【仮の庵】デオー庵 暫定十三 【代理】最終更新 2026/10/01 10:161.◆JBLfMwCXhYq2YgL教皇ポッたん聖下が不在の間留守を預かってもらおうポッたん庵 十二https://talk.jp/boards/psy/17823794492026/09/27 21:04:4047コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんZ5X8K吉川晃司2026/09/28 03:26:463.ハジsOcb1そういや、でおーいなかったな2026/09/28 03:47:024.神も仏も名無しさんqwy6hナイーブデンパパ📡外道が規制しかけてきたんやろう予測😀2026/09/28 06:54:315.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授ブッダ(如来)になるために修行中の人のことを「菩薩」と呼びます。ゴータマさん(お釈迦様)の場合なら、菩提樹の下で悟りを開いてブッダ(如来)になる瞬間までの人生は「菩薩」だったわけです。お釈迦様はカピラ城に生まれる前の過去世でも修行を続けておられた、と考えられていますので、たとえばウサギに生まれたり、オウムに生まれたこともあって、その間もずっと修行していたわけですから、そのウサギやオウムは菩薩です。菩薩というと観音様のような立派なお姿ばかり想像しますが、菩薩は、この世のあらゆる動物の中に存在している可能性がある、ということです。2026/09/28 11:36:216.◆JBLfMwCXhY3tVIuマジか2026/09/28 11:39:267.◆JBLfMwCXhY3tVIu菩薩って、そういうことだったんかい2026/09/28 11:39:418.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授「宗派や教えに多少の違いはあっても、目指す山の頂は一つである」とおっしゃる方もおられますが、「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。私はどちらが正しくてどちらが正しくないのかを論じるつもりはありませんし、大乗仏教を否定する気もありません。どちらの教えにも人々を苦しみから救ってくれる力があるのは事実です。歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです。大乗仏教が「釈迦の仏教」とは別のものであったとしても、それを学ぶことには大きな意味があります。「釈迦の仏教」と大乗仏教の相違点を学び、ではなぜ違う教えがこの世に誕生してきたのかを知ることで、「大乗仏教の存在価値」がより明らかになってくるはずです。2026/09/28 12:15:099.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授小乗仏教という呼び名は、大乗側からの見下した呼び名なので、今では上座部仏教と呼んでいます。上座部仏教と、その起源になった大昔のオリジナルの仏教には違いも多いので、このあとは、そのお釈迦様時代のオリジナルの仏教は「釈迦の仏教」と呼ぶことにします。2026/09/28 12:17:3110.神も仏も名無しさんgCIWf輪廻転生2026/09/28 13:00:5811.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授釈迦の仏教→上座部仏教→大乗仏教2026/09/28 13:50:3012.神も仏も名無しさんlQ0o6仏教は哲学2026/09/28 13:58:5213.神も仏も名無しさんpQSmG清水さん部派教団と呼ばれる保守的な教団は、無限増殖した経典の聖性を当初は認めていませんでした。ですが、仏教の場合は経典の無限増殖期間が長くて、5世紀ごろになると、無限増殖した経典に正統性をみとめる教団が徐々に出てきたという感じです。2026/09/28 16:30:0914.神も仏も名無しさんpQSmG清水さん①上座部では、パーリ語で人が暗記した聖典のみに権威。②有部では、仏の言語論が特殊(仏が梵音を発すると、母語が異なる人たちでも理解できる)で不明だが、人が暗記した聖典のみに権威。③中国・日本は、翻訳された書写聖典にも権威を認める。④インドの大乗仏教では、言語面については不明ながらも(おそらく翻訳されていても聖典性があったと思われる)、おそらく書写聖典にも権威を認めていたと考えられる。2026/09/28 16:37:3815.神も仏も名無しさんpQSmG清水さん大乗仏典が制作された動機を真面目にアレコレ考察する仏教学者がしばしいるが、私から言わせれば人生経験が浅すぎる。世間を現見すれば、公式の権威を借りて自分の想像を表現する二次創作に溢れているではないか。そこに特別な事情など何もなく、人間が本来的に持つ欲求の発露である2026/09/28 18:10:3716.神も仏も名無しさんpQSmG清水さん二次創作たる大乗経典は「本」として創作されたので、当初は「口伝」による三蔵の正統性に浸潤することはできなかった。大乗経典が三蔵に取って代わった背景には、三蔵の伝承形態が口伝から書写に変わっていったことが重要である。2026/09/28 18:16:2817.