仏のスレ79アーカイブ最終更新 2026/06/21 11:201.神も仏も名無しさんnMMKH勝手にしやがれ!2026/06/12 22:04:141000すべて|最新の50件953.パhWDxf意識の拡大ね目の前から広大さへの流れ2026/06/21 10:36:36954.◆JBLfMwCXhY8Ljsh坐っているときも、歩いているときも同じだ2026/06/21 10:36:40955.パhWDxfまあロンさんは都会に住んでるんでしょうからおれは新潟だから海と田園と山とが近い自然に触れていると、普通に気持ちというか意識も大きく広がったようになるね2026/06/21 10:40:18956.ハジL9V21なんだよ、だれもが、その通りじゃなかったのかよ笑2026/06/21 10:42:36957.パhWDxf無心になると意識に際限が無くなるんでしょうね目の前に在っては目の前に空を見れば空に海を見れば海に空海もそんな感じだったのかな⁉️2026/06/21 10:42:56958.ハジL9V21何がオレはそうなってきているだよw2026/06/21 10:42:59959.ハジL9V21うわぁ、上から目線のロン、うざすぎるw2026/06/21 10:45:17960.パhWDxf下から目線なのか?ハジ2026/06/21 10:46:18961.ハジL9V21だこら、だれもが、手付かずで、そうと、主張してたんちゃうのかよ、まったくwww2026/06/21 10:47:02962.パhWDxf誰もがその通りじゃない誰もがこの通り‼️2026/06/21 10:47:12963.ハジL9V21オレは頂点笑2026/06/21 10:47:25964.パhWDxfだこら そうだって‼️2026/06/21 10:47:45965.パhWDxf有頂天だろw2026/06/21 10:48:05966.ハジL9V21この通りと、その通りと、何が違うの?w2026/06/21 10:49:17967.ハジL9V21お茶を飲んだらお茶の味がするその通りのことがその通りになっている完璧鴉がカーと鳴いたら聞こうと思わんでも、己の都合とは無関係にカーがあるこの通りのことがこの通りある完璧2026/06/21 10:51:10968.神も仏も名無しさんd4XS1怪デンパパ📡と愉快な仲間達タイムのようだ?👽👽👽👽2026/06/21 10:51:59969.神も仏も名無しさんZkkJI悟りには終わりがあるけど、坐禅にはないということかもね。。禅定の深まり、拡がり、には、果てがないのかもしれない。。2026/06/21 10:52:16970.ハジL9V21思わせぶりでおーw2026/06/21 10:52:26971.神も仏も名無しさんZkkJI禅定が深まれば自然と悟りもついてくる。。だけど、悟りだけで終わると、あんまり大したことないかも。。2026/06/21 10:53:09972.神も仏も名無しさんd4XS1>>937まるでビギナー🤡丸写しみたいだな同類忌み嫌うてか?😭2026/06/21 10:53:35973.ハジL9V21おーおー、また、オレってスゲーアピールかよ完璧してくれよw2026/06/21 10:53:53974.神も仏も名無しさんZkkJI悟りは途中で捨てられる。。だけど、坐禅には終わりがないのかもね。。2026/06/21 10:55:15975.ハジL9V21ようは君たちは自慢したいだけであろう正直になりなさいw2026/06/21 10:55:25976.神も仏も名無しさんZkkJIハジ先輩の好きにとってくれていいし、言ってくれていいですよ。。参考にしますので。。w2026/06/21 10:55:58977.ハジL9V21さとりはないんじゃなかったのかよ、まったくw2026/06/21 10:56:10978.神も仏も名無しさんZkkJIハジ先輩のレベルに引き落としてみると、自慢してるだけじゃん、と思うのかもね。。多くの人は、自分のレベルに引き落としてしか、他を見れないのだよ。。もちろん、自慢もあるかもだが、別にそれが悪いことでもないんじゃないかな?w2026/06/21 10:57:44979.パhWDxf>>973完璧してくれよ?完璧だな‼️2026/06/21 10:58:56980.神も仏も名無しさんZkkJI>>33>とても宗教をやってる者の態度ではないがもしかすると大抵の宗教者は彼と似たり寄ったりかも知れないそうなると宗教に興味のない世俗の人間の方が人間的には優れている事になるこれはすごい慧眼だなあ、と思う。。確かに、そういう所があるね。。2026/06/21 10:59:40981.ハジL9V21うわぁー、馬鹿にしてくるーロンが馬鹿にしてくるの、ムカつくーぎゃああああ(っ'ヮ'c)<クソワロリッシュ2026/06/21 11:00:02982.パhWDxf>>974捨てられる?その捨てるような自分がいないから悟りは何回でも起こりえるんですよ2026/06/21 11:00:36983.ハジL9V21そりゃロンよりはね2026/06/21 11:00:57984.