言いたいことだけ言って立ち去るスレッド2024-2025 9月IDなし最終更新 2024/10/15 09:361.夢見る名無しさんどんどん書け2024/09/25 16:37:5339コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.夢見る名無しさん迷惑行為炸裂地元2024/09/25 16:38:223.国師が好きなやつ細川 野々村2024/09/26 09:42:194.夢見る名無しさんニートキモい2024/09/28 09:55:455.夢見る名無しさん元木うざい2024/09/28 09:56:286.夢見る名無しさん芸能人になりたかった亀卦川氏ね どうせ引きずり降ろすだろ2024/09/28 10:19:287.夢見る名無しさん同定ニータキモい2024/09/28 10:19:528.夢見る名無しさんヲタクのくせにジュノンボーイか菅田2024/09/28 10:34:119.夢見る名無しさん菅田の弟ヲタク2024/09/28 10:34:3410.夢見る名無しさんブラウザニュースなう2024/09/28 10:35:0211.夢見る名無しさん以上2024/09/28 10:35:1712.夢見る名無しさんはやく気付け2024/09/28 13:30:5513.2ch新参者異世界に転生したい2024/10/08 23:01:4514.夢見る名無しさんぺんぱいなっぽあっぽぺぇん2024/10/09 12:53:1315.夢見る名無しさん9月からスレ立てたということ2024/10/09 16:25:3116.夢見る名無しさん10月なう事業所いやはやく辞めたい2024/10/09 16:29:4917.夢見る名無しさん本能とは何か娘 パパ、本能って、何なのかしら?父 本能とは、一つの説明原理さ。娘 何を説明するの?父 何もかもだ。説明してもらいたいことなら何でも説明してくれる。娘 嘘でしょ? 重力は説明してくれないわ。父 それはだね、誰も“本能”で重力を説明したくないからだ。その気にさえなれば、 立派に説明してしまうよ。「月は距離の二乗に反比例する力で、物体をひきつける本能がある」とかね。娘 そんなのナンセンスじゃない。父 そうさ、だが「本能」なんて事を言い出したのはお前だぞ。パパじゃない。娘 いいわ。でも、じゃあ、パパ、重力は何で説明したらいいの?父 重力を説明するのか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ。娘 ふーん。娘 説明原理は説明できないの? 別の説明原理を使ったら駄目?父 ふむ。駄目ということだな。ニュートンのhypotheses non fingoという言葉は、そのことを言っている。娘 どういう意味なの?父 hypotheses(仮説)というのは、分かるね? 出来事を記述する文章を二つ並べて、 それをつなぐ時に言う言葉、それが仮説だ。つながりさえすれば何だっていい。 「二月二日は満月だった」、「三月一日は満月だった」この記述を繋げる発言は、全部仮説だよ。娘 うん。えっと、nonは知ってる。fingoって?父 fingoというのは後期のラテン語でI makeという意味だ。その名詞のはたらきをする形がfictioでfictionという語はそこから来ている。娘 ニュートンは、仮説というのはみんなフィクションだって考えたの? ただの作り話だって。父 その通り。娘 でもニュートンは重力を発見したんでしょ? 林檎が落ちるのを見て。2024/10/12 22:19:1418.夢見る名無しさん父 そうじゃない。重力を発明したんだ。作ったのさ。娘 ふーん。じゃあ、本能を発明した人もいるのね。誰?父 知らないな。随分昔から使われている。聖書にさかのぼるだろう。娘 重力という考えも、記述と記述をつなげるものでしょう? それだって仮説じゃないかしら。父 そうさ。娘 じゃあ、ニュートンも仮説を作ったんじゃない。父 その通り。とても偉大な科学者だったんだ。ニュートンという人は。娘 ふーん。娘 「説明原理」は「仮説」とは違うものなの?父 そんなには違わない。ただ、仮説というのは一つ一つの出来事を説明するためのものだが、 “本能”とか“重力”とかいう説明原理は、本当の所は何も説明しないんだ。 ある点から先はもう説明するのはやめましょう、という科学者同士の取り決めというかな、それが説明原理だよ。娘 ああ、ニュートンの言ったのはそういう意味だったの。“重力”が何も説明しなくて、 ただ説明の終わりにつける印みたいなものだったら、重力を作っても仮説を作ったことにはならない---父 そうだな。説明原理を説明するものはないんだ。ブラック・ボックスみたいなものだよ。娘 ふーん。娘 ブラック・ボックスって?父 ブラック・ボックスというのは、ある点から先を説明しないですますための科学者同士の取り決めのことさ。普通は一時的な取り決めを言うがね。娘 全然「ブラック・ボックス」みたいじゃない。父 だが、そう言うんだ。そのものらしく聞えない名前というのも、世の中には随分ある。娘 うん。父 もともとはエンジニアの言葉でね。複雑な機械の設計図を書く時に、一種の速記というかな、 細かい所までいちいち描くのは面倒だから、箱を一つ置いて、 その中のいろいろな部分が全体として「何をするか」ということのラベルを、その箱に貼っておいたわけだ。娘 「ブラック・ボックス」っていうのは、じゃあ、細かなことが集って全体として何をするかということのラベルなのね。父 そう。「どんな仕組みでそういうはたらきが現れるのか」ということの説明ではない。娘 じゃあ、重力っていうのも……2024/10/12 22:21:4819.夢見る名無しさん父 中がどうなっているのか分からない箱の、全体としてのはたらきを示すラベルだ。 「どういう仕組みで、そういうはたらきが現れるのか」ということの説明じゃない。娘 ふーん。娘 本能も?父 それも、あるブラック・ボックスに貼り付けたラベルだな。それが「何をするか」ということのね。娘 何をするの?父 難問だな、これは。娘 ねえ。父 本能は生命体の行動をコントロールする、部分的にコントロールする、と考えられている。娘 植物にも本能はあるのかしら。父 いや、植物のしていることに本能を持ち出したとしたら、その人は植物の世界を動物のイメージで汚染したことになる。娘 それ、悪いことなの?父 ああ、凄くね。植物学者が植物を動物のように見立てるのは、動物学者が動物を人間のように見立てるのと同じくらい悪いことだ。娘 ふーん。娘 行動を「部分的にコントロールする」って、どういうこと?父 犬が崖から落ちるとするね。その時落下という運動を支配しているのは重力ということになる。 しかし、落ちながら犬が身体をくねらせるとすれば、そちらの動きの方は本能の支配を受けているということになる。娘 「自己保存本能」?父 だろうね。娘 パパ、「自己」って何? 犬も、自己があるってことを知ってるの?父 さあ、どうだろう。でも、もし犬が自己というものを認識していて、 その自己を保存するために身体をくねらせるんだったら、それは知的な行動になるな。本能的なものじゃなく。娘 じゃあ、「自己保存本能」って矛盾してるじゃない。父 まあ、半分だけ、動物を人間に見立てていることになる。娘 だったら、それ、悪いことよ。半分だけ。2024/10/12 22:23:0120.夢見る名無しさん父 しかし、犬が自己というものを意識していながら、その自己を守らなくちゃいけないとは意識していないのだったら、 今度は身体をくねらせないで落ちていく方が「知的」な行動だ。 それでも身体をくねらせるんだったら、それは「本能的」だということになる。 ただし学習して身につけるんだったら、「本能的」ではない。娘 本能的でないって、どっちが? 学習する行動? 身体をくねらす行動?父 身体をくねらす方さ。娘 学習する方は本能的なのね。父 そういうことになるね。学習する能力を学習で身につけなければならないんだったら別だが。娘 ふーん。娘 でも、パパ、本能ってどんなことを説明するために作られたの?父 厄介な質問だな、それは。本能っていう考え方は、遺伝学が知られていなかった頃にできたものだし、 遺伝学の考え方だって、その大部分は、コミュニケーション理論が知られていなかった時代のものなんだ。 だから、“本能”とは何かを、今の科学の言葉で言い直すには、二重の壁を越えないといけない。娘 それで?父 細胞の染色体の中に、遺伝子があるというのは知っているね。遺伝子というのは、その生物の生長developpingと行動behavingを指図する一種のメッセージだ。娘 生長するのは、行動することのうちではないの? どう違うの? 「学習」はどっちに入るの? 学習するって、生長すること? 行動すること?父 待て待て、質問は慎重に作らなくちゃいけない。生長と学習と行動を、先ず全部一緒にバスケットに放り込んでみるといい。 そして、生長---学習---行動という具合に、次第に色が変わっていくスペクトルとして捉えるんだ。 そうした上で、このスペクトル全体の説明に、「本能」がどう関わってくるのか考えていく。それが正しい手順だよ。娘 でもそれ、本当のスペクトル?父 いや、スペクトルのようなもの、さ。厳密に言っているわけじゃない。娘 でも、「本能」というのは全部、そのスペクトルの「行動」の側に来るんじゃないかしら。それに「学習」って環境で決まるんでしょ? 染色体なんかとは関係なく。2024/10/12 22:24:0421.夢見る名無しさん父 まずこのことを押さえておこう。染色体そのものには、行動も学習も体部構成anatomyもない。娘 染色体って、何かで構成されたものではないの?父 あ、それは別だ。染色体にも、それ自身の体部構成はあるし、生理機能physiologyだってある。 だが遺伝子と染色体の構成と機能は、その動物の体全体の構成と機能とは違うものだね?娘 それは違うわよ。父 しかし染色体の構成と機能は、体全体の構成と機能についてのもの、なんだ。娘 構成についての構成?父 そう。一つの単語だって文字で構成されてるだろう? その文字や単語をつなげていくと、あらゆることの文章が生まれていく。それと同じさ。娘 ふーん。娘 遺伝子と染色体の体部構成が、体全体の構成についてのもので、遺伝子と染色体の生理機能が、体全体の生理機能についてのものなのね。父 それは違う。そういうことには全然ならない。なぜなら、体部構成と生理機能は、別々のものじゃないからさ。娘 分かった。