「コタツの中で強引に足を広げられて、無理やり…」 “母親の彼氏”が母親の目を盗んで小5の娘に性的虐待 トイレや風呂場で繰り返される性的虐待 公表した24歳女性 ニューヨークタイムズも注目 日本人の性欲が異常最終更新 2025/01/18 18:281.名無しさんsYJXi小学5年生のときに、母親の交際相手から性的虐待を受けた橋本なずなさん(24)。幼い頃に“おぞましい被害”に遭った彼女は、成人後もトラウマやフラッシュバックに苦しめられ、2度の自殺未遂を経験しているという。現在は「性犯罪が少なくなる社会」を目指して自身の過去を赤裸々に発信し、性的虐待の実態を伝えている。橋本さんはどんな環境下で被害に遭い、どのように“心の傷”と向き合ってきたのか。話を聞いた。https://news.yahoo.co.jp/articles/0704396e6af383970df944ce54e7a0040020ccaahttps://news.yahoo.co.jp/articles/2715537d60e5eabe7760d7716f2ed8889bb8cd5chttps://news.yahoo.co.jp/articles/7f1adabe147353b1fdce1344308bb5def578357a2025/01/18 16:40:4423コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――橋本さんは、小学5年生のときに母親の交際相手から性的虐待を受けたことを公表されています。橋本なずなさん(以下、橋本) 小学5年生のときに、約1年間、母親のパートナーから性的虐待を受けていました。今も性的虐待や性加害に関するニュースを見聞きすると、フラッシュバックすることがあります。――それでも今回のように、メディアで発信を続けていますよね。橋本 正直、当時を思い出すのは本当に辛いけど、性犯罪が少なくなる社会を作るためにはやるしかない、という気持ちです。 日本には、皆さんが想像しているよりたくさんの性被害者がいるんです。でも、それを言えない人が多い。「実は私も経験しているけど、いまだに誰にも話したことがない」という人がほとんどだと思います。 そういう人たちも、性犯罪がなくなる社会や、性犯罪の刑罰が重くなる社会を望んでいると思うし、これからを生きる子どもたちのためにも、私は今回のような取材で性的虐待や性被害の実態を伝えたい。それが私にできることだと思うので。――ご自身のお身体が第一なので、ご無理のない範囲でお話しください。橋本 ありがとうございます。2025/01/18 16:41:243.番組の途中ですが転載は禁止ですhhQDy慰安婦問題は無かった慰安婦問題は無かった慰安婦問題は無かった2025/01/18 16:42:364.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――母親に新しい恋人ができたのは、離婚してどれくらい経ってから?橋本 はっきり覚えていないんですけど、1年くらいだったと思います。母とその恋人は、もともと知り合いだったんですよ。――どのようなお知り合いだったのでしょうか。橋本 母が通っていた卓球サークルに、その男性もいたんです。私もその卓球サークルに行ったことがあったので、見かけたこともあって。 そのときは、その人がのちに母のパートナーとなり、私に性的虐待をするとは思いもしませんでしたけど。――母親の交際相手に対して、最初はどういう印象を持ちましたか。橋本 卓球サークルにいるときは、“シュッとしたおじさん”という感じでした。親切な人、というイメージもありましたね。 だから、母に「この人が新しい彼氏です」と紹介されたときも、とくに不信感を抱かなかったし、当然、幼児性愛的なものがある人とも思わなかった。――最初は挙動不審な行動もなく?橋本 当初は家に兄がいて、男性の目がある状態だったから、それがひとつの抑止力になっていたと思うんです。 でも、おじさんが家にくるようになってから、兄が家出をしてしまうんですよ。2025/01/18 16:42:385.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――急にいなくなった?橋本 ある日、母親が仕事でいないときに、家から出て行ってしまって。私とコタツに入ってテレビを見ていたのですが、私が寝てしまって。そのすきにいなくなったんです。 私は起きてから兄がいないことに気づいて、彼の部屋を見に行ったら、もぬけの殻になっていて。小学校に持っていく教科書とか、自分の好きなマンガとかも全部なくなっていたんですよ。結局、兄は母方の祖父母の実家に行って、そこで暮らすようになりました。――祖父母の実家なら、「お母さんが心配しているから家に帰りなさい」となるのでは?