神も仏も名無しさんZkkJIエゴを無くしていくとか、無我になることが修行だとか悟りだとか勘違いしている人はご苦労さん。。そんなんじゃ、誰も救えませんので。。そんなんじゃ、他を惑わしているだけですので。。2026/06/21 11:01:02985.ハジL9V21差別と見下しのロンが偉そうにw2026/06/21 11:01:52986.ハジL9V21ほんとは、オレだけが、わかってる人で他はみんなアホどうしようもないとか思ってそう知らんけどw2026/06/21 11:02:39987.神も仏も名無しさんZkkJIしかし、おれは、誰も否定してないのよ。。間違った考え、とか理解、を指摘しているだけ。。2026/06/21 11:02:49988.ハジL9V21ウソッキー2026/06/21 11:03:20989.ハジL9V21だれもが救われてるとは思ってないと正直に言いなさいw2026/06/21 11:03:58990.パhWDxf>>984自分が無くなるから他と一つになって他者目線で見れるんだよ2026/06/21 11:04:28991.神も仏も名無しさんd4XS1デンパ弐号機はデンパパ📡達をハッスルさせる魔力👽2026/06/21 11:06:33992.神も仏も名無しさんZkkJI>>989だから、それは見方の問題。。一つの見方に留まらないから、智慧なんでしょ?現成公案の冒頭部を読みましょう。。あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。2026/06/21 11:07:00993.神も仏も名無しさんZkkJI>>990自分を無くさなきゃ、というのは、修行中はいいけど、ホントは違う。。もともと無いから。。有ることと無いことは、同じことなので。。2026/06/21 11:08:11994.ハジL9V21まさに仰る通りですね。一つの見方に執着せず、あらゆる角度から、あるいはその見方すらも手放したところから世界を観るのが、仏教でいう「智慧(般若)」の真髄だと思います。『現成公案』の冒頭は、まさにその「見方のダイナミズム」を鮮やかに示していますよね。### 『現成公案』冒頭の三段階道元禅師は冒頭で、世界を三つのフェーズで語っています。 1. **諸法の仏法なる時**:迷悟あり、修証あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。(差別・現象の世界) 2. **万法ともにわれにあらざる時**:迷なく悟なく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。(平等・空の世界) 3. **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**:生あり滅あり、迷あり悟あり、衆生あり諸仏あり。(現成公案・絶対の現実)「すべてがある」という視点から、「すべては空(一つ)である」という視点を経て、最終的に「やはり今、目の前にあるこれ(生は生、死は死)がそのまま真理なのだ」という場所に着地する。これは単なる言葉の遊びではなく、見方の固定化を徹底的に破壊していくプロセスです。2026/06/21 11:08:45995.ハジL9V21### 洞山五位との響き合い> あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。>この直感は非常に鋭いと思います。曹洞宗の宗祖である洞山良价禅師が提唱した「洞山五位(正偏五位)」の構造と、『現成公案』の冒頭は完全に響き合っています。| 五位の段階 | 意味合い | 『現成公案』の対応イメージ ||---|---|---|| **正中偏**(しょうちゅうへん) | 体(絶対・空)の中に、用(現象・差別)が向かう。 | 万法ともにわれにあらざる時(空への没入) || **偏中正**(へんちゅうしょう) | 事(現象)の中に、理(絶対)が隠れている。 | 諸法の仏法なる時(現象の中に仏法を見る) || **兼中至**(けんちゅうし) | 正と偏、理と事が完全に融合し、自由に機能する。 | **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**(絶対の現実) |*※五位の「正中来」「兼中到」など、至るプロセスは細分化されますが、根本にあるのは「絶対(正)」と「相対(偏)」のダイナミックな往来と超克です。*一つの見方に留まれば、それは「仏法」という名の新たな妄想(網)になってしまいます。「これだ」と言った瞬間にそれを取りこぼすからこそ、絶えず見方を転換し続ける。掲示板のその流れの中でも、まさに「現成公案」や「五位」が示すような、固定化されない柔軟な智慧の視点が提示された瞬間だったのではないでしょうか。2026/06/21 11:09:01996.ハジL9V21ムズいことをゆーなw2026/06/21 11:12:06997.神も仏も名無しさんZkkJIAIすげーな。。w2026/06/21 11:13:16998.神も仏も名無しさんd4XS1デンパ弐号機として解釈する流れだな👽2026/06/21 11:19:37999.