この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌 「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。 これは、新たな研究の端緒を拓いたということを (高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども) フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。 そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、 その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである (なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、 簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。
岡潔(おか きよし、1901年(明治34年)4月19日 - 1978年(昭和53年)3月1日)は、日本の数学者。
奈良女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1940年(昭和15年))。
岡潔について語るスレ(数学板)http://mimizun.com/log/2ch/math/1006432306/
岡潔について語るスレ 2http://mimizun.com/log/2ch/math/1119708612/
岡潔について語るスレ 3http://mimizun.com/log/2ch/math/1145762178/
岡潔について語るスレ 4http://mimizun.com/log/2ch/math/1148595505/
晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、
真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。
一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。
また日本民族は知が不得手であるため、西洋的なインスピレーションより東洋的な情操・情緒を大切にすることで
分別智と無差別智の働きにより知を身につけるべきと提唱している。
さらに現代日本は自他弁別本能・理性主義・合理主義・物質主義・共産主義などにより
「汚染されている」と警鐘を鳴らし、これらを無明と位置付け、心の彩りを神代調に戻し
生命の喜びを感じることで無限に捨てるべきと述べた。
また画家の坂本繁二郎と対話したのちに、日本人の精神統一法について思考を巡らせている。
繁二郎が「馬」を描いていた若い頃は分別智が途切れる瞬間無差別智の閃光が差し込む
インスピレーションを主とする純西洋型精神統一法を用いていたが、
「月」を描くような年頃になってからは分別智の春雨と無差別智の明かりによる
情操・情緒を主とする日本的西洋型精神統一法を用いていたという。
岡自身も三つの大問題の解決にあたりインスピレーション型(花木型)→梓弓型→情操・情緒型(大木型)と
移行していき、この日本的西洋型精神統一法と無差別智のみの禅型精神統一法を使い分けることで
老後の日常生活を乗り切っていたと語っている。
晩年は『春宵十話』を皮切りに他人の手を介していくつか随筆が書かれており、
教育者の側面や人格の項で触れたような内容が流麗なタッチで記されている。
ただし初期は『一葉舟』のように非常に将来に対して悲観的であり、日本を憂う発言が多かった。
しかし日本について詳しく調べるうち、やがてそれは自らの手で描く警鐘へと繋がり、
さらに最晩年は活字にはならなかったが日本の将来は安泰だという確信に転じている。
日本史においては神代は矛盾の無い知情意のもと、スサノオに代表される
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と
雄大な歌を詠めるほど健康的であったが、大陸文化伝来と同時に氏を表すという悪習(氏姓制度)が入り、
それにより日本民族の心は汚れていったという。
まず西行の「心無き 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」に代表されるように
無明を直視したため美しく弱々しい「たをやめぶり」になってしまい、
さらに武士の世では源実朝の「箱根路を わが越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」の
ように無明に呑まれすっかり弱まってしまった。
太平の世であった江戸時代に(知と意は抜けているものの)神代調の情や「個性」を歌った
松尾芭蕉の歌が出た以外は、神代より後の日本は概ね心が弱っているか、
それすら気づかず自他対立に明け暮れているといえよう。
知が暴走しやがて大東亜戦争敗戦という結果を招いた日露戦争以後や、意が暴走し社会が乱れた戦後のように。
また人智の進歩の中で一つのキーワードとなるのが仏教用語でいう「我」で、
氏を表す悪習により日本民族は自他弁別本能に取り憑かれ「小我」になってしまったという。
これに対し日本民族の「準中核」にあたるのが「武士道」や「大和魂」に相当する人物で、
こうした人物は小我から脱しつつあるため、
旧制中学などを利用してこのような人材をまず日本は育てなさいと提言している。
それより上の次元に進むと、日本民族の「中核」である「真我」や「大我」に繋がり、
この次元にまで達すると決して自他対立せず衆善奉行できるという。
仁徳天皇に自らの皇位継承権を譲るために自殺してしまった菟道稚郎子や、
生涯を日本に捧げた先帝陛下たる昭和天皇は典型例であろうと語っている。
『春雨の曲』第7稿、私家版、1978年9月。- 完成形だが取り下げ、没後出版となった。
金星の娘との出会い、生命と物質の関係、天衆の挨拶、
第一の心である自然科学の顕在識(第一識から第六識)と西洋人に存在する潜在識(無明の入る第七識)、
第二の心である東洋人に存在する悟り識(第八識から第十五識)、
世間智を用いる自他の別、分別智を用いる時空の框、
分別智と無差別智を用いる発見(インスピレーション型発見と梓弓型発見と情操・情緒型発見)、
無差別智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を用いる純粋直観(知的純粋直観と情的純粋直観と意的純粋直観)、
九識論を上回る日本人に存在する第十識「真情」への到達(情が知や意より先であることの当然性)、
自浄其意による第十一識「時」への到達(道元の別時)、
男女の別を好みと懐かしさで超えることによる第十二識「主宰性」への到達(天照大神の見神)等の最晩年の境地も描かれている。
以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%BD%94より。
5 考える名無しさん 2013/03/06(水) 13:12:09.70 ID:
唯物論を科学者の視点で真っ向から否定した最初で最後のキチガイ数学者
6 考える名無しさん 2013/03/07(木) 02:09:17.57 ID:
誰か知ってる奴おらんの?
7 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:19:56.10 ID:
5 軍国主義教育に対する怒りで事件をおこしたのであって
当時キチガイだったのは、別の教育者です。
8 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:23:12.30 ID:
養老孟司さんだけでなく 岡潔も言っていました
仕事の合間にタバコを吸うと、その煙草の味で体調がよくわかるそうです。
極端な禁煙ファシズムはキチガイがやることです。
泉重千代も100歳くらいまでタバコを吸っていました、100歳を過ぎて
気管支、呼吸がおとろえてきたらタバコを辞めればいいのです。
9 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/25(月) 07:28:23.58 ID:
また岡潔は、小学生時代チョウを追いかけて警察に捜索されたらしいです
「子供時代は警察に捜索されるくらい虫取りをしなくては」とも言ってました
例えば岡が愛した日本画家、横山大観ですが
美しいチョウチョを日が暮れるくらいまで追いかけないと・・
大観「無我」の情緒は分からないでしょうな。
喫煙者が嫌われるのは健康問題が理由ではない。
喫煙者が家に来ると床や畳や絨毯のどこかを黒く焦がして謝らずに黙って帰ってしまう。
アパートでボヤ騒ぎを起こす多くが喫煙者。
酔っぱらって帰ってきて寝ながら煙草する。大家に黙って黒焦げの畳を取り換えようと
してるのを見つかり追い出される。飲食店のゴミ箱から出火するのも煙草の火の不始末。
社会に迷惑を長年かけ続けて反省しない喫煙者が社会から排除されても同情しない。
11 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/27(水) 08:06:35.18 ID:
>>10 それはその通りですが、タバコは社会に対して十分すぎる貢献もしています
アインシュタインもタバコを吸ってリラックスできたからノーベル賞を
取れたのだと思います。
現在日本は、情報機器を多用する社会ですから
情報機器でやりとりする相手がタバコを吸えなくてイライラして
雑なコミュニケーションになるとますますストレスがたまります。
IT機器でやり取りする相手がたばこスパスパ吸ってもどうでもいいしね。
タレントの太田光君が最近調子悪いのはタバコが原因かもしれませんし。
太田光君がヘンな発言すると何十万人もストレスたまるしね。
あんまりたばこばっかり規制するのはやめましょう。
12 ベアキャットキラー [スマホは馬鹿穴] 2013/03/27(水) 08:37:45.82 ID:
まぁ私としては、日本人が昔みたいに歩きながら自然を観るのが大事だと思うから
タバコよりも、持ち歩きできる情報端末や、自動車の使いすぎを規制すべき。
横山大観、坂本繁二郎、熊谷守一などが好きだったらしいねこの人。
14 考える名無しさん [sage] 2013/03/30(土) 11:38:33.02 ID:
喫煙そのものは悪くないので禁止しちゃいかんけど、吸い方は規制すべき。
日本喫煙安全協会、喫煙マナー向上センター等、
省庁からの天下り団体を作って、喫煙ルール講習の受講を義務化。
5年に1回、喫煙者から講習料を取る。
15 考える名無しさん 2013/04/01(月) 14:48:07.05 ID:
誰か数学セミナー「天上の歌を聴いた日」を読んだことのある方いませんか?
13識、14識、15識、4サイクルして60識まで行くと書かれている文献はこれしか無いらしいので。
岡潔は邪智である世間智は真善美妙の敵だから使うなと言ってたけど
同時に西洋の学問で用いる理性はすべて邪智型平等性智(世間智型意)だとも言ってるね。
この時点で東洋と西洋は話し合いの余地が無いのは自明らしい。
17 考える名無しさん 2013/04/09(火) 15:12:57.50 ID:
西洋ってキリスト教的なものはってこと?
18 考える名無しさん 2013/04/09(火) 20:02:37.54 ID:
いや、西洋といったら西洋全てだな。
岡は細分化しようと思えばどこまでも細分化する人でね、
一番見下してたのが側頭葉を重視するアメリカや古代ローマ。
次に見下してたのが前頭葉を重視するヨーロッパや古代ギリシャ。
本に収録されていない内容になると頭頂葉の仏教と後頭葉の中国も駄目で、
視覚中枢に真の自分がある日本しか頼れるものはないとまで言い出してる。
キリスト教に関しては、邪智(世間智)を無くすのには有効だけど、
妄智(分別智)は無くならないから、自他対立しなくなっても
文化が一向に育たず、知性の邪魔をして文芸復興開始までの停滞を招いたと言ってる。
19 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 20:04:58.54 ID:
18
面白い。興味あります。どの本に書いてありますか。
20 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 20:27:24.22 ID:
残念ながらこの次元になると既刊には載っていない。
4の春雨の曲や、講話を録音して書き起こした私的な文集には載ってるが、
これは岡潔思想研究会っていうサイトに出てる関係者に問い合わせないと読めない。
というのも遺族や関係者の間で意見が合わなくて、最晩年の内容は出版を止めてるらしい。
おそらく様子見したいんだろう。岡の名声に傷を付けない程度に世の中がどこまでついてこれるかということでね。
3の内容なら97年に出た日本の心や04年に出た日本の国という水槽の水の入れ替え方に載ってる。
ウィキペディア、第13識「造化」・第14識「帰趣」・第15識「内外」って追加されてるね。
金星の娘に会った時が広島事件の時か。
岡潔が強度の錯乱を起こして家から飛び出し、修道中学の生徒からカバンを盗み出して川沿いで寝てたって事件。
精神病ということで逮捕や起訴は免れたが、広島大学は休職→辞職になった事件。
実は川沿いで寝てた日に宵の明星から来たかわいらしい娘(天照大神の分身)と話し、
自分の行く末についていろいろ聞いてたらしい。
第12識以降はより顕著にそういう方向に岡潔は進んでいったらしいな。男は月読になり、女は天照大神になるとかなんとか。
22 考える名無しさん [sage] 2013/04/09(火) 22:54:13.58 ID:
20
ありがとうございました。参考にさせていただきます。
23 考える名無しさん 2013/04/10(水) 20:51:08.97 ID:
第12識になると無明に全く感染しなくなるらしいがどうなるんだろう。
24 考える名無しさん [sage] 2013/04/11(木) 05:10:24.36 ID:
素粒子や末那識の観点から自然科学を完全否定していたが(もちろん自分も同意)、
クォークやヒッグス粒子やニュートリノといった理論が当時より進歩している今となっては
岡さんはどう絡めて解説してくるか聴いてみたい。
日本人は学問を教えることだと信じて疑わないために学問恐怖症を催すらしい。
西洋の物真似だけして物質現象しか見ない日本人は知を語る資格が無いってさ。
by岡潔
26 考える名無しさん [sage] 2013/04/14(日) 12:35:49.34 ID:
いつの時代の話してんの
27 考える名無しさん [sage] 2013/04/14(日) 12:42:19.52 ID:
俺も最初は何言ってんのと思って反発したが、
この頃になって似たようなことを感じるようになってきた。
28 考える名無しさん 2013/04/15(月) 04:09:02.52 ID:
岡の言行は化石どころか時代が経れば経るほどよく世の中に伝わるようになっている
29 考える名無しさん [sage] 2013/04/16(火) 04:51:17.77 ID:
25
逆逆。
学問恐怖症だから学問を教えることだと思い込む。
30 考える名無しさん 2013/04/16(火) 05:35:01.83 ID:
ヒトハブネだっけ?ソースは。
岡の本はちと重複が多くて読むのに困る時があるのよね。
確かに書いた順に読むのが一番と言えば一番なのだが。
「春宵十話」は常識に基づいて書かれたわけだけど、岡としては昔から霊感体質だったもんだから
それを排除して遠回しな言い方をするのに本人は非常に歯がゆさがあったみたい。
それが「風蘭」の教育の手助けの方法論に繋がるが、これもパンチとしては弱い。
絶版になってからは『情緒と創造』や『情緒の教育』で復刻され売り出されてる。
岡潔初心者はこのへんから読む人が多いだろうな。
仕方なくいわゆる最強硬右派的なことも「紫の火花」「春風夏雨」「月影」で書くが、
朝日新聞に拒否られて「紫の火花」は増刷できず、『岡潔 日本の心』で再登場させるはめに。
そうした中で集大成としてまとめられたのが「一葉舟」「昭和への遺書」「日本民族」。
当然絶版。再版は『日本の国という水槽の水の入れ替え方』まで叶わなかった。
この『日本の国という水槽の水の入れ替え方』は晩年前期の内容が本当によくまとまってて(>>2-3)、
岡の思想を掘り下げる入口にはもってこいというか、ベストな本だと思う。>>4も一部は載ってるし。
で、この後は『日本民族の危機 葦牙よ萌え上がれ!』を除き
>>20の理由からか絶版&未出版ばかりになるわけだけど、このへんの内容は本当に驚きの連続。
学生紛争もあって反発・反論も一番凄かった時代。「曙」や「神々の花園」など。
未出版のものなら『葦牙会講話集』『春雨村塾講話集』『京都産業大講義録』と目白押し。
晩年後期になると敵を作るような内容ではなくなるけれど、
次元が高すぎて急速に世の中が無視して忘れ去る時代になる。
この頃は『流露』や『夜雨の声』(『日本の国という水槽の水の入れ替え方』に収録)、
『一滴の涙』(「岡潔講演集」に収録)や「春雨の曲」と、
情緒を水に例えたタイトルが増えてくる。
「春雨の曲」に至っては完全に恋愛物のファンタジーの世界。
「岡潔集」を編纂した保田与重郎に依頼されて書かれたが、歴史や神様の話が常軌を逸したレベル。
※「」は岡の存命当時の本、『』は岡が没したのち新しく編集されて最近出版された本。
多変数解析函数について
Ⅰ 有理函数に関する凸状域 (1936)pp.11
Ⅱ 正則域 (1937)pp.15
Ⅲ Cousinの第2問題 (1939)pp.13
Ⅳ 正則域と有理凸状域 (1941)pp.5
Ⅴ Cauchyの積分 (1941)pp.9
Ⅵ 擬凸状領域 (1942)pp.38
Ⅶ 或る算術的概念について (1950)pp.35
Ⅷ 基本補題 (1951)pp.31
Ⅸ 内分岐点を持たない有限領域 (1953)pp.77
Ⅹ 擬凸状領域を生成する新しい仕方 (1962)pp.11
唯識論
第一識 眼(視覚)
第二識 耳(聴覚)
第三識 鼻(嗅覚)
第四識 舌(味覚)
第五識 身 ここまでが五感
第六識 意識 ここまでが顕在識
第七識下層 末那識邪智世間智
第七識中層 末那識妄智分別智
第七識上層 末那識真智無差別智 ここまでが潜在識 ここまでが第一の心 ここまでが理解で分かる世界
第八識 阿頼耶識 本当の意 ここまでが八識論
第九識 真如 本当の知 ここまでが九識論
第十識 真情 本当の情
第十一識 時
第十二識 主宰性
第十三識 造化
第十四識 帰趣
第十五識 内外 ここまでが悟り識 ここまでが第二の心 ここまでが真心で分かる世界
第十六識 心そのものとその上の命そのもの
論文Ⅶの不定域イデアルをカルタンが層に置き換えたのを岡は非常に嫌がったらしいな
35 考える名無しさん 2013/04/29(月) 01:13:12.76 ID:
世の中はゴールデンウィークだ!オカケツなんて言ってないで働け家族にリップサービスしろ!
36 考える名無しさん 2013/04/29(月) 02:37:27.06 ID:
女房とセクロスして家族サービス
数学史にはデカルト・ライプニッツ・パスカルみたいな
哲学者の名前は全く出てこないな。
専門領域では取るに足らない業績なのか?
38 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:12:18.79 ID:
小林秀雄読んでたら岡の話があったんで。
もともと抽象的な分野だったが、戦後になって
ますます抽象化が進んだと漏らしてたと。
アメリカが学問の中心になったせいだろうが。
39 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:28:29.07 ID:
解析学の根幹は微積分(calculus=計算主義)ということに
なるわけだな。現代高等数学ってのは、概ね、この計算主
義の上に成り立ってるんだろ?
デカルト・ライプニッツ・パスカル・ニュートンくらいな名前は
数学史にも見えるな。
40 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 19:35:42.45 ID:
現代数学の神様のフェルマーはパスカルと共同で
確率論の研究やって、デカルトと文通してた。
数学も根っこを探すと哲学分野になる。
北米アングロサクソンの合理主義プラグマティズムが
見向きもしない問題だが。
岡の業績は多変数複素関数論で、本人も認めてるように科学よりも芸術だから
人によってはあまり見向きもされない分野らしいですね。
ただし、高く評価する人は本当に数学史中の最高峰と見なしたりもしていたようですが。
私は門外漢なのでコメントは控えます。
哲学についてはデカルトがあってこそのニュートン、
ヘーゲルがあってこそのマルクスと岡は語っています。
なのでヘーゲルに関しては当時からショーペンハウエルが
あんなものは知性ではないと批判していたようですね。
もっとも岡は哲学を重視する一方で、哲学も学問に含まれるために
真に対応する学問、美に対応する芸術のように
善に対応する訳語が西洋には存在しないということを非常に嘆いておりましたが。
42 考える名無しさん 2013/04/29(月) 20:32:28.92 ID:
岡潔曰く西洋(特にアメリカ)って極端なめくらだからあんなに学術が物質的に精緻になるらしいね
43 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 21:39:34.60 ID:
フェルマーは弁護士で余技で数学をやったのだな。
数学は哲学者より弁護士業界がやる時代か?
44 考える名無しさん [sage] 2013/04/29(月) 22:07:25.67 ID:
かもね。
岡は数学の抽象化や自然科学の色合いが数学でも強まってきてることを嫌悪していた。
こういう時代になると実業家が数学やる方が認められやすい。
45 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 22:52:36.62 ID:
言わば金融形而上学の時代だな。
46 ジャップ ◆.EDMOUBKE2 [age] 2013/04/29(月) 23:34:22.73 ID:
アメリカ人の脳味噌をハッキングして徹底的に分析してやる。
力が強い、エネルギーを大量に使うというのは岡潔が嫌ったことであって。
小さな物から悠久の歴史を観ずること。
大木を見て、大木の長さ大きさ硬さを分析して活用するのは西洋。
大木を見て、年輪を観ずれば自ずから・・。が日本の文化。
48 Jesse Oldendorf [ウェブ崩壊] 2013/04/30(火) 12:43:17.04 ID:
もっとも今の日本の古典教育では古典をマークシートでパチンコみたいに
やらせているから、日本人の娯楽のレベルが下がりました。
日本政府の政治家の方も、靖国神社に参拝して中国韓国の怒りを買うよりもっと
やるべきことがあるのではないのか。
それはラバウル島、ガダルカナル島の鉄くずを回収したり
自分自身の言葉、行住坐臥をしっかりと改めることではないのか。
49 考える名無しさん [sage] 2013/04/30(火) 14:58:45.34 ID:
岡自身が政治・軍事・土木や劣化新興宗教の教祖から距離を置くタイプだったからなんとも言えんが
たぶん岡は靖国以前に中曽根大勲位みたいなタイプの人間を一番批判するだろうなぁ。
大勲位は保守も共産も無く、ただ自分の保身のために行政改革を行った人だったから、
民生が向上しないばかりか、国体面でも著しく弱体化した。
靖国神社参拝に付け入るスキを作ったのもこの人。
先進国間協調でバブルを生み出させ破綻させたのもこの人。
大量に国債を発行し所得税率を下げ消費税を導入しようとし財政状態を極端に悪化させたのもこの人。
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, z イ三ニ三ヽヾ`、ヾ、 y' 、ソサ、ヽ 、
,レィ三フラ三二 ―--ヽ 、ァ≦、ζソシ、
ス三ンサ三三三ニ三ミ ミY yラ孚ナラジョシ
ウ三ンサ三三ニニ― `ミ、 ', i ! リ`キ=ニミ
、ニ三=ニ―-―ニ―-- ヽ ミリ リi! 、 ヽ、
、シシ三シル'r―ラーア` ' ノ 、、 、
三ニ ニリ i) |iリ!' /ノ / `、 `ミ
二三 三シ'、リノノシ / -- '''゛ -― 、 `;
ヾ三二ノノヾリツ/ ,,, ------―- 、; ,
`Y `;^ヾ、、リl!' ,,、ァャ 、 f゛_,,,,、 /; '
', リ=リヾ、、 彡>―-、.:.i :...,、-- /i、
'、ヽ〈 i!l ヾ、、‐-rt;ァ、 .;.| ,、rェァ ;/ヾi!
ヽ ' | ヾラ===ャ=ァ===マ'
ゝ-ァ! :::::::::|! ,r‐''" ノ i' ヽ ノ
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,、iiiillllllll|:::: 、、 i 、ェェェェ、;;、 /
,,iiiilllllllllllll|::::::::、 ヽ 、 ゞア=,` /、
Iiiiiilllllllllllllllllli:::::::: ヽ、 \ ` ノlliiiii;;::、,,
llllllllllllllllllllllllllii:::::::::: ::‐-- -‐'イ| llliii.;;.;....、ヽ、
岡潔
この人の憲法観を聴きたい。
たしか破棄論者だったと思うが、、、
52 考える名無しさん [sage] 2013/05/07(火) 17:16:53.89 ID:
破棄論者ですね。
ただ春雨の曲では、大日本帝国憲法・五箇条の御誓文・教育勅語も否定していますが・・・。
まず前文から見て論外と言ってますね。
>そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
>その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
>その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
>この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
これらは大嘘なんだそうです。小我観そのものだから人類普遍の原理じゃない。
物質主義から来てる考えから、一人ひとりに基本的人権を与えるということなんですが、
そうすると個人主義を生み、また個人主義が利己主義を生むのは避けられない。
自分だけが大事という考えのままでいるのは、魚類と変わらないと岡は言ってますね。
(ちなみに物質主義だと魚類以前のおたまじゃくしだそうです)
53 考える名無しさん [sage] 2013/05/07(火) 17:34:23.94 ID:
で、憲法制定のいきさつですが、押し付け憲法ではないそうです。
ただし、万世一系の皇統を切るぞと脅されて仕方なく日本人自ら制定したんだそうです。
この後すぐに改正しなかった吉田茂(麻生副総理の祖父)を、
岡は腑抜け、昭和天皇は得体の知れない外交官と評してます。
占領下での憲法作成は出来ないと峻拒した西ドイツと比べても腰抜けなんだそうで。
アメリカの思想が入っている憲法なんですが、
その中でも特にジョン・デューイの教育論が入っている。
日本人の当時の知識層に流行ったんだそうです。
プラグマティズム・構造機能主義・コアカリキュラム・問題解決学習といった考えの原点になります。
岡はデューイについてもあれは野獣だと批判してます。
なおその後憲法改正に意欲を燃やした岸信介(安倍首相の祖父)や
福田赳夫(福田康夫元首相の父)は晩年岡の哲学に傾倒していたようです。
岡潔の外国観
アメリカ
嫌い。但し無茶ばかりする国柄な為にたまに突拍子も無い人物を生む。
岡はこうした人物を「マッハボーイ」と呼ぶ。例えば連続体仮説は肯定できないことを示したコーエンなど。
(ちなみに不完全性定理を証明したオーストリアのゲーデルが連続体仮説は否定できないことを示した)
ロシア
20世紀の悪夢だった共産主義のかつての親玉。
形式論理を磨き上げたトルストイは苦手だが、前半生において逮捕された経験を持つドストエフスキーは好き(特に「白痴」)。
西洋の中で俳句がわかる国はロシアとフランスのみらしい。
55 考える名無しさん 2013/05/18(土) 01:08:19.88 ID:
フランス
岡の留学先。ギリシャ神話や北欧神話があまりあてはまらないラテン民族の国。
このため血筋的にも意外と日本に近い民族らしい。
ナポレオンをはじめとしたフランスの栄光の歴史をシャルル・ド・ゴールが非常に重んじた。
民族文化の温かい大河の流れにプカプカ浮いていれば自ずと知性が働く。
岡は図書館でこの流れを感じて生涯の数学の問題を定めている。
しかし高い知性以外はあまり褒められるところは無いらしい。
イギリス
フランスを敵視。ブラックジョークの国。
自分たちが滅びるくらいなら相手も滅ぼすのがイギリス魂。
ドイツ
カントやショーペンハウエルの出身国。
ときどきマルクスやヒトラーといった狂人も輩出する。
最近連邦議会で議席数を増やしている緑の党は左派勢力ではあるものの脱物質主義を掲げているため、
欧州の価値観が近年変わってきていることが伺える。こういう変化に日本は疎く、外国を見て動くフシあり。
56 考える名無しさん 2013/05/18(土) 01:29:22.62 ID:
インド
今でこそヒンドゥーとイスラムだが仏教の故郷。
仏教では点を空と言い、線を色と言う。
しかしそれきり発展しないために古代インド文明には斉家治国平天下が生まれなかった。
支那
岡の友人であった胡蘭成曰く、毛沢東は湖南人だから駄目。
支那と日本は民族的に非常に近い関係だが、
このうち満州人や台湾人は特に近い。ネパールやブータンやシンガポールも近い。
支那は知的純粋直観がよく働き、日本は情的純粋直観と意的純粋直観がよく働く。
早く共産主義やめればいいのにと岡は思っている。
かつて日本が支那を侵略したのは事実だが、
南京事件や慰安婦問題は卑怯なでっち上げであり、岡はこの面については非常に毛嫌いしている。
慰安婦問題を書いたのでついでに性問題の岡の見解を。
一応、国は性問題を放置してはいけない。
3S(セックス・スクリーン・スポーツ)は扱いに気を付けないといけない。
(スクリーンは岡の時代と比べて今は斜陽だし、スポーツは自他弁別本能そのものである根性を使わなければ良い)
しかし、スキンシップと性本能は切っても切れない関係なため、悪質性が低いことも多い。
なのでセックスは気品高く行ってほしいとのこと(笑)子供が下品に生まれてこないためにも。
58 淀屋橋ハニワ 2013/05/18(土) 08:16:23.50 ID:
セックスがテーブルマナーみたいになるのかよ?
手づかみ厳金?(あほらし
59 考える名無しさん 2013/05/18(土) 12:32:50.73 ID:
手掴み厳禁とは言ってませんよ。昼ドラみたいな手の出し方でもいいわけです。
ただ、あれの問題点は、非常に心が汚れるんですね。それは親となる人物にも良くなく、
生まれてくる子にも良くない。
第15識や親子の繋がりにも関わってくる問題です。
プラトン 「幾何学を知らざるもの、この門をたたくべからず」
ピタゴラス、エウクレイデス、アルキメデスとか、古代ギリシアの知性は基本が数学なんだよね。
東洋の「思想」と西洋の「哲学」の差も、これに由来するよね。
61 考える名無しさん 2013/05/22(水) 19:34:47.78 ID:
明日、医学評論社から評伝岡潔虹の章Ⅰ・Ⅱ発売だね
62 考える名無しさん [sage] 2013/05/28(火) 17:16:32.26 ID:
岡潔のお孫さん(第12識にいらっしゃるそうです)
http://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20130324-04.html
63 考える名無しさん [sage] 2013/05/28(火) 17:18:36.77 ID:
同じく続き
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/594
第12識といえば
曹洞宗の開祖である道元は第11識~第14識にいたらしく、第11識についてよく調べ、
早死覚悟で時をいじって岡潔に会いにきたとか。
おかげで岡は知的純粋直観が拓け正法眼蔵がすらすら読めるようになったそうな。
それまでは岡でさえ知的純粋直観がほとんど働かなかったから、
残念ながら日本民族の知はやはりあまり役に立たないらしい。
もっともその後の岡は禅はナンセンスな修行方法だと酷評してたが・・・w
それとフランスのサン=テグジュペリも第11識にいたらしい。
「星の王子さま」がそれ。
星へ落っこちるという表現と、毒蛇に足を噛ませるという表現は
第11識を知らないと書けない表現なんだってさ。
フランス人と日本人はかなり近い関係なのかもしれないね、本当に。
65 考える名無しさん [sage] 2013/06/04(火) 06:16:02.31 ID:
昭和41年11月25日号の『週間朝日』の連載ルポ「ふるさとを行く」
(明治以降の日本人は)人は死ねばそれきりだと思っている。
皆そう思って、そのつもりで人生の計画を立てている。
本当は僅々七十年位でできることなんか何一つないのだが、
無理に勝手な理屈をつけて、計画が立ったといっているのである......
しかし明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、
この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。
そして私もそう思っている。
「岡潔講演集」より 序(松下正寿の解説)
岡潔先生の思想は西洋式の形式論理を超越したユニークなものである。
であるから西洋式の形式論理に当てはめて理解しようとすると難解というよりは理解不可能になる。
ところで問題は我々の常識になっている西洋式形式論理でどの程度まで真理が把握できるかである。
私は極めて小と思う。西洋式形式論理で解る程度の真理は常識で解るのであるから特に論理の必要はない。
わかり切ったことをえらそうに表現するに過ぎない。
ところで岡潔先生の論理は形式論理ではなく、直感の論理である。
だから形式論理で考える習慣を改め直感で考えると先生の言われることがよく解るのである。
67 考える名無しさん 2013/06/10(月) 05:15:19.65 ID:
Wikipediaより 松下正寿
京都府生まれ。母方の祖父松下一郎は牧師で、松下家はキリスト教徒の家系であった。
母は亀徳(きとく)しづ。兄は青山学院大学教授の亀徳正臣(1899-1954)。母方の姓を名乗る。
青森県八戸市の八戸聖公会で育つ。旧制八戸中学校(現 青森県立八戸高等学校)を経て1922年に立教大学を卒業。
コロンビア大学でPh.D、カールトン大学で学士号を取得した他、ミネソタ大学やジョンズ・ホプキンス大学にも留学した。
1929年、28歳の若さで母校である立教大学教授に着任する。
第二次世界大戦中は、高木惣吉の提唱により設置された海軍軍務局調査課のブレーンを務め、
各種研究会に所属していた。
戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)では日本側の弁護人を務める。1948年弁護士開業。
1955年、立教大学総長に就任し、在任中は法学部の設立に尽力する。
1957年には岸信介首相の特使として訪英し、
核実験の実施に遺憾の意を示す岸首相の書簡を英国首相ハロルド・マクミランに渡している。
1967年、東京都知事選挙に自民・民社2党推薦で立候補したが、社共推薦の美濃部亮吉東京教育大学教授に惜敗した。
1968年7月の第8回参議院議員通常選挙に民社党公認で東京都選挙区から出馬し、初当選を果たした。
第10回参議院議員通常選挙には出馬せず、1期で引退。1975年に再び東京都知事選挙に民社党推薦で出馬するが、
美濃部亮吉知事、石原慎太郎の後塵を拝し、3位で落選した。1986年死去。
生後から5歳くらいまでの子の成長(日本の場合)
生後3ヵ月まで→第10識「真情」にいる
3ヵ月から1年11ヵ月まで→第9識「真如」にいる
1年11ヵ月から2年5ヵ月まで→第8識「阿頼耶識」にいる
2年5ヵ月までが童心の季節であり(やはり情が知や意より先)、
以降は第7識~第1識が強まってくる。
4歳で第7識「末那識」において分別智が強まり、
5歳で世間智も強まってくる。
したがって幼稚園教育・保育園教育・ピアノやそろばんの技術偏重教育はもってのほかであり、
ワークシェアリングを推進してでも3歳までは母、3歳から5歳までは父が側にいるべき。
6歳頃の寺子屋教育の復活も方法としては良い(現代ではしまじろう等が代行している)。
なお稀に第12識「主宰性」にいる子もおり、
生後2ヵ月の子の目を観察するとそれかどうか分かるらしい。
69 考える名無しさん [so2] 2013/06/12(水) 17:44:48.30 ID:
梅原猛さんによると・・詩人になるにはアホでなければならないと。
この点から観るに関西人、特に大阪育ちの人は詩人になれる人はいないだろう、
なぜかって言うと、お笑い好きの大阪人はアホさ加減が直観で分かるから
これについては、森毅。一刀斎最後の戯言でも詠んで。
関西でも和歌山県は別世界なのかのぅ?
大阪はヤクザだ在日だ左翼だ言われても個人的には好きだけどね。
ユーモアが上手くない日本人の中では珍しい部類の地域。
和歌山・奈良は別世界かもね確かに。
日本文明発祥の地であり、平安や鎌倉でない、神代の文化が栄えた地域。
ただそれでも古事記は支那から文字が入ってからの書物だから、
偉いとかアカンとかそういう内容があって日本神話を伝える本としては
あまり良くないらしいが。天月読命は影がかなり薄くなってるし。
加えてインドから入ってきた仏教も弊害が多かったしね。
聖徳太子が頑張って神道と仏教を融合させようとしたけど失敗した例もあるし。
71 考える名無しさん [sage] 2013/06/12(水) 18:24:30.97 ID:
それと詩ってね、あまり長くなく簡潔に言い表した方がいいらしいよ。
日本と共通点が多いフランスでさえ100句くらい使わないと認められないらしいし。
その点日本は短歌や俳句っていう最強チート武器があるからね。
直観が利く大阪府民でもいけるでしょ当然。
まぁ向き不向きは確かにあるらしくて、
明治以後も自他対立していない歌を歌えた県民は岩手県民くらいしかいないみたいだけど。
昭和への遺書 1968年6月
西の子(西洋)の歴史に限って言うと、古代ギリシャ時代400年は昼、古代ローマ時代2000年は夜、
文芸復興から20世紀初頭までの400年が昼、第一次大戦後はまた夜である。
だいたい4時間が昼、20時間が夜という緯度の所にいるらしい。
ローマ時代は真、善、美が分からず、軍事、政治、土木がもっぱら重んじられたのであった。
その頃のローマと今の世界状勢は酷似している。
ローマ時代を知りたければ、眼前の世を見ればよいと言いたい。
私は数学の研究を自分でもし、他にもさせているのであるが、
数学くらいごまかしの利かない所も少なかろうと思う。
この窓から見ると、二度の大戦で光が格子段的に薄くなっていく有様が手に取るようにわかる。
存在意義も見失っており、そこでは自明的な自家撞着にすら気づかないらしい。
第二次大戦後には、これが覚醒時の意識で書かれた論文かというものが数多く出ていて、
私の私設研究室の人たちに手分けして読んでもらって聞いていると、知識のがらくたという気しかしない。
市民大学講座 1968年11月
もし、本当の教育をすれば、日本の文化は高度に進みます。
そうすれば単に、高い文化を持つというだけで、日本にはちょっと手がつけられなくなる。
こんな小さな資源もない島にとって自衛の手段としてそういうことが考えられる。
それだけでにらみが効きます。核エネルギーだってそれほど悪くはない。
そうするには今の教育は問題です。
日本は工業的生産力が世界第三位だということと
(当時の二位はソ連だが、現代なら支那に置き換えればよい)、
国民性が勤勉であるということ以外何一つうまく行っていない。横隔膜の病気である。
これを船に例えるとね、エンジンだけしっかりしたぼろ船です。
だから日本は今、どっかから水が洩れたらそれをつめ、
又どっかから水が洩れたらそれをつめ、みんな寄って一致協力して精一杯やって、
どうにか向こう岸へ着けなきゃならない、そういう有様です。
でもこれは、仲々働き甲斐のあることで、
共産主義なんていうお祭り騒ぎして騒いでいるよりは、ずっと面白いはずです。
市民大学東京校 1974年5月
四年前「春雨の曲」と、こういう本を一冊書こうと思った。
その初め二年間は、こんなもの書いたところで、
ここまで来てしまっては所詮日本民族の滅亡は防げないだろうと思ってた。
去年になって少し事態が好転したと思い始めた。
非常に好転したと思い出したのは去年の七月の中頃から。
で、去年の末までにはもう大丈夫、滅びないと思った。
そして今年の三月には、最早人類自滅の危機は去ったと思ってる。
造化には人に生まれることを許可している司命官庁というのが確かにある。
そうして、これから一番大事なのはその司命官庁です。
人類の滅亡をどうして食い止めるか。
簡単に云えば!人口を減らせば良い。
増加の方向に向かってたのを、減少の方向に向け変えたら、それで良い。
ところが、こんなように云った人、一人もないのね。
どれくらいに減らせば良いか。四%くらい。
そうすると今こうすべしと云って、それが姿に現れるのは二百十年後でしょう。
そしたらその時、日本の人口は既に四百万になってるか、四百万を指して減って行ってる筈。
日本人がこのまま餓鬼道でいたらそうなるのは仕方ない。
一億が四百万に減ったら、つまらなかったものが大切になり、大切だったものがつまらなくなるでしょう。
まあともかく、ガラーンとした寒村にすこーしの家しかなかった時の、山村の暮らしのようになるでしょう。
人懐かしくなるでしょう。物質なんかどうでも良くなるでしょう。
それでいい訳なんです。
75 考える名無しさん 2013/06/15(土) 22:47:00.07 ID:
age
太田龍の時事寸評 平成十五年(二〇〇三年)二月十日(月)(第四百八十三回)
岡潔先生は、苗代清太郎先生と同じく、晩年になるにつれてラジカルに成る。
「中国はダメ。佛教はダメ。西洋は救いようがないほどダメ。」(「岡潔先生二十年祭記念・聴雨録-師弟談話集」)と言はれたのでは、
岡先生ご出身の日本の(西洋式)数学者でさえ、立つ瀬がない。
敬遠。封印。無視。忘れ去る。ないことにしてしまふ。
・・・より他ないであらう。これでは、昭和五十三年逝去と同時に急速に、
全日本社会が、岡潔を忘却することに成るのも当然だ。
しかし、これからが本番だ。
岡潔先生は、西暦二〇一〇年(平成二十二年)頃、高天原神国日本の第二次国産みが完了する(「春雨の曲」第七稿)、と予告された。
当寸評は、岡潔説を一から十まで鵜呑みにはしないが、
それにしても、ここに現代日本の最高の思想が表現されて居ることは明らかだ。(了)
77 考える名無しさん 2013/06/23(日) 23:00:10.37 ID:
都議選もあったしキナ臭い世界だけど岡の政治観でも書くか。
国政と地方選の争点は一致しないが一応。
・政治は労働者層を雲散霧消させるのを目標にすべき
・かつてのソニー、パナソニックは労働組合が消失するほど経営が上手くいっていた
(ただし商品については今後は2からも伺えるように価値観の多様性を踏まえる必要がある)
・かつての自民党は雲散霧消させるのを目標としていなかった
・旧社会党は労働者階級に固執して逆に日本の方を雲散霧消させようとしていた
・したがって新党が必要
(個人的には自民、民主、維新の三大政党制が良い気がする。TPP推進と消費増税は引っ込めてほしいが)
・共産党は左派政策を引っ込めるだけで社民党より遥かにまともな政党になる
・政教分離は必要だが、祭政一致も必要
・餓鬼道や小我のまま投票したり立候補したりしないように
葦牙会発足 1968年12月
建武の新政が馬鹿な公家によって失敗した際、
楠木正成に兵庫県で足利尊氏の大軍を迎え撃てと、こういう詔勅が下った。
そうすると、正成は幼い正行に時勢と死後を諭して、
湊川で尊氏の大軍を迎え撃ち華々しく戦ってことごとく討ち死にした。
その時に、ななたび(七度)人間に生まれ変わって君国に報いよう、そういって死んだと伝えられています。
79 考える名無しさん 2013/06/27(木) 14:47:39.78 ID:
この正成の立派な死に方を見て、敵将の尊氏が深い感銘を受けた。
それで、これを手厚く葬るために河内の楠木邸に送った。
正成の首を見た正行は、毎日毎日一族の遺族達の子弟を集めて、戦ごっこをする。
形見の短刀は、自殺するためでなく、賊の首を切るためだと父に諭されていたから。
そうして大きくなった。やがて敵将の高師直が、吉野朝を大軍で攻めようとした。
その時、楠木正行は多分結婚して直ぐだったが、ことごとく討ち死にした。
正行の奥さん、勾当内侍(こうとうのないじ)っていったと思いますが、私よく知らない。
それで、多分それに非常によく似た、戦国時代の木村重成の奥さんの話をします。
81 考える名無しさん 2013/06/27(木) 15:03:38.36 ID:
大坂の落城が迫ったと聞いて、木村重成はいよいよ最期と覚悟の程を決めて出陣しようとする。
そうすると、その結婚したばかりの若くて美しい奥さんは、
いち早くこれを察して、夫に兜を捧げるんですが、
重成がこれを受け取ってみると名香が炊き込めてある。
それで妻の意を察した重成は、その兜をかぶって、兜の緒をきりりと締めると、
その残った兜の緒を結び目ぎりぎりの所からぷっつりと切った。
これは最早脱がないという決意を示してるんです。
奥さんはそれを見て、静かに夫の出陣を見送ったのち、自分の部屋へ入って、そして先んじて自刃した。
こういう風なんですね。
82 考える名無しさん 2013/06/27(木) 15:08:07.57 ID:
日本民族の女性の真の幸福というものはこういう所にある。こういう所にしかむしろ無い。
何も必ずしも死ななくても良い。こういう場合にはいつでも死ねる。
こういう時には死ぬという形に現れ、そうでない時は死なないという形に現れているだけであって、
真の幸福というものはこういう所にあるんです。
曙 1969年6月
日本は既に破綻が方々に出てるものに真似をして、それを良いと示し、それだけの上にいろいろやろうとする。
日本民族の大多数は実に無知ということです。
日本民族のうちは、中核の一万程に知が非常によく働き、情と意によって一般の人々を感銘させ向上させる。
だけど一般の人々は全然無知です。これは日本史を調べると、ずっとそうなっています。
こういう民族が、多数の言うことを正しいとする決め方、これを民主主義と云ってるんですが、
こんな批判の仕方を長く続けていると、衰退するに決まっていますよ。
大体、明治までの1300年もの間、五尺の体とその機能が自分であるというのは、小我という迷いであって、
この迷いを覚まさなきゃあいけないと習い続けたんです。
それが100年も経たんうちにケロッとそれを忘れて、
五尺の体とその機能が自分であり、自分中心に行為すべきであると憲法・法律に明記し、
それによって社会通念を作り、それによって教育原理を教えてるんですが、
どんなに馬鹿な民族かわかるでしょう!