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授近年では、大乗仏教は部派グループのどこかから生まれたという説が、逆に一般的になりつつあります。私が見つけた「破僧の定義変更」という現象を土台にして考えれば、仏教世界の内部から、それまでとは全く違った考えが出てくるということも十分可能となります。私としては当然、大乗は部派仏教の内部から生まれたという説を支持しています。大乗仏教の発生については次のようなプロセスが想定されます。破僧の定義を変更した直後の部派仏教の時代は、教えに対して多少の解釈の違いをとなえることはあっても、全く新奇な教えが出現するというような動きはまだなかったはずです。しかし、長い歴史のどこかで「昔から伝わっているお経には書かれていないけれども、論理的に正しければ、それは釈迦の教えと考えてよいのではないか」と主張する一団が現れます。「今までにない新しいお経を作って、それを釈迦の教えとして広めてもよい」ということですから、この考えが一度認められてしまうと、もう流れを止めることはできません。それまではなかった新しい考えを、釈迦の教えとして主張する人が次々に出てきて、いつの間にか全く異なる仏教世界(大乗仏教)が誕生することになったのです。2026/09/28 22:42:2018.神も仏も名無しさんOnqtUパタリロ!2026/09/28 22:44:5419.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授破僧の定義が変更されて最初のタガがはずれたのは事実ですが、しばらくの期間はある程度、歯止めがきいていたものと思われます。「解釈の多少の違いはあってよいが、根本的な教えに変更を加えるのはまずい」と多くの人が思っていたはずです。しかし長い歴史を経る中で、いつしか歯止めがきかなくなり、一気に多様化が進みました。その際にやはり決定的要因となったのは、「理にかなってさえいれば、それは釈迦の教えと考えてよい」というアイデアの登場だったと思います。そうした状況に危機感を感じた人ももちろんいたでしょう。でも、一度堰を切って流れ出した水の勢いは、誰にも止めることはできなかったのです。『涅槃経』にはパーリ語のものと、漢文のものが存在していますが、パーリ語のほうには「教えの正統性を確認するためには、お釈迦様の言葉に合っているかどうかを確かめろ」とだけ書かれているのに対して、漢文のほうにはそのほかに、「理屈に合っていれば、それはお釈迦様の教えと考えてよい」とも書かれているのです。そういう考えが次第に受け入れられていった様子がわかりますね。2026/09/28 22:51:1520.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授「昔からの経典に書かれていなくとも、理屈に合っていてお釈迦様の教えとしての整合性があるならばそれは正しい仏教の教えだ」と言ってしまったことが大きな分かれ目となったのは間違いないでしょう。その時点で、大乗仏教への扉が一気に開かれたのだと思います。大乗仏教の教義は、それまでの「釈迦の仏教」とは似ても似つかぬものもありますが、すべては修行者たちの宗教体験をベースに生み出されたものなのです。修行する中で「これこそがブッダの伝えたかったことのはずだ。私は仏教の正しい在り方を体験した」というインスピレーションやひらめきがあったからこそ、信念を持って「お釈迦様の本当の教えはこれである」と主張したのです。大乗的な教義については、部派グループのどこか一ヵ所から誕生したというわけではなく、いろいろな場所で多発的に生まれた、と私は思っています。様々な場所で様々な人が、それぞれのインスピレーションをもとに新たなお経を作ったとすれば、当然、そう考えざるをえません。当時はまだ大乗仏教という呼び名もなければ、作った本人たちにも、それまでの仏教とは違ったものを作り出したという意識もなかったはずです。地域ごと、時代ごとに様々な新式の仏教が生み出され、そうした小さな流れが一つになり、やがて振り返ってみれば、それは大乗仏教という大きな潮流になっていた、という状況でしょう。2026/09/28 22:55:5621.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授「釈迦の仏教」では、この世で修行を積んで悟りを開いた者が到達する境地を「阿羅漢」と言います。阿羅漢とは、お釈迦様の教えをすべて学び終えて、悟りを開いた人のことです。悟ったとは言っても、阿羅漢はステージ的にはお釈迦様のようなブッダよりもずっと下位のレベルです。「釈迦の仏教」では誰もが皆、この阿羅漢を目指すのであって、「ブッダになることを目指す」などと言う人はいません。ブッダというのは、お釈迦様のような、特別な資質を持ったある種の天才だけが到達可能な境地なのです。一方の大乗仏教では、悟りを開いた者の最終到達点は「ブッダになること」です。「成仏」という発想がそれです。成仏と聞くと、多くの人は亡くなったあとにこの世に未練を残さず安らかな場所に行くことをイメージしますが、それは誤ったイメージで、本来は人が悟りを開いてブッダになるという意味の言葉です。「釈迦の仏教」では全く想定されていなかった「誰にでも開かれたブッダへの道」が、大乗仏教では可能になったというわけです。