橋本 祖父母は、母親に恋人ができたことをよく思っていなかったから、「あの家に帰るなら、ここで暮らしなさい」となって。それから母の実家と関係が悪くなり、絶縁状態になりました。 兄はある程度の年齢になってから、友だちやパートナーの家を転々としてたみたいですけど、私たちのもとには二度と戻ってこなかったですね。2025/01/18 16:42:526.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――母親の交際相手がイヤで家出をしたのでしょうか。橋本 そうだと思います。兄はすごく優秀で周囲から期待されていたから、父がいなくなったあとは「自分が母と妹を守らなきゃ」と責任を感じていたはずです。 でも母親にすぐにパートナーができて、彼の中で何かが崩れてしまったんじゃないかなと。――母親はかなり落ち込んだのでは。橋本 兄が家からいなくなって「死にたい」と言ってました。私は幼い頃から、母が兄のことばかり褒めているような印象を持っていて。兄と比較されることも多かったので、それにすごくコンプレックスを抱いていたんですけど。 兄がいなくなって、母が「死にたい」と言ったときに、「あ、お兄ちゃんがおらんかったら、お母さんは死ぬんや。私がおるのに」と悲しくなりました。昔から、母は私より兄のほうが好きなんだろうなあ、と思っていたけど、それが証明されてしまったというか。2025/01/18 16:43:217.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――兄がいなくなって、母親の交際相手から性的虐待を受けるようになった。橋本 最初は、私がトイレに入ろうとすると、一緒に付いてくるようになって。家で用を足すときはトイレの鍵を閉めてなかったんですけど、私が入ろうとしたときにパッとドアを開けてくるんです。 ドアを閉めようとしたら「ねえ、開けてえやあ」「何でそんなに隠すの」「何でそんなに恥ずかしがるの」と言ってきて。私がお風呂に入ってるときも覗こうとしたり、入ってこようとしてきたり。――徐々に「おかしいな」と思うように。橋本 当時は小学5年生だったのもあって、彼の行動に性的な目的があるとは思わなかったんです。ただ、なんとなく気持ち悪いというか、「この人は何がしたいんだろう」と思っていました。2025/01/18 16:43:338.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――母親にその違和感を報告したりは?橋本 しませんでした。おじさんがトイレに入ろうとしてきたり、お風呂を覗こうとしてきたりする目的はわからなかったんですけど、「お母さんには言いづらいこと」だとは感じていたんですよね。 もしその段階で母に言えてたら、もっとひどい性的虐待を受けることはなかったかもしれません。だけど、子どもながらにそれを言ってはいけない気がして。――母親を悲しませたくなかった?橋本 それもあると思います。あとは、そういうことをされている自分が恥ずかしい、みたいな気持ちもありました。 でもそれから、おじさんの行動がどんどんエスカレートしていって。ある日、母がシャワーに入っているときに、コタツの中で物理的な性的虐待を受けたんです。2025/01/18 16:43:519.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――小学5年生のとき、コタツの中で母親の交際相手から性的虐待を受けたそうですね。橋本なずなさん(以下、橋本) 母がシャワーに入って、おじさん(母親の交際相手)と2人きりになったときでした。コタツに入ってテレビを見ていたら、向かい側に座っていた彼が、コタツの中で私の足を開こうとしてきたんです。 最初は「私の足が邪魔なのかな」と思ったんですけど、いきなり足首をつかまれて、無理やり足を開こうとしてきて。反射的に足を閉じようとしたら、ガバッと足を広げられて、おじさんが足指を私の陰部に押し込んできたんです。 自分が何をされているのか、その行為の意味まではわからなかったのですが、とにかく不快で。「これはいつ終わるの?」「お母さん早く戻ってきて」と思いました。――声を出すこともできず。橋本 性被害に遭うときは、本当に言葉も出ないし、行動を起こすこともできない。恐怖で細胞までギュッと縮んでしまって、意識も感覚も身体の内側に閉じこもるような感じになってしまうんです。 だから、おじさんの行為が終わるまで「やめて」と言うこともできませんでした。年齢に関係なく、性被害に遭うとそうなってしまうものだと思います。2025/01/18 16:44:1710.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――母親が戻ってきたら、行為は終わった?橋本 終わりました。でも、お母さんには何があったのか言えなかったですね。彼女を傷つけるかもしれないと思って。