●上岡龍太郎●

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「芸は一流人気は二流ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」
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父親は高知県幡多郡下川口村(現在の土佐清水市)大津の出身で、京都帝国大学法学部卒業の弁護士、小林為太郎(旧姓・上岡)。

母親は宮崎県の出身で、42歳で上岡を出産、上岡が小学4年生の時に乳癌のために早世した。

資産家で高学歴の出だった母は家事雑事を使用人に任せ、育児を子供の勉学に充てていた。

母はあまり良い顔をしなかったが、龍太郎は香具師や芝居、歌舞伎や映画に熱中。

この頃の将来の夢は芝居役者だった。
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1959年、当時東京に進出していた浜村淳に弟子入りを懇願したが断られ、浜村の紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入。

1960年に横山ノックの誘いにより、「横山パンチ」の芸名で横山フック(初代。後に現在の青芝フックが2代目として加入)と共に漫画トリオを結成する。

1968年、横山ノックの参議院議員選挙出馬により漫画トリオも活動を停止。

以後、作家の香川登枝緒によって命名された「伊井パンチ」を一時名乗ったが、婿養子だった父の旧姓を取って「上岡龍太郎」を名乗るようになった。
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1970年代には近畿放送、朝日放送、ラジオ大阪といった近畿圏の放送局でレギュラーを獲得し、中部日本放送でもレギュラー番組を持つなど近畿圏と中京圏を拠点に活動する。

かつての相方のノックの誘いにより『ノックは無用!』『ラブアタック!』『花の新婚!カンピューター作戦』などで司会者を務め、関西を代表するタレントとなった。

上岡は長年、番組中や楽屋裏では「俺は絶対に東京に行かへん!」と語っていたが、

1984年10月2日(火曜日)に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演し、1987年には『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)が放送開始された。

『パペポTV』は翌年10月からキー局の日本テレビでも放送開始され、これが上岡の東京進出への決定打となる。

1988年、代表番組となる『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)が放送を開始した。
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1980年代以降引退まで、上岡は舞台での役作りのため眼鏡を外すとき以外は原則、出演番組では眼鏡を着用しトレードマークになっていた。

上岡も長らくにわたってすべての出演番組で縁が透明の太い枠にレンズが広い眼鏡を愛用して着用していたが、

1999年年明けの「LIVE PAPEPO 鶴+龍 正月スペシャル」から縁の細い枠にレンズが狭い眼鏡に変更していた。
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2023年5月19日、肺癌と間質性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。

81歳だった。

上岡の訃報は、6月2日に報じられた
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やしきたかじんとともに大阪を代表するタレントであったが、彼同様に全国ネットへの出演は少なかった。

1990年代以前にもラジオや、テレビ番組『ミセス&ミセス』のほか、『ラブアタック!』などの全国ネット番組に出演していたが、

上岡は「東京嫌い。東京では仕事をしません」「全国ネットでやってる笑いは程度が低い。僕がアホに合わせる必要はない」と公言していた。

1984年10月2日に、横山ノックからの紹介で『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』に出演したが、「東京は民度、文化レベルが低い」「東京は田舎者の集まり」と発言し、

お友達紹介の際は自宅の妻に電話を掛けるなどの行動を取った。

大阪で人気の深夜番組となった『鶴瓶上岡パペポTV』が、1988年10月10日から東京でも放送され、「鶴瓶の横にいる、あの芸人は誰だ?」と関心を集め、

『上岡龍太郎のもうダマされないぞ!』で東京進出を果たした。

東京でのギャラについて「びっくりしました。東京と大阪じゃギャランティーの明細の額がゼロ3つ違うんですわ」と、当時吉本興業取締役だった林裕章(のちに社長・会長)に言い、

林も東京吉本を主戦として考えるきっかけになったとされる。

ギャグとして「(全国ネットの視聴者も)やっと僕の笑いが分かるようになった」とも言うようになる。
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東京進出初期には「東京は田舎もんの集まりやろう。生粋の東京人でない人が、東京人ぶってるのが腹が立つ」と頻繁に言っていたが、

のちになって『EXテレビ』で「あの発言で笑ってもらえると思っていたら、笑ってもらえなかった。それから言うのを止めた」と語っている。

その後は、東京嫌いのことを突っ込まれると「ひがんでたんやろうな」と言うようになった。


東京以外でも「某県は盗人が多い」「某県はほら吹きが多い」「(京都市の区のうち)某区(または宇治)は京都と認めない」「大阪のひったくりは奈良と和歌山から来た奴ら」など、