また一つのバスケットに入れるんでしょ? 生長---学習---行動の時みたいに。父 もちろん。娘 さっきと同じバスケットに入れるの?父 そうさ。いけないか? そのバスケットの真ん中には、「生長」が来るんだ。真ん中にね。娘 ふーん。2024/10/12 22:25:3322.夢見る名無しさん娘 染色体や遺伝子に構成と機能があるんだったら、生長もあるんでしょうね。父 その理屈は通るな。娘 その生長は、体全体についての生長なのかしら?父 その質問の意味すらパパには分からんね。娘 こういうことにならない? 動物の赤ちゃんが、お腹の中で生長してる時、染色体と遺伝子も生長していて、 その染色体の生長が赤ちゃんの生長を指令しているの。そうだとしたら、その染色体の生長は、生長についての生長になるでしょう?父 いや、そういう風にはなっていないはずだ。娘 ふーん。娘 染色体も学習するのかしら?父 どうだろう。パパは知らん。娘 染色体って、なんか、ブラック・ボックスみたい。父 そうだね。しかし、もし染色体や遺伝子に学習が可能だとしたら、それは凄く複雑なブラック・ボックスになる。 今誰が考えているよりも複雑なね。科学者というのはいつも、世界が単純にできていると考えたがるんだな。そしてその期待は、決まって裏切られる。娘 それ、本能?父 何がだね?娘 その、世界が単純にできているって思うこと。父 もちろん違うさ。そう信じるように学習してきたんだ。娘 変な学習ね。いつも間違うように学習するなんて。父 そういうことを言ってはいかん。科学者に失礼だし、おまけに不正確だ。 世界が単純にできていると考えるたびに、科学者が誤りを犯しているわけじゃない。 正しい場合、部分的に正しい場合も、結構ある。もっと多くの場合、自分で正しいと思い、お互い「正しいんだ」と言い合う。 世界が単純だと考えて、不都合なことになるばかりか、逆に賞賛されるんだから、この考え方が身についたとしても不合理ではないだろう。 とにかく、いつも間違うように学習することが生物の世界で起こらないと考えたら、それは全くの誤りだ。娘 どういうときに、科学者は「本能」という言葉を使うの?2024/10/12 22:28:0423.夢見る名無しさん父 そう、その質問の方がベターだ。まず、動物の行動を見て、それが学習された者でないことが明らかに思える時、 そして、その行動の意味を理解できるほど、その動物が利口じゃないということが、 自信を持って言える時。そういう場合、科学者はその行動を本能的なものだという。娘 それだけ?父 まだある。同じ状況で、同じ種に属する仲間がみんな同じ行動をとる時。 そして、状況が変わって、その行動に意味がなくなっても、同じ行動を繰り返しやっている時。娘 本能的な行動かどうかを知るのに、四通りの知り方があるのね。父 そうじゃない。科学者が説明の時に「本能」を持ち出す条件が四通りあるということさ。娘 そのうち一つが欠けてたらどうなるの? 本能って、「習慣」とか「慣習」とかに似てるのね。父 しかし習慣は、学習で身につけるものだ。娘 そうね。娘 習慣を身につけるには、いつも二度学習しなくちゃいけないの?父 二度?娘 つまりね、ギターのコードを習う時とか、最初にどことどこを押さえるか習って、 それから練習して、そういう風に指を動かす習慣をつけていくわけでしょう? それをきちんとやらないと、悪い習慣がついてしまうの。父 そう、いつも間違うように学習が行われることもある---娘 それはもう分かったって。でも、学習が二度あるんでしょう。 それで、もしね、ギターを弾く本能があったとしたら、どちらの学習も要らなくなるのかしら。父 そうだね。どちらの学習も全然されていないことが明らかなのに、 いきなりギターを弾く生き物がいたとしたら、科学者は本能で説明しようとするかもしれない。娘 片方の学習だけないってこと、ある?父 さあ。それは誰にも分からんことだよ。2024/10/12 22:29:4224.夢見る名無しさん娘 鳥の歌って、あれは学習するのかしら?父 考え方としては可能だと思うがね。しかしそうなって来ると、“本能”って一体何だ?娘 説明原理よ。パパ言ったじゃない。一つ分からないことがあるんだけど。父 何だね?娘 大きな本能が一つあって、それがいろいろにはたらくの? それともたくさんの本能が別々にあるの?父 うん、それはいい質問だ。そのことで科学者は随分議論してきたんだよ。いろいろな本能を別個に作ったり、それを一まとめにしてみたり。娘 それで、どっちが正しいわけ?父 どっちという風に答えは出ないが、説明原理は、必要以上に増やしてはいけない、ということは言える。娘 ……?父 一神教の考え方だよ。小さな神様が二人いるより、大きな神様が一人いる方がいいっていうことだ。娘 神も説明原理なの?父 そうだとも。とても大きな説明原理だ。一つのブラック・ボックスで---一つの本能で---説明がつくことを、二つブラック・ボックスを使って説明するのはよくない。娘 ブラック・ボックスが十分大きければいいのね。父 いいということでもないが。娘 本能にも大きなのと、小さなのがあるの?父 実際そうであるかのような言い方がされる。ただし小さな本能は「本能」という名前は使わずに、別の名前で呼ぶんだ。 「反射」とか「生得的解発機構」とか「固定的動作パターン」とか。娘 分かった。宇宙全体のことは神で説明して、もっと小さなことは、鬼や妖怪のしわざにするの。父 まあ、そんなところだ。娘 大きな本能を作るときは、いろいろな行動が全部入ることになるわね。その時は、どうやって一つに纏めるの?父 たとえば、崖から落ちる時身体をくねらせる行動と、火を見ると逃げる行動が観察されたとすると、それに別々の本能を充てるんじゃなくて---娘 両方とも、自己保存本能で説明するのね。父 そういうことだ。2024/10/12 22:30:4925.夢見る名無しさん娘 でも、その二つを一つの本能で纏めてしまうと、犬にも“自己”があって、その“自己”を利用して生きているという風にしか言えなくなってしまうのね。父 そういうことになる。娘 歌う本能と、歌を練習する本能は、どう考えたらいいのかしら。父 その歌が何に使われているかによるだろう。どちらも縄張り本能に入れられるかもしれないし、生殖本能に入れられるかもしれない。娘 あたしだったら、一つにまとめたりしないわ。父 ほう。娘 だって、もしその鳥が、餌をついばむ練習とかもするとしたらどうなるの? その分だけ、本能の数を増やさなきゃいけなくなるわ。本能は、必要以上に増やしてはいけないんでしょう?父 よく分からんが……娘 いい? 餌をついばむ練習は餌鳥の本能で説明して、歌の練習は縄張り本能で説明するより、 両方とも「練習本能」というもので説明する方がいいと思うの。ブラック・ボックスが一つ少なくて済むでしょう?父 しかし、それじゃ「同じ目的を持った」行動を、一つの本能でまとめるという原則が崩れてしまうよ。娘 そうだと困るの? 分からないな。だって、鳥が目的を持っていて、そのために練習するのだったら、 それは、本能的な練習じゃなくて、知的なものになってしまうでしょ? パパ、そんな風に言わなかった?父 ああ、確かにそんな風に言った。娘 「本能」なんて考えずにやっていくことはできないのかしら。父 それで、どうやって説明するんだね?娘 細かい所だけ見ていくのよ。何かがぽんと飛び出てくると犬はジャンプするとか、足の下に何もないと身体をくねらせるとか……父 つまり、神をなくして、小さな妖怪だけにする---娘 うん。父 実は、そういう考え方でやっている研究者もいるんだ。その方が、むしろ今は主流でね。より「客観的」ということらしい。娘 本当に客観的なの?父 それはそうだ。間違いない。2024/10/12 22:32:4626.夢見る名無しさん娘 「客観的」ってどういう意味?父 自分が見ようと決めたものを、しっかり目を凝らしてみるということだ。娘 それは正しいことみたいだけど。でも、何に対して客観的になるかは、どうやって決めるの?父 それは、客観的になりやすいかどうかで決める。娘 見ている人が、客観的になりやすいかで?父 そうだよ。娘 どうしたら、それが分かるの?父 実際にやってみて、経験的に知るんだろうな。娘 じゃあ、主観的に決めるのね?父 そうさ。経験は全て主観的なものなんだ。娘 でもそれ、ただ主観的というじゃなくて、人間の主観よね。動物の世界をいろいろ分けて、 そのうちどれを客観的に調べるのか、人間の主観で決めるわけだから。 それ、さっきの「動物を人間のイメージで汚染する罪」にならない?父 うん。しかし、人間のイメージといっても、非人間的な奴なんだ、それは。客観性にこだわる人は、出来るだけ人間的でなくなろうと努力するんだから。娘 そうすると、どういうものが外されるの?父 外されるって?娘 主観的な経験で、どれを見詰めれば客観的になれるか知って、そのことについて研究するんでしょ? そうすると研究されないものが出来るわ。なかなか客観的になれないもの。父 そうだな。まず、お前の言った「練習」。もっと広く「実践」と言ってもいいんだが、 そういうものに対しては、客観的になりにくい。 それから「遊び」や「探求」。両方とも同じ理由で、客観的になりにくいものだ。 鼠の行動を見て、その鼠が遊んでいるのか探求しているのか、本当はどちらなのか、 客観的に見極めるのは容易じゃないよ。 だから客観的な人間は、そういうことは研究しない。それから、「愛」があるね。もちろん「憎しみ」も。娘 そう。今パパが言ったものって、みんな「本能」を考えたくなるものばかりね。父 そうだな。それと、「ユーモア」も忘れてはいけない。娘 パパ、動物も客観的になる?父 さあ、多分、ならないだろう。主観的にもならないと思うよ。そういう風には分かれていないんだと思う。2024/10/12 22:34:1127.夢見る名無しさん娘 人間は自分の中の動物的な部分には、客観的になるのが特に難しいって、本当?父 だろうね。フロイトはそう言っている。なぜだ?娘 だって、あの人たち、大変そう……客観的な研究が専門なのに、動物の研究をしようとしているんだもの。 客観的になるには、出来るだけ動物的でなくならないといけないでしょう? 気の毒だわ。父 いや、それは理論としては少し弱いぞ。人間の中の動物的な部分のうち、客観的に対応できる事柄が全くないと分かったわけじゃないんだから。 人間が客観的になれない事柄の集合に、動物の行動の全体が入るということが証明されないうちに、そういうことを言ってはいかん。娘 ふーん、そうなの。