日記IDなし最終更新 2024/10/12 21:571.夢見る名無しさんまったり2024/07/04 09:48:4322コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.夢見る名無しさん妖精の国の物語を紡ぎましょう。森の奥深く、人里離れた場所に広がる小さな妖精の里。そこでは、四季折々の自然の恵みに包まれながら、妖精たちが平和に暮らしていました。一人の少女妖精、がいました。彼女の瞳は森の緑のように澄み渡り、髪は朝日に輝く金糸のよう。そして何より、彼女の心は清らかな池に映る月のように美しかったのです...2024/07/04 10:27:333.夢見る名無しさん返信なし2024/07/04 12:25:274.夢見る名無しさんで楽しみましょう2024/07/04 12:25:495.夢見る名無しさん昔々、森の奥深くに美しい妖精たちが住んでいた。彼らは自然と調和し、森を守る役割を果たしていた。ある日、妖精の長老が不穏な気配を感じ、若い妖精のリリアンに森の平和を守る使命を託す。リリアンは勇敢で心優しい妖精だった。彼女は森の中を巡り、異変を感じる。すると、闇の力を持つ邪悪な魔物が森を襲っていた。リリアンは妖精たちを集め、共に魔物と戦う決意をする。激しい戦いの中、リリアンは妖精たちと協力し、魔物を打ち破ることに成功する。しかし、その戦いでリリアンは重傷を負ってしまう。妖精たちはリリアンを助け、彼女を癒す力を使い、彼女は奇跡的に回復する。リリアンは妖精たちに感謝し、森の平和を取り戻すことができた喜びを分かち合う。彼女は長老の元に戻り、その勇気と優しさを称えられる。そして、リリアンは新たな妖精の長として、森を守る使命を果たすことを誓うのだった。その後、森は再び平和な日々を取り戻し、妖精たちはリリアンの勇気と優しさを讃え、彼女を尊敬するようになった。リリアンは妖精たちと共に、永遠に森を守り続けることを誓い、その美しい物語は語り継がれるのだった。2024/07/05 10:17:036.夢見る名無しさんタイトル:「星の妖精と人間の少女」1. ある日、星の妖精たちが人間の世界に迷い込んでしまう。彼らは人間たちに見つかることを恐れ、隠れて生活することになる。2. その中で、星の妖精のリーダーであるエリオットは、人間の少女エミリーと出会う。彼女は優しい心を持ち、妖精たちを助けてくれる。3. エミリーは妖精たちの存在を秘密にし、彼らと友情を育む。妖精たちもエミリーに感謝し、彼女のために星の力を使って幸せをもたらす。4. しかし、人間たちの間には妖精たちを追い出そうとする者も現れる。エミリーは妖精たちを守るために立ち上がり、人間と妖精の共存を訴える。5. 最終的に、エミリーの勇気と妖精たちの力によって、人間たちも妖精たちの存在を受け入れることになる。そして、星の妖精たちは人間の世界で新たな家を見つけ、幸せな日々を過ごすことができるのだった。終わり。2024/07/05 10:17:567.夢見る名無しさん7日までに、覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで、公益財団法人KDDI財団理事長の阿野茂浩容疑者(59)を現行犯逮捕した。捜査関係者への取材で分かった。 逮捕容疑は5日夜、東京都新宿区で覚醒剤を所持した疑い。捜査関係者によると、捜査員が職務質問した際、小袋に入った少量の覚醒剤が見つかった2024/07/08 06:12:168.夢見る名無しさんんだとして、警視庁は4日までに、窃盗の疑いで、住所不詳、無職宮本隆志容疑者(25)と大阪府守口市、職業不詳土橋悠司容疑者(25)を再逮捕した。警視庁は、2人が昨年8月~今年4月、ドラッグストアなどで化粧品を狙った窃盗を繰り返し、被害総額は約2千万円に上るとみて調べる。 いずれも容疑を認め「大阪、広島、福岡などで50回以上2024/07/08 06:13:429.