2026/09/28 23:04:1822.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授もともとの仏教の教えが当時なんらかのきっかけで多様化し、様々な環境で暮らす人の状況や立場に合ったものを選ぶことができる「選択肢の多い宗教」へと変わっていった、そのことが、仏教が一挙に拡大した最大の理由だったのであろうと考えます。私が注目したのは「多様性」、つまり選択肢の広がりです。一つの教えが様々に枝分かれしながらも、それぞれが否定し合うことなく、仏教という一つのジャンルの中で並存できたことが、仏教が世界に拡大していった最大の理由だと考えるのです。今までどおりキリスト教の信念を貫きながら、仏教的な生き方を実践している人も欧米には多くいます。つまり、そうしたスタイルすら許してしまう教義の多様性が仏教にはあるということなのです。今ほどの多様化は進んでいなかったにしても、アショーカ王の時代にすでに、仏教は多様化の道に踏み出していたと思われるのです。その根拠として挙げられるのが、大乗仏教の発生よりずっと前、アショーカ王の時代に現れたと思われる「部派仏教」という概念の成立です。2026/09/28 23:12:4623.神も仏も名無しさんpQSmG佐々木教授もともと、お釈迦様の教えは一つでしたが、アショーカ王の時代に破僧の定義が変更されたことで、「仏教の教えの中にもいろんな解釈があっていい。異なる考え方をもつ相手を否定するのではなく、互いに仲間として認め合おう」という状況が生まれました。これによって部派仏教の時代が到来した、とここまではよろしいですね。部派仏教は、外から見ると仏教という名のもとに一つにまとまっているように見えますが、違った教えが並存しているという意味では、内部分裂している状態です。つまり破僧の定義を変更して、「異なる解釈を認める」と宣言してしまった時点で、最初のタガがはずれて、仏教は一挙に多様化への道を歩みはじめることになったのです。本来一つであったお釈迦様の教えがいくつにも分かれていったことを「よくないこと」と感じる方もいらっしゃるでしょう。しかし、様々な選択肢を含んだバラエティ豊かな宗教になったことで、仏教がより多くの人を救えるようになったと考えれば、逆にプラスととらえることもできるのです。2026/09/28 23:21:0124.神も仏も名無しさんkzZte仏教は単なる哲学2026/09/29 00:04:4425.神も仏も名無しさんdsvrr馬鹿は死になさい2026/09/29 02:36:4426.神も仏も名無しさん9ZWHU三行くらい投稿超えるとバーンアウトするのを発見した😀2026/09/29 06:24:4327.神も仏も名無しさんAVuZiあほの鹿は寝ずにノイローゼ気味2026/09/29 11:25:1928.神も仏も名無しさんqJQNUお前は俺が誰かを知らない大爆笑である😂2026/09/29 11:36:4829.神も仏も名無しさんAVuZiでお-は知恵遅れ2026/09/29 11:47:0430.ハジdJ3HX123っぽいのが散見されるなw2026/09/29 18:54:2431.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAqvFpYニセモノじゃね?2026/09/29 19:47:5932.神も仏も名無しさんIxXHJWikipediaテキトー情報上座部の歴史会議(結集、第二結集)が持たれ、この時点では議題に上った問題に関して戒律の変更を認めない(金銭の授受等の議題に上った案件は戒律違反との)決定がなされたが、あくまで戒律の修正を支持するグループによって大衆部が発生した。大衆部と、戒律変更を認めない上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起こり、部派仏教の時代に入ることとなった。その後、部派仏教の時代には、上座部系部派の説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部、もしくはそのうちの一派であるとされる。2026/09/29 21:39:3133.神も仏も名無しさんIxXHJWikipedia1750年に当時の王朝がタイ(シャム)に要請し1753年に比丘サンガを復興させた経緯から、シャム派と名乗っている。スリランカのサンガは16世紀に衰退し固有の戒統は失われていた。シャム派の戒統は1753年の比丘サンガの復興まで遡る。しかしタイの出家比丘サンガは13世紀にビルマ経由でスリランカに由来するため、現代のスリランカサンガは古代からの戒統を継承している。部派仏教として扱われる事もある、分別説部の流れを汲む僧団のひとつである。スリランカ仏教の出家比丘サンガ主要三派(アマラプラ派、ラーマンニャ派、シャム派)のうち最大勢力である。現存するスリランカ仏教の比丘サンガの中では最も歴史が古い派である。寺院の敷地内には、かならずヒンドゥーの神が祭ってある。最高位の僧であるマハーナーヤカの就任は大統領が命じることになっている。シャム派は教団への加入を支配的な土地所有カーストだったゴイガマ(農民)カーストに限定したことから他カーストの反発を招き、アマラプラ派の分立を招いた。シャム派は今日までこの制限を維持してきた。2026/09/29 21:43:0234.神も仏も名無しさんIxXHJWikipedia南伝仏教とも呼ばれるスリランカの仏教は、分別説部(赤銅鍱部)の流れを汲み、パーリ語経典を奉じる上座部仏教と称する仏教であり、シンハラ人を中心に信仰を集める。ミャンマー・タイなど東南アジアに広まった上座部仏教は、このスリランカの仏教が起源である。仏教はインドからスリランカ(セイロン島)へ、紀元前3世紀に伝来したとされる。大寺派、無畏山寺、祇多林寺の三派鼎立の時代。他の二派が大乗仏教や密教を受容していったのとは対照的に、大寺派では5世紀にインドから訪れた仏教学者・注釈者であるブッダゴーサ(仏音、覚音)が、パーリ語経典の全般に渡る注釈(アッタカター)や、『清浄道論』という論書を著すなどして立場をより強固に確立していった。12世紀から13世紀にかけてスリランカから東南アジアに大寺派の仏教が伝来し、現在でもその伝統は根強く維持されている。スリランカではその後、16世紀以降のポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化によって仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興した。現在は、シャム・ニカーヤ(シャム派、1753年設立)アマラプラ・ニカーヤ(アマラプラ派、1803年設立)ラーマンニャ・ニカーヤ(ラーマンニャ派、1864年設立)の三つの宗派に分かれているが、いずれもタイとビルマに因んでいる。2026/09/29 22:02:1235.ハジDIgcl報恩感謝の南無阿弥陀仏2026/09/30 05:56:3436.神も仏も名無しさんFFSkw清水さん初期仏典には業以外にも苦受の原因を認める旨が説かれています。ですが、上座部の註釈によれば、現世での苦受は、基本的にすべて過去世の業が原因となります。ブッダでさえも過去世に犯した悪業の報いを、悟りを得た後に受けていると言わざるを得ないので、しばしば躊躇します。確かに初期仏典には「業以外の原因でも苦受がある」と読める箇所があるのですが、「伝統的にその箇所はそうは読まれてこなかった」という事実があります。2026/09/30 16:13:4337.神も仏も名無しさんFFSkw清水さん上座部の理解なら、そのように「今の苦しみは過去世の業が原因でどうしようもない面もあるが、前向きに現世で頑張ればOK」となります。なかなか難しい問題ですが、恐らく仏教的価値観からすれば「今の苦しみは過去世の業が原因ではない」と考えることは、「無反省な唯物論」に映ると思います。「業の異熟は不可思議である」という経典の言葉通り、因果関係を完全に説明できるのはブッダだけです。我々凡俗は、苦を忍受して、今を前向きに生きるしかありません。2026/09/30 16:17:1338.神も仏も名無しさんFFSkw清水さん輪廻の始まりは無い「無始」と考えます。確かに業果は不可思議であり、そのすべてを理解するのはブッダだけです。ですが、ブッダの教えを注意深く検討する限りでは、「現世の苦は基本的に過去世の業を原因としている」と結論されます。業と果報の全貌を知れるのはブッダだけですが、「現世の苦しみは、何かしら過去世に犯した悪業が原因である」という大原則は、仏典を読めば誰にでも解ることです。「貴方の不幸は過去世の業が原因です」という言論は、第三者を傷つけない範囲で有効——みたいな言説があるけど、そういう言説は、「すでに仏典を信じていない」か「仏典を読んでいない」か「仏典を読んでも理解できていない」のいずれかに当てはまると思います。2026/09/30 16:26:5939.神も仏も名無しさんFFSkw清水さん仏典は完全なルッキズムで、過去世の業とあわせて相当に醜美を煽ってきます。仏典をお読みいただければ明白です。「ブッダの肌は金色」は宗教的な理念です。実際の肌の色は、クシャトリア(王族)階級ですから、いわゆるアーリア系であった可能性が高く、したがって黒色よりも白色に近かったと思います。2026/09/30 17:00:0140.美魔女aaldk世界大学ランキング。東大は27位。京大は62位。2026/09/30 17:01:3941.麦◆MUGITANx95Dj2WuLC∞ノノハ∞川^○^ハレ東大は中国人の学生さんが多いみたいですね東大は北京大学の滑り止めだとか東大の赤門付近には中華料理のお店も増えているそうですね2026/09/30 17:12:1042.神も仏も名無しさんFFSkwスマナサーラさん誰でも無始なる過去から輪廻転生しています。輪廻転生というものがあって、業の説明に必ず関係のあるものです。ともかく、我々は無始なる過去から輪廻転生していますから、量的にいえば、皆ほぼ同じ量の悪業も善業も背負っていると推測したほうがいいのです。善業と悪業とを比較すれば、誰でも悪業のほうが多いかもしれません。我々は輪廻転生の中ではいろいろ生まれ変わります。神にもなる。餓鬼道にも落ちる、地獄にも行く……。ですから地獄にいる生命が本当にかわいそうで悪人だとか、そんなことは言えるものではありません。「あなたもこれから行きますからね」ということなのです。一方、業を気にする人は、皆、平等だと知って自分を戒めるのです。一般人が世の中を見て差別をするのに対し、業を気にする人は生命を差別せず、どんな生命に対しても「ああ、こんにちは」という態度で接します。