娘 人間と動物の、本当に大きな違いって、何?父 そうだな---知性、言葉、道具。その種のものだ。娘 言葉で、道具のことを考える時は、客観的になるのが簡単なのね?父 そうだよ、その通りだ。娘 じゃあ、人間の中に、もう一つ違った生き物がいると思えばいいんだ。 言葉や知能とかで出来ていて、全然違ったやり方でものを見る生き物。「客観的な生き物」父 そう。言葉と道具を通過するのが、意識と客観性への王道さ。娘 でも、その客観的な生き物が、残りの、人間が客観的になりにくい部分を、 客観的に見詰めるとどうなるのかしら。ただ見詰めるだけ? それともいじってしまうの?父 それは、いじってしまう娘 そうすると、どうなるの?父 それは、恐ろしい質問だ。2024/10/12 22:35:3628.夢見る名無しさん娘 答えて。動物を研究するなら、避けられない問題でしょう?父 そうだな。こういう問題は、科学者よりも、詩人や芸術家の方が詳しい。詩を一つ読んでみるから聞いてなさい。思考が無限を悪魔に変えた。恵み深きを、むさぼる炎に変えた。そのさまに人はおののき、夜の森に逃げてかくれた。永遠の森はそのとき避けた。そしてあまたの地の球となって、宙を巡った。巡る宙は海となり、すべてを呑んだ。跡に肉の壁が残った。そこに悪魔の宮殿が建った。有限の回転にぐるり縛られた有限の姿が立った。そして人は天使になった。天は巡る円となった。神は冠をかぶり、冷徹な君主となった。---ウィリアム・ブレイク「ヨーロッパ---予言」(一七九四)より2024/10/12 22:36:4029.夢見る名無しさん娘 随分怖そうな詩ね。意味はよく分からないけど。父 この詩の言葉は、客観的な言葉じゃないね。人間が客観的になった結果を書いた詩だ。 つまり、この詩で言われている“思考”が、人間全体・生きることの全体をどう変えてしまったかということが、この詩のテーマになっている。 全体の一部だったはずの“思考”が、ひとり立ちして他の部分につかみかかる、とね。娘 それで?父 何でも細かくスライスしてしまう。娘 どういう風に?父 まず最初に、客観的なものとそうでないものとが、二つにスパッと分かれる。 それとともに、人間の中に住む「知能と言葉と道具の生き物」の内側で、「目的」というものが湧いてくる。 道具を持つというのは、もう目的を持つことと同じだし。そして目的が出来ると同時に、その目的を邪魔するものも出来る。 客観的に生きるものにとって、世界は「助ける」ものと「邪魔になるもの」とに二分されるんだ。娘 うん、それは分かるわ。父 次に、この生き物が、自分の中に出来た分裂を、人間全体にとっての世界に押し当てるということが起きる。 すると、ただ「助けになる」、「邪魔になる」というだけだったものが、「善」と「悪」という風に捉えられてくる。 世界が「神」の側と「悪魔」の側とに二分されるわけだ。それからあとは、もう分裂の一方さ。 知性の仕事は、物事をどんどん区分けして整理していくことだからね。娘 説明原理を必要以上にどんどん作って?父 そう。娘 動物を観察する時も、同じように区分けしていくのね? そして、知性にのっとられた後の人間みたいにしてしまうの。父 その通り。非人間的な人間のイメージで世界を汚染する、という奴さ。娘 だから、客観的になると、小さな妖怪の研究ばかりやるわけね。もっと大きなことは考えないで。父 そう。そういうのを、S-R心理学と言う。心の中を「刺激」と「反応」で調べていく奴。 「愛」について客観的になるのは難しいけど、「性」についてなら、客観的になれるわけだよ。2024/10/12 22:37:5230.夢見る名無しさん娘 動物を研究するのに、大きな本能を作るのと、S-Rでいくのと、二つやり方があって、 どっちもあんまり頼りにならないみたい。どうすればいいのかしら。父 分からない。娘 客観性と意識への王道は、言葉と道具だって言ったでしょう? あとの半分への王道は?父 フロイトは夢だと言った。娘 ふーん。娘 夢って、何? どんな風に出来てるの?父 夢か。夢は、我々を作る素材の切れ端だ。客観的な素材じゃないがね。娘 ……でも、どんな風に作られてるの?父 動物の行動を説明する話をしているんじゃなかったかな?娘 その話の続きよ。だって、客観的に考えていったんじゃ、どうしたって動物を人間のイメージで汚染してしまうことになるんでしょう? それも、人間の中の、一番と汚物と遠い所のイメージで。それが間違いなら、別な側を試してみればいいじゃない。 だから「夢」なのよ。夢は残り半分への王道だって、パパ言ったじゃない。父 パパが言ったんじゃない。フロイトが言ったんだ。少なくとも似たようなことをね。娘 分かったわ。でも教えて。夢はどうつながっているの?父 一つの夢と別の夢とが、どう結びついているのか、ということかね?娘 そうじゃなくて。人間を作っているものの切れ端が夢なんでしょう? だから、夢のつくりっていうのかな、夢の中のつながり方よ。 それが分かればと思ったの。動物の行動も似たように出来ているかもしれないから。父 そういうことを、どうやって考え始めたらいいんだろうな。娘 夢の中に、「反対」ということはあるの? こうじゃないから、こうだとか……父 夢は対立の原理で進んでいくか---昔の人は、そういう風に考えた。 いや、夢で未来は占えない。夢には未来も過去も現在もないんだ。時の吹き溜まりで宙ぶらりんになっている。娘 明日のことを心配していると、それが夢に出てくるって、ない?父 それはあるさ。過去についての夢もあるし、過去と現在両方に関わる夢もある。 しかし、夢の中には、それが何についての夢かという表示はないんだよ。夢はただ、そこにあるだけさ。娘 タイトル・ページのない物語のようなもの?2024/10/12 22:40:0931.夢見る名無しさん父 うん。初めと終わりが切れていて、途中だけが見つかった古文書か手紙のようなものというかな。 歴史家は出てきた部分だけを見て、何のことが書いてあるのか、いつの時代に誰が書いたのかを言い当てなくちゃならない。娘 夢を調べていくにも、そうやって客観的に考えていかないといけないのかしら。父 そうなんだな。しかし注意して客観的にならなくちゃいけない。言葉と道具で生きている生き物が考え出すことを、夢に押し付けないように。娘 ……?父 たとえば、夢に時制というものがなくて、時の中にただ浮かんでいるとしたらね、 夢が何かを「予言する」というのは、誤った種類の客観性を押し付けることになるだろう? 何か過去について語っていると考えるのも、同じ種類の誤りだ。夢は歴史じゃないんだから。娘 宣伝propagandaみたいなものかしら。父 宣伝?娘 つまりね、宣伝の中に出てくる話って、本当はたとえ話なのが、よく本当の話みたいに語られるでしょ?父 そういう意味か。うん。夢はいろんなところで、神話や寓話に似ている。 しかし、宣伝のように誰かが意識的に書いたものじゃない。夢に「ねらい」はないよ。娘 夢にはいつも「寓意」moralがあるの?父 いつもかどうかは知らんが、よくあるようだね。ただし、それが夢の中で明らかにされることはない。 精神分析の医者は、夢の中にどんな寓意が込められているか患者に見つけさせるんだが……本当は、夢の全体が寓意なんだな。娘 夢の全体が? どういうこと?父 パパにも、よくは分からんのさ。娘 それでどうなの? 夢に「反対」ってあるの? 夢の寓意は、見かけの意味の反対になることがある?父 それは、よくあるようだね。「皮肉な夢」というやつ。一ひねりしてあるやつだ。 一種の帰謬法というのかな、一つの例を出して、それがどんなに馬鹿げているか証明していく。2024/10/12 22:42:0632.夢見る名無しさん娘 どんな夢が、そう?父 パパの友達に、戦闘機のパイロットをやっていた男がいてね。 戦争が終わって、心理学を専攻したんだが、博士号を取る時に、口頭試験のことが心配で、 ほとんどパニック寸前という感じだった。ところが前の晩に、戦闘機に乗っていて撃ち落される夢を見たんだな。 そうしたら気持ちがすわって、翌朝彼は悠然と試験に出かけて行ったんだよ。娘 どうして心配じゃなくなったの?父 戦闘機のパイロットが、大学教授に囲まれたくらいで恐がるのは馬鹿げているからさ。 落とされるといっても、本当に撃ち落されるわけじゃない。娘 でも、どうしてそうだって分かったの? その夢は、試験に落とされるぞっていう意味にもなったはずでしょう?父 そうだな。分かったわけじゃないんだ。夢に「これは皮肉だ」と表示されているわけじゃないんだから。 普通の会話だってそうだろう? 「これは皮肉だ」と、口に出して言うわけじゃない。娘 そうなのよね。皮肉のそういうところ、あたし、いつもひどいと思うの。娘 動物の世界にも、皮肉ってあるのかしら?父 それはないだろう。というか、「皮肉」と言うと違ってくる。「皮肉」というのは言葉に含まれるメッセージを分析する時の言葉だよ。 動物は言葉でコミュニケーションをしているわけではないんだから、言葉に気をつけないといけない。誤った客観性を動物に押し付けないように。娘 じゃあ、質問を変えるわ。動物の世界にも「反対」はある?父 うん、あるんだね。動物も、実際、対立概念を扱うんだ。人間の場合とはちょっと違うんだが……娘 どうやって? どういう時に?父 そうだな。小さな犬が大きな犬に出会った時、わざと仰向けになって腹を見せるということがあるだろう? 「どうぞ攻撃してください」と言わんばかりに。それが逆の結果を生んで、攻撃がそこでストップするということが起こる。娘 でも、そのこと、分かってやってるのかしら?父 小さい方の犬が本心とは反対の表現をしているんだと、大きい方の犬は知っているか。 そして、小さい方の犬自身も,自分の仕草の持つ効果を知っているか。そういう意味か?娘 うん。2024/10/12 22:43:5433.夢見る名無しさん父 それは分からない。大きい方の犬に比べて、小さな犬の方が少しは知っていそうな気もするがね…… とにかく、犬をいくら観察しても,それを知るのは無理だろう。相手は、知っているとか知らないとかのシグナルを送れないんだから。娘 ねえ、パパ、そこの所は夢と似てない? 夢も「本当の意味は反対です」って言えないんだから。父 うん、そうかな。娘 少し分かってきたみたい。夢は反対のことを言うことがある。 動物も反対のことを言うことが出来る。でも、どちらも「これは反対だ」と、はっきり言えない。父 ふむ……娘 動物はどうして戦いをするの?父 理由はいろいろあるさ。縄張り争い、餌の取り合い、異性の取り合い。