夢見る名無しさんないたばこのような物の販売で、1億円以上を売り上げたとみられるベトナム人の男女6人が逮捕されました。 【動画で見る】売上1億円超か…在留資格で認められていないたばこのような物の販売で収入得た疑い ベトナム人の男女6人逮捕 愛知県警に逮捕・送検されたのは、いずれも富山県に住むベトナム国籍の男女6人です。 6人は今年5月までの約3カ月間、在留資格で認められていないにもかかわらず、たばことみられる物を販売し、収入を得ていた疑いが持たれています。 6人はベトナムで販売されている銘柄のたばこを、SNSを通じ1カートン2300円から3900円ほどで販売していたということで、愛知県警のサイバーパトロールで発覚しました。 警察は認否を明らかにしていませんが、来日するベトナム人の手荷物の中に紛れ込ませて密輸したたばこ2024/07/08 06:15:0010.夢見る名無しさん、ベトナム国籍の男が逮捕・送検されました。 【動画で見る】茶葉に紛れ込ませ…“乾燥大麻”をカナダからの国際郵便で密輸しようとしたか ベトナム人の男を逮捕・送検 逮捕・送検されたのは、ベトナム国籍の無職・タ・ミン・タイン容疑者(27)で今年4月、国際郵便でカナダから乾燥大麻465グラムあまり、末端価格232万9850円相当を営利目的で密輸しようとした疑いが持たれています。 中部国際空港に届いた段ボール箱を税関の職員が検査したところ2024/07/08 06:15:5811.夢見る名無しさん逮捕されたのは北九州市小倉南区の会社員、江越耕宏容疑者(52)です。 警察などによりますと江越容疑者は今年3月、福岡県宗像市の男らと共謀してアメリカから覚醒剤2.6キロあまり(末端価格1億8000万円相当)を国際郵便を使い営利目的で羽田空港に密輸した2024/07/08 06:16:5812.夢見る名無しさん大麻を所持していたとして、佐賀県武雄市に住む2人の男が逮捕されました。 大麻取締法違反の疑いで逮捕されたのは、佐賀県武雄市に住む自称自営業の岩永瑞輝容疑者(28)と会社員の森龍樹容疑者(25)です。 岩永容疑者と森容疑者は去年5月末、福岡市天神の駐車場で、液体状の大麻を所持していた疑いが持たれています。 警察によりますと、パトロール2024/07/08 06:18:2213.夢見る名無しさん男女16人が逮捕されました。 【写真で見る】男女16人逮捕 SNSを通じて高利貸しか ■利率は法定の4倍から11倍に 出資法違反の疑いで逮捕されたのは福岡市博多区吉塚の無職・大木兼介容疑者(32)ら男女16人です。 大木容疑者らは去年9月から今年4月にかけて、札幌市の男性(41)ら2人に金を貸し付け、法定利息を12万円以上超える14万円あまりの利息を受け取った疑いが持たれています。 利率は法定の4倍から11倍にあたるということです。 大木容疑者らの認否は明らかにされていません。大木容疑者らはSNSに「お金に困っている人は相談してください。月1回の返済になります」という文章と連絡先となる二次元コードを掲載して顧客を勧誘。 およそ5800人の顧客から8億3000万円2024/07/08 06:19:4414.夢見る名無しさん11倍の利息で金を貸し付けた疑いで、福岡県警などは20代から50代の男女16人を一斉に逮捕しました。 出資法違反の疑いで逮捕されたのは、福岡市博多区の無職、大木兼介容疑者(32)など、20代から50代の男女16人です。 警察によりますと、大木容疑者らは2023年9月から2024年4月にかけ、40代の男性2人に法定の4倍から11倍の利息でおよそ24万円を貸し付け、14万円を超える利息を受け取った疑いです。 大木容疑者らは、福岡市内のマンションなど4つの拠点でSNSで連絡を取るなどして客を集め、2024年1月までの2年間で全国の5800人に金を貸し、8億円以上2024/07/08 06:20:4215.