【松平元康】 ⇒ `世良田元信´ ⇒ 【徳川家康】アーカイブ最終更新 2023/04/26 14:401.人間七七四年P8rI2a4Y[3540]今度のNHKの大河ドラマはヒド過ぎる。投稿者:副島隆彦1560(永禄3)年5月に、尾張に越境してきた、今川義元は、桶狭間の戦いで、待ち構えていて、奇襲をかけた、信長によって敗れた。その翌年、義元の先陣(最前線の突撃隊長 格)だった、三河大名、松平元康は、桶狭間のそばの丸根、大鷹砦から、岡崎城に、逃げ帰って立て籠もっていた。「これからどうしたものか」と、松平の家臣団と、主従で深刻に考え込んでいた。その岡崎城に、1年後に、「息子の信康=2歳」殿を、助け出して参ったぞー。城門をお空けくだされー」と、松平信康(このあと20歳まで城主)を、生きて連れて来たことを口実にして、岡崎城に、まんまと、入り込んだ。そして、この男は、三河大名松平元康を隙を見て、殺して、摩り替った。本名、世良田元信=せらだもとのぶ)と言う。この男が、このあと、コロコロと、家康に変名し、そして、徳川に変名した。すべて信長が、京都の藤原摂関家の“氏(うじ)の長者”で、左大臣の藤原前久に働き掛けて、朝廷から、新しい名前を貰ったのだ。信長は、これで、自分の 東海道の東の守りを、自分の腹心の戦場忍者(間諜、願人坊主)上がりで固めた。私、副島隆彦が、三河大名(みかわだいみょう)松平元康、と書くと、日本の歴史学者たちは、NHK好みの連中を含めて、震え上がる。 有名人で、売れっ子の、今や、日本の筆頭の、若手歴史学者の磯田道史は、馬鹿でなければ、かつ、私、副島隆彦の書く、真実の日本史の戦国時代もの、を知っているだろうから、顔を顰(しか)めるだけなのか? 今度の、NHK大河の作り は、あまりにヒドい。北川景子のゴハンの食べ方が、下品極まりない(いいとこのお嬢さんの出なのに)と、知っている者たちまで含めて、全く、ガキの集まりの、ガキの演出だ。 出典 https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/16824876142023/04/26 14:40:141すべて|最新の50件
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1560(永禄3)年5月に、尾張に越境してきた、今川義元は、
桶狭間の戦いで、待ち構えていて、奇襲をかけた、信長によって敗れた。
その翌年、義元の先陣(最前線の突撃隊長 格)だった、三河大名、松平元康は、
桶狭間のそばの丸根、大鷹砦から、岡崎城に、逃げ帰って立て籠もっていた。
「これからどうしたものか」と、松平の家臣団と、主従で深刻に考え込んでいた。
その岡崎城に、1年後に、「息子の信康=2歳」殿を、助け出して参ったぞー。
城門をお空けくだされー」と、松平信康(このあと20歳まで城主)を、
生きて連れて来たことを口実にして、岡崎城に、まんまと、入り込んだ。
そして、この男は、三河大名松平元康を隙を見て、殺して、摩り替った。
本名、世良田元信=せらだもとのぶ)と言う。
この男が、このあと、コロコロと、家康に変名し、そして、徳川に変名した。
すべて信長が、京都の藤原摂関家の“氏(うじ)の長者”で、
左大臣の藤原前久に働き掛けて、朝廷から、新しい名前を貰ったのだ。
信長は、これで、自分の 東海道の東の守りを、
自分の腹心の戦場忍者(間諜、願人坊主)上がりで固めた。
私、副島隆彦が、三河大名(みかわだいみょう)松平元康、と書くと、
日本の歴史学者たちは、NHK好みの連中を含めて、震え上がる。
有名人で、売れっ子の、今や、日本の筆頭の、若手歴史学者の磯田道史は、
馬鹿でなければ、かつ、私、副島隆彦の書く、真実の日本史の戦国時代もの、
を知っているだろうから、顔を顰(しか)めるだけなのか?
今度の、NHK大河の作り は、あまりにヒドい。
北川景子のゴハンの食べ方が、下品極まりない(いいとこのお嬢さんの出なのに)と、
知っている者たちまで含めて、全く、ガキの集まりの、ガキの演出だ。