一定の地域をステレオタイプ的に揶揄したりすることがあり、真に受けた奈良県・和歌山県の県民と県庁に抗議されたこともある。

「宇治は京都と認めない」に類する発言としては、『ルックルックこんにちは』でリポーターとして出演していた際、

京都の宇治出身の番組プロデューサーが同郷であることを雑談の話題にしたが、

京都市左京区出身の上岡が「宇治は京都と違う」という趣旨の返答をしたため、それから番組に呼ばれることなく短期間での降板となったことがあった。

ただし、あくまでも上岡は個人的に宇治市が嫌いなだけであり、宇治市と同じく京都市に隣接している京都府内の残りの市町村である、

南丹地区の亀岡市や南丹市、乙訓地区の長岡京市や向日市、宇治市と同じく南山城地区の久世郡久御山町や八幡市などの他の市町村については嫌いではないという

(むしろ上岡は長岡京市のスポットである長岡天満宮や八幡市に位置する名所である松花堂や石清水八幡宮については評価をしている)。
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かつては、テレビで堂々と「僕はゴルフはやりません」と公言していたが、のちにゴルフを好むこととなった。

また、「マラソンなんかしません」と言いながらマウイマラソンに参加(1995年の25回大会から冠スポンサーに。上岡の功績は大会HPで讃えられている(2006年10月時点))、

1995年に豪州のゴールドコーストマラソンにも挑戦しており、この時には一般ランナーの壁とされる4時間以内のタイムを、3時間48分25秒で走破した。

マラソン熱が高じてサロマ湖100キロウルトラマラソンのようなウルトラマラソンにも挑戦し完走している。

『オールスター感謝祭』の「赤坂5丁目ミニマラソン」ではランナーの常連、ハンデキャッパー(同番組でハンデが科せられる上級走者のこと)であった。

もともとマラソンを始めたきっかけは、1990年頃に仕事のために大阪市内の自宅から読売テレビまで徒歩で行こうとして、

途中大阪城公園を通った際に何気なく走ってみたところ、ほんの数メートルで息切れしてしまい、

体力の衰えを痛感したのが一因[要説明]、その後、色々工夫しながら徐々に距離を延ばして走り続けた結果、マラソンが好きになった。
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幽霊などの存在に懐疑的であることで知られる。

芸には厳しく、短気で妥協を一切許さない一面があり、番組出演中に納得がいかないことがあれば番組を途中で降りたり、役割を忘れることがあった。

特に心霊モノや霊媒師・超能力・オカルト現象などを肯定的に採り上げると、この傾向は顕著に出た。

背景には上岡の実体験が大きく影響している。

実母(上岡自身が小学6年生の時に死去)が祈祷や占い、八卦を信じる性格で、龍太郎少年にもそれを強いた。

その母が乳癌にかかった際、霊媒師・占い師などが詰め掛けて食い物にしようとした霊感商法を目の当たりにしたため、上岡は心霊モノを嫌うようになった。

ただし、こうした金目当てのものや、それを助長しかねない内容のものを厳しく批判しているが、風物詩や民間伝承としての役割については容認している。

占い師銀座ジプシーの著書[信頼性要検証]では、「ある占い師が夫人に『あなたのご主人は浮気しています』と吹き込んだから」とも書かれている。
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島田紳助から心の師として尊敬されている。

若手時代、紳助・竜介の漫才を見て紳助を食事に誘い、「君はどんな漫才がしたい?」との問いに、紳助は「今までになかった漫才がやりたいんです」と答えた。

その言葉に上岡は「よし! じゃあ僕が今から今までの漫才のパターン全部教えてやるから、これからそれやったらあかんぞ」と答えたという。

その結果、紳助竜介はリーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」という今までにないスタイルを確立させ、

