仏教エピソード「キンスカの木と悟りと城と」アーカイブ最終更新 2023/10/10 07:291.番組の途中ですが転載は禁止ですPMYQ6多くの弟子と共にお釈迦さんが祇園精舎ぎおんしょうじゃにいた時のことです。他の宗教家のお弟子さんが祇園精舎にやってきました。彼はその場にいたお釈迦さんの弟子の一人にこのような質問を投げかけました。「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」「自らの身体や心、五感や知覚などを観察します。湧き上がる、流れ去っていく、味わう、気になる、離れていく。そんなあり様ようを正まさに知るのです。是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」この言葉を聞いた彼は、いまひとつピンと来ませんでした。そしてまた、別のお釈迦さんの弟子の所にいって、再び同じ質問をしました。「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」「私達人間は、五感や知覚を通して、この世界の様々なことを感じます。生じ、滅し、感じ、執し、離れていく。そんなあり様を正に知るのです。是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」この言葉を聞いても彼はまた、いまひとつピンと来ませんでした。そして更に、別のお釈迦さんの弟子の所にいって、再び同じ質問をしました。「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」「自らの身体と心において、変化しているあり様を観察します。苦しみと向き合い、自己と向き合い、そのあり様を正に知るのです。是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」この言葉を聞いても彼はまた、いまひとつピンと来ませんでした。そこで彼は、直接、お釈迦さんの所にいって、同じ質問をすることにしました。「私は一人静かに考えていました。『如何いかに知ることで、悟りを得るのだろうか?如何いかに見ることで、悟りを得るのだろうか?』と。お釈迦さん。このことについて、既に三人程、あなたの弟子に聞いてまわりました。2023/10/09 21:47:2810すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですPMYQ6そのどれを聞いても私には、いまひとつピンとこないし、三人共言っていることがバラバラでした。そこで私は、あなたに直接お聞きしようと思い、こうしてやって参りました。お釈迦さん。あなたは如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」そこでお釈迦さんは、こんなたとえ話を語りはじめました。「昔、ひとりの男がいました。彼は今までの人生において、一度も、キンスカの木を見たことがありませんでした。そこで彼はキンスカの木を見たことがあるという者の所にいき、キンスカの木について尋ねることにしました。『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。『その色は黒く、まるで火で柱をが焼き焦げたようだった』こう聞いた彼ですが、いまひとつピンとこなかったそうです。彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。『その色は赤く、まるで(ぼたん鍋のように)切られたお肉が段々に重ね敷き詰められているようなだった』こう聞いた彼ですが、この答えにもいまひとつピンとこなかったそうです。彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。『もさもさっとした毛みたいなものが垂れ下がっているね。尸利沙果ビルマネムという名前の木と同じようなかんじだね』こう聞いた彼ですが、この答えにもいまひとつピンとこなかったそうです。彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。『知っているよ』との答えに、彼は更に尋ねました。『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。『その葉は青く、また滑らかで大きな葉です。まるで尼拘婁陀樹ニグローダのような樹ですよ……』2023/10/09 21:49:083.番組の途中ですが転載は禁止ですPMYQ6さて、彼のように、キンスカの木について尋ねまわり、その答えに満足がいかず、次から次へと場所を変え、その答えを求めたとしても、キンスカの木を見た人達は、各々が見た時期や場所で、各々が注目にした所を語ります。その為、答えは同じではないわけです。あなたが私の弟子達に尋ねまわったことは、こういうことなのです」お釈迦さんは、更にもう一つ、たとえ話を彼に語り始めました。「もうひとつ、こんなたとえ話をしましょう。とある辺境にある小さな国の話です。その国には、国全体をぐるっと囲む城壁がありました。城壁の東西南北には堅固な門があり、国の中心にある城からそれら四方の門の先へと、それぞれ道が通じていました。道は平らかによく整備され、門や城壁には優秀な兵が配備され、しっかりと治められていました。中でも、東西南北の四つの門には、それぞれに聡明な人物を長おさとし、守護者としての任にあたっていました。この国を往来するものは、四方の道、いずれかを通り、東西南北のいずれかの門をくぐることになります。もし、東方より他国の使者が訪れたとしたら、彼の使者は、まず、門にて、守護者である長おさと話すことになるでしょう。そこで、彼の使者が尋ねました。『城主はどこにおられるのですか?』と。それを聞き、門の長おさはこう答えました。『主あるじは、この道の先、四つの道が交わる、その頂きにおられる』と。彼の東方からの使者は、それを聞き、城主のもとへと詣まいりました。そして、彼は城主より教令ことばを受け、それを本国へと伝えるべく、来た道を還かえっていきました。