気色の悪い独り言 ★3最終更新 2025/10/08 03:4313.名無しさん@京都板じゃないよotH1S日本書紀の天地開闢が中国の古典神話を模倣しているのは有名な事実です日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です古事記や日本書紀は中国神話の天地創造の話を擬人化して、人格神にしてしまったのですつまり天地創造の神々の名前や、働きや、起源などは、ほぼ嘘でできています2024/08/21 18:38:0521コメント欄へ移動すべて|最新の50件14.名無しさん@京都板じゃないよotH1S古事記、日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物天智天皇の弟というのも嘘と思われる天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握ったそういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです2024/08/21 18:38:2915.名無しさん@京都板じゃないよotH1S古事記、日本書紀の編纂のときに、日本の建国の時をどうやら釈迦や孔子の時代よりさかのぼらせて権威付けるために、崇神天皇の360年ごろに変って、紀元前660年の神武天皇の東征というものを設定して、二王朝並立をないことにしたようですそのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです日本書紀は、このむりな捏造から生じた矛盾をそのまま後世に伝えたということです2024/08/21 18:38:4716.名無しさん@京都板じゃないよotH1S伊勢神宮の創建について『古事記』によると、崇神天皇の時代。疫病が蔓延した際、天皇が神に祈ったところ、お告げがあり天照大御神を祀るために最終的に伊勢の地に鎮座することになりました。『日本書紀』では、垂仁天皇の時代。倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神を祀る最適な場所を探し、伊勢にたどり着きました。天照大御神自身が宇治の五十鈴川上を気に入り、ここに鎮座するようにとのお告げをしたとされています。同じ伊勢神宮の話なのに、まったく内容が違いますしかも実際には、伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもありますそれらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます神話と一致しませんこの一例のように古事記や日本書紀の記述には嘘や矛盾が多く見られます2024/08/21 18:39:3317.名無しさん@京都板じゃないよotH1S記紀に出てくる神様のスサノオが討伐したという八岐大蛇や、あるいは土蜘蛛(つちぐも)、熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのですしかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです2024/08/21 18:40:24
【中革連】ネット上で党のロゴをパロディで改変した投稿者は、党の“名誉”を傷つけたという理由で法的措置を検討すると警告 リポストも同罪と弁護士ニュース速報+1581811.92026/01/21 00:59:44
立憲民主党の衆院議員148人のうち、ほぼ全員の144人が「中道改革連合」参加へ 公明党の衆院議員24人と合わせ、170人に迫る規模にニュース速報+5251244.42026/01/21 01:01:25
日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます
中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です
古事記や日本書紀は中国神話の天地創造の話を擬人化して、人格神にしてしまったのです
つまり天地創造の神々の名前や、働きや、起源などは、ほぼ嘘でできています
天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱
天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物
天智天皇の弟というのも嘘と思われる
天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握った
そういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること
自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい
古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです
そのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです
日本書紀は、このむりな捏造から生じた矛盾をそのまま後世に伝えたということです
『古事記』によると、崇神天皇の時代。疫病が蔓延した際、天皇が神に祈ったところ、お告げがあり天照大御神を祀るために最終的に伊勢の地に鎮座することになりました。
『日本書紀』では、垂仁天皇の時代。倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神を祀る最適な場所を探し、伊勢にたどり着きました。天照大御神自身が宇治の五十鈴川上を気に入り、ここに鎮座するようにとのお告げをしたとされています。
同じ伊勢神宮の話なのに、まったく内容が違います
しかも実際には、伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもあります
それらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます
神話と一致しません
この一例のように古事記や日本書紀の記述には嘘や矛盾が多く見られます
土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です
地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのです
しかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです
今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています
奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです