隋唐帝国 三最終更新 2023/12/13 06:541.世界@名無史さん前スレ隋唐帝国 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1614635693/隋唐帝国 二 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1617951377/出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/16333208452021/10/04 13:14:05141コメント欄へ移動すべて|最新の50件92.世界@名無史さんLCZ8h隋唐は仏教国2023/08/27 12:25:0193.世界@名無史さんLCZ8h道教と習合していた2023/08/27 12:25:3494.世界@名無史さんLCZ8h隋唐門閥士族有多豪横?(中国語)https://youtu.be/nIrpZ857m1o2023/08/27 17:56:4695.世界@名無史さんLCZ8h北宋になると、官僚国家が完成する地主・科挙合格者・読書人三拍子そろったエリート官僚2023/08/27 17:58:1396.世界@名無史さんLCZ8h隋唐は、まだそこまで行ってない科挙官僚はいたが、官僚国家とまでは言えない貴族社会だった2023/08/27 17:58:4497.世界@名無史さんLCZ8h中国では、貴族とは言わない士族と言っている2023/08/27 17:59:0198.世界@名無史さんLCZ8hノンビリした夜中だ優雅な貴族たちの世界やがて、その幻想はブチ壊される2023/08/27 17:59:5499.世界@名無史さんLCZ8h夜中じゃないなんだ、この変換2023/08/27 18:00:15100.世界@名無史さんLCZ8h「世の中」だ2023/08/27 18:00:54101.世界@名無史さんLCZ8hまあ、騎馬民族が支配する国なので日本みたいに、牛車がノロノロ進むというほどノンビリしてないが2023/08/27 18:01:46102.世界@名無史さんLCZ8hやはり、騎馬での移動が中心2023/08/27 18:02:00103.世界@名無史さんbmVUl唐朝は、安史の乱で崩壊した室町時代でいえば、応仁の乱に相当する2023/08/27 18:58:41104.世界@名無史さんbmVUlそれ以後は、群雄割拠の世「第二戦国時代」と呼んでもいいんじゃないか2023/08/27 18:59:26105.世界@名無史さんbmVUlもっとも、地方に事実上の独立国がいくつもあっただけそれらが、天下統一を目指して競いあってたわけではない2023/08/27 19:00:29106.世界@名無史さんbmVUl単に、統一がゆるくて、事実上バラバラだっただけだ2023/08/27 19:00:50107.世界@名無史さんbmVUl強力な中央集権の統治機構を備えた明清帝国とは、似て非なる存在2023/08/27 19:01:25108.世界@名無史さんMc8Ao明清帝国には、強力な中央権力機構があったとくに清朝は、ほぼ近代国家2023/08/30 19:28:21109.世界@名無史さんMc8Ao隋唐は、統一国家といったって非常に緩い中世的な地方分権体制だった2023/08/30 19:29:23110.世界@名無史さんMc8Ao日本でいえば、室町幕府欧州でいえば、神聖ローマ帝国のイメージ2023/08/30 19:30:25111.世界@名無史さんuct4S唐の文化っていうと、「中国っぽい」文化を思い浮かべるかもしれないけれど、実はかなり国際色豊かな文化だったんだよ。 特にイラン文化の影響を強く受けている。それも当然。唐の領域は、あとちょっとでイラン高原に到達しそうな勢いだったからね。首都の長安にはイラン人が多数居住し、イラン人の宗教であるゾロアスター教や、キリスト教の異端であるネストリウス教、それにイランでは禁じられたマニ教という宗教のお寺も、仏教と道教のお寺に交じって建てられた。