将棋の面白さとつまらなさについて最終更新 2025/11/08 09:001.名無し名人7hQ7J個人的に将棋に対する面白さを感じる事が難しくなってきた為、静かにフェードアウトしながら将棋から距離を置いていき、やめようという計画を立てている。まず、僕が将棋をつまらないと思い始めたのは、将棋は恐らく殆どが純粋な学習とパターン認識のゲームなのだろうと思い始めたからだ。純粋な学習によって主に「既に開拓された戦法、局面の進行」などをひたすら学び暗記し、時に様々な戦法や定石の発想からそれらの裏に存在する様々な法則性を模索し、そして観察して対人戦における将棋の本質を少しずつ理解していく物だと思っている。パターン認識という物は、恐らくみんなが言う筋のような物だと思っている。これは過去の経験や感覚や直感、読みの蓄積から養われる物だと思っている。詰将棋などは言うまでもなく、練習に依存する要素だと思っている。問題として僕はこれらの作業や仕組みを非常につまらないと思ってしまっている事だ。例えば、こう言う解釈をすると将棋はただの知識ゲー、認識パターンゲーに見えてきてしまうのが個人的には嫌な所だと思う。知識ゲーなら事前準備や学習の成果によって対局前から勝敗や成り行きが決まっているような物だ。認識パターンに置いてもそうだと思う。これらに時間を費やすぐらいなら他の面白みのある事に時間を費やしたいと思っている。将棋を始めたばかりの時は将棋を面白いと感じる瞬間も結構あったと思う。ただ、それは全ての物が新鮮で新しく、未知の局面やパターンに遭遇した時にその答えを考える事への面白さだったように思う。考える要素があればあるほど、即ち知識や既知のパターンが限りなくゼロに近いほど楽しかったと思う。なので将棋は上手くなればなるほど(シンプルに実力面に置いて)つまらなくなるように思う。正直2級や1級になった時からほぼ完全に飽きていたかもしれない(というより精神的にうんざりしていたと言う方が正しいかもしれない)。2025/10/22 09:44:096コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無し名人TNaae飽きたら離れるもよしまたしたくなったらすりゃいいさ2025/10/22 15:03:303.名無し名人moAHAAIに負けたんだからもうやめたらいいのにな。なんか頭よさそうですごいーってイメージなんだろうけど、何の役にも立たないしな。言えば、野球もそうなんだけど。2025/10/30 02:50:584.名無し名人10pSA頭がいい?ただの廃ゲーマーだよ2025/10/30 07:07:495.うんちdRc6Rこれは人によると思うが、将棋は殆ど害しかないように思える。なんの役にも立たないと言うのも正しいと思うが、何より妙な中毒性があり、対人戦がメインのゲームな為、人間の汚い所が露出することも多々あると思う。場合によっては人間はどこまでも陰湿になる事ができる上、将棋でそれをやる事はルール上認められている為余計にタチが悪い。色々な面を考慮すれば、将棋には精神汚染のポテンシャルがあり、日常生活には殆ど害しかないように見える。僕が考えるにある意味賢い人ほど将棋をすぐ辞めていくだろうと思う。どんな手を駆使してもAIには敵わないので結局はプロですら全体的な局面パターン認識、部分的な定跡やパターン認識、詰将棋などのテクニックに頼らざるを得ない始末。勿論、深めの読みを入れる要素や局面も沢山あるが、その要素は極めて低いようにも感じる。結局は見えるか見えないかの問題だからだ。将棋を馬鹿馬鹿しいとまでは言わないが、プロにでもならない限り、あるいは将棋が死ぬほど好きでない限り、結構やめた方が良い対象だと思う。2025/11/08 08:24:136.名無し名人MIZrfおおむね正しい認識だと思うよ日常生活で発現させることがためらわれる狂気は盤上で現わしてくれればいい2025/11/08 09:00:30
まず、僕が将棋をつまらないと思い始めたのは、将棋は恐らく殆どが純粋な学習とパターン認識のゲームなのだろうと思い始めたからだ。純粋な学習によって主に「既に開拓された戦法、局面の進行」などをひたすら学び暗記し、時に様々な戦法や定石の発想からそれらの裏に存在する様々な法則性を模索し、そして観察して対人戦における将棋の本質を少しずつ理解していく物だと思っている。パターン認識という物は、恐らくみんなが言う筋のような物だと思っている。これは過去の経験や感覚や直感、読みの蓄積から養われる物だと思っている。詰将棋などは言うまでもなく、練習に依存する要素だと思っている。問題として僕はこれらの作業や仕組みを非常につまらないと思ってしまっている事だ。例えば、こう言う解釈をすると将棋はただの知識ゲー、認識パターンゲーに見えてきてしまうのが個人的には嫌な所だと思う。知識ゲーなら事前準備や学習の成果によって対局前から勝敗や成り行きが決まっているような物だ。認識パターンに置いてもそうだと思う。これらに時間を費やすぐらいなら他の面白みのある事に時間を費やしたいと思っている。
将棋を始めたばかりの時は将棋を面白いと感じる瞬間も結構あったと思う。ただ、それは全ての物が新鮮で新しく、未知の局面やパターンに遭遇した時にその答えを考える事への面白さだったように思う。考える要素があればあるほど、即ち知識や既知のパターンが限りなくゼロに近いほど楽しかったと思う。なので将棋は上手くなればなるほど(シンプルに実力面に置いて)つまらなくなるように思う。正直2級や1級になった時からほぼ完全に飽きていたかもしれない(というより精神的にうんざりしていたと言う方が正しいかもしれない)。
またしたくなったらすりゃいいさ
なんか頭よさそうですごいーってイメージなんだろうけど、
何の役にも立たないしな。
言えば、野球もそうなんだけど。
ただの廃ゲーマーだよ
どんな手を駆使してもAIには敵わないので結局はプロですら全体的な局面パターン認識、部分的な定跡やパターン認識、詰将棋などのテクニックに頼らざるを得ない始末。勿論、深めの読みを入れる要素や局面も沢山あるが、その要素は極めて低いようにも感じる。結局は見えるか見えないかの問題だからだ。
将棋を馬鹿馬鹿しいとまでは言わないが、プロにでもならない限り、あるいは将棋が死ぬほど好きでない限り、結構やめた方が良い対象だと思う。
日常生活で発現させることがためらわれる狂気は盤上で現わしてくれればいい