高瀬氏は数学の伝記が主体だから思想については他の方に比べてあんまりわかってないっぽい。
でもそのぶん一番早く確実にコピーをくれる方は高瀬氏だろね。
回答サンクス!!
自分はまだ春宵しか読んだことが無いが
これから岡の著書を発刊された年代順に読み
最後に春雨の曲にたどり着けたらいいと思ってる
218 考える名無しさん 2014/02/18(火) 22:33:06.07 ID:
岡潔botより
ttps://twitter.com/oka_kiyoshi_bot
私の論文などいつもケアレス・ミスが多く、わざわざ訂正文を送らねばならぬくらいである。
しかし、ケアレス・ミスが多いことと、本質的なミスがないこととは対応し合うものらしく、
これに反して、ケアレス・ミスの全くない論文にたまにミスがあれば、
それは致命的なものであって、全体が思い違いだとさえいえるくらいである。
私の論文はいつもケアレス・ミステイクが多いのだが特段何もなければ別に訂正もしていない。
どうせわかる人にはわかり、わからない人にはわからないからである。
岡はまだまだ数学の研究をずっとしたかった 問題はそこなんだよ
220 考える名無しさん [sage] 2014/02/18(火) 22:46:15.48 ID:
219
どうだろうね。随筆を書き始めた当初こそそういう平穏な数学研究生活を望んでいたが、
情緒の方向には本人も面白がって入っていった部分もあるしね。
数学(XがA、言葉がB、記号がC、昆虫がD)をあまりやらなくなっていったのもそうだが、
戦後自分にとって必要になった仏教すら70年頃を境に嫌い出すからね。
浄土宗の弁栄上人が創始した光明主義の杉田上人が居る中、
公衆の面前で「仏教は間違いだ」って喋ったエピソードもあるし。
あまりそういうのは大した問題じゃないと思うな。
人間の建設で岡潔と対話した小林秀雄の肉声が収録された音源から抜粋
http://www.youtube.com/watch?v=clkjp6WjKTg
信じるってことは責任をとることです。
僕は間違って信じるかもしれませんよ。
万人のごとく考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから勿論僕は間違います。
でも責任はとります。それが信ずることなんです。
だから信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです。
そうすると人間は、集団的になるんです。
会がほしくなるんです。自分でペンを操ることが、信じられなくなるからペンクラブがほしくなるんです。
ペンクラブは、自分流に信じることはできないです。クラブ流に信じるんです。
んなこたないですよ。クラブ流に信ずるからイデオロギーってもんがあるんじゃないか。そうだろ?
自分流に信じないからイデオロギーってもんが幅をきかせるんです。
だからイデオロギーは匿名ですよ常に。責任をとりませんよ。
左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。
あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。
どうしてああ徒党を組むんですか?日本を愛するなら。
日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。
日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんですよ。気がつかないだけだよ。
こんな古い歴史を持った国民がね、自分の魂の中に日本を持っていないはずがないですよ。
222 考える名無しさん 2014/02/21(金) 18:43:19.17 ID:
藤原正彦「遥かなるケンブリッジ」
無人島に男2人と女1人がたどり着いた。
もし男がイタリア人だった場合、殺し合いが始まる。
フランス人だった場合、一人は夫婦、一人は愛人として話がまとまる。
イギリス人だった場合、口をきかないので何もおこらない。
日本人だった場合、東京本社にFAXで指示を仰ぐ。
岡って原発に賛成反対以前に白樺派・自然主義・自然科学そのものに好感持ってなかったな。
しかも今更将来を心配するのは馬鹿だし手遅れだと。
224 考える名無しさん 2014/02/25(火) 19:09:47.44 ID:
昔、数学板でおかけつの仕事がそんなに偉大なら、
三行で述べてくれといったら、なんたらかんたら、業界用語
の説明に手間がかかるから出来ぬだとよ。念仏でも唱えて
理解したつもりになるよりないかww」
上空移行の原理(第一論文)(インスピレーション型)
二関数を積分方程式に帰着させ融合させる方法(第六論文)(梓弓型)
不定域イデアルの理論(第七論文)(情操型)
専門外から見てだが、一つ目の大発見は峻険な山脈を一から登るのを諦めてヘリコプターで登ることで得た発見。
二つ目の大発見は過去の積み重ねを切り捨てて知性を総動員して見つけ出した発見。
三つ目の大発見は牛乳に酸を入れた時のようにいちめんにあったものが固まりになって分かれたことでわかった発見。
特に三つ目は「捨」と「情」により結果としてまったく新しい概念を考案してしまったために、
その後の数学専門書の記述に革命をもたらしたと言って良い。
でも逸話としては第十論文の方が好きかな。厳しい寒さの冬から果実のなる春に移った、岡の最後の論文。
ブルバキ的な厳しさとは無縁の、おまけみたいな論文だから、相手にしない人も多いんだけどね。
掲載された図形の世界観が、第十論文だけは本当に異質で面白い。
長文書いてくれる人は次はこの岡の数学研究回顧・伝記をお願いしたい。
既刊に出てる奴でいいから。
いっぱんに数学では問題を出した人のほうが問題を
説いた人より上と思われている。問題にたどり着くには
長大な研究の鎖がいる。
227 考える名無しさん 2014/02/26(水) 20:03:33.41 ID:
岡は確か生涯でやりたいと思っていた数学の3分の2はやったと書いていた
その後は思いを継ぐ者は現れず、研究は放置されたままになっている
とすれば唯識論と同じで、最低あと5個は論文として発表できるはず
10番目の論文からイメージがガラッと変わっているから、春雨の曲みたいにそれはそれは壮麗な数学になる
50年越しの後継者の出現に期待したいものだ
岡潔博士・記念館の建設決定~市議会委託予算可決
世界的な数学者で文化勲章受章者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78)の〝顕彰記念館〟が、
岡博士の故郷、和歌山県橋本市の杉村公園に建設されることが決定した。
市議会最終日の3月6日、顕彰記念館・委託料(基本設計)予算399万8000円が可決され、
2018年開館を目指して、建設されることになった。
岡博士は大阪市生まれだが、4歳の時から父の実家、紀見村(現・橋本市)に居住。
京都帝国大学を卒業後、多変数関数論に出会い、
「世界の数学者が1問解くのに100年かかる」と言われた「世界の三大難問」を1人で解決した天才。
また、「春宵十話」などの数々の著書を表し、「日本人の情を大切に」と強調した卓越した哲学者でもある。
1960年に文化勲章を受賞、61年に橋本市名誉市民になった。
橋本市企画部企画経営室の話によると、顕彰記念館は杉村公園内の松林荘(しょうりんそう)北側に建設。
ここは4月開通予定の国道371号バイパス(京奈和自動車道・橋本インター~同市三石台)に隣接していることから、
記念館を中心にした「道の駅」のような観光拠点にする構想。
記念館わきには観光案内所、トイレ、多目的広場などを建設し、
観光バス約5台、乗用車なら約50台収容の駐車場を設けたい考えだ。
岡博士の旧宅は、旧・高野街道沿いの閑静な山上にあった築約100年の木造平屋で、約80平方メートルの、こじんまりとしたたたずまい。
旧宅が所有者の事情により、2001年9月に撤去される際、当時の北村翼(よく)市長が、橋本ユネスコ協会や地元市議の要望に応え、
解体後の梁(はり)や鴨居(かもい)などの建築資材は現在、橋本市河南別館倉庫に保存されていて、記念館に活用することになる。
同市内では、長らく岡博士の〝旧宅・復元話〟が途絶えていたが、
2009年、岡博士の偉業を讃え、数学教育を進める「橋本市岡潔数学WAVE」が設立され、記念館の建設が求められていた。
建設費は数千万円規模になる見込みで、同市は「橋本市岡潔顕彰基金」を創設、全国から募った資金と、国の補助金を充てる方針。
木下善之市長は「記念館には、岡博士の著書や愛用品、写真などを展示。できれば〝寺小屋〟のような建物も併設したい。
全国の数学ファンや観光客が立ち寄り、数学好きな子供たちが増えてほしい」と語った。
「橋本市岡潔数学WAVE」理事の奥村浩章(ひろあき)さんは「岡博士が数学に卓越していたことは誰しも認めることですが、
それよりも大事なことは、日本人の情緒を重んじた岡博士の哲学ではないでしょうか。
全国から岡博士の手書き原稿など、膨大な資料が集まっているので、それを保存展示する場所ができることは、うれしい限りです」と語った。
(2014年3月7日 橋本新聞)
第一の大発見
私は西暦1925年に大学を出て、1929年の春に船でフランスへ向かった。
その途中でシンガポールへ寄ったのである。
私はそのとき二つほど習作はしていたのだが、こんどはライフワークを始めようと思った。
それには数学のどの分野を開拓するかを決めなければならない。
つまり開拓すべき土地が問題なのである。私はそれさえ決めればよいのである。
こんなふうだったのだから、産業界は工業時代から情報産業時代に移ったと聞くとよくわかる。
ソルボンヌ大学(パリ大学)とはどういう所かといえば、授業料は三種類ある。
一つは講義を聞くためのもの、一つは図書館を使うためのもの、一つは学位論文を審査してもらうための手数料である。
人員に制限もなく国籍も問わない。授業料さえ払えばよい。
アメリカ人はずいぶん来ていた。家庭教師を雇うより留学させたほうが安くつくからである。
数学教室は独立した建物になっていた。ロックフェラーの寄付で建てたのである。
アンリ・ポアンカレ研究所という名がつけてあった。
そこには大きな講義室が二つあった。小さいのはずいぶんあったが、いくつあったか知らない。
大きな部屋にはフランスがほこる大数学者たちの名をとって、
一つをエルミットの部屋、一つをダルブーの部屋といった。図書館がついていた。
私が着いたときは、もう夏休みに近かった。
この大学の夏休みは非常にながい。一年が三つにわかれていて、特別講義は毎年変わるのだが、その講義は最後の三分の一だけで、
先生たちは初めの三分の一は文献の準備、
次の三分の一の夏休みにだいたいの研究をすませて、
最後の三分の一でそれを講義しながら書き上げているような気がした。
先生のお弟子が講義の速記をする。それを先生が見て直すべきは直して、毎年本にして出す。
要点だけを抜き出して論文も書くというふうにしているようにみえた。
論文は夏休みがすんでから講義が始まるまでの間に書くのかもしれない。
私はその年度はその図書館の閲覧できる授業料だけを払った。それでもうパリ大学の学生である。
パリ市は城のあとである。その南の入り口にモンスーリーという公園があって、その外側に大学都市がある。
まだ城郭の内側だが、ここだけは自治を許されていて、パリ市は関与しない。
そのいわば国際的自治都市の中に日本会館もある。私はその一室を借りていた。
私のすべきことは、この図書館を相談相手に、この学年中にライフワークのための土地を選ぶことである。
そんなこと、日本でしても同じではないかというかもしれないが、
日本にいてはそれができないし、フランスにおれば易々とできるから全く不思議である。
何しろここは、ギリシャに源を発するラテン文化の流れを真向きに受けている国だから、
ただクラゲのようにポカポカ浮いてさえおれば、流れがおのずから着くべき所へ着けてくれるのである。
これが環境というものである。もちろん地上の影をそう呼んでいるのであって、これは生命のメロディーの影なのである。
彼らはそれを自覚してはいないが、やるのはそれでやっているのである。
論より証拠、だいたいその学年中にはライフワークの土地として、多変数解析函数の分野が見つかった。
それで、次の年には講義を聞くことのための授業料を払った。
そして世話してもらえる先生の家を訪ねた、私はそこで、先生の論文を少なくとも75はもらった。
しかし読んだのは二つだけである。しかもそのうちの一つは、日本で読んでいたのである。
この論文は広島の大学(後に岡が赴任する広島文理科大学、現在の広島大学)の私の部屋の書物棚へ入れておいたのだが、
私がそこを(広島事件等のために)やめた後も、いくら送ってくれといっても送ってくれないのでそのままにしておくと、
原爆で焼けてしまった。
三年目も学位論文の審査のための手数料は払わなかった。習作は日本で二つしていたし、フランスでも二つしたが、
そんなのを審査してもらって学位をもらっても仕方がない。
ではなぜ、留学は二年だのに頼んで三年いたのか、というと、
私はフランス文化をそれほど高く買っていなかったのであるが、これについては後に述べる。
ではなぜかというと、私は芥川の好きな中谷治宇二郎君(「日本先史学序史」の著者)とすっかり気が合ってしまって、
もうしばらく一緒にいたかったからである。
今になってこれが私にたいへん役立ったことがわかる。
私はじっと動かないし、この人はなんだか永遠の旅人という感じである。
ところでそのラテン文化であるが、私にはなんだか、「高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛り」という気がした。
この土地はいわば高原のようなものであって、その山に上る第一着手は、30年近く誰にもわかっていないのである。
十中八九、私にも見いだせないかもしれない。しかし一、二、可能ではないといい切れないふしもある。
よしやってやろう。私にできるかできないかわからないが、私にもできないのに、フランス人にできるはずがなかろう。
こう思ったから、これをやると決めたのである。
ラテン文化は実際は、私が思ったよりずっと底が深かったのであるが、これも日本に帰ってみて初めてわかった。
これも、というのは、この随想でいったかいわなかったか忘れたが、
私はフランスへ来て、初めて日本のよさがはっきりとわかったのであった。
今や私には問題はしぼられて、第一着手の発見が問題である。
私はパリのあらゆる文化をこの発見に役立てようとした。
私は1932年に日本へ帰って、(京大から厄介払いされて)広島の大学へ勤めた。
ずいぶんこの問題の解決の探求の邪魔になるのだが、
(ドイツでなくフランスに)洋行させてもらって、しかも一年延期してもらったのだから仕方がないのである。
そのうち1934年の暮れになった。
ドイツのベンケがトゥルレンに手伝わせて多変数解析函数の分野の文献目録のようなものを出してくれた。
私はそれが手にはいったから、翌1935年の一月二日から、それを持って私の部屋に閉じこもった。
これは私には箱庭のように思える。それを二ヵ月かかって丹念に心に描き上げた。今や困難の全貌は明らかである。
問題はその上へ昇る第一着手を発見することである。
私はくる日もくる日も、学校の私の部屋に閉じこもって、いろいろプランを立てては、うまくいきそうかどうかをみた。
日曜など、電気ストーブにスイッチを入れると石綿(アスベスト)がチンチンチンと鳴って赤くなっていく。
それとともに心楽しくなる。きょうは一日近く自分のものだし、
昨日まで一度もうまくいかなかったということは、きょうもまたうまくいかないということにはならない。
そう思って新しいプランを立てる。日が暮れるころまでにはうまくいかないことがわかる。
そんな日々が三月続いた。私には立てるプランがなくなってしまった。
少しも進展していないし、もうやりようがないし。
私は、これもパリでしばらく非常に親しくしていた中谷宇吉郎さん(理化学研究所所員、人工雪の製作に世界で初めて成功)、
この人は治宇二郎さんの兄さんで寺田先生(物理学者寺田寅彦、東京市生まれ、高知市出身)のお弟子なのであるが、
その人が、北海道へ遊びにこいといってくれたので行った。
そんなことをしている間も、知的にはもうすることがないのであるが、情意は働き続けていたのである。
中谷さんのいる札幌へ着いて、中谷さんの家の裏へ下宿した。
札幌の大学は講師の阿部社長(寺田先生のお弟子で、北海タイムス社長)の部屋を貸してくれた。
私は毎日そこへ行くには行くのであるが、何しろ知的にはもう私にできることはないのだから、
十分もたてば眠くなって、そこのソファに寝てしまう。
そのうわさが北大の理学部中にひろまって、口の悪い吉田洋一さんの奥さんが、嗜眠性脳炎という仇名をつけてしまった。
中谷さんは、「岡さん、札幌は失敗だったね」といった。
この嗜眠性脳炎の時期が、札幌へ来る前から数えて、三月続いた。
そうこうしているうちに九月にはいって、もう広島へ帰らなければならない日が近づいていた。
そうしたある日、中谷さんのお宅で朝食をいただいた後、いつもは一緒に学校へ行くのだが、
その日は妙にじっとしていたくて、一人残って応接室にすわり込んでいた。
二時間近くもそうしていただろうか。
そうするとパッとわかったのである。この種の発見に伴う悦びが、ながく尾を引いた。
疑いは少しも伴わない。私はその後を考えた。これが多変数解析函数についての論文Ⅰになるのであるが、
私には後のⅤまでは大した問題のないことがわかった。
Ⅰを書いたのは翌年の蛙鳴くころである。
中谷宇吉郎さんを思う
一昨年(1960年)秋、私が文化勲章受賞のため久しぶりに上京したさい、
中谷さんに会い、専攻の低温科学の話になったが、
中谷さんは「自分の仕事はどうも物理学とは認めてもらえないらしい。
雪を作る実験にしても、ぼくがやればでき、ほかの人がやればできないからという理由で、
物理よりも芸術に近いもののようにみられているらしいよ」と話していた。
これがおもしろかったので授賞式当日一緒に受賞者となった吉川英治さん(「宮本武蔵」の連載で知られる小説家)に
この話をしたところ、吉川さんも「日本人にはある方面に他人のまねのできない能力を持っている人が多いが、
正当には評価されないので困るようですね」とほかの実例もあげて同情的に語っていた。
首都警
238 考える名無しさん [sage] 2014/03/15(土) 05:42:54.57 ID:
風変わりな憲法の続き
http://www.youtube.com/watch?v=QimqbTpPsWI
集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、
それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。
愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、
成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。
猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、
もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けたのです。
こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。
一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。
この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。
その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。
だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。
今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!
で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、
明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、
それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、
そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、
(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。
ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。
東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、
使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。
それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育む。
これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。
後頭葉でそれをやる。
しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。
それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。
それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、
側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、
「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。
これが東洋的な行為に至る動きです。
初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、
一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。
しかし東洋型も東洋型で、日本だと、
五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、
その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。
そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、
二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)
山吹や笠に指すべき枝のなり
哀れ哀れ旅人は何時かは心安らはん垣穂を見れば山吹や笠に指すべき枝のなり
246 考える名無しさん 2014/03/19(水) 21:39:46.74 ID:
草稿が古い方の春雨読むと100識までは書いてあるね。青空文庫になってもならなくても正直今の人間が読んでもすぐためになる代物ではないな。
247 考える名無しさん 2014/03/20(木) 20:01:08.00 ID:
会津の日新館という藩校に「ならぬことはならぬものです」で締めくくられる掟があるが、
あれは岡の場合は祖父から与えられた「他人(ひと)を先にし自分を後にせよ」だった。
で、これは子供の道徳観としては意味があるというか、必要なものであって、
問答無用である程度押し込んで良い。智で言えば分別智に近い。
ただ、子供は反発するだろうし、ダブルスタンダードの要る大人になってもこれを金科玉条とされては困る。
したがって、大人はできるだけ無差別智的な分別智という形で与えてやらないといけないし、
無駄の無い情すなわち真情が根本だということを大人も子供もなるべく忘れないようにしないといけない。
248 考える名無しさん 2014/03/22(土) 00:55:41.29 ID:
台湾が今危ない。退回服貿(ほえほえくまー)。
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 広島事件
広島で不可解な事件が起こり、岡潔の人生に大きな転機が訪れたのは昭和11年(1936年)6月23日のことであった。
この日の夜、岡潔は京都帝大の数学者、園正造(代数学者)の歓迎会に出席したが、
途中で心身の具合が悪くなって帰宅し、それから行方不明になった。
翌朝になって判明したところによれば、岡潔は自宅の近くを流れる二股川の土手を帰宅途中の
修道中学(現 修道中学校・修道高等学校)の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、
それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたというのであった。
被害者の中学生の家族が強盗にあったと警察に訴え出たため新聞沙汰になり、一時は騒然とした事態になったが、
ともあれ病気と見なされて入院した。入退院が繰り返されて一夏をすごし、いよいよ最終的に退院したときは9月13日になっていた。
250 考える名無しさん 2014/04/20(日) 05:59:21.87 ID:
岡潔の晩年の遺稿『春雨の曲』第三稿には、この時期の心情がこんなふうに回想されている。
1936年の6月にわたしは一晩中、
わたしの家はその頃広島の牛田という、八幡神宮を祭ってある小高い丘の麓にあったのだが、
その丘の、家と反対の側、と云うと北西の方になるのだが、
その丘の北西の斜面の笹原に寝て、星の一群を率いる宵の明星と話をした。
次に挙げるのは『春雨の曲』第七稿からの引用である。
それから1、2日たったよく晴れた夜、わたしは家の後ろの小高い丘の斜面に、
北西の方を向いて、笹原に背をもたせかけたまま、
金星から来た娘の話を聞いていた。
娘はわたしの今生の越し方行く末を詳しく説明してくれたのであるが、
わたしには夢の中の話のようであった。
満天の星斗も水上に乱れ飛ぶ蛍のように見えた。
251 考える名無しさん [sage] 2014/04/21(月) 12:09:24.77 ID:
個人主義はイコール閉鎖主義でもあるって言ってたな、おかけつ
第二の大発見
日本の文化の本質を調べてみて、
数学における情操型発見を詳しくお話ししておくことがどのように大切であるかがよくわかって来た。
それで話を少しもとに引きもどしてお話ししよう。
京大数学教室の二年以後の有り様から言おうというのである。
当時の教室の教授は四人で、うち一人は和田先生であったから、残りは三人である。
河合十太郎先生が函数論を、西内貞吉先生が射影幾何学を、園正造先生が代数学及び数論を教えられた。
ほとんどこの先生方の講義しかなかった。
この講義時間数が非常に少なかったということが、この教室らしく教えるには非常に大切なことであった。
私は意識してこの教室に入ったのではない。しかし入ってみるとここも神代の文化を教える所であった。
百花繚乱の花園に遊ぶようである。それでいて私は一日一日目が開けて行くような気がした。
かようにして私は数学研究を始めるための雰囲気を用意してもらったのである。
花が開くためには春の気が必要なのである。
数学研究の初めの頃は、私はインスピレーション型発見ばかりした。
しかしこれは情操型教育の上でインスピレーションを感じていたのである。
初めは、数学は西洋の学問だから、西洋にやり方を学んだことになって、こうなったのだと思う。
だんだん研究に習熟するとともに、東洋本来の型である情操型発見が出るようになった。
私の多変数解析函数の研究には三つの難関があった。
第一論文で突破したものと、第六論文で突破したものと、第七論文で突破したものとである。
そのうち第一論文はインスピレーション型発見、第六論文は(中間の)梓弓型発見、第七論文は情操型発見である。
これらについてお話ししようというのである。
第一論文を書いたときから私はこの第六論文の突破法について色々考えていた。これが研究本体であった。
私はゆるゆる書きながら暗中模索を続けたのであるが、少しもわかって来ないうちに第五論文まで書いてしまった。
いよいよこの難関を何とかして通らねばならぬ。
その頃日本は日支事変の最中で、国民精神総動員のやかましく言われている頃であった。
私は広島の大学をやめて郷里の和歌山県で研究していた。
論文で言って、第五までと第六からとは、問題の型が違うのである。
第五まではそうなることを言えというのであり、第六のものはそんな風に作れというのである。
初めのものは函数論的であり、あとのものは解析学的である。
私は解析学におけるものの作り方を一応しらべた。そんな作り方は何もない。
それで思った。
今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、まるで歩いて海を渡れと言うようなものである。
そう思うと急に実際それがやってみたくなった。それでちょうど台風の襲来が予報されていたから、
(広島事件同様家族に無断で)台風下の鳴門の渦を乗り切ってやろうと思った。
それで大阪港から船に乗ったのだが、台風はそれて、まるで春のような海を見せてもらっただけである。
読む本もないままに年が変わって蛍の季節が来た。
当時、もと紀見峠の上にあった私の家は軍用道路になってしまったために、
私は峠を南に下りた麓の所に家を借りて、家内と子どもたち三人とで住んでいたのだが、
毎夜一家総出で蛍を取って来ては裏のコスモスの茂みに放してやり、
昼は毎日(近所の子どもたちにからかわれながら)土に木の枝でかいて、
解析学の諸々の作り方を、もう一度、きちきち調べ直してみた。
そうしているうちにだんだん要求されている作り方の性格がわかってきた。
それで、フレッドホルム型積分方程式論の冒頭の二頁ほどを残して残りを切り捨ててみた。
この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。
そうすると何だか使えるかも知れない、一つのものの作り方が出て来そうに思えたからそうしてみたのであるが、
それを実地に使ってみると果たしてうまく使えた。
難関は突破されたのである。
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 開戦
こうして研究一本槍の毎日を送っていた潔であったが、1940(昭和15年)の10月に京大から理学博士号を受けた。
これは、金銭的なプラスにはならないが、それまでの研究(第一論文から第五論文まで)が認められたということである。
しかし潔は学位には関心がなく(フランス留学中の時にもそうであった)、もらうことを強く拒否したが、
周りから説得されてしぶしぶ受けたのであった。
第三の大発見
第七論文に移る。私は中谷宇吉郎さんの御厚意で北大理学部から「理学部研究補助を嘱託す」という
変わった辞令をもらって札幌市に下宿して、何をしてよいかわからないから、
功力教室の人たちに詰将棋を詰めさせたり、ピアノを聞かせたりしていた。
冬の初めだったかと思うが、石炭ストーブのよく燃えている下宿の一室で十時頃まで寝ていると、
下宿のおかみさんにあわただしく起こされた。行ってみるとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。
私は、しまった、日本は亡びたと思った。
そして茫然自失していた。
当時の私の心境を、次のある無名女流作家(横井栄子という歌人)の歌がぴったり言い表している。
窓の灯に うつりて淡く 降る雪を 思ひとだえて われは見ており
しかし、やがて一億同胞死なば諸共の声に励まされて、
それもよかろうと思って、数学の研究の中に閉じこもった。
そしてある時期から後は、もっぱら次のテーマに没頭した。
多変数解析函数の分野における不定域イデアルの研究。このテーマに関して、
アンリー・カルタンが一つ非常に重要な結果を出している。しかしほかに誰も研究したことを聞かない。
この研究は非常に面白かった。しかし、どうしても完成できないままで終戦になった。
予想通り完敗したが、意外にも亡びなかったのである。
これは一つはキリスト教のお陰であって、今一つは陛下のお陰である。
終戦になると、それまで死なば諸共と言っていた同胞が、こともあろうに食糧の奪い合いを始めた。
私は生きていることも死ぬことも出来なくなった。
それで存在の地を仏道に求めた。
(戦中から紀見峠に戻っていたが)終戦後第三年目の五月頃、私は光明主義のお別時(別時念仏)に就いた。
五日泊り込みで修行するのである。これが終わってあとの有り様は前に書いたが、最も大切な点であるからもう一度繰り返す。
帰りの京都の市内電車は非常な雑踏であった。私はズック靴をはいて腰掛けていたのだが、
前の、立って下駄をはいている人に下駄で足を踏まれた。
しかし私は、二つの足が重なり合ったな、くらいにしか思わなかった。
お別時まではこの情景を見て、生きるに生きられず死ぬに死なれなかったのである。
日本人は、何となく外界は自分の心の現われと知っているのが本来の型であるから、
心をお掃除すれば外の情景が全く変わるのである。
これが情操型研究のよって来る所である。
私は家に帰ると、また研究を始めて、毎日一時間ほどお念仏しながら、
心の中に描いておいた不定域イデアルの姿を詳細に見直していった。
私の、自分の心の中を見る目は、驚くほどよく見えるようになっている。
そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目が留まった。
前にはこの一区画を本当に見極めてはいない。
よく見ると、すぐにこの存在が言えた。証明は二頁くらいである。
そうすると解きたいと思っていた問題は皆完全に解けた。研究は完成したのである。
私はあくまでも「是心是仏」派らしい。
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 高木貞治との交流
さて、こうして数学的に見れば歴史に名が残るような偉業を成し遂げた潔であったが、
その生活は日増しに苦しくなる一方だった。潔は後にある数学者に、
「自分は数学の研究に打ち込んだので(生活の中で数学したのではなく数学の中で生活したので)、
まず田畑がなくなり、次に着る物がなくなり、次に住む家がなくなり、しまいには食う物もなくなった」
と言ったことがあるというが、その「食う物もなくなった」という状態になってきたのである。
それで潔が考えたのは、奨学金のようなものをもらうことであった。
生徒や学生ではないから奨学金というよりも「研究補助」と言う方が当たっているかもしれない。
要するに、潔が1941年から42年にかけて北海道帝国大学に行っていたようなシステムということである。
潔はそれを、当時すでに日本数学会の第一人者であり、世界的にもその名を知られていた高木貞治(1875~1960)に託したのであった。
高木貞治は、その名著『解析概論』とともに多くの理系の人間にその名を知られている。
そして(ドイツ数学を呑み込んでしまった)類体論の創始者として世界中から注目された数学者である
(今、日本を代表する数学者を二人上げろと言われたら、百人中百人が高木貞治と岡潔の名を上げるだろう)。
昭和22年の4月18日という日付をもつ高木宛の手紙は非常に重要である。
その中に、前年までの研究で解明されていない問題が二つあることが書かれているからである。
それは、次の二つである。
Prob.E―(局所的に)Riemann面を抽象的に与えて、それを生む正則函数を求めること。
Prob.H―任意のRiemann面を(R)とし、その上の任意の点をP0とする時、
(R)はP0の近傍において、もしそれらを生む正則函数をもつならば必然的性質H'をもつか。
そして、潔はこう言う。
所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが)
其の瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、
洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、
まだ解決されて居ず用意には解けそうもない、と云ふことが分って来ますと、
何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。
本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、
理智の世界よりは、或は遙に次元が高いのではないかとさへ思はれます。
又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。
物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。
これほど研究に対する情熱と自信がほとばしり出ている言葉があるだろうか。
これだけのことを成し遂げたというのに、潔の研究はまだまだ続くのである。
この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌
「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。
これは、新たな研究の端緒を拓いたということを
(高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども)
フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。
そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、
その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである
(なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、
簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。
こうして、潔が断行した「勤めをやめて研究に専念する」という生活は確実に実を結んだ。
しかし、経済的には完全に行き詰っていた。
もはや(ニート生活のままでは)自活の道はなく、
(パンのために泣きながら)潔はそれまでかたくなに拒んでいた(奈良女子大学教授という)勤めを始めなければならなくなったのである。
春風夏雨 1965年6月
ところで、今の世相は、芸術家は美を知らず、学者は真を知らずというありさまだが、
そんなふうにさせてしまっているその本体こそ、無明というものではないか。
そして無明の働きに対して、全く警戒を忘れているのが現状ではなかろうか。
それどころではなく、無明を働かせるのが生きるということだと思っている人すら多い。
私の研究室の人たちでも、私の考えはかなりよく知ってくれているはずなのに、そんなふうに考えているのが多いらしい。
そうではない。無明をしりぞけながら進むのが「生きる」ということなのだ。
生命力は無明から来ているのではなく、むしろ無明によって邪魔されているのである。
昔から仏教では、無明を自分と思うなと教えて来たのだが、今なら無明を生命と思うなと教えた方がよさそうだ。
私はこれまで、ものの欠点を探すという意味での「批判」はきらいだといって来たが、
欠点を探してはいけないなどといわずに、文化の現状を正視して、いけないところを指摘し、消し去るのは、
非常に大切なことではないかと近ごろ思っている。その気になれば私はもともとその方は得意なのである。
悪いものをみつけて指摘するだんになると
「大将師直いずくにか。彼のこうべを取らずんば、再び生きて還るまじ」と勇気りんりんとしてくる。
「徹底的につきとめてやるぞ」という気持である。だから(美と無明を同居させる)ピカソを見てもすぐにわかったのだと思う。
それなら、(自分の果たすべき役割として)慈悲の菩薩よりも不動明王をかって出た方がよさそうである。
禅の方で「是心是仏」という言葉がある。これはいいかえれば
「真善美はみな君の心の中にある。それを求めて向上せよ」ということである。
しかし、人の顔の中の無明が見えない現状では、向上などといってもわかりはしない。
真善美のわからない者に向上せよといっても、向上のしようがない。
なまじっか真善美がわかると思って、その道を進むのがいちばんいけないので、
たとえば、ある程度絵がわかるばかりに、それ以上のレベルの絵がわからなくなる。
浪花節がわかるという程度で安心しておれば、
(第二の心特に真情の水の流れに気づかず依存しているのに、第一の心特に末那識における世間智を誤って主体にしてしまい)
人情大臣以上には出ない。これでは向上とは逆の結果になってしまう。
正法眼蔵
私が『正法眼蔵』を買ったのは満州事変が終わって日支事変がまだ始まっていない頃である。
そしてこれを十数年座右に置いた。そうすると終戦後二年くらいになった。
私は『正法眼蔵』の扉は「心不可得」だと思った。その扉を開く鍵は「生死去来」だと思った。
この鍵ならば私はもう持っている。過去世が懐かしくて仕方がないのである。
ある日私はじっと座って思いをこの「生死去来」の四字に凝し続けていた。
時はどんどん流れていっただろう。
と、突然私は僧たちにかつぎ込まれた。
見るとそこは禅寺の一室、中央に一人の禅師が立ち、左右に僧が列立している。
私はその人が道元禅師であることが直覚的にわかった。
畳を踏んで禅師に近づくと、まるで打たれるような威儀でしばらく顔が上げられなかった。
顔を上げると禅師は私に無言の御説法をして下さった。
無言の御説法というのは不思議なものでそれが続いているうちは私は絶えず不思議な圧力を感じ続けていた。
やがてまた畳を踏んで退き、僧たちにかつぎ出された。
われに返ると私は部屋の畳に座り続けていたのだが、足の裏にはまだ寺院の畳をふんだ感触が残っていた。
以後私は『正法眼蔵』はどこを開いても手に取るようにわかる。
しかしこれは言葉には言えない(絵のような本であるため)。
このことは今日に到っても少しも変わらない。
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学
プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、
前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。
(第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、
理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、
ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。
フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という
数論幾何の本を出したときのことである。
この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、
ジーゲルはこの書物の記述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、
「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。
「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。
ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。
昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。
『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」と、いきなり尋ねてきたという。
ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、
心から共感し、共鳴していたのである。
第十論文
この序文では技術上の細部には立ち入らずに、
私がこの論文を書き終えて感じていることを説明するために、
遠い昔から日本民族に固有の感情である季節感に訴えたいと思う。
今日の数学の進展には抽象に向かう傾向が見られる。
われわれの研究分野においてさえも、諸定理はますます一般的になり、
それらのうちのいくつかは複素変数の空間から離れてしまった。
私はこれは冬だと感じた。
私は長い間、もう一度春がめぐってくるのを待ち続けた。
そうして春の気配を感じさせてくれる研究をしたいと思った。
この論文は一番はじめに摘まれた果実である。
268 考える名無しさん 2014/05/17(土) 00:17:43.15 ID:
春宵十話 1963年2月
数学の世界で第二次大戦の五、六年前から出てきた傾向は「抽象化」で、
内容の細かい点は抜く代わりに一般性を持つのが喜ばれた。
それは戦後さらに著しくなっている。
風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。
こういうところもいいが、人の住めるところではない。
そこで私は一つ季節を回してやろうと思って、
早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。
※265訂正 偏在→遍在
グループ
ファクション
セクト
フリーダム
保守
リバティ
進歩
形態主義イデオロギー
権威主義オーソリタリアニズム
結束主義ファシズム
全体主義トータリタリアニズム
人種主義レイシズム
国民社会主義
国家社会主義
修正社会主義
資本改良主義
修正的社会主義
修正資本主義
修正的社会主義(人間的社会主義)
修正的社会主義(新社会主義)
小林秀雄「学生との対話」
小林:僕は教育者じゃないから、教師としては人の前に現れません。
そんな資格を僕が持っているとは思わない。
僕はまあ、隠居だな(笑)。
横丁の隠居でいたほうが、何かをすることができるのではないかと自分で思っています。
いろんな人にいろんな素質がありますよ。
271 考える名無しさん 2014/06/03(火) 04:14:33.29 ID:
小林:自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。
僕はそういうことも考えたこともある。
正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。
自分が死のうと覚悟したときに、やっぱり人を殺す覚悟をしますな。
そうじゃないですか。
小林:僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか。
僕は学校の先生をしていたことがあって、「質問は?」とよく学生に訊いたものです。
すると誰かが質問するね。「何だ、おまえ、なぜそんな質問をするか」と怒ったりした(笑)。
そういう覚えがあります。実際、質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる。
学生:私は大学で自然科学の勉強をしています。
自然科学は、「事実の解明」ということが最大の目的ですが、
そういう学問の性格と、私自身が信念を持って生きていくということは、どのように関わりあうものでしょうか。
小林:あなたは、信念と知識が対立することに不安を持っているのですね。
孔子は「知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず」と言っています。
知るというだけでは、大したことはないのです。
知ることが楽しみにならなければ、つまり、喜びにならなければ、知ってもしようがない。
信念があるとは、喜びがあるということです。
僕が若い人の質問を受けて一番困るのは、「好む」とか「喜ぶ」とかが基とならないで、
ただ「知る」ということから質問されることです。
偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。
その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。
科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、
その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、
逆にこの喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。
小林:ソクラテスの「無知の知」と孔子の「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり」とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。
偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。
そしてみな大変やさしいことをいっています。
本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。
真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。
現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。
そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを、私は強く感じます。
たとえばデカルトには、何か近代人の及びもつかない単純性がある。
明るくて、建設的なものがあり、陰気なものは影も形もないのです。
けれども、現代の思想には、憂鬱、皮肉、裏面、女々しさが倒錯して第一義にあるかのようです。
デカルトには実に男性的なものがあって、そこに私はひかれます。
徳川の勃興期の儒学などにも、明るさと単純さがありますよ。
本居宣長もそうです。大変明るくて、皮肉とか陰気とかいうものがまったくない。自分の仕事を信じきっているのです。
現代に欠けている一番重大なものは、そういうものではないかと思っています。
胡蘭成「岡潔集 第5巻しおり」
私は岡潔先生に叱られたことがある。
去る秋、和歌山の座談会で、私は学生の質問に答えるに、
アインシュタインの相対論がニュートンの力学より複雑、進歩であったと言った途端に、
これは俗説、口のすべりだったなと自ら気にするが早いか、岡先生の怒鳴に遇った。
『バカ、何がアインシュタインの相対論はニュートンの力学より進歩した、何が進歩して複雑になるもんか、進歩しては単純になるのだ』と叱った。
※本当の進歩とは、>>2のように、無限に捨てることで無限に自ずと向上していくということです。
唯識論であれば、…、10、9、8、7、…と行くのではなく、…、7、8、9、10、…と行くのです。
276 考える名無しさん 2014/06/18(水) 21:31:53.46 ID:
人は極端になにかをやれば、必ず好きになる。好きにならないのがむしろ不思議だ。って岡は言ってるもんな。
277 考える名無しさん [sage] 2014/06/19(木) 01:29:17.69 ID:
例えば2chとかねw
戦後、日本酒の個性が無くなって甘くなったし不味くなったって小林秀雄が言っとったわ
ワインやウイスキーは良くなったけど
279 考える名無しさん 2014/06/19(木) 04:08:49.03 ID:
物を生かすのを忘れて、技術的につくりだす方ばかりをやりだしたから日本酒が不味くなったんやろうな
小林秀雄「学生との対話」
女子学生:先生のお仕事は非常に多岐にわたっておられて、
初期はフランス文学、そののち近代文学の評論とか音楽や美術などについて書かれ、
そして最近は本居宣長という古典のご研究をされたわけですが、
そのお仕事の中にはやはり一貫して流れているものがあるのだと思います。
先生が、こう言っては失礼かもしれませんが、人生の秋を迎えられた時、
宣長という人物の研究をせざるをえなかった、その由縁、いきさつをお伺いしたいのです。
小林:これは非常に簡単なことでしてね、自分の一生というものを振り返ってみますと、僕は計画が立たない男です。
計画を立てて何かをしたということは、まずないんですよ。
その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にか宣長さんにまで向いていったのです。
僕の仕事は、何か一つの感動とか、ある直覚とか、そんなものがいつでも先にあるのです。
はじめに、漠然としたものかもしれないけれども、明瞭な感動があるんです。
そういう感動に次、次、次とこう連なって出会ってきた。
これは計画ではないですね。僕はついに計画が立たなかったな。
女子学生:その計画のなさというなかにも、振り返ってみられて、
一筋通っている道というものを先生は意識されておられませんか。
小林:行き当たりばったり、というのが人生というものではないかな。僕はそんなふうに思うんです。
ただ、計画的な学問というのはありますよ。学問を究めるために一生、ある道を計画的に進んでいく例はたくさんありますが、
僕みたいな生き方のほうが普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思えます。
どうしてこんなふうに生きてきたのか振り返った時に、自分がこうなった原因がどこかにあったような気がするだけではないのですかね。
よく僕は、お前のやってきたことを書けと言われるのですが、困ってしまうのです。
無計画にやってきて、その結果こんなふうになっただけだから、うまく書けないんですね。
小林:だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。
ただ、感動から始めたということだけは間違いない。
感動というものは、いつでも統一されているものです。分裂した感動なんてありません。
感動する時には、世界はなくなるものです。
感動した時には、どんな莫迦でも、いつも自分自身になるのです。
これは天与の知恵だね。人間というのは、そういう生まれつきのものなのだな。
感動しなければ、人間はいつでも分裂しています。
だけど、感動している時には、世界はなくなって、自分自身と一つになれる。
自分自身になるというのは、完全なものです。
莫迦は莫迦なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものになるのです。
つまり、感動している正体こそが個性ということですよ。
僕の書くものはいつでも感動から始めました。
だから、書いたものの中にいつの間にか僕というものが出てくる。
感動の結果として主観が出てくる。
感動がどこかからやってきたのです。
ですから、あなたのご質問のように、なぜこういうふうになったかという筋道を辿ることはできないのだね。
女子学生:読む側としては、先生の作品一つ一つを丁寧に読んでいけば、
そこに先生のご一生がある、ご生涯を辿ることができると思いながら読むことにします。
小林:いや、そうお褒めに与かっちゃあ、恐縮しちゃいますがね(笑)。
新社会主義
※旧社会党の解党時にできた新社会党の政策とは似て非なる政策です。
社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、
すべての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。
これをしなければ民主主義とは言えない。
しかるに自民党屋はそれをせず、社会党屋は逆に労働者階級というものを固執して、
日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている。「新社会党」の生まれざるを得ないゆえんである。
あなた方は日露戦争前、広瀬中佐の喜びに満ちた生活を露都で見たロシア娘が、
これがほんとうのよろこびというものかとすっかり慕うようになって、
中佐戦死の報を聞いて後一年間ぐらいは亡き人を慕う心をおさえることができなかったという話しを知っていますか。
わかりやすく言えばロシア娘がべたぼれにほれたのである。日本でも江戸時代は恋わずらいで死んだ娘が何人もいる。
ロシア娘の話しは石原慎太郎氏によって知った。
真の喜びは必ず心の安定と生き生きとした生きがいとを伴うものなのである。菩薩道だからそうなるのである。
娘はそれにひかれたのである。
終戦後は物質主義から生まれた個人主義(閉鎖主義)、
さらにそこから生まれた積極的・消極的利己主義を文章に書いて日本国憲法の原文とし、
それによって憲法法律を作っただけではなく、米人デューイの思想で裏打ちして、
社会通念を作り、新学制を作ったのである。
この方針の教育で京都や博多の日教組の先生たちに教えさせると、「にこりともしない娘」を作ってしまう。
こんな娘に、真の女性の幸福が欲しければ感覚の世界に住んではいけない、情緒の世界に住みなさいと教えてもわかるだろうか。
今の日本は散々にもつれた糸巻きのようなものである。まちがっているところを指摘しようと思えばいくらでもある。
しかしそれをしても無意味であろう。
問題はどこから解きほぐすとうまく全体がほぐれるかということである。
私は前にちょっと言ったように社会主義を新社会主義に変えるところから手をつけていくとよいということを最近やっと発見したのである。
もう一度言うと、日本における新社会主義の真義は日本という国から労働者階級というものを雲散霧消させるにある。
これが「新社会主義」である。
なぜ私は日本ではそれができるに違いないと思っているかというと、それが「神道」だからである。
新社会主義から実践して行けば、もつれてしまった糸巻きの糸のようなこの国の人の心がうまく解きほぐされよう。
日本が神国だと信じることができた軍国主義の戦前が、ばかだったと思いながらも、懐かしい人たちに言いたい。
内宮さまがほんとうにお望みになっていたのは、この民主主義の本義である。
日本が神国であるというのは、内宮さまのこのお望みを国が実行しようとすれば、
八百万の神々が必ず力を貸すということである。この望みが達成せられないわけはないのである。
私は日本民族の歴史を精しく(くわしく)しらべて、今では確かにそうだと言い切ることができる。
日本民族三十万年の歴史は、前半二十万年ほどは神々はかような内宮さま、外宮さまを生み出すことに努力している。
後半十万年はその内宮さま、外宮さまの御光が遍くこの国の人たちに届くようにと実に苦心している。
日本歴史をそのつもりで見れば、四次元の絵にたとえると、神々の運筆の霊妙さにただただ驚くばかりである。今度の敗戦もそうである。
あなた方は日本が神国だという意味が少しおわかりになったでしょうか。
もしそれを実証したければ、政治の目標をしばらくこの新社会主義の実現にしぼって下さい。
人々の心がさらりと解けていきますから。それが証拠です。
そしたらやはり日本は神国だという気がしてきます。
もっと確かな証拠が欲しいとお思いでしょうが、神々はそれを欲しないのです。
日本が神国だと知ってもらうと新社会主義を心から実践できる。
日本はやはり神国であったかと知るためにはともかく新社会主義を実践してみて欲しい。
私はそう言っているのである。
国を良くする基
武士道の多くの人たちが命を捨て、高知の坂本龍馬といった解脱した人たちも働いて、
もちろん働いたのは龍馬一人ではないでしょうが、
解脱した人の足跡はわかりにくく、はっきりしているのは龍馬一人だからあげるのですが、
ともかくそういう人たちが働いて明治維新ができます。
つまり、憲法が発布され議会も開かれ、それが今日に至っているわけです。
ところが、前に言ったように明治以降、文学的にみても大いなる喜びというのがない。
なぜこんなにおかしなことになってしまったのだろうか。
江戸時代には明確な階級制がありました。
この階級制度というのは、家康が自分の子孫が長く幕府をやっていられるようにというので考案したものです。
この関係は、単にそれが全体にあっただけでなしに、各藩内でもそれが厳しくあった。
土佐、山内藩にはことにそれがひどかった。
なぜかというと、あそこは掛川一万石から一躍二十万石余りになったのだが、
土佐藩にはそれまで長曽我部の家来だった郷士と、山内家の家来だった上士という二つの系列があって、
この郷士と上士の差別が実に徹底していたということです。
坂本龍馬は郷士の家に生まれていますが、
彼は「アメリカでは女中のはしばしまでが大統領を選ぶ権利があるのだというが、ええのう」と、こう言っている。
本当に良い政治を実現するには、女中のはしばしまで龍馬のような心を持たせなければいけないわけです。
つまり、制度と心の両方あってはじめて「ええのう」になるのです。
龍馬は、みんな人は自分のような心だと思った。
ただ、政治形態が日本、とりわけ土佐藩になくてアメリカにあったから――これは勝海舟かなんかに話を聞いたのでしょう。
それで「ええのう」と言ったのです。
しかし明治以降、長い間にこの龍馬の憧れは実現してきている。
つまり、半分だけは明治維新はできたわけです。ですが、残り半分が残っています。
今、日本の政治の形式では、一人一人が一票を持っている。
とすれば政治的に日本の国を良くするのは何かというと、
一番影響を与えるのはつまるところ、各人の道徳的価値判断になるわけです。
一票をどう入れるかということで一番変わる。
従ってこの政治形態をそのまま守り抜くなら、
国を良くするも悪くするも一番関係するのは道徳的価値判断ということです。
これが最も大切で、理想としては龍馬のような解脱した人にもっていくべきです。
だから目標に少しでも善い人を善い人をというのが国のうまくいく所以でしょう。
政治形態を変えればこれが易々とできると考えたところに、
龍馬ら、その後をずっと続いてきた人たちの大変大きな誤りがある。
日本民族というのはどういう心の色彩りの民族なのか、我々は川の流れるままに流れてここに来ています。
日本は儒教、仏教と千三百年真剣にやってきて、しかし小我を抑えることはうまくいかなかった。
これは非常に難しい。
けれどそうする以外に、つまり小我を抑える以外にはこのままの政治形態で国を良くする方法がない。
それを知っていただきたいと思います。
コーヒー、まだ来ない?
(岡潔)
あなた、懐かしさありますか。
精神分裂病(統合失調症)っていうのがあるでしょう。ボヤーッとする!(笑)
懐かしさが足りない。前世に利己的過ぎる。ただボヤーッとする!
それが懐かしさです。だから利己主義であっちゃあ駄目なんです。
懐かしさが足りなくなる。分かりますか。
精神分裂病なんて、症状だけ良くなっても、本心からは治らないですよ、あんな者ちょっと。
前世でひどく利己的だった。それで初めから、粘土でいえばサクサクした粘土。それで、ある所へ来て破綻が出る。
そしたらボヤーッとする。まとまらない。
懐かしさって言葉でいったって内容分からんでしょう。それを知らなきゃいかん。
人は一個の有機体と普通言ってますが、一つの「もの」でしょう。
何故、一つの「もの」にまとまってるのかと思わないといけない。
懐かしさです。足りないと精神が分裂する。
※精神疾患についてはごくごく大雑把に言うと、
自他対立するのが統合失調症、自他対立しないのが躁鬱病、
阿頼耶識にいる幽霊に憑依されてしまうのが癲癇となります。
(質問)
先生は今までの長い人生の中で、一番自分の弱さというものを感じたことがおありですか。
(岡潔)
ありません。私は日本が滅びなければ良い!それ以外、何も考えてやしない。
弱さも強さもない!だから偉さもない!大体、「自分の」ってものがない!
自己を見い出すなんちゅうのは意識通してるでしょう。
意識を通さんていう分り方ができるのが分らんていう人は、六十日ぐらいの赤ん坊を見てごらんなさい。
自己を見い出すなんていうのはもう前頭葉なん!懐かしくて仕方がないんです。
そこに主宰性はあっても、自己なんてものはない!
自己を見い出すなんていうのは最もいかん!そう教えるから困る!
それは前頭葉、だから意識を通さんといってる。赤ん坊は自己を見い出してますか!
あなたは前頭葉しか知らん!容易に治りません。(爆笑)
徹底的に分らん!意識って何か分らんでしょう。というのは無意識になったことないんだから。
(岡潔)
本当に大切なことは言葉では言い表せないという、それを知りなさい。
君、実感て何かわかってんのか。
(質問)
はい。やっぱり、あのう、先生、どういうんですか、悲しいと思った時に涙が出るとか。
(岡潔)
そんなの実感じゃない!全然、わかってないんだから。
(質問)
わかってないと思いますか。
(岡潔)
それは感情だ。あのう、わかってやせんのにわかったと思うのが一番いけない。
僕の本をわかってないとこをわかってないとして読みなさい。そしたら、わかって来ることもあるから。
季節感は実感です!だから僕は「秋風が吹けば、もの悲しい」と書いたんです。
あれは実感です、私(わたくし)の入れようがない。涙はうれしい時に出るんです!
これが頭頂葉。悲しい時に出れば前頭葉。それで見分けたらいい。
松岡正剛の千夜千冊 947夜
情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
「自分」がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして「自分」に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。
これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、
この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。
たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。
※947夜は春宵十話についてでしたが、別な岡の著書についても触れられていました。
逸品!「岡潔博士みやげ作品」企画展~JR橋本駅
和歌山県橋本市の名誉市民で世界的な数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)直筆の
俳句・短歌・金言を記した木工芸品を紹介する、
第1回特別企画展「岡潔博士のみやげ作品展」が、同市古佐田のJR橋本駅改札口前のショーケースで開かれている。
制作者の橋本市岡潔数学WAVE役員・奥村浩章(おくむら・ひろあき)さんは
「日本人の情(じょう)を最も大切にした、岡博士の思想を、ぜひ、作品から感じてほしい」と言っている。
9月20日(土)まで。観賞無料。
展示されているのは、岡博士の顔のイラストや、直筆の俳句・短歌・金言などを記した額(がく)や団扇(うちわ)、
風鈴短冊(ふうりんたんざく)、栞(しおり)など約40点で、
南部(なんぶ)風鈴以外は高野杉を使用、奥村さん独自の特許技術で、優雅に仕上げられている。
木工作品に記された俳句は、例えば「めぐり来て梅懐かしき匂ひかな」「秋来ぬとひとり蛙を聞く夜かな」、
短歌は「かす漬の海豚にビールや夏の風」など、そこには自然感や季節感があふれている。
金言は「私が初めて道徳教育を受けたのは、数え年五つの時だった。
これは祖父から受けたもので、一口にいえば『ひとを先にして、自分をあとにせよ』という教育だった」と、
人間にとっての大切な生き方、心がけを簡潔明瞭に説いている。
これらは、岡博士の著書「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」「春風夏雨(しゅんぷうかう)」などから抜粋、
岡家の承諾を得たうえで、直筆を作品に生かした。
また、地元の童話作家・佐藤律子(さとう・りつこ)さん著の伝記絵本「岡潔博士ってだーれ?」も展示されている。
この橋本駅改札口前のショーケースは、橋本市観光協会がJR西日本の協力を得て、
いわば「常設展」として、国の伝統的工芸品・紀州へら竿や、地場産業・高野口のパイル織物などを展示してきたが、
「今後はもっと郷土自慢の品々を見てもらおう」と、今回から「特別企画展」に変更した。
奥村さんは「岡博士は数学の世界的な難問を見事解決し、文化勲章受の章者ですが、
それとともに岡博士は人類の正しい生き方を説き、日本人にしか持ち合わせていない〝情の世界〟を最も評価された先哲です」と強調。
「橋本駅に来られた際は、ぜひ、木工作品をご覧になり、岡博士の思想に触れてほしい」と言っている。
(2014年8月15日 橋本新聞)
結婚式での、碁の話で盛り上がるエピソード好き。
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岡博士の「感情の世界」を、哲学的論理として、もう少し具体的に
説明を願います。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の一)
「我嫌悪ス、故ニ我有リ」
経済学部二年 男子学生
朝起きる。カーテンのすき間から差し込む陽の中に細菌のようなホコリが舞っている。
めざめればめざめるで混乱と汚濁の波が押し寄せて来る。「お早う醜い世界よ人生よ」
求めるのは明晰と云う快楽なのに、現実はどうにもならない雑音と絶望的にまとまりのない雑多なモノ、物、者、つまり……「死刑」だ。
電話をしなければならない。電話ボックスをさがす。マーケットの地下の赤電話。
めざす電話のまわりに、これはどうしたことか中年の女が十数人群れている。
グループで旅行か、妙にウキウキとペチャペチャとけたたましい会話である。地獄でもパック旅行へ行きやがれ。
とうていそこで電話などする気になれず、人工的なナマアタタカイ陽の中をなるべく汚い空気を吸わないように街を歩いて行く。
なんだか顔中にクモの巣がかかったような不快な気分だったのである。
電話をみつける。番号を書いたノートがカバンの中からなかなか出てこない。
「ウニー、引きちぎってやるか、このズタブクロ」やっと取り出してペラペラページをめくっていると、
はさんであった、たった一通のラブレターらしきものが地面に落ちる。「ほんとかよ、神様!」
人生はどうしてこうドジなのだ。地に落ちた物を拾う人間のみじめさよ。
たかが電話をかけるだけで人間はこんな業苦を味わわなければならないのです。
「あーもしもし」。舌がもつれてうまくしゃべれない。声帯がやぶれた笛みたいに不安定で不快だ。
ド ド ドモル。「馬鹿にするな、本当に」
ノート、ノート、ノート。学生にはノートは絶対必要。
ノート、ノート、ペン、ペン!あーあ、かかえていたカバンの上から上着がズリ落ちる。
「クソー、殺セーッ!」心臓はドクドクドクと不愉快をそのまゝのオフビートで打つし、体中の血管がヒクヒクとあえぎ、
たかが電話するだけで、油汗たらしてこのしまつだ。
考えてみると電話というものは更に便利だけど、またその便利さを知っているが故の不便さもある。
とかく文明の利器とやらはそういうものであろう。
自宅に電話がない場合にはいちいち外に出掛けていかなければならないし、雨降りの時などは億劫でしようがない。
ましてや十円玉がない時など、タバコの自動販売機でハイライトを二つ三つ買って、その釣銭を集めねばならない。
ハイライト党ならともかく、他の党の人達はどうなることやら。
それも百円玉が昔なら一枚、今なら二枚も使わなければならず、
百円玉もない場合は夜更けの暗闇にひとり青白く光っている女神様のような公衆電話ボックスを恨みがましく思い描かねばならない。
なければないですむのだけど、思いたったときしか、また電話などめんどうくさいもの。
ダイヤルを廻す。すると呼び出し音が聞こえ、相手が出て来る。もしもし……。
ぼくの声は相手のすぐ耳許で聞こえるだろう。たぶんすぐ隣りで話しかけるよりもよく聞えるだろう。
ぼくの声は、その音波に応じた電流に変られ、電話線にのり、近くの電信柱の碍子(がいし)を横切り、
途中どこかの街を通り、見知らぬ家々を飛びこえ、相手の受話器にほんの数秒でとどく。
もしできることなら、その電流の通った電線の上をどこまでも歩いていきたい。きっと素晴らしい旅になると思う。
そんな夢に反して、もう心はズタズタだ。
汚い街よ、汚い人間よ、其の中を歩いて行くだけだって立派な冒険小説が千本も書けるのに。
太平洋一人ぼっち。大都会全部ぼっち。
駅の階段をのぼる。「おい、ぶつかるな、触るなオレに。ナマ温い醜い体温こそ、最悪のブルースリーだ。」
人間の有史以来、ラッシュの駅の階段程、みじめで薄ぎたなく苦痛な空間はない。
あわれな階段、はずかしめられた階段、階段よ反乱を起こせ。起って人間をコンクリートにたたきつぶせ。
醜い人間だが、大量の血だけがかろうじて許せる美をもつ。
電車にのる。妙な位置に立っている奴がいるので肩がぶつかり落着きがわるい。
中があいているので入ってしまおうとするが、新聞を拡げて立ちふさがっている。濡れた傘を無神経にぶっつけてくる。
衝突せよ。ダンプにだろうが、なんだろうが。
まわたで首をしめられる不快よりは、ポーンとあっさり一丁あがりのほうが親切というものです。
それにしても周囲を見わたしてみると、みんな素知らぬ顔をして平然としている。
さて、今日もこれから一日が始まるのです。
「モーターボートの収益金は明るい国づくり、豊かな暮しのために役立っています」。
まずはともかく、やり切れぬ現実と「ひと目会うその日から、殺意の花咲くこともあるが」、へたに刺せば刃物が腐る。
そして十代や二十代の人ばかりでなく、三十代四十代でいまだにグレている人間がいるから気をつけましょう。
また世の中をスネた考えばかりでなく、人とは美しいものである。これを考えて見る必要があるのではなかろうか。
以下(「春雨の曲」の)著者の言。
人の「こころ」には三種類ある。真心、第一種マナ識、第二種マナ識。
真心は造化の心即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」の末流であって、
生物が生きているのはそのためである。人の場合はこのこころは植物性神経系を使っている。
第二種マナ識とはこれとは全く異質のこころであって、動きもすれば彼らなりに雰囲気もわかるが、
生きているわけでもなければ、人のこころがわかるわけでもない。
わたしは且つてα₁⁰にこんな白昼夢を見せて貰ったことがある。
わたしの部屋のテーブルが自分の上に、わたしの好みのコーヒーと角砂糖とミルクとを載せて、
足も動かさないで滑るように動いてわたしの前へ来た。
このテーブルの主人公が第二種マナ識である。天上ではこの心を使って、スマートな機械を造っている。
造化は主としてこの心を使って人の「からだ」(第七識中、下層)を作ったのであって、
前五識即ち眼、耳、鼻、舌、身はこれに属する。
人が第七識下層にいるとは、この心が其の人の主人公になっていると云う意味である。
スポーツを奨励し過ぎたり、衝動判断を奨励したり、善悪を快不快によって判断させたりしていると、
人はこの第二種マナ識の国へ行ってしまうだろう。新学制を根本から改めなければならぬ所以である。
※α??はα01に訂正。
日本民族の人は然し、西洋型無明に冒されているために第七識下層にいるのだから時が来れば目が覚める。
現に此の文の筆者には、文の末段に自覚の曙光が仄かに見える。
一般に云って其の人の大脳前頭葉と云うフィルムで造化の放送する無相の情景をテレビ写真に撮れば、
此の人の場合にはこんな文章となって現像されるのである。
この文の描いている情景は(携帯電話やスマートフォンの無い時代に)朝起きて電話を掛けに行ったと云うごく簡単な出来事である。
読んで見ると中々文才があるが、悲願が支離滅裂である。この人はビールス型無明(ウイルス型無明)に冒されているのである。
(帰郷してからの言葉。本当はこの文章は造化の無相の二尊T-Aがお撮りになったテレビ写真の現像です。
造化のお使いになっている有相のフィルムは、第十五識、第十四識、第十二識、第十一識、第九識、第七識(純即ち上層)の五種類です。
これは「朝の電話」とでも題すべき情景でビールス型無明の患者の典型です。一々言いませんが以下の文例はすべてそうです。)
「ここから何時も」より ガン
前頭葉(第1の心)なしにはガンは起こらん。これが本質的なことです。
無理にこしらえることはできる。が、自然発生のガンは前頭葉を持たない動物にはない。欲界です、これは。(省略)
頭頂葉(第2の心)なんかが肉体を支配するのが正しい。私はそうなってるとガンは起こらないと思います。
少なくとも頭頂葉が体を支配してたら、無闇に背が伸びたり、おかしな顔つきになったり、そういうことは決して起こらない。
頭頂葉が支配しないから、前頭葉がいろんなこと言いだすんです。欲界の心がね、ここは欲界なんです。
※前頭葉が暴走して植物神経系(自律神経系)のうち交感神経優位になると、
細菌と比べてのウイルスの相対的増加、リンパ球と比べての顆粒球の相対的増加、便秘などに繋がり、発癌に直結します。
「マガジン9 みんなのこえvol294」より 養老孟司氏に進言する。
※法学も医学も第七識下層という前提です。
最近、『アエラ』に発表された解剖学者養老孟司氏の福島原発事故に関する文章を読んだ。
彼はこの中で、原発推進派も原発反対派も喧嘩両成敗であるかのような主旨のことを書いている。
こんな養老氏に比べれば、今回の事故をきっかけに、
原発賛成派から反対派に転じた「つくる会」の創設者の一人であった西尾幹二氏の方がずっと潔い。
養老氏には自分の間違いを認める勇気がないらしい。
私はこの文章を読んで、かつて歴史学者の羽仁五郎が文化勲章受賞の数学者岡潔を評して
「数学の世界ではどれほどの権威か知らないが、こと世の中のこと、
社会のことになるとまるで田舎の巡査みたいなことを言い出す」と言っていたのを思い出した。
この羽仁五郎の言葉はそのまま養老孟司氏に当てはまる。
養老孟司氏よ、『バカの壁』のような愚書を出したり、
今回のような妄言を書くくらいなら解剖学に専念するか、
虫でも追いかけていた方がずっと世のため人のためになると進言したい。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の二)(第8稿では第五識)
「日本の農奴制」
経済学部二年 男子学生
紀元前二世紀頃から日本に於て文化の歴史が開始された。
そして世界と同じように、日本に於ても最初の文化人は農民だったのである。
そしてこれらの古代日本の人民、農民の残した土器の美しさにも表わされている彼等の生活の美しさははるかに遅れながらも、
世界の人民原始農民のそれにつらなっていた。
当時の日本人民も世界の原始社会に於て推定された生活をしていたと推定される。
その氏族社会としての性格、その原始共産社会としての性格、分業は既に始まっていたが、
支配者と支配されるものとの階級の差別はなく、氏族のメンバーとしての総ての男女が原始的な自由平等友愛に於て、
絶えず会議をして、その原始社会を運営していた状態が未だ不完全だが学問的に推定されつつあり、
今後、さらに詳細に推定されるだろう。
世界の人類の原始氏族社会が、そこに於ける生産力発達につれて崩壊して、
そこに少数の支配者が人民の多数を奴隷として所有し使役する古代奴隷社会が現われたように、日本に於ても魏志倭人伝によれば、
紀元一世紀頃から人民の多数が少数の支配者によって所有され使役されるに到ったことが知られる。
日本の古代奴隷社会は、その特色を持っている。
そして、この特色をもって、日本の古代に奴隷はいたが、人民の多数が奴隷として支配されていたのではなく、
したがって日本古代を奴隷社会として規定することはむつかしい、とする研究者達の説がある。
が、これらの説はちがっているとみられる。
第一に古代の日本に於て、人民の男女が公然と奴隷として公認され、売買され所有され、
当時の主要の生産としての農業にこれらの奴隷が使役されていた証拠がある。
第二に、これらの奴隷の数が、人口の総数に比べて、むしろ多数ではなく、
古代ギリシャに於ては全人口の九割内外が奴隷であったのに比べて
古代日本に於ては全人口の二割内外が奴隷であったに過ぎなかったことは事実であるが、
それと同時に、見落してはならないことは、日本の場合には奴隷が極めて少数の特権的支配者の手に集中的に所有され、
即ち全国民の生産又は富の程度は非常に低く貧しかったのに、その程度の生産が特権階級の手に集中的に所有され、
全人口的には数の多くない奴隷が極めて少数の特権階級、
天皇及び其の周囲の貴族又地方の豪族などの手には実に大量に数十または数百、数千人というように集中させていた事実である。
そして第三に、特権階級の支配としての古代日本天皇制の下に、
日本人民の大多数は実質的に奴隷として又は奴隷に近い状態として、いわゆる部民として世襲的に支配されていたのである。
ゆえに、日本の古代社会がまぎれもない奴隷社会であり、しかも非常に残酷な性格を持っていた奴隷社会であったことがはっきりわかるのである。
日本の古代の社会の奴隷制も日本の原始的な氏族社会の崩壊のあとに、新たに成立したものであったが、
そこに氏族社会末期の社会関係の残存または癒着が外被として利用され、ここに日本のいわゆる氏族制度というものが形成されていた。
従来の日本の歴史家がこの氏族制度を氏族社会と混同していた理由もここにあった。
氏族社会は原始的平等を本質としたものであったが、氏族制度は階級制度を本質とし、
氏族社会の崩壊後に発生した奴隷制を基礎とした社会であった。
ところが日本に於ては、そこに氏族社会の残存がヨーロッパの古代に於けるように完全に清掃されずその残存の癒着の外被の下に、
氏姓階級という支配階級が形成され、その下に、当時の日本の人民の大多数が、あるいは純然たる奴隷として、
いわゆる氏上すなわち氏及び姓という特権的位階を持つ階級に直接隷属して労役に服し、
売買はされないが贈与されることはあった部民すなわち実質的の奴隷に近い隷属民として、
又はこの部民と同等の社会的地位に置かれたいわゆる戸すなわち半奴隷的な人民として支配されたのであった。
その間に、日本の人民がこうして氏族制特権階級のために奴隷として支配されることに対し、
しきりに反抗反乱するに到った事実は、古事記や日本書紀などにも表われているが、
これ等の奴隷反乱に対し、貴族豪族は個々別々ではそれらの奴隷反乱としての人民の反抗を圧服出来なくなるとともに、
ついにこれらの貴族豪族が連合して、この日本人民の奴隷反乱を圧倒しようとした。
この日本人民の反抗としての奴隷反乱の弾圧のための豪族連合、
ここに日本武尊の東征とか四道将軍とかのいわゆる諸国平定の物語りは、
歴史的記事ではなく、天皇の支配を恒久かつ強力に見せかけようとした製作であったが、
そこにも奴隷反乱弾圧の体系の中心としての天皇制の起源と本質とが表わされた。
古事記、日本書紀にしばしば天皇が恐ろしい人物として残虐極まりない行為をもって記されていることについて従来の研究者の説明は正確でない。
これらの記事は、古事記・日本書紀が客観的な歴史叙述であることを示している。などといった説は馬鹿気ている。
正しい解釈は次のように考える外あるまい。
即ち、日本人民が奴隷として支配される生活に反抗し反乱するようなことをすれば、いかに恐ろしい目にあわなければならないか、
このことを日本人民に対して威嚇するために、
日本天皇は充分に恐ろしい残虐な専制支配者として示される必要があり、
又そうした事実があっただろう。
ヨーロッパの古代の社会は、奴隷制に基礎しつつ、農業及び商工業の高まりにより、
氏族社会未明の残存を完全に清掃し、貴族王朝の交替又は更に進んで共和制の実現に到達したが、
日本に於ては内部の経済的発達と周囲経済的との相互作用の加速度がヨーロッパのように高まることが出来ないが、
アジア的停滞凝固のもとに、氏族社会末期の崩壊の残存癒着が外被として作用されながら、
奴隷所有者階級の集中から奴隷制国家の君主としての天皇制が成立し存続し、
そこに、そのとき既に大陸に中国に於て封建支配の社会が発達していた影響を受けて、
日本の古代奴隷社会はヨーロッパの古典古代のような発達の階段への到達を実現することなく、
原始的な階級支配としての奴隷に原始的な階級支配としての農奴制がまじった
云わば半奴隷的半農奴的段階から封建制農奴社会に移って行ってしまった。
日本にヨーロッパの古典古代のような時代が実現されたことがなかったことが、
近代に於けるヒューマニズムの問題に影響していることをここに附言して置こう。
ヨーロッパの近代のヒューマニズムは中世の封建的支配が残酷な抑圧となった時、
これに対して近代的な人間的な欲求を主張するために、
古典古代の共和制的な自由平等が愛の人間的文化の教養に助けられることができた。
しかし、日本に於てはヒューマニズムがヨーロッパに於けるように、
中世の封建的支配をハッキリと批判するに到ることができなかったし、
又その際、古典古代の共和制的な人間的文化教養に助けられるというような古典古代がなかった。
参考文献、「日本人民の歴史」、羽仁五郎著、岩波新書版。
此の文の筆者及び其のオリジナルテキストの「日本人民の歴史」の著者羽仁五郎氏は第二種マナ識の国の大衆の二人である。
真心の国に住む日本民族と常日頃見たり想ったりわかったりしている情景が全く異質のものであることを
此の文とわたしが此の節の冒頭で述べた文とを比較して知って欲しい。
日本の天皇家についてはみなさんに次の書をお読みになることをお勧めする。
「宮中見聞録」木下道雄著 新小説社、明治百年記念出版
また、胡蘭成さんと云う中国人がある。汪兆銘政府の若手のチャキチャキ、法制局長官兼情報局長官をしていて、
この政府が瓦解した時難を日本に逃れ以来最近まで長く日本にいた。
今は台湾の何処かの大学で経済学の講義をしている。
此の人は日本語で多くの著書を出して、日本や中国に西洋思想が東洋に取って如何に恐るべきものであるかを警告しているのだが、
其の中の名著「建国新書」(中日新聞、東京本社出版)でこう云っている。
「日本の政治は「祭政一致」と云い日本固有の宗教を基盤とした政治である(舜の政治がこれに相当する)。
中国の政治は「王道政治」と云い聖賢の道を基盤とした政治である(堯の政治と舜の政治がこれに相当する)。
然るに西洋の政治には全く基盤が無い。
それで古代メソポタミア民族、古代エジプト民族はもと日漢民族と同族であったが、
何しろ西洋の政治にはBedeutungが無いから自ら奴隷制度を作って自ら穢すことによって滅んでしまった。
西洋の奴隷制度はすべて此の二つの先進民族から出ているのであって、日漢民族には奴隷制度は無い。
中国の帝舜の政治も日本の天皇の御政治も皆無所有心を基盤として行われたものである。」
わたしも胡蘭成さんと全く同意見である。
天皇が奴隷制度や搾取の親玉かどうか日本歴史を辿ってみよう。
崇神天皇は「天が下を敷いて家とすべし」と云っておられる。
これは人本然の心に従って固定された自他の別無く住もうと云う意味である。
大体マナ識には真心の「固定された自他の別を持たない」と云う心境は想像することも出来ないのだろう。
仁徳天皇を時人は「聖の世」と讃えている。
舒明天皇はこう云う名歌をお詠みになっておられる。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の 今宵は鳴かず いねにけらしも
元寇の時、亀山上皇は皇祖伊勢神宮に身を以て国難に殉ぜんと祈願を凝らされた。
明治天皇を文人はこう讃えている。
降る雪や 明治は遠く なりにけり(読人不知)
聖天子 上に在る野の 長閑なる(漱石)
武蔵相模 山なき国の 小春かな(漱石)
かばかりの めでたき帝 在しける 御世も今日より 古となる(与謝野晶子)
明治天皇が神去られた(かむさられた)時、わたしは小学六年だったから知っているが、全国民は号泣したものである。
今上陛下が身を捨ててお止めにならなかったら、今度の大戦で日本は滅んでいただろう。
此の文章は感受(感動、感興、感銘)が全く麻痺してしまっていて少しも水々しさが無い。
まるで埃及(エジプト)のミイラのような感触である。
これはユダヤ型無明に冒されているのであって病は前者に比べてずっと古いように感じる。
前者には自覚の曙光が仄かに感じられたが、此の文章は夜の闇が深い。
(帰郷して後のわたしの評。これは造化に対する第一の反逆者のテレビ写真の現像である。
第一蓬来宮は既に討伐の準備をしているだろう。)
1974年5月3日
日本人は明治以後、西洋人の猿の人真似っていうか、もっと徹底的な真似してる。
だから自分で見える目を持っていて、西洋人が見なきゃ使やしない。だから西洋人の言ってる自然と同じものを見てる。
だからそういう意味に対しては、西洋人はつまりめくらだからどうしようもない。
じゃあ日本人はっていうと、目は見えるんでめくらじゃあない。しかし西洋人の真似をして見ない。
これは目はめくらじゃないんだからっていう点は良いように見えますが、
見える目を持っていながら見ないでめくらの真似をしているんですから、
こういう日本人を何と呼んだら良いでしょう。
いろいろ考えてみたんだけど、名付くるところ無し。
およそ義理にも知などという言葉を口にすることのできない動物です。
かけらも無い!一体、何を知と言ってる!
知とは知を愛するという心がある。それら抽出したものが知です。知を愛するとはどういうことかわかりますか。
今の学生見て、先生見て、わかる筈が無いと思う。
ベネディクト夫人の「菊と刀」っていうのがあると聞いてる。
そして日本人の道徳の根源は恥である、アメリカ人の道徳の根源が罪であるのと違ってると、そういうこと書いてあるに違いない。
ところがね、読んでませんが、その恥ですが、何を恥じるかということですが、西洋人が恥じるものは人目を恥じるのに決まってる。
ところが日本は、少なくとも明治以前までは、言い伝えになってからも戦前までは、「俯仰天地に恥じず」である。
だから何に恥ずるかが、つまり恥ずかしいと思う心が全然違う。
ところが、このことを言った批評家が一人もいない。
ていうのは「菊と刀」の翻訳、ベストセラーの一つだと聞いてた。
だから、どれっくらい駄目かわかるでしょう、今の日本人は。
こういうのを物真似猿っていうんだけど、名付くるところ無かったけど、何とか名前一つ要るから、物真似猿と付けた、ムーミン物語の。
前頭葉と癌の関係は?の部分が多そうだけれど
禅僧の生活は、癌の成長が遅くなると見る、転移しにくくなる可能性はある。
機械のボタンを押すのを強制されない生活をすると睡眠の質がよくなる。
316 考える名無しさん [z] 2014/09/23(火) 05:10:40.99 ID:
ちなみにタバコの害はそれほど高くない
岡潔当人も、交感神経優位のときと、副交感神経優位の時では
タバコの味が違うとおっしゃってました。
317 考える名無しさん [z] 2014/09/23(火) 06:16:06.12 ID:
病は気から、精神・身体の陰陽のバランスを観ながらタバコでも、酒でも。
岡と同じ和歌山出身の南方熊くずだって、自然と戯れながらタバコスパスパ
お酒ゴクゴクですよ。
318 考える名無しさん [z] 2014/09/24(水) 06:40:35.98 ID:
英語の義務教育化、小学校からの義務化により日本人ダメになる。
あと、アメリカの心理学では・・って一体なんだろうか?
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 精神統一
ただ、潔の精神統一の仕方は尋常ではなかった。それは、
「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらねばいけない。
それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念にしたがって生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない」
という理念に基づいているもので、まさに命がけであった。
たとえば、中学三年のある試験のことであるが、あまりにも集中しすぎた潔は、
(副交感神経が代謝性の下痢に働くだけでなく交感神経が代謝性の嘔吐にも働き)試験が終わって教室から出るや否や食べたものをみな吐いてしまい、
それから二週間ほど食事らしい食事ができなかったということがあった。
誰しも集中し過ぎて気持ちが悪くなるという経験が一度や二度はあるだろうが、潔の場合はそれが徹底していたのである。
当然、そういうことを続けることが体に良くないことは明らかである。
潔も、徹底した精神統一は非常に激しいので、大部分の人間には必要でも、
秀才を夭折させる恐れがある、医者が灸を研究して万一に備えるべきであると言っているほどだ。
320 考える名無しさん [z] 2014/09/26(金) 00:27:06.50 ID:
脳の前頭葉の加熱状態で、学生の顔つきがひどくなる。
たえず切れ切れの意思が働くという状態があぶない。
週刊新潮 平成26年10月2日号 藤原正彦の管見妄語 266
山荘でテレビのチャンネルを回していると、日本人らしき人々が妙な言葉を応酬していた。
まったく聞き取れないのだが、字幕に出た翻訳から、
青森県下に住む津軽弁と南部弁の人達が、互いの言葉がよく分らないまま悪口を言い合っているようだった。方言好きの私は釘付けになった。
青森県は戦国時代に盛岡の南部藩に属していた。ところが十六世紀後半に家臣の一人が謀反を起こし、
しばらく後に弘前藩そして弘前城を作ったため、県の中央を南北に貫く奥羽山脈の東が南部藩、西が弘前藩と二分された。
以来、両藩の間には紛争や政争が絶えず、廃藩置県により合併し青森県となったが、
今日に至るまで必ずしもしっくりとは行っていないらしい。
人間や言葉の混合がさほど進まず、旧藩の境あたりではたった二キロ離れただけで言葉がよく通じなかったりするという。
この番組でも南部側の八戸の男性は、「弘前の人間は裏切ってばかりで信用できない。そもそも新幹線も通らない田舎だ」と見下し、
弘前の若い女性は「八戸なんて魚を食べられるだけの所。外灯も三本位しかない田舎」と笑っていた。
三十年ほど前、私がテニスで腰骨にひびを入らせ入院した時、付添い婦は岩手県のおばさんだったが、
隣りのベッドの付添いである青森県のおばさんの言葉について、「わがらね」としきりにこぼしていた。
津軽と南部の喧嘩は私にとって格別のものだ。
弘前は私が最も愛した歌手奈良光枝さんの生地、従って私の聖地である。
今も彼女のCDを始終聴くし、先年には弘前を訪れ、愛する人を没後三十年も放っておいたことを墓前で詫びた。
一方の八戸近隣は、私の尊敬する「武士道」の著者、新渡戸稲造の祖父と父親とが苦労して開拓した地である。
すなわちこの喧嘩は私にとって愛人と尊師との戦いなのだ。
方言は交通機関の発達する前に形作られるものだから、アメリカにはほとんど見られず逆にヨーロッパではどの国にも見られる。
二十年余り前にアメリカで、ケンブリッジ大学B教授、ロンドン大学V教授と三人でランチをとっていた。
方言の話題になった時、Bが「イギリスではちょっと離れただけでまるっきり違う英語を話したりするんだ。
誰かがロンドン出身なら僕は半径五マイルくらいの正確さでロンドンのどこか当てられるよ」と豪語した。
二人ともロンドン出身であることを知っていた私が、「では互いにどこの出身か当ててみて」と言うと急に二人は当惑の色を浮かべた。
階級に関係するからだろうが構わず「さあ」と催促すると、互いに口ごもりながら答えた。
一方がロンドン北部の中上流地域で、他方がロンドン東部の貧しい地域だった。
共にドンピシャだった。
私は方言や郷土自慢を聞くのが大好きだ。
郷土愛は美しいし、郷土自慢は素晴らしいユーモアだ。
私自身、信州の山奥の言葉を大切にしている。毎夏一カ月、母の生家に程近い山荘で過ごすが外ではもちろん内でも方言で話す。
先祖の誇るべき遺産を無知蒙昧な家族に伝えたいからだ。
子供の頃に祖母から教わった方言には自信がある。近年著した自伝「ヒコベエ」では方言を駆使したが、
地元の八十代後半の人から手紙で、「毎年の夏休みだけでよく完璧にマスターしたもの」とほめられた。
中央本線茅野駅から三里ほど山に入った小さな部落の六十年前の言葉だ。
今ではけしからんことに、この部落でも八十歳以上の年寄りしか方言を話さない。
三十以下の若者などは無味乾燥な標準語ばかりだ。
皆、私のくり出す方言は分ってくれるが少し意外といった顔をする。
英国紳士を彷彿とさせる洗練された物腰と風貌の私が、訛りに訛った山奥言葉を話すからだろう。
若い女性などは時々、「わあ、じいちゃんばあちゃんと同じ言葉だ」と感慨深そうに言う。
「父ちゃん母ちゃんと同じ」とは言わない。この時ばかりは私もへこむ。(了)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識中層の文例(第8稿では第六識)
「ルースベネディクト「菊と刀」に関する抜粋及び要約」
経済学部二年 男子学生
この文章はすべてアメリカで生まれ、育ち、そして死んだルース・ベネディクト女史によって書かれたものである。
それ故この研究は特筆に値する。
第一章 研究課題-日本
日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で最も気心の知れない敵であった。
まじめな観察者がある国民について書くとき、その国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、
「しかしまた彼等は不遜で尊大である。」とつけ加えることはない。しかし日本人に関しては例外であった。
こうした矛盾が日本に関する書物の縦系と横系になるのである。
われわれは日本人の思想の感情の習慣とそれ等の習慣がその中に流し込まれる型を理解するように努めねばならない。
わたしが日本人を研究する上で重要な現地調査は両国が交戦中であるためにあきらめねばならなかった。
が、多くの学者の日本人に関する研究資料を受け継ぐことができた。
そして、私は一たびどこが西洋人の仮定と日本人の人生観とが合致しない点であるかということがわかり、
彼等が用いている範疇と象徴とについて多少の理解が得られれば
よく西洋人の目に映る日本人の行動の多くの矛盾は最早や矛盾ではなくなる、ということを発見した。
私が日本人といっしょに仕事をしていた時に彼等の使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、
やがてそれは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。
徳と不徳とは西洋人の考えているものとはまるでちがったものであった。その体系は全く独特のものであった。
それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的であった。-日本の長所も短所も含めて。
第七章 「義理ほどつらいものはない」
日本の「義理」というものは人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらわる風変りな道徳的義務の範疇の中でも最も珍しいものの一つである。
それは特に日本的なものである。それは日本独特の範疇であって、
「義理」を考慮に入れなければ日本人の行動方針を理解することは不可能である。
日本人はすべて行為の動機や名声やその本国において人々の遭遇する色々のジレンマについて語る時には、必ず常に「義理」を口にする。
また日本人はしばしば、「私達は義理のために正義を行うことが出来なかった」と言う。
また、義理の規則は隣人を自分と同じように愛するということ(キリスト教でいう隣人愛)とも何の関係ももたない。
日本人は自分が真心から自発的に寛大な行為をすることを要求しない。
彼等は人が義理を果たさなければならないのは、「もしそうしなければ人々から恥をかくことになるからである。」と言う。
「義理」にどうしても従わなければならないのは、世間の取沙汰が恐ろしいからである。
事実、「世間に対する義理」はしばしば英語では「世論に従うこと」と釈される。
また辞書には「世間への義理だからいたし方がない」が、「世人はこれ以外のやり方を承認しないであろう」と釈されている。
第九章 人情の世界
日本人は妻に属する領域と性的享楽に属する領域との間に垣を設けて明確に区別する。
この二つの領域はともにひとしく公然と認められている。両者の区別はアメリカ人の生活におけるが如く、
一方は世人に対して公然と自認するが、他方は人目を忍んでこっそり足を踏み入れるという事実にもとづいてなされるのではない。
両者が区別されるのは、一方が人間の主要な義務の世界に属するのに対して、他方は些細な気晴らしの世界に属するからである。
このようにおのおのの領域の「ふさわしい位置」を定める習慣が家庭の理想的な父親にも粋人にもひとしく、
この二つの領域を別な世界と観ぜしめている。
日本の戦争映画は分列式や軍楽隊や艦隊の演習や巨砲の誇らしげな偉容を景気よく描きだすことはしない。
日露戦争を扱ったものにしろ、中国事変を扱ったものにしろ、それらが執拗にくりひろげる情景は、
あいもかわらず単調な泥濘の中の行軍、みすぼらしい戦闘の苦痛、勝敗の定まらない作戦である。
幕切れのシーンは勝利でもなければ、“バンザイの突撃”ですらない。
それは何の変哲もない、深く泥中に埋もれた中国のどこかの町での宿営の情景である。
あるいはまた三度の戦争の生存者で、それぞれ不具、びっこ、盲目になった親子三代の日本人を写し出す。
あるいはまた兵士が戦死した後、銃後にあるその家族が夫であり、一家のかせぎ手だった人の死をとむらい、
勇気をふるい起こしてなんとか彼なしに暮らして行く姿を写し出す。
日本人の観衆だからこそ、これ等の映画の後援者たちは日本の観衆はそれを見ても決して反戦思想を抱くようにはならない、
ということを心得ていた。
第十三章 降服後の日本人
戦後、日本が連合国に対して敵対の態度を示すのではという危惧は必要なかった。
その理由は敗戦国民ないし敗戦国の政治経済に関する普遍的真理にあるというよりむしろ、日本の特異な文化の中に存在した。
日本以外の国民であったならば、おそらくこのような信義にもとづく政策はこれほどの成績を収めることはできなかったであろう。
日本人の目から見ると、この政策は敗戦という冷厳な事実から屈辱の表象を取り除き、彼等に新しい国策の実施を促すものであった。
そして彼等がその新しい政策を受け入れることのできた理由はまさしく特異な文化によって形づくられた日本人の特異な性格にほかならなかった。
日本の文化においては、はなはだしい強権主義ということは問題にはならない。
子供がごく幼いころの父親と接した経験によって学んだものが、日本の社会のあらゆる面に通ずる一つの型となる。
その階層的地位の故に最高の敵意を寄せられる人々でさえ、自らほしいまゝに権力をふるうことがなく、
階層制の首脳を占める官吏が実権を行使することがないと云うことが日本の特異性である。
また、天皇制の保存は非常に重大な意義があった。それは巧みに処理された。
最初に天皇の方からマッカーサー元帥を訪問したのであって、マッカーサー元帥が天皇を訪問したのではない。
そしてこのことは日本人にとっては、西洋人には理解しがたい大きな効果を収めた実物教育であった。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
「春雨の曲」の著者の言
正しく真心を伝うる日本民族の人の世が、ベネディクト女史にはこんな索々として砂を噛むようなものに映るらしい。
アメリカ合衆国と云う第二種マナ識の世界の人の世の情景のように、色どりも輝きもない灰色のものに映るのだろうかと、
予想はしていたものの目の当り見て全く驚く。
一つ彼女の眼をよく調べてみよう。
それには「自他の別の固定度」をしらべるのが速い。よみ直してみよう。
彼女の智力は五感の下にある。
一口に西洋人と云っても、真心の人もあれば(例、ファーブル、サン=テグジュペリ)、
第一種マナ識(即ち自我)の人もおれば(例、数学者アンリー=ポアンカレー、カント)、
第二種マナ識(即ち生きようとする盲目的意志)の人もいる。此の第三種類の人は、智力は五感や意識の下位にある
(尚、この文の筆者である男子学生は第一種マナ識であり、そこから第二種マナ識を見て書いているため、第七識中層の文例となる)。
人のレシーバーには第十一識、第九識、第七識(上層)、第一種マナ識、第二種マナ識の五つがあって、
日本人の認識者は第十一識のレシーバーを最も主要なものとしているが、
無明のために昼は第二種マナ識にいて、夜に第十一識にいる人が大半である。
女史はそんなことは想像することも出来ないのである。
か様に女史は第二種マナ識人であるが、教養もあれば研究心も強い。此の点は買ってやらなければならぬ。
然し此の人が見ると日本民族の人の世は固有の幽遠な色どりがすっかり消えて、まるで灰色一色に見えるらしい。
私の旅路と比べて欲しい。
(帰郷して見て、其処まで云うようでは、造化に対する反逆と見る他ないのではなかろうか。――アメリカ型無明)
漢字が多くて読みたくない。
332 考える名無しさん [sage] 2014/10/02(木) 23:25:23.49 ID:
オカケツは春宵十話と春雨の曲で同じことを書いている。
しかし、短期間で結果を出さなければならない科学者や法学者にありがちだが、
飛ばし読みされると汲み取る意味合いが違ってきてしまう。
言い換えれば、そういうタイプの人は大衆ということだ。
オカケツは最期までそれを嘆いてたな。
333 もみじ [momiji] 2014/10/07(火) 22:57:17.09 ID:
332 短時間で結果をと出すことの弊害といえば
今の日本の早期教育、英才教育。
自然を楽しむ時間を削って、ペーパーの文字の暗記
計算ばかり、これでは顔つきが貧相になる。
334 もみじ [momiji] 2014/10/09(木) 18:08:50.69 ID:
登下校する、小学生、中学生、高校生
だれも英語でおしゃべりしてない、日本の国際化は難しい。
10代で、喜怒哀楽のないペーパーテストばかりでは厳しい、
ますますひきこもりが増えるから、
感情表現のない英語を密室で学ばせるのはやめて
虫取りをさせたほうが良いのではないか?
「嬰児に学ぶ」より 真心
(岡潔)
人は懐かしいと思い、懐かしい人に親切にすることを嬉しいと思い、そうやってりゃ頭頂葉は発育する。
赤ん坊に見習うておれば頭頂葉はよく発育する。
創造するから嬉しいんじゃない、嬉しいから創造するんです。
それから見たって共産主義や日教組の先生の教え方、悪いのは分るでしょう。(拍手)
もう一度言いますが、後頭葉から、嫌なアメリカ色や共産主義色を科戸の如く一掃して、日本の心の大空を綺麗にしましょう。
そのあと、人類を滅亡から救い、滅び行く西洋文明の代わりに、日本文明をつくろうじゃありませんか。
そういうことに真心を傾け尽くして生きるということは、男子一生の快事である。
女性もまた、これに対して拍手することを惜しまない。(拍手)
336 考える名無しさん 2014/10/11(土) 18:51:05.74 ID:
(質問)
例えば、優等生、必ずしも良くないという言葉が・・・
(岡潔)
大抵悪い。(笑)
(質問)
それから劣等生、必ずしも悪くないという言葉がありますけれども・・・
(岡潔)
大抵悪い。(笑)本当にこんな教育なんとかしてもらわないと!
(質問)
例えば、何々しなければいけないとか、試験には必ず受からなきゃいけないとか、
そういう意志で固められたという、そういう生き方というのはいけないですね。
(岡潔)
前頭葉の意志です!私の言うこと聞いてやせん!(拍手)
あのねえ、男と生まれて来た、人とでもよろしい、生まれて来た以上は、
真心をそれに傾け尽くして悔いないというようなものを見い出して、それに真心を傾け尽くそうではありませんかと言ったん!(拍手)
安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る
【ストックホルム=待田晋哉】ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会の
ペール・ベストベリー委員長(78)が21日午前(日本時間同日夕)、読売新聞の取材に応じ、
1993年に死去した作家・安部公房が同賞の受賞寸前だったことを明らかにした。
ストックホルム市内の自宅でインタビューに応じたベストベリー委員長は、
安部公房について「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と強調した。
さらに、「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。
井上靖が、非常に真剣に討論されていた」などと他の日本人作家についても、過去の選考の経緯を語った。
近年、受賞の可能性があるとされる村上春樹さんについては、「生きている作家については答えられない」と明言を避けた。
アジアでの受賞者が少ないことについては、「作家がどこの国の出身かは見ない。その文学を見るのです」と断ったうえで、
「数多くの優れた人がいる。私たちは何人かに目をつけている」と述べた。
また、候補者の小説が、アカデミーの会員内で読めない言語で書かれている場合、
専門家に翻訳を依頼したり、助言を受けたりする試みを続けていることも明らかにした。
(2012年3月23日15時21分 読売新聞)
「薬師寺講演」より ノーベル賞
井上靖さんは誠によく知ってる、時代が下がる程悪くなって、どう仕様もないと。
しかし、そういうことはよく知ってて偉いもんですが、外国ばかり勉強して日本は大急ぎでやったんで、家持を褒めてる。
あれは威張らせん、もうちょっと日本語勉強しろと、お前の言ってる原理だけは認めるが。
しかしね、今ノーベル賞を僕にやらしたら井上靖。川端康成のようなのは白痴美ともいう。(笑)
要するに――言ってる間がないかもしれない。
つまりね、文明というものがあって、時間が経つほど良くなって、それで何だろうな。
文明というものがあって、良いものであって、時間が経つ程良くなって、と決めてるでしょう。
だからこれをイズムというんです。人の造ってる魔物。
この魔物の魔力が恐ろしくて、このまま行けば人は間もなく化石すると言ってる。その通り。
例えば「夜の声」。
ああ、大急ぎで、こんなことしてたら遅れっちまう。
あのう、ノーベル賞くれるというのは、あんな奴等にもわかるという意味ですよ。(笑)
もう、あれまたよそへ行かんように。
だけど、白痴美も美には違いありません。(笑)
例えば谷崎潤一郎は美じゃない。
外省人
本省人
「建国新書」より 序文
わが中国の歴史から見れば、政治制度のことはおほよそ二千年を一期としてゐる。
夏殷周三代を合せて約一千八百年、経済は井田制、政治は尊王の諸侯制。
秦漢から清朝まで約二千年、経済は私有制とは言へ、均田の精神を保つてゐた。産業の全面的調和をも保つてゐた。
政治は尊王の郡県制。この二期の共通点は祭政一致、即ち礼楽之冶であつた。
私の研究では、今から先の二千年を一期とすれば、経済は機械工業(原子力工業を含めて)と手工業と農業との共存制、
即ち機械工業で欠乏の憂目をなくし、それで手工業と農業を本位として、ますます発展させる。
数学では算術、代数、幾何などを組合せて解析幾何学とする、
といふが如く、機械工業、手工業、農業を統一調和して新しい産業体質が出現するはずである。
政治は中国と日本と印度と相互に賓主の礼を以て協同体を結ぶ。そして孟子のいふ王天下を達成する。
なほ政治の最高原理である古来一貫の祭政一致は改めることはない。憲法や代議制度を当然廃すべきである。
私が日本に来たことは幸せである。わが中国ではなほもいま西洋の科学や産業にひるむと共に、
西洋の政治制度や美術に対する気持も複雑で、澄み切つた見識は知識人に殆どないのである。
しかし、日本では明治維新以来の業績をみると、西洋に対して怯気を持つていない。
私はむしろ日本の神道や祭政一致に因つてわが黄老を知り、礼楽之治を知つた。
しかも私は、今日、日本人である世界最高級の数学者や理論物理学者の見識に接し、私の考へ方に心強いものを得た。
日本で所謂福祉国家が文明に加へたなまなましい傷は殊に顕著であり、しかも世界中最も良識清明の一人の民主評論家が日本に在り、
私にとつて非常に幸せな勉強の環境となり、為に私は所謂民主に対する何の心のこりもないのである。
かうして私は当今、諸方面の最善の思想を政治や経済の新制度の発想にまとめることができたのである。
私が、ここに政治や経済の制度についていふことは、すべての最も真実のもの、最も美しいものと相通ずる。
百世以前の聖人も百世以後の聖人も、私と同じことをいふほかはない。それほど絶対的なものである。
しかもこれは中国だけのためでなく、同じく日本のためでもある。
私がここに言つてゐる政治制度などは、世界的の数学や物理学の如く、西洋もこれに逆ふべからざるものである。
唐君毅教授は私のこの著が世間から認められることの必要を云云したが、私は天下起兵を経て之を実行すると答へた。
以前は黄帝の征伐を経て礼楽政治を啓き、なは秦漢の天下起兵を経て制度の新型を創造した。
いま私の著にある新制度の発想は、辛亥起義、国民革命軍北伐、人民解放軍等の行動を経て、
なほこれから先、中共を亡ぼす軍事行動を経て、之を認め、実現するわけである。
※文中の数学者は岡潔であり、理論物理学者は湯川秀樹を指します。
湯川秀樹と朝永振一郎は岡の京大講師時代(京大卒業後からフランス留学まで)の教え子であり、
二人とも岡を非常に尊敬していた逸話が残されています。
また祭政一致は岡によると王道政治より一段上であり、世界最高の政治形態であるとのことです。
但し実現には百年以上必要であるとされています。
実際に祭政一致が成功した例は過去に日本には無く、中国ですら舜の時代しかありません。
胡蘭成は以下のような発言もしています。
「『天下英雄会』は天照大神の神魂である御鏡を拝し、建国新書を伝習し、
祭政一致の新制度の樹立と日華印三国平和同盟の結束を期す」
「ここから何時も」より プロ野球
(質問)
長時間に渡り、先生にお話戴きました。どうもありがとうございました。(拍手)
(岡潔)
えーと、これ、今、六時半?五時半。そしたら、あのねえ、七時から巨人-広島戦がある。(笑)
今、一番強いの広島です。その次、巨人じゃあるまいかと思う。
その前、広島、十一連敗している。それを阪神が強チームに変えてくれてある。(笑)
今が一番強いでしょう。僕、巨人ファンだから言うけれど、一緒にデータ積もってる。
(司会)
それじゃ拍手でお送り下さい。(拍手)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識上層の文例
「人間は何故に生きるか」
理学部二年 女子学生
私はある友人から、こう質問されたことがある。
「何故、あなたは生きているのか。」
実に難しい質問であった。急なことで返答に困り、ただおろおろするばかりであった。
全く予期していないことであっただけに考えようにも考えがまとまらなかった。
その日、一人になって考えてみても考えれば考えるほど頭の中が混乱してきて、自分なりのはっきりした解答は得られなかった。
私は人間としては失格であろうか。そうかもしれない。目先のことばかり考えていて人間として生まれてきて、
何故に生きるかという大事なことを考えていないようであるならば、確かに失格であるかも知れない。
こう考えていくと人間は全て、この最も重要な事を真剣に考え、自分としての解答をもっているのだろうかと詮索したくなる。
これは、私のひがみ根性かもしれない。自分が結論を導き出せないために、他人も同じであろうと考えるこの安易な考え、
その反面、私以外の人は全て解答を得ているような気がして、自分だけがとり残されたと感じる気持ち、
矢張りこんなことを考えていること自体、人間として失格なのかも知れない。
私達がこの問題を考え、そしてその得られた解答が良しにつけ、悪しにつけ、これは絶対に考えなければならないことである。
他の動物に比べ、より進んだ考えるという能力があるのだから。
したがって、自分なりの解答をもっている人には私は心から尊敬をする。
いつなんどきこういう質問が発せられないとも限らないのだから、解答を持っていることは肝要であるかと思う。
人間として生まれたからには、何故に生きるかと云うことを自分なりにはっきりして置く必要があるのではないだろうか。
この世に生存する最も有能な人間が、何故に生きるかということを知らずにいては人間としての確立はない。
人間は全て孤独であるのだから、人それぞれの考えに生きて行くことが妥当であるかもしれない。
だからといって、社会集団の一員である私たちは自分本位な考えで行動してはいけない。
たとえ、それが自分の欲求を満たしてくれるものであって、その目標のために生きているのであっても。
だから、自分本位な考えはゆるされるべきものではないのである。
この観点に立っていうならば、人間は道徳性に基づき、
人間らしさをもって自己の目標に向かってまい進し、人間として生まれて本当によかったと思う心を得ることにあると思う。
そこに人間の価値があるように思われる。これは虚言でもなければ虚構でもない。人間はこうあるべきものであると思う。
私は人間の偉大さを信じている。人々は人間の偉大さを信じているだろうか。
金銭で何もかも処理される現代では人間の偉大さというものもわからないであろうか。
これは何も偉くなるとか、裕福になるとか、そういう一般的なことではなく、
何か神聖なるものが、人間の中に生まれながらにして潜在しているように思われるのである。
そんなことはない。夢を見ているのさ、と言う人がいるかもしれないが、私はそう思いたくはない。
人間ってそんなちっぽけなものではない。もし、そういう人がいるなら言ってやりたい。あなたはもうおしまいだと。
人間というものは、こういう問題を時として考え、ふと忘れ去る。
そういう繰り返しが続いているのではないだろうか。
私たちは人生の苦しみを味わい、堕落した精神を鍛え直し、平凡でもいい、とにかく自分の道を素直に歩むことが必要であり、
そのためには今までの私たちのおろかさ、はかなさを早く悟り、自覚し、人間らしさの方向へと進まねばならない。
そこに、人間としての価値があり、真の姿がある。
そして、険しい山を登るように一歩一歩着実に進まねば人間の確立はない。
それは限りのないものであって、これで足りるというものではない。
こう切り詰めていくと、人間は何故に生きるかというと究極的には目標は人間の確立にあるのではないだろうか。
しかしこういう難しい問題は簡単に結論を出せるべきものではないのかもしれない。
筆者はこう云っているのである。
この女子学生は第七識上層にいる。何故かというと、この作文は「自我の世界」について書いているのであるが、
この世界を上から見て書いている。だから低くとも「法我の世界」にいる。
以下は著者が云うのである。
此の女子学生は非常に質がよい。忘我の境に直ぐ入れる所が殊によい。二尊の秘蔵っ子なのだろう。
それで「物真似猿型無明」(後天的西洋型無明の一種)の土をかぶせて、この種をそっと活けて置かれたのだろう。
今年びっくりする程に沢山日本の国のこころの野に新芽が出た。
これは造化が後天的西洋型無明と云う発芽に恐らく良質の土を使って、よい種を撰んで発芽をさせになったのではあるまいか。
去年の十月の初旬から同じ月の二十七、八日までかゝって造化は西洋型無明と云う反逆者を討征なさった。
このことが種にかぶせてあった土を取り除いたことになっていそうに思う。
この女性の如きを「立志」と云うのである。
(帰郷して、この辺からを芽生えに数えてよい、識には拘らぬ)
第七識下層の人が第七識中層に行くにはどうすればよいか。
第七識中層のから第七識上層に上るには何が枢機か。
第七識上層は方に「志を立てるべき秋」であるが、それにはどうすればよいのか。
問題は此の三つである。
此の三界の人々は何を自分と思っているかと云うと、第七識下層の人は第二種マナ識(第五識)を自分だと思っている。
思い方は一度もそれを疑った経験がない。
第七識中層の人は第一種マナ識(第六識)である自我を自分と思っている。
その思い方はそれを疑うことまでは出来ないが、他人のことも考慮する。
だから諭して戒律を守らせることが出来る。戒律はたとえばわたしの祖父の、
「他(ひと)を先にして自分を後にせよ」。
第一種マナ識人は、つまり第二種マナ識人の棟梁の材なのである。だからこれが可能なのである。
今一度、第二種マナ識人にもどって、どうすればよいかを考えよう。
これは若しアメリカ人のように先天的の第二種マナ識人は到底短時間ではどうにもならないと思う。
(直観的にであるが治療には二十万年位かゝると思う)
それで日本民族に限ろう。
日本民族は度々云うように認識者(即ち夜の意識)は低くとも第十一識にいて、
第十一識は造化が昼夜の別なく外来の無明を払拭している世界だから、
日本民族の人々の夜の意識は今日でも健在である。
だから江戸城明け渡しの時のように「信を腹中に置いて説け」ば必ずわかる。
それで残る問題は第七識上層の人に志を立てさせるには?
男性に向っては直下に造化の悲願を説くのがよく、
女性に向っては夫の悲願を感受して、それを助ける日々の楽しさを具体例を以て説くのがよい。
大和島根には、大和撫子に説く実例にことかかない。たとえば「神風連血涙史」。
あげ
351 考える名無しさん 2014/10/29(水) 19:51:03.84 ID:
大学の教養で岡潔学ってやるのはどうかな?
352 考える名無しさん 2014/10/29(水) 19:53:20.32 ID:
1 通史・真善美妙・無明・精神統一法・邪智型平等性智(世間智型意)1-2 16
2 歌で読み解く日本歴史・小我と準中核と中核3
3 唯識論33・秋が来ると紅葉(二つの心)99-105
4 昭和への遺書・日本民族(新社会主義)・市民大学東京校72-74 283-287
5 曙・ここから何時も・何も知らないのに83-85
6 葦牙会発足質問編111-113・嬰児に学ぶ114 335-336・1969年10月26日161-163・京都産業大学講義録144-145
7 風変わりな憲法(大脳生理)197-200 238-244
8 情と日本人179-196
9 春雨の曲(第十一識以降の旅路)95-98
10 試験(春雨の曲に倣って作文)
11 予備(大学によっては講義)
12 予備(大学によっては講義)
13 予備(大学によっては講義)
14 予備(大学によっては講義)
15 予備(大学によっては講義)
アンカー消してるのはサーバーエラーを防ぐため。
岡の時代は旧制中学5年、旧制高校3年、旧帝国大学3年で最短23歳まで学生でいる必要があった。
四年制大学の場合は最短22歳で終了だから、いかに滅茶苦茶な教育に変わってしまっているかがわかる。
20歳頃に人間が一通り出来上がるのに、教養教育については現在では1年しかやらない大学が増えているため、
こうなったら思い切って既存の教養教育を半期に圧縮・削減し、残り半期は岡潔学のみにしたらいいと思う。
岡自身、講義は長時間やらず、1回の授業時間につき最低でも10分以上余らせる性格だったし(最初の5分しか授業しない日もあった)、
京大教育学部生指導時は三角法を15回の講義のうち3回しか行わなかった(しかも3日間の集中講義にしてしまった)。
ただし、現在では出席しない場合が考えられるので欠席の度に400字以上の作文を宿題にする。
旧制高校期にあたる教養教育期は時間の余裕を持つことが何よりも重要であると岡も言っているため、
岡潔学も10回で終わらせ、後は週休7日制なり自動車学校に行くなりさせた方がいい。
岡によるとアルバイトはあまり推奨しないとのこと。
本当は高校でも5教科以外の授業時間を少し流用して岡潔学をやった方が良いと思うが、
高校のカリキュラム編成はある意味大学以上に難しいため、ここでは触れない。
354 考える名無しさん [sage] 2014/11/02(日) 02:52:55.83 ID:
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岡潔!
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355 スネ夫 [sage] 2014/11/02(日) 20:28:57.50 ID:
技術→7識
えぐい音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
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岡潔!
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技術→7識
蘞味のある音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
354 考える名無しさん [sage] 2014/11/02(日) 02:52:55.83 ID:
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355 スネ夫 [sage] 2014/11/02(日) 20:28:57.50 ID:
技術→7識
えぐ味のある音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第八識の文例
「おなかのすいた世界」
外国語学部二年 女子学生
「おきさき様、人民はパンがなくて飢えております。」「なぜお菓子を食べないのかしら。」
これは仏ルイ王朝の栄華をきわめて、革命のギロチンで生涯を終えることになったマリーアントワネットの逸話だとされています。
この話を思い出したのは、スリランカ(セイロン)の女性首相であるバンダラナイケさんが
「ケーキづくりはやめて、パン増産につとめるべきである。」という命令を国中のパン製造業者に出したからです。
この国の慢性的な食糧不足は、今年はとりわけ深刻で、首相みずからが畑でクワをふるって家庭菜園には国が補助金を出しているということです。
「山イモや木の実を食べよう」と政府が訴えているということを聞いて、思わず戦時中の日本のことを連想してしまいました。
お隣りのインドも二年つづきの大干ばつになりそうだし、バングラディシュでは食糧不足のところに国土の四分の一が洪水にあって、
米作半減とまでいわれて、天の無情に泣いているということです。
人々は木の葉まで食べて飢えをしのいでいるというけれども、六百万人に今、刻一刻と餓死が迫っているそうで、
家畜はバタバタと倒れて、象の群れは水を求めて餓死し砂漠で大移動をはじめたといわれています。
この世界的な食糧不足の原因はというと、異常気象、人口増加などいろいろなことが言われていますが、
中には地球がゆっくりと氷河期にはいりつつあるためだ、などというような不気味な説までがあげられています。
氷河期が来るというようなわけではなくて、これは永い冬、そして冷たい夏の傾向が強くなるだろうという仮説なんだそうです。
とにかく、今年の世界の米作はというと、東南アジアの軒並みな減産がひびいて昨年の生産高の5%減というところになっていて、
ソ連の小麦は大凶作、そして中国の米作も雨不足でもって、この十年来はじめて前年の水準を下回るともいわれています。
食べすぎ、飲みすぎに悩んでいる私たち日本人が現在増えていると聞くのに、
海の外では人類の三分の二が毎年のように飢えに苦しんでいるということです。
日本人はこのような世界の現状を知っているのだろうか。
もっと現実の世界を見極めるべきではないだろうか。
此の作文の筆者は第八識にいる。
何故かと云うと、此の作文は世界の食糧不足のことを、女性らしく気の毒だと云う動機で書いたのであって、
だからこの作文が描かれている世界は第七識上層である。
かき方は実感がこもっている。
また結びの言葉は「現実の世界を見極めるべきだ」と云うのであるが、これは認識せよと云うことである。
実感がこもっているのも一々認識してかいているからである。認識するには一つ上の世界にいなければならない。
だから筆者は低くとも第八識にいる。
また若し第九識にいるならば「認識せよ」で文を終わる筈がない。だから第八識にいるのである。
前の第七識上層の文例と比較すると、云うことがハッキリしてるでしょう。これが認識です。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第九識の文例
「日本人の原点」
外国語学部二年 女子学生
約二千年を通じて出来あがった日本文化は外来技術の複雑なからみあいの上につくられたものである。
私たちがいま毎日生きている日常生活の場において私たちが使っている衣服、家具、住居、公共施設から文字、食事に至るまでは
ほとんどすべてが中国、ヨーロッパ、アメリカの技術を利用したものばかりである。
まさに〈雑種文化〉とよぶのにふさわしい。
しかし、私たちが取り入れ、使っているのはあくまで技術なのである。
文化のかたちとしては中国風、ヨーロッパ風、アメリカ風なのかもしれないが、
かたちの内容――すなわち私たち自身はどんな時代においても、あくまで日本人であった。
これは思想的状況においても同じではないだろうか。
日本人は技術とともに紹介される中国思想、仏教思想、ヨーロッパ思想、アメリカ思想を
すべて生きるための技術、考えるための技術としてのみ取り上げ、思想のかたちを身につけた。
技術は生きる方便であり、かたちは存在の形式でしかなかった。
新しい技術をつぎつぎ取り入れながら技術を使う主体としての人間、
日本人ほど歴史的に単一性を守り続けてきた民族はめずらしい。
ヨーロッパ人は、おのおの他民族の血をまじえている。だから国境を越えれば多民族の中にまぎれ込んでしまう。
いくつもの国語をもつ多民族国家もあるし、混血は日常茶飯事である。
だから政治亡命も可能だし、国境を越える者も迎える者も、国境や民族をそれほど神経質に考えない。
しかし、おのおのの文化は芸術から生活に至るまで実に厳と存在する。
政治的に犯されても我慢できるが、文化的に犯されることは許されない。
この文化と民族の矛盾した二重構造をとおして見ないと、私たちは私たち自身を理解することができない。
文化の雑種性だけ取り出すのもまちがいだし、民族の単一性だけを強調しても日本人を本当にとらえたことにはならない。
そして文化と民族の矛盾した二重構造をつなげるものが日本人の技術主義なのである。
技術を軸として、雑多な文化が取り入れられ、それが単一な民族によって操作される。
しかし、技術は本質的に情緒や感覚を否定するものであり、人間の本質を根本的にゆり動かす要素をもっている。
技術を使うのは、人間という主体であり、その主体によって営まれるのが文化である。
ということは、これらは相互に一本の線でつながり、技術が雑種の文化と単一の民族を結び、両者のバランスをとるということは成り立たない。
日本人の技術に対する感覚は、基本的に農耕生活から生まれたもので、受身の技術である。
とらえる技術ではなく、こなす技術であり、闘う技術ではなく、利用する技術である。
しかし、最も重要なことは地理的・生産的諸条件の中にあって、
それらの諸条件を生きぬいた日本人自身、技術を使う主体のあり方ではないだろうか。
日本人は外国からさまざまな技術を取り入れ、一つの時代から一つの時代へ一八〇度の転換を行ってきた。
だが、日本人という主体は少しも変わっていない。
日本人はしぶとい日本的主体性をもっていて、
新しいものに命をかけようとする真剣さもなければ、古いものを命がけで守ろうとする情熱もない。
新しいもの、古いものは自分の命ではなく、自分はすでに日本人として明白に生きている……あらためて命を問い直す必要はない。
これが日本人の心の底に定着している生き方ではないだろうか。
どんなに足を踏みはずしても、右から左へ、左から右へ急旋回しても、日本人であることへのある種の安心感があるのである。
すなわち、日本人の原点は技術でも思想でもなく、ごく単純な事実、
自分はなによりも日本人であり、日本人以外の何ものでもない、という点であろう。
そしてもう少しつけ加えるなら日本人の原点は日本人の体質の中に、そして体質を形成している意識の中に、
意識を具体的に示すイメージの展開に見られるのである。
作文はここまでです。
これは日本人と云うもの(第七識上層)を対象にしてよく其の本質を把んでいます。そしてこう云っています。
「日本人の原点はごく単純な事実、自分は何よりも日本人であり、日本人以外の何ものでもないと云う点であろう」
名言です。この文章は自覚の典型です。
然し第十識ではありません。若し第十識だったら本質を確認します
(第七識上層で体験即ち初覚、第八識で認識、第九識で自覚、第十識で自覚の確認即ち自覚の捨そして天上界の体験即ち初覚)。
認識者がですが、日本人とは云わず語らずの中に
「真情」だけがエッセンシャル、(最大の不純物である技術を始めとして)他は皆トゥリビアルと思っている人達のことであるとわかります。
ここでは前の文章及び此の文章を筆者がどんな風な書き方で書くと、こう云う文章が現像(写真の言葉)されるかと云うその仕方を云ったのですが、
そうして現像された絵を見ますと、前者は第十識の遠景、これは中景になっています。
この見分け方の方、本当は速いのですが、みなさんは遠景、中景が充分よくわかっておいでにならないかも知れませんから、
逆にこの好個の二例によって遠景、中景とはどう云う意味かを知って下さい。
第八識から第九識に行くには認識(遠景的なもの――カス)を捨てればよいのです。
第九識から第十識に行くには自覚(中景的なもの)を捨てればよいのです。
今現にそこにおれば、自覚なんかいらないでしょう。
認識が何故カスかと云えば、言葉で一々あれは富士山だと云っているようなものだからです。
エッセンシャルは生きて流れていますから言葉では云えません。
川床は云えても流れそのものは云えないようなものです。
(帰郷してみて。これはまぎれもなく感受(α01の分身)の芽生えである。)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十識の文例
「最大の愛」
経済学部一年 男子学生
人類を救うものは、お金でも宗教でもない。それは愛である。ぼくは其の愛を母に見た。
三歳の時母はぼくの家に来た。つまり義母である。
最初に母に言った言葉は、今でもよく覚えているが、おふろに入る前にぼくの裸に触った時の冷たいと言った言葉であった。
母の手はあまりにも冷た過ぎた。
ある日小学校から帰ってくると母は泣いていた。
どうやら父と喧嘩をしたらしかった。其の原因がわからないまゝ時は流れた。
両親の喧嘩は母が父と結婚した三日目からであった。時には毎日のようにやっていたこともあった。
一度大きな喧嘩をしたことがあった。ぼくが学校から帰ると母は頭に手をのせていた。
其の時の白い包帯がいやに不気味に見えた。
母はくやしそうと言うか、寂しそうのほうがあたっているかもしれないが、そんな顔をして泣いていた。
ぼくは母のひざの上にひかれた。ぼくには暴力をふるっている父のほうが絶対悪いと思った。
しかし以前からのこんなにもひどい喧嘩の理由はぼくには全くわからなかった。
それはあまりの単純さと非人間的な所にあるのだったから、ぼくたち三人兄弟(姉二人)もきっとそうだったに違いないからだ。
父ばかりが悪かったのではない。ぼくも母にはずいぶん迷惑をかけた。すべての面であった。
今から思えばどうしてあんなにまで母に対して、種々言わねばならなかったのか自分でも不思議でたまらない。
今は特に母に対しては父もぼくも深く反省しなければいけない。
ぼくは反省し母にはどのように御詫びしたらよいか、たいへん悩んでいる。
父は反省などしたことがない。
今でも喧嘩は続いている。もう既に十七年になるのに、父は自分勝手なことばかりしている。
我が家は農業だから特に母は父を仕事に出した後仕事に追われる毎日だった。町にもほとんど母は出られなかった。
たまに外出する時は母はいつも僕を連れて歩いた。
だからこそ餘計に母の愛がぼくのからだに伝わった。言葉ではなく膚と膚のふれ合いがあった。
でも子供を連れると用事もそれだけ多くなるのに!
母は自分の汚名をぼくにわからせたかったのだ、きっと心では泣いていたのだ。
何故こんなにしてまでも母は離婚しなかったのか。母はまず第一に子供のことを考えたからであった。
まだ僕は小さかったからせめて一人前になるまではと考えた。
これが愛と云うものである。
親子だからと人は言うかもしれないが実の母でもこうは出来なかった。
今の母は実の母以上の最高の母である。
キッドと云う映画の中でチャップリンが言いたかったことは、実の親でなくともりっぱに親以上になることが出来るのだ、がテーマであった。
ぼくも其の通りだと思う。
愛は決して楽しいものではない。
愛は非常な苦しみや、痛みを必ず伴う。
其れのない愛は愛ではない。
今の世の中は言葉で氾濫し過ぎている。愛は報酬を望まないの言葉がぴったりである。
最も美しい愛を母に見た。これが人類を救う最良の策だと思う。これしかないと思う。
そんな家庭にもかゝわらず、小さく弱い人間であるぼくだけど、ここまで育ててくれた母、根本は母の愛にあった。
母は今ぼくを頼りにしている。
思えば母に初めて出会ったあの日の冷たい手というものが口では言えないくらいの愛を暗示していたのかもしれない。
母と云う人を又其の愛を小さいながら何かの形で残したかった。それだけである。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十一識の文例
「詩の心と絵の心」
経済学部一年 女子学生
詩は言うまでもなく言葉の芸術である。
私はここで現代詩だけでなく、和歌や俳句さらに散文にひそむ広い意味での「詩の心」を考えている。
ところで絵はデッサンと色彩の芸術である。
だから詩と絵とはまったく別の世界といっていいが、しかし絵のなかにも「詩の心」を感ずる場合はいくらでもあるだろう。
画家自身もそうだ。言葉は直接使わないにしても、心の中には必ず「つぶやき」というものをもっているに違いない。
自分にはこれこれの感情、あるいは思想を訴えたいことを心の中で「つぶやいて」いる訳で、
それは言葉とはならず、色彩やデッサンとなってあらわれるけれど、
私にはその「つぶやき」を詩の心と呼びたいのである。
私はいま与謝蕪村のことを思い出している。
芭蕉とならんで江戸時代の有名な俳人だが、両者の間には八十九年ほどの開きがある。
時代の差だけでなく、芭蕉と蕪村の作品のあいだにも、本質的と言ってもいいほどの風格の差がある。
蕪村は俳人であるとともに画家であり、そのどちらにも流れている「詩の心」を語りたい。
蕪村の代表作「普我追悼曲」と題する一編で、
蕪村が貧しい漂泊の旅を続けていた青年時代に親しかった早見普我の死を悼んで作った作品である。
これは俳句ではない。しかし彼の名を伏せてこのまま出したら、西欧の詩の影響を受けた明治の新体詩と思う人が多いだろう。
今から二百数十年も前に、こんな新しい作品を生んだのは不思議なことだ。
こうした作品はこれ一編だけだが、蕪村の感覚がどんなにみずみずしく、また豊かで多面的な才能を持っていたかがわかるであろう。
芭蕉の句を読んだ人は、そこに求道の強いきびしい生き方を真っ先に感ずるに違いない。また言葉の洗練度や風格においても実に高雅である。
蕪村は一生の間芭蕉を尊敬していたが、彼の句を見ると、はるかに「遊び」が多く、気軽に即興的に歌い捨てたと言ったものが多い。
こうした境地はむろん芭蕉にもあるけれど、蕪村になると、「俗」の中にのんびりとあぐらをかいたというふうで、
そこに苦しさとか、芸術上の権威めいたものは感じさせない。
「とかく句は磊落なるを好しとす」(新花摘)と自分で言っているように、句の態度は芭蕉に比べると、ずっとざっくばらんである。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十一識の文例
「詩の心と絵の心」
経済学部一年 女子学生
詩は言うまでもなく言葉の芸術である。
私はここで現代詩だけでなく、和歌や俳句さらに散文にひそむ広い意味での「詩の心」を考えている。
ところで絵はデッサンと色彩の芸術である。
だから詩と絵とはまったく別の世界といっていいが、しかし絵のなかにも「詩の心」を感ずる場合はいくらでもあるだろう。
画家自身もそうだ。言葉は直接使わないにしても、心の中には必ず「つぶやき」というものをもっているに違いない。
自分にはこれこれの感情、あるいは思想を訴えたいことを心の中で「つぶやいて」いる訳で、
それは言葉とはならず、色彩やデッサンとなってあらわれるけれど、
私にはその「つぶやき」を詩の心と呼びたいのである。
私はいま与謝蕪村のことを思い出している。
芭蕉とならんで江戸時代の有名な俳人だが、両者の間には八十九年ほどの開きがある。
時代の差だけでなく、芭蕉と蕪村の作品のあいだにも、本質的と言ってもいいほどの風格の差がある。
蕪村は俳人であるとともに画家であり、そのどちらにも流れている「詩の心」を語りたい。
蕪村の代表作「晋我追悼曲」と題する一編で、
蕪村が貧しい漂泊の旅を続けていた青年時代に親しかった早見晋我の死を悼んで作った作品である。
これは俳句ではない。しかし彼の名を伏せてこのまま出したら、西欧の詩の影響を受けた明治の新体詩と思う人が多いだろう。
今から二百数十年も前に、こんな新しい作品を生んだのは不思議なことだ。
こうした作品はこれ一編だけだが、蕪村の感覚がどんなにみずみずしく、また豊かで多面的な才能を持っていたかがわかるであろう。
芭蕉の句を読んだ人は、そこに求道の強いきびしい生き方を真っ先に感ずるに違いない。また言葉の洗練度や風格においても実に高雅である。
蕪村は一生の間芭蕉を尊敬していたが、彼の句を見ると、はるかに「遊び」が多く、気軽に即興的に歌い捨てたと言ったものが多い。
こうした境地はむろん芭蕉にもあるけれど、蕪村になると、「俗」の中にのんびりとあぐらをかいたというふうで、
そこに苦しさとか、芸術上の権威めいたものは感じさせない。
「とかく句は磊落なるを好しとす」(新花摘)と自分で言っているように、句の態度は芭蕉に比べると、ずっとざっくばらんである。
蕪村は生きていたころ、俳人としてより画家として有名であったと云われるが、しかし私は俳画のなかの代表作をあげてみたい。
「又平」という作品である。この絵の上方に、「又平に逢うや御室の花ざかり」という一句がしるしてある。
京都の御室(おむろ)の桜は有名だが、その花見で酒に酔いながらふらふら歩いているうちに、又平に出会ったという平凡な句だが、
この場合は句と絵とが実に見事にとけあっている。詩の心と絵の心のざっくばらんなつきあいと言ってもいいだろう。
これが蕪村のおもしろさである。赤い頭巾をずれ落ちそうにかぶり、片肌をぬいで右足をあげ、実に人が好さそうに、気持ち良く酔った姿である。
酒を入れたひょうたんは道の上にころがっている。
赤頭巾の赤い色と衣服の黒さと、どちらも単純な色彩だが、それがうまく調和し、また又平の酔い姿と、ひょうたんの位地もほどよくバランスが取れている。
即興的に歌い、即興的に描いたものだが、俳画の特徴を典型的に示した作品である。
この即興にはむろん画家としての年期が入っている。軽妙でなんとなくハイカラである。そして気品もある。
決して悪ふざけてはいない。しかも、これ程誰にでも親しみ深く訴えかける絵は少ないだろう。
つまり「人なつこさ」がここにもあるということだ。
もう一つ私が心ひかれる、「雪夜万家」と題する絵がある。場所は京都であろう。
背景の山々も人家の屋根も、一面雪におおわれて真っ白である。
人家の所々に灯が見える。空は一面の暗黒で、そこから雪が降って来る有様が描かれている。
此の空の描き方が実に素晴らしい。水墨を大胆にたらしこみ、暗黒の空の重苦しい感じを深く出している。
全体として沈んだような、憂鬱な作品だがここに蕪村の見逃しえない特徴がある。
彼の句は気軽で即興的だと云ったが、其の底に生涯に渡って憂鬱な詩心を持続させたことを忘れてはなるまい。
父母の名も家柄も不明、早く両親と財産を失い、十八~九才のころから江戸に出て画と俳句を学んだと推測されているだけである。
若い時から放浪者であった。
だからこそ萩原朔太郎が「郷愁の詩人」と呼んだように、自分の故郷への思慕を常に歌った人であった。
放浪しながら彼は幻のふるさとを探し求めていたと言ってよかろう。
こうした心情を念頭に置いてこの絵をみると、どこかに底知れぬ寂しさの漂っていることに気付く。
家々は深い雪の下にひっそりとしている。所々に灯は見えるが、それが一層雪の夜更けの寂しさを云えているようだ。
雪の夜道をおそらく旅人としての蕪村はあてもなくさまよい歩いたのかもしれない。
実際の写生というよりも、そのときの孤独な心の告白といったほうが良さそうだ。
同時に、同じ心からさきの「又平」のような、「賑やか」もあらわれたのではなかろうか。
「冬の部」の中に、「雪夜万家」に関係のあるような句がある。
その俳句がこの絵に直接関係があるかどうかわからないが、
この句の心を、あとで描いたのかもしれないし、あるいは逆に絵のあとで、ふとうかんだ一句かもしれない。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十二識の文例
「御所人形哀話」
法学部一年 女子学生
京都には現在五十余の尼寺が各地に散在していると聞きます。
そして、誰もが想像している通り、そこで暮らす尼僧たちは俗世がどう変わろうと、喧噪を離れた小さな世界の中で、
朝な夕なに経を読み、庭の掃除に精出し、托鉢(たくはつ)に励むという、つつましやかな生活を几帳面に守り通しているのです。
この寂寥とした雰囲気の中に潜む尼僧の生活のすがすがしさに魅かれて京の尼寺を訪れる人は後を絶ちません。
しかし私たちの尼僧に対する想像が確かであったと納得した後で、
私たちは、その境内を流れる清楚な空気の中に、一条の悲しさを感じてしまうのです。
特にそれが尼寺の中でも「比丘尼御所」と呼ばれる門跡寺であったならば、その感慨もひとしおのように思われます。
一体この悲しさは何なのでしょうか。
ほかの尼寺に比べ一段と格式が高いように思われる比丘尼御所とは、どのような物語を秘めた尼寺なのでしょうか。
足利幕府以来明治維新に至るまで、将軍家は一貫して皇位継承者以外の皇族はすべて寺に入れるという強行政策を採って来ましたから、
皇女たちは生まれながらにして全員尼僧になるという悲劇の宿命を背負わされていたのです。
この将軍家の措置により御所のある京都には皇女たちの入寺だけを目的とした尼寺が必要となりました。
一般庶民の信仰のための寺院とは区別され、特別の意味を持って建立(こんりゅう)された寺が、今も比丘尼御所と呼ばれる尼寺だったのです。
昔の話ですが、皇室など高貴な身分の家では、自分の子供を手許に置いて育てるということがなかったらしいのです。
その意味では育つ場所が御所であろうと尼寺であろうと、皇女たちには同じことであったかもしれません。
彼女たちは何人もの付き人が付き、大袈裟に言うと、箸のあげおろしまであれやこれやと世話を焼いてもらっていたのですから、
入寺した皇女たちが生活に困るというようなことはなかったはずと考えられます。
しかし尼になるということは、女を捨てることです。
皇女たちは、女として成長する以前に、最早女を捨てなければならない運命だったのです。
彼女等は悟りを開いて、あるいは世の無常なるを知って、尼僧の道を歩き始めたわけではなかったのです。
生活の苦労がないということは、逆に見れば生きる喜びがないということです。
彼女たちには、「なぜ自分は今ここにいるのか、これから自分はどうなっていくだろう?」
という疑問を持つ餘裕さえ与えられていなかったのではないでしょうか。
美しく仕上げられているにもかかわらず、どこかに寂しさをたたえた庭園や薄暗い回廊などといった小さな世界だけが、
彼女たちにゆるされた生涯を生きる場所だったのです。
比丘尼御所の澄んだ空気の中に、ある種の気怠さのようなものが潜んでいるとしたら、
きっとそれは皇女たちがフッともらしたであろう溜息のせいかもしれません。
どんなに世の中にきらびやかな物があろうとも、入寺した皇女たちにとって、それは手の届かない別世界のものだったのです。
例えそれが四方を囲む一枚の薄い土壁によって隔てられただけのものであっても。
では皇女たちには全く楽しみがなかったのでしょうか。いいえ、そうではありません。
彼女たちには、あるささやかな楽しみがあったのです。
それは、幼い皇女のために雛祭りの度に御所から送られてくる人形でした。
幼くして仏門に入らなければならなかった娘たちを忍んで、彼女等の親は可憐な人形を贈ったのです。
これが御所人形といわれるもので、江戸時代はこのような贈り物が頻繁に行われていたようです。
親たちは人形を贈るということに、娘たちに対する一種の「罪滅ぼし」の念を込めていたのかもしれません。
贈られて来た人形たちは、あるときは皇女の愛くるしい顔にまねて、あるときは遊び相手として幼い男子の顔にまねて作られていたのです。
周囲が大人ばかりの尼寺にあって、この人形たちが皇女等にとって真の友達になっていったのは言うまでもないことです。
ほかに楽しみのない閉ざされた小世界の中にあって、皇女たちの人形に対する愛情は時として異常と思われるものがあったそうです。
朝起きてから夜寝るまで、彼女たちは片時もこの人形を放すことなく、あたかも己の分身であるかのように慈しんだのです。
人形と話をしたり、着物を着替えさせたりということはたわいないままごとといえばそれまでですが、
生涯を通して人形を人形としてではなく、命ある人間のようにして遊ばねばならなかったという話に痛切な「哀」を感じてしまうのです。
人形たちが愛らしければ愛らしいほど、手垢ですすけた古い御所人形の顔から、皇女たちの孤独を思ってしまうのです。
天上界の三識を比べてみますと、第十識は天上界の体験即ち初覚、第十一識は認識、第十二識は自覚です。
初覚は脊髄神経系を使い、認識は脳神経系を使い、自覚と確認とは共に植物神経系を使うのですが、
自覚は第十一識と第十二識との境界上の世界から第十識を見、確認は第十二識から第十識を見るのです。
前者を「悟」と云い後者を「覚」と云います。
向上するには得たる所を捨てることです。
初覚を捨てるとは認識したもの以外はまだ知らぬとするのです。
からだでわかり、からだで憶え込ませたものを皆捨てるのです。
初覚を捨て、認識を捨て、悟を捨てると実相界(第十三識以上)へ行けます。
此の女性の文は第十一識と第十二識との境界上の世界――これが日本文化の世界ですが、
ここに籠って書いたものです。春の泉の揮々と湧き出て流れてやまぬ趣があります。
一寸平家物語のようです。楽器ならば琵琶。
(帰郷して、地上界は物質的、天上界は眼が二重の薄膜で蔽われている。実相界は尚一重の薄膜、無相界即ち第十六識以上とは相が無いのではない。
相は眼の曇りであると知って、眼をぬぐってじかに見ることである。)
「岡潔集 第1巻」より 対話/全か無か(石原慎太郎)
石原:私は科学というものが非常に幼稚なものだと常々思ってましたが、
現代数学のああいうものの捕え方、考え方は、ある意味では宗教の一番かんじんなところに触れていると思いました。
岡:地上(第七識上層)に数学があって法界(第九識)にその実体があるからです。
実体を見て(第十識)私たち日本人は胡蘭成氏の言う悟り識でやっているのですが、
西洋人は潜在識でやるから、影しか見えない。
それで複雑なものを取り扱うほど偉いと思うらしい。
ところが、ものの複雑さの処理法における、人の知の限界は、きわめて低い。
それで次々に行き詰まらせていくのです。
何度もそうしながら生き延びてきたのですが、今度こそ全面的に行き詰まらせてしまったらしい。
もう西洋人だけではやれないでしょう。
西洋の文化は、インスピレーション型であり一年生の草花のように一度花咲けばそれきりなのです。
西洋文化の季節はもう過ぎたのです。
石原:そうでしょうね。どうもそのときに東洋人というのは、
非常に行き詰まった西洋の合理主義、科学全般に大きな示唆を与え得るといわれておりますが、
日本人の場合には、ついにいまや西洋主義の私生児みたいになってしまっておりませんか。
岡:ほんとうですよ。西洋文明とはどういうものかを明治のころまでの日本人はよく知ってたけど、
その第一感を百年の間にけろっと忘れてしまったらしい。
どうしてこんなことになるんだろうと思って考えました。
日本はこれまで有形の文化に接したことが四回あります。
支那の文化。もうちょっと遅れてインド文化。それからヨーロッパ文化。そしてアメリカ文化。
日本の文化は無形の文化です。四度とも、初めて接した有形の文化をいともやすやすと取り入れている。
これは、各人がきわめて的確にその中核を把握することができるからです。これが情操判断(情的純粋直観)です。
日本人は情操判断がよくできるから、取り入れるときはよいのですが、しばらくその文化のなかにいるうちに、
すっかりだらしがなくなってまねのためのまねしかしなくなる。
これはなぜかといいますと、西洋の文明は内容は感情です。その感情に溺れてしまう。
そうしたら、もう情操は働かないのです。なぜかというと、感情を入れると純粋な情操ではなくなるからです。
感情の色どりというのは、必ずなにがしかの意味で自分というものを入れるから、強い色どりになる。
だから、それにひかれるわけです。
しかし、純粋な情操は自分というものの入れられないものです。
だから感情の水のなかでは情操判断は働かないのです。
岡:理性といってますが、感情のはいらんような理性判断をやってごらんなさい。
できません。これも広義の感情判断です。
ところで欧米人は自分の感情のなかにいるのですけれど、日本人はたとえばいまはアメリカ人の感情のなかにいるのです。
アメリカ生まれのマイホーム主義に迷い込んでいるのです。
だからいちいちまねをする以外には身動きもできないのです。
石原:そういう一方的に受け身な文明の態度というものは、どうも日本人の習慣になってしまいましたね。
岡:だから、日本人は男のようなもので、有形の文化は女のようなもので、すぐ女に溺れてしまうのです。
少し慎まなければいけませんね。今度こそはね。
岡:石原さんは、近ごろ、生死の問題を考えておられますね。
石原:考えますね。
岡:人からのヒントはおきらいですか。
石原:そんなことないですよ。
岡:これ、ヒントじゃありません。あなたは当然、信長がお好きです。
それだったら、信長の死生観をご存知でしょう。
信長はいつも先頭に立って“死ねや、死ねや”といって攻めたのです。
そうやられたら相手はかなわぬ。
だから、自分は最初からNothingなのです。残っているのは、Allかどうかということだけなのです。
そんなやり方でしたね。
石原:私自身の卑俗な話になりますが、今年、選挙に出ましたが(1968年参院選、初陣で当選)、
その準備にかかったときに、生まれて初めて大病をしました。
岡:肝炎ですか。
石原:はい。
石原:大病をして、遅すぎる変化が来ました。
政治に参加するには、選挙という煩わしい方法をとらなくてはならないでしょう。
病気をした矢先ですので医者は反対しました。
私のそのときの心境は、やはり信長の“死ねや、死ねや”でしたね。
岡:それでいいのですよ。
石原:ところが終わってみると、忽然として、神仏の加護に対する、畏敬の念が沸いてきましたね。
それはそれで、非常にいいと私は思いました。
岡:いい体験をなさいましたね。“死ねや、死ねや”というのが西洋人にはないのです。
石原:動かないもののなかに、動くものを見るということは、西洋人にはできないですね。
たとえば、音楽に対する概念は、東洋と西洋は全く違いますね。
西洋の音楽は、何か二つくっつかなかったら音楽にならないと申しますが、
日本人は梵鐘(ぼんしょう)の音でもなんでも、一つの音のなかに、音楽を感じますでしょう。
あのような発想を日本人は体質的に持っていたのですが、このごろ、忘れちゃいましたですね。
岡:明治以前までならね。いま、わかっている人は少ないでしょうね。
なにしろ、ことばが変わると、だんだん忘れるものらしいですね。
もうこの辺で思い出さないと、ほんとうに忘れてしまいはせんかと思います。
石原:すべての面で、責任感というものもなくなりましたですね。
愛国心ということばを持ち出さないにしても。
岡:責任感なんてものが、自由がない者にありますか。
石原:ないですね。
岡:責任がかからないか、ということだけです。責任逃れといいますか。
石原:責任の回避に対してだけ情熱的で、責任の遂行ということに情熱的じゃないですよ。
岡:そうすると、もう自由を持った人じゃないですね。
我執はいけませんが、自分の肩に荷を負いたい、というのがなくなったら、それはもうだめですよ。
石原:長い歴史の上では、国家というものは敗戦体験だってするのが当然でしょう。
岡:一度は体験しなきゃわからんです。
あれはただ一度の体験です。
日本はあれによって大人になった。
石原:私もそう思います。
生娘(きむすめ)が男と初めて寝た経験をしたのと同じです。女の一生とすればあたりまえのことです。
ところが、日本はそれで痛がって尼寺へはいってしまって出て来ないのです。
たとえば、核の問題について考えますと、実に愚かですね。
核アレルギーというより、核に関しては無知でしかない。
日本は、核武装はすべきではありませんが、原子力産業は絶対に開発すべきです。
岡:核武装も核開発も同じことでしょう。
石原:そうです。実は同じに近い。一枚の紙の裏表みたいなものです。
だが、それをはがして考えようとすることが愚かなのです。
どうして原子力の平和的な効用に重点をおいて考えないのでしょうか。
原子力産業の時代がきているではありませんか。
石原:日本人一般には、既成の社会秩序が簡単に崩れるわけはないと、たかをくくる楽天性がありますね。
その性癖は全学連の騒擾(そうじょう)にも認められます。
暴れる全学連も、見ている学生や市民も心の奥底では日本の秩序なんか簡単には変わるわけはないと思っている。
全学連は世論と八百長の取引しながら暴れている。
“死ねや、死ねや”じゃないのですね。
本物の闘士なら、死刑の覚悟で行動する。
ところが、つかまっても釈放されるだろう、騒ぎを起こしても社会は変わらないだろう、というのが実状です。
警察の取締りは慎重ですが、政府の態度はいっこう煮えきらず、責任のなすり合いの状態です。
でも日本という船は揺れながらも沈みそうにありません。ふしぎな国です。
岡:こんな国ないですねえ。だから、私、神々の国だと思うのです。
神々が働いてるから滅ばないのでしょうね。
石原:船について、私は切実に感じていることがあるのです。
私は船乗りです。小さな船ですが嵐の中でもレースに行きます。
やはり人間の原初は海であったせいか、海に乗り出すと、水に対する生理的な憧れを持つとともに、不安も覚えます。
水に向かうと、勇気が湧いてきたり、若さがよみがえってきます。
また、極限状況がしばしば、シケという形で迫ってきます。
遭難ぎりぎりの危険に直面すると、八人とか十人のクルー各自の友情、責任、献身、理解が、
それこそ国民全体が歴史の変動時点に対処するように、
その瞬間ごとに、完璧な形で現れてこないと、船もろとも全員が死滅しかねない一瞬があるのです。
おのおの異なった個人なのですが、私は一度にだれもかも好きになってしまうのです。
岡:なるほど、なるほど。よくわかります。その気持、いまの日本人にどうしても必要です。
きょうは、全くさわやかないいお話をしていただいて、嬉しゅうございました。
ありがとうございました。
林修、日本エレキテル連合に「ジンクスに振り回されないで!」とエール(マイナビニュース)
バラエティー番組『林先生の痛快!生きざま大辞典 2時間SP』(TBS系 12月10日 19:56~21:56)の収録が4日、東京・赤坂の同局で行われ、
予備校講師でタレントの林修と吉田明世TBSアナウンサーが臨んだ。
同番組は、今年4月から深夜枠で放送しているバラエティー番組『林先生の痛快!生きざま大辞典』(毎週火曜 23:53~24:38)のスペシャル版。
特番となる今回は放送枠をゴールデンに移し、MCを務める林修が、
羽生善治をも虜にしたチェスの天才・ボビ・フイッシャーや世界一IQが高いマリリン・ボス・サバント、
日本が世界に誇る数学者の岡潔など国内外の天才を紹介するというもの。
進行役としてお馴染みの吉田明世アナが登場するほか、豪華なゲストも出演する。
この日は同番組の収録が行われ、収録の合間に報道陣の取材に応じた林と吉田アナ。
林は収録の手応えを「バッチリですね。面白いところだけで、どうやって編集するのか心配なぐらいです」と自信を覗かせて
「本当に中身が濃い2時間で独特の新しい面白さが伝えられると思います。特に今日は芸達者なゲストさんが多いので助けてもらいました。
どちらかと言うと、僕が攻める方で吉田さんがほのぼのとした瞬間で癒してくれる。
今日は上手にやってくれました」と吉田アナをはじめ共演者に感謝。
番組については「やっぱり本当にすごい人は数多くないが、いるということを改めて認識させられました。
でも天才だから我々とかけ離れているんじゃなく、天才だからこそ人生のヒントがたくさんあるんです。
天才の生き様を紹介しますが、見ている方に自分の生き方を見直すきっかけになれば嬉しいですね」とアピールした。
そんな林をレギュラー番組から間近で見ている吉田アナは
「林先生は天才ですよ。林先生の説明力や説得力には毎回驚かされます。
時間がない中、たくさんの人の生き様を頭に入れてプレゼンするわけですから。私だったら絶対に無理です!」と賞賛すると、
林は照れながらも「俺は天才じゃない!芸人さんには勝てないですよ。本を読んで情報を整理して話をするのは僕の得意分野なだけですから」と否定し、
吉田アナに「TBSのこれからを担うホープとして物凄い番組に出ていますから、
身体に気をつけて健康管理だけしっかりして楽しく参加していただければ十分です」と気遣う場面も。
また、新語・流行語大賞(2013年に「今でしょ!」で年間大賞を受賞)の先輩として
先日「ダメよ~ダメダメ」で年間大賞を受賞した日本エレキテル連合に「芸人さんが獲ると翌年消えるジンクスを気にされていますが、
本当にそんなものに振り回されないで面白いネタを見せてください!」とエールを送り、
「今でしょ?僕はそろそろ消しておかないと(笑)」と苦笑いを浮かべていた。
「日本民族の危機 葦牙よ萌え上がれ!」の出版って西村眞悟や藤井厳喜に支援されてたのな。
394 考える名無しさん 2014/12/08(月) 18:50:29.90 ID:
堯は国つ神(国津神)、舜は天つ神(天津神)。王道政治と祭政一致の違いはここにある。
岡潔最晩年の座談集である聴雨録によると、国つ神は9識以下の神、天つ神は10識以上の神。
有形文化は国つ神の文化で、無形文化である日本文化は天つ神の文化。
応神天皇以後の日本は外国の物真似ばかりしているから、
雄略天皇の時代に朝鮮の信仰に影響されて
伊勢神宮の外宮は天つ神である天月読尊ではなく国つ神である豊受大神を祀ることになってしまった。
古事記は聖徳太子が法隆寺夢殿で造化の再放送を見たことにより遺されたもの。大化の改新のために文字化が遅れた。
しかし聖徳太子は国つ神しか見えなかったから、日本神話は不完全な形でしか伝わっていない。
明治天皇は明治神宮に祀られて初めて国つ神から天つ神になった。
395 考える名無しさん 2014/12/13(土) 01:49:34.64 ID:
草薙剣(天叢雲剣)の歴史
初代―→素戔嗚尊が大蛇の尻尾から取り出し、焼津で霊験を顕し、熱田神宮で祀るが所在不明。
二代目→安徳天皇入水により所在不明。
三代目→伊勢神宮が神のお告げで京都へ奉納、宮中に現存。
古事記の第一次国産みは杜撰。
安徳天皇入水が第二次国産みの始まりで、1974年3月で概ね仕上がり、2011年3月で完了した。
天月読尊の分身が要所要所で働いてくれた結果。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十三識の文例
「人間をつくったもの」
法学部二年 男子学生
人間は与えられたものを生かすことは出来るが、与えられていないものを生かすことは出来ない。
人間は生長することは出来るかも知れないが、それは生長するように出来ているからで、
そう出来ていなければそれまでです。
我々がいろいろのものを見たり聞いたり経験したりすることが出来るのもそういう風に我々がつくられているからで、
つくられていなければそれまでです。
私は髪の毛や爪に神経がないので切っても痛くなく、又血がないので切っても血が出ない。しかしそれはそうつくられているからです。
我々がものを食いたいのも、又何か飲みたいのも、
又生きたい、死にたくないと言うのも我々がそうつくられているからです。
人によって好き嫌いが違う。それもある所まで矯正することが出来ることもありますが、それもそうつくられているからです。
我々は自分の力では味覚、嗅覚さえつくることは出来ないのです。
我等は与えられているのを当然と思い過ぎている。
又それは本当のことのわかる人から見たら当然に過ぎないかも知れないが、我々はまるでそれを自分で持っているような気でいます。
しかし一寸反省してみれば、我々はつくられたままに生きているに過ぎない。
そして泣いたり笑ったり悲しんだりするのも、そうつくられているからに過ぎない。
こう考える時、我々は自分達をつくってくれたものは少なくとも我々自身は中々微妙につくられているということを感じるであろう。
我々の味覚にしても、実に複雑な味を感じることが出来るように出来ている。
それは生きることに必要以上である。
飢えた時は食を撰ばずと言う。我々が生きるためだけに味覚が与えられていたのなら、もっと味覚は簡単でいい、
味覚が複雑であるということは、我々の生活をぜいたくにさせ、面倒にするかもしれない。
だが味覚が与えられている以上、出来るだけの良いものが食いたいと思うのは人情である。
そして人間は自分に許された力でその人情を満たそうとする。
かくて料理が進歩する外に、農作物や家畜の改良、果樹などの改善が行われる。
この欲望を満たすための人間の努力は昔から今日までに大したものであったろう。
そして人間の食えるものをあらゆる山から、谷から、川から、海から………とることに骨惜しみをしなかった。
それは生きるためでもあった。
しかしそれ以上でもあった。
自分は人間に複雑な味覚が与えられていることが人間にとって幸であるか不幸であるか知らない。
しかし人間がそうつくられている以上、うまいものを食う喜びを、まずいものを食うことより求めたがるのは人情と思う。
そしてそれは自然である。其処に人間の罪悪も生まれるが、努力も生まれる。
そして正しい方法で、人間により甘いものを食わせることを考え出し、またつくり出したものを自分は讃美しようと思う。
そして自分の理想的な世の中においては、人間の健康を害しない、又他人を不幸にしない方法で、
誰もがうまいものを食えなければならないと思っている。
固い言葉で言えば良心に恥じずに兄弟姉妹と喜び合って甘いものの食える世の中であることが、
理想的な世の中の一つの条件と思う。それは最大の条件でないにしろ。
又自分は人間に与えられている味覚につき、視覚につき、聴覚につき、触覚についても同じことが言えるであろう。
元より我等は同一刺激には飽きる。しかし我等はより美しい調和を求める。
元より我等は生きなければならない。又生長しなければならない。
動きのとれない調和では困る。それは生長する調和でなければならぬ。
そして我等の勇気を眠らすものではなく呼びさますものでなければならない。
理想の社会は、人々が退屈する社会であってはならない。
人々が生き生きする社会でなければならない。
美しい音楽、美しい画、彫刻、建築、美しい都市、それ等は人間の本能を不健全に刺激するものであってはならない。
それらは、人間を本当に生き生きさせる喜びと、勇気を与えるものでなければならない。
我等の楽園は遊ぶにも適した所であろうが、更に生きるのに適した所でなければならない。
部分と全体が生きなければならない。
其処に調和せる美が生まれる。
そして我等に与えられた複雑な感覚が、それによって嬉しく呼びさまされる。
そして生きた喜びを我等はその時感じる。
又そう感じるように我等の感覚を生かしてくれるものに対して我等は本当に美という感じを持つのである。
つまり我等が美を生み出すのは、その喜びを本当に味わいたいからである。我等がそうつくられているからである。
人間は何を愛さなければならないか、何を讃美しなければならないか、何によって生き甲斐を得なければならないか、
それは人間がつくられたままにすなおに愛せるものを愛し、讃美できるものを讃美し、生き甲斐を得られる時に生き甲斐を感じれば良い。
それは理屈ではない事実である。
しかし我等は其処に人間をつくったものの意志を見ることが出来る。
人間をつくったものは人間に何を嫌わせようとしているか、
人間にどんな世界をつくらせたがっているか、
人間がどう生きることを欲しているか。
それを我等は我等のつくられ方によって知ることができるのだ。
我等はとにかく長生きしたい。死にたくない。それはそうつくられているからです。
そして其の為に必要なものが与えられている。
我等は生きる目的は知らないでも生きたいと思うことは我等をつくったものの意志で悪いことではなく、
むしろ我等はすべての人が長生きすることを望むべきである。
我等は美を愛するように出来ている。
それは美を地上に生むことを我等をつくったものが望んでいるから、と見ることができる。
この世に不幸なことが起こる。そして人間はまだ完全には生きられない。悲惨なことが起こりやすい。
我等はそれを喜ばない。どうかしてそれから助かりたく思う。それもそうつくられているからである。
我等をつくったものは一方自分だけでも生きたい気を強く持たせ、自分の生命に執着させ過ぎているように見える。
しかしこの世に悲惨なことがあり、生存するために非常な闘争が必要である間、
人間が一方そうつくられているのはやむを得なかったのである。
愛するものが死ぬように他人の死を一々感じるようにつくられたら、
我等はこの世に泣きに来、又自殺しに来たに過ぎなくなる。
其処から色々の不幸が起こりうるが、
それは人間がまだ生きる為に闘争しなければならない時代の本能で、
皆が助け合って始めて気持ち良く生きて行ける時代が来たら、
今我等の世間に存在する残忍性は段々姿を隠すであろう。
それは我等をつくったものの意志を知るものの等しく認める所である。
何故かというとそれ等の本能が生かされる時我等の心を淋しくし、人間に生まれたことに喜びを失うようにできているから、
人間が人間に生まれたことを本当に喜びたく思う時、人類にとって自己を傷つける傾向のある本能は、
すなわち人間同志の闘争的本能は、消えて行かなければならない運命を持っている。
今はまだ人類が全面的に自覚を得ていない時で、自覚を得た人はごく少数きり無く、
他は自分が死ぬか相手が死ぬかという境に追い込まれつつあるので、
個人の内にある自己保存の本能が、同じく自己の内にある人類的本能と衝突することが避けられず、
自分の心がそのために調和がとれず、其処に自暴自棄な態度が生まれるのである。
自分の心に平静が保てない時、その人は落ち着きが無く、殺伐になるのはやむを得ない。
さらに、自分の仕事を持たず、人類のために役立つ製作的な、あるいは建設的な仕事を持たないものは
適帰する所を失うのはやむを得ないと思う。
然しそれは病的現象であって、人間をつくったものは、そんな状態に人間が落ち着くことを好まないことはわかり切っている。
人間をつくったものが人間を落ち着けたがっている世界、それはすべての川が入りたがって流れていく海のような世界、
それは我等の理想とする世界であって、我等は其処へ達する為に働くことを、
我等のつくったものによって命ぜられているのである。
それはいつ達せられるかわからない。しかし其処に達するまで、我等は本当の意味では落ち着けないであろう。
だがそれを目指している間、我等の内に希望が湧くように我等は又つくられている。
それがあればこそ我等は自分の一生で達せられるとは思わないでも、
一方落ち着いて大いなる希望を持ちながらその日その日を努力して、
足もとを忘れずに一歩ずつ進んでいくのである。
そして後戻りする必要も無いのである。
我等をつくったものの意志を内に感じるものは、
内心の要求をのみ無上のものとする。
其処に神の意志を奨励を認める。
歴史や現実はどうであろうと、目指す所は忘れない。そしてその為に静かに土台をつくることが出来る。
どんな嵐の中でも思想の混乱している時でも、それを貫いて我等を導くものは、
我等をつくったものの意志である。我等の内に生まれる内心の欲求である。
これを感じないものは遂に目的を忘れて、嵐に巻き込まれる。
我等をつくったものの意志を尊重しなければならない。
もの二つ、三つ組合せてつくるに非ず、黄金を打ち延べたるようにてありたし 芭蕉
10識の10という数字は非常に意味深な数字で、統計学が成立する理由は何でも10で区切れるから。
真情がいかに大きな意味を持つかわかる。
13という数字はちょっと不可思議な数字。
旧制三高寮歌である「逍遥の歌」「紅萌ゆる」の作詞者は13識にいる。
12識から13識に上がるのは非常に大変で、
岡自身13識から眺めると、今回の人類の旅路は星を移らないで済むかもしれないと言っている。
それにしても、星を移るっていうのを映像化したFF13のナンバリングタイトルが13だったというのは因縁はあるかもね。
11識を使い過ぎると早く死ぬっていうのもこのゲームの中で映像化されてるし。
■一般人の認識
ボトムズ:新左翼とアニミズムの融合
エヴァ:ヤマトとガンダムとパトレイバーとナウシカを足して4で割った話
マクロス:ヴァルキリー
ギアス:ボトムズの監督の弟子がCCさくらと一緒に足場崩しする話
ガンダム:世界大戦の末期、雑魚敵兵器ザクを倒す航空機ガンダムを開発した連合は、
ジオンを植民地支配時代に見事回帰させることに成功するも、左翼三派同盟の抵抗に四苦八苦していた。
エレズム・コントリズム・ニュータイプ運動を三本柱とするジオニズムを実践する左翼三派同盟は、連合を散々苦しめるも、
最終的に世界大戦を再現したために、黒歴史として忘却の彼方に埋葬されるのであった。
その左翼三派同盟を批判するアナザー諸国は、黒歴史の呪縛の解除に全国力を傾注していく。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十四識の文例
「私と子供の本」
外国語学部一年 女子学生
本屋に入れば一時間も二時間もウロウロしている私ですが、近頃またその時間が延長し始めています。
あの狭い本屋のどこをウロウロしているのかと言えば、ほんの小さなコーナーなのですが、
そこはもう時間や空間を超越したファンタジーの世界なのです。
ワッといろんな色が飛び込んで来る絵本のコーナーとずらりと並んだ童話のコーナーは、
私に一大変革を持ち込んだのです。
何か私に無限の世界が広がったような気がします。
こうなる機会を作ってくれたのは、絵本「木」(堀文子作)でした。
本との出会いというのは、こういう事なのでしょうか。「木」は、それまでの絵本に対する私の概念を見事に打ち砕きました。
日本画家で知られていた堀文子さんの絵は、一頁一頁の絵でもって私に感動を与えました。芸術なのでした。
作者が全力投球で、真剣に絵本と向かい合っているのが感じられました。
私がそれまで知っていた絵本を見る時、何か窮屈な思いに駆られるのです。
大人から見下されているような。
例えば、こんな絵本があります。
お風呂の入り方とか服の着方とか、ある主人公がこうなったのはこういう悪い事をしたからなのよとかいった教訓めいた本です。
私は今ではそういう類の物を目にした時、腹立たしくなるのです。
どうしてそんなことまで絵本の題材にしなくてはいけないのか。
絵本には、もっともっと重要な子供たちへの役割がある。そんな日常的なことは、母親が実際に教えたら良いことではないか。
私の大事なファンタジーの世界を汚さないで下さいと言いたくなるのです。
絵本の重要な役割……これをここで私は考えていきたいと思います。
多く大人は、子供に本を読む時には必ず何かを学び取らせる事を欲します。
そしてその何かの無い本は遠ざけて、何かの有る本だけを与えようとします。
小学校の頃夏休みの宿題で何とか課題図書とか称して、無理に読まされ、感想文を書かされたことを思い出します。
あの時は、随分しんどい思いをしました。
大人は、大人の既成概念の枠で子供たちを囲もうとしているようです。
子供たちのエネルギッシュな心を拘束するのは、自分のような大人の状態に高めよう(?)とする事と思い込み、満足し、
子供たちに対して優越感に浸っているなんてなんとも滑稽ではありませんか。
子供の世界は無限であると思います。
自由な創造力とトンチンカンと残酷(それは生の心から欲される結果)とのびのびした楽しさとの世界にそんな枠をはめ込もうとするのは不自然です。
私が子供の本に魅せられてしまったのは、その無限の世界故です。
そこから何かを学び取るとかいうようなものではなくて、文句無く理屈無しで楽しめ、遊べるのです。
そこでは、もう本を読む時の長年の私の癖である本から何かを学び取ろうと身構える事は無意味なような気がします。
こんな風に私に考えさせて来た私の出会った絵本や童話を紹介し、その際気付いた事も少し書いておきたいと思います。
絵本と童話との出会いは驚きとの出会いです。
そしてその驚きは、その本一冊一冊で種類を異にします。
絵本では、先ず堀文子さんの「木」が最初に書いたように新鮮な驚きでした。
これはまず、初体験とでも言うべきものです。
そして、最高のお気に入り、「おしゃべりなたまごやき」(寺村輝夫文、長新太絵)があります。
内容は窮屈そうににわとり小屋にひしめくにわとりを可哀想に思った心やさしい王様は、彼等を放してやります。
城中は大騒ぎ。犯人は誰だと探し回る家来たちをよそに、王様は自分が犯人と知っている一匹のにわとりに「誰にもいうなよ」と命令するのです。
ところが、夕食にそのにわとりの卵で作った目玉焼きが出て来て、
それを食べると王様の口の中から「誰にもいうなよ」という言葉が飛び出して来るのです。
何てナンセンス。何て愛すべき王様。そしてこの長新太の絵のきれいな色といったらないのです。
ここまで言って来てふと思うのは、子供ではない自分のひとりよがりの自己満足ではないかという事です。
子供にも、果たしてそんな風に受け入れられるのかと言えなくもありません。
けれど私は、受け取り方は違っても子供は子供なりにこの素晴らしい絵本を楽しんでいると信じたいのです。
昔見た日本昔ばなしやディズニーの可愛い動物たちを時折静かに思い起こすのは、
やはりその時の印象が私の心の中の隅っこに静かに眠っていたとは言えないでしょうか。
そういう印象の種を持たなかった大人たちに、今素晴らしい絵本を読んでもらっても、種の無い心に芽がふくかしらと考えてしまうのです。
その他、ソビエトの画家ヤーノシュの「おばけリンゴ」などの外国絵本もその創造性において、嬉しい絵本でした。
童話では、私が涙をポロポロ流して読んだ「木かげの森の小人たち」(いぬいとみこ)は、絶対に忘れられないものの一つです。
鋭い反戦の内容を持ちながら、私たちに小人は日本のやさしい心を持つ誰かの保護のもとに今も生きているとふんわりした気持ちを思い起こさせます。
それは、あの小人たちの命を繋ぐ空色のコップの象徴的な鮮やかな印象から起こるのです。
童話ではありませんが、稲垣足穂の「一千一秒物語」はとびきり上等の私への贈物のように思えました。
クールなナンセンスと硬質な光りのきらめきは、新しい大きな発見でした。
文集の少年愛のイメージも好きです。とにかく私はタルちゃんの新奇な世界に参ってしまったのです。
「たんぽゝのお酒」(レイ・ブラッドベリ)は、奇妙で詩的な少年の夏の日の世界でもって私をころりとさせてしまいました。
「まっぷたつの子爵」(イタロ・カルヴィーノ)は、大人の心臓をドッキリさせてしまう。
子供にはユーモラスでちょっと怖さがあって、とファンタジーの世界に満ちているのですが。
現実社会への批判の鋭さに、この本は現実感を持って私たちに迫って来るのです。
しかしその影に隠れる作者の暖かい心が感じられ、ホッとしました。
「僕の村」(ジャン・コー)のナンセンスは、とびきり上等のフランス風センスを心得ていました。
谷川俊太郎の「ことばあそび」というのがあります。
自由自在に何の意味も特別持たず言葉を操るそのナンセンスに私は、好きな詩人であるだけに感動しました。
そこに子供たちが無心に遊ぶ姿を見たのです。
ナンセンスと言えば「地下鉄のザジ」(レーモン・クノー)も、大人の味は強いとはいえ枠を超えた面白さを持っていました。
そして宮沢賢治の童話はいつ読んでも新鮮ですし、
「ピーターパンとウェンディ」を読む時のあの緊張感も薄れてはいません。
近頃では、読んだり見たりするだけでは飽き足らず、自分でも書いたりするのです。
他の人の創造の世界に遊ぶことは、いろいろな新しい発見があってそれは楽しいのですが、
自分だけの自分が生み出すファンタジーの世界に遊びたいという気持ちが強くなって来ているのです。
それはやはり創造の楽しみでしょう。
絵本や童話の子供たちへの大事な役割とは、この創造ということだと思います。
子供は、大人の既成概念の枠にはめられる前に、創造の世界に生きて自分の内に眠るあらゆる可能性を知らなくてはいけないと思うのです。
そうすることの出来なかった私は、現実世界に生きてきて、
その中の周囲のいろいろな事に気を配りながら常識的、習慣的、義務的人間になってしまった自分にウンザリし、
今更枠を壊したいという願いを子供の本に向けているというわけです。
今度本屋に立ち寄る時も、又ふらふらと児童書のコーナーに吸い寄せられるでしょう。
今日はどんなびっくりする本に出会えるだろうかと。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十五識の文例(其の一)
「子供は天才」
経済学部二年 女子学生
子供の世界を静かに観察する事から始めよう。
子供は元気に遊びたわむれる。子供は遊びの世界に生きるのである。
女の子供は、ままごと遊びに明け暮れする。子供はきまって親を百貨店へひっぱり出してゆく。
そして、そこでままごと遊びの道具などを買わせようとするのである。
おもちゃ売場へ行くと驚かされる。そのおもちゃの種類のおびただしい事、何でもある。
ところで、それを眺めていると、大人の世界が、一つの売場に完全に集約されているような感じを受けるのである。
子供が手にして選ぶ色々なおもちゃを見ていると、自分までもが、おもちゃ売場の一隅に小さくならべられた人形の様に感ぜられてくる。
子供が、あれやこれやと手にしているおもちゃを見ていると、
テレビ、ラジオ、ガスレンジ、洗濯機といった高級品から食器セットまでの家庭用品、自動車、電車、汽車まで……。
人形はと手に取れば、ミルクを飲み、おしっこもするといった具合である。
実際の話、おしっこもまともに出来ず、又言えもしない子供が、そういった人形を手にしたいらしく買ってくれとせがむのである。
ご飯もまだひとりで食べられない子供が、食器セットを手にしたがる。
ガスレンジもスパークが出るような本物まがいのが欲しいらしく、おねだりを言い、あげくのはては、だだをこねるのである。
一、二歳頃までのおもちゃは、視覚的要素だけを考慮に入れて作られているらしいが、それらに満足している期間は、はたしてどれほどだろう。
見ているとものの一年もたたない間に、どんどんこわし始める。
破壊するのだから、子供には満足を与えていないことになる。
もう子供は一足とびに、ままごと遊びの道具を欲しがるようになる。
まだ子供だから、身体は十分機能的に動き得ないのに、観念的には、十分発達した機能的動きの中で遊ぼうとする。
要するに、視覚とか聴覚だけを部分的に満足させてくれるおもちゃでは満足できなくなってくるらしい。
それがどうも子供が盛んにままごと遊びの道具をせがむ理由らしい。
さて、たまたま、このままごと遊びの道具を首尾よく手に入れた時、
子供はこれで、どのように楽しく遊ぶか、しばらくこれを眺めることにしよう。
例えば、台所用具一式を幸いにも子供が手に入れたとしよう。どうするだろう。
ガスレンジには鍋をかけ、食器をならべ、お台所仕事がはじまる。
ところが、ここで異様な動作が行われている事に気がつく。
それは何か、と言うと彼女達は、きまってそのままごと遊びの主人公になろうとする、という事である。
例えば、隣から友だちを呼んで来て、お客様としてすわらせる。
すなわち、自分が料理をしてご馳走する立場に立とうとする。
お客様がいないとまことにご機嫌が悪く、うっかりすると見ている大人までがひっぱり込まれてしまう。
そしてとんでもない、むなしいご馳走にあずかるはめにさえなる。
ご馳走の中身が、そこらにある草である場合もあり、或いは、紙片かも知れない。
ある時には、何もない事もある。寒い時は暖かそうに、暑い時は冷たくして出される。
子供は、よちよちしながらも、かいがいしく立ち回るのである。
うっかりして大人が、そのままごと遊びの主人公にでもなろうものなら、大変なことになる。
次々と彼女達によって展開されていく生活環境は、驚くべき事に、全くもって大人のそれであるということである。
たまたま、そこに相手役をつとめる人間がいないとすると、さっそく選ばれ、御相伴役(ごしょうばんやく)を仰せつかるのが人形である。
この人形には、最上級の敬語と愛情が、注がれる。
彼女は、この無言のお客様のご機嫌を損じないように、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を続ける。
ミルクもコーヒーもパンも、時には、あまり口にもしないようなものまでがご馳走される。
人形は無言だが、彼女はしゃべり続ける。しかも驚くべき事に、その言葉遣いが異常なほどに大人びてくる。
最上級の敬語というのがそれであり、言葉のデリケートなニュアンスも案外間違えない。
動作のジェスチャーも機微にふれている。
平素は坐れもしないのに、きちんと無理をして坐る。
歩き方はと見れば、きまって花嫁の真似をする。
人形に対する態度は、友達としてではなく、母親が子供に対するがごとく、
彼女自身がおしっこを言うのを忘れていても、人形のおしっこをさせる事だけは忘れない。
まことに、さまざまな世界をここに構成する。
その世界の主人公になることによって……。
ところが、ここへ母親でも帰って来たとしよう。
そして、たまたま美味しいお菓子でも買ってきたとすると、もう彼女の性格は一変してしまうのである。
ままごと遊びの主人公は、どこかへ行ってしまう。
性格が変わるといったものではなくして、彼女自身の場を変えてしまうのだ。
遊びの世界の主人公が、母親のふところにその場を転換せしめてしまう。
即ち、母親と自分という関係において自分を意識した時にはもはや、ままごと遊びの主催者ではなくなってしまい、
母親のふところに、即ち母親の世界の一隅に、だだっ子として位置づけられてしまう。
本能的にはっきり自覚しているかどうか、それはわからない。
しかし、言葉、態度、行動は一変してしまう。
大人びた言葉は、一言もはかないし、大人の真似ごとの挨拶でもって母親を迎えたりは絶対にしない。
ままごと遊びの時には、玄関に手をつき、お客を招じ入れる格好を何回も何回も繰り返しておきながら、
それはもう、けろりと忘れてしまっている。
人形にもったいぶってミルクを飲ませ、あやしたり寝かせたりした事も忘れてしまって、母親の胸に飛びつく。
こんな全人間的な変革が瞬時に行われる。
このような変革の為に、子供は何らの苦労もしないらしく、又そんなに変革した事も意識しないようだ。
もしも大人が、大人の世界で、こんな大きな性格変化をしたら、いったいどんなものだろう。
狂人呼ばわりされても仕方がないだろう。
子供たちは、別に狂人ではない。こんなに鮮やかな世界の転回をやすやすとやってのけ、後はまことに春風駘蕩たるものである。
実に天才の名にふさわしい。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十五識の文例(其の二)
「ならの小川」
外国語学部二年 女子学生
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
風がそよそよと楢の葉をそよがす音がする。
そんな、ならの小川のあたりの夕暮れは、涼しくて、もうすっかり秋らしいのであるが、
その小川で行われている六月ばらいの行事だけが、今日がまだ夏のうちである証拠なのだなあ。
と歌の意味は大体このようなものである。
「みそぎ」は夏の行事であり、川原で身についたけがれや罪をはらい除く神事で、
ここは六月晦日に行われる「六月ばらい」であって、それをもって「夏のしるし」と確認している。
六月晦日は暦の上では夏の最後の日。すでに秋との交替は始まっている。
現にまわりの情景には、もう夏らしきものはなく、上の句がそれを語っている。
肌に感じる風にしろ、「風にそよぐ楢」の葉の音にしろ、小川の流れにしろ、ましてや、夕暮れ時はすべて涼気を感じさせるもの、
秋である。
作者、藤原家隆がこの歌を詠んだのは、今からおよそ八百年余りも昔のこと、
当時の人々は、この行事をどのように感じていたのであろうか。
凌ぎやすい初秋を待ちこがれている人々は、早くから秋の気配をさがし求めていたであろうが、
この行事を切り目に、いよいよ明日からは秋だと思う、そのよろこびと共に、
かえって去って行く夏にも何かなごり惜しいものを感じたのではないだろうか。
生理的に感ずる季節感を大切にする一方、暦による精神的な季節感によって強く支配されてもいたようである。
自然界にみる四季の変化に敏感ではあったが、ふんぎりをつけるのは、やはり暦によったのだった。
さて、長々と歌についての説明を書いたが、何故、私がこの歌を選んだかというと、それは歌の中にある「ならの小川」にある。
この「ならの小川」というのは、実は上賀茂神社の境内を流れている「御手洗川」のことである。
それを私は、今年のお正月まで全く知らずにいた。
元旦に久しぶりに小倉百人一首の本を見ていて、初めて気がついたのである。
山口県から京都へ来て、ここ、上賀茂に下宿して、毎日、神社のそばを通り、その川を渡って大学へ通っていたのである。
今までは何とも思っていなかった、この一つの歌が非常に身近に感じられた。
そして、また京都の街の歴史の古さを一層深く感じさせられたのである。
今は冬、寒々とした上賀茂神社の境内を流れているこの小川は、
今もまだ一点のくもりもない程に澄き通り、
私の身も心もすべて洗い流してくれそうである。
わたしが確認の旅路の第十二識にいた時、或る日不思議な情景を見た。
わたしの部屋のわたしの机の上に非常に大勢(千人位)の小さな人が真っ四角に整列している。
と見ると、其のn人が合一して少し大きな人になった。人数は1/nに減った。
この合一を繰り返して見る見る減って行き、到々大分大きな一人の人になって消えた。
わたしは第十五識の個人の主宰者はワンサイクルτ1-α1だが、
第十四識に下ると30サイクルズの合議制となり、
第十三識になれば30の2乗サイクルズの合議制となり……
第七識上層になれば30の8乗サイクルズの合議できまるようになっていると思う。
第十五識、第十四識、第十三識を見ると如何にもそれがよくわかる。
第十五識の第二例は一昨年の作文であって、此の人だけはもう自覚の旅路に入っている。
第十五識は二例ともそれでよいが、第十四識は口数が多すぎる。
第十三識は其の上理屈が入り、それにくど過ぎる。
第十五識を天(あめ)なるこころだけとすると、第十四識、第十三識と、段々土(つち)の要素が餘計入って行くのである。
第十二識-第十五識(其の一)を並べて見ると、こう云う感じである。
第十一識と第十二識との境界上の世界に「悟」の実がむすぶと、
造化はその種を第十二識と云う畑に蒔き、芽が出れば第十三識に移して育て、これを時機をみて第十四識に移して花を開かせる。
その香りと云うエキスだけを取り出したのが第十五識である。
第十五識の第二文例は、認識の旅路を終えて一度ふるさとの生命の源流で浴し、それから自覚の旅路についたのだろう。
この水浴の印象を御手洗川の上に再現したのだろう。
実に名文であって、少しも人工の跡がない。
(帰郷してみて、第十二識以上は皆よく書けている。既に個性が見られる。
第十五識の第二文例は絶品である。人の世に於ける文の最高峰であろう。)
「春雨の曲 第7稿 第5章 無明、生死、染色体」より 最終段落
フリーセックス時代は真に恐るべきものなのであって、
且つてアテネはこれによって繁栄の絶頂から滅亡まで僅か百五十年位で亡びたのである。
日本の現状はそれよりも更にひどいと思うから、此の儘推移すれば百二十年位で日本は名も知らぬ土人の島と化し終わるであろう。
学生の自由作文によって見れば、今でも日本人の半ばは、実質的には異邦人である。
日本民族の日本民族たる所以のものは女性が主になって守るべきである。
造化は女性をそう造っているのだと云う証拠として、染色体のお話をしたのである。
女性が率先してフリーセックス時代を謳歌するようになっては日本はもうおしまいである。
今年の自由作文にお嫁があるだろうかと云って心配していた男の学生がいて作文は名文であった。同感である。
――完――
保守
岡潔聴雨録bot
https://twitter.com/chouroku_bot
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は••••」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。
429 考える名無しさん 2015/06/11(木) 09:11:41.22 ID:
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は????」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は・・・・」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。
https://twitter.com/chouroku_bot
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https://talk.jp/boards/giin/1730272562
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 特別篇
https://talk.jp/boards/giin/1725895960
新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇
https://talk.jp/boards/giin/1719208381
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ウルズハント
https://talk.jp/boards/giin/1689078844
この前テレビで紹介されてて気になった
2 132人目の素数さん [sage] 2015/03/18(水) 15:59:20.74 ID:cxdfU4pY
それはあっちから解ける
3 132人目の素数さん [sage] 2015/03/19(木) 01:43:09.73 ID:jrDo6PkV
>>1
とりあえず「岡潔全集」を読め
4 132人目の素数さん 2015/03/19(木) 17:05:41.10 ID:/1a1nrd5
京大で講師をやった後京大出て戻らなかったの何で?