それぞれゾロアスター教は祆教(けんきょう)、ネストリウス教は景教(けいきょう)、マニ教は摩尼教(まにきょう)のように呼ばれた。2023/08/31 08:01:15112.世界@名無史さんuct4Sすでに南北朝時代には、各地に白蓮社のような信者グループや研究機関もできて、道教との対立も勃発するようになっていた。ただ、彼らの研究していたお経というのは、クマラジーヴァ(鳩摩羅什)の訳した漢訳のものだった。彼の翻訳はとってもわかりやすく、いくつもの研究グループ(学派)が生まれ、やがて特定のお経に書いてあることが「ブッダの一番言いたかったことなんだ!」と主張するグループ(宗)へと発展。たがいに競い合うようになっていく(教相判釈)。例えば智顗(ちぎ;ヂーイー)というお坊さんは天台宗の開祖。「法華経」(ほけきょう)を重んじた。天台宗は日本の仏教に大きな影響を与えることになる。あの盲目のお坊さん鑑真(がんじん;ジェンヂェン)もこの天台宗を学んだ人だよ。2023/08/31 08:02:18113.世界@名無史さんuct4S杜順(とじゅん;トゥーシュン)さんの華厳宗。「華厳経」(けごんきょう;ホァイェンジン)を重んじた。ほかにも、戒律を決めようとした律宗(りっしゅう)や、「大切な教えはお経の文字にはない!心で伝えるもんや」(不立文字、以心伝心)とする菩提達磨(ボーディダルマ)による禅宗、さらに阿弥陀仏にすがって極楽行きをひたすら願う浄土教が生まれている。しかし、研究が進むにつれ中国独特の解釈も増えていき、「原典には何が書かれていたか」が問題となっていった。玄奘や義浄がインドに向かったのも、それが動機だ。彼らが持ち帰ったインドのお経は、その後の仏教に大きな影響を与えたよ。玄奘自身は、「唯識」という概念を研究する哲学的な法相宗(ほっそうしゅう)という新しい宗派を開いているね。日本では奈良の薬師寺が有名だ。2023/08/31 08:02:34114.世界@名無史さんuct4Sまた、国公認の教えとして認められ、科挙の試験科目となった儒教では、教えを統一するために訓詁学(字句の解釈を重んじる学派)が重視される。孔頴達(くようだつ、574~648)によって、『五経正義』(ごきょうせいぎ)という儒教の"公式解説ガイドブック"も編纂された。しかし、科挙の試験科目となったのは「五経」の暗記だけではない。お題をもとに、当意即妙に詩を読むテクニックも重んじられたんだ。教養をベースに、頭の回転とセンスが問われるわけである。当時たくさんIPPONをとっていた詩人として、”詩の仙人(詩仙)”李白(701~762)や、”詩の神様(詩聖)”杜甫(とほ、712~770)がいる。白居易(はくきょい、772~846)の『長恨歌』は、運命に翻弄された皇帝の玄宗と楊貴妃との間の悲しいラブストーリーをうたったもの。ファンの多い一品だ。2023/08/31 08:03:39115.世界@名無史さんjj1CY中国大陸、朝鮮半島、日本列島 どれも、8世紀と16世紀では、文明の中心地がまるきり移転してしまった2023/09/04 23:37:33116.世界@名無史さんjj1CY中国大陸では、長安から北京へ朝鮮半島では、慶州からソウルへ2023/09/04 23:39:03117.世界@名無史さんjj1CY日本列島は、ちと違うな江戸が台頭するのは17世紀から始まったことで、日本文明の中心地になるのは18世紀 いや、20世紀かもしれん2023/09/04 23:40:25118.世界@名無史さんjj1CYさすがにそれは無いか19世紀の前半はすでに江戸が圧倒的だったかも2023/09/04 23:40:54119.世界@名無史さんjj1CY日本の中心地は、ずっと京都から動かなかった2023/09/04 23:41:22120.世界@名無史さんjj1CY8世紀だと奈良だけど2023/09/04 23:41:39121.世界@名無史さんjj1CY9世紀から18世紀までは京都2023/09/04 23:42:04122.世界@名無史さんjj1CYだから、日本では千年前の文明が断絶せずに残った2023/09/04 23:42:27123.