娘 なにか本能の話みたい。そういう言い方はやめようってことじゃなかった?父 だけど、ほかにどういう言い方が出来るね。「動物はどうして争いをするのか」という質問に。娘 いいわ。じゃあ……戦いの中で、動物は「反対」を扱っているの?父 その質問なら答えは「イエス」だ。争いの多くが「仲直り」で終わるだろう? それに「遊びのケンカ」というのもある。 「ケンカじゃないもの」をすることで、友情が確認されたり発見されたりするわけだ。娘 でも、どうして表示がないのかしら? ないのは、夢の場合も、動物の場合も、同じ理由なの?父 さあ、どうだろう。しかし、夢がいつも対立を扱うわけではないよ。娘 動物だって。父 そうだね。娘 ……パパのしてくれた話だけど、あの夢を見たことと、「戦闘機に乗っているあなた」は 「口頭試験を受けているあなた」と同じではない、と誰かに言われたのとは、同じなのね。同じ効果があるのね。父 ただし、夢は言葉のようにはっきり言い切ることはしない。 「戦闘機に乗っているあなた」というだけで、「ではない」という所はぼやけたままだ。 夢にはnotがないんだよ。この夢を何かに喩えなさいという指令もないし、喩えるものを指し示すこともない。娘 動物の行動にnotはあるの?父 notが? 動物の行動に? どうやって?娘 つまりね、I will not bite you(噛まない)ということを、仕草で伝えることは出来るの?2024/10/12 22:45:3734.夢見る名無しさん父 まずね、仕草や身振りによるコミュニケーションには、時制がない。”will not”とは、言えないよ。娘 じゃあ夢と同じね。夢にも時制がないんだから。父 そういうことになるかな。娘 でも、notのところはどう? I am not biting youとは言えるの?父 それにもまだ時制があるが、まあいい。噛まないことを、どうやって仕草で伝えるか。それは、噛まないんだ。「噛まないこと」をするのさ。娘 でも、他にだって、してはいけないことはたくさんあるでしょう? 寝ることも、食べることも、走ることもしてないかもしれないじゃない。 「噛むことはしない」と言う時にはどうするの?父 何かしらの方法で、「噛む」ということを話題に持ち出さなくてはならない。娘 初めに牙をむく仕草をして、それで噛まないとか?父 そういうことだね。娘 でもそれだと二匹の動物が、お互いに「噛まない」って言い合うときは、両方が牙をむくことになるでしょう?父 そうだな。娘 だったら、誤解して、本当のケンカになってしまわない?父 そういうこともあるだろうね。自分の動作に対立概念が現れているのに、 当の自分が自分のやっていることを認識していないんだったら、そういう危険がいつもついてまわる。娘 牙をむいた動物は、それが「噛まない」ということを相手に伝えるためだって、自分では分かるんじゃないかしら……父 それは疑わしいな。ともかく、相手がどういうつもりでいるかということは、分かりようがない。 夢だって、今見ている夢がどういう風に流れていくのか知ることは出来ないよ。娘 一種の実験ね。とにかくやってみるの。父 ああ。娘 ケンカが必要かどうか知るために、ケンカをするの。父 ただし、それを知ることが目的でケンカをするわけではない。ケンカの中に、というか、 ケンカのあとに、自分たちのあるべき関係が現れる、というかな。そこに「ねらい」はないよ。娘 じゃあ、動物たちが牙をむいている、その時にはまだnotは出て来ていないのね。父 いないと思うね。少なくとも、そういう場合がほとんどだろう。親しい友達同士なら、 最初から「これは遊びだ」って知って取っ組み合いを始めることもあるかもしれんがね。2024/10/12 22:48:2235.夢見る名無しさん娘 随分分かってきたみたい。動物の行動にnotはない。なぜならnotは、人間の言葉に含まれるものだから。 そしてnotがないから、否定を伝え合うには、気謬法っていうの? ---否定されることを実演してみなくちゃならない。 今の関係がケンカでないことを証明するのに、実際ケンカをしてみるとか、 相手が自分を食べないことを証明するのに、食べられる体勢に入ってみるとか……父 うん。娘 そういうやり方って、動物が考え出したものなのかしら。父 そうじゃない。そうにしかなりえないんだ。そうにしかなりえないことは、 そうにしかなりえないと知っていようと知っていまいと、そうにしかなりえない。 これを「必然の真実」という。三個の林檎に二個の林檎を加えれば五個の林檎になるというのは、 数えることのできないものにとっても真実なんだ。こういうのも、ちゃんとした説明なんだよ。娘 ふーん。娘 でも、夢にはなぜnotがないの?父 きっと、同じような理由なんだと思う。夢は大体がイメージと感覚で出来ている。 イメージとか感覚とかでコミュニケートしようとしてごらん。やっぱりnotがないという問題に出くわすはずだ。娘 でも「ストップ」のサインに斜めに線が引いてあるイメージは夢に出てこられるわ。それは「止まるな」の意味になると思うけど。父 そうだな。しかし、そういうものはもう半分言葉になっている。それにその斜線は、notじゃなくてdon’tだよ。 Don’tなら言葉なしに、身振りだけで表わすことが出来る。こちらがしてほしくない行動を相手がした、ちょうどその時ならね。 それから言葉で夢を見るというのも、あることはあるんだ。そういう夢の中にはnotが入っていることもあるだろう。 ただし、見ている夢自体にかかるnotというかな---つまり、夢の内容を否定するような、 この夢を文字通り解釈するなというような---そういうnotを夢に見ることはできないと思う。 眠りが非常に浅い時は、これは夢だと知って夢を見ることも、たまにあるがね。娘 それで? 夢の中のつくりはどうなっているの? その質問に答えてないでしょう。2024/10/12 22:51:0336.夢見る名無しさん父 もう答えたような気もするがね。もう一度やってみよう。夢は隠喩である。 または隠喩が絡み合ったものである。隠喩というのは、知っているね?娘 「あなたは豚のようだ」が直喩で、「あなたは豚だ」が隠喩。父 ほぼ正解だ。隠喩に「これは隠喩だ」という表示がつくと、それは直喩になる。娘 夢にはそういう表示がないのね?父 その通り。何に喩えているかは示さずに喩える。Aについて言えることを、Aの名前を出さずに、Bに当てはめる。 「国が腐敗する」と言うだろ? その国に起こった変化を、バクテリアが引き起こす果物の変化に喩えているわけなんだが、 隠喩ではバクテリアのことも果物のことも、表には出てこない。娘 夢も同じ?父 逆なんだ。夢は果物の方を見せておいて---バクテリアまで見せるかもしれないが---国は出さない。 夢は関係を取り上げてそれを練っていく。その関係が何と何の関係なのかということは取り上げないんだ。娘 パパがあたしに夢を作ってくれたら、いいのにな。父 今言った作り方でか。それは無理だ。そうだ、さっき詩を読んだから、あれを夢にしてみよう。 あの詩は、ほとんどあのままで、夢の材料に使えそうだ。言葉をイメージに替えていくだけでいい。 詩の言葉は生きているから、それほど難しくもなさそうだ。 問題は---隠喩がみんな何の喩えなのか、決まってしまっている所だな。夢の隠喩はそうじゃない。娘 どういうこと?父 最初に「思考」と言う言葉があるね。あれは隠喩じゃない。文字通りの言葉だ。 その一語があるために、残りの部分で何のことが言われているのかがピタッと決まってしまっている。 宙を舞っていたものが、ピンで止められたようになっている。娘 夢は違うのね。父 夢にするには、その最初の言葉も隠喩に変えないといけない。そうすると、詩の意味を捕まえるのが、ずっと大変になってくる。娘 やってみて。2024/10/12 22:52:2937.夢見る名無しさん父 「バーバラが無限を変えた……」というのは、どうだ?娘 バーバラ? 誰なの、その人。父 barbarious(狂暴)な女の人。それに、三段論法には「格式憶え歌」というのがあるんだが、それにも最初にバーバラが出てくる。 論理の暴力のシンボルとしてはぴったりだよ。ほら、見えてくるだろう? バーバラが、両脚器かなにかで自分の脳をギーッと締め付けて、宇宙を変えていく……娘 やめて!父 分かった? こういうのが夢の隠喩さ。娘 動物はどうなのかしら? 動物も隠喩をピンで止めるの?父 その必要がないんだ。雄の鳥が雌の鳥に近付いていくのに、赤ん坊の鳥の仕草を真似たとしよう。 子供と親の関係を隠喩に使っているわけだ。しかし、誰と誰の関係を親子関係になぞらえているか言う必要はない。 自分と相手の鳥に決まってるんだから。伝えるテーマは、いつも自分たちの関係のことなのさ。娘 他のものを、隠喩でなぞらえることはしないの? 絶対に?父 少なくとも、哺乳類はそういうことはしないし、鳥類もしないと思う。 ミツバチは、ひょっとすると、やっているかもしれない。人間はもちろんやるね。2024/10/12 22:53:5338.夢見る名無しさん娘 一つ分からないことがあるんだけど……父 何だ。娘 動物の行動が夢と随分似通ってるのは、分かったの。どちらも「反対」を使うし、 時制がないし、notがないし、隠喩で伝えるものだし、その隠喩は宙を舞っている。 分からないのは、動物がそういう風に生きていくというのは、ちゃんと理屈にかなっているでしょう? 「反対」を伝えるのも、隠喩が何をさしているか決めなくていいのも。 でも、夢の方は、どうしてそうなっているの? 理由が分からないわ。父 パパにだって、分からんさ。娘 それとね? 遺伝子と染色体が、生長のメッセージを運ぶ話をしたでしょ。 遺伝子や染色体も、動物や夢がするみたいにして、メッセージを伝えるの? 隠喩で、notは使わずに。それとも人間が話すみたいにして伝えるの?父 さあ、どうだろう。それは分からんが、しかし、「本能」にあたるものが、 そこでメッセージとして伝達されたりしてはいないということは、間違いないな。2024/10/12 22:55:2939.夢見る名無しさんあいはばぺん あいはばあぽぉぉおん!あぽぉぺんあいはばぺん あいはばぱいなぽぉおん!ぱいなぽぺんあぽぉぺぇん ぱいなぽぺぇんぺんぱいなっぽあっぽぺぇんぺんぱいなっぽあっぽぺぇん2024/10/15 09:36:37
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事業所いや
はやく辞めたい
娘 パパ、本能って、何なのかしら?