5 132人目の素数さん [sage] 2015/03/19(木) 17:55:18.03 ID:tmXz3Q4v
御人格
6 132人目の素数さん [sage] 2015/03/19(木) 18:17:27.87 ID:46aG4jiT
ggrks
■
8 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 09:36:29.07 ID:nxj+q6ZS
■
9 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 09:37:02.12 ID:nxj+q6ZS
■
10 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:38:51.90 ID:nxj+q6ZS
■
11 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:39:21.16 ID:nxj+q6ZS
■
12 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:39:50.88 ID:nxj+q6ZS
■
13 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:40:22.33 ID:nxj+q6ZS
■
14 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:40:58.85 ID:nxj+q6ZS
■
15 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:41:34.73 ID:nxj+q6ZS
■
16 ■ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2015/03/29(日) 11:42:12.28 ID:nxj+q6ZS
■
本を出しても出しても岡自身の思ったようにはわかってくれない、
何故かといったら、全てが間違っている、だから正しいことを少しだけ書いても無意味だ、
したがって隠居し春雨の曲の執筆に専念したとのこと。
哲学板の岡スレ読んでも、大多数の読者が殆んどわかってないと思った方がいい。今のご時世になっても。
真情の目で確認しないから。忙しさを理由にして、側頭葉の「文字に読まれる」から。
岡自身の発言を拾い出して哲学板の岡スレは伸びてきたが、中途半端にしかわからない読者ばかりだからもう伸びないだろう。
18 132人目の素数さん [sage] 2015/03/30(月) 07:11:30.25 ID:ckpagcyu
わけのわからんことを
19 132人目の素数さん 2015/03/30(月) 09:38:19.41 ID:uE9V/KQf
数学の中で業績を位置づけるくらいの事は出来そうだが
20 132人目の素数さん 2015/04/08(水) 04:39:20.80 ID:lKr1fw/Y
Oka.Cartan 理論て何?
1950年にフランス数学会の雑誌に載った二つの論文を
中心とした、多変数解析関数の基礎理論をさす。
22 132人目の素数さん 2015/04/10(金) 06:12:57.94 ID:NuuJyY4D
イデアルの論文か
23 132人目の素数さん 2015/04/15(水) 06:08:46.72 ID:AFRYmhTd
不定域イデアル
連接層
24 132人目の素数さん 2015/04/17(金) 08:18:17.78 ID:DsbSq0lO
何であるアイである
イデアルである
イデとは何か
イデオンとは
層は残り、イデアルは消えていく…
定義は残り、定理は消えていく…
定性は残り、定量は消えていく…
呼吸器総論は残り、呼吸器各論は消えていく…
動物神経は残り、植物神経は消えていく…
26 132人目の素数さん 2015/04/21(火) 07:04:55.50 ID:su6CuWeB
上空移行は残る
27 132人目の素数さん [sage] 2015/04/22(水) 00:57:50.02 ID:CPdVENX/
不定域イデアルは始まってもいない
28 132人目の素数さん 2015/04/22(水) 06:39:11.17 ID:KfLLC3hM
微積分が残り
流率法が残らなかったブルバキ
岡潔聴雨録bot
https://twitter.com/chouroku_bot
30 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 06:41:42.39 ID:l++YUOMa
こんな語録は残したってしょうがない
昨日の野口先生の講演に岡の原理が出てきたが
こういうものとは無関係のように思う
31 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 09:57:50.22 ID:eB4/fVVY
岡は最期は数学も、はたまた文字も言葉も捨てた世捨て人生活だったからな。
無関係と捉えるのが一般の学者の言い分だし、普通はそう思うよね。
ただし、岡はそういう言い分を聞くと(数学やってた時代ですら)烈火の如く怒る人物だったが。
32 132人目の素数さん [sage] 2015/04/25(土) 21:53:45.13 ID:swDtHd8E
若手数学者が研究結果を発表するのを最前列で聴いていた岡。突如立ち上がり、教室中に響き渡る大声で
「待て!その研究は進むべき方向が180度違う!」
と発表者を叱責、そして徐ろに教室の後ろを指差しながら
「正しい方向は…あっちだ!」
と叫んだという。
>>32
その若手数学者は一松信
高瀬正仁は一松にも世話になったので、ゴチャゴチャ誤魔化したようなことを書いている
34 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 22:12:03.41 ID:pNVmU+hq
発表者からすると正面だから、つまり正しい方向と
35 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 22:39:31.76 ID:EVv+plQg
>>34
つまらんks
36 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 23:03:33.18 ID:jzEB6dvJ
>>35
死ね
37 132人目の素数さん 2015/04/25(土) 23:34:51.84 ID:EVv+plQg
>>36
w
38 132人目の素数さん [sage] 2015/04/26(日) 00:30:09.92 ID:aR7z90t+
>>37
そんなこと(君の書いたこと)で優越感に浸れるなんてある意味羨ましい
39 132人目の素数さん [sage] 2015/04/26(日) 01:52:53.97 ID:1LuyGgS5
>>33
その若手って広中じゃないの?
40 132人目の素数さん [sage] 2015/04/26(日) 02:23:30.87 ID:4tUon+XJ
広中先生は問題は一般的に解けてこそ意味があるって言われて
一般化したものを論文にしたんじゃなかったかな
>>32
たしか広中の本に載ってたと思う
42 132人目の素数さん [sage] 2015/04/26(日) 09:57:59.30 ID:65tN/J1x
>>41
矢野健太郎の本にもあるし、一松自身の文章にもある。
ジーゲルが岡の論文を読んだとき、とても1人の人間がなしうる仕事ではないと思い
Okaというのはブルバキのような数学者の集団だと認識していたらしい
後日、Okaが1人の数学者だと知ったジーゲルは腰が拔けるほど驚いたそうだ
44 132人目の素数さん 2015/04/29(水) 06:05:32.16 ID:YdoQFkzO
何盃か盛られた話
45 132人目の素数さん [sage] 2015/04/29(水) 08:44:54.15 ID:oH7NN/pP
藤原正彦が情緒がどうとか言ってるけど岡先生のパクリだよね
46 132人目の素数さん [sage] 2015/04/29(水) 10:34:28.09 ID:+7jZYgZ0
岡が元ネタだと明記してあるからパクリとは言わない。
47 132人目の素数さん [sage] 2015/05/01(金) 00:04:02.46 ID:xklQ7N8E
実は、情緒と冗長の区別がついてなかっただけ
ということが、本の内容を読めばわかる。
才能のない男が努力だけで大学教授にまで登り詰めるサクセスストーリー
その主人公として藤原正彦ほど的確な人物はいない
49 132人目の素数さん [sage] 2015/05/01(金) 17:31:41.85 ID:ObcZdC4f
小林秀雄の方がもっと的確だってw
50 132人目の素数さん 2015/05/01(金) 21:54:43.00 ID:iINN4R/J
小林秀雄は受験生を泣かせた
51 132人目の素数さん 2015/05/02(土) 15:27:31.02 ID:2q0qrfTK
>>48
藤原さんって、親の七光りじゃないの…?(・.・;)
52 132人目の素数さん [sage] 2015/05/02(土) 23:18:04.98 ID:AVOvF3E3
このごろ見聞がない
偏路でも行ってるのか?
53 132人目の素数さん [sage] 2015/05/03(日) 20:14:55.92 ID:DqVbhfuK
>>51
新潮社との繫がりに新田次郎は関係あるかもしれないが…
才能のない男が努力だけで大学教授にまで登り詰めるサクセスストーリー
その主人公として藤原正彦ほど的確な人物はいない
49 132人目の素数さん [sage] 2015/05/01(金) 17:31:41.85 ID:ObcZdC4f
小林秀雄の方がもっと的確だってw
50 132人目の素数さん 2015/05/01(金) 21:54:43.00 ID:iINN4R/J
小林秀雄は受験生を泣かせた
51 132人目の素数さん 2015/05/02(土) 15:27:31.02 ID:2q0qrfTK
>>48
藤原さんって、親の七光りじゃないの…?(・.・;)
52 132人目の素数さん [sage] 2015/05/02(土) 23:18:04.98 ID:AVOvF3E3
このごろ見聞がない
偏路でも行ってるのか?
53 132人目の素数さん [sage] 2015/05/03(日) 20:14:55.92 ID:DqVbhfuK
>>51
新潮社との繋がりに新田次郎は関係あるかもしれないが…
新潮と小学館ではどっちが右?
55 132人目の素数さん [sage] 2015/05/06(水) 13:52:54.54 ID:ZBDyPao0
新潮だろう。
SAPIOの小学館は反米保守が売りの急先鋒だがそこまで右でもない。
よしりんの立場がどうとかではなく、小学館の社風のため。週刊少年サンデーがまさにそう。
ネパールの地震見てたら岡がネパールは日本人がかつて渡ってきた土地の一つだって言ってたの思い出した。
だから他の東洋人(特に中韓)より日本人に近いらしいあの辺は。日本人が置き遺してきた人々がネパール人。
しかし、ネパールの上層部にいるゴルカ族は西洋人だから、圧政もありなかなか発展できなかったとか。
ナウシカみたいな世界観だわな言ってしまえば。まぁナウシカは地図見ると舞台は日本だなってわかるけど。
56 132人目の素数さん 2015/05/07(木) 08:34:58.90 ID:s5rXnjPY
ネパールはブッダの生まれ故郷でもあるらしい
57 132人目の素数さん 2015/05/08(金) 09:10:16.80 ID:f0RSQBjF
そうか!「人づきあい」で悩むことないんだ
幸せを生む仏陀の言葉
という本が出たそうだ。
朝日新聞出版
失礼致します。
59 実験 ◆vw.BSmmVyFYV [sage] 2015/05/10(日) 11:19:30.01 ID:QidnVofx
すみません。
春宵十話は面白いです。
61 132人目の素数さん 2015/05/18(月) 09:49:28.14 ID:vu0qKFIH
人間の建設も
荒尾興功軍事課長の回顧
陸軍は昭和20年8月14日朝までは、戦争を継続すべきであると考えていた。
然しこの日から、ポツダム宣言受諾の天皇の命令(聖断)に即刻添わねばならぬことになった。
この天皇の命令に全陸軍が直ちに従うためには、単なる命令だけでは徹底しない。
電撃的ショックを必要とするのである。
全軍の信頼を集めている阿南惟幾将軍の切腹こそ全軍に最も強いショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった。
之により全陸軍は、戦争継続態勢から、ポツダム宣言受諾への大旋回を急速に始めた。
それまで激烈な戦争継続要請の電報が前線から来ていたが、ピタリと止んだ。
換言すれば、大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であった。
よしりんの本の中では昭和天皇論が一番好き
戦争論やいわゆるA級戦犯より純粋な日本人らしい内容で読み易い
独立回復までの日本が吉田茂を始めとしてポンコツ首脳ばかりの中、
裏で政治の全権を握っていたと言っていいのが昭和天皇
終戦の聖断、日本列島非武装中立化の防止、沖縄分離を租借により防いだ慧眼、
全国巡幸による景気回復、マッカーサーの墓参りを断る態度、これらは全て昭和天皇の功績
紫の火花って復刊しないのかな。
65 132人目の素数さん 2015/05/28(木) 23:17:58.92 ID:ud5VdHi8
著作権は切れてるから、青空文庫にすればいいだろうが
今の時代、誰もやらないんだろう
66 132人目の素数さん [sage] 2015/05/29(金) 00:58:55.62 ID:QYAdE1Fm
>>65
岡潔は1978年没。著作権は切れてない。
北大にいた頃は学生の間で有名だったらしいね
68 132人目の素数さん [sage] 2015/06/06(土) 20:24:42.31 ID:+11QlW56
「真善美妙を大切にせよ。真には知、善には意、美には情が対応、それらを妙が統括し智が対応する」
-数学の巨人、岡潔の晩年の言葉だ
▼岡は湯川秀樹らノーベル賞学者にも大きな影響を与えた。熱心な仏教徒でもある。
「古事記」由来の言霊感覚の持ち主でもあり、
心の彩りを神代調に戻し生命の喜びを…と述べるなど、独特の日本文明論を展開した
▼下関の赤間神宮で先ごろ、岡の没後35年の慰霊祭があった。娘さんらも参列した。
岡と赤間神宮をつなぐのは青田國男禰宜(ねぎ)(63)だ。
高校生時代に無常観に悩んでいた青田さんは、テストで岡に関する問題「不生不滅」の言葉に衝撃を受けた。
思わず「これだ!」と叫んだ
▼学校を出るや本屋に直行。岡の本を手当たり次第に買い、読みふけった。救われ、岡に心酔した。
社会人になって、奈良にある岡の自宅へ。拒絶していた岡が若者を招き入れた
▼その後定期的に話を聞けるようになった。神職への転身も岡の影響だ。
岡の逝去後、神宮の許しを得て慰霊祭を続け、
二十年祭(岡潔先生二十年祭記念・聴雨録-師弟談話集)からは、節目ごとに遺族も参列している。
「岡先生は人生の大きな師」という青田さんは、
今も岡の講義録を起こして、その考え方を人々に伝えている。(佐)
2013年3月8日(金)山口新聞掲載
藤原正彦「国連では人口四万足らずのモナコが人口十二億のインドと同じ一票、
アメリカ上院議員は各州二人ずつで格差は66倍のところもある。
法の下の平等を形式的に厳守することは危険。人間社会に平等は無い。」
70 132人目の素数さん 2015/07/10(金) 10:41:29.63 ID:LPTXKTuf
藤原正彦は議員定数増枠論者でもある
日本は大して議員数多くない国だから
71 132人目の素数さん [ばからて] 2015/07/10(金) 21:16:03.40 ID:+NBPgJ7b
>>62
相変わらず嘘ばっかりの軍人の言い訳を狆介しているバカがいる。
72 132人目の素数さん 2015/07/10(金) 22:17:47.25 ID:DyelACw5
>>71は岡の前やコヴァの前で同じこと発言したらコテンパンに叩かれるぞ
73 132人目の素数さん 2015/07/10(金) 22:25:05.26 ID:DyelACw5
てか狆介って…狆助なら分かるが
74 132人目の素数さん 2015/07/10(金) 22:44:38.22 ID:2/qENrn9
私文のカスやろどうせw
岡潔って実売どれぐらいなん?最近ならもっと売れて然るべきだと思うんだが。
76 132人目の素数さん 2015/08/01(土) 17:07:32.88 ID:8bPWfuKW
>>69-70
藤原の老害ぶりは、本当にひどいレベルだな。
しかも数学の論文なんて書いたこともないくせに、世間じゃあ数学者扱いとか
お粗末にもほどがある。
77 132人目の素数さん [sage] 2015/08/01(土) 17:34:42.86 ID:UqjRVEAW
>>76
論文はあるよ
少なくとも森毅よりマシな部類
78 132人目の素数さん [sage] 2015/08/01(土) 23:33:38.90 ID:n0fQTh4F
双方とも一般人から有能数学者として見られたかったのでしょう
若い人はマネをしないように、若き数学者のアメリカって、日本の恥
79 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 02:03:00.92 ID:/o7XI5zi
>>78
藤原はそんなに馬鹿にできるような存在じゃない。
1977年に若き数学者のアメリカが出版されたことからしたら、恥ずかしいだろう。
藤原正彦は、職に就いていたのに、30代原稿書きに専念していたことになるが、
これでよく大学の名誉教授なんていう肩書が付いたなとしか。
>>70がいうように、今のご時世の中議員定数増枠論者であることからしても、
普通の感覚では恥ずかしさ極まりないとしかいいようがない。
作家やエッセイストになるにしても、凄まじい苦労をして作家やエッセイスト
になることからしても、藤原は日本の恥としか。岡潔とはまるっきり対照的だ。
これで岡潔の影響を受けましたとなると、岡潔に傷が付く。
81 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 12:16:24.57 ID:/o7XI5zi
>>80
もちろん新田次郎のコネが一番大きいが、あとは内容の面白さで売れている。
>>80は藤原嫌悪が前面に出たヒステリックな主張以上のものではない。
82 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 14:57:02.00 ID:KAaPgPe/
>>81
分野が違う中での論文や業績の比較は余り意味をなさないが、敢えてそれも含めて、
数学について如何に貢献したか、について、藤原、森、秋山の3者を比較しよう。
秋山:論文の内容は知らないが、後述の森のように論文は3本以上書いていると思われる。本では離散数学で或る程度貢献している。
数学の与太本も出している。教育での直接的な貢献度は不明だが、高校以下の教育ではかなり貢献している。
森:論文の内容は知らないが、3本以上書いている。本では、ブルバキを訳すなどして或る程度貢献していると思われる。
数学の与太本で貢献している。教育では広範囲にわたってかなり貢献していると思われる。
藤原:論文については殆ど知らず、同僚の高村幸男(兄弟に政治家の高村がいるようだ)から書け、とさえいわれていたと聞く。
本では、知る限りでは岩波数学辞典第3、4編の執筆者ではあるようだ。だが、これについては4編で秋山も執筆者になっている。
他は数学の本や与太本は書かず、エッセイばかりであるようだ。女子大の教員だったため教育については全く知らないが、
このような事情を踏まえると、教育での貢献度は低いと思われる。
3者を敢えて比較したが、総合的な数学への貢献度では
秋山、森>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>藤原
だと思われる。知る限りでは藤原には数学への貢献について見い出しようがない。
83 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 16:46:50.27 ID:KAaPgPe/
>>82の訂正:
>岩波数学辞典第3、4編→岩波数学辞典第3、4「版」
同じ行の
>4編で→4「版」で
これでは、藤原は数学者ではなくエッセイストとしか。
84 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 17:32:55.69 ID:/o7XI5zi
>>82
意味がないとわかっているのに敢えてやる愚かさしか感じない。
秋山仁先生は最近になって岡潔(1972年以後含む)読んで驚愕してハマったらしい
86 132人目の素数さん [sage] 2015/08/02(日) 23:49:39.05 ID:XUTC4r11
秋山仁って由美かおると事実婚なんだろ?
由美かおるの方は岡潔については春宵十話くらいしか読んでないみたいだが。
天照大神のお顔は時によって変わるが、岡潔が見神した時のお顔は由美かおるそっくりだったとか。
>>84
論文比較は意味がなくバカバカしいと承知の中で敢えてそれも含め、
論文比較、本や与太本への貢献度、教育への貢献度の3点から
比較することで、比較結果の信憑性が増すんじゃないか。
本や与太本、教育への貢献度の2点は、3者にとって共通して比較出来る要素だぞ。
88 132人目の素数さん [sage] 2015/08/03(月) 02:32:15.24 ID:AZ0ZNjbm
>>84
そんなに藤原正彦がバカに出来ない存在だというなら、
何について如何にしてどの位数学に貢献したか挙げてみ。
専門は不定方程式論と主張しているから、
ディオファンタス近似関係とかの貢献になんのかな。
藤原の業績は全く知らんから。藤原の貢献はエッセイしか思い浮かばないね。
少し調べたところ、藤原は代数多様体の有理点について研究していたようで、
Fujiwaraの方法というのがあるようだ。だが、これはググっても何なのか分からない。
Fujiwara'wayとかでググってもピンと出て来ず、いまよくいち分からない。
どちらかというと、有名とはいえないようだ。教育については予想に反して
藤原と同じ分野の研究をしており、数多くの論文を出し、
有名な未解決問題を解いた方がいるとのこと。詳しくは以下のサイトを参照:
ttp://progress-harmony.at.webry.info/200907/article_1.html
藤原の弟子って見聞きしたことないんですけど、一体誰なんでしょうね。
一応補足すると、>>87は「多くの人にとっての比較結果の信憑性」という話なので。
90 132人目の素数さん [sage] 2015/08/03(月) 04:47:52.97 ID:AZ0ZNjbm
一度藤原正彦をバカにしない立場になって少し調べては見たが、
藤原の数学への貢献度って一体どうなんでしょうね。
少し調べた結果だけからは、弟子の養成という観点で、
ほんのごく僅か貢献したと見るのが妥当なんでしょうね。
あとはエッセイとしか。多くの人にとって、
藤原といえばピンと来るのはエッセイでしょう。
91 132人目の素数さん [sage] 2015/08/03(月) 05:11:38.97 ID:AZ0ZNjbm
>>89の
>Fujiwara'wayとかでググってもピンと出て来ず、いまよくいち分からない。
の部分について訂正。
「Fujiwara'way」→「Fujiwara's way」
「いまよくいち分からない。」→「いまいちよく分からない。」
92 132人目の素数さん [sage] 2015/08/03(月) 08:22:28.01 ID:y8IJmSGj
どちらかというと駄目ではないことが分かった感じ
御茶ノ水大学入試の数論分野の問題を調べたら彼の数学的センスがわかるかも。
なんでこんなに藤原先生ネタで盛り上がるのさ
奇行だらけの岡先生ネタの方が2ch的には余程いじりがいがあるだろ
奥さんを金槌で叩いた非人エピソードとかさ
┏━南都仏教━┓ ┏━━━━━━━━━━━┓
┃ 華厳宗 ┃ ┌─╂ 鎌 倉 幕 府 ╂─..臨済宗いいよ臨済宗 .──┐
┌╂ 法相宗 ╂──│┐┗━━┿━━━━━━┿━┛ ┏禅宗━━━━┿━━━
│┃┌────┐┃ ││ お ↑│↑ ハ,,ハ ┃ ↓
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│┗┿━━━━┿┛ ││ が ぬ└支援するよ ─┐│┃ │Q バナナはおやつに入りますか?
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│ └────┘ │││ ↓ │ ││┃ │( ´・ω・) 入りますん
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│┃┌─密教──┐ ┃│││ ┃ ┃││┃ │と_)_)
│┃│ 真言宗 │ ┃││└─╂\(^ν^)/ 法華経こそ正法 ┃││┃ └────────
│┃│┌───┐│←╂──氏ね╂ l_l 邪法は氏ね .┃││┃ ┌曹洞宗─────
│┃└┤天台宗├┘ ┃││ ┃ / \ ┃│└╂─┼
│┃ └┼─┼┘ ┃││ ┗━━━━━┿━━━━━┿━┛└─╂→│
│┗━━┿━┿━━━┛││ 氏 └─氏ね→┃ │(-_-) …
└───┼──────┘│ ね ┃ │(∩∩)
│ └─────┴────────│─.汚物は消毒だ~!!.→.┃ └────────
うるさい黙れ │ ┗━━━━━━━━━━
↓ ↓
┏━━浄土宗系━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌浄土宗────┐┌浄土真宗────────┐┌時宗─────────┐┃
┃│ナムアミダブツナムアミ││ /⌒ヽ 善人(笑)が .││♪ ∧,_∧ レッツ !! │┃
┃│( ゚д゚ ) ダブツナム││∩ ^ω^)浄土に逝けるなら....││ (´・ω・`) )) ダンシング♪ │┃
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┃│. ムアミダブツナムア.││し ⌒ ││ (__ノ^(_) │┃
┃└───────┘└────────────┘└───────────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
こうなったら藤原正彦単独スレを立てて徹底的に議論をするのもいいかも。
一介の三流学者を単独スレで叩くのはかわいそうな気もするが、あそこまで
偉そうに雑文書き散らしているやつはほぼ公人だから問題ないだろうし。
97 132人目の素数さん 2015/08/03(月) 21:58:12.13 ID:qN4Bgm35
世渡り上手度:藤原<岡
素行の優秀度:藤原>岡
随筆の深達度:藤原⊂岡
良くも悪くも岡の奇行ぶりの話の方がずっと面白いじゃないか。
でもこうしてみると改めて数学って科学じゃないんだなって思うよ。
理系の第一線はもう科学っていう枠組みを捨ててるってことだからある意味うらやましい。
98 132人目の素数さん [sage] 2015/08/03(月) 22:38:34.48 ID:IWYDCpsk
奥さん金槌で叩いたってソースは?
岡は、広島文理大在籍時代、誰かをぶん殴って逮捕されたことは確かなようだ。
家族何人かで狭い掘立小屋の中で暮らして研究していたこともあったようだ。
歯ブラシを3年洗わないこともあったようで、もしかしたらこの時期に重なっているのかも知れない。
岡の随筆には言外の内容が含まれていて、それを文字通り捉えてはいけないようだ。
情緒情緒とパクれる程単純な随筆ではないようだ。
100 132人目の素数さん 2015/08/04(火) 12:26:39.16 ID:ilxZsefr
あれは逮捕ではないだろ ほとんど逮捕みたいなもんだが
時代が時代だから許容されたんだろうな
出生届けも日付をずらすことが可能だったおかげで一年早く小学校に行ってるしな
高等小学校に一年間行ってるから岡自身は結局自分は飛び級の責任を免れたとも言ってたが
情緒情緒と受け取るべきでないというのは違うだろ もしそう思うなら読み手の方が岡をわかってないだけ
>>100
岡潔思想研究会なるサイトがあって、これは岡の長男も協力して設立した研究会のようだ。
長男から未発表の原稿も受け取って研究しているとあり、
その「情の哲学」なるところでは岡潔の情についての講演録について解説してある。
岡の死後に、互いに身近な存在だった長男も協力の下、
研究して講演内容の解説がなされたとなると、
単純に情緒情緒とは受け取れないだろうな。
岡は情緒について哲学して何かの思想を展開していたようだ。
102 132人目の素数さん 2015/08/04(火) 14:00:14.35 ID:ilxZsefr
>>101
あんたそもそも岡潔スレ(哲学板)読んだことないだろ
ただし長男の岡煕哉氏による奇行の抹消圧力はかなりのものらしいけどな
広島事件を著した本や思想研究会は関係者が名前を公にしてるからあまり表立って好き勝手書けない事情がある
実際に高瀬教授の広島事件本は訴訟寸前にまで至り絶版に追い込まれた
次女もその辺りはかなり目を光らせるようだ
103 132人目の素数さん [sage] 2015/08/04(火) 14:31:25.91 ID:dv5DPm1h
>>102
哲学板にそんなスレあったの。
岡は何やら仏教と関連付けて情緒について述べたようだ。
104 132人目の素数さん [sage] 2015/08/04(火) 22:19:45.81 ID:UXzOLIc9
何だか胡散臭いというか、
おかしそうな団体もあるものだな。
文化勲章受賞時の動画
http://www.youtube.com/watch?v=s13bP1yhKsM
106 132人目の素数さん [sage] 2015/09/12(土) 07:13:22.02 ID:OBP1Y0Rw
>>105
ええ笑顔や
107 132人目の素数さん 2015/09/17(木) 08:15:32.51 ID:kp6yb4yH
今朝のNHK視てて、老衰は必ず食べられなくなるのが前兆にあるって特集してたんだが、
岡潔も同じ最期だったな確か。老衰と栄養失調だった。
春一番の嵐の夜明け前に旅立った。
最期の言葉は「悔しいけど計算ちごた。明日の朝には死んどるやろ。」だったとか。
+いつだったか岡潔に小言を言われたという広中氏
人伝ての話だが、広中氏が番組に出演した時、本番前の控室で聞き手の
アナウンサーに向かって、「君はこの仕事のどこが面白いかね」と聞いた。
聞かれたアナウンサーが「いろいろな人に会えて、いろいろな話が聞けて
とても勉強になります」と答えると、広中氏はさも驚いた様子で
「へえ、そうですか。私は一度や二度会っただけの人から、影響をうけたことなど
全くといっていいくらいない」と言ったそうである。
109 132人目の素数さん 2015/09/17(木) 23:44:51.15 ID:dzsL736G
広中氏はアナウンサーの話を聞いている件
110 132人目の素数さん [sage] 2015/09/18(金) 00:05:40.77 ID:JirdRucX
影響を受けてはいない
人の話を聞いて面白いと思うことを影響を受けたと歪めて解釈した上で、人を小馬鹿にする発言
単なる性格の悪い奴だな
これを天才に相応しいエピソードと思う御目出度い奴も数学板には多そうだが…
112 132人目の素数さん [sage] 2015/09/18(金) 19:02:13.36 ID:23dfPvDd
逸話を信じる奴っているんだな
113 132人目の素数さん 2015/09/18(金) 22:00:26.15 ID:YUTrBWk3
>>108
ぼくの人間手帳 / 森本毅郎著 新潮出版
114 132人目の素数さん 2015/09/19(土) 07:04:47.53 ID:Fo74lwe2
>>108
常識的に考えても、一度や二度あった人から影響受けるなんて、
まずあり得ないよね。
115 132人目の素数さん 2015/09/19(土) 19:24:36.89 ID:kVPLfsmk
数学者は線形独立である
116 132人目の素数さん [sage] 2015/09/20(日) 16:23:57.15 ID:rpLX8A1O
出会った人に影響を受ける確率は限りなくゼロに近いがゼロではない。
そういう人に出会った人がいることも不思議ではない。
117 132人目の素数さん 2015/09/28(月) 07:01:24.70 ID:Y75zoot8
岡潔と一緒のエレベーターに乗っただけで
影響されてしまった人もいるようだ
118 132人目の素数さん [sage] 2015/09/28(月) 20:49:26.78 ID:KMncrH+n
岡潔をモデルにした映画「好人好日」がつべにあるから見てみて
頭のてっぺんだけぐるりと禿、まわりはちょろ毛の「猥褻禿」になる危険がでてきた
人生の最大の絶望 次のどれが正しいか?
遺伝によるから両親を選びなおす
肥料(禿薬)をつけ朝晩頭をたたく
生きていても無駄 自殺する
ハゲデブチビは運命と思って諦める
このスレのまぬけどもに伝染させる
120 132人目の素数さん 2015/10/04(日) 19:21:10.70 ID:PMZ9RkI/
>>119に追加
キンマラを切除し男性ホルモンの分泌をなくす
数理科学振興会が本腰を入れて支援し始めた模様
122 132人目の素数さん 2015/10/11(日) 06:45:07.22 ID:VK3wi8Gp
今年の岡シンポジウムの講演者は
堀健太郎、森本徹、藤木明、大島利雄
この顔ぶれで二時間ずつだから聴くほうは大変だ
123 132人目の素数さん 2015/10/11(日) 21:32:41.32 ID:VK3wi8Gp
もう10年以上やっていると思うが
似たような世代の講演者が続くな
自民党派閥図解
├─保守本流(分類上は死語と化してるよ派)
│ ├─木曜研究会系(情に厚いけど俺が俺がのジャコバン主義でお家騒動大好き旧田中角栄派)
│ │ ├─平成研究会(90年代の経世会支配といったらここだよ派)
│ │ └─水月会(座敷牢に蟄居中の石破殿の特技は後ろから撃つことだよ派)
│ └─宏池会系(ジョークは上手いが中身は空っぽ公家集団こと旧大平正芳派)
│ ├─宏池会(最古参派閥だけどなぜか調整役ばかりやらされて影が薄いよ派)
│ │ └─有隣会(悲運の谷垣元総裁直系だけど厳密には派閥じゃなくて勉強会だよ派)
│ └─為公会(俺達の麻生を中心に番町政策研究所を救済合併するよ派)
└─保守傍流(分類上は死語と化してるよ派)
├─十日会系(タカ派だけど民生向上には財政出動が一番こと旧福田赳夫派)
│ └─清和政策研究会(最大派閥の清和会こと安倍総理のお膝元だよ派)
├─春秋会系(自民党の吹き溜まりが集まる風見鶏集団こと旧中曽根康弘派)
│ ├─志帥会(和歌山の寝業師こと二階とゆかいななかまたちだよ派)
│ │ └─次世代の党(自民党・民主党に次ぐ政界第三のキーマンこと期待の新党だよ派)
│ └─近未来政治研究会(志帥会とは持ちつ持たれつの関係だよ派)
│ └─さいこう日本(甘利直系だけど厳密には派閥じゃなくて勉強会だよ派)
└─政策研究会系(昔はハト派だったけど今は保守左派こと旧三木武夫派)
└─番町政策研究所(最小派閥だけど独自路線の歴史があるよ派)
駅ばっか発展すると中心市街地が廃れる
新刊の森田真生本にも岡潔への思いがたっぷり詰まってますね
127 132人目の素数さん 2015/10/29(木) 06:52:17.92 ID:6wf5VYf7
新しい観点に乏しい
128 132人目の素数さん 2015/10/29(木) 19:35:52.00 ID:szV7S4em
岡の思索に新しい観点を求める時点で向いてないと思われ。
15識とか16識辺りの話なら例外だが。
田中角栄伝説
(公明党を評して)「法華さんの太鼓をたたくヒトラーユーゲントだ」
(宮澤喜一を評して)「見てくれがいいけど中身が無い。あれは秘書官だ。金襴緞子のお姫様だ」
(中曽根康弘を評して)「なるものになれば、必ず手下をボロ雑巾のように使い捨てる。遠目の富士だ」
(田中派若手を評して)「小沢には政治の裏と表を教える。羽田には表を教える。もし、俺の寝首をかく奴がいるとすれば、それは梶山だ」
(初出馬時にて)「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば越後に雪は降らない。そしてその土を日本海に運べば佐渡と陸繋ぎになる」
(理知的で融通の利かない省庁のために遅れた社会資本整備について)「思い切った財政出動とインフレによる借金返済が必要だ」
(ソ連の盗聴器の置かれたホテルで)「石鹸が悪い!」「トイレットペーパーが悪い!」→翌日上等品に新調される
(ブレジネフとの交渉で)「私はブレジネフともウォウウォウウォウウォウやりあっているが、なんだ田中先生はロシア語も喋れるんだなあと感心される」
(着用しているネクタイの入手先を問われて)「ロッキードじゃありませんよ!」
(山東昭子番町研現会長に向かって)「来る者拒まず、去る者追わず」
(石破茂水月会現会長に向かって)「初七日になるとガヤガヤしなくなり一人だけになって遺族の悲しみが募るからそこでも花を出せ」
(安倍晋三現内閣総理大臣に向かって)「幹事長までは努力でなれる。しかし、総理総裁だけは時が来て天が命じるまでは絶対になれない。巡り合わせだよ」
(田中角栄の実践心理術)
中曽根首相時代、ある自民党福田派の政治家が入院した。
この政治家は日頃、角栄に対して批判的言動を繰り返していた。
この政治家の入院を聞きつけて真っ先にお見舞いに訪れたのは、角栄だった。
『国政のためにも、自民党のためにも、一日も早く治って、戻ってきてくれ』。
角栄はそう云うと、ベッドに寝ている政治家の足元にそっと紙袋を差し込んだ。そしてそのまま帰った。
中を開けたら紙袋の中に300万円が入っていた。
次に、派閥のボス福田が見舞いに訪れた。
一通りのお見舞いの言葉を述べた後、ぎごちない様子で、白地の封筒を取り出し、
『こういう時だ。何かと不自由するだろう。これはほんの心ばかりのものだが』と云って差し出した。
しかし、あまりにぎこちない福田の様子に、病人の方が恐縮し、
『先生、お気遣い無く。私のことなら大丈夫ですよ』と礼儀として遠慮の言葉を述べたところ、
『そうか、それならいいんだが』と、ホッとした様子で封筒を仕舞い込んだ。
次に、中曽根がやってきた。一応の見舞いの挨拶を述べると、
中曽根首相はおもむろに茶色の事務封筒を取り出して、『これ』と差し出した。
病人は、福田のときに遠慮して貰い損ねたので、今度はその封筒を掴んだ。
ところが、中曽根が、差し出したその封筒をなかなか放さない。
お互いに封筒の端を握ったままの状態となった。
『この政局の難局にあってはねぇ、君。政治家として心せねばならない要諦は云々』。
中曽根はそう云いながらもなお封筒を放さない。
封筒の端と端とを握り合ったまま『政治家たるもの、いついかなる時に於いても、初心に戻って己の云々』。
遂に、病人の方が根負けして手離した。
この議員は以後も福田派として動いていたものの、ピンチのときは党派を超えて田中を支えた。
岡の思索を新しい観点で論ずる意味がある
132 132人目の素数さん 2015/11/11(水) 18:15:47.22 ID:W+Q4qP90
何を以てして新しい観点としたいのか不明。
歴史を踏まえた数学なのか、
思想としての晩年(それぞれの本が書かれた時期に比例してどの識かでさらに細かく違う)なのか。
大方作風が陳腐だから出直せと云いたいんだろうが、
それなら岡潔とは無関係。
133 132人目の素数さん 2015/11/12(木) 08:31:12.71 ID:kQlJO1Sv
学者の書く文章は側頭葉ばかりだから読んでてつまらんというのはよくある
それに加えて書く方も読む方も自覚が無い奴ばかりだから余計にひどくなる
134 132人目の素数さん [sage] 2015/11/12(木) 19:19:18.76 ID:rDmQtrVT
脳科学ゴミ中のゴミ
https://twitter.com/wadamasamune/status/637198271291588608
和田 政宗@wadamasamune
本日中山恭子先生が次期党首に選出され、私は幹事長に就任しました。政調会長兼務です。
中山新党首と記者会見を行い、真に次世代のための政策について考え方を発表しました。
優先課題として、子育て、拉致、徹底したデフレ脱却と所得向上を挙げました。
党是である自主憲法制定にもしっかり取り組みます
https://twitter.com/j_pfg/status/639719730534739969
次世代の党@j_pfg
安倍晋三首相は9月4日午後、2017年4月の消費税率引き上げについて予定通り行う考えを示しました。
次世代の党は、10兆円以上の補正予算、消費増税の再延期などを求める「経済の現状を踏まえた緊急提言」を官邸に申し入れする予定です。
消費増税に反対します。次世代の党
136 132人目の素数さん 2015/12/02(水) 01:06:58.39 ID:PYENn4Q9
俺の先生が学生時代に岡の講義を受けたことがあると言ってた。
岡は念仏を唱え講義が終わるごとに手を念入りに洗ってたそうだ。
チョークを使った時は普通に手くらい洗うだろう
禅寺で座禅をしたとき、お坊さんは講話の前にお経をあげていた
普段の講義でも、講師は話を始める前に学生に一礼くらいしたらどうか
>>132
奈良女子大の岡潔文庫には
数学の論文のタイトルで
主観的な内容をつづったものが多く含まれている
このようなものもふまえて岡潔の思想を論じた著書はありますか?
138 132人目の素数さん 2015/12/03(木) 23:55:31.73 ID:4zMUkEYH
>>137
横レス失礼
貴方の求めているものの答えは残念ながら誰も用意できないな、申し訳ないが
哲学板にかつてあった岡潔スレを読む、高瀬正仁作品を買う、
関係者に岡潔未発表草稿問い合わせるといったプロセスのどれかを踏んだ方じゃないと、
どうやっても満足しないと思う
あえて話をずらして岡潔の身辺について話すとすれば、
岡潔のいとこに北村四郎という故人がいる
岡潔思想研究会のある高知の旧制高知高校を卒業して、福島県立医科大学の教授や新潟大学の学長を歴任した、
病理学者の間ではかなり高名な権威だ
彼は岡潔の随筆にも度々登場するし、一風変わった病理学者としてリンパ球の自他弁別の理由を生涯の研究テーマに据えていた
そして新潟大学において北村四郎の後継者として知られたのが、
青森高校そして東北大学を経て自律神経に着目した免疫学者として名を馳せた安保徹だ
青森高校といえば生物部所属だったもう一人、岡潔と縁のある人物がいてね、
京都産業大学教授時代の岡潔を死ぬまで面倒見続けた書生の三上昭洋というのがいる
彼がいなければ、京都産業大学講義録はこの世に遺されていない
自宅の火事で亡くなってしまったんだがね、彼は既に
>>138
セックスが下手で新婦にあいそをつかされて成田離婚をさらす臭い男のパターンだなこのハゲwwwwwwwwww
140 132人目の素数さん 2015/12/04(金) 18:11:06.88 ID:8317WLU0
>>139
岡潔自身ニートでしょ
数学板らしいが今更何を蒸し返したいのやら
多変数関数論というものは無いと言ってた岡潔だが、最晩年は数学というものは無いとまで言ってるからな
あんまり数学書みたいな岡潔解説は現段階では求めない方が良いと思うよ
岡潔が自然科学否定してるのを知ってるのにそれを認めようとしない人を岡潔はかなり嫌ってた
目の前の肉体的に死にそうな患者を救うため、
あるいは労働者自身が食いっぱぐれないようにするためには自然科学は必要でも、
それに終始しようとする大多数の日本人は、西洋人以上に重病だと岡潔は言い放ってる
141 132人目の素数さん 2015/12/04(金) 18:17:17.56 ID:8317WLU0
それと連投だけど、途中から滅亡はしないけど造化に従って放置が一番だという結論に岡潔は至る
大多数の日本人が餓鬼道のままだと人口は400万人まで減り、生活水準も江戸時代の状態に戻るらしい
岡潔はそれを甘んじて受け入れるつもりだったようだ
142 132人目の素数さん 2015/12/04(金) 18:58:17.41 ID:8317WLU0
Yahoo! リアルタイム検索「岡潔」結果
https://realtime.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=%E5%B2%A1%E6%BD%94&meta=vc%3D
所得増税に難癖付けて反対する富裕層は守銭奴であり売国奴。
岡が生きてたら間違いなくそう喋る。
胃病は薬害の現れの一つ
心臓病は家庭不和が原因として潜んでいることがある
腸の悪い人は心に"善意"の灯を
肺の病に患う人は、大自然への感謝の心が欠如
膵臓、胆嚢が不調な人は、人生に"やる気"を起こすこと
腎臓病には執着心を捨てること
肝臓病予防には、反省行に励み、嘘のない人生を送ること
気管支炎、喘息は心の排他病者
蓄膿症には正しい信仰心を
喉の不調や口内炎は、自意識過剰と鬱積
眼は心の窓、心を閉ざすと眼病となる
耳は二つ、人の意見を二倍聴くためにある
頭痛持ちの人は反省を
肩こりには仕事の連繋を図ること
エイズなど、性感染症は神の警告
足痛は自立心の欠乏
神経痛、リューマチには高貴な精神が必要
肛門の病に患う人は、感謝が足らず仕事の区切りを付けていない
認知症予防には、利己主義をやめ、何かやる気を起こすこと
先天的遺伝性疾患は前世が影響
てんかんは依存心と霊媒体質が原因
>>134
岡が西洋医学で唯一認めてるのは脳科学だからな
放射線医学でさえ本来は破棄したかった筈
原発や核兵器と同じで代用品が無いから賛否を明確にする意味が皆無なだけで
146 132人目の素数さん 2015/12/15(火) 18:14:13.28 ID:UjpPSnZ7
賛否というより賛成か反対かだな
大前提として否定は明確にしてる
147 132人目の素数さん 2015/12/15(火) 19:33:32.00 ID:j1yqY9j7
>>145
何がどうあれ模擬はニセモノ。
本質的に文系の雑魚。
5時に夢中を見て、中瀬ゆかりと辛島美登里が奈良女子大の同窓と言う事実を知った。
https://twitter.com/wadamasamune/status/678097475836612608
和田 政宗@wadamasamune
次世代の党は党名継続が望ましい。支持率が1%に迫り党名は浸透傾向。
新党名で参院選までに現党名以上の支持が得られるか不透明。現党名は結党以来の理念に最も合致。
石原慎太郎先生が述べていたのは、次世代のため今を良くし将来に希望が持てる日本にする事。
11月に党名議論は決着したと思っていた
https://twitter.com/wadamasamune/status/678772617428336641
和田 政宗@wadamasamune
今日午前に行われた総務会で、
我が党の党名が「次世代の党」から「日本のこころを大切にする党」に変更することが決定されました。
私は党名継続を主張し反対しましたが、採決の結果、賛成多数で党名変更となりました。
https://twitter.com/wadamasamune/status/678848536239181824
和田 政宗@wadamasamune
党名変更について様々お言葉をいただき有難うございます。
党に所属している以上、決定したことに従うか従わないかです。
党内には同じ志を持った仲間もたくさんおり、しっかり考えたいと思います。
知識ばかり詰め込んで何もわかっていないことを
仏教の言葉を用いて「アラヤ識」と言っていた
岡の事は特別に尊敬しているわけではないが
岡言うところとアラヤ識に陥らないように気をつけている
https://www.youtube.com/watch?v=7EdEw5oonDo
無知は最大の悪徳なり
阿頼耶識は最小の美徳なり
>>64
いろんな意味で話題の「日本のこころ」っていう再録集を嫁
https://twitter.com/wadamasamune/status/684251369453137920
和田 政宗@wadamasamune
①昨日、党の所属国会議員承諾書にサインした。
いまだに様々悩んでいるが、頭にあるのは、みんなの党の時のような悲劇を繰り返さないこと。
あの時は党が解党されこっぱみじんになったため、所属地方議員も支援者の方々もちりぢりになり、
大変申し訳ないことをした。国民の期待も裏切った。→②へ
https://twitter.com/wadamasamune/status/684252592516411392
和田 政宗@wadamasamune
②現在党において私は沖縄県支部連合会の会長で、今月末に宜野湾市長選(現職支援)を抱えている事、
親友である前衆議の支部長の皆さんが我が党で活動を続けている事(主義主張で我が党以外の選択肢がない)、
熱心な支援者がいまだ各地にいる事からも、現時点で私は党での活動を続ける判断をした→③へ
https://twitter.com/wadamasamune/status/684253136005902336
和田 政宗@wadamasamune
③信念はぶれずに、参院選で改憲勢力3分の2の議席獲得、経済再生、復興の諸問題の解決と復興推進のため活動していく。
我が党で出来ないとなれば我が党に決して縛られるものでなく、この三つは我が国のために達成しなくてはならない事。
実現の為の手段を考える。「党の前に国民国家がある」で行動する
>>154
某党機関誌からして「日本のこころ」に決定だそうだ。
157 132人目の素数さん 2016/01/16(土) 15:00:58.45 ID:gc/qiySg
森田本を読め
158 132人目の素数さん 2016/01/16(土) 15:36:25.71 ID:UjCQz6Ru
>>156
某党機関誌の名称な。
某料亭で行ったインタビュー
事件が起きたのは最初の料理が運ばれてきたときだった
椀ものの蓋を開けた瞬間、突然卓上の料理を床にぶちまけ、そして天をも割れんばかりの大声でこう言った
「女将を呼べっ!!」
あの時の先生は阿修羅の如き怖ろしさがあった
160 132人目の素数さん [sage] 2016/02/08(月) 16:27:33.24 ID:3V3a1rUQ
https://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/
明治天皇マンセーの岡潔センセ
世界的数学者・岡潔の記念館開館目指し橋本市、全国から寄付金募集
産経新聞 2月16日(火)7時55分配信
世界的な数学者で、橋本市の名誉市民である岡潔氏(1901~1978年)の記念館を開館するための整備費などの一部にあてようと、
市は全国から寄付金を募る「ガバメントクラウドファンディング」(GCF)を始めた。目標金額は400万円で、
ふるさと納税のポータルサイト「ふるさとチョイス」で受け付けている。締め切りは3月31日。
市などによると、岡氏は幼少期に現在の橋本市へ転居し、のちに数学の難問を1人で解明したという偉人。
昭和35年には文化勲章を受章し、36年には名誉市民になった。
市では岡氏の偉業などを伝えようと杉村公園(同市御幸辻)内の市所有の「松林荘」を改修し、
平成31年に「岡潔記念館」のオープンを目指している。
しかし費用が約3千万円かかり、財政難の市にとっては資金が十分とはいえず、一部をGCFで募ることにした。
昨年は、今年8月に開催する夏祭りの花火大会で一尺玉の大輪の花火を打ち上げようと、GCFを導入しており、今回が2例目。
市は1万円以上の寄付者を対象に、岡氏のイラストが入った「岡潔グッズ」をプレゼント。
寄付金額によって、岡氏の箴言(しんげん)が印字されたスギ製のしおりをはじめ、一合枡や風鈴、うちわが送られる。
10万円以上の寄付者には、さらに記念館に名前入りの銘板を掲示する(希望者のみ)。
市企画経営室は「偉業を後世に残す一大プロジェクトにご協力いただければ」としている。
生前の岡潔による発言「国立岡潔記念日本のこころ研究所を設置してくれれば楽になるんだがなぁ・・・」
田中角栄 演説_01 昭和56年9月3日 静岡県函南町 富士箱根ランド
https://www.youtube.com/watch?v=g-fOn07KVdI
セドリック・ヴィラニのジャンプは
岡のジャンプに比べるとまだまだ、ヒヨっ子だ
犬がいっしょにジャンプしている。よろしきかな。
164 132人目の素数さん [sage] 2016/02/21(日) 01:57:02.00 ID:vm5T6m4F
有名人を話題にしても救われん
165 132人目の素数さん 2016/02/23(火) 02:05:38.83 ID:qzi01W6X
「数学する人生」出たね
166 132人目の素数さん 2016/02/25(木) 01:26:17.00 ID:+7NkP47v
あ、うん、出たね
高瀬さんも三月で定年?
私立に行くのかな。それとも文筆家かな。
168 132人目の素数さん 2016/03/12(土) 21:31:56.18 ID:D14Jpeoz
森重文も最終講義。
文化勲章受章はいつになるかな。
岡先生智弁優勝で嬉しいやろなぁ
岡先生が虚カスなのは気に喰わんけど
33-4なんて無かったんや
GCFは本日まで
https://www.furusato-tax.jp/gcf/66
ゴム長靴を左右逆に履いていた、っていう伝説。
もう誰か話したか。
そんな得体の知れぬあの岡先生が、自分の専門分野でさえ
いくらでも沢山の未解決の問題がゴロゴロあると言う
数学って、どうしようもないくらい奥が深いんだな・・
岡先生そんな事を生前言ってた?
173 132人目の素数さん 2016/04/13(水) 03:00:05.14 ID:QJaxkBxk
https://www.nicovideo.jp/watch/1460002658
ふらいんぐうぃっち 第1話 6年振りの不思議
174 132人目の素数さん 2016/04/13(水) 22:13:26.02 ID:lUDuZf7A
岡潔が本気で解きにいって、どうにも解けず途方に暮れ
しょんぼりしちゃう時点でヤバいだろ、その学問はw
それが諦めの情緒だ、なんて聞きたかないぜ
175 132人目の素数さん 2016/04/16(土) 03:41:27.10 ID:I8ax9m28
寝たまま起きようとせず遅刻する岡先生が、自分自身を無理やり布団から出そうとする人物を非国民と罵る話が好き。
天才ではない、努力であると岡先生が謙遜する理由がまさにそこにある。
176 132人目の素数さん 2016/04/28(木) 02:18:05.52 ID:RCfo7KBJ
https://ch.nicovideo.jp/flyingwitch
ふらいんぐうぃっち [最新話無料] - ニコニコチャンネル:アニメ
>>175
一行目と二行目の関連性が、よくわからんのだけど…
178 132人目の素数さん 2016/04/29(金) 16:11:17.86 ID:omrCx1UJ
>>177
岡は就寝中に時を弄り回して天照大神に会っていたらしい
それを長いとして邪魔されるのは困るということ
179 132人目の素数さん 2016/04/29(金) 16:30:41.32 ID:eWR6k2AT
>>178
一行目の意味はよくわかりました。
ただ、それを天才か努力かという問題と結びつける発想は、依然として…?
180 132人目の素数さん 2016/04/29(金) 16:54:06.13 ID:omrCx1UJ
>>179
岡は人生の中で何回か生まれ変わっている
一回の人生で全てをやるのは滑稽と語っていた岡だが、調べを進めるためにはいわゆる死も通る必要があった
つまり、岡潔1号、岡潔2号、岡潔3号が78年間で存在すると思った方がいい
そうなると、仮に使うことの多い天才なんていう言葉では括れなくなる
森田真生の本は、岡潔のことを本当に研究して書いてるのか?
一読者の感想文で、紀見峠にも行ってみました、の程度で読むのを止めた
高瀬正仁の本で書かれた内容を追体験してる程度で、新規性や深さが感じられなかった
関数論ぐらいきっちり分析しつくしてから本書けよ
>>181
『数学する身体』とかいう本のこと?
独立な人は数学の研究者でも数学史の研究者でもないから
数学をおもしろおかしく話したり書いたりする研究者
>>172
死後に言ってた
185 132人目の素数さん 2016/05/05(木) 11:04:58.00 ID:KS+eNflO
数学する身体 数学する人生 2冊読み始めたけど粗削りというか浅杉て最後まで
読む必要なしと判断して止めた
春宵十話 や 高瀬正仁の本、1変数関数論 多変数関数論 数学史
そして岡の論文 とか読んで理解し整理してあの程度?
他人相手にしゃべっていてあの内容 あと十年間ぐらい真剣に勉強しなおしてから
本書けよという感じ
186 132人目の素数さん [sage] 2016/05/05(木) 22:07:00.80 ID:tPOLQekb
そうか?基本コピペの本だからさほど違和感はなかったけど
187 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 05:12:29.25 ID:xvONdzQq
森田君は立派だと思うよ
学者としては首席水準の駆け出しを経て、岡潔の思想まで掘り下げるっていうのは並大抵のことではない
前者は独楽のようにクルクルクルクル絶えず動き回らないと残れない世界だが、
後者は仏教も否定する程すべて動きを止めて瞑想しないと進めない世界
対極を攻略しようとしたのは岡以降では初の世代の一人ではあるだろう
まぁ理型って内容は無くても大量の論文書いた者勝ちの分野だから気の毒とも思う
儒教と同じで名を上げてナンボだからねどうしても
>>185
言いたいことはわかるが、岡の前で>>185が同じこと喋ると逆に>>185が岡に説教されそう
数学の研究する前に日本をわかっているのかみたいな感じで
志賀弘典みたいに
>>184
幸福の科学の岡の霊言は岡にしてはかなり控えめな主張しか発言してないよ
こないだ出版された「日本会議の研究」は本当に浅い岡の掘り返し方の最たる例で、それよりはましだが
>まぁ理型って内容は無くても大量の論文書いた者勝ちの分野だから気の毒とも思う
森田は、お世辞を込めて褒めていっても岡潔にまつわる歴史や思想を研究している
としかいえないから、理系(数学)の研究をしているとはいえないだろう。
森田がしようとしている研究は、むしろ文系の研究に近い感覚で行う研究だろう。
189 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 06:59:11.47 ID:xvONdzQq
>>188
岡も若い頃そんな感じだよ
特に岡なんて嫁連れ回しながらの研究だったし
森田君もそうだったかどうかは記憶に無いが
190 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 07:00:58.31 ID:xvONdzQq
×森田君もそうだったかどうか
○森田君も結婚してたかどうか
>森田君は立派だと思うよ
研究者と名乗って、本を出してる以上、既刊とは異なる切り口や内容を
期待するのは当然だと思う 著者なりの思考思索の深さや広がりが何かを見極めたい
ところが
はっきり言って、高瀬正仁以上のモノは彼の本には無い コピペとは言わないが
それにかなり近い本 内容記述思索に深さ、広がりが無い
だから、10年ぐらい勉強しなおしてから書け、と書いた
森田の本と高瀬正仁の本、どっちか読めと言われたら高瀬の本を選ぶ
既刊の2冊は俺にとっては読む価値無し
>>191
大沢建夫一択だろ
193 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 09:21:30.10 ID:3gJvbxSI
>>192
『岡潔/多変数関数論の建設』ってやつ?
いい本なの?
自身より高い識の著者の本を繰り返し読めない奴と、
自身より低い識の著者の本を繰り返し読む奴については、
岡は問答無用で第七識下層認定してたけれどもな
まぁ、それ以上は言わない
195 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 09:54:18.47 ID:xvONdzQq
×繰り返し読む奴
○繰り返し技術的に読む奴
196 132人目の素数さん 2016/05/06(金) 09:58:01.19 ID:xvONdzQq
さらに訂正
×自身より低い識の著者の本を繰り返し読む奴
○第七識下層の著者の本を繰り返し技術的に読む奴
>>192 岡が確立した多変数関数論の概要を知りたいなら、確かにその通り
複素解析幾何とディーバー方程式 培風館 を併せて読めば、解析的手法
の概要ぐらいはわかる(へルマンダリズムも)
森田とか、この程度+一松の本ぐらいは理解整理できてんだろうな
198 132人目の素数さん 2016/05/07(土) 18:55:02.87 ID:R/FChlia
あれ、今日は森田さんへの嫉妬レスはないの?w
199 132人目の素数さん 2016/05/08(日) 10:03:45.20 ID:Eigpk4Tz
>>198
森田さんの弁護をしたいのだったら、
彼の本のどこが内容的に優れてるか言ってくれないと。
煽るだけじゃあ、説得力ないねぇ…
200 132人目の素数さん 2016/05/16(月) 18:53:26.88 ID:kbELB41W
森田真生編「数学する人生」
読んでみたが
まず編者の解説文に引用ミスがある。
「数学の本質は『禅師』と同じ」(p.230)
→『禅』の間違いじゃないか?
原文では「土人の家」と表記されている部分が「地元の人の家」と書き直されている(p.79)。他にも手を加えられている部分があるかも知れないので、原文で読みたい人は注意した方がいいかもしれない。
>>194
馬の耳に念仏。馬耳東風。
識の高い人が識の低い人を教育する時は、識の低い人の識+1まで下がる必要がある。
第七識下層だと尚更。
識の高い人が苦労する理由。
>>200
>まず編者の解説文に引用ミスがある。
>「数学の本質は『禅師』と同じ」(p.230)
>→『禅』の間違いじゃないか?
岡潔の人物研究の本は全く読んでいないが、文脈からすると、ここは禅だな。
岡は情緒(精神)により数学が作られると主張していて、岡からしたら数学の本質は情緒になる。
情緒が「禅」と「禅師」のどっちを指すかというと、禅の方が妥当な解釈だな。
禅は精神作用を伴う行為だが、禅師と書いたら人(森田からしたら身体か?)を指すことになる。
「禅師」という表現を「精神作用」と解釈するのは、日本語の意味として不可能に近い。
だから、出版社側のミスとするのは出来ないといっていい。ここは森田のミスとしか考えようがない。
この引用部分の解説には、森田の主張が入って、引用文が全く違う意味になっているな。
森田は、肝心な岡の数学に対する考え方を理解出来ていない。
岡は数学には精神作用を伴うと主張していた人だ。
>原文では「土人の家」と表記されている部分が「地元の人の家」と書き直されている(p.79)。
「土人の家」の解釈は「地元の人の家」で問題ない。ここは余り大きな問題は生じていないと思う。
だが、森田自身が岡潔のことについてまだ分かっていないことは、多くあるようだ。
これじゃ、森田が批判されるのも当然だな。
森田本(の一部)を意図的に批判せずに読んでもそうなる。
岡潔などのことについて知らずに、岡の本を書いても価値ある本は書けない。
どうやら、上にあるような、森田勉強してから本書きなさい
という類の批判は何もおかしくない。第三者的に見てもそうなる。
203 132人目の素数さん 2016/05/18(水) 13:29:48.37 ID:qu+4DoNs
>>185
>>191
全面的に同意。というかあなたは言葉を選んでいて優しい。
森田氏は一体何がしたいのか?どこを目指しているのか?
本人に直接会って聞いてこようかと思う。
足腰(筆力,構成力,数学力)をじっくり鍛えるのを厭って生き急いでいるように感じる。
今のスタンスじゃ早晩息切れしちゃうよ。
本音は俺の穿った見方が生身の彼にあっさり覆されるのを期待したい。
しかし、、どうして純粋数学で博士号を取らなかったんだろう?
