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仏教などの修行者は悟りに至れるか?アーカイブ

1.
ユーザー
1kujG
簡単に言えば修行が社会的評価のためになっていないかということだ!
修行が悟りという本来の目的から外れ
宗教団体における地位向上、社会的評価のためになっているのでは?ということだ
まあそんなこと言ったらどの修行も潰れるだろうが

社会的評価を求めるのは悟りとは真逆だ
悟りは執着や苦しみからの解放だからな
修行でこうなる連中は凡人で社会的評価を求める心の動きを止められないのでその代替えとして宗教団体における地位を求めてしまう

仏教は全奪取の体系的理論でもある
これはいずれ説明しよう
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2.
ユーザー
1kujG
輪廻転生があるかは不明だが
人間の思考や感情の発現形式は保持される可能性が高い
それを輪廻転生と呼ぶかは不明
つまり、例えばなになにに対してなになにを思うは保持される
なぜか
肉体や記憶、物質的なものは消滅する
だが、もし感情や思考が脳の作用だったとしても
その感情や思考が発現する形式それ自体は物質ではないので消滅しない
これを輪廻転生と呼ぶかは不明
3.
ユーザー
1kujG
例えば俺が何かを考える形式は保持される
この論理なら
体が滅び記憶が消えても
私の思考の発言形式は保持されるため
輪廻転生に近い何かを証明できる
4.
ユーザー
1kujG
その思考や感情の
発現形式それ自体は
観念的なものなので消滅させる方法がない
この世界では
りんごっていう観念的なもの
重力も観念的なもの
発現形式もそれに近い観念的なもの
だから俺はそれを消滅させる方法を思いつかない
5.
ユーザー
DiK57
農業とかお客様相談センターのカスハラ対応とかやってる人のがよっぽど修行だよ
6.
ユーザー
1kujG
>>5
それは俺も思ったことがあるし
君と似たようなことを言ってる人もいる
グルシェフなんだけど
修行の最も効率的なやり方は
世俗の生活のなかから逃げないことらしい
だから君のいうとおり
世俗の中でグルジェフは極端にいうと自己犠牲的にやれって言ってる
7.
ユーザー
1kujG
まあ基本的に輪廻転生がないという人の言い分は感情も思考や記憶も脳の作用だから
ならば
怒りや感情の発現する形式自体は
要は脳の作用も含めて
それが発現する形式自体はどう消えるのかなって話
脳とかの肉体は分解されて土に変える
じゃあ、俺とかお前らの感情の発現する形式みたいのはどう消えるかなって話
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