それに自分がそういう行為をされたと認めたくなかったし、誰にも知られたくなかった。――その後、母親の交際相手は。橋本 どんどん行為がエスカレートしていきました。私は嫌だったんですけど、お母さんと一緒におじさんの家に行くことが増えて。そこで、母の目を盗んで私に性的虐待を繰り返すんです。たとえば、母がコンビニへ買い出しに行っているときに、私の胸を触ってきたり、自分の性器を見せつけてきたり。 一度だけ母に「おじさんの家に行きたくない」と伝えたんです。そしたら母が「じゃあウチに来てもらおう」と言ってきて、絶望しました。もう私が耐えるしかないと思って、地獄のような日々が1年ほど続きました。 そのときに、自分の心と体を切り離すスキルを身につけましたね。何かあったら、心の中に別の人格を作って、「これは私に起きていることじゃない。私とは関係ないことだ」と思うようにして。2025/01/18 16:44:3311.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――感情を殺して。橋本 最初は恐怖や戸惑いがあったんですけど、性的虐待が繰り返されるうちに、感情がなくなっていったというか。本能的に、そうしないと生きられないと判断したんだと思います。 自分の体と心を切り離すことで、怒りや悲しみも感じなくなって。感情のない、無機質な「道具」のようになっていました。――当時は学校の先生などにも相談できなかった?橋本 できなかったです。当初は、自分の身に起こっていることが恥ずかしいことだと思っていたので。 でも、自分の心と体を解離させるようになってからは、自分がおじさんから受けている行為に対して、無関心になって。誰かに話したいとか、聞いてほしい、助けてほしいという感情も湧かなくなってしまったんです。 大人になった今なら、「誰でもいいから、周りの大人はあのときの私を助けてあげてよ」って思いますけど。当時は、自分を救いたい、という気持ちすら失われてしまった。2025/01/18 16:44:5212.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――性的虐待を受けたことを母親に言わなかったそうですが、打ち明けたのは大人になってからですか。橋本なずなさん(以下、橋本) 母が初めて知ったのはおそらく、2021年、私の記事がニューヨーク・タイムズに掲載されたときです。母の目にも入ることを承知のうえで取材を受けました。 心のどこかで、性的虐待を受けたことを母に知ってほしかったんだと思います。でも、自分から改めて伝えられなくて。ニューヨーク・タイムズの取材がいい機会でした。――その記事を見て、母親はどんな反応を。橋本 記事を見た母から、何かを言われることはありませんでした。その後もいくつかのメディアに取材してもらって、そのたびに性的虐待の話をしたんですけど、それでも母はその話題に触れなかった。 でも、あるテレビの取材を受けているときに、母も同席していて、記者の方から性的虐待の話を聞かれたんです。そこで初めて、カメラの前で母の気持ちを聞けました。2025/01/18 16:45:3013.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――何と言っていたのですか?橋本 「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」と言ってましたね。でも、その取材のあとに改めて「あのときはごめんね」と言われることもなく。――カメラの前ではなく、2人でいるときに言ってほしかった?橋本 正直、それはありますね。ニューヨーク・タイムズの記事を見たときに、母からの言葉がほしかった。でも何も言われなかったから、落胆が大きかったです。2025/01/18 16:45:4414.番組の途中ですが転載は禁止ですsYJXi――もともと、どのような母子関係だったのですか。橋本 母に恋愛相談できるくらいには仲良しでした。性的虐待を受けたあとも「お母さんのせいだ」と恨むようなこともなく。母はとても優秀な人で、私の憧れでしたし、大好きで尊敬もしてました。 それに、父と兄がいなくなり、祖父母とも絶縁状態だったから、私たちは2人で支え合って生きていくしかなかった。親子の心理的な結束力が強かったんです。ただ、その気持ちが強すぎた部分もあるかなとは思います。――その後、性的虐待について母親と話したことは?橋本 取材のとき以外で、初めて母と性的虐待の話をしたのは、2022年頃でした。母の新しいパートナーが家に来るときに、少しの間だけ、私とそのパートナーが2人きりにならないといけなくなって。母に「彼と2人きりになってしまうけど大丈夫?」って聞かれたんです。 その言葉がトリガーになって、「私、過去にお母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ。わかってるよね。それなのになんで、恋人と2人きりにできるの?」と泣きながら伝えました。 そしたら母も泣きながら「ごめんね」って。カメラの前以外で母が謝ったのは、そのときが初めてでしたね。2025/01/18 16:46:1215.番組の途中ですが転載は禁止ですBGcmJそんな事日常茶番時だろ2025/01/18 16:50:3416.番組の途中ですが転載は禁止ですVJBWy親子丼!2025/01/18 17:03:2817.番組の途中ですが転載は禁止ですvIJVd>>1めちゃくちゃ興奮する逮捕されないなら小学生とやりたい2025/01/18 17:09:1518.番組の途中ですが転載は禁止ですro7cD母親も母親で自分の娘の身体使って男を繋ぎ止めようとしてるところ少しあるんじゃないかと思うロリ動画は片親の母親が変態ロリコンに声掛けて小遣い稼ぎした結果生まれてるケースも多いと聞くし2025/01/18 17:10:5419.番組の途中ですが転載は禁止ですgF0I9あまりにも刑が軽すぎるんだよな2025/01/18 17:17:4420.番組の途中ですが転載は禁止ですCaV5F>>18つまりすべての元凶は異常性欲のジャッポスにあるということだね2025/01/18 17:17:5621.番組の途中ですが転載は禁止です4t1Xu答え 日本2025/01/18 17:48:3422.番組の途中ですが転載は禁止ですG3keU俺らの子供の頃って隙あれば「電気あんま~」とか言いながら相手の股間を足の裏でグリグリするスキンシップあったよな2025/01/18 18:02:2123.番組の途中ですが転載は禁止ですQWeHcやば過ぎだろ、日本ちんさん2025/01/18 18:28:07
「コタツの中で強引に足を広げられて、無理やり…」 “母親の彼氏”が母親の目を盗んで小5の娘に性的虐待 トイレや風呂場で繰り返される性的虐待 公表した24歳女性 ニューヨークタイムズも注目 日本人の性欲が異常ニュー速(嫌儲)23240.72025/01/18 18:28:07
現在は「性犯罪が少なくなる社会」を目指して自身の過去を赤裸々に発信し、性的虐待の実態を伝えている。橋本さんはどんな環境下で被害に遭い、どのように“心の傷”と向き合ってきたのか。話を聞いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0704396e6af383970df944ce54e7a0040020ccaa
https://news.yahoo.co.jp/articles/2715537d60e5eabe7760d7716f2ed8889bb8cd5c
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f1adabe147353b1fdce1344308bb5def578357a
橋本なずなさん(以下、橋本) 小学5年生のときに、約1年間、母親のパートナーから性的虐待を受けていました。今も性的虐待や性加害に関するニュースを見聞きすると、フラッシュバックすることがあります。
――それでも今回のように、メディアで発信を続けていますよね。
橋本 正直、当時を思い出すのは本当に辛いけど、性犯罪が少なくなる社会を作るためにはやるしかない、という気持ちです。
日本には、皆さんが想像しているよりたくさんの性被害者がいるんです。でも、それを言えない人が多い。「実は私も経験しているけど、いまだに誰にも話したことがない」という人がほとんどだと思います。
そういう人たちも、性犯罪がなくなる社会や、性犯罪の刑罰が重くなる社会を望んでいると思うし、これからを生きる子どもたちのためにも、私は今回のような取材で性的虐待や性被害の実態を伝えたい。それが私にできることだと思うので。
――ご自身のお身体が第一なので、ご無理のない範囲でお話しください。
橋本 ありがとうございます。
慰安婦問題は無かった
慰安婦問題は無かった
橋本 はっきり覚えていないんですけど、1年くらいだったと思います。母とその恋人は、もともと知り合いだったんですよ。
――どのようなお知り合いだったのでしょうか。
橋本 母が通っていた卓球サークルに、その男性もいたんです。私もその卓球サークルに行ったことがあったので、見かけたこともあって。
そのときは、その人がのちに母のパートナーとなり、私に性的虐待をするとは思いもしませんでしたけど。
――母親の交際相手に対して、最初はどういう印象を持ちましたか。
橋本 卓球サークルにいるときは、“シュッとしたおじさん”という感じでした。親切な人、というイメージもありましたね。
だから、母に「この人が新しい彼氏です」と紹介されたときも、とくに不信感を抱かなかったし、当然、幼児性愛的なものがある人とも思わなかった。
――最初は挙動不審な行動もなく?