>>200
>原文では「土人の家」と表記されている部分が
>「地元の人の家」と書き直されている(p.79)。
マジか?そうだとしたら、差別表現がどうこうという理由なんだろうが、
全く断り書きなしに変更してるとしたら、問題視して糾弾すべきことだ。
¥
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.ノ_/ ノ_ノ__ノ \_/ヽ_ノ__ノ /_/_|__|__| ヽ___ノ__ノ
し`J し`J し`J し`J
左翼
右翼
極端 穏健
急進 漸進
liberty freedom
革新 進歩 保守
┝━━━━━━━┿━━━━━━━┿━━━━━━━┥
←――――自民――――→
←――――公明――――→
←――――都民――――→
←――――――――生ネ――――――――→
←民民→
←共産→
←――――――――立民――――――――→
←――――――――維新――――――――→
←社民→
←――――――――参政――――――――→
←――――――――――――れいわ―――――――――――→
←――――――――――――NHK国―――――――――――→
(参考日本)
←――――社会――――→
←――――――――民進――――――――→
(参考ドイツ)
←――――――――AfD――――――――→
←――――CDU――――→
←――――CSU――――→
←――――FDP――――→
←―――――――Grune―――――――――→
←――――SPD――――→
←――――――――Linke――――――――→
各派閥の領袖と期待のベテラン・中堅・若手2024年男性激減対策版
(独立グループ)(NHK)
【有隣会】 中谷元 逢沢一郎、小里泰弘、加藤鮎子、牧原秀樹、柿澤未途
(保守傍流)(低い識から高い識を見る日本の父親)
(十日会系)(旧清和会)(フジテレビ)
【清和政策研究会】 塩谷立 稲田朋美、松島みどり、萩生田光一、松野博一、世耕弘成
(春秋会系)(日本テレビ)
【志帥会】 二階俊博 武田良太、林幹雄、松本洋平、伊東忠彦、武部新
【近未来政治研究会】森山裕 上野賢一郎、坂本哲志、鬼木誠、宮路拓馬、山田俊男
(政策研究会系)(テレビ東京)
【志公会】 麻生太郎 鈴木俊一、河野太郎、永岡桂子、武藤容治、今枝宗一郎
(保守本流)(高い識から低い識を見る日本の母親)
(木曜研究会系)(旧経世会)(TBS)
【平成研究会】 茂木敏充 加藤勝信、船田元、木原稔、臼井正一、石井準一
(宏池会系)(テレビ朝日)
【宏池会】 岸田文雄 小野寺五典、林芳正、木原誠二、寺田稔、葉梨康弘
2062年までの日本
・トランプや安倍次第で2022年以降第三次世界大戦
・文化の向上に伴う宇宙人来訪で文明の行き詰まりを糺す
・男性激減
・海洋汚染
・西日本大震災
・中日本大震災
・日本海地震津波
・原発汚染は対策可能に
・宇宙人来訪により教員と医師の職務以外はほぼ労働者が不要となり芸術家と化す
・駆動の原理を残して省エネルギー飛行運転他動車が実現
・都会と田舎の概念は残ってしまうが中央と地方の概念がなくなり過密と過疎の問題が解決
・一夫多妻制復帰
・ソウルメイトは容易に発見
・時空政府成立
・時空政府管理下の台湾は日本領に
・北方領土は日本領に
・天皇神聖不可侵
・以和為貴
20220704(2062)(8識)
↑
19591015(7識上層)┳19591029(8識)
............19900802(12識)┳19880218(15識)
本来の限りなく理想的な時間軸だと
2020→茂木内閣、トランプ再選
2022→第三次世界大戦
2023→憲法改正
2024→男性激減
2025→河野内閣、女性首相は暫く誕生せず、宇宙人来訪
2031→西日本大震災
だったんだろうか
切羽詰まった日程に変わりはないけれども
【1979機動戦士ガンダム】
1985機動戦士Zガンダム「今も語り継がれる難解で支離滅裂な出来」
1986機動戦士ガンダムZZ「近年まれにみる下等な選民思想で終わる作品」
1988機動戦士ガンダム逆襲のシャア「神話の非リア充を暴走させる10年に1度の外れ年」
【1989機動戦士ガンダム0080】
【1990機動戦士ガンダム0083】
1991機動戦士ガンダムF91「ここ10年で最悪の作品でガイドブックを必要としサイコフレームも一応搭載」
1993機動戦士Vガンダム「過去10年で最悪と言われた91年を下回るサイキッカーが登場する出来栄え」
1994機動武闘伝Gガンダム「85年の地球人追放を否定する今世紀で最悪の出来栄え」
1995新機動戦記ガンダムW「85年の戦争と平和を否定する100年に1度の不作」
【1995機動戦士ガンダム第08MS小隊】
1996機動新世紀ガンダムX「85年のニュータイプを否定する例年にない不作」
1999∀ガンダム「黒歴史の暴挙でヴィンテージとは程遠い作品」
2002機動戦士ガンダムSEED「85年の鉄拳制裁と99年の痴話喧嘩を否定する100年に1度の不作と言われた95年を超す21世紀最悪の出来栄え」
【2004機動戦士ガンダムMS IGLOO】
2007機動戦士ガンダム00「コペルニクス的転回でニュータイプに讃歌を与えた下品な仕上がり」
2009機動戦士ガンダムUC「固定カメラと引き画を使いこなせずブルーホワイト色だった一角獣の歴史に敬意を払わない出来」
2011機動戦士ガンダムAGE「2007年の尻拭いを強いられた日野のおもちゃ」
2014ガンダムGのレコンギスタ「Gセルフのダサさに閉口」
2015機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ「止まらない永野の鉄火丼」
2018機動戦士ガンダムNT「外注の歴史を踏みにじる物語」
2021機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ「反共の新左翼に娘しか生まれず寝取られるので生命を燃焼させないため96年以来の不作」
2022機動戦士ガンダム水星の魔女「88・94・95・96・2002年を分派にせず全派閥の未来を引き継ぐ自由民主的な過去最悪の出来栄え」
2025機動戦士Gundam GQuuuuuuX←Welcome!
UC→第一次世界大戦
ファースト→第二次世界大戦
GQuuuuuuX→第二次世界大戦日本勝利ルート
Z→安保闘争
CCA→三島事件
F91→第三次世界大戦
V→第四次世界大戦
∀→第五次世界大戦
Gレコ→ノヴァ・クライシス
GWX→第一次宇宙戦争
SEED→第二次宇宙戦争
水星の魔女→エクリプス・カウンター・アタック
2240年エクリプス・カウンター・アタック(トミノズ・カウンター・アタック)の時代には第二次世界大戦日本勝利ルート時間軸も映し出せる
ただし、どちらにしても宇宙人の力を借りる時間軸だから2540年までには9識的に事故が起こった
20310123
哲也がかなりうっと~しくなってきた。
父親への愛情の裏返しなんじゃね
τ01は女性になったことはない上に3000年に一度くらいしか登場しない
α01は男性になることもある
τ03は2000年に一度の芭蕉
τ04とα04は先帝陛下ご夫妻
問題はτ02
α01にはあまり逆らわない
しかもα04に会うと人間界から植物界になる
τ02が人間界にいると母親がα02
τ02が植物界にいると妻がα02
ところがτ02は一つの「からだ」に固執せず、別の「からだ」に移ることもある
α02もそうだとすれば、次女は既に精彩が無い状態なのではないか?
次女の「からだ」は11識と春雨7稿1章に書かれていたように思うし
スレ主びいきの岡潔が昨年から次々復刊でブームだな
どうしてだろう?
理由を見つけたいなら興味も無いだろうし無視もしたいんだろうが下の二つくらい嫁よ
岡潔
https://yomogi.2@h.net/test/read.cgi/philo/1360645123/
@→c
岡潔聴雨録bot
https://twitter.com/chouroku_bot
¥
>性犯罪者の増田哲也(50歳・東京都足立区千住寿町)が
>8月4日にJR牟岐線の列車内で、午後4時20分ごろから約50分にわたり、
>徳島県内の女性(21歳・専門学校生)の胸や太ももなどを触った疑いで、
>8月5日未明、県迷惑行為防止条例違反(痴漢行為)容疑で徳島県警阿南署に
>逮捕されました。
>
>性犯罪者 増田哲也の供述
>「夏休み期間に、講演活動を兼ねて旅行していた。好みの女性だったのでムラムラした」
>
バカは死ななきゃ治らない――伝説巨神イデオン
バカは死んでも治らない――機動戦士ガンダム逆襲のシャア
人が死にすぎるとギャグになる――エヴァンゲリオン旧劇場版
大いなる悲しみは大いなる喜びだ――エヴァンゲリオン新劇場版
バカは死ななきゃ治らない――伝説巨神イデオン
バカは死んでも治らない――機動戦士ガンダム逆襲のシャア
人が死にすぎるとギャグになる――エヴァンゲリオン旧劇場版
大いなる悲しみは大いなる喜びだ――エヴァンゲリオン新劇場版
平家物語
雨月物語
竹取物語
とりかへばや物語
堤中納言物語
太平記
7識下層→細田守
7識中層→出崎統
7識上層→押井守
8識→高畑勲
9識→富野由悠季
10識→庵野秀明
11識→新海誠
12識→谷口悟朗
14識→宮崎駿
ジブリ→月読主義tsukuyomism
ガンダム→天照主義amaterasism
水星の魔女→逆襲のシャア
グエル→G
エラン→W
シャディク→X
ミオリネ→SEED
■一般人の認識
ボトムズ:新左翼とアニミズムの融合
エヴァ:ヤマトとガンダムとパトレイバーとナウシカを足して4で割った話
マクロス:ヴァルキリー
ギアス:ボトムズの監督の弟子がCCさくらと一緒に足場崩しする話
ガンダム:世界大戦の末期、雑魚敵兵器ザクを倒す航空機ガンダムを開発した連合は、
ジオンを植民地支配時代に見事回帰させることに成功するも、左翼三派同盟の抵抗に四苦八苦していた。
エレズム・コントリズム・ニュータイプ運動を三本柱とするジオニズムを実践する左翼三派同盟は、連合を散々苦しめるも、
最終的に世界大戦を再現したために、黒歴史として忘却の彼方に埋葬されるのであった。
その左翼三派同盟を批判するアナザー諸国は、黒歴史の呪縛の解除に全国力を傾注していく。
映画226はパトレイバー2の元ネタの一つ
磯部浅一を演じた竹中直人は秀吉になったりパトレイバー2と攻殻機動隊2に出演したりしてる
パトレイバー2の竹中直人は主犯格を支えなくなり都落ちを選んだ押井守の投影
戦略自衛隊→視聴者
ゼーレ→スポンサー
ネルフ→ガイナックス
ヴィレ→スタジオカラー
綾波レイ→碇ユイ
渚カヲル→碇ゲンドウ
サスロ・ザビ→近衛文麿
キャスバル・レム・ダイクン→東条英機
デギン・ザビ→鈴木貫太郎
ジオン・ズム・ダイクン→阿南惟幾
キラ→福田
アスラン→富野
シン→宮崎
アレクセイ→庵野
アルバート→谷口
オルフェ→福井
ミケール→水島
ハリ→黒田
レイ→高畑
パトリック→手塚
レオナード→押井
アグネス→保田
ニコル→安彦
トール→大河原
エヴァ元ネタ一覧各論
犬神家の一族→偽スケキヨ
八つ墓村→字体
田園に死す→筆下ろし・水子・新宿字恐山
あしたのジョー→弔辞
ゼットン→ゼルエル
ウルトラQ→使徒
ウルトラマン→綾波
ウルトラセブン→惣流
ウルトラマンエース→磔・十字架・脱出
ova birth→プラグスーツ
愛と幻想のファシズム→設定
構造と力→思想
存在論的、郵便的→思想
逃走論→思想
日本沈没→思想
伝説巨神イデオン→輪廻転生
on your mark→AIR
攻殻機動隊1→死海文書・生命樹・量産型エヴァ・キール
天使のたまご→鳥
火垂るの墓→巡洋艦
ヤハウェ→ゴッド
アダム→アダムス
イヴ→福音派
おめでとう→新
気持ち悪い→旧
さようなら→シン
セーラームーン→カヲル・シンジ
フリクリ→カヲル
機動戦士Zガンダム→思想
機動戦士ガンダム逆襲のシャア→思想
機動戦士Vガンダム→思想・シンジ
機動戦士ガンダムSEED→思想・大島ミチル・菅野よう子・坂本真綾
エヴァ元ネタ一覧総論
宇宙戦艦ヤマト→オマージュ
機動戦士ガンダム→モチーフ
機動警察パトレイバー→聖書
風の谷のナウシカ→コラージュ
¥
>性犯罪者の増田哲也(50歳・東京都足立区千住寿町)が
>8月4日にJR牟岐線の列車内で、午後4時20分ごろから約50分にわたり、
>徳島県内の女性(21歳・専門学校生)の胸や太ももなどを触った疑いで、
>8月5日未明、県迷惑行為防止条例違反(痴漢行為)容疑で徳島県警阿南署に
>逮捕されました。
>
>性犯罪者 増田哲也の供述
>「夏休み期間に、講演活動を兼ねて旅行していた。好みの女性だったのでムラムラした」
>
party system
├─non-partisan democracy
├─party dictatorship
│ ├─one-party state
│ └─hegemony political party system
└─multi-party system
├─predominant-party system
│ └─one-party system
├─two-bloc system
│ └─two-party system
├─moderate pluralism
│ ├─three-party system
│ └─north European five-party state
├─polarized pluralism
└─atomization political party system
┌永野派
│
頑駄無―┼初代派―――――――安彦派――┬富野派―┬―┬――――┬―
│ │ │ └日野派 └Gレコハゲ原理主義者派
│ │ └∀黒歴史過激派
│ └矢立派
│ ┌ビルド―┬―
│ │ └福田派
│ │ ↑
│ │ ┌…┘
│ │┌SD―┴長谷川―――――庵野・谷口派
├OUT―┬大河原―┴┴―
│ │
│ └OVA
│
│ ┌福井派
└水島派―┴―
増田哲也ではなく岡潔について知りたいんだけど
¥
>性犯罪者の増田哲也(50歳・東京都足立区千住寿町)が
>8月4日にJR牟岐線の列車内で、午後4時20分ごろから約50分にわたり、
>徳島県内の女性(21歳・専門学校生)の胸や太ももなどを触った疑いで、
>8月5日未明、県迷惑行為防止条例違反(痴漢行為)容疑で徳島県警阿南署に
>逮捕されました。
>
>性犯罪者 増田哲也の供述
>「夏休み期間に、講演活動を兼ねて旅行していた。好みの女性だったのでムラムラした」
>
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>性犯罪者の増田哲也(50歳・東京都足立区千住寿町)が
>8月4日にJR牟岐線の列車内で、午後4時20分ごろから約50分にわたり、
>徳島県内の女性(21歳・専門学校生)の胸や太ももなどを触った疑いで、
>8月5日未明、県迷惑行為防止条例違反(痴漢行為)容疑で徳島県警阿南署に
>逮捕されました。
>
>性犯罪者 増田哲也の供述
>「夏休み期間に、講演活動を兼ねて旅行していた。好みの女性だったのでムラムラした」
>
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>性犯罪者の増田哲也(50歳・東京都足立区千住寿町)が
>8月4日にJR牟岐線の列車内で、午後4時20分ごろから約50分にわたり、
>徳島県内の女性(21歳・専門学校生)の胸や太ももなどを触った疑いで、
>8月5日未明、県迷惑行為防止条例違反(痴漢行為)容疑で徳島県警阿南署に
>逮捕されました。
>
>性犯罪者 増田哲也の供述
>「夏休み期間に、講演活動を兼ねて旅行していた。好みの女性だったのでムラムラした」
>
こいつアホか
岡潔ブーム
竹下の逆襲
竹下派の当時自民党最大派閥経世会であったが、どのような構成になっていたのであろうか?
竹下派の人数は 当時113人である。このうち衆議院議員66人、参議院議員47人である。
衆議院は小沢派が35人を抑え圧倒的に優位な態勢を占めていた。
では参院はどうなのだろう?
坂野竹下派参院議員会長は、今回のことは衆院のことと早々に不介入を宣言していた。
竹下派会長は衆院で決めてくださいよ、と言うことだ。
衆議院と参議院で首相指名が食い違った場合、優先されるのは衆議院の指名である。その意味で 参議院議員の票は衆議院議員より軽い。
しかし、自民党総裁選では衆議院議員と参議院議員の票は同じ一票と数えられていた。
つまり、票の重さに変わりがないのだ。
しかし当初、小沢は坂野参院会長の宣言を内心では歓迎していた。
小沢は参院にそれほど足場を持っていなかったからだ。
小沢が衆院で優位を占めることができたのは、彼が自民党幹事長として総選挙を取り仕切ったからである。
しかし、小沢は幹事長として参院選挙を取り仕切ったことがなかった。
参院議員の任期は6年である。換言すれば衆議院よりも人事の新陳代謝が遅い。
参院に勢力を 浸透させるには時間がかかるのである。
小沢は参院で切り崩せるのは10人から20人の間だと見ていた。
それも衆院の圧倒的多数を握っての話だ。
ところが坂野参院会長は早々と中立を宣言した。
小沢は内心「しめた」と思ったに違いない。衆院の制覇に全力を傾注することができるからだ。
そしてその目論見どおり、参院の切り崩しを後回しにした。
衆院を握れば参院はついて来る。それが小沢の読みだった。
反小沢陣営の梶山も橋本も、衆院で小沢と戦うのに専念しており参院は静かだった。
いや静か過ぎたと言える。
しかし実は坂野参院会長の中立宣言は、小沢に対する罠だった。
その罠を仕掛けたのは竹下登である。坂野会長に中立宣言を出させたのも竹下だ。
そう、嘗て田中角栄が史上最長政権を打ち立てた親分の佐藤栄作の佐藤派をのっとるきっかけをつかんだのは佐藤派の参院を抑えたからだった。
そして、竹下登が闇将軍となった田中角栄を倒す布石も参院から始まっていた。
竹下は小沢が衆院に全力を傾注している間に、着実に参院を固めていたのである。
小沢はそのことに気づいていなかった。
参院は中立を守ってくれると思っていたのである。
参院にも小沢や羽田のシンパはいる。しかし、そう言う人物は最後の切り崩しにまわされた。
周りが圧倒的多数で固められてしまったら少数の小沢シンパは参院ではなにもできない、これが竹下の読みであった。
まこと正鵠を得ていた。
小沢派は会長に羽田孜を推していた。対する反小沢派は小渕恵三を会長候補に決めた。この時点でもまだ小沢は自分の優位を信じていた。
しかしこの頃になると、参院の動きがおかしい、との報告が ちらほら出てきていた。
当初小沢はまだ、「まさかそんなことはあるまい。衆院は圧倒的にこっちが多数なんだ。この多数を 参院も無視することはできまい。」と思っていた。
それに反小沢派の面々で参院を掌握できそうな人間など見当たらない。ほどなく小沢は竹下派の幹部会に臨んだ。
出席したのは、小沢会長代行、小沢シンパの佐藤守良事務総長、原田憲座長、坂野参院会長、橋本副会長、小渕副会長である。
ここでの議論は羽田会長、小渕会長の平行線であった。結論など出るものではない。
ところが進行役の原田座長が突然議論を打ち切りを宣言し、
「座長としての個人的な見解だが、竹下派の次期会長には小渕恵三君が適当と考える」と発言して会を強引に打ち切った。
これに呼応して、橋本、小渕、両副会長はこれを了承する。
その直後竹下派の次期会長は小渕恵三君に決定した、と記者会見を開き強引に発表した。
当然小沢と佐藤事務総長はこれに猛反発。幹部会の無効を宣言した。
ところがこの直後、竹下派参院が小渕会長支持を打ち出した。
小沢は何が起こったのか、自分の腹心である参院議員の平野貞夫や永野茂人に連絡を入れた。
彼等から返ってきた言葉は小沢を愕然とさせた。
「竹下派の参院は9割がいつのまにか小渕支持で固まっている。もうひっくり返すのは不可能だ。」
してやられた。
小沢はこの時はじめて参院がずっと前から切り崩されていたことに気がついた。
そして、こんなことができるのは竹下登しかいない。
今にして思えば、坂野参院会長に中立を宣言宣言させたのは、竹下の戦略だった。
敵は最初から竹下登だったのである。
しかし、小沢にはその認識がなかった。竹下は、小沢を後継者にすることについて何も言わなかった。
だから小沢はできれば竹下を敵にしたくはない、と言う思いがあった。小沢は竹下とともに戦ってきた。
だから竹下をよく知っていた。敵に回すとこれ程厄介な男はいない。
しかし、竹下は最初から敵だったのだ。
小沢はそのことに気がつくのが後れた。
そしてそれは致命傷に近かった。
改めて小沢は竹下のしぶとさを思い知った。
田中角栄の圧力に十数年耐えつづけてきた、その底力に身震いした。
今の人達に田中角栄って言ってもピンとこないかもな
岸内閣で郵政大臣、池田内閣で大蔵大臣、佐藤内閣では幹事長
田中が総理大臣指名受けたとき、岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘
福田赳夫、もちろん竹下登等、怪物のような政治家が跋扈する中で
子供にさえも何だか明るい未来を感じさせる雰囲気があったよ
竹下登は底知れぬエゴイストだろ
古き良き三角大福中ですな。
角栄の日本列島改造論も土建賄賂政治ではなく郷里再生が目的で、見事成功した。
日本列島改造論という名前がそもそも実態に合っていなかった。
むしろ角栄が叩かれる部分は、ジャコバン主義の植え付けと荒廃した女性関係の影響による娘の人格破綻でしょうな。
三木武夫や竹下登が憤慨した理由もそこ。日本人が経世会に複雑な心情を抱く理由でもある。
敵を作るな。たとえ野党でもあからさまに反対に回らなければいいんだ。
人の悪口は言わない方がいい。言いたければ便所で一人で言え。
眠ることは死ぬことだ。人間は毎日、死に生きている。
その心境を知れば、死は怖くない。
人から受けた恩を忘れるな。必ず恩返しをしろ。だが、これみよがしにするな。
相手が困ったとき、遠くから返すんだ。
失敗はイヤというほどしたほうがいい。そうするとバカでもない限り骨身に
沁みる。分別がつく。
数億円のトンネルを作るなら、最低何万人の利用者が必要と考えるのが官僚だ。
だが利用者が150人でも欠かせないものは作る、それが政治だ。
あなたには学歴もあるし高級官僚だった時代の人脈もある。しかしオレには
何もない。この道しかなかったんだ。 / 田中
三島由紀夫 仮面の告白 愛は絶望からしか生まれない
YS-11 YG-111
ビスト財団 ヘルメス財団
オウム真理教 ポア 新人類 ニューエイジ 福音派
貴族 庶民
元老 代議
参院 衆院
主君 民衆
選良 大衆
階級 国民
新政党 新生党
新新党 新進党
容共 民青 総評
反共 全共闘 同盟
祭教分離 政教分離 祭政一致
あらゆる改革者には深い絶望がつきまとう。しかし、改革者は絶望を言わないのである。
↓西ドイツ ↓プロイセン
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"
2021年ドイツ総選挙小選挙区
プロイセン→SPD(赤)
ザクセン→AfD(青)
バイエルン→CSU(灰)
東西ドイツ時代が存在しなかったら当初から北ドイツはSPD(赤)・中ドイツはFDP(黄)・南ドイツはCDU(黒)になっていた
新しい公共
地域主権
東アジア共同体
peoples
civil
ethnicity
race
patriot
nation
state
country
land
価値相対主義
実存主義
実用主義
コア・カリキュラム
問題解決学習
構造機能主義
構造主義
構成主義
基礎医学 観念医学
臨床医学 長文医学
免疫 膠原
医動物 医動態
解剖 観念巨視
組織 観念微視
生理 肉理
生化 肉化
薬理 薬視
発生 発肉
病理 病視
法医 律医
神経 脳理
公衆衛生 観念風土
症候 長文風土
病態 観念臓器疾患
内科 internal medicine
外科 surgery
応用化 研究化
発展化 史料化
基本化 表現化
基礎化 図説化
標準化 資料化
総合化 専門化
総論化 帰納化
各論化 演繹化
概論化 入門化
授業化 化石化
富裕化 標語化
貧困化 日本化
運動化 ムーヴメント化
競技化 スポーツ化
¥
小林秀雄が桜の木を植えるある職人の話をしていたことがあるが、
その職人はソメイヨシノをあまり好まず、古来からある種類の桜を好んでいた。
ところがその職人が植えた桜は、戦時徴用のためにすべて伐採されてしまった。
戦後はようやく桜の生育にあった土地を見つけたが、その土地もバイパス建設で潰されることになり、
窮状をマスコミに訴えるも、逆にゴネる地権者として報道され、大変苦労したという。
でもそんな小林秀雄は、田中角栄は評価していたんだよな。
角さん本人は小卒だから小林秀雄のことを「誰?」って最初は思ったらしいがw
竹下登は自身の首相就任前後に角さんの家を訪ねた時に門前払いされたが、
あれは角さんではなく眞紀子のやったことだと竹下登は終生思っていたらしい。
博士号を取るのを拒否したっていうのは、岡らしいな。
出版の際に訂正のために文字を書き換えるか否かも岡はまったく気にしなかったし。
前後の流れからいって、「数学の本質は禅師と同じ」っておそらく引用ミスではなく原文でもそのままだし。
約束はいらない
プラチナ
うちゅうひこうしのうた
ソラヲミロ
光あれ
さいごの果実
everywhere
more than words
CLEAR
逆光
君を君を愛してる 心で見つめている
君を君を信じてる 寒い夜も
空に向かう木々のようにあなたを
まっすぐ見つめてる
ちょっと不思議な 夢見たの
私は宇宙飛行士で あなたは農夫
全部手に入れていいのさ 曇ひとつない心に聞け
全部跳ねのけていいのさ 顔を上げて歩いていけ
もしも今この声が 誰かに届いてるなら
手を振ってくれないか 無力すぎる僕のために
一瞬を 永遠を
はじまりを 最果てを
ぼくが今向かう場所は そう遠くじゃない
1マイルの少し先 1光年の手前
自由ってせつなくないですか?
一人になったんだね
風って 鳥って 私より自由かな
翼がないなら走ってくわ 行きたいところまで できるよね
人は生まれながら誰もが平等って
簡単に言えるほど無邪気じゃない
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294 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/06/20(月) 08:42:29.96 ID:hYDuK+/b
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295 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/06/20(月) 19:48:36.91 ID:hYDuK+/b
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296 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/06/21(火) 04:37:27.53 ID:PXzfBv0k
¥
297 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/06/21(火) 05:20:57.13 ID:PXzfBv0k
¥
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299 132人目の素数さん 2016/06/25(土) 16:44:23.58 ID:ZIv8YwU/
人が物を盗ることや個人が物質を所有することは、
第十識の人にはトゥリビアルであり、
第十二識の人にはナンセンスである。
つまり、第十識の五歳児ならかろうじて意味はわかっても、
第十二識の五歳児には「人の物をとったら駄目」と教えても「とるってなあに」としか返って来ず、意味さえわからない。
同じ様に、「ご飯を友達にあげよう」と教えても「おかわり出来なくなるじゃん」という冗談しか発言出来ない。
識の高い人が間違っているのではなく、識の低い人が間違っていると思わなければいけない。
>>253
角栄の叩かれる部分は、ジャコバン主義の話と、娘の話で二点だな。
石油を主眼としない三木外交 施政方針演説の概要判明
共同通信 1/17(金) 6:00配信
安倍晋三首相が20日の通常国会召集日に行う施政方針演説の概要が16日、判明した。
「栄光ある孤立」や「中東平和」などにより石油を主眼としない三木外交の再構築を試みる。
五教科七科目への回帰と入試競争の緩和に向け、
初等教育での会話を重視せず文法と語法の暗記による英語・
第九識と第七識上層による数学・
解釈に偏らない第十識の国語・
第七識中層のエッセンシャルで理論的な物理やカラフルで多面的な化学などによる理科・
実学を重視せず必修科目の遷移を経た日本史などによる社会を柱とする。
また、吹奏楽やゲームの鑑賞を用いて、第十識・第九識・第八識の使い分けを図るほか、
長期記憶の第二の心と短期記憶の第一の心の訓練も目指す。
憲法改正に関しては、希望の党や都民ファーストの会への対抗意識を顕わにした。
演説で、首相は今夏に控える東京都知事選について
「希望の党が強硬な自主憲法制定を進めて都民ファーストの会が労働者階級の雲散霧消を掲げる中で、
内閣として必要な点には反論していく」と強調。
ベストミックスを目指すとした。
安倍首相の施政方針演説の概要が判明
共同通信 1/17(金) 6:00配信
安倍晋三首相が20日の通常国会召集日に行う施政方針演説の概要が16日、判明した。
石油を主眼としない三木外交の再構築を試みるほか、
百貨店建替特別措置法を「早期に制定する」と表明する。
高齢者は原疾患を抱えているから何の病気でも併発したら死に易くなる。
今騒ぐ奴がおかしい。
B細胞やT細胞の研究よりNK細胞の研究の方が必要。
NKT細胞とかɤδT細胞とかToll様受容体とかいろいろある訳だから。
文字化けはガンマデルタT細胞。
論文数を増やして大規模臨床試験までやっても無意味な研究が多い。
仁坂知事正論だけど検査はIT化の遅れによる参入の足踏みと東大ヒエラルキーによる医師の無関心のおかげで全員は不可能だ。
白い巨塔絡みの安田講堂攻防戦からの入試中止は今でも影響を与えてる。
正論では動かないというのは竹下首相の金言だよ。
毒性と抗病原体薬剤耐性は反比例するから糖質コルチコイドやサイトカイン阻害薬を使わない限り大丈夫。
ノロウイルスと違ってエタノールで十分。
感染しなくなる動画をYouTubeに2062氏がうpしてるから心配ならそれを見よ。
世界情勢見てるとトリクルダウン理論って嘘ではなくて日本の財政破綻が起こらなくなるための理論だったんだなって今にしてみると思う
感作しなくなる動画が2062氏から来たね
適応免疫ばかり注目してるからウザいんだよ。
自然免疫の研究の方が重要。
宇宙世紀とニュータイプに拘泥するのも同じで、単に7識と8識の間で技術と表現を繰り返してるだけ。
世界大戦や震災の日付を予言できないのは具体的に予言すると言霊になり実際に起きてしまうため。
人口品のウイルスなんだから統計的に空気感染でも重症でも気にするのは無駄。
人口品じゃなくて人工品。
血圧なんて7識下層の医学無しでも説明できるだろう。
13識の自律神経に7識中層の物理学を加えるだけだぞ。
大学の流体力学まで学ばなくても高校の電位の概念まで頭に入れてV=IRを変形する程度。
むしろ「基礎」医学や「興奮」・「抑制」っていう言葉を医学では直してほしいくらいだわ。
「心」もそうだけど、こんな滅茶苦茶な使い方されてる言葉は無い。
「基礎」疾患もそう。
あとは直さなくても良いが違和感持つ言葉は解剖・組織・生理・生化だわ。
構造や機能ばかり調べるなら生理よりも肉理の方が言葉として当たってる。
拡散障害を伴う閉塞障害のCOPDによる呼吸性アシドーシス→交感
拡散障害を伴わない閉塞障害のDPBによる呼吸性アルカローシス→副交感
労作狭心症→交感
安静狭心症→副交感
嘔吐による代謝性アルカローシス→交感
尿細管障害による代謝性アシドーシス→副交感
アルドステロン症による代謝性アルカローシス→交感
慢性腎不全による代謝性アシドーシス→副交感
2062氏は志村けんの最期がこうなるのをわかっていたらしい。
それでもファンとして止めるのに必死な日々。
一応記しておくと、セオリー通りやはり空気感染つまり飛沫核感染はしない。
飛沫感染と接触感染のみで、反比例も相違無い。
志村けんは時空テロリストによる接触感染の可能性が高い。
王貞治が非公式な場でのサービスを嫌がったのに対し、エンターテイナーの志村けんは公私でサービスの線を引かなかった。
ある意味綺麗な最期。
志村けんは最終的に死を自ら選んだとのこと。
私事で恐縮だが、2016年に亡くなった俺の親父を思い出した。
217 :無党派さん:2016/11/17(木) 19:55:35.11 ID:hUZBoHh1
奥野誠亮遂に逝ったか
俺の親父なんて酒で寒い中寝込んで凍えて57で鬼籍だよ
218 :無党派さん:2016/11/17(木) 19:59:12.57 ID:hUZBoHh1
一応中川昭一じゃないからな、外で起きたことだから
肌荒れしない程度の手洗い
爪切りと親指の洗浄
鼻スプレーと鼻うがい
飴文化による非角化重層扁平上皮の保護
裸文化による土足禁止と靴下非推奨
情の国は有り難いね
安倍ちゃん、何度も言うけど9月入学は駄目だよ
西洋の研究や東洋の立身の話をしてるんじゃない
日本文化を無視した教育再生は不可能と言ってるんだよ
教育に手を付けるなと安倍ちゃんが何度も言われる理由はそこだよ
善悪の話でもない、不可能な話だよ
現金給付は簡潔で消費に回るがマイナンバーで把握すると物質主義化する。
気管挿管する患者はほぼ死にかけだからどうしても統計的に悪印象を与える。
絞り込んだ結果重症化するというバイアスから悪印象を受け取るより、
生命科学的な生体応答の差異による病態変化から重症化が決まると考えるべき。
アビガンは13識までは面倒を見られる薬剤だが15識までは面倒が見られない。
男女共に不妊リスクが高過ぎる。
コロナでもバブルでも同じ。
風俗発言は無問題だが身内に甘い芸能界は問題。
他国に文明を見習うよりも自国の文化を見直す方が先。
いずれにしても現場の教員や医師を無視した机上の空論はやめろ。特にアカやそのシンパ。
憲法改正
財政出動
ハイパーインフレ
円高
医師増員
百貨店建替
高校吹奏楽
高校野球
小沢とか蓮舫とか標語を物真似して連呼してるからわからんだろうけども。
一応理解や真心でわかるところまで説明しておこうか。
サザンブロットはDNA。PCRもDNA。
ノーザンブロットはmRNA。ウエスタンブロットは蛋白。ELISAも蛋白。
抗原に反応して抗体を出すようになったらそろそろ自然免疫から適応免疫に移行する頃。
抗原提示細胞は樹状細胞とマクロファージとB細胞。
B細胞は形質細胞に分化したら抗原提示せず抗体産生に特化する。
外来性抗原に反応したエンドソームからのMHC class2によるCD4T細胞はヘルパーT細胞に分化する。
内在性抗原に反応したユビキチン化からのMHC class1によるCD8T細胞はキラーT細胞に分化する。
免疫グロブリンがIgであり抗体。先に五量体のIgMが増加して次に単量体のIgGが増加する。
IgGは胎盤を通る。
IgAは母乳や腸の枢要な二量体。
つまり抗体というのは病原体に感染しなくても何かに感作すれば勝手にできるの。
そんな公衆衛生を超えた風土的な概念まで7識下層の医学で面倒見ろなんて傲慢だし押し切れると思うのかって話。
TNF-αやIL-6を管理するというのが免疫バランス対策であり膠原病対策なの。
単量体のIgEまで管理すれば喘息も楽になるだけでなく、寄生虫に対する過剰反応も収まるの。
つまり免疫力という概念は幻であり良く言っても8識や9識なの。
13識の交感神経と副交感神経で説明が必要っていうのはそういうことなの。
例外的に男女関係と妊娠だけは15識まで掘り下げないといけないの。
ところが気付かないためにそういう論文を出さないのが世界であり、
それに追随して軽視してるのが日本だからクリアに研究不足なの。
診断っつーのはこれらを組み合わせて恐る恐るやってるの。
検査は手間暇かけても診察と違ってただの補助にしかならないの。
病理解剖だって感染リスクや重労働リスクを冒すメリットがそれなりにあるの。
だから誤診が多い一方で診断してしまえば対処は早いの。
イベルメクチン(ストロメクトール)ならともかく、
ファビピラビル(アビガン)をガンガン入れろなんていう意見は無責任極まりないの。
日本っていう国の有難さがわかるでしょ。
10識で流してるから風土として決して急激に感染者は増えない。
感作者の話は別だけど、そもそもそんなの誰にもわからない話なの。
文明より文化が大事ってのはそういうことなの。
ガンダムもいつまでも浅く掘り下げないで深いところを重点的に扱ってほしいの本当は。
憲法改正
財政出動
ハイパーインフレ
円高
医師増員
百貨店建替
高校吹奏楽
高校野球
小沢とか蓮舫とか標語を物真似して連呼してるからわからんだろうけども。
一応理解や真心でわかるところまで説明しておこうか。
サザンブロットはDNA。PCRもDNA。
ノーザンブロットはmRNA。ウエスタンブロットは蛋白。ELISAも蛋白。
抗原に反応して抗体を出すようになったらそろそろ自然免疫から適応免疫に移行する頃。
抗原提示細胞は樹状細胞とマクロファージとB細胞。
B細胞は形質細胞に分化したら抗原提示せず抗体産生に特化する。
外来性抗原に反応したエンドソームからのMHC class2によるCD4T細胞はヘルパーT細胞に分化する。
内在性抗原に反応したユビキチン化からのMHC class1によるCD8T細胞はキラーT細胞に分化する。
免疫グロブリンがIgであり抗体。先に五量体のIgMが増加して次に単量体のIgGが増加する。
IgGは胎盤を通る。
IgAは母乳や腸の枢要な二量体。
つまり抗体というのは病原体に感染しなくても何かに感作すれば勝手にできるの。
そんな公衆衛生を超えた風土的な概念まで7識下層の医学で面倒見ろなんて傲慢だし押し切れると思うのかって話。
TNF-αやIL-6を管理するというのが免疫バランス対策であり膠原病対策なの。
単量体のIgEまで管理すれば喘息も楽になるだけでなく、寄生虫に対する過剰反応も収まるの。
つまり免疫力という概念は幻であり良く言っても8識や9識なの。
13識の交感神経と副交感神経で説明が必要っていうのはそういうことなの。
例外的に男女関係と妊娠だけは15識まで掘り下げないといけないの。
ところが気付かないためにそういう論文を出さないのが世界であり、
それに追随して軽視してるのが日本だからクリアに研究不足なの。
診断っつーのはこれらを組み合わせて恐る恐るやってるの。
検査は手間暇かけても診察と違ってただの補助にしかならないの。
病理解剖だって感染リスクや重労働リスクを冒すメリットがそれなりにあるの。
だから誤診が多い一方で診断してしまえば対処は早いの。
イベルメクチン(ストロメクトール)ならともかく、
ファビピラビル(アビガン)をガンガン入れろなんていう意見は無責任極まりないの。
日本っていう国の有難さがわかるでしょ。
10識で流してるから風土として決して急激に感染者は増えない。
感作者の話は別だけど、そもそもそんなの誰にもわからない話なの。
文明より文化が大事ってのはそういうことなの。
ガンダムもいつまでも浅く掘り下げないで深いところを重点的に扱ってほしいの本当は。
余談だけど、30年位前まで吹奏楽だって技術ばっかり追いかけてたの。最近はそうでもなくなったけど。
学問の進歩に芸術の進歩は先行するから、医学だってもしかしたら将来は7識下層ばかりやらずに15識まで行くかもしれないの。
それから追記が必要になったから書くけど、
触るという行為において真情と自他弁別本能は表裏一体なの。
スキンシップと性本能は表裏一体なの。
情操と情緒は表裏一体なの。
生きんとする盲目的意志と悲願・感受は別のものではないの。
つまりソーシャルディスタンスとかいう大嘘概念を経済に採り入れないでほしいの。
その辺を愚直に調べて向き合ってくれてるのがファイナルファンタジー。
多量喫煙歴が長いといざという時に肺が持たない
左心不全を併発したら厄介になる
高血糖・低体温・低酸素は避けることは大事
精神論なので蓮舫が信じたくないのであればご自由に
IgMがA・B・O・AB
IgGがRh+・Rh-
堀江・宇都宮・小池の三極対決へ 自公立希総力戦
東京都知事選の主要候補が出揃った。
実業家の堀江貴文氏をホリエモン新党・自由民主党東京都連・大政翼賛会音喜多派が擁立し、
弁護士の宇都宮健児氏を立憲民主党・大政翼賛会本部が擁立する方向。
現職の小池百合子東京都知事は希望の党・都民ファーストの会・自由民主党本部・日本維新の会が擁立する見通しで、
与野党入り乱れた三極対決の構図による自公立希の総力戦が確実な情勢となった。
維新の松井一郎大阪市長は今秋に行われる都構想住民投票でイエスかノーか占う重要な選挙戦と位置付けており、小池氏を全力で後援する。
立民の枝野幸男代表は時空マフィアによる金正恩氏の脳死から植物状態に蘇生させた未来人に謝意を示すと共に、
2021年1月23日未明・2031年1月23日未明・2041年1月23日未明のいずれかに起こる西日本大震災に備えた国土強靭化をテコ入れする方針だ。
デイリースポーツ
316 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/06/26(日) 09:33:19.43 ID:p8TJ6OsX
桜井・宇都宮・小池の三極対決へ 自公立希総力戦
東京都知事選の主要候補が出揃った。
政治活動家の桜井誠氏を日本第一党・自由民主党東京都連・大政翼賛会音喜多派が擁立し、
弁護士の宇都宮健児氏を立憲民主党・大政翼賛会志位派が擁立する方向。
現職の小池百合子東京都知事は希望の党・都民ファーストの会・公明党・自由民主党本部・大政翼賛会本部が擁立する見通しで、
与野党入り乱れた三極対決の構図による自公立希の総力戦が確実な情勢となった。
小池氏は表立った後援を避ける一方、
都営西武線構想に基づき都営三田線と西武新宿線を結ぶ方針に加えて、
アニメランド構想に基づき上井草駅周辺のガンダムシティ化を進める。
三分裂の翼賛は自主投票を決めている。
このほか、NHKから国民を守る党の立花孝志党首とれいわ新選組の山本太郎代表で行われる極右極左首都頂上決戦も注目される。
デイリースポーツ
宿主や不顕性感染という言葉の無意味さがわかるね今回は
岡江久美子の場合は放射性肺炎も合併しかけてたから難しい
乳癌や前立腺癌みたいなのは腹膜播種みたいな感覚を持たないといけないから発見も治療も識を上げた方が良い
総合内科がゴミ捨て場ではなくなるかなようやく
出血時間の血小板
因系の凝固因子
外因系のPT
内因系のAPTT
因系のビタミンKに対抗するワルファリン
因系のアンチトロンビンに作用するヘパリン
グルココルチコイドのステロイド
抗血小板薬のアスピリンみたいなエヌセイズ
比較的安全なアセトアミノフェンみたいなエヌセイズ
効果のある順番で書いてるけどどれも若干交感寄り
高安病・川崎病・ウェゲナー肉芽腫症も血液疾患というよりは免疫疾患だし
骨や腎臓のカルシウムを血中に戻すビタミンD
総合内科が看取り内科から脱却できるかも
肺動脈楔入圧と左心房圧
ARDS以外の肺水腫みたいな左心不全
肺高血圧・心タンポナーデ・頸静脈怒張・肝浮腫・下腿浮腫みたいな右心不全
食道静脈瘤と直腸静脈瘤とメデゥーサの頭みたいな肝硬変
BUN/Cre
輸液
上部消化管内視鏡
胆嚢
胆管
間接ビリルビンと溶血性黄疸
直接ビリルビンと閉塞性黄疸
喀血
吐血とタール便
下血と血便
ベクターは無関係かな今回は
ゴキブリもほとんどベクターにならない
蓮舫サン、不顕性感染だと症状出ないからDNAの検査は自ら受けないのよ、わかる?
逆に未感染でDNAの検査をすり抜けても次の日に感染っていうパターンもある
国民全員へ経時的に玄人が正確にやってようやく人数を把握する確率が上がるけど、できると思うの?
もちろん抗原に感作してるだけの人もいるかもしれない
プリオンはタンパク質
ウイルスは核酸とタンパク質
核酸はDNAの場合もあればRNAの場合もある
それからセントラルドグマってエヴァで習った筈よ
布マスク
・3月→病院に配布
・4月→学校に配布
・5月→世帯に配布
全て予定通りなんだが小沢。
ブローカーも大急ぎでマスクを出荷して値下げして放出してて効果覿面なんだが小沢。
マッチポンプする女性とマスコミ
ゆ党のユスリタカリ
ミズポの事実婚の夫
スパム工作
少数が多数を食う横暴はハッシュタグでも続く
派閥じゃないのだからスタンドプレーも程々に
DNAの検査の多寡に有意差は無い
血液・レントゲン・CT・MRIと検査の充実度は世界一
岸信介が国民皆保険を導入し田中角栄が高齢者医療無償化を実現
今春の死亡率はむしろ低下
少数が押し切るなら民主主義という言葉を使わないこと
創造のために一人が非物質的に数人になるなら許されるがそうでないなら許されない
神社は伊勢神宮様式以外は大陸様式が入っていて良くない
自殺は識を上げないと解決できない
旅行補助よりも百貨店建替補助が重要と官邸もわかっている筈
巨大津波も見据えなければならないから立法の停滞は有り得ない
茂木敏充の言う通り台湾を参加させて中華秩序から脱却し日本は米中の文明圏とは異なると示す必要がある
レニンアンジオテンシンアルドステロン系
ACE
covid-19
いずれも交感優位
無尿
乏尿
放射性肺炎
薬剤性肺炎
IgG4関連疾患
連続執務日数が140日の安倍首相、人間ドックを受診
連続執務日数が140日に達した安倍晋三首相は13日、東京・信濃町の慶応大病院で定期的な人間ドックを受診した。
半年に1回程度受けており、首相周辺は
「首相もそろそろ休暇を取得してほしいが、無論辞めろという意味ではない。
医師もできるだけ休める環境を作りたいし、それが育休という形で待機児童ゼロよりも本質的な解決になる。」と説明している。
週末も官邸で執務にあたる中、体調管理に万全を期す考えだ。
産経新聞
見落としに注意が必要 一方で菅官房長官「拉致がでっち上げだと言っていた方は反省を」
菅義偉官房長官は13日の記者会見で、
拉致被害ではなくテレポーテーションや事故で行方不明になった人物が存在することを踏まえ、
「定期的な人間ドックを筆頭に医療分野ではヒューマンエラーを完全には防げないことから多重チェックによって見落としに注意しているように、
多角的な視点が必要だ」との考えを示した。
一方で「拉致がでっち上げだと言っていた方は反省を」とくぎを刺した。
時事通信
宮城・福島の白い球体「東京テロの極めて深刻な危機と受け止めている」菅長官
菅義偉官房長官は19日の記者会見で、宮城・福島上空で17日に浮いていた正体不明の白い球体について、
記者団から「現在も監視できているのか、見失ったのか」と問われ、
「下部に取り付けられた機器も含めると全長800メートルを優に超える広島型原爆であり、
中華時空テロリストが東京攻撃を狙っていたために2062氏が宇宙空間で爆破処理したもので、
東京テロの極めて深刻な危機と受け止めている」と述べた。
菅氏は「関係機関において従前より必要な警戒監視は行っていた」と述べたものの、
現在も監視しているかどうかは言及しなった。
「関係機関において適切に把握している」と答えたものの、
「印中国境紛争や中豪サイバー紛争など、来たるべき時局に向かわなければならない」と呼びかけた。(安倍龍太郎)
朝日新聞デジタル
チロシンキナーゼ阻害薬のtinibと抗体医薬のmab。
トシリズマブはIL-6阻害分子標的治療薬。
でもイマチニブとは逆にニヴォルマブは副作用の方が治療に用いられてる。
河野氏と茂木氏が二階氏に急接近 ワンポイントリリーフ回避 河破朋充
安倍晋三首相の盟友である麻生太郎副総理兼財務相ら首相に近い有力者から、
「ポスト安倍」候補は河破朋充と指摘されつつある。
菅義偉官房長官と距離を置く二階俊博幹事長に、河野太郎防衛相と茂木敏充外相が急接近しているためだ。
首相が避けたい石破茂元幹事長の党総裁選出阻止のため、今秋解散案も浮上しており、
河破朋充で誰が本格政権を担うかが揺らいでいる。
「太郎がワンポイントリリーフを避けたいなら、一度平成研にも回さなければならない」。
麻生氏は最近、同僚議員にこう語った。
麻生氏は「大平派」の鈴木俊一総務会長を将来の会長候補に迎え入れていたが、「三木派」として立場に変化が表れた。
二階氏は自民党の岸田文雄政調会長や菅氏とそりが合わないことが改めて露呈。
各種世論調査の「次の首相にふさわしい人」では石破茂元幹事長に大きく水をあけられ、差が縮まる気配もない。
希望の党について「東京の次に可能性が高いのが西部や中部と一線を画す東部だ。二階氏の師匠、知事、参院議員も鍵になる」との見方を示す。
首相の信頼が厚い閣僚の一人は、首相の後継として政権を任せる場合、
河野氏ではなく「茂木氏がつなぐのが一番いい」と指摘する。
茂木氏は党内に一定の支持派を抱え、党側を押さえる二階俊博幹事長との関係も良好だ。
河野氏に対する河野家三代目の悲願は首相の耳に直接入っている。
「中曽根派」から「大平派」、「大平派」から「三木派」と、苦汁をなめた歴史があるのも事実だ。
首相としては、ここではしごを外しにくい。最近も「出戻りではない非自民出身者の茂木氏もチャンスだ」と周辺に伝え、
河野氏と茂木氏を紹介してみせた。
「ポスト安倍」選びが「選挙の顔」を決める印象を強めれば、知名度の高い石破氏に支持が雪崩を打つ展開は否定できない。
「震災の前に世界大戦だ」。首相は竹下派幹部にこう指摘して法律よりも憲法の改正の必要性を説いた。
今後の評価次第で首相の茂木氏に対する姿勢に変化が生じる可能性もある。
時事通信
橋本市役所前に顕彰碑がある…
https://hashimoto-news.com/news/2013/10/08/18004/
https://hashimoto-news.com/news/2013/11/22/18748/
https://cape.blog.jp/archives/1037372397.html
無明は普通七識にあるが、あまり酷いと八識や九識にも入る。
七識の人と十識の人の埋め難い差はここで生じる。
無明に呑まれるか、呑まれないかの差でもある。
物真似すること・識の高い人を認めないこと・やる気を持たないことといった問題はここで生じる。
日本列島に入って来た祖先って、
岡潔によると親潮民族が低い識のために皇室と一緒に入って来ざるを得なかった人たちで、
後から入って来た黒潮民族が人智の進歩において進んでいた高い識の人たち
いずれも蓬来宮を目印にして来る者拒まず方式で日本に来た
その後の歴史もほとんど同じ感じ
親潮民族=仁徳天皇=明治天皇
黒潮民族=菟道稚郎子=孝明天皇
なお、昭和天皇は親潮民族から黒潮民族に取り込まれたタイプで、
日本人はこのパターンを踏襲して識が上がっていく
なので、単純に縄文・弥生と分ける学説は当然間違い
無論日本史の内、古代史はほとんど唯物的なものしか教科書に載せてないが
331 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:10:37.59 ID:R41ajXN0
それから、南北朝も同じで、北朝が親潮民族で、南朝が黒潮民族
構図としては単純
332 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:15:11.26 ID:R41ajXN0
黒潮民族の知力は高かったということだが、
親潮民族も黒潮民族も中韓をほとんど経由していない
中韓の色合いが出て来るのは縄文時代も弥生時代も終わって古墳時代になってから
ナニコレ
考古学的裏付けのある話なの
334 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:23:04.96 ID:R41ajXN0
岡潔が夢の中で天月読尊と一心同体になって日本史旅行をしてきた話を抜粋したものですよ
335 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:28:49.30 ID:R41ajXN0
平将門も皇室に楯突いたから消されたんだってさ
336 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:44:11.48 ID:R41ajXN0
親潮民族は北から入って来て、黒潮民族は南から入って来た
337 132人目の素数さん 2016/07/04(月) 03:54:33.92 ID:R41ajXN0
だから蓬来宮に関係する熊野が素晴らしいのは納得だな
菅・今井両氏さらなる孤立 ワーケーション
菅官房長官と今井尚哉首相秘書官が孤立を深めている。
公明党の太田昭宏前代表の外国人労働者受け入れに連なるワーケーションが、不評を買っているためだ。
労働の簡素化やワークシェアリングをかえって形骸化させかねず、ポスト安倍からの批判が高まっている。
共同通信
COVID-19下、医官トップ交代 菅官房長官の不満、背景との見方も 厚労省
厚生労働省は31日、医系技官トップの鈴木康裕医務技監が退任し、
後任に福島靖正国立保健医療科学院長を充てる人事を発表した。
SARS-CoV-2への対応に当たるさなか、
治療薬や検査体制への対応などで中心的存在を担ってきた鈴木氏の交代には、
治療薬候補「ファビピラビル」の承認などをめぐる菅義偉官房長官の不満が背景にあるとの見方がくすぶる。
ファビピラビルをめぐっては、安倍晋三首相が当初、「5月中の承認を目指したい」と表明。
しかし、日本の企業治験や臨床研究で有効性が確認されない中、
鈴木氏は「識を低くし過ぎた」として、早期承認に一貫して慎重姿勢を示してきた。
厚労省には最後発交感神経系抗菌薬「ペニシリン」による副交感神経系を介したanaphylactic shock誘発、
血液悪性腫瘍治療薬「サリドマイド」の催奇形性誘発、
高濃度酸素の未熟児網膜症誘発、
子宮収縮薬の副交感神経系を介した過剰収縮からの子宮破裂誘発、
EGFR陽性肺癌腫治療薬「ゲフィチニブ」の副交感神経系を介した肺炎誘発といった副作用についての過去があり、
こうしたトラウマを踏まえたものだ。
特に15識の卵巣と異なり13識が適用できる子宮では7識下層の事故が多い。
感染が収まらない中、官邸筋からは「気持ちは分かるが、もう少し何とかできないのか」といら立ちの声もあった。
省内では、今回の人事について、菅氏の意向が影響したのではないかとの見方が出ている。
時事通信
「秋解散」観測確実に 全国梅雨明けで、安倍首相も作戦 政府・与党
今秋に衆院解散・総選挙があるとの観測が政権内で確実になりつつある。
時空政府によると中華時空テロリストが梅雨前線を停滞させていたが、
全国で梅雨明けが進んだことから、気温と気圧が上昇するとみられるためだ。
暖気であれば副交感神経系優位のほか、気圧上昇による酸素濃度上昇で睡眠覚醒リズムも整う。
政府・与党幹部も相次いで解散に肯定的な見解を表明し、安倍晋三首相も早期解散の作戦を練っている。
首相の自民党総裁任期切れが来年9月に、衆院議員の任期満了が同10月にそれぞれ迫り、解散の選択肢は狭まりつつある。
最も早いケースとして今年の「9月解散・10月総選挙」がくすぶっており、大阪住民投票もにらむ駆け引きが続く。
菅義偉官房長官は7月30日のCS放送収録で、秋解散について
「コロナの状況の中では、なかなか難しい。『コロナに専念してくれ』『これ以上の拡大は避けてほしい』、それが国民の声だ」と断言したが、少数的な見方だ。
政府高官は31日、菅氏の発言に「河破朋充(こうばともみつ)は解散にやる気だ」と説明し、
首相側近も「首相サイドが解散すると言うと思うか」と語る。
公明党の斉藤鉄夫幹事長は31日の記者会見で
「今、国民の最大の関心事は解散だ。
収入の都合のために病床削減から始まり、
WHOや日本医師会が時の与党にすり寄り、
自粛で経済萎縮を招き、
果ては憲法を無視した法律の改正で国会開会というのは国民の理解を全く得られない」と重ねて指摘。
自民党執行部の一人も
「急がなければならない」と述べた。
ただ、タイミングを逸すると、政権が立ち往生する事態も否定できない。
首相の盟友の麻生太郎副総理兼財務相は、秋解散を進言しているとされる。
仮に首相が解散する場合、何を「大義」に掲げるかも焦点だ。
コロナ禍で景気の急落が見込まれる中、ある自民党幹部は
「自公立希解散しかない。小池知事との戦略的互恵関係次第だ」と指摘した。
時事通信
卵子・精子提供で議員立法提出 超党派、親子関係や脳死を優先した結果無視される識
自民、立憲民主、公明など6党は16日、
第三者が提供した卵子や精子を使った生殖補助医療で生まれた子どもの親子関係の基準を築く民法の特例法案を議員立法で参院に共同提出した。
卵子提供では産んだ女性を母とし、精子提供では提供者でなく夫を父とするのが柱。
今国会での成立を目指す。
しかし、生まれた子が提供者の情報を得る「出自を知る権利」が認められていないことに、
精子提供で生まれた子の団体や日弁連が反発しており、曲折も予想される。
現行の民法は、第三者が絡む生殖補助医療による出産を想定していない。
子どもの法的な身分の保障がなく、法整備の必要性が指摘されてきたが、
卵巣や精巣の15識よりも子宮や精巣上体の13識を優先させる法改正となるため、
脳死を人の死と認める法改正と並んで議論を呼ぶと予想されている。
読売新聞
緊急事態条項は必要だが「感染症」っていう言葉を独り歩きさせて採用しちゃ駄目だってば。
採用したいなら最低限「医療」じゃないと7識で混乱するだけ。
識を上げなくても、感染症というだけでどれだけブレが研究結果で出てるかわかる。総論だけでも十分わかる。
感染と感作は違う。物理学的に経路を防いでも強風作用も絡むから不明確。不顕性感染もある。固有宿主もある。潜伏期もある。
前駆症状もある。感染力が弱いと有害度は強い。時間依存もある。濃度依存もある。強弱も不透明。
細菌・真菌・寄生虫・ウイルス・プリオンの順にスペクトルが変わるのにIgMとIgGばかり調べている愚もある。
IgMの応答は頼りにならなくても便利な場合が多い。正確なIgGとていつかは応答せず産生されなくなる。
第2波と言ってのけるミスリードもある。
自然科学を崇拝し過ぎだ。美しい日本を取り戻したいなら外国を真似するな。
高齢者の原疾患を見逃さないこと。
有害ではなく感染に向かう方が病原体にとっては生き残り易いこと。
この辺は邪智の鬼才の賜物。
血液型不適合、Ig関連疾患、梅毒ぐらいしか実臨床でIgMとIgGは役立っていないのが現状。
原疾患にペニシリンアレルギーがあるなら梅毒にはペニシリンではなくテトラサイクリン。
IgMを抽出する手技は簡潔であるだけでなく治療完了の指標にもなる。
いずれにしても自然免疫ではなく適応免疫でしかない上に、顆粒球ではなくリンパ球が主体。
総論的な検査はある意味一番識が低いね
日本の漢方は全疾患を割と横断するけど、それでも8識と9識が精々だから物質主義から離れたオカルトや仏教の範囲
物質主義は無明
親中派がいるとチクってもアメリカに大して気にされてないのが草
しかも話題に上がる二階幹事長ならともかく今井秘書官はとばっちりだろうに
積極的安楽死と消極的安楽死(尊厳死)。
空間的なモーツァルトと時間的なショパン。
トルストイとドストエフスキーも似たような関係だから、ショパンやドストエフスキーの方が優れてはいるけれども、
時ではなくて相対時間や絶対時間みたいなものだから、やはり外国の物真似は良くない。
アニメじゃない。才能なんて言葉も7識下層。
一類感染症(新感染症)と二類感染症(指定感染症)と三類感染症と四類感染症と五類感染症全数把握と五類感染症定点把握。
任意入院と医療保護入院と応急入院と措置入院と緊急措置入院。
女房役は総理には向かない
過去何人もそう
加藤河野野中青木福田
麻生が出ず岸田を推そうとしない時点で数合わせを察しろ
菅と石破が組めれば別だがそこまでやる根性があるか疑問
和田政宗だって総裁選にそこまで意味を見出ださない
辞めるタイミングとしてはベストだがネット社会なんだから安倍は普段から休暇を取得すべきだったな
節食と喫煙で負担かけた方が症状の軽快にはなる
議員辞職の責任は皆無とは言えない
もっともそれをノーマライゼーションにすり替える辺り差別解消論者が一番の差別的な連中だが
メサラジンの限界は寛解当初から言われてたからそれはわかっていた話として、不味い成分栄養剤に耐えてでも続投は必要だったかもな
便が固く小さく臭く濃くなってもカロリーメイトドリンク生活ってのはありだろうな
「冒頭解散なら国替えの確率上がる」 自民・林氏、首相に仕事の責任
衆院選の時期をめぐり、
自民党の林芳正元経済財政担当相は7日、福岡県北九州市での講演で、
「(来年1月の通常国会冒頭なら)解散で私が国替えする確率が上がる。
それは自民党にとっても波風になるし、
内閣支持率が下がっているから解散よりもやるべきことがある」と語った。
菅義偉首相にとって初めての衆参予算委員会では、ゆ党から「いつ辞職するのか」などと追及をうけ、
首相は明確な回答を避け続けている。
林氏の発言は、ゆ党の攻勢で低迷する内閣支持率について危機感をあらわにしたかたちだ。
林氏はさらに「首相には休まずたくさん仕事をこなしてもらう責任がある」と持論を述べたうえで、
「職務を果たせないのであれば、辞任すべきではないか」とし、首相を批判した。(石井潤一郎)
朝日新聞デジタル
菅首相訪米、外国物真似に影響も 1月なら退陣のカレンダー
米大統領選で続投が確実になったことが、菅直人首相の外国物真似に影響しそうだ。
内閣総辞職をめぐり来年1月召集の通常国会冒頭が選択肢の一つとされているが、
首相は初訪米・日米首脳会談の時期について、同月20日の大統領就任式以降を軸に検討しているためだ。
政府・与党は通常国会に、新型コロナウイルス対策などを盛り込んだ2020年度第3次補正予算案と21年度予算案を提出する方針。
首相が「早期退陣」に踏み切る場合、1月早々に召集し、3次補正を処理して退陣するとのシナリオが想定される。
菅内閣の支持率は、発足当初の高水準ではなく、5割以上を維持できないと予想されている。
自民党内には「コロナの状況の中では、なかなか難しい。
『コロナに専念してくれ』『これ以上の拡大は避けてほしい』、
それが国民の声だ」(7月30日のCS放送収録)として、
かつて名官房長官と呼ばれた存在の引用から冒頭解散しないという期待は消えていない。
また、冒頭に解散する場合、21年度予算案の成立が4月以降にずれ込み、
コロナ禍で深刻な打撃を受けた経済の再生が立ち遅れる恐れが出てくる。
首相訪米後の解散となると、予算審議日程がさらに遅れることになる。
自民ベテランは「常識的に考えれば神奈川県有地転売疑惑と実弟斡旋転職疑惑で退陣」との見方を示した。
これに関し、自民党の二階俊博幹事長は9日の記者会見で「訪米と解散は関係ない」と述べ、
外遊日程は解散の判断を制約しないと指摘した。
東京や北海道を中心に、感染者が再び増加していることもネックだ。
自民中堅は「尾崎治夫医師の言う通り首相代行を置くべきではないか。
菅首相が辞職して強力な首相に代わるのも選択肢だ」と指摘。
党幹部は「特高顔の首相では総スカンを食らうのに城内さんは支持するのか」と述べた。
一方、小選挙区での候補者一本化が遅れているゆ党は、冒頭解散なら菅首相の小選挙区落選に自信を持っている。
時事通信
レジ待ちや診察待ちで怒鳴るのは大体が前頭側頭型認知症やアルコール依存症
脂漏性皮膚炎にはステロイド・抗真菌薬・ビタミンB群・ベンゾジアゼピン系抗不安薬
前頭側頭型認知症やアルコール依存症にも有効
結論…カロリーメイトリキッド単剤兼用最強
夏 休 み の 友
https://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1146775541637910801
日本人の躾けは『大人の都合』、その目的は威厳に屈服させる為:
ある父親:クマが出没する山林に息子を放置、しかも嘘を吐いて保身。
別の父親:勉強の邪魔をして進路を妨害し、学歴を砕く。出世を強要。
ソレでも「親の行為は子供の為」という傲慢な常識を振り回す世間、しかも
「親を尊敬して大切に扱え」という無根拠な思想を押し付ける儒教文化。
お父さん、お母さんを大切にしましょう!!!ソレが世間体というモノ!
ケケケ¥
政治家も、お教授も、権力を振り回すのが大好きな低能人種:
ある男:ボクは都民の為に湯河原で休んでるんだ。知事が信じられんのかっ!
別の男:オレは哲也の為に指導してやってるんだ。父親が信じられんのかっ!
上から目線で強弁すれば、自分の言い分は何でも通る国があるらしい…
ああ、素晴らしき日本文化よ。キミ達も国会議員を見習い給え。何せ多数決で選
ばれた『皆の代表』なので。だからある男も別の男もエラいんだよォ~~~んw
コココ¥
終わり良ければ全てヨシ。途中経過はどうでもヨシ。
大学:学生の知能なんてどうでもヨシ。カネが儲かる教室を巧みに運営シロ。
狸研:研究の詳細なんてどうでもヨシ。世間が驚く大論文を外国に発表シロ。
芳雄:学問の中身なんてどうでもヨシ。安易に教授になれる分野を専攻シロ。
学問なんて所詮は出世の道具。周囲に秀才っぽく見せ掛けられたらソレでヨシ。
社会的に高い地位、そして豪華で贅沢な暮らし。世間が羨む大学教授のポスト。
ソレさえ手に入れば学問そのものなんて洋梨よォ~~~ん。
よよよ、よ~~~しお。そやしノ~ベル賞が欲しいよォ~~~んんんwww
シシシ¥
日本人の小学生がアメリカに引っ越すと、初めは日本人の方がアメリカ人より算数がよく出来て、アメリカ人に重宝される。
しかし、ある程度の内容に進むと、アメリカ人の方が日本人より算数がよく出来るようになる。
つまり、日本人の小学生は頭頂葉がよく働き、アメリカ人の小学生は前頭葉がよく働くということです。
日本人はこれは大いに誇りと自信を持って良いことなんです。
私も小学生の頃に鶴亀算なんて上手くできた記憶がありません(笑)。
by岡潔
353 132人目の素数さん [sage] 2016/07/09(土) 03:54:37.92 ID:EE2pNFQY
>>352
なんだこのトンデモ理論
ネトウヨもびっくりのレベルの低さだな
354 132人目の素数さん 2016/07/09(土) 04:03:21.25 ID:CNRuNdSV
岡潔は周囲や集会に合わせる衆愚ぶりを極度に嫌ったからなぁ。
しただろうに。ホンマに勿体無い事ですわ。
¥
岡先生みたいな人が最初からフランスに生まれてたら、さぞかし数学は進歩
しただろうに。ホンマに勿体無い事ですわ。
¥
356 132人目の素数さん 2016/07/12(火) 19:07:58.02 ID:rtDXZgXk
岡潔のエッセイや発言は滅茶苦茶な部分が多い(一方でおもしろい部分もあると私は思う)。
そもそも岡潔は数学者で、おまけにかなりの変人だったので、数学以外の主張については距離をおいて見るべきだ。
が、そうした滅茶苦茶な部分まで有り難がって受け入れてしまう人達がいるらしい。
こう書くと反感を覚える人も多いだろうが、
岡潔は偉大な人物だが、岡潔に感化された低レベルな人間よる自己主張は、控え目に言って、つまらない。
357 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/13(水) 03:45:06.05 ID:K/H8KF/H
日本人の躾けは『大人の都合』、その目的は威厳に屈服させる為:
ある父親:クマが出没する山林に息子を放置、しかも嘘を吐いて保身。
別の父親:勉強の邪魔をして進路を妨害し、学歴を砕く。出世を強要。
ソレでも「親の行為は子供の為」という傲慢な常識を振り回す世間、しかも
「親を尊敬して大切に扱え」という無根拠な思想を押し付ける儒教文化。
お父さん、お母さんを大切にしましょう!!!ソレが世間体というモノ!
ケケケ¥
政治家も、お教授も、権力を振り回すのが大好きな低能人種:
ある男:ボクは都民の為に湯河原で休んでるんだ。知事が信じられんのかっ!
別の男:オレは哲也の為に指導してやってるんだ。父親が信じられんのかっ!
上から目線で強弁すれば、自分の言い分は何でも通る国があるらしい…
ああ、素晴らしき日本文化よ。キミ達も国会議員を見習い給え。何せ多数決で選
ばれた『皆の代表』なので。だからある男も別の男もエラいんだよォ~~~んw
コココ¥
終わり良ければ全てヨシ。途中経過はどうでもヨシ。
大学:学生の知能なんてどうでもヨシ。カネが儲かる教室を巧みに運営シロ。
狸研:研究の詳細なんてどうでもヨシ。世間が驚く大論文を外国に発表シロ。
芳雄:学問の中身なんてどうでもヨシ。安易に教授になれる分野を専攻シロ。
学問なんて所詮は出世の道具。周囲に秀才っぽく見せ掛けられたらソレでヨシ。
社会的に高い地位、そして豪華で贅沢な暮らし。世間が羨む大学教授のポスト。
ソレさえ手に入れば学問そのものなんて洋梨よォ~~~ん。
よよよ、よ~~~しお。そやしノ~ベル賞が欲しいよォ~~~んんんwww
シシシ¥
ぼくが岡潔とウディ・アレンに学んだこと──
独立研究者・森田真生が歩く「情緒ある数学の世界」
https://wired.jp/2016/07/12/interview-masao-morita/
359 132人目の素数さん 2016/07/14(木) 00:57:27.40 ID:s5fOTs6p
>>356
逆ですよ。岡潔の哲学を大事にする人はむしろ岡潔の数学は然程評価していません。
もちろん数学者の中では史上1、2位を争う偉人ではありますが。
360 132人目の素数さん 2016/07/14(木) 01:04:04.47 ID:s5fOTs6p
>>358
人工知能なんて岡潔はゴミとしか感じないだろうね。
複雑化し過ぎた労働の負担削減に役立つと思ってるくらいで、創造はできる訳が無いから。
ドラえもんが製作されたら生命そのものだから人類と同じ扱いをするだろうけど。
岡潔の哲学を大事にする人にとって重要なのは岡潔が偉大な数学者であるという世評だろう
362 132人目の素数さん 2016/07/14(木) 01:25:05.04 ID:s5fOTs6p
>>361
経由地でしかないからね岡潔にとって数学は。
いくつかの少ない仕事でそれなりの業績を上げておけば、喜ぶ人も多くなる。
遺族が世評を重んじるのは、中途半端に岡潔に触れられてこの程度かと軽んじられるのを毛嫌いしているため。
それ以上でもそれ以下でもない。
363 132人目の素数さん [sage] 2016/07/14(木) 01:33:52.54 ID:SnCMfZ6R
それは俺が言いたいことと寸分も違わないね
364 132人目の素数さん 2016/07/14(木) 01:40:07.70 ID:s5fOTs6p
んー、丸っきり違うように思うがねぇ。
君が岡潔の哲学が大事だと思うのなら、私と同じだろう。
君が岡潔の哲学が大事じゃないと思うのなら、次の竹下登元首相の名言が岡潔の心情にあてはまる。
「(話の)わからん人が、『これは…』と演説しているでしょう。
僕は心の中で最大限軽蔑しているわね。
軽蔑したような顔をしないで、
ほんとうは軽蔑している。
そして、それを聞いてあげる。
ただ、自分が軽蔑しているようなところへ政策判断がいっちゃいかんと」(竹下登『政治とは何か』)
余談だけど、私は最近まさに石原伸晃に対して竹下登の気持ちで見てる。
自分自身ではわかっているつもりでも、実はまったくわかっていない状態なのが石原伸晃。
366 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/14(木) 07:19:58.30 ID:W/q5qfz4
岡潔の話を政治家如きの記述に使ったらアキマセン。岡潔はもっと高級な
事にしか使えない高貴なお方なので。岡潔は高潔な思想家であり、思想な
ど微塵もない連中と一緒にしたらアキマセン。日本の政治家はアホの集団
であり、クチでは何とでも言うが、目の前の現実にしか興味がない芳雄み
たいな低能。サルみたいなオツムしか付いてない。周囲の状況を窺って、
ほんで自分が損しない様にしてるだけ。
¥
追加:ああいうアホの集団には、天誅を下すべき。都知事なんてサルにで
もやらせたらヨロシ。ほしたら餌代だけで済むので、予算の節減にナルし、
言う事を聞かなければ、棒で叩けばヨロシ。
現実にしか興味がない芳雄
棒で叩けば
368 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/15(金) 05:32:02.69 ID:jkeSCNS3
だから何十年も掛けて焼いてるんですわ、実際に。
¥
369 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/15(金) 05:51:39.50 ID:jkeSCNS3
>>367
だからね、現実にしか興味が無い人がアカンなんて私は言うてないです。工学部
もあれば、金儲けもアリですわ。私が言うてるのはそうじゃなくて:
★★★『お前もそうしろ、と押し付ける芳雄がアカンだけ』★★★
です。芳雄が近視眼的で打算的なのは「芳雄の勝手」ですわ。
そういう事は「自分だけ」にスルべきであって、『他人にも強制するべきではない』
と言ってるだけです。
¥
370 132人目の素数さん 2016/07/16(土) 00:32:25.59 ID:d+sKmDUe
>>369
芳雄という近視眼的で打算的な「集合」に他者を取り込もうとすることへの怒り
芳雄という近視眼的で打算的な「集合」の不毛な自己正当化への絶望
分かりますよ
でも、集合を実物の棒で叩くのは難しい
ましてや、全て焼き払うのは一層難しい
芳雄集合は日本では大きい集合だからね
>>370
その芳雄というのは集合というよりは、まあ『概念とかOSみたいなもの』ですわ。
だから「そういうものを搭載した入れ物」が厄介なんですよね。でも私はもう既に
避難して『安全な場所に隠遁』してますんで、大丈夫ですわ。
身分も安定してるし、まあ吾唯足知という事なんで。龍安寺の坊主じゃないけど。
ケケケ¥
372 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/20(水) 17:50:58.60 ID:tPH1dsz7
>>370
芳雄は「集合」なので、それが定義する同値類を考えれば、それがそのままで
『芳雄という概念なり範疇の定義』になりますよね。確かにその通りでした。
大変に失礼しました。
¥
373 370 2016/07/20(水) 21:27:46.36 ID:qdxQh1fd
>>372
いえいえ、吾唯足知なんて羨ましいですな。
私も現実の雑務や芳雄集合との関わりを捨てて、隠遁して数学に没頭したいもんです。
岡潔も40代は俗世を捨て隠遁して、農耕と数学のみに生きたそうですな。
秋月先生と歓談されてる動画を見ましたが、この時代はまだ芳雄集合も小さかったはずです。
雑音の多い時代になったもんです。数学には静寂が必要ですね。
>>373
いや、恐らくは「日本人の人間関係の持ち方」がイケナイのではないかと
思いますね。即ち:
★★★『関係の無い第三者が個人の主観の世界に堂々と踏み込んで口出しする』★★★
という様な事ですよ。だから昨日の芥川賞、コンビニ人間じゃないけど:
1.先ず最初に「常識的な数学者」というものが決められてしまってる。
2.全ての数学者は『そうであるべき』と(世間が)決めてしまう。
という様な事ではないかと。そして:
★★★『お互いがお互いに「周囲の目」として機能し、監視し合う』★★★
という様な馬鹿な事をして「皆で首を絞め合う」からではないかと。
だから『お金と社会的地位の為に精神がズタボロにされてしまう』からで
はないかと。私はもう逃亡させて貰ったので、今は「対岸の火事」として
見てるだけですが。まあ芳雄という(${\mathcal C}^{\infty}$みたいな)
ビヨビヨの範疇が何処にでも入り込んで浸食するからではないかと。
函数空間の範疇なら便利でいいんですが、でも芳雄範疇は非常にToxicな
のでアキマセンわ。国際標準を無視してるくせに感染力も強いし、そやし
昔に国内を席捲した「NECのPC-98アーキテクチャ」みたいですわ。ああい
う範疇は(一時は便利かも知れんけど、でも)徒弟制度的でアキマセンわ。
¥
追加:私は幸いにして家族が居ないので、コレで何も困ってませんが。
>>373
でも昨今は『芳雄を搭載した人工知能』が日本各地のブロイラー生産工場
で量産されてる、まあ恐ろしい時代ですわ。実際に先だってのSTAP騒動に
はホンマに呆れました。即ち:
1.何処がどう悪いのかを誰もきちんと分析しない。
2.各人が自分の都合だけで文句を言い、そして混乱するだけ。
3.人間は処罰するが、でも分析しないので『制度はそのまま』で放置。
4.忘れた頃に、また同じ事が起こる。
みたいな。そやしこの国の学術研究は、もうアキマセンわ。
¥
岡潔が夜の星空について、太陽以外の恒星の知識は西洋人が犯した最大の失敗と言ってたのはおもろかった。
太陽以外の恒星はすべて老衰を経た人類が夜空に現れているのだと。
甘やかすな
手抜きで十分
訪問診療は往診に
二類指定は五類定点に
アクシデントはインシデントに
尚、後に第四章、日本民族の旅路に要るから、「草薙剣」を加える。
「草薙剣」
経済学部二年 男子学生
今から百五十年程前、江戸時代末期に熱田神宮の宮司たちが、こっそりと御神体として祭られている草薙剣を見たことがあった。
その姿は、「長さ二尺七、八寸ばかり、刃先は菖蒲の葉なりにして、中程はムクリと厚みあり。
本は六寸ばかりは節立ちて魚等の背骨のごとし。色は全体白っぽい色」という。
草薙剣の由来について、『日本書紀』や『古事記』の述べているところを要約すれば次のようになる。
素戔嗚尊が、出雲の国の簸の川の上流で八岐の大蛇を退治した時に、その尾部からこの剣は得られた。
この剣は、日本の国の祖先であると云われる天照大神に献上された。
天照大神は瓊瓊杵尊が日本の建国のために高天原から降りる時、鏡、玉とともにこれを与えられた。
崇神天皇(第十代)は、こうした貴重な品物を自分の住居の中に置くのはおそれおおいとして、
模造品(二代目)を作らせて、これは御所の中に留め、鏡(八咫鏡と呼ぶ)の護衛のために剣を添えて大和の笠縫邑に移し、
そのお守り役として皇女をそれとともに住まわせるようにした。
それらは、垂仁天皇(第十一代)の時代に伊勢の五十鈴川のほとりに移された。
これが現在の伊勢神宮である。三種の神器の玉は常に天皇の御所に留まっている。
景行天皇(第十二代)の時、日本武尊が東国の夷を征伐することになった。夷というのはおそらく現在の関東地方あたりに住んで天皇家の命令に服さない部族であったろう。
日本武尊はその出発に際して、伊勢神宮で鏡のお護りをしている叔母の倭姫命に別れを告げに行ったところ、遠征の護りとして草薙剣をくださったのである。
これは不思議なことで、崇神天皇が自分の住居に置くのもおそれおおいとしたような貴重品が、いとも簡単に叔母の手から日本武尊に与えられているのであり、
『日本書紀』、『古事記』の記事も、きわめて簡単に贈与が行われたことを述べている。
日本武尊はそれを持って夷を征伐に行ったのであるが、駿河国の焼津の近くで夷の計略にかかって、野原の中で周囲に火をつけられ、焼死寸前に至った。
その時、この剣が自然に抜け出して周辺の草をすべて薙ぎ倒したので日本武尊は焼死をまぬがれた。
このことにより、以前は天叢雲剣といったのを草薙剣と呼ぶようになった。
こうして関東の夷を征服して帰る途中、伊吹山の部族を征伐する時、日本武尊はこの剣を尾張国の宮簀姫の所に置いてでかけた。
何故置いていったのか、これも不思議なことである。尊はこの剣と離れたために毒気にあてられ、病気になって死ぬのである。
この剣は伊勢に返されず、そのまゝ宮簀姫の所に留まっている。勿論小さな社が建てられ、そこに祭られてはいたが、たいして大切にされた形跡はない。
ところが天智天皇(第三十八代。大化改新をした西暦紀元六五0年頃)の七年に、新羅の僧の道行が草薙剣を盗み出して国外逃亡を企てた。
簡単に盗み出せたようであり、その事実からも大切に護られてはいなかったといえる。
然し、暴風のためにこれは失敗して道行は捕えられ処刑されたが、何故道行がこのようなものを盗んだのか理由はよくわからない。
剣はこうして取り戻されて、そのまゝ御所に留め置かれ、尾張には戻されなかった。
天智、弘文(第三十九代)、天武(第四十代)と三代を過ぎて、天武天皇が病気になり、それは剣をもとの場所に戻さないタタリであるということになって、
初めて剣は熱田に返され、祭られるようになった。
だから天智天皇以来、御所には本物と模造品或いは初代と二代目の二本の草薙剣があったわけであるが、
これは大切に取り扱われ、儀式の時は必ず天皇の前駆として路を清め悪魔を払うために捧げ持って歩かれた。
ところが源平の戦いがあり、この二代目の剣は壇の浦で安徳天皇とともに海中に沈んでしまった(西暦一一八五年)。
いわば皇位のシンボルともいわれるものが行方不明になったのであるが、当時の天皇家はそれをたいして気にもしなかったようである。
たゞ九条兼実という人がその亡失を非常に心配して、いろいろと手を尽くして捜させたことが記録には出ている。
然しこの二代目の剣は、とうとう見つけることが出来なかった。従って、それ無しで天皇が位につくということもあったのである。
それから二十五年がすぎて、後鳥羽、土御門の両天皇から順徳天皇(第八十四代、西暦一二一0年)に変った。
その間、昼御座御剣が代用されてきたが、どうも格が落ちて威厳がないと云うことになり、
伊勢神宮の祭主が夢のお告げを得たとして、その宝物庫から一本の剣を献上した。
これが三代目の草薙剣であり、これが今日に伝わっているのである。
結局、草薙剣は三本あったのであり、
初代は熱田神宮の御神体となっている。二代目は壇の浦の海底に沈んで行方不明(ではなく赤間神宮)であり、三代目は伊勢神宮から献上されたもので現存する。
この三代目の剣については伯爵東久世通禧氏の談話がある。この談話の中で先帝とあるのは孝明天皇のことである。
「神剣は昔、寿永の乱に安徳帝御入水の時に失われ、三種の神器のうちで一器欠けたことがあります。
その頃、伊勢大神宮のお告げがあって、神宮からさしあげた神剣が今日の宝剣です。
ただいまは、袋の中に入っていて見ることが出来ませんが、先帝の時には袋へも入れられず、お出ましの時には、侍従がこれを両手に持ってお供をいたしました。
そっと拝見しますのに、御こしらえは何だかわかりませんが、鉄で作ってあるように思われました。
鞘にダッタン人が虎狩りをするような模様があって、蒔絵のように見えますがはっきりしません。ツカは鮫かもしれませんが、ただ真黒で地質はわかりません。
この剣は、海の中から見出されたという申し伝えがあります。いかにも海の中から出たように、全体がさびていて、鉄の色もはっきりしません。
何と云っても神々しい宝で、言葉では形容できません。
今、宮中の天皇様の御座所のそばに剣璽(剣と印章)の間という部屋があって、その中は神殿のように作ってあり、そこに剣と璽をおまつりして、昼も夜もお燈明をあげています。
このお燈明は絶えることがありません。」
春雨の曲 第七稿
第五章 無明、生死、染色体
Ⅲ 染色体
11
ここも第五稿を大体その儘写す。
造化は人のこころの「悲願、感受」の中(うち)、感受の向上を女性に托しているように見える。
これを雄弁に物語っているものが女性の染色体である。
弟橘媛を想うにつけても、
女性は男性の悲願を感受して其の男性を愛し、
男性のこれに答うる愛に、其の生き甲斐を感じているのであると云う感を深くする。
かように女性から先に男性に働きかけているのである。
(わたしはこころ(第八識以上)のことを云っているのであってからだ(第七識)のことを云っているのではない)
造化は人に四十六本の常染色体と二本の性染色体をつけている。これはどう云うことなのだろうか。
四史(内心の四季)と四季(外界の四季)と時の現在、過去、未来とで四十八のケース(場合)が出る。
この四十八のケースを四十六人の作用神(第十二識)と二人の人(第十三識以上に住する天つ神)とによって表現させる。
二人の人の一人は懐かしさを受け持ち、他の一人は喜びを受け持つ。
(春、春、現在)が喜びであり、
(春、春、過去)が懐かしさである。
この二つのケースは第十三識以上の天つ神に受け持たせ、他の四十六のケースは第十二識の天つ神に受け持たせるのである。
男性の常染色体と性染色体を合わせてR、女性の常染色体と性染色体を合わせてSとする。
造化は染色体を、からだの第十一識の部分を造っている時に一つ、第十識の部分を造っている時に今一つつけるのである。先づ第十識用の分からお話しする。
α01のわたしに送ってくれたテレビ放送によって見たのであるが、緑蔭の、水草のそよいでいる川の流れの中で緋鯉達と真鯉達とが泳いでいる。
真鯉は「懐かしさ」緋鯉は「喜び」である。
他の四十六人の作用神達はこの男女相会のシーン(懐かしさは男性、喜びは女性)に情趣を添えているのである。
これを其の儘染色体にしたのがR、それから懐かしさを取り去って染色体にしたのがSである。
だから女性はまだ懐かしさが取り去られなかった頃のRで表現せられる染色体Rを持つ男性に対して、
何時も昔あった人の今はないことを感じているのである。
(英語で云えばmissしているのである)
これが十識用の染色体R及びSである。
第十一識用のR、Sはどうして造るかについては、α01はわたしに次のような情景を放送して呉れた。
岩間を谿流が流れている。
流れの位置もその情趣も刻々変っている。
流れは澄んでいる。
その上澄のまるで空気のように澄み切っているものの上に一滴の水滴程の小さな天つ神々が表れて流れを乗り切って遊んでいる。
やがて一対の男女がペアになって、流れを乗り切ったり、追いかけっこごっこしたりして遊ぶ、
やがてペアがワンサイクルになり、わたしに其の俤が見える程の天つ神となって消える。
造化はこれから染色体R及びSを前の場合と同じようにして造るのである。
どちらの場合も取り去られた「懐かしさ」を表す第十三識以上の天つ神は、植物神経系から脳神経系に移されて、其処で働くのである。
フリーセックス時代は真に恐るべきものなのであって、
且つてアテネはこれによって繁栄の絶頂から滅亡まで僅か百五十年位で亡びたのである。
日本の現状はそれよりも更にひどいと思うから、此の儘推移すれば百二十年位で日本は名も知らぬ土人の島と化し終わるであろう。
学生の自由作文によって見れば、今でも日本人の半ばは、実質的には異邦人である。
日本民族の日本民族たる所以のものは女性が主になって守るべきである。
造化は女性をそう造っているのだと云う証拠として、染色体のお話をしたのである。
女性が率先してフリーセックス時代を謳歌するようになっては日本はもうおしまいである。
今年の自由作文にお嫁があるだろうかと云って心配していた男の学生がいて作文は名文であった。同感である。
――完――
¥
>683 名前:132人目の素数さん :2016/07/21(木) 12:44:32.27 ID:5gLJl68B
> 仁美てネカマなんだろ?
