【独占インタビュー】兵庫県知事・齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」アーカイブ最終更新 2024/12/19 06:171.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEawこの男は悪人か、それとも―。地元だけでなく、日本中が真っ二つに割れてしまった分断の選挙。事実と憶測がその境界を失い、いくつもの「物語」が流布する中で、現場では何が起きていたのか。駐車場からの100メートルメンタル的に一番きつかったのは、知事を失職した9月30日の朝、地元の須磨駅で駅立ちをした時でした。近くのコインパーキングに車を停めて、そこから100メートルほど歩いていく間、正直怖かった。失職する前は、議会や会見で批判を受けることもありましたが、それは知事としての話。一般の県民の皆さんと直に接する機会は、本当にその日が最初だったので、どんな言葉をぶつけられるのだろうと不安でした。でも、一歩を踏み出さないと何も進まない。第一声を発した瞬間、道ゆく人の空気が変わったのが分かり、後戻りはできないと覚悟を固めました。〈日本中に衝撃をもたらした兵庫県知事選が終わり、1ヵ月が経つ。再選された齋藤元彦氏(47歳)には、選挙後もパワハラや公益通報対応、さらに公職選挙法違反疑惑をめぐって追及が続いている。そうした中、「週刊現代」は選挙後初めて、齋藤氏に独占インタビューを行った。日本政治史の転換点とも言われるこの選挙の渦中で、齋藤氏は何を見、そして何を考えていたのか〉同じ週末、三宮で辻立ちをした時もつらかった。当然、他の候補のような支援者は周りにいなくて、たった一人です。「もう一度頑張りたい」と言うと、拍手してくださる方も、厳しく言う方もおられた。でも、この二歩目で何かをつかんだような気がします。地道に辻立ちをしていなければ、最終盤のような状況は生まれませんでしたから。2024/12/18 18:50:1013すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw「うねり」を感じた瞬間ただ、選挙そのものはやはり厳しい戦いでした。不信任決議案が全会一致で可決され、県民の皆さんに本当にご心配をおかけして、ゼロ以下からのスタートだった。だから、自分ができることを一つずつやろうと決めて、少しずつ応援の輪を広げることができました。大きなご支援をいただいた県民の皆さんには、本当に感謝を申し上げます。選挙後、一部に「組織的な動員があったのではないか」とのお声もありましたが、中心となって手伝ってくれたのは、昔からの友人や中高の同級生十数人だけでした。組織の支援が一切ない、手作りの選挙です。資金は「選挙ドットコム」のクラウドファンディングで募り、途中からはボランティアのスタッフもだんだんと増えていきました。いまご指摘をいただいているPR会社については、約70万円でポスターのデザインを依頼しただけで、法律上の問題はないと認識しています。ネット上で社長さんの文章が公開された時は、事前に全く知らなかったので、ちょっと戸惑いはありましたが……。「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首とは、個人的な交流は一切ありません。目の前のことで精一杯でしたし、直接話したのも、日本青年会議所主催の候補者討論会でご挨拶をした一度だけです。選挙戦中、街頭活動の場所と時間はSNSで事前告知していましたから、立花さんはそれを見ていたのでしょう。2024/12/18 18:50:213.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw「負け」は考えなかった「負けたらどうするのか」ということは、不思議なんですが、全く頭に浮かびませんでした。17日間、最後までやるということしか考えられなかった。勝ち負けよりも、とにかくやり切る、それだけを強く思っていました。県内各地を回るにつれ、初めて会う県民の方、特に若い方から「応援してます」と声をかけていただく機会が増えていきました。聞くと、ご家族にも応援を呼びかけている、SNSで発信しているという方が少なくない。能動的に支援してくださる方が県内外で増えていったことが支えになって、111万票という大きなうねりに繋がったと感じています。2024/12/18 18:50:444.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw日本中に衝撃をもたらした兵庫県知事選が終わり、まもなく1ヵ月が経つ。再選された齋藤元彦氏(47歳)には、選挙後もパワハラや公益通報対応、さらに公職選挙法違反疑惑をめぐって追及が続いている。そうした中、「週刊現代」では選挙後初めて、齋藤氏に独占インタビューを行った。