【夕食日記】16年連れ添った夫の浮気が発覚→DVに発展し保護命令を取得、子ども4人を連れて1,900km逃亡「今でも恐怖でパニック発作や悪夢を見るけど私たちは自由。毎日少しずつ楽になっていく」🥕アーカイブ最終更新 2026/09/26 23:251.番組の途中ですが転載は禁止です8VGJZHere's What I've Learned 2 Months After Leaving My Husbandhttps://i.redd.it/vzgm5ep4errh1.jpeghttps://redd.it/1wqci222026/09/26 21:03:379すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止です8VGJZ7月、16年間連れ添った夫が浮気していたことを知った。私が「海軍の上司に全部話す」と言ったら、夫は逆上して、私と13歳の子どもにまで暴力を振るうようになった。私は保護命令を取って、子どもたちと一緒に安全を求めて国の反対側まで移動し、母の家に身を寄せた。家を出てから2か月。この2か月で、私が学んだことを書いてみようと思う。1)逃げてよかった。本当に。当たり前のことから始めるけど、どんなに大変でも、家を出るという選択は間違ってなかった。私も子どもたちも、家を出て安心して自分らしく過ごせるようになって初めて、それまで家の中がどれだけ張り詰めた状態だったのかに気づいた。家を出たことで、いろんな不安や問題は増えた。それでも、私たちを愛しても尊重してもくれない人と暮らしていた頃より、ずっとストレスが少ない。その先には、平穏がある。喜びがある。自由がある。そして安全がある。ただ、そうはいっても――2)家を出ることは、始まりにすぎない。子どもがいるかどうかに関係なく。浮気だけでも十分つらかった。でも、私たちが本当に離れると決めてから、事態はさらに悪化した。もう終わりだと分かった途端、夫は「良い夫」「良い父親」であろうとするふりすらやめた。完全に仮面が外れた。私や子どもに暴力を振るっただけじゃない。保護命令が出たあとでさえ、平気で境界線を踏み越えてきた。「荷物を取りに来た」と言って、警察を連れて何度も家に押しかけてきた。本人はもう荷物を全部持ち出していることを知っていたのに。もちろん目的は、私たちを怖がらせて、支配し続けることだった。大げさじゃなく、私たちは命の危険を感じていた。関係を終わらせることがステップ1。保護命令を取ることが、すぐに必要になったステップ2。そして、物理的に距離を置くことがステップ3だった。統計的にも、暴力から逃げようとする時期は最も危険だと言われている。夫が私たちへの嫌がらせを始めたとき、私たちは荷物をまとめてDVシェルターに逃げた。シェルターの人たちは本当に素晴らしかった。そこで少し時間をもらえたことで、必要なことを一つずつ整理しながら、心と体を休ませることができた。法律関係の支援先も紹介してもらった。そこで思った。2026/09/26 21:03:533.番組の途中ですが転載は禁止です8VGJZ3)助けてくれる人はちゃんといる。世の中には、同じ経験をしてきた人が本当にたくさんいる。保護命令を取りに裁判所へ行くとき、一緒に法廷まで来てくれる支援員もいる。私は弁護士もいなくて、怖くてたまらなかった。でも、私の支援員はずっとそばにいてくれた。夫の視線が私に向かないように、私と夫の間に立ってくれた。本当に心強かった。シェルターの職員さんたちは、おむつや服を用意してくれたり、安全な場所へ移動するための交通手段まで助けてくれた。母のところに着いてからも、食料やカウンセリングなど、地域のDV支援を通じていろんな支援を受けることができた。こんなに助けてくれる人がいることに驚いた。でも、それでも――4)恐怖は、すぐには消えない。大文字で言いたいくらい。今は母の家で安全に暮らしている。それでも私はまだパニック発作を起こす。子どもたちも、みんな悪夢を見る。私は今でも、何度もクローゼットやドア、窓を確認してしまう。母と一緒に犯罪ドキュメンタリーを見ているだけで、不安発作を起こすこともある。