夢見る名無しさん犯罪グループ「JPドラゴン」のメンバーとみられる男が2日、再逮捕されました。 窃盗の疑いで再逮捕されたのは、フィリピンを拠点とする犯罪グループ「JPドラゴン」のメンバーとみられる鹿児嶋孝之容疑者(56)です。 鹿児嶋容疑者は2023年4月、埼玉県の高齢男性から盗んだ複数のキャッシュカードを使って、埼玉と東京に設置されたATMから現金数百万円を引き出し盗み取った疑いです。 鹿児嶋容疑者は6月、この男性の自宅に警察官を装いウソの電話をかけ、キャシュカードを盗んだ疑いですでに逮捕されていました。 JPドラゴンは、いわゆる「ルフィ2024/07/08 06:22:0516.夢見る名無しさんをだまし取ったとして、同じ手口の詐欺事件で逮捕されていたベトナム国籍の男女を含む5人が再逮捕されました。 この5人にアカウントを貸し共謀したとされる日本人の男も新たに逮捕されています。 電子計算機使用詐欺の疑いで再逮捕されたのは、ベトナム国籍で福岡市博多区に住む無職・ド・ヴィエット・ドゥック容疑者(25)と福岡市博多区に住む飲食店経営・グエン・ティ・トゥイ容疑者(23)ら男女5人です。 また、同じ容疑で福岡市博多区に住む飲食店従業員・中野源樹容疑者(29)も新たに逮捕されています。 ド容疑者ら6人は、今年1月から2月にかけ中野容疑者のアカウント2024/07/08 06:23:0417.夢見る名無しさん人が白鳥になる理由娘 なぜ白鳥に見えるのかしら。父 「ペトルーシュカ」に出てくる人形は? あれは、どうして人形に見えるのかな?娘 でも人形って、最初から人間の形をしているでしょう? 「ペトルーシュカ」の人形なんか、すごく人間らしいわ。父 一緒に出てくる人間よりも人間的かもしれないね。娘 そうよ。父 しかしそうはいっても、やっぱり人間のようなもの、でしかない。あの白鳥だってそうさ。娘 じゃあ、バレリーナの方は? 人間なの? それは人間には違いないけど、 でも、舞台で踊ってる時は、普通の人間らしくない。躍ってない時のあの人とは違ってるのよ。 人間なんだけど、人間じゃない何かになっているの。父 つまり、こういうことだな。あの“白鳥”は、水かきもないし、ただ白鳥のようなものにすぎない。 そして、あのバレリーナも、人間としての個性がなくて、ただ人間のようなもの、にすぎない。どうだ?娘 どうなのかしら?父 いや、「白鳥」と「人間」を最初から別々のものとして考えるのは、うまくない。 舞台の上で踊ってるものが、白鳥のようであると同時に人間のようである、と考えた方がいい。娘 でも、「白鳥のよう」と言う時と「人間のよう」と言う時で、言葉の意味が違ってないかしら。同じ「よう」でも。父 うん、違うようだね。とにかく、あの白鳥が人間のようだsort ofといっても、それは「人間という種族sortに入る」という意味ではない。娘 それはそうだわ。父 寧ろ、「バレーの人形」と「バレーの白鳥」と「人間」とを全部一緒に包む大きなグループの中の、一つの小さなグループに入る、ということだ。娘 「グループ」とか「入る」とか、そういうのとは違う気がする。パパの言うその大きなグループに、ガチョウは入るの?2024/10/12 21:46:5818.夢見る名無しさん父 「舞台の上で一種の白鳥が踊っている」という時の「一種の」が、正確にどういう意味なのかは、パパには分からない。 しかし、その「一種の」という言葉によって結ばれている関係---「なぞらえ」の関係というかな、 それが詩や空想やバレーや美術の全体が持っている意味や重要さに関わっている、ということは分かっている。娘 その「一種の」の意味は分からないの? じゃあ、バレリーナがなぜ白鳥とか人形とかいろいろに見えるのかは分からないのね。 芸術とか詩とかがどういうものかも、言うことが出来ないのね。父 いや、そうじゃない。父 フランス語での「一種の」という意味の言葉には、特別なパンチがあってね。 