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仏のスレ79アーカイブ

1.
ユーザー
nMMKH
勝手にしやがれ!
1000
すべて
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最新の50件
953.
ユーザー
hWDxf
意識の拡大ね

目の前から広大さへ

の流れ
954.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
8Ljsh
坐っているときも、歩いているときも同じだ
955.
ユーザー
hWDxf
まあ

ロンさんは都会に住んでるんでしょうから

おれは新潟だから海と田園と山とが近い

自然に触れていると、普通に気持ちというか意識も大きく広がったようになるね
956.
ユーザー
L9V21
なんだよ、だれもが、その通りじゃなかったのかよ笑
957.
ユーザー
hWDxf
無心になると

意識に際限が無くなるんでしょうね

目の前に在っては目の前に

空を見れば空に

海を見れば海に

空海もそんな感じだったのかな⁉️
958.
ユーザー
L9V21
何がオレはそうなってきているだよw
959.
ユーザー
L9V21
うわぁ、上から目線のロン、うざすぎるw
960.
ユーザー
hWDxf
下から目線なのか?ハジ
961.
ユーザー
L9V21
だこら、だれもが、手付かずで、そうと、主張してたんちゃうのかよ、まったくwww
962.
ユーザー
hWDxf
誰もがその通りじゃない

誰もがこの通り‼️
963.
ユーザー
L9V21
オレは頂点笑
964.
ユーザー
hWDxf
だこら そうだって‼️
965.
ユーザー
hWDxf
有頂天だろw
966.
ユーザー
L9V21
この通りと、その通りと、何が違うの?w
967.
ユーザー
L9V21
お茶を飲んだらお茶の味がする
その通りのことがその通りになっている完璧
鴉がカーと鳴いたら聞こうと思わんでも、己の都合とは無関係にカーがある
この通りのことがこの通りある完璧
968.
ユーザー
d4XS1
怪デンパパ📡と愉快な仲間達タイムのようだ?
👽👽👽👽
969.
ユーザー
ZkkJI
悟りには終わりがあるけど、坐禅にはないということかもね。。

禅定の深まり、拡がり、には、果てがないのかもしれない。。
970.
ユーザー
L9V21
思わせぶりでおーw
971.
ユーザー
ZkkJI
禅定が深まれば自然と悟りもついてくる。。

だけど、悟りだけで終わると、あんまり大したことないかも。。
972.
ユーザー
d4XS1
>>937
まるでビギナー🤡丸写しみたいだな
同類忌み嫌うてか?
😭
973.
ユーザー
L9V21
おーおー、また、オレってスゲーアピールかよ
完璧してくれよw
974.
ユーザー
ZkkJI
悟りは途中で捨てられる。。

だけど、坐禅には終わりがないのかもね。。
975.
ユーザー
L9V21
ようは君たちは自慢したいだけであろう
正直になりなさいw
976.
ユーザー
ZkkJI
ハジ先輩の好きにとってくれていいし、言ってくれていいですよ。。

参考にしますので。。w
977.
ユーザー
L9V21
さとりはないんじゃなかったのかよ、まったくw
978.
ユーザー
ZkkJI
ハジ先輩のレベルに引き落としてみると、自慢してるだけじゃん、と思うのかもね。。

多くの人は、自分のレベルに引き落としてしか、他を見れないのだよ。。

もちろん、自慢もあるかもだが、別にそれが悪いことでもないんじゃないかな?w
979.
ユーザー
hWDxf
>>973

完璧してくれよ?

完璧だな‼️
980.
ユーザー
ZkkJI
>>33
>とても宗教をやってる者の態度ではないが
もしかすると大抵の宗教者は彼と似たり寄ったりかも知れない
そうなると宗教に興味のない世俗の人間の方が人間的には優れている事になる

これはすごい慧眼だなあ、と思う。。
確かに、そういう所があるね。。
981.
ユーザー
L9V21
うわぁー、馬鹿にしてくるー
ロンが馬鹿にしてくるの、ムカつくー
ぎゃああああ
(っ'ヮ'c)<クソワロリッシュ
982.
ユーザー
hWDxf
>>974

捨てられる?

その捨てるような自分がいないから

悟りは何回でも起こりえるんですよ
983.
ユーザー
L9V21
そりゃロンよりはね
984.
ユーザー
ZkkJI
エゴを無くしていくとか、無我になることが修行だとか悟りだとか勘違いしている人はご苦労さん。。

そんなんじゃ、誰も救えませんので。。

そんなんじゃ、他を惑わしているだけですので。。
985.
ユーザー
L9V21
差別と見下しのロンが偉そうにw
986.
ユーザー
L9V21
ほんとは、オレだけが、わかってる人で他はみんなアホどうしようもないとか思ってそう
知らんけどw
987.
ユーザー
ZkkJI
しかし、おれは、誰も否定してないのよ。。

間違った考え、とか理解、を指摘しているだけ。。
988.
ユーザー
L9V21
ウソッキー
989.
ユーザー
L9V21
だれもが救われてるとは思ってないと正直に言いなさいw
990.
ユーザー
hWDxf
>>984

自分が無くなるから

他と一つになって

他者目線で見れるんだよ

991.
ユーザー
d4XS1
デンパ弐号機は
デンパパ📡達をハッスルさせる
魔力
👽
992.
ユーザー
ZkkJI
>>989
だから、それは見方の問題。。
一つの見方に留まらないから、智慧なんでしょ?