もし南方より、もし西方より、もし北方より、それぞれ他国の使者が訪れたとしたら、彼の使者たちも、また、それぞれの門にて、それぞれの門の守護者である長と話すことになるでしょう。『城主はどこにおられるのですか?』と尋ねれば、『主あるじは、この道の先、四つの道が交わる、その頂きにおられる』と、答えられるでしょう。そして、彼の使者達は、城主のもとへと詣まいり、教令ことばを受け、また、各々の本国へと還かえるでしょう」こうして、たとえ話を語り終えたお釈迦さんは、他の宗教家のお弟子さんである彼に対して、最後にこう言いました。「今、私がしたこの喩え話、その道理とは何なのでしょう……。ここでいう国とは、人を指します。ここでいう城壁がしっかり治められているということは、仏道の行をしっかりと修めていることのたとえです。道が平らかによく整備されている。これはあなたが私の弟子から聞いた『自らの身体や心、五感や知覚などを観察し、そのあり様ようを正まさに知る』ことのたとえにもなるでしょう。門、門の長、城主、使者や門の長がそのまま答えたことも、使者が道を還っていくことも、それぞれ、これはたとえになっています。私が弟子の為になすべきことは、もうすでにやりました。以前、他のたとえ話をした時にも弟子達にも言った事ですが、ここからは、あなたがなすべきことをなしてください」他の宗教家の弟子であった彼ですが、お釈迦さんからこのように聞いて以降、一生懸命、思惟しよく考えました。そして、ついには、彼の納得がいく所へとたどり着いたそうです。https://kosonji.com/buddhismepisode/bep44.html2023/10/09 21:49:304.番組の途中ですが転載は禁止ですPMYQ6今回は悟りを尋ねる男の話しにしてみました私は悟りを目指しているわけでは無いですがこの話を読んで悟りが言葉で表すには難しい感覚的なものなんだろうなという気がしました悟りを得たいならやはりしっかり釈迦の言葉だったり仏教を学んだり行動で心を少しづつ作っていきそこで得られる感覚的なものなんだろうなと思いました私はしっかり勉強した僧侶じゃなくただの仏教が好き程度の人間ですが良ければ楽しんで行ってください2023/10/09 21:57:215.番組の途中ですが転載は禁止ですPMYQ6齧った仏教でも日頃から学んだ事行えば少しなんだか生きやすくなると感じます悟りを得るには私には知識不足ですが良い生き方をと仏教的生き方を取り入れて見るのもいいんじゃないかと思ってます楽しいことは真に楽しみ憎しみを広げず妬みを引きずらず知らない事を知らないと知り興味があることを学び苦しみ減らし穏やかに私は生きてみようと思います2023/10/09 22:04:236.番組の途中ですが転載は禁止ですaeIvc延々と例え話してはぐらかしてるじゃんw悟りについて完結に説明しろよ2023/10/09 23:00:177.番組の途中ですが転載は禁止ですd1oHoこのtalkケンモ法話シリーズの序盤に持ってくるには早すぎた話だなぁ2023/10/10 00:56:548.番組の途中ですが転載は禁止ですfR5Eb>>7そうだね反省してます悟りのことでリクエストがあったので気にしてはいたのですが私のエピソードの選出ミスでした2023/10/10 01:00:399.番組の途中ですが転載は禁止ですd1oHo>>8また明日待ってる2023/10/10 01:15:3310.番組の途中ですが転載は禁止ですUSUQR面白いわ結構科学的なんだね2023/10/10 07:29:33
他の宗教家のお弟子さんが祇園精舎にやってきました。彼はその場にいたお釈迦さんの弟子の一人にこのような質問を投げかけました。
「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」
「自らの身体や心、五感や知覚などを観察します。湧き上がる、流れ去っていく、味わう、気になる、離れていく。そんなあり様ようを正まさに知るのです。
是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」
この言葉を聞いた彼は、いまひとつピンと来ませんでした。
そしてまた、別のお釈迦さんの弟子の所にいって、再び同じ質問をしました。
「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」
「私達人間は、五感や知覚を通して、この世界の様々なことを感じます。生じ、滅し、感じ、執し、離れていく。そんなあり様を正に知るのです。
是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」
この言葉を聞いても彼はまた、いまひとつピンと来ませんでした。
そして更に、別のお釈迦さんの弟子の所にいって、再び同じ質問をしました。
「お釈迦さんの弟子であるあなたは、如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」
「自らの身体と心において、変化しているあり様を観察します。苦しみと向き合い、自己と向き合い、そのあり様を正に知るのです。
是比丘わたしは、このように知り、このように見るわけです」
この言葉を聞いても彼はまた、いまひとつピンと来ませんでした。
そこで彼は、直接、お釈迦さんの所にいって、同じ質問をすることにしました。
「私は一人静かに考えていました。『如何いかに知ることで、悟りを得るのだろうか?如何いかに見ることで、悟りを得るのだろうか?』と。
お釈迦さん。このことについて、既に三人程、あなたの弟子に聞いてまわりました。
そこで私は、あなたに直接お聞きしようと思い、こうしてやって参りました。
お釈迦さん。あなたは如何いかに知ることで、悟りを得るのですか? 如何いかに見ることで、悟りを得るのですか?」
そこでお釈迦さんは、こんなたとえ話を語りはじめました。
「昔、ひとりの男がいました。
彼は今までの人生において、一度も、キンスカの木を見たことがありませんでした。そこで彼はキンスカの木を見たことがあるという者の所にいき、キンスカの木について尋ねることにしました。