父 本能とは、一つの説明原理さ。
娘 何を説明するの?
父 何もかもだ。説明してもらいたいことなら何でも説明してくれる。
娘 嘘でしょ? 重力は説明してくれないわ。
父 それはだね、誰も“本能”で重力を説明したくないからだ。その気にさえなれば、
立派に説明してしまうよ。「月は距離の二乗に反比例する力で、物体をひきつける本能がある」とかね。
娘 そんなのナンセンスじゃない。
父 そうさ、だが「本能」なんて事を言い出したのはお前だぞ。パパじゃない。
娘 いいわ。でも、じゃあ、パパ、重力は何で説明したらいいの?
父 重力を説明するのか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ。
娘 ふーん。
娘 説明原理は説明できないの? 別の説明原理を使ったら駄目?
父 ふむ。駄目ということだな。ニュートンのhypotheses non fingoという言葉は、そのことを言っている。
娘 どういう意味なの?
父 hypotheses(仮説)というのは、分かるね? 出来事を記述する文章を二つ並べて、
それをつなぐ時に言う言葉、それが仮説だ。つながりさえすれば何だっていい。
「二月二日は満月だった」、「三月一日は満月だった」この記述を繋げる発言は、全部仮説だよ。
娘 うん。えっと、nonは知ってる。fingoって?
父 fingoというのは後期のラテン語でI makeという意味だ。その名詞のはたらきをする形がfictioでfictionという語はそこから来ている。
娘 ニュートンは、仮説というのはみんなフィクションだって考えたの? ただの作り話だって。
父 その通り。
娘 でもニュートンは重力を発見したんでしょ? 林檎が落ちるのを見て。
娘 ふーん。じゃあ、本能を発明した人もいるのね。誰?
父 知らないな。随分昔から使われている。聖書にさかのぼるだろう。
娘 重力という考えも、記述と記述をつなげるものでしょう? それだって仮説じゃないかしら。
父 そうさ。
娘 じゃあ、ニュートンも仮説を作ったんじゃない。
父 その通り。とても偉大な科学者だったんだ。ニュートンという人は。
娘 ふーん。
娘 「説明原理」は「仮説」とは違うものなの?
父 そんなには違わない。ただ、仮説というのは一つ一つの出来事を説明するためのものだが、
“本能”とか“重力”とかいう説明原理は、本当の所は何も説明しないんだ。
ある点から先はもう説明するのはやめましょう、という科学者同士の取り決めというかな、それが説明原理だよ。
娘 ああ、ニュートンの言ったのはそういう意味だったの。“重力”が何も説明しなくて、
ただ説明の終わりにつける印みたいなものだったら、重力を作っても仮説を作ったことにはならない---
父 そうだな。説明原理を説明するものはないんだ。ブラック・ボックスみたいなものだよ。
娘 ふーん。
娘 ブラック・ボックスって?
父 ブラック・ボックスというのは、ある点から先を説明しないですますための科学者同士の取り決めのことさ。普通は一時的な取り決めを言うがね。
娘 全然「ブラック・ボックス」みたいじゃない。
父 だが、そう言うんだ。そのものらしく聞えない名前というのも、世の中には随分ある。
娘 うん。
父 もともとはエンジニアの言葉でね。複雑な機械の設計図を書く時に、一種の速記というかな、
細かい所までいちいち描くのは面倒だから、箱を一つ置いて、
その中のいろいろな部分が全体として「何をするか」ということのラベルを、その箱に貼っておいたわけだ。
娘 「ブラック・ボックス」っていうのは、じゃあ、細かなことが集って全体として何をするかということのラベルなのね。
父 そう。「どんな仕組みでそういうはたらきが現れるのか」ということの説明ではない。
娘 じゃあ、重力っていうのも……
「どういう仕組みで、そういうはたらきが現れるのか」ということの説明じゃない。
娘 ふーん。
娘 本能も?
父 それも、あるブラック・ボックスに貼り付けたラベルだな。それが「何をするか」ということのね。
娘 何をするの?
父 難問だな、これは。
娘 ねえ。
父 本能は生命体の行動をコントロールする、部分的にコントロールする、と考えられている。
娘 植物にも本能はあるのかしら。
父 いや、植物のしていることに本能を持ち出したとしたら、その人は植物の世界を動物のイメージで汚染したことになる。
娘 それ、悪いことなの?
父 ああ、凄くね。植物学者が植物を動物のように見立てるのは、動物学者が動物を人間のように見立てるのと同じくらい悪いことだ。
娘 ふーん。
娘 行動を「部分的にコントロールする」って、どういうこと?
父 犬が崖から落ちるとするね。その時落下という運動を支配しているのは重力ということになる。
しかし、落ちながら犬が身体をくねらせるとすれば、そちらの動きの方は本能の支配を受けているということになる。
娘 「自己保存本能」?
父 だろうね。
娘 パパ、「自己」って何? 犬も、自己があるってことを知ってるの?
父 さあ、どうだろう。でも、もし犬が自己というものを認識していて、
その自己を保存するために身体をくねらせるんだったら、それは知的な行動になるな。本能的なものじゃなく。
娘 じゃあ、「自己保存本能」って矛盾してるじゃない。
父 まあ、半分だけ、動物を人間に見立てていることになる。
娘 だったら、それ、悪いことよ。半分だけ。
今度は身体をくねらせないで落ちていく方が「知的」な行動だ。
それでも身体をくねらせるんだったら、それは「本能的」だということになる。
ただし学習して身につけるんだったら、「本能的」ではない。
娘 本能的でないって、どっちが? 学習する行動? 身体をくねらす行動?
父 身体をくねらす方さ。
娘 学習する方は本能的なのね。
父 そういうことになるね。学習する能力を学習で身につけなければならないんだったら別だが。
娘 ふーん。
娘 でも、パパ、本能ってどんなことを説明するために作られたの?
父 厄介な質問だな、それは。本能っていう考え方は、遺伝学が知られていなかった頃にできたものだし、
遺伝学の考え方だって、その大部分は、コミュニケーション理論が知られていなかった時代のものなんだ。
だから、“本能”とは何かを、今の科学の言葉で言い直すには、二重の壁を越えないといけない。
娘 それで?
父 細胞の染色体の中に、遺伝子があるというのは知っているね。遺伝子というのは、その生物の生長developpingと行動behavingを指図する一種のメッセージだ。
娘 生長するのは、行動することのうちではないの? どう違うの? 「学習」はどっちに入るの? 学習するって、生長すること? 行動すること?
父 待て待て、質問は慎重に作らなくちゃいけない。生長と学習と行動を、先ず全部一緒にバスケットに放り込んでみるといい。
そして、生長---学習---行動という具合に、次第に色が変わっていくスペクトルとして捉えるんだ。
そうした上で、このスペクトル全体の説明に、「本能」がどう関わってくるのか考えていく。それが正しい手順だよ。
娘 でもそれ、本当のスペクトル?
父 いや、スペクトルのようなもの、さ。厳密に言っているわけじゃない。
娘 でも、「本能」というのは全部、そのスペクトルの「行動」の側に来るんじゃないかしら。それに「学習」って環境で決まるんでしょ? 染色体なんかとは関係なく。
娘 染色体って、何かで構成されたものではないの?
父 あ、それは別だ。染色体にも、それ自身の体部構成はあるし、生理機能physiologyだってある。
だが遺伝子と染色体の構成と機能は、その動物の体全体の構成と機能とは違うものだね?
娘 それは違うわよ。
父 しかし染色体の構成と機能は、体全体の構成と機能についてのもの、なんだ。
娘 構成についての構成?
父 そう。一つの単語だって文字で構成されてるだろう? その文字や単語をつなげていくと、あらゆることの文章が生まれていく。それと同じさ。
娘 ふーん。
娘 遺伝子と染色体の体部構成が、体全体の構成についてのもので、遺伝子と染色体の生理機能が、体全体の生理機能についてのものなのね。
父 それは違う。そういうことには全然ならない。なぜなら、体部構成と生理機能は、別々のものじゃないからさ。
娘 分かった。また一つのバスケットに入れるんでしょ? 生長---学習---行動の時みたいに。
父 もちろん。
娘 さっきと同じバスケットに入れるの?
