関東大震災下で起きた朝鮮人虐殺事件の慰霊祭、100年経ってようやく開かれる 参加人数たったの3人 まあ隠蔽大好きジャップにしてはめずらしい人たちだよなslipアーカイブ最終更新 2023/08/07 18:021.名無しさん50-TCq-Yj-5dPpbgXC1923年9月の関東大震災下で起きた朝鮮人虐殺では、埼玉県内でも約200人が犠牲になったとされる。悲劇の地の一つ、寄居町では地元住民の手によって、犠牲者の追悼の集いが開かれる。初めてのこととみられる。「不都合な事実」ゆえに町内で大きな盛り上がりになっているわけではない。だが慰霊祭を計画している木島修さん(70)は「町にとってつらい歴史に向き合い、次の世代に伝えていきたい」と話す。https://news.yahoo.co.jp/articles/14a940dd972662f240a89f1aa793f9d193419b78寄居駅から歩いて5分ほどの浄土宗の寺院、正樹院。28歳で惨殺された具学永(クハギョ)が眠る。具は町内に定住し、朝鮮飴売りを生業としていた。9月1日の震災の直後から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などといった流言飛語が広がった。そこに翌2日夜に県が発出した「自警団を組織して地域を守れ」という移牒(いちょう)(通達)が追い打ちをかけ、「(県内)各地で自警団による『朝鮮人狩り』が行われた」(「寄居町史」1986年)という。具は正樹院の北隣にあった寄居署に保護されていたが、押し寄せる自警団ら群衆の手で惨殺された。5日深夜から6日にかけてのこととされる。「墓石には9月6日亡」と刻まれている。同町で生まれ育った木島さんがこの事実を初めて知ったのは3年前。定年を迎えたのを機に郷土史の執筆を思い立ち、調べていくなかで具の虐殺事件に行き当たった。「知れば知るほど愕然(がくぜん)となりました。両親はもちろん、明治生まれで知識欲が旺盛だった祖父も、身近でこんな事件があったことを教えてくれなかった。同時に知った以上、放っておけないと思いました」土地の古老や、郷土史に詳しい人を回り調査し、具が利用していたとされる宿屋の場所も突き止めた。また、死の間際に具が自分の血で「日本人、罪無きを罰す」と書いたと証言した人物が戦後、町選管委員長を務めるなど名望家であったことも分かった。木島さんは、事件からほどなく建立された墓の老朽化を危惧する。3代の住職の手で守られてきたが、「墓の補修は喫緊の課題。事件の記憶を後世に残すためにも概要を記した供養塔が必要なんです」と言う。墓の補修と供養塔設置を目的に今春、「むくげの会」を発足させた。名は具の故国韓国の国花であり、花言葉の「粘り強さ」にちなむ。会員は3人。町内在住者は木島さん一人だ。「親しかった同級生5人に声をかけましたが、入ってもらえませんでした」一拍置いて続ける。「事件では13人が逮捕されました。子孫もいます。一皮むけば、『負の歴史』『不都合な事実』として、寄居ではまだ生々しいのです」命日の9月6日には午後1時半から同寺の協力で具の没後100年の慰霊祭を行う。終了後には、朝鮮人虐殺事件について調査している三木伸一さん(61)を招いた学習会が開かれる。具の墓には建立者として「宮澤菊次郎外有志之者」の名がある。宮澤はマッサージ師とされるが、詳しいことは分かっていない。「差別が激しかった時代、宮澤は具のために墓を建てました。見過ごせなかったのでしょう。イデオロギーなんかでなく、ただ宮澤の気概を引き継ぎたいと思っているんです」と口元を引き締めた。2023/08/06 16:29:492すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止です50-nBH-Bb-mJIfPL3G弱夫さぁ2023/08/07 18:02:13
悲劇の地の一つ、寄居町では地元住民の手によって、犠牲者の追悼の集いが開かれる。
初めてのこととみられる。
「不都合な事実」ゆえに町内で大きな盛り上がりになっているわけではない。
だが慰霊祭を計画している木島修さん(70)は「町にとってつらい歴史に向き合い、次の世代に伝えていきたい」と話す。
https://news.yahoo.co.jp/articles/14a940dd972662f240a89f1aa793f9d193419b78
寄居駅から歩いて5分ほどの浄土宗の寺院、正樹院。28歳で惨殺された具学永(クハギョ)が眠る。
具は町内に定住し、朝鮮飴売りを生業としていた。
9月1日の震災の直後から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などといった流言飛語が広がった。
そこに翌2日夜に県が発出した「自警団を組織して地域を守れ」という移牒(いちょう)(通達)が追い打ちをかけ、「(県内)各地で自警団による『朝鮮人狩り』が行われた」(「寄居町史」1986年)という。
具は正樹院の北隣にあった寄居署に保護されていたが、押し寄せる自警団ら群衆の手で惨殺された。
5日深夜から6日にかけてのこととされる。「墓石には9月6日亡」と刻まれている。
同町で生まれ育った木島さんがこの事実を初めて知ったのは3年前。
定年を迎えたのを機に郷土史の執筆を思い立ち、調べていくなかで具の虐殺事件に行き当たった。
「知れば知るほど愕然(がくぜん)となりました。両親はもちろん、明治生まれで知識欲が旺盛だった祖父も、身近でこんな事件があったことを教えてくれなかった。同時に知った以上、放っておけないと思いました」
土地の古老や、郷土史に詳しい人を回り調査し、具が利用していたとされる宿屋の場所も突き止めた。
また、死の間際に具が自分の血で「日本人、罪無きを罰す」と書いたと証言した人物が戦後、町選管委員長を務めるなど名望家であったことも分かった。
木島さんは、事件からほどなく建立された墓の老朽化を危惧する。
3代の住職の手で守られてきたが、「墓の補修は喫緊の課題。事件の記憶を後世に残すためにも概要を記した供養塔が必要なんです」と言う。
墓の補修と供養塔設置を目的に今春、「むくげの会」を発足させた。
名は具の故国韓国の国花であり、花言葉の「粘り強さ」にちなむ。
会員は3人。
町内在住者は木島さん一人だ。
「親しかった同級生5人に声をかけましたが、入ってもらえませんでした」
一拍置いて続ける。
「事件では13人が逮捕されました。子孫もいます。一皮むけば、『負の歴史』『不都合な事実』として、寄居ではまだ生々しいのです」
命日の9月6日には午後1時半から同寺の協力で具の没後100年の慰霊祭を行う。
終了後には、朝鮮人虐殺事件について調査している三木伸一さん(61)を招いた学習会が開かれる。
具の墓には建立者として「宮澤菊次郎外有志之者」の名がある。
宮澤はマッサージ師とされるが、詳しいことは分かっていない。
「差別が激しかった時代、宮澤は具のために墓を建てました。見過ごせなかったのでしょう。イデオロギーなんかでなく、ただ宮澤の気概を引き継ぎたいと思っているんです」と口元を引き締めた。