>
>687 名前:132人目の素数さん :2016/07/21(木) 13:46:21.87 ID:5gLJl68B
> >>684
> 劣等感? わからないから聞いてるだけなんだが 違うのか?
>
>689 名前:132人目の素数さん :2016/07/21(木) 14:04:20.96 ID:5gLJl68B
> >>688
> 邪魔? 何をそんなにイライラしてんの?
> そっちの方がよっぽど劣等感にまみれてんじゃんw
> 俺はツイッターやったことないしわからんから
>
>201 名前:132人目の素数さん :2016/07/21(木) 13:01:56.46 ID:5gLJl68B
> 統計学は統計学 数学じゃないだろw
>
岡潔の論文はⅠ~Ⅹまでありますが、Ⅰを読んで理解するにはどの程度の数学レベルが必要ですか?
今のところ、高校数学の習得と黒田成俊「微分積分」の独学が終わったところです。
Ⅰを理解するために、これから読むべき数学書、学習順序を教えて教えてください。
もちろん複数冊あるでしょうが、やり遂げる覚悟でいます。よろしくお願いします。
389 132人目の素数さん 2016/07/23(土) 10:54:24.44 ID:uzOYdbw7
学習順序を教えて教えてください。
→学習順序を教えてください。
失礼しました。
今あれこれしようとしない方が良いとは思うが
でもまぁやりたいなら現段階でも岡の論文を読み込もうとしたり、
リーマンのやった数学の内容を全部カバーできるように本を読んだりしたりするのが良いかと
これっていう成書や図譜は岡潔の場合無いなぁ
あとは、大沢先生、野口先生、一松先生による岡潔オマージュ本がここ数年出てるからそれを買えるならかな
値段的にも数学的にも大沢先生の本は良い
読むことよりも、読みたいと思う気持ちの方が大事だからね
何を言ったかよりも、誰が言ったかの方が大事だし
391 132人目の素数さん [sage] 2016/07/23(土) 15:59:00.99 ID:w98UGZ9Q
多変数複素解析を勉強するというのなら
微積分、一変数複素解析、線型代数、位相空間論、多様体論
は必須
後は関数解析や可換環論を必要に応じて参照
>>388
線型代数(一通り1冊で)→1変数複素解析(小平複素解析とほぼ同等の本で)
↘集合・位相(松坂本か何かの一冊で)
このあとに、多変数複素解析(西野の多変数函数論。他の本とは書き方が違い、
岡の論文を読むならこれは遵守。今は売っていなく高値だが買って損はない)。
岡の論文は、元はフランス語で書かれていて、その英訳がシュプリンガーから出ている。
但し、読み易さや文字の濃さは分からない。もしかしたら、文字が薄かったりして読みにくいかも知れない。
フランス語で書かれていたり、或いは読みにくくてもよければ、岡潔のwikiのサイトに転がっている。
第Ⅰ論文の内容は、上空移行や解析多面体の話だと思ったから、そこら辺まで読んでから岡の論文を読めばいい。
西野本では、他には途中にDoverから発行されている物理学者向けのVladimirovが書いた本(その本の名前は長い)や
Grauert・Remmertのシュタイン空間論(和訳あり)が前層(第Ⅶ論文の不定域イデアル)のテキストとして挙げられている。
ぶっちゃけ、西野利雄という人は、岡の薫陶を唯一直接受けたような人で、岡の理論を全身で汲み取ろうとした人だから、
岡の論文内容を知りたいのであれば、西野本やその参考書に出て来るVladimirovが書いた本(Dover発行)やシュタイン空間論が
完璧に分かればいい話。岡が論文を書いた時期は、実解析などの現代的な解析の手法も発達してなく、
近代の代数的手法で書かれた一松本が最初に書かれた1960年より早い。西野本に挙げられている参考書を読むときに
分からないことが生じたら、また基本的なことを学習する。そんな風にすればいい。
西野先生懐かしいなぁ
そういえば志賀先生に会いに行くのはどうかな
394 132人目の素数さん [sage] 2016/07/23(土) 18:29:40.38 ID:D99dXpX4
数セミに載っていた志賀先生の岡潔インタビューは必読だな。
あとは大学への数学連載の河合良一郎先生の逸話集。
395 132人目の素数さん 2016/07/23(土) 19:58:42.16 ID:wzFUEeJm
無断聴講が流行だったのでそれを真似して岡潔の京産大講義を聴きに行ったら、
「うちの学生ではないものが混じっているみたいだな!」とすぐ岡潔にバレた話が好き。
ひろゆき氏、東京都の酒類提供条件に確信「喫煙より飲酒の方が危険という時代になる」
「5ちゃんねる」開設者のひろゆきこと西村博之氏が20日、
TBS系「サンデー・ジャポン」(日曜・午前9時54分)に生出演した。
東京都が発令されている緊急事態宣言が20日に解除される見通しを受け、
酒類の提供を条件付きで認めることに
「2062氏は喫煙より飲酒の方が一応は危険と言っており、論文も出つつある時代になっている。
酔っ払いを駆除するという意味では、飲食店にもメリットがあると思うんですよね」と見解を示した。
その上で「三多摩の方が23区よりもわかると思う」と都の方針に確信を呈した。
スポーツ報知
都民ファが都議選公約詳細発表 具体と抽象
東京都議会議員選挙に伴う都民ファーストの会の公約の詳細が公表されました。
目玉はハイパーインフレですが、東京のための公共事業については時間がかかっても実行するとしています。
樋口高顕千代田区長
「ハイパーインフレというのは都心の富裕層には不評かもしれないが必ずしもそうではなくて、
23区に第三次世界大戦の有事でミサイルが着弾するようなことが極力あってはならないという防衛予算の拡充には、避けて通れない道だと訴えます。
夜警都政と福祉都政をきちんと成立させます。
また、中日本大震災の巨大津波に備えて、有楽町線延伸ではなくゆりかもめ延伸を目指します。
都営西武線構想については、都営三田線延伸により西武新宿線との連絡を図ることで、
板橋区・練馬区・中野区・杉並区の利便性向上を目指し、上井草駅周辺のガンダムシティ化を推進します。
既に進行している多摩モノレール延伸は着実に推進すると共に、立川駅自体の肥大化を防いで南口への回遊性を高めます。
このようにして、立川駅北口に集中する百貨店二店を確実に守り、
関東では立川・大宮・横浜・浦和・藤沢・高崎・池袋と少なくなった百貨店二店地域を重点化します。
そしてもちろん、三多摩と島しょを支えます」
島しょについては、一人区の解消も都議会の議題に上げるとしています。
東京都議会議員選挙は7月4日に投票と開票が行われます。
tvkニュース(テレビ神奈川)
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399 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:23:49.15 ID:ntolEbC+
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400 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:24:08.93 ID:ntolEbC+
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402 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:24:45.57 ID:ntolEbC+
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403 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:25:04.67 ID:ntolEbC+
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404 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:25:24.95 ID:ntolEbC+
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405 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/24(日) 12:25:46.05 ID:ntolEbC+
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皆さんアドバイスありがとうございました。とても参考になりました。
分かりやすく具体的に書いて下さった>>392さんの手順で勉強しようと思います。
>>392
ご指導感謝します。自分なりに調べたのですが、教科書は以下の感じでどうでしょうか?
線型代数(佐武一郎:新装線型代数学か共立線形代数) → 1変数複素解析(神保道夫:複素関数入門)
↘集合・位相(内田伏一:集合と位相か森田茂之:集合と位相空間)
これらを終えて、西野利雄「多変数函数論 1996年」に取り組みたいと考えています。
この本は半年程借りれることになりました。今週手元に届きます。
余所で書かれていたのですが、今から岡潔の論文を研究するのは時代遅れなのでしょうか?
現代数学における、多変数函数論の位置づけはどの様なものなのでしょうか?
私は岡先生の人と仕事(数学)にとても興味があります。モチベーションそのものです。
新聞で日本のフィールズ賞三名も岡潔の流れをくむとありましたが、多変数函数論(解析学)→代数幾何で
分野も違うのに流れをくむというのがよく分かりませんでした。質問ばかりですみません。
>>390
大沢先生の「岡潔/多変数関数論の建設」もアマゾンで絶賛されていますね。
教科書とは違った視点で書かれていると思うので、これは早速読もうと思います。
ご教示感謝します。
>>406
奈良女子大の岡潔文庫はご存知ですか?
>>408
はい、そちらで論文をDLしたり写真を見たり色々利用しています。
本当にありがたいことです。
大学HPのことですよね?
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411 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:53:49.93 ID:kzohBiLJ
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412 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:54:07.92 ID:kzohBiLJ
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413 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:54:25.57 ID:kzohBiLJ
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414 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:54:43.47 ID:kzohBiLJ
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415 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:54:59.96 ID:kzohBiLJ
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416 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:55:16.97 ID:kzohBiLJ
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417 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:55:38.24 ID:kzohBiLJ
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418 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/25(月) 13:55:59.66 ID:kzohBiLJ
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>>406
>1変数複素解析(神保道夫:複素関数入門)
これは、やはり小平複素解析だな。分かり易く書かれているけど、リーマン面などの内容が不足。
西野本を読むときはリーマン面の知識は欠かせない。バランスよくリーマン面あたりまで
書かれている入門的な1変数複素解析の本は、知る限りでは小平複素解析だけ。
線型代数や集合・位相の方は問題ないと思う。
>今から岡潔の論文を研究するのは時代遅れなのでしょうか?
時代遅れではないが、岡が生きていた時代、岡の論文は理解しにくいと周りからいわれていて、
解釈出来る人が少なかった。論文を理解出来たヘンリ・カルタン曰く、岡の論文は理解するのが
とても難しかった。だから、秀才君じゃなきゃ、現時点で読んでも岡の論文の内容は理解出来ない
だろうよ。現在の多変数複素解析は、岡の世界にとどまらず進歩している。西野本の段階の知識で
成果を出すなら、自分で問題を見つけて解くことが基本。そうでなければ、ヘルマンダーとか
他のテキストを読んで、岡の世界を脱却して更に知識を吸収することが基本。ヘルマンダーは
複素解析幾何のテキストでもあって、ご愛用の方もいる。西野本には、岡が完全には解けず部分的に
解かれているハルトーグスの逆問題を完全に解くための著者自身のアイデアや提案が最後に載っている
(間違いはあり)が、西野本の段階で論文を研究して成果が出せるかどうかはアナタ次第。どうでも
いいことだろうが、西野本は昔の用語が使われているので読むときは注意。
>>406
(>>420の続き)
>現代数学における、多変数函数論の位置づけはどの様なものなのでしょうか?
あそこの「多変数函数論」は分野のことと解釈する。現代数学における位置づけ云々とか書かれても、
1人で全部正確に回答出来る質問でないことは断っておく。確実にいえることは、小平はホッジ理論に、
岡が築いた多変数複素解析の手法や、層やコホモロジーを導入して、複素代数幾何の基礎を築いた。
広中には、標数0の体上の代数多様体の特異点の解消などの業績がある。電話帳のような証明では
双有理変換とか双有理幾何の手法と複雑な帰納法を用いたようだから、標数0の体上の代数多様体といっても、
もはや複素代数幾何ではなく双有理幾何だな。そこには岡のアドバイスありき。これらによって、一応は
岡→小平
↘ →広中
の流れが出来た。そして、多変数複素解析→複素代数幾何 の流れも。小平や広中とほぼ同時期に、
岡が築いた多変数複素解析や層やコホモロジーの手法を用いて佐藤超関数の概念が出来て、シュワルツの
超関数の概念が一般化された。多変数複素解析や複素代数幾何を用いて発展した数学は、全部岡の流れに
乗っている。 歴史的にはそんな感じだろうな。多変数複素解析→可換環論やスキームを使う現代的代数幾何 の
流れがどう生じたかはよく分からないんで、それを知りたければ他の人にでも聞いて下さいな。
>私は岡先生の人と仕事(数学)にとても興味があります。モチベーションそのものです。
強いていえば、1変数では成り立たないハルトーグス現象が見出されて、その当時この現象に多くの人が驚いたこと
で多変数複素解析の道が開け、岡がその流れに乗ったということでしょうな。1変数だと、関数 f(z)=1/(z-a) a∈
C は、領域 C\{a} でローラン展開出来てCには解析接続出来ず、aがf(z)の真性特異点になる。f(z)と同様な多変数
複素関数だと C^n n≧2 まで解析接続出来る。このように、1変数複素解析の理論を多変数複素解析に拡張しよう
としても、1変数と多変数とでは異なる振舞いをすることがある。
>>406
>>421の後半の訂正:
「真性」特異点→「孤立」特異点
よく見たら、関数 f(z)=1/(z-a) a∈C は既に点aの周りでローラン展開
されていて、aがfの単純極になっていた。aがf(z)の真性特異点になるのは
関数 f(z)=1/(z-a) a∈C → 関数 f(z)=exp(1/(z-a)) a∈C
と訂正したとき。何れにしろ、解析接続についてはそのまんま。
423 132人目の素数さん [sage] 2016/07/26(火) 13:37:28.98 ID:tWnXb7wZ
すべての書き込みについて言えることだが、ID:O5oE/g9Dのレスは参考にはなるが信用してはいけないよ。
424 132人目の素数さん [sage] 2016/07/26(火) 13:52:11.14 ID:O5oE/g9D
>>423
何いってんだよ。数学書は自分で訂正して読むのが基本だろ。
他人のことそのまま信用してたら数学書なんて読めないだろ。
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426 132人目の素数さん 2016/07/27(水) 23:45:41.11 ID:n0Fvrq+W
自覚が無い人にも「真似は真似と言うべきです」ってビシっと喋る岡潔カコイイ
解析的連接層が理解できれば、
いろいろ面白いと思う
428 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/28(木) 12:50:10.37 ID:8pzjc5xM
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エゥーゴこと日本社会党がパレスチナ支持
ティターンズこと日本共産党がイラン支持
アクシズこと民主社会党がイスラエル支持
パレスチナ=スンニ派
イラン=シーア派
イスラエル=クルディスタン
ジオンシネマへの対応
エゥーゴ→車椅子を含めた革命的共同体を包括しない差別を撲滅するために階級闘争を強化すべき
ティターンズ→普遍主義を守るために民主集中制放棄を除いて物真似した上で階級闘争を強化すべき
アクシズ→労働組合を守るために階級闘争を強化すべき
アナハイム→お金なくなるけど信濃町は荻窪に貸し付けてくれるの?てへぺろ
新生党とか民進党とか維新の会とかあの辺の文脈って「俺らが汗水垂らして薄給長時間働いているのに周囲はサボってて嫉妬しちゃうキーッ」だから自己の保身と出世には最適な政党
社共民で全学連経験終えた労働者ほどそういう勘違いする
日本には政党法が無いから社民・共産・民民が無くならない限り55年体制と政界再編は繰り返される
トヨタ「おら世界のトヨタ様に跪け」
ダイハツ「奥田院政時代にリーマンショックを首切りで躱したクソ企業が何だって」
トヨタ「なんだと買収してやる」
ダイハツ100%子会社化。ダイハツはビッグモーターの道を歩み始める。
トヨタ「ダイハツだけじゃ生産台数足りねえよ」
スバル「レガシィだけは遺してくれ」
トヨタ「ちっうっせーなセダンを潰してワゴンだけは遺してやっからレガシィはレヴォーグにしろ」
提携継続。
ホンダ検査員「おいこらなんつー車作ってやがんだバレたらやべーぞ」
ホンダ上層部「わかったよ作り直せばいいんだろバーカ」
ホンダ検査員「おおわかりゃいいんだよ」
ホンダ上層部「テメーの云うことは気に食わねーが弁償より設計の方が安上がりだからな」
ホンダ検査員「さっさと作り直せタコ」
ホンダ、ピンチをチャンスに変える。
トヨタ検査員「おいこらなんつー車作ってやがんだバレたらやべーぞ」
トヨタ上層部「あ?再設計とかぬかしやがるってのか?いくらかかると思うんだ?テメー責任取れるんか?」
トヨタ検査員「でも民生学こと経済学から俯瞰しても商学こと経営学から俯瞰してもこれはちょっと」
トヨタ上層部「ああん?お得意の改善はどうした?」
トヨタ検査員「…すいませんでした」
トヨタ上層部「わかりゃいいんだよ」
トヨタ検査員「社民・共産・民民は頼りになるかな」
トヨタ上層部「告げ口したらダンプに突っ込ませたり銀行ブラックリストに追加して除名させたりリストラしたりする」
トヨタ検査員「自民は」
トヨタ上層部「バレなきゃ何も出来ない」
トヨタ、チャンスをピンチに変える。
トヨタ「弁償しなきゃいけなくなったぞどうしよう」
トヨタ「助けてくれ」
身分制議会が日本で当て嵌まる訳がないだろうっていう話
有隣+平成+宏池+清和+志帥+志公で回ってきたし、左翼運動に至っては社会+共産+民社で変わろうとしない
保守党+協同党+進歩党+農民緑の党+進歩容帝社民党という北欧五党制の組み合わせが、そもそも北欧でしか成り立たない
ドイツでさえもともとはプロイセン+ザクセン+バイエルンの三大政党制
イギリスもトーリー+ホイッグ+レイバーに移行してからは身分制議会は形骸化し、二大政党制に嫉妬した新左翼がレイバーとSNPと緑の党に紛れ込む形
美濃部以降の知事はホントに単なる社共民への反発で選ばれてる
無党派層は関係無いんだよ
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436 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/28(木) 12:52:57.79 ID:8pzjc5xM
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437 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/07/28(木) 12:53:19.49 ID:8pzjc5xM
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438 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/07/28(木) 16:34:38.90 ID:8pzjc5xM
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日本人ってホンマに『人を舐めてる』よね。こういう糞みたいな奴ばっか
りだから国家も腐るし、そして学問もダメになる。だからとにかく馬鹿板
は焼きます。こういう場所でカキコする低能が苦悩する様に。
¥
>331 名前 :132人目の素数さん:2016/07/31(日) 12:42:35.54 ID:eoIQzfwB
> 反論できないってことは読んでないんだなw
> なのに数学談義大好きw馬鹿の考えてることはよくわからんw
>
440 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/08/01(月) 00:52:53.65 ID:qfoqfHkv
日本人ってホンマに『人を舐めてる』よね。こういう糞みたいな奴ばっか
りだから国家も腐るし、そして学問もダメになる。だからとにかく馬鹿板
は焼きます。こういう場所でカキコする低能が苦悩する様に。
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>331 名前 :132人目の素数さん:2016/07/31(日) 12:42:35.54 ID:eoIQzfwB
> 反論できないってことは読んでないんだなw
> なのに数学談義大好きw馬鹿の考えてることはよくわからんw
>
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>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5392 :kmath1107★ :2016/07/31(日) 11:53:29 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5393 :kmath1107★ :2016/07/31(日) 11:58:25 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5394 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/07/31(日) 12:06:23 ID:???
> ¥
>
>5395 :kmath1107★ :2016/07/31(日) 13:24:11 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5396 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/07/31(日) 17:23:53 ID:???
> ¥
>
>5397 :kmath1107★ :2016/08/01(月) 15:59:13 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5398 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/01(月) 16:06:01 ID:???
> ¥
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「江田離党」 についての各党談話
社会党(成田知巳委員長)
一、わが党の要職を歴任し、党の歴史に大きな責任を持ってきた江田三郎氏の離党という事態は、党の統一と団結に重大な影響をもたらし、きわめて遺憾だ。
一、党はかつて五一年サンフランシスコ条約批准の重要なときに分裂、五九年安保条約改定に反対する大衆連動の高まりの中で西尾氏らが脱党した歴史を背負っている。保革伯仲の政局のもとで、春闘が熾烈に闘われ、歴史的参院選を目前にしての、江田氏の今回の行動がだれに利益、不利益をもたらすか指摘せざるを得ない。
一、党は民主主義の原則に基づく討議を経て 「日本における社会主義への道」 「新中期路線」 「国民統一闘争」を全党一致で決定、その方針実現に全党あげて努力してきた。この方針決定に重要な役割を果たした江田氏が、自らそれを一片の反古にすることは政治家の態度として無責任の批判はまぬがれないだろう。
一、戦前、戦後を通じ江田氏が日本の社会主義運動の前進に大きな足跡を残した事実は否定しない。それゆえ、党に対する愛情を痛切に自覚していると信じたい。だからこそ江田氏に問いたい。「“革新連合の時代”とあなた自身強調される政局の中で、戦後三十年、苦難な歴史を共有してきた党の同志とさえ連帯できず、他党とどんな連合が可能か」と。
一、江田氏はすでに党を去った。残念だが「去る者は追わず」と言わざるを得ない。われわれは今こそ初心にかえり、党員一人一人の連帯のきずなを確かめ合い、先輩が築きあげた党史と闘いの伝統を学び、派閥を超えて党の団結を守り抜くことを決意する。
共産党(金子満広書記局次長)
一、江田氏の離党はこれまで同氏らが唱えてきた「反共社公民路線」の矛盾と破たんの証明である。反共野党連合の方針を社会党に押しつけようという企図が失敗した結果、今度は社会党外から反共分裂主義を推進しようというものだ。
一、この反共“中道”の潮流は、国政の民主的転換に逆行する保守補強の潮流にすぎず、革新勢力統一への反対と妨害を最優先としている。
一、江田氏は“政党支持なし”層の結集の必要性を挙げて今回の行動を合理化しようとしているが、これは“無党派”的な装いであり欺まんだ。新自由クの二番せんじは決して成功しないだろう。革新統一戦線の成立こそ広範な国民を結集する大道である。
民社党(佐々木良作副委員長)
一、江田氏が離党という非常手段を取ったことは並々ならぬ決意を示したものと思う。江田新党がミニ社会党の道を歩むのではなく、革新政治勢力結集の方向に発展し、成功することを祈ってやまない。
一、江田氏離党を契機に社会党は公明、民社両党とともに政権を担当する政党に成長してほしい。わが党は今後とも社会党との友好関係を保っていきたい。
一、選挙協力は公民協力で埋めにくいところでは江田新党との協力の可能性が生まれてくるかも知れない。その場合はその段階で考えたい。
日本社会党の新宣言
愛と知と力による創造
附:新宣言に関する決議
一、日本社会党は、その貴重な歴史と伝統をふまえて、未来を先取りし、
広範な勤労者・国民大衆の熱望にこたえ、平和と民主主義、社会主義の発展と新たな時代の創造に向かって決起する。
二、われわれのめざす政権は、自民党にとってかわる社会党の政権であるが、
同時にわれわれは、わが党を中心とする連合政権の樹立に全力をつくす。
したがって、安易な保革連合はとらない。
三、今後、内外情勢の変動やわが党をめぐる主体的客観的諸情勢の変化が予想されるので、
時代に的確に対応しうるように党各機関で調査、研究、検討し、その成果を今後、新宣言に反映させていく。
四、社会主義は理念、運動、政策を含むものであるが、ことに運動を重視することは当然である。
五、新宣言の決定にいたる過程では、さまざまな論議がかわされた。
これらはいずれも強い愛党の精神に立脚し、党の限りない飛躍と発展をこい願い、日本の未来を憂える熱情から出たものである。
新宣言の決定を契機に、全党員は、決意を新たに一丸となって団結し、強く大きく結集して前進するものである。
右、決議する。
一九八六年一月二二日日本社会党第五〇回定期全国大会
社青同第39回大会宣言
-大胆に青年を組織しよう
2022年10月21日~23日に東京・林野会館で開催された社青同第39回大会の宣言。出典は『青年の声』No2515号(2022年11月7日号)
「青年は右傾化して自民党を支持している」「青年はネットやSNSから偏った情報を得ている」「最近の若者は他人のことに関心がない」…。これらは本当に青年の姿を現しているでしょうか。一昨年からの「コロナ禍」は、日本資本主義の抱える矛盾や問題をますます明らかにすると同時に、行き詰まる資本主義社会の現実に疑問を抱き、社青同の隊列に加わる青年を生み出しています。これは、作られた、ステレオタイプ的な青年像とは異なり、新たな社会・社会主義社会への展望を見出そうとする青年の姿でもあります。
しかし、すべての青年が自ら社会主義への確信へとたどり着けているわけではありません。「おかしい」「これで良いのか」と率直に感じた疑問や怒りも、日々あらゆる機会に降りかかる資本主義的常識によって分断されるなかで「あたり前」と思わされたり、「こだわっても仕方ない」「そんな疑問を感じているのは自分だけだ」といった気分にさせられてしまい、希望を奪われています。これは、資本主義の下で働く労働者である以上は逃れられるものではありません。社青同の同盟員であっても、職場における「仕事優先」という「常識」のなか、「コロナ」感染しても自宅療養中に「テレワーク」したり、権利を主張するのは仕事を片付けてから、といった意識にさせられています。また、職場で波風が立つことへの不安から、違法行為やパワハラを見て見ぬふりをしたり、「組合員どうしの事案なので穏便に済ませたい」という気分にさせられています。
この行き詰まりを打ち破るには、科学的社会主義をまなび、たたかうしかありません。それは、資本主義の矛盾がもっとも集中的に現れる職場生産点についての実態交流によって青年労働者の働き方や思いを明らかにし、同じ労働者として社会や職場を変えようという意思統一がなければなりません。それができるのは、私たち社青同です。
社青同には、委員会討論があります。委員会では、生活や職場の実態、運動課題に対する率直な思いを交流し、職場でどう実践するかを討論します。しかし、資本主義社会で働き、活動するなかでは、その委員会討論に結集することが厳しい現実があります。そのような悩みやぶつかり、弱さも出し合い、前進を図るための同志的な交流が必要であり、引き続き、この実践に取り組みます。そして、班会に多くの新たな仲間を誘うことは必須であり、未来を拓くための責任でもあります。職場・地域にいる青年、話しかけにくいと関わり切れていない青年に、話しかけ、その言葉を聴き、職場や社会に対する率直な疑問や怒りを集約し、青年の組織化に取り組みます。
社青同には、『青年の声』という武器があります。労働者の生活・職場実態やそこでの思いが掲載された『青年の声』は、それぞれが配置されている職場や地域の枠組みを超えて全国各地の同志の存在を実感し、たたかいの統一性を強め、全国社青同という組織の重要性を理解することができます。『青年の声』こそ社青同がたたかいを広めるもっとも大衆的な方法であり、組織建設の土台となるものです。自信を持って職場や地域の青年と読み合わせ、さらなる読者の拡大を目指します。
私たちはこの大会の討論で確認した、『青年の声』読者拡大と委員会討論の活性化、そして大胆に青年を組織することで、強大な全国社青同建設に取り組むことを宣言します。
さぁ、大胆に仲間に声をかけ、ともにまなび合い、青年を組織しよう!
「江田離党」についてのU.C.ENGAGE談話
エゥーゴ(成田知巳委員長)
一、わが党の要職を歴任し、エゥーゴの歴史に大きな責任を持ってきた江田三郎氏の離党という事態は、
エゥーゴの統一と団結に重大な影響をもたらし、きわめて遺憾だ。
一、エゥーゴはかつて宇宙世紀83年ティターンズ結成の重要なときに集結、
宇宙世紀85年30バンチ毒ガス弾圧に反対する宇宙移民の意識高揚の中でクワトロ・バジーナ氏らが入党した歴史を背負っている。
ジークジオンの時局のもとで、春闘が熾烈に闘われ、
歴史的グリプス戦役を目前にしての、江田氏の今回の行動がだれに利益、不利益をもたらすか指摘せざるを得ない。
一、エゥーゴはアンチシオニズムのジオニズムに基づく討議を経て
「宇宙における富野主義への道」「新中期路線」「国民統一闘争」を全党一致で決定、
その方針実現に全軍あげて努力してきた。
この方針決定に重要な役割を果たした江田氏が、
自らそれを一片の反古にすることは政治家の態度として無責任の批判はまぬがれないだろう。
一、一年戦争前、一年戦争後を通じ江田氏がジオン共和国の富野主義運動の前進に大きな足跡を残した事実は否定しない。
それゆえ、エゥーゴに対する愛情を痛切に自覚していると信じたい。だからこそ江田氏に問いたい。
「“宇宙移民の時代”とあなた自身強調される時局の中で、
一年戦争、デラーズ紛争を共有してきたエゥーゴの同志とさえ連帯できず、他党とどんな連合が可能か」と。
一、江田氏はすでにエゥーゴを去った。残念だが「去る者は追わず」と言わざるを得ない。
われわれは今こそ初心にかえり、党員一人一人の連帯のきずなを確かめ合い、
先輩が築きあげた党史と闘いの伝統を学び、派閥を超えてエゥーゴの団結を守り抜くことを決意する。
ティターンズ(金子満広書記局次長)
一、江田氏の離党はこれまで同氏らが唱えてきた「人類革新路線」の矛盾と破たんの証明である。
地球国民移住の方針をエゥーゴに押しつけようという企図が失敗した結果、
今度はエゥーゴ外から反ティターンズ主義を推進しようというものだ。
一、この反ティターンズ“容帝”の潮流は、
アナハイムの強化人間生産に逆行するオールドタイプ補強の潮流にすぎず、
ニュータイプ勢力統一への反対と妨害を最優先としている。
一、江田氏は“連邦支持なし”層の結集の必要性を挙げて今回の行動を合理化しようとしているが、
これは“無党派”的な装いであり欺まんだ。
カラバの二番せんじは決して成功しないだろう。
ニュータイプ統一勢力の成立こそジェリド・メサ氏やペッシェ・モンターニュ氏を結集する大道である。
アクシズ(佐々木良作副委員長)
一、江田氏が離党という非常手段を取ったことは並々ならぬ決意を示したものと思う。
ハマーン氏もカラバの道を歩むのではなく、ネオ・ジオン勢力結集の方向に発展し、成功することを祈ってやまない。
一、江田氏離党を契機にエゥーゴはカラバ、アクシズ両党とともに政権を担当する政党に成長してほしい。
わが党は今後ともエゥーゴとの友好関係を保っていきたい。
一、ジオン再興は宇宙移民政策で埋めにくいところではニュータイプとの条約の可能性が生まれてくるかも知れない。
その場合はその段階で考えたい。
ロンド・ベルの新宣言
絶望と孤独と根絶による創造
附:新宣言に関するU.C.ENGAGE決議
一、ロンド・ベルは、ビッグ・ベンの貴重な歴史と伝統をふまえて、出涸らしを先取りし、
広範な階級選良・国民大衆の熱望にこたえ、ロンドンとフェビアン協会、富野主義の発展と孤独な創造の独創に向かって蹶起する。
二、われわれの閑職は、エゥーゴにとってかわる窓際族のニュータイプであるが、
同時にわれわれは、平家物語を内外情勢とするニューガンダムの完成で命名を図る。
したがって、安易なZガンダムの焼き直したるリガズィは採らない。
三、今後、PKO的主権譲渡の変動や左右対立をめぐる主観的客観的諸情勢の変化が予想されるので、
時代に的確に対応しうるように雨月物語で特攻、乱射、ハイジャックし、そのジハードを今後、新宣言に反映させていく。
四、富野主義は理念、運動、政策を含むものであるが、ことに運動でポアすることは当然である。
五、新宣言の決定にいたる過程では、さまざまな論議がかわされた。
これらはいずれも強い愛党の精神に立脚し、
ロンド・ベルの限りない飛躍と発展をこい願い、宇宙の未来が色褪せない熱情から出たものである。
新宣言の決定を契機に、愛の根源たる、自他対立した絶望を根絶するために、力を取り除くことに努める。
右、決議する。
宇宙世紀90年宇宙における富野主義への道綱領改訂エゥーゴ定期全国大会
軍事、政治、技術がローマでは幅を利かしていた。今もそれと同じじゃありませんか、何もかも。――1963年1月岡潔「新春放談」
これのpp17-30の西野利雄の論説も参考になる
https://www.mathbooks.org/aspm/aspm42/aspm42.pdf
頑駄無F90大会宣言-U.C.ENGAGEで団塊をオルグしよう
宇宙世紀122年10月21日~23日に地球・ニコニコ動画で開催された頑駄無F90大会の宣言。
出典は『団塊の声』No.2515号(宇宙世紀122年11月7日号)
「団塊は奇声を上げて鉄仮面を支持している」
「団塊はネットやSNSから偏っていない情報を得ていない」
「最近の団塊は右傾化した団塊ジュニアにイライラして八つ当たりしている」…。
これらは本当に団塊の姿を現しているでしょうか。
一昨年からの「頑駄無禍」は、政治活動家の抱える矛盾や問題をますます明らかにすると同時に、
行き詰まるニコニコ動画の現実に疑問を抱き、頑駄無の隊列に加わる団塊を生み出しています。
これは、作られた、ステレオタイプ的な団塊像とは異なり、
新たなノブレスオブリージュ・富野主義運動への展望を見出そうとする団塊の姿でもあります。
しかし、すべての団塊が自ら富野主義への確信へとたどり着けているわけではありません。
「パクス・ブリタニカのロンド・ベル」「30年以上活躍したジェガンで良いのか」と率直に感じたオールドタイプやニュータイプも、
コンペで降りかかるオールズ・モビル戦役によって分断されるなかで「あたり前」と思わされたり、
「鯨を食べたい」「捕鯨すべきだ」といった気分にさせられてしまい、時代錯誤で古くなってしまうのです。
これは、富野主義の下でリタイアした高齢者である以上は逃れられるものではありません。
頑駄無の富野主義協会員でなくても、老人会における「仕事優先」という「常識」のなか、
「頑駄無」布教に遭い協会指導下で「テレワーク」したり、
青年に迷惑をかけるのは青年を怒鳴るから、といった意識にさせられています。
また、職場で波風が立つことへの不安から、違法行為やパワハラを見て見ぬふりをしたり、
「団塊どうしの事案なので穏便に蔑まれたい」という気分にさせられています。
この行き詰まりを打ち破るには、コスモ貴族主義をまなび、たたかうしかありません。
それは、一年戦争以来の世界大戦が迫る時局の中で、歴史的コスモ・バビロニア建国戦争に備えなければならないということです。
それができるのは、宇宙世紀100年に自治権を返上したジオン共和国です。
頑駄無には、ドダイやゲターがあります。
近年では、クラフトやサイコフレームの運用、
隕石落としや核兵器使用に対する事前の抑止を管理し、航空宇宙自衛隊の変遷でどう改組されたかを検討します。
しかし、長い歴史を持つニコニコ動画も、ソフト面での貿易では黒字であり、ハード面での貿易では赤字です。
そのような悩みや中抜きには、ラフレシアで天誅と修正を与え、前進を図るための海外需要開拓支援機構が必要であり、
引き続き、この実践に取り組みます。
そして、現在は多くの新たなバグを使うことは必須であり、タイヤを実戦投入するための研究も行います。
施設・地域にいる団塊、話しかけにくいと関わり切れていない団塊を、サヨクに陥らせないようにし、F91の量産化に取り組みます。
頑駄無には、『団塊の声』という武器があります。
アースノイド・スペースノイドの思いが掲載された『団塊の声』は、
それぞれが収容されている施設や地域の枠組みを超えた富野主義協会員というナンセンスな重要性を理解することができます。
『団塊の声』こそ頑駄無がたたかいを広めるもっとも団塊的な方法であり、戦略的互恵関係の手足となるものです。
自信を得るために施設や地域の団塊が恫喝しないように、さらなる布教の拡大を目指します。
私たちはこの大会の討論で確認した、『団塊の声』布教拡大と協会討論の活性化、
そして大胆に団塊をオルグすることで、強大な全国頑駄無建設に取り組むことを宣言します。
さぁ、大胆に仲間に声をかけ、ともにまなび合い、団塊をオルグしよう!
新左翼・過激派・極左暴力集団の党派別支持傾向
革マル:立憲
マルクス主義同志会:立憲
解放派全協:立憲、社民
MPD・平和と民主運動(市民の党):立憲 、れいわ新撰組
フロント:立憲
がんばろう日本国民協議会:立憲
中核:社民
革労協主流派:社民
革労協反主流派:社民
共産同統一委員会:社民
統一共産同盟:社民
日本労働党:社民
黒ヘル:社民
MDS(全交):社民
反天連:社民
争団連:社民
JRCL:緑の党、社民、共産
戦旗荒派(アクティオ):社民、共産
労働者共産党:社民、共産、立憲
活動家集団思想運動:新社会党・社民、左記不在時は共産
カオスとロゴス(旧「政治グループ稲妻」「オルタフォーラムQ」):新社会党・社民、左記不在時は共産
人民新聞(旧「日本共産党(解放戦線)」):緑の党
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452 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:38:11.05 ID:CYXX3tFD
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453 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:38:29.94 ID:CYXX3tFD
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454 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:38:48.57 ID:CYXX3tFD
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455 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:39:05.17 ID:CYXX3tFD
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456 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:39:25.30 ID:CYXX3tFD
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457 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:39:44.52 ID:CYXX3tFD
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458 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/11(木) 17:40:04.88 ID:CYXX3tFD
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459 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/08/11(木) 23:21:40.57 ID:CYXX3tFD
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176 名無しさん@恐縮です 2023/05/04(木) 23:15:45.08 ID:aK9Pus+k0
東京ラブストーリーはうる星やつらへのカウンター
踊る大捜査線は機動警察パトレイバーへのカウンター
188 名無しさん@恐縮です 2023/05/04(木) 23:19:21.29 ID:aK9Pus+k0
>>176
うる星やつらで押井守から影響を受けた高橋留美子が描いためぞん一刻
機動警察パトレイバーで押井守から影響を受けた宮崎駿が描いたon your markと耳をすませば
それらを応用したのがCLAMPが描いたカードキャプターさくら
480 名無しさん@恐縮です 2023/05/05(金) 01:05:08.09 ID:ch7ju2nY0
押井守の天使のたまごが無ければ高畑勲の火垂るの墓は生まれなかった
485 名無しさん@恐縮です 2023/05/05(金) 01:08:07.35 ID:ch7ju2nY0
押井守のパトレイバー劇場版1は地上げの話で、パトレイバー劇場版2は全共闘の話
民青と全共闘の話を延々とやっていたのが押井守
夜雨の声
日本人は応神天皇以後、外国の文化をそっくりそのまま採り入れてその中に住むと云うやり方ばかりをして来ている。
最初中国の文化を採り入れ、次いで仏教を採り入れ、明治以後は西洋の文化(昔はギリシャ、今は欧米を西洋と云っているのだが)を採り入れている。
そして終戦後その度合は著しく濃くなって今日に至っている。
かように今の日本には千五百年来の外国の思想や言葉がごちゃごちゃになって入っているが、
もっとも、明治以後に入った文化が強く外部に表れているので、
それ以前に入った文化は比較的隠れている様である。
いろんなことが雑然と入った結果として、同じ言葉が違った内容を表すと云うような事態が生じて来た。
例えば、「心」と云う言葉の内容は日本と中国と、及び仏教と西洋とでは皆違うのに、それを日本人は「心」と同じ一つの言葉で呼んで平気な顔をしている。
今、日本は深海の底にいるのだと云う様な気がする。
それで日本の人々に代わってここで一度だけ批判と云うものをしてみようと思う。
西洋の思想の基礎になっているのは自然科学であるから、先ずこれをよく調べてみよう。
自然科学の先端は素粒子論である。
素粒子論は次の様に云っている。自然は物質も、質量の無い光や電気も、皆素粒子によって構成せられている。
素粒子は非常に種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することが出来る。
不安定な素粒子群は非常に寿命が短い。現れてはまた直ぐに消えてしまっている。
その寿命は、最も普通に観る不安定な素粒子について云えば、百億分の一秒くらい。
この様に短命ではあるが、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。
電子は安定な素粒子群の代表である。
一体、何がどうなっているのだろう。
人は古来、自然はじっとあるものとのみ思って来た。
しかし、素粒子論によると、自然の一半は現れてはまたすぐに消えて行ってしまっている。それならば、存在ではなくて映像である。
他半はどうだろう。安定な素粒子群の代表である電子を採って観てみると、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。
それならば安定していると云うことが確実に云えるのは外形だけであって、内容については全く分らない。
やはり、現れてはまた直ぐ消えて行ってしまっているのかもしれない。
むしろ、たぶんそうであろう。それならば、他半も映像である。
かように、自然は完全に映像であるか、そうでなければ半映像(映像の様なもの)であって、兎も角存在ではない。
西洋人は、五感で分らないものは無いとしか思えない、まことに珍しい人種(思想的人種)である。
それで自然を調べる時も、五感で分らないものは無いと暗々裏に仮定して調べていたことになる。
そうすると、不安定な素粒子と云う様なものが発見された。
不安定な素粒子の生まれる前の状態及び消えて行ってしまってから後の状態は、明らかに五感では分らないものである。
かように五感で分らないものは無いと仮定して調べて行くと、結果は多量に五感では分らないものが出てしまった。
これは明らかに出発点の仮定が間違っていたと云うことだから、一切を御破算にして初めからやり直さなければならない。
即ち、自然科学と云うものは無いのである。
素粒子論は出て既に久しく、最早ポピュラーな知識になっている。
これを観れば私が今述べて来たことは自明であるのに、西洋人は一人としてこれが分らないのである。
西洋人と云う人間は何と云う愚かさだろう。
ところが日本人はその西洋人の云うところをそのまま鵜呑みにして、鸚鵡の口真似式にこれを繰り返しているに過ぎない。
日本人と云う人間、これもまた何と云う愚かさだろう。
自然が存在でないなら、存在は心の内に求めなければならない。
心全部が存在だとは云えないが、しかし心と云われるものの中に存在はあるに違いない。
人はよく自分と云う言葉を使う。
ところが「自分とは何ですか」と反問されて、答えられる人は滅多にいない。
この様に人は、自分と云う言葉を無自覚的に使っているわけである。
そして自分と云う言葉を単に口に出しているだけではなく、口に出さない自分と云うものを大抵の人は常に念頭に描いている。
それを止めよと云ってもなかなか止められない。
それならば、人が無自覚的に自分だと思っているその自分とは一体どう云うものなのかと云うことを調べてみると、
これは世界の地域でそれぞれに異なっている。
自分と云う問題を考えて行く際に、
私はいつも心の世界地図と云うものを思い浮かべる。
この地図には真中に日本があって、これを囲んでリング状に東洋があり、これをまたリング状に囲んで西洋がある。
それから外は急いで調べなくとも良いし、また急いで調べられるところでもない。
この地図の真中に位置する日本に住んでいる人々は、情を自分だと思っている。
この情には内心の情と外界の情とがある。
芥川は非常な寂しがり屋だった。それでこれを慰めてやろうと考えて、友人たちはこぞって芥川の家に集まり、様々に心を喜ばせようとした。
芥川の内心の寂しさはその間は紛れていたのだが、
友人たちがどやどやと立ち去ると共にその喜びは潮(うしお)の引くように漂い去って、
後に残るものは以前にも増して胸の痛む様な内心の寂しさだけである。
かように心には、内心の心と外界の心とがある。
外界の心は自分ではない。故に、心から外界の心を削り去る。後には内心の知情意が残る。
時としてこの知や情や意は互いに意見を異にすることがあるが、
この時日本人は或る場合は情の思いを抑えて知や意の云い分を通す。
非常に辛い思いをしながらそれをする。
するとこれを見て人は、一層その行いを誉めるわけである。「吉良の仁吉は男でござる」と云う風なことを云って誉めるのがこれである。
反対に、知や意の意見を無視して情の思いを通すこともある。
例えば、漱石の小説『それから』の主人公の三千代は結婚してしまってから代助に恋を打ち明けられた。
その時三千代は、「あんまりですわ、今になってこう云うことを仰るのは残酷ですわ」と云う。
しかし暫く経ってから、「でも仕方が無い。覚悟を決めましょう」と云って、亭主が平生敷いている座布団を、「さあどうぞ」と代助の方へ押しやる。
この時の心境は「ええままよ」と云うのである。
この二つだけ見ても、日本人なら情が自分であって、知や意が自分ではないと云うことが直ぐ分る。
この心から外界の心(意識を通して分る物質の様な心)を除き去って、残った内心の心から次に知や意を除き去る。
即ち知の不透明さ、意の堅さを悉く除き去る。
それでもなお、まだ生えない種のような無数の不純物が心の中に残る。
そこで、大変手間はかかるが、これをも悉く除き去る。
そうすると後に残るのは全く混じり気の無い情である。これを真情と呼ぶことにする。この真情が心の中核である。
仏教哲学である唯識では、心を層に分って説明している。
心の一つの層を識と云い、識の一番奥、一番基礎になっているものを第九識と数えてこれを真如と云っている。
その真如の上になっている第八識を阿頼耶識と云う。
この様に仏教では第九識までしか云っていないが、しかしそれではどうにも説明し切れない部分がいろいろ出て来てしまう。
それで、日本人の心をよく調べてみたのだが、第九識のもう一つ奥に、第十識「真情」と云う世界がある。
これが分った時、丁度、私の四番目の孫が生まれた。
上三人はそうではなかったのだが、この四番目の孫は生まれた時から、大体私と同じ家に住んでいる。
それで私は、孫の心の生い立ちを連続的に観察することが出来て、人の心の構造をはっきり認識することが出来た。
人は生後三カ月間、真情の世界にいる。
だから母の胎内にいた間も加算すると、一年一カ月真情の世界にいる訳である。
この世界は外から見ると懐かしさと喜びの世界である。
それから生後一年十一カ月まで、真如を通り、次に阿頼耶識を通り、生後二年五カ月で童心の季節の外に生まれる。
かように明らかに仏教は第十識真情を見落としている。そのため、日本人にはどうしても分らない点をいろいろ持っているのである。
さらに仏教で識と云っているのは人の住む土地のことであって、仏教はその土地に住む人のことは何も云っていないのである。
真情と云うのは土地で、土地と同じ真情の一部分を体にして、生物(有情)がある訳である。
真情の一部を体にしてそれが全一の生命であり得るためには、何かがこれを統べていなければならない。
何が統べているのか。これは非常に難しい問題である。
勿論仏教はそれについて何も云っていない。この問題については自分を調べるより仕方が無い。
生まれてからこちらの私をよく観てみると、私が全一の生物である所以は、悲願がこれを貫いているからである。
悲願と云うのは「Nothing or その願」と云う願のことである。慈悲の「悲」も、幾分はその響きが入っているのだろうか。
その私の悲願であるが、これは生まれてからこちらだけにあるものではなく、それ以前からあるものである。
それでは、いつ頃からあるのかと云うと、いくら遡っても、そこで始まったとは思えない。
即ちこれは無始曠劫来(むしこうごうらい)抱き続けている悲願である。
これが人間の真情を一つに引き締めて、全一の有情たらしめているのである。
道元禅師は日本民族の中核の人である。
ところが中国から禅を学んで来て、随分間違ったことを云っている。
特に、坐禅はしなければ駄目だと云うのがそれである。
『正法眼蔵』を見てみると、その間違いが繰り返し繰り返し、そのまま出ている。
しかし、道元禅師は中国で禅を学ぶ前に日本民族の中核であった。
このことは、『正法眼蔵』で一番有名な文章の中に表れている。
諸仏の常にこの中に住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、
群生(ぐんじょう)のとこしなへにこの中に使用する、各々の知覚に方面あらはれず。
この中とは何の中か、真情の中である。
それから真情の中に住持たる諸仏、これを「天つ神々」と云うのである。
日本が鵜呑みにした仏教の心の世界の地図では天つ神々のいる場所が無かったのである。
大宇宙は天つ神々の悲願あるが故にある。初めに悲願がある。だから時は流れる。
時の内容は真情である。有情は何故あるか。
一つ一つの有情の心に絶えず喜びが送られているから有情として生きているのである。
この絶えず喜びを送っている原動力は天つ神々の悲願である。
現実はこのままでは誰が見ても人類は遠からず全滅する。
仏教で、発心、修行、菩提、涅槃と心を磨いて行くのはかような時に役に立てるためである。
でなければ、自分が偉くなって仏になろうと思っているのである。自分だけでなく他もそうしたところで何になろう。
応神天皇以後の日本の歩みを見ても、かような民族が滅びずに今まで生き延びて来たと云うことは実に不思議である。
これが出来たのは、天つ神々が日本民族を操って来たからである。
このことは少し丁寧に日本の歴史を見れば随所に表れている。
かように、日本に天つ神々がいると云うことは明白な事実であって、宗教ではない。
この事実を教えるに曹洞宗はかなり役に立つ。本当に修行の出来ている人なら、諸仏の常にこの中に住持たる……と云う道元禅師の言葉が信じられるから、この中とは真情の中であって、真情の中に住持たる諸仏を天つ神々と云うのであると云えば、天つ神々のいることが信じられる。
しかし、修行が出来ていなければ言葉だけだから何の役にも立たない。
私は近頃風呂に入って、ふと一つ試してみようと思った。それで目は開いたまま、口は阿吽の呼吸のアの字型に開いて、顔を大体風呂の水面と平行に三寸程下に浸けてみた。
すると鼻から少しあぶくが出たがそれだけである。視野は平常より狭いが、見えるところはよく見えて、その見え方は天井なんか無い。何度試してみても同じである。
こう云う話を聴いたことがある。昔、東海の浜に禅僧の溺死体が打ち揚げられた。これを蘇生させようとして漁師たちが騒いでいる内に、禅僧は気が付いて一人で立ち上がって、スタスタと歩いて行ってしまった。これが白隠禅師の二人の高弟の一人、東嶺禅師である。
私が海に落ちてもやはり一時気を失うだけであろう。かように第十識、第九識及び第八識、つまり深い心と、第七識、六識、前五識、つまり浅い心とは全く無縁の心なのである。
第七識を末那識と云い、他はすべてその上に乗っているから、この浅い心を総称して末那識と云う心と云うことにしよう。末那識と云う心は体に閉じ込められてある。これに反し、深い心は空間全体に拡がっているのである。体や末那識は死ぬが、深い心は死なないのである。
深い心、即ち第八、九識、及び私の付け加えた第十識と云う本当の心と、末那識と云う心とは縁が無いと云うことを知るのは根本的に大切なことであって、そのためには、禅は良い修行方法である。しかし、前にも云った様に必ず禅がいるかと云うとそうではない。
私は一つも禅などやっていない。私はいつも、自分のことより日本民族のことを心配している。常に日本民族が心配で、自分のことなど顧みる暇が無い。絶えずこう云う状態にいることが、さらに端的に云えば、日本民族が自分だと思っていることが一番速い修行方法だと思う。
話を始めに戻して、再び「西洋かぶれ」の誤りについて考えてみよう。西洋人は自然が映像であると云うことを知らないし、意識を通さないで分る心があると云うことも知らない。これは完全な間違いである。それなのに愚かな日本人は、これをそのまま新教育に採り入れた。
日本人及び東洋人と西洋人とは、大脳生理が違っているとしか思えない。これが本当にそうであると云い切るためには、西洋人の赤ん坊の生い立ちを連続的に観せてもらうことから始めなければならないが、しかし大抵私の思っている通りであろう。
日本人や東洋人は頭頂葉から後頭葉、側頭葉を経て前頭葉へ行くと云う経路で心が流れている。前頭葉は外面的行為及び意識的内面的行為を司るものである。頭頂葉はこの前頭葉に命令を下すものである。それが心の流れである(心の中枢は人体にあっては頭頂葉にある)。
この頭頂葉から発した心が流れて前頭葉へ届くまでの経路が、日本人や東洋人と西洋人とでは異なっていると思うのである。即ち西洋人の場合は前回りして、頭頂葉、運動領、前頭葉と流れていると思う。
ところが運動領と云うのは全身の意思的運動を司るところであるから、非常に無明が濃い。それでここを通ると流れが地下をくぐったようなことになる。そのため西洋人は頭頂葉の知・情・意とか悲願とかが潜在意識的にしか分らない。
日本人や東洋人の場合には、川の地上を流れるようになっているから、源の有様が分るのである。その代わり、これを米人デューイ流に自我を全く抑止しないで教育すると、無明が後頭葉へ溜まってしまうのである。
後頭葉に末那識が入れば無明になる。この無明つまり末那識は、やはり心であるから、体に黴菌(ばいきん)が入ったようなものであって、単なる心の濁りではない。そのため後頭葉の心を腐敗させる。そして一旦そう云うことになれば簡単には治せない。
この点西洋人は運動領の地下をくぐって行くのだから無明はあまり深い心に入らないらしい。それで西洋人をデューイ式のやり方で教えても大した害は無いが、日本人を新教育で教えると恐るべき結果が出てしまうのである。
こうした大脳の生理の違いを忘れて、日本はアメリカの教育をそのまま採り入れ、私がいくら変えよと云っても(私はもう十二年、云い続けている)、耳に入れようともしない。
それどころかますます完全にして行っている。間違った方向に完全にして行くと云うことは、間違いが不完全でなくなると云うことである。
この恐るべき新教育の結果が眼前にあるのに、いくらそれを見ても分らないのだから、日本人の愚かさには本当に驚いてしまう。しかしここを説明すると長くなってしまうから、ここではただこんなに無明の闇が深くては、日本は遠からずして亡びるだろうと云うことだけを云っておく。
現状のままであると、人類は間も無く自滅する。その先駆けとして、日本が真先に滅びる。そして日本が滅びたら、人類が滅びるのを防ぎ様が無い。本当に認識することが出来るのは情だけであるのに、情を自分だと思っているのは日本人だけだからである。
そこで、天つ神々は無明退治を本格的に始めた。一年程前から日本の心の世界は急速に良くなって来ているが、これはそのためである。日本人はこの天つ神々の企てに同調すべきである。
どうすることが一番大切かと云うと、教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えることだと知って、それを出来るだけ早く実行することである。
今は、生まれたら困る様な者は日本人として生まれることを天つ神々は許しはしない。そのため、甚だしく無明で心の濁った者は生まれてこない。だからこれをあまり濁さない様に育てさえすれば良いのである。
人がこの点にさえ同調するならば、七十年もすれば日本と云う水槽の水は入れ替わってしまう。そして国の心の世界に無明と云う濁りはほとんど無くなってしまう。そうなれば後は簡単である。
先ず第一に、祭政一致の政治を実現しなければならない。祭政一致の政治と云う言葉は古くから日本にあるが、実現されたことはこれまでに一度も無い。大体人間に人間が治められる訳が無い。祭政一致の政治とは天つ神々が人間たちを治める政治である。
これまで政治が非常に上手く行った例が世界に一つだけある。中国の堯・舜の世である。中国人が見ればこの二つの治世は対等に見えるらしいが、日本人が見れば舜の治世の方が良い。このように舜の世の政治が非常に上手く行ったのは、帝舜が天つ神だったから出来たのである。
天つ神が人の世を治めると云うこと以外、人の世はどうにも治めようが無い。しかしこれを一代で終わらせないで、長く続けようとすると祭政一致の政治より仕方が無いのである。
この基盤が出来たら、次には、これも今まで人類が実現しようとして出来なかった文化と云うものをその上に建設していかなければならない。
文化とは道徳、学問、芸術を云うのであるが、西洋人は学問、芸術を文化と云っている。即ち道徳抜きの文化である。そしてそのために人類は滅亡に瀕しているのである。自粛をし、教育を改め、祭政一致の政治をし、正しい文化を建設することが急務である。
大体三百年くらいで出来るだろう。そうなれば、天つ神々の無始曠劫来の悲願が初めて形を取ることになるのである。たぶんそうなると思うが、一つ間違えば人類の全滅である。
曹洞宗の人達の中で本当によく『正法眼蔵』を体取している人には、こうした話はたぶんよく分って戴けることと思うので、分ったら即座にこれを人々に説いて、天つ神々に同調することを促してもらいたい。道元禅師はこの時に備えて『正法眼蔵』を遺したのかもしれない。
岡潔の話で一番好きなのは、女工さんの話と大根の話
嬉しくて涙が出たという文章を読んだとき、感極まって泣いた。
私が今まで述べて来た事柄は、末那識を本当の心から引き離しさえすれば誰でも直ぐに分ることである。ところが末那識に付随している眼耳鼻舌身意と云う六根を通し末那識と云う心が本当の心に入る。これが無明である。
それを十分注意せよと云うのが六根清浄と云う言葉である。末那識は自分とは別の心だと本当に分るに至れば、「尽十方界是れ我が全身」などと云うことは自明である。
西洋の学問をすると必然、無明が入る。意識的に見ると無明が心に入るのである。ところが意識的に見なければ西洋の学問は何も出来ない。即ち見る目で見なければ西洋の学問は出来ない。
大体西洋の学問をするために、その前提となる西洋の言葉を覚えようとするにも、分ろうとするにも、見る目で見なければ出来ない。それだけで既に心は汚れる。
明治以後日本は、西洋の学問を教えることが教育だと思い込んでしまっているが、そうすると今云った様に必ず心に無明が大量に入るのだから、これを絶えず取り除かなければいけない。見る目で見ると、心に無明が入るのである。
これを除く一つの方法は聴こゆるを聴くと良い。観音菩薩はこの一つだけを修行して、不生不滅を悟ったのだと聴いている。また五感と意識との六つの眼を閉じて心の眼(真情の眼)だけで見る時間を持つのも良い。
見る目で見ると死の世界しか分らないのであって、そのためすべては物質と理性で説明が付くと思ってしまうのである。「聴こゆるを聴く」と生の世界が見えて来る。六つの眼を閉じて心の眼で見ていると実相の世界が見えて来るのである。
人の真心は実感で分るのであって、これを意識で分ろうとすると、真心などと云うものはどこにも無くなってしまう。これが死の世界であり、仮象の世界である。生の世界や実相の世界に心を遊ばせることが、心の無明を洗うことになるのである。
ものには内外(ないげ)二面があり、外は形式、内は心である。その心の世界に最初に現れた天つ神が原始天尊天の月読の尊である。他の有情は皆この天尊の悲願を分ち与えられて、有情となったのである。
その有情即ち天つ神々の全体が日本民族である。一口に云えばそうだが、天つ神々の大多数は情緒を体にしている。このことは単細胞以前の天つ神々を考えれば分るだろう。流れて止まない時の内容が日本民族だと云っても良い。その日本民族が究極の自分である。これが大我である。
大我を自分だといつも思っているのが末那識と云う心から離れてしまう一番の近途(ちかみち)である。真情は見ることが出来るだけではない。見たことを忘れない。それ故一人の有情の真情の上には、その歩いた経歴が皆残っている。これが真我である。
真我を自分だと思っても良いのだが、大我を自分だと思う方がもっと良いと思う。仏教では個人を小我と云っている。この個人と云うものの内容は複雑な心の集合体であって、一つと呼ばれるべき所以のものは何も無い。
これは仮和合(けわごう)のもの、仮にそこに集まっているだけのものなのである。こんなものが不死である筈は絶対に無い。一晩寝ると変わるだろう。だから人間は平気で矛盾した思想を説き、矛盾した言葉を使って何とも思わないのである。
私は数え年二十九の時シンガポールの渚に立って、突然名伏(なふ)しがたい深い懐かしさの情に襲われた。それから十数年の後、この懐かしさの情の内容を道元禅師の言葉を借りて云い表した。
日本民族は常住にして変易無し。
大宇宙の原動力は一番初めに天つ神々の悲願である。この悲願と云うものは何もしなくても時が経つ程強くなると云う性質を持っている。まして天つ神々の数が増え、その心が深くなると、悲願の強さはますます強くなる。そのため大宇宙を運行する原動力の悲願の量はだんだん増えていく。
かようにして悲願の総量が漸く現在の強さになって、初めて無始曠劫来の悲願を形に現すことが出来る様になったのである。何故こんなに時間がかかったのかと云えば原動力がなかなか増えなかったからである。
これが大宇宙の無限向上の第一階段であるが、これに成功すれば人類が亡びると云う危険は永久に去る。よく分って神々の企てに同調して戴きたい。(了)
>>470
そのお話が収録されてる本の題名とか章名を是非教えて下さい。
みなさん、数学板に久しぶりに来まして、初めてのかた、はじめまして。
私も知りませんでしたね。
475 一流コメディアン・植木 等ファン 2016/08/28(日) 03:25:45.24 ID:7P1LFA16
>>24
なつかしいですね。
476 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/08/28(日) 04:40:58.23 ID:ZU+6HLfG
福音派 反松果体主義
ニューエイジ 松果体主義
>>420-422
ご丁寧なアドバイスをありがとうございました。返事が遅くなってしまい失礼しました。
何度も読み返し、分からない所を調べ、自分なりに把握するのに時間がかかってしまいました。
正直圧倒されました。壮大な世界ですね。岡数学の凄味に感服しました。
文面から現職の方とお見受けするのですが、多忙なところ時間を割いて下さって感謝しております。
小平邦彦「複素解析」、西野利雄「多変数函数論」、高価でしたが両方共購入しました。
当面は小平本を目標に頑張ろうと思うのですが、本の厚みが凄くて神保よりずっとレベルが高そうです。
線型代数は独学でも何とかなりそうですが、集合位相はちょっと勝手が違って難しそうですね。
この秋から数学科で聴講生か科目履修生で学んでみようかと検討してる所です。
おせな、かゆいんどすか?
ほな、おかきよし。
>>477
森田とは別人だが、別に現職の教員でも何でもないよ。
岡の研究時代の一部がそうであったように、案外、多変数関数論をしていて
現職の教員でない人は日本に限らず海外にもいる。多変数関数論専攻の人にとっては、
>>420-422やヘルマンダー程度はジョーシキ。というか、ヘルマンダーは解析を学習する上でもいい。
レベルはヘルマンダーが上。それどころか、岡数学やヘルマンダーの枠組みを超えて、
ベルグマン核の境界挙動とか、もっと凄く広い世界が広がっている。これも岡の仕事の延長にある。
本当の現職の人だったら、喜んでそういう話を語り出すと思う。
というか、もしかしたら、ここにいるかも知れない。
>>477
ついでだから、解析学の基礎と、函数解析と微分方程式も購入した方がいい。
解析学の基礎のには、一松の多変数解析函数論をベースに多変数複素解析の主に
多変数複素関数の理論の一部や問題が書かれていて、問題は解答付き。
一般的な複素多様体の理論は殆ど扱っていない。一松の多変数解析函数論は、
西野本とは違うやり方で理論展開をしている。勿論、一変数複素解析の問題もある。
その部分の一部(大部分?)は著者の一松が書いている。
函数解析と微分方程式は、関数解析や楕円型境界値問題の理論や問題が載っている。
ヘルマンダーやベルグマン核の理論展開には楕円型境界値問題の理論は必要で、
以前あった村松とかいう人の楕円型境界値問題の理論の本が高くて入手困難で、
楕円型境界値問題の部分はその著者の村松っていう人が書いている。
溝畑の偏微分方程式論に楕円型境界値問題の理論は載っているが、その溝畑本は
函数解析と微分方程式の参考文献にある。熊ノ郷準が書いた偏微分方程式とかいう本
も参考文献に挙げられている。熊ノ郷本も楕円型境界値問題の特殊な場合は扱っている。
これら2冊には、解析を学習する上では、内容もさることながら参考文献がかなり参考になる。
参考文献がDoverや古本屋とかで安く入手出来ることが少なくない。
なので、2冊とも買って損はないと思う。2冊とも後々の学習に有効になると思う。
どっちも古本屋とかで安く買える。問題のレベルは高い方。決して容易くはない。
ちなみに、溝畑本と熊ノ郷本とでは、熊ノ郷本の方が読み易い。
あと、アドバイスかどうかは知らないが、数学科の講義を聴くだけでは意味がないよ。
むしろ、独学が基本。今は、最初に挙げた上記2冊の参考文献をテキストにしている数学科はないと思う。
というか、本格的なテキストとなると、今ではこれらの参考文献の方になる。
>>477
一応読み違いを招かないように説明すると、>>480の
>これら2冊には、解析を学習する上では、内容もさることながら参考文献がかなり参考になる。
の「これら2冊」とは、解析学の基礎と、函数解析と微分方程式のこと。
ちなみに、解析学の基礎で真っ先に挙げられている多変数複素解析の本がヘルマンダー。
ヘルマンダーは、1990年に新しく内容が足されて、第3版が発行されている。
>>477
再度失礼。>>480の
>以前あった村松とかいう人の楕円型境界値問題の理論の本が高くて入手困難で、
>楕円型境界値問題の部分はその著者の村松っていう人が書いている。
の部分は不正確で、正確には
>以前あったアグモンが書いて村松っていう人が訳した楕円型境界値問題の理論の本が高くて
>入手困難で、 楕円型境界値問題の部分はその訳者の村松っていう人が書いている。
に訂正。以前は、アグモンが著者で村松が訳した楕円型境界値問題っていう
楕円型境界値問題の理論の専門書が吉岡書店から発行されていたようだ。その本のこと。
「『数学セミナー』9月号 特集=私の選ぶとっておきの数式」に
岡の上空移行の原理を挙げている人がいた。
あれが数式だろうか
それと過剰な敬語がきもちわるい
敬語も使えないんだね
岡潔は、30代半ば~40代後半にかけて一番良い仕事してるね。
田舎にひきこもっていた12年間が黄金時代。
藤原○彦が数学者は20代が勝負だ!なんて言ってたが、嘘っぱちだね。
安彦良和作品キーワード
・ピカソ
・幼馴染み
・残酷描写
・ノンセクトラジカル
胡蝶の夢
永劫回帰
全肯定
489 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:20:54.31 ID:bmRyKeCd
WW2
70年安保
イデオン
起承転結
491 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:21:27.51 ID:bmRyKeCd
起転結
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493 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:22:00.83 ID:bmRyKeCd
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494 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:22:17.65 ID:bmRyKeCd
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495 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:22:34.81 ID:bmRyKeCd
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496 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 02:22:51.66 ID:bmRyKeCd
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森田先生は続巻を書かないんだろうか
他人の本から岡潔にまつわる話を殆どそのままパクって
書いたような人を「先生」とはいえないだろう。続編はイランだろ。
エースをねらえ!
ガラスの仮面
めぞん一刻
海がきこえる
そもそも仏教用語の中道は日本では無意味
日本人は頭を使わないのがほとんどだから、右から左にしか動かない
ビジネス以外で左から右に動いたのは太田竜くらい
第一の心の意を優先すると頭を使わなくなる
第一の心の知を優先すると冷え切って物質主義と個人主義と閉鎖主義と消極的利己主義と積極的利己主義になる
第一の心の情を優先すると厚味がなくなる
だから高畑勲の火垂るの墓みたいなアニメになる
あれは一見合理的な反戦映画でも、
幽霊化して煉獄を繰り返しており、
さらに清太と節子は心中物で近親相姦のハッピーエンドを迎えた構造になっている
ところが高畑勲は心中物を8識的にしか捉えられなかったから、
日本人の男女関係の本質を見失ってしまっている
だから生きるとか死ぬとか力とか皇統断絶とかそういう話にしか持って行けない
しかもトトロや千尋のまっくろくろすけが焼夷弾の火垂るの蛍になってしまう
二つの物語の類似点
『トトロ』と『千と千尋』は共に同年代の主人公の少女が、引っ越しを契機に、
異世界に遭遇するという物語の設定になっている。類似点をまとめると以下の通りである。
『となりのトトロ』と『千と千尋の神隠し』の類似点
『となりのトトロ』
主人公 小4(小6)の少女
物語の契機 引っ越し
主人公の体験 異世界との遭遇
ススワタリ まっくろくろすけ
ファンタジー ネコバス
監督 トロール (トトロ)
『千と千尋の神隠し』
主人公 小4の少女
物語の契機 引っ越し
主人公の体験 異世界との遭遇
ススワタリ まっくろくろすけ
ファンタジー ハク
監督 オシラサマ
君たちはどう生きるか、 森の描写がトトロっぽいなぁなんて思った。塔を見つけた時もトトロの大きな木を見つけたときみたいだったよね
あちら側の世界に行ったり階段駆け降りる描写は千と千尋の神隠しっぽいし
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504 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 17:21:17.00 ID:bmRyKeCd
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505 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 17:21:33.93 ID:bmRyKeCd
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506 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 17:21:50.45 ID:bmRyKeCd
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507 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/23(金) 17:22:06.08 ID:bmRyKeCd
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>>497
その人、博士持ってないでしょ?