誰かのことを「あいつはラクダだ」とフランス語で言うと、これは親しみのこもった悪口になるんだが、 「あいつは一種のラクダだ」というと、ただの悪口にしかならない。「一種の一種だ」と言うと、もっとひどい悪口になる。娘 一種の一種のなに?父 ただの「一種の一種」。そういう言い方をするんだ。ところが、「あいつは本物のラクダだ」と言った時には、 軽蔑や冷やかしの中に、「それはそれで、えらいもんだよ」と感心する気持ちが入り込んでくる。娘 でも、フランス人が誰かのことを「一種のラクダ」問うのと、 あたしが白鳥のことを「一種の人間」と言うのとでは、同じ「一種」でも、違うんじゃないかしら。父 パパは今「マクベス」の一節を思い出していた。バンクォウを殺すために殺し屋を差し向ける所なんだが、 その殺し屋が、自分たちは「男」だと言う。するとマクベスは、「一種の男」だと言い直すんだな。さよう、帳面上で分類すれば男のうち。猟犬も闘犬も座敷犬も、柴犬もむく犬も狼犬も、帳面づらではみな犬のうちだからな。(第三幕・第一場)2024/10/12 21:49:3919.夢見る名無しさん娘 それって、さっきパパが言ったことと同じでしょう? 「大きなグループの中の一つの小グループ」? そういう「分類」みたいなのとは全然違うと思うんだけど。父 いや、パパが言いたいのは別のことさ。マクベスが喩えに「犬」を持って来た所が重要なんだな。 「犬」という言葉は、高貴な犬も意味すれば、ごろつきの野良犬も意味する。それが「飼猫」だとそうはいかない。 あそこで、三毛猫とか、ペルシャ猫とかの種類を並べても、同じようにはいかないわけだよ。野生のバラの細かい種類を言ってみてもね。娘 それはいいの。あたしの質問はどうなの? フランス人が誰かのことを「一種の」ラクダと言う時と、 あたしが白鳥のことを「一種の」人間と言う時で、「一種の」と言う言葉の意味は、同じなの?父 分かった。「一種の」と言う言葉の意味を分析すればいいんだな? 「ぺトルーシュカの人形は、一種の人間である」とパパが言う時、パパは関係について述べている。いいね?娘 何と何との関係?父 観念同士の関係だろう。娘 人形と人間の関係じゃなくて?父 そうじゃない。人形についてパパが抱いている観念と、人間についてパパが抱いている観念との間の関係だ。娘 ふーん。2024/10/12 21:50:5220.夢見る名無しさん娘 それはどんな関係なの?父 そうだな。比喩的関係とか、「なぞらえ」の関係とか言うんだろうか。父 それとともに、「絶対になぞらえられはしない」と激しく主張される関係がある。 パンとワインは肉と血の一種ではない、と主張したために大勢の人が処刑されたこともあるんだ。娘 それ、同じなの? つまり……「白鳥の湖」のバレーも、聖体sacramentなわけ?父 そうだ。パパはそう思う。少なくとも、ある人たちにとっては聖体だろうね。 プロテスタントの言い方にならえば、その人たちにとって、白鳥のコスチュームやバレリーナの動きは、 女性の「内的で霊的な優美さの、外的で可視的なあらわれ」となるわけだ。 しかし、カトリックの人たちにとっては違う。そういう言い方をしたのでは、バレーに神聖さはこもらない。ただの比喩表現になるだけだ。娘 ある人たちにとってバレーが聖体になるっていうのは、プロテスタントの人にとって、っていうこと?父 そうじゃない。パパが言うのは、パンとワインが比喩表現にしか---ただの肉と血のようなものにしか---ならない人たちと、 カトリックのように神聖な者になる人たちがいるとすれば、バレーだって、それを比喩と捕らえる人と、 「比喩などではない。もっと神聖な何かだ」という風にこだわる人がいるだろう、ということだ。つまりそれは「聖体」だと。娘 カトリックの人たちが言う意味で?父 そうだよ。2024/10/12 21:52:3421.