それがたった100年の一般人です。全然、相容れない。
しかも終戦までは、人の為にする行為が善行で、利己主義は唾棄すべきものとなっていたんです。
消極的利己主義も積極的利己主義もね。
その反対をやっている。全然、知が働かない。
中核の言う所に従順に従って来たんでしょう、それを続けるべきです。
正しいことを言う奴が一人もいない!間違ったことばかり言う!
ここから何時も 1969年8月
バイオリンのあの何処がいいんです。前頭葉の音楽です。西洋のは皆。
意識を通さなきゃあわからん。じかにわかる音楽にすべきです。
もともと前頭葉の心あることしか知らない者の芸術だから、全て前頭葉を通す。
それじゃあいかん。改良してじかにわかるようにすべきです。頭頂葉でわからしたらじかにわかる。
古典音楽までは前頭葉の音楽、ドビュッシー以後は側頭葉の音楽、終戦後は「からだ」の音楽です!
西洋人のやった所を踏み台にして良くして行きゃあいいんだから、
バイオリンをお習いになるのは良いが、これが最上などと思ったら間違い。
意識を通す、あれは。だからつい、俺は音楽の天才だと思う。
創価学会は全体主義そのもの。宗教じゃない!
あれの不安を煽る勧誘に引っ掛かる理由は馬鹿だから!(笑)
大体、仏教ったら小学一年生用なん!法華経、読んで大した勉強になる訳ないん!
それ以上説きようもなかった。
それじゃあ釈尊なんてわかりゃしません。日本民族が解釈しないとわかりません。
何も知らないのに 1970年5月
大体、日本人が西洋の学問・芸術にすぐ飛びつくのはまだごく子供だから!
「やっとこやっとこ繰り出した。おもちゃのマーチがラッタッタ」です。
大事なこと何もわかってないのに、つまらん事に多弁を弄してる。
それが面白いって言うんでしょう。あんなことするのは馬鹿だ!
大体そんな風が明治以後ですが、終戦後は更に丸で腑抜けです。
ちーとこういう所を反省することから始めたら良い。
何故そんなに真似ばかりしなきゃいかん。また、それが何故良い。
いや、私も欧米人の数学というものをやったということで文化勲章を受けた(1960年に池田勇人内閣から)。
何という馬鹿な!(笑)数学をやる者もやる者だけど、そんな者に文化勲章をくれる者もくれる者!(拍手)
実際、ろくなのおらん!これじゃ日本駄目になるのは当然でしょう。
在りし日の岡潔
http://www.youtube.com/watch?v=uQcCmAvTc2Y&feature=player_embedded
87 xeo ◆topaTViseQ [sage] 2013/07/05(金) ID:
小林秀雄とも対談してるね~岡潔。
しかしまあ、その後、小林は今日出海との対談で、ジャーナリズムが
岡をあっちこっちひっぱりまわして、貴重な才能をもつ岡をくたびれ
させてしまったって批判してるね。今も相づちうって、岡の書くモノは
最近面白くないっていう風にいってたなぁそういえば。
88 考える名無しさん 2013/07/06(土) ID:
69年を境に出さなくなるからね、本を。
正確には出せなくなった、が正解だが。
葦牙会や市民大学講座もあまりやらなくなり、春雨の曲の執筆に専念するようになる。
とりあえず警鐘は乱打したので後は未来の教科書を書こうと思って。
岡潔が他人の計算によって考え出した話によると、
日本民族は血縁的には相当濃いらしいね。血による病気には罹りやすいかもしれんが。
人には二人の親があり、三十年で子を生むものとして計算すると、
千八百年で一億の一億倍になる。千八百年前の人口を一千万と仮定すると、
当時の任意の人は今の任意の日本人から見て、十億重に一番古い祖先となる。
計算が合ってるかどうかはともかくとして、血縁が濃いから、仲良く住もうという結論を導き出してる。
天皇無所有の思想もそういう意味合いがあるらしい。岡潔曰く天皇は元首じゃなく家長だと。
90 考える名無しさん 2013/07/08(月) ID:
ってか無所有だから皇室は金銭的にはあまり裕福じゃないらしいね。
91 考える名無しさん 2013/07/09(火) ID:
87-88
今の言論人の辿るルートも変わってないよね。
藤原正彦の場合、国家の品格で岡に触れたのち、今は沈黙を貫いてるし。
まぁあの人は、あえて論文書かない人だから周囲に呼びかけるような真似はしたくないと思ってるようだが。
小林よしのりも同じだね。好んで読む人が本当に減った。
岡の場合は、出版社に悉く断られてるし、可哀想だな。そのせいで遺族も本を出したがらないし。
日本民族 1968年12月
私は石原慎太郎さんに会おうと思って、氏の著作を読んだ。
あるところにこう書いてある。「力を備えていなければ駄目」である。
またあるところにこう書いてある。「嫌悪感という情操に基づく好意」
私は嫌悪感という情操、という言葉を初めて聞いた。
憎悪になると小我になるが、嫌悪だと情緒の濁りといった感じで、掴み所が無い。
力と嫌悪を組み合わせると信長のイメージ(印象)が浮かび上がる。
氏はまたどこかの新聞小説でこう書いてあった。
「若い男女が一緒に海で泳いだ末、二人だけで裸で立って互いにそこを見合って、淋しそうな目の色」をした。
この「淋しそうな目の色」という言葉はちょっと書けない。
会ったのは京都の料亭、小さな庭があり、季節はまだ夏だが、
もう秋色が感じられて美しかった。私が信長が好きかと聞くと好きだと答えて、
一人でAll or Nothing(全か無か)の一戦をしたいと言っていた。そして私に松蔭になれと言った。
氏は十二神将の一人だと思う。
93 考える名無しさん 2013/07/11(木) ID:
数学者 岡潔思想研究会
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/
94 考える名無しさん 2013/07/18(木) ID:
93
カウント10000回突破したな。
春雨の曲 第4稿 1975年12月
造化(A+T)はみんなが懐かしさと喜びの世界に心を一つにして住めるようにしか生物を作っていない。
男性は皆、懐かしさの象徴である天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に帰一せしめ、
女性は喜びの象徴である天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一せしめることを目標にしているのである。
諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意により第十一識に行く(但し第十一識の抜き身は使い過ぎると早死にする)。
自浄其意さえ怠らなければ、善良な凡人は段々向上して
第七識から第八識、第八識から第九識、第九識から第十識、第十識から第十一識までは行ける。
この次は第十一識から第十二識に行くに自覚しながら行ったのであるが、
わたしは第十一識に入ったのは終戦の第二年(一九四六年)、
第十二識に行けば天照大神を見神できるのであるが、
見神したのは一九七三年の七月十五日頃である。
そうすると、実に二十七年かかっている。これは男女の別を取り去るのに時間がかかったのである。
わたしは男性である。だから男性のことはよくわかる。しかし、女性のことはよくわからない。
わたしは長い間こんな風であった。
こんな風であると云うことは男性と云う私がわたしに残っていたことになる。
それを除るのに二十七年もかかったのである。
つまり天照大神を見神する為には男女を超越しなければならない。これは容易には出来ない。
人はカチノー(カチカチの脳)になってしか天照大神のことを考えないからである。
天照大神を見神するには大神が死ぬほど好きでなければならぬ。
人は中核Kと外包Lとからなっている。
容易に大神が死ぬ程好きになれないのは、外包Lを脱ぎ捨てて中核Kだけになれないからである。
Lがカチカチにさせているのである。
これは男性の人に言ったのであるが、女性の人は天の月読の尊をお念じ申すのがよい。
第十二識まで行くことが出来ると男性ならばオリジナルのa1を、女性ならばオリジナルのt1を見神することが出来る。
そうすると、やがて造化の夢殿の初覚の間に入ることが出来る。この後これを認識し、自覚し、確認する。
自覚を確かめるのが確認である。
確認すれば帰趣の宮殿の内に入ることが出来る。
そうすると一応、男性ならば天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に、
女性ならば天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一したということができたことになる。
外の夢殿に入ると、使命を托されて人に生まれる。親を選ぶのは子である。
その度毎に向上していって、遂に内の夢殿に入り、生命の秘境(両性ある心そのものの世界)に帰趣するのである。
わたしの場合をお話しよう。
一九七三年に華厳第七門の見神をした。これについては前に述べた。これは天照大神の遠望である。
その後一年がかりで、うじのわきいらつこの尊の俤(おもかげ)、孝明天皇の俤、
弟橘媛の俤、明恵上人の俤、式子内親王の俤、樋口一葉の俤を見せていただいた。
そして翌一九七四年の七月十五日頃、二度目の見神をした。これは華厳第八門の見神である。
そしてその年の十二月八日に帰趣宮に行き、二尊が無自覚時代終わったことを宣言されるのを聞いた。
無自覚時代が終わったとは、神から人へという方向で諸事象が推移していたのが、
一九七四年の末に自覚時代に人の行くべき道は、人から神への方向であることが確認されたということである。
初度は体験、二度目は認識、三度目は自覚、四度目は自覚の確認即ち自覚の捨であって、ここに到って初めて実践できるのである。
そして(オリジナルt1―オリジナルa1)が四度目を踏み出すことが出来るようになったから、日本民族は自覚時代に入ったのである。
秋が来ると紅葉 1969年9月
※文章化したものもこれから書きますが、移動先のサイトの岡の肉声と合わせて読むことを勧めます。
http://www.youtube.com/watch?v=gCqDC-tu9Kc
100 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
秋が来ると紅葉します。それを木の葉が赤くなるから、秋が来たような気がするのである、と思う。
こんな風なのを物質主義というのです。
今の日本は、例えば教育は秋の気分を出そうとして、木に赤インキを注射してるようだと言えば、
本当にそんな風だという気がします。あんまりいろいろとおかしなものを注射すると木が枯れてしもう。
こういうのを物質主義というんです。
至るところ物質主義です。
物質主義は必然、個人主義を生みます。個人主義というのは五尺の体が自分だと思うのです。
物質主義というのは、感覚は厳然たる事実だし、感覚で分からないものは基礎にできないと、
そういう思想ですから。
五尺の体を自分だと思う、これが個人主義です。五尺の体を自分だと思う、そういう自分を小我という。
小さな我と書く。小我は迷いである。本当の自分を真我と呼ぶ。
小我の迷いを離れて、真我を自分だと悟れというのが仏教の教えです。
日本は明治までの1300年の間、非常にそれを勉強したんです。
それだのに、それから100年も経ちますと、ケロッと忘れてしまった。
日本の新憲法は五尺の体が自分だとなっています。
そんなこと分かり切ってて、いちいち書かなくても良いという書き振りです。
日本に十万も僧侶がいるのですが、「これは間違いである。小我といって迷いである。」という人は一人もいない。
個人主義は利己主義を生みます。どーしても利己主義を生む。
利己主義のうちでポジティブなもの、自分中心にしか考えたり行為したりしない人がある。
人の目にも付きますし、自分の目にも付く。
だから、まだ良いのですが、消極的な、ネガティブな利己主義が困る。
自分と自分の周りの人達以外に対しては全く無関心である。それが困る。
今、日本は消極的な利己主義がほとんど行き渡ってしまっています。
だから個人の幸福は考えますが、国家などというものは少しも考えない。
102 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
ところが実際は、国家というものなしに個人の幸福などというものはあり得ないのです。
こんなこと猿だって知ってる。また世界の各国民は皆知ってる。知らぬは終戦後の日本だけです。
これに似た国民を求めますと、なかなか近いところにはない。
遡って、2000年近く遡りますと、一度ユダヤという国が滅びました。
あの滅亡直前のユダヤ国民が今の日本国民に酷似しています。
だから今の日本国民は民主的だなどと思ったらとんでもない、ユダヤ的というべきです。
個人の幸福あるを知って、国あるを知らんのをユダヤ的というのです。
民主的とは言いません、そんなこと不可能ですから。
ところで、何故、こういう事態に立ち至ったか。それを一番初めから詳しく申しましょう。
※なお、岡は昭和への遺書>>72で、アインシュタインを輩出できたのはユダヤ民族の歴史が古いからである、
とも述べています。日本民族はそれ以上に歴史が古いわけですから、言わずもがなとなるわけです。
人には心が二つあるんです。
心理学が対象としている心を第一の心ということにしますと、この第一の心は前頭葉に宿っている。
この心は私というものを入れなければ全然動かない。
その代わり、いったん私というものを入れると、笑いカワセミのようにうるさい。
私は嬉しい、私は悲しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲すると、こういう心。
また、この心は意識を通さなければ分かりません。それからこの心は、心理学者は知らないでしょうが、
前頭葉に宿っているというのは中心が前頭葉にあるという意味で、広がって物質的自然界全体を覆うています。
物質的自然界というのは自然科学が対象にしている自然です。
人は生まれて何時頃からそんな風になるかと言いますと、
第四年目にはそうなり始めて、小学校へ行くまでにはそうなります。
それで自然科学者は、初めに(第七識に)時間空間というものがあって、一切のものはその中にあるとしか思えないのです。
しかし、この心は物質的自然界全体を覆うていますが、それから外には出ていません。
ギリシャ人や欧米人はこの心以外知らないのです。
104 考える名無しさん [sage] 2013/08/01(木) ID:
ところが本当は、人には第二の心があります。この心は頭頂葉(唯識論を深く掘り下げると後頭葉)に宿っている。
この心は無私の心です。無私とは私がない。
無私の心であるというのは、私を入れようとしても入れることができない、そういう意味です。
また、この心の分かり方は意識を通しません、じかに分かる。
この心は頭頂葉に宿ってるというのは、中心が頭頂葉だという意味ですが、
広がって肉体の全体に及び、外に出て物質的自然界全体に及び、
更にその外に出て空間の無いところにまで広がっています。
現在、過去、未来を問わず、およそ時のあるところにはこの心がある。
そういう第二の心がある。欧米人はこの心があるということを知らないのです。
こういう話しますと、貴方々、あまり信じられないような気がするでしょう。
それは欧米の思想、何よりも自然科学を過信しているからです。
この自然科学過信をここで打ち破っておかなければ、今のようなこと言っても、それから出発したのでは聞いてもらえない。
近頃、物理学者が素粒子を電子顕微鏡で見た。
そうすると素粒子は生まれてきてはすぐにまた消えて行ってる。
これは、物質は生じたり滅したりしないものだという古来の観念を破っています。
古来の観念は既に破れてしまっている。
古来考えてきたように、生じたり滅したりしないような物質というものはないのです。
しかし、それよりも不思議なのは、何しろ物理学者は初めに時間空間というものがあるとして考えて行ってる。
然るに素粒子は生まれてきては消えて行ってる。
素粒子は一体どこから生まれてきて、どこへ消えて行ってるのだろうか。
今、物理学者の先端の人達は茫然自失してるも同じこと。
どうすればごまかせるだろうかと思って、工夫するだろうと思いますが、自然科学は初めから間違っている。
今、その間違いがやっと分かる所まで来たんです。
しかし、間違っているとはなかなか気づかないかもしれません。
106 考える名無しさん [milo] 2013/08/02(金) ID:
100 感覚は厳然たる事実、これは大事です。
感覚的に感じたことを表現するこれ気持ちいいね。
107 考える名無しさん [milo] 2013/08/02(金) ID:
物を観て、その物を用いていた人の経験を観ることこれ大事。
108 考える名無しさん 2013/08/03(土) ID:
ニュートンの「絶対時間」やアインシュタインの「相対時間」は第七識にあるんだよね。
だから今の物理界で盛んに探されているダークマターは第八識にある。幽霊も大体はここにいる。
ベルクソンやサン=テグジュペリ、道元や岡潔が重視した「時」は七、八、九、十を超えて第十一識にある。
もっともほとんど宗教の世界だから、岡の遺族や研究会としては
岡を教祖化させないように非常に警戒して目立たない活動してるよね。
創価学会や統一教会、幸福の科学なんかももう少し全体主義色を薄めればいいんだけどなあ。
物質主義に対抗するための存在としては正論を言ってることも多いんだから。
春雨の曲 第8稿 1978年7月(未完で絶筆)
日本民族の旅路については、極く大体の荒筋しかまだ確認出来ていません。
これを詳しく認識的に調べることは、人の「からだ」を身に着けたままでは無理です。
だからこれは来世以後に於て詳しく調べます。
そうすれば兎角論議の種になりがちな「日本歴史」もはっきりわかる筈です。
私が今書いている「春雨の曲」の稿は第八稿です。
これに先立つ七つの原稿は書き上げては反故にし、書き上げては反故にしたのです。
反故を作るために書き上げたようなものですが、そうすることによって、
云わば足台を積み重ねることによって段々上の方に手が届くようにしていったのであって、
認識的に大宇宙の実相を研究するには、私に対しては此の漸近法が一番よい方法だと思っています。
春雨の曲 第7稿 1978年9月
そういう日の夕刻、わたしは奈良のまちから帰って来て新薬師寺の角を曲ると、
一見人の世の人のように見える天衆が群れていて、
ある者は隣人のように田の畔に立ってわたしを出迎え、
或るものは旅人のように、すれ違いざま、或は追い抜きざまわたしに無声の声をかけた。
挨拶の言葉のこころはわかっても意味がわからないのは、
或はすれ違っても触れられないのは、
わたしがまだ外の夢殿にいたからである。
わたしとこれらの天衆とは同じ空間にいながら別の世界に住んでいるのである。
葦牙会発足 質問編 1968年12月
(岡潔)
あのね、民族にとって、国民にとって一番恐ろしいのは男女問題です。
それ一つだけで十分滅びる。アテネがそう。今のチベットも民族浄化で危ない。
親を選ぶのは子なんです。就中、男女の交わりの時に、その性に合ったところへ行って生まれる。
だから、できるだけ気品の高い交わりをしてもらわないと大変困る。
そうするとね、日本の今の男女の交わりはひどく乱れている。享楽の具と考えている。
これじゃ目茶。それで、生後八ヵ月で立つという子が非常に多い。牛や馬に非常に近い。
私、おじけ震ってる。これは船の底に穴が空いたようなもの。どんどん悪い水が入って来る!
正常には十五ヵ月で立つんですが、それを八ヵ月って半分ですもの。
八ヵ月で立つっていうのに医者は平然としてる。馬鹿は仕様ない。非常に心配なんです。
112 考える名無しさん [sage] 2013/08/07(水) ID:
(司会)
先日もですね、教育の一番の問題はまあ男女の問題であるということを、
岡先生もこの間おっしゃったことを憶えております。
(岡潔)
あのう、共産主義者ねえ、どうやって学生や一般大衆を引き入れたかっていうと、
「踊って、歌って、恋をして」っちゅうて引き入れたんです。仕様のない奴等だ!
しかも「恋をして」っていうのが尋常一様の恋じゃないんです。
本当にあんなん皆明るみに出して、親達に教えてやらないといかん。
あのねぇ、日本の共産主義は、他国の共産主義よりもずっとひどいですよ!
実にひどいバイキンだ!あんな下等な宗教に感染するくらいなら、滅んだ方がはるかにマシです!知性も何もないもの!!
(質問)
今はね、日本はすごく何か、落ち着きがないというんですか、
若い世代がどんどん都会へ行く気持ちである。
それに対する戦後の日本というのは、これは日本ではない、アメリカだと思うんですけど、
そういうことに対してはどうお考えですか。
(岡潔)
ともかく今、都市へ出て行きたがる奴は馬鹿です。(笑)
大体、地方に残ってます。良い日本は。何と思って都市に住みたいのかわからん。
まあ、都市に住まなきゃあ労働できないという人達も出て来てることは確かです。
で、こういう人達が都市で生き甲斐を感じて生きるようにしてあげるにはどうすればよいか、
有識者は考えていかないといけないんです。
それくらい都市に住みながら、生き甲斐を感じて生きるということは難しいのである。
また、子供を地方で育てるのは簡単ですが、都市で良く育てようと思ったらひどく難しいんです。
だから次の代を本当に担う人は、それは地方から出るでしょう。
都市からはひどく出にくい。酒の肴に良いようなのが都市から出るんです。(笑)
ともかく都市で住みたいっていう奴は馬鹿です!
僕の親族の片付いてる家がある。それで、こんな東京なんかで住まないで、
田舎へ行って家建てるかマンションに住むかしなさいっていったら、
都落ちするのが嫌だっていって、到頭東京へ家建ててしまった。(笑)馬鹿な奴!
教育と産業が上手くいってないんですね。
114 考える名無しさん 2013/08/07(水) ID:
嬰児に学ぶ 1969年10月
(司会)
どうもありがとうございます。それでは時間の関係で、もう一問だけお受けいたします。
ただ誤解のないように申し上げますが、青年会議所は本日は先生の個性を、
非常に明日からの我々の為に必要だと思ってお招きした訳でございます。
ですから一般論にうんと時間を費やすということは先生のご健康もありますので、
もう一問で終らせて頂きたいと思います。如何でしょうか。もう一問、お受けいたします。どんな質問でも・・・。
(岡潔)
あのう、今の大学紛争ね。大学が早く潰れてくれたら、本当の大学を作るのになあと思ってる。
西洋の大学は早く潰れてくれたら、日本の本当の大学を作るのになあと思ってる。(拍手)
だから西洋文明の崩壊だと言ってる!
(司会)
はい、最後のご質問があれば受けますが。
それでは一応、時間が参りましたので打ち切らせて頂きます。どうもありがとうございました。(拍手)
113 春宵十話より、岡は都会の子供より田舎の子供のほうが
動物性がないと書いてありました。
都会のオフィス街ではみんながおんなじように歩かないと
疲れてヨボヨボ歩くと、変な風にあつかわれる・・
こんな世界で育った人間がどんなことをできるのか。
それなら田舎で、地方都市の車出勤の場所でなくて
年よりは年寄りなりにゆっくり稲を刈ったり
若者は若者なりに、・・・
バイクの音や変な花火がうるさいだろうが俗物めが。
116 考える名無しさん [miko] 2013/08/07(水) ID:
地震や災害に備えるでも、大事なのは一日一日の歩く息を吸う
それが昔の人間に対して誇れるレベルなのか。
歩きながら都会の「みんなが一緒におんなじように歩く」
それから抜け出すには自然を観ながら。
値札が付いていない世界にいけるか??
値札が付いていない自然を観て楽しめるか??
115-116
これはもう仕様も無いことだからね。
進歩の問題として、人類の今の現状は邪智世間智を使わなくても生活できるようにはできていない。
ただし超長期的には使わなくても良い社会を創らなくてはいけないのは事実。
ちなみに欧米諸国は前頭葉主体の社会のままでも
近年は相当に妄智分別智や真智無差別智を重視するようになってきてはいるね。
岡自身も「欧米人は日本人に進化しなくても、日本人によって啓蒙されれば相当に生活態度が変わる。」って
言ってるしな。現にロシアのプーチンの愛読書は国家の品格だったと思うよ。公式には発表していないが。
118 考える名無しさん 2013/08/09(金) ID:
age
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。
Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います。
岡潔「蘆牙」より
東海林さだお「岡潔センセイと議論する」
ボクは数学と聞いただけで、数々のいまわしい思い出が、頭をよぎるのである。
解析Ⅰ、解析Ⅱ、幾何、ああ思い出してもセンリツが背中を走る。
数学の授業が始まって終るまでの、あの重苦しい、長い長い灰色の時間よ。
試験の答案をもらうとき、女生徒に見られぬように、パッと引ったくり、すばやく折りたたみ、
卑屈な笑い浮かべて、教壇から自分の机に戻る足どりの重さよ。
考えてみれば、ボクは、あのころから女のコにモテなかったなァ、
と思い出は、よくない方へ、よくない方へと拡がるばかり。
岡先生は、こともあろうにその数学の先生なのである。
考えれば考えるほど身がすくむ。
編集部の人の話によると、今回は、数学の話ではないという。
岡先生の近況は、数学から離れ、
荒廃する日本の行く末を案じて自宅に道場を建てられ、念仏三昧の毎日を送っておられるという。
今回は、岡先生が、どんなふうに日本の行く末を案じておられるのか、
また、次代のにない手である若者をどうお考えになっておられるのか、
そこのところを、ボクが、若者の代表としてうけたまわってくるという趣向だという。
それではということで、早速、編集の人と二人で岡先生の住む奈良へ電話をかける。
121 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
「もしもし、こちら文芸春秋の浸画讀本の者ですが、今回、『にっぼん拝見』という企画で、
東海林という浸画家が、ぜひ先生にお目にかかって、お話うかがわせていただきたいわけなのですが」
「なに?漫画家が?わたしに?……なぜ漫画家がわたしに会う必要があるのです。
漫画家はふざけて書くから会いません。会いたくありません」
「そこを、ぜひなんとか……」
「日本はいま、どういう時だと思いますか?」
「……」日本は、どういう時かと聞かれ、一瞬ちんもく。チト待てよ、たとえば安保の……
「では、さようなら」
ガチャン。
いったい、なにがどうなったのか、ボクは呆然と受話器を見つめるばかり。
だが現代のマスコミというものは、こんなことぐらいで、ひるむものではないのである。
とにかく奈良まで行きましよう、行けば行ったでなんとかなりますよ、ということになってしまうのである。
一月の奈良は、氷るように寒い。
奈良の山を背負った田ンボの中に、岡先生の新居が見えてきた。
文化勲章受賞当時、六畳二間の文化勲章と騒がれた家を引きはらって、
二年ほど前に建てられた白壁の大きな家である。敷地も二百坪はあると思われる。
このへん、坪いくらぐらいするだろうと、俗塵にまみれた漫画家は考える。
ともすれば、ひるむ心にムチ打ち、玄関のベルを押す。
たぶん、お嬢さんと思われる人が出て来て用件を聞き、「しばらくお待ちください」といって引っ込む。
家の中で協議が行なわれているのであろう。緊張の十分。
そして、「お会いするそうです。お上がりください」といわれたときは、
うれしさと、緊張のあまり足がもつれ、よろめくように座敷にころげこんだ。
浸画家といっても、漫画界では一流の、人品いやしからぬ紳士が、ゆったり現われると思いきや、
ヘンなアンチャンみたいのが、赤い背広着てドタドタところげこんできたのであるから、先生としても、さぞビックリされたことと思う。
だが先生は、優しい瞳をして、静かにすわっておられた。
蓬髪、痩躯、鶴のように痩せた、という表現そのままに、先生はキチンと正座されている。ボクも座ぶとんの上にキチンと正座する。
「わたしとしては、漫画家には会いたくないが、東京からわざわざおいでになられたのであるから、
わたしの最近の心境のようなものでしたらお話ししましょう」
といわれる。
早速、メモ帳出してキッとかまえたが、ボクはここ数年、正座というものをしたことがない。
一分とたたないうちに、足がしびれてくる。
足もしびれるが、ボクのズボンは安物なので、ヒザが抜けてしまわないか、それも心配である。シワだって寄る。
123 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
先生のお話は、まず日本の防衛論から始まった。
先生のお話は、急に飛躍したり、前後がつながらないことが多いが、
これは、先生の頭脳が、通常人の約二万七千倍も速く回転するせいであると思われる。(この二万七千倍については後述する)
「エー日本は兵力の放棄をうたっておりますが、相手の国が(兵力を)放棄するかどうかを考えていません。
(これでは)いったいどうなりますか」
「そして民族の団結心がない。国を愛していない。みんな自己主張ばかりしています。
そしてみな、物質中心の考え方しかしない。こんな状態が続けば国は亡びます」
「あのォ安保条約に関して先生は……」
「今いうよ」
「ハハーッ」
「安保は存続させるべきです。日本のこんにちの繁栄は、安保があって(米軍に)守ってもらっているからこそ、こうなったのです。
もしこれを放棄して、米国が日本から去れば、中共は必ず攻めてきます。これは自明です。今の日本人は、こんなことさえもわからないのです」
「ハハーッ」
「そして日本は、今や、亡国直前のユダヤと同じです。みんな、儲けることしか考えない。
そして団結心がない。そして国を愛するという気持ちがない。日本は亡びます、十中八九亡びます」
「ハハーッ。亡びます……と」
ここからお請は情緒の問題に急転換する。
お話のあいだ中、ずっと体は左右に揺れ続け、ハイライトを口にくわえるが、火はつけない。
つけないでまたテーブルに置く、またくわえるということをくり返す。
「情緒の元は、すべて頭頂葉にあります」
ボクの足のシビレは限界に来たが、先生は決して、「おたいらに」といってくださらない。
やむなく、先生のスキをみて、ソロソロとヒザをくずしにかかる。
「最近の人間は頭頂葉を使わずに、前頭葉ばかり使っています。
自然科学的なものの考えの元は前頭葉にあります。西洋人は前頭葉ばかり使ってきました。だから物質第一主義となったのです」
この頭頂葉という言葉は、先生のお好きな言葉であるらしく、じつにヒンパンにお話の中に出てくる。
そして「頭頂葉」といわれるたびに頭のテッペンをバシッとたたかれる。
そのありさまは、ほんとにバシッという感じで、先生の腕時計が、そのたびに、カチャカチャと音を立てるほどなのである。
「日本人は、大型景気に浮かれ、借金をしてどんどん設備投資をしています。
借金だから利子を払わなくてはいけません。ですからそのうち、大量倒産時代が必ずやってきます。
そのとき日本人は団結心がないからたちまち亡びてしまいます。それもみな、情緒というものを忘れてしまったからです。
それは、頭頂葉(バシッ、カチャカチャ)を使うことをしないからです」
そうして先生は「国が亡びるのを座視するに忍びず」その対策を、本に書いたり、人にいったりしてきたのであるが誰もわかってくれない。
「日本人は情操を解するただ一つの秀れた国民です。もともと頭頂葉(パシッ、カチャカチャ)の発達した国民です。
それがいつのまにか、こんなことになってしまった。情けないことです。日本はもうすぐ亡びます」
話が佳境にはいり、熱してくると、体の揺れも激しくなり、「頭頂葉」の出てくる頻度も激しくなり、
当然、頭をたたかれる回数も多くなる。バシッ、カチャカチャも多くなる。
しかし、あんなに頭をたたかれては、頭頂葉のために、よくないのではないだろうか。
あるいは、ああして頭頂葉を鍛えておられるのだろうか。
125 考える名無しさん [sage] 2013/08/16(金) ID:
お茶が出、コーヒーが出て、話はどんどん発展する。
「とにかく日本は、いま、亡国寸前です。亡びるのは自明ですから、それまであなたは漫画でも書いていなさい」
「ハイ。そうします」
お茶を飲みすぎて、ボクの膀胱は、ついに満タンになってしまった。
「あのォ、おトイレは」
「だいたい今の人間は自然科学を重視しすぎます。自然科学で、人間はなにを知りえたでしょうか。
たとえば、今私は坐っている。立とうと思う。そうするとすぐ立てる。これもまた不思議なことです。
全身四百いくつの筋肉が統一的に働いたから立てたのです。
なぜこんなことができるのか。自然科学はなにひとつ教えてくれません」
膀胱をしっかり押さえつけ、シビレる足をなでつつお話を拝聴する。
「今、全学連が騒いでいますが、先生としては……」
「あんなことをしてもなんの役にも立ちません。すべて物質中心主義、自然科学過信がまねいた結果です」
「あのォ、宇宙開発が今盛んに……」
「いくら物質を科学しても、何も得られません。ムダなことです。
宇宙を開発しても人間は幸福になりません。大切なのは心です」
「最近の女性は……」
「最近の女性は、あれはいったいなんですか。性欲まる出しにして尻ふりダンスなどしておる。
まったく情操の世界から逸脱しておる。セックスは種の保存のために必要です。
仏教では親が子を生むのではなく、子が親を選ぶのだといいます。
ですから男女のまじわりは気高く行なわねばなりません」
セックスについて語るのに「気高く」という表現が使われたのでボクは一瞬息をのむ。
「最近の若者の無知ぶりはひどい。わたしはせんだってある女子大生の知力をはかってみましたところ、
わたしの二万七千分の一しかありませんでした。そして最近になって、もう一度はかってみましたら、
さらに、そのときの三十分の一になっていました。これはじつに、合計百万分の一ということです」
(略)
「日本の最近の男女の乱れぶりは亡びる前のアテネに似ています」
先生はここで急に声をひそめ、
「日本の共産主義の若いものは、『歌って踊って恋をして』の方針でやっているらしい。
わたしが最近、親しい僧侶から聞いた話では、
男たちが、若い女性を輪姦して、それで女が喜びを知って共産主義に走るということをしているらしい。
これは、私が相当の地位にある僧侶から聞いた語だから、ウソではないでしょう」
ボクは岡先生の口から輪姦という言葉がとび出してきたのでびっくりしてしまった。
そして、老いたる高名な僧侶と先生が、ヒソヒソと輪姦の話をなさっている場面を、思わず想像してしまったのである。
「それにしても」と先生は続ける。「こんなことをして、ほんとうに日本はどうなるのでしょう。
まちがいなく亡国寸前の姿です。日本はまもなく亡びます。十中八九亡びます」と、
おいとまを告げて玄関に出たわれわれに、さらに先生はこう続けられたのである。
玄関で靴をはく間もボクの心は深い憂いに沈んでいた。どうやら日本はまもなく滅びるらしいのである。
本当に日本はどうなるのだろうか。この非常のときに、漫画など書いてていいのだろうか。
不安が次第につのり、胸がいっぱいになり、ぼくはヨロメくように玄関から退出したのである。(略)
「岡潔センセイと議論する」より 解説(野坂昭如)
岡潔へのインタビュー、というよりその形を借りて、
老先生を肴にした文章/名にし負う狷介孤高偏屈独断の人物を相手に、
その周辺をとびはねているだけの如くみえて、
余人の誰も描き出せなかった岡の人物像を、見事、浮び上らせたのだ。
秋が来ると紅葉の続き
※今回も音源がありますので、良かったらどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=iqmbdwAOvWk
129 考える名無しさん [sage] 2013/08/27(火) ID:
「家付き、カー付き、ババ抜き」という諺がある。
これは確かにもとはアメリカです。
ところがそれを徹底的にやったんです。
徹底的にやって、とうとう赤ちゃん殺しちまったでしょう。
こういうのがアメリカ色ですね。そうでしょう。
あれはまあ大体、女性じゃないか。
それに相当する日本色っていったら、こんなんがある。
平安も末の頃、鳥羽上皇の北面の武士に源渡というのがあった。
これが宮中に仕えて卑しい勤めをしている袈裟というのをもらった。
袈裟は輝くような美貌で、心ばえも優に優しかった。それで夫婦仲はいたって睦まじかった。
ところが同じ北面の武士に遠藤盛遠というのがおった。
これがふと袈裟を見初めて、命懸けで言い寄った。
で、袈裟はこんな風になったら、事態はこうなったら、つまりそんな者にここまで思い込まれたら、
これは貞操を守るために自分の命を捨てなきゃ仕方がない、そう思った。
実際、袈裟が命を捨てなかったら、盛遠は夫の渡を殺しかねない。
もう、かなわんのです。あんな者に見初められたら。
それで夫の留守の夜を見計らって、そして、今夜、主人を風呂に入れて早く寝させつけておくから、
手探りで髪を触って濡れているのを感じたら、一刀のもとに首を打ち落としてくれ、
その後でなければお心に従うことができぬ、そう書き送った。
それで盛遠がその通りにして月明りに透かして見ますと、あろうことかそれは袈裟の首だった。
131 考える名無しさん [sage] 2013/08/27(火) ID:
で、袈裟が貞操を守るために命を捨てたという評判は京の街々に伝わった。
そうすると京の街々で貞操をひさいで暮らしを立てていた大勢の哀れな女性達は、
袈裟の葬式の日に長い葬列を作って、そして街外れの田舎まで遠い道を墓場まで送り届けた。
こういう話があります。
※別な講演では岡は袈裟のことを天照大神の分身である、とも発言しています。
袈裟のような死に方は、頭頂葉の心が自分だと分かっている人でなきゃあできないんです。
頭頂葉の心が自分だと分かってる人を目覚めた人というんですが、そういう人でなければできないんです。
ところが袈裟はその死によって、どういうことをしたかというと、大勢の哀れな女性達に、
全く虚無に陥っていた哀れな女性達に、人生には尊ぶべきもののあることを教えた。
即ち、生きる望みを与えた。これが日本色なんです。
菊池寛に「袈裟と盛遠」という話がありますが、私が言ったようには書いてない。
で、あの頃、既に、余程駄目になっていた。が、明治は改めて申します。
私の言ったのが、それまで明治以前の日本人が語り伝えてた袈裟物のはず。これが日本色。
こんなにも違うんだから!矜持を持つべきだと思う。これが頭頂葉と前頭葉との違い。
133 考える名無しさん 2013/08/27(火) ID:
ところで、さっきもちょっと言いましたが、頭頂葉の心が自分であると気づいた人を目覚めた人という。
前頭葉の心の描く妄像を自分だと思ってる人、即ち、五尺の体を自分だと思ってる人を眠っている人という。
人には二つの状態しかないのです。目覚めるか、眠っているかです。
目覚めた人は少ない。だけど、あることはある。
日本には少ないといっても相当あります(既にこの当時第10識を自分だと思っていた人は4%はいる)。
中国にもよく見ればありますが、欧米にはないのです。
ところで頭頂葉の心を自分だと思う。即ち、目覚める。これが真我です。そうするとどんな風かというと、
花を見れば花が自分に笑いかけていると思い、鳥を聞けば鳥が自分に話しかけていると思い、
人の喜んでいるのを見れば嬉しく、人の悲しんでいるのを見れば悲しく、
みんなのために働くことに無上の幸福を感じ、疑いなんか決して起こらない。
就中、自分は死んでしもうのじゃあるまいか、などという疑いは決して起こらない。
人は目覚めることはできなくても、できるだけ眠りが浅くならないといけないんです。
春雨の曲 第4稿 注釈
岡先生は「春雨の曲」第四稿に姉小路公知卿暗殺の記述を遺しているのであるが、
その宗教的解釈によるならば、桂小五郎の妻となった芸者幾松にその責がある。
岡先生が見たビジョンによると姉小路卿こそが天上の神々の使いなのだが、
もう一人の天上の神々の使いである幾松が桂小五郎をそれと勘違いしていた間に生じた手落ちだったというのだ。
通説とは異なり、岡先生によると、
天上の神々の意向に沿う祭政一致の政体を希求した孝明天皇は公武合体を望まなかったが、
この姉小路卿の横死によって祭政一致の近々の実現は不可能になった情勢を踏まえ、
天上の神々は明治天皇の即位を選ぶ。
外圧の危機を乗り越えるために富国強兵を早急に達成する明治時代の迂路を選択せざるを得なかったとする。
だが岡先生が祭政一致の原則に根底から反するとして糾弾するのは王政復古と「五箇条のご誓文」であり、
最終責任者としての木戸孝允(桂小五郎)を許さなかった。
どうも、姉小路卿の横死の責任を、幾松と木戸孝允(桂小五郎)に帰しているのだろうと思われる。
昭和への遺書の続き
私は初め一高に入ろうと思っていたのであるが、一高の校風の自治が自分の性に合わない、
自分の性に合うのは三高の校風の自由であるとわかって、三高へ入ったのである。
代表的寮歌を挙げると、
(旧制一高寮歌)
嗚呼玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向ケ岡にそそり立つ
五寮の健児意気高し
(旧制三高寮歌)
紅萌ゆる丘の花
早緑匂う岸の色
都の花に嘯けば
月こそかかれ吉田山
私は三高の自由とはどういうものか今日まで言えなかった。しかしやっとわかった。
これは無差別智と分別智による「植物の喜び」である。
言い換えると神代の心、日本的西洋型精神統一法である。
これに対して一高の自治は世間智が加わる「動物の犇き」だと思った。
それで躊躇なく人生の梶を一高から三高へ取り変えたのである。
日本が意志中心の国になれば大変なことになりますと・・
実際に現在日本は、人間の意識が作ったものに無理やり適応させようと
がんばっているようですが・・・ぐっすり眠るには
人間の意識が作った機械とはほどほどに付き合えばよいのです。
137 考える名無しさん [miko] 2013/09/13(金) 22:18:34.78 ID:
日本が中世の暗黒時代の繰り返しになると・・岡が記して
50年くらいになるでしょうか。
いいからあしたから、毎日自分の足で歩いて思索してほしいのです
特に大学生、まだ夏休みでしょうから
毎日自分の足で歩いて、会社員がどんなふうに昼食をとっているのか
よくよく見てください。
138 考える名無しさん [miko] 2013/09/13(金) 22:35:24.34 ID:
効率よく忘れ、効率よく老化するぞ。
機械で管理された環境にいると。
岡潔って鬼女(既婚女性)の傍若無人ぶりを極端に嫌ってたが、それ以上に日教組嫌いだったよな。
んー岡スレがあがってる。
88
同じようなことばかり書くのに飽きたんだろう。
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岡全集は絶版になったのかな?