橋本 当初は家に兄がいて、男性の目がある状態だったから、それがひとつの抑止力になっていたと思うんです。
でも、おじさんが家にくるようになってから、兄が家出をしてしまうんですよ。
橋本 ある日、母親が仕事でいないときに、家から出て行ってしまって。私とコタツに入ってテレビを見ていたのですが、私が寝てしまって。そのすきにいなくなったんです。
私は起きてから兄がいないことに気づいて、彼の部屋を見に行ったら、もぬけの殻になっていて。小学校に持っていく教科書とか、自分の好きなマンガとかも全部なくなっていたんですよ。結局、兄は母方の祖父母の実家に行って、そこで暮らすようになりました。
――祖父母の実家なら、「お母さんが心配しているから家に帰りなさい」となるのでは?
橋本 祖父母は、母親に恋人ができたことをよく思っていなかったから、「あの家に帰るなら、ここで暮らしなさい」となって。それから母の実家と関係が悪くなり、絶縁状態になりました。
兄はある程度の年齢になってから、友だちやパートナーの家を転々としてたみたいですけど、私たちのもとには二度と戻ってこなかったですね。
橋本 そうだと思います。兄はすごく優秀で周囲から期待されていたから、父がいなくなったあとは「自分が母と妹を守らなきゃ」と責任を感じていたはずです。
でも母親にすぐにパートナーができて、彼の中で何かが崩れてしまったんじゃないかなと。
――母親はかなり落ち込んだのでは。
橋本 兄が家からいなくなって「死にたい」と言ってました。私は幼い頃から、母が兄のことばかり褒めているような印象を持っていて。兄と比較されることも多かったので、それにすごくコンプレックスを抱いていたんですけど。
兄がいなくなって、母が「死にたい」と言ったときに、「あ、お兄ちゃんがおらんかったら、お母さんは死ぬんや。私がおるのに」と悲しくなりました。昔から、母は私より兄のほうが好きなんだろうなあ、と思っていたけど、それが証明されてしまったというか。
橋本 最初は、私がトイレに入ろうとすると、一緒に付いてくるようになって。家で用を足すときはトイレの鍵を閉めてなかったんですけど、私が入ろうとしたときにパッとドアを開けてくるんです。
ドアを閉めようとしたら「ねえ、開けてえやあ」「何でそんなに隠すの」「何でそんなに恥ずかしがるの」と言ってきて。私がお風呂に入ってるときも覗こうとしたり、入ってこようとしてきたり。
――徐々に「おかしいな」と思うように。
橋本 当時は小学5年生だったのもあって、彼の行動に性的な目的があるとは思わなかったんです。ただ、なんとなく気持ち悪いというか、「この人は何がしたいんだろう」と思っていました。
橋本 しませんでした。おじさんがトイレに入ろうとしてきたり、お風呂を覗こうとしてきたりする目的はわからなかったんですけど、「お母さんには言いづらいこと」だとは感じていたんですよね。
もしその段階で母に言えてたら、もっとひどい性的虐待を受けることはなかったかもしれません。だけど、子どもながらにそれを言ってはいけない気がして。
――母親を悲しませたくなかった?