夢見る名無しさん父 つまりだね、もし「そのパンとワインは肉と血の一種ではない」ということの厳密な意味を、きちんと言うことが出来たとしたら、 「その白鳥は人間のようだ」ということの意味も、「そのバレーは聖体だ」ということを意味も、もっときちんと言えるようになるだろうということだよ。娘 でも……どうやって区別するの?父 何をだね?娘 聖体と比喩。父 待て待て。今パパとお前は、結局のところ、詩人とかバレリーナとか、 それを見ている聴衆とか、要するに「人間」のことを話題にしているんじゃないだろうな? 聖体と比喩がどう違うかという問題だって、答えは実際その場にいる人間を離れて出てこないんだ。 あるバレリーナがある公演で踊ったバレーが、彼女にとって聖体になるかどうか---そういう風に問を立てなくちゃいけない。娘 いいわ。その質問に答えて。父 答えは、秘密になっている。娘 教えてくれないのね。父 いや、パパが隠しているんじゃなく、隠されているんだ。口では言えない種類の答えなのさ。娘 どうして言えないの?父 楽屋でバレリーナをつかまえて、「あなたの踊るバレーは、あなたにとって聖体なんですか、それともただの比喩表現なんですか?」と聞いてごらん。 そんなことを聞いても、相手はきょとんとするだろうが、まあ、質問の意味が通じたとするよ。彼女は多分こんな風に言って質問をはぐらかすだろう。 「ごらんになったのはあなたですもの、あなたにとって聖体なのかどうか、あなたがお決めになったら?」 或いは「聖体になるときも、ならない時もあります」とか「今日のあたし、どうでした?」とか。踊る当人が、直接制御できるわけじゃないんだな。娘 その、パパの言う秘密、それが分かったとしたら、その人はすごいバレリーナになれるのかしら。父 そうじゃない。そういうことには全然ならない。偉大な芸術も、宗教も、みんなこの秘密に関わってくるんだが、 その秘密を知った---意識で捉えた---として、それで偉大な作品が作れたり、 宗教的感動に浸れたりするわけではない。知ったからといって、制御する力は手に入らないのさ。2024/10/12 21:55:1822.夢見る名無しさん娘 ねえ、どこから変わっちゃったのかしら。最初に話してたのは、白鳥が「一種の」とか「ようだ」とかいう言葉の意味のことだったでしょう? そこから、「よう」には二つの意味があって、舞台で踊っている“白鳥の人”までいったのよね。それが、いつの間にか秘密とか制御とかの話になってくる。父 いいか、最初から言い直そう。あの白鳥は、本物の白鳥ではなくて、誰かが「なりすました」白鳥だとね。 ところがその、白鳥になりすましている人は「なりすましたのではない」人間だ。 嘘の白鳥であると共に、白いドレスを着た本当の女の人でもある。そして本当の白鳥は、どこか若くて優雅な女の人のようである---娘 今言った中のどれが聖体?父 まだ駄目かな。どれかが聖体になるなんてことはないんだよ。一つじゃ駄目だ。 全部がうまく結びついて聖体が出来る。「なりすました」のと「なりすましたのでない」のと「本当」と。 どうにかして溶け合って一つの意味になる。そうとしかパパには言えない。娘 嘘と本当を混ぜたりしていいの?父 論理学者や科学者は駄目だと言うだろうね。でも彼らのやり方で、バレーが出来るわけじゃない。聖体もね。2024/10/12 21:57:12
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+5851409.72024/11/21 20:41:19
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森の奥深く、人里離れた場所に広がる小さな妖精の里。そこでは、四季折々の自然の恵みに包まれながら、妖精たちが平和に暮らしていました。
一人の少女妖精、がいました。彼女の瞳は森の緑のように澄み渡り、髪は朝日に輝く金糸のよう。そして何より、彼女の心は清らかな池に映る月のように美しかったのです...