業の教えは、「一切の生命は平等である。しかし、生命には個性があるので同一にならない」というメッセージです。2026/09/30 18:33:5943.神も仏も名無しさんFFSkwスマナサーラさん「業(カルマ)からはまったく抜けられない。輪廻転生も含めて人生は、業におさえられた観覧車のようで、身動きできないことになっている」と感じるかもしれません。身体そのものも業です。瞼を閉じること一つとっても業なのです。業の力がなければできません。しかし、業は絶対的なものではありません。業も無常なる現象です。身体の細胞、DNAから何からすべて業ではありますが、絶対者ではありません。業も無常、因縁によって生じる現象です。他の条件なしには、業には結果を出すこともできません。業も無常です。業論とは因果説のわずかな一部なのです。しかし人間は業からは解放されないのです。お釈迦様は、ご自身が「考えてはいけない」とおっしゃるほど難しくてわかりにくい業について、「業論」を展開なさったりしません。仏説は因縁説です。業説ではありません。お釈迦様は因縁を語られます。そして、因縁の一部が業なのです。そうとう人生を管理しますが、業自身にも「因果法則に沿って機能しなくてはいけない」という憲法があります。また、有効期限もあって、期限が過ぎたら結果を出せなくなります。業も無常です。因果法則の一部です。ですから修行者は、業を理解するよりは因縁を理解することに励みます。2026/09/30 18:37:3744.神も仏も名無しさんFFSkwスマナサーラさん業とは、他人に与えることは不可能な個人財産です。輪廻転生する時は、自分の業のみを持って転生するのです。業とは固定したものではなく、身口意の行為により心に溜まるポテンシャルなのです。増えたり減ったり無くなったりするものです。一般的な観察では、業を見つけることはできません。しかし、業の働きの一部である「自分を生かす力」を見つけることができれば、とても役に立ちます。悩むこと無く生きられます。2026/09/30 18:53:4145.神も仏も名無しさんA4Bz9南無妙法蓮華経2026/09/30 23:52:4846.◆JBLfMwCXhY1mDbqおはよ~ございます😄2026/10/01 04:04:4447.神も仏も名無しさんQ6sY5健康第一2026/10/01 10:16:44
乃木坂46 43rdシングルリーク 2026年11月25日発売 初選抜 愛宕心響 長嶋凛桜 選抜落ち 岩本蓮加 筒井あやめ 森平麗心 選抜復帰 小川彩乃木坂46461215.42026/10/02 15:03:50
留守を預かってもらおう
ポッたん庵 十二
https://talk.jp/boards/psy/1782379449
規制しかけてきたんやろう
予測
😀
ブッダ(如来)になるために修行中の人のことを「菩薩」と呼びます。
ゴータマさん(お釈迦様)の場合なら、菩提樹の下で悟りを開いてブッダ(如来)になる瞬間までの人生は「菩薩」だったわけです。
お釈迦様はカピラ城に生まれる前の過去世でも修行を続けておられた、と考えられていますので、たとえばウサギに生まれたり、オウムに生まれたこともあって、その間もずっと修行していたわけですから、そのウサギやオウムは菩薩です。
菩薩というと観音様のような立派なお姿ばかり想像しますが、菩薩は、この世のあらゆる動物の中に存在している可能性がある、ということです。
「宗派や教えに多少の違いはあっても、目指す山の頂は一つである」とおっしゃる方もおられますが、
「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。
もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。
私はどちらが正しくてどちらが正しくないのかを論じるつもりはありませんし、大乗仏教を否定する気もありません。
どちらの教えにも人々を苦しみから救ってくれる力があるのは事実です。
歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです。
大乗仏教が「釈迦の仏教」とは別のものであったとしても、それを学ぶことには大きな意味があります。
「釈迦の仏教」と大乗仏教の相違点を学び、ではなぜ違う教えがこの世に誕生してきたのかを知ることで、「大乗仏教の存在価値」がより明らかになってくるはずです。
小乗仏教という呼び名は、大乗側からの見下した呼び名なので、今では上座部仏教と呼んでいます。
上座部仏教と、その起源になった大昔のオリジナルの仏教には違いも多いので、このあとは、そのお釈迦様時代のオリジナルの仏教は「釈迦の仏教」と呼ぶことにします。
釈迦の仏教→上座部仏教→大乗仏教
部派教団と呼ばれる保守的な教団は、無限増殖した経典の聖性を当初は認めていませんでした。
ですが、仏教の場合は経典の無限増殖期間が長くて、5世紀ごろになると、無限増殖した経典に正統性をみとめる教団が徐々に出てきたという感じです。
①上座部では、パーリ語で人が暗記した聖典のみに権威。
②有部では、仏の言語論が特殊(仏が梵音を発すると、母語が異なる人たちでも理解できる)で不明だが、人が暗記した聖典のみに権威。
③中国・日本は、翻訳された書写聖典にも権威を認める。