ちょっとまえ、近くの図書館にいったら岡潔全集があったので
パラパラとめくってみた。司馬遼太郎と対談してたね。あんまり
話噛み合ってなかったね。
「岡潔講演集」より 序(66の全文)
この度岡潔先生の講演集を出版することにした。その内容は目次に書いてある通りである。
岡潔先生は市民大学講座の提唱者であり、しばしば本講座で講義されたことがあるから我々とは縁の深い方である。
私は切に諸君がこの本を読む、というよりは熟読することを御勧めする。
「読み易い本」だから御読みなさいと言いたいが、そう言うとウソになる。実に難解な本である。
本が難解であるだけではなく、日常のお話しが難解である。
今から七、八年前だと思うが、私は岡潔先生を奈良の御宅にお訪ねした。
初対面の挨拶も済まないうちに突如として「数学は愛である」という言葉が先生の口から飛び出した。
正直のところ何のことだかよく解らないので、恐る恐る「それはどういう意味ですか」と、うかがいを立てた。
そうしたら先生はどういうものか怒り心頭に達したらしく
「そんなことが解らないか。だからキリスト教とアメリカがいけないんだ」と。それも私にはさっぱり解らない。
そこで私は再び恐る恐る「それはどういうわけですか」と聞いた。
そのあたりから先生の怒りは消え、数学と仏教の話しになった。
それもよく解らなかったが、質問するとまた叱られるから一時間ばかり御説を拝聴して辞去した。
「御説」の内容はちんぷんかんぷんであったが、
私は自分の頭の中にたまっているゴミがすっかり落とされたようなスガスガしさを覚え、その心境は今でも残っている。
岡潔先生の思想は西洋式の形式論理を超越したユニークなものである。
であるから西洋式の形式論理に当てはめて理解しようとすると難解というよりは理解不可能になる。
ところで問題は我々の常識になっている西洋式形式論理でどの程度まで真理が把握できるかである。
私は極めて小と思う。西洋式形式論理で解る程度の真理は常識で解るのであるから特に論理の必要はない。
わかり切ったことをえらそうに表現するに過ぎない。
ところで岡潔先生の論理は形式論理ではなく、直感の論理である。
だから形式論理で考える習慣を改め直感で考えると先生の言われることがよく解るのである。
岡先生の思想は実にユニークである。従ってそれを説明するのは非常に困難であるし、
強いて説明すると違ったものになる。であるから私は敢えて先生の思想を解説しようとはしない。
ただこういうことは言えるのではないか。ギリシャ哲学、仏教、神道をよく理解した学者は沢山いる。
しかし岡潔先生はこの三つを頭で理解し、心で愛した。そしてその愛を直感的に表現した。
だから難解と言えば難解であるが、心を澄まし、無心無欲で接すれば強く心を打つものがある。
私は諸君がこの本を「とっつきにくい」と言って放棄しないで欲しい。
解らなかったら解らなくてよいから読んで戴きたい。
必ず諸君は読む前と読んでから後とで諸君の心境に何かの変化が起きていることに気づかれるであろう。
岡潔先生と私は同年である。「数学は愛である」が解らないので愚問を発したので御叱りを受けたが
御宅を辞す時非常に別れを惜しみ「是非また来て下さい」と言われた。
私もまた御訪ねするつもりでいた。そのうち月日が過ぎ去り、彼は故人となった。
もっと沢山仕事をして欲しかった。というのが私の心情である。
何故かというに私は彼ほど、彼の名の如く「潔」い人はこの世にいないと思うからである。
彼は日本の宝、世界の宝であった。宝は既に去った。しかし彼の思想は永久に残る。
すくなくとも私の心には残り、そして働いている。
昭和五十三年九月
松下正寿
1972年6月6日京都産業大学講義録
物質が法則を満たすということは、物質に絶対的な知性と意志とがあることを仮定してのことである、
仮定しなければ言葉の意味がわからない、と云いますとね、日本人にこんな話をしますとね、『スカミタイナ顔』してる。
スカミタイナ顔と云うのは、日本人にこういう非常に大きな真理を話した時のことです。大きすぎてわからん。
フランス人はねえ、『知的興味を以って膝を進める』。それにキリスト教もあるし、妄智は残っても邪智は取れてることが多い。
日本人は白痴だ!!犬猫と選ぶところないじゃないか!
話が大きくなればなる程、大切なことになればなる程、それが知的な宝であればある程、無関心。
邪智を使っているし、使わなくても側頭葉が引き金を引くから、
共産主義にコロッと騙されたり、的外れな批判や集中攻撃を皆でしたりする。
日本人は意的純粋直観は得意だからそこは大いに誇るべきだが、諸刃の剣なの。
君等の顔がそうなん。大切な知識になる程無関心。こんなのを白痴って云うん。つまらないことだと熱心に聞く。
前頭葉の発育が悪いん!だから応神天皇以後真似ばかりしてる!
白痴だから危なくてしょうがない!いつ何をしでかすかわからん!
だけどこの白痴だって、西洋人を日本人にするには20万年はかかるだろうと云いましたが、
前頭葉の白痴をなおすのだって2千年位はかかるだろう。
ともかく応神天皇の頃からちっとも良くなってやしない。2千年位じゃどうにもならんかもしれん。
それだと仕方ないから、初め、進化の度は遅れてるんだけど、20万年位遅れてるだろうけど、
ともかくレシーバーを持ってる欧米人に先話して、ともかく人類の滅亡を喰い止めるより仕方ないかもしれん。
君等はレシーバーを持たん!
えー、これは欧米人から先にったって無理です。
レシーブはしますけど、本当に見ようと思った時、情の目でしか見られんから。
(欧米人は)これが働かないから。だから非常にわかりのいい盲に外界を教えるようなもの。
で、やはり日本人にやってもらうより仕方ない。
(日本人は)前頭葉は非常に悪いんです!
1973年第2回京都産業大学講義録
聞かんのか!(大変大きな声で一喝)
で、この悲願、これが間違ってると、統一のとれるわけもなく、秩序のあるわけもない。
だから一番始めに心の世界に出た「こころそのもの」(第十三識の造化)がある。
一番始めに心の世界に出た「こころそのもの」を、古事記から採って名前をつける。
『原始天尊天の月読の尊』(ここで学生ガヤガヤと退出)
この無量の天つ神々の悲願が大宇宙の原動力である。
これあるが故に喜びというものは絶えず心の奥底から送られてくる。
こんなふうなん。これが原動力。
これなしに、天つ神々の悲願なしに、何もない。時もない。まして時の内容はありません。
ともかく今は、このままでは間もなく人類は滅亡する。
だから思い切って変えなきゃならん。人類始って以来の『大革命』が要る。
これをやらなきゃ人類は自滅であるということがわかる人の限度が四百万人というわけです。
あなた方にもそのつもりで説いていく。あなた方の四パーセントがわかるわけですから。
だって、他のことをしたって無意味だから。
ところで、これまで人類の歴史に現れた革命というふうなものは、
武力を頼ったり、あるいは人数を頼ったり、つまり力というものによって戦って来ましたね。
今度はそんなやり方では到底駄目なことは明らかですね。今度は知によって戦わなきゃならん。
で、是非やるべきことは、古来の間違った観念、
それが人の生活に大きな影響を与えている、そういう間違った観念の打破です。
だから知といいましたが、もっと遡ると悪い。
ともかく、物質の力なんていう、あるいは個人というもの、つまりからだというもの、数などと、
そんなおかしなものを使って出来る革命じゃありません。人類に一度あって二度ない革命でしょう。
ここを乗り切れば、もはや自滅の危機は来ないと思う。
数学者・岡博士の記念館 建設へ基金
橋本市は、同市ゆかりの世界的な数学者、岡潔博士(1901~78)の顕彰事業として記念館を建設することを決め、
全国から建設資金などを募るための「橋本市岡潔顕彰基金」を創設した。
建設地は同市御幸辻の杉村公園で、2018年のオープンを目指している。(山田博之)
岡博士は、大阪市で生まれ、4歳から父の実家があった紀見村(現橋本市)で育った。
京都帝国大学を卒業後、「多変数函数(かんすう)論」に関する難問を解決。
戦後は奈良女子大教授を務め、1960年に文化勲章を受章し、61年には橋本市初の名誉市民になった。
岡博士の旧宅(木造平屋約80平方メートル)は老朽化によって2001年に取り壊され、建材は保存されている。
その業績をたたえ、数学教育を推進しようと、木下善之市長や市内外の教育関係者らが2009年に「橋本市岡潔数学WAVE」を設立。
親子を対象にした算数・数学教室や講演会を開いたり、絵本「岡潔博士ってだぁーれ?」を出版したりしてきた。
同時に、記念館を建設する構想を打ち出し、市もこれまで建設に前向きな考えを示していた。
同市によると、記念館は木造平屋で100平方メートル前後。旧宅と似た設計にし、保存中の建材も活用する方針。
岡博士の業績を示す資料を展示し、算数や数学を学習するためのイベントも開催する。
同市は、2014年度に有識者らによる建設実行委員会を設立し、基本設計を策定する予定。
建設費は数千万円規模になるとみており、同基金や国からの補助金を充てる方針。
同市企画部企画経営室の担当者は「記念館の建設や運営に市民も参加できるような方法を考えたい。
岡博士の名前を全国に広め、若い人に地域への誇りを持ってもらうための拠点になればうれしい」と話している。
(2013年10月1日 読売新聞和歌山版)
研究会関係者と先日お話したところ以下のようなお返事でした。
①岡潔の考えについて知っている人は周囲のいろんな人に岡を広めたり、
関係者に未出版の資料を問い合わせたりしてほしい。
黙っていることは美徳とはいえ岡自身は下から葦牙のように盛り上がるのを期待していたので。
(一歩間違えれば劣化宗教化・全体主義化する危険はあるが)
②現状インターネットしか広報手段が無く地道な活動に留まっており、
なかなか大きな動きにならず残念である。
③岡の予言通りなら2001年頃にアマテラスが生まれ(愛子さまか?)、
2010年頃に日本の転換期が来た(東日本大震災か?)。
なおその後は紆余曲折はあるかもしれないが数世代を経て
2170年頃、日本は一致結束し世界をリードしてもう安心になる、とのこと。
148 考える名無しさん [sage] 2013/10/08(火) 23:10:01.75 ID:
141
いわゆる知識人のこういうエピソードってさ、ただ単に自分自身の立場(権威)に乗っかって
聞き手をからかってるんじゃないのかね?ただの凡人にこんな対応されたら聞き手は激怒だろwww
149 考える名無しさん [sage] 2013/10/08(火) 23:18:58.03 ID:
どうなんだろう・・・w
日本人の短所とでも言うべきか、そういうものはからかいにすぐ乗って怒りまくることだからね。
もしくは我慢しすぎて突然暴発するところとか。
あるいはあまり知ろうとしなかったり、いくら矛盾してても気にせず忘れてしまったりすることとか。
岡潔は権威とかそういうのを一番嫌ってたけどね。
すぐキレるのはご愛嬌というかね、知性を働かせすぎるとああなるねどうしても。
周りが無知すぎて我慢なんかしてたらキリがないしね。
キリスト教の神って一神教だけど、岡自身はそこに大した問題は見出してないよな。
日本の多神教っていうのは第二の心の世界で、「一つであって一つではない」(不一不二)から、数学の使えない世界。
第15識で生まれた内宮さま(原始天孫天照大神)、外宮さま(原始天孫天月読尊)をもとにして、
第13識の造化でそれらが八百万の神々になって、
それより浅い第12識以降で人間が呼んでる存在が岡の解釈する「神」というもの。
だから一神教でも多神教でも岡にしたらどうでもいい主題なんだろう。どっちにしろ偉さは無いから。
レムリア・ルネッサンスや幸福の科学としたらこの辺の区別にはこだわるから岡の考え方とは相容れないだろうけれども。
イエス・キリストっていうのは西洋人としては数少ない第二の心の持ち主なんだな。
だから第一の心で迷える羊の一般西洋人のことを罪人扱いして悔い改めよと説いたが、
それが禁欲となってなんとか西洋は道徳水準を維持しているらしい。
しかし禁欲っていうのは諸刃の剣で、これを悪い方向に解釈したのが宗教改革前のカトリックだな。
プロテスタントとしては憤慨したわけで、アメリカの建国精神にもそういう反省が込められているわけだ。
けれどもこのプロテスタントっていうのもまた厄介で、
カルヴァン派は禁欲するなら金銭を稼ぎまくって良いっていう意味不明な宗教だから、
それが発展に次ぐ発展を重ねて今日の新自由主義となったわけだろう。
ちなみに古典派経済学者のハイエクですら過剰な新自由主義には警鐘を鳴らしていたね。
若い頃は仲の悪かったケインズに対しても彼が亡くなってからは評価する発言をしているし。
風蘭 1964年5月
女性の、情から知と行くのがうまい行き方で、知から情と行く男性の行き方は下手なのかもしれない。
それはひどく手間がかかるのです。
情から知と行けば、なにか形となって残ります。つまり情緒となってまとまって、それが残ります。
まとまれば、それをつかんだらいいのです。
152 考える名無しさん 2013/10/28(月) 22:30:47.46 ID:
紫の火花 1964年6月
私は答案などによってくわしく研究した結果、
男性は普通、知から情に向って意志が働くが、
女性は逆に情から知に向って意志が働くらしいことを知った。
前者は発散し、後者は心の中に残る。
男女二人合わせると意志が動かなくなり、安定するのかもしれない。
月影 1966年4月
人として一番大切なことは、大脳新皮質に宿る心の珠を磨くことである。
この珠は磨けば磨くほど深い輝きを増して限りがないのである。
この珠がよく光っていれば大脳前頭葉もよく働く。
ではこの珠を磨くためにはどの学科がいちばん適しているかという問題がある。
わたしはそれに対し、それは数学であると答える。その理由を説明しよう。
文芸復興以後の数学史はかなり詳しくわかっている。
ところがそこに出てくる数学者は、多少人格に疑問のある、ただふたりを除いてすべて善人である。
しかもそのふたりとも、その数学のやり方のほうにも疑問がある。
それで数学者は例外なく善人であるといえる。
この事実は、数学科の存在意義の完全ともいうべき裏付けである。
ここに一つ困った問題がある。たいていの数学者は昼は視覚型、夜は聴覚型なのであるが、
したがってたいていの児童もそうだろうと思うのだが、
まれに昼も夜も聴覚型の数学者がいる。
わたしがフランスで会った人たちの中ではジュリヤがそうであった。
彼には主要な論文は二つしかない(論文の数ならば七十以上ある)。
しかし二つとも非常によいのである。
孫のきのみもその母のすがね(私の長女)もこの聴覚型である。
二学期に見たのはこの母がこの子に教えている数学教育で、わたしには実におもしろかった。
以下に述べるのはこのときのありさまから取ったものである。
食物の消化を見ると次の順になっている。
「口に入れる」、咀嚼玩味する、「嚥下する」、消化吸収する。
このうち見落としがちな「口に入れる」と、「嚥下する」とが実に大事であって、
これらに相当するものは、数学する場合には、
「前向きの姿勢をとる」、「真情の裏づけをやろうとする」
である。
聴覚型の児童はこの二つを非常に深くやろうとするため(要領が悪いため)、
てまどって、他の子についてゆけないのである。
すがねは今わたしの私設数学研究所で勉強中である。
わたしはすがねに特別な指導をしてやって、
きのみのほうはすがねに教えてもらうことに決めている。
聴覚型の子には何かそういった工夫が必要だろうと思う。
(算数ができないので先生に呼び出されることもあった当時小学四年生の次女さおりに対し)
さおりのやるのを見ていると、不思議にも少しも数学しているという気がしない。
規則どおりにしなければ×がつけられると思いつめて、びくびくし続けているにすぎない。
ところが、おもしろいことに、間違いのほうに目をつけると、このほうは生彩陸離としている。
初めはおずおず間違うのであるが、だんだん興が乗って、しまいには傍若無人に間違う。
鞍上人なく鞍下馬なしである。
間違いやすいから間違うのではなく、間違えたいから間違うのである。
そうなるとなんだかリズムのようなものさえ感じられる。
生命力は表へは出ようがないから、裏へ出たのであろう。
その表と裏とを変えるのに、私は三月かかったのである。
高倉健さんらに文化勲章 皇居・宮殿で親授式(産経新聞)
文化勲章の親授式が3日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年度の受章者は、映画俳優の高倉健さん(82)▽電子工学の東北工業大理事長、岩崎俊一さん(87)▽書家の高木聖鶴(せいかく)さん(90)
▽万葉集研究で知られる日本文学・比較文学の中西進さん(84)▽医化学・分子免疫学の京大客員教授、本庶佑(ほんじょ・たすく)さん(71)の計5人で、
天皇陛下が直接、勲章を授与された。
続いて行われた拝謁では、受章者を代表し高木さんが「それぞれの分野において一層の精進を重ねる決意です」とあいさつ。
陛下は「今後ともそれぞれの分野の発展のために尽くされるよう願っております」と述べられた。
その後の記者会見では、高倉さんが「日本人に生まれてほんとによかったと思いました」と話した。
1960年11月3日
私が皇居で文化勲章をいただいたとき、そのあとでコーヒーを御馳走になった。
私はその席で、
「西洋の文化はインスピレーション型、東洋の文化は情操型だと思います。
これは、いわば花木型と大木型というようなものです。
日本の教育は、大木型の人を育てることを目標にしてほしいと思います」
と申し上げた。そうすると皇太子殿下(今上陛下)は、
「大木型の人を作る教育というのは僕も賛成だな」
と仰せられた。是非皆様にお伝えしておきたいと思う。
陛下(先帝陛下)は「数学はどうしてするの」と御下問になった。
私は「数学は生命を燃焼させて、それを結晶させてつくるのです」とお答え申し上げた。
情熱が創造になるのであって、他のものは道具である。
それで大脳前頭葉は感情、意欲、創造といわれているが、
よい創造が起きるためには感情は熱愛、意欲は不動の意志であるのが望ましいと思う。
【1960年11月3日】数学者の岡潔さんに文化勲章
http://gyao.yahoo.co.jp/player/01061/v00001/v0000000000000000348/
明らかに日本人より台湾人なんかの方が美人が多いよな~ビビアンスーなんて典型。
オカケツは日本の社会が歪んでるからそうなるって言ってたが、まさにそう。
女性って情緒の影響をモロに受けるから、それがそのまま顔つきに出るんだってさ。
男性諸君、女性の顔見りゃ性格まで大体予想つくでしょ?
戦後顔つきが大きく変わったのは、当時の世の中がおかしな時代だったってことだよ。
最近は100年くらい前の顔に戻ってきたね。良い兆しといえば良い兆しかな。
台湾の場合は大陸の悪い部分に汚染されてないからな。
李登輝みたいな人格者は日本にはもういないんじゃないかな。
かつて日中戦争時に日本側についた胡蘭成(オカケツの友人)も
ほとんど知られていないが1990年に台湾から名誉回復されている。
大陸からも2000年代以降は事実上回復されている。
余談だが「カワイイ」系は美じゃなくて感覚だからオカケツは嫌がってたな。
それと日本が西洋に惹かれるのは男性が麗しい女性を見てよろめくのと同じことらしい。
1969年10月26日
(質問)
私は大学生です。先生に話を伺って、まだ、男子の志した現在の物質文明や、
その中で生活している我々っていうのを、捕えられ得ない訳ですけれども、
今、僕たちが当面している問題の中で、大学、先生が大学は化石化している、
そういうことをおっしゃったんですが・・・
(岡潔)
大学については西洋文明が壊れていくという現れの一つだと、そう言いました。
一度、君の理論を聞きたい!その前に。君の理論を聞きたい。
(質問)
いいですか。僕たちが関わっている、マスコミを通じて一般に大学紛争と言われるものは、
セクトに分かれている。そして派閥争いのように言われている。
しかし、僕たちが大学において求めているのは、大学の管理運営やそういうものをより民主化して行く。
そして僕たちの本当に聞きたい講義や、そういうものを聞けるような大学を作って行く。自由化して行く。
そしてまた、先生が奈良女子大学の教授であったように、それを大学で何を求めるのか、
大学で何を人間として作って行くのか。そういうことまで突き詰めて、
僕の場合、教育学部ですけれども、明日の教育を担っている、日本の教育を担っている。
そういう教育者として、本当の教育者として、大学の四年間、短い四年間を生活している訳ですけども、
勉学生活や、そしてクラブ生活や、そういうものを通して僕たちの本当に社会に出て、正しい人間になる。
先生のおっしゃる日本精神ですか、そういうものを自分たちで形作って行く。
人間として当然の権利や、そして義務を遂行して行く。
この世に人間として生まれて来て、その中で自分がどのような役割を果たして行くのか。
そういうものを当然四年間の中で求めるべき。そういうものが大学には少ない条件である。
だから僕たちとしては大学の管理運営やそういうものを民主化して行く。
ですから僕たちの講義が全く詰め込み式で、先生が黄色いノートをそのまま開いている。
そして教育の現場にあっては先生を責めました。
(岡潔)
もう、その辺でやめなさい!君の言ってることはことごとく意識を通して言ってる!
その前に、意識を通さないで言うと分るということがなければ!
(質問)
あのう、どうも先生、失礼しました。
(岡潔)
君は馬鹿です、完全な!泥吐きして白紙に帰りなさい!
真新しい心、真新しい知情意を持って、君が無自主的、無批判的に詰め込んだ欧米の観念を洗いなさい!
何だ、この、自由だの、権利だのと!
(質問)
私は先生に罵倒された!
(岡潔)
罵倒じゃない!
(質問)
しかし、私としての二十一年間の生きて来た人間としての、その人生の中で・・・
(岡潔)
あなたは!いや、そんな石地蔵はそのまま死ぬだけだ。
東西のハーモニー 1969年5月
後頭葉や頭頂葉から前頭葉へ行く道に二つある。
西洋人は中心前回の一次運動野を経由して行く。東洋人は経由しないで行く。
経由する場合は非常に無明が濃いため、流れが地下に潜ったようになる。
このため西洋人は東洋人に比べあまり無明が心に入らないらしいが、
一方で第二の心が存在するということになかなか気づけない。
東洋人でも大学教授なんか長くやってると、西洋人に似てくる。
「俺が俺が」っちゅうように人より自分を先にして生きていると前頭葉にいる。
この時、前頭葉から頭頂葉に戻ろうとすると、一次運動野はなかなか登れなくて非常に苦労する。
で、登れないならどうすれば良いか。降りたら良い。
東洋人は訓練すれば、一次運動野を経由するルートと経由しないルートとを使い分けられるようになる。
東洋人が頭頂葉から前頭葉へ一次運動野を経由して降りれば、途中で登ろうと頑張っている西洋人と握手できる。
そうすりゃあ、西洋と東洋が本当の意味で融合できる。
僕も面白いと思って、それで早速、今日降りたんです。
世界的数学者 岡潔博士の顕彰碑…和歌山
和歌山県橋本市ゆかりの世界的な数学者、岡潔博士(1901~78年)の功績や教えを後世に伝えようと、
橋本ロータリークラブは同市役所前広場に顕彰碑を建立し、24日、関係者約100人が出席して除幕式を行った。
岡博士は大阪市で生まれ、4歳から父の実家があった紀見村(現橋本市)で育った。
京都帝国大学を卒業後、「多変数函数かんすう論」に関する難問を解決。
戦後は奈良女子大学教授を務め、文化勲章も受章した。
橋本市は市内に岡博士の記念館を建設する計画を進めている。
顕彰碑は黒石製で2基あり、ともに高さ約1・8メートル、幅約80センチ、奥行き約45センチ。
「日本民族は情の民族である。人と人との間によく心が通い合うし、
人と自然との間にもよく心が通い合う」などという岡博士の言葉や業績、似顔絵を彫り込んだ。
除幕式では、同クラブの小西捷治しょうじ会長(70)が
「子どもたちの健全な情緒を高めようという教えを世の中に広めたい」とあいさつ。
岡博士の長男、岡煕哉(おかひろや)さん(77)(奈良市)が
「顕彰碑が青少年に夢や希望を与えるとうれしい」と語った。
(2013年11月25日 読売新聞)
【数学】世界一の難問「多変数解析関数論」を解いた数学者、岡潔の顕彰碑が完成 和歌山・橋本市
http://[email protected]/test/read.cgi/scienceplus/1385303757/1-100
@→c
日本人は他の星から来たって岡は言ってたな(六十万年前)。この時の日本人は神々とイコール。
移動する際は時がある第11識を使い捨てにして、抜き身を行い魂だけ移ってきたらしい。
ちなみに人は肉体が死ぬ時は7識から浅い部分が無くなり、星を移る時は11識から浅い部分が無くなるらしい。
どんなことがあっても12識から深い部分は残るから、生命は不死なんだそうだ。
四大文明は日本人が創ったもので(三十万年前)、
そのうち情を自分だと思うよう天照大神と天月読尊に育てられ、そういう人間だけ選り抜かれ
日本列島に住むことになったらしい(八万年前)。これが天孫降臨。
最終氷期が終了して日本列島の形が大体今のようになった時が神武天皇の時代(一万年前)。
やがてまた他の星に移らないといけない時が来るが、
その時も自然科学的方法では無理で、上に書いたようなやり方をしないといけないらしい。
先々週発売されたLIGHTNING RETURNS : FINAL FANTASY XIIIのストーリーやエンディングもこういう筋書きだった。
対話 人間の建設 1965年10月
岡:日本は、戦後個人主義を取り入れたのだが、個人主義というものは日本国新憲法の前文で考えているような甘いものではない。
それに同調して教育まで間違ってしまっている。その結果、現状はひどいことになっている。
それに気づいて直してもらいたいと、私は呼びかけています。
それを一億の人に呼びかけようと思ったら、続けて呼び続けなければならない。
同じ文章で同じことをいって呼び続けても、退屈して読んでくれなくなる。
どうすれば比較的読んでくれるだろうかという技巧は数学で使っていることと同じでしょう。
数学で未知なるものをできるだけ既知のものに近づけるために書く文章と、いまあちこちに書く文章は、書き方としては同じです。
169 考える名無しさん 2014/01/03(金) 22:56:34.46 ID:
小林:私はゴッホのことを書いたことがありますが、ゴッホを書いた動機というものは、複製なんですよ。
その複製を見て、感動して書いたのです。
その後、ゴッホの百年祭でアムステルダムに行きまして、その原画を見たのです。
ところが感動しないのですね。複製のほうがいいですわ。
色がたいへん違うのですが、その原画は、あんまりなまなましい。
それが複製されると、ぼんやりしていて落着いてくるのです。
複製のほうが作品として出来がいいのですよ。
このごろ真贋問題とかで世の中が騒ぎますが、てんで見当が違うことだと思いますね。
それは贋物と本物は違うという問題はありますよ。
しかし人間の眼だって、そんなによくできたものではありませんよ。
岡:実際一人の人というのは不思議なものです。それがわからなければ個人主義もわからないわけです。そういう事実を個人の尊厳と言っているのですね。
利己的な行為が尊厳であるかのように新憲法の前文では読めますが、だれが書いたのですかな。書いた連中には個人の存在の深さはわからない。
個人の存在の底までわかり、従ってその全体像がわかってはじめて、その人の残した一言一句も本当にわかるわけですね。
いまの知識階級のごく少数の人だけでもわかってくれたらよいと思います。
個人主義をごく甘くみてしまっているんです。
そういう個人というものがわからなければ、もののあわれというものも恐らくわからないでしょうし、
もののあわれがわからなければ平和と言ったってむなしい言葉にすぎないでしょう。
171 考える名無しさん 2014/01/03(金) 23:11:21.48 ID:
小林:岡さんのお考えは、理論とは言えない、一つのヴィジョンですね。私はたいへん面白いと思います。
お書きになるもので大体わかっていましたが、一つのヴィジョンです。
勿論そのヴィジョンが一番よく現れているのは、やはりあなたの数学のお仕事だろうと思うのです。
もしもあなたの親友の数学者が、あなたのお仕事を見れば、これが情緒だと、指でさせるだろうと思うのだ。
それは数学の言葉が通じているからです。
残念だが、それが私にはできない。
でもそれでいいのです。ヴィジョンの閃きを感じれば、それでいいのです。
あなたのヴィジョンが言葉になるところをつかまえる。それしか出来ない。
たとえばね、あなたは、子供がまず順序数というものをつかむと言う。
それから全身の運動を繰り返して、一という考え方、真情をものにすると言う。
私は児童心理学というようなものには不案内ですが、そんな学問が、今なにを言っていてもいい。
あなたのヴィジョンはたいへん美しくおもしろいと思うのです。
文系は特定の人間持ち上げるからたちワルい
小林:それからもう一つ、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。
自分の確信したことしか文章に書いていない。
これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。
学説は書きますよ、知識は書きますよ、
しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実に実にまれなのです。
そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。
こういうことをしている人は本当に少いのですよ。
フランスには今度こんな派が現れたとか、それを紹介するとか解説するとか、文章はたくさんあります。
そういう文章は知識としては有益でしょうが、私は文章としてものを読みますからね、
その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。
岡さんの文章には確信だけが書いてあるのですよ。
岡:なるほど。
小林:自分はこう思うということばかりを、二度言ったり、三度目だけどまた言うとか、何とかかんとか書いていらっしゃる。
そういう文章を書いている人はいまいないと思ったのです。
それで私は心を動かされたのです。
172
大抵の数学の研究者だって、「偉い先生が始めたプログラムだから」「最近の潮流だから」って理由で研究対象を選んでるよ
権威に頼らない独自の価値観なんて稀
皆知ってると思うけど166の全レス掲載版
http://[email protected]/test/read.cgi/scienceplus/1385303757/
@→c
176 考える名無しさん [sage] 2014/01/05(日) 12:30:09.47 ID:
香ばしい熱弁を振るう人の多いこと多いこと
177 考える名無しさん 2014/01/05(日) 20:42:17.79 ID:
そういう板でしょ。哲学板だもんここ。オカケツが嫌なら来るなよ。
178 考える名無しさん [sage] 2014/01/05(日) 21:06:10.72 ID:
いや、175のリンク先のこと
情と日本人 1972年3月
※数学者 岡潔思想研究会にも掲載されていますが、最も大事と言ってよい文章なので再掲します。
大事なことなので二回言いました、ってやつです。再び再びと読むと新しい発見があります。
今日初めて聞かれる方もあるかも知れませんが、その方にとっては関係ないことだけど、そうじゃない方もおられる。
で、そうでない方に対して、今日また同じことを繰り返そうと思う。
どういうことかというと、日本人は「情」の人である。
人としてそれが正しいんです。そうであるということが非常に大事だのに、少しもそれを自覚していない。
日本人は情の人であるということを自覚するということが、
今非常にしなければならないことであると本当に分って、
本当にそう思うようになってもらいたいと思うんです。
つまり、言葉でいえば「日本人は情の人である」だけなんです。
そういえば成程と思う。これは日本人だからだと思いますが、しかし、それから先が進まないんですね。
大阪へ行って淀川を見る。これはひどい、これではいけないと直ぐ公害を思うんだけど、
川が見えなくなるとけろりと忘れてしまう。そんな風な分り方ではさっぱりことは進展しない。
で、そうじゃないようにしようと思う。
そうすると、結局同じことを繰り返し繰り返しいうことになってしまう。
そうする他はない。それで今日も同じことを繰り返していおうと思うんです。
戦後、幸福ということをよくいう。
世界のはやりに従って、日本はことにアメリカの真似をして、近頃の人は幸福ということをよくいうんですが、
戦前は幸福などといわなかったものです。
幸福とは何が幸福かということですが、これは知、情、意のうち「情」が幸福なんです。
知が幸福だの、意が幸福だの、意味をなさない。
よし意味をなしたところで、そんな幸福どうでも良い。自分の情が幸福と思う、それが幸福なんでしょう。
人は動物ですが、動物の中で割合信頼できます。
なぜ信頼できるかというと、人には人の情というものがあるから信頼できる。
みすみすなことは大抵はしない。それは人には人の情というものがあるからです。
こんなことをしてはいけないんだがなあと情の思うことを、知や意のすすめによってする。
そうするといつまでも心がとがめる。これが情です。漱石の「こころ」もこれを書いている。
そうすると道徳とは人本然の情に従うことである。そういえると思う。
また情というものがなかったら、道徳とは何かという前に、道徳というものが存在し得ないでしょう。
人に情あるが故に道徳というものが存在し得るのです。
道徳とは人本然の情に従うのが道徳です。背くのが不道徳です。ところが古来そういった人は一人もいない。
孔子なんか随分道徳について説いた。それが儒教ですね。
ところが儒教はいろんな形式は詳しく説いていますが、内容は説いていない。
儒教の内容は「仁」です。ところが仁とは何かということいってない。
だから儒教は形式は分っても、内容は分らない。
仁とは何であるかというと、人本然の情、それが仁でしょう。
情の中から不純なものを削り去って、良い所だけを残して、
これを「真情」ということにすると、真情が仁です。ところがそういってない。
真情が仁だといえば誰にでも分る。だから真情に従って行為するように努めるのが儒教の修行になる。
ところが内容が仁であるのが道徳であるというんだから、どうしていいか全く分らない。
それで形式ばかり重んじている。それが儒教でしょう。少しも実があがってない。
情と知と意を比べてみますと、情は自分の体だけど、
知や意はなんか着物のような、そういう感じがするでしょう。
知的や意的に分ったって、本当に膚で分ってないという、そういう気がするでしょう。
今度、赤軍派の学生が無茶をやった。そうすると皆それを非難している。
それで日本は赤軍派の学生のようなものを出したという短所よりも、
ああいうものが出たら皆非難するという長所を現わしたわけです。
つまり赤軍派には情がない、惨酷であるということをひどく非難している。
ああいうものが出たら直ぐそれを非難する。これが日本人の長所です。
短所を恥じるよりも長所を誇った方が良い。しかし、そうであるという自覚がない。
だからそれから先、話が少しも進展しない。
こういうものが出るのは、人の本体は情であるから、教育は何よりも情をつくるべきである。
教育は全く間違えていると、そういう意見は新聞にはひとつもなかった。情が非常に大事だということ、分るでしょう。
情が自分であるという自覚があったら、それを踏み台にして知や意を働かすことができるんだけど、
その自覚がなかったら、何が何だか分らないのですね。
日本人は誰でも、情が自分だといえば成程そうだと分りますね。
そうすると、情が自分だという自覚がなかったら、どんなにものがうまく運ばないのかということの方を知れば良いでしょうが、
ともかく情が自分だということは、日本人ならいわれたら直ぐ分る。
だが、本当の自分とは情であると、はっきり思った日本人は一人もいないらしい。
何故かといったら、そんなこと誰も書いてない。
誠に不思議なことだけど、情が自分だといった人はありません。
日本人にないんだから、世界にそんな人はありません。
そういう人類は一人もいないということになる。
東洋は情を自分だとは思わないらしい。
心は情、知、意の順に働きますが、その情、知、意と連ねた心というものを自分だと思っているらしい。
これは日本人である私には想像のつかないことです。
どうすればそんなことが思えるのか分らないが、そう思っているに違いない。
その証拠には、中国では知が基だといいますが、仏教も知が基だといっている。
それだったら心が自分だと思っているんでしょう。そうでなければ、そんなこといえる訳がない。
西洋人に至っては、情の中で大脳前頭葉で分る部分、これが感情ですね。これは極く浅い情です。
もっと深い情を西洋ではどういっているかというと、ソール(魂)といっている。これが情です。
西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思って、びくびくしている。
そうすると情というものは大切なものではあるが、自分ではないと思っているんですね。
東洋人はまだしも、心を自分だと思っているから、その中には情も含まれますが、
西洋人に至っては情を自分だと思っていないらしい。
その魂という程の深みの情、これも今の日本人には分りにくいでしょう。
感情などというのは極く浅い情。
もっと深い情とは一口にいって、どんな風なものか。これは一例をあげれば良い。
日本人は情というものを無意識的によく知っている。それで一例をあげれば足りるんです。
明治になってからの話ですが、お母さんと子供が住んでいた。
子供が13歳になった。そして禅の修行をしたいといい出した。
それで修行の為に家を出ることになって、いよいよ別れるという時になって、お母さんはこういった。
お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていても良い。
しかし、お前の修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、
私を思い出して、私の所へ帰って来ておくれ。そういった。
それから30年程たった。子供は修行がうまくいって、偉い禅師になった。
松島の碧厳寺という大きなお寺の住職をしていた。
その時、郷里から使いが来て、お母さんは年をとって、この頃では寝たきりである。
お母さんは何ともいわないが、私達がお母さんの心を推し量ってお知らせに来た。そういった。
それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に座った。
そうするとお母さんは子供の顔を見てこういった。
この30年、私はお前に一度も便りをしなかったが、しかし、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ。
私はこの話を最初、杉田お上人から聞いた。その時、涙が流れて止まらなかった。これが情の本体です。
こういう情というものがあるのだということを西洋人は知らないのでしょう。この情を魂といっている。
人にはこういう情というものがある。それが人の本体です。
幸福は情が幸福なのであって、道徳は情があるが故にあるのである。明白なことです。
ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。
私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。
一旦分っていってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。
戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。
多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。
これは改めなければいけない。
これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。
それを自覚するということが非常に大事です。
自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。
大体、「知、知」と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。
今の教育なんかもそうだけど、
知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。
知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解する」という。
ところが、わかるということの一番初歩なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。
松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。
理解というのは、その「理」がわかる。
ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。
何がわかるのかというと、その「趣」がわかるんでしょう。
松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。
趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。
情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。
それから先が知ですが、その基となる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。
人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。
その状態は言葉ではいえない。
いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。
言葉ではいえない。教えられたものでもない。
しかし、わかっている。これがわかるということです。
だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。
それ、わかるでしょう。これがわかっていないから、知的にいっても今の教育は全然駄目なんです。
上滑りしてしまって、形式しかわからない。本当にわかったんじゃない。
「悟る」というのは本当にわかって自覚する。これは情の目で見極めることです。
芭蕉は「散る花、鳴く鳥、見止め引き止めざれば留まることなし」といっていますが、
見止め聞き止めるのは情の目で見極めるのである。
情の目で見極めるのが「悟る」「自覚する」ということです。そうすれば存在して消えない。
存在を与えているものは情だけです。
これも銘々経験があるでしょう。深い印象とか深い感銘、これは決して消えないでしょう。
生涯消えないでしょう。こんな力を持っているのは情以外にありません。
人の本体は情であると知ることは、非常に大切なことなんです。
大勢の人がそれがわかったら、例えば教育はいっぺんに改められます。
そうすれば余程変わって来る。そうする以外にやりようがない。
公害という問題が欧米から輸入されて、日本で大分やかましくいわれている。
日本人は、人は情の動物であるということは、自覚なしにだけどよく知っている。
それと共に、もう一つ詰まらないことを思っている。
文化とは外国から入って来るものだと思っている。外国から入って来ないものは文化にあらずと思っている。
それで公害という言葉、これは文化の一種ですね。
外国から入って来て、日本で大分やかましくいわれている。
外国にオリジンがあるから、こんなにジャーナリズムが取り上げたんですよ。
しかし公害、さっぱりうまくいかない。
何故うまくいかないかというと、情の濁りから取り去らないからです。
単に濁りだけじゃありませんが、情からきれいにして行かないからうまく行かない。
これは二つの点でうまく行かないのです。
一つは情が濁っていますから、すぐ自己中心の考えに走る。
それで企業が公害を取り除くことに反対します。
政府だって、やはり産業優先というようないことを考える。一つはそういう害がある。
もう一つは、情が生き生きと働かなかったら、存在というものがない。
それで淀川を見ても、これはひどい濁りだなあと思っても、それが見えなくなったらけろりと忘れる。
だから公害だって、みんなが絶えず心に留って、気に掛かるという風じゃない。
この二つからうまく行かない。それで情をきれいにし、よく働かすようにするより仕方がない。
日本歴史を昔からずっと見てみますと、応神天皇以前は多分うまく行っていた。
が、応神天皇の時、中国から文化を取り入れた。そうすると、知が人の中心だといっている。
その後、印度から仏教を取り入れた。やはり知が中心だといっている。
ともかく情が大事だといってない。
それで本居宣長の頃になって、「漢意からごころ清く捨てらるべし」、そんな風になって来た。
どんな風にいけなかったかというと、ともかく儒教の修行も仏教の修行も、ひどく陰気くさく見えたんだと思う。
儒教は形式一点張り。だから裃を着て、しゃちほこ張ったようなものになってしまう。
仏教の方は難行、苦行が多い。大体、意志の修行です。だから矢張り暗いものになってしまう。
そうしてうまく行かなかった。
それだけじゃなく、単に濁りを取るということに留めて、情を積極的にはぐくみ育てるということを全然しない。
つまり今でいえば、情操教育ということをしない。
情操教育という言葉ですが、情操教育が大事だっていったら、絵をかかせたり、音楽ひかしたり。
そんな馬鹿な。人本然の情がよく働くようにするのが情操教育です。まるで見当外れをやっている。
