FF復活の立役者吉田直樹とは何者かアーカイブ最終更新 2023/07/29 06:231.名無しさん必死だなjcqTwhttps://finders.me/articles.php?id=3837情熱大陸にも出演 世界的に注目される「ゲームクリエイター 吉田直樹」とは何者か今、日本で特に注目されるゲームクリエイターが存在する。その名前は吉田直樹。スクウェア・エニックス所属のゲームクリエイターにして、正式には取締役兼開発担当執行役員兼第三開発事業本部事業本部長である。吉田は『ファイナルファンタジーXIV』(以下、FF14)のプロデューサー兼ディレクターであり、6月22日に発売されたばかりの『ファイナルファンタジーXVI』(以下、FF16)のプロデューサーも務めるなど、人気RPG「ファイナルファンタジー」シリーズの開発の陣頭指揮に立ちながら、7月23日に放送された「情熱大陸」に出演したほか、昨年は「しくじり先生 俺みたいになるな!!」にも出演。雑誌やラジオなど、日本のゲーム開発者として異例というほど露出が多い(なお、情熱大陸はTVerにて7月30日23時12分まで見逃し放送を配信中)。ゲームを日常的にプレイするゲーマーであれば、もはや吉田の名前を知らない者はあまりいないだろう。一方でゲームに興味がない人にとっては名前だけ知っているが実際にどんな人なのかはわからない、という人もいるだろう。そこで今回、一体吉田直樹とはどんなゲームクリエイターなのか、彼の様々な実績や発言を辿りながら、「情熱大陸」では映らなかった彼の本当の表情に迫りたい。2023/07/28 21:52:336すべて|最新の50件2.名無しさん必死だなjcqTw吉田は1973年、北海道の札幌に生まれた。今年で50歳になる。なお1歳年下の開発者に、TIME 100にも選ばれたフロムソフトウェアの宮崎英高が存在する。吉田は幼い頃からゲームや遊びを愛好し、地元北海道ではスノーボードなどウィンタースポーツを愛好する傍ら、小学校の卒業論文には自分がゲーム開発者になると書くほどビデオゲームにものめり込んだ。1993年には札幌に拠点を構えていたハドソンに入社。同社の看板タイトル『天外魔境』『ボンバーマン』などのタイトルに関わったという。やがて吉田はスクウェア・エニックスに転職し、『ファイナルファンタジー』シリーズを手掛ける……のは既に説明した通りだが、その経緯が少し面白い。ハドソンを退職した吉田は、同じく札幌に拠点を置くロケットスタジオへと在籍することに。そこで吉田はエニックスと共同でオンラインゲームを開発していたという。もっとも、開発途中の2003年にエニックスはスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスとなったため、開発中のタイトルも「PC向けだったものをPS2向けに作り直せ」「一人でも遊べるモードが欲しい」などの二転三転する要望によって炎上。その結果、プロジェクトは保留となってしまう。一方、吉田の能力と企画に目をつけたのが、後にスクウェア・エニックスでヨコオタロウと『NieR』シリーズを成功させ、『ドラゴンクエストⅩ』などをてがけた齊藤陽介だ。齊藤は「どうせだったら、ウチの会社に来てリベンジしないか?」と吉田を誘い、吉田は契約社員という立場でスクウェア・エニックスに入社する。さて、スクウェア・エニックスに入社した吉田は、アーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』のディレクター、そして自身を誘った斎藤が担当する『ドラゴンクエストX』のチーフプランナーを担当。『ドラゴンクエストX』のアルファ版が完成した頃に、新しい企画に着手し始めるのだが、その時急遽吉田が呼び出されたのが『FF14』の案件だった。吉田は既にハドソン時代からオンラインゲームの開発経験、そして(本人にはどうすることもできない)挫折を味わっており、その経験は“失敗したプロジェクト“とみなされていた『FF14』を復活させる大きな糧となったという。2023/07/28 21:53:103.名無しさん必死だなjcqTw『FF14』はそのタイトルの通り、スクウェア・エニックスの代表的シリーズ「ファイナルファンタジー」の当時の最新作にして、『FF11』に連なる2番目のオンラインゲーム(MMORPG)として、2010年に正式にサービスを開始した作品だ。『FF11』は「ファイナルファンタジー」のシステムや世界観を継承しながらも、MMORPGとしてのコミュニケーション要素も充実しており、日本をはじめ世界に数多くのユーザーがいたことで、その続編となる『FF14』にも世界的な注目が集まっていた。しかし『FF14』は、明らかに失敗していた。出来が悪いという以前に、そもそも商品未満という水準だった。吉田は当時を以下のように振り返っている。