泥棒は殺してもいい最終更新 2025/03/20 19:181.Simons Leonard&前川田井介LGQkH(1/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼日本なんて殺された側がただの物取りで殺意ゼロであっても殺していいことになってますからね盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条1 左の各号の場合に於て自己又は他人の生命、身体又は貞操に対する現在の危険を排除する為犯人を殺傷したるときは刑法第三十六条第一項の防衛行為ありたるものとす一 盗犯を防止し又は盗贓を取還せんとするとき二 兇器を携帯して又は門戸牆壁等を踰越損壊し若は鎖鑰を開きて人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入する者を防止せんとするとき三 故なく人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入したる者又は要求を受けて此等の場所より退去せざる者を排斥せんとするとき2 前項各号の場合に於て自己又は他人の生命、身体又は貞操に対する現在の危険あるに非ずと雖も行為者恐怖、驚愕、興奮又は狼狽に因り現場に於て犯人を殺傷するに至りたるときは之を罰せず2024/09/28 15:40:3113コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんLGQkH(2/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼自宅内で不法侵入者を刃物で死傷させた場合罪に問われますか。この場合刃物自体は問題ありませんよね。日本刀など警察に届け出なければいけないような代物ならともかく、料理に使う包丁やキャンプで使うサバイバルナイフ、趣味で収集しているバタフライナイフを自宅内で振り回していても何の問題もないですよね。しかしこれらで不法侵入者を死傷させた場合はどうなるでしょうか。不意にやってしまった場合と、刃物に驚いて逃げようとした相手を後ろからやってしまった場合とでも違いはあるでしょうか。…続きを読む法律相談・21,900閲覧・253人が共感しています共感した知恵コレ共有違反報告ベストアンサーban********さん2008/7/3 13:08(編集あり)間違った解答が多いですね。正当防衛の項目に特別条項があり、不法侵入者や盗犯が相手の場合は極めて正当防衛認定の可能性が高くなります。http://www.soyokaze-law.jp/q&a98.htm基本的には殺しても正当防衛の特別項目「盗犯に関する法律」で正当防衛になります。>alsok4998さんですから、特別項目により強盗反や不法侵入者には急迫でなくても正当防衛は大体は成立します。この回答はいかがでしたか2024/09/28 16:10:103.神も仏も名無しさんLGQkH(3/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13174363532024/09/28 16:24:064.神も仏も名無しさんOJv38(1/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼たいにゃんがバクを出させよったので、これからずっと永遠にたいにゃんのプログラムはバグだらけにするね。2024/09/28 23:12:535.神も仏も名無しさんOJv38(2/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼たいにゃん、卓也は掃除婦。公文勇太は法により死刑。ブタオンナは大破滅。井川さなえは大大大大大スピン。永遠にだ。これは復讐である。俺はやられなかったらやらない。2024/09/28 23:15:126.神も仏も名無しさんOJv38(3/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼間違えた。掃除婦→掃除夫2024/09/28 23:15:417.神も仏も名無しさんBhoQA(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼あいつのせいで注射をせないかんようになった。吉門恵(仮名)は大大大大大スピンだ!!!!2024/10/05 14:40:418.神も仏も名無しさんBhoQA(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼吉門恵(仮名)は一生病院から出てこれんようにする。2024/10/05 14:41:279.神も仏も名無しさんNLgnC(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼坊さんはこのように歩け、と公案を与えられる。わたしは浄土宗だから、与えられることはない。あちらががんを立てなさいまして、必ず救いとるぞ、と約束してもらっているわけです。なので、だいあんじんの 真っ只中なのです、米国人の神父だったか牧師さんが、片手の人がたたく拍手の音を聞いて来い、と言う公案に 1年間、あれやこれやと取り組んだのだが、さっぱりわからなかった、という本にぶち当たり、わたしは、片手の拍手を聞いた 聞いたら、それは聞こえないんだよと20年語尾またあたまをぶちぬかれた。