④インドの大乗仏教では、言語面については不明ながらも(おそらく翻訳されていても聖典性があったと思われる)、おそらく書写聖典にも権威を認めていたと考えられる。
大乗仏典が制作された動機を真面目にアレコレ考察する仏教学者がしばしいるが、私から言わせれば人生経験が浅すぎる。
世間を現見すれば、公式の権威を借りて自分の想像を表現する二次創作に溢れているではないか。
そこに特別な事情など何もなく、人間が本来的に持つ欲求の発露である
二次創作たる大乗経典は「本」として創作されたので、当初は「口伝」による三蔵の正統性に浸潤することはできなかった。
大乗経典が三蔵に取って代わった背景には、三蔵の伝承形態が口伝から書写に変わっていったことが重要である。
近年では、大乗仏教は部派グループのどこかから生まれたという説が、逆に一般的になりつつあります。
私が見つけた「破僧の定義変更」という現象を土台にして考えれば、仏教世界の内部から、それまでとは全く違った考えが出てくるということも十分可能となります。
私としては当然、大乗は部派仏教の内部から生まれたという説を支持しています。
大乗仏教の発生については次のようなプロセスが想定されます。
破僧の定義を変更した直後の部派仏教の時代は、教えに対して多少の解釈の違いをとなえることはあっても、全く新奇な教えが出現するというような動きはまだなかったはずです。
しかし、長い歴史のどこかで「昔から伝わっているお経には書かれていないけれども、論理的に正しければ、それは釈迦の教えと考えてよいのではないか」と主張する一団が現れます。
「今までにない新しいお経を作って、それを釈迦の教えとして広めてもよい」ということですから、この考えが一度認められてしまうと、もう流れを止めることはできません。
それまではなかった新しい考えを、釈迦の教えとして主張する人が次々に出てきて、いつの間にか全く異なる仏教世界(大乗仏教)が誕生することになったのです。
破僧の定義が変更されて最初のタガがはずれたのは事実ですが、しばらくの期間はある程度、歯止めがきいていたものと思われます。
「解釈の多少の違いはあってよいが、根本的な教えに変更を加えるのはまずい」と多くの人が思っていたはずです。
しかし長い歴史を経る中で、いつしか歯止めがきかなくなり、一気に多様化が進みました。
その際にやはり決定的要因となったのは、「理にかなってさえいれば、それは釈迦の教えと考えてよい」というアイデアの登場だったと思います。
そうした状況に危機感を感じた人ももちろんいたでしょう。
でも、一度堰を切って流れ出した水の勢いは、誰にも止めることはできなかったのです。
『涅槃経』にはパーリ語のものと、漢文のものが存在していますが、パーリ語のほうには「教えの正統性を確認するためには、お釈迦様の言葉に合っているかどうかを確かめろ」とだけ書かれているのに対して、
漢文のほうにはそのほかに、「理屈に合っていれば、それはお釈迦様の教えと考えてよい」とも書かれているのです。
そういう考えが次第に受け入れられていった様子がわかりますね。
「昔からの経典に書かれていなくとも、理屈に合っていてお釈迦様の教えとしての整合性があるならばそれは正しい仏教の教えだ」と言ってしまったことが大きな分かれ目となったのは間違いないでしょう。
その時点で、大乗仏教への扉が一気に開かれたのだと思います。
大乗仏教の教義は、それまでの「釈迦の仏教」とは似ても似つかぬものもありますが、すべては修行者たちの宗教体験をベースに生み出されたものなのです。
修行する中で「これこそがブッダの伝えたかったことのはずだ。私は仏教の正しい在り方を体験した」というインスピレーションやひらめきがあったからこそ、信念を持って「お釈迦様の本当の教えはこれである」と主張したのです。
大乗的な教義については、部派グループのどこか一ヵ所から誕生したというわけではなく、いろいろな場所で多発的に生まれた、と私は思っています。
様々な場所で様々な人が、それぞれのインスピレーションをもとに新たなお経を作ったとすれば、当然、そう考えざるをえません。
当時はまだ大乗仏教という呼び名もなければ、作った本人たちにも、それまでの仏教とは違ったものを作り出したという意識もなかったはずです。
地域ごと、時代ごとに様々な新式の仏教が生み出され、そうした小さな流れが一つになり、やがて振り返ってみれば、それは大乗仏教という大きな潮流になっていた、という状況でしょう。
「釈迦の仏教」では、この世で修行を積んで悟りを開いた者が到達する境地を「阿羅漢」と言います。
阿羅漢とは、お釈迦様の教えをすべて学び終えて、悟りを開いた人のことです。
悟ったとは言っても、阿羅漢はステージ的にはお釈迦様のようなブッダよりもずっと下位のレベルです。
「釈迦の仏教」では誰もが皆、この阿羅漢を目指すのであって、「ブッダになることを目指す」などと言う人はいません。
ブッダというのは、お釈迦様のような、特別な資質を持ったある種の天才だけが到達可能な境地なのです。
一方の大乗仏教では、悟りを開いた者の最終到達点は「ブッダになること」です。
「成仏」という発想がそれです。
成仏と聞くと、多くの人は亡くなったあとにこの世に未練を残さず安らかな場所に行くことをイメージしますが、それは誤ったイメージで、本来は人が悟りを開いてブッダになるという意味の言葉です。