2023/07/28 21:53:374.名無しさん必死だなjcqTw「とりあえず状況を見て、話を聞いてくるわ」と『旧 FFXIV』へ向かった(部下の)髙井と皆川ですが、その日の夜に「シャレにならん」と戻ってきます。(中略)彼らの話を聞くと、「とにかく、どこから手を付けるべきかわからないほどの問題が多いということがわかったので(わからないことがわかった、というのは、じつはとても重要)、まずは問題を定義してもらうために、”MMORPGとして何が問題かを調べてもらう”ことから始めることにしました吉田直樹『吉田の日々赤裸々。 『ファイナルファンタジーXIV』はなぜ新生できたのか』2023/07/28 21:54:075.名無しさん必死だなWqN20FF終了の立役者じゃん2023/07/29 00:41:346.名無しさん必死だなKGyfm無言電話は意味不明だな吉田のおかげでこの程度ですんだんだ感謝してもらいたい2023/07/29 06:23:46
情熱大陸にも出演 世界的に注目される「ゲームクリエイター 吉田直樹」とは何者か
今、日本で特に注目されるゲームクリエイターが存在する。その名前は吉田直樹。スクウェア・エニックス所属のゲームクリエイターにして、正式には取締役兼開発担当執行役員兼第三開発事業本部事業本部長である。
吉田は『ファイナルファンタジーXIV』(以下、FF14)のプロデューサー兼ディレクターであり、6月22日に発売されたばかりの『ファイナルファンタジーXVI』(以下、FF16)のプロデューサーも務めるなど、人気RPG「ファイナルファンタジー」シリーズの開発の陣頭指揮に立ちながら、7月23日に放送された「情熱大陸」に出演したほか、昨年は「しくじり先生 俺みたいになるな!!」にも出演。雑誌やラジオなど、日本のゲーム開発者として異例というほど露出が多い(なお、情熱大陸はTVerにて7月30日23時12分まで見逃し放送を配信中)。
ゲームを日常的にプレイするゲーマーであれば、もはや吉田の名前を知らない者はあまりいないだろう。一方でゲームに興味がない人にとっては名前だけ知っているが実際にどんな人なのかはわからない、という人もいるだろう。そこで今回、一体吉田直樹とはどんなゲームクリエイターなのか、彼の様々な実績や発言を辿りながら、「情熱大陸」では映らなかった彼の本当の表情に迫りたい。
吉田は幼い頃からゲームや遊びを愛好し、地元北海道ではスノーボードなどウィンタースポーツを愛好する傍ら、小学校の卒業論文には自分がゲーム開発者になると書くほどビデオゲームにものめり込んだ。1993年には札幌に拠点を構えていたハドソンに入社。同社の看板タイトル『天外魔境』『ボンバーマン』などのタイトルに関わったという。
やがて吉田はスクウェア・エニックスに転職し、『ファイナルファンタジー』シリーズを手掛ける……のは既に説明した通りだが、その経緯が少し面白い。
ハドソンを退職した吉田は、同じく札幌に拠点を置くロケットスタジオへと在籍することに。そこで吉田はエニックスと共同でオンラインゲームを開発していたという。もっとも、開発途中の2003年にエニックスはスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスとなったため、開発中のタイトルも「PC向けだったものをPS2向けに作り直せ」「一人でも遊べるモードが欲しい」などの二転三転する要望によって炎上。その結果、プロジェクトは保留となってしまう。
一方、吉田の能力と企画に目をつけたのが、後にスクウェア・エニックスでヨコオタロウと『NieR』シリーズを成功させ、『ドラゴンクエストⅩ』などをてがけた齊藤陽介だ。齊藤は「どうせだったら、ウチの会社に来てリベンジしないか?」と吉田を誘い、吉田は契約社員という立場でスクウェア・エニックスに入社する。
さて、スクウェア・エニックスに入社した吉田は、アーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』のディレクター、そして自身を誘った斎藤が担当する『ドラゴンクエストX』のチーフプランナーを担当。『ドラゴンクエストX』のアルファ版が完成した頃に、新しい企画に着手し始めるのだが、その時急遽吉田が呼び出されたのが『FF14』の案件だった。
吉田は既にハドソン時代からオンラインゲームの開発経験、そして(本人にはどうすることもできない)挫折を味わっており、その経験は“失敗したプロジェクト“とみなされていた『FF14』を復活させる大きな糧となったという。
しかし『FF14』は、明らかに失敗していた。出来が悪いという以前に、そもそも商品未満という水準だった。吉田は当時を以下のように振り返っている。
吉田直樹『吉田の日々赤裸々。 『ファイナルファンタジーXIV』はなぜ新生できたのか』
感謝してもらいたい