主に若い男性から支持を得た。以降、2人は師弟のような関係を築いていく。

紳助竜介が新進漫才師の時代に映画『ガキ帝国』で共演し、その後にも2人は『EXテレビ』や『クイズ!当たって25%』などの紳助司会の番組で共演することが多かった。

『パペポ』の最終回では、「AB型の人間はボクは嫌いなんだけど、

彼(紳助)は同じ京都出身・AB型・3月生まれと奇蹟的にいろいろ揃ってるからか、考えてることが手に取るようにわかる」とも語っていた。
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u9Tnw
紳助は上岡引退の際、「芸能界での道標を失ってしまう。引退を考え直してほしい」という内容の手紙を送ったが、上岡は「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ」という内容の手紙を送った。

この手紙を読んだ紳助は涙が止まらなかったという。

紳助が2004年に暴力事件を起こして謹慎中だった際、真っ先に相談したのも上岡だった。

紳助の「僕はこれからどうすればいいのでしょう」との言葉に「悪いと反省しているなら誠心誠意相手の女性に謝れ。でも自分から『引退する』などとは絶対に言うな。周りのスタッフのことを考えろ」と、引退を決めようとしていた紳助を諭した。

2011年になって、紳助は『THE MANZAI 2011』で大会審査委員長を務めた際に、このことを語っている。

2011年8月、紳助は自身の不祥事で芸能界を引退することになったが、インタビューで「上岡さんと一緒の55歳で引退したのは何かの縁でしょうかね」と語った。

しかし、上岡が引退したのは58歳の時であり、これは紳助の勘違いであった。
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4wXVM
師匠やなあ😃
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bBNqH
こういう人を崇めるべきだ
ドンドン追従して欲しい
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zZIU0
話術の達人ですね😉
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mVomN
潔く引退したし
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qMzgF
大阪の女もヤバイぞ
久本雅美に和田アキ子に上沼恵美子
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PsVqj
強化版紳助
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PsVqj
チンピラさを抜いた紳助
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PsVqj
紳助+浜村淳-チンピラ=上岡
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PsVqj
高圧的なたかじん
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KA0Sc
この人ほど心霊現象を嫌い霊能力者を叩きのめす芸人は出てこないだろうな
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RTGA8
禁煙もマラソンもゴルフもやるまえはボロクソに貶していた模様
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FinCy
今のナイトスクープの局長が上岡ならブチ切れまくりだろうな
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EA7Vw
「僕の芸は21世紀じゃ通用しない」で引退
たしかにネットが発達した今じゃ屁理屈も通用しないだろうな
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TVpbJ
引き際が見事やった
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TVpbJ
引き際っていう1番難しい芸を見せてくれた芸人
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KJ6cO
上岡龍太郎はお化けの存在に対して感情的になる点がなければ満点
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rRQBA
関西の竜🐲
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Q0Rkd
関西の龍!!
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UNaMF
清く引退しましたな😆
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ud6zW
引退さすがですな
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wapjS
もっと評価されても😁
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qUDRQ
癖が強い
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sth3e
オカルト番組はオウムをきっかけに減ったね(´・ω・`)
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3u7AM
上岡龍太郎さんがまだご存命だったら
youtubeで自称未来が視える系スピリチュアルの人たちのチャンネルの動画リスト晒して
「ほななんでこの人たちは元旦の能登地震を予見できてないんですか?過去動画遡ってもそんなこと一言も言ってない」とぶった切りそう
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RF6Tl
関西人だけどあまり好きじゃなかった
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EVf2L
上岡龍太郎の母親が末期癌になって、霊媒師や占い師みたいなのが家に押しかけてきたのを目の当たりにしたせいで上岡龍太郎がアンチ占い師になった
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otgtx
めちゃくちゃイメージどおりだわ
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VxbeA
お笑い芸人でプライド高いと大変そうやな
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85yzl
心霊嫌い😡⚡️
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WqCXI
オカルト嫌いな人
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XnZzU
上岡龍太郎の言った通り
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ChrHU
天才肌話術
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tW7P2
やっぱ頭良いよな
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cWTbt
上岡龍太郎の毒舌見たいわ
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JJZ9D
エルビス・プレスリーとかマリリン・モンローとか
どこがいいのかわからん(´・ω・`)
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0VTRY
9月だった(誰もが失念)(´・ω・`)
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JCnao
さてと
田んぼの様子でも見に行って来るか
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ユーザー
rrFRT
(´・ω・)(・ω・`)ネー
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Jxqb9
上岡龍太郎は2000年3月に、
人気絶頂であった58歳で
芸能界をきっぱりと引退しました。