リリアンは勇敢で心優しい妖精だった。彼女は森の中を巡り、異変を感じる。すると、闇の力を持つ邪悪な魔物が森を襲っていた。リリアンは妖精たちを集め、共に魔物と戦う決意をする。
激しい戦いの中、リリアンは妖精たちと協力し、魔物を打ち破ることに成功する。しかし、その戦いでリリアンは重傷を負ってしまう。妖精たちはリリアンを助け、彼女を癒す力を使い、彼女は奇跡的に回復する。
リリアンは妖精たちに感謝し、森の平和を取り戻すことができた喜びを分かち合う。彼女は長老の元に戻り、その勇気と優しさを称えられる。そして、リリアンは新たな妖精の長として、森を守る使命を果たすことを誓うのだった。
その後、森は再び平和な日々を取り戻し、妖精たちはリリアンの勇気と優しさを讃え、彼女を尊敬するようになった。リリアンは妖精たちと共に、永遠に森を守り続けることを誓い、その美しい物語は語り継がれるのだった。
1. ある日、星の妖精たちが人間の世界に迷い込んでしまう。彼らは人間たちに見つかることを恐れ、隠れて生活することになる。
2. その中で、星の妖精のリーダーであるエリオットは、人間の少女エミリーと出会う。彼女は優しい心を持ち、妖精たちを助けてくれる。
3. エミリーは妖精たちの存在を秘密にし、彼らと友情を育む。妖精たちもエミリーに感謝し、彼女のために星の力を使って幸せをもたらす。
4. しかし、人間たちの間には妖精たちを追い出そうとする者も現れる。エミリーは妖精たちを守るために立ち上がり、人間と妖精の共存を訴える。
5. 最終的に、エミリーの勇気と妖精たちの力によって、人間たちも妖精たちの存在を受け入れることになる。そして、星の妖精たちは人間の世界で新たな家を見つけ、幸せな日々を過ごすことができるのだった。
終わり。
娘 なぜ白鳥に見えるのかしら。
父 「ペトルーシュカ」に出てくる人形は? あれは、どうして人形に見えるのかな?
娘 でも人形って、最初から人間の形をしているでしょう? 「ペトルーシュカ」の人形なんか、すごく人間らしいわ。
父 一緒に出てくる人間よりも人間的かもしれないね。
娘 そうよ。
父 しかしそうはいっても、やっぱり人間のようなもの、でしかない。あの白鳥だってそうさ。
娘 じゃあ、バレリーナの方は? 人間なの? それは人間には違いないけど、
でも、舞台で踊ってる時は、普通の人間らしくない。躍ってない時のあの人とは違ってるのよ。
人間なんだけど、人間じゃない何かになっているの。
父 つまり、こういうことだな。あの“白鳥”は、水かきもないし、ただ白鳥のようなものにすぎない。
そして、あのバレリーナも、人間としての個性がなくて、ただ人間のようなもの、にすぎない。どうだ?
娘 どうなのかしら?
父 いや、「白鳥」と「人間」を最初から別々のものとして考えるのは、うまくない。
舞台の上で踊ってるものが、白鳥のようであると同時に人間のようである、と考えた方がいい。
娘 でも、「白鳥のよう」と言う時と「人間のよう」と言う時で、言葉の意味が違ってないかしら。同じ「よう」でも。
父 うん、違うようだね。とにかく、あの白鳥が人間のようだsort ofといっても、それは「人間という種族sortに入る」という意味ではない。
娘 それはそうだわ。
父 寧ろ、「バレーの人形」と「バレーの白鳥」と「人間」とを全部一緒に包む大きなグループの中の、一つの小さなグループに入る、ということだ。
娘 「グループ」とか「入る」とか、そういうのとは違う気がする。パパの言うその大きなグループに、ガチョウは入るの?
