誤謬(ごびゅう)の無い仏教とは?アーカイブ最終更新 2023/06/30 04:511.神も仏も名無しさんMOpaJDzzひたすら坐禅して、無我に成り、真理と一体化する。自我を滅却(めっきゃく)して、必然に逆らわず、一切は全て実体を持たない空(くう)であり、常に移り変わるものであると見徹(けんてつ)する。そしてまた、渇愛(かつあい)を滅尽(めつじん)して、解脱(げだつ)した人生を送る。この世を厭う(いとう)こともなく、この世を愛することもなく、断見と常見の二辺を離れた不断不常の中道を歩む。即ち、敢(あ)えて緩(ゆる)く構えて、刻々と変化する状況に合わせて臨機応変に対応していく。これこそが即今(そっこん)または而今(にこん)の真意であり、単を練るというのは誤謬(ごびゅう)である。ボクは生涯、純朴(じゅんぼく)に仏教を崇拝し、仏教の価値観で生きていく。そうすることで、苦悩の無い安楽な人生を送る。出典 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/16880682962023/06/30 04:51:361すべて|最新の50件
自我を滅却(めっきゃく)して、必然に逆らわず、一切は全て実体を持たない空(くう)であり、常に移り変わるものであると見徹(けんてつ)する。そしてまた、渇愛(かつあい)を滅尽(めつじん)して、解脱(げだつ)した人生を送る。
この世を厭う(いとう)こともなく、この世を愛することもなく、断見と常見の二辺を離れた不断不常の中道を歩む。即ち、敢(あ)えて緩(ゆる)く構えて、刻々と変化する状況に合わせて臨機応変に対応していく。これこそが即今(そっこん)または而今(にこん)の真意であり、単を練るというのは誤謬(ごびゅう)である。
ボクは生涯、純朴(じゅんぼく)に仏教を崇拝し、仏教の価値観で生きていく。そうすることで、苦悩の無い安楽な人生を送る。