橋本 それもあると思います。あとは、そういうことをされている自分が恥ずかしい、みたいな気持ちもありました。
でもそれから、おじさんの行動がどんどんエスカレートしていって。ある日、母がシャワーに入っているときに、コタツの中で物理的な性的虐待を受けたんです。
橋本なずなさん(以下、橋本) 母がシャワーに入って、おじさん(母親の交際相手)と2人きりになったときでした。コタツに入ってテレビを見ていたら、向かい側に座っていた彼が、コタツの中で私の足を開こうとしてきたんです。
最初は「私の足が邪魔なのかな」と思ったんですけど、いきなり足首をつかまれて、無理やり足を開こうとしてきて。反射的に足を閉じようとしたら、ガバッと足を広げられて、おじさんが足指を私の陰部に押し込んできたんです。
自分が何をされているのか、その行為の意味まではわからなかったのですが、とにかく不快で。「これはいつ終わるの?」「お母さん早く戻ってきて」と思いました。
――声を出すこともできず。
橋本 性被害に遭うときは、本当に言葉も出ないし、行動を起こすこともできない。恐怖で細胞までギュッと縮んでしまって、意識も感覚も身体の内側に閉じこもるような感じになってしまうんです。
だから、おじさんの行為が終わるまで「やめて」と言うこともできませんでした。年齢に関係なく、性被害に遭うとそうなってしまうものだと思います。
橋本 終わりました。でも、お母さんには何があったのか言えなかったですね。彼女を傷つけるかもしれないと思って。それに自分がそういう行為をされたと認めたくなかったし、誰にも知られたくなかった。
――その後、母親の交際相手は。
橋本 どんどん行為がエスカレートしていきました。私は嫌だったんですけど、お母さんと一緒におじさんの家に行くことが増えて。そこで、母の目を盗んで私に性的虐待を繰り返すんです。たとえば、母がコンビニへ買い出しに行っているときに、私の胸を触ってきたり、自分の性器を見せつけてきたり。
一度だけ母に「おじさんの家に行きたくない」と伝えたんです。そしたら母が「じゃあウチに来てもらおう」と言ってきて、絶望しました。もう私が耐えるしかないと思って、地獄のような日々が1年ほど続きました。
そのときに、自分の心と体を切り離すスキルを身につけましたね。何かあったら、心の中に別の人格を作って、「これは私に起きていることじゃない。私とは関係ないことだ」と思うようにして。
橋本 最初は恐怖や戸惑いがあったんですけど、性的虐待が繰り返されるうちに、感情がなくなっていったというか。本能的に、そうしないと生きられないと判断したんだと思います。
自分の体と心を切り離すことで、怒りや悲しみも感じなくなって。感情のない、無機質な「道具」のようになっていました。
――当時は学校の先生などにも相談できなかった?
橋本 できなかったです。当初は、自分の身に起こっていることが恥ずかしいことだと思っていたので。
でも、自分の心と体を解離させるようになってからは、自分がおじさんから受けている行為に対して、無関心になって。誰かに話したいとか、聞いてほしい、助けてほしいという感情も湧かなくなってしまったんです。
大人になった今なら、「誰でもいいから、周りの大人はあのときの私を助けてあげてよ」って思いますけど。当時は、自分を救いたい、という気持ちすら失われてしまった。
橋本なずなさん(以下、橋本) 母が初めて知ったのはおそらく、2021年、私の記事がニューヨーク・タイムズに掲載されたときです。母の目にも入ることを承知のうえで取材を受けました。
心のどこかで、性的虐待を受けたことを母に知ってほしかったんだと思います。でも、自分から改めて伝えられなくて。ニューヨーク・タイムズの取材がいい機会でした。
――その記事を見て、母親はどんな反応を。
橋本 記事を見た母から、何かを言われることはありませんでした。その後もいくつかのメディアに取材してもらって、そのたびに性的虐待の話をしたんですけど、それでも母はその話題に触れなかった。
でも、あるテレビの取材を受けているときに、母も同席していて、記者の方から性的虐待の話を聞かれたんです。そこで初めて、カメラの前で母の気持ちを聞けました。
橋本 「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」と言ってましたね。でも、その取材のあとに改めて「あのときはごめんね」と言われることもなく。
――カメラの前ではなく、2人でいるときに言ってほしかった?
橋本 正直、それはありますね。ニューヨーク・タイムズの記事を見たときに、母からの言葉がほしかった。でも何も言われなかったから、落胆が大きかったです。
橋本 母に恋愛相談できるくらいには仲良しでした。性的虐待を受けたあとも「お母さんのせいだ」と恨むようなこともなく。母はとても優秀な人で、私の憧れでしたし、大好きで尊敬もしてました。
それに、父と兄がいなくなり、祖父母とも絶縁状態だったから、私たちは2人で支え合って生きていくしかなかった。親子の心理的な結束力が強かったんです。ただ、その気持ちが強すぎた部分もあるかなとは思います。
――その後、性的虐待について母親と話したことは?
橋本 取材のとき以外で、初めて母と性的虐待の話をしたのは、2022年頃でした。母の新しいパートナーが家に来るときに、少しの間だけ、私とそのパートナーが2人きりにならないといけなくなって。母に「彼と2人きりになってしまうけど大丈夫?」って聞かれたんです。
その言葉がトリガーになって、「私、過去にお母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ。わかってるよね。それなのになんで、恋人と2人きりにできるの?」と泣きながら伝えました。
そしたら母も泣きながら「ごめんね」って。カメラの前以外で母が謝ったのは、そのときが初めてでしたね。
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