しかし、その「一種の」という言葉によって結ばれている関係---「なぞらえ」の関係というかな、
それが詩や空想やバレーや美術の全体が持っている意味や重要さに関わっている、ということは分かっている。
娘 その「一種の」の意味は分からないの? じゃあ、バレリーナがなぜ白鳥とか人形とかいろいろに見えるのかは分からないのね。
芸術とか詩とかがどういうものかも、言うことが出来ないのね。
父 いや、そうじゃない。
父 フランス語での「一種の」という意味の言葉には、特別なパンチがあってね。
誰かのことを「あいつはラクダだ」とフランス語で言うと、これは親しみのこもった悪口になるんだが、
「あいつは一種のラクダだ」というと、ただの悪口にしかならない。「一種の一種だ」と言うと、もっとひどい悪口になる。
娘 一種の一種のなに?
父 ただの「一種の一種」。そういう言い方をするんだ。ところが、「あいつは本物のラクダだ」と言った時には、
軽蔑や冷やかしの中に、「それはそれで、えらいもんだよ」と感心する気持ちが入り込んでくる。
娘 でも、フランス人が誰かのことを「一種のラクダ」問うのと、
あたしが白鳥のことを「一種の人間」と言うのとでは、同じ「一種」でも、違うんじゃないかしら。
父 パパは今「マクベス」の一節を思い出していた。バンクォウを殺すために殺し屋を差し向ける所なんだが、
その殺し屋が、自分たちは「男」だと言う。するとマクベスは、「一種の男」だと言い直すんだな。
さよう、帳面上で分類すれば男のうち。
猟犬も闘犬も座敷犬も、
柴犬もむく犬も狼犬も、
帳面づらではみな犬のうちだからな。(第三幕・第一場)
「大きなグループの中の一つの小グループ」? そういう「分類」みたいなのとは全然違うと思うんだけど。
父 いや、パパが言いたいのは別のことさ。マクベスが喩えに「犬」を持って来た所が重要なんだな。
「犬」という言葉は、高貴な犬も意味すれば、ごろつきの野良犬も意味する。それが「飼猫」だとそうはいかない。
あそこで、三毛猫とか、ペルシャ猫とかの種類を並べても、同じようにはいかないわけだよ。野生のバラの細かい種類を言ってみてもね。
娘 それはいいの。あたしの質問はどうなの? フランス人が誰かのことを「一種の」ラクダと言う時と、
あたしが白鳥のことを「一種の」人間と言う時で、「一種の」と言う言葉の意味は、同じなの?
父 分かった。「一種の」と言う言葉の意味を分析すればいいんだな?
「ぺトルーシュカの人形は、一種の人間である」とパパが言う時、パパは関係について述べている。いいね?
娘 何と何との関係?
父 観念同士の関係だろう。
娘 人形と人間の関係じゃなくて?
父 そうじゃない。人形についてパパが抱いている観念と、人間についてパパが抱いている観念との間の関係だ。
娘 ふーん。
父 そうだな。比喩的関係とか、「なぞらえ」の関係とか言うんだろうか。
父 それとともに、「絶対になぞらえられはしない」と激しく主張される関係がある。
パンとワインは肉と血の一種ではない、と主張したために大勢の人が処刑されたこともあるんだ。
娘 それ、同じなの? つまり……「白鳥の湖」のバレーも、聖体sacramentなわけ?