こうやって、師も無くて、たったひとりで、さとった。だれもそうだよ、とあいづちを打ってくれ証明書を発行してくれたたものではない。だから当然にどっかkぅ出会って、それはかわべりの大木の下で絶食のために死のうとへたり込んで朝を待つが歌m、あ、シッダールタさんと出会っていた。どっかくん独覚、というのは よろしくないんだというね。そうなだ、と思う。そして、 システマチックな悟りではなく、ガウタマ、シッダールタさんが直に手渡してくれたものは、とやかく言わせないぞ、とは思う。だがまあ、わたしが一人で思う事なのだから、誰かがいちゃもんつけrてくるわけでもなくて、のんきなjこと限りが無い。そんなことより、ステージフォー肺がん女性が川を渡らずほとりで待っているから、さがしてね、と言う。それで、会おうね、と約束した。だけれども、眼が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、食べ物の味がしないと訴える人を探すのは苦労が多いが、必ず探し出して手をつないでやっと歩ける程度だろうけれど、浅いのか深いのか川の水深はわからないが、手を取り合って、支え合って、渡っていこうと思う。そpれで、今年も暮れていって、明けたら待ちかねていた信念だ。そうしたら、また、クリスマスで新年だ。2024/12/26 19:53:38110.神も仏も名無しさんNLgnC(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>9中国語が幼少時からの読み書き喋りが自在のマブダチ道元もずいモンキーちゃんも何か本を書いたわけじゃない。だって、本が残ってる、と言うかもしれないが、それはふたりとも死後、布団の下から出てきた備忘録、と言うyべきもので、説法の座にのぼるための手控えである。つまりは、φ(..)メモメモである。それを、死後、残されたお弟子たちがあたまをくっつけて合議し体裁を整え、出版に至ったものであって、編集者がいる、と言うことをよくよく考えておく必要がある。本になるについて、加筆訂正されて記憶をたどって、こうも言われた、ああも言われたと分厚くなっていったものであろう。例えば、がんのうびちょく。眼横鼻直「がんのうびちょく」 これはお弟子さんの 作 なのだとか。だが、すばらしい真理さとり である。自主自由と平等を見事に言い表している。わたしは聞いて、泣いた。2024/12/26 19:54:2412.神も仏も名無しさんXTwE7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』 ありがとうございます。これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。あなたと私で、ぱんぱん。トンチ、になりましたね。片手の人が、です。置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。2025/03/05 20:14:5813.神も仏も名無しさんxpLPoコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。問答、名付けられた名詞から名前を剥ぎ取ったそれを何と呼ぼうか。真理(さとり) を 無我 と言う事が出来るのだが、無我と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事はは出来ない。問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた原初、禅とは、静かにするの意である。梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)達磨さんはインドから中国にやって来たのか、否か。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは。道端のタンポポのさよなら、出会えば別れるのであ空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。また、問う。 『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』真理(さとり)は言語によって伝わらない。生まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。真理(さとり)である一如。如とは如来、来と言う助辞を漬けたものである。如来とは佛を言う。2025/03/20 19:18:22
盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律
第一条
1 左の各号の場合に於て自己又は他人の生命、身体又は貞操に対する現在の危険を排除する為犯人を殺傷したるときは刑法第三十六条第一項の防衛行為ありたるものとす
一 盗犯を防止し又は盗贓を取還せんとするとき
二 兇器を携帯して又は門戸牆壁等を踰越損壊し若は鎖鑰を開きて人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入する者を防止せんとするとき