日本政治史の転換点とも言われるこの選挙の渦中で、齋藤氏は何を見、そして何を考えていたのか。前編記事『【独占インタビュー】齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」』より続く。「県庁建て替え」「天下り」について今回、私は多くの民意をいただき、再び知事に就任させていただきました。大事なのは県政を前に進めることですし、票を投じてくださった県民の皆さんも、以前と同じ方向性で進めてほしいと考えていらっしゃるはずですから、できることをしっかりやっていくしかないと思っています。前の任期中には、県庁舎の建て替えの凍結や、65歳以上の県職員OBの再就職禁止といったことを打ち出しました。井戸敏三前知事の県政が20年も続いた後でしたし、私は井戸さんの後継ではありませんから、いろんな思いをお持ちの職員、OBの方がおられるとは思います。私自身、もっと努力して、しっかりご理解いただくようにしなければなりません。私は総務官僚として20年働いてきて、行政の進め方はそれなりに分かっていたつもりです。ただ、久々に知事が交代して、仕事のやり方もペーパーレス化やリモートの導入などでガラッと変えたので、県庁の職員だけでなく県議会の皆さんにも、違和感を抱く方が少なくなかったのでしょう。コロナ禍や、また私が忙しすぎたこともあって、飲みに行く機会をなかなか作れなかったことも反省しています。しかし県庁の建て替え中止については、やはり1000億円というのはお金がかかりすぎですし、再就職の件も、世間一般から見ると違和感がある。県民の大事な税金ですから、まずは県民のために使うべきであって、その使い道は聖域なく見直していくべきだという考えは変わっていません。2024/12/18 18:51:085.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw「政策を前に進める」以前は県政改革を進める事務方のチームとして、知事直轄の「新県政推進室」という組織を県庁内におきました。でも今後は、こうした組織を設けるつもりはありません。県政の立ち上げの時期には必要でしたが、いまは県庁内の事情もわかってきたので、特別なチームを置かなくとも問題なく仕事は進められると考えています。私や県庁幹部に対する告発文書については、一番初め、県庁外の知人から存在を伝えられました。「齋藤元彦個人がこういうことをやっている」という内容なら、私一人が弁護士と相談して対応すればいい話ですが、県政の機微に触れる情報が、多くの関係者の実名や企業名、町村名が出る形で書かれていたので、絶対に放置できないと思いました。しかも、大半はありもしない内容です。SNSで画像などが拡散すれば、県政に甚大な影響が出るとも考えました。その後の報道では、私の言動が意図とまったく違う形で報じられ、県民や国民の皆さんに伝わっているという懸念を強く抱いていました。百条委員会で取り上げられたパワハラに関する県職員アンケートや、「ワインをねだった」という話もそうでしたが、伝聞に基づく情報が多く、客観的な証拠が積み上がらない中で報道ばかりが先行したのは、つらかったですね。最終的には百条委員会や第三者委員会、県議会のご判断になると思いますし、私も引き続きしっかりと対応していきます。一方で県民の皆さんのあいだでは、文書問題へのご関心はそれほど大きくなくて、確か世論調査でも1割前後だった。公益通報の外部窓口を設置する、贈答品のルールを設ける、ハラスメント対策に取り組むといった改善を進めながら、それはそれとして次のプロセスに進む、つまり政策を前に進めることをご期待いただいているのだと考えています。議会側とも手を携えて、県政を一緒に前進させられる雰囲気作りに、私自身も努力したいと思っています。2024/12/18 18:51:236.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw県知事になるのが夢だった私は官僚になる前から、兵庫県知事になりたかったんです。大学時代に経営学を学んでいて、総務省に入るか経済産業省に入るかで迷ったのですが、その時に祖父から「お前の名前は金井元彦知事(在任1962~1970年)からつけたんだ」「これからは地方自治、自治体経営の時代だ」という話を聞いた。それで、総務省に入って、いつかは故郷で知事をやりたいという思いを抱くようになったわけです。ですから、どれだけ濁流に流されようとも、辞めたいとは思わないですね。知事の仕事は本当にやりがいがありますし、いま私がいるのは長年夢見ていた場所ですから、信念を持って頑張りたいと思います。2024/12/18 18:51:427.