「釈迦の仏教」では全く想定されていなかった「誰にでも開かれたブッダへの道」が、大乗仏教では可能になったというわけです。
もともとの仏教の教えが当時なんらかのきっかけで多様化し、様々な環境で暮らす人の状況や立場に合ったものを選ぶことができる「選択肢の多い宗教」へと変わっていった、そのことが、仏教が一挙に拡大した最大の理由だったのであろうと考えます。
私が注目したのは「多様性」、つまり選択肢の広がりです。
一つの教えが様々に枝分かれしながらも、それぞれが否定し合うことなく、仏教という一つのジャンルの中で並存できたことが、仏教が世界に拡大していった最大の理由だと考えるのです。
今までどおりキリスト教の信念を貫きながら、仏教的な生き方を実践している人も欧米には多くいます。
つまり、そうしたスタイルすら許してしまう教義の多様性が仏教にはあるということなのです。
今ほどの多様化は進んでいなかったにしても、アショーカ王の時代にすでに、仏教は多様化の道に踏み出していたと思われるのです。
その根拠として挙げられるのが、大乗仏教の発生よりずっと前、アショーカ王の時代に現れたと思われる「部派仏教」という概念の成立です。
もともと、お釈迦様の教えは一つでしたが、アショーカ王の時代に破僧の定義が変更されたことで、「仏教の教えの中にもいろんな解釈があっていい。異なる考え方をもつ相手を否定するのではなく、互いに仲間として認め合おう」という状況が生まれました。
これによって部派仏教の時代が到来した、とここまではよろしいですね。
部派仏教は、外から見ると仏教という名のもとに一つにまとまっているように見えますが、違った教えが並存しているという意味では、内部分裂している状態です。
つまり破僧の定義を変更して、「異なる解釈を認める」と宣言してしまった時点で、最初のタガがはずれて、仏教は一挙に多様化への道を歩みはじめることになったのです。
本来一つであったお釈迦様の教えがいくつにも分かれていったことを「よくないこと」と感じる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、様々な選択肢を含んだバラエティ豊かな宗教になったことで、仏教がより多くの人を救えるようになったと考えれば、逆にプラスととらえることもできるのです。
バーンアウトするのを発見した
😀
寝ずにノイローゼ気味
大爆笑である😂
上座部の歴史
会議(結集、第二結集)が持たれ、この時点では議題に上った問題に関して戒律の変更を認めない(金銭の授受等の議題に上った案件は戒律違反との)決定がなされたが、あくまで戒律の修正を支持するグループによって大衆部が発生した。
大衆部と、戒律変更を認めない上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起こり、部派仏教の時代に入ることとなった。
その後、部派仏教の時代には、上座部系部派の説一切有部が大きな勢力を誇った。
新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部、もしくはそのうちの一派であるとされる。
1750年に当時の王朝がタイ(シャム)に要請し1753年に比丘サンガを復興させた経緯から、シャム派と名乗っている。
スリランカのサンガは16世紀に衰退し固有の戒統は失われていた。
シャム派の戒統は1753年の比丘サンガの復興まで遡る。
しかしタイの出家比丘サンガは13世紀にビルマ経由でスリランカに由来するため、現代のスリランカサンガは古代からの戒統を継承している。
部派仏教として扱われる事もある、分別説部の流れを汲む僧団のひとつである。
スリランカ仏教の出家比丘サンガ主要三派(アマラプラ派、ラーマンニャ派、シャム派)のうち最大勢力である。
現存するスリランカ仏教の比丘サンガの中では最も歴史が古い派である。
寺院の敷地内には、かならずヒンドゥーの神が祭ってある。
最高位の僧であるマハーナーヤカの就任は大統領が命じることになっている。
シャム派は教団への加入を支配的な土地所有カーストだったゴイガマ(農民)カーストに限定したことから他カーストの反発を招き、アマラプラ派の分立を招いた。
シャム派は今日までこの制限を維持してきた。
南伝仏教とも呼ばれるスリランカの仏教は、分別説部(赤銅鍱部)の流れを汲み、パーリ語経典を奉じる上座部仏教と称する仏教であり、シンハラ人を中心に信仰を集める。
ミャンマー・タイなど東南アジアに広まった上座部仏教は、このスリランカの仏教が起源である。
仏教はインドからスリランカ(セイロン島)へ、紀元前3世紀に伝来したとされる。
大寺派、無畏山寺、祇多林寺の三派鼎立の時代。
他の二派が大乗仏教や密教を受容していったのとは対照的に、大寺派では5世紀にインドから訪れた仏教学者・注釈者であるブッダゴーサ(仏音、覚音)が、パーリ語経典の全般に渡る注釈(アッタカター)や、『清浄道論』という論書を著すなどして立場をより強固に確立していった。
12世紀から13世紀にかけてスリランカから東南アジアに大寺派の仏教が伝来し、現在でもその伝統は根強く維持されている。
スリランカではその後、16世紀以降のポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化によって仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興した。