ともかく情を軽んじたんでしょう。だから本居宣長
しきしまの大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
情緒というものが大事であると思っているんでしょう。
はっきりそうと分っていませんが、何となくそれが分ったんでしょうね。
それで「からごころ清く捨てらるべし」といったり、
「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」といったりしたんでしょう。
情が自分だから、情を大事にせよとずばりいえなかったんだが、
あそこでもっと自分を振り返ってみる暇があったら、それの分る日本人も出て来たかも知れない。
あそこでは、ぐずぐずしていたら滅ぼされてしまうという、そういう状態にあったから、大急ぎで明治維新をやった。
それから外国と戦うために兵器を準備した。
兵器を準備しようと思ったら、西洋の学問より仕方がない。
それで西洋の学問を取り入れた。そのうちにすっかり西洋の学問に溺れてしまった。戦後はそれが極端にまで来ている。
こんな風な訳で、日本人はまだ一度も応神天皇以前の日本人がどんな風だったのかということを、
ゆっくり考え自覚する暇がなかった。
それで一人も、日本人は情の人であると、それが人として正しいのである、といった人はいないのです。
が、それが非常に大事です。
側頭葉
道徳がうまく行かないのは、情を重んじないからです。
情のみがこれが道徳か、これが不道徳かを見分けることができる。
これは教えなくても分っている。だから道徳というものが有り得るんです。
ところで、日本人は情の人ですが、今だって意識してはいませんが、情の人の如く行為しているんだけども、
その自覚がないから知や意の働かしようがない。だからそれから後、さっぱり進展がない。
だから情の人であるというのが正しいのである。それが大事である、という自覚をしてもらうことが非常に大事なんです。
その為には一人一人が自分がそうなって隣の人に話し、成程そうだとうなずかして行くのが早いんだけど、
そのきっかけが仲々つかめないらしい。で、同じことを繰り返し繰り返しいう外ないだろうと思う。
同じ一つのことについてだから、同じ話になってしまうんですが、それを繰り返すのはその効果がないからです。
一人になった時、やっぱりそう思っているということもなければ、
新たな人にその話をするということもしないから、ひとつも進展がないんですね。
一通りその自覚が行き渡ってからでなくては、教育一つも変えられはしません。
今のままの情を粗末にする教育では、赤軍派の学生のようなものがみすみす出るということが分っていても、変えられない。
どう変えればいいかは簡単だけど、大勢の同意がいるんですね。
それには一人一人に自覚してもらうより仕方がない。
で、根気よく繰り返し繰り返しいっている訳なんです。
一つは情がエゴイズムで非常に濁っている。
もう一つは、生気が充分生き生きしていないんです。
情というものだけど、生きるとういうことは情が生き生きすることだと思う。
情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。
これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、
物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。
素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。
こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。
電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、
電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。
そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、
それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。
バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、
内容は絶えず変わっているのである。
人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、
湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。
これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。
人類がそうであるように、生物も皆そうである。
大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。
情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。
ともかく、生きるということは生き生きすることです。
それがどういうことであるか見たければ幼な児を見れば良い。
情は濁ってはいけない。また情緒は豊かでなければいけない。
教育はそれを第一の目標とすべきです。でなければ知はよく働かない。意志も有り得ない。
意志というのは知が描いた地図の上に、この道を歩こうと決めるようなものだから、
地図がぼんやりしていれば意志もぼんやりしてしまう。だから情、知、意の順にうまく行かないのです。その基は情です。
情はエゴイズムで濁ってはいけない。生き生きしていなければいけない。
また、宣長が歌に詠んだように、諸情緒が絢爛と華やかでなければいけない。教育はこれを目標とすべきです。
今の日本は情が濁ってひからびてしまっている。
これを早く変えなければ大変なことになってしまう。そう思うのです。
充分に膚で分ってほしいですね。
なんか私がいっている間だけ、なんとなくそういう気がするが、済んでしまったら忘れてしまうんでしょう。
そういうものなんです。
人類というのは音楽が割合よく分るんですが、情が流れているとそれを感じるんでしょう。
流れが止むとそれを覚えていないんでしょうね。見極めないから存在までいかないのでしょうね。
見極めるには自分で情を働かさなければ。
人の動かすのをただ情的に感知するに留めておくから、その人の情の動きがなくなると一切がなくなってしまう。
自分の情を動かす。自分で見極めなければいけない。それをやってほしい。
これが知性の教育なんです。知が大事だっていうなら、学校はこれをやらさなければいけないのです。
自分で情を動かして、情の目で見極めるということを充分やらさなければいけないのです。
どんなにやらしても、やらし過ぎるということはない。
何しろ難しい問題です。松とか竹とかが分るのは知だといって放ってあるでしょう。
これが世界の人の目です。はなはだここは見にくい。
よく見てみると情が分るからです。松の趣というものが情で分るから、それで松とか竹とかが教えられるんですね。
情が働かなかったら教えようがない。盲に自然を教えようとするようなもの。
知の地図の上に描くのが意志であり、情あるが故に言葉も有り得る、そして形式も有り得る。それが知。
根本は情だということを充分自覚してもらわなければいけない。
人本然の情に従うのが道徳である、といった人が一人もいないというくらい人類は馬鹿なんです。
それで世界がうまく治まる訳がない。だけど一人もいませんよ。
儒教なんか見てみますと、仁が基だといっているのに、その仁が情だとはいっていないんだから、余程わからないのですね。
仏教の修行を見てご覧なさい。意志で修行しようとする。それで多くは難行、苦行です。大抵そうです。
情が本体であるということを知って、まっ先に教育を変えなければいけない。
学校教育もですが、家庭教育を変えなければいけない。
赤ん坊の時は情の中に住んでいますが、生まれて3ヶ月は「懐しさと喜びの世界」ですが、
これがずっと続けば良い。成年ぐらいまで続けば良い。
成年ぐらいまでずっと「懐しさと喜びの世界」に住むようにするのが家庭教育です。
そして、これさえできていれば、あとの教育は簡単なものです。
こんなこと直ぐできる。気付かないのですね。だから、みんな知っていただきたい。
みんながそうなる為には、一人一人が先ずわかってもらいたい。
わかる為には自分の情の目で見ることですが、いちいち見て成程とわかったら、まだわかってない人にいう。
そのやり方なら初めは極く少しの人ですが、直ぐ広がる。そうしてもらいたいと思う。
世界を救う道は日本人ほどやり易くはないだろうけど、結局は情が人であると教えることです。
ヒューマニティーが道徳に一番近い。
それだのにカントは「実践理性批判」、理性というようなものが道徳に近いという。見当違いです。
赤ん坊は理性など働かしはしません。こころの世界に住んでいる。
むしろ、あんなものを働かさないから、こころの世界に住んでいる。
真情の命じるままですね。
それが道徳であり、それが幸福なんです。
※以上になりますが、岡の示唆は不器用に繰り返し繰り返し読まないと本体が見えてこないようになっています。
講演当時はさらに文献も無い時代でしたので、ちんぷんかんぷんさに拍車がかかっていたようです。
しかし、大事なのは文字や言葉ではなく情。「日本人は情の人である」をよくわかってもらうことが岡の願いでした。
風変わりな憲法 1969年5月
※九段会館で講演が行われました。靖国神社近くに位置し、二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物ですが、
東日本大震災のため現在は改装されました。
http://www.youtube.com/watch?v=CwyCfzsp7H8
このような風変わりな、敢えて憲法とは言いません、文章を、私あまり読んだことがない。(割れんばかりの拍手)
新日本国憲法の前文というのが中学校の社会科の教科書の、
多分中級、二年位と思いますが、後に付いてた。読んでみた。
そうしますとね、あそこに何と書いてあるかというと
「利己主義で悪かったな、利己主義のどこが悪いのだ」と書いてある。
いくら何でも、そりゃあ日本とアメリカと違いますが、どうせアメリカから示唆受けたんでしょう。
いくらアメリカ人でも「利己主義のどこが悪い」っていうのは如何にも変だから、
それで段々様子を聞いたんですが、これはイギリスに向かっての独立宣言の時の文章がお手本になっています。
だから植民地アメリカの人達が、英本国のあまりの仕方に腹を立てて
「利己主義のどこが悪いんだ」とそういう啖呵を切った。これでやっとわかった。
それとそっくり内容的には取って来て、そして日本国新憲法の前文としたんです。
この、日本は千三百年、仏教の理屈でやって来ました。
それ以前は、大体、日本民族になってから三十万年、そういう理屈なしにやってました。
明治までは、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべている広々とした心が自分だと、
はっきりこうなってたんです。明治以後、それが大分乱れ始めましたが、
五尺の体が自分だとはっきり書いてあるのは日本国新憲法の前文が初めてです。
真の自分といえば、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべてる広々とした心です。
だから自然が喜んでおれば自分は嬉しい、人の世が喜んでおれば自分は嬉しい、
一人でもひどく悲しんでいる者があれば自分はひどく悲しい。
これが真の個人という意味です。
で、真の個人というものを諭しても人はまたしても迷って、五尺の体を自分と思いがちだから、
それは迷いであると骨折って教えたのが仏教です。
明治まで千三百年そう教えたのですが、明治以後はあまり言わなくなっている。
この、欧米人は物質主義、個人主義ですから。
言わなくなったけれども、それでも善い行いというのは終戦までは、人の為にする行いが善い行いであって、
自分の為にする行いは利己主義、利己主義は唾棄すべきものだとなっていたんです。
それを全然ひっくり返して言ったのが日本国新憲法の前文です。(拍手)
風変わりはわかってる、一番始めからしてそんな風だから。
奈良女を卒業したねーちゃんがいつもいっていた。肉やの前で
ド近眼のオッサーンがじっとはかりをみつめていた。それが
おかけつだったと。
葦牙
(岡潔)
お孫さんがかわいいでしょうって言われたら、私目に角を立てます。
縁あって絶えず一緒に住んでいる。
大切にはしますが、だけどそれだけ。
舞台が終われば、また離れてしまう。
暫くの間しか一緒におられないのだからというので、特別に大切にはしますが、
自分の孫だからかわいいんじゃない。
(質問)
子供を見ておりますと、みなどの子供もかわいい。
と言いますのは、近所の小さな子供がおりますね、
子供は自分の家も他の家も全然区別がないですね。
ところが、大人はどうしてもそういうのをおさえたがる。
(岡潔)
大人が間違っている。
203 考える名無しさん 2014/01/28(火) 01:26:37.21 ID:
(質問)
それがいけないわけですね。
(岡潔)
ええ。日本なら日本、まあ、日本だけにしないと、他国は遅れていますから。
日本の国が一つの懐かしさと喜びの世界、
そうなるようにと思っていろいろ考えていきゃ、なんにもむつかしいことはない。
政治も教育も。懐かしさと喜びの世界に住んでいるということを物質的に表現する。
そうすりゃあよい。子供が正しい。
(質問)
そういう意味ったらおかしいですが、そういうことで私、
女性の方、出来るだけ早く結婚したらいいと思ってたんです。
(岡潔)
そりゃ大変結構です。(笑)日本人はそんなふうなんです。
(質問)
小さい時の教育を誤ると大きくなってからではちょっと方法が無いということですが、
昔のように国が規制するということも無い現代において、
人間が個々別々で自己本位になっていく現状は、なんとかしなければいけないわけですが、
当面、差し当たって何か一つ指針のようなものがあれば、お示し戴きとうございます。
(岡潔)
第一の心がいけないんですね。
自己中心が一番いけないし、それから、理屈もあまり言っちゃいけない。
第二の心の一番基本的な働きは、心と心が合一することだと言いましたが、
情緒としては、懐かしさという情緒が一番基本になるのです。
第二の心が働かないと、人が懐かしかったり、自然が懐かしかったりしないんですね。
そういう外界が総て懐かしいという、その基本的な働きが著しく弱くなっているんです。
根本を放っておいて、枝葉末節をいろいろやったところで、とても直りはしない。
(岡潔)
ともかく、欧米は間違っている。その真似を止めなきゃいけない。
これを自覚することですね。アメリカの真似をするからいけない。ソビエトの真似だっていけません。
大体、そういう基本的な評価が間違っていてはどうしようもない。
(質問)
そのどうしようもない状態におきまして、葦牙会の指導方針と言いますか、
何か具体的なものはどういうところにあるんでしょうか。
(岡潔)
今日本は間違ってる。欧米の真似は止めなきゃいけないと言っても、なかなか聞きませんね。
なかなか聞かなくても、まあ、ここへ来て下さる方は、聞いてやろうという稀な方ですから、
まあ細々と話でもしていかなきゃ。
三島由紀夫さんのような思い切ったことやっても、感銘は与えるでしょうが、それ以上の効果はないでしょうしね。
全く日本はどうなっていくのかと思いますが......
第二の心が神ですね。もし神々が働いてくれなかったら、日本は滅びるでしょう。
肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、
それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。
それくらい悪いんです。
(岡潔)
第二の心の世界というのは、それが欠けると、それを知っている人の目には非常によくわかるんです。
が、それが欠けてる本人の目にはちっともわからんのです。
だからいくら言ったって、聞きやしない。
これに対して、良い方法って、思い当たりませんね。
いろいろ言うんだけど、今日もここで言ったこと、皆さんはどれだけ聞いて下さったか、甚だ疑わしい。
余程日本人の中ではよくわかる方々でしょうが、それでも、どれだけ聞いて下さったかは甚だ疑わしい。
それくらいわかりにくいんです。
年長者の素行見てたり京産大生の作文読んでたりしたら、まるでしょうがないなあ、ちっともわかってないなあと思うんですが、
それをみんな思ったら、もっとやかましく言うでしょうが、思わんのでしょう。
「情、知、意」の知識性とは、「理性」のことであり、この「理性」は西洋哲学の中心にある概念です。
しかし、「情」は「思いやりの心、なさけ、主観的な意識などのことですが、この説明では漠然としている。
岡潔の「情」は、物事の根底にあって最も“重要”なものであるが、現代の社会、科学の種々の理論、主義に
対して、同じ「土俵」の上で“改革と創造”を進めて行かなければ、“情”という言葉だけの記憶として人々の
心に残るだけであり、 そして…それはいつしか人々から忘れさられてしまう。
「情」という概念(感情性)が、人々に理解されるには、「理性」のように一定の“論理”が必要となる。
つまり、「情」の“思考プロセス”が必要となる。それは、どう言うことかというと、西洋哲学の「理性」は、“方法的懐疑”
によって「超越論的主観性(理性)」という不動の論理を構築している。今日の科学、社会システムがこの「理性」を基盤として
発展しているのであり、「情」がこの「理性」と対等の位置にあるのであれば、「情」も不動の論理を構築する必要
がある。
私は、「情」と「理性」は車の“両輪”であり、両者は互いに助け合い、協調することの相関関係にあると考えており、その
バランスが崩れてきているのが、今日の文明社会であると解釈している。
同じ「土俵」で
【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん(産経新聞)
東大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。
講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。
なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。
難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)
【プロフイル】
もりた・まさお 昭和60年、東京生まれ。2歳から10歳まで米・シカゴで過ごす。
東京大学の工学部、理学部数学科を卒業後、独立。
平成22年に福岡県糸島市で数学道場「懐庵」を開き、
「数学の演奏会」「大人のための数学講座」などユニークな講演活動を各地で展開し、
思想家の内田樹(たつる)氏や人類学者の中沢新一氏らとも対談。
24年春に京都に拠点を構えた。
--起業ですか
森田 当時すごく盛り上がっていた米国のシリコンバレーに行き、
あちこちの会社に連絡して「とにかく今すぐ社長に会わせてくれ」みたいなことを言っていたら、
現地のジェトロ(日本貿易振興機構)のスタッフが「最近迷惑な東大生がいると聞いたがお前のことか。それなら案内してやるよ」と言われて、
あちこち連れて行ってくださったんです。
--うれしい援軍ですね
森田 その中の一人の投資会社の方が、鈴木健さんという人がおもしろい会社を作ろうとしているからと言って紹介してくれた。
鈴木さんは「なめらかな社会とその敵」という本を書いて話題になった人ですが、
実際に会ってみるととにかくものすごい人で、会社の立ち上げを手伝うことになったんです。
その会社のメンバーがみんないわゆる「理系」の世界の人たちで、数学とか物理をやる人は頭でっかちだと思っていたのに、
話をしてみるとイメージと全然違う。
身体性の起源を物理学的に考えたいと言ったり、縄張りの始まりはどういうものかを数学的に研究しているとか言って、
何か面白い。もっと知りたいという思いがどんどん強くなって、工学部に転部したんです。
そこで研究をしていくうちに、どんどん数学そのものへの関心が膨らんできて、
そのときに数学者の岡潔(1901~78)の著作に出合って衝撃を受けた。
数学にこんな世界があったのか。これは人生を懸けるに足るという感じがしたんです。
210 考える名無しさん [sage] 2014/02/05(水) 17:53:39.80 ID:
--数学者の岡潔が研究に没頭した和歌山県紀見村(現橋本市)を訪ねていますね
森田 岡は「数学は情緒の表現だ」と言っていますが、情緒はこの環境で育まれたんだなと実感しました。
大阪から和歌山に入る紀見峠の高台に立つと、正面の遠くに高野山を見晴らすことができる。
山並みや虫の鳴く声、すばらしい景色、環境に囲まれています。
岡は「計算も論理もない数学をしたい」といって周囲を驚かせたのですが、
この山中でまさに計算も論理も超越した数学の喜びに浸っていたのかもしれません。
--岡が言う情緒とは何なのでしょうか
森田 岡は「自然数の1が何であるか数学は何も知らない」と著書で繰り返し書いています。
数学の始まりの数である「1」が何であるのかは議論しなくても、脳の中でありありと分かる。
逆に「1は何か」を数学的には定義できないし、
「1」を説明しようとするあらゆる試みは「1」の直感を頼りにしてしまっています。
だから数学は数学自身によって支えられているのではない。
計算や論理に先だって数学を支えているもの、それは実感であり、情緒であると言っているのです。
--数の感覚はどこから来るのでしょうか
森田 脳が「数覚」をどうやって生み出しているのかという研究があります。
ここに1本のペンがある。1本のペンだとすぐ分かる。
2本なら2本、3本なら3本ということを瞬間に分かる能力を認知科学でスービタイゼイションと言いますが、
この能力は3か4で止まってしまう。
だから数字は、漢字の「一」では横棒1本で、「二」は横棒2本、「三」は横棒3本だが、「四」は横棒4本でない。
横棒が4本になると数えなければ分からなくなるからです。
回転すし屋さんでお皿3枚はぱっと見て分かるが、4枚ぐらいになるととたんにあやしくなる。
人間の認知限界はだいたいこの辺にあります。
--おもしろいですね
森田 脳は数学をするために進化してきたわけではないんです。
38億年の生命史のなかで、「36×73」なんて計算をすることはなかった。
いきなり計算をしろといわれて、脳はどうしたかというと、計算するためではない部位を使う。
その結果、情報が混在して、例えば5という数字を思い浮かべるつもりでありながら、
5という数字に伴う空間感覚や時間感覚、
あらゆる具体的感覚が一緒に到来してしまって数字に具体的な質感を感じてしまう。
人間が数字に向いていないことによる副作用でもあるのですが、
逆に言えば、それが岡が言う「数学が実感に支えられている」ということになります。
212 考える名無しさん 2014/02/05(水) 18:00:45.89 ID:
--岡の研究スタイルは
森田 海外では「Oka」といえば、数学者集団だと信じていた人がいるぐらい、壮大な数学的風景を作り出しました。
岡は生涯で3つの大きな発見をしたと回想していますが、その前に必ず行き詰まったと語っています。
1年、2年ではなく、6、7年も行き詰まった。
さすがに6、7年行き詰まると頭ではやることがなくなるんです。
計算でできることはたかがしれている。理論的にやれることもやり尽くしている。
「やるのは情意であって、知は働きようがない」と岡は言います。
そうすると頭でないどこかが動き出してくる。
岡の数学日記を読むと山に登って花を観察したり、スケッチをしたり、自分の脳よりも大きなところで数学をしている。
数学は脳で閉じていない身体的な行為なのです。
言語は、意識的に表面に現れるものと、無意識的に創出するものとの“二重性”を
持っていますが、数字の概念も記号として視覚的に捉えられるものと、情緒という無意識層
との連関としての“二重性”があると言うのは、非常に奥の深いものを感じている。
214 考える名無しさん 2014/02/13(木) 22:52:29.77 ID:
春雨の曲のコピーってどこで手に入るの?
あと岡潔研究会っていうサイトがあるけどこのサイトって
春雨の曲の内容も含めた岡潔の思想がまとめられていると見ていいの?
春雨のコピーは正直、ほとんど手に入らん。
ネットにあるものも個人のブログによるほんの少しの抜粋がほとんど。
分量が多すぎて用意できないんだろうな。
春雨は、おかけつの人生の回顧録的な内容も結構ある。
回顧録と言っても、既刊に無い初見の内容が多々あってそれはそれで面白い。
が、回顧録にしろそうでないにしろ春雨を全部読んでどうのこうのなるかと言うと、難しい。
報道関係者なら、急いで読んで損は無い。
研究会は晩年中期が主体で、春雨はほぼスルーしてる。一番読み応えがあるからね。
ただ、春雨に反しない解説になってるよちゃんと。
芥川龍之介なんかが典型だね。インスピレーション型の人が芥川龍之介で、情操型の人が夏目漱石。
芭蕉の解釈を誤ったことを理由に、おかけつは一時期芥川を批判するんだよ。
でも天照大神を非常に慕っていたことを理由に、春雨では再評価に至るんだ。
206の京産大の学生の作文も読んでいてね、11識から15識にいるらしい学生も結構発見するんだよ。
216 考える名無しさん [sage] 2014/02/14(金) 16:46:45.38 ID:
春雨の曲を手に入れられるコネ
・和歌山県橋本市図書館(たぶんある)
・御遺族(岡嫌いの人間には会いたがらない)
・横山賢二氏(晩年中期の資料はタダでくれるが相当に勉強していないと春雨はもらえない)
・帯金充利氏(岡の本の復刻の中心人物)
・高瀬正仁氏(同じく復刻を担当するも、数学的業績の発掘が主体)
高瀬氏は数学の伝記が主体だから思想については他の方に比べてあんまりわかってないっぽい。
でもそのぶん一番早く確実にコピーをくれる方は高瀬氏だろね。
回答サンクス!!
自分はまだ春宵しか読んだことが無いが
これから岡の著書を発刊された年代順に読み
最後に春雨の曲にたどり着けたらいいと思ってる
218 考える名無しさん 2014/02/18(火) 22:33:06.07 ID:
岡潔botより
ttps://twitter.com/oka_kiyoshi_bot
私の論文などいつもケアレス・ミスが多く、わざわざ訂正文を送らねばならぬくらいである。
しかし、ケアレス・ミスが多いことと、本質的なミスがないこととは対応し合うものらしく、
これに反して、ケアレス・ミスの全くない論文にたまにミスがあれば、
それは致命的なものであって、全体が思い違いだとさえいえるくらいである。
私の論文はいつもケアレス・ミステイクが多いのだが特段何もなければ別に訂正もしていない。
どうせわかる人にはわかり、わからない人にはわからないからである。
岡はまだまだ数学の研究をずっとしたかった 問題はそこなんだよ
220 考える名無しさん [sage] 2014/02/18(火) 22:46:15.48 ID:
219
どうだろうね。随筆を書き始めた当初こそそういう平穏な数学研究生活を望んでいたが、
情緒の方向には本人も面白がって入っていった部分もあるしね。
数学(XがA、言葉がB、記号がC、昆虫がD)をあまりやらなくなっていったのもそうだが、
戦後自分にとって必要になった仏教すら70年頃を境に嫌い出すからね。
浄土宗の弁栄上人が創始した光明主義の杉田上人が居る中、
公衆の面前で「仏教は間違いだ」って喋ったエピソードもあるし。
あまりそういうのは大した問題じゃないと思うな。
人間の建設で岡潔と対話した小林秀雄の肉声が収録された音源から抜粋
http://www.youtube.com/watch?v=clkjp6WjKTg
信じるってことは責任をとることです。
僕は間違って信じるかもしれませんよ。
万人のごとく考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから勿論僕は間違います。
でも責任はとります。それが信ずることなんです。
だから信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです。
そうすると人間は、集団的になるんです。
会がほしくなるんです。自分でペンを操ることが、信じられなくなるからペンクラブがほしくなるんです。
ペンクラブは、自分流に信じることはできないです。クラブ流に信じるんです。
んなこたないですよ。クラブ流に信ずるからイデオロギーってもんがあるんじゃないか。そうだろ?
自分流に信じないからイデオロギーってもんが幅をきかせるんです。
だからイデオロギーは匿名ですよ常に。責任をとりませんよ。
左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。
あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。
どうしてああ徒党を組むんですか?日本を愛するなら。
日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。
日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんですよ。気がつかないだけだよ。
こんな古い歴史を持った国民がね、自分の魂の中に日本を持っていないはずがないですよ。
222 考える名無しさん 2014/02/21(金) 18:43:19.17 ID:
藤原正彦「遥かなるケンブリッジ」
無人島に男2人と女1人がたどり着いた。
もし男がイタリア人だった場合、殺し合いが始まる。
フランス人だった場合、一人は夫婦、一人は愛人として話がまとまる。
イギリス人だった場合、口をきかないので何もおこらない。
日本人だった場合、東京本社にFAXで指示を仰ぐ。
岡って原発に賛成反対以前に白樺派・自然主義・自然科学そのものに好感持ってなかったな。
しかも今更将来を心配するのは馬鹿だし手遅れだと。
224 考える名無しさん 2014/02/25(火) 19:09:47.44 ID:
昔、数学板でおかけつの仕事がそんなに偉大なら、
三行で述べてくれといったら、なんたらかんたら、業界用語
の説明に手間がかかるから出来ぬだとよ。念仏でも唱えて
理解したつもりになるよりないかww」
上空移行の原理(第一論文)(インスピレーション型)
二関数を積分方程式に帰着させ融合させる方法(第六論文)(梓弓型)
不定域イデアルの理論(第七論文)(情操型)
専門外から見てだが、一つ目の大発見は峻険な山脈を一から登るのを諦めてヘリコプターで登ることで得た発見。
二つ目の大発見は過去の積み重ねを切り捨てて知性を総動員して見つけ出した発見。
三つ目の大発見は牛乳に酸を入れた時のようにいちめんにあったものが固まりになって分かれたことでわかった発見。
特に三つ目は「捨」と「情」により結果としてまったく新しい概念を考案してしまったために、
その後の数学専門書の記述に革命をもたらしたと言って良い。
でも逸話としては第十論文の方が好きかな。厳しい寒さの冬から果実のなる春に移った、岡の最後の論文。
ブルバキ的な厳しさとは無縁の、おまけみたいな論文だから、相手にしない人も多いんだけどね。
掲載された図形の世界観が、第十論文だけは本当に異質で面白い。
長文書いてくれる人は次はこの岡の数学研究回顧・伝記をお願いしたい。
既刊に出てる奴でいいから。
いっぱんに数学では問題を出した人のほうが問題を
説いた人より上と思われている。問題にたどり着くには
長大な研究の鎖がいる。
227 考える名無しさん 2014/02/26(水) 20:03:33.41 ID:
岡は確か生涯でやりたいと思っていた数学の3分の2はやったと書いていた
その後は思いを継ぐ者は現れず、研究は放置されたままになっている
とすれば唯識論と同じで、最低あと5個は論文として発表できるはず
10番目の論文からイメージがガラッと変わっているから、春雨の曲みたいにそれはそれは壮麗な数学になる
50年越しの後継者の出現に期待したいものだ
岡潔博士・記念館の建設決定~市議会委託予算可決
世界的な数学者で文化勲章受章者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78)の〝顕彰記念館〟が、
岡博士の故郷、和歌山県橋本市の杉村公園に建設されることが決定した。
市議会最終日の3月6日、顕彰記念館・委託料(基本設計)予算399万8000円が可決され、
2018年開館を目指して、建設されることになった。
岡博士は大阪市生まれだが、4歳の時から父の実家、紀見村(現・橋本市)に居住。
京都帝国大学を卒業後、多変数関数論に出会い、
「世界の数学者が1問解くのに100年かかる」と言われた「世界の三大難問」を1人で解決した天才。
また、「春宵十話」などの数々の著書を表し、「日本人の情を大切に」と強調した卓越した哲学者でもある。
1960年に文化勲章を受賞、61年に橋本市名誉市民になった。
橋本市企画部企画経営室の話によると、顕彰記念館は杉村公園内の松林荘(しょうりんそう)北側に建設。
ここは4月開通予定の国道371号バイパス(京奈和自動車道・橋本インター~同市三石台)に隣接していることから、
記念館を中心にした「道の駅」のような観光拠点にする構想。
記念館わきには観光案内所、トイレ、多目的広場などを建設し、
観光バス約5台、乗用車なら約50台収容の駐車場を設けたい考えだ。
岡博士の旧宅は、旧・高野街道沿いの閑静な山上にあった築約100年の木造平屋で、約80平方メートルの、こじんまりとしたたたずまい。
旧宅が所有者の事情により、2001年9月に撤去される際、当時の北村翼(よく)市長が、橋本ユネスコ協会や地元市議の要望に応え、
解体後の梁(はり)や鴨居(かもい)などの建築資材は現在、橋本市河南別館倉庫に保存されていて、記念館に活用することになる。
同市内では、長らく岡博士の〝旧宅・復元話〟が途絶えていたが、
2009年、岡博士の偉業を讃え、数学教育を進める「橋本市岡潔数学WAVE」が設立され、記念館の建設が求められていた。
建設費は数千万円規模になる見込みで、同市は「橋本市岡潔顕彰基金」を創設、全国から募った資金と、国の補助金を充てる方針。
木下善之市長は「記念館には、岡博士の著書や愛用品、写真などを展示。できれば〝寺小屋〟のような建物も併設したい。
全国の数学ファンや観光客が立ち寄り、数学好きな子供たちが増えてほしい」と語った。
「橋本市岡潔数学WAVE」理事の奥村浩章(ひろあき)さんは「岡博士が数学に卓越していたことは誰しも認めることですが、
それよりも大事なことは、日本人の情緒を重んじた岡博士の哲学ではないでしょうか。
全国から岡博士の手書き原稿など、膨大な資料が集まっているので、それを保存展示する場所ができることは、うれしい限りです」と語った。
(2014年3月7日 橋本新聞)
第一の大発見
私は西暦1925年に大学を出て、1929年の春に船でフランスへ向かった。
その途中でシンガポールへ寄ったのである。
私はそのとき二つほど習作はしていたのだが、こんどはライフワークを始めようと思った。
それには数学のどの分野を開拓するかを決めなければならない。
つまり開拓すべき土地が問題なのである。私はそれさえ決めればよいのである。
こんなふうだったのだから、産業界は工業時代から情報産業時代に移ったと聞くとよくわかる。
ソルボンヌ大学(パリ大学)とはどういう所かといえば、授業料は三種類ある。
一つは講義を聞くためのもの、一つは図書館を使うためのもの、一つは学位論文を審査してもらうための手数料である。
人員に制限もなく国籍も問わない。授業料さえ払えばよい。
アメリカ人はずいぶん来ていた。家庭教師を雇うより留学させたほうが安くつくからである。
数学教室は独立した建物になっていた。ロックフェラーの寄付で建てたのである。
アンリ・ポアンカレ研究所という名がつけてあった。
そこには大きな講義室が二つあった。小さいのはずいぶんあったが、いくつあったか知らない。
大きな部屋にはフランスがほこる大数学者たちの名をとって、
一つをエルミットの部屋、一つをダルブーの部屋といった。図書館がついていた。
私が着いたときは、もう夏休みに近かった。
この大学の夏休みは非常にながい。一年が三つにわかれていて、特別講義は毎年変わるのだが、その講義は最後の三分の一だけで、
先生たちは初めの三分の一は文献の準備、
次の三分の一の夏休みにだいたいの研究をすませて、
最後の三分の一でそれを講義しながら書き上げているような気がした。
先生のお弟子が講義の速記をする。それを先生が見て直すべきは直して、毎年本にして出す。
要点だけを抜き出して論文も書くというふうにしているようにみえた。
論文は夏休みがすんでから講義が始まるまでの間に書くのかもしれない。
私はその年度はその図書館の閲覧できる授業料だけを払った。それでもうパリ大学の学生である。
パリ市は城のあとである。その南の入り口にモンスーリーという公園があって、その外側に大学都市がある。
まだ城郭の内側だが、ここだけは自治を許されていて、パリ市は関与しない。
そのいわば国際的自治都市の中に日本会館もある。私はその一室を借りていた。
私のすべきことは、この図書館を相談相手に、この学年中にライフワークのための土地を選ぶことである。
そんなこと、日本でしても同じではないかというかもしれないが、
日本にいてはそれができないし、フランスにおれば易々とできるから全く不思議である。
何しろここは、ギリシャに源を発するラテン文化の流れを真向きに受けている国だから、
ただクラゲのようにポカポカ浮いてさえおれば、流れがおのずから着くべき所へ着けてくれるのである。
これが環境というものである。もちろん地上の影をそう呼んでいるのであって、これは生命のメロディーの影なのである。
彼らはそれを自覚してはいないが、やるのはそれでやっているのである。
論より証拠、だいたいその学年中にはライフワークの土地として、多変数解析函数の分野が見つかった。
それで、次の年には講義を聞くことのための授業料を払った。
そして世話してもらえる先生の家を訪ねた、私はそこで、先生の論文を少なくとも75はもらった。
しかし読んだのは二つだけである。しかもそのうちの一つは、日本で読んでいたのである。
この論文は広島の大学(後に岡が赴任する広島文理科大学、現在の広島大学)の私の部屋の書物棚へ入れておいたのだが、
私がそこを(広島事件等のために)やめた後も、いくら送ってくれといっても送ってくれないのでそのままにしておくと、
原爆で焼けてしまった。
三年目も学位論文の審査のための手数料は払わなかった。習作は日本で二つしていたし、フランスでも二つしたが、
そんなのを審査してもらって学位をもらっても仕方がない。
ではなぜ、留学は二年だのに頼んで三年いたのか、というと、
私はフランス文化をそれほど高く買っていなかったのであるが、これについては後に述べる。
ではなぜかというと、私は芥川の好きな中谷治宇二郎君(「日本先史学序史」の著者)とすっかり気が合ってしまって、
もうしばらく一緒にいたかったからである。
今になってこれが私にたいへん役立ったことがわかる。
私はじっと動かないし、この人はなんだか永遠の旅人という感じである。
ところでそのラテン文化であるが、私にはなんだか、「高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛り」という気がした。
この土地はいわば高原のようなものであって、その山に上る第一着手は、30年近く誰にもわかっていないのである。
十中八九、私にも見いだせないかもしれない。しかし一、二、可能ではないといい切れないふしもある。
よしやってやろう。私にできるかできないかわからないが、私にもできないのに、フランス人にできるはずがなかろう。
こう思ったから、これをやると決めたのである。
ラテン文化は実際は、私が思ったよりずっと底が深かったのであるが、これも日本に帰ってみて初めてわかった。
これも、というのは、この随想でいったかいわなかったか忘れたが、
私はフランスへ来て、初めて日本のよさがはっきりとわかったのであった。
今や私には問題はしぼられて、第一着手の発見が問題である。
私はパリのあらゆる文化をこの発見に役立てようとした。
私は1932年に日本へ帰って、(京大から厄介払いされて)広島の大学へ勤めた。
ずいぶんこの問題の解決の探求の邪魔になるのだが、
(ドイツでなくフランスに)洋行させてもらって、しかも一年延期してもらったのだから仕方がないのである。
そのうち1934年の暮れになった。
ドイツのベンケがトゥルレンに手伝わせて多変数解析函数の分野の文献目録のようなものを出してくれた。
私はそれが手にはいったから、翌1935年の一月二日から、それを持って私の部屋に閉じこもった。
これは私には箱庭のように思える。それを二ヵ月かかって丹念に心に描き上げた。今や困難の全貌は明らかである。
問題はその上へ昇る第一着手を発見することである。
私はくる日もくる日も、学校の私の部屋に閉じこもって、いろいろプランを立てては、うまくいきそうかどうかをみた。
日曜など、電気ストーブにスイッチを入れると石綿(アスベスト)がチンチンチンと鳴って赤くなっていく。
それとともに心楽しくなる。きょうは一日近く自分のものだし、
昨日まで一度もうまくいかなかったということは、きょうもまたうまくいかないということにはならない。
そう思って新しいプランを立てる。日が暮れるころまでにはうまくいかないことがわかる。
そんな日々が三月続いた。私には立てるプランがなくなってしまった。
少しも進展していないし、もうやりようがないし。
私は、これもパリでしばらく非常に親しくしていた中谷宇吉郎さん(理化学研究所所員、人工雪の製作に世界で初めて成功)、
この人は治宇二郎さんの兄さんで寺田先生(物理学者寺田寅彦、東京市生まれ、高知市出身)のお弟子なのであるが、
その人が、北海道へ遊びにこいといってくれたので行った。
そんなことをしている間も、知的にはもうすることがないのであるが、情意は働き続けていたのである。
中谷さんのいる札幌へ着いて、中谷さんの家の裏へ下宿した。
札幌の大学は講師の阿部社長(寺田先生のお弟子で、北海タイムス社長)の部屋を貸してくれた。
私は毎日そこへ行くには行くのであるが、何しろ知的にはもう私にできることはないのだから、
十分もたてば眠くなって、そこのソファに寝てしまう。
そのうわさが北大の理学部中にひろまって、口の悪い吉田洋一さんの奥さんが、嗜眠性脳炎という仇名をつけてしまった。
中谷さんは、「岡さん、札幌は失敗だったね」といった。
この嗜眠性脳炎の時期が、札幌へ来る前から数えて、三月続いた。
そうこうしているうちに九月にはいって、もう広島へ帰らなければならない日が近づいていた。
そうしたある日、中谷さんのお宅で朝食をいただいた後、いつもは一緒に学校へ行くのだが、
その日は妙にじっとしていたくて、一人残って応接室にすわり込んでいた。
二時間近くもそうしていただろうか。
そうするとパッとわかったのである。この種の発見に伴う悦びが、ながく尾を引いた。
疑いは少しも伴わない。私はその後を考えた。これが多変数解析函数についての論文Ⅰになるのであるが、
私には後のⅤまでは大した問題のないことがわかった。
Ⅰを書いたのは翌年の蛙鳴くころである。
中谷宇吉郎さんを思う
一昨年(1960年)秋、私が文化勲章受賞のため久しぶりに上京したさい、
中谷さんに会い、専攻の低温科学の話になったが、
中谷さんは「自分の仕事はどうも物理学とは認めてもらえないらしい。
雪を作る実験にしても、ぼくがやればでき、ほかの人がやればできないからという理由で、
物理よりも芸術に近いもののようにみられているらしいよ」と話していた。
これがおもしろかったので授賞式当日一緒に受賞者となった吉川英治さん(「宮本武蔵」の連載で知られる小説家)に
この話をしたところ、吉川さんも「日本人にはある方面に他人のまねのできない能力を持っている人が多いが、
正当には評価されないので困るようですね」とほかの実例もあげて同情的に語っていた。
首都警
238 考える名無しさん [sage] 2014/03/15(土) 05:42:54.57 ID:
風変わりな憲法の続き
http://www.youtube.com/watch?v=QimqbTpPsWI
集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、
それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。
愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、
成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。
猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、
もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けたのです。
こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。
一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。
この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。
その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。
だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。
今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!