世界@名無史さんjj1CY「日本人は古いものを大事にする国民性だからだ」という人がよくいるが、そうではない京都から中心地がずっと動かなかったのが、なんといっても大きい2023/09/04 23:43:26124.世界@名無史さんjj1CY隋唐帝国の都・長安は、廃墟になって何百年も放置された明代に再建されたが、文明は断絶した 新羅王国の都・慶州もそうで、廃墟になって何百年も放置されてしまった古いものを大事にしないというよりは、北からきた連中に征服され、文明の中心地を移されてしまった2023/09/04 23:45:50125.世界@名無史さんjj1CY隋唐の文明は、痕跡しか残っていない日本人は、京都や奈良を見慣れているがあんな感じで、中国や朝鮮にも古い文化が残っていると思ったら幻想に終わる2023/09/04 23:47:12126.世界@名無史さんjj1CYここが、見落としがちな視点だ2023/09/04 23:47:42127.世界@名無史さんeqIDQ>>123> 京都から中心地がずっと動かなかったのが、なんといっても大きい思いつきでデタラメを書くなよ北京は大元ウルスの頃からずっと中華世界の首都だぞ2023/09/05 14:17:34128.世界@名無史さんpleTk北京こそ、千年の古都2023/09/06 19:39:18129.世界@名無史さんwGAIj日本のほうが。歴史が長い2023/09/07 19:04:45130.世界@名無史さんWnok7安史の乱で、唐朝は崩壊した日本が追い抜いた2023/09/07 20:10:58131.世界@名無史さんWnok710世紀くらいまでは、中国文明が先を行ってたが11世紀には日本が追い抜いた2023/09/07 20:12:30132.世界@名無史さんWnok7唐は砂塵に埋もれた、幻の古代文明2023/09/07 20:30:57133.世界@名無史さんWnok7隋唐の文明は消滅した日本は二千年前から連続している2023/09/07 20:35:25134.名無しさんC5YId「中国の歴史は長いから、唐など、たいした昔に感じない」という人がいる逆だ唐など、痕跡を残すのみ幻の古代文明だ2023/09/08 15:02:56135.名無しさんQcmEE優美な唐朝の貴族文化憧れる2023/09/16 17:33:13136.名無しさんwhjyp文明の痕跡がほとんど残ってないのが残念2023/09/17 00:08:32137.名無しさんwhjyp京都や奈良に来て、唐朝の文化をしのぶそんな中国人もいる2023/09/17 00:09:18138.名無しさんE7Zen仏教が廃れてしまったのがな2023/09/30 08:49:20139.名無しさんkMN9Dタラス河畔の戦いは勝ちたかったな2023/10/09 12:28:43140.名無しさんVRhVk魚豢『魏略』女王卑弥呼=『日本書紀』神功皇后王沈『魏書』檀石槐の西部大人推寅=『後魏書』献帝魏の書物に皇族を比定する日本と北魏はそっくりさんだね。2023/10/09 21:54:35141.名無しさんfA9bw中国史上西トルキスタンを一部なりとも支配した唯一の国家だからな2023/12/13 06:54:45
隋唐帝国
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1614635693/
隋唐帝国 二
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1617951377/
https://youtu.be/nIrpZ857m1o
地主・科挙合格者・読書人
三拍子そろったエリート官僚
科挙官僚はいたが、官僚国家とまでは言えない
貴族社会だった
士族と言っている
優雅な貴族たちの世界
やがて、その幻想はブチ壊される
なんだ、この変換
日本みたいに、牛車がノロノロ進むというほどノンビリしてないが
室町時代でいえば、応仁の乱に相当する
「第二戦国時代」と呼んでもいいんじゃないか
