ウクライナ昭和天皇をヒトラーと同等にしてしまうww

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jmXqIbhT
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8Fwte
>>1
侵略戦争を引き起こした国の国家元首のヒトラーと裕仁が同列なのは当然
3.
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8Fwte
「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々
https://gendai.media/articles/-/58837

「昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として
侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、
戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ」

続々ともたらされる勝報に、不安に苛まれていた天皇も気が大きくなっていった。
1941年12月25日には早くも、
「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむ」(「小倉庫次侍従日記」)
と戦勝後のことを語り、南方作戦が一段落した1942年3月9日には、
「余り戦果が早く挙がりすぎるよ」(『木戸幸一日記』)
といって、喜びを隠さなかった。
4.
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8Fwte
1943年は、太平洋戦争の攻守が完全に逆転した年だった。
米軍は、新型空母や戦闘機を次々に配備して、戦力を大幅に強化した。
日本軍はこれに抗しきれず、各地で後退を強いられた。

4月には、山本五十六連合艦隊司令長官が南太平洋で戦死し、
5月にはアリューシャン列島のアッツ島守備隊が全滅した。

天皇は焦燥を隠せず、陸海軍に対して露骨に決戦を要求しはじめた。
その頻度はいささか異常だった。
「何んとかして『アメリカ』を叩きつけなければならない」(6月9日、『眞田穰一郎少将日記』)
「何処かでガチッと叩きつける工面は無いのかね」(7月8日、同上)
「何れの方面も良くない。米をピシャッとやることは出来ぬか?」(8月5日、同上)
いつ決戦か。いつ叩くのか。いつ攻撃をやるのか。天皇の矢のような催促は延々と続いた。

1944年に入っても、
「各方面悪い、今度来たら『ガン』と叩き度いものだね」(2月16日、上同)
といった有様だった。だが、米軍を叩きつける日はこなかった。
日米の戦力差はもはや広がるばかりで、1944年7月には絶対国防圏の一角に設定されていた
マリアナ諸島のサイパン島まで陥落してしまった。
5.
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8Fwte
これだけ好戦的な発言を発した昭和天皇の戦争責任は重い。
ヒトラーと同列も当然の結果。

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