『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。
『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。
『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。
『その色は黒く、まるで火で柱をが焼き焦げたようだった』
こう聞いた彼ですが、いまひとつピンとこなかったそうです。
彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。
『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。
『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。
『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。
『その色は赤く、まるで(ぼたん鍋のように)切られたお肉が段々に重ね敷き詰められているようなだった』
こう聞いた彼ですが、この答えにもいまひとつピンとこなかったそうです。
彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。
『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。
『知っているよ』との答えに、彼は加えて、こう尋ねました。
『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。
『もさもさっとした毛みたいなものが垂れ下がっているね。尸利沙果ビルマネムという名前の木と同じようなかんじだね』
こう聞いた彼ですが、この答えにもいまひとつピンとこなかったそうです。
彼はまた別の人物の所へいき、同じくキンスカの木について尋ねました。
『あなたはキンスカの木を知っていますか?』と。
『知っているよ』との答えに、彼は更に尋ねました。
『キンスカの木とは、どのような木なのでしょうか?』と。
『その葉は青く、また滑らかで大きな葉です。まるで尼拘婁陀樹ニグローダのような樹ですよ……』
あなたが私の弟子達に尋ねまわったことは、こういうことなのです」
お釈迦さんは、更にもう一つ、たとえ話を彼に語り始めました。
「もうひとつ、こんなたとえ話をしましょう。とある辺境にある小さな国の話です。
その国には、国全体をぐるっと囲む城壁がありました。城壁の東西南北には堅固な門があり、国の中心にある城からそれら四方の門の先へと、それぞれ道が通じていました。
道は平らかによく整備され、門や城壁には優秀な兵が配備され、しっかりと治められていました。
中でも、東西南北の四つの門には、それぞれに聡明な人物を長おさとし、守護者としての任にあたっていました。
この国を往来するものは、四方の道、いずれかを通り、東西南北のいずれかの門をくぐることになります。
もし、東方より他国の使者が訪れたとしたら、彼の使者は、まず、門にて、守護者である長おさと話すことになるでしょう。
そこで、彼の使者が尋ねました。『城主はどこにおられるのですか?』と。
それを聞き、門の長おさはこう答えました。『主あるじは、この道の先、四つの道が交わる、その頂きにおられる』と。
彼の東方からの使者は、それを聞き、城主のもとへと詣まいりました。そして、彼は城主より教令ことばを受け、それを本国へと伝えるべく、来た道を還かえっていきました。
もし南方より、もし西方より、もし北方より、それぞれ他国の使者が訪れたとしたら、彼の使者たちも、また、それぞれの門にて、それぞれの門の守護者である長と話すことになるでしょう。
『城主はどこにおられるのですか?』と尋ねれば、『主あるじは、この道の先、四つの道が交わる、その頂きにおられる』と、答えられるでしょう。
そして、彼の使者達は、城主のもとへと詣まいり、教令ことばを受け、また、各々の本国へと還かえるでしょう」
こうして、たとえ話を語り終えたお釈迦さんは、他の宗教家のお弟子さんである彼に対して、最後にこう言いました。
「今、私がしたこの喩え話、その道理とは何なのでしょう……。
ここでいう国とは、人を指します。
ここでいう城壁がしっかり治められているということは、仏道の行をしっかりと修めていることのたとえです。
道が平らかによく整備されている。これはあなたが私の弟子から聞いた『自らの身体や心、五感や知覚などを観察し、そのあり様ようを正まさに知る』ことのたとえにもなるでしょう。
門、門の長、城主、使者や門の長がそのまま答えたことも、使者が道を還っていくことも、それぞれ、これはたとえになっています。
私が弟子の為になすべきことは、もうすでにやりました。以前、他のたとえ話をした時にも弟子達にも言った事ですが、ここからは、あなたがなすべきことをなしてください」
他の宗教家の弟子であった彼ですが、お釈迦さんからこのように聞いて以降、一生懸命、思惟しよく考えました。そして、ついには、彼の納得がいく所へとたどり着いたそうです。
https://kosonji.com/buddhismepisode/bep44.html
私は悟りを目指しているわけでは無いですがこの話を読んで悟りが言葉で表すには難しい感覚的なものなんだろうなという気がしました
悟りを得たいならやはりしっかり釈迦の言葉だったり仏教を学んだり行動で心を少しづつ作っていきそこで得られる感覚的なものなんだろうなと思いました
私はしっかり勉強した僧侶じゃなくただの仏教が好き程度の人間ですが良ければ楽しんで行ってください
悟りを得るには私には知識不足ですが良い生き方をと仏教的生き方を取り入れて見るのもいいんじゃないかと思ってます
楽しいことは真に楽しみ
憎しみを広げず
妬みを引きずらず
知らない事を知らないと知り興味があることを学び
苦しみ減らし穏やかに私は生きてみようと思います
そうだね反省してます
悟りのことでリクエストがあったので気にしてはいたのですが
私のエピソードの選出ミスでした
また明日待ってる
結構科学的なんだね