トラウマを経験すると、頭で理解するよりも、身体がそれを受け止めるまでのほうが時間がかかる。だから、覚えておいてほしい。2026/09/26 21:06:514.番組の途中ですが転載は禁止です8VGJZ5)あなたは、これを生き延びられる。夫は私を殴った。子どもを家の外まで追いかけた。警察から逃げた。保護命令が出ているのに、それを試すようなことまでした。さらに私たちが夫の収入にアクセスできないよう、銀行まで変えた。そのせいで、私たちは突然、貧困状態に突き落とされた。私は13歳から生後7か月までの4人の子ども全員を連れて、一人で車を運転した。※一番上の5人目の子どもは、別の州の大学にいる。7つの州をまたいで、約1,200マイル。途中で車が故障しないように、そして私自身が壊れてしまわないように、心の底から祈りながら運転した。今も私たちには、自分たちの家がない。3LDKの家に7人で暮らしている。今も一日一日を、なんとか乗り越えている。でも、私たちは自由。生きている。一緒にいる。もう、いつ怒鳴られるかとビクビクしながら暮らすこともない。背後を気にして、いつ襲われるか怯えながら歩くこともない。私の物語は、まだ終わっていない。本当の意味での「ハッピーエンド」なんて、たぶんない。その代わり、毎日の中から小さな幸せを見つけていくしかない。心が痛くて、生活がめちゃくちゃな朝でも、起きて、その日の中にある喜びを探す。そして最後に、これだけ。2026/09/26 21:07:345.番組の途中ですが転載は禁止です8VGJZ6)毎日、ほんの少しずつ楽になっていく。私がこれを書いたのは、もし同じような状況にいる人がいたら、伝えたかったから。あなたも、クソ男のもとから逃げ出せる。彼と別れていい。彼がいなくても、生きていける。そして、いつかまた人生を楽しめるようになる。外には、ちゃんと希望がある。あなたが誰であっても、私はあなたを応援してる。あなたは、自分が思っているよりずっと強くて、勇敢で、何でもできる人だよ。今日の夕食は、七面鳥とプロヴォローネチーズのサンドイッチ。それから、にんじんの神様からのお告げ。2026/09/26 21:08:326.番組の途中ですが転載は禁止ですB7znU子供は可哀そう本人はどうでもいいそんな男を選んだ自己責任だろ2026/09/26 21:10:447.番組の途中ですが転載は禁止ですjIyRj警察と一緒に行動する辺り夫は正気っぽい雰囲気あるな2026/09/26 21:31:488.番組の途中ですが転載は禁止ですFGC4z1900㌔というと青森-鹿児島くらいか2026/09/26 22:09:459.番組の途中ですが転載は禁止ですaH6EE軍にばらした所で慰謝料や養育費に影響するだけで得しないのでは?2026/09/26 23:25:54
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私が「海軍の上司に全部話す」と言ったら、夫は逆上して、私と13歳の子どもにまで暴力を振るうようになった。
私は保護命令を取って、子どもたちと一緒に安全を求めて国の反対側まで移動し、母の家に身を寄せた。
家を出てから2か月。
この2か月で、私が学んだことを書いてみようと思う。
1)逃げてよかった。本当に。
当たり前のことから始めるけど、どんなに大変でも、家を出るという選択は間違ってなかった。
私も子どもたちも、家を出て安心して自分らしく過ごせるようになって初めて、それまで家の中がどれだけ張り詰めた状態だったのかに気づいた。
家を出たことで、いろんな不安や問題は増えた。それでも、私たちを愛しても尊重してもくれない人と暮らしていた頃より、ずっとストレスが少ない。
その先には、平穏がある。
喜びがある。
自由がある。
そして安全がある。
ただ、そうはいっても――
2)家を出ることは、始まりにすぎない。
子どもがいるかどうかに関係なく。
浮気だけでも十分つらかった。でも、私たちが本当に離れると決めてから、事態はさらに悪化した。