で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、
明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、
それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、
そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、
(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。
ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。
東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、
使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。
それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育む。
これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。
後頭葉でそれをやる。
しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。
それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。
それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、
側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、
「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。
これが東洋的な行為に至る動きです。
初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、
一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。
しかし東洋型も東洋型で、日本だと、
五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、
その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。
そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、
二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)
山吹や笠に指すべき枝のなり
哀れ哀れ旅人は何時かは心安らはん垣穂を見れば山吹や笠に指すべき枝のなり
246 考える名無しさん 2014/03/19(水) 21:39:46.74 ID:
草稿が古い方の春雨読むと100識までは書いてあるね。青空文庫になってもならなくても正直今の人間が読んでもすぐためになる代物ではないな。
247 考える名無しさん 2014/03/20(木) 20:01:08.00 ID:
会津の日新館という藩校に「ならぬことはならぬものです」で締めくくられる掟があるが、
あれは岡の場合は祖父から与えられた「他人(ひと)を先にし自分を後にせよ」だった。
で、これは子供の道徳観としては意味があるというか、必要なものであって、
問答無用である程度押し込んで良い。智で言えば分別智に近い。
ただ、子供は反発するだろうし、ダブルスタンダードの要る大人になってもこれを金科玉条とされては困る。
したがって、大人はできるだけ無差別智的な分別智という形で与えてやらないといけないし、
無駄の無い情すなわち真情が根本だということを大人も子供もなるべく忘れないようにしないといけない。
248 考える名無しさん 2014/03/22(土) 00:55:41.29 ID:
台湾が今危ない。退回服貿(ほえほえくまー)。
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 広島事件
広島で不可解な事件が起こり、岡潔の人生に大きな転機が訪れたのは昭和11年(1936年)6月23日のことであった。
この日の夜、岡潔は京都帝大の数学者、園正造(代数学者)の歓迎会に出席したが、
途中で心身の具合が悪くなって帰宅し、それから行方不明になった。
翌朝になって判明したところによれば、岡潔は自宅の近くを流れる二股川の土手を帰宅途中の
修道中学(現 修道中学校・修道高等学校)の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、
それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたというのであった。
被害者の中学生の家族が強盗にあったと警察に訴え出たため新聞沙汰になり、一時は騒然とした事態になったが、
ともあれ病気と見なされて入院した。入退院が繰り返されて一夏をすごし、いよいよ最終的に退院したときは9月13日になっていた。
250 考える名無しさん 2014/04/20(日) 05:59:21.87 ID:
岡潔の晩年の遺稿『春雨の曲』第三稿には、この時期の心情がこんなふうに回想されている。
1936年の6月にわたしは一晩中、
わたしの家はその頃広島の牛田という、八幡神宮を祭ってある小高い丘の麓にあったのだが、
その丘の、家と反対の側、と云うと北西の方になるのだが、
その丘の北西の斜面の笹原に寝て、星の一群を率いる宵の明星と話をした。
次に挙げるのは『春雨の曲』第七稿からの引用である。
それから1、2日たったよく晴れた夜、わたしは家の後ろの小高い丘の斜面に、
北西の方を向いて、笹原に背をもたせかけたまま、
金星から来た娘の話を聞いていた。
娘はわたしの今生の越し方行く末を詳しく説明してくれたのであるが、
わたしには夢の中の話のようであった。
満天の星斗も水上に乱れ飛ぶ蛍のように見えた。
251 考える名無しさん [sage] 2014/04/21(月) 12:09:24.77 ID:
個人主義はイコール閉鎖主義でもあるって言ってたな、おかけつ
第二の大発見
日本の文化の本質を調べてみて、
数学における情操型発見を詳しくお話ししておくことがどのように大切であるかがよくわかって来た。
それで話を少しもとに引きもどしてお話ししよう。
京大数学教室の二年以後の有り様から言おうというのである。
当時の教室の教授は四人で、うち一人は和田先生であったから、残りは三人である。
河合十太郎先生が函数論を、西内貞吉先生が射影幾何学を、園正造先生が代数学及び数論を教えられた。
ほとんどこの先生方の講義しかなかった。
この講義時間数が非常に少なかったということが、この教室らしく教えるには非常に大切なことであった。
私は意識してこの教室に入ったのではない。しかし入ってみるとここも神代の文化を教える所であった。
百花繚乱の花園に遊ぶようである。それでいて私は一日一日目が開けて行くような気がした。
かようにして私は数学研究を始めるための雰囲気を用意してもらったのである。
花が開くためには春の気が必要なのである。
数学研究の初めの頃は、私はインスピレーション型発見ばかりした。
しかしこれは情操型教育の上でインスピレーションを感じていたのである。
初めは、数学は西洋の学問だから、西洋にやり方を学んだことになって、こうなったのだと思う。
だんだん研究に習熟するとともに、東洋本来の型である情操型発見が出るようになった。
私の多変数解析函数の研究には三つの難関があった。
第一論文で突破したものと、第六論文で突破したものと、第七論文で突破したものとである。
そのうち第一論文はインスピレーション型発見、第六論文は(中間の)梓弓型発見、第七論文は情操型発見である。
これらについてお話ししようというのである。
第一論文を書いたときから私はこの第六論文の突破法について色々考えていた。これが研究本体であった。
私はゆるゆる書きながら暗中模索を続けたのであるが、少しもわかって来ないうちに第五論文まで書いてしまった。
いよいよこの難関を何とかして通らねばならぬ。
その頃日本は日支事変の最中で、国民精神総動員のやかましく言われている頃であった。
私は広島の大学をやめて郷里の和歌山県で研究していた。
論文で言って、第五までと第六からとは、問題の型が違うのである。
第五まではそうなることを言えというのであり、第六のものはそんな風に作れというのである。
初めのものは函数論的であり、あとのものは解析学的である。
私は解析学におけるものの作り方を一応しらべた。そんな作り方は何もない。
それで思った。
今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、まるで歩いて海を渡れと言うようなものである。
そう思うと急に実際それがやってみたくなった。それでちょうど台風の襲来が予報されていたから、
(広島事件同様家族に無断で)台風下の鳴門の渦を乗り切ってやろうと思った。
それで大阪港から船に乗ったのだが、台風はそれて、まるで春のような海を見せてもらっただけである。
読む本もないままに年が変わって蛍の季節が来た。
当時、もと紀見峠の上にあった私の家は軍用道路になってしまったために、
私は峠を南に下りた麓の所に家を借りて、家内と子どもたち三人とで住んでいたのだが、
毎夜一家総出で蛍を取って来ては裏のコスモスの茂みに放してやり、
昼は毎日(近所の子どもたちにからかわれながら)土に木の枝でかいて、
解析学の諸々の作り方を、もう一度、きちきち調べ直してみた。
そうしているうちにだんだん要求されている作り方の性格がわかってきた。
それで、フレッドホルム型積分方程式論の冒頭の二頁ほどを残して残りを切り捨ててみた。
この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。
そうすると何だか使えるかも知れない、一つのものの作り方が出て来そうに思えたからそうしてみたのであるが、
それを実地に使ってみると果たしてうまく使えた。
難関は突破されたのである。
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 開戦
こうして研究一本槍の毎日を送っていた潔であったが、1940(昭和15年)の10月に京大から理学博士号を受けた。
これは、金銭的なプラスにはならないが、それまでの研究(第一論文から第五論文まで)が認められたということである。
しかし潔は学位には関心がなく(フランス留学中の時にもそうであった)、もらうことを強く拒否したが、
周りから説得されてしぶしぶ受けたのであった。
第三の大発見
第七論文に移る。私は中谷宇吉郎さんの御厚意で北大理学部から「理学部研究補助を嘱託す」という
変わった辞令をもらって札幌市に下宿して、何をしてよいかわからないから、
功力教室の人たちに詰将棋を詰めさせたり、ピアノを聞かせたりしていた。
冬の初めだったかと思うが、石炭ストーブのよく燃えている下宿の一室で十時頃まで寝ていると、
下宿のおかみさんにあわただしく起こされた。行ってみるとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。
私は、しまった、日本は亡びたと思った。
そして茫然自失していた。
当時の私の心境を、次のある無名女流作家(横井栄子という歌人)の歌がぴったり言い表している。
窓の灯に うつりて淡く 降る雪を 思ひとだえて われは見ており
しかし、やがて一億同胞死なば諸共の声に励まされて、
それもよかろうと思って、数学の研究の中に閉じこもった。
そしてある時期から後は、もっぱら次のテーマに没頭した。
多変数解析函数の分野における不定域イデアルの研究。このテーマに関して、
アンリー・カルタンが一つ非常に重要な結果を出している。しかしほかに誰も研究したことを聞かない。
この研究は非常に面白かった。しかし、どうしても完成できないままで終戦になった。
予想通り完敗したが、意外にも亡びなかったのである。
これは一つはキリスト教のお陰であって、今一つは陛下のお陰である。
終戦になると、それまで死なば諸共と言っていた同胞が、こともあろうに食糧の奪い合いを始めた。
私は生きていることも死ぬことも出来なくなった。
それで存在の地を仏道に求めた。
(戦中から紀見峠に戻っていたが)終戦後第三年目の五月頃、私は光明主義のお別時(別時念仏)に就いた。
五日泊り込みで修行するのである。これが終わってあとの有り様は前に書いたが、最も大切な点であるからもう一度繰り返す。
帰りの京都の市内電車は非常な雑踏であった。私はズック靴をはいて腰掛けていたのだが、
前の、立って下駄をはいている人に下駄で足を踏まれた。
しかし私は、二つの足が重なり合ったな、くらいにしか思わなかった。
お別時まではこの情景を見て、生きるに生きられず死ぬに死なれなかったのである。
日本人は、何となく外界は自分の心の現われと知っているのが本来の型であるから、
心をお掃除すれば外の情景が全く変わるのである。
これが情操型研究のよって来る所である。
私は家に帰ると、また研究を始めて、毎日一時間ほどお念仏しながら、
心の中に描いておいた不定域イデアルの姿を詳細に見直していった。
私の、自分の心の中を見る目は、驚くほどよく見えるようになっている。
そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目が留まった。
前にはこの一区画を本当に見極めてはいない。
よく見ると、すぐにこの存在が言えた。証明は二頁くらいである。
そうすると解きたいと思っていた問題は皆完全に解けた。研究は完成したのである。
私はあくまでも「是心是仏」派らしい。
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 高木貞治との交流
さて、こうして数学的に見れば歴史に名が残るような偉業を成し遂げた潔であったが、
その生活は日増しに苦しくなる一方だった。潔は後にある数学者に、
「自分は数学の研究に打ち込んだので(生活の中で数学したのではなく数学の中で生活したので)、
まず田畑がなくなり、次に着る物がなくなり、次に住む家がなくなり、しまいには食う物もなくなった」
と言ったことがあるというが、その「食う物もなくなった」という状態になってきたのである。
それで潔が考えたのは、奨学金のようなものをもらうことであった。
生徒や学生ではないから奨学金というよりも「研究補助」と言う方が当たっているかもしれない。
要するに、潔が1941年から42年にかけて北海道帝国大学に行っていたようなシステムということである。
潔はそれを、当時すでに日本数学会の第一人者であり、世界的にもその名を知られていた高木貞治(1875~1960)に託したのであった。
高木貞治は、その名著『解析概論』とともに多くの理系の人間にその名を知られている。
そして(ドイツ数学を呑み込んでしまった)類体論の創始者として世界中から注目された数学者である
(今、日本を代表する数学者を二人上げろと言われたら、百人中百人が高木貞治と岡潔の名を上げるだろう)。
昭和22年の4月18日という日付をもつ高木宛の手紙は非常に重要である。
その中に、前年までの研究で解明されていない問題が二つあることが書かれているからである。
それは、次の二つである。
Prob.E―(局所的に)Riemann面を抽象的に与えて、それを生む正則函数を求めること。
Prob.H―任意のRiemann面を(R)とし、その上の任意の点をP0とする時、
(R)はP0の近傍において、もしそれらを生む正則函数をもつならば必然的性質H'をもつか。
そして、潔はこう言う。
所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが)
其の瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、
洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、
まだ解決されて居ず用意には解けそうもない、と云ふことが分って来ますと、
何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。
本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、
理智の世界よりは、或は遙に次元が高いのではないかとさへ思はれます。
又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。
物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。
これほど研究に対する情熱と自信がほとばしり出ている言葉があるだろうか。
これだけのことを成し遂げたというのに、潔の研究はまだまだ続くのである。
この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌
「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。
これは、新たな研究の端緒を拓いたということを
(高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども)
フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。
そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、
その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである
(なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、
簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。
こうして、潔が断行した「勤めをやめて研究に専念する」という生活は確実に実を結んだ。
しかし、経済的には完全に行き詰っていた。
もはや(ニート生活のままでは)自活の道はなく、
(パンのために泣きながら)潔はそれまでかたくなに拒んでいた(奈良女子大学教授という)勤めを始めなければならなくなったのである。
春風夏雨 1965年6月
ところで、今の世相は、芸術家は美を知らず、学者は真を知らずというありさまだが、
そんなふうにさせてしまっているその本体こそ、無明というものではないか。
そして無明の働きに対して、全く警戒を忘れているのが現状ではなかろうか。
それどころではなく、無明を働かせるのが生きるということだと思っている人すら多い。
私の研究室の人たちでも、私の考えはかなりよく知ってくれているはずなのに、そんなふうに考えているのが多いらしい。
そうではない。無明をしりぞけながら進むのが「生きる」ということなのだ。
生命力は無明から来ているのではなく、むしろ無明によって邪魔されているのである。
昔から仏教では、無明を自分と思うなと教えて来たのだが、今なら無明を生命と思うなと教えた方がよさそうだ。
私はこれまで、ものの欠点を探すという意味での「批判」はきらいだといって来たが、
欠点を探してはいけないなどといわずに、文化の現状を正視して、いけないところを指摘し、消し去るのは、
非常に大切なことではないかと近ごろ思っている。その気になれば私はもともとその方は得意なのである。
悪いものをみつけて指摘するだんになると
「大将師直いずくにか。彼のこうべを取らずんば、再び生きて還るまじ」と勇気りんりんとしてくる。
「徹底的につきとめてやるぞ」という気持である。だから(美と無明を同居させる)ピカソを見てもすぐにわかったのだと思う。
それなら、(自分の果たすべき役割として)慈悲の菩薩よりも不動明王をかって出た方がよさそうである。
禅の方で「是心是仏」という言葉がある。これはいいかえれば
「真善美はみな君の心の中にある。それを求めて向上せよ」ということである。
しかし、人の顔の中の無明が見えない現状では、向上などといってもわかりはしない。
真善美のわからない者に向上せよといっても、向上のしようがない。
なまじっか真善美がわかると思って、その道を進むのがいちばんいけないので、
たとえば、ある程度絵がわかるばかりに、それ以上のレベルの絵がわからなくなる。
浪花節がわかるという程度で安心しておれば、
(第二の心特に真情の水の流れに気づかず依存しているのに、第一の心特に末那識における世間智を誤って主体にしてしまい)
人情大臣以上には出ない。これでは向上とは逆の結果になってしまう。
正法眼蔵
私が『正法眼蔵』を買ったのは満州事変が終わって日支事変がまだ始まっていない頃である。
そしてこれを十数年座右に置いた。そうすると終戦後二年くらいになった。
私は『正法眼蔵』の扉は「心不可得」だと思った。その扉を開く鍵は「生死去来」だと思った。
この鍵ならば私はもう持っている。過去世が懐かしくて仕方がないのである。
ある日私はじっと座って思いをこの「生死去来」の四字に凝し続けていた。
時はどんどん流れていっただろう。
と、突然私は僧たちにかつぎ込まれた。
見るとそこは禅寺の一室、中央に一人の禅師が立ち、左右に僧が列立している。
私はその人が道元禅師であることが直覚的にわかった。
畳を踏んで禅師に近づくと、まるで打たれるような威儀でしばらく顔が上げられなかった。
顔を上げると禅師は私に無言の御説法をして下さった。
無言の御説法というのは不思議なものでそれが続いているうちは私は絶えず不思議な圧力を感じ続けていた。
やがてまた畳を踏んで退き、僧たちにかつぎ出された。
われに返ると私は部屋の畳に座り続けていたのだが、足の裏にはまだ寺院の畳をふんだ感触が残っていた。
以後私は『正法眼蔵』はどこを開いても手に取るようにわかる。
しかしこれは言葉には言えない(絵のような本であるため)。
このことは今日に到っても少しも変わらない。
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学
プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、
前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。
(第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、
理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、
ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。
フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という
数論幾何の本を出したときのことである。
この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、
ジーゲルはこの書物の記述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、
「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。
「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。
ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。
昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。
『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」と、いきなり尋ねてきたという。
ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、
心から共感し、共鳴していたのである。
第十論文
この序文では技術上の細部には立ち入らずに、
私がこの論文を書き終えて感じていることを説明するために、
遠い昔から日本民族に固有の感情である季節感に訴えたいと思う。
今日の数学の進展には抽象に向かう傾向が見られる。
われわれの研究分野においてさえも、諸定理はますます一般的になり、
それらのうちのいくつかは複素変数の空間から離れてしまった。
私はこれは冬だと感じた。
私は長い間、もう一度春がめぐってくるのを待ち続けた。
そうして春の気配を感じさせてくれる研究をしたいと思った。
この論文は一番はじめに摘まれた果実である。
268 考える名無しさん 2014/05/17(土) 00:17:43.15 ID:
春宵十話 1963年2月
数学の世界で第二次大戦の五、六年前から出てきた傾向は「抽象化」で、
内容の細かい点は抜く代わりに一般性を持つのが喜ばれた。
それは戦後さらに著しくなっている。
風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。
こういうところもいいが、人の住めるところではない。
そこで私は一つ季節を回してやろうと思って、
早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。
※265訂正 偏在→遍在
グループ
ファクション
セクト
フリーダム
保守
リバティ
進歩
形態主義イデオロギー
権威主義オーソリタリアニズム
結束主義ファシズム
全体主義トータリタリアニズム
人種主義レイシズム
国民社会主義
国家社会主義
修正社会主義
資本改良主義
修正的社会主義
修正資本主義
修正的社会主義(人間的社会主義)
修正的社会主義(新社会主義)
小林秀雄「学生との対話」
小林:僕は教育者じゃないから、教師としては人の前に現れません。
そんな資格を僕が持っているとは思わない。
僕はまあ、隠居だな(笑)。
横丁の隠居でいたほうが、何かをすることができるのではないかと自分で思っています。
いろんな人にいろんな素質がありますよ。
271 考える名無しさん 2014/06/03(火) 04:14:33.29 ID:
小林:自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。
僕はそういうことも考えたこともある。
正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。
自分が死のうと覚悟したときに、やっぱり人を殺す覚悟をしますな。
そうじゃないですか。
小林:僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか。
僕は学校の先生をしていたことがあって、「質問は?」とよく学生に訊いたものです。
すると誰かが質問するね。「何だ、おまえ、なぜそんな質問をするか」と怒ったりした(笑)。
そういう覚えがあります。実際、質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる。
学生:私は大学で自然科学の勉強をしています。
自然科学は、「事実の解明」ということが最大の目的ですが、
そういう学問の性格と、私自身が信念を持って生きていくということは、どのように関わりあうものでしょうか。
小林:あなたは、信念と知識が対立することに不安を持っているのですね。
孔子は「知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず」と言っています。
知るというだけでは、大したことはないのです。
知ることが楽しみにならなければ、つまり、喜びにならなければ、知ってもしようがない。
信念があるとは、喜びがあるということです。
僕が若い人の質問を受けて一番困るのは、「好む」とか「喜ぶ」とかが基とならないで、
ただ「知る」ということから質問されることです。
偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。
その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。
科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、
その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、
逆にこの喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。
小林:ソクラテスの「無知の知」と孔子の「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり」とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。
偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。
そしてみな大変やさしいことをいっています。
本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。
真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。
現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。
そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを、私は強く感じます。
たとえばデカルトには、何か近代人の及びもつかない単純性がある。
明るくて、建設的なものがあり、陰気なものは影も形もないのです。
けれども、現代の思想には、憂鬱、皮肉、裏面、女々しさが倒錯して第一義にあるかのようです。
デカルトには実に男性的なものがあって、そこに私はひかれます。
徳川の勃興期の儒学などにも、明るさと単純さがありますよ。
本居宣長もそうです。大変明るくて、皮肉とか陰気とかいうものがまったくない。自分の仕事を信じきっているのです。
現代に欠けている一番重大なものは、そういうものではないかと思っています。
胡蘭成「岡潔集 第5巻しおり」
私は岡潔先生に叱られたことがある。
去る秋、和歌山の座談会で、私は学生の質問に答えるに、
アインシュタインの相対論がニュートンの力学より複雑、進歩であったと言った途端に、
これは俗説、口のすべりだったなと自ら気にするが早いか、岡先生の怒鳴に遇った。
『バカ、何がアインシュタインの相対論はニュートンの力学より進歩した、何が進歩して複雑になるもんか、進歩しては単純になるのだ』と叱った。
※本当の進歩とは、>>2のように、無限に捨てることで無限に自ずと向上していくということです。
唯識論であれば、…、10、9、8、7、…と行くのではなく、…、7、8、9、10、…と行くのです。
276 考える名無しさん 2014/06/18(水) 21:31:53.46 ID:
人は極端になにかをやれば、必ず好きになる。好きにならないのがむしろ不思議だ。って岡は言ってるもんな。
277 考える名無しさん [sage] 2014/06/19(木) 01:29:17.69 ID:
例えば2chとかねw
戦後、日本酒の個性が無くなって甘くなったし不味くなったって小林秀雄が言っとったわ
ワインやウイスキーは良くなったけど
279 考える名無しさん 2014/06/19(木) 04:08:49.03 ID:
物を生かすのを忘れて、技術的につくりだす方ばかりをやりだしたから日本酒が不味くなったんやろうな
小林秀雄「学生との対話」
女子学生:先生のお仕事は非常に多岐にわたっておられて、
初期はフランス文学、そののち近代文学の評論とか音楽や美術などについて書かれ、
そして最近は本居宣長という古典のご研究をされたわけですが、
そのお仕事の中にはやはり一貫して流れているものがあるのだと思います。
先生が、こう言っては失礼かもしれませんが、人生の秋を迎えられた時、
宣長という人物の研究をせざるをえなかった、その由縁、いきさつをお伺いしたいのです。
小林:これは非常に簡単なことでしてね、自分の一生というものを振り返ってみますと、僕は計画が立たない男です。
計画を立てて何かをしたということは、まずないんですよ。
その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にか宣長さんにまで向いていったのです。
僕の仕事は、何か一つの感動とか、ある直覚とか、そんなものがいつでも先にあるのです。
はじめに、漠然としたものかもしれないけれども、明瞭な感動があるんです。
そういう感動に次、次、次とこう連なって出会ってきた。
これは計画ではないですね。僕はついに計画が立たなかったな。
女子学生:その計画のなさというなかにも、振り返ってみられて、
一筋通っている道というものを先生は意識されておられませんか。
小林:行き当たりばったり、というのが人生というものではないかな。僕はそんなふうに思うんです。
ただ、計画的な学問というのはありますよ。学問を究めるために一生、ある道を計画的に進んでいく例はたくさんありますが、
僕みたいな生き方のほうが普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思えます。
どうしてこんなふうに生きてきたのか振り返った時に、自分がこうなった原因がどこかにあったような気がするだけではないのですかね。
よく僕は、お前のやってきたことを書けと言われるのですが、困ってしまうのです。
無計画にやってきて、その結果こんなふうになっただけだから、うまく書けないんですね。
小林:だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。
ただ、感動から始めたということだけは間違いない。
感動というものは、いつでも統一されているものです。分裂した感動なんてありません。
感動する時には、世界はなくなるものです。
感動した時には、どんな莫迦でも、いつも自分自身になるのです。
これは天与の知恵だね。人間というのは、そういう生まれつきのものなのだな。
感動しなければ、人間はいつでも分裂しています。
だけど、感動している時には、世界はなくなって、自分自身と一つになれる。
自分自身になるというのは、完全なものです。
莫迦は莫迦なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものになるのです。
つまり、感動している正体こそが個性ということですよ。
僕の書くものはいつでも感動から始めました。
だから、書いたものの中にいつの間にか僕というものが出てくる。
感動の結果として主観が出てくる。
感動がどこかからやってきたのです。
ですから、あなたのご質問のように、なぜこういうふうになったかという筋道を辿ることはできないのだね。
女子学生:読む側としては、先生の作品一つ一つを丁寧に読んでいけば、
そこに先生のご一生がある、ご生涯を辿ることができると思いながら読むことにします。
小林:いや、そうお褒めに与かっちゃあ、恐縮しちゃいますがね(笑)。
新社会主義
※旧社会党の解党時にできた新社会党の政策とは似て非なる政策です。
社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、
すべての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。
これをしなければ民主主義とは言えない。
しかるに自民党屋はそれをせず、社会党屋は逆に労働者階級というものを固執して、
日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている。「新社会党」の生まれざるを得ないゆえんである。
あなた方は日露戦争前、広瀬中佐の喜びに満ちた生活を露都で見たロシア娘が、
これがほんとうのよろこびというものかとすっかり慕うようになって、
中佐戦死の報を聞いて後一年間ぐらいは亡き人を慕う心をおさえることができなかったという話しを知っていますか。
わかりやすく言えばロシア娘がべたぼれにほれたのである。日本でも江戸時代は恋わずらいで死んだ娘が何人もいる。
ロシア娘の話しは石原慎太郎氏によって知った。
真の喜びは必ず心の安定と生き生きとした生きがいとを伴うものなのである。菩薩道だからそうなるのである。
娘はそれにひかれたのである。
終戦後は物質主義から生まれた個人主義(閉鎖主義)、
さらにそこから生まれた積極的・消極的利己主義を文章に書いて日本国憲法の原文とし、
それによって憲法法律を作っただけではなく、米人デューイの思想で裏打ちして、
社会通念を作り、新学制を作ったのである。
この方針の教育で京都や博多の日教組の先生たちに教えさせると、「にこりともしない娘」を作ってしまう。
こんな娘に、真の女性の幸福が欲しければ感覚の世界に住んではいけない、情緒の世界に住みなさいと教えてもわかるだろうか。
今の日本は散々にもつれた糸巻きのようなものである。まちがっているところを指摘しようと思えばいくらでもある。
しかしそれをしても無意味であろう。
問題はどこから解きほぐすとうまく全体がほぐれるかということである。
私は前にちょっと言ったように社会主義を新社会主義に変えるところから手をつけていくとよいということを最近やっと発見したのである。
もう一度言うと、日本における新社会主義の真義は日本という国から労働者階級というものを雲散霧消させるにある。
これが「新社会主義」である。
なぜ私は日本ではそれができるに違いないと思っているかというと、それが「神道」だからである。
新社会主義から実践して行けば、もつれてしまった糸巻きの糸のようなこの国の人の心がうまく解きほぐされよう。
日本が神国だと信じることができた軍国主義の戦前が、ばかだったと思いながらも、懐かしい人たちに言いたい。
内宮さまがほんとうにお望みになっていたのは、この民主主義の本義である。
日本が神国であるというのは、内宮さまのこのお望みを国が実行しようとすれば、
八百万の神々が必ず力を貸すということである。この望みが達成せられないわけはないのである。
私は日本民族の歴史を精しく(くわしく)しらべて、今では確かにそうだと言い切ることができる。
日本民族三十万年の歴史は、前半二十万年ほどは神々はかような内宮さま、外宮さまを生み出すことに努力している。
後半十万年はその内宮さま、外宮さまの御光が遍くこの国の人たちに届くようにと実に苦心している。
日本歴史をそのつもりで見れば、四次元の絵にたとえると、神々の運筆の霊妙さにただただ驚くばかりである。今度の敗戦もそうである。
あなた方は日本が神国だという意味が少しおわかりになったでしょうか。
もしそれを実証したければ、政治の目標をしばらくこの新社会主義の実現にしぼって下さい。
人々の心がさらりと解けていきますから。それが証拠です。
そしたらやはり日本は神国だという気がしてきます。
もっと確かな証拠が欲しいとお思いでしょうが、神々はそれを欲しないのです。
日本が神国だと知ってもらうと新社会主義を心から実践できる。
日本はやはり神国であったかと知るためにはともかく新社会主義を実践してみて欲しい。
私はそう言っているのである。
国を良くする基
武士道の多くの人たちが命を捨て、高知の坂本龍馬といった解脱した人たちも働いて、
もちろん働いたのは龍馬一人ではないでしょうが、
解脱した人の足跡はわかりにくく、はっきりしているのは龍馬一人だからあげるのですが、
ともかくそういう人たちが働いて明治維新ができます。
つまり、憲法が発布され議会も開かれ、それが今日に至っているわけです。
ところが、前に言ったように明治以降、文学的にみても大いなる喜びというのがない。
なぜこんなにおかしなことになってしまったのだろうか。
江戸時代には明確な階級制がありました。
この階級制度というのは、家康が自分の子孫が長く幕府をやっていられるようにというので考案したものです。
この関係は、単にそれが全体にあっただけでなしに、各藩内でもそれが厳しくあった。
土佐、山内藩にはことにそれがひどかった。
なぜかというと、あそこは掛川一万石から一躍二十万石余りになったのだが、
土佐藩にはそれまで長曽我部の家来だった郷士と、山内家の家来だった上士という二つの系列があって、
この郷士と上士の差別が実に徹底していたということです。
坂本龍馬は郷士の家に生まれていますが、
彼は「アメリカでは女中のはしばしまでが大統領を選ぶ権利があるのだというが、ええのう」と、こう言っている。
本当に良い政治を実現するには、女中のはしばしまで龍馬のような心を持たせなければいけないわけです。
つまり、制度と心の両方あってはじめて「ええのう」になるのです。
龍馬は、みんな人は自分のような心だと思った。
ただ、政治形態が日本、とりわけ土佐藩になくてアメリカにあったから――これは勝海舟かなんかに話を聞いたのでしょう。
それで「ええのう」と言ったのです。
しかし明治以降、長い間にこの龍馬の憧れは実現してきている。
つまり、半分だけは明治維新はできたわけです。ですが、残り半分が残っています。
今、日本の政治の形式では、一人一人が一票を持っている。
とすれば政治的に日本の国を良くするのは何かというと、
一番影響を与えるのはつまるところ、各人の道徳的価値判断になるわけです。
一票をどう入れるかということで一番変わる。
従ってこの政治形態をそのまま守り抜くなら、
国を良くするも悪くするも一番関係するのは道徳的価値判断ということです。
これが最も大切で、理想としては龍馬のような解脱した人にもっていくべきです。
だから目標に少しでも善い人を善い人をというのが国のうまくいく所以でしょう。
政治形態を変えればこれが易々とできると考えたところに、
龍馬ら、その後をずっと続いてきた人たちの大変大きな誤りがある。
日本民族というのはどういう心の色彩りの民族なのか、我々は川の流れるままに流れてここに来ています。
日本は儒教、仏教と千三百年真剣にやってきて、しかし小我を抑えることはうまくいかなかった。
これは非常に難しい。
けれどそうする以外に、つまり小我を抑える以外にはこのままの政治形態で国を良くする方法がない。
それを知っていただきたいと思います。
コーヒー、まだ来ない?
(岡潔)
あなた、懐かしさありますか。
精神分裂病(統合失調症)っていうのがあるでしょう。ボヤーッとする!(笑)
懐かしさが足りない。前世に利己的過ぎる。ただボヤーッとする!
それが懐かしさです。だから利己主義であっちゃあ駄目なんです。
懐かしさが足りなくなる。分かりますか。
精神分裂病なんて、症状だけ良くなっても、本心からは治らないですよ、あんな者ちょっと。
前世でひどく利己的だった。それで初めから、粘土でいえばサクサクした粘土。それで、ある所へ来て破綻が出る。
そしたらボヤーッとする。まとまらない。
懐かしさって言葉でいったって内容分からんでしょう。それを知らなきゃいかん。
人は一個の有機体と普通言ってますが、一つの「もの」でしょう。
何故、一つの「もの」にまとまってるのかと思わないといけない。
懐かしさです。足りないと精神が分裂する。
※精神疾患についてはごくごく大雑把に言うと、
自他対立するのが統合失調症、自他対立しないのが躁鬱病、
阿頼耶識にいる幽霊に憑依されてしまうのが癲癇となります。
(質問)
先生は今までの長い人生の中で、一番自分の弱さというものを感じたことがおありですか。
(岡潔)
ありません。私は日本が滅びなければ良い!それ以外、何も考えてやしない。
弱さも強さもない!だから偉さもない!大体、「自分の」ってものがない!
自己を見い出すなんちゅうのは意識通してるでしょう。
意識を通さんていう分り方ができるのが分らんていう人は、六十日ぐらいの赤ん坊を見てごらんなさい。
自己を見い出すなんていうのはもう前頭葉なん!懐かしくて仕方がないんです。
そこに主宰性はあっても、自己なんてものはない!
自己を見い出すなんていうのは最もいかん!そう教えるから困る!
それは前頭葉、だから意識を通さんといってる。赤ん坊は自己を見い出してますか!
あなたは前頭葉しか知らん!容易に治りません。(爆笑)
徹底的に分らん!意識って何か分らんでしょう。というのは無意識になったことないんだから。
(岡潔)
本当に大切なことは言葉では言い表せないという、それを知りなさい。
君、実感て何かわかってんのか。
(質問)
はい。やっぱり、あのう、先生、どういうんですか、悲しいと思った時に涙が出るとか。
(岡潔)
そんなの実感じゃない!全然、わかってないんだから。
(質問)
わかってないと思いますか。
(岡潔)
それは感情だ。あのう、わかってやせんのにわかったと思うのが一番いけない。
僕の本をわかってないとこをわかってないとして読みなさい。そしたら、わかって来ることもあるから。
季節感は実感です!だから僕は「秋風が吹けば、もの悲しい」と書いたんです。
あれは実感です、私(わたくし)の入れようがない。涙はうれしい時に出るんです!