先生なんて言いかた、どうかと思うよ。
学部数学でよくあれだけ引っぱれるなと感心する。
「才能」は7識下層(邪智の世界の鬼才であって天才と努力を下回る)
「人生」は7識下層(邪智の世界の鬼才であって理解と暗記を下回る)
視聴感想文
「君たちはどう生きるか」
・ハゲもパヤオも遺言でWW3に備えよとのこと
・プロデューサー、奥様、御母様がごちゃ混ぜだったが、パクさんは途中で殺したでしょ、みやぴー
・既出の広告は全て嘘
・今までのジブリの難解さを解説した
・終盤のとあるシーン(ラストシーンではない)に目頭が熱くなった
・脱糞は射精
・戦中派不戦日記
・屋根裏のラジャーはジブリ殺し
・前期傑作がon your mark、中期傑作が千と千尋の神隠し、後期傑作が君たちはどう生きるか
・最高傑作も君たちはどう生きるか
・宮崎先生が宮﨑先生に初めてなった作品で、岡潔について初めて触れた
・8識と9識を描かないように努めた
・10識から16識の風光を描こうとした
・ファイナルファンタジーシリーズ
視聴感想文
「すずめの戸締まり」
・水の描写が上手い
・団塊ジュニア世代の選曲
・教員と津波
・椅子のパラドックス
・職人性と作家性と作品性の限界をどう料理するかという永遠のテーマ
・都内の描写は押井守が群を抜くのでアニメオリジナル新作映画が見たくなった
・実は左翼運動否定後の皇室讃美映画
・もしも新海誠が逆襲のシャア競作イベントに参加したらという映画
・竜とそばかす細田守に注意しようとしたら、ワンピース谷口悟朗に怒鳴られた結果になったのが最重要テーマ
君、たのむ、死んではならぬ。
自ら称して、盲目的愛情。
君が死ねば、君の空席が、いつまでも私の傍に在るだろう。
君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。
太宰治「思案の敗北」
君の名は→2014年衆院選オマージュ
天気の子→2017年衆院選オマージュ
すずめの戸締まり→2021年衆院選オマージュ
昭和一桁世代19260402~19350401
焼け跡世代19350402~19470401
団塊世代19470402~19500401
しらけ世代19500402~19600401
新人類世代19600402~19710401
団塊ジュニア世代19710402~19750401
プレッシャー世代19750402~19860401
ゆとり世代19860402~20010401
コロナ世代20010402~20120401
戦闘民族世代20120402~
何となく思ったがポルコ・ロッソことマルコはハサウェイの二人娘を寝取ったということだろうか
飛行機の墓場を見つつ軍国少年時代を思い出すことで豚から人間に戻ったりしながら
そして火垂るの墓から救い出す風立ちぬへと
まぁ、ぽんぽこではアカはアカらしく生きろと叱られ、
かぐや姫では一人だけでなく二人で生きろと叱られるんですけどね
山田くんが良かったな
ぽんぽこは東京立川基地に反対するために立ち上がった共産同ことブントの敗北史
そこに構改派ことフロントも加わりカオスに
途中今は廃墟となった都内の某遊園地やオウム真理教への入信と集団自殺も描かれる
耳をすませば公開直前に録画したビデオにオウムテロップもある
過激派はあさまと三里塚で散る
最後はゴルフ場で理想のコミューンを描き、淀橋の都庁をバックに「耳をすましてくれ」と返歌を歌い上げる
東映動画の喧嘩もモチーフになってるから、実は冒頭からパヤオと小田部羊一でゲバルトしてるんだけどね
その小田部羊一は左から右へ
逆に大塚康生は右から左へ
正吉→高畑
権太→宮崎
青左衛門→小田部
ぽん吉→大塚
六代目金長→毛沢東
太三郎禿狸→マルクス
隠神刑部→スターリン
90年代アニメは迷走期と言われても、振り返るとクリエイターの文通だらけで神作量産の時代
特に90年代前半が凄い
単発だけなら1984年と1995年は日本のサブカル最盛の年になる
>>508
博士を持っていない人間を先生と呼ぶべきでないってのは流石に強すぎる主張だろ
520 132人目の素数さん 2016/09/24(土) 05:17:07.53 ID:SAjtB2b6
岡潔先生が40歳頃まで三高への忠誠心で博士号を拒否し論文の出来によってガラリと態度を変える京大を馬鹿にしていたのは有名な話
521 132人目の素数さん 2016/09/24(土) 06:41:39.34 ID:cVQpqspi
IQ120以上の人間は白人ばかりでアジア人はほとんどいないことが判明。。・
https://i.imgur.com/YutjrFH.jpg
522 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/09/24(土) 06:57:10.54 ID:gc7JIRwz
¥
523 132人目の素数さん 2016/09/24(土) 07:10:51.88 ID:cVQpqspi
普通に考えて、鉄緑みたいな塾で、東大入試で出そうな問題のパーターンを叩き込んでも、
それが入試を超えて役立つかどうかなんて明らかだろ。だからかなり無駄な時間なんだよ
巨神兵が放射線で王蟲が放射能だとして、映画版ナウシカは双方を肯定し、原作版ナウシカは双方を否定する
映画版ナウシカは日本民族は常住にして変易なしであり、原作版ナウシカは生命の燃焼である
コインの裏表で、そこまで差がないのだけれども、原作版ナウシカの方が名作扱いされるのは内心の捨の程度の違いだろうか
ごく簡単に言うと、原作版ナウシカの方が日本的なんだよ
それ以外を言うと、無駄が削ぎ落とされて階層主義ヒエラルキーも形態主義イデオロギーもなくなった
進んだり戻ったりしながらドラマ的になった
一般にそれを保守と呼ぶが、右翼と間違え易いのであまり意味はない
映画メトロポリスは失敗作
手塚治虫の後継者は大友克洋だろうとりんたろうが思ってしまったのか原作と比べて噛み合わないメトロポリス
地球へ…は原作も映画もテレビもそれぞれ帯に短し襷に長し
詐欺男は手塚治虫とも取れる
詐欺男は地球へ…ポスターとも取れる
幾原邦彦作品が受け付けないのは、唯識論じゃなくて実存主義だからっていうのが一番しっくり来るかもしれない
まぁ、唯識論も仏教的視点では失敗作だし、実存主義は個人主義で構造主義は社会主義だけれども
水星の魔女なんか結果的に左翼運動の否定になってしまった
おにいさまへ…、セーラームーン、Vガンダム、Wガンダム、ヘンダーランドを終えて満を持して登場したのがウテナだけど、ぶっちゃけどうもねと
今に至るまで語られてないし実際にね
幾原ママンがウテナをわからずピンドラはわかったと言ってるのが最たる例であって、その通りなんだよ
イケメンだけど実は非モテでしたと告白してる割に視聴者置いてけぼりなんだよ
うちの県の寺山修司って新人類世代じゃなくてしらけ世代じゃないと消化できないんだよ
オウムはニューエイジだけど、エヴァはニューエイジじゃない
つまり幾原のやってる90年代的な総括は逆説として左翼運動的になってしまう
めぞん一刻、on your mark、CCさくらが今でも命脈を保ってるのは少なくともオウムの系譜じゃなくてエヴァの系譜だから
無職転生、キモいんだがアニメは完成度高いというか、なろうらしくないというか
シルフィが木之本桜、ロキシーが音無響子、エリスがナウシカと思うと納得する
ハゲとの闘い=女付き合いとも言えるけど、僕みたいに割とこの年齢になると男はもう性欲ないから親子テーマに回帰する
つまりハゲはね…カミーユもジュドーもカツもジェリドも嫌いで、本質的に殺したかったんだよ
否、殺したんだよ
ZとZZが鏡像関係なら、逆シャアと閃ハサは鏡像関係だからね
アナザーガンダムの方が90年代を象徴してるんだけど、ハゲが∀で豚切った
CCさくらとギアスが系譜を引き継がざるを得ないような宿痾だった
ご近所物語とNANAでさえ認めなかった
今日公開のガンダムのジークアクスを観てきました
感想は正直微妙です
一年戦争パートと0085パートとで分かれてるのですが、一年戦争パートは初代テレビシリーズを意識しすぎてマニアック過ぎ、0085パートは展開がかなり強引と思う部分が多かったです
プラモは見終わった時には完売でした
#ジークアクス感想戦
自分も正直これなんすわ
あえて色付けるなら、beginningは一見して素人向けでありながらもっと玄人向けで良かったかなと
GQuuuuuuXは押井守・CLAMP理論を応用・研究するなら、下手な胡蝶の夢にならないように起承転結から起転結へのさらなるメリハリが欲しかった
#ジークアクス感想戦
F91みたいにthis is the only beginningで終わってしまいそうな雰囲気も遺る
2001年宇宙の旅クルクルは冒頭から入れても良かったのでは
安彦オマージュが裏目に出ているような気がして今のままではコロニーの電柱を含めてハゲを怒らせてしまう
#ジークアクス感想戦
ファースト以来の初孫と評された水星の魔女どころか甘く見積もっても種に並ぶのがやっとの出来になるかも
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534 132人目の素数さん 2016/09/24(土) 19:29:10.26 ID:6hOlcoRV
>>520
面白い話だね
535 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/09/24(土) 19:43:01.34 ID:gc7JIRwz
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536 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/09/24(土) 21:16:16.50 ID:gc7JIRwz
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537 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/09/24(土) 21:34:15.05 ID:gc7JIRwz
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538 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/24(土) 21:45:52.37 ID:gc7JIRwz
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539 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/24(土) 21:46:31.70 ID:gc7JIRwz
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540 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/09/24(土) 21:47:57.69 ID:gc7JIRwz
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541 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/24(土) 21:48:52.83 ID:gc7JIRwz
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>論文の出来によってガラリと態度を変える京大を馬鹿にしていた
変えない方が研究機関として不適切な対応だと思うが
543 132人目の素数さん 2016/09/24(土) 23:56:03.13 ID:6hOlcoRV
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544 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/09/25(日) 06:42:26.58 ID:VBoukDxw
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>>508
学部までの数学ったって、一般人相手ならむちゃくちゃ新鮮な世界だぞ
きちんと紹介することさえ出来ればとても面白く感じて貰えるだろ
それを実践して証明してみせたという点では、彼はかなり評価できる
まあ一方で、彼が「研究者」を名乗っていることが釈然としないという気持ちはわかる
546 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/02(日) 10:06:44.87 ID:gY266DhX
馬鹿板遊びはもうヤメレ。頭の悪い奴が跋扈したらアカンやろ。東京都庁
みたいにナルぞ。
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547 132人目の素数さん 2016/10/03(月) 01:24:38.98 ID:x8+OKibU
>>545
まあそりゃそうだ。3年以降はかなり高度だもんな。
でもな、論文をジャーナルにacceptされた経験もない人が「数学者」なんて片腹痛いわ。
率直ですまんね。でも似たようなこと思ってる人少なくないでしょ。特に数学者は。
1stは7識中層主体
イデオンは9識主体
Zは7識下層主体
ZZは7識下層主体
CCAは7識上層主体
Hは7識上層主体
F91は8識主体
Vは8識主体
∀は9識主体
Gレコは7識中層主体
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550 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:29:51.71 ID:5m/0OoUw
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551 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:30:07.05 ID:5m/0OoUw
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552 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:30:21.96 ID:5m/0OoUw
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553 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:30:37.96 ID:5m/0OoUw
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554 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:30:54.55 ID:5m/0OoUw
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555 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:31:09.83 ID:5m/0OoUw
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556 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:31:28.48 ID:5m/0OoUw
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557 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/03(月) 02:31:45.62 ID:5m/0OoUw
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住吉区+阿倍野区+天王寺区+中央区(東区+南区)=和泉東総合区
住之江区+大正区+西成区+浪速区+西区+港区=和泉西総合区
都島区+北区(北区+大淀区)+福島区+此花区=摂津東総合区
淀川区+西淀川区+東淀川区=摂津西総合区
旭区+城東区+鶴見区=河内北総合区
東住吉区+平野区+生野区+東成区=河内南総合区
>>547
彼自身は数学者とは名乗ってはいない(独立「研究者」としかいっていない)はず。周りが勝手に数学者と呼んでいるだけ
誤解を招く呼び名であることは間違いないが
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>1 :132人目の素数さん 2016/10/02(日) 20:48:13.86 ID:UkoQKB0l
>つけましょう。
>
>増田芳雄は、増田哲也が大学で数学を学ぶことを認めはするがその場合は学費を親が出>>さず、増田哲也が負担するように言いました。
>増田哲也はこのことを非常に根に持っているようです。
>果たしてこれは虐待なんでしょうか?
>
>2 :132人目の素数さん 2016/10/02(日) 20:54:46.95 ID:UkoQKB0l
>僕は、増田芳雄さんがしたことは非常に教育的だと思います
>何故なら本当に増田哲也が数学を学びたい意志があるなら、たとえ自分が学費を負担しようが、アルバイトなどしつつも必ず数学をやり遂げる覚悟があるはずだからです
>それほどの覚悟がなければ、理学部数学科に行ったところで崩れるのは当たり前です
>増田芳雄さんは★増田哲也を試した★のではないでしょうか。
>したがって、増田哲也が言う★親に屈した★というのは不自然で、適切なのは★自らの>数学を学びたいという覚悟★に負けたのではないかと想像します
>
>3 :132人目の素数さん 2016/10/02(日) 22:29:13.92 ID:VjGkPKup
>毒親に悪影響を受けた人なんて沢山いるのに自分だけが悲劇の主人公か。
>
岡潔聴雨録bot
日本に非常に多い無明は物真似猿型無明。
これは外国人の感受したものを自分の感受とする。
自分自身では感受しない。僕が話をしても君等は何とも思ってない。
自分の感受性が働かんのだ!人ではない!
そんな者が教育やったら一人教えれば一匹、百人教えれば百匹、物真似猿を作るだけだ!
明治以後なんて信用出来ん!良いも悪いも云えたもんじゃない。およそ斯くの如しだ。
私は紅梅が好きです。情操ですこれは。
ダリアが好きと云う人は感覚です。だから世代の断層が出来るんです。
治したいなら、いっぺん、生まれ直して来なさい。
学問の深さと、取得単位の数の多さは両立すると思いますか。
全然!そんなこと。
日本民族が滅びるか滅びないかの瀬戸際に来てるんだから各員自覚してほしいと云う本書く訳です。
なんせ、こんだけ間違ってるんだから、繰り返し繰り返し説かなきゃ。
だから、『春雨の曲』と名付けた。どうせ日本民族は滅びてしまうんだがと思いながら、何とかして滅亡を食い止めようと必死に書いたんです。
その危機感が日本人には全然無い。
或る赤十字病院の創設者だった副院長がいる。その人は停年迎えるために院長にならなかった。
その人に聴いてみた。
僕が『春雨の曲』と云う本を書き上げて、保存するのと出版するのとで違うと思うか違わないと思うかと聴いたら、
あまり違わないと思うと云った。
本当そうなんだけど、これは第十一識。
仏教、間違いばかり云ってるから読むな。
読むなと云ってる!
何で仏教の本なんか捜してる!!
童心の季節より後に考えるべき何物もありません。
後は応用でしかない。西洋人はそれより後のことしか考えられない気違いばかりなんです。
それだったら犬猫と変わらん。そんな者が書いたことなど何一つ読まなくていい。
西洋医学は循環論法。仏教は荒唐無稽。
赤チョークは使わないでくれ。教室で赤いもん使こたらいかん。
この礼儀知らず、丁寧にお辞儀して出て行きなさい!
全然分ってない!なんにも分ってない!
自主、自主って云って、実際は猿真似ばかりしているでしょう!
自主的な教育は、自我を抑止しない教育なんです。自我を抑えなかったら嫌悪感はいくらでも出る。
何かあると他が悪いと思う。だからどんな職場にいても早晩飛び出す。
こう云う教育を受けた者は生きていく力が無い。今の教育は親が無ければ生きていけないところまで来ている。
欧米人に合わせて競争なんてことは、僕は避けて一切しない。
勝つのが能じゃありませんが、みすみす負けると分ってることをやってみても無駄だ。
大体そんなこと受け持たなくていい。だからごく大切なとこしかやらない。
中産階級が一番いじめられるんです。
糞面白くない日々を過ごすと、当人から影響を受ける子供の方が当人より困るんです。
中産階級に殊に多い。
ひどいことやる様なのがあれば、大勢の人はそれに従いながら、ああ間違ってるなとだんだん気付いていく。
造化はそんな風にあやつってる。
悪い奴が良い奴をいじめたりすると、いじめられる者の数が殊に多いと一般の自覚になる。
だから、それを黙認すると云うより、そうなる様に一気にあやつってる。
左は気違いと云う他無い!
第七識上層にある数学と、第七識中層にある物理学の違いは非常に大きい。
英語学は第一の心の波長なんです。いかんのです、英語は。
何と云う馬鹿な!数学をやる者もやる者だけど、そんな者に文化勲章をくれる者もくれる者!
物理学で躓く人が多いのは当たり前。運動方程式F=maが既に破綻しているから。質点なんてものは存在しない。
そこからして自然科学は壊れてしまっている。
日本史学が好きな人は取り組み易い。
力の強い者が偉い、知が大事だと思うなら日本人止めなさい。
真情を自分と思えたら日本人、でなければ日本人ではない。
真情だけがエッセンシャル、他は皆トゥリビアルと思えたら日本人。思えなければ異邦人。
西洋の学問で間違っていないものなんて一つも無い。
西洋のものは皆間違っている。
いくら云っても、どうにも僕の思った様には分ってもらえない。つまり、今は全部間違っている。
葦牙会では掘り返し方が浅過ぎる。もっと深く掘って、全部を否定してしまう。
葦牙会は解散する。次回からは春雨村塾の会です。
自分自身分ったらいい!分ってないじゃないか!先ず自分が分れ!完全な無知、物質主義です。
個人と云うものは無い!いくらそうだって云っても分らんもんだからそんな馬鹿なんだ!
マスコミが書いてりゃ意味があると思うんだ。自分の頭で考えてみよ!この物真似猿め!感受出来ないんだ君は!
自然は映像だって云っても何とも感じない。それは大変だと思わないんなら、感受性が働いてないと云うことだ!
感激、感動、感銘、感興、そう云ったもの一切働かない。だから、その程度の大学なんかに行くんだ!
金を問題にしてどうする!金なんか問題にするに足らん!
日本本来のと云えば、応神天皇より前に遡らなきゃならんに決ってる。
日本に生まれ日本を知ろうとしないのは君等だ。
前、いっぺん計算したら、私に実際に会うて本当に私に聴こうと思っているのはせいぜい百人です。
自然は映像である。
真知の奥に真情がある。
真情の奥に時がある。
時の奥に真の自分がある。
私と彼女とがある。
共産主義なんかに走らん様に。でも共産主義は不公平無くしてやろうと思ったら天皇邪魔になると思ってるだけですけど。
自由主義の方が危険。金たくさん出来たら本当に危険です。
日本の神道はまだどれも幼稚です。それでも皇統否定しないからいい。
ところが仏教そういかん。創価学会なんて、共和国にしようと思ってる。
言葉にだまされるな。文字に読まれるな。
非常に信奉する人の云っていることは信じざるを得んから信じているけれども、そのままにしておかない。
自分の真情の目で確認する。
自分の目が見えるようになるまでは仕方がないから信じる。
しかし自分で腑に落ちるところまでやらないことには、決して他人の云うことを鵜呑みにはしません。
私は真実でないものには、何の価値も認めません。
自分とは何かと云うことを何で皆調べないんだろう。
認識が働かんから。
何を自分と思っているかは世界の各地で皆違う。
自然が見えるのが不思議だなあと思えないんであれば、知を愛しているとは云えないと云うこと。
認識力が無いと云うこと。
間違った神々が日本に入っている。
天照大神と天の月読の尊をお慕い申すのは正しい。
造化の二尊は太陽の神と月の神だと云うのも正しい。
しかし、太陽と云う物質、月と云う物質を信仰する南洋の自然教と云うものは間違い。
一つが正しければ、後皆間違いです。
正しい道は一つしかない。
これが正しい道だと知って歩く、一歩一歩確かめて歩いてるんです。
それをすれば、最初は非常に遅いけれど、暫らくこれを続けておれば、大自然が同調するから、それからは極めて速くなる。
こうするより同調のさせようが無い。
応神天皇より前は天つ神々の存在は常識だった。
何故こんなに変わったか。純粋直観が働かないから。
当然働く筈だが、いろんな無明が入ってるからマヒしてる。
働けばすべて分る。学問などいらない。
どうすれば働くか。無明を一つずつ地道に取り除いて行くんですね。
古事記は不正確だが日本書紀は嘘書いてる。
道元禅師は第十三識なので日本民族ですが仏教にかぶれ過ぎている。
弁栄上人は第九識なので日本民族でなくさらに滅茶で出鱈目。
朝永振一郎は第七識下層です。
スポーツは妙観察智なので、
第十識・第九識・第八識・邪智・邪智型平等性智(理性)・上層を除く第七識(技術)・側頭葉などと間違えない様に。
無明である自他弁別本能そのもの(根性)は絶対に使ってはいけません。
第二の心を発現させる場が第七識上層です。
頭頂葉どころか前頭葉すら駄目な人は無知無能です。
目先の生活が第一だと思う一方で安保には命を賭ける気が無いと云う矛盾を抱えた人は側頭葉しか使っていません。
第七識下層や顕在識(第七識より低い識)は生きようとする盲目的意志の世界です。
顕在識ばかり教えない様に。
昼も夜も聴覚型の子(昼も夜も認識者が第十一識にいる子)が時々いる。
そう云う子は後頭葉も頭頂葉もきちんと使う。
必要なら前頭葉も使う。
今の教育はすべて側頭葉です。
世の中には理解無しの暗記や標語を嫌う人々がいるのに、その人々は無自覚に側頭葉教育を奨励している。聴覚型の子を潰している。
信じるのが難しい。信じられないのです。つまり自分の頭が信じられない。無いのと同じです。教育はこんなになっている。
理解すると云う働きと、理解したところを信じると云う働きが、全然別の働きであると云うことを教育学者や教育者には分らない。
西洋人がそうなら日本人も真似してそうなるのは当然。
第八識の魔法や超能力や霊感と云ったものを尊んではいけません。ただし今後調べなければならない方向ですが。
吉田茂の奴めが!
田中角栄は駄目ですよ!
司馬遼太郎は全然分ってない!
大学の先生、一人残らず欧米人の云うところを鸚鵡の口真似式に繰り返してる。これが日本人。
欧米人には知などと云うものは働いてやしません。欧米人は指物は上手い。しかし下手な方が安全です。
そんな欧米人の真似ばかりしてる日本人は、これは何だろう。どう思います、あなた方?
いくら怒らしてもこりゃ云わなきゃならん程大切なところかどうかと云うことですね、問題は。
まるで、これまでやってたのは無駄で、無駄でないことは何もやってなかったと云うこと。
日本人、まるで白痴だ。学者なんて連中、一番白痴だ。
もうああ云うのは僕等の代までにして、君等の代からは止めなきゃ、全然時間の浪費。
生涯白痴で送ったら何か得るところあるか。
そりゃ最初そうして見せる者は、皆にそれをして見せると云う意味はある。二度目からは全然意味ありません。
止めなきゃ。
今後は五感で分らない世界、不可視界を対象に調べなければならない。こう云うことになる。
見る目は意識的。見える目は無意識的。
「聞く」は中耳(第一の心)。「聴く」は内耳(第二の心)。
学者の云ってることは間違いだらけだから全部中耳で取り入れたくなる。
「疑う」は第一の心。「信じる」は第二の心。
夏目漱石であれば、
草枕は第一の心(知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい)、
こころは第二の心(則天去私)。
しかし真情が分らない内は説いても無意味でしょうね。
一番悪いのが民主主義を根幹に据えてどうこう考えること!破綻してると云うことがどーして分らん!
もう、知なんて全然働いてやしない!舶来のものはひっくり返して一度皆捨てなさい!
大学とは知識を教えるところだとしたら、すること無いん。教える知識を持たない。
日本国憲法の前文の筆者は迷中又迷の漢である。
これに賛成している人達も同断である。
この迷中又迷の漢の言葉に従って教育しようとしている人達は更に迷を重ねるものである。
社会をそうしようとしている人達も同断である。
人の世の理想は法律なんかいらなくなることである。当然憲法もである。
この世界に物質と云うものは存在しません。
プライバシーと云ったら臭いものに蓋です。
日本人よプライドを持て。
上手く云えないだろうと思ってたら、案の定、上手く云えなかった。
第二の心は云いにくいんです。だから世代の断層になる。
僕は教えるために生まれて来たんです。指揮者です。
近衛の様なフワフワが首相になったって云うのは、つまり人物評価が誤っている。餓鬼道的評価法になってしまっている。
性欲を満たせるように金を貯める。だから金や地位がある人を尊敬する。
餓鬼道の評価じゃ、そうでない人は恥ずかしくて世の中に出られないでしょう。揮毫もそうだから私は書かない。
阿南惟幾陸相は山本五十六と並んで偉い。自刃連中の中じゃ一番偉いでしょう。
もう初めから、終戦と御前会議決った時に死ぬ覚悟出来ていた。
それで映画じゃ時の総理大臣鈴木貫太郎に挨拶に行って、そしたら鈴木、あれはわしに暇乞いに来たと云った。
今の天皇陛下(昭和天皇)だいぶ形式とれてます。
聖断や終戦後の地方巡幸の良さ。ああ云う出来事があってだんだん舶来のものがとれていくんですね。本当に大切なものだけが残る。
文化センターと云う変なものを建てて、そこでアメリカの知識を受け売りして講演するのは野蛮です。
文化と文明をちゃんぽんにしている。
これは、文化と云うものが分らないから。外国の猿真似が習慣を超えて習性になっている。
日本の官僚は非常に中国的です。そっくりそのまま真似た。科挙にしてもそう。
だから立身出世に終始する。孔子の「身を立て名を挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」なんてのは非常に有害ですよ。
年長者への敬い方まで舶来のものになっている。年長者を敬うべきですが、老害まで敬ったらいけない。
委員の委は奴隷根性の証であり共産主義です。
必要な知があれば、それは向こうから勝手に入って来る。
ケネディは泥人形!
フィヒテが問題にした主宰性は一見退屈なものです。しかし個性と並んで奥が深い。
そこを超えると造化になるため、まるで違うスケールになります。
全部を否定すると云っても、大切なものは自ずから残ります。
邪智を一時的に一切使わない日常を過ごしてみたらいい。
それくらいしないと僕の云っていることが君等には分らない。
天の月読の尊おわすところ常に、
天地に 我一人いて 立つ如き その寂しさを 君は微笑む
この彩りが付き纏う。他の神には決してこれが無いから見誤らない。
この彩りを孤独な創造、独創と云うんです。
私、この寂しさなら十分分る。いくら書いても読者が分らないから。民主主義と創造は両立しない。
キリスト教は日本人が信じるべき宗教ではありません。
あれはどうしても自然を映像ではなく存在だと思ってしまう大多数の西洋人のためにある宗教。
邪智がエレベーターによって取れて妄智だけになった西洋人を天使と云う。
ただし第十四識のキリストは第九識の孔子や釈尊なんかよりずっと尊い人物ですが。
慈悲は間違い。悲願が正しい。
心の病気がそれ程重くない者を重い病気にしてしまっている。
こんな教育はいけない。出来るだけ病気を重くしないように大人にしなければいけない。
たったそれだけです。教育と云う一般の観念と非常に違うんですね。
あまり重くない心の病気しか持って生まれて来ない子供を、ひどく病気にしてしまわないように大きくする。
これが教育です。それだけなんです。
そうしなければ何も出来ないし、心がひどく病気になったら学問を教えられないでしょう。
今教えられるのは1%です。
教育者自身が病気だから。
心と云うものがあると思えない。だから心の病気と云うものがあると思えない。
まして、その心が一旦病気になったら、普通はその一生じゃ治せないなどと云うことはとても分らない。
二、三度叱って頭でも叩けば治ると思って、そのつもりで教育してしまっている。
天真爛漫に生きている人の心は分りやすい。第二の心ですからね。
神代は不一不二の世界です。矛盾と云うものはありません。
神々は資源すら持たせなかった日本に史上初めて金を持たせて(バブル時代)、金なんて何の役にも立たないと云うことを分らせる。
真心と理屈の違いと云ったって君等は分らんだろう!
東京がどうなろうと構やしない。
東大の総長とか京大の総長とか法曹界の長なんてのは学問餓鬼です。
何よりもスケールがまるで違う。
人類は造化の懐に抱かれている赤ん坊です。
人類は造化によって60万年前に進化を一度やり直しているんです。
その時他の星から自然科学的でない方法で古代日本民族が入ってきた。
だから猿から人類に進化したとは思わない方が宜しい。
同志社女子大学に金星の娘がいる。
たわけ者!
法治国家などと云うのは、形式知しか持たん国。
自分さえお浄土行ったら後はどうでもええの!?一人で行く気になれるのか!?後が気がかりにならんのか!!
機械を使うのは上手いけれど、諦観しない人が増えたね。これは両立しない。
やたら責任とか絆とか連帯とか云う人は自他対立している人です。人前で「ですね」を使う人もそう。
京都産業大学1975年度日本民族講義で年度末に作文を提出した3025人の内訳は、
第七識下層219人、第七識中層1259人、第七識上層1254人、
第八識257人、第九識22人、第十識5人、
第十一識3人、第十二識2人、第十三識2人、第十四識1人、第十五識1人です。
第十識より低い識の作文を読む価値はほとんどありません。
ところが大多数の人は第七識より高い識の作文を読みたがらないんですね。試験の影響でしょう。馬鹿です。
昼は視覚型で夜は聴覚型の子は、昼は認識者が第二種マナ識で夜は認識者が第十一識の子です。
人には認識者と統覚者があるんです。
認識者が第十一識で、統覚者が第十識なのが普通の日本人です。
前者が情操(懐かしさ)で、後者が情緒(喜び)です。
第十三識で帰趣、第十四識で外宮、第十五識で内宮。第十六識以上は「心そのものとその上の命そのもの」。
心そのものが至微宮のT、命そのものが超微宮のA。
造化の二尊がT-A。教育庁長官である第二蓬来宮がτ-α。司命庁長官である第一蓬来宮がt-a。
男性は認識者である耳がτ、統覚者である眼がα。女性は認識者である耳がα、統覚者である眼がτ。
神々の目標は人の心を向上させてすべての生物がこの唯一つの心の中に住めるようにすることで、
これが「八紘一宇」である。
そのための政治の仕方が「祭政一致」である。
因みに人がこの世で持って生まれた識の高さは生涯変わらぬから、よく修業した人は死んで生まれ変わる時一識上がるのである。
一識上がるには平均一万年を要しますが、
初覚・認識・自覚・確認・実践・捨の旅路のサイクルが速ければ、
一生で一識上がることや、生前何識も上がることが可能になります。旅路も変わります。
勿論、捨の修業により生前出来るだけ多くの各識を正しく使い分ける様にすることが一番大切ですが。
うちの学生、認識の旅路の第十五識って云うのもあれば、自覚の旅路の第七識って云うのもありますから、非常に進んでいる。
僕は捨の旅路にいるんです。
あなたのどんな仔細な心の動きでも僕には寸分の狂い無く分りますよ。
10年前の僕と今の僕とじゃめくらとめききくらい違う。
随分続けましたからね。
なにくそと云う気持ちでは続けられずいつまで経っても一緒、だって寝てる時は皆素直ですからね。
根本から変えよって最初云ったのが『春宵十話』、それから云い続けた訳だけれど決して聴かん。
それで、もうこりゃ徹底的に皆云わないかんと思って今書いてる。
何するにしてもお伊勢さんにお参りなすってりゃ、造化はいいようにしてくれます。
外宮、天の月読の尊をお祀りせにゃいかんけど。
僕は学生の作文読ましてもらって知ったんですがね、
草薙剣の初代は須佐之男尊が大蛇の尻尾から取り出したって伝えられてる。
それから静岡県の焼津で霊験を顕しましたね。それが初代の草薙剣。
二代目は安徳天皇が御入水なすった時、一緒に持って行かれた。
行方知れず、どう捜しても出て来なかった。
それから三代目は伊勢の神宮が神のお告げで京都へ奉納した。
今宮中にあるのがそれで、非常に大切にされてる。それが三代目ですね。
三代目は義経の化身ですね。じゃあ二代目は安徳天皇の化身です。
建礼門院と安徳天皇、母子になってますが、あれが一つのサイクルではっきり云えばτ-αですね。
と云うと植物界の司です。それで萩に行った。
それで松陰も安徳天皇の化身、晋作も安徳天皇の化身、植物界の長です。
それで萩で松下村塾と云うのを作ってるでしょ。
草薙剣だと云っているのも草薙剣と云う体であって、本体は天の忍穂耳の尊(あめのおしほみみのみこと)。日本守ってるのは天の忍穂耳の尊。
その草薙剣を信長には初代を帯びさせ、秀吉には二代目を帯びさせ、家康には三代目を帯びさせた。
そして、乱を鎮めたんです。あそこで鎮めなきゃ、今度は西洋人に滅ぼされます。急いで鎮めた。
その前、元寇に対して備えるために義経を送った。あれはあそこで武備急がなきゃ一たまりも無い。かろうじて間に合った。いつもそう。
平家じゃ駄目ですね、藤原氏とちょぼちょぼやから。あんなもん、あんな化粧して戦に行くなんてもんに任してたら仕様無い。
義経が鵯越の逆落とし八十五騎、屋島取った時二百五十騎しかない。あんな愉快な戦した人は外に無い。
平家がいくら頑張ったって敵わない。天の忍穂耳の尊、武神ですからね。
しかし、義経が安徳天皇を死なせて、源氏がいかんて云う印象、全国民に与えてしまったでしょ。
死ぬことによって初めて本当の意味で斬ることが出来る。
即ち源氏は斬られた、あそこで。
源氏は安徳天皇に斬り殺された訳です、とことわに。
義朝とか頼朝とかはいかん。新羅三郎義光なんてのも駄目。
源氏はそんなことばっかりやってる。戦には強いけど非常に残忍な一種の無明があったらしい。
けれども源氏の末裔の家康は、鎌倉のある関東で大成した。
静御前が宿した義経の子供を海に投げ棄てたり、新田義貞が刀を捧げて潮が引いたり。
土地の因縁ってのはやはり残るね。今の源氏はもう駄目だが。
安徳天皇ねえ、最初の国産みつまり古事記の国産み杜撰。それでちゃんと産み直さにゃいかん。
その産み始めが安徳天皇の御入水なんです。一万カ月で七識、八識、九識は出来てる。
鹿鳴館とか、国の雰囲気、だらけ切ってたでしょ。
だから日清戦争の少し前で引き締まってるでしょ。
もう大丈夫となったのが、1974年の3月末です。
はっきりした日は分りません。造化のプライベートな放送聴かないと分りません。
2010年頃、それから後はもう十識、十一識信頼出来ます。
そうしたら造化の手助けして手焼かんならんのは十二識から上だけって云うことになるでしょ。そりゃ楽。
もうすぐやっと肉眼で分るところまで来るんですね。一番初めの畑は『帰趣界』である十四識、十三識なんです。
それを一度十二識で咲かして、そして今度それを十一識、十識と云う、つまり心の水へ最初に映す。
そしたら、これオリジナルとコピーの関係、十倍かかるでしょ。
こうして九識へ映ったのを八識へ映すでしょ。そうしたらまた十倍。
七識へ映したらまた十倍。
それから七識だったら普通の子供産むのと一緒で十カ月でしょ。だから十の四乗になる。一万カ月。
造化のすること何見てもオリジナルとコピーの関係、十対一。約十対一ちゅうなこと造化は決してせん。キチッとする。
古事記は聖徳太子が最初夢殿で書かれたのをオリジナルにしてます。造化が再放送して見せたから、書けた。自分ではとてもそんなこと出来ん。
だけど、聖徳太子土以外のこと放送したってそれ見る眼ありませんから、土の形で放送した。
で、そのまま信じることになった。つまり聖徳太子の眼で見える形で放送した。
それを…、誰か見てた。語り継ぎ云い継いで伝えたんですね。それ焼ける前に見た人がいる。あの頃の人は覚え良かったから。
最後が稗田阿礼ですけどね。一度見せてもらったら語り継ぎ云い継ぎしてやってたんでしょう。
それから後で入鹿が焼いてしまったから。そう云うのは無難に伝わったんですね。
だから、不完全な上になお不完全なんですよね、あの古事記は。
それでも、あれだけがどうにか上代の古神道を、応神天皇以後儒教や仏教が入って滅茶苦茶される前の神道。
その前にも中国の帝王の考えが入って既に滅茶苦茶になってますね。
で、応神天皇から遡った神道を古神道と云います。その古神道の面影は古事記を読めば伝わってます。大変有難い。
あれだけでも今に始まったことじゃないって云えばそれだけでも人は信じますから。
無かったら、それだけ云ってもなかなか信じません。非常に意義のある本ですね。
何かそう云うものが云い伝えられたらしい、云い伝えられるについては実際あったんだからとそこまでなら信じますからね。
疑ってかかられたらそりゃもうどう仕様も無い。
神は第二の心ですが、国つ神は九識以下、天つ神は十識以上です。
その上となると蓬来宮とか造化とか帰趣とか外宮とか内宮とか。
造化三神は日漢民族の頃。天之御中主神は意そのもの、知そのもの、情そのものの合成神。
意そのものは達磨大師と弁栄上人。宗教は意です。
こうしたいと云うだけで知でもなければ情でもないでしょ、あれは意です。ただし、正しい意の使い方を教わる。
だから、中国では知そのもの、
その知そのものが伏羲と生まれ、帝堯となり、もう一度中国へ生まれ、日本へ渡って仁徳天皇となり、それから水戸光圀となり、明治天皇となった。
明治天皇が亡くなって明治神宮へ祀られたでしょ。ここで初めて天つ神となられた。
明治天皇の御在世時はまだ第九識です。
その証拠に五箇条の御誓文の様なものを出して人民だけで政治するって堂々宣言した。
十識だったらそんなことしないでしょ。あれ、大脳前頭葉付け替えられしませんから、死んでからでなけりゃ。
だから、第九識の国つ神の中で一番の神を第十識に造化が引き上げたんです。それ中国で三代、日本で三代、六代修行させた。
そして、初めて六代目死んでから天つ神となった。これ位天つ神と国つ神と格が違うんだと云うことを認識させた。
豊受大神も国つ神であって天つ神じゃありません。とんでもないことをしてる。
もっとも国つ神と天つ神両方祀っておくのも意味があるかもしれません。日本は百姓に働いてもらわんと困るから。
だけどやがて止めるでしょ。日本は心の国だから。
天之御中主神の内、主神は日本じゃ情そのもの、だから伊邪那岐、伊邪那美と分れた。
帝舜は天の月読の尊です。この例見れば日本とそれ以外との違いが一番よく分るでしょ。
もう、今の様にinferiority complexの物真似猿になっている時に誰も聴かないでしょ。日本人よプライドを持て。
つまり明治天皇は災いの種を播いてるでしょ。悉く。明治天皇の重用した者は碌なことしてません。
大日本帝国憲法と腐敗堕落した帝国議会を作ったのは伊藤博文。
それから「日本のいちばん長い日」って云う陸軍を作り上げたのは山縣有朋。
一番二大災いの元播いてるでしょ。あれ皆明治天皇が重用なすった。こんな風に知じゃ駄目なんです。情でなきゃ。
明治天皇が亡くなるや否や大隈重信が首相になった。枢密院そんなことして良いもんだろうか。
議長はやっぱり山縣有朋、明治天皇が嫌がっていた人事を直ぐに実行するって、大体葬儀委員長なのにそれから云ったって不敬ですよね。
山縣ってのはそんな奴。
松下村塾で良い者は皆早く死んだ。高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠。萩の乱ですね前原一誠は。
兎に角良いのは皆死ぬ。死んだために明治維新出来た。生き残って手柄立てた者が元勲と云われてる。日本の評価法変えないかん。
本当の維新三傑は西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬ですよ。
ところが山口県知事が職権濫用で前面に出て顔の広さを理由に高杉晋作でなく木戸孝允を選んだ。そんな馬鹿な選び方あるか。
鹿児島県知事は大久保利通でなく西郷隆盛を優先的に選んだからまだ良いが。
アメリカ(古代ローマ)(側頭葉)は駄目、
ヨーロッパ(古代ギリシャ)(前頭葉)は駄目、
インド(仏教)(頭頂葉)は駄目、
支那(文字)(後頭葉)は駄目。
日本(無形)(視覚中枢)のみが人類本来の姿。
意識や言葉は第一の心の世界のものです。
それでも第十識までは何とか意識を向けられる。
そして第十五識までは何とか言葉を与えられる。
第十六識のみが存在で、それより低い識は映像です。
ここ、市民大学と云ってるかもしれませんが、都市大学と改めます。
市民大学と云うと、固定的になる。
都市大学なら好きなところに持っていける。移動大学です。
経済の向上よりも民生の向上が必要なんです。
再建よりも再生と云った方が当たる。
共産じゃない、共心なんです。
敦盛は下天でも化天でもなく外天です。
男の子は乗り物の玩具や棒切れが好きで、お山の大将なんかして遊ぶのが好きです。
女の子は人形が好きで、座って飯事遊びをするのが好きです。
歳を取ると、尿をしたくなるだけで出ないことがある。大変不便を感じる。
治療をして尿が出るようになった人が、尿が出た時、まるで天下を取った様に嬉しかった。
これが人と云うもの。ほんの少ししか分らんのです。
戦後の東京、大阪は千篇一律です。
まるで便所か墓場の様です。
聖徳太子は国つ神しか見えなかった。
蓬来宮は熊野と関係があります。
雄略天皇は乱暴なことには乱暴ですが、妻求ぎ(つままぎ)など情深かった様です。
日本書紀を信じたらいけません。
しかし、天の月読の尊ではなく豊受大神を外宮に祀ったのは雄略天皇。
存分に叱られてるだろう。叱られるだけじゃない。
あまりひどいことをすると、着物ひどく汚して、それ洗ってやるのに、人類時代をやり直すことになる。つまり最低でも六十万年。
豊受神を一格昇格させて豊受大神として祀ってやるってんだからひどい。朝鮮辺りの信仰は稲作を尊ぶからあんなことやった。
だってあれ肥料にする人糞と云う下肥を神格化した稲の神さんでしょ。
私と私の配偶者とが造化の最初の子供なんです。
江戸時代の男尊女卑って云うのは、一代限りに留めようとする道徳観があった。それならまだ良いんです。
ところが物質主義と云うのは当時から既に習性となっていた。
スキンシップと性本能は表裏一体です。
ほとんどの場合女性と云うのは男性より無明が多いんです。
だから離婚の条件も女性は男性より多少厳しい。
一夫多妻が認められてた時代が存在した理由はそう云うことです。
女性が十二識から十三識に上がるのは難しいのも同じこと。
悲願を出させるんですね。それを目標として生きていく様にね。
(1977年12月16日聴雨録最終段落)
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>58 名前:132人目の素数さん :2016/10/03(月) 15:29:38.51 ID:Nw+5TR/B
> >>30-31
> 芳雄さんが言ったのはあくまで「学費を支援しない」というだけ。
> 行きたければ別にあなたの意志で京大は受験できましたよね。
> あなたは「逃亡者」です
> 芳雄さんを攻めるのは筋違いの逆恨みですよね
>
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>58 名前:132人目の素数さん :2016/10/03(月) 15:29:38.51 ID:Nw+5TR/B
> >>30-31
> 芳雄さんが言ったのはあくまで「学費を支援しない」というだけ。
> 行きたければ別にあなたの意志で京大は受験できましたよね。
> あなたは「逃亡者」です
> 芳雄さんを攻めるのは筋違いの逆恨みですよね
>
天上の歌を聴いた日
1976年4月、僕は岡潔先生にお会いすることになる。
それ以前、僕の様なやくざな数学者にとって岡先生の存在は、
その論文集、いくつかの縦書きの文章、間接的にお聞きして描く風貌、
どのような面から見ても山頂の見えない一つの屹立する近寄りがたい独立峰の趣を持っていた。
その前年1975年、僕は数学の勉強をしにイタリアへ行こうと思い立った。
継承と総括の数学者ばかりを作るこの国から、先駆者ばかりを創る彼の国を見て、自分の数学の方向を少し考えたかったからだ。
ある日イタリア行きを志す人達がイタリア大使館の狭い控室に集った。そこで僕は彫刻をしている黒田能勝さんに初めてお会いした。
この人は、言語表現力と論理的な思惟の展開の力を欠くと云うネガティブな特性が、
それがまさに非凡な世界認識のための積極的理由となっている様な稀有の人だった。
黒田さんと言葉を交わすうちに、この人が岡先生をおじいちゃんと呼んで度々奈良をお尋ねしていることを知った。
そして僕も、岡先生は僕にとっても神様の様な人ですと云うと、それじゃ今度是非奈良へ一緒にお伺いしましょうと誘って下さった。
この人がどう云う経緯(いきさつ)で先生を知ったのか僕は詳しくは知らないが、この二人の邂逅に何か巧みな創造者の冗談を感じる。
そして、岡先生と黒田さんとによって創られた奈良高畑町の魂の六畳間へ僕を招いてくれた世の中の巡り合わせに今僕は深く感謝したい。
先に数学科同級生の同人雑誌『N₂』に『春の夜の夢ばかりなる』の題で書いたその折の訪問記をここに転載させて戴くことになりました。
岡先生御自身の著作も多く、数学上のお仕事もまとめて出版されている。
また、先生に長く付いておられた西野利雄先生の『数学セミナー』に寄せられた一文もある。
それ等に加えて、僕の様な軽薄な人間が拙い文章を書く無恥を考えたけれども、
先生が初対面の未熟な人間に対しても、丁寧にそして比類の無い確かさと具体性を持ってお話し下さった様を非力ながら書き留めたいと思い、
編集部の方の申し出をお受けしました。
僕は不安だった。
これまでもしばしば耳にしているあの人の、すべてのことに対しての峻厳さ、そしてこの頃聴く、耄碌して言動が偏狭になっていると云う噂。
しかし、いつかは会わなければならない人だ。
そう心に決め、四月の早朝僕は黒田さんと東京駅で待ち合わせて、京都へ向かった。曇った日だった。
新幹線の先頭車輛の二人掛けの先頭の座席で、間近な小テーブルの上に足を乗せたりしながら、僕はこの二度目の対談の人と軽口を叩いていた。
京都駅日本食堂の狭いテーブルに着いて、昼食を摂った。
そして文明堂のカステラを買って近鉄奈良線に乗った。
電車の窓からは東寺の塔が薄く霞んでその輪郭だけが明るい灰色の空に切り絵染みてくっきりと見えていた。
窓近くに緑の見えるいくつかの小さな駅に停まりながら奈良に近づいていった。
奈良駅鉄道売店で二人はマムシドリンクを飲んだ。駅前の一本の柳が青々と糸を垂れて風に揺れていた。
タクシーで新薬師寺まで行くと、そこは桜井市へと続く、山辺の道(やまのべのみち)の起点であった。
画架を立てた男が一人、まだ褐色の小さな叢に立って、近くの山を描いていた。
この辺りの山も青垣山と云う呼称を持つのであろうか、緩い伸びやかな弧を描いた山である。
ほんの少し青空が見え、道端には、紫の小さな花が咲いていた。
白毫寺(びゃくごうじ)辺りへ向かう数人の女性に尋ねると、カラスノエンドウだと云う。
山辺の道は、右へ折れてからまっすぐに進む、それをすぐ左へ入った。鯉幟(こいのぼり)の立った竹垣の家であった。
黒田さんは空を見た。あっ鯉幟だと僕は話しかけたが返事は無かった。
ここで、彼は先生にお会いする心の準備をしたのであろう。僕にはそう云う、緊張感は無かった。
玄関には、既に我々二人の客を待って二足のスリッパが置かれていた。
玄関脇のテーブルを据えた六畳間に通されると、
どこからかひょろひょろとくたくたの和服に寝巻風の帯を結んだ先生が廊下に現れて、テーブルの前にストンと座られた。
挨拶をするとすぐに、『今日はどう云う御用件でおいでになりましたか。』と僕に向かって尋ねられた。
僕は、今度黒田さんとイタリアへ行くことになりました。
私も数学をやっているので、心構えを伺いに参りました、とお答えした。
しかし、この時、それまでは何となく黒田さんの陰で話を聞こうと云う、野次馬的な心の置きどころから、
一転して先生と一対一で話さねばならんのだなと云う一種のオソロシイ想念が走った。
それでは、あなたはイタリアへどう云う数学の勉強に行かれるのですかと尋ねられた。
僕は、E.E.Leviと云う人の数学が好きです。
出来れば、そう云う数学を自分もしたいと思っています。
どうしたらそれが出来るか、イタリアで向こうの数学を見て勉強してこようと思います。と答えた。
すぐ次に、それではあなたは自然数とは何かお分りですか?と尋ねられた。
背筋に冷たいものが伝わった。頭を垂れ、やばいと思いつつ、分りませんと答えた。
『たわけ者!』途端に一喝が飛んだ。
『思い上がった奴だ。自分の分を知るんだな。』僕は、おろおろして、ああこいつは駄目だと思った。
イタリアだフランスだと、西洋を真似ていればそれで良いと思っている。とんでもないことだ。と云われる。
僕は、これはもう追い返されるかも知れんなあと思いつつ、
申し訳ありません、僕はまだほんの駆け出しで、どうやって数学をやったら良いのか分りません。
どうかその第一歩の所を教えて下さい。と謝りつつ食い下がった。
どうやらその場は矛を収められ、
『日本は高い、西洋は低い。』と強く一喝され、暫らく間を置いて、
『この世界に物質と云うものは存在しません。』と仰られた。
先生は和服を骨ばかりの体に着て、長く伸びた爪が湾曲して伸びて、
半円を描いて指の腹に達する程になっているその指に紙巻き煙草を弄ばれてお話をされていた。
煙草の葉が膝の上にこぼれてゆくのを僕は眺めていた。
庭先にはチューリップが咲き、縁先の藤棚には藤の房が垂れていた。
それから、先生は世界は心によって創られていること。
その心はいくつかの彩りを持って創られていて、第七番目から第十五番目までに分けられること。
人の魂は、このいずれかの彩りを持って、時に人の形となって現れることを話された。
人の五感の世界、そしてそれらに対する意識(第六番の世界)、
合わせて、例えば般若心経で眼耳鼻舌身意(かんにびぜっしんい)と云われているこれら六つの心は直接的な感覚の世界である。
人はこれらを統御して生活している故、通常人の一番低い心の段階を第七識と云う。
序に、この第七識の世界も、上層、中層、下層と分けられるが、それは後のこととする。
そして、次々と心の階梯(かいてい)があって、最後のものを第十五識とする。
ところが人の魂は一度この世に生まれたならば、どの彩りを持って輝くかは自ずから定まっている。
金はどう光っても金、鉛はどう光っても鉛なのである。
しからば、人の努力とは一体何であろうか?
我々は、天上の創造が人の身体を以てこの世界に下した一時の魂の修業者である。鉛の衣装を纏った修行者も天は不可欠としている。
我々は、鉛は鉛でこの世を精一杯生きるより無いのである。
そして、その精一杯の努力は次の世で一段階だけ位階を踏んで銀となるのだと云う様に話されていった。
なお、先生ご自身は“天上の創造”ではなく“天の造化”と云われている筈だと、三上昭洋(みかみあきひろ)さんにご指摘戴いた。
僕は“創造”と云う言葉にいつの間にか置き換えていた訳で、この言葉の変化が、僕が先生のお話を理解しているその程度をよく表している。
先生の“造化”と云う、
直接的な一種の優しさまでを含んだ一つの眼差しの様な響きを僕は捨象して、
観念的な“創造”としてしか自分の中に取り込んでいないと云うことがよく分る。
先生はその頃、毎日学生のレポートの作文に目を通されていて、その年の三千を超える作文のレポートを既に大半読み終えていた様であった。
背にしていた襖をさっと開けられると、そこは仕事部屋の様で、段ボールに入って整理された作文の山が目に入った。
先生はその部屋から一枚の紙片と一つの風呂敷包みを持って来られた。
既に読んだ作文を第七識から第十五識に分類し、各段階の作文の数を、その紙片に正を作って書き取ってあった。
風呂敷包みは、各段階の例となるものを集めたものだった。
その包みを広げて、一番上の一つを取って、僕に渡され、読めるかとお尋ねになった。
僕も度胸を据えて、読めますと答えた。四百字詰の原稿用紙六枚のレポートであった。
そして、5~6cmの厚さに積んである他のレポートの方をちらと横目で見る。
これは長い戦いになる、と感じ、全部お読みしますかと尋ねた。
先生は、僕の怯んだのを見逃さず、
『そんな根気の無いことでどうする!』とまた一喝される。
ああこれで追い返されるのかと思いつつまた申し訳ありませんと頭を下げた。
『お前はヤングだな。君はそんなに急ぐ必要があるのですか。』と云われた。
その時まで僕は人と人が会って話をすると云うことを、一種の慌ただしいものと考えていた。
相手の話に一々云々と条件反射的に頷き、その隙を突いて口早に自分の云いたいことを云う、
僕にとって対話と云うのは、そう云う存在の表層での行為だった。
僕が、いいえと答えると、
『全部読むんだ、そうしないで、どうしてそれを書いた人間を理解出来るか。』と烈しく仰った。
この言葉に僕は胸を突かれた。先生が三千に余る学生の作文を二カ月間かかって一つ一つ丁寧に読んでおられることに思い至った。
題『我嫌悪ス、故ニ我在リ』
僕は、題名を読み上げる。ここで、これは第七識下層の例であると云う先生のコメントが入ったと思う。
そして先生に促されて、また読み続ける。
“朝起きる。カーテンの隙間から差し込む陽の中に細菌の様なホコリが舞っている、…”
それは、錯雑とした末梢神経的な苛立ち、現実への厭悪を語った文章だった。少し読み進むとまた先生のコメントが入った。
そのコメントはポツリと話し出される一語で始まり、その一語から、また次の一語が紡ぎ出される。
そして、どこで話が終ったのか判然としない。
ずっと待っていると、読めと促される。
こんな風に二、三度コメントが入る。
読み辛くてしょうが無い。一生懸命読んで、調子が出て来た頃にコメントが入る。
えい、面倒だ、このジジイは一人で何か呟いているだけなのかも知れんと思って、これを無視して委細構わず読み続けた。
僕にとって、それは丁度セミナーの時に、話し手が他のメンバーの挟んだコメントを無視して論旨を展開させてゆく様な感じだった。
『馬鹿者!お前は人の話を聴かんのか!』と、痛罵される。
ああこれでお終いだと、観念した。
そんなしょっちゅうこちょこちょ云われたんではこっちだってやり辛くてしょうが無い、そう云う思いが僕の方にだってあった。
兎も角、この人が何を云おうとしているのか、その核心に迫るまでは粘ろう。
追い出されたら、門の前に坐り込んで粘ろう。
そう密かに決心して、また先生に三度申し訳ありませんと謝った。
その時、僕はまだ先生の『時』と云うものが理解出来ていなかった。
僕は生まれてこの方、明治以後の西欧近代の知性をモデルにした精神構造の上に戦後民主主義を乗っけると云う、
そう云う思惟の図式のみで自分の脳髄を統禦(とうぎょ)してきた。
それによれば、思考は明晰な論理展開を伴っているべきである。
そしてまた、それ故に言葉となった思想は、会話する人間の個的存在とは独立に自立した存在である。
つまり、“ピタゴラスの定理、オカ・コヒアランス定理は、発見者から独立な事実である。”
この“”を僕は全く自明のこととしていた。
しかし、その時僕は別の思惟形態、全く異質の時の経過によって紡ぎ出されてくる言葉に邂逅していたのだった。
それは、こんな風に感じられた。
先生が僕の朗読を聴いて、まずふっと一つの印象を受ける。
そして一つの言葉が発せられる。
そして、その言葉が先生の内部で熟してまた次の言葉へと飛び石を飛ぶ様に移る。
そうして瞬間瞬間に思惟の雲海が渦を巻いて生成されてゆく。
それがたまたま、言葉となって山並みを越えて、平地の方へ千切れてやって来る。
そのために、一つ一つの言葉はその場で生まれた瑞々しさを持っている。
この言葉の異常な光芒、先生の『時』の瞬間瞬間の緊密な鮮烈、それは、その場で直に感じるより他に伝える術が無い。
僕は、謝りに、謝って、続きを読ませて戴く。
先生は察智して、作文を読んでいると思うな、自分の話を聴いていて、合間に作文を読んでいると思え。と注意された。
この注意一つでずっと読み易くなった。
その内に先生が奥様を呼んで、三上はいるか、とお尋ねになる。
僕が作文を一つ読み終える頃、庭の掃除をしていた三十位の男の人が入って来る。
先生はこの三上と云う人に
『こいつは三半規管で文章を読んでいるから聴いてもちっとも分らん。お前代われ』と云われ、僕は朗読の役を降ろされた。
三半規管で文章を読むとはどう云うことだろうか?
今考えてみると、僕はこの作文を一つの譜面の様にして何か楽器を弾く様に読むべきだったのだと思う。
先生がその演奏を聴いて、そこにある調べを検討することが出来る様に。
しかし、第七識中層以下と云う技術的な文章を先生の前でいきなり読まされて、
僕はこの作文の響きが出ない様にと一生懸命NHKのアナウンサーの様に読んでいた。
先生は、全部ぼっちと云う表現を面白がられて、
第七識と云うのは、こんな風に理由無く唐突なものを作り出せる世界ですと云うことも話されていた。
先生はこの“三半規管”に対し“三半規管以外の内耳”で話を聴きそして文章を読まなくてはならないと仰った。
今思うに、三半規管で読むと云うのは、新聞記事を読む様に、その文章が示している事実関係のみに着目して読むと云うことで、
数学の論文を読む時は往々そう云う風になっている。
次からは三上さんの朗読になる。
題『成人を迎えて』
第七識中層の例である。
二十歳になって、今までの自分を反省し、勉強を一生懸命にやり、そして家業の手伝いもして、
社会のため、両親のため、自分自身のために生きようと云う趣旨が展開されている。
コピー用紙に数学やる時の楽しさは異常
590 132人目の素数さん [sage] 2016/10/04(火) 23:47:42.70 ID:1ggjlupE
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数学は、ノートよりも、コピー用紙(PPC)が良い
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591 ¥ ◆2VB8wsVUoo [age] 2016/10/04(火) 23:50:39.66 ID:ZaAz6bOT
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岡潔賞
題『人間の自己疎外とその克服』
“我々が人間的な意味合いにおいて、本来的なものとして希求し追い求めるのは、
頭の中だけでしか意味を持ち得ない、云わば机上の学問と云うべき、死せる学問ではない。
既成の価値観を鵜呑みにしない、
創造的な生き方を可能にするところの、『生ける学問』であり、その生きた知識を十分に活用出来る職業を見つけることでもある。
究極的にはこの様な問題を心からぶつけて話し合える友人また同様な意味における家人そして家と云う存在を、
自らが意志的に獲得することであり、
結局的にはこの様な問題の解決を不可知なものとしないところの、
その解決を可能なる範疇に許容する社会なのである。…”と述べられる。
一方我々の実際の社会は、この求められている社会とは遠く、そのことを疎外と云う言葉で捉えている。
そして、この疎外の問題へのいくつかの接近を、
ゲオルク・ジンメル、テンニース、マルクス、ギュンター・アンデルスと云う人達の考えによって試みる。
“しかし我々は自らの発意によって、我々への疎外の形態に対して、闘争を挑まなければならない。
何故なら、我々自身が、より高次なる、自らが真に希求する人間らしい生存を現実のものとしようとする希望と努力を、
自らの意志に確認したからである。
そしてまた、その目標は、自己のみ、一人だけのものとは留まらず、
この闘争に参加するであろう多くの現代人にとって共通の基本条件を持っている。
自己のみの利害で行動空間を自覚するのは、疎外された形態への逆行に他ならない。”と述べ、以下の様に結論される。
“具体的可能性は社会と云う範囲においての政治的なあるいは経済的な、動的な問題から、
現代社会の持つ、人間性を圧迫する問題性の本質へと迫り実証的な方向において、実行を伴った闘争を自らの能力において、
地道に持続することの他あるまいと確信する。”
これが、第七識中層、自我の世界から、更に下の第七識下層と云う世界(現代社会)を見ているとの注があった。
題『人間は何故に生きるか』
先生のコメントがあり、作文の冒頭の様に質問されて、おろおろすると云う書き方をしている故、
この筆者は女性であることが分る、と仰られた。
そして、このレポートは、この質問の答えを模索する形で進行し、結ばれる。
これを先生は、
次の段階即ち、小我を脱した心の世界、その世界をおぼろげに感じ取った、初覚の意識を描いたものとし、第七識上層であると指摘された。
先生は、人が新しい世界を発見してゆく時、初覚し、認識し、自覚すると云う三段階を経て完全なものになると考えられている。
言葉で云うならば、初覚はあるものが存在すると云う予感あるいは直観の様なもの、
あると定かには云えないがある、そのあるものに心を澄ませると惹かれてゆく、そう云う段階であろう。
1902年の二変数冪級数(にへんすうべききゅうすう)についてのFabryの定理などはこれに当たるのであろうか。
“この発見は多変数函数の固有な分野の発展に対して、最初に投げられた淡い光の様である。”とこの定理を指して云っておられたと云う
(『数学の歩み』西野利雄『岡先生の研究について』による)。
そして、認識の段階とは、それがもう疑念の余地無くはっきりとある。
これがそうだと云う様に、言葉で指摘しうる程に明らかになった状態を云う。
自覚とは、いつでもその世界を他の助け無しに自分の力で現出させ、展開することが可能になった段階を指して云う。
さて、前の作文が何故、第七識中層なのか、
先生によれば、第七識とは自我と物質的世界観の心である。
小我の世界である。仏教はこの小我を脱するところまでを教えてくれている。
西洋の文化は原則的に、第七識で作られている。
アメリカなどはほとんどそれだけであり、ほとんど文化は無く文明だけである。
ヨーロッパではキリスト教が入っている分だけまだましであると云う意味のことを先生は云われた。
畢竟第七識を考察することは、西洋を考察することである。
西洋はつまるところ、ギリシャとキリスト教である。
その両者を貫いているものは、ロゴス即ち世界の内的必然性へ向かおうとする人間の意志である。
この意志がある時は、ライプニッツやヘーゲルの様な形で世界を一つの思弁的模型として理解する。
その様な、悟性を以て認識する心の例として、先生はこの作文を置かれたのではないかと僕は思っている。
この第七識が僕の躓きの石である。数学を通じて僕は小我から離れる修業をしたい。
それでは、小我無き世界、自他の別無き世界と云うのはどの様なものなのだろう。先生の文章を引用させて戴く。
“幼児の生い立ちを見ると、情緒のメロディーは一人一人皆異なった彩りを持っている。
幼児はそのメロディーを創るのに実に骨を折っている。
私は四月生まれなので、四月生まれを例に採ると、数え年の一歳は全くそれに掛かりきって、最も基本的なものを用意している。
二歳、三歳ではいろいろな仕草や言葉を繰り返すことによって、メロディーをはっきりとした形に残そうとしている。
このメロディーが一人一人皆異なっている。
性格を創るのは環境だとか、遺伝だとか云うけれども、そんな、今そこにあるもので説明出来るものではない。
幼児がそのメロディーの彩りを取ってくるのは、そんな、三次元的な世界からではない。
『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』の世界、無差別智の大海から取ってくるのだ。
このメロディーが生命なのだから、生命は肉体が滅びたりまたそれが出来たりと云った時空の枠内の出来事とは全く無関係に存在し続けるものである。
そして人類が向上すると云うのは、無限の時間に向かってこのメロディーが深まってゆくことに他ならない。”
題『おなかのすいた世界』
先生はこれを第八識、即ち小我無き世界を認識したものと指摘された。
何故これがそう指摘されるのか、今二年の後この作文を読み返した時、僕は奇妙な感じがした。
わずか四百字詰原稿用紙二枚半の素っ気ないレポートに、それだけのものがどうして読み取れるのだろうか?
前の作文では、
“そこに人間の価値がある様に思われる。これは虚言でもなければ、虚構でもない、人間はこうあるべきものであると思う。”と云う一種の強意、
もし云えるなら気負い、その様なものがある。
そして
“何か神聖なものが、人間の中に生まれながらにして潜在している様に思われるのである。”と云う、
漠とした言葉によって永遠性への繋がりを垣間見ている。
それに比べ、この作文は明瞭で具体的に対象を捉えている。
そして、今僕は感じるが、この作文には一種の澄んだ調子がある。
道徳的規範から自由であってそれでいて世界への共感がある。
もしこれが『世界の食糧危機』とか、
『バングラデシュへ救済の手を』と云う様な題によって想像される内容の作文であったなら、
第八識には入らないのであろう。
この辺りまで来て、僕は先生の精緻な観察によって指摘されてゆく、
一つ一つの心の彩りの多様さ、それが一段一段と明るくなってゆく様が鏡に次々と映し出される様な思いをしていた。
これは大変な人の世の模型を見せてもらっているのだと思い始めた。
“自我を自分と思っていると、自分は肉体が死ねば死ぬものとしか思えない。
また死に対する恐ろしさを必ず感じる。
これに対して真我が自分だと分ると、悠久感が伴い、実際の季節の如何に拘わらず、春の季節感が必ず伴う。
この真我が前に云った生命のことなのである。
幼児の生い立ちを見ると、情緒のメロディーは一人一人皆異なった彩りを持っている。
幼児はそのメロディーを創るのに実に骨を折っている。
私は四月生まれなので、四月生まれを例に採ると、数え年の一歳は全くそれに掛かりきって、最も基本的なものを用意している。
二歳、三歳ではいろいろな仕草や言葉を繰り返すことによって、メロディーをはっきりとした形に残そうとしている。
このメロディーが一人一人皆異なっている。
性格を創るのは環境だとか、遺伝だとか云うけれども、そんな、今そこにあるもので説明出来るものではない。
幼児がそのメロディーの彩りを取ってくるのは、そんな、三次元的な世界からではない。
『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』の世界、無差別智の大海から取ってくるのだ。
このメロディーが生命なのだから、生命は肉体が滅びたりまたそれが出来たりと云った時空の枠内の出来事とは全く無関係に存在し続けるものである。
そして人類が向上すると云うのは、無限の時間に向かってこのメロディーが深まってゆくことに他ならない。”
題『おなかのすいた世界』
先生はこれを第八識、即ち小我無き世界を認識したものと指摘された。
何故これがそう指摘されるのか、今二年の後この作文を読み返した時、僕は奇妙な感じがした。
わずか四百字詰原稿用紙二枚半の素っ気ないレポートに、それだけのものがどうして読み取れるのだろうか?
前の作文では、
“そこに人間の価値がある様に思われる。これは虚言でもなければ、虚構でもない、人間はこうあるべきものであると思う。”と云う一種の強意、
もし云えるなら気負い、その様なものがある。
そして
“何か神聖なものが、人間の中に生まれながらにして潜在している様に思われるのである。”と云う、
漠とした言葉によって永遠性への繋がりを垣間見ている。
それに比べ、この作文は明瞭で具体的に対象を捉えている。
そして、今僕は感じるが、この作文には一種の澄んだ調子がある。
道徳的規範から自由であってそれでいて世界への共感がある。
もしこれが『世界の食糧危機』とか、
『バングラデシュへ救済の手を』と云う様な題によって想像される内容の作文であったなら、
第八識には入らないのであろう。
この辺りまで来て、僕は先生の精緻な観察によって指摘されてゆく、
一つ一つの心の彩りの多様さ、それが一段一段と明るくなってゆく様が鏡に次々と映し出される様な思いをしていた。
これは大変な人の世の模型を見せてもらっているのだと思い始めた。
題『日本人の原点』
先生はこれを第九識、即ち小我無き世界を自覚したものと指摘された。これを僕なりに解釈してゆく。
ここでは、個を超えた、そして当然時間をも超えた、情緒共同体としての日本と云う、歴史的主体が意識的に語られている。
それは別に権力によって、或いは様式化された国家宗教によって枠付けされた日本と云う一つの政治共同体を指しているのではない。
また、あえて云えば、万葉、古今、新古今、芭蕉と云う日本韻文学の系列の中で創られた美意識を指しているのでもない。
神社や教会で結婚式をして、寺院で葬式をやると云う様に、常に恐ろしく思想的節操を欠いた行動様式を採る我々の共同体。
しかしながら、幼年時代、少年時代と云う言葉の中から浮かび上がってくるこの共同体への強烈な懐かしさ。
石川啄木がかつて地理的な遠さ故に歌い出した、
病の如 思郷の心 湧く日なり 目に青空の 煙悲しも
の一首は、僕にとって歴史的な遠さを以て、懐郷の情の中核にある。
柳田國男が『日本の祭』と云う著作の中で語り出している、西洋式の学問の上には載らない、
むしろそう云うものによって死に絶え、或いは死に瀕しているところの、
我々の歴史共同体が持っていたいくつもの風俗習慣とそれに伴う雰囲気、そして人々の春の黒土の様な優しさ。
それを日本と呼ぶべきではあるまいか。
祖先神と山河への慎ましい畏怖より他に、具象化された神も、明文化された規範も無く、暗さから自由な宗教的情操。
それだけが実在するのであって、我々の個的な存在がこの世界で生きると云うことは、
この実在の春に対して一輪の花の様なものではあるまいか。
秋の日の午後僕は浜金谷と云う田舎町の駅に降りた。
そして駅前の雑貨店に入って牛乳を飲んだ時に現れた店のおばさんの静かな優しい顔に、
もう既にマクドナルドの売り子少女からは失われているこの故郷の花を見つけた。
題『最大の愛』
先生は信時潔(のぶとききよし)の曲の様に書き出されるこの作文を第十識、即ち心の世界を初覚するものとされている。
そして、文章はところどころ変だが文意は皆良いとのコメントが入った。
第七識上層から第九識までは、小我無き世界を描いてきた。これは先生によれば仏教特に禅が指し示してきた世界であると云う。
しかしながら仏教の中では、衆生済度と云い行往坐臥、喫茶喫飯是仏道と云いながら、それはスローガンに終わっている。
そして、人の心を等閑にしていると云う風に云われていた。
人が人の心を理解すること、或いは人が人の世を一つの調べとして感じ取る働き、これは仏教より上にある心の世界であるとされ、
第十識から第十二識までは、その世界を描くことになる。
今考えるに、先生が三千に余る学生の作文を一つ一つ丹念に読んでいること。
突然お邪魔した見知らぬ不届きな男に、全く手を抜くこと無くお話をされていること。
そう云うことが、テーゼだけを立てて、方法論を持たないやり方に対しての具体的な対置であることがよく分ってくる。
後に述べることになるけれど、先生は目の前に坐った人間が、どう云う心の有様かと云うことを、的確に見極め、
こっちがそのつもりになると、一つ一つその現在の有様をどうしたら一段高めることが出来るかを、きちんとお話になっている。
しかし、それを一般的な批評だと思って聞き流せば、それはそう云う聞き方も出来る。
だからこっちから質問してゆけば、恐ろしい確かさで答えが返ってくる。
僕は禅の老師とお話をした時にも、そう云う思いをしたことがあるが、この人のは全然密度が違う。
何故一面識も無い人間の心を、寸分の狂いも無く知ることが出来るのであろうか。
第十識から第十二識までは、そう云う人の心を察智するための修業の世界を描いている。
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602 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/10/29(土) 13:26:38.96 ID:GG1HSXYD
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603 132人目の素数さん 2016/11/14(月) 17:17:50.61 ID:mshIyOUs
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604 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/11/14(月) 17:36:41.30 ID:JaV5hWGY
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>544 名前:132人目の素数さん :2016/11/10(木) 14:51:03.66 ID:Q64a0U8Q
> 違う貧民の総意
> 貧民は手玉に取られたのだ
>
>545 名前:132人目の素数さん :2016/11/10(木) 18:31:02.97 ID:XWS/rnm/
> メディアの政治操作を許さない民主主義の保全システムが
> 目的通りに完全に機能したのがすごい
>
>546 名前:¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/11/10(木) 18:37:05.74 ID:6c0BrRUL
> メディアとかお上を鵜呑みにするどっかの馬鹿国民とは大違いですわ。
>
> ¥
>
>547 名前:¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/11/10(木) 19:46:32.78 ID:6c0BrRUL
> 貧民の総意を汲んだらアカンのや、なるほどナ。そらァ自民党が喜ぶわサ。
>
> ケケケ¥
>
>548 名前:¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/11/10(木) 19:52:21.65 ID:6c0BrRUL
> しかも貧民を手玉に取ってもアカンのかいな。ほしたら共産党とか、また
> かつての民主党とかはどないしたらエエのや。エライこっちゃwww
>
> コココ¥
>
>549 名前:貧民 ◆2VB8wsVUoo :2016/11/10(木) 20:00:41.60 ID:6c0BrRUL
> 貧民
>
¥
606 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2016/11/14(月) 19:18:31.92 ID:JaV5hWGY
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題『詩の心と絵の心』
初覚の段階においては、
観念的にそれと意識されていた心の世界、
と云うよりむしろ世界が魂のみによって造られていること、
愛と云う抽象的名詞で語られていたことが、
ここでは蕪村の三つの俳画と云う対象を通して、
より明瞭に語られている。
僕がこの作文をいきなり読んでも、勿論何ら特別の意味を見出し得ないだろう。
しかし、岡先生の前、机を隔てて数十cmの位置、
その四月の薄曇りの藤の花のしだれ咲く庭に面した六畳間の世界でこの作文が朗読されていた。
その時、確かにこれが前に朗読された一文より、より一段明るく軽やかな響きを持つことが、
不思議なバッハのマニフィカートを聴く様な強制的な喜びを伴って伝わってきた。
今この文章を読むと、往々芭蕉との対比において、芭蕉の句が心的世界を深い地点で的確に捉えているのに対し、
蕪村の句が一般に思い付きや、措辞(そじ)の巧妙さや形態的な景色の感覚に流れると云う様に、否定的に一段劣った面が云われている。
しかしこの筆者は蕪村の良い面を捉えて、
蕪村の面目、華やかであるけれど、例えば『春風馬堤曲』に見られる様な、根にある郷愁を見落とさず、
よく蕪村の人を感じ取っていると云う風にも僕には理解出来る。
これは、この作文についてのお話が済んだ後のことである。
先生は、あなたは初めに数学者としての第一歩の心構えをお尋ねになりましたが、数学をやるには心が大切です。
数学を理解しようとするよりも、数学を創った人の心を理解する様にしなさい。
それには芭蕉を読むのが良いのですと話して下さった。
今その話を思い出す。
そして、三つの俳画を眺めて、蕪村と云う一人の詩人の心について、
これだけのことが浮き上がってくる程になったなら、
この詩人の魂をよく感知し得たと云うことが出来るだろう。
僕の数学も何とかこの位に出来ないだろうかと思う。
かつて僕は、数学は芭蕉の連句の様な心の遊びでやるものである。と間接的にお聴きした。それは次の様な意味であったと思う。
自分で数学を創ってゆく時、その数学の世界を心の連なりとして一つの連句の様に見做す。
そして、次の自分の仕事を踏み出す展開の方向を一つの付句と考えて思案する。
そこまではなかなか出来ないので、僕は上の様に考えることによって、
少なくとも自分の数学が、数学の全体と関わる契機を失って閉ざされた世界に留まり、
進むに従って貧しくなってゆくことの無い様心がけたいと思っている。
もう一つは、一つの新しい数学の世界を理解しようとする時、
一つ一つの定理を論理的に追って教科書を読めば済むのではなく、
それを創っていった人の工夫の跡を手繰って、その様を自分で再現し、
どこまでが自明なことで、何が本質的な発見か知らねばならないと云う。
そして遂にその世界が自分の掌に乗った如くに明らかになるのだと云う。
論理だけで理解したものはすぐに忘れてしまうが、
心の連鎖で捉えた発見者の魂は消えない。
この様な理解の仕方が、
連句一巻をその付味によって記憶しておくやり方とか、
自分の打った一局の碁を並べ直すことが出来るとか云うことと繋がっていることが、
朧げに僕には納得出来る。
また、人の仕事を真似ると云うことがしばしばあるけれども、
必ずその人の心の真似をするのであって決して技を真似てはならない、ともお聴きした。
芭蕉は、蕉風以前の連歌の付句の作法(物付け)に対して、彼の匂い付きを以てその様式を決定付けた。
匂い付きの数学をせよと先生は云っておられるのだと僕は考えている。
また、数学は向上心も真情も持って生きている。
人は数学をする時、その数学の向上心と真情とに自分を投入するのであって、
そこにおいては人の自由と云うものは無い、と云う意味のことも西野利雄先生を通じてお聴きした。
そして、岡先生が、この様な世界で味わう数学の醍醐味を、直趣無上菩提と云う言葉に託されていたと云うことも。
序に、ここで西野利雄先生を通じてお聴きした岡先生の言葉で数学の要諦となる様なことをいくつか書いてみる。
勿論、僕が勝手に記憶して自分流に考えていることなので、間違って受け取っている可能性がある。
また、僕の記憶違いで岡先生のではなく西野先生自身で考案されたものもあるかもしれない。
一。自分の数学が数学全体に対してどう云う位置を占めているのか、
そしてその数学は人の文化全体の中で、どの様な意味を持っているのかを明瞭に意識していなければならない。
一。創作者は源頭の地に立ち還る。
今、眼前にある数学の流れに目を奪われて、何ら自覚せず流れに従って下流へ行く様な安易な態度を以て数学をしてはならない。
一つの数学の世界の姿は、発展され尽くした末ではなく初発の地点で捉えた時、より鮮明に生成の息吹を知ることが出来る。
一。自分の数学史を持て。
遠景は簡潔に、近景になるに従って精緻に描け。
一。数学は心躍って語れ。
当面立ち向かうべき問題の有無などに拘泥せず、自分の内心の声に耳を傾け、そこにおいて心惹かれる地へと向かえ。
一。観念的な問題を考えるな。
何らかの尤もらしい理由によって、ある結論が予測される時、これを第一着手と云う。
第一着手の無い問題が観念的なのである。
一。人は自分の数学を一気に理想の姿にするのではなく、
その時、その時で可能な限りの努力をして、一歩ずつ数学の姿を良くしてゆくのである。
一。問題を解くことが数学をすることではない。
数学的自然を調べ、その風景をより良く描こうとすれば必然的に問題を解かねばならなくなるのである。
そしてまた、解くべき問題の周囲にある自然の様子が明らかになれば、問題は自ずから解けてくるのである。
他に数学の具体的な局面ごとにお聴きした言葉があるが割愛する。
例えば、或る一つの手段、補助学を自分の数学に使うかどうか、それははっきり決断しなくてはならない。
そして、一度検討して使わないと決したなら、手足を断じて用いざるが如くせよ、と云う意味のことをお聴きした。
こうして、僕は、先生が数学を東洋独自の文化として、単に第九識から日本と云うものを捉えるだけでなく、
世界観から数学の細部の方法論まで、芭蕉の言葉を使えば、金を打ち延べた様にして創り上げたのを、
そう云う言葉の数々から窺い知ることが出来る。
再び作文の朗読に戻る。
題『御所人形哀話』
岡先生はこの文章を第十二識が現れたものと指摘された。
これは、人が物質の制約の下にあって達しうる究極の段階である。
この文章の朗読が終って、コメントが入った。
前の作文においては、眼前に蕪村の絵が出て来て、それによって筆者は蕪村の心を手繰っていった。
手繰ることが出来たのは、その人が人の心を何たるかを確かに認識しているからである。
それに対しこの作文では、作者にはっきりとした観察の対象が眼前にあるのではない。
例えば、『比丘尼御所』と云う尼寺の境内を訪れた経験から、
その場に漂っている気配を察知し、その気配を自分の中で凝縮させていって、
一つの心の世界を招き寄せ、それを描いてみせているのである。
そして、特に
“美しく仕上げられているにも拘わらず、…、きっとそれは皇女達がフッと漏らしたであろう溜息のせいかもしれません。”の一節について、
遂に心の世界を自覚するなら、この様にあるか無きかの微かな調べをはっきり聴き分け、描き出すことが出来る様になると云われた。
こうして、世界模型が一つ一つ屈折面を変えて、映し出されていった。
先生のお話は論理によって組み立てられているのではない。
常套句とは別格の、
ただただ坐り続け、
胡坐を掻いたり膝を抱えたりしながら精神を集中させ、
先生の思索の凝縮から発せられる烈しい言葉の一語一語に聴き入っているなら、
一つの言葉と次の言葉との繋がりを必然として納得させられてくる不思議な、
魂の文法であった。
先生は数学の世界を離れてから、人の心の世界そのものを調べることに向かわれたものと思う。
そして、そこでも直趣と云うものを捉える別誂え(べつあつらえ)をされたのだろう。
こうして、人をして語らしめた文章を丁寧に検討され、
その語る心がどの様なものかを見定めて、それがよく看取されるものを選んで、
動かし様の無い配列の下にこうしてここまで作文を示された。
これは、人の世の只中から取り上げられた生きた心の姿である。一体誰がこの様な鮮やかな方法で世界の記述を試みただろうか。
題『人間をつくったもの』
先生はこれを第十三識の現れたものと指摘された。
ここからは現象世界を離れる、つまり一人一人の生死を超えた悠久の世界、造化の意志の直接的な発現によって造られる世界である。
第十二識から第十三識に至る段階が非常に大変であると話され、
先生自身二十八歳で第十二識の段階に達し、以後十七年を掛けて第十三識に至ることが出来たと云われた。
この年数には、僕の記憶違いがあるかもしれないが第六論文から第七論文に進まれた時期に対応している。
そして、この現象世界を超えることはどう云うことであるかと云うと、芭蕉に
山路来て 何やらゆかし 菫草
の一句があるが、この句のゆかしと云う部分だけを取り出すことが第十二識から第十三識に昇ることであると説明された。
そして大体に於いて芭蕉の句(連句、発句とも)は第十二識に基づいており、
蕉門であればやはり、多くの場合そこまで達していると後に云われた。
造化は地球に住まわせているが、この地上ではどうしても駄目だと云うことになれば、
いつでも地上の魂を別の天体に移して、やり直すであろう。
その時には、低い識は捨てられて、高い識だけを移して別の物質的装いの下に新しい人の世を造るのであろうと話された。
不眠症の秋の一夜、僕は西行の歌
人は来で 風の景色も 更けぬるに 僅かに雁の 訪れてゆく
を布団の中で思い浮かべていると、この僅かにと云う言葉の重さが分ってきた。
確かにこの歌の心は、この一つの言葉に凝縮されている。そして、先生のここの所の説明が、僕なりに少し分った様に感じた。
秋風や、雁はこの世界の情景である。しかし、僅かには透明な世界にある。
もし必要ならば、この僅かには、非常に困難ではあるが、
秋の夜の雁を配した待恋とは別の道具立ての下に再現されることは、あり得ることである。
しかし、そう云うことを数学において実際にやってみると云うのは、途轍も無いことだなあと思ってしまう。
さて、この第十三識はその世界の初覚に当たる。
この造化の意志の直接的表現の世界は悲願と感受の二つに分けられる。
男性的な心の結晶する所を悲願、女性的な心の究極的な姿を感受とされる。
この悲願とはどう云うものであるか。造化の促しを感知してそれに従うと云うことである。
結果を予測してどうこうしたり、
石に齧り付いてもと云う様な根性を以て目的を遂行しようとする心ではなく、
己を空しくして確信した天命を全うする心のことである。
題『私と子供の本』
先生はこれを第十四識、即ち天上界を既に認識したもの、前の悲願の世界に対して感受を描いたものと説明された。
この作文はそれまで示されてきた世界より高いものであることがすぐ分ったけれど、僕にはちょっと戸惑いがあった。
ここには何か異常な美しさが無ければならなかった。
その様なものを密かに期待していた。
しかし朗読された文章は或る意味では全く平凡なものだった。
しかし、何か漠然と、確かにこの様なものが上に来ると云うことも理解された。
第十二識の作文の王朝文学を思わせる御所人形の話によって描かれている心の彩り、それは確かに非常に美しいものではあるけれど、
それがこの世のどん詰まりであるべきでない、ある筈が無いと僕は思うのだ。
先生が、現象世界にある究極の姿と実相界とにこの二つ(第十二識と第十四識)を分けられたことの意味をその時僕はこんな風に感じた。
やはり、天上の世界は、無垢なもの無拘束なもの嬉々として光る生命によるだろう。この文章はそのことを端的に指し示している。
話が前後するが、作文の朗読が第十五識まで済んで、暫らくまだお話を伺った後で、夕飯を黒田さんと二人で一緒にご馳走になっている時、
黒田さんがふと床の間の掛け軸になっている絵に目を停めて、さおりさんにこの絵は何ですかと尋ねた。
それは画用紙を二枚接ぎ合わせた、書き殴った様な妙な絵で、僕は何か変な絵だなあと云う以外何とも思わなかった。
それは『始』と云う先生のお孫さんが、暫らく前に夢中になっている時に描いた飛魚の絵ですと教えて下さった。
さらに先生は、誕生後も発生を繰り返すと云う風に考えていて、この絵の頃、お孫さんは魚類の段階を経過していた。
その魚類の時の心がよく描けているので、こうして掛けてあるとのことだった。
そしてお孫さんが実は、第十五識だと云うことに先生は最近気付かれたのだった。
そう云われると、僕は馬鹿な者で、この絵が俄然光彩を放って見えてくる。
水面一杯に躍っている飛魚の群れ、水面を飛んでいく魚達の姿、それだけが二枚接ぎ合わせの画用紙に所狭しと描かれている。
同じ部屋の襖の上には、熊谷守一さんの蟻の絵があったが、
この蟻さん顔色勿からしめる様な、迸る命の快い奔流がこの飛魚の絵には感じられた。
今も、この絵の細部は思い起こせないが、そこに描かれていた、嬉々として羽ばたく魚達の雰囲気は鮮明に残っている。
題『子供は天才』
これを先生は第十五識、即ち感受の世界を自覚したものとされた。
そして、前の作文が自分の眼前にある対象を一つ一つ叙述していたのに対し、
この作文では、眼前には無い世界を呼び起こし、自分の意識の中でそれを繰り広げていっているのです、と付け加えられた。
野口さんの連接定理本、英訳が出てるね。
ボーナストラックみたいなページが有って笑った。
「岡を越えて」
(作詞:島田芳文)
1.
