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不眠不休で100キロ踏破 海自第21航空群(館山) 幹部候補生ら34人が挑み全員完歩(千葉県)アーカイブ

1.
ユーザー
Nllhb
24
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2.
ユーザー
Nyh8H
無駄な運動会してないで熊駆除してこいよ
3.
ユーザー
OesPR
>>2
警察庁と農水省の仕事です
4.
ユーザー
r7hzU
>>2
幹部候補生への接待行軍だぞ?
逆らえる訳ないだろ
5.
ユーザー
1N6D7
高校の時に強歩大会で40kmくらいは歩いてたけど足腰の疲労よりキンタマが擦れて痛くなるのが一番のダメージだった
6.
ユーザー
34WXi
>>5
昔は85キロも歩かされる学校もあったようだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ccb3d3bbfd8d935c02e6ce6cf77b62900f31c0a
7.
ユーザー
AtAFj
ケンモメンは1キロも歩けないのに🥹
8.
ユーザー
Z71lT
死のロングウォーク
不眠不休だと2日で歩けるんだね
一般的には1日20kmが限界だって
9.
ユーザー
qfDSx
誰かこいつらに、乗り物ってものを教えてやってくれ
10.
ユーザー
wKnyh
日頃訓練でうっかり死を連発してるからこれはたまたま死ななかったケース
11.
ユーザー
RNNBf
幹部候補生ならこのくらい見せておかないと
将来の命令力がな…
12.
ユーザー
ll2RN
>>8
これを思い出した

バターン死の行軍(Bataan Death March)とは、太平洋戦争初期の1942年4月、フィリピンのバターン半島で降伏したアメリカ軍とフィリピン軍の捕虜約7万6,000人が、旧日本軍によって収容所まで過酷な徒歩移動を強いられ、多数の犠牲者を出した事件です。主な詳細は以下の通りです。時期:1942年4月9日に米比軍が降伏し、その翌日から行軍が開始された。経路と距離:バターン半島南端のマリベレスなどから、ルソン島中部カパスのオドネル捕虜収容所まで、およそ100キロから120キロの道のりを行軍させられた。犠牲者:炎天下での長時間の歩行、不衛生な環境によるマラリアや赤痢などの疾病、栄養失調、そして日本軍監視兵による暴力や殺害により、数千人から1万人以上(諸説あり)のアメリカ兵とフィリピン兵が命を落とした。戦後、この事件の責任を問われ、当時のフィリピン攻略軍司令官であった本間雅晴中将がマニラ軍事裁判で死刑判決を受け、銃殺刑に処された。現在でもこの歴史的悲劇を忘れず、平和を祈念するための式典や行進がフィリピンや日米両国で開かれている。詳細な背景や日米双方の記録については、NHKアーカイブスや、客観的経緯をまとめた各種書籍等 Amazon.co.jpで確認することができる。
13.
ユーザー
Nyh8H
>>12
それよりキツイのがジャップが自分にやったガリの転進
14.
ユーザー
eauac
八甲田山は訓練失敗
15.
ユーザー
OesPR
>>12
涙の道という盛大なブーメラン
16.
ユーザー
qfDSx
>>12
米比兵「100キロも歩かせるなんて捕虜虐待だ!」
日本兵「え?我々は20キロの装備背負って同じ距離歩いてるのだけど…?」

はいホル~
17.
ユーザー
byZwY
捕虜に飯を食わせない蛮族基準ではなあ
18.
ユーザー
4aRG3
走るならまだしも
歩くだけでいいなら俺でもできるぞ
19.
ユーザー
8N9FM
陸自みたいにフル装備で歩くのかと思ったらずいぶん軽装ですな
20.
ユーザー
9ftZT
>>3
環境省じゃねえかな
21.
ユーザー
UJXN8
バカが土人しぐさを誇ってる間にAIとドローン戦争は進んでいた
22.
ユーザー
W27AE
>>21
AIドローン恐るるに足らず
気合いと根性で捻じ伏せろ!
23.
ユーザー
Dsu7o
100kmくらい毎日歩けらぁ!
24.
ユーザー
jR0Vp
自衛隊ってのは所詮は軍隊ごっこだからな
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