これが頭頂葉。悲しい時に出れば前頭葉。それで見分けたらいい。
松岡正剛の千夜千冊 947夜
情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
「自分」がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして「自分」に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。
これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、
この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。
たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。
※947夜は春宵十話についてでしたが、別な岡の著書についても触れられていました。
逸品!「岡潔博士みやげ作品」企画展~JR橋本駅
和歌山県橋本市の名誉市民で世界的な数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)直筆の
俳句・短歌・金言を記した木工芸品を紹介する、
第1回特別企画展「岡潔博士のみやげ作品展」が、同市古佐田のJR橋本駅改札口前のショーケースで開かれている。
制作者の橋本市岡潔数学WAVE役員・奥村浩章(おくむら・ひろあき)さんは
「日本人の情(じょう)を最も大切にした、岡博士の思想を、ぜひ、作品から感じてほしい」と言っている。
9月20日(土)まで。観賞無料。
展示されているのは、岡博士の顔のイラストや、直筆の俳句・短歌・金言などを記した額(がく)や団扇(うちわ)、
風鈴短冊(ふうりんたんざく)、栞(しおり)など約40点で、
南部(なんぶ)風鈴以外は高野杉を使用、奥村さん独自の特許技術で、優雅に仕上げられている。
木工作品に記された俳句は、例えば「めぐり来て梅懐かしき匂ひかな」「秋来ぬとひとり蛙を聞く夜かな」、
短歌は「かす漬の海豚にビールや夏の風」など、そこには自然感や季節感があふれている。
金言は「私が初めて道徳教育を受けたのは、数え年五つの時だった。
これは祖父から受けたもので、一口にいえば『ひとを先にして、自分をあとにせよ』という教育だった」と、
人間にとっての大切な生き方、心がけを簡潔明瞭に説いている。
これらは、岡博士の著書「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」「春風夏雨(しゅんぷうかう)」などから抜粋、
岡家の承諾を得たうえで、直筆を作品に生かした。
また、地元の童話作家・佐藤律子(さとう・りつこ)さん著の伝記絵本「岡潔博士ってだーれ?」も展示されている。
この橋本駅改札口前のショーケースは、橋本市観光協会がJR西日本の協力を得て、
いわば「常設展」として、国の伝統的工芸品・紀州へら竿や、地場産業・高野口のパイル織物などを展示してきたが、
「今後はもっと郷土自慢の品々を見てもらおう」と、今回から「特別企画展」に変更した。
奥村さんは「岡博士は数学の世界的な難問を見事解決し、文化勲章受の章者ですが、
それとともに岡博士は人類の正しい生き方を説き、日本人にしか持ち合わせていない〝情の世界〟を最も評価された先哲です」と強調。
「橋本駅に来られた際は、ぜひ、木工作品をご覧になり、岡博士の思想に触れてほしい」と言っている。
(2014年8月15日 橋本新聞)
結婚式での、碁の話で盛り上がるエピソード好き。
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岡博士の「感情の世界」を、哲学的論理として、もう少し具体的に
説明を願います。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の一)
「我嫌悪ス、故ニ我有リ」
経済学部二年 男子学生
朝起きる。カーテンのすき間から差し込む陽の中に細菌のようなホコリが舞っている。
めざめればめざめるで混乱と汚濁の波が押し寄せて来る。「お早う醜い世界よ人生よ」
求めるのは明晰と云う快楽なのに、現実はどうにもならない雑音と絶望的にまとまりのない雑多なモノ、物、者、つまり……「死刑」だ。
電話をしなければならない。電話ボックスをさがす。マーケットの地下の赤電話。
めざす電話のまわりに、これはどうしたことか中年の女が十数人群れている。
グループで旅行か、妙にウキウキとペチャペチャとけたたましい会話である。地獄でもパック旅行へ行きやがれ。
とうていそこで電話などする気になれず、人工的なナマアタタカイ陽の中をなるべく汚い空気を吸わないように街を歩いて行く。
なんだか顔中にクモの巣がかかったような不快な気分だったのである。
電話をみつける。番号を書いたノートがカバンの中からなかなか出てこない。
「ウニー、引きちぎってやるか、このズタブクロ」やっと取り出してペラペラページをめくっていると、
はさんであった、たった一通のラブレターらしきものが地面に落ちる。「ほんとかよ、神様!」
人生はどうしてこうドジなのだ。地に落ちた物を拾う人間のみじめさよ。
たかが電話をかけるだけで人間はこんな業苦を味わわなければならないのです。
「あーもしもし」。舌がもつれてうまくしゃべれない。声帯がやぶれた笛みたいに不安定で不快だ。
ド ド ドモル。「馬鹿にするな、本当に」
ノート、ノート、ノート。学生にはノートは絶対必要。
ノート、ノート、ペン、ペン!あーあ、かかえていたカバンの上から上着がズリ落ちる。
「クソー、殺セーッ!」心臓はドクドクドクと不愉快をそのまゝのオフビートで打つし、体中の血管がヒクヒクとあえぎ、
たかが電話するだけで、油汗たらしてこのしまつだ。
考えてみると電話というものは更に便利だけど、またその便利さを知っているが故の不便さもある。
とかく文明の利器とやらはそういうものであろう。
自宅に電話がない場合にはいちいち外に出掛けていかなければならないし、雨降りの時などは億劫でしようがない。
ましてや十円玉がない時など、タバコの自動販売機でハイライトを二つ三つ買って、その釣銭を集めねばならない。
ハイライト党ならともかく、他の党の人達はどうなることやら。
それも百円玉が昔なら一枚、今なら二枚も使わなければならず、
百円玉もない場合は夜更けの暗闇にひとり青白く光っている女神様のような公衆電話ボックスを恨みがましく思い描かねばならない。
なければないですむのだけど、思いたったときしか、また電話などめんどうくさいもの。
ダイヤルを廻す。すると呼び出し音が聞こえ、相手が出て来る。もしもし……。
ぼくの声は相手のすぐ耳許で聞こえるだろう。たぶんすぐ隣りで話しかけるよりもよく聞えるだろう。
ぼくの声は、その音波に応じた電流に変られ、電話線にのり、近くの電信柱の碍子(がいし)を横切り、
途中どこかの街を通り、見知らぬ家々を飛びこえ、相手の受話器にほんの数秒でとどく。
もしできることなら、その電流の通った電線の上をどこまでも歩いていきたい。きっと素晴らしい旅になると思う。
そんな夢に反して、もう心はズタズタだ。
汚い街よ、汚い人間よ、其の中を歩いて行くだけだって立派な冒険小説が千本も書けるのに。
太平洋一人ぼっち。大都会全部ぼっち。
駅の階段をのぼる。「おい、ぶつかるな、触るなオレに。ナマ温い醜い体温こそ、最悪のブルースリーだ。」
人間の有史以来、ラッシュの駅の階段程、みじめで薄ぎたなく苦痛な空間はない。
あわれな階段、はずかしめられた階段、階段よ反乱を起こせ。起って人間をコンクリートにたたきつぶせ。
醜い人間だが、大量の血だけがかろうじて許せる美をもつ。
電車にのる。妙な位置に立っている奴がいるので肩がぶつかり落着きがわるい。
中があいているので入ってしまおうとするが、新聞を拡げて立ちふさがっている。濡れた傘を無神経にぶっつけてくる。
衝突せよ。ダンプにだろうが、なんだろうが。
まわたで首をしめられる不快よりは、ポーンとあっさり一丁あがりのほうが親切というものです。
それにしても周囲を見わたしてみると、みんな素知らぬ顔をして平然としている。
さて、今日もこれから一日が始まるのです。
「モーターボートの収益金は明るい国づくり、豊かな暮しのために役立っています」。
まずはともかく、やり切れぬ現実と「ひと目会うその日から、殺意の花咲くこともあるが」、へたに刺せば刃物が腐る。
そして十代や二十代の人ばかりでなく、三十代四十代でいまだにグレている人間がいるから気をつけましょう。
また世の中をスネた考えばかりでなく、人とは美しいものである。これを考えて見る必要があるのではなかろうか。
以下(「春雨の曲」の)著者の言。
人の「こころ」には三種類ある。真心、第一種マナ識、第二種マナ識。
真心は造化の心即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」の末流であって、
生物が生きているのはそのためである。人の場合はこのこころは植物性神経系を使っている。
第二種マナ識とはこれとは全く異質のこころであって、動きもすれば彼らなりに雰囲気もわかるが、
生きているわけでもなければ、人のこころがわかるわけでもない。
わたしは且つてα₁⁰にこんな白昼夢を見せて貰ったことがある。
わたしの部屋のテーブルが自分の上に、わたしの好みのコーヒーと角砂糖とミルクとを載せて、
足も動かさないで滑るように動いてわたしの前へ来た。
このテーブルの主人公が第二種マナ識である。天上ではこの心を使って、スマートな機械を造っている。
造化は主としてこの心を使って人の「からだ」(第七識中、下層)を作ったのであって、
前五識即ち眼、耳、鼻、舌、身はこれに属する。
人が第七識下層にいるとは、この心が其の人の主人公になっていると云う意味である。
スポーツを奨励し過ぎたり、衝動判断を奨励したり、善悪を快不快によって判断させたりしていると、
人はこの第二種マナ識の国へ行ってしまうだろう。新学制を根本から改めなければならぬ所以である。
※α??はα01に訂正。
日本民族の人は然し、西洋型無明に冒されているために第七識下層にいるのだから時が来れば目が覚める。
現に此の文の筆者には、文の末段に自覚の曙光が仄かに見える。
一般に云って其の人の大脳前頭葉と云うフィルムで造化の放送する無相の情景をテレビ写真に撮れば、
此の人の場合にはこんな文章となって現像されるのである。
この文の描いている情景は(携帯電話やスマートフォンの無い時代に)朝起きて電話を掛けに行ったと云うごく簡単な出来事である。
読んで見ると中々文才があるが、悲願が支離滅裂である。この人はビールス型無明(ウイルス型無明)に冒されているのである。
(帰郷してからの言葉。本当はこの文章は造化の無相の二尊T-Aがお撮りになったテレビ写真の現像です。
造化のお使いになっている有相のフィルムは、第十五識、第十四識、第十二識、第十一識、第九識、第七識(純即ち上層)の五種類です。
これは「朝の電話」とでも題すべき情景でビールス型無明の患者の典型です。一々言いませんが以下の文例はすべてそうです。)
「ここから何時も」より ガン
前頭葉(第1の心)なしにはガンは起こらん。これが本質的なことです。
無理にこしらえることはできる。が、自然発生のガンは前頭葉を持たない動物にはない。欲界です、これは。(省略)
頭頂葉(第2の心)なんかが肉体を支配するのが正しい。私はそうなってるとガンは起こらないと思います。
少なくとも頭頂葉が体を支配してたら、無闇に背が伸びたり、おかしな顔つきになったり、そういうことは決して起こらない。
頭頂葉が支配しないから、前頭葉がいろんなこと言いだすんです。欲界の心がね、ここは欲界なんです。
※前頭葉が暴走して植物神経系(自律神経系)のうち交感神経優位になると、
細菌と比べてのウイルスの相対的増加、リンパ球と比べての顆粒球の相対的増加、便秘などに繋がり、発癌に直結します。
「マガジン9 みんなのこえvol294」より 養老孟司氏に進言する。
※法学も医学も第七識下層という前提です。
最近、『アエラ』に発表された解剖学者養老孟司氏の福島原発事故に関する文章を読んだ。
彼はこの中で、原発推進派も原発反対派も喧嘩両成敗であるかのような主旨のことを書いている。
こんな養老氏に比べれば、今回の事故をきっかけに、
原発賛成派から反対派に転じた「つくる会」の創設者の一人であった西尾幹二氏の方がずっと潔い。
養老氏には自分の間違いを認める勇気がないらしい。
私はこの文章を読んで、かつて歴史学者の羽仁五郎が文化勲章受賞の数学者岡潔を評して
「数学の世界ではどれほどの権威か知らないが、こと世の中のこと、
社会のことになるとまるで田舎の巡査みたいなことを言い出す」と言っていたのを思い出した。
この羽仁五郎の言葉はそのまま養老孟司氏に当てはまる。
養老孟司氏よ、『バカの壁』のような愚書を出したり、
今回のような妄言を書くくらいなら解剖学に専念するか、
虫でも追いかけていた方がずっと世のため人のためになると進言したい。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の二)(第8稿では第五識)
「日本の農奴制」
経済学部二年 男子学生
紀元前二世紀頃から日本に於て文化の歴史が開始された。
そして世界と同じように、日本に於ても最初の文化人は農民だったのである。
そしてこれらの古代日本の人民、農民の残した土器の美しさにも表わされている彼等の生活の美しさははるかに遅れながらも、
世界の人民原始農民のそれにつらなっていた。
当時の日本人民も世界の原始社会に於て推定された生活をしていたと推定される。
その氏族社会としての性格、その原始共産社会としての性格、分業は既に始まっていたが、
支配者と支配されるものとの階級の差別はなく、氏族のメンバーとしての総ての男女が原始的な自由平等友愛に於て、
絶えず会議をして、その原始社会を運営していた状態が未だ不完全だが学問的に推定されつつあり、
今後、さらに詳細に推定されるだろう。
世界の人類の原始氏族社会が、そこに於ける生産力発達につれて崩壊して、
そこに少数の支配者が人民の多数を奴隷として所有し使役する古代奴隷社会が現われたように、日本に於ても魏志倭人伝によれば、
紀元一世紀頃から人民の多数が少数の支配者によって所有され使役されるに到ったことが知られる。
日本の古代奴隷社会は、その特色を持っている。
そして、この特色をもって、日本の古代に奴隷はいたが、人民の多数が奴隷として支配されていたのではなく、
したがって日本古代を奴隷社会として規定することはむつかしい、とする研究者達の説がある。
が、これらの説はちがっているとみられる。
第一に古代の日本に於て、人民の男女が公然と奴隷として公認され、売買され所有され、
当時の主要の生産としての農業にこれらの奴隷が使役されていた証拠がある。
第二に、これらの奴隷の数が、人口の総数に比べて、むしろ多数ではなく、
古代ギリシャに於ては全人口の九割内外が奴隷であったのに比べて
古代日本に於ては全人口の二割内外が奴隷であったに過ぎなかったことは事実であるが、
それと同時に、見落してはならないことは、日本の場合には奴隷が極めて少数の特権的支配者の手に集中的に所有され、
即ち全国民の生産又は富の程度は非常に低く貧しかったのに、その程度の生産が特権階級の手に集中的に所有され、
全人口的には数の多くない奴隷が極めて少数の特権階級、
天皇及び其の周囲の貴族又地方の豪族などの手には実に大量に数十または数百、数千人というように集中させていた事実である。
そして第三に、特権階級の支配としての古代日本天皇制の下に、
日本人民の大多数は実質的に奴隷として又は奴隷に近い状態として、いわゆる部民として世襲的に支配されていたのである。
ゆえに、日本の古代社会がまぎれもない奴隷社会であり、しかも非常に残酷な性格を持っていた奴隷社会であったことがはっきりわかるのである。
日本の古代の社会の奴隷制も日本の原始的な氏族社会の崩壊のあとに、新たに成立したものであったが、
そこに氏族社会末期の社会関係の残存または癒着が外被として利用され、ここに日本のいわゆる氏族制度というものが形成されていた。
従来の日本の歴史家がこの氏族制度を氏族社会と混同していた理由もここにあった。
氏族社会は原始的平等を本質としたものであったが、氏族制度は階級制度を本質とし、
氏族社会の崩壊後に発生した奴隷制を基礎とした社会であった。
ところが日本に於ては、そこに氏族社会の残存がヨーロッパの古代に於けるように完全に清掃されずその残存の癒着の外被の下に、
氏姓階級という支配階級が形成され、その下に、当時の日本の人民の大多数が、あるいは純然たる奴隷として、
いわゆる氏上すなわち氏及び姓という特権的位階を持つ階級に直接隷属して労役に服し、
売買はされないが贈与されることはあった部民すなわち実質的の奴隷に近い隷属民として、
又はこの部民と同等の社会的地位に置かれたいわゆる戸すなわち半奴隷的な人民として支配されたのであった。
その間に、日本の人民がこうして氏族制特権階級のために奴隷として支配されることに対し、
しきりに反抗反乱するに到った事実は、古事記や日本書紀などにも表われているが、
これ等の奴隷反乱に対し、貴族豪族は個々別々ではそれらの奴隷反乱としての人民の反抗を圧服出来なくなるとともに、
ついにこれらの貴族豪族が連合して、この日本人民の奴隷反乱を圧倒しようとした。
この日本人民の反抗としての奴隷反乱の弾圧のための豪族連合、
ここに日本武尊の東征とか四道将軍とかのいわゆる諸国平定の物語りは、
歴史的記事ではなく、天皇の支配を恒久かつ強力に見せかけようとした製作であったが、
そこにも奴隷反乱弾圧の体系の中心としての天皇制の起源と本質とが表わされた。
古事記、日本書紀にしばしば天皇が恐ろしい人物として残虐極まりない行為をもって記されていることについて従来の研究者の説明は正確でない。
これらの記事は、古事記・日本書紀が客観的な歴史叙述であることを示している。などといった説は馬鹿気ている。
正しい解釈は次のように考える外あるまい。
即ち、日本人民が奴隷として支配される生活に反抗し反乱するようなことをすれば、いかに恐ろしい目にあわなければならないか、
このことを日本人民に対して威嚇するために、
日本天皇は充分に恐ろしい残虐な専制支配者として示される必要があり、
又そうした事実があっただろう。
ヨーロッパの古代の社会は、奴隷制に基礎しつつ、農業及び商工業の高まりにより、
氏族社会未明の残存を完全に清掃し、貴族王朝の交替又は更に進んで共和制の実現に到達したが、
日本に於ては内部の経済的発達と周囲経済的との相互作用の加速度がヨーロッパのように高まることが出来ないが、
アジア的停滞凝固のもとに、氏族社会末期の崩壊の残存癒着が外被として作用されながら、
奴隷所有者階級の集中から奴隷制国家の君主としての天皇制が成立し存続し、
そこに、そのとき既に大陸に中国に於て封建支配の社会が発達していた影響を受けて、
日本の古代奴隷社会はヨーロッパの古典古代のような発達の階段への到達を実現することなく、
原始的な階級支配としての奴隷に原始的な階級支配としての農奴制がまじった
云わば半奴隷的半農奴的段階から封建制農奴社会に移って行ってしまった。
日本にヨーロッパの古典古代のような時代が実現されたことがなかったことが、
近代に於けるヒューマニズムの問題に影響していることをここに附言して置こう。
ヨーロッパの近代のヒューマニズムは中世の封建的支配が残酷な抑圧となった時、
これに対して近代的な人間的な欲求を主張するために、
古典古代の共和制的な自由平等が愛の人間的文化の教養に助けられることができた。
しかし、日本に於てはヒューマニズムがヨーロッパに於けるように、
中世の封建的支配をハッキリと批判するに到ることができなかったし、
又その際、古典古代の共和制的な人間的文化教養に助けられるというような古典古代がなかった。
参考文献、「日本人民の歴史」、羽仁五郎著、岩波新書版。
此の文の筆者及び其のオリジナルテキストの「日本人民の歴史」の著者羽仁五郎氏は第二種マナ識の国の大衆の二人である。
真心の国に住む日本民族と常日頃見たり想ったりわかったりしている情景が全く異質のものであることを
此の文とわたしが此の節の冒頭で述べた文とを比較して知って欲しい。
日本の天皇家についてはみなさんに次の書をお読みになることをお勧めする。
「宮中見聞録」木下道雄著 新小説社、明治百年記念出版
また、胡蘭成さんと云う中国人がある。汪兆銘政府の若手のチャキチャキ、法制局長官兼情報局長官をしていて、
この政府が瓦解した時難を日本に逃れ以来最近まで長く日本にいた。
今は台湾の何処かの大学で経済学の講義をしている。
此の人は日本語で多くの著書を出して、日本や中国に西洋思想が東洋に取って如何に恐るべきものであるかを警告しているのだが、
其の中の名著「建国新書」(中日新聞、東京本社出版)でこう云っている。
「日本の政治は「祭政一致」と云い日本固有の宗教を基盤とした政治である(舜の政治がこれに相当する)。
中国の政治は「王道政治」と云い聖賢の道を基盤とした政治である(堯の政治と舜の政治がこれに相当する)。
然るに西洋の政治には全く基盤が無い。
それで古代メソポタミア民族、古代エジプト民族はもと日漢民族と同族であったが、
何しろ西洋の政治にはBedeutungが無いから自ら奴隷制度を作って自ら穢すことによって滅んでしまった。
西洋の奴隷制度はすべて此の二つの先進民族から出ているのであって、日漢民族には奴隷制度は無い。
中国の帝舜の政治も日本の天皇の御政治も皆無所有心を基盤として行われたものである。」
わたしも胡蘭成さんと全く同意見である。
天皇が奴隷制度や搾取の親玉かどうか日本歴史を辿ってみよう。
崇神天皇は「天が下を敷いて家とすべし」と云っておられる。
これは人本然の心に従って固定された自他の別無く住もうと云う意味である。
大体マナ識には真心の「固定された自他の別を持たない」と云う心境は想像することも出来ないのだろう。
仁徳天皇を時人は「聖の世」と讃えている。
舒明天皇はこう云う名歌をお詠みになっておられる。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の 今宵は鳴かず いねにけらしも
元寇の時、亀山上皇は皇祖伊勢神宮に身を以て国難に殉ぜんと祈願を凝らされた。
明治天皇を文人はこう讃えている。
降る雪や 明治は遠く なりにけり(読人不知)
聖天子 上に在る野の 長閑なる(漱石)
武蔵相模 山なき国の 小春かな(漱石)
かばかりの めでたき帝 在しける 御世も今日より 古となる(与謝野晶子)
明治天皇が神去られた(かむさられた)時、わたしは小学六年だったから知っているが、全国民は号泣したものである。
今上陛下が身を捨ててお止めにならなかったら、今度の大戦で日本は滅んでいただろう。
此の文章は感受(感動、感興、感銘)が全く麻痺してしまっていて少しも水々しさが無い。
まるで埃及(エジプト)のミイラのような感触である。
これはユダヤ型無明に冒されているのであって病は前者に比べてずっと古いように感じる。
前者には自覚の曙光が仄かに感じられたが、此の文章は夜の闇が深い。
(帰郷して後のわたしの評。これは造化に対する第一の反逆者のテレビ写真の現像である。
第一蓬来宮は既に討伐の準備をしているだろう。)
1974年5月3日
日本人は明治以後、西洋人の猿の人真似っていうか、もっと徹底的な真似してる。
だから自分で見える目を持っていて、西洋人が見なきゃ使やしない。だから西洋人の言ってる自然と同じものを見てる。
だからそういう意味に対しては、西洋人はつまりめくらだからどうしようもない。
じゃあ日本人はっていうと、目は見えるんでめくらじゃあない。しかし西洋人の真似をして見ない。
これは目はめくらじゃないんだからっていう点は良いように見えますが、
見える目を持っていながら見ないでめくらの真似をしているんですから、
こういう日本人を何と呼んだら良いでしょう。
いろいろ考えてみたんだけど、名付くるところ無し。
およそ義理にも知などという言葉を口にすることのできない動物です。
かけらも無い!一体、何を知と言ってる!
知とは知を愛するという心がある。それら抽出したものが知です。知を愛するとはどういうことかわかりますか。
今の学生見て、先生見て、わかる筈が無いと思う。
ベネディクト夫人の「菊と刀」っていうのがあると聞いてる。
そして日本人の道徳の根源は恥である、アメリカ人の道徳の根源が罪であるのと違ってると、そういうこと書いてあるに違いない。
ところがね、読んでませんが、その恥ですが、何を恥じるかということですが、西洋人が恥じるものは人目を恥じるのに決まってる。
ところが日本は、少なくとも明治以前までは、言い伝えになってからも戦前までは、「俯仰天地に恥じず」である。
だから何に恥ずるかが、つまり恥ずかしいと思う心が全然違う。
ところが、このことを言った批評家が一人もいない。
ていうのは「菊と刀」の翻訳、ベストセラーの一つだと聞いてた。
だから、どれっくらい駄目かわかるでしょう、今の日本人は。
こういうのを物真似猿っていうんだけど、名付くるところ無かったけど、何とか名前一つ要るから、物真似猿と付けた、ムーミン物語の。
前頭葉と癌の関係は?の部分が多そうだけれど
禅僧の生活は、癌の成長が遅くなると見る、転移しにくくなる可能性はある。
機械のボタンを押すのを強制されない生活をすると睡眠の質がよくなる。
316 考える名無しさん [z] 2014/09/23(火) 05:10:40.99 ID:
ちなみにタバコの害はそれほど高くない
岡潔当人も、交感神経優位のときと、副交感神経優位の時では
タバコの味が違うとおっしゃってました。
317 考える名無しさん [z] 2014/09/23(火) 06:16:06.12 ID:
病は気から、精神・身体の陰陽のバランスを観ながらタバコでも、酒でも。
岡と同じ和歌山出身の南方熊くずだって、自然と戯れながらタバコスパスパ
お酒ゴクゴクですよ。
318 考える名無しさん [z] 2014/09/24(水) 06:40:35.98 ID:
英語の義務教育化、小学校からの義務化により日本人ダメになる。
あと、アメリカの心理学では・・って一体なんだろうか?
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 精神統一
ただ、潔の精神統一の仕方は尋常ではなかった。それは、
「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらねばいけない。
それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念にしたがって生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない」
という理念に基づいているもので、まさに命がけであった。
たとえば、中学三年のある試験のことであるが、あまりにも集中しすぎた潔は、
(副交感神経が代謝性の下痢に働くだけでなく交感神経が代謝性の嘔吐にも働き)試験が終わって教室から出るや否や食べたものをみな吐いてしまい、
それから二週間ほど食事らしい食事ができなかったということがあった。
誰しも集中し過ぎて気持ちが悪くなるという経験が一度や二度はあるだろうが、潔の場合はそれが徹底していたのである。
当然、そういうことを続けることが体に良くないことは明らかである。
潔も、徹底した精神統一は非常に激しいので、大部分の人間には必要でも、
秀才を夭折させる恐れがある、医者が灸を研究して万一に備えるべきであると言っているほどだ。
320 考える名無しさん [z] 2014/09/26(金) 00:27:06.50 ID:
脳の前頭葉の加熱状態で、学生の顔つきがひどくなる。
たえず切れ切れの意思が働くという状態があぶない。
週刊新潮 平成26年10月2日号 藤原正彦の管見妄語 266
山荘でテレビのチャンネルを回していると、日本人らしき人々が妙な言葉を応酬していた。
まったく聞き取れないのだが、字幕に出た翻訳から、
青森県下に住む津軽弁と南部弁の人達が、互いの言葉がよく分らないまま悪口を言い合っているようだった。方言好きの私は釘付けになった。
青森県は戦国時代に盛岡の南部藩に属していた。ところが十六世紀後半に家臣の一人が謀反を起こし、
しばらく後に弘前藩そして弘前城を作ったため、県の中央を南北に貫く奥羽山脈の東が南部藩、西が弘前藩と二分された。
以来、両藩の間には紛争や政争が絶えず、廃藩置県により合併し青森県となったが、
今日に至るまで必ずしもしっくりとは行っていないらしい。
人間や言葉の混合がさほど進まず、旧藩の境あたりではたった二キロ離れただけで言葉がよく通じなかったりするという。
この番組でも南部側の八戸の男性は、「弘前の人間は裏切ってばかりで信用できない。そもそも新幹線も通らない田舎だ」と見下し、
弘前の若い女性は「八戸なんて魚を食べられるだけの所。外灯も三本位しかない田舎」と笑っていた。
三十年ほど前、私がテニスで腰骨にひびを入らせ入院した時、付添い婦は岩手県のおばさんだったが、
隣りのベッドの付添いである青森県のおばさんの言葉について、「わがらね」としきりにこぼしていた。
津軽と南部の喧嘩は私にとって格別のものだ。
弘前は私が最も愛した歌手奈良光枝さんの生地、従って私の聖地である。
今も彼女のCDを始終聴くし、先年には弘前を訪れ、愛する人を没後三十年も放っておいたことを墓前で詫びた。
一方の八戸近隣は、私の尊敬する「武士道」の著者、新渡戸稲造の祖父と父親とが苦労して開拓した地である。
すなわちこの喧嘩は私にとって愛人と尊師との戦いなのだ。
方言は交通機関の発達する前に形作られるものだから、アメリカにはほとんど見られず逆にヨーロッパではどの国にも見られる。
二十年余り前にアメリカで、ケンブリッジ大学B教授、ロンドン大学V教授と三人でランチをとっていた。
方言の話題になった時、Bが「イギリスではちょっと離れただけでまるっきり違う英語を話したりするんだ。
誰かがロンドン出身なら僕は半径五マイルくらいの正確さでロンドンのどこか当てられるよ」と豪語した。
二人ともロンドン出身であることを知っていた私が、「では互いにどこの出身か当ててみて」と言うと急に二人は当惑の色を浮かべた。
階級に関係するからだろうが構わず「さあ」と催促すると、互いに口ごもりながら答えた。
一方がロンドン北部の中上流地域で、他方がロンドン東部の貧しい地域だった。
共にドンピシャだった。
私は方言や郷土自慢を聞くのが大好きだ。
郷土愛は美しいし、郷土自慢は素晴らしいユーモアだ。
私自身、信州の山奥の言葉を大切にしている。毎夏一カ月、母の生家に程近い山荘で過ごすが外ではもちろん内でも方言で話す。
先祖の誇るべき遺産を無知蒙昧な家族に伝えたいからだ。
子供の頃に祖母から教わった方言には自信がある。近年著した自伝「ヒコベエ」では方言を駆使したが、
地元の八十代後半の人から手紙で、「毎年の夏休みだけでよく完璧にマスターしたもの」とほめられた。
中央本線茅野駅から三里ほど山に入った小さな部落の六十年前の言葉だ。
今ではけしからんことに、この部落でも八十歳以上の年寄りしか方言を話さない。
三十以下の若者などは無味乾燥な標準語ばかりだ。
皆、私のくり出す方言は分ってくれるが少し意外といった顔をする。
英国紳士を彷彿とさせる洗練された物腰と風貌の私が、訛りに訛った山奥言葉を話すからだろう。
若い女性などは時々、「わあ、じいちゃんばあちゃんと同じ言葉だ」と感慨深そうに言う。
「父ちゃん母ちゃんと同じ」とは言わない。この時ばかりは私もへこむ。(了)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識中層の文例(第8稿では第六識)
「ルースベネディクト「菊と刀」に関する抜粋及び要約」
経済学部二年 男子学生
この文章はすべてアメリカで生まれ、育ち、そして死んだルース・ベネディクト女史によって書かれたものである。
それ故この研究は特筆に値する。
第一章 研究課題-日本
日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で最も気心の知れない敵であった。
まじめな観察者がある国民について書くとき、その国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、
「しかしまた彼等は不遜で尊大である。」とつけ加えることはない。しかし日本人に関しては例外であった。
こうした矛盾が日本に関する書物の縦系と横系になるのである。
われわれは日本人の思想の感情の習慣とそれ等の習慣がその中に流し込まれる型を理解するように努めねばならない。
わたしが日本人を研究する上で重要な現地調査は両国が交戦中であるためにあきらめねばならなかった。
が、多くの学者の日本人に関する研究資料を受け継ぐことができた。
そして、私は一たびどこが西洋人の仮定と日本人の人生観とが合致しない点であるかということがわかり、
彼等が用いている範疇と象徴とについて多少の理解が得られれば
よく西洋人の目に映る日本人の行動の多くの矛盾は最早や矛盾ではなくなる、ということを発見した。
私が日本人といっしょに仕事をしていた時に彼等の使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、
やがてそれは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。
徳と不徳とは西洋人の考えているものとはまるでちがったものであった。その体系は全く独特のものであった。
それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的であった。-日本の長所も短所も含めて。
第七章 「義理ほどつらいものはない」
日本の「義理」というものは人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらわる風変りな道徳的義務の範疇の中でも最も珍しいものの一つである。
それは特に日本的なものである。それは日本独特の範疇であって、
「義理」を考慮に入れなければ日本人の行動方針を理解することは不可能である。
日本人はすべて行為の動機や名声やその本国において人々の遭遇する色々のジレンマについて語る時には、必ず常に「義理」を口にする。
また日本人はしばしば、「私達は義理のために正義を行うことが出来なかった」と言う。
また、義理の規則は隣人を自分と同じように愛するということ(キリスト教でいう隣人愛)とも何の関係ももたない。
日本人は自分が真心から自発的に寛大な行為をすることを要求しない。
彼等は人が義理を果たさなければならないのは、「もしそうしなければ人々から恥をかくことになるからである。」と言う。
「義理」にどうしても従わなければならないのは、世間の取沙汰が恐ろしいからである。
事実、「世間に対する義理」はしばしば英語では「世論に従うこと」と釈される。
また辞書には「世間への義理だからいたし方がない」が、「世人はこれ以外のやり方を承認しないであろう」と釈されている。
第九章 人情の世界
日本人は妻に属する領域と性的享楽に属する領域との間に垣を設けて明確に区別する。
この二つの領域はともにひとしく公然と認められている。両者の区別はアメリカ人の生活におけるが如く、
一方は世人に対して公然と自認するが、他方は人目を忍んでこっそり足を踏み入れるという事実にもとづいてなされるのではない。
両者が区別されるのは、一方が人間の主要な義務の世界に属するのに対して、他方は些細な気晴らしの世界に属するからである。
このようにおのおのの領域の「ふさわしい位置」を定める習慣が家庭の理想的な父親にも粋人にもひとしく、
この二つの領域を別な世界と観ぜしめている。
日本の戦争映画は分列式や軍楽隊や艦隊の演習や巨砲の誇らしげな偉容を景気よく描きだすことはしない。
日露戦争を扱ったものにしろ、中国事変を扱ったものにしろ、それらが執拗にくりひろげる情景は、
あいもかわらず単調な泥濘の中の行軍、みすぼらしい戦闘の苦痛、勝敗の定まらない作戦である。
幕切れのシーンは勝利でもなければ、“バンザイの突撃”ですらない。
それは何の変哲もない、深く泥中に埋もれた中国のどこかの町での宿営の情景である。
あるいはまた三度の戦争の生存者で、それぞれ不具、びっこ、盲目になった親子三代の日本人を写し出す。
あるいはまた兵士が戦死した後、銃後にあるその家族が夫であり、一家のかせぎ手だった人の死をとむらい、
勇気をふるい起こしてなんとか彼なしに暮らして行く姿を写し出す。
日本人の観衆だからこそ、これ等の映画の後援者たちは日本の観衆はそれを見ても決して反戦思想を抱くようにはならない、
ということを心得ていた。
第十三章 降服後の日本人
戦後、日本が連合国に対して敵対の態度を示すのではという危惧は必要なかった。
その理由は敗戦国民ないし敗戦国の政治経済に関する普遍的真理にあるというよりむしろ、日本の特異な文化の中に存在した。
日本以外の国民であったならば、おそらくこのような信義にもとづく政策はこれほどの成績を収めることはできなかったであろう。
日本人の目から見ると、この政策は敗戦という冷厳な事実から屈辱の表象を取り除き、彼等に新しい国策の実施を促すものであった。
そして彼等がその新しい政策を受け入れることのできた理由はまさしく特異な文化によって形づくられた日本人の特異な性格にほかならなかった。
日本の文化においては、はなはだしい強権主義ということは問題にはならない。
子供がごく幼いころの父親と接した経験によって学んだものが、日本の社会のあらゆる面に通ずる一つの型となる。
その階層的地位の故に最高の敵意を寄せられる人々でさえ、自らほしいまゝに権力をふるうことがなく、
階層制の首脳を占める官吏が実権を行使することがないと云うことが日本の特異性である。
また、天皇制の保存は非常に重大な意義があった。それは巧みに処理された。
最初に天皇の方からマッカーサー元帥を訪問したのであって、マッカーサー元帥が天皇を訪問したのではない。
そしてこのことは日本人にとっては、西洋人には理解しがたい大きな効果を収めた実物教育であった。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。
「春雨の曲」の著者の言
正しく真心を伝うる日本民族の人の世が、ベネディクト女史にはこんな索々として砂を噛むようなものに映るらしい。
アメリカ合衆国と云う第二種マナ識の世界の人の世の情景のように、色どりも輝きもない灰色のものに映るのだろうかと、
予想はしていたものの目の当り見て全く驚く。
一つ彼女の眼をよく調べてみよう。
それには「自他の別の固定度」をしらべるのが速い。よみ直してみよう。
彼女の智力は五感の下にある。
一口に西洋人と云っても、真心の人もあれば(例、ファーブル、サン=テグジュペリ)、
第一種マナ識(即ち自我)の人もおれば(例、数学者アンリー=ポアンカレー、カント)、
第二種マナ識(即ち生きようとする盲目的意志)の人もいる。此の第三種類の人は、智力は五感や意識の下位にある
(尚、この文の筆者である男子学生は第一種マナ識であり、そこから第二種マナ識を見て書いているため、第七識中層の文例となる)。
人のレシーバーには第十一識、第九識、第七識(上層)、第一種マナ識、第二種マナ識の五つがあって、
日本人の認識者は第十一識のレシーバーを最も主要なものとしているが、
無明のために昼は第二種マナ識にいて、夜に第十一識にいる人が大半である。
女史はそんなことは想像することも出来ないのである。
か様に女史は第二種マナ識人であるが、教養もあれば研究心も強い。此の点は買ってやらなければならぬ。
然し此の人が見ると日本民族の人の世は固有の幽遠な色どりがすっかり消えて、まるで灰色一色に見えるらしい。
私の旅路と比べて欲しい。
(帰郷して見て、其処まで云うようでは、造化に対する反逆と見る他ないのではなかろうか。――アメリカ型無明)
漢字が多くて読みたくない。
332 考える名無しさん [sage] 2014/10/02(木) 23:25:23.49 ID:
オカケツは春宵十話と春雨の曲で同じことを書いている。
しかし、短期間で結果を出さなければならない科学者や法学者にありがちだが、
飛ばし読みされると汲み取る意味合いが違ってきてしまう。
言い換えれば、そういうタイプの人は大衆ということだ。
オカケツは最期までそれを嘆いてたな。
333 もみじ [momiji] 2014/10/07(火) 22:57:17.09 ID:
332 短時間で結果をと出すことの弊害といえば
今の日本の早期教育、英才教育。
自然を楽しむ時間を削って、ペーパーの文字の暗記
計算ばかり、これでは顔つきが貧相になる。
334 もみじ [momiji] 2014/10/09(木) 18:08:50.69 ID:
登下校する、小学生、中学生、高校生
だれも英語でおしゃべりしてない、日本の国際化は難しい。
10代で、喜怒哀楽のないペーパーテストばかりでは厳しい、
ますますひきこもりが増えるから、
感情表現のない英語を密室で学ばせるのはやめて
虫取りをさせたほうが良いのではないか?
「嬰児に学ぶ」より 真心
(岡潔)
人は懐かしいと思い、懐かしい人に親切にすることを嬉しいと思い、そうやってりゃ頭頂葉は発育する。
赤ん坊に見習うておれば頭頂葉はよく発育する。
創造するから嬉しいんじゃない、嬉しいから創造するんです。
それから見たって共産主義や日教組の先生の教え方、悪いのは分るでしょう。(拍手)
もう一度言いますが、後頭葉から、嫌なアメリカ色や共産主義色を科戸の如く一掃して、日本の心の大空を綺麗にしましょう。
そのあと、人類を滅亡から救い、滅び行く西洋文明の代わりに、日本文明をつくろうじゃありませんか。
そういうことに真心を傾け尽くして生きるということは、男子一生の快事である。
女性もまた、これに対して拍手することを惜しまない。(拍手)
336 考える名無しさん 2014/10/11(土) 18:51:05.74 ID:
(質問)
例えば、優等生、必ずしも良くないという言葉が・・・
(岡潔)
大抵悪い。(笑)
(質問)
それから劣等生、必ずしも悪くないという言葉がありますけれども・・・
(岡潔)
大抵悪い。(笑)本当にこんな教育なんとかしてもらわないと!