現在は、
シャム・ニカーヤ(シャム派、1753年設立)
アマラプラ・ニカーヤ(アマラプラ派、1803年設立)
ラーマンニャ・ニカーヤ(ラーマンニャ派、1864年設立)
の三つの宗派に分かれているが、いずれもタイとビルマに因んでいる。
初期仏典には業以外にも苦受の原因を認める旨が説かれています。
ですが、上座部の註釈によれば、現世での苦受は、基本的にすべて過去世の業が原因となります。
ブッダでさえも過去世に犯した悪業の報いを、悟りを得た後に受けていると言わざるを得ないので、しばしば躊躇します。
確かに初期仏典には「業以外の原因でも苦受がある」と読める箇所があるのですが、「伝統的にその箇所はそうは読まれてこなかった」という事実があります。
上座部の理解なら、そのように「今の苦しみは過去世の業が原因でどうしようもない面もあるが、前向きに現世で頑張ればOK」となります。
なかなか難しい問題ですが、恐らく仏教的価値観からすれば「今の苦しみは過去世の業が原因ではない」と考えることは、「無反省な唯物論」に映ると思います。
「業の異熟は不可思議である」という経典の言葉通り、因果関係を完全に説明できるのはブッダだけです。
我々凡俗は、苦を忍受して、今を前向きに生きるしかありません。
輪廻の始まりは無い「無始」と考えます。
確かに業果は不可思議であり、そのすべてを理解するのはブッダだけです。
ですが、ブッダの教えを注意深く検討する限りでは、「現世の苦は基本的に過去世の業を原因としている」と結論されます。
業と果報の全貌を知れるのはブッダだけですが、「現世の苦しみは、何かしら過去世に犯した悪業が原因である」という大原則は、仏典を読めば誰にでも解ることです。
「貴方の不幸は過去世の業が原因です」という言論は、第三者を傷つけない範囲で有効——みたいな言説があるけど、
そういう言説は、「すでに仏典を信じていない」か「仏典を読んでいない」か「仏典を読んでも理解できていない」のいずれかに当てはまると思います。
仏典は完全なルッキズムで、過去世の業とあわせて相当に醜美を煽ってきます。
仏典をお読みいただければ明白です。
「ブッダの肌は金色」は宗教的な理念です。
実際の肌の色は、クシャトリア(王族)階級ですから、いわゆるアーリア系であった可能性が高く、したがって黒色よりも白色に近かったと思います。
東大は27位。
京大は62位。
川^○^ハレ東大は中国人の学生さんが多いみたいですね
東大は北京大学の滑り止めだとか
東大の赤門付近には中華料理のお店も増えているそうですね
誰でも無始なる過去から輪廻転生しています。
輪廻転生というものがあって、業の説明に必ず関係のあるものです。
ともかく、我々は無始なる過去から輪廻転生していますから、量的にいえば、皆ほぼ同じ量の悪業も善業も背負っていると推測したほうがいいのです。
善業と悪業とを比較すれば、誰でも悪業のほうが多いかもしれません。
我々は輪廻転生の中ではいろいろ生まれ変わります。
神にもなる。餓鬼道にも落ちる、地獄にも行く……。
ですから地獄にいる生命が本当にかわいそうで悪人だとか、そんなことは言えるものではありません。
「あなたもこれから行きますからね」ということなのです。
一方、業を気にする人は、皆、平等だと知って自分を戒めるのです。
一般人が世の中を見て差別をするのに対し、業を気にする人は生命を差別せず、どんな生命に対しても「ああ、こんにちは」という態度で接します。
業の教えは、「一切の生命は平等である。しかし、生命には個性があるので同一にならない」というメッセージです。
「業(カルマ)からはまったく抜けられない。輪廻転生も含めて人生は、業におさえられた観覧車のようで、身動きできないことになっている」と感じるかもしれません。
身体そのものも業です。瞼を閉じること一つとっても業なのです。業の力がなければできません。
しかし、業は絶対的なものではありません。業も無常なる現象です。
身体の細胞、DNAから何からすべて業ではありますが、絶対者ではありません。
業も無常、因縁によって生じる現象です。
他の条件なしには、業には結果を出すこともできません。
業も無常です。業論とは因果説のわずかな一部なのです。
しかし人間は業からは解放されないのです。
お釈迦様は、ご自身が「考えてはいけない」とおっしゃるほど難しくてわかりにくい業について、「業論」を展開なさったりしません。
仏説は因縁説です。業説ではありません。お釈迦様は因縁を語られます。
そして、因縁の一部が業なのです。
そうとう人生を管理しますが、業自身にも「因果法則に沿って機能しなくてはいけない」という憲法があります。
また、有効期限もあって、期限が過ぎたら結果を出せなくなります。
業も無常です。因果法則の一部です。
ですから修行者は、業を理解するよりは因縁を理解することに励みます。
業とは、他人に与えることは不可能な個人財産です。
輪廻転生する時は、自分の業のみを持って転生するのです。
業とは固定したものではなく、身口意の行為により心に溜まるポテンシャルなのです。
増えたり減ったり無くなったりするものです。
一般的な観察では、業を見つけることはできません。
しかし、業の働きの一部である「自分を生かす力」を見つけることができれば、とても役に立ちます。
悩むこと無く生きられます。