父 そうだ。パパはそう思う。少なくとも、ある人たちにとっては聖体だろうね。
プロテスタントの言い方にならえば、その人たちにとって、白鳥のコスチュームやバレリーナの動きは、
女性の「内的で霊的な優美さの、外的で可視的なあらわれ」となるわけだ。
しかし、カトリックの人たちにとっては違う。そういう言い方をしたのでは、バレーに神聖さはこもらない。ただの比喩表現になるだけだ。
娘 ある人たちにとってバレーが聖体になるっていうのは、プロテスタントの人にとって、っていうこと?
父 そうじゃない。パパが言うのは、パンとワインが比喩表現にしか---ただの肉と血のようなものにしか---ならない人たちと、
カトリックのように神聖な者になる人たちがいるとすれば、バレーだって、それを比喩と捕らえる人と、
「比喩などではない。もっと神聖な何かだ」という風にこだわる人がいるだろう、ということだ。つまりそれは「聖体」だと。
娘 カトリックの人たちが言う意味で?
父 そうだよ。
「その白鳥は人間のようだ」ということの意味も、「そのバレーは聖体だ」ということを意味も、もっときちんと言えるようになるだろうということだよ。
娘 でも……どうやって区別するの?
父 何をだね?
娘 聖体と比喩。
父 待て待て。今パパとお前は、結局のところ、詩人とかバレリーナとか、
それを見ている聴衆とか、要するに「人間」のことを話題にしているんじゃないだろうな?
聖体と比喩がどう違うかという問題だって、答えは実際その場にいる人間を離れて出てこないんだ。
あるバレリーナがある公演で踊ったバレーが、彼女にとって聖体になるかどうか---そういう風に問を立てなくちゃいけない。
娘 いいわ。その質問に答えて。
父 答えは、秘密になっている。
娘 教えてくれないのね。
父 いや、パパが隠しているんじゃなく、隠されているんだ。口では言えない種類の答えなのさ。
娘 どうして言えないの?
父 楽屋でバレリーナをつかまえて、「あなたの踊るバレーは、あなたにとって聖体なんですか、それともただの比喩表現なんですか?」と聞いてごらん。
そんなことを聞いても、相手はきょとんとするだろうが、まあ、質問の意味が通じたとするよ。彼女は多分こんな風に言って質問をはぐらかすだろう。
「ごらんになったのはあなたですもの、あなたにとって聖体なのかどうか、あなたがお決めになったら?」
或いは「聖体になるときも、ならない時もあります」とか「今日のあたし、どうでした?」とか。踊る当人が、直接制御できるわけじゃないんだな。
娘 その、パパの言う秘密、それが分かったとしたら、その人はすごいバレリーナになれるのかしら。
父 そうじゃない。そういうことには全然ならない。偉大な芸術も、宗教も、みんなこの秘密に関わってくるんだが、
その秘密を知った---意識で捉えた---として、それで偉大な作品が作れたり、
宗教的感動に浸れたりするわけではない。知ったからといって、制御する力は手に入らないのさ。
そこから、「よう」には二つの意味があって、舞台で踊っている“白鳥の人”までいったのよね。それが、いつの間にか秘密とか制御とかの話になってくる。
父 いいか、最初から言い直そう。あの白鳥は、本物の白鳥ではなくて、誰かが「なりすました」白鳥だとね。
ところがその、白鳥になりすましている人は「なりすましたのではない」人間だ。
嘘の白鳥であると共に、白いドレスを着た本当の女の人でもある。そして本当の白鳥は、どこか若くて優雅な女の人のようである---
娘 今言った中のどれが聖体?
父 まだ駄目かな。どれかが聖体になるなんてことはないんだよ。一つじゃ駄目だ。
全部がうまく結びついて聖体が出来る。「なりすました」のと「なりすましたのでない」のと「本当」と。
どうにかして溶け合って一つの意味になる。そうとしかパパには言えない。
娘 嘘と本当を混ぜたりしていいの?
父 論理学者や科学者は駄目だと言うだろうね。でも彼らのやり方で、バレーが出来るわけじゃない。聖体もね。