●●● 中村忠が暴露した大山倍達の人間失格ぶりアーカイブ最終更新 2014/07/04 00:331.名無しさん@一本勝ちcNOvWdXK0 まだ私が極真会館に勤めていた頃、成増支部の星野金次郎さんという方が交通事故で亡くなられるというアクシデントがあった。黒崎師範の可愛がっていらっしゃった生徒さんであった。この時、ちょうど館長は大阪に出張に出ていたので、私は置矢子夫人に進言した。「極真会として、花輪のひとつぐらい届けてはどうでしょうか?」「どうかしら、そんなの必要ないんじゃないの」「でも館長もお世話になっている人ですから、ぜひ聞いてみてあげてください」それは事実であった。星野さんのご両親がバーを経営していて、館長も何度かもてなしを受けているのだ。その上、お姉さんが英語を話せたので、幾度も通訳や秘書の仕事などをしていただいていた。しかし館長の答えは「そんなことしなくていい」という冷たいものであった。本部からは花輪ひとつ届けられなかった。結局、葬儀には私だけで出席した覚えがある。またこんなこともあった。先にも書いたように、大学時代私は座間キャンプで極真空手を教えていた。ここに支部が開設できたのは、ハワイ出身のある日系二世のおかげであった。極真会館成増支部にしても、この人のおかげで開くことができ、その後を黒崎師範が任されるかたちになったのだ。その彼が白血病で亡くなってしまった。館長に葬儀に参列した方がいいのではないでしょうか、と伺いを立てると、「いあや、行く必要はない」のひと言である。しかたなく、私は座間の実家を尋ね尋ねひとりで行き、葬儀に参列したのだった。他人の困難や死に際して平気でいられる神経が、私には耐えられなかった。恩ある人の死を知りながら、花輪ひとつ送ることもせず、義理ある人の不幸を見て見ぬふりをするような、そういう思いやりのなさに、もうこれ以上私はつきあうことができなかった。出典 https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/14044015832014/07/04 00:33:031すべて|最新の50件
まだ私が極真会館に勤めていた頃、成増支部の星野金次郎さんという方が
交通事故で亡くなられるというアクシデントがあった。
黒崎師範の可愛がっていらっしゃった生徒さんであった。
この時、ちょうど館長は大阪に出張に出ていたので、私は置矢子夫人に進言した。
「極真会として、花輪のひとつぐらい届けてはどうでしょうか?」
「どうかしら、そんなの必要ないんじゃないの」
「でも館長もお世話になっている人ですから、ぜひ聞いてみてあげてください」
それは事実であった。星野さんのご両親がバーを経営していて、
館長も何度かもてなしを受けているのだ。
その上、お姉さんが英語を話せたので、幾度も通訳や秘書の仕事などをしていただいていた。
しかし館長の答えは「そんなことしなくていい」という冷たいものであった。
本部からは花輪ひとつ届けられなかった。結局、葬儀には私だけで出席した覚えがある。
またこんなこともあった。
先にも書いたように、大学時代私は座間キャンプで極真空手を教えていた。
ここに支部が開設できたのは、ハワイ出身のある日系二世のおかげであった。
極真会館成増支部にしても、この人のおかげで開くことができ、その後を黒崎師範が任される
かたちになったのだ。その彼が白血病で亡くなってしまった。
館長に葬儀に参列した方がいいのではないでしょうか、と伺いを立てると、
「いあや、行く必要はない」のひと言である。
しかたなく、私は座間の実家を尋ね尋ねひとりで行き、葬儀に参列したのだった。
他人の困難や死に際して平気でいられる神経が、私には耐えられなかった。
恩ある人の死を知りながら、花輪ひとつ送ることもせず、義理ある人の不幸を
見て見ぬふりをするような、そういう思いやりのなさに、もうこれ以上私はつきあうことができなかった。