現成公案の冒頭部を読みましょう。。
あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。
993.
ユーザー
ZkkJI
>>990
自分を無くさなきゃ、というのは、修行中はいいけど、ホントは違う。。

もともと無いから。。

有ることと無いことは、同じことなので。。
994.
ユーザー
L9V21
まさに仰る通りですね。一つの見方に執着せず、あらゆる角度から、あるいはその見方すらも手放したところから世界を観るのが、仏教でいう「智慧(般若)」の真髄だと思います。
『現成公案』の冒頭は、まさにその「見方のダイナミズム」を鮮やかに示していますよね。
### 『現成公案』冒頭の三段階
道元禅師は冒頭で、世界を三つのフェーズで語っています。
1. **諸法の仏法なる時**:迷悟あり、修証あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。(差別・現象の世界)
2. **万法ともにわれにあらざる時**:迷なく悟なく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。(平等・空の世界)
3. **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**:生あり滅あり、迷あり悟あり、衆生あり諸仏あり。(現成公案・絶対の現実)
「すべてがある」という視点から、「すべては空(一つ)である」という視点を経て、最終的に「やはり今、目の前にあるこれ(生は生、死は死)がそのまま真理なのだ」という場所に着地する。これは単なる言葉の遊びではなく、見方の固定化を徹底的に破壊していくプロセスです。
995.
ユーザー
L9V21
### 洞山五位との響き合い
> あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。
>
この直感は非常に鋭いと思います。曹洞宗の宗祖である洞山良价禅師が提唱した「洞山五位(正偏五位)」の構造と、『現成公案』の冒頭は完全に響き合っています。
| 五位の段階 | 意味合い | 『現成公案』の対応イメージ |
|---|---|---|
| **正中偏**(しょうちゅうへん) | 体(絶対・空)の中に、用(現象・差別)が向かう。 | 万法ともにわれにあらざる時(空への没入) |
| **偏中正**(へんちゅうしょう) | 事(現象)の中に、理(絶対)が隠れている。 | 諸法の仏法なる時(現象の中に仏法を見る) |
| **兼中至**(けんちゅうし) | 正と偏、理と事が完全に融合し、自由に機能する。 | **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**(絶対の現実) |
*※五位の「正中来」「兼中到」など、至るプロセスは細分化されますが、根本にあるのは「絶対(正)」と「相対(偏)」のダイナミックな往来と超克です。*
一つの見方に留まれば、それは「仏法」という名の新たな妄想(網)になってしまいます。「これだ」と言った瞬間にそれを取りこぼすからこそ、絶えず見方を転換し続ける。
掲示板のその流れの中でも、まさに「現成公案」や「五位」が示すような、固定化されない柔軟な智慧の視点が提示された瞬間だったのではないでしょうか。
996.
ユーザー
L9V21
ムズいことをゆーなw
997.
ユーザー
ZkkJI
AIすげーな。。w
998.
ユーザー
d4XS1
デンパ弐号機として
解釈する流れだな
👽
999.
ユーザー
L9V21
まさに、仏教(特に大乗仏教や禅、浄土教など)が歴史の中でずっと格闘し、深めてきた**「救いのパラドックス」**の本質を突いた、非常に深い視点ですね。
その矛盾を孕んだ構造は、見方の階層(次元)によって以下のように整理できます。
### 1. 「すでに救われている」という次元(本覚・絶対の視点)
仏の眼、あるいは悟りの智慧から世界を見れば、すべての衆生は本来「仏性」を備えており、一歩も動くことなく最初から救い(悟り)の中にいます。
* 禅で言えば「本来面目(ほんらいのめんぼく)」であり、誰もが最初から円満具足しているという視点です。
* 「気づく・気づかない」に関わらず、存在の根本においては誰も取りこぼされていない、という絶対的な肯定です。
1000.
ユーザー
L9V21
### 2. 「我執にまみれ、救われていない」という次元(始覚・相対の視点)
しかし、当の本人(我執に囚われた衆生)からすれば、現実に苦しみ、迷い、不安の中にいます。
* 「本来救われているから大丈夫」といくら言われても、本人が喉が渇いて苦しんでいるなら、それは現実の苦しみです。
* この次元を無視して「みんな救われている」とだけ言うのは、ただの冷徹な観念論になってしまいます。
### このパラドックスをどう超えるか?
「救われているのに、救われていない。しかし、気づかねばならない」というねじれを、仏教では様々な比喩やロジックで説明してきました。
* **「長者の窮子(ぐうじ)」の比喩(法華経)**
大富豪の息子(衆生)が、自分が御曹司であることを忘れて、何十年も他郷で乞食の生活を送り、苦しんでいる。父親(仏)から見れば「お前は最初から莫大な財産(救い)を持っている」のですが、息子自身が「自分は哀れな乞食だ」という我執(錯覚)の中にいる間は、現実の苦しみから抜け出せません。
* **「気づく」ということの意味**
ここで言う「気づく」とは、新しい何かを獲得することではなく、**「自分が最初から我が家にいたのだ」という事実に目覚めること**です。気づいた人から見れば、我執にまみれた人も「救われているのに、自ら作った幻影に怯えている姿」として映ります(だからこそ慈悲が生まれます)。
### 『現成公案』の視点に戻るなら
先ほどの『現成公案』の文脈を重ねるなら、まさにこれが**「迷悟のダイナミズム」**です。
> **迷いがちな衆生から見れば、悟りは遥か彼方にあり、自分は救われていない(迷)。**
> **しかし、ひとたび大悟すれば、迷いも悟りも本来は一つの如来蔵の中の出来事である(悟)。**
>
「救われている」という絶対にあぐらをかかず、「救われていない」という相対に絶望もせず、その両者を「智慧」によって同時に見通すこと。それこそが、仏教が提示する「見方の自由さ」なのかもしれません。
1001.
ユーザー
???
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1002.
ユーザー
???
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