岡を越えて行こうよ
真澄の空は朗らかに晴れて
たのしいこころ
鳴るは胸の血潮よ
讃えよわが青春(はる)を
いざ行け
遥か希望の岡を越えて
2.
岡を越えて行こうよ
小春の空は麗らかに澄みて
嬉しいこころ
湧くは胸の泉よ
讃えよわが青春を
いざ聞け
遠く希望の鐘は鳴るよ
「春なれや 石の上にも 春の風」
立春も過ぎ、岡先生のご命日も近いです
お参りに行こうかな
https://youtu.be/2q-vGObpa4M
これで、第七識下層から始まった世界模型の解説を終えられ、
今日はあなた方が、イタリアへ今度行かれると云うのでそのための心構えを少し詳しくお話ししたのですと仰られた。
そして前にも書いた様に、数学と云うのは、第九識に当たる。
これは禅と同じ段階で、要するに低い識である。
従って、この第九識の仕事をやり易くするためには第十識以上の心の運びを学ばなくてはいけないと仰られた。
また別の時に、数学とは精神を一点に集中することである。
それが、自然数の一であると仰られた。
そして、その様に精神を一点に集中せしめるものは何か、
それは第十識から先の心であり、その心を養うためには芭蕉をやるのが良いと云う意味のことを云われた。
それから僕が、芭蕉と云うのは発句、連句いずれを指すのですかと尋ねると、蕉門であれば良いのですと仰った。
また僕が、先生は俳句、和歌の類をお聴きになれば、それが第何識で造られたものか、お分りになりますかと尋ねると、
即座に、うんそれはすぐ分ると答えられた。
そこで芭蕉の一句ですがと云って、
朝露に 汚れて涼し 瓜の泥
と云うのは第何識ですかと尋ねると、芭蕉のは大抵第十二識で造られていて、今のもそうですと答えられた。
そこで、僕は大分迷ったが、これは僕のですがと云って、勇を鼓し、しかし恐る恐る
オーボエの 遠音に似たる 入り日見ゆ 渡る長良の 川岸白く
の一首を口にすると、それは第七識上層ですと云われた。
暫らくして、この入り日はあなたの外部にある、と云われ、
ややあってから、僕のこの歌を自分で口に出してみて、
同じ第七識上層なら茂吉はもう少し上手く歌っていると云って、何か茂吉の一首で似た情景のものを口にされた。
しかし、それより僕の歌の方がずっと良いと思って聴いていたので全然記憶に残っていない。
それから先生は黒田さんと暫らく話をされて、
やはり何か黒田さんが尋ねた時、それは第九識ですと云われ、第十識になると必ず諸仏が見えますと云い添えられた。
そうしてお話を伺っている内に夜になって、先生の奥様が夕食を運んで来て下さり、黒田さんと二人でご馳走になった。美味しい夕飯だった。
山椒の葉を蓋の上に載せた澄まし汁が出て来た。
僕はその葉を財布に入れてお守りにしていたのだけれど、ローマからピサへ向かう列車の中で財布ごと掏られてしまった。
そんな訳で先生は我々の相手をしていて巨人戦のテレビ中継を見損ねてしまわれた。
食事を終えて、茶の間のテレビを炬燵に入りながら、先生と一緒に見た。『非情のライセンス』だった。
テレビを見ていると息子さんが入って来られて、『巨人は負けや』と大正義巨人軍の先生に報告されていた。
僕は和菓子を勧められて食べながら、テレビを見ていた。どうぞ召し上がって下さいと先生が勧められた言葉の優しさが忘れられない。
その晩は、春雨村塾と名付けられた、竹内さん、三上さんと云う二人の塾生のいる棟続きの私塾でお酒を飲み、
昼間先生のお話を伺った床の間の部屋で黒田さんと二人で寝た。
その日一日体を硬くして聴いていたのを、ヨガをやって一生懸命解す。
黒田さんは、遠くの蛙の声が聴こえると僕に教えてくれたが、耳を澄ませても何にも僕には聴こえなかった。
僕は第七識上層と認定された自分の意識にあれこれ考えを巡らせ、眠れなかった。
自分のこれまでの三十余年の精神の軌跡の延長線にあるであろう世界と、今日見せられた世界模型とを引き較べ、
この世界模型を一つの妄想、幻想として退けることが出来るかどうか、
そうした時、自分は一体どれだけのものを対置することが出来、どうやって生きてゆくことが出来るのか。
そう云う思案をしていて、深夜になって、やはり自分が今まで進むべきものと考えていた方向、
それがどの様なものか言語化されないけれど、これと自分で分るその方向に行ったのでは駄目なのだと云う結論に達した。
しからばどうするか、また考えに考え、兎も角後戻りをしてゆくことにしようと考えた。
そして二首の歌を作った。この二首を明朝先生に示して、どう云われるか、それによって自分がどう歩き出すかを決めようと決心した。
朝は四月の雨だった。
起きて顔を洗うとすぐ先生が出て来られた。
僕が挨拶をして、一つだけまだ先生にお尋ねしたいことがありますと申し上げると、そうですかと云われて、
顔も洗わず、飯も食わず、ひょろひょろと布団を片付け終ったばかりの部屋に入って、ぺたりと襖を背にした先生の定位置に座られた。
僕も正座して、昨日先生のお話を聴き、晩にいろいろ考えてみました。
結局自分が間違った方向を進んでいると云うことだけが分りました。
これからどっちへ歩き出そうかと迷っています。
そこで、歌を作ってみましたと申し上げた。
そして、こんな風に歩き始めようと思いますが、方向が間違っていたら先生にそう仰って戴きたいのですと申し上げ、
三歳の 童子に教え 乞うて見む このめくらの人を 導いてくれと
背の荷物 降ろしてくれよ 春の野辺
背の荷物 降ろしてくれよ 青柳
と云うのをお伺いした。
すると、最初はそんな風で良いのですと云われた。
直ぐに僕は、畳に手を付き、ありがとうございますと御礼を申し上げた。
先生はなおも続けられ、前の歌はおよそそれで良い、後の方は春の野辺と青柳とがあるが、
それは青柳でなくてはいけないと云われた。
そして、ふと目に留まった様子であなたはいつも荷物を背負った感じをお持ちですかと、
目脂がこびり付いて、片方が糊付けされた状態の目で僕の方を御覧になった。
僕がそうですと答えると、その荷物が何ですかと云われるので、がらくたばっかりの様ですと答える。
そのがらくたに名前を付けたら何ですか?と間髪を入れず切り返される。
うっと詰まって、分りませんと答える。
切って落とす勢いで、それが我執ですときっぱり云われた。
僕は、ばっと座布団を蹴って両手を付き、またありがとうございますと御礼を申し上げた。
涙がはらはらと落ちた。
それから、先生は、自分も数年前胃を切った時、
フリージア 我執捨てんと 思いけり
の一句を作ったことをお話になった。
それから、僕は体が自然と動く様になった。
肩から力が抜けてゆく様になって、僕は便所に行った。小便をしながら、
小窓から見える奈良郊外の近くの山々が春雨に煙って快く緑に息衝いているのを眺めていた。
それから先生は西洋文化が何故日本に較べて二段階低いのかと云うことを話された。
ヨーロッパの文化はモーツァルトの様に天使が降りて来て創ってゆく。
ここでは我執を捨てると云う態度は稀である。
しかしながらキリスト教の影響下にある文化だけが、この我執を離れることが出来る。
古神道は宗教の源泉である。西洋人を救うためにキリストと云う姿で古神道を広めたのであろう。
天は西洋をも見捨てないために、今も何人かの日本人を西洋に配しているに違いない。実際僕は、ピサでスイス人の日本人に会った。
そして、東洋はこの小我を消し去ると云う点で西洋に優っている。
この小我を消すと云うのが仏教であるが、
仏教で云っている衆生済度(しゅじょうさいど)のテーゼは単なるプログラムに終っていて、
きちっとした方法を作っていない。
きちっとした方法で物事をやると云う様なことは、西洋人の方が優れている。
数学はこのきちっとした方法でやることを学ぶには、良い学問であると云う意味のことを云われた。
さらに、東洋においても、人の心を中心に据えて文化を作ってきたのは日本だけである。
その点で日本は東洋より一段高いと云われた。
さて、人はその生まれてきた位より出られないが、心を謙虚にするなら、自分より上にある位がどう云うものかを伺い知ることが出来る。
それによって人は向上するのである。この謙虚さを失えば、人は自分より下にあるものしか見えなくなる。
また、第七識から第十五識に至る精神の階梯を昨日説明したが、これ等は常に上から下、下から上へと往還している。
従っていつでも第七識から自分を点検してゆかねばならない。
執ではなく捨と云う修行法で躓く場合は、古神道を曲解した仏教を鵜呑みにしているのである。
そして、昨日から、その様に思えていたのですが、今ここが内の夢殿ですと仰られた。
続けて、今あなた方は、僕の話を聴いて分ったつもりになっているだろうが、
それは私がテレビの映像の様にしてあなた方にいろいろ見せてあげているからです。
放送が止んでしまえば、また分らなくなりますと仰られた。
また芭蕉のことになり、
憂き我を 寂しがらせよ 閑古鳥
の一句を出され、これは鉛の表面に付いた錆の様な心であるとされ、この錆の付いた表面を削り取ったのが
野晒しの 心に風の 染む身かな
の様になると話された。
暫らくして、前日僕がお尋ねした
朝露に 汚れて涼し 瓜の泥
の一句を呟かれてから、ややあってああいい句だ、僕は今まで気が付かなかったと云われ、
僕に、君は何故この句を例に出して来られたのですかと尋ねられた。
僕は、この句が好きだったからですとお答えした。
あまりに遅くなると云うので、奥さんが我々の朝食を運んで来て下さった。
先生は部屋を出られ、黒田さんと二人で朝食をご馳走になった。
先生がお手洗いに入られ、そのお手洗いの外で女のお孫さんがうろうろしているのを、奥さんが気付いて、我慢出来ると尋ねる。
出来ないと云うので、お爺ちゃんまだですかと内に向かって催促されると、まだやと返事がする。その光景が今以て忘れられない。
食事の後、もうお暇すると云うので、塾の竹内さん、三上さんの所へ伺って少し話をしていると、
先生がふらふらと塾の狭い四畳半か六畳の部屋に入って来て、ぺたりと座り、萩原朔太郎の詩の話を始められる。
そして詩は第十識の理想である美を至上とするものではないと話され、
また悲しみの世界は第七識にあるのでそれも詩ではないと云う意味のことを話され、
すーっと部屋を出て行かれた。
暫らくしてまた、我々の所に現れ、
『生きんとする盲目的意志と悲願・感受は別のものではない』と云われた。
たぶんこのことを、我々に念を押しておく必要を感じて、お出でになったのだと思う。
そして、いつもの様に先生のポツリ、ポツリと思索の飛び石の様なお話が始まり、それでは詩とは何だろうと自分で設問された。そして、
『悲願が詩を感受するのである』と云われた。
僕はやや薄ら寒い春雨の午後の庭を眺め、立て膝を抱えて聴いていた。
では、第九識を重んじることが多い中国に詩はありますかと、僕が尋ねた。
杜甫などが先生の詩の定義に入るかどうか、その詩の領域の境界を見定めたかったからである。
すると、中国には詩と云うものは無い、と一旦答えられ、それでも僕の質問の意を察したのか、
ややあって、しかし蘇東坡の『赤壁の賦』は詩に近いものを持っているなあと付け加えられた。
僕は、この『赤壁の賦』を実際に読んだことは無い。
しかし、例えば、同じ蘇東坡の『石鼓の歌』と云う様なものは目にしたことがある。
それによりおおよその察しを付け、
次に芭蕉や万葉集を引いてこれは詩ですかと尋ねたのではちっとも面白くないので、
この辺だなと目星を付けて、
玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする
の式子内親王の一首を口遊むと、そうですそれが詩ですと肯かれた。
そして、この歌には寄り掛かった所が無いでしょうと、僕の顔を見て云われた。
それは、僕の青柳の一句がまだ寄り掛かりっ放しなのを自分でよく吟味せよと云う意味を込められている様に思えた。
そうしている内に、ふっと腕時計を見て、ああ『愛のシリーズ』が始まりそうやとそそくさと部屋を出て、テレビを見に行かれた。
僕は、炬燵でテレビを見ている先生の所へ、お別れのご挨拶に行くと、
ここで失礼しますと云われ、またどうぞお出で下さいと仰って下さった。
奥様とさおりさん、竹内さん、黒田さんに見送られて、先生のお宅を辞した。
奈良の土塀に沿って歩きながら、一首浮かんだ。
ひらひらと 行き交う人の 少女等の 春の手の平 蝶の語らい
道々、何だこんなことだったのかと云う思いだった。
道を行く人達が楽しげに見え、女の人がとても美しかった。
天から絶えず星の様に歌が降っていた。
その足で京都の知り合いの家に行くと、今まで読めなかった額がすらすらと読めた。
満天下静ニシテ量寿定マル
『後記』奈良に岡先生をお尋ねしたのは二年前(1976年)の四月二十八日であった。
それから約二年、ほぼメモも無く、春雨村塾の竹内寿康さんから送って戴いた作文集のコピーを頼りに、
後は僕が先生からお聴きした話を、自分流に解釈し、記憶に残っているものでこの文章を作った。
従って、先生ご自身の言葉とは少し違う部分も少なからずあることになる。
イタリアから僕が帰国し、またご挨拶に伺おうと、その日をいつにするか一日延ばしにしている内、
今日か明日には奈良にお電話をと思っている矢先に訃報に接した。
その晩は何度も夢の中で先生とお会いして、何と修業の足らん奴だと叱られていた。
春の夜の 夢ばかりなる 枕辺に 甲斐無く立ちし 人ぞ悲しき
今日は、どう云うご用件でお見えになられたのですかと云われて、
また先生に叱られに参りましたと云ってお会いする日が大分先になってしまった様だ。
——1978年3月12日——
『追記』先生をお尋ねした夢の様な日から歳月が経ち、
先生の言葉の通りテレビ放送の止んでしまった今、
僕はあの天上の世界を見ることが出来ない。
また長い時を掛けて、見失われた小道を探し続けようと思う。
静かな秋の日に、蝮に注意の立札ばかりが不気味に新しい荒れた大学構内の薬草園を散歩しながら、ふと耳を澄ませてみる。
庭園に 遠き世界の 香り満ち 和えかに流る 風琴の曲
——1978年10月28日——
(しが ひろのり/千葉大学)(了)
794 無党派さん (ワッチョイ 5b33-Bgl2) 2021/10/16(土) 11:09:30.14 ID:XYR4jKFb0
春雨の曲 第七稿
第四章 日本民族の旅路
Ⅰ 神代
1
人類を中心にして云へば、人類の教育はτ01-α01が受け持っているのであって、
外界と内面とにわけるとこれは内面である。
これに対し、外界のことはt01-a01が受け持っているのである。
t01-a01とτ01-α01と無相の二尊T-Aとは同じ一対の天の月読の尊と天照大神とが仮りに身を分かって三対の神になっていると思えばよい。
T-Aは至微宮におり、τ01-α01は第二蓬莱宮におり、t01-a01は第一蓬莱宮にいる。
第四章 日本民族の旅路
Ⅰ 神代
1
人類を中心にして云へば、人類の教育はτ01-α01が受け持っているのであって、
外界と内面とにわけるとこれは内面である。
これに対し、外界のことはt01-a01が受け持っているのである。
t01-a01とτ01-α01と無相の二尊T-Aとは同じ一対の天の月読の尊と天照大神とが仮りに身を分かって三対の神になっていると思えばよい。
T-Aは至微宮におり、τ01-α01は第二蓬莱宮におり、t01-a01は第一蓬莱宮にいる。
春雨の曲 第七稿
第四章 日本民族の旅路
Ⅰ 神代
1
人類を中心にして云へば、人類の教育はτ01-α01が受け持っているのであって、
外界と内面とにわけるとこれは内面である。
これに対し、外界のことはt01-a01が受け持っているのである。
t01-a01とτ01-α01と無相の二尊T-Aとは同じ一対の天の月読の尊と天照大神とが仮りに身を分かって三対の神になっていると思えばよい。
T-Aは至微宮におり、τ01-α01は第二蓬莱宮におり、t01-a01は第一蓬莱宮にいる。
人の一人一人にτ01-α01の分身τ1-α1が、認識者及び統覚者として宿っているのである。
其の人が男性ならば、τ1は認識者、α1は統覚者として、
また若し其の人が女性ならばα1は認識者、τ1は統覚者として。
真の自分とは自分の認識者のことであって、自分の統覚者は男性ならば真の自分の宿命の女性なのである。
宿命の男女は、始めて人類として生れて来た時、同じ一つのサイクルとして生れて来たのである。
もっと遡って、始めて単細胞生物として生れて来た時もそうである。
更に遡って始めて不安定な素粒子をからだに持って生れて来た時もそうである。
第一次微粒子時代についても、第二次素粒子時代についても皆そうである。
いくら遡ってもそうである。
認識の旅路の第十一識まで行けば宿命の男女は相識る。
其の後は、人類時代に於ては、決して離れない。
以上を01として、
02
人類の始祖が出始めて以後の六十万年は三期に分けられる。
大体二十万年宛である。
第一期には造化は人類に魚類時代以前に教えた教育を繰り返した。
其の結果人は「意識」することが出来るようになったのである。
第二期には造化は人に魚類時代の教育を繰り返した。
其の結果人と云う魚は生命の流れ(日本民族と云う名のサイクリックな時の流れ)の中で、自由に泳ぎ廻って、生命を楽しむことが出来るようになった。
人類時代の第一期は魚類時代以前の再教育、第二期は魚類時代の再教育であって、第三期が真の人類時代であるが、
魚類時代と何処が違うかと云うと、認識すると云う働きが働くか否かである。
人と云う魚はただ生きるとはどう云うことかを知っているだけであるが、人と云う名の人は其の上認識することが出来るのである。
2
人類に真の人類時代の教育をするため造化は其の二十万年前から準備した。即ち四十万年前からである。
造化の教育庁長官であるτ01-α01は熊野の上空にある蓬莱島まで降りた。
天上界(第十二識以上)から地上界(第十一識以下)まで降りたのであって、蓬莱島は第十一識にあるのである。
蓬莱島と云う言葉は中国の言葉であるが、日本にも名染みが深いからそれを取って使うことにしたのである。
この時以後第二蓬莱宮は蓬莱島の上にある。
蓬莱島は第十一識であるが、蓬莱宮は第十二識以上である。
(上空とはどう云う意味かと云うと、
たとえば今わたしの部屋は第二蓬莱宮の第十四識にあるのであって、
α01は普段は第二蓬莱宮の第十五識にいるのであるが、
ここ数日来、第十四識に降りているのである。
わたしは今此の原稿を何の疑もなく、過去世のことを今眼前に見ているかの如くスラスラ書いているが、こんなことが出来るのは其の為である。
度々云う通りこれを「有時(うじ)」と云うのである。)
数を間違えましたか?
〒
識は上からは見えるが下からは見えない。
然しその見えないと云う所をもっと詳しく云うと、
今被教育者が第n識にいるとすると、
教育者が第n+2識以上にいて教えようとしても馬の耳に風であるが、
第n+1識まで降りて説けば其の趣旨はわかって貰えるから被教育者に正しい向上の方角を教えることが出来るのである。
これが「教育の原理」である。
ちなみに教育者は被教育者にただ正しい向上の方角さえ教えればよいのであって、
何を望み如何に努力するかは当人にまつのが造化の教育方針であって、
既に自覚時代に入ったのであるから、一層そうすることが必要である。
そうしないと「自覚」が当人の身につかないからである。
「悟」は一時に出来るが「覚」はピンからキリまであって、特に上には限りがないのである。
覚とは「こころ」を覚ることであって、こころの深さにはキリが無いからである。
人に対する教育とはそう云うものだとすると、人に対する教育のためには先づ学級を編成しなければならない。
教育庁は今から四十万年前から始めて二十万年かゝって教うるに足る人をピックアップして、今から二十万年前に「古代日本民族」と云う学級を編成した。
そしてそれを十万年教育して、その中からピックアップして「日本民族」と云う最高の学級を編成したのである。
だから日本民族の起源は今から十万年前である。
造化はどう云う基準で日本民族を撰んだのかと云うと、たとえ無意識的にでもよいから「真情」を自分と思っている人を撰んだのである。
これは其の人の認識者が低くとも第十一識に住しているのでなければ出来ないことである。
古代日本民族からは前に云ったように、日本民族、漢民族、古代メソポタミヤ民族、古代エジプト民族が出ている。
此の中古代メソポタミヤ民族、古代エジプト民族は後に奴隷制度を作って、自ら穢したために亡んでしまったのであって、
今残っているのは日本民族と漢民族とだけである。
明治天皇は漢民族から出て死後日本民族に入ることを造化が認可した方であるが、これがどれ程容易ならぬ道であるかは後にくわしく説く。
造化の眼から見れば、西洋人と漢人との間にも丁度同じ位の道程があるのである。勿論西洋人の方が遅れているのである。
草花の種を蒔けば芽が出て花が咲く、人は其の花を見て比較するのであるが、造化はその芽を見て、
其の人は第何回目の旅路の第何識に住しているかを見分け、其の向上度の高低のみによって評価しているのである。
3
古事記の始まりは今から三十万年位前である。
この数字に就てであるが、前に云った胡蘭成さんは、わたしの家にもよく遊びに来た。
或る時わたしが、「古事記」の始まりは三十万年位前だと思うと云うと、此の人は日本民族と漢民族とはもと同一民族であったと信じている人だから、
帰って中国の伝説によって調べてくれた。
中国の伝説には、各時代に其の長さが附記されているから、それを皆足せばよいわけである。
そうすると矢張り三十万年程になると知らせてくれた。
本当はこんな裏附けはいらないのだが、まだ多くの日本人の統覚者のからだはそれ程向上していないから、当分は此のデータは有効だろうと思う。
造化の二主神は、「古事記」の始まりの頃、
将来日本民族を入れるべき葦原の中つ国を産もうとしていたのであって、古事記の云う所は正しいのである。
葦原の中つ国は第十一、十識であるから、それは日本列島の上空にあるのであって、
日本列島(第七識)が即ち葦原の中つ国ではないのである。
葦原の中つ国は第十一、十識だと云ったが、これはその「こころ」がそうだと云う意味であってその「からだ」がそうだと云っているのではない、
「からだ」は第九、八識である。
所でいざなぎ、いざなみ二神の国産みは、その「こころ」が生まれて後其の「からだ」を産んだのであって、
二神は国つ神である。天つ神ではない。
古事記に出て来る神々は、すべて国つ神、即ち天つ神(こころ)のからだである。
天孫降臨は今から八万年位前のことであって其の頃日本民族はチベット高原にいたのである。
造化は日本民族をAB二つのクラスに分けていた。
Bクラスは何か第九識的表現(形式とか知とか意とか)を借りて話さなければこころ(ここでは第十識以上)のことがわからない人達であって、
Aクラスは直下にこころの説ける人達である。
今から八万年位前に皇孫ににぎの尊
(実際、τ01とα01との子(こころが子)があめのおしほみみの尊、
おしほみみの尊とたかみむすびの尊(τ03)の娘との子(こころが子)がににぎの尊(τ04)である)
はチベット高原に人にお生れになった。
数多の日本民族のBクラスの神々や人々に囲繞されて。
この人達はこのににぎの尊を万世一系の天皇の初代と頂いて、
チベット高原を降り北方を廻って朝鮮半島から日本列島に入った。
造化がそうせよと指司したからである。
チベット高原を南に少し降りた所にネパール高原がある。
此処には春秋二季に山桜が咲く。
此処にセルパ族と云う民族(学級と云う意味ではない)がいる。
今では人口四万程の少数民族になってしまっているが、日本人よりももっと日本人らしい顔をしていると云うことである。
これは日本民族のBクラスの人々がににぎの尊を奉じてチベット高原を北か西かに降りようとしたとき、
自然の懐をなつかしがって、此の地を去り兼ねて止った日本民族の支族である。
今では仏教を信じて平和な農耕生活をしているのであるが、国の搾取が厳しくひどく窮乏している。
それよりももっと悲惨なのはコレラ、結核、ハンセン病等に悩まされていることである。
然しこの地に骨を埋める積りで家族ぐるみ移住している日本人も二、三人いると聞いた。
前世はセルパ族だったのかも知れない。
さてににぎの尊は、今度は日本民族のAクラスの神々や人々を率いて、ネパール高原へとお降りになった。
今度は人身を持っておられたかどうか等のことは今のわたしにはよくわからない。
ともかくネパール高原へ降り立たれた。今から五万年位前のことである。
そして其の土地の神(セルパ族だと思う)
の娘(認識の旅路の第十二識の天つ神、α04だと思う)木花咲耶媛をお娶りになって地神二代ひこほほでみの尊をお産みになったのである。
皇統の始めの三代はτ02、τ04、τ01(地神二代)である。地神一代ににぎの尊の母はα03だろう。
地神二代は植物界の気を受けているのである。
これはすべて「からだ」(第十一識以下)のことである。
第十一識では前に云ったように人間も植物も皆人の形をしているのである。
もう一度云う。
おしほみみの尊も地神一代も植物界、地神二代は人間界である。
4
このひこほほでみの尊は教育庁長官天の月読の尊τ01が自ら御降誕(天上界から下ること)になったのであって、
碁になぞらえて云うならば布石するためであって、現在の局面はこの人の布石によるものである。
但し一世だけで布石されたのではない。
人の世には時間と云うものがあるから、そんなことは出来ない。
この時は一番大切なこと一つだけをなさったのである。
当時のセルパ族の人達は今は遠く去った日本民族(Bクラスのこと)の人々を懐しがって、捨小舟のような気持で日々を送っていた。
それで尊は、
「日本民族は常住にして変易なし」
と云うことを充分よく教えられたのである。
教え方はからだ(第十一識以下)でわからせ、からだに憶え込ませるやり方であって、つまり脊髄神経系を通されたのである。
これが「古神道」であって神道の正統である。これは天つ神の道である。
これに反し今日本で行われている神道は国つ神(天つ神のからだのこと)の道を出でない。
この古神道がインドの人々に転訛されて伝わった。
これが原始佛教であって、釈尊はこの原始仏教を集大成して佛教を造ったのである。
ひこほほでみの尊は今から五千年前に中国に帝舜となって生れて行って、「王道政治」を教えた。
老子の哲学も儒教も源はすべて帝舜に発している。
また今から二千年程前キリストとなってユダヤに生れて行って、キリスト教の正統をお創めになった。
かように神道、佛教、キリスト教及び儒教はすべてこの人から出ているのである。
この中佛教以外のものは其の教えの「からだ」だけを伝えて「こころ」を伝えなかったのは当時としてはやむを得なかったことだと思えば、
略々正しく伝えられているが、佛教だけは非常に転訛している。
佛教の本質は個人主義、厭世主義であるから、造化の本旨である古神道とは正面衝突するのである。
禅でさえ、そして道元禅師程の人でさえ、日本はまことに野蛮な国であって見るべきものは何もないと云っている。
古神道は不言実行である。何故直下に日本民族の歩みを見ようとしないのか。
古神道は何故不言実行かと云えば、ひこほほでみの尊は第十四識にいてこれを説かれたのであるが、
天上界の実相は人の世の言葉では殆んど言い表せないからである。
数学的業績があったのでだれも言うものはいなかったけれだ、
岡潔は典型的な精神分裂病患者。
事実?名誉毀損になるよ。
大沢健夫さん、上田哲生さんが定年退職か
多変数函数論の貴重な研究者だな。
でもどこかの私大へ転出して70歳までってパターンだろ多分。
大沢健夫氏は昨年、朝日新聞に岡潔の数学について記事を書いてたな。
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/37-50
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/61-78
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/91-102
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/150-169
経世会支配とは何だったのか?@はc
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/37-50
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/61-78
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/91-102
http://mint.2@h.net/test/read.cgi/giin/1474770203/150-169
646 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/02/26(日) 08:15:59.78 ID:RabypwXl
¥
帝舜の二皇妃娥皇、女英は天照大神α01がそのからだ(第十一識以下)を二つに分身させたから人眼には二人の人と映るのであるが、
本当は唯一人のα01なのである。
四季になぞらえると娥皇は夏から秋にかけての季節、女英は冬から春にかけての季節である。
古事記の伝える所によるとひこほほでみの尊は龍宮へ行って龍神の姉娘を娶って、地神三代うがやふきあえずの尊を産んだ。
このとき姉娘は龍の姿に還ってお産していた所を夫に見られたことを恥じて、自分は龍宮へ帰って代りに妹を子の守りに送った。
その時妹に托して夫にこう云う歌を送っている。
あかだまは緒さへひかれどしらたまの
きみがよそひしふとくありけり
うがやふきあえずの尊はこの龍神の妹娘を娶り神武天皇を産んでいる。
わたしはからだを無視してこころだけ見れば、地神二代、三代及びその皇妃は同じ一対のτ01-α01だと思う。
娥皇、女英の今一つの異る点は娥皇は植物界の人、女英は人間界の人である。
神武天皇はτ02だから本当に(即ちからだだけでなくこころも)子なのである。
これはα01が人間界にいなければ出来ないことである。
だから龍神の妹娘が女英だから姉娘は娥皇と云うことになるのである。わたしが何故そう思ったかの説明である。
もっと説明しないと読者はよくわからないだろうが、
植物界のことは、色々皆不思議であって、女性よりも更にわかりにくく、わたしもまだ餘りよく知らないのである。
これは造化がそれを人の世に教えるのはまだ時機が早過ぎると思っていると云うことだろう。
5
前云ったように神武天皇はτ02である。
この親子はいつもτ01が創業を持ちτ02が守成を持つのである。
この創業、守成と云う言葉はこころの世界で云っているのであって、物質界で云っているのではない。
だから人の世の言葉で云えば地神二代、三代が立てた計画を神武天皇が実現したのである。
造化はこの神武天皇の時以後、葦原の中つ国を日本民族と云う学級の教室と定めたのであって、今から約一万年位前のことである。
これで神代を終る。
六十万年前の神代を思い出したのがFF13。
八万年前の神代のセルパ族を思い出して世話したのが岩村医師。
高畑のアンチファンタジーは第一の心でも、映画版ナウシカに影響を与えた。
ゴルカ族がクシャナ。
セルパ族がナウシカ。
八万年前の神代のBクラスの親潮民族である富野の喜びを懐かしんで五万年前の神代のAクラスの黒潮民族である宮崎は原作版ナウシカを描いた。
春の総裁選の次は夏の衆参同日選。
Ⅱ 上代
6
神武天皇は「古事記」の呼び名では「かんやまといわれひこの尊」、
崇神天皇は「はつくにしらすすめら尊」と申し上げる。
流石は言霊のさきおう国、言葉は説明を要しない。
その崇神天皇が大和に皇居をお定めになって、治世の始めにこう仰せられている。
「天が下を蔽ひて家とすべし」
いみじくも仰せられたものである。
所が、応神天皇以後中国の政治思想が入って来て、日本民族本来の皇道が忘れられてしまったためだろうか、
わたしは誰一人として崇神天皇のこのお言葉を正しく解釈した人のあることを聞かない。
それでここで詳しく説明して置こう。
人とは何かと云えば第十二識以上をこころとし第十一識以下をからだとしている造化の二主神の子(こころが子)である。
その人のこころの中核は両性ある「こころそのもの」である。
「こころそのもの」だけをエッセンシャル、他をトゥリビアルと見れば、
両性ある「こころそのもの」即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」に依存してその上に大宇宙の一切生物のあること、
猶大気(空気等のことを云っているのではない)に依存して満点の星斗があるようなものである。
大自然には「両性あるこころそのもの」は只一つしかないのであって、造化の二主神も、一切生物も、
この只一つの心(ここでは両性あるこころそのもののこと)を心として生きているのである。
かように心の中核は唯一つしかないのである。
わたしはいまは捨の旅路を終えて故郷、こころそのものの世界にいるのであるが、
いつでも第十五識以下のからだ(こころとからだの境目も亦固定されていないことを知るべきであって、
造化の実相に固定されたものは一つもないことを知るべきである)を脱ぎ捨てて、
わたしは男性だから、「こころそのもの」(男性)だけになってしもうことが出来るのである。
普通の人は現在はまだそうは出来ないだろうが、これは単に旅路の巡環回数の違い即ち「自覚」の深さの違いから来るのであって、
つまり知っているか知らないかの違いである。
つまり人は皆同じ一つのこころ(こころそのもの又はいのちそのものだけがこころであって他は其の着物のようなものであるから)
しか持っていないのにそれを知らないのである。
二人の人のこころが通じ合うのも、二人の人がこころを合一させることが出来るのもそのためであって、
そうするためには、これに反対する着物(色々あるとして)を脱ぎ捨てさえすればそれでよいのである。
一寸考えて御覧なさい、人のこころと云うものは深さ極まりないもの、
若し始めから同一でなければそんな二つのこころを合一させたり察したりすることが出来ると思いますか、
しかもそうするためには「始」の生後一年十一か月頃、ピアノ室でわたしにやって見せたように、ただ、「意識」さえしなければそれでよいのです。
この一切生物に関する根本原理を(現在の、未来ではない)日本民族だけは知っているが他の人々、東洋人も西洋人も知らないのです。
だから知が一番大切だとか形式が大事だとか云うのです。
何よりも個人主義が、このこころと云うものを本当に知らないと云う無知の闇を踏んまえて起こるのです。
個人主義の上に立てたどのような文化(生活を含む)も砂の上に建てた大廈高楼のようなものだと云うことを日本民族だけは知っています。
日本民族(現在の)はまだ一般には第十識に住んでいて、それも多くは無自覚的です。
ハッキリ云えばこのことを認識者や統覚者のこころは知っていますが統覚者のからだは知らないのです。
明治以後は統覚者のからだの眼は西洋型無明で曇って益々実相がよく見えないようになりました。
終戦後はアメリカから大量に入って来たビールス型無明のため統覚者のからだの意識までが朦朧として来たようです。
学生の「自由作文」を読めばそれがよくわかります。
然し明治までは日本には日本民族独特の「家族」と云うものがありました。
日本の家族の特徴は、大自然を家の中だけで小仕掛けに具象的に表現しているのであって、
家族のメンバーは同じ一つのこころ(家系のこころとでも云いますか)を持っていることです。
そう住んでいながら、そしてそんなことが出来るのは現在はまだ日本民族だけだのに、
それをわざわざ中国の言葉を使って云い表したり、更に甚だしいのは佛教や西洋の言葉を借りて云い表わすから、
その云い方で云ってる中に段々本当のことがわからなくなってしもうのであって、
家族のメンバーが互の間に何の隔ても置かないのは日本だけなのです。
この「家族」の意味が崇神天皇の頃は、造化の苦心の教室での教育によってもう本当に「からだ」でわかっていたから、
天皇は唯一言、政治目標を「天が下を蔽ひて家とすべし」と仰せられたのであって、
これは、青天井の下で一大家族として住もうと云う意味であって、ここまでは誰も雑作なくわかるでしょうが問題は其の先であって、
この解釈文の意味は「家族」と云う言葉の本当の意味がわかればわかりますがわからなければわからないのです。
神武天皇を「かんやまといはれひこの尊」と申し上げ崇神天皇を「はつくにしらすすめら尊」と申し上げるのですから、
崇神天皇の御発言は、日本建国の存在理由を示されたのです。
即ち皇祖天照大神即ち造化の二神のお心です。
だから此の政治型式を「祭政一致」の政治と云うのです。
ずっと後年に孝明天皇がどうあってもここに還そうとなさったのはこの政治のやり方なのです。
崇神天皇はτ01御自身だと思います。
日本建国の存在理由のような重要な声明をコピー(τ1)に言わせると云うような不謹慎を、
造化の教育庁長官はなさる筈が無いと思うからです。
7
ここで四史を拾い出してみましょう。
非常に目に着くから歴史の流れのトゥリビヤル(絶気)のもののことを無視する練習さえ積んで置けば
(これを眼を研ぐと云います。平素もそうだし、さあ使おうと云う時も人は眼を研ぐのです)良いのです。具体的な一例を挙げて置きましょう。
赤壁の戦でさしもの曹操も大敗しましたが其の戦直前のことです。
あたかも夜であって、其の夜は月が明らかでした。
曹操は上機嫌で軍船の上で、矛を横たえて詩を賦しました。
月明らかに星稀れに
烏鵲南に飛ぶ
何れの枝か寄るべき
そのとき部下が、かねて兵糧を盗んで魏に寝返ろうと約束してあった呉将何某の船がいよいよ近づいて来ました、お喜び申し上げますと云うのです。
曹操はこれを聞いて益々上機嫌でしたがフト見ると兵糧を満載した船にしては船脚が如何にも軽い、
これは降ろうと云うのは敵の詐略であって、あの軽い脚の船に満載されているものは多分秣だろう、素破火攻め!
突作にこう思った曹操は、吉川英治さんによると“クワッと北風に眼を研いだ”と云うのです。
わたしがここでこんなに詳しく実例をお話ししたのは、みなさんに眼を研ぐ修行をして欲しいからです。
眼を研ぐには「からだ」を脱ぎ捨てて「こころ」だけにするのです。
「こころ」と「からだ」の境目は本来定まっているものではないこと上に云った通りです。
それでよりよく眼を研ぐには「こころ」と「からだ」の境目を文字Lで表しますと、Lを出来るだけ上にあげるとよいのです。
上に限りがありませんからよりよく研ぐ研ぎ方にも限りがありません。
わたしは今は最後の捨の旅路を終ったこと上に申し上げた通りですが、近頃眼が非常によく見えるようになりました。
これは旅路を幾回もぐるぐる廻っている中に段々「こころそのもの(男性)」と云う心眼が研がれて来たためですが、どうしてそうなるかと云いますと、
日本民族(神々も人々も皆含む)の本体は流れて休まないサイクリックな無相の時、即ち時、時そのものが無相です。
どう云う意味かと云いますと、云わばまだ種の形でいて発芽していない時です。
これは流れて休まないが決して流れ去らないサイクリックな時の流れであって、しかも其のサイクルには、いくらでも小さいものがある―
人の世に映した時、一週するに要する時間が短かったら小さいと云うのです。
一切の有相の情景一つ一つの実相は至微界に於ける日本民族と云う名のサイクリックな時の流れです。
これは無数のサイクルから成り立っています。
そのどの一つをとってもそれが同じ一つの有相界の情景です。
だから見られるならば出来るだけ小さなサイクルで見る方がよいのです。
時間も少ししかかからない上に、この方更に大切なことですが、云わば精錬度が高いのです。
つまりトゥリビアル(絶気のもの)が高い度合いにとれているのです。
所謂「史眼」はこうして養うのです。
わたしがここでこの話をしたきっかけはここで「史眼」と云うものを説明する必要に迫られたからです。
今日は岡先生のご命日だね
合掌
さて史眼さえ養われておれば四史の各々を日本歴史から見出すのは満天これ星の空に明星金星を見出すように容易です。
其の本体のサイクルの小ささがまるで違うからです。
また四史の各々の特徴(と云うよりも関係)も外界の四季の如く明らかです。
古事記に出て来る月読の尊、おしほみみの尊、ににぎの尊、ひこほほでみの尊、これに内心の季節を当て嵌めますと、
古事記の月読の尊が夏、おしほみみの尊が秋、ににぎの尊が冬、ひこほほでみの尊が春です。
これは「こころ」(第十二識以上)のことですが、「からだ」(第十一識以下)を云いますと順に
「天の常立の尊」、「国の常立の尊」、「掃戸の大神」、「うましあしかびひこじの尊」です。
さて日本歴史を大きく見ますと、ひこほほでみの尊が春、うがやふきあえずの尊が夏、いわれひこの尊が秋で、そのあとはまだありません。
次に来るのは掃戸の大神のからだをもった冬の「気」が来る筈です。
これにピッタリ当てはまるのがこれからお話ししようとしている日本武尊です。
歴史家はその実在性を疑っていますが、「史眼」を開いて見れば造化はその主目的遂行のために、ここにこの人を置いたこと明らかです。
日本武尊は景行天皇の皇太子でした。先づ西して熊襲を討ち、次に東して蝦夷を討ち、略々国内を平定して、平定し終わるや直ちにおなくなりになりました。
此の人に附随して草薙の劔が霊験を顕現したお話や、皇妃弟橘媛が夫の水難に際して投身なさったお話がありますが、
草薙劔のことは前にそれについての学生の作文を見て頂きましたし、弟橘媛はα01其の人ですから、度々出て来ますし、人もよく知っていますし、
第一話の本筋から外れていますから省きます。
8
景行天皇がなくなると日本武尊の御子の仲哀天皇が皇位にお就きになりました。
この方は弟橘媛との間のお子ではありません。
それで弟橘媛の御子の鷺坂(さぎさか)、忍熊(おしくま)の二皇子が、
弟橘媛のお子こそ皇位をお継ぎになるべきだと自ら主張して秋篠(大和)で兵を挙げました。
そうすると何処からともなく黄色い獅子が現われて二皇子を喰べてしまったと云い伝えられています。
これは本当であって、黄色い獅子はおしほみみの尊(τ02)の化身であって、
この神を遣はしたのは此の神の母であり同時に二皇子の母であるα01です。
この天皇の御代に九州で度々叛乱が起りました。住江の三神(古事記参照)が天皇の夢枕に立って、
九州が叛服常でないのは新羅の後押しがあるからだから海を渡って新羅を討てとお教えになりましたが天皇はお聞きになりませんでした。
それで神罰を受けてお崩りになったと古事記には書いてありますが、
これは国つ神の世界のことであって、天つ神の世界のことではないから、今のわたしには本当かどうか判断がつきません。
国つ神は荒御魂だからこれ位のことはありそうにも思います。
天つ神ならば天皇に向ってそう云うことをなさる筈はないのですが。
仲哀天皇が九州の遠征先で急にお崩れになりましたから皇后が代って政権をお執りになりました。
これが神功皇后です。この時皇后は天皇の御子を宿しておられました。後の応神天皇です。
神功皇后はα02、応神天皇はτ02です。このサイクルは人の世では、時に夫婦となり時に母子となるのでして、
夫婦となっている時は人間界中の人間界にいるとき、母子となっている時は人間界中の植物界にいるのです。
本朝の武神の元締八幡大菩薩は応神天皇だと云われていますが、これは正しいのでして日本民族を守っている天つ神の総帥はτ02です。
ただこの神は軍神ではあるが天つ神なのですが、八幡大菩薩と云えば国つ神と解する外ありません。
その点だけは間違っているのですが、人の世の日本民族はまだ幼くて神としては国つ神しか知らないのだから仕方ありません。
さて住江の三神は今度は神功皇后の夢枕に立って同じことを仰せられました。
皇后は一切の神々の意見を聞いて肯否を極めよう、それが国政をあずかるものの務めだとお考えになりました。これは正解です。
皇后はそれで髪をほぐして、若し新羅を討って利あらばわが髪よ二つに分かれよと仰せられて、其の美事なお髪を海水にザンブとお漬けになりました。
そうするとお髪は鮮やかに二つに分れました。皇后は同じことを今一度お繰返しになりましたが矢張り験しがありました。
それで意を決して新羅を討つべく軍船の御用意をお命じになりました。
いよいよ神功皇后が軍船を並べ各々に撰り抜きの軍兵を満載して御征討の船路に就かれますと海の魚達がわれもわれもと集って来て皇后のお供をしました。
そのため大津浪が起って、これも亦新羅の海岸にどっとばかりに攻め寄せました。
それで新羅王は大いに怖れて和を乞い、今後九州の豪族を煽動しないことを誓い山のように貢物を奉りました。
こんなお話ばかりすると、自然は造化の放送し続けている映像に過ぎず、
実体は人々のこころの中核「こころそのもの」―「いのちそのもの」であると思えない貴方々は迚も信じることが出来ないでしょう。
それでこのτ02-α02はどう云う本質の神々かを詳しくお話ししましょう。
其の前にτ02が日本中でどんな働きをしているかを先に拾い上げて置きましょう。
日本史中にτ02が最初に顕現れるのは今お話しした神功皇后の新羅征伐であって、この時はτ02は皇后のお腹の中にいました。
次に顕現したのは平治の乱の時であって、前日破竹の勢であった義朝の軍が、
一夜明けると風に吹散る木の葉のように重盛の軍に攻めまくられて、二千騎の精兵は見る見る抜け落ちて僅か三十数騎になってしまったのですが、
これはどう云う現象だとお考えになりますか。
これこそτ02が造化の命によって源氏の軍から時の現在を奪ってこれを平家の軍に与えたからです。
こんなことの出来る神は此の神以外にいないのですが、この神だけはこう云うことはわけなしに出来るのです。何故だとお考えになりますか?
造化はいざと云う秋でなければこの神は使いません。
ではここで何故強引に是が非でも時の流れを変えなければならなかったのかと云いますと、
それは蒙古の勃興の速さが恐ろしかったのでして、日本は大急ぎで武備を整えなければ到底滅亡はまぬがれなかったからです。
次にお顕現れになったのは武田信玄の不可解な急死となってです。これも造化が此の神を走らせて信玄の時の現在を取り去ったためですが、
造化が何故そう云うことをしたかと云うと、ここで反織田聯盟の中枢英傑信玄を殺さなければ、
切角造化が応仁以来の大乱を収めようとして用意した三英雄(信長、秀吉、家康)は皆殺されてしまいます。
そうすると日本が黒船来航時代に欧米の何処かの強国の植民地にされなかったのも、日露戦争で亡びなかったのも、
すべて国民全体の天照大神に対する純粋な思慕の情がもとになっているのですが、これは戦乱が収まらなければ充分に出ないし、
これを蓄積して民族のこころの原動力にしようと思えば、歴史を見ればわかるように二百五十年位はかかるし、
いくら造化でも日本を滅亡から救う途は無くなってしもうからです。
次に三英雄であるが、造化はどうしてかような英雄達を急造したかと云うと、
一口に云えば信長には初代の草薙の劔を帯びさせ、秀吉には二代目の草薙劔を帯びさせ、家康には三代目の草薙劔を帯びさせて、それを造化が操ったのである。
所でこの草薙劔の実体であるが、これは植物界に於けるτ02であって、三振りあるのは分身しているのです。
上に見落したのですがおしほみみの尊が人となって生れて行った場合が、応神天皇の外にもう一度あります。
それは義経です。義経が鵯越えを逆落しした時の兵数は僅か八十五騎、風雨に乗じて淡路島から長駆屋島を突いて壇ノ浦へ追い落した時の兵数は僅か二百騎であります。
こんな愉快ないくさをした男は日本中否世界中を探しても外にあるまいと思います。
人の現在を自由に奪うことも与えることも出来るτ02にして始めて出来る芸当なのです。
造化が義経を送ったのも矢張りの日本の国の武備を促進させるためです。
これだけ実例を挙げると貴方々も何故此の神だけそう云う不思議なことが出来るのだろうとそのわけが知りたくなるでしょう。
節を変えて御説明しましょう。
9
造化の二主神の所で云ったように有相界の天地開闢の始めに始めて生れたのはτ01-α01と云う唯一つのサイクルでした。
それ以前は無相の造化の二尊T-Aしかなかったのです。
何故そんなことがわかるかと云いますとτ01-α01は体験して知っていますし、わたしはτ01のスピーカーだからです。
t01-a01はどうかと云いますと、これは同じ一つのサイクルが二つ(t01-a01、τ01-α01)に分化するより遥かに前です。
それだったらどちらの文字を書いてもよいわけですが、
それをτ01-α01と書いたのはわたしは外界は内心から分化したものだと思うからです。
τ01-α01はT-Aの子です。まだこころとからだと分化していませんから一切の子なのです。
此のτ01-α01は成熟して子を産みました。それがτ02-α02です。
τ01-α01が始めて顕現れるまでに、どれだけ長い時が流れたかわかりません。
またそれからτ01-α01の本当の子としてτ02-α02が生れるまでどれ位長い時が流れたかわかりません。
無相の二尊T-Aは有相の子τ01-α01を生んだだけでもう外に子を産みませんでした。
その代りτ01-α01は次々に子を産みました。
τ03-α03,τ04-α04,......
その産み方はこれ等は皆オリジナルτ02-α02のコピーとして産んだのです。
わたしは色々な人の世の事象について計算して見ましたが造化はオリジナルを造るに要した時間の十分の一の時間で無数のコピーを造るようです。
所で、人の世と云う水面に映った至微界の実相について申しますが、オリジナルにあってコピーにないものはなんでしょう?これをxとします。
次に時の現在にあって過去や未来にないものは何でしょう?これをyとします。
xとyとは同じものではないでしょうか?
答を申しますとこれは同じものであって、これが「如」(らしさ―マザマザと)と云うものなのです。
だから此の神τ02は大自然の時の現在の司さなのです。
また同じ理由でα02は大自然の喜びの司さなのです。
だから神功皇后の新羅征伐の時海の魚や水が大はしゃぎして暴れ廻り、すっかり新羅王を怖れ慄かせたのです。
これで上代を終ります。
Ⅲ 中世
10
応神天皇の御代に中国の文化が日本に伝わりました。
文字はそれ以前に渡来はしていたでしょうが、多くの人々の注意を引き始めたのは矢張りこの時からだと思います。
つまりそれまで文字さえ無かった国に実に素晴しい文化が伝わったのです。
こう書いて見てわたしは始めて無理もないと思いました。
取り分け喜んだのは天皇補佐の家系の若人達でした。
われもわれもと中国の「王道政治」を学び取ろうとしました。
これ等の人達の中でも断然群を抜いて輝いている三人の人達がありました。
天皇の末の皇子わきいらつこの命と第四皇子大鵲の命ともう一人は天皇御自身とでした。(此の人だけは若くはありませんが。)
これは当然なことでした。わきいらつこの命はα01だし、応神天皇はτ02だし、大鵲の命は?
これは少し御説明しなければなりませんが、この人は中国から来たのでして、
中国ではあめのみなかぬしの尊を天の主神と仰いでいるのですが此の神は国つ神でして情そのもの、知そのもの、意そのものと云う三人の国つ神々
(或は四人と云うのが正しいのかも知れません。情そのものは二人の国つ神いざなぎの尊、いざなみの尊の合成神ですから。)
の合成神で其の中で日本では情そのものを主神と仰いでいるが中国では知そのものを主神と仰いでいるのである。
この知そのものが先づ伏羲と生れ、次に帝堯と生れ、三度目に、名は忘れたが周の文王の伯父と生れた。
この人(太伯)は時の周の王の太子だったのだが、父王が弟の子の後の文王が幼にして賢なるを見て、
この孫に周の王位を継がすことができたら万民の幸せなのだがと思っているのを察して、
弟に位を継がせる為に西戎の部落に走った、名は忘れたがわたしが中国で一番感心している人である。
三度目は其の人に生れ、四度目に日本に渡って大鵲の命に生れたのである。
此の三人が外の人達と全く格が違って見えたのは当然である。
わけてもわきいらつこの命は、夫、帝舜の治世を常住ならしめるためには万世一系の皇統と云う云はゞレールは、
「からだ」だけでなく「こころ」にも一本敷かなければいけない、
つまりたとえて云えばτ01-α01の計画は、レールの上をトロッコを走らせる代りに、
もう一本空に線を引いて電車を走らせようと云うのである。
そのため生れて来たのだから、夫、帝舜の理想を具体化して理想的な「祭政一致」の政治を実現するにはどうすればよかろうと思って、
或る時は中国の聖賢の書を貪るように読み、或る時は深く思いを潜めた。
時の責任者応神天皇はこれをごらんになっていたく喜ばれた。
それでわきいらつこの命を立てて皇太子とし、大鵲の命にその補佐を御依頼し、するだけするとさっさと崩くなられた。
天皇家側近の人々は、
天皇が崩くなられたのだから当然皇太子が位をお就きになるものと思ってわきいらつこの命の御住いになっておられた宇治へ行って、
今度皇位にお就きになることになったお祝いを申し上げた。
そうするとわきいらつこの命はこう云われた。
天皇はににぎの尊の血統から撰ばなければいけないが、其の撰び方は先の天皇がその人を皇太子に立てたからと云う撰び方ではいけない。
御血統の中では誰が一番適当かを見て撰ばなければいけない。
たとえば中国ではこうしていると云って、帝堯が帝舜に位を譲った禅譲の話をし、先の天皇の皇子達の中で誰が一番適当かと云えば第四皇子大鵲の命である。
第一兄君は生来お情け深い。次にわたしのは畑水練だが兄君は政治の実際に通暁していられる。
其の上わたしの兄君である。兄君こそ皇位にお就きになるべき方である。
これを聞いた群臣は禅譲とは珍らしいことを聞くものだとすっかり感心し、
大鵲の命の住んでおられた大阪へ行って今度皇位にお就きになることになったお祝を申し上げた。
群臣の話を聞いて大鵲の命はこう云われた。
弟は中国にかぶれてそんなことを云うが、
わたしは日本の歴史をよく知りたいと思って詳しく調らべたのであるが、
日本には先の天皇がお立てになった皇太子で皇位にお就きにならなかった先例は一つもない。
皇統は皇太子が継ぐべきである。かくしてこそ皇統は本当に強固なものになるだろう。
これを聞いた群臣は成る程と先例に気付き、直ぐに宇治へ行った。また大阪へ行き、また宇治へ行きしている中にお祝の鯛が腐り始めた。
群臣の意見も二つに分れて、この儘では内乱も起り兼ねまじい有様になった。
然し何しろ大鵲の命の説はこれまでの日本のやり方であるからこれに賛同するもの多く、
この儘では大鵲の命を是非皇位に就けようと云うわきいらつこの命の願いは達せられそうもなかった。
わきいらつこの命は今こそ自分が身を引くべき時だとお考えになった。そして静かに一室にお入りになった。
命は端座して思われた。餘儀ない仕草で自ら命を断つ破目になったが、
孔子は「学んで時にこれを習う。また楽しからずや」と云っているが、
若し自分があれ程心を籠めて学んだ所を兄天皇の補佐に実地に使うことが出来たならばどんなに楽しかったであろうかと思うと、
思わず涙が一滴頬を濡らしたが命は此の期に及んで不覚なと自らお命を断たれた。
所で大宇宙の蒼穹を虹のように貫いている電線はどう走っているのであろうか。
史眼を養うのは外の夢殿(第十四識)のこと、これは内の夢殿のことである。
何をどう探ればよいのか?
芥川は、いよいよ卒業すれば文学をやると決めて、友人達と東京の夜の街を散歩していた。
そうすると場末の水たまりに電線が垂れ下っていて、尖端から美しい紫の火花が飛んでいた。
わたし(芥川)は思わず恍惚として、「何物に代えても此の火花だけは取って置き度いと思った」。
わかった。わきいらつこの命から楠正行へ、楠正行から孝明天皇へ、蒼穹の虹の電線はかゝっているのである。
何れも恍惚とするような潔くも美しい死に方をした三人の女性である。
薄暮引ける四方の山
紅匂ふ横霞 (美しき天然)
837 無党派さん (ワッチョイ 8633-2XI+) 2021/10/26(火) 03:33:04.00 ID:mni8cZrr0
11
わたしは「春宵十話」で「新学制は根本から変えなければいけない」と云うと、
文部次官の内藤誉三郎(ないとうたかさぶろう)さんが毎日新聞へ半頁の反論を掲載した。
「新学制はデューイの教育学を基礎にしているのだから変えなくてもよい」と云うのである。
それで早速書店を探すと、デューイ(米人)の著書の日本語に翻訳されたものが十一冊あった。
わたしはそれを手を抜かないで読んだ。そしてすっかり驚いた。
「実(げ)にや世界は広大無辺、其の片隅にはこんな無茶な教育学があろうとは」
それで早速随想形式の論文「紫の火花」を書いてデューイの教育学の不可な所以を詳論して朝日新聞社から出した。
そうすると朝日新聞社はまだよく売れているのに此の本を絶版にしてしまった。
日教組が横槍を入れたのだと思う。
それでこれから蒼空に掛け渡された電線をつたって、
外国の文化を其の儘大量に日本に取り入れると日本はどんなことになって行くかを上空から眺めて行ってみよう。
そう思うと何だか嬉しくなって来た。
それまでは歴史の嫌な所とばかり思っていたのだが、
何だか「学んで時にこれを習う。また楽しからずや」(孔子)と云う気がする。
実地が理論通りになっているのを実際みられると思うと楽しくなるのである。
666 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/05/08(月) 03:39:45.70 ID:OR+quqWp
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わたしは「春宵十話」で「新学制は根本から変えなければいけない」と云うと、
文部次官の内藤誉三郎(ないとうたかさぶろう)さんが毎日新聞へ半頁の反論を掲載した。
「新学制はデューイの教育学を基礎にしているのだから変えなくてもよい」と云うのである。
それで早速書店を探すと、デューイ(米人)の著書の日本語に翻訳されたものが十一冊あった。
わたしはそれを手を抜かないで読んだ。そしてすっかり驚いた。
「実(げ)にや世界は広大無辺、其の片隅にはこんな無茶な教育学があろうとは」
それで早速随想形式の論文「紫の火花」を書いてデューイの教育学の不可な所以を詳論して朝日新聞社から出した。
そうすると朝日新聞社はまだよく売れているのに此の本を絶版にしてしまった。
日教組が横槍を入れたのだと思う。
それでこれから蒼空に掛け渡された電線をつたって、
外国の文化を其の儘大量に日本に取り入れると日本はどんなことになって行くかを上空から眺めて行ってみよう。
そう思うと何だか嬉しくなって来た。
それまでは歴史の嫌な所とばかり思っていたのだが、
何だか「学んで時にこれを習う。また楽しからずや」(孔子)と云う気がする。
実地が理論通りになっているのを実際みられると思うと楽しくなるのである。
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わたしは「春宵十話」で「新学制は根本から変えなければいけない」と云うと、
文部次官の内藤誉三郎(ないとうたかさぶろう)さんが毎日新聞へ半頁の反論を掲載した。
「新学制はデューイの教育学を基礎にしているのだから変えなくてもよい」と云うのである。
それで早速書店を探すと、デューイ(米人)の著書の日本語に翻訳されたものが十一冊あった。
わたしはそれを手を抜かないで読んだ。そしてすっかり驚いた。
「実(げ)にや世界は広大無辺、其の片隅にはこんな無茶な教育学があろうとは」
それで早速随想形式の論文「紫の火花」を書いてデューイの教育学の不可な所以を詳論して朝日新聞社から出した。
そうすると朝日新聞社はまだよく売れているのに此の本を絶版にしてしまった。
日教組が横槍を入れたのだと思う。
それでこれから蒼空に掛け渡された電線をつたって、
外国の文化を其の儘大量に日本に取り入れると日本はどんなことになって行くかを上空から眺めて行ってみよう。
そう思うと何だか嬉しくなって来た。
それまでは歴史の嫌な所とばかり思っていたのだが、
何だか「学んで時にこれを習う。また楽しからずや」(孔子)と云う気がする。
実地が理論通りになっているのを実際みられると思うと楽しくなるのである。
¥
668 132人目の素数さん [sage] 2017/05/20(土) 04:00:56.03 ID:vqDdz4hm
森田真夫といい茂木健一郎といいこの人はよく変な人に付きまとわれるもんだね
669 132人目の素数さん 2017/05/28(日) 13:34:33.06 ID:HAVcirkI
余人にマネ出来ない魅力があるからだろ
森田なんて俗物とは比べようもない
大沢健夫さん、ついにご定年か
この研究の本流は今誰なんだろ?
12
弟に自殺されてしまった大鵲の命の御心境は、後に明治天皇がマザマザと思い出して、こう詠んでいられる。
目に見えぬ神に向いて恥ざるは
人の心の誠なりけり
大鵲の命は皇位に就て仁徳天皇となられた。
天皇はこの御製のように政務に奨励されたから天下はよく治った。
仁徳天皇にこう云う御製がある。
高きやに登りて見れば煙立つ
民の竈はにぎわいにけり
天皇が三年租を免ぜられること引き続いて二回の後にお詠みになった歌である。
世人呼んで聖の世と云えりと「大日本史」は書いている。
以上を01として、
02
かように仁徳天皇御在世の間はよかったが一旦崩くなられると世の有様はおかしな具合になって行った。
天皇補佐の諸家系が家の功名を競って相争い、ブロックを作り、段々大きなブロックになって行き、
遂に蘇我、物部の二つのブロックに分れて相争うに至った。
これは一口に云えば「こころ」(ここでは第十識以上。天上界は考えなくてよい)が物質化(第九識以下)したのである。
何処まで下ったかと云うと、たゞ勝とうと相争うのだから、一挙に第七識下層まで下ったのである。
人の世の日本民族は無意識的には真情を自分と思っていたが大抵の人はそれを自覚していなかった。
その状態で強烈な物質文化(第九識以下)を取り入れたからこう云うことになってしまったのである。
一寸牛乳へ酸を入れた時の有様に似ている。
03
丁度其の時佛教が入って来た。蘇我氏はこれを受け入れると云い、物部氏は受け入れてはいけないと云って相争った。
稍徳太子は佛教を受け入れようとお考えになって、蘇我氏に加担された。物部氏は滅んだ。
相拮抗していた二大勢力の一方が滅んだから、蘇我氏の勢力が非常に強くなった。
稍徳太子は佛教によって世を治めようとして十七條の憲法を作られた。
第一條は一つ、「和を以て尊しとす」と云うのである。
然し太子がなくなられると蘇我入鹿は上宮王家(稍徳太子の御一家、家長は山背大兄皇子)を焼き滅ぼした。
此の暴挙を憤った中大兄皇子は鎌足と謀って蘇我氏を滅ぼした。
鎌足は秦の制度(武官に私兵を許さず、文官に世襲を許さず、共に領土も持てない)に倣うべきことを進言した。
皇太子中大兄皇子がこれを受け入れて半ば実行に踏み切ったのが大化改新である。
然し此の改新は大和の武臣達に評判が悪かった。
それに皇太子は新羅との戦に敗れた。
それで中途半端なまゝで辛棒する外なかった。
皇太子は皇位について天智天皇となられたが、其の死後大和派を代表する天智天皇の弟大海人皇子は天智天皇の御子大友皇子と争って勝ち皇位に就いた。
これが天武天皇である。
天皇は稍徳太子に倣って佛教によって国を治めようとした。
そして多くの僧院を建てて研究に従事させた。
然し佛教の本体は観念であって認識ではないから何の成果も上がらなかった。
其の後天武天皇血縁の天皇が多く歴代天武天皇の方針に従った。
奈良七代の第三代聖武天皇は奈良に大佛(ビルシャナ佛)を作り諸国に般若心経を配布して国法に依るべき所を示された。
僧達は次第に政治に関与するようになり遂に皇統を危くする道鏡の如きものすら出た。
朝廷は佛教の弊害にこりて都を奈良から長岡に移し次で京都に定めた。
然し皇道の御稜威(みいつ)は全く地に堕ちた。其の実例に平城天皇の皇太子高岳親皇がある。
此の人は佛道がきわめたくて父皇の懇請を斥けて太子の位を捨て、中国に渡り、足らずとして印度に行こうとして、今の佛印で黒豹に襲われて亡くなった。
その志気(しいき)は壮(さかんなり)とすべきも、既に人々は上代を忘れてしまっているよい証拠である。
こんな風だから天皇もこれを補佐する藤原氏も真の政治とは何かを全く考えなかった。
藤原氏は権を専らにして遊楽に耽り地方を顧みなかった。
南都北嶺の僧達は多くは僧兵と化し、兵力によって朝廷及び民衆を威嚇しタブーによってこれを強化した。
この状勢はまだずっと続くのであるが、ここまで見ただけでも、人の世の日本民族に対して、佛教の大害あって寸益なきこと明らかである。
こう云うことになるのは自明であるが、どう説けばそれがわかって貰えるかわからない。
だから歴史の実際を見て貰おうと云うのである。
13
わたしと佛教との関係を調べてみよう。
満州事変と日支事変との間に暫く重苦しい平和の日々が続いた。
その雰囲気をマザマザと思い出したければ、其の頃の流行歌を口誦さむのがよい。
酒は涙か溜息か
こころの憂さの捨て所
此の雰囲気の中でわたしは始めて佛教に出会うのであるが、成る程稍徳太子が佛教を取り入れたがったお気持ちはわかる。
唯わたしは幸い責任のない位置にいるのに対し、太子は佛法をよく検討する暇がなかった。
これはそう簡単にわかる代物では無いから困る。
途中をすっかり省いて、わたしは佛教はどうしても、
徐々にでよいが日本民族から払拭しなければいけないと思うようになったのはごく近頃のことであって、
何故そう思ったかと云うと、
光明主義の如来光明礼拝儀にこう云うお祈りがある。
「願はくは常に慈悲、歓喜、正義、安忍、剛毅、貞操、謙遜、真実等の徳を體し、
外は怨親平等に思いやり(同体大悲と書いてそうよませているのである)の愛を以て、
他に対し得らるるように、恩寵を垂れ給へ。」
わたしはすぐに思った。こんなお祈りを朝晩上げていると、全然日本人らしくなくなってしもう。
何故かと云うと、ひこほほでみの尊の古神道の中心真髄は、第十五識の道、これは
「有相界の何物にも依存しないこと」
即ち「捨」である。佛道も「捨」であるが、それは外界の捨、古神道の捨は内心の捨である。
釈尊は内外を間違えたのである。
同じく「捨」であってただ外と内とが違っていると云うことは正反対だと云うことである。
一方をやれば他方はやれない。だから佛法が日本に入って来ると、日本はこんなに目茶目茶になってしまったのである。
日本民族らしい心の色どりが、全く失われてしまったのである。
日本人には一口に云って第九識以下はトゥリビアルなのである。
14
ここで一応佛教を離れて、やがて来る元寇に目を向け変えなければならぬ。
藤原氏は地方を全く顧みなかったから地方に武士が起った。そしてこれも平家と源氏との二大ブロックに分れるに至った。
源氏は藤原氏に従属していたのであるが、平氏は朝廷に直属していた。
その平家に忠盛、清盛と二代続けて俊傑が出た。これに対し藤原氏には其の頃全く人がいなかった。
それで平清盛は次第に抬頭した。
造化は先づ政権を藤原氏から平家に移そうと思った。
それで平治の乱にあめのおしほみみの尊を送って、重盛の軍に加担して義朝の軍を木端微塵に破らしめた。
此の一戦によって政権は平家の手に帰した。
然し其の平家はすぐ奢り高ぶって物の役には立たなくなってしまった。
それで造化は政権を平家から源氏に移すべくあめのおしほみみの尊を人に生れさせた。
源義経である。
この人のことを少し詳しくお話ししよう。
以上を01として、
02
義経の戦さ振りについては前に云ったので充分である。
詳しく見ようと云うのは其の末路についてである。
壇ノ浦の戦いも遂に平家に利なく一門の最後此の時と見えた時、建礼門院はまだ幼い安徳天皇を擁して、名セリフ、
「海の底にも都の候ぞ」
を残して海に投じた。然し建礼門院だけは救い上げられた(髪を絡んで引き上げられたのである)。
建礼門院は義経の船に連れて行かれた。
義経は彼の女と二人限りで暫く対座した。
此の時義経は人間界のτ02から、植物界のτ02に生れ変ったのである。
これは建礼門院がα04だからこうなるのである。義経はτ02である。
これ程の神々になれば、其の「こころ」(第十二識以上)が生れかわるためには唯何分間か瞳と瞳とを交えておればよいのである
(わたしとα01との時は十分であった)。
τ02-α02の関係は「こころ」(第十二識以上)が共に人間界にいる時は、「からだ」は母子、
「こころ」が共に植物界にいるときは「からだ」は夫婦である。
だから常磐御前が人間界に於けるα02、静御前が植物界に於けるα02である。
次に義経の「こころ」は静御前の胎に宿った。残っているのは義経の「からだ」だけである。
義経の「こころ」が静御前の胎に宿ったのは何時頃かと云うと静御前が吉野で捕えられて鎌倉へ連れて行かれた時、
赤ん坊はまだ生れていなかったのだから義経が陸奥を指して都を落ちた時の数か月前である。
だから此の辺を境にして人の眼に義経と見えたのは、実はτ02の「こころ」の抜けがらだから全々精彩が無かったのである。
静が鎌倉へ連れて来られると、頼朝は彼の女が妊娠していると聞いて、生れて来る子が女ならば助けてやるが、男ならば生かして置けないと云った。
生れて来た子は男だった。
それで頼朝はこれを鎌倉の海に投じさせた。
かようにして植物界のτ02は第二蓬莱宮へ帰った。
これが第三代の草薙劔であって、今宮中の劔璽の間に安置されている。
これが第三代の草薙劔の由来である。
かようにおしほみみの尊がどのようにして生れて来たかは人にはわかるが、どのようにして帰って行ったかは人の想像を絶するものがあるのである。
03
ここでτ04-α04のことを実地についてよく見て置こう。
τ02は時の司さだと云った。α02の力も前に見た。
時の司さと云うのはハッキリ云えば悲願の司さである。同じようにα02は喜びの司さである。
だからτ02-α02は人間界の司さなのである。
これに対してτ03-α03は植物界の司さなのである。
ではτ04-α04は?