もう終わりだと分かった途端、夫は「良い夫」「良い父親」であろうとするふりすらやめた。
完全に仮面が外れた。
私や子どもに暴力を振るっただけじゃない。保護命令が出たあとでさえ、平気で境界線を踏み越えてきた。
「荷物を取りに来た」と言って、警察を連れて何度も家に押しかけてきた。本人はもう荷物を全部持ち出していることを知っていたのに。
もちろん目的は、私たちを怖がらせて、支配し続けることだった。
大げさじゃなく、私たちは命の危険を感じていた。
関係を終わらせることがステップ1。
保護命令を取ることが、すぐに必要になったステップ2。
そして、物理的に距離を置くことがステップ3だった。
統計的にも、暴力から逃げようとする時期は最も危険だと言われている。
夫が私たちへの嫌がらせを始めたとき、私たちは荷物をまとめてDVシェルターに逃げた。
シェルターの人たちは本当に素晴らしかった。
そこで少し時間をもらえたことで、必要なことを一つずつ整理しながら、心と体を休ませることができた。
法律関係の支援先も紹介してもらった。
そこで思った。
世の中には、同じ経験をしてきた人が本当にたくさんいる。
保護命令を取りに裁判所へ行くとき、一緒に法廷まで来てくれる支援員もいる。
私は弁護士もいなくて、怖くてたまらなかった。
でも、私の支援員はずっとそばにいてくれた。夫の視線が私に向かないように、私と夫の間に立ってくれた。
本当に心強かった。
シェルターの職員さんたちは、おむつや服を用意してくれたり、安全な場所へ移動するための交通手段まで助けてくれた。
母のところに着いてからも、食料やカウンセリングなど、地域のDV支援を通じていろんな支援を受けることができた。
こんなに助けてくれる人がいることに驚いた。
でも、それでも――
4)恐怖は、すぐには消えない。
大文字で言いたいくらい。
今は母の家で安全に暮らしている。それでも私はまだパニック発作を起こす。
子どもたちも、みんな悪夢を見る。
私は今でも、何度もクローゼットやドア、窓を確認してしまう。
母と一緒に犯罪ドキュメンタリーを見ているだけで、不安発作を起こすこともある。
トラウマを経験すると、頭で理解するよりも、身体がそれを受け止めるまでのほうが時間がかかる。
だから、覚えておいてほしい。
夫は私を殴った。
子どもを家の外まで追いかけた。
警察から逃げた。
保護命令が出ているのに、それを試すようなことまでした。
さらに私たちが夫の収入にアクセスできないよう、銀行まで変えた。
そのせいで、私たちは突然、貧困状態に突き落とされた。
私は13歳から生後7か月までの4人の子ども全員を連れて、一人で車を運転した。
※一番上の5人目の子どもは、別の州の大学にいる。
7つの州をまたいで、約1,200マイル。
途中で車が故障しないように、そして私自身が壊れてしまわないように、心の底から祈りながら運転した。
今も私たちには、自分たちの家がない。
3LDKの家に7人で暮らしている。
今も一日一日を、なんとか乗り越えている。
でも、私たちは自由。
生きている。
一緒にいる。
もう、いつ怒鳴られるかとビクビクしながら暮らすこともない。
背後を気にして、いつ襲われるか怯えながら歩くこともない。
私の物語は、まだ終わっていない。
本当の意味での「ハッピーエンド」なんて、たぶんない。
その代わり、毎日の中から小さな幸せを見つけていくしかない。
心が痛くて、生活がめちゃくちゃな朝でも、起きて、その日の中にある喜びを探す。
そして最後に、これだけ。
私がこれを書いたのは、もし同じような状況にいる人がいたら、伝えたかったから。
あなたも、クソ男のもとから逃げ出せる。
彼と別れていい。
彼がいなくても、生きていける。
そして、いつかまた人生を楽しめるようになる。
外には、ちゃんと希望がある。
あなたが誰であっても、私はあなたを応援してる。
あなたは、自分が思っているよりずっと強くて、勇敢で、何でもできる人だよ。
今日の夕食は、七面鳥とプロヴォローネチーズのサンドイッチ。
それから、にんじんの神様からのお告げ。
本人はどうでもいいそんな男を選んだ自己責任だろ