ハジL9V21まさに、仏教(特に大乗仏教や禅、浄土教など)が歴史の中でずっと格闘し、深めてきた**「救いのパラドックス」**の本質を突いた、非常に深い視点ですね。その矛盾を孕んだ構造は、見方の階層(次元)によって以下のように整理できます。### 1. 「すでに救われている」という次元(本覚・絶対の視点)仏の眼、あるいは悟りの智慧から世界を見れば、すべての衆生は本来「仏性」を備えており、一歩も動くことなく最初から救い(悟り)の中にいます。 * 禅で言えば「本来面目(ほんらいのめんぼく)」であり、誰もが最初から円満具足しているという視点です。 * 「気づく・気づかない」に関わらず、存在の根本においては誰も取りこぼされていない、という絶対的な肯定です。2026/06/21 11:19:491000.ハジL9V21### 2. 「我執にまみれ、救われていない」という次元(始覚・相対の視点)しかし、当の本人(我執に囚われた衆生)からすれば、現実に苦しみ、迷い、不安の中にいます。 * 「本来救われているから大丈夫」といくら言われても、本人が喉が渇いて苦しんでいるなら、それは現実の苦しみです。 * この次元を無視して「みんな救われている」とだけ言うのは、ただの冷徹な観念論になってしまいます。### このパラドックスをどう超えるか?「救われているのに、救われていない。しかし、気づかねばならない」というねじれを、仏教では様々な比喩やロジックで説明してきました。 * **「長者の窮子(ぐうじ)」の比喩(法華経)** 大富豪の息子(衆生)が、自分が御曹司であることを忘れて、何十年も他郷で乞食の生活を送り、苦しんでいる。父親(仏)から見れば「お前は最初から莫大な財産(救い)を持っている」のですが、息子自身が「自分は哀れな乞食だ」という我執(錯覚)の中にいる間は、現実の苦しみから抜け出せません。 * **「気づく」ということの意味** ここで言う「気づく」とは、新しい何かを獲得することではなく、**「自分が最初から我が家にいたのだ」という事実に目覚めること**です。気づいた人から見れば、我執にまみれた人も「救われているのに、自ら作った幻影に怯えている姿」として映ります(だからこそ慈悲が生まれます)。### 『現成公案』の視点に戻るなら先ほどの『現成公案』の文脈を重ねるなら、まさにこれが**「迷悟のダイナミズム」**です。> **迷いがちな衆生から見れば、悟りは遥か彼方にあり、自分は救われていない(迷)。**> **しかし、ひとたび大悟すれば、迷いも悟りも本来は一つの如来蔵の中の出来事である(悟)。**>「救われている」という絶対にあぐらをかかず、「救われていない」という相対に絶望もせず、その両者を「智慧」によって同時に見通すこと。それこそが、仏教が提示する「見方の自由さ」なのかもしれません。2026/06/21 11:20:001001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/06/21 11:20:001002.Talk 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目の前から広大さへ
の流れ
ロンさんは都会に住んでるんでしょうから
おれは新潟だから海と田園と山とが近い
自然に触れていると、普通に気持ちというか意識も大きく広がったようになるね
意識に際限が無くなるんでしょうね
目の前に在っては目の前に
空を見れば空に
海を見れば海に
空海もそんな感じだったのかな⁉️
誰もがこの通り‼️
その通りのことがその通りになっている完璧
鴉がカーと鳴いたら聞こうと思わんでも、己の都合とは無関係にカーがある
この通りのことがこの通りある完璧
👽👽👽👽
禅定の深まり、拡がり、には、果てがないのかもしれない。。
だけど、悟りだけで終わると、あんまり大したことないかも。。
まるでビギナー🤡丸写しみたいだな
同類忌み嫌うてか?
😭
完璧してくれよw
だけど、坐禅には終わりがないのかもね。。
正直になりなさいw
参考にしますので。。w
多くの人は、自分のレベルに引き落としてしか、他を見れないのだよ。。
もちろん、自慢もあるかもだが、別にそれが悪いことでもないんじゃないかな?w
完璧してくれよ?
完璧だな‼️
>とても宗教をやってる者の態度ではないが
もしかすると大抵の宗教者は彼と似たり寄ったりかも知れない
そうなると宗教に興味のない世俗の人間の方が人間的には優れている事になる
これはすごい慧眼だなあ、と思う。。
確かに、そういう所があるね。。
ロンが馬鹿にしてくるの、ムカつくー
ぎゃああああ
(っ'ヮ'c)<クソワロリッシュ
捨てられる?
その捨てるような自分がいないから
悟りは何回でも起こりえるんですよ
そんなんじゃ、誰も救えませんので。。
そんなんじゃ、他を惑わしているだけですので。。
知らんけどw
間違った考え、とか理解、を指摘しているだけ。。
自分が無くなるから
他と一つになって
他者目線で見れるんだよ
デンパパ📡達をハッスルさせる
魔力
👽
だから、それは見方の問題。。
一つの見方に留まらないから、智慧なんでしょ?