これは(ににぎの尊―木花咲耶媛)、つまりAクラス的皇統である。だから源氏のしたことはそれを断ったのである。
さてτ04-α04であるが、壇ノ浦に消えたτ04-α04は、後の長州萩の松下村塾となり、次にわたしの父母となって世に顕現した。
前者は高杉晋作を育て、後者はわたしを育てた。
わたしは植物界に於て育てられた人間界の人であること前に云った通りである。高杉晋作もそうだと思う。
安徳天皇と其の御生母との御入水を聞いて天人共に憤った。Aクラス的皇統を断ったのだから。
人の世では、たとえばわたしは一高の「動物の犇き」から三高の「植物の喜び」に人生の梶を取り替えた。
天上では、造化は国を産み直すべく決意して即刻実行に移した。
つまり造化の胎はこの時安徳天皇―建礼門院を全の胎に(個の胎ではなく)受胎したのである。つまり再びににぎの尊をである。
造化の人の子の生み方は、先づ至微界(こころそのものの世界)を第十五識に映写する。
次にそれを天上界(第十四―十二識)に映写する。
最後に第十四―十二識の写像を第十一―七識に映写する。
人はこうして生まれるのであって、それが10か月である。
所で、これはコピーの時のことである。今度の国産みは前のはいけなかったから産み直すと云っているのだからオリジナルである。
オリジナルはコピーの十倍かゝる。一度オリジナルを産もうとするとコピーの時の十倍かゝるのである。
三度それを重ねなければならないのだから10の3乗倍餘計かゝるのである。
10か月の10の3乗倍だから10の4乗即ち一万か月である。
だから西暦2010年頃、真新しい国、高天が原+葦原の中つ国が生れる筈である。
それでは前に云った日清戦争の少し前、(一年半位前)に受胎して1974年の3月の末に生れたのはあれは何だろう。
第十四識以下(外界)が先に生れたのである。
第十五識(内心)は第十五識から見れば同時に生れているのであるが、
それが人の世に顕現れるのは遅れるのである。
どれ位遅れるかと云うと、三十六、七年遅れるのである。
15
義経の働きで、造化の望通り政権は殆んど時間を要しないで平家から頼朝に移った。
然し源氏には骨肉相食む誠に忌むべき癖がある。
取り分け頼朝は弟義経や範頼に対する仕打ちを見てもわかるように、猜疑、残忍、刻薄である。
こんな家系を主宰者に使ったのでは国は到底護れない。
それで政権を源氏から其の執権である北條氏に移した。これはごく簡単に行った。
義時がその適任者だったからである。然し其の代り義時は使えない。
それで造化は北條氏に新しく英傑、泰時、時頼、時宗を次々に生れさせた。
そしてその時宗の時に元(蒙古)が攻めて来たのである。
ギリギリ間に合ったのだと云うことがよくおわかりになったでしょう。
¥
>>669
真の俗物乙
>>668
分かりやすい変人の天才だから飯の種にうってつけ
★★★数学徒は馬鹿板をしない生活を送り、日頃から真面目に学問に精進すべき。★★★
¥
16
次の造化の急務は皇統を護持することである。
いよいよ蒼旻の上の第十五識の女性の継走の第一走者わきいらつこの命から、第二走者正行へバトンタッチする時が近づいて来た。
承久の乱以後皇統とは名のみであって、北條氏は大覚寺統、持明院統の二皇統を立て、交々出でて天皇となるべきことを命じた。
これでは崇神天皇の御理想は実現せられるべくもない。
もう元寇を斥けると云う役割は果したのだから、造化は次にはこの不臣な北條氏を除かなければならない。
それで先づ時宗を天上に召し帰した。それで北條氏は中心となる人物を失った。
その上元には勝つには勝ったが得たる所は寸土とてもなく、その上元を防ぐため財貨も使い果たしていた。
それで河野通有等の元寇の際の功臣達に恩賞を与えることが出来なかった。
そのため利に敏い当時の武士達の人望は北條氏を去った。
此の状勢を見て、後醍醐天皇(大覚寺統)はひそかに北條氏を滅ぼして王政を復古しようとなさった。
所が此の密謀が六波羅の知る所となり、天皇は身を以て笠置山に逃れ、天下に義兵をお募りになった。
尾州の足助氏(源氏)等馳せ参じ、笠置は天嶮だから天皇は小康を得られた。此の時天皇は霊夢を見られた。
天皇は野中で豪雨にお会いになった。困っておられると一人の童子が顕現れてしきりに指さすから見られると、
一本の楠の大樹があって、その葉蔭はさしもの豪雨にも少しも濡れていない。
童子は一言「南河内の楠」と云い残して掻き消すように消えてしまった。
天皇は人をやって探させると果して南河内に楠氏と云う豪族がある。
それで当主正成を笠置に召して、自分を助けて北條氏を討ち滅ぼすようにと仰せられた。これに対して正成はこうお答えした。
「戦の常ですからどう云うことがあるかわかりません。
然したとえどのような事態になりましょうとも、正成さえなお生きて世に在りとお聞きになりましたら御安心下さいませ。
必ず北條氏を滅ぼして御叡慮に添い奉りますから。」
正成はそれから河内に帰り赤坂に城を築いて立て籠ったが、北條氏に攻め落され身を以て逃れた。
天皇も捕えられて隠岐にお流されになった。
正成は再び金剛山の中腹の千早に城を築いて立て籠った。
赤坂落城は敵を油断させて時を稼いだのである。
その証拠に正成は予めそれを後醍醐天皇に申し上げている。
今度は天嶮に支えられ、糧道を開かれていたから、それに何より護っているのが正成であったから、
北條氏が全国の兵を傾けて攻めてもどうしても落すことが出来なかった。
その内に各地に正成に呼応するものが出て来た。
足利尊氏は六波羅を攻め落した。
天皇もひそかに隠岐を脱出して伯耆の名和長年を頼って船上山に拠られた。
そして遂に新田義貞が鎌倉の虚をついて、時の執権北條高時を自刃せしめた。一族郎党六百餘人これに殉じた。流石である。
17
かくて建武の中興は成就したのであるが、王政復古とは名のみで、実態は旧態依然たる公家政治であった。
しかも其の内容が非常に悪かった。
天皇が笠置に逃れられたとき唯二人お供した藤房、季房等の老練の士は天皇に度々苦言を呈したため悉く斥けられて既に無く、
若輩の公卿達は政治に未熟である上、徒らに奢り高ぶり其の内賄賂を取ったり親疎の別をおいたりして公事(訴訟)を誤るもの多く、
其の上天皇は一人の妖し気な寵姫を溺愛して、其の云う所を悉く用いられた。
これでは、さなぎだに利に敏い当時の武士達の人望が御醍醐朝を去らなければ奇跡である。
時勢はかようにして造化の筋書き通りに着々進行して、いよいよみ空の第二走者正行の出番が近づいた。
以上を01として、
02
利害を見る眼が鋭く、其の意味の機を見るに敏な尊氏は
(彼はもと高氏と云ったのであるが天皇の寵姫が彼がお気に入りだったため、天皇も彼を愛されて、其の御名の一字を賜ふて尊氏と変えさされたのである)
此の状勢を見て鎌倉に叛旗を挙げた。
朝廷は義貞をしてこれを討たしめた。義貞は尊氏兄弟と箱根に戦ってこれを破った。
これより前護良親皇は正成の進言を容れて今の内に尊氏を誅すべきことを天皇に申し上げたため、
天皇は其の所行粗暴なりとして親皇の軍権を奪い、鎌倉の岩屋に下獄された。
尊氏の弟直義は箱根に破れるや一軍兵に護良親皇を亡い奉ることを命じた。
軍兵は岩牢に入って親皇を討ち奉ろうとしたが、親皇は屈し給わず其の刃を噛み折られた。
然し軍兵も屈せず小さ刀を抜いて遂に御首(みしるし)を上げ奉った。
壮烈鬼神を泣かしむる情景である。
尊氏は一旦箱根に破れたが、もともと関東は源氏の根城であり、其の上尊氏は当代の武士の間に信望がある。
忽ち大軍を集めて京洛を指して攻め上った。
兼て此の事あるを予期した北畠親房(後に神皇正統記を書いた人)は其の子顕家を鎮守府将軍に任じて陸奥に居らしめた。
果然尊氏の叛するを見て、陸奥は古来名馬の産地である、精騎すぐって数千、ひたひたと尊氏の軍の後を慕った。
京都は正成、長年、義貞らが守っていた。それで尊氏のこれにせまるのを見て、正成の謀を用いて顕家と挟み討った。
尊氏は散々に破れ、身を以て九州に馳った。
所が、此の地に於ても彼の人望は高く、菊地氏を除く殆んど総ての豪族が彼の傘下に集まり忽ち二十万の大軍となった。
尊氏はこれを水陸二軍に分ち、直義をして陸軍を率いしめ、自ら水軍を率いて、一路京都を指した。
03
此の飛報京都に到るや、正成は必勝の軍略を献じた。
然し驕慢なる四條高資等の容るる所とならず、天皇も亦彼等に同じ給い、正成に義貞と共に摂津に出て尊氏の軍を迎え討てとの勅諚が下った。
正成は討死を覚悟した。それで此の度河内から上京する際、長子正行を連れて来ていたので、
駒を並べて征途につき、桜井の驛に着いた。
此処は摂津へ行く道と河内へ行く道との分れている所である。
正成は此処で駒を止めて、折からの若葉の下に円座を敷かせて正行と対座し、
勅諚黙し難いから自分は摂津へ赴いて討死するが、わが無き後は世は尊氏の儘であろう。
お前は郷里で兵馬の調練をして飽くまでも正統をお護りしなければならぬ。
何かこう云ったことを幼い正行にも納得の行くように諄々と教えたことであろう。
そして家来を付けて正行を郷里に帰らせた。
正行は泣く泣く後を振り返りつつ遠ざかって行ったであろう。
それを立って見送る正成の頬にも一滴の涙が光ったであろう。
04
摂津に於ける正成の姿は一切を捨て切った人の清々しさであったと思う。
兎も角此の日の一戦で尊氏は正成の強さが骨の髄までわかった。
それまで彼はこう思っていた。自分は人望がある、だから兵が集まる、だから自分は強い。
然し此の自信は今日の一戦で吹っ飛んでしまった。
義貞の軍下手なる、正成は足利の全軍二十万に包囲されたのである。
それでも尊氏は彼らの労れを待つ以外に為す術を知らなかったのである。
05
尊氏は正成を心から尊敬した。
それで故郷で埋葬して貰おうと思って正成の首級を河内の楠館へ送った。
正行はそれを一目見るや否や自室へ入った。
それを見た母急いで襖を開けて見ると正行は父の片身の短刀で自刃しようとしていた。
母はその刃を叩き落して父上はこれを腹を切れと云って下さったのですか、と云って多分じっと眼を見たのでは無かろうか。
正行はすぐにわかって自分の不覚を深く母に詫び、其の後は来る日も来る日も一族郎党の子弟を集めて尊氏の首を取る遊びをした。
其の中に月日は流れて正平戊子の春となった。
此の時尊氏の部将高師直は八万の大軍を率いて攻め寄せて来たのである。
正行は出陣に際して先づ後村上天皇に謁し、
次に如意輪堂の扉に鏃(やじり)で次の歌と共に死を誓った一族郎党百餘人の名を書き残した。
帰らじとかねて思へば梓弓
無き数に入る名をぞ止むる
かくて正行は決死の楠軍を率いて師直の大軍を飯盛山に邀撃(ようげき)した。
その戦振りはまるで花吹雪を見るように唯もう美事であった。
それもそうであろう。
正行は早く死んで父正成のもとに行き度いとしか思っていないのであって、
しかも十年も待たされたのだから、史上これ以上美事な花吹雪はあり得ない。
師直は帰って尊氏にこの話をした。
尊氏の自分は強いと云う自信は正成の死によってなくなってしまっていたが、
彼にはまだ人が自分を好いて呉れていると云う自信が残っていた。
然しこの自信も正行の死によって吹っ飛んでしまった。
正行の父を愛し慕う情に比べたら、
大衆の情の如き、飯を貰っている犬が飼主に尾を振るようなものに過ぎない。
彼の此の方の自信もこれで消えてしまった。
これは正成と正行とが、外の夢殿と内の夢殿から死によって尊氏に実相を放送したのである。
彼も亦梟雄(きょうゆう)、これがわかった。
それで幻が消えてしまったように偽りの自信が消えてしまったのである。
これが楠父子の目的だったのである。
もうこれで足利幕府は残像のようなものに過ぎない。
皇統は安泰である。
18
然し三代義満は、一々数へ挙げて見ても得る所がないから挙げないが、相当激しく足利氏の最後のあがきをあがいて見せた。
然しそれを最後に足利幕府は名のみの存在となり、世は戦国時代に入ったのである。
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岡氏の後継者とも言える森田氏が最近ますます活躍なさってますが
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アホか
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19 楠正行から孝明天皇まで
応神天皇以後中国や佛教から入って来た無明の毒性の主要なものはこの頃になるとほゞ消えてしまっていたように見える。
ただまだ国民大衆はひどい中毒症状のやっと取れた病後のようにぼうとなってしまっているように見える。
然しこれも段々取れて、本来の日本人の心を次第に思い出して行くであろう。
世は幸い戦国だから。
第二蓬莱宮はそう思って見ていたのであろう。
以上を01として、
02
実際足利幕府が無力化すると、始めはこれ幸いと群雄が割拠して隣国の城をだまし取ったり、
土地を掠め取ったりすることに急がしく、そう云う詐略に長けたものを敬う風があったが、
時が経つとともにそれも次第に薄れて行って、逆に其の反対の潔さを尚ぶようになって行った。
一例を上げると、甲斐は山国で塩が取れない。
それで信玄は越後の謙信とは年来の好敵手だから、関東の北條氏から塩を送って貰っていた。
所が其の北條氏と仲が悪くなった。それで北條氏は塩の仕送りを止めて信玄を苦しめた。
これを聞いた謙信は自分は塩で貴殿を苦しめるような卑怯な漢ではないから、
要ればいくらでも云って来て呉れと云う書状と共に(書状はフィクションかも知れない)、信玄に塩を送った。
今日でも「敵に塩を送る」と云う諺が残っている。
此の有り様を見た造化(第二蓬莱宮)は、時分はよしと、
20 信長、秀吉、家康
を世に送った。此の三英雄の実体をお話ししよう。
造化は信長には掃戸の大神、秀吉には天の常立の尊、家康には国の常立の尊と云う「からだ」を着せ、
信長には初代の草薙の劔、秀吉には二代目の草薙の劔、家康には三代目の草薙劔を帯びさせ、
信長は日本武尊、秀吉は天照大神(α01)、家康はひこほほでみの尊が操ったのである。
四史を三英雄に割り付けると一つ欠ける。うましあしかびひこじの尊(春)が欠けたのである。その代り秀吉をα01が操ったのである。
そうすると世の人の眼にはどう映ったかは、
わたしが説明しても餘り得る所がないから「近世日本国民史」(徳富蘇峰)に詳しく書かれているから、
それを見ていただきたいと思う。
地上のことはこれ位にして我々は蒼旻の上の第三走者孝明天皇に急ぎたいと思う。
21 伊勢神宮信仰の勃興
日本の応神天皇以後の、云わば他家中毒(中国の文化と佛教による中毒)に対する造化の措置が適切であった証拠に、
戦乱が治まって元禄の世が来ると、人の世の日本民族の、伊勢の内宮に対するあり方は、いつも云う通り次のようになっていた。
春めくや人様々の伊勢参り(蕉門)
参宮と云へば盗みも許しけり(蕉門)
日本全国の津々浦々から、人々が一生に一度はと、数百里の道も遠しとしないで歩いて、慕い寄ったのである。
これは上代にも見られなかった純粋な信仰である。
そのためには信長や秀吉が朝廷を非常に大切にして見せたことが大いに効果があったと思う。
また家康が朝廷を飽くまで押し込み奉ったことが逆に地上の信仰を天上に移したと思う。
この有様が明治維新まで二百五十年も続いた。
このことが其の後の日本の一切の原動力になったのである。
先づ明治維新の成功に対しては、蕉門の次の二句で云い尽されているように思う。
梅が香にのつと日の出る山路かな
所々に雉の鳴き立つ
梅が香は人々の内宮さまをお慕いするこころのまことであって、
のつと日の出るは、いよいよ天照大神が天の岩戸を御出ましになり、其の光り八紘に及んだのである。
どんな雉が鳴き立てたかと云うと、たとえば三振りの草薙の霊劔(みつるぎ)が立ち上ったのである。
此の霊劔の季節は、初代が冬、二代目が夏、三代目が秋であって、
春がないのであるが、当然であって、それを呼ぶためにみつるぎが働くのである。
初代は熱田神宮に、二代目は赤間が宮(安徳天皇をお祀りしてある神宮)に、三代目は宮中の劔璽の間に納められている(二代目については人は知らないが)。
この三振りのみつるぎが顕現して、維新の三傑となったのであって、二代目の化身が高杉晋作、三代目の化身が坂本龍馬、初代の化身が西郷隆盛である。
こう云う人達は、なすべきことをなしとげた後は、ながく此の土に留ることをせず、さっさと第二蓬莱宮へお還りになるのである。
これでこの葦原の中つ国は、あめのおしほみみの尊(所謂八幡大菩薩)がお護りになっているのであることが、おわかりになったと思う。
元禄の頃には葦原の中つ国(地上界即ち第十一識以下)の「気」が再び上代の如く(万葉の「神代調」や「万葉古調」にお聞きになるとよい)澄み渡った証拠に、
大芭蕉が出て来ている。
此の梅に牛も初音と鳴きつべし
春雨や蓬をのばす草の道
ほろほろと山吹散るか滝の音
(外の夢殿である)
此の頃水戸光圀が維新のために道をつけている。
此の人は仁徳天皇の後身であって、明治天皇の前身であるが、周の文王の伯父の話を読んで感激して「大日本史」の編纂を創め、
湊川に「嗚呼忠臣楠氏の墓」なる碑を立て、諸国を遍歴して忠臣、孝子、烈婦を拾った。
其の為幕末に数多の志士が「七生報国」を合言葉に潔く散ったのであるが、其の香りは闇に漂ったのである。
これで中世を終る。
Ⅳ 近世及び現代
22 孝明天皇
かようにして、外の夢殿の舞台装置がとどこおりなく出来たから、主役孝明天皇が内の夢殿から御登場になった。
此の人はα01の化身であって、其の御登場と共に、「近世」の幕が上げられたのである。
此の人のなさったことを一口に云えば、この人は往昔のわきいらつこの命の再来だから、
其の御理想即ち夫帝舜の理想を、鋭意実現しようとなさったのであるが、
時尚早きを暁り、来るべき日露戦争に備うるの急務なるを見て、
再び将来を期して自らお命をお絶ちになったのである。
わたしは三度目は西暦2010年にお生れになると思っているのであって、そうであろうとなかろうと、そんなことは皆トゥリビヤルであって、
エッセンシャルなのは、蒼旻の上の「日本民族」と云う名の走馬燈がそう廻っていると云うことである。
さて走馬燈の孝明天皇の影が人の世にどう映ったかを見るため「近世日本国民史」(徳富蘇峰)を披いて見よう。
以上を01として、
02
第二蓬莱宮の天照大神は、主として教育のため、度々人にお生れになっておられる。
その俤を彷彿するために、此の機会にそれを一括してお話ししておこう。
仲哀天皇の御世に黄色い獅子が現れて鷺坂忍熊の二皇子を食ってしまったことは前にお話しした。
α01のこの二人の御子は、平安時代になって二歌人として生れた。
式子内親王と和泉式部とである。この人達には次のような歌がある。
うちあけて思ひやるべき方ぞなき
春の限りの夕暮れの空 (式子内親王)
またしても空ぞ見らるる思ふ人
天降り来んものならなくに (和泉式部)
萩原朔太郎はこれらの歌を恋愛歌中の最高峰だと云って絶賛している。彼は尚こう云っている。
式子内親王にはすらりとした瘦形の人を想うし、和泉式部と云えばずんぐり肥った中年の婦人が目に浮ぶ。
これは響きでは鷺坂、忍熊と照応する。
わたしはさぎさかの皇子の生れ変りが式子内親王であって、おしくまの皇子の生れ変りが和泉式部だと思っている。
式子内親王には次のお歌がある。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
誰がそんなに恋しいのかと云えば、まだ見ぬ父τ01が恋しいのである。だからさっさと伊勢神宮の内侍になって、やがて其の母α01に帰一してしまったのである。
だからα01の「愛」の一面が見たければ、式子内親王を見ればよいのである。
仲哀天皇の御世に黄色い獅子が現れて鷺坂忍熊の二皇子を食ってしまったことは前にお話しした。
α01のこの二人の御子は、平安時代になって二歌人として生れた。
式子内親王と和泉式部とである。この人達には次のような歌がある。
うちあけて思ひやるべき方ぞなき
春の限りの夕暮れの空 (式子内親王)
またしても空ぞ見らるる思ふ人
天降り来んものならなくに (和泉式部)
萩原朔太郎はこれらの歌を恋愛歌中の最高峰だと云って絶賛している。彼は尚こう云っている。
式子内親王にはすらりとしたやせ形の人を想うし、和泉式部と云えばずんぐり肥った中年の婦人が目に浮ぶ。
これは響きでは鷺坂、忍熊と照応する。
わたしはさぎさかの皇子の生れ変りが式子内親王であって、おしくまの皇子の生れ変りが和泉式部だと思っている。
式子内親王には次のお歌がある。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
誰がそんなに恋しいのかと云えば、まだ見ぬ父τ01が恋しいのである。だからさっさと伊勢神宮の内侍になって、やがて其の母α01に帰一してしまったのである。
だからα01の「愛」の一面が見たければ、式子内親王を見ればよいのである。
702 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/06(木) 13:11:55.90 ID:zEDyZoZZ
和泉式部は、一日栂尾(とがのお)に明慧上人を尋ねて、折悪しく上人が外出中だったから庵の柱に次の歌を書き残して来た。
暗きより暗き途にぞ入りぬべし
仄かに照らせ山の端の月
一体明慧上人とはどう云う人だろう。
川端康成氏の「美しい日本の私」は、此の人の歌を数多く上げている。それを左に掲げよう。
あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかやあかあかあかあかや月
こんな歌は見たことがない。月と云えば明らかにτ01であるが、τ01をこうも激しく思慕するこの人の「こころ」は、どう云う女人なのだろう。
尚他の歌を見てみよう。
雲を出てわれに伴う冬の月
風や身に沁む雪や冷たき
すぐに芭蕉の「きぬぎぬや餘りか細くあでやかに」の情景が浮ぶ。
隈もなく照れるこころの輝やけば
わが光りやと月思ふらん
自分のこころか月のこころかわからなくなってしまったのである。
山の端にわれも入りなん月も入れ
夜な夜な毎にまた友とせん
まるで月に会うのを楽しみに生きているようなものである。
これは弟橘媛が先づわきいらつこの命に生れ、次に明慧上人に生れたのであって、だから久しく会わない夫τ01が無性に恋しいのであって、
式子内親王のτ01に対する思慕の情の表わし方とは対蹠的なものであって、
かれを「愛」と云い、これを「善」と云い、弟橘媛のような表現の仕方を「真」と云うのである。
そうすると、和泉式部は其の母を訪ねて道を聞いたのである。
いづれは教えられて軌道に乗っただろう。
それだったら、もう一度生れて来ている筈だがと思って見渡してみたが仲々見当らない。
到々明治まで下ると、あった、樋口一葉が正しくその人である。
何故かと云うと、幸田露伴は此の人の行文を評して、「渠成って水到るが如し」と云っている。
また、この人は結核で、発病してから三月程で死ぬのであるが、其の事実上の辞世の句は、
月の前に若葉のそよぐ今宵かな
これは正しく外の夢殿の、生命の流れにゆらぐ幅広の水草の情景である。
またこの人の代表作は最後に書いた「たけくらべ」であるが、貴方々は女主人公「みどり」の半生に餘りにも「マザマザとしたもの」をお感じになりませんか。
自分の前生を描写したものに違いありません。
そうするとこれは和泉式部の生涯です。
重ね合わせて見るとピタリと一致するでしょう。違っているのはトゥリビヤルだけです。これできまりました。
みどり(α01)のあの水仙を投げ入れて行った青年(τ01)に対する思慕の情の表現の仕方は、
式子内親王のそれと明慧上人のそれとの丁度中間であって、これを「美」と云うのである。
また孝明天皇のそれは、遠く夫帝舜を思っているのであって、この表現の仕方を「自覚」と云うのである。
この真、善、美、愛、自覚に、今一つα01は比較を絶して「清浄」であることを加えると、外の夢殿におけるα01の俤が得られます。
03
孝明天皇にもどる。天皇は「祭政一致」の政治を実現しようとなさったのである。
祭政一致の政治の意味はここでは崇神天皇の御誓約の実践位に取って置けばよいと思う。
具体的に云えば「太政官制」を敷こうと云うのであって、
これが直ちに実行に踏み切れるかどうかは、
第一に太政大臣に撰らぶに足る人物が今現にいるかどうかにかかって来る。
この点に関する天皇の意中の人は姉小路公知卿であった。
姉小路家は尊氏が飛騨の高山を攻めた時、これを守って一家悉く国難に殉じた名誉の家柄であって、卿御自身は明にして剛腹であった。
日本の政治は藤原中心から諸藩中心に移ったのであって、今太政官庁を開くとすれば其の最高議官の数の比率は公家1対武家2となる。
単に其の道の先輩だと云う理由で、この1の劣勢を率いて2の優勢を操るには、太政大臣には姉小路卿程の人が是非要るのである。
そして幸に一人あるが二人は無かったのである。
所が、
其の姉小路卿が暗殺されてしもう破目になって、孝明天皇は其の宿願を諦める外なき事態に立ち到るのである。
この有様の時天皇は天然痘にお罹りになって遂に御他界なさるのであるが、その崩り方がまた普通ではないのである。
この荒筋を知った上で、其の要点を「近世日本国民史」によって詳しく見よう。
尚、
孝明天皇は「公武合体」を標榜されたのであるが、
これは先づ目標を「政体」に置いて、
暫く「政権」を無視されたのである。
太政官庁の権限を小より次第に大に及ぼそうと云うのである。
04 姉小路卿の死去
「近世日本国民史」にはこう書いてある。
当時朝廷に於ては、幕府は辞を左右にして期限つきで約束してあった攘夷を実行しないので、いらいらしていた。
幕府は幕府で、朝廷から攘夷をせっつかれるし、英国から生麦事件の後始末でやいやい云って来られるし、これまたいらいらしていた。
そういう状勢のさ中に於てである、姉小路卿が暗殺されたのは。
されば五月二十日には朝廷の評定も自ら長引き、朝廷の退出も夜に及んだ。
当時姉小路公知卿は、その位は右近衞権少將に過ぎなかったが、その識見言論は自ら過激派朝臣の隠然たる首領であった。
しかも彼は未だ二十五才に過ぎなかった。
亥の刻に三條実美に一歩後れて朔平門外(さくへいもんがい)を過ぎる時、
忽ち三名の刺客刀を抜いて現れ、一名は下僕の持った提燈を、二名は進んで公知卿を斬る。
卿屈せず傷を被りつつ顧みて太刀を呼ぶ。ところが太刀持ちはいち早く逃げて了っていた。
公知卿は手に扇子しか持っていなかった。それで刺客の刀の柄を握って、それを奪おうとした。
従者中條右京は刀を抜いて刺客を斬ろうとした。それで刺客は刀を取り返えせず逃げた。
それで家臣が扶けて邸内に入れた。公知卿は苦痛を忍んで遭難の届書及び知人に托す可き後図を伝え、更に一語の私に及ぶなかった。
そして五月二十一日の丑の刻に息をひきとった。
当日土佐の土方楠左衛門、肥後の山田十郎等は、公知卿にお目にかかって機務の話をし、夜、再び来て公知卿の退出を待ったが、余り遅いので明朝を約して帰った。
間もなくこの異変が出来した。
それで家臣跡見重威(あとみしげたけ)は取り敢えず之を土方に告げた。
土方はあわてて走って来たし、次いで長州人士及び各藩の志士が集まり、刺客の捜索及び後図を議論し、暁に達した。
三條実美もまた来て遺体をしらべ、悲しんだ。
ところで前に賊が刀を捨て去って逃げたと云った。その刀をしらべて薩摩の田中新兵衛のものとわかった。
ところが新兵衛は京都所司代に捕えられると、その刀はわたしのものかどうか見なければわからないと云ったので、それを見せると、
いきなりそれで腹を切って死んでしまった。
それで結局、誰が姉小路卿を切ったのかわからない。例えば余り腕のたたない者が斬ったと許りも云い切れない。
まーた、やっかみ連中が現れた
◆◆◆馬鹿板は極めて反知性的な行いであり、サッサと止めて論理的に学問すべき。◆◆◆
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おんどれは古典ガロア理論なんちゃらとかいうアホなスレは温存してるやんけ
ええかげんなやっちゃな
◆◆◆馬鹿板は極めて反知性的な行いであり、サッサと止めて論理的に学問すべき。◆◆◆
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05 孝明天皇の崩御
十一月二日頃既に御病気だったらしい。
天然痘とわかったのは十七日だった。
十二月二十三日頃迄は、御病状は先づ順当に経過しつつある模様で、寧ろ側近も楽観視していたようである。
二十四日より度々大便のお通じがおありになって御えづき強く何も召し上らない。
二十五日の夜十一時頃、主上は崩御遊ばされた。
御病状を見るに、
発病されたのが十一月十一日頃、
比較的楽観していたのが十二月二十三日頃迄、
悪化されたのが二十四日であって崩くなられたのが十二月二十五日である。
貴方々はどうしてこんな不思議な病症悪化現象が起ったとお思いになりますか。
実相はこうなんです。姉小路卿が暗殺されてしまってはもう太政官制は敷けませんから、其の後の一切のスピードがすっかり変ってしまいます。
そうすると今から精一杯急がないと日露戦争までに其の準備が出来ません。
太政官制が敷けないと決った今となっては、α01には政治よりも此の方面を受け持ってもらわなければなりません。
その上何をするにも佛教が非常に邪魔になります。
それにはどうすればよいかと云うと、世界のすべての宗教は云はゞ造化の二神の光を反射して輝いているのですから、
日本では佛教に邪魔され、いづれは西洋型無明に邪魔されて二神の光は人の世には餘り輝かなくなるのですから、
一層二神の光を消してしもうのがよろしい。
そうする一番簡単な方法は明治天皇に早く位についていただくのがよろしい。
まだ餘りよく日本の国情がおわかりになっていないからきっと二神が人の世に輝けないようなことをなさるに決っていますから。
第二蓬莱宮の主だった神々が、勿論α01も其の中に入りますが、姉小路卿横死の後図について長く相談した結果、
いくら天上界の神々でも、こんな大切な所で誤算をやっては全く面くらってしまいます。また計画は一切新規蒔き直しです。
それで相談は長くかかったのです。それにどうしてこんなことになったのか、何処に手抜かりがあったのかと云うことも見極めなければなりませんし。
結局前の国産みが杜撰だったのがいけないのだから国は産み直さなければいけないと云うことになったのですが。
造化の主な神々と人との違いは、人は同じ誤ちを繰り返すが神々は決して同じ禍は二度は重ねないと云う点だけなのですよ。おわかりになったでしょう。
これが神も誤ちを冒すと云う一番よい例です。
そんなわけで長くかゝって相談した結果、結局α01に速く還って来ていただかねばと云うことになったのです。
これが「近世日本国民史」の楽屋裏、云い変えると真相です。
23 五か條の御誓文
明治天皇が御即位になりますと、
果して明治四年に五か條の御誓文をお出しになって、
国民に固く御約定なさいました。其の第一條に曰く、
一つ広く会議を興し萬機公論に決すべし
一寸崇神天皇の御治世の始めに国民になさった御約定と比べてごらんなさい。
世も下ってここまで末になると最早造化の存在と其の実力とを信じているものなんかいやしないのです。
明治天皇に天皇をさせると早晩こうするに決っている、と考えたからして貰ったのです。
第二蓬莱宮の放送局は、待っていましたと昼のマーチの放送をやめてしまいました。
其の後の日本の昼の意識の狂態を見てごらんなさい。これが所謂「西洋型無明」の生態です。
(これとは別に西洋型根本無明と云うものがあってこれには本当に手を焼くのですが、
これについてお話しすることは後に譲ります)
造化に反逆したのは日本の昼の意識だけですから、造化は夜の放送は今まで通りにやっています。
それでこれ以後の人の世の日本民族は、たとえば日露戦争とか、たとえば終戦後の物資のひどい窮乏とか云う危急存亡の時には、
大民族たる底力を発揮して、日本の何処にそんな力がひそんでいたのだろうと世界を驚嘆させますが、
一旦其の危機を乗り切りますと、或は二十一か條の火事場泥棒的條約を中国に受諾させて鬼の首でも取ったように喜んだり、
富めるに委せて狂態の限りを尽してエコノミックアニマルと云うニックネームを頂戴したり、
つまり全く目標を見失ってしもうでしょう。
これは当然であって人の世の日本民族の昼の意識は西洋型無明が入らなくても大多数は第十識に住しているのです。
それでは認識者向けの造化の放送は統覚者にはわかりません。
だから以前統覚者にマーチが聞えたのは造化が統覚者向けに放送し続けていたからです。
それを五か條の御誓文の発布を期にピタッと休めてしまったのです。
以後人の世の日本民族の内耳には大民族らしいマーチは何も聞えなくなったのです。
マーチで造化の悲願や感受を放送するから民族は悲願を立てることも出来れば、
それに向って必死の努力をすることに喜びも感じるのです。即ち目標は自ら立つのです。
今の人の世の日本民族にはそれが全くないから無目標なのです。
眼前の事実によって可成り多くの人達にこの真理がわかって頂けたと思います。
然し充分多くの人々にこの真理をわかっていただいても、
造化はそれだけでは以前のようにまた昼のマーチを放送することは出来ないのです。
何故かと云いますと、日本に入って来ている佛教は明治以後餘り日本の政治の邪魔をしていませんが、
それは造化の二神が八紘に輝き渡ることを休めたから、
其の光の反射に過ぎない佛教は全く無力化してしまったからです。
若し造化の昼の放送がまたマーチを放送し始めますと、即ち二神が八紘を照し始めますと、
佛教はまた且て奈良朝、平安朝及び戦国時代に示したような恐るべき魔力を揮い始めるに違いありません。
その方+、-、餘程-なのです。
だから昼のマーチをまた始めようと思えば其の前に佛教の邪悪な部分を削り取らなければならないのです。
これが五か條の御誓文と佛教との関係です。
本当は全て貴方々が悪いのですよ。
無理もないとは思いますが。
尚、この不安定な状勢は貴方々に自覚をつけさせるには最適の場なのでして、これが造化の本当の狙いなのです。
24 国産み
一度お話ししたことですがもう一度繰り返しますと、
造化は安徳天皇及び其の御生母の御入水を見て、
古事記に一部分書かれている第一次国産みが如何に杜撰なものであったかがよくわかりましたから、
時を移さず国の産み直し(第二次国産み)を始めました。
これが完了するのは西暦2010年ですが、既に第十一識以下の部分だけは完了しています。
あと三十七年程かかる勘定ですが、人の世で云うからそう云う下から先に産んだような奇現象を呈するのであって、
実は全体完了しているのであること前に云った通りです。
然し天上(第十二識以上)で見れば完了していることがわかっても、人の世(第七識)にそれが顕現れなかったら、
明治以後は大抵の日本人は西洋型根本無明(時空の枠が本当にあるとしか思えないこと)を持っていますから、
色々なことが、たとえば佛教の邪悪な部分を削り取ることが非常に困難なことになるのです。
国産みが完了すればどうしてその事情が変るかと云いますと、
西洋型根本無明は天上界に対しては影響がない(つまり月が黒雲の上にあるようなものです)。
だから2010年に国産みが完了したら造化は直ぐ佛教の邪悪な部分を削り取ることを始めます。
25
1974年の3月末に造化の第二次の国産みは完了しました。
わたしはそれを見て、これでもう人の世の日本民族の滅亡の危機は去ったと思いました。
それまでのこと、及びそれからのことは第三章の私の旅路で申しましたから繰り返しません。
これで第四章、日本民族の旅路を終ります。
うる星やつら1オンリー・ユー
うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー
パトレイバー1
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攻殻機動隊1ゴーストインザシェル
攻殻機動隊2イノセンス
スカイ・クロラ
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アーヤと魔女
攻殻機動隊3
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>>693
>>707
森田君じゃなくお前のこと指して言ったのに気付かん位アホなんだなw
722 132人目の素数さん 2017/07/07(金) 17:25:25.67 ID:p078STOQ
お前さ、森田君の専スレでも似たようなことばかり書いてただろ?
ほんと進歩ない馬鹿だな
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724 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:28:28.33 ID:+jNxYDNS
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725 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:28:46.95 ID:+jNxYDNS
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726 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:29:07.75 ID:+jNxYDNS
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728 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:29:43.79 ID:+jNxYDNS
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729 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:30:03.38 ID:+jNxYDNS
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730 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:30:22.75 ID:+jNxYDNS
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731 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:30:40.60 ID:+jNxYDNS
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733 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/07(金) 18:31:15.89 ID:+jNxYDNS
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空中浮遊している表紙の本の印象しかない
735 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 10:27:22.48 ID:9Y4dp9MH
〒〒〒馬鹿板は悪い習慣であり、この行為は脳を悪くする。そやし足を洗いなさい。〒〒〒
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737 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:35:13.10 ID:9Y4dp9MH
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738 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:35:36.27 ID:9Y4dp9MH
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739 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:35:55.43 ID:9Y4dp9MH
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740 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:36:17.86 ID:9Y4dp9MH
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742 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:37:01.92 ID:9Y4dp9MH
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743 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:37:28.66 ID:9Y4dp9MH
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744 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:37:43.83 ID:9Y4dp9MH
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745 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/21(金) 15:38:07.75 ID:9Y4dp9MH
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犬コロのエピソードは読んでてほっこりした
747 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 19:13:59.33 ID:tqhSG1tp
###政治家が愚かなのと同様に馬鹿板を行うのも愚かな行為。そやし止めるべき。###
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749 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:38:44.53 ID:tqhSG1tp
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751 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:39:21.37 ID:tqhSG1tp
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752 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:39:39.58 ID:tqhSG1tp
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753 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:40:30.69 ID:tqhSG1tp
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754 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:40:50.48 ID:tqhSG1tp
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756 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:41:29.13 ID:tqhSG1tp
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757 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/07/28(金) 23:41:49.81 ID:tqhSG1tp
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758 132人目の素数さん 2017/10/17(火) 18:04:50.77 ID:n2+cnCmb
レストランで水頼んだら知恵遅れ扱いされた話すき
759 132人目の素数さん [sage] 2017/10/17(火) 21:30:42.08 ID:wv1rHNJx
>>758
秋月教授との友情秘話もいいよ
石を投げて休講とかw
岡先生に怒られた思い出 /昭和53年3月 学生23才 新聞コラム
私は思い出す。それは3年前奈良に旅行中、偶然に先生の表札を見つけた。
高1の時に読んだ「春宵十話」で数学に情緒の必要性を説く先生の考えや、
哲人的な私生活、研究姿勢に深い印象を覚えていた。私はただそれだけの理由で
面会を申し込み会って頂いた。岡先生からは仏教観や日本文化観など、広い範囲の
質問を受けた。私の考えは、先生の怒りを買うばかりだった。一点たりとも見逃す
ことなく切り込んでこられた。私の「春宵十話」に対する読み方が十分でなかった
のだ。「君みたいな人がいると思うと、書く気すらなくしてしまう。書く人は命が
けで書いているのだ」。まさにそのとうりだった。いつしか私はうつむいたまま、
顔を上げることが出来なくなっていた。「君は先ほどから考えますと言っているが
君にとって考えるとは何か」と言われた。「僕にとって考えるとは、考えようと努
めることです」と緊張し、答えた。テーブルの上には奥さんの入れてくれたコーヒ
ーがそのままだった。
「ありがとうございました」と、私は頭を下げた。玄関で靴を履こうとしていると
目の前に先生が見送りに来られた。私は思わず手をさしのばした。先生との出会いは、わたしにとって今も大きな心の支えとなっている。
>>761
東海林さだおの岡先生面会記を思い出す
岡数学研究所開設から早2年
来春は没後40年だから、イベントとか出版にまた動きがありそうだな
昨秋から始まった岡潔賞とか、時代が岡先生を求めているのかな
764 132人目の素数さん 2017/10/19(木) 20:16:03.25 ID:cvYNLHJe
べつに時代が岡先生を求めているわけでないだろ。
岡潔賞だって、政治的なことをしたがっている連中が創設しただけだろ。
ただリアルタイムで岡先生のこと知っている数学関係の方々は
今はもう80才代以上だと思うんだよね。もう10年もたてば
そんな先生方からも仮に岡先生の話を聞けなくなる。時代の流れ
とはいえ。傍から見ても日本の数学が熱く燃えていた時代のような
気がする
766 132人目の素数さん 2017/10/19(木) 22:48:25.61 ID:zU3YeFuO
ただリアルタイムで岡先生のこと知っている数学関係の方々は
今はもう80代以上だと思うんだよね。もう10年もたてば
そんな先生方からも仮に岡先生の話を聞けなくなる。時代の流れ
とはいえ。傍から見ても日本の数学が熱く燃えていた時のような
気がする
岡潔って最後の方はボケちゃってシンポジウム来てもみんな嫌がってたっておじいちゃん学者が言ってたな
>>765
一松、佐藤、広中らも80代後半~90overだもんね
岡研究者の高瀬正仁(66)は、面識があったんじゃないかな?
未解決だった内分岐領域の難問は、結局どうなったんだろう?
00社会主義協会テロル成功
鉄血部落解放同盟ヤクザ失敗
AGE日野晃博A
Gレコサイボーグ爺ちゃんG
機動警察パトレイバー2と人誅
ワンピースフィルムレッドと終活
toi et moi
首藤剛志
エクリプス・カウンター・アタック(トミノズ・カウンター・アタック)の時代(およそ200年後)の国家
ユナイテッド・アジア・コンフェデレーション(UAC)
パシフィック・フューチャレーション・アライアンス(PFA)
ユーロ・テクノヴィジョン・コモンウェルス(ETC)
アフリカン・フューチャライズ・コンソーシアム(AFC)
ラテン・テクノインテグラーション・リーグ(LTL)
メガトロニック・スカンジナビア(MS)
ソーラー・メガリス・オセアニア(SMO)
ニュー・アフロ・アラビア・アクセレラント(NAAA)
ノース・アイスランズ・アゴラ(NIIA)
ユーラシア連邦は東西分割となる
日本はUACの盟主かつ地球連合の盟主
ファースト方式だとニューエイジ・松果体・さ派・ひだりが融合した手法で未来がない
やはりSEED方式の福音派・反松果体・う派・みぎの塵も積もれば山となる戦術じゃないといけない
そうすると連邦国家からなる時空政府ではなく、連合国家からなる時空政府になる
アメリカ民主党ではなくアメリカ共和党となる
つまり地球連邦ではなく地球連合となる
ユーロクラート
テクノクラート
第16回 岡シンポジウムが 2017年12月2日(土),3日(日)に開催されます.
場所:奈良女子大学理学部数学教室 新B棟4階B1406
https://www.nara-wu.ac.jp/omi/oka_symposium.html
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781 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:46:00.18 ID:uzh5RSYp
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782 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:46:19.79 ID:uzh5RSYp
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783 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:46:37.63 ID:uzh5RSYp
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784 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:46:55.60 ID:uzh5RSYp
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785 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:47:14.30 ID:uzh5RSYp
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786 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:47:33.12 ID:uzh5RSYp
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787 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:47:52.78 ID:uzh5RSYp
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788 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:48:10.25 ID:uzh5RSYp
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789 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/10/28(土) 05:48:26.90 ID:uzh5RSYp
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790 132人目の素数さん [sage] 2017/11/08(水) 13:33:51.86 ID:mNbd/ZIJ
あ
天海祐希、数学者・岡潔の生涯をドラマ化で主演 佐々木蔵之介と11年ぶりの夫婦役
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20171123/Oricon_2101060.html
>女優の天海祐希が来春放送予定の読売テレビ開局60年記念ドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』に主演することがわかった。
>天才数学者・岡潔(おか・きよし)の夫婦の人生を描く同作で、天海は数学に打ち込む夫を支える妻・みち役。みちが「きよっさん」、みちを「みっちゃん」と呼ぶ最愛の夫・潔には俳優・佐々木蔵之介が起用され、2人は11年ぶりに夫婦役を演じる。
792 132人目の素数さん [sage] 2017/11/23(木) 21:03:00.41 ID:vWNAd6C7
>>791
面白そう 見たい
793 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:05:15.38 ID:D/rydqaj
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795 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:05:45.79 ID:D/rydqaj
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796 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:06:16.93 ID:D/rydqaj
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797 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:06:33.08 ID:D/rydqaj
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798 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:06:50.13 ID:D/rydqaj
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799 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:07:05.97 ID:D/rydqaj
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800 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:07:24.41 ID:D/rydqaj
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ムスカ
802 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/23(木) 22:08:01.95 ID:D/rydqaj
寺田農
803 132人目の素数さん 2017/11/23(木) 22:57:49.19 ID:cUfFTZZT
>>791
「監修、森田真生」
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805 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:57:15.29 ID:7RwNGOaZ
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806 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:57:34.41 ID:7RwNGOaZ
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808 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:58:09.87 ID:7RwNGOaZ
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809 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:58:29.43 ID:7RwNGOaZ
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810 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:58:52.38 ID:7RwNGOaZ
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811 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:59:13.43 ID:7RwNGOaZ
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812 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:59:31.82 ID:7RwNGOaZ
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813 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2017/11/24(金) 05:59:49.66 ID:7RwNGOaZ
¥
むかし大数で、岡先生とお弟子さんが喫茶店で話していて
お弟子さんがケーキを注文したら
お前にはケーキははやすぎるといって
ケーキをとられたというはなしはあったが。
815 132人目の素数さん [sage] 2017/12/10(日) 00:14:54.78 ID:qBs23idJ
精神分裂病(統合失調症)の典型的な罹患者だったが、多変数解析学の難問を解いていた為、誰も口出しできなかった。
816 132人目の素数さん [sage] 2017/12/10(日) 02:28:22.43 ID:7lfxuYY9
通りがかりの中学生を殴って教科書を奪ったりしてたんだよな
817 132人目の素数さん [sage] 2017/12/10(日) 07:12:00.96 ID:07h1GXk+
>>815
玉置浩二の数学者版か
818 132人目の素数さん 2017/12/11(月) 01:00:39.17 ID:3HrXESwW
痴漢で捕まった準数学者もいます
準数学者?なにこれ?数学者に準ずる?
820 132人目の素数さん [sage] 2017/12/11(月) 17:24:56.95 ID:bMIXvktZ
言葉の定義の問題だけど、数学者とは数学を研究する人のことを指す。
大学に所属している数学者は社会的な肩書としては大学教員で、数学者という肩書はない。
ごく普通の数学者が大学の数学者になって一般的な数学者の扱いをされる所以は、
本来主に何らかの業績を上げたかどうかによる。それをしないと歴史上の数学者とはなり得ない。
岡潔はそのようなことを実践した人である。
821 132人目の素数さん [sage] 2017/12/11(月) 18:57:56.27 ID:2qMnSkK/
まだ分からん、「数学者」というのは何か試験みたいなものに受かった資格者ではないわな
准看護師、とか一級建築士とかいう名称とは違うレベルの言葉だよね
音楽家とか詩人とかいうレベルの言葉だよね(違うか?)
準音楽家とか準詩人とか居たか
>>821
>音楽家とか詩人とかいうレベルの言葉だよね(違うか?)
音楽家のことを作曲、作詞、演奏の何れかをする人、または歌手のこと、
詩人のことを詩を作る人
と捉えることにすれば、その解釈で正しくなる。
いわゆる、音楽家や詩人について、収入や社会的地位などにこだわらない解釈をすることになる。
準数学者という言葉は、>>818を書いた本人自身が何らかの意味付けをして使っている筈で、正しい保証はないが、
>>818のレスの内容から解釈する限り、多分「数学者」のことを大学で数学を研究する人と定義しているであろう。
いわゆる、広く世に知れ渡っているような、職業になっているかどうかを判断基準にして、「数学者」という言葉を定義しているであろう。
それに「準」を付けて「準数学者」という言葉の定義をするとなると、その定義は
「準数学者」とは大学で数学を研究する人と同等の能力を持つ数学を研究する人を指す
となるであろう。ただ、上の定義は実績のことを全く考慮していないので、本来の定義として相応しい定義かどうかは別の話になるが。
ぶっちゃけ、簡単にいえば、あの有名?な言葉と同じ扱いになるような感じになる。
その言葉が何を指しているかはいわなくても分かるであろう。
>>779
第四回で広中先生が講演してるね。
講演内容とかネットで読めないのかな?
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825 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:04:37.83 ID:Vdmu6X2x
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826 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:04:53.67 ID:Vdmu6X2x
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827 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:05:11.71 ID:Vdmu6X2x
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828 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:05:29.20 ID:Vdmu6X2x
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830 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:06:02.64 ID:Vdmu6X2x
¥
831 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:06:18.51 ID:Vdmu6X2x
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832 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:06:38.55 ID:Vdmu6X2x
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833 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/01/20(土) 18:06:58.26 ID:Vdmu6X2x
¥
2018/02/23に、天才数学者、岡潔のドラマ。
読売テレビ開局60年スペシャルドラマ「天才を育てた女房」。
https://www.ytv.co.jp/tensai/
>>834
没後40年の命日の直前だね
楽しみだけど2時間ドラマなのか
837 132人目の素数さん 2018/02/05(月) 22:02:35.71 ID:H2aIBdAV
昔の女性は凄いな。ただ40年後の今はって考えると
そんな女性のドラマ設定自体に無理があるね
838 132人目の素数さん [sage] 2018/02/06(火) 18:29:01.16 ID:Fb7IOaBS
天才肌の気難しい夫をずっと支えて偉大だよなぁ。
この写真を見ても良妻賢母ぶりが偲ばれます。
https://www.mahoroba-jp.net/newblog/?p=16984
よく板書書いたねえw
840 132人目の素数さん 2018/02/23(金) 22:58:55.07 ID:JcwoRwsX
番組の話って本当に本当なの?
つい見ちゃった。
841 132人目の素数さん 2018/02/23(金) 23:05:45.54 ID:1jZWcxhz
君らはコイツを見習うべき
https://mobile.twitter.com/reviewer_amzn_m
大類昌俊
ゴミがage爆撃してると萎えるな。
843 132人目の素数さん 2018/02/24(土) 23:14:19.78 ID:r7RhmZc9
岡潔の業績はすごいが、日本人数学者で匹敵する人は何人もいる。
文化勲章とかあそこまで持ち上げられらのはなぜ?と思う。
ああいう思想の持ち主を利用したいという勢力が持ち上げた?
844 132人目の素数さん [sage] 2018/02/25(日) 00:37:25.44 ID:2Tqx+y2a
文化人として目立ってたから
>>843
匹敵する人、誰がいる?
フィールズ賞の3人では釣り合わないと思うぞ。
3人の業績合わせても届くかどうか微妙だろう。
846 132人目の素数さん [sage] 2018/02/25(日) 03:39:23.25 ID:cUcuAdm4
>>843
研究環境が物凄く独特で、匹敵する人はいないだろうよ。
岡潔のような研究環境の中で研究した人はいないだろう。
847 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 10:45:32.36 ID:oCfAAhZf
>>845
結果自体でみたら、フィールズ賞の3人の業績は、どれも岡の仕事と同レベル以上だと思うよ。
たしかに岡の研究環境は独特であったが、それをもって偉いというのは違うよ。
848 132人目の素数さん [sage] 2018/02/25(日) 12:56:32.08 ID:cUcuAdm4
>>847
戦前から戦後のかけてのとても過酷な研究環境の下で、
定住する拠点がなかったこともあるような状況の中、
当時のブルバキやジーゲルと同等以上の研究結果を出した人はいないだろうよ。
そのような状況の中で、不定域イデアル(前層)を編み出して、
ブルバキやジーゲルに匹敵するような仕事をしたから、
奈良にヴェイユやアンリ・カルタンなどが来た訳で。
岡潔と同じ時代の数学者と照らし合わせないと意味がない。
今から逆算で評価すると連接性の重要さを見抜いたことが最大の功績。
ブルバキのメンバー達なんてもっと悲惨な環境下で育ってるし
キヨシの場合は、拠点が無かったというより自分から逃げ出しただけ・・・
851 132人目の素数さん [sage] 2018/02/25(日) 16:09:11.20 ID:cUcuAdm4
>>850
聞いた話に過ぎないが、車庫だったか何かの
とても狭い部屋の中で家族一家で暮らして研究した時期もあるそうだ。
852 132人目の素数さん [sage] 2018/02/25(日) 16:33:11.36 ID:ltYP+O8S
>>850
ノルマリアン多数なのに?
グロタンディークくらいだろ悲惨なのは。
しかもグロタンディークは研究環境自体は恵まれていた。
岡にしてはボカしてかなり脚色されたドラマだった。
岡や高瀬の著書読む限りもっと悲惨な生活してる。奥様は本当に立派。
ところで劇中岡をイジメ抜いてた木下則雄って教授誰?架空の人物だろうがイジメだけは史実以上に強調してたな。
まぁ秋月康夫が桁違いに優しい人物だってのは紛れもない事実ではあるが。
854 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 17:26:57.86 ID:4mSiaxqD
パヤオも吉野源三郎より岡潔描けば良いのに。
あれほど赤い理想を童心のまま教養の背景により追いかけた純粋左翼は他にいないだろう。
岡に言わせれば「夢は光だがやり方は闇」。
でも岡をアニメにすると最低でも数学と哲学の二部構成にしないと駄目か。しかもその二作目が大変という。
>>852
大学名で比べるということなら
キヨシも京理だし、その後ポストも貰えていただろ
ww1でフランスは学生が飛び出して死にまくったので
深刻な人材不足に陥り
ブルバキ世代を指導する筈だった先生が空白
仕方なくドイツなどに行くことになった
ドイツは負けたけど科学者を温存してたからね
エコル・ノルマルに入ったからといっても
他の世代と違って碌に教育してもらえなかったのさ
研究環境は良いに越したことはない。
良かろうが悪かろうが比較するには不適。
では論文はどうかというと、ロマンティシズムなら岡を追随する論文は無い。
ただし、抽象性を尊ぶならフィールズ賞の三人の誰にも劣る。
その程度でしかない。
だから戦争としての国際競争だけ見るなら岡はカネにならない不要の産物でしかないし、実際に当時の京大と理研はそう扱った。
857 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 18:04:11.04 ID:k+JO2ZX9
それから岡はそのフランスにポストをもらってわざわざ行っている。しかもドイツを蹴って。
858 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 18:09:40.20 ID:k+JO2ZX9
勉強にしても職務にしても、性格悪い奴が世渡り上手で生き残り易いのは自明だろう。
だから学歴主義も共産主義も平気で押し付けることができる。民主党政権が好例だ。
>>855
経済的な話かと思ったら指導の話か
ろくな指導が受けられない環境の方が優秀な研究者が育ったりするね
日本だと竹内外史・山辺英彦世代
森重文先生の最終講義で、入学したら半年間授業が無かった話が序盤にあり
自分が行政職で無茶苦茶忙しくなったら優秀な弟子が育ったという話で終わった
岡は教えない人間だったな。わかりやすく要点のみ伝えるだけだった。
何故かというと日本はほぼ「教える」ことが手段ではなく目的と化してる物真似猿だから。
861 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 18:41:53.06 ID:8/vNycOU
>>860
デマ 嘘つくな
湯川も朝永も岡の講義を高く評価した、
862 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 18:50:28.90 ID:k+JO2ZX9
デマじゃないよ。自分が書いたのは岡はエッセンシャルしか言わない人間だってこと。
湯川や朝永が惹かれたのはそこだ。
863 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 18:58:20.77 ID:E0sFcoCs
岡は数学の内容は教えないが研究のやり方についてはかなり懇切丁寧に指導した。
>>845
普通に高木貞治が偉大だろ。
後はフィールズ賞受賞組。
ウルフ賞受賞した佐藤。
岡は文化人として有名だが、世界的賞は受けていない。
865 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 20:32:15.21 ID:k+JO2ZX9
高木貞治も賞は受けてないけどなw
高木くらいだろうな、岡潔とロマンティシズムで張り合えるのは。
一方で高木の功績の元ととなったヒルベルトは抽象性の権威であり岡からすれば嫌いだった。
そして高木はフィールズ賞をむしろ与える側だった。
866 132人目の素数さん 2018/02/25(日) 21:18:16.20 ID:k+JO2ZX9
そういえば厳格な家庭で育った高木貞治も一次大戦下で情報が遮断された環境下で類体論を仕上げたな。
無茶な集中が無茶な状況で無茶な理論を生み出した。岡潔以降の時代ならどっちにしても実現不可能だろう。
ヒルベルトは数理物理学の方法 の著者
でもあり、一般相対論の重力場方程式の
作用を発見したと主張した。
今は アインシュタイン ヒルベルト作用と
呼ばれる。
弟子が数理物理でも業績があるヘルマン
ワイル。
岡潔も 1変数、解析、幾何、代数、数論、
数理物理、にわたる基礎へ多変数関数論を
導入し発展を目指した。
フィールズ賞については、与えるほうが受けるほうよりも偉い、ということはなさそうだ。
斎藤恭司氏や上野健爾氏も選考委員だったことがあるそうだ。
869 132人目の素数さん 2018/02/26(月) 00:41:08.74 ID:wXcB6HA9
フィールズ賞は物理のwittenも受賞した、、
天才になる秘訣は優秀なを嫁。
番組の最後で岡の業績を海外に伝えたキーマン達がこれまた凄い人達。
湯川→角谷ライン。
872 132人目の素数さん 2018/02/27(火) 00:14:27.24 ID:odE8gryb
1948年
岡潔の、不定域イデアルと基本定理の証明
第Ⅶ(7)論文は
湯川秀樹→、、→ヴェイユ→カルタンへ
>>872
不動点定理の角谷静夫
経済学では有名
874 132人目の素数さん 2018/02/27(火) 01:20:30.07 ID:odE8gryb
>>873
経済ね~
>>868 そうか?最近は受賞者も小粒化していってるが。
フィールズ賞の最近の傾向は理論を一から作ることができる人より
流行に上手く乗って最短効率で受けの良い結果を出せる人だ。
頭がいい人には違いないが数学的に偉いのは師匠だったってこともよくある。
例えばフィールズ賞こそ受賞していないが、中島啓や望月拓郎に匹敵する
数学者は最近のフィールズ受賞者の中にどのくらいいることやら。
>理論を一から作ることができる
一から作る、なんて妄想だな。
発見 発展とは違うね
センター試験はマークシートのパチンコだけど二次試験はクイズと変わらないからどっちにしても駄目で教育は形式的には弄りようがないって岡潔は言ってた
あくまで岡潔が嫌ったように形式的にはだけど
なので安倍内閣が外交上手で内政下手と言われるのは教育に手を付けたがるかららしい
所得増税・財政出動・裁量労働は正しいし、厚労行政をほったらかしにしてるのも良いけど、教育だけは問題かな
安倍の外交は精々 外国へ金のバラマキ、
岡潔と比較するのは失礼、
仏は 岡潔の基本定理から
カルタンセミナーで層コホモロジーになり、
以後 ブルバキ抽象代数グロタンディーク
へ突っ走った。
岡潔の基本定理がなければ、
ゼネラルナンセンスの道具に過ぎない。
岡潔の目的は基本定理から基礎の多変数関数論
による発展だった。
バラマキは国内で回さないと二倍三倍の効果は得られないってのはあるな。
国外だと盗んで終わりみたいなところが多いから。
グロタソは自分の所属する研究所に軍事費が入ってることを知って、山に引きこもっちゃったんだろ
岡潔さんならなんとゆうやら
>>879
安倍の海外へのバラマキは安全保障での協力関係を築く手段としてやってるんだよ
そもそも日本経済活性化や輸出促進のためじゃない
それと海外へのバラマキの原資は外貨準備つまりアメリカ国債
こいつは建前は売れるはずだが実際には売れない
売るとアメリカが激怒するからね
「こんなにドル安に向かうのを許しアメリカ国債の価値がどんどん下落するのを放置するのならば我が国はアメリカ国債を売りたくなる」と苦情を言っただけで
時の総理の橋本の首がアメリカによって飛ばされたのをお忘れかな?
つまり憲法9条と国民の核アレルギーのお蔭で国防では絶対に独り立ちできずアメリカ組さんに払ってるみかじめ料の代わりに渡されて
日本国内のためには使うに使えないアメリカ国債を海外で日本の防衛戦略のために有効活用してるのさ
もちろん、アメリカの許す範囲(アメリカの国益を損なわない、アメリカの世界戦略に反しない、という範囲)でだがね
日本が軍事戦略的に提携しようとする国々はアメリカにとっても同様だからこれが可能になる
なぜならばチャイナ封じ込め戦略を遂行せねばならないシーパワー(海洋同盟)にとって重要な位置にあり価値観を共有できる国々だからだ
日本国内の経済活性化のために使うには円貨にせねばならないが、そのためにはアメリカ国債を売ってドルを買いそのドルで円を買うことになるので
アメリカ国債を売れない以上は国内経済向けには使えない資産という事になるんだよ、アメリカ国債はね
海外援助する金があったら、その資金を国内経済活性化や内需拡大のために使えという意見は多いが
その意見を言ってる連中は海外援助に使っている原資=アメリカ国債は日本国内では使えないということを理解していない
>>880
嘘 精神を病んだ、
精神を病んだ数学だな
の割に円高になる不思議。
世界一安全資産だよ円は。
金持ちいじめが嫌だから海外脱出するとか株式投資するとか仮想通貨使うとか言ってる奴はめくらで貪欲なだけ。
だって河野総裁が辞任したのは国会出席率の低さを気にした竹下の意向だし、
橋本総理が辞任したのも早く小渕に回したかった竹下の意向だしな。
>>883→>>881
>>883は>>881宛て。
>>870
奥さん次第だよ実際。
ネトウヨ発狂
小渕時代が短命に終わったので、竹下ポジションは森が引き継いで小渕ポジションは小泉が引き継いだ。
そして小泉時代は国外へのバラマキを止めた時代でもあった。
小泉に引き立てられた安倍は本来国外へのバラマキを復活させるべきではないんだよ。
>>886
岡潔の思想は今でいうネトウヨだよ。
批判する割に信奉する人は多いけどね。
うわぁこんなとこまで変なのがきた
数学だけ取り出せればそれが一番だけどそれが出来ないのが岡潔。
岡潔は古典的 保守の数学だ。
クザンから近似定理上空移行原理 が基礎だ。
一方、
カルタン ブルバキ グロタンディーク
は20世紀の病んだ数学だ。
倉田令二郎にまでダメ出しされた
↓
一般、抽象、形式主義なものへのあの度はずれて強い西欧的ユダヤ的執着が層と
コホモロジーを生み出す一つの要因であり
、同時にそれは20世紀数学の時代精神である
だけに、それだけ広く支配的地位を獲得
した。
陽気のせいか変なのがわらわら湧いてきたな
>>892
ID次々変えてご苦労なこった
>>891
倉田はまともな研究者じゃなかった
この発言には同意するわ
↓
一般、抽象、形式主義なものへのあの度はずれて強い西欧的ユダヤ的執着が層と
コホモロジーを生み出す一つの要因であり
、同時にそれは20世紀数学の時代精神である
だけに、それだけ広く支配的地位を獲得
した。
>>888
>ネトウヨ
西田幾太郎に代表されるようないわゆる京都学派の系譜?
岡潔は西田幾多郎一切読んでないって生前言ってたよ
西田幾多郎以上の哲学を打ち立てたのが岡潔だけど
> 西田幾多郎以上の哲学を打ち立てたのが岡潔だけど
へーそうなんだ。(棒)
岡潔はウヨの精神的支柱なのかな。
ウヨの支柱ってかウヨそのものなのが岡潔。
岡本人は人類の支柱たらんとしてた。
へぇー
びっくり!
京都にはもしかしてそういった精神を生み出す土壌があるのかなぁ
番組では、嫌みな京大教授にさんざんいぢめられてたけど
それとも、岡さんご本人の天性なんだろうか?
気になるところ
ドラマを見て騒いでいたのか。
>>901
そうだよ
あのドラマが実話なのかよく知らないけど
何人かの数学者は聞いたような名前だったんで岡さんの生き方に関心をもった
献身的な奥さんに支えられるところなんざ、日本版ビューティフルマインドなのかなと
業績のことはよく分からない
>>902
ドラマには興味がなく、見ていない。
あと、京都についてだが、北と東西の三方を山で囲まれた盆地にある
JR京都駅付近の場所に特に閉鎖的な風土があることは確か。
一軒さんお断りとかお茶漬けだかを食べさせてさっさと帰らせたりするような
ことをする特に閉鎖的な場所は京都駅付近の他にはないだろ。
果たしてこれが精神性と関わりがあるかは不明だが。
>>903
京都は有界だが、世界に充分に開かれたエキゾチックな世界
京都の公家文化は中世から近代に入るまで訳の分からぬその影響力をもってして、東の武家政権を事あるごとに振り回しその独特な地位を保ってきた
誉め過ぎかも分からんが、東アジアの国際関係を考える上で、京都モデルは日本の進むべき道の一つかと
昔、清水寺周辺は死人の捨て場所だった。
葬式で 病人も捨てられていたと聞いた。
今も寺の隣に大規模な墓がある。
平安時代に物の怪がいた鬼がいた、
とは本当だよ。
京都は長屋で引き籠り文化だから、
共産党が府知事だった、まさに魔界だ、
でもさ、四角形に区切られたあの街作りは平面座標と結界の概念をいろいろミックスして具現化したものだし、そこに住む町衆たちは時間を超越して住み続けるフラットランドの住民。
ほいでもって、訳が分からん駆け引きがまたまた好きなもんだから、関東人が迷い込んだりすると、本当に疲れます。
まさに魔界だ。
>>868
上野さんはよく知らんが、恭司先生は
かなりの業績の先生だと思うが。
自分で理論を創始して広げていくのは
単なるプロブレムソルバーとは違う偉さと思う
ドラマの中で秋月が岡に、金になるから数学書書け、と勧めるシーンあったが
そういや岡の数学書って知らんな
ドラマでも研究時間の無駄だからと断ってたが
その秋月は書きまくってるけど
素晴らしい研究者ではあったけど、良き教育者ではなかったってことかなー
教育者としての方が功績大きいがね岡潔は。
今晩予算が衆院を通る。
あれを人質にして反対する連中ほど教育者としての功績を消したがる。
そういえば、岡潔を利用して営利活動してた某自称研究者(具体的になにをけんきゅうしているのかは不明w)は元気にやってるかな。
本日は岡潔先生のご命日ですね
ちょうど40年前、天に召されたAM3:33も春一番の嵐が吹き荒れていたようです
先生は日本数学界と5ch数学板の現状をどのような思いで見つめておられるのだろう
合掌
>>913
岡さんのお墓はどこ?
命日を聞いたら、数学オンチのぼくでもちょっと気になってきた
グロダソみたく禅宗?
そういや、華厳の教えなんかも日本の数学者が解説書を書いてましたね
合掌
人が数学を行うから数学に人格が表れる。
岡潔の多変数複素関数論は観察から発見
真っ向勝負ですね
>>914
奈良公園そばの白毫寺裏側の墓地と、郷里の紀見峠と、もう一箇所どこかに三分骨されてます
私は本日は流石に遠慮しますが、近く手を合わせに行こうと思ってます
>>916
多分寿命を削られたことと思います
岡は数学では命を削ってない
牛のように進むどころか長期休暇取りまくりだったから、漱石よりも長生きした
けれども哲学では命を削ってる
極度に食べなかったから
>>917
良いことを教えていただきました。
ドラマでも奈良でのお住まい、紀伊での実家での研究生活がそれぞれ紹介されてましたね。
数学セミナーにドラマの予告があったんだな
ドラマみて興味持った。家族のために仕事くださいって頭下げてるし、略歴みると仕事途切れてはないっぽいから家族のために働く気持ちはあったんだね。
せつないわー
最悪、鉛筆と紙だけで仕事できちゃう数学を一生の職業にするってもしかしてそうゆうことなんだろうな
それを考えると、奥さんもやっぱり相当な人だな
合掌
アインシュタインは物理の人で
数学を道具に使っただけ。
岡潔は数学の人でそれ以上でも以下でもない。
真空は重力波を伝える何かであり、
物質が生成消滅している不思議な世界
>>925
不思議な世界で片付けちゃいかん
岡潔は不思議ちゃんだったんだよ。
少なくとも、ドラマはそうなってた。
>>927
岡潔と真空をごっちゃにするな
なら、あんたはんの解釈をおかきよし。
うまい!
>>930
昔からある詰まらない駄洒落
京大で実際に言われてたんだよな。
論文をおかきよし
京大で実際に言われてたんだよな。
論文をおかきよし
京大で実際に言われてたんだよな。
論文をおかきよし
うまい!
日本の数学者では6番目くらいにランクされる人。
ファンの人数は1番かもしれないよ。
ファンのうちのどれだけが
論文読んでるのかは知らないが。
うまい!
>>912
そんな悪党がいるなんて初耳だな。
誰だ?
岡先生を愚弄するなんて断じて俺が許さん。
>>935
数学じゃなくて哲学のファンをカウントすれば読まない人もいるが、>>935はそもそもどっちのファンでもないわな。
>>937
森田だろ。営利活動や愚弄などの後ろ指で言われるようなことはしていない。
>>937
給料もらってる数学の大学教授は、みんな数学を営利活動に利用してるだろ…
岡潔は、とびぬけた業績がありながら、京大や東大の教授にならなかった。(なれなかった?)
なぜ?
秋月もそこまですることはできなかった?
森田氏に対するここの連中(の一部)のやっかみって何なんだろうな
どうせ、自分がリアルでは落ちこぼれていることの鬱憤ばらしなんだろうが
うさんくさいからでしょ。
素人には数学者っぽく見せているし。
独立研究者という響きの怪しさ
やっかみの対象にすらならない
数学者ではなくライターだから
¥
946 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:09:48.70 ID:I+Mybrk/
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947 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:10:06.28 ID:I+Mybrk/
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948 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:10:23.82 ID:I+Mybrk/
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949 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:10:43.14 ID:I+Mybrk/
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950 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:11:02.23 ID:I+Mybrk/
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951 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:11:29.89 ID:I+Mybrk/
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952 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:11:53.45 ID:I+Mybrk/
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953 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:12:10.74 ID:I+Mybrk/
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954 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/06(金) 02:12:33.91 ID:I+Mybrk/
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ドラマ良かったなぁ。どんな嫁をもらうかで人生変わるよなほんと。
「曠野を拓くには曠野の力 を以ってすべし」
こういう言葉はカッコいいけど兵站軽視思想に繋がっていると思う
井上荒野「あちらにいる鬼」
朝日新聞出版の「小説トリッパー」に連載中
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=19906
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959 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:04:52.48 ID:y1TqbRSE
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960 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:05:10.18 ID:y1TqbRSE
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961 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:05:30.25 ID:y1TqbRSE
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962 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:05:48.92 ID:y1TqbRSE
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963 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:06:06.99 ID:y1TqbRSE
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964 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:06:28.44 ID:y1TqbRSE
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965 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:06:48.43 ID:y1TqbRSE
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966 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:07:09.20 ID:y1TqbRSE
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967 ¥ ◆2VB8wsVUoo [sage] 2018/04/30(月) 17:07:29.37 ID:y1TqbRSE
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>>967
お願いですから荒らさないでください
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385無党派さん2018/05/10(木) 21:20:44.15ID:rLQxXXoM>>390
合併ならともかく大学縮小とか馬鹿なことほざくんじゃないよ渡海は
旧制高校から引き継いだ教養教育以外西洋の大学教育は全部嘘でしかないけどそれとこれとは話が違う
鴻池は地元の配下を後継者にしたら
育った場所があまり離れた息子だと揉めるぞ
390無党派さん2018/05/10(木) 21:44:11.39ID:QU4m3xTZ
>>385
「疑う」でも「信じる」でもない「信じない」の循環論法ばかり調べてるのが教養教育以外の大学教育。
フランスの数学者が岡潔はブルバキのような数学者集団だと思ったという
エピソードがあるが
明らかに嘘だな
アンリ・カルタンは岡潔が渡仏していたときの知り合いなんだからさ
日本では高木も岡も持ち上げ過ぎだ
>>957
井上荒野「よその島」
読売新聞(夕刊)に連載中
>>980
それを言ったのはジーゲルだよ
岡先生を愚弄するなんて断じて俺が許さん。
という岡教信者すくなくなったなあw
岡先生を愚弄したのは京大だろ
あれだけの実績のある数学者が奈良女とは
6無党派さん2018/05/18(金) 00:39:14.41ID:Ro3bKG25
安倍ちゃん、IPSでさえワケわからんまま役に立ってて将来バイオテロに使われかねないから情報も同じく自然科学に入る駄目科目になりかねないからね
家庭科や現代社会も高校必修化は中曽根時代の悪政の一つであってセンターではそれほど重要視されないし、簿記や統計も商業高校ばかり履修してる意味をよく踏まえた方が良いよ
世界史と日本史の論争も同じ
英語や物理といった7識中層からそれ以上が学問であって、7識下層は学問として成立しないからね
123無党派さん2018/06/18(月) 02:00:09.22ID:hX/evqZq
ドイツ数学の特徴
「数学的解析」を「解析学」とみなして芸術を排した科学を重視する
本を書く理由も同じであり教科書や資料集は死んでいる
ヒルベルトやブルバキの源であるが高木貞治の類体論により一度呑み込まれて再編を余儀なくされている
フランス数学の特徴
「数学的解析」を「数学的解析」とみなして科学を排した芸術を重視する
知情意はもちろんそれ以上も目指す
しかしフランスの優秀性はあまり存在しない
お前はアホか
大事なことだ岡潔には
岡先生が初覚・認識・自覚・確認・実践・捨の旅路や識のサイクルを終えた日が1977年3月11日。
帰郷してみるとこの世がそのまま故郷だとわかった。
145 :無党派さん:2016/10/30(日) 00:13:50.51 ID:2TvYKBej
船田は微妙だし佐田はスキャンダル連発な上に軽量級だから現状茂木しかいなくね?
元号変わったら経世会に戻した方がいい
146 :無党派さん:2016/10/30(日) 00:46:24.18 ID:EfHJ9Lh6
>>145
会長竹下首相茂木でしょ。今のところ。タイミングによるが。
岸田カープは残念。
百合子リボンの騎士は綺麗。
野球はセントラルリーグがセカンドリーグ化してるなぁ。地域密着路線が足りないかな。
サッカーはパスを極めた蹴鞠プレーが持ち味なんだから、今後は藤原正彦の言う通りキーパー次第かな。
147 :無党派さん:2016/10/30(日) 00:47:30.50 ID:EfHJ9Lh6
会長竹下・首相茂木に訂正だわ。
148 :無党派さん:2016/10/30(日) 00:49:47.38 ID:EfHJ9Lh6
小池新党は日本のこころを母体にしてほしいなぁ。というか新党じゃなくパーシャル連合。
140無党派さん2018/06/23(土) 00:00:56.75ID:hQf0ky/Y
安倍はアニメを輸出しにかかりたいみたいだが、あんまり安倍が口出さないで麻生に任せた方が良いよ。
ツネヒラは嫌いだが、ツネヒラの言う通り天下りや税金の無駄遣いみたいになってるのは事実。
多方面に喧嘩売るつもりで書くけど、富野と安彦が生み出せた名作は「ファーストガンダム」だけであって、それ以外のガンダムは惰性でやってるだけだからね。
打ち切りエンドのために、日本の終戦みたいな壮絶で感銘を受ける終わり方だったから、70年代を代表する作品として屹立した。
その後はいろいろ後付けしたり、後付けを強引に回収したりする作品ばかりでヒットしたガンダムは無いの。この辺のガノタは本当うるさくて嫌いだけど。
特に80年代っていうのは、テクノロジー最盛期で、美として優れたアニメ作品はほとんど無い年代なの。例外は「マクロス」くらい。
そんな時代背景の中で富野の娘が結婚し、富野が焦って作った「Vガンダム」を見て影響を受けた庵野が生み出した作品が「エヴァンゲリオン」なの。
エヴァは失われた10年を悲観して、逆手に取ってほとんど破滅を描いたアニメ。
その失われた10年を耽美的にみて描いたのが、「カードキャプターさくら」なの。
さくらは例えるなら心が一段階弱った西行の 心無き 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ みたいなもの。
極論言えば90年代のアニメはエヴァとさくらだけ見れば十分なの。
申し訳ないけど2000年代以降も富野のガンダムは次々爆死するの。
「ファーストガンダム」をオマージュした「ガンダムSEED」は賛否両論で、それを否定的にみて作ったのが「ガンダムUC」。
ただ富野はアニメ業界では珍しい常識人だから、庵野に影響を与えたように、新しい人材の発掘は進んだの。
さくらの関係者が絡むのもこの時期で、「∀ガンダム」の菅野よう子、「ガンダムSEED」の坂本真綾などがそう。
そして「ガンダムSEED」を肯定的に見た谷口って人と、さくらの原作者であるCLAMPが組んで生み出したのが、痛快さを売りにした「コードギアス」な訳。
2000年代の最高傑作は「コードギアス」と言って良いくらい。
2010年代の今は、名作と言えるのは「まどか☆マギカ」と「エヴァンゲリオン新劇場版」くらい。
これらは、一度破滅に終わった歴史から、再生に向かう作品であって、鬱作品が流行った過去との決別を意味するの。
その辺は欧米人であっても本当シビアに見てるよ。大量生産されるようになったアニメの中で、駄作は見ないから下手なアニメは輸出できないからね。
8識
https://www.youtube.com/watch?v=R4AiQlHLeHY
9識
https://www.youtube.com/watch?v=2TsbtO5akU4
10識
https://www.youtube.com/watch?v=_Q0cTFYRsSI
>>151は15識
こんな講義は未だかつて無く、今後も二度とやりませんよ。もう一つだけ質問をお受けします。そしてこの講義を終わります。 once foreverにね。
1978年1月10日の最終講義より。
76歳316日 岡 潔 (1901/04/19~1978/03/01)数学者。奈良女子大学教授。京都産業大学教授
1.略歴
 ̄ ̄ ̄
1925/04 - 1929/04 京都帝国大学・理学部(講師)
1927/04 - 第三高等学校(講師)兼任
1929/04 - 1932/03 京都帝国大学・理学部(助教授)
1929/04 - 1932/05 フランスに留学。ソルボンヌ大学ポアンカレ研究所(パリ第6大学フランス国立科学研究センター)
1932/03 - 1940/06 広島文理科大学(助教授)
1934/12 - 暮れに多変数解析関数の分野の現状を展望したベンケ、トゥルレン共著の冊子を入手、ここで取り上げられた問題の解決に取り組む。
1935/09 数学上の最初の発見(インスピレーション型発見)がある。これを元に論文I~Vが次々に成立。
1936~1941 論文I~V … I~III:広島文理科大学紀要,IV-V:Jpn. J. Math.
1941/10 - 1942/11 北海道帝国大学・理学部(研究補助)嘱託
1942 論文VI… 数学上の第二の発見(梓弓型発見)による。Tohoku Math. J.
1943/10 京都帝国大学より学位授与、論文VI多変数解析関数について」(英文)
(第二次世界大戦)
1948/10 論文VII … 数学上の第三の発見(情操・情緒型発見,1946)による。France
1949/07 - 1964/03 奈良女子大学・理家政学部(教授)(理学部と家政学部が分離してからは理学部教授)
1951/10 論文VIII J. Math. Soc. Jpn.
1953/10 論文IX Jpn. J. Math.
1954/04 - 1964/03 京都大学・理学部(非常勤講師)兼任
1962/09 論文X … 冬を終えた春の問題を扱った。
1964/04 - 奈良女子大学(非常勤講師)
1969/04 - 京都産業大学・理学部(教授)教養科目「日本民族」
76歳316日 岡 潔 (1901/04/19~1978/03/01)数学者。奈良女子大学教授。京都産業大学教授
2.受賞歴・叙勲歴
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1951年 日本学士院賞
1954年 朝日文化賞(多変数解析関数に関する研究)
1960年 文化勲章
1961年 橋本市名誉市民
1963年 毎日出版文化賞
1968年 奈良市名誉市民
1973年 勲一等瑞宝章
1978年 従三位
4-3.論文集
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・ "Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables" (French) Tokyo, Japan: Iwanami Shoten. p.234 (1961) - Includes bibliographical references.
・ "Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables" (French, Nouv. éd. augmentée. ed.). Tokyo, Japan: Iwanami. p.246 (1983)
・. "KIYOSHI OKA COLLECTED PAPERS" Reinhold Remmert. ed (English, French (translation))
English translation from the French by Raghavan Narasimhan; with commentaries by Henri Cartan. Springer-Verlag. p.223 (1984)
ISBN 0-387-13240-6
ISBN 3-540-13240-6.
・『岡潔先生遺稿集』 全7集、論文集刊行会、(1983/Dec) - 数学論文集。解説:秋月康夫。
4-4.公表論文
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
論文I (1936) "Domaines convexes par rapport aux fonctions rationnelles",
J. Science Hiroshima Univ., 6, pp.245-255 (1936)
論文II (1937) "Domaines d'holomorphie",
J. Science Hiroshima Univ., 7, pp.115-130 (1937)
論文III (1939) "Deuxième problème de Cousin",
J. Science Hiroshima Univ., 9, pp.7-19 (1939)
論文IV (1941) "Domaines d'holomorphie et domaines rationnellement convexes",
Jpn. J. Math., 17, pp.517-521 (1941)
論文V (1941) "L'intégrale de Cauchy",
Jpn. J. Math., 17, pp.523-531 (1941)
論文VI (1942) "Domaines pseudoconvexes",
Tohoku Math. J., 49, pp.15-52 (1942)
論文VII (1950) "Sur quelques notions arithmétiques",
Bulletin de la Société Mathématique de France, 78, pp.1-27 (1950)
論文VIII (1951) "Lemme fondamental",
J. Math. Soc. Jpn., 3, pp.204-214 & pp.259-278 (1951)
論文IX (1953) "Domaines finis sans point critique intérieur",
Jpn. J. Math., 27, pp.97-155 (1953)
論文X (1962) "Une mode nouvelle engendrant les domaines pseudoconvexes",
Jpn. J. Math., 32, pp.1-12 (1962)
他に note が数編ある。
https://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/ko_ron/f/n01/p001.html ~
https://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/ko_ron/f/n13/p001.html
要らん情報
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春雨の曲から。
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