父 そうさ。いけないか? そのバスケットの真ん中には、「生長」が来るんだ。真ん中にね。
娘 ふーん。
父 その理屈は通るな。
娘 その生長は、体全体についての生長なのかしら?
父 その質問の意味すらパパには分からんね。
娘 こういうことにならない? 動物の赤ちゃんが、お腹の中で生長してる時、染色体と遺伝子も生長していて、
その染色体の生長が赤ちゃんの生長を指令しているの。そうだとしたら、その染色体の生長は、生長についての生長になるでしょう?
父 いや、そういう風にはなっていないはずだ。
娘 ふーん。
娘 染色体も学習するのかしら?
父 どうだろう。パパは知らん。
娘 染色体って、なんか、ブラック・ボックスみたい。
父 そうだね。しかし、もし染色体や遺伝子に学習が可能だとしたら、それは凄く複雑なブラック・ボックスになる。
今誰が考えているよりも複雑なね。科学者というのはいつも、世界が単純にできていると考えたがるんだな。そしてその期待は、決まって裏切られる。
娘 それ、本能?
父 何がだね?
娘 その、世界が単純にできているって思うこと。
父 もちろん違うさ。そう信じるように学習してきたんだ。
娘 変な学習ね。いつも間違うように学習するなんて。
父 そういうことを言ってはいかん。科学者に失礼だし、おまけに不正確だ。
世界が単純にできていると考えるたびに、科学者が誤りを犯しているわけじゃない。
正しい場合、部分的に正しい場合も、結構ある。もっと多くの場合、自分で正しいと思い、お互い「正しいんだ」と言い合う。
世界が単純だと考えて、不都合なことになるばかりか、逆に賞賛されるんだから、この考え方が身についたとしても不合理ではないだろう。
とにかく、いつも間違うように学習することが生物の世界で起こらないと考えたら、それは全くの誤りだ。
娘 どういうときに、科学者は「本能」という言葉を使うの?
そして、その行動の意味を理解できるほど、その動物が利口じゃないということが、
自信を持って言える時。そういう場合、科学者はその行動を本能的なものだという。
娘 それだけ?
父 まだある。同じ状況で、同じ種に属する仲間がみんな同じ行動をとる時。
そして、状況が変わって、その行動に意味がなくなっても、同じ行動を繰り返しやっている時。
娘 本能的な行動かどうかを知るのに、四通りの知り方があるのね。
父 そうじゃない。科学者が説明の時に「本能」を持ち出す条件が四通りあるということさ。
娘 そのうち一つが欠けてたらどうなるの? 本能って、「習慣」とか「慣習」とかに似てるのね。
父 しかし習慣は、学習で身につけるものだ。
娘 そうね。
娘 習慣を身につけるには、いつも二度学習しなくちゃいけないの?
父 二度?
娘 つまりね、ギターのコードを習う時とか、最初にどことどこを押さえるか習って、
それから練習して、そういう風に指を動かす習慣をつけていくわけでしょう?
それをきちんとやらないと、悪い習慣がついてしまうの。
父 そう、いつも間違うように学習が行われることもある---
娘 それはもう分かったって。でも、学習が二度あるんでしょう。
それで、もしね、ギターを弾く本能があったとしたら、どちらの学習も要らなくなるのかしら。
父 そうだね。どちらの学習も全然されていないことが明らかなのに、
いきなりギターを弾く生き物がいたとしたら、科学者は本能で説明しようとするかもしれない。
娘 片方の学習だけないってこと、ある?
父 さあ。それは誰にも分からんことだよ。
父 考え方としては可能だと思うがね。しかしそうなって来ると、“本能”って一体何だ?
娘 説明原理よ。パパ言ったじゃない。一つ分からないことがあるんだけど。
父 何だね?
娘 大きな本能が一つあって、それがいろいろにはたらくの? それともたくさんの本能が別々にあるの?
父 うん、それはいい質問だ。そのことで科学者は随分議論してきたんだよ。いろいろな本能を別個に作ったり、それを一まとめにしてみたり。
娘 それで、どっちが正しいわけ?
父 どっちという風に答えは出ないが、説明原理は、必要以上に増やしてはいけない、ということは言える。
娘 ……?
父 一神教の考え方だよ。小さな神様が二人いるより、大きな神様が一人いる方がいいっていうことだ。
娘 神も説明原理なの?
父 そうだとも。とても大きな説明原理だ。一つのブラック・ボックスで---一つの本能で---説明がつくことを、二つブラック・ボックスを使って説明するのはよくない。
娘 ブラック・ボックスが十分大きければいいのね。
父 いいということでもないが。
娘 本能にも大きなのと、小さなのがあるの?
父 実際そうであるかのような言い方がされる。ただし小さな本能は「本能」という名前は使わずに、別の名前で呼ぶんだ。
「反射」とか「生得的解発機構」とか「固定的動作パターン」とか。
娘 分かった。宇宙全体のことは神で説明して、もっと小さなことは、鬼や妖怪のしわざにするの。
父 まあ、そんなところだ。
娘 大きな本能を作るときは、いろいろな行動が全部入ることになるわね。その時は、どうやって一つに纏めるの?
父 たとえば、崖から落ちる時身体をくねらせる行動と、火を見ると逃げる行動が観察されたとすると、それに別々の本能を充てるんじゃなくて---
娘 両方とも、自己保存本能で説明するのね。
父 そういうことだ。
父 そういうことになる。
娘 歌う本能と、歌を練習する本能は、どう考えたらいいのかしら。
父 その歌が何に使われているかによるだろう。どちらも縄張り本能に入れられるかもしれないし、生殖本能に入れられるかもしれない。
娘 あたしだったら、一つにまとめたりしないわ。
父 ほう。
娘 だって、もしその鳥が、餌をついばむ練習とかもするとしたらどうなるの?
その分だけ、本能の数を増やさなきゃいけなくなるわ。本能は、必要以上に増やしてはいけないんでしょう?
父 よく分からんが……
娘 いい? 餌をついばむ練習は餌鳥の本能で説明して、歌の練習は縄張り本能で説明するより、
両方とも「練習本能」というもので説明する方がいいと思うの。ブラック・ボックスが一つ少なくて済むでしょう?
父 しかし、それじゃ「同じ目的を持った」行動を、一つの本能でまとめるという原則が崩れてしまうよ。
娘 そうだと困るの? 分からないな。だって、鳥が目的を持っていて、そのために練習するのだったら、
それは、本能的な練習じゃなくて、知的なものになってしまうでしょ? パパ、そんな風に言わなかった?
父 ああ、確かにそんな風に言った。
娘 「本能」なんて考えずにやっていくことはできないのかしら。
父 それで、どうやって説明するんだね?
娘 細かい所だけ見ていくのよ。何かがぽんと飛び出てくると犬はジャンプするとか、足の下に何もないと身体をくねらせるとか……
父 つまり、神をなくして、小さな妖怪だけにする---
娘 うん。
父 実は、そういう考え方でやっている研究者もいるんだ。その方が、むしろ今は主流でね。より「客観的」ということらしい。
娘 本当に客観的なの?
父 それはそうだ。間違いない。
父 自分が見ようと決めたものを、しっかり目を凝らしてみるということだ。
娘 それは正しいことみたいだけど。でも、何に対して客観的になるかは、どうやって決めるの?
父 それは、客観的になりやすいかどうかで決める。
娘 見ている人が、客観的になりやすいかで?
父 そうだよ。
娘 どうしたら、それが分かるの?
父 実際にやってみて、経験的に知るんだろうな。
娘 じゃあ、主観的に決めるのね?
父 そうさ。経験は全て主観的なものなんだ。
娘 でもそれ、ただ主観的というじゃなくて、人間の主観よね。動物の世界をいろいろ分けて、
そのうちどれを客観的に調べるのか、人間の主観で決めるわけだから。
それ、さっきの「動物を人間のイメージで汚染する罪」にならない?
父 うん。しかし、人間のイメージといっても、非人間的な奴なんだ、それは。客観性にこだわる人は、出来るだけ人間的でなくなろうと努力するんだから。
娘 そうすると、どういうものが外されるの?
父 外されるって?
娘 主観的な経験で、どれを見詰めれば客観的になれるか知って、そのことについて研究するんでしょ?
そうすると研究されないものが出来るわ。なかなか客観的になれないもの。
父 そうだな。まず、お前の言った「練習」。もっと広く「実践」と言ってもいいんだが、
そういうものに対しては、客観的になりにくい。
それから「遊び」や「探求」。両方とも同じ理由で、客観的になりにくいものだ。
鼠の行動を見て、その鼠が遊んでいるのか探求しているのか、本当はどちらなのか、
客観的に見極めるのは容易じゃないよ。
だから客観的な人間は、そういうことは研究しない。それから、「愛」があるね。もちろん「憎しみ」も。
娘 そう。今パパが言ったものって、みんな「本能」を考えたくなるものばかりね。
父 そうだな。それと、「ユーモア」も忘れてはいけない。
娘 パパ、動物も客観的になる?
父 さあ、多分、ならないだろう。主観的にもならないと思うよ。そういう風には分かれていないんだと思う。
父 だろうね。フロイトはそう言っている。なぜだ?
娘 だって、あの人たち、大変そう……客観的な研究が専門なのに、動物の研究をしようとしているんだもの。
客観的になるには、出来るだけ動物的でなくならないといけないでしょう? 気の毒だわ。
父 いや、それは理論としては少し弱いぞ。人間の中の動物的な部分のうち、客観的に対応できる事柄が全くないと分かったわけじゃないんだから。
人間が客観的になれない事柄の集合に、動物の行動の全体が入るということが証明されないうちに、そういうことを言ってはいかん。
娘 ふーん、そうなの。
娘 人間と動物の、本当に大きな違いって、何?