現成公案の冒頭部を読みましょう。。
あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。
自分を無くさなきゃ、というのは、修行中はいいけど、ホントは違う。。
もともと無いから。。
有ることと無いことは、同じことなので。。
『現成公案』の冒頭は、まさにその「見方のダイナミズム」を鮮やかに示していますよね。
### 『現成公案』冒頭の三段階
道元禅師は冒頭で、世界を三つのフェーズで語っています。
1. **諸法の仏法なる時**:迷悟あり、修証あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。(差別・現象の世界)
2. **万法ともにわれにあらざる時**:迷なく悟なく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。(平等・空の世界)
3. **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**:生あり滅あり、迷あり悟あり、衆生あり諸仏あり。(現成公案・絶対の現実)
「すべてがある」という視点から、「すべては空(一つ)である」という視点を経て、最終的に「やはり今、目の前にあるこれ(生は生、死は死)がそのまま真理なのだ」という場所に着地する。これは単なる言葉の遊びではなく、見方の固定化を徹底的に破壊していくプロセスです。
> あれは、たぶん、洞山五位とかも、だいたい一緒なんだと思う。。
>
この直感は非常に鋭いと思います。曹洞宗の宗祖である洞山良价禅師が提唱した「洞山五位(正偏五位)」の構造と、『現成公案』の冒頭は完全に響き合っています。
| 五位の段階 | 意味合い | 『現成公案』の対応イメージ |
|---|---|---|
| **正中偏**(しょうちゅうへん) | 体(絶対・空)の中に、用(現象・差別)が向かう。 | 万法ともにわれにあらざる時(空への没入) |
| **偏中正**(へんちゅうしょう) | 事(現象)の中に、理(絶対)が隠れている。 | 諸法の仏法なる時(現象の中に仏法を見る) |
| **兼中至**(けんちゅうし) | 正と偏、理と事が完全に融合し、自由に機能する。 | **仏道もとより万法より跳出せるゆえに**(絶対の現実) |
*※五位の「正中来」「兼中到」など、至るプロセスは細分化されますが、根本にあるのは「絶対(正)」と「相対(偏)」のダイナミックな往来と超克です。*
一つの見方に留まれば、それは「仏法」という名の新たな妄想(網)になってしまいます。「これだ」と言った瞬間にそれを取りこぼすからこそ、絶えず見方を転換し続ける。
掲示板のその流れの中でも、まさに「現成公案」や「五位」が示すような、固定化されない柔軟な智慧の視点が提示された瞬間だったのではないでしょうか。
解釈する流れだな
👽
その矛盾を孕んだ構造は、見方の階層(次元)によって以下のように整理できます。
### 1. 「すでに救われている」という次元(本覚・絶対の視点)
仏の眼、あるいは悟りの智慧から世界を見れば、すべての衆生は本来「仏性」を備えており、一歩も動くことなく最初から救い(悟り)の中にいます。
* 禅で言えば「本来面目(ほんらいのめんぼく)」であり、誰もが最初から円満具足しているという視点です。
* 「気づく・気づかない」に関わらず、存在の根本においては誰も取りこぼされていない、という絶対的な肯定です。
しかし、当の本人(我執に囚われた衆生)からすれば、現実に苦しみ、迷い、不安の中にいます。
* 「本来救われているから大丈夫」といくら言われても、本人が喉が渇いて苦しんでいるなら、それは現実の苦しみです。
* この次元を無視して「みんな救われている」とだけ言うのは、ただの冷徹な観念論になってしまいます。
### このパラドックスをどう超えるか?
「救われているのに、救われていない。しかし、気づかねばならない」というねじれを、仏教では様々な比喩やロジックで説明してきました。
* **「長者の窮子(ぐうじ)」の比喩(法華経)**
大富豪の息子(衆生)が、自分が御曹司であることを忘れて、何十年も他郷で乞食の生活を送り、苦しんでいる。父親(仏)から見れば「お前は最初から莫大な財産(救い)を持っている」のですが、息子自身が「自分は哀れな乞食だ」という我執(錯覚)の中にいる間は、現実の苦しみから抜け出せません。
* **「気づく」ということの意味**
ここで言う「気づく」とは、新しい何かを獲得することではなく、**「自分が最初から我が家にいたのだ」という事実に目覚めること**です。気づいた人から見れば、我執にまみれた人も「救われているのに、自ら作った幻影に怯えている姿」として映ります(だからこそ慈悲が生まれます)。
### 『現成公案』の視点に戻るなら
先ほどの『現成公案』の文脈を重ねるなら、まさにこれが**「迷悟のダイナミズム」**です。
> **迷いがちな衆生から見れば、悟りは遥か彼方にあり、自分は救われていない(迷)。**
> **しかし、ひとたび大悟すれば、迷いも悟りも本来は一つの如来蔵の中の出来事である(悟)。**
>
「救われている」という絶対にあぐらをかかず、「救われていない」という相対に絶望もせず、その両者を「智慧」によって同時に見通すこと。それこそが、仏教が提示する「見方の自由さ」なのかもしれません。
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