それらが、天下統一を目指して競いあってたわけではない
とくに清朝は、ほぼ近代国家
中世的な地方分権体制だった
欧州でいえば、神聖ローマ帝国のイメージ
「中国っぽい」文化を思い浮かべるかもしれないけれど、実はかなり国際色豊かな文化だったんだよ。
特にイラン文化の影響を強く受けている。
それも当然。唐の領域は、あとちょっとでイラン高原に到達しそうな勢いだったからね。
首都の長安にはイラン人が多数居住し、イラン人の宗教であるゾロアスター教や、キリスト教の異端であるネストリウス教、それにイランでは禁じられたマニ教という宗教のお寺も、仏教と道教のお寺に交じって建てられた。
それぞれゾロアスター教は祆教(けんきょう)、ネストリウス教は景教(けいきょう)、マニ教は摩尼教(まにきょう)のように呼ばれた。
ただ、彼らの研究していたお経というのは、クマラジーヴァ(鳩摩羅什)の訳した漢訳のものだった。彼の翻訳はとってもわかりやすく、いくつもの研究グループ(学派)が生まれ、やがて特定のお経に書いてあることが「ブッダの一番言いたかったことなんだ!」と主張するグループ(宗)へと発展。たがいに競い合うようになっていく(教相判釈)。
例えば智顗(ちぎ;ヂーイー)というお坊さんは天台宗の開祖。「法華経」(ほけきょう)を重んじた。天台宗は日本の仏教に大きな影響を与えることになる。あの盲目のお坊さん鑑真(がんじん;ジェンヂェン)もこの天台宗を学んだ人だよ。
ほかにも、戒律を決めようとした律宗(りっしゅう)や、「大切な教えはお経の文字にはない!心で伝えるもんや」(不立文字、以心伝心)とする菩提達磨(ボーディダルマ)による禅宗、さらに阿弥陀仏にすがって極楽行きをひたすら願う浄土教が生まれている。
しかし、研究が進むにつれ中国独特の解釈も増えていき、「原典には何が書かれていたか」が問題となっていった。
玄奘や義浄がインドに向かったのも、それが動機だ。
彼らが持ち帰ったインドのお経は、その後の仏教に大きな影響を与えたよ。玄奘自身は、「唯識」という概念を研究する哲学的な法相宗(ほっそうしゅう)という新しい宗派を開いているね。日本では奈良の薬師寺が有名だ。
孔頴達(くようだつ、574~648)によって、『五経正義』(ごきょうせいぎ)という儒教の"公式解説ガイドブック"も編纂された。
しかし、科挙の試験科目となったのは「五経」の暗記だけではない。
お題をもとに、当意即妙に詩を読むテクニックも重んじられたんだ。教養をベースに、頭の回転とセンスが問われるわけである。
当時たくさんIPPONをとっていた詩人として、”詩の仙人(詩仙)”李白(701~762)や、”詩の神様(詩聖)”杜甫(とほ、712~770)がいる。
白居易(はくきょい、772~846)の『長恨歌』は、運命に翻弄された皇帝の玄宗と楊貴妃との間の悲しいラブストーリーをうたったもの。ファンの多い一品だ。
どれも、8世紀と16世紀では、文明の中心地がまるきり移転してしまった
朝鮮半島では、慶州からソウルへ
江戸が台頭するのは17世紀から始まったことで、
日本文明の中心地になるのは18世紀
いや、20世紀かもしれん
19世紀の前半はすでに江戸が圧倒的だったかも
京都から中心地がずっと動かなかったのが、なんといっても大きい
明代に再建されたが、文明は断絶した
新羅王国の都・慶州もそうで、廃墟になって何百年も放置されてしまった
古いものを大事にしないというよりは、北からきた連中に征服され、文明の中心地を移されてしまった
日本人は、京都や奈良を見慣れているが
あんな感じで、中国や朝鮮にも古い文化が残っていると思ったら幻想に終わる
> 京都から中心地がずっと動かなかったのが、なんといっても大きい
思いつきでデタラメを書くなよ
北京は大元ウルスの頃からずっと中華世界の首都だぞ
日本が追い抜いた
11世紀には日本が追い抜いた
日本は二千年前から連続している
逆だ
唐など、痕跡を残すのみ
幻の古代文明だ
憧れる
そんな中国人もいる
王沈『魏書』檀石槐の西部大人推寅=『後魏書』献帝
魏の書物に皇族を比定する日本と北魏はそっくりさんだね。