(質問)
例えば、何々しなければいけないとか、試験には必ず受からなきゃいけないとか、
そういう意志で固められたという、そういう生き方というのはいけないですね。
(岡潔)
前頭葉の意志です!私の言うこと聞いてやせん!(拍手)
あのねえ、男と生まれて来た、人とでもよろしい、生まれて来た以上は、
真心をそれに傾け尽くして悔いないというようなものを見い出して、それに真心を傾け尽くそうではありませんかと言ったん!(拍手)
安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る
【ストックホルム=待田晋哉】ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会の
ペール・ベストベリー委員長(78)が21日午前(日本時間同日夕)、読売新聞の取材に応じ、
1993年に死去した作家・安部公房が同賞の受賞寸前だったことを明らかにした。
ストックホルム市内の自宅でインタビューに応じたベストベリー委員長は、
安部公房について「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と強調した。
さらに、「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。
井上靖が、非常に真剣に討論されていた」などと他の日本人作家についても、過去の選考の経緯を語った。
近年、受賞の可能性があるとされる村上春樹さんについては、「生きている作家については答えられない」と明言を避けた。
アジアでの受賞者が少ないことについては、「作家がどこの国の出身かは見ない。その文学を見るのです」と断ったうえで、
「数多くの優れた人がいる。私たちは何人かに目をつけている」と述べた。
また、候補者の小説が、アカデミーの会員内で読めない言語で書かれている場合、
専門家に翻訳を依頼したり、助言を受けたりする試みを続けていることも明らかにした。
(2012年3月23日15時21分 読売新聞)
「薬師寺講演」より ノーベル賞
井上靖さんは誠によく知ってる、時代が下がる程悪くなって、どう仕様もないと。
しかし、そういうことはよく知ってて偉いもんですが、外国ばかり勉強して日本は大急ぎでやったんで、家持を褒めてる。
あれは威張らせん、もうちょっと日本語勉強しろと、お前の言ってる原理だけは認めるが。
しかしね、今ノーベル賞を僕にやらしたら井上靖。川端康成のようなのは白痴美ともいう。(笑)
要するに――言ってる間がないかもしれない。
つまりね、文明というものがあって、時間が経つほど良くなって、それで何だろうな。
文明というものがあって、良いものであって、時間が経つ程良くなって、と決めてるでしょう。
だからこれをイズムというんです。人の造ってる魔物。
この魔物の魔力が恐ろしくて、このまま行けば人は間もなく化石すると言ってる。その通り。
例えば「夜の声」。
ああ、大急ぎで、こんなことしてたら遅れっちまう。
あのう、ノーベル賞くれるというのは、あんな奴等にもわかるという意味ですよ。(笑)
もう、あれまたよそへ行かんように。
だけど、白痴美も美には違いありません。(笑)
例えば谷崎潤一郎は美じゃない。
外省人
本省人
「建国新書」より 序文
わが中国の歴史から見れば、政治制度のことはおほよそ二千年を一期としてゐる。
夏殷周三代を合せて約一千八百年、経済は井田制、政治は尊王の諸侯制。
秦漢から清朝まで約二千年、経済は私有制とは言へ、均田の精神を保つてゐた。産業の全面的調和をも保つてゐた。
政治は尊王の郡県制。この二期の共通点は祭政一致、即ち礼楽之冶であつた。
私の研究では、今から先の二千年を一期とすれば、経済は機械工業(原子力工業を含めて)と手工業と農業との共存制、
即ち機械工業で欠乏の憂目をなくし、それで手工業と農業を本位として、ますます発展させる。
数学では算術、代数、幾何などを組合せて解析幾何学とする、
といふが如く、機械工業、手工業、農業を統一調和して新しい産業体質が出現するはずである。
政治は中国と日本と印度と相互に賓主の礼を以て協同体を結ぶ。そして孟子のいふ王天下を達成する。
なほ政治の最高原理である古来一貫の祭政一致は改めることはない。憲法や代議制度を当然廃すべきである。
私が日本に来たことは幸せである。わが中国ではなほもいま西洋の科学や産業にひるむと共に、
西洋の政治制度や美術に対する気持も複雑で、澄み切つた見識は知識人に殆どないのである。
しかし、日本では明治維新以来の業績をみると、西洋に対して怯気を持つていない。
私はむしろ日本の神道や祭政一致に因つてわが黄老を知り、礼楽之治を知つた。
しかも私は、今日、日本人である世界最高級の数学者や理論物理学者の見識に接し、私の考へ方に心強いものを得た。
日本で所謂福祉国家が文明に加へたなまなましい傷は殊に顕著であり、しかも世界中最も良識清明の一人の民主評論家が日本に在り、
私にとつて非常に幸せな勉強の環境となり、為に私は所謂民主に対する何の心のこりもないのである。
かうして私は当今、諸方面の最善の思想を政治や経済の新制度の発想にまとめることができたのである。
私が、ここに政治や経済の制度についていふことは、すべての最も真実のもの、最も美しいものと相通ずる。
百世以前の聖人も百世以後の聖人も、私と同じことをいふほかはない。それほど絶対的なものである。
しかもこれは中国だけのためでなく、同じく日本のためでもある。
私がここに言つてゐる政治制度などは、世界的の数学や物理学の如く、西洋もこれに逆ふべからざるものである。
唐君毅教授は私のこの著が世間から認められることの必要を云云したが、私は天下起兵を経て之を実行すると答へた。
以前は黄帝の征伐を経て礼楽政治を啓き、なは秦漢の天下起兵を経て制度の新型を創造した。
いま私の著にある新制度の発想は、辛亥起義、国民革命軍北伐、人民解放軍等の行動を経て、
なほこれから先、中共を亡ぼす軍事行動を経て、之を認め、実現するわけである。
※文中の数学者は岡潔であり、理論物理学者は湯川秀樹を指します。
湯川秀樹と朝永振一郎は岡の京大講師時代(京大卒業後からフランス留学まで)の教え子であり、
二人とも岡を非常に尊敬していた逸話が残されています。
また祭政一致は岡によると王道政治より一段上であり、世界最高の政治形態であるとのことです。
但し実現には百年以上必要であるとされています。
実際に祭政一致が成功した例は過去に日本には無く、中国ですら舜の時代しかありません。
胡蘭成は以下のような発言もしています。
「『天下英雄会』は天照大神の神魂である御鏡を拝し、建国新書を伝習し、
祭政一致の新制度の樹立と日華印三国平和同盟の結束を期す」
「ここから何時も」より プロ野球
(質問)
長時間に渡り、先生にお話戴きました。どうもありがとうございました。(拍手)
(岡潔)
えーと、これ、今、六時半?五時半。そしたら、あのねえ、七時から巨人-広島戦がある。(笑)
今、一番強いの広島です。その次、巨人じゃあるまいかと思う。
その前、広島、十一連敗している。それを阪神が強チームに変えてくれてある。(笑)
今が一番強いでしょう。僕、巨人ファンだから言うけれど、一緒にデータ積もってる。
(司会)
それじゃ拍手でお送り下さい。(拍手)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識上層の文例
「人間は何故に生きるか」
理学部二年 女子学生
私はある友人から、こう質問されたことがある。
「何故、あなたは生きているのか。」
実に難しい質問であった。急なことで返答に困り、ただおろおろするばかりであった。
全く予期していないことであっただけに考えようにも考えがまとまらなかった。
その日、一人になって考えてみても考えれば考えるほど頭の中が混乱してきて、自分なりのはっきりした解答は得られなかった。
私は人間としては失格であろうか。そうかもしれない。目先のことばかり考えていて人間として生まれてきて、
何故に生きるかという大事なことを考えていないようであるならば、確かに失格であるかも知れない。
こう考えていくと人間は全て、この最も重要な事を真剣に考え、自分としての解答をもっているのだろうかと詮索したくなる。
これは、私のひがみ根性かもしれない。自分が結論を導き出せないために、他人も同じであろうと考えるこの安易な考え、
その反面、私以外の人は全て解答を得ているような気がして、自分だけがとり残されたと感じる気持ち、
矢張りこんなことを考えていること自体、人間として失格なのかも知れない。
私達がこの問題を考え、そしてその得られた解答が良しにつけ、悪しにつけ、これは絶対に考えなければならないことである。
他の動物に比べ、より進んだ考えるという能力があるのだから。
したがって、自分なりの解答をもっている人には私は心から尊敬をする。
いつなんどきこういう質問が発せられないとも限らないのだから、解答を持っていることは肝要であるかと思う。
人間として生まれたからには、何故に生きるかと云うことを自分なりにはっきりして置く必要があるのではないだろうか。
この世に生存する最も有能な人間が、何故に生きるかということを知らずにいては人間としての確立はない。
人間は全て孤独であるのだから、人それぞれの考えに生きて行くことが妥当であるかもしれない。
だからといって、社会集団の一員である私たちは自分本位な考えで行動してはいけない。
たとえ、それが自分の欲求を満たしてくれるものであって、その目標のために生きているのであっても。
だから、自分本位な考えはゆるされるべきものではないのである。
この観点に立っていうならば、人間は道徳性に基づき、
人間らしさをもって自己の目標に向かってまい進し、人間として生まれて本当によかったと思う心を得ることにあると思う。
そこに人間の価値があるように思われる。これは虚言でもなければ虚構でもない。人間はこうあるべきものであると思う。
私は人間の偉大さを信じている。人々は人間の偉大さを信じているだろうか。
金銭で何もかも処理される現代では人間の偉大さというものもわからないであろうか。
これは何も偉くなるとか、裕福になるとか、そういう一般的なことではなく、
何か神聖なるものが、人間の中に生まれながらにして潜在しているように思われるのである。
そんなことはない。夢を見ているのさ、と言う人がいるかもしれないが、私はそう思いたくはない。
人間ってそんなちっぽけなものではない。もし、そういう人がいるなら言ってやりたい。あなたはもうおしまいだと。
人間というものは、こういう問題を時として考え、ふと忘れ去る。
そういう繰り返しが続いているのではないだろうか。
私たちは人生の苦しみを味わい、堕落した精神を鍛え直し、平凡でもいい、とにかく自分の道を素直に歩むことが必要であり、
そのためには今までの私たちのおろかさ、はかなさを早く悟り、自覚し、人間らしさの方向へと進まねばならない。
そこに、人間としての価値があり、真の姿がある。
そして、険しい山を登るように一歩一歩着実に進まねば人間の確立はない。
それは限りのないものであって、これで足りるというものではない。
こう切り詰めていくと、人間は何故に生きるかというと究極的には目標は人間の確立にあるのではないだろうか。
しかしこういう難しい問題は簡単に結論を出せるべきものではないのかもしれない。
筆者はこう云っているのである。
この女子学生は第七識上層にいる。何故かというと、この作文は「自我の世界」について書いているのであるが、
この世界を上から見て書いている。だから低くとも「法我の世界」にいる。
以下は著者が云うのである。
此の女子学生は非常に質がよい。忘我の境に直ぐ入れる所が殊によい。二尊の秘蔵っ子なのだろう。
それで「物真似猿型無明」(後天的西洋型無明の一種)の土をかぶせて、この種をそっと活けて置かれたのだろう。
今年びっくりする程に沢山日本の国のこころの野に新芽が出た。
これは造化が後天的西洋型無明と云う発芽に恐らく良質の土を使って、よい種を撰んで発芽をさせになったのではあるまいか。
去年の十月の初旬から同じ月の二十七、八日までかゝって造化は西洋型無明と云う反逆者を討征なさった。
このことが種にかぶせてあった土を取り除いたことになっていそうに思う。
この女性の如きを「立志」と云うのである。
(帰郷して、この辺からを芽生えに数えてよい、識には拘らぬ)
第七識下層の人が第七識中層に行くにはどうすればよいか。
第七識中層のから第七識上層に上るには何が枢機か。
第七識上層は方に「志を立てるべき秋」であるが、それにはどうすればよいのか。
問題は此の三つである。
此の三界の人々は何を自分と思っているかと云うと、第七識下層の人は第二種マナ識(第五識)を自分だと思っている。
思い方は一度もそれを疑った経験がない。
第七識中層の人は第一種マナ識(第六識)である自我を自分と思っている。
その思い方はそれを疑うことまでは出来ないが、他人のことも考慮する。
だから諭して戒律を守らせることが出来る。戒律はたとえばわたしの祖父の、
「他(ひと)を先にして自分を後にせよ」。
第一種マナ識人は、つまり第二種マナ識人の棟梁の材なのである。だからこれが可能なのである。
今一度、第二種マナ識人にもどって、どうすればよいかを考えよう。
これは若しアメリカ人のように先天的の第二種マナ識人は到底短時間ではどうにもならないと思う。
(直観的にであるが治療には二十万年位かゝると思う)
それで日本民族に限ろう。
日本民族は度々云うように認識者(即ち夜の意識)は低くとも第十一識にいて、
第十一識は造化が昼夜の別なく外来の無明を払拭している世界だから、
日本民族の人々の夜の意識は今日でも健在である。
だから江戸城明け渡しの時のように「信を腹中に置いて説け」ば必ずわかる。
それで残る問題は第七識上層の人に志を立てさせるには?
男性に向っては直下に造化の悲願を説くのがよく、
女性に向っては夫の悲願を感受して、それを助ける日々の楽しさを具体例を以て説くのがよい。
大和島根には、大和撫子に説く実例にことかかない。たとえば「神風連血涙史」。
あげ
351 考える名無しさん 2014/10/29(水) 19:51:03.84 ID:
大学の教養で岡潔学ってやるのはどうかな?
352 考える名無しさん 2014/10/29(水) 19:53:20.32 ID:
1 通史・真善美妙・無明・精神統一法・邪智型平等性智(世間智型意)1-2 16
2 歌で読み解く日本歴史・小我と準中核と中核3
3 唯識論33・秋が来ると紅葉(二つの心)99-105
4 昭和への遺書・日本民族(新社会主義)・市民大学東京校72-74 283-287
5 曙・ここから何時も・何も知らないのに83-85
6 葦牙会発足質問編111-113・嬰児に学ぶ114 335-336・1969年10月26日161-163・京都産業大学講義録144-145
7 風変わりな憲法(大脳生理)197-200 238-244
8 情と日本人179-196
9 春雨の曲(第十一識以降の旅路)95-98
10 試験(春雨の曲に倣って作文)
11 予備(大学によっては講義)
12 予備(大学によっては講義)
13 予備(大学によっては講義)
14 予備(大学によっては講義)
15 予備(大学によっては講義)
アンカー消してるのはサーバーエラーを防ぐため。
岡の時代は旧制中学5年、旧制高校3年、旧帝国大学3年で最短23歳まで学生でいる必要があった。
四年制大学の場合は最短22歳で終了だから、いかに滅茶苦茶な教育に変わってしまっているかがわかる。
20歳頃に人間が一通り出来上がるのに、教養教育については現在では1年しかやらない大学が増えているため、
こうなったら思い切って既存の教養教育を半期に圧縮・削減し、残り半期は岡潔学のみにしたらいいと思う。
岡自身、講義は長時間やらず、1回の授業時間につき最低でも10分以上余らせる性格だったし(最初の5分しか授業しない日もあった)、
京大教育学部生指導時は三角法を15回の講義のうち3回しか行わなかった(しかも3日間の集中講義にしてしまった)。
ただし、現在では出席しない場合が考えられるので欠席の度に400字以上の作文を宿題にする。
旧制高校期にあたる教養教育期は時間の余裕を持つことが何よりも重要であると岡も言っているため、
岡潔学も10回で終わらせ、後は週休7日制なり自動車学校に行くなりさせた方がいい。
岡によるとアルバイトはあまり推奨しないとのこと。
本当は高校でも5教科以外の授業時間を少し流用して岡潔学をやった方が良いと思うが、
高校のカリキュラム編成はある意味大学以上に難しいため、ここでは触れない。
354 考える名無しさん [sage] 2014/11/02(日) 02:52:55.83 ID:
猫ひろし!
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岡潔!
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355 スネ夫 [sage] 2014/11/02(日) 20:28:57.50 ID:
技術→7識
えぐい音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
猫ひろし!
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岡潔!
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技術→7識
蘞味のある音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
354 考える名無しさん [sage] 2014/11/02(日) 02:52:55.83 ID:
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355 スネ夫 [sage] 2014/11/02(日) 20:28:57.50 ID:
技術→7識
えぐ味のある音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第八識の文例
「おなかのすいた世界」
外国語学部二年 女子学生
「おきさき様、人民はパンがなくて飢えております。」「なぜお菓子を食べないのかしら。」
これは仏ルイ王朝の栄華をきわめて、革命のギロチンで生涯を終えることになったマリーアントワネットの逸話だとされています。
この話を思い出したのは、スリランカ(セイロン)の女性首相であるバンダラナイケさんが
「ケーキづくりはやめて、パン増産につとめるべきである。」という命令を国中のパン製造業者に出したからです。
この国の慢性的な食糧不足は、今年はとりわけ深刻で、首相みずからが畑でクワをふるって家庭菜園には国が補助金を出しているということです。
「山イモや木の実を食べよう」と政府が訴えているということを聞いて、思わず戦時中の日本のことを連想してしまいました。
お隣りのインドも二年つづきの大干ばつになりそうだし、バングラディシュでは食糧不足のところに国土の四分の一が洪水にあって、
米作半減とまでいわれて、天の無情に泣いているということです。
人々は木の葉まで食べて飢えをしのいでいるというけれども、六百万人に今、刻一刻と餓死が迫っているそうで、
家畜はバタバタと倒れて、象の群れは水を求めて餓死し砂漠で大移動をはじめたといわれています。
この世界的な食糧不足の原因はというと、異常気象、人口増加などいろいろなことが言われていますが、
中には地球がゆっくりと氷河期にはいりつつあるためだ、などというような不気味な説までがあげられています。
氷河期が来るというようなわけではなくて、これは永い冬、そして冷たい夏の傾向が強くなるだろうという仮説なんだそうです。
とにかく、今年の世界の米作はというと、東南アジアの軒並みな減産がひびいて昨年の生産高の5%減というところになっていて、
ソ連の小麦は大凶作、そして中国の米作も雨不足でもって、この十年来はじめて前年の水準を下回るともいわれています。
食べすぎ、飲みすぎに悩んでいる私たち日本人が現在増えていると聞くのに、
海の外では人類の三分の二が毎年のように飢えに苦しんでいるということです。
日本人はこのような世界の現状を知っているのだろうか。
もっと現実の世界を見極めるべきではないだろうか。
此の作文の筆者は第八識にいる。
何故かと云うと、此の作文は世界の食糧不足のことを、女性らしく気の毒だと云う動機で書いたのであって、
だからこの作文が描かれている世界は第七識上層である。
かき方は実感がこもっている。
また結びの言葉は「現実の世界を見極めるべきだ」と云うのであるが、これは認識せよと云うことである。
実感がこもっているのも一々認識してかいているからである。認識するには一つ上の世界にいなければならない。
だから筆者は低くとも第八識にいる。
また若し第九識にいるならば「認識せよ」で文を終わる筈がない。だから第八識にいるのである。
前の第七識上層の文例と比較すると、云うことがハッキリしてるでしょう。これが認識です。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第九識の文例
「日本人の原点」
外国語学部二年 女子学生
約二千年を通じて出来あがった日本文化は外来技術の複雑なからみあいの上につくられたものである。
私たちがいま毎日生きている日常生活の場において私たちが使っている衣服、家具、住居、公共施設から文字、食事に至るまでは
ほとんどすべてが中国、ヨーロッパ、アメリカの技術を利用したものばかりである。
まさに〈雑種文化〉とよぶのにふさわしい。
しかし、私たちが取り入れ、使っているのはあくまで技術なのである。
文化のかたちとしては中国風、ヨーロッパ風、アメリカ風なのかもしれないが、
かたちの内容――すなわち私たち自身はどんな時代においても、あくまで日本人であった。
これは思想的状況においても同じではないだろうか。
日本人は技術とともに紹介される中国思想、仏教思想、ヨーロッパ思想、アメリカ思想を
すべて生きるための技術、考えるための技術としてのみ取り上げ、思想のかたちを身につけた。
技術は生きる方便であり、かたちは存在の形式でしかなかった。
新しい技術をつぎつぎ取り入れながら技術を使う主体としての人間、
日本人ほど歴史的に単一性を守り続けてきた民族はめずらしい。
ヨーロッパ人は、おのおの他民族の血をまじえている。だから国境を越えれば多民族の中にまぎれ込んでしまう。
いくつもの国語をもつ多民族国家もあるし、混血は日常茶飯事である。
だから政治亡命も可能だし、国境を越える者も迎える者も、国境や民族をそれほど神経質に考えない。
しかし、おのおのの文化は芸術から生活に至るまで実に厳と存在する。
政治的に犯されても我慢できるが、文化的に犯されることは許されない。
この文化と民族の矛盾した二重構造をとおして見ないと、私たちは私たち自身を理解することができない。
文化の雑種性だけ取り出すのもまちがいだし、民族の単一性だけを強調しても日本人を本当にとらえたことにはならない。
そして文化と民族の矛盾した二重構造をつなげるものが日本人の技術主義なのである。
技術を軸として、雑多な文化が取り入れられ、それが単一な民族によって操作される。
しかし、技術は本質的に情緒や感覚を否定するものであり、人間の本質を根本的にゆり動かす要素をもっている。
技術を使うのは、人間という主体であり、その主体によって営まれるのが文化である。
ということは、これらは相互に一本の線でつながり、技術が雑種の文化と単一の民族を結び、両者のバランスをとるということは成り立たない。
日本人の技術に対する感覚は、基本的に農耕生活から生まれたもので、受身の技術である。
とらえる技術ではなく、こなす技術であり、闘う技術ではなく、利用する技術である。
しかし、最も重要なことは地理的・生産的諸条件の中にあって、
それらの諸条件を生きぬいた日本人自身、技術を使う主体のあり方ではないだろうか。
日本人は外国からさまざまな技術を取り入れ、一つの時代から一つの時代へ一八〇度の転換を行ってきた。
だが、日本人という主体は少しも変わっていない。
日本人はしぶとい日本的主体性をもっていて、
新しいものに命をかけようとする真剣さもなければ、古いものを命がけで守ろうとする情熱もない。
新しいもの、古いものは自分の命ではなく、自分はすでに日本人として明白に生きている……あらためて命を問い直す必要はない。
これが日本人の心の底に定着している生き方ではないだろうか。
どんなに足を踏みはずしても、右から左へ、左から右へ急旋回しても、日本人であることへのある種の安心感があるのである。
すなわち、日本人の原点は技術でも思想でもなく、ごく単純な事実、
自分はなによりも日本人であり、日本人以外の何ものでもない、という点であろう。
そしてもう少しつけ加えるなら日本人の原点は日本人の体質の中に、そして体質を形成している意識の中に、
意識を具体的に示すイメージの展開に見られるのである。
作文はここまでです。
これは日本人と云うもの(第七識上層)を対象にしてよく其の本質を把んでいます。そしてこう云っています。
「日本人の原点はごく単純な事実、自分は何よりも日本人であり、日本人以外の何ものでもないと云う点であろう」
名言です。この文章は自覚の典型です。
然し第十識ではありません。若し第十識だったら本質を確認します
(第七識上層で体験即ち初覚、第八識で認識、第九識で自覚、第十識で自覚の確認即ち自覚の捨そして天上界の体験即ち初覚)。
認識者がですが、日本人とは云わず語らずの中に
「真情」だけがエッセンシャル、(最大の不純物である技術を始めとして)他は皆トゥリビアルと思っている人達のことであるとわかります。
ここでは前の文章及び此の文章を筆者がどんな風な書き方で書くと、こう云う文章が現像(写真の言葉)されるかと云うその仕方を云ったのですが、
そうして現像された絵を見ますと、前者は第十識の遠景、これは中景になっています。
この見分け方の方、本当は速いのですが、みなさんは遠景、中景が充分よくわかっておいでにならないかも知れませんから、
逆にこの好個の二例によって遠景、中景とはどう云う意味かを知って下さい。
第八識から第九識に行くには認識(遠景的なもの――カス)を捨てればよいのです。
第九識から第十識に行くには自覚(中景的なもの)を捨てればよいのです。
今現にそこにおれば、自覚なんかいらないでしょう。
認識が何故カスかと云えば、言葉で一々あれは富士山だと云っているようなものだからです。
エッセンシャルは生きて流れていますから言葉では云えません。
川床は云えても流れそのものは云えないようなものです。
(帰郷してみて。これはまぎれもなく感受(α01の分身)の芽生えである。)
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十識の文例
「最大の愛」
経済学部一年 男子学生
人類を救うものは、お金でも宗教でもない。それは愛である。ぼくは其の愛を母に見た。
三歳の時母はぼくの家に来た。つまり義母である。
最初に母に言った言葉は、今でもよく覚えているが、おふろに入る前にぼくの裸に触った時の冷たいと言った言葉であった。
母の手はあまりにも冷た過ぎた。
ある日小学校から帰ってくると母は泣いていた。
どうやら父と喧嘩をしたらしかった。其の原因がわからないまゝ時は流れた。
両親の喧嘩は母が父と結婚した三日目からであった。時には毎日のようにやっていたこともあった。
一度大きな喧嘩をしたことがあった。ぼくが学校から帰ると母は頭に手をのせていた。
其の時の白い包帯がいやに不気味に見えた。
母はくやしそうと言うか、寂しそうのほうがあたっているかもしれないが、そんな顔をして泣いていた。
ぼくは母のひざの上にひかれた。ぼくには暴力をふるっている父のほうが絶対悪いと思った。
しかし以前からのこんなにもひどい喧嘩の理由はぼくには全くわからなかった。
それはあまりの単純さと非人間的な所にあるのだったから、ぼくたち三人兄弟(姉二人)もきっとそうだったに違いないからだ。
父ばかりが悪かったのではない。ぼくも母にはずいぶん迷惑をかけた。すべての面であった。
今から思えばどうしてあんなにまで母に対して、種々言わねばならなかったのか自分でも不思議でたまらない。
今は特に母に対しては父もぼくも深く反省しなければいけない。
ぼくは反省し母にはどのように御詫びしたらよいか、たいへん悩んでいる。
父は反省などしたことがない。
今でも喧嘩は続いている。もう既に十七年になるのに、父は自分勝手なことばかりしている。
我が家は農業だから特に母は父を仕事に出した後仕事に追われる毎日だった。町にもほとんど母は出られなかった。
たまに外出する時は母はいつも僕を連れて歩いた。
だからこそ餘計に母の愛がぼくのからだに伝わった。言葉ではなく膚と膚のふれ合いがあった。
でも子供を連れると用事もそれだけ多くなるのに!
母は自分の汚名をぼくにわからせたかったのだ、きっと心では泣いていたのだ。
何故こんなにしてまでも母は離婚しなかったのか。母はまず第一に子供のことを考えたからであった。
まだ僕は小さかったからせめて一人前になるまではと考えた。
これが愛と云うものである。
親子だからと人は言うかもしれないが実の母でもこうは出来なかった。
今の母は実の母以上の最高の母である。
キッドと云う映画の中でチャップリンが言いたかったことは、実の親でなくともりっぱに親以上になることが出来るのだ、がテーマであった。
ぼくも其の通りだと思う。
愛は決して楽しいものではない。
愛は非常な苦しみや、痛みを必ず伴う。
其れのない愛は愛ではない。
今の世の中は言葉で氾濫し過ぎている。愛は報酬を望まないの言葉がぴったりである。
最も美しい愛を母に見た。これが人類を救う最良の策だと思う。これしかないと思う。
そんな家庭にもかゝわらず、小さく弱い人間であるぼくだけど、ここまで育ててくれた母、根本は母の愛にあった。
母は今ぼくを頼りにしている。
思えば母に初めて出会ったあの日の冷たい手というものが口では言えないくらいの愛を暗示していたのかもしれない。
母と云う人を又其の愛を小さいながら何かの形で残したかった。それだけである。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十一識の文例
「詩の心と絵の心」
経済学部一年 女子学生
詩は言うまでもなく言葉の芸術である。
私はここで現代詩だけでなく、和歌や俳句さらに散文にひそむ広い意味での「詩の心」を考えている。
ところで絵はデッサンと色彩の芸術である。
だから詩と絵とはまったく別の世界といっていいが、しかし絵のなかにも「詩の心」を感ずる場合はいくらでもあるだろう。
画家自身もそうだ。言葉は直接使わないにしても、心の中には必ず「つぶやき」というものをもっているに違いない。
自分にはこれこれの感情、あるいは思想を訴えたいことを心の中で「つぶやいて」いる訳で、
それは言葉とはならず、色彩やデッサンとなってあらわれるけれど、
私にはその「つぶやき」を詩の心と呼びたいのである。
私はいま与謝蕪村のことを思い出している。
芭蕉とならんで江戸時代の有名な俳人だが、両者の間には八十九年ほどの開きがある。
時代の差だけでなく、芭蕉と蕪村の作品のあいだにも、本質的と言ってもいいほどの風格の差がある。
蕪村は俳人であるとともに画家であり、そのどちらにも流れている「詩の心」を語りたい。
蕪村の代表作「普我追悼曲」と題する一編で、
蕪村が貧しい漂泊の旅を続けていた青年時代に親しかった早見普我の死を悼んで作った作品である。
これは俳句ではない。しかし彼の名を伏せてこのまま出したら、西欧の詩の影響を受けた明治の新体詩と思う人が多いだろう。
今から二百数十年も前に、こんな新しい作品を生んだのは不思議なことだ。
こうした作品はこれ一編だけだが、蕪村の感覚がどんなにみずみずしく、また豊かで多面的な才能を持っていたかがわかるであろう。
芭蕉の句を読んだ人は、そこに求道の強いきびしい生き方を真っ先に感ずるに違いない。また言葉の洗練度や風格においても実に高雅である。
蕪村は一生の間芭蕉を尊敬していたが、彼の句を見ると、はるかに「遊び」が多く、気軽に即興的に歌い捨てたと言ったものが多い。
こうした境地はむろん芭蕉にもあるけれど、蕪村になると、「俗」の中にのんびりとあぐらをかいたというふうで、
そこに苦しさとか、芸術上の権威めいたものは感じさせない。
「とかく句は磊落なるを好しとす」(新花摘)と自分で言っているように、句の態度は芭蕉に比べると、ずっとざっくばらんである。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十一識の文例
「詩の心と絵の心」
経済学部一年 女子学生
詩は言うまでもなく言葉の芸術である。
私はここで現代詩だけでなく、和歌や俳句さらに散文にひそむ広い意味での「詩の心」を考えている。
ところで絵はデッサンと色彩の芸術である。
だから詩と絵とはまったく別の世界といっていいが、しかし絵のなかにも「詩の心」を感ずる場合はいくらでもあるだろう。
画家自身もそうだ。言葉は直接使わないにしても、心の中には必ず「つぶやき」というものをもっているに違いない。
自分にはこれこれの感情、あるいは思想を訴えたいことを心の中で「つぶやいて」いる訳で、
それは言葉とはならず、色彩やデッサンとなってあらわれるけれど、
私にはその「つぶやき」を詩の心と呼びたいのである。
私はいま与謝蕪村のことを思い出している。
芭蕉とならんで江戸時代の有名な俳人だが、両者の間には八十九年ほどの開きがある。
時代の差だけでなく、芭蕉と蕪村の作品のあいだにも、本質的と言ってもいいほどの風格の差がある。
蕪村は俳人であるとともに画家であり、そのどちらにも流れている「詩の心」を語りたい。
蕪村の代表作「晋我追悼曲」と題する一編で、
蕪村が貧しい漂泊の旅を続けていた青年時代に親しかった早見晋我の死を悼んで作った作品である。
これは俳句ではない。しかし彼の名を伏せてこのまま出したら、西欧の詩の影響を受けた明治の新体詩と思う人が多いだろう。
今から二百数十年も前に、こんな新しい作品を生んだのは不思議なことだ。
こうした作品はこれ一編だけだが、蕪村の感覚がどんなにみずみずしく、また豊かで多面的な才能を持っていたかがわかるであろう。
芭蕉の句を読んだ人は、そこに求道の強いきびしい生き方を真っ先に感ずるに違いない。また言葉の洗練度や風格においても実に高雅である。
蕪村は一生の間芭蕉を尊敬していたが、彼の句を見ると、はるかに「遊び」が多く、気軽に即興的に歌い捨てたと言ったものが多い。
こうした境地はむろん芭蕉にもあるけれど、蕪村になると、「俗」の中にのんびりとあぐらをかいたというふうで、
そこに苦しさとか、芸術上の権威めいたものは感じさせない。
「とかく句は磊落なるを好しとす」(新花摘)と自分で言っているように、句の態度は芭蕉に比べると、ずっとざっくばらんである。
蕪村は生きていたころ、俳人としてより画家として有名であったと云われるが、しかし私は俳画のなかの代表作をあげてみたい。
「又平」という作品である。この絵の上方に、「又平に逢うや御室の花ざかり」という一句がしるしてある。
京都の御室(おむろ)の桜は有名だが、その花見で酒に酔いながらふらふら歩いているうちに、又平に出会ったという平凡な句だが、
この場合は句と絵とが実に見事にとけあっている。詩の心と絵の心のざっくばらんなつきあいと言ってもいいだろう。
これが蕪村のおもしろさである。赤い頭巾をずれ落ちそうにかぶり、片肌をぬいで右足をあげ、実に人が好さそうに、気持ち良く酔った姿である。
酒を入れたひょうたんは道の上にころがっている。
赤頭巾の赤い色と衣服の黒さと、どちらも単純な色彩だが、それがうまく調和し、また又平の酔い姿と、ひょうたんの位地もほどよくバランスが取れている。
即興的に歌い、即興的に描いたものだが、俳画の特徴を典型的に示した作品である。
この即興にはむろん画家としての年期が入っている。軽妙でなんとなくハイカラである。そして気品もある。
決して悪ふざけてはいない。しかも、これ程誰にでも親しみ深く訴えかける絵は少ないだろう。
つまり「人なつこさ」がここにもあるということだ。
もう一つ私が心ひかれる、「雪夜万家」と題する絵がある。場所は京都であろう。
背景の山々も人家の屋根も、一面雪におおわれて真っ白である。
人家の所々に灯が見える。空は一面の暗黒で、そこから雪が降って来る有様が描かれている。
此の空の描き方が実に素晴らしい。水墨を大胆にたらしこみ、暗黒の空の重苦しい感じを深く出している。
全体として沈んだような、憂鬱な作品だがここに蕪村の見逃しえない特徴がある。
彼の句は気軽で即興的だと云ったが、其の底に生涯に渡って憂鬱な詩心を持続させたことを忘れてはなるまい。
父母の名も家柄も不明、早く両親と財産を失い、十八~九才のころから江戸に出て画と俳句を学んだと推測されているだけである。
若い時から放浪者であった。
だからこそ萩原朔太郎が「郷愁の詩人」と呼んだように、自分の故郷への思慕を常に歌った人であった。
放浪しながら彼は幻のふるさとを探し求めていたと言ってよかろう。
こうした心情を念頭に置いてこの絵をみると、どこかに底知れぬ寂しさの漂っていることに気付く。
家々は深い雪の下にひっそりとしている。所々に灯は見えるが、それが一層雪の夜更けの寂しさを云えているようだ。
雪の夜道をおそらく旅人としての蕪村はあてもなくさまよい歩いたのかもしれない。
実際の写生というよりも、そのときの孤独な心の告白といったほうが良さそうだ。
同時に、同じ心からさきの「又平」のような、「賑やか」もあらわれたのではなかろうか。
「冬の部」の中に、「雪夜万家」に関係のあるような句がある。
その俳句がこの絵に直接関係があるかどうかわからないが、
この句の心を、あとで描いたのかもしれないし、あるいは逆に絵のあとで、ふとうかんだ一句かもしれない。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十二識の文例
「御所人形哀話」
法学部一年 女子学生
京都には現在五十余の尼寺が各地に散在していると聞きます。
そして、誰もが想像している通り、そこで暮らす尼僧たちは俗世がどう変わろうと、喧噪を離れた小さな世界の中で、
朝な夕なに経を読み、庭の掃除に精出し、托鉢(たくはつ)に励むという、つつましやかな生活を几帳面に守り通しているのです。
この寂寥とした雰囲気の中に潜む尼僧の生活のすがすがしさに魅かれて京の尼寺を訪れる人は後を絶ちません。
しかし私たちの尼僧に対する想像が確かであったと納得した後で、
私たちは、その境内を流れる清楚な空気の中に、一条の悲しさを感じてしまうのです。
特にそれが尼寺の中でも「比丘尼御所」と呼ばれる門跡寺であったならば、その感慨もひとしおのように思われます。
一体この悲しさは何なのでしょうか。
ほかの尼寺に比べ一段と格式が高いように思われる比丘尼御所とは、どのような物語を秘めた尼寺なのでしょうか。
足利幕府以来明治維新に至るまで、将軍家は一貫して皇位継承者以外の皇族はすべて寺に入れるという強行政策を採って来ましたから、
皇女たちは生まれながらにして全員尼僧になるという悲劇の宿命を背負わされていたのです。
この将軍家の措置により御所のある京都には皇女たちの入寺だけを目的とした尼寺が必要となりました。
一般庶民の信仰のための寺院とは区別され、特別の意味を持って建立(こんりゅう)された寺が、今も比丘尼御所と呼ばれる尼寺だったのです。
昔の話ですが、皇室など高貴な身分の家では、自分の子供を手許に置いて育てるということがなかったらしいのです。
その意味では育つ場所が御所であろうと尼寺であろうと、皇女たちには同じことであったかもしれません。
彼女たちは何人もの付き人が付き、大袈裟に言うと、箸のあげおろしまであれやこれやと世話を焼いてもらっていたのですから、
入寺した皇女たちが生活に困るというようなことはなかったはずと考えられます。
しかし尼になるということは、女を捨てることです。
皇女たちは、女として成長する以前に、最早女を捨てなければならない運命だったのです。
彼女等は悟りを開いて、あるいは世の無常なるを知って、尼僧の道を歩き始めたわけではなかったのです。
生活の苦労がないということは、逆に見れば生きる喜びがないということです。
彼女たちには、「なぜ自分は今ここにいるのか、これから自分はどうなっていくだろう?」
という疑問を持つ餘裕さえ与えられていなかったのではないでしょうか。
美しく仕上げられているにもかかわらず、どこかに寂しさをたたえた庭園や薄暗い回廊などといった小さな世界だけが、
彼女たちにゆるされた生涯を生きる場所だったのです。
比丘尼御所の澄んだ空気の中に、ある種の気怠さのようなものが潜んでいるとしたら、
きっとそれは皇女たちがフッともらしたであろう溜息のせいかもしれません。
どんなに世の中にきらびやかな物があろうとも、入寺した皇女たちにとって、それは手の届かない別世界のものだったのです。
例えそれが四方を囲む一枚の薄い土壁によって隔てられただけのものであっても。
では皇女たちには全く楽しみがなかったのでしょうか。いいえ、そうではありません。
彼女たちには、あるささやかな楽しみがあったのです。
それは、幼い皇女のために雛祭りの度に御所から送られてくる人形でした。
幼くして仏門に入らなければならなかった娘たちを忍んで、彼女等の親は可憐な人形を贈ったのです。
これが御所人形といわれるもので、江戸時代はこのような贈り物が頻繁に行われていたようです。
親たちは人形を贈るということに、娘たちに対する一種の「罪滅ぼし」の念を込めていたのかもしれません。
贈られて来た人形たちは、あるときは皇女の愛くるしい顔にまねて、あるときは遊び相手として幼い男子の顔にまねて作られていたのです。
周囲が大人ばかりの尼寺にあって、この人形たちが皇女等にとって真の友達になっていったのは言うまでもないことです。
ほかに楽しみのない閉ざされた小世界の中にあって、皇女たちの人形に対する愛情は時として異常と思われるものがあったそうです。
朝起きてから夜寝るまで、彼女たちは片時もこの人形を放すことなく、あたかも己の分身であるかのように慈しんだのです。
人形と話をしたり、着物を着替えさせたりということはたわいないままごとといえばそれまでですが、
生涯を通して人形を人形としてではなく、命ある人間のようにして遊ばねばならなかったという話に痛切な「哀」を感じてしまうのです。
人形たちが愛らしければ愛らしいほど、手垢ですすけた古い御所人形の顔から、皇女たちの孤独を思ってしまうのです。
天上界の三識を比べてみますと、第十識は天上界の体験即ち初覚、第十一識は認識、第十二識は自覚です。
初覚は脊髄神経系を使い、認識は脳神経系を使い、自覚と確認とは共に植物神経系を使うのですが、
自覚は第十一識と第十二識との境界上の世界から第十識を見、確認は第十二識から第十識を見るのです。
前者を「悟」と云い後者を「覚」と云います。
向上するには得たる所を捨てることです。
初覚を捨てるとは認識したもの以外はまだ知らぬとするのです。
からだでわかり、からだで憶え込ませたものを皆捨てるのです。
初覚を捨て、認識を捨て、悟を捨てると実相界(第十三識以上)へ行けます。
此の女性の文は第十一識と第十二識との境界上の世界――これが日本文化の世界ですが、
ここに籠って書いたものです。春の泉の揮々と湧き出て流れてやまぬ趣があります。
一寸平家物語のようです。楽器ならば琵琶。
(帰郷して、地上界は物質的、天上界は眼が二重の薄膜で蔽われている。実相界は尚一重の薄膜、無相界即ち第十六識以上とは相が無いのではない。