番組の途中ですが転載は禁止ですqWEaw【独占インタビュー】兵庫県知事・齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」https://gendai.media/articles/-/143160【独占インタビュー】齋藤元彦が再選後初めて語った「県政改革の内幕」「告発文書問題」そして「百条委員会」のことhttps://gendai.media/articles/-/1431612024/12/18 18:52:138.💃🕺51uUD山口夏男「全くの孤立無援で支持者は昨日採ったてんとう虫7匹しかいませんでした」2024/12/18 18:57:559.番組の途中ですが転載は禁止ですBk6Gfセンチュリーには乗らないとアルファードに乗る2024/12/18 21:06:0110.番組の途中ですが転載は禁止ですd2MZsもっと蟹食いてぇな2024/12/18 21:39:4611.番組の途中ですが転載は禁止ですmp8gU>>9自分が乗りたい車に買い換えただけ官僚様だからな2024/12/18 22:31:0912.番組の途中ですが転載は禁止ですDDbboもう裏がバレてんのになぁ2024/12/18 22:36:1913.番組の途中ですが転載は禁止ですXHjKM行動力のある狂人ってめちゃくちゃ迷惑2024/12/19 06:17:03
【大阪関西万博…間に合わない😭】開幕まで3カ月の大阪・関西万博さん、パビリオン「完成」はわずか3カ国という現実www😰誰が見に行くんやwwwニュー速(嫌儲)12289.12025/01/12 23:57:00
駐車場からの100メートル
メンタル的に一番きつかったのは、知事を失職した9月30日の朝、地元の須磨駅で駅立ちをした時でした。近くのコインパーキングに車を停めて、そこから100メートルほど歩いていく間、正直怖かった。
失職する前は、議会や会見で批判を受けることもありましたが、それは知事としての話。一般の県民の皆さんと直に接する機会は、本当にその日が最初だったので、どんな言葉をぶつけられるのだろうと不安でした。
でも、一歩を踏み出さないと何も進まない。第一声を発した瞬間、道ゆく人の空気が変わったのが分かり、後戻りはできないと覚悟を固めました。
〈日本中に衝撃をもたらした兵庫県知事選が終わり、1ヵ月が経つ。再選された齋藤元彦氏(47歳)には、選挙後もパワハラや公益通報対応、さらに公職選挙法違反疑惑をめぐって追及が続いている。
そうした中、「週刊現代」は選挙後初めて、齋藤氏に独占インタビューを行った。日本政治史の転換点とも言われるこの選挙の渦中で、齋藤氏は何を見、そして何を考えていたのか〉
同じ週末、三宮で辻立ちをした時もつらかった。当然、他の候補のような支援者は周りにいなくて、たった一人です。
「もう一度頑張りたい」と言うと、拍手してくださる方も、厳しく言う方もおられた。でも、この二歩目で何かをつかんだような気がします。地道に辻立ちをしていなければ、最終盤のような状況は生まれませんでしたから。
ただ、選挙そのものはやはり厳しい戦いでした。不信任決議案が全会一致で可決され、県民の皆さんに本当にご心配をおかけして、ゼロ以下からのスタートだった。だから、自分ができることを一つずつやろうと決めて、少しずつ応援の輪を広げることができました。大きなご支援をいただいた県民の皆さんには、本当に感謝を申し上げます。
選挙後、一部に「組織的な動員があったのではないか」とのお声もありましたが、中心となって手伝ってくれたのは、昔からの友人や中高の同級生十数人だけでした。組織の支援が一切ない、手作りの選挙です。資金は「選挙ドットコム」のクラウドファンディングで募り、途中からはボランティアのスタッフもだんだんと増えていきました。
いまご指摘をいただいているPR会社については、約70万円でポスターのデザインを依頼しただけで、法律上の問題はないと認識しています。ネット上で社長さんの文章が公開された時は、事前に全く知らなかったので、ちょっと戸惑いはありましたが……。
「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首とは、個人的な交流は一切ありません。目の前のことで精一杯でしたし、直接話したのも、日本青年会議所主催の候補者討論会でご挨拶をした一度だけです。選挙戦中、街頭活動の場所と時間はSNSで事前告知していましたから、立花さんはそれを見ていたのでしょう。
「負けたらどうするのか」ということは、不思議なんですが、全く頭に浮かびませんでした。17日間、最後までやるということしか考えられなかった。勝ち負けよりも、とにかくやり切る、それだけを強く思っていました。
県内各地を回るにつれ、初めて会う県民の方、特に若い方から「応援してます」と声をかけていただく機会が増えていきました。聞くと、ご家族にも応援を呼びかけている、SNSで発信しているという方が少なくない。能動的に支援してくださる方が県内外で増えていったことが支えになって、111万票という大きなうねりに繋がったと感じています。