父 そうだな---知性、言葉、道具。その種のものだ。
娘 言葉で、道具のことを考える時は、客観的になるのが簡単なのね?
父 そうだよ、その通りだ。
娘 じゃあ、人間の中に、もう一つ違った生き物がいると思えばいいんだ。
言葉や知能とかで出来ていて、全然違ったやり方でものを見る生き物。「客観的な生き物」
父 そう。言葉と道具を通過するのが、意識と客観性への王道さ。
娘 でも、その客観的な生き物が、残りの、人間が客観的になりにくい部分を、
客観的に見詰めるとどうなるのかしら。ただ見詰めるだけ? それともいじってしまうの?
父 それは、いじってしまう
娘 そうすると、どうなるの?
父 それは、恐ろしい質問だ。
父 そうだな。こういう問題は、科学者よりも、詩人や芸術家の方が詳しい。詩を一つ読んでみるから聞いてなさい。
思考が無限を悪魔に変えた。
恵み深きを、むさぼる炎に変えた。そのさまに
人はおののき、夜の森に逃げてかくれた。
永遠の森はそのとき避けた。
そしてあまたの地の球となって、宙を巡った。
巡る宙は海となり、すべてを呑んだ。
跡に肉の壁が残った。
そこに悪魔の宮殿が建った。
有限の回転にぐるり縛られた有限の姿が立った。
そして人は天使になった。
天は巡る円となった。
神は冠をかぶり、冷徹な君主となった。
---ウィリアム・ブレイク「ヨーロッパ---予言」(一七九四)より
父 この詩の言葉は、客観的な言葉じゃないね。人間が客観的になった結果を書いた詩だ。
つまり、この詩で言われている“思考”が、人間全体・生きることの全体をどう変えてしまったかということが、この詩のテーマになっている。
全体の一部だったはずの“思考”が、ひとり立ちして他の部分につかみかかる、とね。
娘 それで?
父 何でも細かくスライスしてしまう。
娘 どういう風に?
父 まず最初に、客観的なものとそうでないものとが、二つにスパッと分かれる。
それとともに、人間の中に住む「知能と言葉と道具の生き物」の内側で、「目的」というものが湧いてくる。
道具を持つというのは、もう目的を持つことと同じだし。そして目的が出来ると同時に、その目的を邪魔するものも出来る。
客観的に生きるものにとって、世界は「助ける」ものと「邪魔になるもの」とに二分されるんだ。
娘 うん、それは分かるわ。
父 次に、この生き物が、自分の中に出来た分裂を、人間全体にとっての世界に押し当てるということが起きる。
すると、ただ「助けになる」、「邪魔になる」というだけだったものが、「善」と「悪」という風に捉えられてくる。
世界が「神」の側と「悪魔」の側とに二分されるわけだ。それからあとは、もう分裂の一方さ。
知性の仕事は、物事をどんどん区分けして整理していくことだからね。
娘 説明原理を必要以上にどんどん作って?
父 そう。
娘 動物を観察する時も、同じように区分けしていくのね? そして、知性にのっとられた後の人間みたいにしてしまうの。
父 その通り。非人間的な人間のイメージで世界を汚染する、という奴さ。
娘 だから、客観的になると、小さな妖怪の研究ばかりやるわけね。もっと大きなことは考えないで。
父 そう。そういうのを、S-R心理学と言う。心の中を「刺激」と「反応」で調べていく奴。
「愛」について客観的になるのは難しいけど、「性」についてなら、客観的になれるわけだよ。
どっちもあんまり頼りにならないみたい。どうすればいいのかしら。
父 分からない。
娘 客観性と意識への王道は、言葉と道具だって言ったでしょう? あとの半分への王道は?
父 フロイトは夢だと言った。
娘 ふーん。
娘 夢って、何? どんな風に出来てるの?
父 夢か。夢は、我々を作る素材の切れ端だ。客観的な素材じゃないがね。
娘 ……でも、どんな風に作られてるの?
父 動物の行動を説明する話をしているんじゃなかったかな?
娘 その話の続きよ。だって、客観的に考えていったんじゃ、どうしたって動物を人間のイメージで汚染してしまうことになるんでしょう?
それも、人間の中の、一番と汚物と遠い所のイメージで。それが間違いなら、別な側を試してみればいいじゃない。
だから「夢」なのよ。夢は残り半分への王道だって、パパ言ったじゃない。
父 パパが言ったんじゃない。フロイトが言ったんだ。少なくとも似たようなことをね。
娘 分かったわ。でも教えて。夢はどうつながっているの?
父 一つの夢と別の夢とが、どう結びついているのか、ということかね?
娘 そうじゃなくて。人間を作っているものの切れ端が夢なんでしょう?
だから、夢のつくりっていうのかな、夢の中のつながり方よ。
それが分かればと思ったの。動物の行動も似たように出来ているかもしれないから。
父 そういうことを、どうやって考え始めたらいいんだろうな。
娘 夢の中に、「反対」ということはあるの? こうじゃないから、こうだとか……
父 夢は対立の原理で進んでいくか---昔の人は、そういう風に考えた。
いや、夢で未来は占えない。夢には未来も過去も現在もないんだ。時の吹き溜まりで宙ぶらりんになっている。
娘 明日のことを心配していると、それが夢に出てくるって、ない?
父 それはあるさ。過去についての夢もあるし、過去と現在両方に関わる夢もある。
しかし、夢の中には、それが何についての夢かという表示はないんだよ。夢はただ、そこにあるだけさ。
娘 タイトル・ページのない物語のようなもの?
歴史家は出てきた部分だけを見て、何のことが書いてあるのか、いつの時代に誰が書いたのかを言い当てなくちゃならない。
娘 夢を調べていくにも、そうやって客観的に考えていかないといけないのかしら。
父 そうなんだな。しかし注意して客観的にならなくちゃいけない。言葉と道具で生きている生き物が考え出すことを、夢に押し付けないように。
娘 ……?
父 たとえば、夢に時制というものがなくて、時の中にただ浮かんでいるとしたらね、
夢が何かを「予言する」というのは、誤った種類の客観性を押し付けることになるだろう?
何か過去について語っていると考えるのも、同じ種類の誤りだ。夢は歴史じゃないんだから。
娘 宣伝propagandaみたいなものかしら。
父 宣伝?
娘 つまりね、宣伝の中に出てくる話って、本当はたとえ話なのが、よく本当の話みたいに語られるでしょ?
父 そういう意味か。うん。夢はいろんなところで、神話や寓話に似ている。
しかし、宣伝のように誰かが意識的に書いたものじゃない。夢に「ねらい」はないよ。
娘 夢にはいつも「寓意」moralがあるの?
父 いつもかどうかは知らんが、よくあるようだね。ただし、それが夢の中で明らかにされることはない。
精神分析の医者は、夢の中にどんな寓意が込められているか患者に見つけさせるんだが……本当は、夢の全体が寓意なんだな。
娘 夢の全体が? どういうこと?
父 パパにも、よくは分からんのさ。
娘 それでどうなの? 夢に「反対」ってあるの? 夢の寓意は、見かけの意味の反対になることがある?
父 それは、よくあるようだね。「皮肉な夢」というやつ。一ひねりしてあるやつだ。
一種の帰謬法というのかな、一つの例を出して、それがどんなに馬鹿げているか証明していく。
父 パパの友達に、戦闘機のパイロットをやっていた男がいてね。
戦争が終わって、心理学を専攻したんだが、博士号を取る時に、口頭試験のことが心配で、
ほとんどパニック寸前という感じだった。ところが前の晩に、戦闘機に乗っていて撃ち落される夢を見たんだな。
そうしたら気持ちがすわって、翌朝彼は悠然と試験に出かけて行ったんだよ。
娘 どうして心配じゃなくなったの?
父 戦闘機のパイロットが、大学教授に囲まれたくらいで恐がるのは馬鹿げているからさ。
落とされるといっても、本当に撃ち落されるわけじゃない。
娘 でも、どうしてそうだって分かったの? その夢は、試験に落とされるぞっていう意味にもなったはずでしょう?
父 そうだな。分かったわけじゃないんだ。夢に「これは皮肉だ」と表示されているわけじゃないんだから。
普通の会話だってそうだろう? 「これは皮肉だ」と、口に出して言うわけじゃない。
娘 そうなのよね。皮肉のそういうところ、あたし、いつもひどいと思うの。
娘 動物の世界にも、皮肉ってあるのかしら?
父 それはないだろう。というか、「皮肉」と言うと違ってくる。「皮肉」というのは言葉に含まれるメッセージを分析する時の言葉だよ。
動物は言葉でコミュニケーションをしているわけではないんだから、言葉に気をつけないといけない。誤った客観性を動物に押し付けないように。
娘 じゃあ、質問を変えるわ。動物の世界にも「反対」はある?
父 うん、あるんだね。動物も、実際、対立概念を扱うんだ。人間の場合とはちょっと違うんだが……
娘 どうやって? どういう時に?
父 そうだな。小さな犬が大きな犬に出会った時、わざと仰向けになって腹を見せるということがあるだろう?
「どうぞ攻撃してください」と言わんばかりに。それが逆の結果を生んで、攻撃がそこでストップするということが起こる。
娘 でも、そのこと、分かってやってるのかしら?
父 小さい方の犬が本心とは反対の表現をしているんだと、大きい方の犬は知っているか。
そして、小さい方の犬自身も,自分の仕草の持つ効果を知っているか。そういう意味か?
娘 うん。
とにかく、犬をいくら観察しても,それを知るのは無理だろう。相手は、知っているとか知らないとかのシグナルを送れないんだから。
娘 ねえ、パパ、そこの所は夢と似てない? 夢も「本当の意味は反対です」って言えないんだから。
父 うん、そうかな。
娘 少し分かってきたみたい。夢は反対のことを言うことがある。
動物も反対のことを言うことが出来る。でも、どちらも「これは反対だ」と、はっきり言えない。
父 ふむ……
娘 動物はどうして戦いをするの?