相は眼の曇りであると知って、眼をぬぐってじかに見ることである。)
「岡潔集 第1巻」より 対話/全か無か(石原慎太郎)
石原:私は科学というものが非常に幼稚なものだと常々思ってましたが、
現代数学のああいうものの捕え方、考え方は、ある意味では宗教の一番かんじんなところに触れていると思いました。
岡:地上(第七識上層)に数学があって法界(第九識)にその実体があるからです。
実体を見て(第十識)私たち日本人は胡蘭成氏の言う悟り識でやっているのですが、
西洋人は潜在識でやるから、影しか見えない。
それで複雑なものを取り扱うほど偉いと思うらしい。
ところが、ものの複雑さの処理法における、人の知の限界は、きわめて低い。
それで次々に行き詰まらせていくのです。
何度もそうしながら生き延びてきたのですが、今度こそ全面的に行き詰まらせてしまったらしい。
もう西洋人だけではやれないでしょう。
西洋の文化は、インスピレーション型であり一年生の草花のように一度花咲けばそれきりなのです。
西洋文化の季節はもう過ぎたのです。
石原:そうでしょうね。どうもそのときに東洋人というのは、
非常に行き詰まった西洋の合理主義、科学全般に大きな示唆を与え得るといわれておりますが、
日本人の場合には、ついにいまや西洋主義の私生児みたいになってしまっておりませんか。
岡:ほんとうですよ。西洋文明とはどういうものかを明治のころまでの日本人はよく知ってたけど、
その第一感を百年の間にけろっと忘れてしまったらしい。
どうしてこんなことになるんだろうと思って考えました。
日本はこれまで有形の文化に接したことが四回あります。
支那の文化。もうちょっと遅れてインド文化。それからヨーロッパ文化。そしてアメリカ文化。
日本の文化は無形の文化です。四度とも、初めて接した有形の文化をいともやすやすと取り入れている。
これは、各人がきわめて的確にその中核を把握することができるからです。これが情操判断(情的純粋直観)です。
日本人は情操判断がよくできるから、取り入れるときはよいのですが、しばらくその文化のなかにいるうちに、
すっかりだらしがなくなってまねのためのまねしかしなくなる。
これはなぜかといいますと、西洋の文明は内容は感情です。その感情に溺れてしまう。
そうしたら、もう情操は働かないのです。なぜかというと、感情を入れると純粋な情操ではなくなるからです。
感情の色どりというのは、必ずなにがしかの意味で自分というものを入れるから、強い色どりになる。
だから、それにひかれるわけです。
しかし、純粋な情操は自分というものの入れられないものです。
だから感情の水のなかでは情操判断は働かないのです。
岡:理性といってますが、感情のはいらんような理性判断をやってごらんなさい。
できません。これも広義の感情判断です。
ところで欧米人は自分の感情のなかにいるのですけれど、日本人はたとえばいまはアメリカ人の感情のなかにいるのです。
アメリカ生まれのマイホーム主義に迷い込んでいるのです。
だからいちいちまねをする以外には身動きもできないのです。
石原:そういう一方的に受け身な文明の態度というものは、どうも日本人の習慣になってしまいましたね。
岡:だから、日本人は男のようなもので、有形の文化は女のようなもので、すぐ女に溺れてしまうのです。
少し慎まなければいけませんね。今度こそはね。
岡:石原さんは、近ごろ、生死の問題を考えておられますね。
石原:考えますね。
岡:人からのヒントはおきらいですか。
石原:そんなことないですよ。
岡:これ、ヒントじゃありません。あなたは当然、信長がお好きです。
それだったら、信長の死生観をご存知でしょう。
信長はいつも先頭に立って“死ねや、死ねや”といって攻めたのです。
そうやられたら相手はかなわぬ。
だから、自分は最初からNothingなのです。残っているのは、Allかどうかということだけなのです。
そんなやり方でしたね。
石原:私自身の卑俗な話になりますが、今年、選挙に出ましたが(1968年参院選、初陣で当選)、
その準備にかかったときに、生まれて初めて大病をしました。
岡:肝炎ですか。
石原:はい。
石原:大病をして、遅すぎる変化が来ました。
政治に参加するには、選挙という煩わしい方法をとらなくてはならないでしょう。
病気をした矢先ですので医者は反対しました。
私のそのときの心境は、やはり信長の“死ねや、死ねや”でしたね。
岡:それでいいのですよ。
石原:ところが終わってみると、忽然として、神仏の加護に対する、畏敬の念が沸いてきましたね。
それはそれで、非常にいいと私は思いました。
岡:いい体験をなさいましたね。“死ねや、死ねや”というのが西洋人にはないのです。
石原:動かないもののなかに、動くものを見るということは、西洋人にはできないですね。
たとえば、音楽に対する概念は、東洋と西洋は全く違いますね。
西洋の音楽は、何か二つくっつかなかったら音楽にならないと申しますが、
日本人は梵鐘(ぼんしょう)の音でもなんでも、一つの音のなかに、音楽を感じますでしょう。
あのような発想を日本人は体質的に持っていたのですが、このごろ、忘れちゃいましたですね。
岡:明治以前までならね。いま、わかっている人は少ないでしょうね。
なにしろ、ことばが変わると、だんだん忘れるものらしいですね。
もうこの辺で思い出さないと、ほんとうに忘れてしまいはせんかと思います。
石原:すべての面で、責任感というものもなくなりましたですね。
愛国心ということばを持ち出さないにしても。
岡:責任感なんてものが、自由がない者にありますか。
石原:ないですね。
岡:責任がかからないか、ということだけです。責任逃れといいますか。
石原:責任の回避に対してだけ情熱的で、責任の遂行ということに情熱的じゃないですよ。
岡:そうすると、もう自由を持った人じゃないですね。
我執はいけませんが、自分の肩に荷を負いたい、というのがなくなったら、それはもうだめですよ。
石原:長い歴史の上では、国家というものは敗戦体験だってするのが当然でしょう。
岡:一度は体験しなきゃわからんです。
あれはただ一度の体験です。
日本はあれによって大人になった。
石原:私もそう思います。
生娘(きむすめ)が男と初めて寝た経験をしたのと同じです。女の一生とすればあたりまえのことです。
ところが、日本はそれで痛がって尼寺へはいってしまって出て来ないのです。
たとえば、核の問題について考えますと、実に愚かですね。
核アレルギーというより、核に関しては無知でしかない。
日本は、核武装はすべきではありませんが、原子力産業は絶対に開発すべきです。
岡:核武装も核開発も同じことでしょう。
石原:そうです。実は同じに近い。一枚の紙の裏表みたいなものです。
だが、それをはがして考えようとすることが愚かなのです。
どうして原子力の平和的な効用に重点をおいて考えないのでしょうか。
原子力産業の時代がきているではありませんか。
石原:日本人一般には、既成の社会秩序が簡単に崩れるわけはないと、たかをくくる楽天性がありますね。
その性癖は全学連の騒擾(そうじょう)にも認められます。
暴れる全学連も、見ている学生や市民も心の奥底では日本の秩序なんか簡単には変わるわけはないと思っている。
全学連は世論と八百長の取引しながら暴れている。
“死ねや、死ねや”じゃないのですね。
本物の闘士なら、死刑の覚悟で行動する。
ところが、つかまっても釈放されるだろう、騒ぎを起こしても社会は変わらないだろう、というのが実状です。
警察の取締りは慎重ですが、政府の態度はいっこう煮えきらず、責任のなすり合いの状態です。
でも日本という船は揺れながらも沈みそうにありません。ふしぎな国です。
岡:こんな国ないですねえ。だから、私、神々の国だと思うのです。
神々が働いてるから滅ばないのでしょうね。
石原:船について、私は切実に感じていることがあるのです。
私は船乗りです。小さな船ですが嵐の中でもレースに行きます。
やはり人間の原初は海であったせいか、海に乗り出すと、水に対する生理的な憧れを持つとともに、不安も覚えます。
水に向かうと、勇気が湧いてきたり、若さがよみがえってきます。
また、極限状況がしばしば、シケという形で迫ってきます。
遭難ぎりぎりの危険に直面すると、八人とか十人のクルー各自の友情、責任、献身、理解が、
それこそ国民全体が歴史の変動時点に対処するように、
その瞬間ごとに、完璧な形で現れてこないと、船もろとも全員が死滅しかねない一瞬があるのです。
おのおの異なった個人なのですが、私は一度にだれもかも好きになってしまうのです。
岡:なるほど、なるほど。よくわかります。その気持、いまの日本人にどうしても必要です。
きょうは、全くさわやかないいお話をしていただいて、嬉しゅうございました。
ありがとうございました。
林修、日本エレキテル連合に「ジンクスに振り回されないで!」とエール(マイナビニュース)
バラエティー番組『林先生の痛快!生きざま大辞典 2時間SP』(TBS系 12月10日 19:56~21:56)の収録が4日、東京・赤坂の同局で行われ、
予備校講師でタレントの林修と吉田明世TBSアナウンサーが臨んだ。
同番組は、今年4月から深夜枠で放送しているバラエティー番組『林先生の痛快!生きざま大辞典』(毎週火曜 23:53~24:38)のスペシャル版。
特番となる今回は放送枠をゴールデンに移し、MCを務める林修が、
羽生善治をも虜にしたチェスの天才・ボビ・フイッシャーや世界一IQが高いマリリン・ボス・サバント、
日本が世界に誇る数学者の岡潔など国内外の天才を紹介するというもの。
進行役としてお馴染みの吉田明世アナが登場するほか、豪華なゲストも出演する。
この日は同番組の収録が行われ、収録の合間に報道陣の取材に応じた林と吉田アナ。
林は収録の手応えを「バッチリですね。面白いところだけで、どうやって編集するのか心配なぐらいです」と自信を覗かせて
「本当に中身が濃い2時間で独特の新しい面白さが伝えられると思います。特に今日は芸達者なゲストさんが多いので助けてもらいました。
どちらかと言うと、僕が攻める方で吉田さんがほのぼのとした瞬間で癒してくれる。
今日は上手にやってくれました」と吉田アナをはじめ共演者に感謝。
番組については「やっぱり本当にすごい人は数多くないが、いるということを改めて認識させられました。
でも天才だから我々とかけ離れているんじゃなく、天才だからこそ人生のヒントがたくさんあるんです。
天才の生き様を紹介しますが、見ている方に自分の生き方を見直すきっかけになれば嬉しいですね」とアピールした。
そんな林をレギュラー番組から間近で見ている吉田アナは
「林先生は天才ですよ。林先生の説明力や説得力には毎回驚かされます。
時間がない中、たくさんの人の生き様を頭に入れてプレゼンするわけですから。私だったら絶対に無理です!」と賞賛すると、
林は照れながらも「俺は天才じゃない!芸人さんには勝てないですよ。本を読んで情報を整理して話をするのは僕の得意分野なだけですから」と否定し、
吉田アナに「TBSのこれからを担うホープとして物凄い番組に出ていますから、
身体に気をつけて健康管理だけしっかりして楽しく参加していただければ十分です」と気遣う場面も。
また、新語・流行語大賞(2013年に「今でしょ!」で年間大賞を受賞)の先輩として
先日「ダメよ~ダメダメ」で年間大賞を受賞した日本エレキテル連合に「芸人さんが獲ると翌年消えるジンクスを気にされていますが、
本当にそんなものに振り回されないで面白いネタを見せてください!」とエールを送り、
「今でしょ?僕はそろそろ消しておかないと(笑)」と苦笑いを浮かべていた。
「日本民族の危機 葦牙よ萌え上がれ!」の出版って西村眞悟や藤井厳喜に支援されてたのな。
394 考える名無しさん 2014/12/08(月) 18:50:29.90 ID:
堯は国つ神(国津神)、舜は天つ神(天津神)。王道政治と祭政一致の違いはここにある。
岡潔最晩年の座談集である聴雨録によると、国つ神は9識以下の神、天つ神は10識以上の神。
有形文化は国つ神の文化で、無形文化である日本文化は天つ神の文化。
応神天皇以後の日本は外国の物真似ばかりしているから、
雄略天皇の時代に朝鮮の信仰に影響されて
伊勢神宮の外宮は天つ神である天月読尊ではなく国つ神である豊受大神を祀ることになってしまった。
古事記は聖徳太子が法隆寺夢殿で造化の再放送を見たことにより遺されたもの。大化の改新のために文字化が遅れた。
しかし聖徳太子は国つ神しか見えなかったから、日本神話は不完全な形でしか伝わっていない。
明治天皇は明治神宮に祀られて初めて国つ神から天つ神になった。
395 考える名無しさん 2014/12/13(土) 01:49:34.64 ID:
草薙剣(天叢雲剣)の歴史
初代―→素戔嗚尊が大蛇の尻尾から取り出し、焼津で霊験を顕し、熱田神宮で祀るが所在不明。
二代目→安徳天皇入水により所在不明。
三代目→伊勢神宮が神のお告げで京都へ奉納、宮中に現存。
古事記の第一次国産みは杜撰。
安徳天皇入水が第二次国産みの始まりで、1974年3月で概ね仕上がり、2011年3月で完了した。
天月読尊の分身が要所要所で働いてくれた結果。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十三識の文例
「人間をつくったもの」
法学部二年 男子学生
人間は与えられたものを生かすことは出来るが、与えられていないものを生かすことは出来ない。
人間は生長することは出来るかも知れないが、それは生長するように出来ているからで、
そう出来ていなければそれまでです。
我々がいろいろのものを見たり聞いたり経験したりすることが出来るのもそういう風に我々がつくられているからで、
つくられていなければそれまでです。
私は髪の毛や爪に神経がないので切っても痛くなく、又血がないので切っても血が出ない。しかしそれはそうつくられているからです。
我々がものを食いたいのも、又何か飲みたいのも、
又生きたい、死にたくないと言うのも我々がそうつくられているからです。
人によって好き嫌いが違う。それもある所まで矯正することが出来ることもありますが、それもそうつくられているからです。
我々は自分の力では味覚、嗅覚さえつくることは出来ないのです。
我等は与えられているのを当然と思い過ぎている。
又それは本当のことのわかる人から見たら当然に過ぎないかも知れないが、我々はまるでそれを自分で持っているような気でいます。
しかし一寸反省してみれば、我々はつくられたままに生きているに過ぎない。
そして泣いたり笑ったり悲しんだりするのも、そうつくられているからに過ぎない。
こう考える時、我々は自分達をつくってくれたものは少なくとも我々自身は中々微妙につくられているということを感じるであろう。
我々の味覚にしても、実に複雑な味を感じることが出来るように出来ている。
それは生きることに必要以上である。
飢えた時は食を撰ばずと言う。我々が生きるためだけに味覚が与えられていたのなら、もっと味覚は簡単でいい、
味覚が複雑であるということは、我々の生活をぜいたくにさせ、面倒にするかもしれない。
だが味覚が与えられている以上、出来るだけの良いものが食いたいと思うのは人情である。
そして人間は自分に許された力でその人情を満たそうとする。
かくて料理が進歩する外に、農作物や家畜の改良、果樹などの改善が行われる。
この欲望を満たすための人間の努力は昔から今日までに大したものであったろう。
そして人間の食えるものをあらゆる山から、谷から、川から、海から………とることに骨惜しみをしなかった。
それは生きるためでもあった。
しかしそれ以上でもあった。
自分は人間に複雑な味覚が与えられていることが人間にとって幸であるか不幸であるか知らない。
しかし人間がそうつくられている以上、うまいものを食う喜びを、まずいものを食うことより求めたがるのは人情と思う。
そしてそれは自然である。其処に人間の罪悪も生まれるが、努力も生まれる。
そして正しい方法で、人間により甘いものを食わせることを考え出し、またつくり出したものを自分は讃美しようと思う。
そして自分の理想的な世の中においては、人間の健康を害しない、又他人を不幸にしない方法で、
誰もがうまいものを食えなければならないと思っている。
固い言葉で言えば良心に恥じずに兄弟姉妹と喜び合って甘いものの食える世の中であることが、
理想的な世の中の一つの条件と思う。それは最大の条件でないにしろ。
又自分は人間に与えられている味覚につき、視覚につき、聴覚につき、触覚についても同じことが言えるであろう。
元より我等は同一刺激には飽きる。しかし我等はより美しい調和を求める。
元より我等は生きなければならない。又生長しなければならない。
動きのとれない調和では困る。それは生長する調和でなければならぬ。
そして我等の勇気を眠らすものではなく呼びさますものでなければならない。
理想の社会は、人々が退屈する社会であってはならない。
人々が生き生きする社会でなければならない。
美しい音楽、美しい画、彫刻、建築、美しい都市、それ等は人間の本能を不健全に刺激するものであってはならない。
それらは、人間を本当に生き生きさせる喜びと、勇気を与えるものでなければならない。
我等の楽園は遊ぶにも適した所であろうが、更に生きるのに適した所でなければならない。
部分と全体が生きなければならない。
其処に調和せる美が生まれる。
そして我等に与えられた複雑な感覚が、それによって嬉しく呼びさまされる。
そして生きた喜びを我等はその時感じる。
又そう感じるように我等の感覚を生かしてくれるものに対して我等は本当に美という感じを持つのである。
つまり我等が美を生み出すのは、その喜びを本当に味わいたいからである。我等がそうつくられているからである。
人間は何を愛さなければならないか、何を讃美しなければならないか、何によって生き甲斐を得なければならないか、
それは人間がつくられたままにすなおに愛せるものを愛し、讃美できるものを讃美し、生き甲斐を得られる時に生き甲斐を感じれば良い。
それは理屈ではない事実である。
しかし我等は其処に人間をつくったものの意志を見ることが出来る。
人間をつくったものは人間に何を嫌わせようとしているか、
人間にどんな世界をつくらせたがっているか、
人間がどう生きることを欲しているか。
それを我等は我等のつくられ方によって知ることができるのだ。
我等はとにかく長生きしたい。死にたくない。それはそうつくられているからです。
そして其の為に必要なものが与えられている。
我等は生きる目的は知らないでも生きたいと思うことは我等をつくったものの意志で悪いことではなく、
むしろ我等はすべての人が長生きすることを望むべきである。
我等は美を愛するように出来ている。
それは美を地上に生むことを我等をつくったものが望んでいるから、と見ることができる。
この世に不幸なことが起こる。そして人間はまだ完全には生きられない。悲惨なことが起こりやすい。
我等はそれを喜ばない。どうかしてそれから助かりたく思う。それもそうつくられているからである。
我等をつくったものは一方自分だけでも生きたい気を強く持たせ、自分の生命に執着させ過ぎているように見える。
しかしこの世に悲惨なことがあり、生存するために非常な闘争が必要である間、
人間が一方そうつくられているのはやむを得なかったのである。
愛するものが死ぬように他人の死を一々感じるようにつくられたら、
我等はこの世に泣きに来、又自殺しに来たに過ぎなくなる。
其処から色々の不幸が起こりうるが、
それは人間がまだ生きる為に闘争しなければならない時代の本能で、
皆が助け合って始めて気持ち良く生きて行ける時代が来たら、
今我等の世間に存在する残忍性は段々姿を隠すであろう。
それは我等をつくったものの意志を知るものの等しく認める所である。
何故かというとそれ等の本能が生かされる時我等の心を淋しくし、人間に生まれたことに喜びを失うようにできているから、
人間が人間に生まれたことを本当に喜びたく思う時、人類にとって自己を傷つける傾向のある本能は、
すなわち人間同志の闘争的本能は、消えて行かなければならない運命を持っている。
今はまだ人類が全面的に自覚を得ていない時で、自覚を得た人はごく少数きり無く、
他は自分が死ぬか相手が死ぬかという境に追い込まれつつあるので、
個人の内にある自己保存の本能が、同じく自己の内にある人類的本能と衝突することが避けられず、
自分の心がそのために調和がとれず、其処に自暴自棄な態度が生まれるのである。
自分の心に平静が保てない時、その人は落ち着きが無く、殺伐になるのはやむを得ない。
さらに、自分の仕事を持たず、人類のために役立つ製作的な、あるいは建設的な仕事を持たないものは
適帰する所を失うのはやむを得ないと思う。
然しそれは病的現象であって、人間をつくったものは、そんな状態に人間が落ち着くことを好まないことはわかり切っている。
人間をつくったものが人間を落ち着けたがっている世界、それはすべての川が入りたがって流れていく海のような世界、
それは我等の理想とする世界であって、我等は其処へ達する為に働くことを、
我等のつくったものによって命ぜられているのである。
それはいつ達せられるかわからない。しかし其処に達するまで、我等は本当の意味では落ち着けないであろう。
だがそれを目指している間、我等の内に希望が湧くように我等は又つくられている。
それがあればこそ我等は自分の一生で達せられるとは思わないでも、
一方落ち着いて大いなる希望を持ちながらその日その日を努力して、
足もとを忘れずに一歩ずつ進んでいくのである。
そして後戻りする必要も無いのである。
我等をつくったものの意志を内に感じるものは、
内心の要求をのみ無上のものとする。
其処に神の意志を奨励を認める。
歴史や現実はどうであろうと、目指す所は忘れない。そしてその為に静かに土台をつくることが出来る。
どんな嵐の中でも思想の混乱している時でも、それを貫いて我等を導くものは、
我等をつくったものの意志である。我等の内に生まれる内心の欲求である。
これを感じないものは遂に目的を忘れて、嵐に巻き込まれる。
我等をつくったものの意志を尊重しなければならない。
もの二つ、三つ組合せてつくるに非ず、黄金を打ち延べたるようにてありたし 芭蕉
10識の10という数字は非常に意味深な数字で、統計学が成立する理由は何でも10で区切れるから。
真情がいかに大きな意味を持つかわかる。
13という数字はちょっと不可思議な数字。
旧制三高寮歌である「逍遥の歌」「紅萌ゆる」の作詞者は13識にいる。
12識から13識に上がるのは非常に大変で、
岡自身13識から眺めると、今回の人類の旅路は星を移らないで済むかもしれないと言っている。
それにしても、星を移るっていうのを映像化したFF13のナンバリングタイトルが13だったというのは因縁はあるかもね。
11識を使い過ぎると早く死ぬっていうのもこのゲームの中で映像化されてるし。
■一般人の認識
ボトムズ:新左翼とアニミズムの融合
エヴァ:ヤマトとガンダムとパトレイバーとナウシカを足して4で割った話
マクロス:ヴァルキリー
ギアス:ボトムズの監督の弟子がCCさくらと一緒に足場崩しする話
ガンダム:世界大戦の末期、雑魚敵兵器ザクを倒す航空機ガンダムを開発した連合は、
ジオンを植民地支配時代に見事回帰させることに成功するも、左翼三派同盟の抵抗に四苦八苦していた。
エレズム・コントリズム・ニュータイプ運動を三本柱とするジオニズムを実践する左翼三派同盟は、連合を散々苦しめるも、
最終的に世界大戦を再現したために、黒歴史として忘却の彼方に埋葬されるのであった。
その左翼三派同盟を批判するアナザー諸国は、黒歴史の呪縛の解除に全国力を傾注していく。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十四識の文例
「私と子供の本」
外国語学部一年 女子学生
本屋に入れば一時間も二時間もウロウロしている私ですが、近頃またその時間が延長し始めています。
あの狭い本屋のどこをウロウロしているのかと言えば、ほんの小さなコーナーなのですが、
そこはもう時間や空間を超越したファンタジーの世界なのです。
ワッといろんな色が飛び込んで来る絵本のコーナーとずらりと並んだ童話のコーナーは、
私に一大変革を持ち込んだのです。
何か私に無限の世界が広がったような気がします。
こうなる機会を作ってくれたのは、絵本「木」(堀文子作)でした。
本との出会いというのは、こういう事なのでしょうか。「木」は、それまでの絵本に対する私の概念を見事に打ち砕きました。
日本画家で知られていた堀文子さんの絵は、一頁一頁の絵でもって私に感動を与えました。芸術なのでした。
作者が全力投球で、真剣に絵本と向かい合っているのが感じられました。
私がそれまで知っていた絵本を見る時、何か窮屈な思いに駆られるのです。
大人から見下されているような。
例えば、こんな絵本があります。
お風呂の入り方とか服の着方とか、ある主人公がこうなったのはこういう悪い事をしたからなのよとかいった教訓めいた本です。
私は今ではそういう類の物を目にした時、腹立たしくなるのです。
どうしてそんなことまで絵本の題材にしなくてはいけないのか。
絵本には、もっともっと重要な子供たちへの役割がある。そんな日常的なことは、母親が実際に教えたら良いことではないか。
私の大事なファンタジーの世界を汚さないで下さいと言いたくなるのです。
絵本の重要な役割……これをここで私は考えていきたいと思います。
多く大人は、子供に本を読む時には必ず何かを学び取らせる事を欲します。
そしてその何かの無い本は遠ざけて、何かの有る本だけを与えようとします。
小学校の頃夏休みの宿題で何とか課題図書とか称して、無理に読まされ、感想文を書かされたことを思い出します。
あの時は、随分しんどい思いをしました。
大人は、大人の既成概念の枠で子供たちを囲もうとしているようです。
子供たちのエネルギッシュな心を拘束するのは、自分のような大人の状態に高めよう(?)とする事と思い込み、満足し、
子供たちに対して優越感に浸っているなんてなんとも滑稽ではありませんか。
子供の世界は無限であると思います。
自由な創造力とトンチンカンと残酷(それは生の心から欲される結果)とのびのびした楽しさとの世界にそんな枠をはめ込もうとするのは不自然です。
私が子供の本に魅せられてしまったのは、その無限の世界故です。
そこから何かを学び取るとかいうようなものではなくて、文句無く理屈無しで楽しめ、遊べるのです。
そこでは、もう本を読む時の長年の私の癖である本から何かを学び取ろうと身構える事は無意味なような気がします。
こんな風に私に考えさせて来た私の出会った絵本や童話を紹介し、その際気付いた事も少し書いておきたいと思います。
絵本と童話との出会いは驚きとの出会いです。
そしてその驚きは、その本一冊一冊で種類を異にします。
絵本では、先ず堀文子さんの「木」が最初に書いたように新鮮な驚きでした。
これはまず、初体験とでも言うべきものです。
そして、最高のお気に入り、「おしゃべりなたまごやき」(寺村輝夫文、長新太絵)があります。
内容は窮屈そうににわとり小屋にひしめくにわとりを可哀想に思った心やさしい王様は、彼等を放してやります。
城中は大騒ぎ。犯人は誰だと探し回る家来たちをよそに、王様は自分が犯人と知っている一匹のにわとりに「誰にもいうなよ」と命令するのです。
ところが、夕食にそのにわとりの卵で作った目玉焼きが出て来て、
それを食べると王様の口の中から「誰にもいうなよ」という言葉が飛び出して来るのです。
何てナンセンス。何て愛すべき王様。そしてこの長新太の絵のきれいな色といったらないのです。
ここまで言って来てふと思うのは、子供ではない自分のひとりよがりの自己満足ではないかという事です。
子供にも、果たしてそんな風に受け入れられるのかと言えなくもありません。
けれど私は、受け取り方は違っても子供は子供なりにこの素晴らしい絵本を楽しんでいると信じたいのです。
昔見た日本昔ばなしやディズニーの可愛い動物たちを時折静かに思い起こすのは、
やはりその時の印象が私の心の中の隅っこに静かに眠っていたとは言えないでしょうか。
そういう印象の種を持たなかった大人たちに、今素晴らしい絵本を読んでもらっても、種の無い心に芽がふくかしらと考えてしまうのです。
その他、ソビエトの画家ヤーノシュの「おばけリンゴ」などの外国絵本もその創造性において、嬉しい絵本でした。
童話では、私が涙をポロポロ流して読んだ「木かげの森の小人たち」(いぬいとみこ)は、絶対に忘れられないものの一つです。
鋭い反戦の内容を持ちながら、私たちに小人は日本のやさしい心を持つ誰かの保護のもとに今も生きているとふんわりした気持ちを思い起こさせます。
それは、あの小人たちの命を繋ぐ空色のコップの象徴的な鮮やかな印象から起こるのです。
童話ではありませんが、稲垣足穂の「一千一秒物語」はとびきり上等の私への贈物のように思えました。
クールなナンセンスと硬質な光りのきらめきは、新しい大きな発見でした。
文集の少年愛のイメージも好きです。とにかく私はタルちゃんの新奇な世界に参ってしまったのです。
「たんぽゝのお酒」(レイ・ブラッドベリ)は、奇妙で詩的な少年の夏の日の世界でもって私をころりとさせてしまいました。
「まっぷたつの子爵」(イタロ・カルヴィーノ)は、大人の心臓をドッキリさせてしまう。
子供にはユーモラスでちょっと怖さがあって、とファンタジーの世界に満ちているのですが。
現実社会への批判の鋭さに、この本は現実感を持って私たちに迫って来るのです。
しかしその影に隠れる作者の暖かい心が感じられ、ホッとしました。
「僕の村」(ジャン・コー)のナンセンスは、とびきり上等のフランス風センスを心得ていました。
谷川俊太郎の「ことばあそび」というのがあります。
自由自在に何の意味も特別持たず言葉を操るそのナンセンスに私は、好きな詩人であるだけに感動しました。
そこに子供たちが無心に遊ぶ姿を見たのです。
ナンセンスと言えば「地下鉄のザジ」(レーモン・クノー)も、大人の味は強いとはいえ枠を超えた面白さを持っていました。
そして宮沢賢治の童話はいつ読んでも新鮮ですし、
「ピーターパンとウェンディ」を読む時のあの緊張感も薄れてはいません。
近頃では、読んだり見たりするだけでは飽き足らず、自分でも書いたりするのです。
他の人の創造の世界に遊ぶことは、いろいろな新しい発見があってそれは楽しいのですが、
自分だけの自分が生み出すファンタジーの世界に遊びたいという気持ちが強くなって来ているのです。
それはやはり創造の楽しみでしょう。
絵本や童話の子供たちへの大事な役割とは、この創造ということだと思います。
子供は、大人の既成概念の枠にはめられる前に、創造の世界に生きて自分の内に眠るあらゆる可能性を知らなくてはいけないと思うのです。
そうすることの出来なかった私は、現実世界に生きてきて、
その中の周囲のいろいろな事に気を配りながら常識的、習慣的、義務的人間になってしまった自分にウンザリし、
今更枠を壊したいという願いを子供の本に向けているというわけです。
今度本屋に立ち寄る時も、又ふらふらと児童書のコーナーに吸い寄せられるでしょう。
今日はどんなびっくりする本に出会えるだろうかと。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十五識の文例(其の一)
「子供は天才」
経済学部二年 女子学生
子供の世界を静かに観察する事から始めよう。
子供は元気に遊びたわむれる。子供は遊びの世界に生きるのである。
女の子供は、ままごと遊びに明け暮れする。子供はきまって親を百貨店へひっぱり出してゆく。
そして、そこでままごと遊びの道具などを買わせようとするのである。
おもちゃ売場へ行くと驚かされる。そのおもちゃの種類のおびただしい事、何でもある。
ところで、それを眺めていると、大人の世界が、一つの売場に完全に集約されているような感じを受けるのである。
子供が手にして選ぶ色々なおもちゃを見ていると、自分までもが、おもちゃ売場の一隅に小さくならべられた人形の様に感ぜられてくる。
子供が、あれやこれやと手にしているおもちゃを見ていると、
テレビ、ラジオ、ガスレンジ、洗濯機といった高級品から食器セットまでの家庭用品、自動車、電車、汽車まで……。
人形はと手に取れば、ミルクを飲み、おしっこもするといった具合である。
実際の話、おしっこもまともに出来ず、又言えもしない子供が、そういった人形を手にしたいらしく買ってくれとせがむのである。
ご飯もまだひとりで食べられない子供が、食器セットを手にしたがる。
ガスレンジもスパークが出るような本物まがいのが欲しいらしく、おねだりを言い、あげくのはては、だだをこねるのである。
一、二歳頃までのおもちゃは、視覚的要素だけを考慮に入れて作られているらしいが、それらに満足している期間は、はたしてどれほどだろう。
見ているとものの一年もたたない間に、どんどんこわし始める。
破壊するのだから、子供には満足を与えていないことになる。
もう子供は一足とびに、ままごと遊びの道具を欲しがるようになる。
まだ子供だから、身体は十分機能的に動き得ないのに、観念的には、十分発達した機能的動きの中で遊ぼうとする。
要するに、視覚とか聴覚だけを部分的に満足させてくれるおもちゃでは満足できなくなってくるらしい。
それがどうも子供が盛んにままごと遊びの道具をせがむ理由らしい。
さて、たまたま、このままごと遊びの道具を首尾よく手に入れた時、
子供はこれで、どのように楽しく遊ぶか、しばらくこれを眺めることにしよう。
例えば、台所用具一式を幸いにも子供が手に入れたとしよう。どうするだろう。
ガスレンジには鍋をかけ、食器をならべ、お台所仕事がはじまる。
ところが、ここで異様な動作が行われている事に気がつく。
それは何か、と言うと彼女達は、きまってそのままごと遊びの主人公になろうとする、という事である。
例えば、隣から友だちを呼んで来て、お客様としてすわらせる。
すなわち、自分が料理をしてご馳走する立場に立とうとする。
お客様がいないとまことにご機嫌が悪く、うっかりすると見ている大人までがひっぱり込まれてしまう。
そしてとんでもない、むなしいご馳走にあずかるはめにさえなる。
ご馳走の中身が、そこらにある草である場合もあり、或いは、紙片かも知れない。
ある時には、何もない事もある。寒い時は暖かそうに、暑い時は冷たくして出される。
子供は、よちよちしながらも、かいがいしく立ち回るのである。
うっかりして大人が、そのままごと遊びの主人公にでもなろうものなら、大変なことになる。
次々と彼女達によって展開されていく生活環境は、驚くべき事に、全くもって大人のそれであるということである。
たまたま、そこに相手役をつとめる人間がいないとすると、さっそく選ばれ、御相伴役(ごしょうばんやく)を仰せつかるのが人形である。
この人形には、最上級の敬語と愛情が、注がれる。
彼女は、この無言のお客様のご機嫌を損じないように、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を続ける。
ミルクもコーヒーもパンも、時には、あまり口にもしないようなものまでがご馳走される。
人形は無言だが、彼女はしゃべり続ける。しかも驚くべき事に、その言葉遣いが異常なほどに大人びてくる。
最上級の敬語というのがそれであり、言葉のデリケートなニュアンスも案外間違えない。
動作のジェスチャーも機微にふれている。
平素は坐れもしないのに、きちんと無理をして坐る。
歩き方はと見れば、きまって花嫁の真似をする。
人形に対する態度は、友達としてではなく、母親が子供に対するがごとく、
彼女自身がおしっこを言うのを忘れていても、人形のおしっこをさせる事だけは忘れない。
まことに、さまざまな世界をここに構成する。
その世界の主人公になることによって……。
ところが、ここへ母親でも帰って来たとしよう。
そして、たまたま美味しいお菓子でも買ってきたとすると、もう彼女の性格は一変してしまうのである。
ままごと遊びの主人公は、どこかへ行ってしまう。
性格が変わるといったものではなくして、彼女自身の場を変えてしまうのだ。
遊びの世界の主人公が、母親のふところにその場を転換せしめてしまう。
即ち、母親と自分という関係において自分を意識した時にはもはや、ままごと遊びの主催者ではなくなってしまい、
母親のふところに、即ち母親の世界の一隅に、だだっ子として位置づけられてしまう。
本能的にはっきり自覚しているかどうか、それはわからない。
しかし、言葉、態度、行動は一変してしまう。
大人びた言葉は、一言もはかないし、大人の真似ごとの挨拶でもって母親を迎えたりは絶対にしない。
ままごと遊びの時には、玄関に手をつき、お客を招じ入れる格好を何回も何回も繰り返しておきながら、
それはもう、けろりと忘れてしまっている。
人形にもったいぶってミルクを飲ませ、あやしたり寝かせたりした事も忘れてしまって、母親の胸に飛びつく。
こんな全人間的な変革が瞬時に行われる。
このような変革の為に、子供は何らの苦労もしないらしく、又そんなに変革した事も意識しないようだ。
もしも大人が、大人の世界で、こんな大きな性格変化をしたら、いったいどんなものだろう。
狂人呼ばわりされても仕方がないだろう。
子供たちは、別に狂人ではない。こんなに鮮やかな世界の転回をやすやすとやってのけ、後はまことに春風駘蕩たるものである。
実に天才の名にふさわしい。
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十五識の文例(其の二)
「ならの小川」
外国語学部二年 女子学生
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
風がそよそよと楢の葉をそよがす音がする。
そんな、ならの小川のあたりの夕暮れは、涼しくて、もうすっかり秋らしいのであるが、
その小川で行われている六月ばらいの行事だけが、今日がまだ夏のうちである証拠なのだなあ。
と歌の意味は大体このようなものである。
「みそぎ」は夏の行事であり、川原で身についたけがれや罪をはらい除く神事で、
ここは六月晦日に行われる「六月ばらい」であって、それをもって「夏のしるし」と確認している。
六月晦日は暦の上では夏の最後の日。すでに秋との交替は始まっている。
現にまわりの情景には、もう夏らしきものはなく、上の句がそれを語っている。
肌に感じる風にしろ、「風にそよぐ楢」の葉の音にしろ、小川の流れにしろ、ましてや、夕暮れ時はすべて涼気を感じさせるもの、
秋である。
作者、藤原家隆がこの歌を詠んだのは、今からおよそ八百年余りも昔のこと、
当時の人々は、この行事をどのように感じていたのであろうか。
凌ぎやすい初秋を待ちこがれている人々は、早くから秋の気配をさがし求めていたであろうが、
この行事を切り目に、いよいよ明日からは秋だと思う、そのよろこびと共に、
かえって去って行く夏にも何かなごり惜しいものを感じたのではないだろうか。
生理的に感ずる季節感を大切にする一方、暦による精神的な季節感によって強く支配されてもいたようである。
自然界にみる四季の変化に敏感ではあったが、ふんぎりをつけるのは、やはり暦によったのだった。
さて、長々と歌についての説明を書いたが、何故、私がこの歌を選んだかというと、それは歌の中にある「ならの小川」にある。
この「ならの小川」というのは、実は上賀茂神社の境内を流れている「御手洗川」のことである。
それを私は、今年のお正月まで全く知らずにいた。
元旦に久しぶりに小倉百人一首の本を見ていて、初めて気がついたのである。
山口県から京都へ来て、ここ、上賀茂に下宿して、毎日、神社のそばを通り、その川を渡って大学へ通っていたのである。
今までは何とも思っていなかった、この一つの歌が非常に身近に感じられた。
そして、また京都の街の歴史の古さを一層深く感じさせられたのである。
今は冬、寒々とした上賀茂神社の境内を流れているこの小川は、
今もまだ一点のくもりもない程に澄き通り、
私の身も心もすべて洗い流してくれそうである。
わたしが確認の旅路の第十二識にいた時、或る日不思議な情景を見た。
わたしの部屋のわたしの机の上に非常に大勢(千人位)の小さな人が真っ四角に整列している。
と見ると、其のn人が合一して少し大きな人になった。人数は1/nに減った。
この合一を繰り返して見る見る減って行き、到々大分大きな一人の人になって消えた。
わたしは第十五識の個人の主宰者はワンサイクルτ1-α1だが、
第十四識に下ると30サイクルズの合議制となり、
第十三識になれば30の2乗サイクルズの合議制となり……
第七識上層になれば30の8乗サイクルズの合議できまるようになっていると思う。
第十五識、第十四識、第十三識を見ると如何にもそれがよくわかる。
第十五識の第二例は一昨年の作文であって、此の人だけはもう自覚の旅路に入っている。
第十五識は二例ともそれでよいが、第十四識は口数が多すぎる。
第十三識は其の上理屈が入り、それにくど過ぎる。
第十五識を天(あめ)なるこころだけとすると、第十四識、第十三識と、段々土(つち)の要素が餘計入って行くのである。
第十二識-第十五識(其の一)を並べて見ると、こう云う感じである。
第十一識と第十二識との境界上の世界に「悟」の実がむすぶと、
造化はその種を第十二識と云う畑に蒔き、芽が出れば第十三識に移して育て、これを時機をみて第十四識に移して花を開かせる。
その香りと云うエキスだけを取り出したのが第十五識である。
第十五識の第二文例は、認識の旅路を終えて一度ふるさとの生命の源流で浴し、それから自覚の旅路についたのだろう。
この水浴の印象を御手洗川の上に再現したのだろう。
実に名文であって、少しも人工の跡がない。
(帰郷してみて、第十二識以上は皆よく書けている。既に個性が見られる。
第十五識の第二文例は絶品である。人の世に於ける文の最高峰であろう。)
「春雨の曲 第7稿 第5章 無明、生死、染色体」より 最終段落
フリーセックス時代は真に恐るべきものなのであって、
且つてアテネはこれによって繁栄の絶頂から滅亡まで僅か百五十年位で亡びたのである。
日本の現状はそれよりも更にひどいと思うから、此の儘推移すれば百二十年位で日本は名も知らぬ土人の島と化し終わるであろう。
学生の自由作文によって見れば、今でも日本人の半ばは、実質的には異邦人である。
日本民族の日本民族たる所以のものは女性が主になって守るべきである。
造化は女性をそう造っているのだと云う証拠として、染色体のお話をしたのである。
女性が率先してフリーセックス時代を謳歌するようになっては日本はもうおしまいである。
今年の自由作文にお嫁があるだろうかと云って心配していた男の学生がいて作文は名文であった。同感である。
――完――
保守
岡潔聴雨録bot
https://twitter.com/chouroku_bot
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は••••」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。
429 考える名無しさん 2015/06/11(木) 09:11:41.22 ID:
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は????」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。
人から聞いた話
ある若い数学者が、学会で講演をして終了後の質疑応答のとき、最前列で聴いていた岡先生がスックと立ち上がって講演者を指差し
「君の研究は180度方向が違っている、正しい方向は・・・・」
という。みんながハラハラしながら聞いていると
「あっちだー」
と振り返って後ろの出口を指差したという。