三 故なく人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入したる者又は要求を受けて此等の場所より退去せざる者を排斥せんとするとき
2 前項各号の場合に於て自己又は他人の生命、身体又は貞操に対する現在の危険あるに非ずと雖も行為者恐怖、驚愕、興奮又は狼狽に因り現場に於て犯人を殺傷するに至りたるときは之を罰せず
この場合刃物自体は問題ありませんよね。
日本刀など警察に届け出なければいけないような代物ならともかく、料理に使う包丁やキャンプで使うサバイバルナイフ、趣味で収集しているバタフライナイフを自宅内で振り回していても何の問題もないですよね。
しかしこれらで不法侵入者を死傷させた場合はどうなるでしょうか。
不意にやってしまった場合と、刃物に驚いて逃げようとした相手を後ろからやってしまった場合とでも違いはあるでしょうか。
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ban********さん
2008/7/3 13:08(編集あり)
間違った解答が多いですね。
正当防衛の項目に特別条項があり、
不法侵入者や盗犯が相手の場合は極めて正当防衛認定の可能性が高くなります。
http://www.soyokaze-law.jp/q&a98.htm
基本的には殺しても正当防衛の特別項目「盗犯に関する法律」で
正当防衛になります。
>alsok4998さん
ですから、特別項目により
強盗反や不法侵入者には急迫でなくても
正当防衛は大体は成立します。
この回答はいかがでしたか
なので、だいあんじんの 真っ只中なのです、米国人の神父だったか牧師さんが、片手の人がたたく拍手の音を聞いて来い、と言う公案に 1年間、あれやこれやと取り組んだのだが、さっぱりわからなかった、という本にぶち当たり、わたしは、片手の拍手を聞いた 聞いたら、それは聞こえないんだよと20年語尾またあたまをぶちぬかれた。こうやって、師も無くて、たったひとりで、さとった。
だれもそうだよ、とあいづちを打ってくれ証明書を発行してくれたたものではない。だから当然にどっかkぅ出会って、それはかわべりの大木の下で絶食のために死のうとへたり込んで朝を待つが歌m、あ、シッダールタさんと出会っていた。どっかくん独覚、というのは よろしくないんだというね。そうなだ、と思う。
そして、 システマチックな悟りではなく、ガウタマ、シッダールタさんが直に手渡してくれたものは、とやかく言わせないぞ、とは思う。だがまあ、わたしが一人で思う事なのだから、誰かがいちゃもんつけrてくるわけでもなくて、のんきなjこと限りが無い。
そんなことより、ステージフォー肺がん女性が川を渡らずほとりで待っているから、さがしてね、と言う。それで、会おうね、と約束した。
だけれども、眼が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、食べ物の味がしないと訴える人を探すのは苦労が多いが、必ず探し出して手をつないでやっと歩ける程度だろうけれど、浅いのか深いのか川の水深はわからないが、手を取り合って、支え合って、渡っていこうと思う。そpれで、今年も暮れていって、明けたら待ちかねていた信念だ。そうしたら、また、クリスマスで新年だ。
中国語が幼少時からの読み書き喋りが自在のマブダチ道元もずいモンキーちゃんも何か本を書いたわけじゃない。だって、本が残ってる、と言うかもしれないが、それはふたりとも死後、布団の下から出てきた備忘録、と言うyべきもので、説法の座にのぼるための手控えである。つまりは、φ(..)メモメモである。それを、死後、残されたお弟子たちがあたまをくっつけて合議し体裁を整え、出版に至ったものであって、編集者がいる、と言うことをよくよく考えておく必要がある。本になるについて、加筆訂正されて記憶をたどって、こうも言われた、ああも言われたと分厚くなっていったものであろう。
例えば、がんのうびちょく。眼横鼻直「がんのうびちょく」 これはお弟子さんの 作 なのだとか。だが、すばらしい真理さとり である。自主自由と平等を見事に言い表している。わたしは聞いて、泣いた。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
問答、名付けられた名詞から名前を剥ぎ取ったそれを何と呼ぼうか。
真理(さとり) を 無我 と言う事が出来るのだが、無我と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事はは出来ない。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、否か。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは。道端のタンポポのさよなら、出会えば別れるのであ
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
また、問う。 『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
真理(さとり)は言語によって伝わらない。生
まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
真理(さとり)である一如。如とは如来、来と言う助辞を漬けたものである。如来とは佛を言う。