そうした中、「週刊現代」では選挙後初めて、齋藤氏に独占インタビューを行った。日本政治史の転換点とも言われるこの選挙の渦中で、齋藤氏は何を見、そして何を考えていたのか。
前編記事『【独占インタビュー】齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」』より続く。
「県庁建て替え」「天下り」について
今回、私は多くの民意をいただき、再び知事に就任させていただきました。大事なのは県政を前に進めることですし、票を投じてくださった県民の皆さんも、以前と同じ方向性で進めてほしいと考えていらっしゃるはずですから、できることをしっかりやっていくしかないと思っています。
前の任期中には、県庁舎の建て替えの凍結や、65歳以上の県職員OBの再就職禁止といったことを打ち出しました。井戸敏三前知事の県政が20年も続いた後でしたし、私は井戸さんの後継ではありませんから、いろんな思いをお持ちの職員、OBの方がおられるとは思います。私自身、もっと努力して、しっかりご理解いただくようにしなければなりません。
私は総務官僚として20年働いてきて、行政の進め方はそれなりに分かっていたつもりです。ただ、久々に知事が交代して、仕事のやり方もペーパーレス化やリモートの導入などでガラッと変えたので、県庁の職員だけでなく県議会の皆さんにも、違和感を抱く方が少なくなかったのでしょう。コロナ禍や、また私が忙しすぎたこともあって、飲みに行く機会をなかなか作れなかったことも反省しています。
しかし県庁の建て替え中止については、やはり1000億円というのはお金がかかりすぎですし、再就職の件も、世間一般から見ると違和感がある。県民の大事な税金ですから、まずは県民のために使うべきであって、その使い道は聖域なく見直していくべきだという考えは変わっていません。
以前は県政改革を進める事務方のチームとして、知事直轄の「新県政推進室」という組織を県庁内におきました。でも今後は、こうした組織を設けるつもりはありません。県政の立ち上げの時期には必要でしたが、いまは県庁内の事情もわかってきたので、特別なチームを置かなくとも問題なく仕事は進められると考えています。
私や県庁幹部に対する告発文書については、一番初め、県庁外の知人から存在を伝えられました。「齋藤元彦個人がこういうことをやっている」という内容なら、私一人が弁護士と相談して対応すればいい話ですが、県政の機微に触れる情報が、多くの関係者の実名や企業名、町村名が出る形で書かれていたので、絶対に放置できないと思いました。しかも、大半はありもしない内容です。SNSで画像などが拡散すれば、県政に甚大な影響が出るとも考えました。
その後の報道では、私の言動が意図とまったく違う形で報じられ、県民や国民の皆さんに伝わっているという懸念を強く抱いていました。百条委員会で取り上げられたパワハラに関する県職員アンケートや、「ワインをねだった」という話もそうでしたが、伝聞に基づく情報が多く、客観的な証拠が積み上がらない中で報道ばかりが先行したのは、つらかったですね。
最終的には百条委員会や第三者委員会、県議会のご判断になると思いますし、私も引き続きしっかりと対応していきます。一方で県民の皆さんのあいだでは、文書問題へのご関心はそれほど大きくなくて、確か世論調査でも1割前後だった。公益通報の外部窓口を設置する、贈答品のルールを設ける、ハラスメント対策に取り組むといった改善を進めながら、それはそれとして次のプロセスに進む、つまり政策を前に進めることをご期待いただいているのだと考えています。議会側とも手を携えて、県政を一緒に前進させられる雰囲気作りに、私自身も努力したいと思っています。
私は官僚になる前から、兵庫県知事になりたかったんです。大学時代に経営学を学んでいて、総務省に入るか経済産業省に入るかで迷ったのですが、その時に祖父から「お前の名前は金井元彦知事(在任1962~1970年)からつけたんだ」「これからは地方自治、自治体経営の時代だ」という話を聞いた。それで、総務省に入って、いつかは故郷で知事をやりたいという思いを抱くようになったわけです。
ですから、どれだけ濁流に流されようとも、辞めたいとは思わないですね。知事の仕事は本当にやりがいがありますし、いま私がいるのは長年夢見ていた場所ですから、信念を持って頑張りたいと思います。
https://gendai.media/articles/-/143160
【独占インタビュー】齋藤元彦が再選後初めて語った「県政改革の内幕」「告発文書問題」そして「百条委員会」のこと
https://gendai.media/articles/-/143161
自分が乗りたい車に買い換えただけ
官僚様だからな