父 理由はいろいろあるさ。縄張り争い、餌の取り合い、異性の取り合い。
娘 なにか本能の話みたい。そういう言い方はやめようってことじゃなかった?
父 だけど、ほかにどういう言い方が出来るね。「動物はどうして争いをするのか」という質問に。
娘 いいわ。じゃあ……戦いの中で、動物は「反対」を扱っているの?
父 その質問なら答えは「イエス」だ。争いの多くが「仲直り」で終わるだろう? それに「遊びのケンカ」というのもある。
「ケンカじゃないもの」をすることで、友情が確認されたり発見されたりするわけだ。
娘 でも、どうして表示がないのかしら? ないのは、夢の場合も、動物の場合も、同じ理由なの?
父 さあ、どうだろう。しかし、夢がいつも対立を扱うわけではないよ。
娘 動物だって。
父 そうだね。
娘 ……パパのしてくれた話だけど、あの夢を見たことと、「戦闘機に乗っているあなた」は
「口頭試験を受けているあなた」と同じではない、と誰かに言われたのとは、同じなのね。同じ効果があるのね。
父 ただし、夢は言葉のようにはっきり言い切ることはしない。
「戦闘機に乗っているあなた」というだけで、「ではない」という所はぼやけたままだ。
夢にはnotがないんだよ。この夢を何かに喩えなさいという指令もないし、喩えるものを指し示すこともない。
娘 動物の行動にnotはあるの?
父 notが? 動物の行動に? どうやって?
娘 つまりね、I will not bite you(噛まない)ということを、仕草で伝えることは出来るの?
娘 じゃあ夢と同じね。夢にも時制がないんだから。
父 そういうことになるかな。
娘 でも、notのところはどう? I am not biting youとは言えるの?
父 それにもまだ時制があるが、まあいい。噛まないことを、どうやって仕草で伝えるか。それは、噛まないんだ。「噛まないこと」をするのさ。
娘 でも、他にだって、してはいけないことはたくさんあるでしょう?
寝ることも、食べることも、走ることもしてないかもしれないじゃない。
「噛むことはしない」と言う時にはどうするの?
父 何かしらの方法で、「噛む」ということを話題に持ち出さなくてはならない。
娘 初めに牙をむく仕草をして、それで噛まないとか?
父 そういうことだね。
娘 でもそれだと二匹の動物が、お互いに「噛まない」って言い合うときは、両方が牙をむくことになるでしょう?
父 そうだな。
娘 だったら、誤解して、本当のケンカになってしまわない?
父 そういうこともあるだろうね。自分の動作に対立概念が現れているのに、
当の自分が自分のやっていることを認識していないんだったら、そういう危険がいつもついてまわる。
娘 牙をむいた動物は、それが「噛まない」ということを相手に伝えるためだって、自分では分かるんじゃないかしら……
父 それは疑わしいな。ともかく、相手がどういうつもりでいるかということは、分かりようがない。
夢だって、今見ている夢がどういう風に流れていくのか知ることは出来ないよ。
娘 一種の実験ね。とにかくやってみるの。
父 ああ。
娘 ケンカが必要かどうか知るために、ケンカをするの。
父 ただし、それを知ることが目的でケンカをするわけではない。ケンカの中に、というか、
ケンカのあとに、自分たちのあるべき関係が現れる、というかな。そこに「ねらい」はないよ。
娘 じゃあ、動物たちが牙をむいている、その時にはまだnotは出て来ていないのね。
父 いないと思うね。少なくとも、そういう場合がほとんどだろう。親しい友達同士なら、
最初から「これは遊びだ」って知って取っ組み合いを始めることもあるかもしれんがね。
そしてnotがないから、否定を伝え合うには、気謬法っていうの? ---否定されることを実演してみなくちゃならない。
今の関係がケンカでないことを証明するのに、実際ケンカをしてみるとか、
相手が自分を食べないことを証明するのに、食べられる体勢に入ってみるとか……
父 うん。
娘 そういうやり方って、動物が考え出したものなのかしら。
父 そうじゃない。そうにしかなりえないんだ。そうにしかなりえないことは、
そうにしかなりえないと知っていようと知っていまいと、そうにしかなりえない。
これを「必然の真実」という。三個の林檎に二個の林檎を加えれば五個の林檎になるというのは、
数えることのできないものにとっても真実なんだ。こういうのも、ちゃんとした説明なんだよ。
娘 ふーん。
娘 でも、夢にはなぜnotがないの?
父 きっと、同じような理由なんだと思う。夢は大体がイメージと感覚で出来ている。
イメージとか感覚とかでコミュニケートしようとしてごらん。やっぱりnotがないという問題に出くわすはずだ。
娘 でも「ストップ」のサインに斜めに線が引いてあるイメージは夢に出てこられるわ。それは「止まるな」の意味になると思うけど。
父 そうだな。しかし、そういうものはもう半分言葉になっている。それにその斜線は、notじゃなくてdon’tだよ。
Don’tなら言葉なしに、身振りだけで表わすことが出来る。こちらがしてほしくない行動を相手がした、ちょうどその時ならね。
それから言葉で夢を見るというのも、あることはあるんだ。そういう夢の中にはnotが入っていることもあるだろう。
ただし、見ている夢自体にかかるnotというかな---つまり、夢の内容を否定するような、
この夢を文字通り解釈するなというような---そういうnotを夢に見ることはできないと思う。
眠りが非常に浅い時は、これは夢だと知って夢を見ることも、たまにあるがね。
娘 それで? 夢の中のつくりはどうなっているの? その質問に答えてないでしょう。
または隠喩が絡み合ったものである。隠喩というのは、知っているね?
娘 「あなたは豚のようだ」が直喩で、「あなたは豚だ」が隠喩。
父 ほぼ正解だ。隠喩に「これは隠喩だ」という表示がつくと、それは直喩になる。
娘 夢にはそういう表示がないのね?
父 その通り。何に喩えているかは示さずに喩える。Aについて言えることを、Aの名前を出さずに、Bに当てはめる。
「国が腐敗する」と言うだろ? その国に起こった変化を、バクテリアが引き起こす果物の変化に喩えているわけなんだが、
隠喩ではバクテリアのことも果物のことも、表には出てこない。
娘 夢も同じ?
父 逆なんだ。夢は果物の方を見せておいて---バクテリアまで見せるかもしれないが---国は出さない。
夢は関係を取り上げてそれを練っていく。その関係が何と何の関係なのかということは取り上げないんだ。
娘 パパがあたしに夢を作ってくれたら、いいのにな。
父 今言った作り方でか。それは無理だ。そうだ、さっき詩を読んだから、あれを夢にしてみよう。
あの詩は、ほとんどあのままで、夢の材料に使えそうだ。言葉をイメージに替えていくだけでいい。
詩の言葉は生きているから、それほど難しくもなさそうだ。
問題は---隠喩がみんな何の喩えなのか、決まってしまっている所だな。夢の隠喩はそうじゃない。
娘 どういうこと?
父 最初に「思考」と言う言葉があるね。あれは隠喩じゃない。文字通りの言葉だ。
その一語があるために、残りの部分で何のことが言われているのかがピタッと決まってしまっている。
宙を舞っていたものが、ピンで止められたようになっている。
娘 夢は違うのね。
父 夢にするには、その最初の言葉も隠喩に変えないといけない。そうすると、詩の意味を捕まえるのが、ずっと大変になってくる。
娘 やってみて。
娘 バーバラ? 誰なの、その人。
父 barbarious(狂暴)な女の人。それに、三段論法には「格式憶え歌」というのがあるんだが、それにも最初にバーバラが出てくる。
論理の暴力のシンボルとしてはぴったりだよ。ほら、見えてくるだろう?
バーバラが、両脚器かなにかで自分の脳をギーッと締め付けて、宇宙を変えていく……
娘 やめて!
父 分かった? こういうのが夢の隠喩さ。
娘 動物はどうなのかしら? 動物も隠喩をピンで止めるの?
父 その必要がないんだ。雄の鳥が雌の鳥に近付いていくのに、赤ん坊の鳥の仕草を真似たとしよう。
子供と親の関係を隠喩に使っているわけだ。しかし、誰と誰の関係を親子関係になぞらえているか言う必要はない。
自分と相手の鳥に決まってるんだから。伝えるテーマは、いつも自分たちの関係のことなのさ。
娘 他のものを、隠喩でなぞらえることはしないの? 絶対に?
父 少なくとも、哺乳類はそういうことはしないし、鳥類もしないと思う。
ミツバチは、ひょっとすると、やっているかもしれない。人間はもちろんやるね。
父 何だ。
娘 動物の行動が夢と随分似通ってるのは、分かったの。どちらも「反対」を使うし、
時制がないし、notがないし、隠喩で伝えるものだし、その隠喩は宙を舞っている。
分からないのは、動物がそういう風に生きていくというのは、ちゃんと理屈にかなっているでしょう?
「反対」を伝えるのも、隠喩が何をさしているか決めなくていいのも。
でも、夢の方は、どうしてそうなっているの? 理由が分からないわ。
父 パパにだって、分からんさ。
娘 それとね? 遺伝子と染色体が、生長のメッセージを運ぶ話をしたでしょ。
遺伝子や染色体も、動物や夢がするみたいにして、メッセージを伝えるの?
隠喩で、notは使わずに。それとも人間が話すみたいにして伝えるの?
父 さあ、どうだろう。それは分からんが、しかし、「本能」にあたるものが、
そこでメッセージとして伝達されたりしてはいないということは、間違いないな。
ぉおん!あぽぉぺん
あいはばぺん あいはばぱいなぽ
ぉおん!ぱいなぽぺん
あぽぉぺぇん ぱいなぽぺぇん
ぺんぱいなっぽあっぽぺぇん
ぺんぱいなっぽあっぽぺぇん